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2007年8月17日 (金)

護衛艦DD-124「みねゆき」出港
厚生常任委員会視察
海上保安庁への感謝

 1時に起きてしまったので、事務所の片づけを4時まで行う。4時から6時まで仮眠。町内近辺のご高齢の方の粗大ゴミ出しをお手伝いし、朝から大汗をかく。

Img_1973  8時過ぎ、熱いシャワーを浴びたのち、引き割り納豆とたらこでご飯でかっ込み、市役所に移動。
 9時から中越沖地震災害対策協議会厚生小委員会の市内被害状況視察に出発。
 今日の視察は、厚生常任委員会の担当範囲内にある市内施設の被害状況を確認するのが目的である。

Img_1984  午前中は、明照保育園(地滑り、施設災害)、柏崎小学校(避難所、福祉避難所)、半田保育園(施設被害)、刈羽郡総合病院(施設災害)、災害ボランティアセンター(柏崎市社会福祉協議会)を視察する。
 気づいた点など多々あり、特に保育園と今後の民営化、要介護者の避難生活など議会として対応すべきことが明確になった。

Img_1979 また、先の12日に自衛隊による給食サービスが無くなったが、一番困っているのは、避難所、福祉避難所にいるお年寄りだということがよく分かった。
 自衛隊の給食サービスを「民業圧迫」だと伝家の宝刀を抜き、柏崎市は全面撤退させたが、その後は自分で食事を確保できない被災者はおにぎり、サンドイッチ、冷たい弁当などで食事をとっており、温かいものはあってもインスタントの味噌汁である。議員として聞いた被災者の生の声は以下であった。

 「自衛隊さんの炊き出しがあったけーて良かったども、
  いまはつめてーもんばっかでのぉ~」

 「(職員に申し出ないんですか?との問いに)
  職員さんは一所懸命してくれてるすけ、
  そんが事言わんねーてぇ~」

同様のご意見を3名ほどの方から頂いた。取り急ぎ、私の方でやっている炊き出しの味噌汁をお持ちしましょうか、と提案したところ、それも悪いから我慢するという。お年寄りの、人さんに迷惑をかけてはいけない、という気持ちからであろう。
 全面撤退させずとも、本当に必要な部分だけでも部隊を残しておけば良かったのである
 また、ガスが通っていない家庭にガスコンロを1個ずつ配布したので良い、と市当局は言うが、それは料理をしたことがない人間の発想であり、ただでさえ被災して気持ちが落ち込み、後片付けで疲れているなか、ガスコンロ1個で食事を作るのは、すべての人間ができることではない。
 誤解を恐れずにいえば、日銭で生活してきた商売人のこともよく考えてほしい。被災し、家が全壊した今は収入がゼロなのである。
 おにぎりや弁当の売り上げが地域経済にプラスになるなら、せめて温かいものだけでも自衛隊に援助してもらっても良かったであろう。
 12日に自衛隊による給食サービスが無くなって以来、できるときにはカレーや味噌汁など温かいものを作って、個人的にお年寄りに持っていった。
*RLC有志の皆さん、ご支援ありがとうございました。
 頂戴した物資で炊き出しを行いました。

 自衛隊が悪いわけではなく、要請する柏崎市側の問題であり、地域経済へのバランスと被災者の気持ちを十分に考慮すれば、おのずと違った答えがでたはずである。
 そもそもでいえば、ガスが復旧していないからこそ、お風呂のサービスが継続しているのではないか。今後、その考えを当局に問い質したい。  

Mineyuki070813 柏崎港に停泊中の海上自衛隊の護衛艦「DD-124 みねゆき」が9時から11時の間、一般公開及びラッパ演奏などを行ったところ、訪れた柏崎市民は3000名を超えたそうである。12時過ぎに一度、市役所に戻った際、玄関でバッタリと出会った「みねゆき」の艦長をはじめ、海上自衛隊関係者が予想以上の来訪者の数に驚いていた。

Img_1996 一旦自宅に戻り、祖母に味噌汁と冷やご飯でおじやの昼食を作る。ちょうど油揚げと豆腐の味噌汁の残りだったので、卵を一つ落として、グツグツ煮込む。
 自分自身は、カップうどんに小粒納豆を投入したもので昼食にする。

Img_2009 13時からも市内被害状況視察。西山町のいきいき館(施設災害、避難所)、松風の里(施設災害)、それぞれの施設のなかを視察させてもらい、松風の里では職員の方と災害時の知的障害者の生活について、意見交換。
*写真は豪快にひび割れた松風の里の作業所の床

 意見交換のなかで大変残念だったのが、自衛隊が設置したお風呂に知的障害を持つ方々が行った際、心ない市民の方から一緒の風呂に入ってほしくない という苦情があったとのことである。非常に恥ずかしいことである。また同時に、知的障害だけでなく、他にも障害をお持ちの方が被災したときの対応はもっと真剣に考えておく必要があることを学んだ。

Img_2012  15時30分、柏崎港中浜埠頭に移動し、見送りの準備。愛車に、日章旗、旭日旗を立て、トランクに置いた巨大スピーカーに電源を投入して、出港に備える。
 愛車の写真を撮ってみたが、それにしても
かなりヤバい構図
である。昔買ったタミヤの電動ラジコン「マイティ・フロッグ」のような感じすらある。

Img_2022_2 ありがたいことに、100名を超える市民の皆様がお集りになった。より美しく御礼を述べるためにも、一列に並んで頂いた。
 16時、スピーカに接続したMP3プレイヤーで『軍艦マーチ』を鳴らし、市民の皆さんが見守る中、護衛艦「DD-124 みねゆき」が出港。
*写真をクリックすると大きく表示されます。

Img_2018 勇壮な『軍艦マーチ』のなか、老若男女の市民が大きく手を振りながら、「ありがとう」の感謝の声が響いた。
 「みねゆき」からも甲板をはじめ配置場所から「帽振れ」の応礼があり、感動的な出港となった。
 *写真をクリックすると大きく表示されます。

 ちなみに、柏崎市として市長以下、職員誰一人も見送りにはこなかった。

 今回の中越沖地震が3年前の中越大震災のときの救援活動に比べて、大きく違う点は海が使えたこと である。ダムの給水管が被災したことによって、柏崎市の給水が制限された。まさに海上自衛隊の給水は命の水であった。そして、陸上自衛隊航空自衛隊との統合的な運用も素晴らしかった。

 海上自衛隊広報 平成18年度版(wmv形式)

 また、給水活動などの支援活動には、

 巡視船だいせん(境海上保安部)、巡視船えちご(新潟海上保安部)、巡視船つがる(函館海上保安部)、巡視船やひこ(新潟海上保安部)、巡視船のと(伏木海上保安部)

などの巡視船はじめ、海上保安庁の支援があったことも忘れることはできない。

Img_2024 19時過ぎ、スーパーで半額になっていたブリカマの塩焼き、ゆず入り唐辛子を効かせた茄子の味噌炒めで夕食。汗を多くかいているせいか、塩焼きの塩が若干不足しているように感じ、つい追加で塩をかけてしまった。

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