2023年12月
          1 2
3 4 5 6 7 8 9
10 11 12 13 14 15 16
17 18 19 20 21 22 23
24 25 26 27 28 29 30
31            
無料ブログはココログ

« 2007年6月 | トップページ | 2007年8月 »

2007年7月

2007年7月31日 (火)

陸上自衛隊偵察ヘリOH-6Dからの柏崎市

Img_1627_2 2時就寝。6時に起床し、朝の配食に向かう。今日のボランティア担当は諏訪町1丁目で、 メニューご飯、鶏もも照り焼き、レタス、ブロッコリー、煮物、味噌汁、野沢菜、グレープフルーツジュース。7時から8時30分まで配食をし、9時に撤収完了。

 午前中は倒壊しそうな建物から戦前、戦中の文献を掘り出す作業を行う。

Img_1630 11時30分から配食の準備。メニューは、ご飯、柳川風(牛肉と牛蒡)、中華くらげ、フカヒレスープ、ネーブルオレンジ。12時から13時30分まで配食を行う。
 地元町内ではない方と思われるが「ご飯は飽きたし、パンはないの?」「選べねぇの?」といったもらい癖のような発言があり、
がっくりきた。

Img_1632 配食の途中で抜けさせてもらい、13時、佐藤ヶ池球場に移動。
 陸上自衛隊偵察ヘリOH-6Dが着陸するということで、映像関係者とともに見学を行う。陸上自衛隊偵察ヘリOH-6Dという名称はあるが、どうもしっくりこないので「隼」、「飛燕」といった愛称がほしいところである。 
 柏崎市を空から見た映像を入手した。

Img_1665

<クリックすると大きくなります>
 
荒浜から東京電力柏崎刈羽原子力発電所の方向の写真。
 ブルーに見えるものは、全壊もしくは倒壊、半壊し、ブルーシートがかけられた家。

Img_1670

<クリックすると大きくなります>
 柏崎中央地区から柏崎港方面。
 陸上自衛隊、航空自衛隊のテントや車両が並ぶ。
 ブルーは前述のとおり。

 ただただ、その被害の大きさに驚くばかりである。

 震災復興の音楽イベントをはじめ、打ち合わせを3件。

Img_1681 17時30分から配食の準備。メニューは、ご飯、フライ盛り合わせ、いんげん胡麻和え、ほうれん草すまし汁、キャベツ、レモン。18時から19時30分まで配食。
 茨城県龍ケ崎市の商工会議所をはじめ、関係者の皆様から特製のコロッケを約1000食分を頂戴したので、一緒に配布する。

Img_1684

 おいしいコロッケで元気を頂き、茨城県龍ヶ崎市の皆様には感謝、感謝である。20時前に撤収完了。

070801_magokoro  あまりにも美味しいコロッケだったので、地元町内会の方と相談をし、普段、面倒をみてもらっている自衛隊さんにも食べてもらおう!ということになった。
 早速移動、20時近く、柏崎に駐屯している第3師団本部にコロッケを差し入れに伺った。

第3師団支援隊『真心』第2号(pdf形式)

2007年7月27日 (金)

震災対応のなかの35歳誕生日
陸上自衛隊歌『栄光の旗のもとに』

Img_1573  3時、起床。身の回りの整理を行うも、余震でさらに落ちたものがころがり2、3時間ではとても片付かない。5時過ぎ、仮設トイレの水がでないと事務所にお越しになるお年寄りがいたので、確認すると洗浄水が既に空っぽであった。早速、水と「ロイヤルブルー」を投入。この「ロイヤルブルー」がまた手についたら取れないのである。

Img_1574Img_1575 6時30分、朝の配食に向かう。今日のボランティア担当は諏訪町2丁目。7時から8時30分まで配食をし、9時に撤収完了。
 今日から本格的に新体制に移行し、地元の5町内会の共同運営のもと、この民有地に展開した陸上自衛隊による配食を行う。

<Img_1576 駐屯してもらっている陸上自衛隊第37普通科連隊の隊員の活躍には地元の方も信頼を寄せており、特に足の不自由なおばあちゃんやおじいちゃんからは重たい水を入れたタンクを持ってもらうなど、感謝の声があとを絶たない。

 12時から14時までボランティアの配置などがあり、中心市街地で活動。

Img_1579 14時過ぎ、新潟工科大学の建築学科にて、まち再生のための会議に出席。
  柏崎市から都市整備課長、建築士会柏崎支部から支部長、富士常葉大学から池田先生、新潟大学から寺尾先生、岡崎先生、福留先生、長岡造形大学から澤田先生、石塚氏、そして新潟工科大学の深沢先生、田口先生というメンバーである。
 えんま通り商店街として振興会長とともに今後のアーケードの在り方などを意見させてもらった。
 プチ東京のようなものを目指すのではなく、柏崎の伝統と文化を生かしたまちづくりをしたい。

Img_1583 打ち合わせから戻り、夕食の配食などを終えてホッとした21時過ぎ、今日が35歳の誕生日であることに気づいた。
 なかなかオツな誕生日となり、ご近所の方やボランティアの皆さんからお祝いをして頂いた。
 陸上自衛隊第37普通科連隊の活躍を見ながらのビールは、また違った味?で、鼻歌は巨匠・古関裕而作曲、1970年、自衛隊創隊20周年記念作品『栄光の旗のもとに』(作詞:赤堀達郎、藤田正人)である。
*リンクをクリックすると、曲の圧縮ファイルのダウンロードが始まります。
 解凍することで、お聞きいただけます。リンク元:
陸上自衛隊
 
 「栄光の旗のもとに」

作詞:赤堀達郎 補作:藤田正人
作曲:古関裕而

 山がある 川がある 海がある 空がある
 美しき みどりなす国
 この静けさを守りぬく 陸上自衛隊
 われらの日本 日本の 平和の使者は 今日もゆく

 父がいる 母がいる 妻がいる 子らがいる
 とこしえに 光さす国
 このしあわせを守りぬく 陸上自衛隊
 われらの日本 日本の 平和の勇者は 今日も行く

 君がいる 僕がいる みんないる 生きている
 さくら花 競い咲く国
 このよろこびを守りぬく 陸上自衛隊
 われらの日本 日本の 平和の旗手は 今日も行く

*以下の映像は、2006年の「自衛隊音楽まつり」の「陸上自衛隊中央音楽隊ドリル演奏」。曲順は、『この国は』『陸軍分列行進曲』『栄光の旗のもとに』 。

2007年7月20日 (金)

陸上自衛隊風呂に温泉
海上自衛隊輸送艦シャワーサービス

Img_1506  2時ごろ、うつぶせになったまま就寝。4時、起床。昨日の夕方に届いた吉田町からの美味しい日の丸弁当で朝食?大力納豆さんの差し入れ、好きな銘柄の「100%北海道大粒」でかっ込む。

 6時からガラス関係の処理のボランティアなど。栃木市役所からお越しになった災害救助の皆さんにコレクションビレッジのお手伝いをお願いする。

Img_1487 9時から14時まで、柏崎港第三ふ頭に停泊中の海上自衛隊「おおすみ」型輸送艦LST4003「くにさき」が温水シャワーのサービスを行った。
 LST4003「くにさき」は、「おおすみ」型輸送艦・戦車揚陸艦で、330名の隊員、90式戦車10台以上を輸送可能である。ホバークラフト(LCAC:エアクッション型揚陸艇)2隻も搭載している。
 災害発生時には、1000名以上の被災者を収容することが可能であり、スマトラ沖地震被災地援助の際には海上基地として使用された艦である。

 しおかぜ荘の駐車場など陸上自衛隊が設置し、住民に大好評の風呂にも、今日から温泉が入ることになった。
 風呂がえりの皆さんからは「自衛隊さまさま」という声が相次いでいる。

 午後、応援として山形県米沢市から相田克平議員親子、東京都日野市から渡辺眞議員、群馬県伊勢崎市から伊藤純子議員が到着。
 早速、通常のボランティアで入れない多少危険な建物をはじめ、すぐにでも手がほしいという商店街の皆さんのお手伝いに入ってもらう。

 19時過ぎ、コレクションビレッジの「痴娯の家」をお手伝い頂いた、栃木市役所から派遣職員の皆さんへの感謝の電話、そして管理者の奥様が直接御礼に見えられた。
 ただただ現場を視察して帰る自治体、また現地支援として柏崎市行政内をご支援頂く場合とは違って、今回は民間のボランティアと同じを仕事をし、行政設置ではない避難所を体験されたこと(行政の視点から被災者の視点へ)は、今後の栃木市の災害対策に役立たされるであろう。
 派遣された職員の皆様はもとより、熱い心意気で動かれた栃木市 佐藤康弘教育長、そして早い決断をされた日向野義幸栃木市長へ感謝申し上げる次第である。

 21時過ぎ、えんま通り商店街を中心とした民間設置の避難所に陸上自衛隊信太山駐屯地・第37普通科連隊が到着。給水と本格的な炊き出しの準備が整った。
 これまで被災者が被災者の面倒をみる助け合いでやってきたが、炊き出しを求めてくる方が既に100名を超え、民間での自己完結ができなくなってきたためである。
 公設公営の避難所への配置が通常であるが、今回は新しい事例となるであろう民間にて民間の駐車場を借り上げての部隊展開。

2007年7月19日 (木)

仮設トイレ問題

 4時から5時まで仮眠。神奈川県小田原市の加藤仁司議員は事務所前テント、NPO法人 新潟海難救助隊の皆さんはバスで睡眠をとられ、朝から作業を再開。

 6時過ぎ、糸魚川市の五十嵐哲夫議員が到着。8時過ぎ、東京都杉並区の松浦芳子議員のご子息とお友達4名が到着。

2007年7月18日 (水)

反原発で本質を忘れた人

 4時から6時まで仮眠。朝方に柏崎市内に到着した方への道案内を行う。

 午前中、糸魚川市の五十嵐哲夫議員東京都日野市の古賀壮志議員そして大力納豆の専務がお手伝いして下さるとのことで到着。

 昼ごろ、神奈川県小田原市の加藤仁司議員NPO法人 新潟海難救助隊の皆さんが到着。新潟海難救助隊の皆さんの炊き出しは凄まじく、あっという間に準備が終わり、次々と中央地区の方が集まった。これまでおにぎりしか食べていなかった近所のおばあちゃんは手を合わせて拝み、 「はぁ~あ、ありがてーことだてぇ~」

 夕方、栃木県栃木市からのトラック3台が到着。教育長の心意気、栃木市長の決断により、柏崎市役所と連絡が取れない状況でも、商店街に必要なものを持ってきていただいた。

070718f10000044 19時過ぎ、チャンネル桜の「防人の道 今日の自衛隊」の電話収録。キャスターが井上和彦さんなのでお話は弾む。柏崎港での海上自衛隊護衛艦、陸上自衛隊の各部隊が並んだシーンを撮影。これまで海上自衛隊誘致を訴えてきたこと、そして先の中越大震災のときにも活躍した、第12旅団音楽隊をはじめとする自衛隊の音楽隊のことを話した。

 夕方のニュースで、市長与党である社民党・新社会党系議員、反原発市民団体が東京電力柏崎刈羽原子力発電所に乗り込み、抗議をしているシーンが写しだされた。
 とてもとてもおりこうさんである。
 東京電力の不手際への追及はすべきであろうが、被災地の市議会議員がこのタイミングでマスコミを引き連れて、これ見よがしに反原発で声を上げている暇があれば、まずは柏崎市民を助ける活動をすべきであろう。追及は地震が落ち着いてからでも、臨時議会でも開催すれば良い。自分の役割を見失い、パフォーマンスに力を入れる からこうなるのである。

 夜になってからの市長本人からの防災無線一斉放送も同様であった。亡くなった方への追悼の辞、被災された方への励ましを行いたいのは分かるが、まだすべてが終わったわけではない。しかも、ダラダラと話をするため、何を言いたいのか分かりにくい。演説とは違うのである。放送の途中からも、「あの放送止めさせろ!」という電話が相次いだ。

 24時近くまで、中央地区の住民の方の荷物の搬出や親せきなどへの連絡の取次をする。

2007年7月17日 (火)

気落ちの捜索。食糧配布の問題点

 雨も降り出したが、4時過ぎになっても救助活動は続き、

2007年7月16日 (月)

柏崎・大地震発生!!
中央地区壊滅状態

 3時、就寝。8時、起床。来週に水戸で行われる結婚式の司会原稿、メールの返事やブログを書いて、10時を過ぎた10時13分、目の前の液晶ディスプレイが上下にジャンプしだし、後頭を殴られたかと思ったら、次々と本棚が倒れてきた。

Img_1483 いきなりの大地震!!
 なんと震度6強であった。

 即、柏崎市議会の防災服に着替え、ガラスの破片があることを予想し、履きなれたレスリングシューズを履いて、町内や中央地区を慌ててまわる。
 街中はほぼ壊滅状態
Img_1475 常に酸素ボンベが必要なYさん方のお祖父ちゃんが木造家屋の1階に潰されて閉じ込められていることが分かり、町内周辺の若手と1時間ほどで救出。
 お隣の土蔵付きの日本家屋に住んでいるお婆ちゃんも土蔵が直下地震で崩れたこともあり、閉じ込められてしまった。こちらも町内の若手を中心に30分ほどで救出。
Img_1481 問題は、本町通りで2階建ての土蔵の1階に埋まってしまったIさん方のお婆ちゃんであった。
 とにかくなんとか瓦礫をどけるもラチがあかず。
 思いっきりの全力疾走で、市役所の対策本部に行き、直接、

Img_1478「早く!早く!
陸上自衛隊とレスキューを!
ばーちゃんが
土蔵に埋まってんだから」

と訴え、手配。その間、東京電力柏崎刈羽原子力発電所の3号機の変圧器で火災が発生し、忙しかったようである。
 当初は町中に発電機が炎上中との情報が流れたので、チャンネル桜の電話取材もそのように話してしまったが、その後変圧器という訂正の情報が流れてきた。
Img_1479 東京電力には怒られるかも知れないが、変圧器の火災ということがわかれば、放射性物質も放射線の心配もないので、あとは東京電力に任せて、柏崎市役所は対応を切り替えれば良いのである。
 変圧器は所詮、機械。燃やしておいても構わない。人命救助が優先であり、柏崎市役所は優先順位(プライオリティ)を変えれば良かったのある。
 中心市街地では、倒壊しそうな建物がギシギシを音を立てている状況であり、人も中にいるのである。普通に考えれば、何かいま大切か分かるはずである。

Img_1477 13時過ぎ、レスキューの皆さんと陸上自衛隊高田駐屯地の第二普通科連隊が到着。レスキュー、陸上自衛隊の車が到着したときの商店街の皆さんの歓呼の声は凄まじく、巨匠・古関裕而作曲の1970年、自衛隊創隊20周年記念作品『栄光の旗のもとに』(作詞:赤堀達郎、藤田正人)を歌いたいところであった。
 しまいには、これまで柏崎に自衛隊誘致を訴え続けてきた私に反対だった方からも、

 「三井田君、オメさんの方が正しかったようだて」

とのお声があった。

Img_1476 自衛隊の本来の目的は外敵の撃破であるが、災害救助の活躍は先の中越大震災、三条の水害で証明された通りである。
 作業着手の13時過ぎから約2時間、おばあちゃんの声も聞こえ、
救出成功!。約5時間、生き埋めになっていたところであった。
 病院から戻ったおばあちゃんと娘さんからは感謝の御言葉を頂戴し、その模様を原付で柏崎入りした「不肖・宮嶋」氏に撮られてしまった。
 しかし、本当に努力してくれたのは、レスキュー隊、県警、陸上自衛隊の皆さんである。改めて、感謝申しあげたい。

おばあちゃん救出の瞬間(wmv形式)

 作業の途中、途中で、水が来ていないところに水を配ってまわる。市役所の1階に水を取りに行くが、届いた水や物資のチェックをしており、配ろうとすると職員から

 「数のチェックをしてからですっ!」

と言われる。数をチェックしたい気持ちは分かるが、時は一刻を争うのである。赤ちゃんのミルク、驚かれたお年寄りの汚物の処理など、急がなくてならない。しかも、市役所に取りにこれる人、コミニティ・センターに移動できる人はまだ恵まれており、道の分断やショックで朦朧となっている老人世帯にはこちらから配布しなければならないのである。

 なんとか物資を確保し、柏崎青年会議所日本青年会議所北陸信越地区新潟ブロック協議会のメンバーやライオンズの方にご協力頂き、水を配り歩く。
 さらに水をとりに行った際、安倍首相の乗ったバスが大名行列で入ってきた。マスコミもそうであるが、救援物資優先である。大名行列をどかす気で突っ込むも、玉砕
 中越大震災の教訓が生きていないのである。
 あのときも、ボランティアに行ったが、マスコミや視察の車で市役所の前が埋まっており、自衛隊の車両を置くことができないわ、ボランティアによる配送車も入れないわで、駐車場までを救援物資を持って何往復もしたのである。
 まずはマスコミをどかし、大名行列はSPも楽であろうから裏口にするのが正しいと思う。

 夕方、自民党の吉田六左エ門衆議院議員が国土交通省の役人と市役所に来ているということだったので、ミーティング中で失礼であったが、待機をしている議長室にいきなり入りこみ本町通りの現状とともに、半壊で隣によれかかっている家の解体などを直訴。

 「分かった、必ずやる!」

との強いご回答をもらった。その後、自民党新潟県連など、自民党人脈をフル活用して、被害が甚大な中央地区の復旧を陳情した。この際、どんな手でも使う。

 自民党民主党公明党に続き、日本共産党が『しんぶん赤旗』記者を連れて、現地をまわっていたので、

 「どうも、どうも『赤旗』の熱烈な読者です」

と話しながら、現地をよく取材してもらった。災害時の報道は右も左もないので、詳細に伝えてほしいとお願いをした。

 全国若手市議会議員の会をはじめ、個人的にもお世話になっている、十日町市議会の庭野しげみ議員が食料を救援物資としてもってきたくれた。お陰で商店街の皆さんの遅めの昼食にすることができ、感謝感激である。

 手ぶらでくる政党が多いなか、元柿崎町長で県会議員の楡井議員やつかだ一郎氏の奥さんが持てる限りの救援物資を持って、駆けつけてくれた。ありがたいことである。

Img_1484 市役所、中央地区の各位置などで作業をしているうちにすっかり夜となり、21時から自宅の片づけ。22時過ぎにインターネットが使える状況まで復旧する。
 幸い井戸水のポンプを発電機と通常電源の2系統で運用していたので、トイレ用に近所に水を配り歩いた。
 他にも必要と思われる人がいるであろうと、目印に国旗を掲げ、周知。
 23時からメールの返事などを書いていると、まだ埋まっている人がいるという情報があり、現場に急行する。
 町内の人の生存は確認したが、町中を歩いていて崩壊した家屋に閉じ込められた人がいるという。

2007年7月15日 (日)

2007どんGALA!祭り

 2時、就寝。

 7時、起床。ひきわり納豆、筋子でご飯2杯の朝食をとる。

Img_1464 8時過ぎ、 「2007どんGALA!祭り」の準備のため、柏崎市市民プラザに移動。あいにくの小雨模様である。
 各パートでリハーサルがはじまったが、特に多くの人の目、いや耳を魅了していたのが、お一人でドラムからギターから何まで演奏する「一人バンド演奏」パフォーマーさん。ビートルズからフォークまで何でもござれのレパートリーで、リハーサルなのにスタッフをはじめ、多くの人を集めていた。(大変、失礼ながらお名前を聞き忘れてしまった)
 10時30分、いよいよ「2007どんGALA!祭り」がスタート。 今回は市内外から63チーム、総勢約2100名が参加している。特別招待チームは、宮城県仙台市からの「みちのくYOSAKOI大漁連」。
Img_1468 色々なチームが参加したが、圧倒されたコスチュームが「みちのくYOSAKOI大漁連」の伊達政宗コスチューム。合皮で一つ一つ手縫いした甲冑で、見学していた小学生からはこんな声もあがった。

 「あっ、カブト虫だ!」

 祭りということもあり、お神酒もなめつつ?業務を進行。途中、商店街の某店で倒れられた方がおり、救急車が出動する騒ぎにはなったが、命に別条はなかった。

Img_1469 13時、おにぎり2個、から揚げなどの「おにぎり弁当」に牛肉の串焼き、泡がでる不思議な麦ジュースで昼食。マズイと思いながら、麦ジュースがウマク?2杯目を購入し、胃に流し込む。
 食後、休憩時間を利用し、お神酒を配り歩き、違った面から祭りを盛り上げる。

Img_1465 14時過ぎ、地元TV局である新潟総合テレビ(NST)中田エミリーアナウンサーがレポーターとして登場。多くの愛されているアナウンサーなのであろう、

 「エミリーも一緒に踊ろう」

と多くの子供から話しかけれていた。応援する意味で

 「エぇぇ~ミぃぃりぃ~、エぇぇ~ミぃぃりぃ~・・・」

「エミリー・コール」をし、本人にドン引きされる。

 18時、大雨にはならずに 「2007どんGALA!祭り」は無事、終了。表彰の結果は以下の通りであった。


最優秀賞「粋」 石楠花舞妙
優秀賞「艶」  花嵐舞 いでは組
   「豪」  よさこいCOME2くらぶ
   「睦」  飛羽我
   「夢」  新潟絆会
新人賞     野田六花連
奨励賞     YOSAKOIおぐに
子供賞     よさこい新発田和っしょいJr
地方車賞    御侠衆柏崎
市長賞     くびき野飛龍舞
とうほくYOSAKOI協議会会長賞
           いやさか組
実行委員長賞  花鶴風月 
ブルボン賞   よさこい新発田和っしょい
コカ・コーラ賞  くまがや鳴子会熊舞
特別賞     みなとまち直江津
商店街振興会賞 てんてん手毬
        はもち桜組
        SADOMON夢咲心和


Img_1474 表彰式に出席しようと思ったが、会場の関係もあり、参加者を優先するためにも失礼させてもらった。
 19時過ぎ、ボランティア・スタッフ3名とともに、「やぶ」(電話:0257-22-3482)にて、「五目中華 700円」の「大盛り 100円増し」の夕食。さっぱしたスープをたっぷり吸った麩が泣かせるラーメンである。「いまどきあるの?」風の安そうなハムも懐かしさを醸し出している。

 22時から某懇親会の2次会に途中から出席。柏崎市内で行われるイベント、官民問わず重なり過ぎなので、年間スケジュールを調整すべきとのご意見を多く頂いた。

2007年7月14日 (土)

2007米山海水浴場海開き

Img_1457 2時、就寝。8時、起床。風呂に入って着替えたのち、大粒納豆、生卵で朝食をとる。
 9時、米山町に移動。
 10時30分から米山海水浴場の海開き(米山海水浴場安全祈願祭)に出席。鉢埼神社の宮司さん代理によるご神事ののち、来賓として挨拶をさせてもらう。
Img_1458 この米山海水浴場こそは、山あり、海ありでプライベートビーチのような珠玉の場所である。毎年、県外の友人を誘っているが、常連になってくれている。
 海開き終了後は、懇親会に突入。地物の美味しい刺身をはじめ、漁師の皆さんとの語らいも楽しい。
 2次会にも参加させてもらったのち、16時過ぎ、事務所に戻る。

Img_1460 ひどく汗をかいたいたので、シャワーを浴びたのち、着替える。
 18時、日本青年会議所・北陸信越地区・新潟ブロック協議会の事業審査があるため、メトロポリタン松島に移動。
 神妙な面持ちの新潟県内各LOMの理事長の前に、所属委員会の委員長も緊張気味であった。
Img_1461 審査が長引き、1時間遅れで懇親会がスタート。美味しい料理も残さないように完食しつつ、各テーブルをまわり、新潟県内各地からきたJCメンバーと名刺交換をする。
 県内のJCメンバーといえども職種はバラバラであり、考えもまた違っている。先日のDVD『誇り』の件などは、意見が分かれた。

Img_1462 懇親会終了後、市内に移動。「鳥亭」(電話:0257-23-7666)にて、生ビールを中心に焼き鳥、お気に入りの焼きトマトなどを食べる。
 明日の準備もあるので、23時過ぎに失礼させてもらい、自宅に戻る。

2007年7月13日 (金)

在日アメリカ大使館へ抗議
靖國神社みたま祭り

Img_1424  1時過ぎ、事務所を閉め、Eさんとタクシーで銀座に移動。宿泊先のホテル近くにある「中華料理 だるま亭 銀座店」(電話:03-3545-5577)にて、生ビール、豚の腸詰め、餃子などで二人だけの打ち上げ。
 生ビール3杯ほどを飲んだところで、Eさんと分かれ、3時近くにホテルに戻る。

 7時、起床。ゆっくりと風呂に入ったのち、9時にチェックアウト。

Img_1425   10時、赤坂のアメリカ大使館に東京都杉並区の松浦芳子議員、東京都中央区の二瓶文隆議員、東京都日野市の渡辺眞議員、静岡県函南町 植松和子議員、学生3名と待ち合わせ。
 ゲートで身分証明をしたのち、アメリカ大使館のなかに入る。
 先月6月26日、アメリカの下院外交委員会が、慰安婦問題に関する対日非難決議案(アメリカ合衆国下院121号決議)を可決した。まだ委員会レベルであるから良いとはいう意見もあるが、明らかに間違った歴史認識であり、悪質な政治的意図のもっており、 「言挙げ」すべきと判断した次第である。
 抗議書の内容は以下である。

米下院外交委員会への抗議書(pdf形式)

 「納豆の日」である7月10日時点で、賛同者は国会議員が12名、地方自治体の首長が2名、地方議員が128名、文化人・ジャーナリストが75名である。

地方議員賛同者一覧
<平成19年7月10日現在>(pdf形式)

賛同文化人・国会議員・首長一覧
<平成19年7月10日現在>(pdf形式)

 大使館のなかに案内され、会議室で趣旨を説明したのち、アメリカ大使館政治部のSECOND SECRETARY、Wilson女史に抗議書等をお渡しした。
 Wilson女史からは確実にワシントンの方には伝えるとの返答があり、その後、日本との関係に関する若干の質疑応答。

 11時30分過ぎ、アメリカ大使館をあとにし、近くのドトールコーヒーでアイスコーヒーを飲みながら参加者で意見交換をする。

070713_f1000004 学生とともに平河町に移動し、「ごくうラーメン大千元」(電話:03-3234-0003)で「ごくうラーメン 850円」に「+ 300円 半チャーハン」の高カロリーな昼食をとる。「ごくうラーメン」がどんなラーメンかと思って好奇心をもって注文したが、その中身はスタンダードな醤油ラーメンの上に焼肉と若布、茹で卵がのっているものであった。

Img_1433 14時過ぎ、 虎ノ門パストラルホテルに移動。準備などを手伝い、15時から記者会見を行う。
 記者会見には、チャンネル桜の水島社長をはじめ、渡部昇一・上智大学名誉教授、日下公人・多摩大学名誉教授、ノンフィクション作家・クライン孝子さん、地方議員は、午前中一緒にアメリカ大使館に行った東京都杉並区の松浦芳子議員、静岡県函南町 植松和子議員が出席した。

Img_1440 会見のなかで、午前中の様子をお話する場面があったため、

  「日米同盟を分断しようとしているのは、
       どういう勢力か知っているのか」

とお聞きした際、「よく分かっている」とお答えになったことを紹介した。

 記者会見には、南京ペディアの管理者もお見えになっていたので、情報交換などを行う。

Img_1453 記者会見後、靖國神社に移動する。今日はちょうど靖國神社のみたま祭りで、露天も多く、賑やかである。
 30分ほど待ったところで、大鳥居の前で、東條由布子さんの街宣車と合流。うちわにもなるビラを配ったり、応援演説などを行う。

Img_1456

 2時間ほど選挙活動を行ったのち、新幹線の時間もあるので、出店していた露天で広島焼きを購入し、軽い夕食にする。しかし、あまりにも量が多く、かつ熱いので、選挙活動を手伝ってくれた学生と分けて食べる。マヨネーズの量も凄い・・・・露天商の姉さんの「オマケしておくね(はぁと)」は、本体のオマケではなく、マヨネーズであった。

070713_f1000005 タクシーをつかまえ、東京駅まで急ぎ、新幹線に飛び乗る。しかし、長岡駅までしかたどり着けず、M嬢に迎えにきてもらった。
 23時近く、自宅に戻ったところで、チーズ・フランス、ミモレット、チーズ・サラダと何故かチーズ攻めの夕食をとる。

2007年7月12日 (木)

水戸での結婚式司会打ち合わせ
納豆弁当

Img_1411 5時、就寝。8時、起床。いよいよ参議院選挙の告示であり、早速、つかだ一郎候補のポスターを数十箇所貼る。
 ポスターを貼った後、新幹線で移動。駅の売店で、たまごミックスサンドイッチ、午後の紅茶(ロイヤルミルクティー)を購入し、朝食にする。車中でノートパソコンでメールを書いていると、隣に座った人に話しかけられ、職業や年齢などを丁寧ながらも、しつこく聞かれた。
 反対にご自身のことを聞いてもなかなか答えないので、遠まわしに話題を振ると案の定、警察関係者だった。パソコンのネット詐欺のようなことをしている人に似ており、同じような行動様式だったから話しかけたという。しかし、新幹線のなかでパソコンを使う人間は多いので、特に?怪しまれたのであろう。

Img_1412 上野で常磐線に乗り換え、スーパーひたちで水戸駅に向かう。甥っ子がスーパーひたちのDVDを穴があくほど見ていたことを思い出し、651系「スーパーひたち」のおもちゃをお土産に購入。
 水戸駅についたところで小腹がすいたので、マクドナルドにてダイエットコークと「新サラダディッシュ クリスプチキン」の昼食をとる。 

Img_1413 14時から水戸駅直結のホテルテラスザガーデン水戸で、結婚式の司会の打ち合わせ。
 今回結婚するのは、東京電力に勤務時代に教育機関で3年間をともにしたWさん。バイクが趣味で、奥さんになる方ともバイクを通じて、知り合ったという。ハイテンションで打ち合わせをしたせいか、ホテルの担当女性にドン引きされる。

Img_1417 打ち合わせ終了後、水戸駅で「ヘルシー 納豆弁当 550円」(株式会社鈴木屋 茨城県水戸市宮町1-4-4 電話:029-221-2386)を購入。明治以降、納豆で有名になった水戸市としては、後発の駅弁で発売は2001年4月10日。
Img_1420  中身は納豆天ぷらの軍艦巻き、高菜で巻いた納豆巻き、そぼろと納豆の茶きん、こんにゃくとキャラブキの煮物、漬物となっている。納豆自体は味付け後に時間が経過しているせいか、糸の伸びが少なく、納豆マニアには若干物足りない感じである。量的には十分で、安く満足の駅弁ともいえる。

 スーパーひたちで東京に戻り、明日の米国大使館に行く内容の調整など。

Img_1422 その後、一度、宿泊先の銀座のホテル銀座ダイエーに荷物を置いたのち、参議院選挙東京選挙区で立候補している東條由布子さんの事務所に向かう。地方議員選挙も経験していないスタッフが多いとのことで、心配になり、はせ参じた。
 ご本人がまだ街宣中とのことだったので、事務所内でできる仕事を手伝う。

Img_1421 23時過ぎ、東條さんがお戻りになったので、ご本人を含めて明日以降の予定などの打ち合わせ。
 明日朝一番でNHKの政見放送あるとのことで、練習をしながら、演説内容を詰める。原稿は、東條さん自らが懐かしのワープロ「東芝Rupo」で打ち込み、推敲した。

2007年7月11日 (水)

図書館へ寄贈『インパール作戦の底辺』
『お父さんへの千羽鶴』

 2時から5時まで市外でポスティング。明日には告示となるため、深夜のポスティングは今回が最後である。

 6時、自宅に戻る。さすがに疲れており、柏崎準倫理法人会のモーニングセミナーには欠席させてもらい、仮眠。

 9時、起床。大粒納豆、筋子でご飯2杯の朝食をとり、そのまま市内での参議院選挙関係の活動を行なう。

070711 銀行やら郵便局などの手続きなどもあり、昼食をとり損ねてしまったので、16時過ぎ、市内某店でカレーとサラダのセット、ドリンクはグレープフルーツジュースで昼食にする。メニューでは鶏の唐揚げがのったカレーのようであったが、在庫がないとのことで海老フライとなった。

 19時から市民プラザで、どんGALA!祭り の打ち合わせ。本番前のほぼ最後の打ち合わせであり、オリジナル法被も用意してあり、レンタルでもできたが、来年も使うであろうと購入した。

Img_1410 22時過ぎ、自宅に戻り、スーパーで半額になっていた秋刀魚の刺身とカニかまぼこのサラダ、小粒納豆で夕食。秋刀魚の刺身には山葵がついてくるが、どうもこれが合わないような気がする。できたら、おろし生姜と醤油で食べたい。

Img_1408 今日、柏崎の図書館である「ソフィアセンター」に本を寄贈した。1冊は、インパール作戦に行かれ、先日ご逝去された鈴木信雄氏の手記『インパール作戦の底辺』上下。手書きの原稿をコピーしたものであるが、戦争体験者をはじめ、多くの人に読んでほしい本である。

参考:柏崎出身者が書くインパール作戦

   高田歩兵第五十八聯隊

Senzero もう1冊は、先日発売されたばかりで今日自宅に届いた、ときたひろし氏の絵本『お父さんへの千羽鶴』(展転社 ISBN 978-4886563057)である。特攻隊となったお父さんへ渡した千羽鶴。その千羽鶴にこめた家族の祈り、先人への感謝の心などが感動的に描かれている。本当の平和教育のためにも、多くの子供に読んでもらいたい絵本である。

 寄贈にあたっては、売名行為と思われるのがイヤなので「某氏寄贈」にしてもらった。
 また、本の内容を見たうえで、登録、閲覧が可能な状態になるようなので、ゴリゴリの左翼思想での判断なら、閲覧できるコーナーに並ばない可能性もある。その際には、どうしてダメなのか、よぉ~くぅ聞いてみたいと思う。

2007年7月10日 (火)

祝!!2007 納豆の日
『東京の納豆売り』

 0時から4時過ぎまで市外でポスティングを行い、5時帰宅。

Img_1402 5時過ぎから9時まで仮眠。9時過ぎから「納豆の日」に関する取材を受ける。
 10時、めでたい「納豆の日」ということもあり、どんぶり一杯の納豆を食べることにした。中粒納豆2パック+卵2個のダブルセット。一気にお腹いっぱいになった。

Img_1405 眠いので午後まで事務手続きなどで市内をまわるが、案の定、銀行の口座印鑑を間違ったり、ケアレスミステイク続出。
 途中、某氏に会ったので、食事をしながら雑談しようということになり、一番近い食べ物屋であったマクドナルドで買出し。ハンバーガーは遠慮したいので、 「サラダデッシュクリスプチキン 580円」とミルクのセットで昼食にする。

Img_1404 15時過ぎ、一回自宅に戻ると親戚から今日、米山町で取れたばかりのもずくとサザエが届いていた。義弟には、お礼とは名ばかりで処分とも言われる「ドクターペッパー」2ケースを渡す。
 もずくをそのまま生で食べるのも格別である。

Img_1407 20時、サザエのつぼ焼き、オムライスで夕食。サザエのつぼ焼きは半生にして、その新鮮さも一緒に楽しんだ。若々しい苦味、引き締まった身の甘みが後を引く。結局、途中から日本酒を取り出し、3合ほど飲む。ビールでは口が生臭くなるので、やはり日本酒である。

 22時から仮眠。

Tokyo_nattouuri 雑務に忙しく、納豆学会のサイトの更新作業がなかなかできていないが、納豆ラベルや納豆関する珍品の収集は進んでいる。
 これはいまは無き日本マーキュリーレコード(現在のフロッグ・エンタテインメント・ジャパン)から発売されていたレコード『東京の納豆売り』。
 作詩と作曲は鈴木量視氏、歌は平田悦子氏であり、忘れられた納豆ソングである。

 ジャケットより引用

[平田悦子]
 昭和25年12月6日生れる。出身地 大阪府枚岡市
 日本作曲家協会会員 鈴木量視に師事す
 マーキュリーに推薦さる
 東京の納豆売りでデビュー

 『東京の納豆売り』
  作詩・曲  鈴木量視
  マーキュリーレコーディングオーケストラ
  
唄 平田悦子

一  三番鶏がもう鳴いた
   キンキラ お日さま のぼる頃
   納豆 納豆 納豆
   露路のドブ板 カタコトならし
   皆さん おめざめ おはようござい
   私は東京の納豆売り娘

二  今日も待って、呉れるかな
   下宿暮らしの 学生さん
   納豆 納豆 納豆
   恋はなんだか せつないものね
   お下げのリボンも うつむきました
   私は東京の納豆売り娘

三  あすも又ねと手を振って
   雨のペーブでふりかえる
   納豆 納豆 納豆
   肩のバックにもうあと一つ
   心もかるく 身もかるく
   私は東京の 納豆売り娘

2007年7月 9日 (月)

言挙げせよ!日本

 1時から4時まで市外にポスティングにでかけ、5時帰宅。風呂に入ったのち、仮眠。

 8時、起床。午前中は、今月26日に行なわれる「名越二荒之助先生を偲ぶ会」で使う映像の編集作業。

Img_1395 10時、喉が痛いのと、体に無理がきているようなので、葱たっぷりの小粒納豆を中心に、紅鮭や冷蔵庫の残りもの、そして舌を火傷するほど熱いナメコの味噌汁にも葱をたっぷり入れて、ブランチにする。八丁味噌を少し混ぜた味噌汁が胃に染み入るほど美味い。

 13時から19時まで参議院選挙関係の活動。

Img_1400_1 20時、自宅に戻り、鯛のあらを使った鯛めし、使い終わった鯛のあら、ごま味噌の紫蘇巻きで夕食にする。
 食後は、依頼されていたサーバの構築作業。余っているノートパソコンをサーバにしたいとのことであったが、光学式ドライブもネットワークカードもついていない旧式のものでとにかく手間取る。

 先月の26日、アメリカ下院外交委員会は、「従軍慰安婦問題」で日本政府に公式謝罪を求める決議案を賛成多数で可決した。
 商売としての「慰安婦」はいても、軍が強制連行してきた「従軍慰安婦」はいない。そもそも「従軍看護婦」、「従軍記者」という言葉はあっても、「従軍慰安婦」という言葉そのものが存在しなかった。
 元慰安婦が「強制連行」されたとして日本政府を相手取った裁判でも、原告・金学順を始め、誰一人として訴状に「強制連行された」と書いていない。「強制連行」の裁判を行なったというパフォーマンスが目的であって、中身は違っている。
 慰安婦自体、気の毒な身売り話であり、その面では同情するが、日本軍が強制連行したという歴史的捏造を許すわけにはいかない。
 今回の議案提案者であるマイク・ホンダもそうであるが、またもアメリカは中国共産党の罠にはまりかけている。「南京大虐殺」とセットの動きであろう。

 アメリカの世論でも日本に謝罪を求める声が上がっていると朝日新聞などは伝えるが、どうしても日本に謝罪をさせたいなら、まずアメリカは自分の国がしたことをよく見つめるべきである。
 長くなるが以下に引用する。


2007年4月11日『SAPIO』

秘史発掘!
「24歳の女性を27人で輪姦」
 アメリカは従軍慰安婦非難決議にうつつを抜かす前に
  この「戦後の犯罪」に対してきちんと謝罪すべきだ

 封印されていた占領下の米兵
 「日本人婦女子凌辱事件」ファイル

                ジャーナリスト 水間政憲

 日本人は「言挙げ(言葉に出して、貫いたてること)」するのが苦手な民族であるといわれる。米国で湧き起こった「従軍慰安婦非難決議」にたいして安倍首相や外務省の駐米大使が、正面切って反論しないのはその典型なのかも知れない。しかし、ここに提示される資料をもってしてもなおも立ち上がらずにいられるだろうか。怒りの発掘レポート、言挙げせよ、日本人!

 4月26、27日に予定の安倍首相初訪米の直後に米国下院議会で採決されようとしている「従軍慰安婦非難決議案」は、「日本帝国軍隊が第2次大戦期に若い女性たちを慰安婦として強制的に性奴隷化(セックス・スレイブ)したことに(略)謝罪する」ことを日本に求めるものだ。前文では「20世紀最大の人身売買」であり「集団暴行、強制中絶、殺害、手足切断など」の蛮行を犯したと断じている。
 「従軍慰安婦」については、史料検証でその事実がなかったことが証明されているが、詳述は別稿(90ページ)に譲ろう。
 ここでは、「戦争と性」の問題を考える上でひとつの史料を提供したい。それは、GHQ占領下の日本人女性にたいする米兵の「強姦事件」についてである。

マッカーサーが厚木に降り
立った直後に9件の強姦事件

 占領初期のGHQ1945年9月「月例報告」では、「日本人は米兵に協力的であり、占領は秩序正しく、流血なしで行なわれた」などと記載されている。また、GHQ外交局長W・J・シーボルドは「(米軍)戦闘部隊兵士の行動は、特に感銘すべきものであった」、「米兵たちはジャップの女なんかには、手を出す気もしない」と記している(『マッカーサーの日本』1970年刊、新潮社より)。

 しかし、これら米国側の記録は、事実ではない。
 この米軍の「嘘」を暴く鍵は、占領下の1945年10月4日に解散させられた「特高(特別高等)警察」(約6000人)の記録の中にある。米軍進駐後、「特高」は「治安維持法」に基づく監視の必要もなくなり、もっぱら進駐軍の素行調査をしていた。前掲の『マッカーサーの日本』にこの記録のことが一部記されており、原本をこの日で確かめてみたいと思った筆者は、国立公文書館でこの資料を発見した。手書きの原本が白日の下に晒されるのは今回が初めてだろう。
 そのファイルが377ページに及ぶ「進駐軍ノ不法行為」(内務省警保局外事課)である。マッカーサーが厚木に降り立った8月30日から10月4日の解散命令までの米軍の不法行為を特高警察が取り調べたファイルを内務省警保局がまとめたものだ。
 ファイルによれば1945年8月30日~9月10日の12日間分だけでも強姦事件9、ワイセツ事件6、警官にたいする事件77、一般人に対する強盗・略奪など424件(この中には、後述するような理由で強姦事件も含まれていると考えられる)。特別事件として「葉山御用邸侵入」「二重橋ニ侵入皇居撮影事件」「宮様御用列車ニ同乗未遂事件」などが発生している。
 「特高」は解散命令が出た10月4日の記録も残している。その日の記録には「各種学校、倉庫等二侵入シ保管印等ヲ不法徴発 被害発生場所 屋内10件 屋外10件」「両国ノ浴場ニテ女性暴行未遂事件」などとある。
 掠れたページもあり、正確な数字ではないが、全ファイル約1か月問で少なくとも強姦37件(未遂を含む)、その他の不法行為945件を数える。
 実際、「特高廃止」指令が出ると、全国の「特高」は、書類を焼却してしまった。しかし、「特高」の元締「内務省警保局」の秘密報告書は焼却されず、この米軍の不名誉な記録は、没収され、米国に持ち去られたのだ。その後、実は1973年12月日本に返却され、翌年1月から、国立公文書館に所蔵されていた。

妻36歳、長女17歳に対し
拳銃で脅して……

 米軍の不法行為を明らかにする前に、敗戦後、日本政府が日本女性を米軍の「性の暴力」からいかに守るか、苦心惨憺した様子を少し述べてみたい。日本政府が「慰安所」設置に直接関与したのは、戦時中でなく占領下の米軍(進駐軍)のためにだったのだ。
 1945年8月21日の閣議で近衛文麿国務相が、米軍兵士用の慰安所の設置を主張し、池田勇人主税局長の裁断で5000万円の貸し付けが決定し、1945年8月28日「特殊慰安施設協会」(後に、国際親善協会RAAと改称)が設立された。
 その目的は、「関東地区駐屯軍将校並びに一般兵士の慰安施設」となっていた。GHQは、1945年9月28日、都内の占領軍人用売春街を指令している。
 しかしこれでも日本人婦女子の貞操が守れなかったのである。実際は主権回復後まで膨大な数の女性が「強姦」されていた。ファイルに記された調書をつぶさに見ていこう(公開された文書は被害者の氏名などが黒塗りにされており、その部分は省略して記す)。強姦事件は、米軍の進駐とほぼ同時に始まっている。8月30日は横須賀に海兵隊が上陸した日だが、いきなり事件が発生している。

<強姦事件
(一)八月三十日午後六時頃 横須賀市〇〇方女中、34 右一人ニテ留守居中、突然米兵二名侵入シ来り、一名見張り、一名ハ二階四畳半ニテ○○ヲ強姦セリ。手口ハ予メ検索卜称シ、家内ニ侵入シ、一度外二出テ再ビ入り、女一人卜確認シテ前記犯行セリ
(二)八月三十日午後一時三十分頃 横須賀市〇〇方。米兵二名裏口ヨリ侵入シ、留守居中ノ右同人妻当〇〇三十六年、長女○○当十七年二対シ、拳銃ヲ擬シ威嚇ノ上、○○ハ二階ニテ、○○ハ勝手口小室二於テ、夫々強姦セリ(以下略)>

 同9月1日、房総半島に米軍上陸。ここでも事件発生。

<〇〇方ニ侵入セル米兵三人二留守番中ノ妻(二八)(中略)奥座敷二連行、脅迫ノ上、三人ニテ輪姦セリ)>
<九月一日午後六時頃トラックニ乗リタル米兵二名(中略)市内○○ニ来リ女中一名(24)連レ去リ(中略)野毛山公園内米兵宿舎内ニ於テ米兵二十七名(ニ)輪姦サレ仮死状態ニ陥リタルモ(中略)三日米兵ニヨリ自宅迄送リ届ケラレタリ>

 このような記載が「特高」解散の10月4日まで続く。

<九月十九日夜十一時頃、(横浜市)保土谷区、出征中○○妻(27)、(中略)ニ侵入シ「ジャックナイフ」デ情交ヲ迫り、被害者之ヲ拒否シテ戸外二逃避セルヲ(中略)畠(畑)ニ連行、三名ニテ輪姦シタル。更二通中ノ三名ノ黒人兵ガ同所二於テ輪姦逃走セリ)

 調書を総覧すると、米兵の蛮行が眼前に浮かんでくる。警察官はいたるところで暴力を振るわれ、拳銃を取り上げられている。一般人は、「乗用車」「ラジオ」「現金」「腕時計」「背広」や「ゲタ」まで、手当たり次第に強奪されていた。

<九月二日午前十一時三十分頃武装米兵六名ハトラックニテ横浜市中区山手町二二一番地共立女学校内、校長神保勝也二侵入各室ヲ物色シタル後現金二千七百十圓及ウオルサム腕時計一個ヲ強奪逃走セリ)

とこのような「強奪逃走せり」が続くのだ。
 その中に、首を傾げたくなる記述がある。それは、「民家に米兵が押し入り、若い女性から腕時計だけ強奪して逃走せり」との記述が散見することである。
 貞操は取り返すことができずとも、せめて当時、貴重だった「腕時計」だけでも、取り返したいとの思いから被害届を出していたのではと思われる。先述した945件の強盗・略奪に強姦(あるいは強姦未遂)も入っているのではないかと考えるのはこのためである。
 このような状況は、神奈川県民を震撼せしめたであろう。当時の朝日新聞(1945年9月5日付)は三段見出しで「神奈川県の女生徒は休校教職員が家族を巡回指導」と記している。
 しかし、9月19日、GHQ「プレスコード」が発令されて以後は米兵を批判する記事は、新開紙面からすべて消えている。これで米国は、「強姦」など人道上の米軍の犯罪を封印できたと考えたであろう。しかし記述のように「特高」の調書は、言論統制されてからも継続して綴られていたのだ。

青少年性犯罪者が「米兵の真似して何が悪い」と開き直る

 当時の憤りを取材して『黒い春<米軍・パンパン・女たちの戦後>』を1953年に五島勉氏が出版している。その内容は、調書よりも残酷さがひしひしと伝わってくる。五島勉氏は1948年から調査を開始し、本人やその家族・友人・事件の目撃者など1000人にも及ぶ面接にもとづいて占領下の空白時期をまとめた。
 その中の、元外務省外局・終戦連絡委員会横浜事務局の北林余志子氏の作成した米軍の横浜市内と県下の一部を含む、不法行動リストによると、10月末日までで強姦29件となっている。しかも、届け出ない件数は数十倍になると証言しているのだ。
 五島氏は「印刷ミスではない」と断わってこう記す。
 「T子(十一歳・武蔵野市小学五年生)R子(同)A子(同)の三人は、十月(中略)武蔵野の林のなかを伸よく手をつないで歩いていた」
<キャンプ・トコロザワの近くで夢中でスケッチをしていると、まずR子がおそわれ、次々に米軍の餌食になってしまったのだ。彼女達のスカートは切られ、何が起こったのか全然わからなかった。R子とA子は気絶し、T子はまた泣き叫ぶと、アメリカ兵は彼女の顔を蹴り、ジープで去った>(要旨、以下同)
 このような事件が全国で続発している中で、1946年4月東京・大森で恐ろしい事件が勃発した。
<N病院(=中村病院。その後廃業し、跡はビルと道路になった)は三台のトラックに分乗した米兵によって、およそ一時間ちかくも病院じゅうを荒らされた。彼等の総数は二
百人とか三百人とかという説もある。婦人患者のうち重症者をのぞく四十数人と看護婦十七人、ほかに十五ないし二十人の付添婦・雑役婦などが凌辱された>
「彼等は大病室に乱入し、妊婦・産婦・病気の婦人たちのふとんを剥ぎとり、その上にのりかかった」「二日前に生まれたばかりの赤ちゃんフミ子ちゃんは、一人の兵隊にユカに蹴落とされて死んだ」「M子などは続けさまに七人の兵隊に犯され、気絶した」そして、「裸でころがっているあいだを通って、侵入してきたときと同様、彼等は表玄関と裏口から引き揚げていった」--懐然とする内容である。
 安倍首相や駐米大使(*)がひたすら日本は既に「謝罪している」として、逆に「従軍慰安婦」を既成事実化するかのような姿勢であるのにたいして、自民党の戸井田とおる議員は2月21日の衆院内閣委員会でこう質した。
「(決議案を提出した)マイク・ホンダ議員に翻訳して差し上げてもらいたい資料がでてきました。(中略)これは、官報号外、昭和28年2月27日に載った第15回国会の社会党の藤原道子議員の質問の議事録です。(中略)そこにはこのように書かれてあります。『米軍の暴行事件は、昨年十二月まで独立後』独立後ですよ、『八ケ月間におきまして千八百七十八件を数え、なお泣き寝入りになっておりまする件数は膨大な数であろうと想像されております』」
 戸井田議員は、この資料で米国に攻めに転じよと言っているわけだ。同官報にはこう続けられている。
 「各地における青少年の特に性犯罪、学童の桃色遊戯等の取調の際、彼らは係官に対して、アメリカ兵の真似をしたことがなぜ悪いかと反問し、大人の世界に精一杯の抗議をいたしておるのであります」
 いまだ数々の戦争犯罪に対して、一度も謝罪したことのない米国に、なぜ毅然とした態度で挑まぬのか。米国は、日本を非難する前に、ワシントン国立公文書館や米軍公文書館で調査してみよ。
 慰安婦非難決議の第4項にこうある。

 「現在と未来の世代にわたり、このようなおぞましい犯罪があったことを教育せよ」

 この言葉、そっくりそのまま米国にお返しする。

2007年7月 8日 (日)

やっと入手『柏崎町鑑』

Img_1391  3時まで柏崎市外の某所でポスティング。4時、自宅に戻り、シャワーも浴びず、そのまま就寝。
 8時、起床。2個の卵を使ったハムエッグ、中粒納豆、なめこの味噌汁で朝食をとる。今日は、祖母をデイサービスに預けているので、自宅、事務所の掃除を一気に行う。

 15時過ぎ、来客。差し入れのパンで昼食。その後は、パンフレットを持ち、市外での活動にでる。

Img_1394 19時、自宅に戻り、鼻をブン殴るほどの量の辛子を塗ったくったシューマイと小粒納豆で夕食にする。
 食後は、ひたすら本を読む。読もう、読もうと思っているうちにかなり溜まっており、それもジャンルがバラバラなので、「ちょこっとずつ横断読み」を行う。

Zero52yasukuni  柏崎が市政に移行したのが、皇紀2600年の昭和15年7月1日。ちなみに、日本の名戦闘機と言われる「零戦」は、皇紀2600年に制式採用されたため、下2桁の「00」をとり、「零式艦上戦闘機」という名称になった。柏崎市政が誕生したのは、「零戦」と同じ年である。
Img_1392 柏崎市政移行までの柏崎町時代の歴史を調べようと、先日らいインターネットをはじめ、知人などのツテをたどって、なんとか『柏崎町鑑』を入手したいと手配していたところ、神田の某古本店に在庫があり、やっと入手できた。
Img_1393 中越新聞社の発刊であり、前の持ち主の名前と入手日である昭和9年11月4日が裏表紙に記入されている。
 昭和9年(1934年)に地元・柏崎の人が買った本を、73年後の平成18年(2007年)に東京の神田から、柏崎の人間が買うというのも不思議な感覚である。
 早速、中を開けてみると、当時の広告なども多く載っており、貴重で見ていて楽しい。特に現在も同じ商売をされている老舗商店の広告などは面白い。
 これから活用しようと思う。

2007年7月 7日 (土)

2007米山海水浴場清掃

 2次会、そして3次会と進み、2時過ぎ、「居酒屋 海砂」(電話:0257-21-5511)にて、シメのトマトジュースを飲みながら、「餃子」「刺身こんにゃく」「モツ煮」などを食べる。

 3時過ぎに自宅に戻る。

Img_1380 6時、米山町の米山海岸にて、米山町の子供会の皆さん、柏崎青年会議所のメンバーと一緒に海岸清掃を行う。
 一回海岸清掃をしたものの、またゴミが上がり、さらにその上に砂がかぶっているので、手でほじくりだし、それをビビラ(熊手)でかき集める作業となった。
Img_1383 寝ていないうえ、酒の疲れもあり、30分ほどで汗だくになったしまった。流木などの自然系のゴミ以外には、釣り道具などがあり、色々な瓶や食べ物のゴミはハングル文字が記載されたものが多かった。

 8時から地元町内からの陳情をうけた箇所を調査。

Img_1387 13時、お土産にもらったイタリアンでブランチをとり、自民党柏崎支部に行き、会議。会議中に自分のシャツを見たら、イタリアンのソースがたっぷりとこぼれていた。
 15時過ぎから2時間ほど仮眠。

 18時から参議院選挙関係のパンフレットをもっての活動を行う。

Img_1389 22時、一旦、自宅に戻り、冷蔵庫にあった豚肉と中国の納豆であるトウチを使った「豚肉の炒め物」と大粒納豆で夕食。食後、パンフレットを車に詰め込み、市外への活動にでかける。

2007年7月 6日 (金)

7月例会 柏崎のまつり検討委員会
ぎおん柏崎まつりの歴史

Img_1370 0時過ぎ、自宅に戻り、シメ鯖とご飯でかなり遅い夕食。深夜にシメ鯖を食べるとどうしてもビールか日本酒がほしくなるが、まだまだ仕事もあるので我慢する。
 1時から、パンフレットをもっての柏崎市外での活動。4時近くには明るくなり、新聞屋さんと出会うことが多くなったので切り上げる。

 5時から8時まで仮眠。

 9時から柏崎青果市場を皮切りに、つかだ一郎の街宣活動。柏崎市内をくまなく街宣車にまわる。

 保守系、無所属の市議会議員との昼食会を柏崎ベルナールで設定してあるためつかだ一郎本人を会場で降ろしたのち、街宣車のスタッフと再度、柏崎市内を街宣。

Img_1371 12時近く、自民党柏崎支部に行き、「蓬来」(電話:0257-24-5207)からの出前「肉野菜炒め 750円」で昼食にする。サービスで納豆がついており、お陰で美味しく一気に食べきった。
 スタッフ分を注文したはずが、手違いがあったのか2名分が残ってしまっていた。「もったいないから、食べちゃいなよ。三井田さんなら3人前ぐらい入るでしょ」と言われたが、もう2名分は無理なのでもう1名分だけ食べる。

 食後も街宣活動。刈羽村の自民党員に街宣車を引き継いだのち、一回事務所に戻る。

Img_1374 日本世論の会柏崎支部の口座開設や事務手続きなどを行ったのち、16時過ぎ、柏崎エネルギーホールに移動。
 今日は所属する「柏崎のまつり検討委員会」の担当例会であり、コンビニのおにぎりを2個(辛子明太子、ねぎ味噌)を食べつつ、プロジェクターなどの準備を行う。

Img_1376 19時から例会スタート。セレモニーのあと、いよいよ委員長主旨説明から入ろうとしたところ、いきなりパソコンのトラブル発生。リハーサル時は、プロジェクターと自分のパソコンを自分で持ってきたケーブルで接続していたが、本番では会場のケープルを使った。しかし、このケーブルのピンが1本潜っており、接続不良だったのである。接続不良の箇所をいじっているうちにパソコンもフリーズ。最悪の状態になってしまった。

Img_1378 7分ほどで何とか復旧し、委員長主旨説明から再開。たかがケーブル1本と侮っていたのが間違いであった。
 今回の委員会では、昨今、たる仁和賀

*平成2年には約8000人超が参加したが、平成18年には4500人程度と半減

をはじめ、参加者が減っている現状などを踏まえての改善案などを提案する予定であった。しかし、委員会の会議を重ねているうちに、まず「ぎおん柏崎まつり」自体の成り立ちや歴史を周知することが先決ではないか、ということになった。
 「ぎおん柏崎まつり」自体は、昭和25年の柏崎市政施行十周年に伴って発生したイベントであり、それまでの祭りは

 春祭が住吉 石井神社
 夏祭が祇園 八坂神社
 秋祭が諏訪 柏崎神社

であった。
S25sanja  市政十周年の昭和25年に三社御輿を「祇園」さんに合わせて行い、同時に商工祭りも開催されたのが「ぎおん柏崎まつり」のスタートである。
 そこに、番神海岸での灯籠ながしをはじめ、柏崎らしいイベントが追加されていき、柏崎の夏の大きなお祭りに成長した。

_1 柏崎青年会議所の事業としては、昭和52年、柏崎青年会議所創立20周年を記念して「柏崎でマーチングバンド」を行い、現在まで引き継がれている。
*記事は、昭和52年7月18日『柏崎日報』

 基本である八坂神社の祇園祭りに、商工祭り、海上の花火、たる仁和賀、民謡流し、港まつり、と多くのお祭り、イベントが加わってきたのがこれまでの流れであり、基本を抑えた上での変化は許されるであろう。
 基本たる八坂神社への奉納などは変えてはいけない部分であり、今年からは酒をキチンと奉納することとした。
 変えていい部分、変えてはいけない部分を認識した上で、盛り上がる祭りにしようというのが今回の例会の主旨である。

 また、運用面においても、柏崎市内の中高生、そして若い世代にご協力いただき、アンケートを実施した。色々な意見がでたが一番のショックは、

 大花火大会を見に行く=お祭りに参加する

という認識が広がっていることであった。自分たちが作り上げ参加するのではなく、用意してもらったものを見に行く。これを改善するためには、まず若者に歴史や意義を教え、そして作り上げることに気軽に参加できる体制に変更することが先決であろう。そういった面での事例紹介は、片貝まつりであった。(同級生グループが次ぎの世代の同級生グループを指導)

Img_1379 21時20分、無事に例会は終了。「莉世」(電話:0257-20-0061)に移動し、懇親会となった。
 懇親会では司会をしつつ、祭りの在り方をはじめ、話題となっていたアニメDVD「誇り」についてなど、参加メンバーと意見交換。

 23時過ぎ、一度自宅に戻って荷物を置いてから、二次会として「中華美食館柏崎店」(電話:0257-23-4530)に移動。「キクラゲ」などでビールを飲む。

2007年7月 5日 (木)

JCとこれから勝負?の日本共産党

Img_1366 2時、就寝。7時、起床。先日、納豆に関する質問やちょっとしたエッセイを書いたところ、お礼として北海道産「紅鮭の酒粕漬け」のセットが送られてきた。薄切りなもののしっかりと色付いた身が食欲をそそる。軽くあぶった紅鮭の酒粕漬け、小粒納豆で朝食。ご飯が進み、大盛りで2杯も食べてしまった。

 午前中は市内での選挙活動。

Img_1368 12時過ぎ、中粒納豆に麹漬けイカの塩辛を入れたもので昼食。発酵と発酵もので濃厚な味わいとなった。細く捌いたイカの刺身を使ったイカ納豆に飽きた方にはオススメの味である。

 13時から17時まで長岡市にて活動。

Img_1369 18時過ぎ、一度、自宅に戻り、頂き物のトウモロコシを電子レンジで加熱して軽食にする。バターをつけるかどうか悩んだが、軽く塩をふっただけで正解であった。甘く、歯ごたえも良いトウモロコシであった。

 19時30分から、柏崎青年会議所「柏崎のまつり検討委員会」担当例会の最終確認を行う。

 日本青年会議所が製作したDVDアニメ「誇り」。柏崎市議会でも取り上げられ、中身を見ていない者同士が質疑応答をし、青年会議所へのレッテル貼りに成功した。全国でも共産党による同様の活動が行われ、6月20日、日本青年会議所文部科学省との委託契約を結ばないことを決定した。
 情けない限りである。自信をもって進めた事業であるなら、共産党がギャーギャー騒いだぐらいで引っ込める必要はない。案の定、共産党は実績として喧伝するに至り、『しんぶん赤旗』には、


平成19年7月1日『しんぶん赤旗』

 靖國DVD 契約辞退に追い込んだ

 「『やった!』と思いました」(新日本婦人の会の岡田麻世子・子どもと教育部長)。
 文部科学省の委託事業で、侵略戦争を美化・肯定する”靖國DVD”を学校に持ちこんだ日本青年会議所(日本JC)が、同省との契約を辞退しました。草の根の運動の勝利です。

 発端は、日本共産党の石井郁子衆院議員の国会質問(5月17日)でした。侵略戦争を肯定するようなDVDの内容を示し「上映活動をやめさせるべきだ」と迫る石井議員に、伊吹文明文科相は「私が校長なら使わない」と答弁せざるをえませんでした。
 このDVDアニメ「誇り」は、戦死した青年が現代によみがえり、女子高生を靖國神社に誘い、日本の戦争を「自衛のため」「アジアの人々を白人から解放したかった」などと語る内容。植民地支配と侵略への痛切な反省を示した村山首相「談話」(1995年)の立場とも異なる主張です。DVDを見た財務省のある幹部も「ひどい中身だ。こんなものが教材として使われる事業になぜ金を出すのか」と話します。
 DVDは、文科省が委託した日本JCの教育事業の補助教材。しかし「教材にはお墨付きは与えていない」と同省担当者は述べていました。

申し入れ続く

 日本JCは、「『誇り』を用いた近現代史教育プログラムが、文部科学省の新教育システム開発プログラムに認定」と、”お墨付き”を受けたような記事をHPに載せ(現在は削除)、学校での上映を推進していました。
 上映された島根県の中学校や新潟・十日町市では「昔はいい事をしていた日本が誇らしい」などの感想を子どもから引き出していました。
 一方、石井議員の質問を受け、
韓国のニュース専門ケーブルテレビ局YTN(5月22日)、「朝日」(6月8日付)などが報道。父母や教職員、市民らは教育委員会に学校で上映しないよう申し入れをおこない、対応した教委から「採用する予定はない」との回答を得ていました。
 海外でも、韓国青年会議所の会員約千人余と市民が首都ソウルで、DVDは「侵略美化、歴史わい曲」だとして”糾弾大会”を開催、日本大使館に決議文を提出しています。こうした世論を受けて、日本JCの奥原祥司会頭は6月20日、文科省と結ぶ予定だった契約を辞退すると発表しました。
 しかし、
日本JCは、教育プログラムやDVDは「戦争を美化するものでも軍国主義を肯定するものでもない」という態度を変えず、学校持ち込みを続ける構えです。

”深みにはまる”

 地方の青年会議所の会員は「このままでは、国際的にも社会的にも孤立してしまう。『深みにはまる』という声が、会員の間でもあがっている」と心配しています。
 日本JCの運動を激励したのは安倍晋三首相です。官房長官当時、こう発言しています。(06年の青年会議所主催「サマーコンファレンス」)
 『政治家が、なぜ戦争が起こったかというような発言をすれば、外交問題や政治問題になっていく。(中略)だからこそ、私はJCの皆様のような若い方々にしっかりと戦争の総括を行ってもらいたい』
 安倍氏がJCに求めた「戦争の総括」がいま内外で強い反発を受けているのです。

大きな自信に
    新日本婦人の会・子どもと教育部長 岡田麻也子さん

 DVDを見ると、安倍首相がすすめる「愛国心」や、「靖國派」と呼ばれる人たちの考えがよく分かりました。だから、父母や先生の運動も驚くほど急速に広がりました。みんなの力で食い止めることができたのは大きな自信になります。
 うれしかったのは、各地の新婦人が要請に行くと、多くの教育委員会や校長先生が、「もう後援は断りましたよ」「中学生には見せられない」と、すでにJCの売り込みを断っていたことです。
 教育現場には良識が息づいているんです。ゆがんだ歴史観を子どもたちに押しつけないという点で手をつなげると思いました。
 
まだJCは独自に学校や地域への持ち込みを狙っています。これからが勝負です。


という記事が掲載された。韓国青年会議所日本共産党にしっかりと利用されている。匿名の役人のコメントはもとより、朝日新聞の動きもお約束である。

 この記事の最後に、青年会議所がまだまだ活動をするのでうんぬんとある。今回のやりとりで、騒げば騒ぐほど青年会議所は弱気になり、自分たちの実績になるということが分かったからであろう。
 特定アジアに対する弱腰な日本外交と同じことになってしまったのではないかと思う。今後、日本青年会議所には毅然たる対応をしてもらうことを望む。

2007年7月 4日 (水)

生徒さんへのお返事と
『未来少年コナン』切手

 ポスティングで足が棒のようになり、さすがに疲れたので4時に帰宅。そのまま仮眠しようと思ったところ目覚めたら9時であった。柏崎準倫理法人会の経営者モーニングセミナーには出席できず。

Img_1360 小粒納豆にあさつきを刻んだもの、長葱を大量に入れて朝食。食後、依頼されていた調査、陳情などのための文書作り。市役所各課への連絡をはじめ、デジカメで現場の写真を撮ってきたのち、メールで送る。

 12時過ぎ、某店で昼定食を食べながら打ち合わせ。揚げ物が多く、漬け物の存在がありがたかった。

 13時30分から自民党柏崎支部にて、つかだ一郎柏崎選挙対策会議。副幹事長という大役になっており、とにかくパンフレット配りから街宣からスケジュールをつめる。

 15時から19時近くまで、市役所や某所にて会派勉強会や鉄道活性化のための視察先の調整などを行う。

Img_1361  19時、冷蔵庫にあった残り物、餃子3個、チンジャオロースー、モロヘイヤなどで急いで夕食をとる。
 どんGALA!祭りの打ち合わせに出かけようとしたところ、来客。どうしても今日ということなので、打ち合わせをキャンセルさせてもらい、事務所にて22時過ぎまで、色々なお話を伺う。

 先日、柏崎青年会議所・柏崎のこども育成委員会によるキャリア教育推進支援活動の一環として職業講話を行った柏崎市南中学校二学年の生徒さんから感想が届いた。「2学年だより 2007.6.26 第13号」も同封されており、そこにS君の「講話を聴いて心に残ったこと」として感想が掲載されていた。

 市議会議員さんのお話の中で言われた「物事を大きく見る」という言葉です。柏崎を良くするために、柏崎を長岡や上越から見たり、あるいは、海外から日本を見ることは良いことだと話してくれました。人生の時間は限られていて、学生時代に頭を鍛えるべきで、「勉強は大事」とも教わったので、中学生の間にしっかり学びたいと思います。

Img_1316_1 ありがたい限りである。他の生徒さんからも良い感想を頂いたので、一人一人に返事を書き、せっかくなので、先日6月22日に発売された『未来少年コナン』の切手を貼って、郵送した。
 矛盾するようであるが、しっかりと頭を鍛えるための勉強は大切であり、ガッチリとやってもらいたいが、宮崎駿氏が演出を担当したこのアニメの主人公コナンのように伸び伸びとした時間も過ごしてもらいたいからである。
 ちなみに、この物語は最終戦争を経た西暦2028年の地球が舞台である。2028年と言えば、あと21年。私の話を聞いてくれた生徒さんが、いまの私と同じ年になる頃である。
 その頃の日本はどうなっているのか。まさか最終戦争を経てはいないだろうが、楽しみであり、不安でもある。

2007年7月 3日 (火)

2007年日印交流年記念切手

 2時過ぎ、帰宅。かなり酔っていたが、資料作りがあるため、気合いで起きつつ作業を行う。しかし、いつの間にか机の上に突っ伏して寝てしまい、気付いたら8時であった。

 シャワーを浴びたのち、午前中は市内で参議院選挙に関する活動。

Img_1353  13時過ぎ、自宅に一回戻り、「うれっ子」(電話:0257-22-4648)の「チャーシューメン」の出前で昼食をとる。
 月刊誌をはじめ、献本いただいたものもあり、急いで読破し、礼状を書く。

 17時から来客。最近の柏崎市役所のたるみ具合は何だ!議員もしっかりチェックしていないのではないか、とのお叱りを頂戴した。できれば、市長与党の議員にも聞いてもらいたかったところである。

Img_1355 19時、ワークプラザ柏崎に移動し、日本青年会議所・北陸信越地区・新潟ブロック協議会のアドバンス新潟創造委員会のスタッフ会議に出席。
 そろそろ道州制の議論が新聞紙上でも取り上げられるようになり、新潟県の経済人をはじめ、色々な声があがるようになってきた。
 議員の立場としては、行政組織と同じく、権限と財源の移譲がどうなるのかを先に議論すべきであろうが、商売をやっている人間としては、道州制の区割り、州都の位置、機能にどうしても目がいってしまうであろう。これはこれで正しい対応であり、経済人が自分たちにとってもプラスに働くような道州制を議論をすることは間違えではないと思う。

Img_1359 22時、会場の時間もあり、会議終了。夕食をとろうということになり、会場に一番近い「らーめん処 潤 柏崎店」(電話:0257-32-1523)に移動する。昼もラーメンだったので、迷ったものの「味噌ラーメン 790円」 「トッピング岩のり 160円」「100円トッピング」を注文。「100円トッピング」の中身を確認せずに、

 「100円トッピング全部入りで!」

と調子良く注文したが、この「100円トッピング」は、

 1.半熟煮玉子
 2.茹でもやし
 3.背油(大油)
 4.マー油(焦がしニンニク油)
 5.全部入り

であり、恐怖の背油(大油)が入っていることを忘れていた。推定カロリー2000。恐怖のラーメンとなり、胃もたれを覚悟でなんとか完食した。今度からは「全部入り」には気を付けたいと思う。

 23時過ぎ、一回、自宅に戻ったのちパンフレットなどを持って、市外での活動にでかける。

Img_1317_1  今年2007年が「2007日印交流年」であることを記念した切手が、今年5月23日に発売された。80円切手10枚で1シート。デザインは、
 タージ・マハル
 ラクダとタージ・マハル
 ベンガルトラ
 インドクジャク
 サーンチー仏教遺跡
 サーンチー仏教遺跡の女神像
 インド細密画
 インド更紗
 民族舞踊「バーラット・ナティアム」
 古典舞踊劇「カタカリ」
となっており、タージ・マハルはそのシンメトリー(Symmetry:対称性
)の美しさが十分表現されているデザインである。
 10シート近く購入したので、しばらくの間、礼状などにはこの「2007日印交流年」切手を使おうと思う。

2007年7月 2日 (月)

2007参議院議員選挙公開討論会

 3時、就寝。7時、起床。大粒納豆、無着色たらこ、油揚げと若布の味噌汁で朝食をとる。

Img_1338  9時過ぎ、市役所に移動し、議会だより編集委員会に出席。次回に発行する『市議会だより』の内容について、追加、訂正などを議論する。
 今回から政務調査費の使用状況について、各会派の詳細が項目ごとに掲載されることになった。
 ただ残念ながら、質問の主旨と答弁を含む掲載する情報を増やすことについては、紙面が足りず、予算の関係もあって見送りとなった。コスト削減は当たり前であるが、議会の中でどのようなことが起こり、また柏崎がどこに向かっているのかを柏崎市民に情報公開することに対して、コストだけを考えるのは愚の骨頂である。 『市議会だより』の1ページ、2ページを増やすことは、全体から見れば少額なコストにしか過ぎない。ここをためらって、市民に公開すべき情報を減らすなら、本末転倒であろう。どこに金を使うべきなのか、メリハリが必要である。

Img_1339 12時、一度事務所に戻り、資料をもって移動。市内某店にて、昼食をとりながらの打ち合わせ。ミックス・サンドイッチとアイス・カフェオレ。
 某店に支払いに行った際、宮崎県お土産を頂戴した。東国原知事のイラストが描かれた「宮崎マンゴースウィートケーキ」で、かなり売れているものだそうだ。まさに営業マンとしての知事の役割をはたしている。

Img_1340  14時過ぎから、柏崎青年会議所、会社関係の支払い、各手続きなどで市内をまわる。
 17時30分、柏崎青年会議所のメンバーとともに長岡市立劇場に移動。途中、コンビニに寄り、「キムチ納豆巻き」「味付けゆで卵」で軽食をとる。

Img_1350  19時から日本青年会議所・北陸信越地区・新潟ブロック協議会国民主権確立委員会が主催する「参議院選挙 公開討論会」に出席。
 今回の参議院選挙に際して、全国都道府県のうち、29の都道府県で公開討論会を青年会議所が実施している。中でも、一つの県で三つの会場で開催するのは新潟県のみである。
 討論会は、公平性を保つため、回答の時間はキッチリ図って3分、もしくは設問によっては3分間。
 残念なのは、いつもある看板の下の「JCI」の旗と国旗が掲揚されていなかったことだ
 上越地区での開催分ではあるが、内容は以下のサイトでストリーミング放送を視聴できる。

 → 参議院選挙公開討論会 ストリーミング映像

 詳細は実際の映像があるので避けるが、とにかく共産党の候補者は、教育問題、拉致問題にしても、

 「先の戦争をアジア開放の戦争だという教え
 「従軍慰安婦を謝罪しない安倍首相のダブルスタンダード」

が問題の本質だとする発言が続き、その強引な理論に力が抜けた。
 憲法改正については、民主党の候補者が現日本国憲法がアメリカからの押し付けであったという押し付け憲法論は古い、と強く訴えていた。しかし、現日本国憲法第18条を見るだけでも、

 「何人も、いかなる奴隷的拘束も受けない。又、犯罪に因る処罰の場合を除いては、その意に反する苦役に服させられない。」

 「No person shall be held in bondage of any kind. Involuntary servitude, except as punishment for crime, is prohibited.」

と奴隷なども書いてある。日本はこれまで奴隷制度をもったことはない。奴隷制度をもっていたのは白人社会である。
 共産党の候補者もお約束で護憲を訴えていたが、現日本国憲法の制定に対し、唯一反対した政党が共産党であるという歴史を忘れているのであろうか。しかも第9条をはじめ、護憲、護憲というなら現日本国憲法第1条

 「天皇は、日本国の象徴であり日本国民統合の象徴であつて、この地位は、主権の存する日本国民の総意に基く。」

 「The Emperor shall be the symbol of the State and of the unity of the people, deriving his position from the will of the people with whom resides sovereign power.」

を守り、「天皇制反対!」などと言わずにご皇室を大切にしてくれるのであろう。
 村山談話についても同様であった。

 21時過ぎに終了し、柏崎に戻る。

Img_1352  参加したメンバーと「一善」(電話:0257-21-8881)で懇親会。今日の公開討論の内容についてなど、激しくも楽しい議論となった。
 先日の韓国青年会議所の暴挙についても話題がでた。この件については、日本国内にもある韓国青年会議所の組織

 韓国青年会議所-海外地区青年会議所
  -韓国大阪青年会議所韓国京都会議所
    韓国福岡青年会議所、韓国神奈川青年会議所、
    韓国東北青年会議所

がどう思っているのか聞きたいところである。

 24時近くになってから、二次会の会場に移動。

2007年7月 1日 (日)

久間防衛相・原爆しょうがない発言
放言大臣の歴史

Img_1322 4時、就寝。8時、起床。茄子の味噌油炒め、小粒納豆、アスパラとキャベツの味噌汁で朝食をとる。茄子は親戚のうちで採れたもの。祖母や従姉妹も同居しているため、茄子の味噌油炒めには唐辛子を入れていないが、本当はもっと赤味噌を効かせて、ゆず入りの七味唐辛子をたっぷりと入れ、ご飯と一緒にワシワシと食べたいものである。

 仕事にでる前にフジテレビ系『報道2001』の久間章生防衛相への生インタビューを見たものの、キャスターの質問にも答えきれず、「更迭やむなし」の印象をもった。


 平成19年6月30日『朝日新聞』

 久間防衛相、講演で「原爆投下、しょうがない」

 久間防衛相(衆院長崎2区)は30日、千葉県柏市の麗沢大学で講演し、1945年8月に米軍が日本に原爆を投下したことについて「原爆を落とされて長崎は本当に無数の人が悲惨な目にあったが、あれで戦争が終わったんだという頭の整理で今、しょうがないなと思っている」と述べた。原爆投下を正当化する発言とも受け取られかねず、野党が久間氏の罷免を求める動きを見せるなど波紋が広がっている。

久間章生防衛相
 久間氏は「我が国の防衛について」と題した講演で、東西冷戦下で米国と安全保障条約締結を選択した日本の防衛政策の正当性を説明する際、原爆投下に言及した。

 久間氏は「米国を恨むつもりはないが、勝ち戦と分かっていながら、原爆まで使う必要があったのかという思いが今でもしている」としつつ、「国際情勢とか戦後の占領状態からいくと、そういうこと(原爆投下)も選択肢としてはありうる」と語った。

 久間氏は講演後、朝日新聞の取材に対し、「核兵器の使用は許せないし、米国の原爆投下は今でも残念だということが発言の大前提だ。ただ日本が早く戦争を終わらせていれば、こうした悲劇が起こらなかったことも事実で、為政者がいかに賢明な判断をすることが大切かということを強調したかった」と発言の意図を説明した。

 安倍首相は同日夜、遊説先の香川県丸亀市での会見で久間氏の発言に関して「自分としては忸怩(じくじ)たるものがあるとの被爆地としての考え方も披瀝(ひれき)されたと聞いている。核を廃絶することが日本の使命だ」と述べた。

     ◇

【久間氏の発言要旨】

 日本が戦後、ドイツのように東西が壁で仕切られずに済んだのは、ソ連の侵略がなかったからだ。米国は戦争に勝つと分かっていた。ところが日本がなかなかしぶとい。しぶといとソ連も出てくる可能性がある。ソ連とベルリンを分けたみたいになりかねない、ということから、日本が負けると分かっているのに、あえて原爆を広島と長崎に落とした。8月9日に長崎に落とした。長崎に落とせば日本も降参するだろう、そうしたらソ連の参戦を止められるということだった。

 幸いに(戦争が)8月15日に終わったから、北海道は占領されずに済んだが、間違えば北海道までソ連に取られてしまう。その当時の日本は取られても何もする方法もないわけですから、私はその点は、原爆が落とされて長崎は本当に無数の人が悲惨な目にあったが、あれで戦争が終わったんだ、という頭の整理で今、しょうがないな、という風に思っている。

 米国を恨むつもりはないが、勝ち戦ということが分かっていながら、原爆まで使う必要があったのか、という思いは今でもしている。国際情勢とか戦後の占領状態などからいくと、そういうことも選択肢としてはありうるのかな。そういうことも我々は十分、頭に入れながら考えなくてはいけないと思った。


Img_1239  まず「原爆を容認」という短絡的なものではないとは理解できるが、防衛省のトップでありながら、民間人への無差別殺人である原爆も選択肢としてはあった、あれで戦争が終わったという認識はおかしい。
 一瞬、言葉尻だけの問題かと思ったものの、発言の詳細を確認しても、やはり選択肢として原爆を容認している。
 我が新潟県のなかで模擬原爆弾「パンプキン」が長岡市に投下実験され被害者がでたのが、昭和20年7月20日。ポツダム宣言は、昭和20年7月26日である。
 また、『原爆投下報告書』を紐解くまでもなく、広島(昭和20年8月6日)・長崎(昭和20年8月9日)に投下された原爆がウラン型とプルトニウム型であったことからも、アメリカによる人体実験だったことがよく分かる。
 それを選択肢としてありえたとか、あれで戦争が終わったとか、政党や役職を別として日本人としての歴史認識を疑う。日本人には日本としての歴史認識があるはずで、アメリカ人ではないのである。

 案の定、久間章生防衛相は発言の撤回、謝罪をした・・・・・これも情けない。話全体の流れがおかしくないと本人が思い、強い信念を持っているなら、すぐに撤回、謝罪などせず、きちんとした主張を続ければ良いのである。

 かつて、自由民主党所属の衆議院議員・故・藤尾正行(大正6年~平成18年)は、昭和61年、第三次中曽根内閣で文部大臣に就任した際、歴史教科書問題に関連して

 「戦争で人を殺しても殺人(罪)には当てはまらない」

 「韓国併合は合意の上に形成されたもので、
      日本だけでなく韓国側にも責任がある」

との発言が『文藝春秋』に掲載された。これに野党や革新系が反発し、閣僚辞任を求められたが、本人は信念をもって「自分の発言は間違っていない」として、辞任を拒否。さらには、中曽根首相に対して、この発言をこれ以上問題にするのであれば罷免すればよいと主張した。
 これぐらいの度胸がほしいものである。
 ちなみに、当時の中曽根首相はどうしたかと言えば、韓国や中国の反発を憂慮して、罷免した。これは首相が・・・・・情けない。

Img_1329

 14時過ぎ、自宅に戻り、祖母が自分の部屋で匂いがすると騒ぐので、その匂いのもとを探すと、腐ったご飯やおかずであった。なぜか最近、食べ物を隠すようになった。もちろんのことながら、納豆の2パックほど押し入れのなかにそのままの状態で入っていた。
 しかし、納豆は大丈夫!と、その納豆2パックに瓶詰めのなめ茸を混ぜて、昼食にした。チロシンがジャリジャリと多少キツかったが、問題なく食べ終えた。

 今日は民謡保存会や共産党系の方が主催する映画『日本の青空』上映会などがあったが、さすがに溜まった仕事が多く、失礼させてもらう。18時過ぎまでひたすら手紙の返事やブログを書く。まだ返事を書いていないメールもかなり溜まってきたので、そろそろマズい状況である。
*現憲法の成立に関して日本人が作ったと主張する『日本の青空』の中身を見て、事実と違う点を指摘してみたかった。

Img_1331  19時、ワークプラザ柏崎に移動し、日本青年会議所・北陸信越地区・新潟ブロック協議会のアドバンス新潟創造委員会の臨時会議に出席。持参した「ドクターペッパー」を出席者全員に無理強いしながら、プロジェクターでパソコン編集画面を写し、出席者全員で内容を確認しながら会議を進める。

Img_1335  22時近くに会議が終わったものの、夕食も食べていなかったため、出席したメンバー3名で「無尽蔵 柏崎家」(電話:0257-32-2811)で食事をとることになった。
 「豚骨醤油らーめん 630円」を「こってり」にし、トッピングとして「岩のり 150円」をチョイス。そして、「おろしニンニク 無料」を追加した。
Img_1336 やはり太麺は濃い味のスープで熱々を食べたいものである。
 ラーメンをすすりつつ、来年の柏崎青年会議所の役員や委員会の構成がどうなるのかを話し合う。
 23時過ぎ、自宅に戻り、今日の会議の内容を反映した資料作りに入る。

« 2007年6月 | トップページ | 2007年8月 »