柏崎・大地震発生!!
中央地区壊滅状態
3時、就寝。8時、起床。来週に水戸で行われる結婚式の司会原稿、メールの返事やブログを書いて、10時を過ぎた10時13分、目の前の液晶ディスプレイが上下にジャンプしだし、後頭を殴られたかと思ったら、次々と本棚が倒れてきた。
即、柏崎市議会の防災服に着替え、ガラスの破片があることを予想し、履きなれたレスリングシューズを履いて、町内や中央地区を慌ててまわる。
街中はほぼ壊滅状態。
常に酸素ボンベが必要なYさん方のお祖父ちゃんが木造家屋の1階に潰されて閉じ込められていることが分かり、町内周辺の若手と1時間ほどで救出。
お隣の土蔵付きの日本家屋に住んでいるお婆ちゃんも土蔵が直下地震で崩れたこともあり、閉じ込められてしまった。こちらも町内の若手を中心に30分ほどで救出。
問題は、本町通りで2階建ての土蔵の1階に埋まってしまったIさん方のお婆ちゃんであった。
とにかくなんとか瓦礫をどけるもラチがあかず。
思いっきりの全力疾走で、市役所の対策本部に行き、直接、
「早く!早く!
陸上自衛隊とレスキューを!
ばーちゃんが
土蔵に埋まってんだから」
と訴え、手配。その間、東京電力柏崎刈羽原子力発電所の3号機の変圧器で火災が発生し、忙しかったようである。
当初は町中に発電機が炎上中との情報が流れたので、チャンネル桜の電話取材もそのように話してしまったが、その後変圧器という訂正の情報が流れてきた。
東京電力には怒られるかも知れないが、変圧器の火災ということがわかれば、放射性物質も放射線の心配もないので、あとは東京電力に任せて、柏崎市役所は対応を切り替えれば良いのである。
変圧器は所詮、機械。燃やしておいても構わない。人命救助が優先であり、柏崎市役所は優先順位(プライオリティ)を変えれば良かったのある。
中心市街地では、倒壊しそうな建物がギシギシを音を立てている状況であり、人も中にいるのである。普通に考えれば、何かいま大切か分かるはずである。
13時過ぎ、レスキューの皆さんと陸上自衛隊高田駐屯地の第二普通科連隊が到着。レスキュー、陸上自衛隊の車が到着したときの商店街の皆さんの歓呼の声は凄まじく、巨匠・古関裕而作曲の1970年、自衛隊創隊20周年記念作品『栄光の旗のもとに』(作詞:赤堀達郎、藤田正人)を歌いたいところであった。
しまいには、これまで柏崎に自衛隊誘致を訴え続けてきた私に反対だった方からも、
「三井田君、オメさんの方が正しかったようだて」
とのお声があった。
自衛隊の本来の目的は外敵の撃破であるが、災害救助の活躍は先の中越大震災、三条の水害で証明された通りである。
作業着手の13時過ぎから約2時間、おばあちゃんの声も聞こえ、
救出成功!。約5時間、生き埋めになっていたところであった。
病院から戻ったおばあちゃんと娘さんからは感謝の御言葉を頂戴し、その模様を原付で柏崎入りした「不肖・宮嶋」氏に撮られてしまった。
しかし、本当に努力してくれたのは、レスキュー隊、県警、陸上自衛隊の皆さんである。改めて、感謝申しあげたい。
作業の途中、途中で、水が来ていないところに水を配ってまわる。市役所の1階に水を取りに行くが、届いた水や物資のチェックをしており、配ろうとすると職員から
「数のチェックをしてからですっ!」
と言われる。数をチェックしたい気持ちは分かるが、時は一刻を争うのである。赤ちゃんのミルク、驚かれたお年寄りの汚物の処理など、急がなくてならない。しかも、市役所に取りにこれる人、コミニティ・センターに移動できる人はまだ恵まれており、道の分断やショックで朦朧となっている老人世帯にはこちらから配布しなければならないのである。
なんとか物資を確保し、柏崎青年会議所、日本青年会議所北陸信越地区新潟ブロック協議会のメンバーやライオンズの方にご協力頂き、水を配り歩く。
さらに水をとりに行った際、安倍首相の乗ったバスが大名行列で入ってきた。マスコミもそうであるが、救援物資優先である。大名行列をどかす気で突っ込むも、玉砕。
中越大震災の教訓が生きていないのである。
あのときも、ボランティアに行ったが、マスコミや視察の車で市役所の前が埋まっており、自衛隊の車両を置くことができないわ、ボランティアによる配送車も入れないわで、駐車場までを救援物資を持って何往復もしたのである。
まずはマスコミをどかし、大名行列はSPも楽であろうから裏口にするのが正しいと思う。
夕方、自民党の吉田六左エ門衆議院議員が国土交通省の役人と市役所に来ているということだったので、ミーティング中で失礼であったが、待機をしている議長室にいきなり入りこみ本町通りの現状とともに、半壊で隣によれかかっている家の解体などを直訴。
「分かった、必ずやる!」
との強いご回答をもらった。その後、自民党新潟県連など、自民党人脈をフル活用して、被害が甚大な中央地区の復旧を陳情した。この際、どんな手でも使う。
自民党、民主党、公明党に続き、日本共産党が『しんぶん赤旗』記者を連れて、現地をまわっていたので、
「どうも、どうも『赤旗』の熱烈な読者です」
と話しながら、現地をよく取材してもらった。災害時の報道は右も左もないので、詳細に伝えてほしいとお願いをした。
全国若手市議会議員の会をはじめ、個人的にもお世話になっている、十日町市議会の庭野しげみ議員が食料を救援物資としてもってきたくれた。お陰で商店街の皆さんの遅めの昼食にすることができ、感謝感激である。
手ぶらでくる政党が多いなか、元柿崎町長で県会議員の楡井議員やつかだ一郎氏の奥さんが持てる限りの救援物資を持って、駆けつけてくれた。ありがたいことである。
市役所、中央地区の各位置などで作業をしているうちにすっかり夜となり、21時から自宅の片づけ。22時過ぎにインターネットが使える状況まで復旧する。
幸い井戸水のポンプを発電機と通常電源の2系統で運用していたので、トイレ用に近所に水を配り歩いた。
他にも必要と思われる人がいるであろうと、目印に国旗を掲げ、周知。
23時からメールの返事などを書いていると、まだ埋まっている人がいるという情報があり、現場に急行する。
町内の人の生存は確認したが、町中を歩いていて崩壊した家屋に閉じ込められた人がいるという。
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コメント
ご無事でなによりです。 また、人命救助、大変お疲れ様でした。
日本が大変なときに、地元も大変なことになってしまい何と申し上げてよいのやら。
とりあえず、居眠り運転などないように無理されすぎないようお気をつけてくださいませ。
投稿: Kjm | 2007年7月16日 (月) 23時31分
ガンバレ三井田
投稿: enoken | 2007年7月17日 (火) 08時26分
お疲れ様です。
きっと御自宅も被害に遇われたでしょうに、ご自分のことはさておき、まわりの住民の方々にご尽力され頭が下がります。
同じように、ボランティアや復旧活動にあたっている方の中には自分も被災者という方もいらっしゃるのですよね。
県外から来る緊急車輛とすれ違う度、ありがたいなぁと感じます。
三井田さんもお体にはお気を付けください。
投稿: 携帯電話からこんばんは | 2007年7月17日 (火) 20時20分
三井田さんご無沙汰しています。かつて納豆バンジーでご一緒させていただいたTakemaです。ただ、今はそんなことはどうでもよくて、三井田さんの即座の尽力に頭の下がる思いです。
と同時に、これから復興に向けてさらに大変な状況に向かっていくと思いますが、だからこそ是非頑張ってください。現地では悲壮的な雰囲気が漂っていると思いますが、これを柏崎浮上のきっかけとするためにも!
もちろん、自分もできることを精一杯させていただきます。現地ボランティアは、20日の1日だけではご迷惑かもしれませんが(その日だけが休みです)、可能であればおじゃまさせていただきます。
投稿: Takema | 2007年7月17日 (火) 21時14分
皆様、コメントありがとうございます。
震災当日から大分時間が経ち、
お返事が大変遅くなりまして申し訳ありません。
Kjmさん
ありがとうございます。
居眠り運転以上に、荷物の搬出作業などをしながら、
立ったまま寝てしまうこともありました。
30歳を超えると無理もできないようです。
enokenさん
ありがとうございます。
今日9月2日現在まで何とか乗り切ることができました。
携帯電話からこんばんはさん
あたたかいお言葉ありがとうございます。
私だけではなく、被災者が被災者の面倒をみるという
助け合いの精神が発揮された場面が多く、柏崎市民の底力を
感じた次第です。
人さんのお手伝いにはモチベーションが上がるのに、
自分の部屋の掃除となると何故かモチベーションが下がり、
いまだ畳の上で仮寝をしております。
Takemaさん
お久しぶりです、その節は大変お世話になりました。
おっしゃる通りに、<復興>のみならず柏崎の
さらなる<振興>になるためにも明るく、前向きに今後も
頑張っていきたいと思います。
投稿: 三井田孝欧 | 2007年9月 2日 (日) 16時22分