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2007年8月

2007年8月31日 (金)

ヘタこいたぁ~ 体も機械も
すべての避難所閉鎖

 2時、就寝。6時過ぎ、携帯電話が鳴ったので、あわてて起きつつ、遠くに置いてあった携帯電話をとった瞬間、

 「グゥキッ」

腰を思いっきりひねってしまった。電話の内容は、今日の引っ越しのお手伝いについて、息子さんが休暇をとったので、ご家族だけで何とかできるとのことであった。
 とりあえず今日は力仕事をしなくてよくなったが、 「オッパッピー」小島義雄氏のネタ

Kojimayoshio  「ヘタこいたぁ~」

のポーズのような格好でしばし痛みを我慢。パソコンの障害メールが届いていたので、なんとか事務所の机に向かうと、今度はパソコンのハードディスク(RAID0の1本)がクラッシュ。朝からツイていない。体も機械もヘタこいてる。

 カロリーメイト(チーズ味)と牛乳、大粒納豆を朝食にとりながら、データのリカバリーやRAIDセットのリビルドなど復旧作業を行う。
Sonycyber  ツイていないときには、ツイていなかったものの仕事をしようと、液晶が割れたソニーのデジカメ、ズーム機能が壊れてしまったキヤノンのデジカメを修理にだすべく、両社のサービスセンター問い合わせる。震災の際、両方とも壊れたことがショックだったので、これまで修理の問い合わせをするのも億劫だったシロモノである。
Canon  キヤノンは、まだ保証期間内であり、かつ中越沖地震の被災ということで、修理代は無料、支払は送料のみで構わないとのことだった。
ありがたい。ソニーも同様の理由で、液晶の交換技術料と送料を半額、さすがに液晶の部品代だけは有償ということになり、17000円程度で修理してくれることになった。

 午前中、来客があり、住所等を教えてほしいとのご依頼があった。しかし、データを入れたパソコンが復旧作業中であり、かつ資料の片付いておらず、お役に立てず。申し訳ないことをした。

 昼食は、おにぎり2個。食後、あまりの腰の痛さに横になっての読書タイム。

Nagoshi40 今年4月に急逝された名越二荒之助先生の処女作である『大東亜戦争を見直そう』が新装復刊されたので、読み直してみる。
 初版は、昭和43年。当時、名越二荒之助先生は岡山県立笠岡高校の教諭であり、当時、高教組からの脱退・除名騒動などを経験されている。
 また、遺作となった『これだけは伝えたい 武士道のこころ』も再読。

Sekainagosi「新渡戸稲造の『武士道』は、
 江戸時代までしか書いとらんでしょ。
 明治、昭和に生きた
 武士道を書いた本はないですわなぁ~」

と常々おっしゃっていたが、この遺作がまさにそのお言葉にふさわしい本であり、より多くの人に読んでほしい本である。ちなみに、推薦の帯は櫻井よしこ女史。
 病床の名越先生の口述をはじめ、まとめられた拳骨拓史氏も御苦労されたことかと思う。(お疲れ様でした。)

 19時、だいぶ腰が楽になったので、長風呂に入る。20時、ひきわり納豆を入れたレトルトのカレーライス、ナスの味噌炒めで夕食。
 今日は久々に時間を争うような作業がない日であった。
 明日には腰が治っていてほしいが、人生初といってもいい痛みなので不安である。

 今日で8月も終わり。柏崎市内の避難所もすべて閉鎖となった。これからまた復興のための次のステップが始まる。

2007年8月30日 (木)

がけ崩れの恐怖、米山町

070830_f1000001 2時、就寝。
 7時、起床。シャワーを浴びたのち、小粒納豆、釜揚げシラス、ナスの味噌炒めで朝食をとる。
 食後は、そのまま引っ越し関係のお手伝いと、救援物資の整理作業のボランティア。
 埼玉県久喜市の井上ただあき議員は、大久保で泥だらけの作業だったそうである。

070830_f1000002 12時、牛乳とたまごサンドイッチで昼食をとり、米山町に移動。
 米山町は聖が鼻が崩れ、がけ崩れの避難勧告がでている。20世帯、約60名が、米山コミニティセンター横の仮設住宅に避難している。
 13時から、井上議員も合流し、これまで避難所として避難していた米山コミニティセンターの後片付けと掃除を行う。

070830_f1000003 片付け終了後、危険とは分かっていながらも聖が鼻に行けるかどうかの挑戦・・・しかし、昨日の大雨による泥のぬかるみに足をとられる状況であり、結局断念。
 このがけ崩れの防止工事は9月から着工し、12月までに終了予定ではあるが、それまでの間の大雨や余震が心配である。
 こういった実態を多くの人に知ってもらう必要もあると思い、某社に取材してもらう。
*写真は、がけ崩れ監視カメラ

 井上議員をお見送りしたのち、事務所に戻り、電話とインターネットでの打ち合わせを行う。

070830_f1000004 20時、お手伝いのお駄賃?で頂戴した缶ビールとまたもスーパーで半額になっていた鯛のあらを塩焼きにして、夕食。
 9月からの視察の希望が多くあり、23時まで電話などが相次ぐ。

2007年8月29日 (水)

日本海呼称めぐり、日・韓朝応酬

 2時、就寝。5時、起床。災害対策関係の補助金メニューなどの資料を読み漁る。

 9時、大粒納豆、釜揚げシラスでご飯2杯の朝食。10時から12時まで、溜まっていたメールやブログを書く。

070829_f1000002_2  昨日に引き続き、ボランティアに入ってもらっている埼玉県久喜市の井上ただあき議員と「らーめん処 潤 柏崎店」(電話:0257-32-1523)に行き、「岩のりちゃーしゅーめん 1050円」で昼食。
 せっかく久喜市から来て頂いているので、思い出に残る?昼食にしてもらおうと、井上議員のラーメンには「大油、マー油、半熟味付けたまご、ネギ」を追加。お腹いっぱい、脂肪いっぱい?召し上がって頂いた。

 食後、柏崎市社会福祉協議会に行き、その後のボランティアの受け付け、マッチングなどの状況を現地ボランティアスタッフに聞く。
Tepco 今日は、東京電力の電力所(福島)から20名ほどが応援に入っていた。
 これまで東京電力の各営業所、電力所からも連日、数十名単位で現地作業の応援に入っており、ボランティアとしてかなりの助けになっている。しかし、震災後のこれまで、わざわざ上着を東京電力(TEPCO)のマークの入っていない作業服に着替えて作業をしている。自主的に住民感情を配慮しての判断なのであろうが、そこまで縮こまる必要はないと思う。東京電力だと分かって、お手伝いを断る住民もいるかも知れない。しかし、発電所、いや東京電力との共生を願う方からの声も直接聞くことができよう。原子力発電所の職員ではない東電社員ではあるが、本当の住民感情を理解してほしい。そもそも、東京電力自体が委縮し過ぎても、本当の信頼関係は築けないと思う。

Imga0017  13時から寄せ書きセットを持って、西山町に向かって移動。
 南部コミニティセンターで、仮設住宅に住む子供たちに自衛隊への感謝の言葉などを書いてもらう。
 ある女の子は、震災によって深い心の傷を負ってしまい、震災直後から自衛官のそばなら安心すると、女性自衛官(WAC)のそばを離れなかった。一緒にお風呂に入ってもらった、一緒に寝てもらった、というのが忘れられない思い出だという。真剣なまなざしで感謝の言葉を書いていた。
 この寄せ書きは、後ほど直接、朝霞駐屯地に届ける予定である。

070829_f1000003 帰りぎわ、井上ただあき議員に今回の震災における柏崎刈羽原子力発電所への影響を見てもらおうと、サービスホールに移動。
 約20分、サービスホール説明員より説明を受ける。
 その後、原子炉の構造などを見つつ、5階の展望室で発電所全体を見てもらう。

070829_f1000004 見学・案内が終わったところで、1階の売店で小国名物「ぎんなんアイス 250円」を食べながら休憩。
 ツブツブが食感として楽しいが、銀杏の風味より濃厚な乳脂肪の深みを先に感じてしまう。

070829_f1000005 アイスを食べながら売店の方とお話しているうちに、自衛隊の支援の話になり、是非、寄せ書きに感謝の言葉を書きたいとのことで、書いてもらうことにした。
 体にご不自由があり、風呂に入るにも大変だったところ、女性自衛官(WAC)が一緒に入ってくれて、背中も流してもらったという。

 「一生忘れないわよ、
  どうやって感謝して良いか分からないぐらい」

とのこと。
 その後、各施設をまわり、寄せ書きを書いてもらう。

 せっかく柏崎にお越し頂いているということで、その後、井上議員を「こどもの時代館」にご案内。1時間ほど、懐かしのおもちゃなどを楽しんでもらい、シメは鰺の浜焼き&ビール。お土産等もご購入頂いた。

 これまでも日本海を「東海」にしようという動きがあったが、いよいよ北朝鮮も参戦し、本格的な動きになってきている。
 今回は良識的に打ち切りになったものの、今後強烈なロビイングも予想される。注視していく必要があるだろう。


平成19年8月28日 『時事通信』

 日・韓朝、日本海呼称めぐり応酬
        =国連地名会議の議論打ち切り

 【ニューヨーク27日時事】韓国と北朝鮮は27日、国連本部で行われている第9回国連地名標準化会議の小委員会で、日本海海域の呼称は「東海」ないし「朝鮮海」が正統な表記だとして、日本海と併記するよう主張し、変更は不適切とする日本と応酬を展開した。
 小委のオルメリング議長は「個別国家が特定の地名を国際社会に押し付けることはできない」と述べて議論を打ち切り、協議を進めて5年後の次回会議に結果を報告するよう3カ国に促した。日本は韓国と話し合いを続ける考えだが、同国は「実質的協議を行うつもりがない」と日本を非難しており、早期の進展は困難だ。

2007年8月28日 (火)

平成19年8月震災対応の臨時議会

 2時、就寝。6時、起床。会社の在庫をはじめ、本来であれば7月の決算時に処理するものをまとめて整理。

 9時過ぎ、小粒納豆、たらこで朝食をとり、市役所に移動。

 10時から臨時議会。この臨時議会は、震災当初から現在までに議会を開催する間もなく、税金である予算を使ってしまったものの専決処分の承認である。

 臨時議会冒頭は、今回の震災で尊い生命を失われた11名の方に心からの哀悼の意を表すため、 .議場全体で黙祷を行った。残されたご家族のお気持ちもいかばかりかと思う。

 黙祷の後、今回の震災に関する議会の動きとして、「中越沖地震災害対策特別委員会設置についての決議」を全会一致で可決した。これで、議会としての災害対策の動きができるようになるが、対応が遅かったという多くの柏崎市民からのご批判は議会全体が甘受しなければならないであろう。
 議会の招集請求権は議長にもあるため、震災直後に複数の議員から臨時議会開催の要求があったことを考えれば、さらに厳しい批判もある。議長、副議長とも会社経営者であり、家庭も会社も大変だということは分かるが、本来であれば公務が優先であり、もっと早い対応ができたはずである。
 とにかく、今日の段階で議会としての特別委員会「中越沖地震災害対策特別委員会」が議長、副議長を除く28名で発足したので、国への働きかけをはじめ、早急に活動をはじめたい。

  中越沖地震
   柏崎市における被害状況と対応(pdf形式)

070828_f1000001 専決処分の内容は、震災直後からこれまでの期間、それも各部各課にわたり、詳細は市長、副市長ではなく、部長級が直接説明を行った。
 午前中のほとんどは、提案理由の説明、詳細説明で終わる。
 12時過ぎ、「やぶ」(電話:0257-22-3482)の「カツ丼」を出前でとり、昼食。震災後、初の「カツ丼」である。

 埼玉県久喜市の井上ただあき議員がボランティアのため、再度、柏崎にお越しになった。午前中は雨のため、ボランティア活動が中止となり、議会を傍聴して頂いた。

 13時から議会再開。若干の質疑応答があり、個人の資産である宅地への支援の方法、本激甚災害指定と局地激甚災害指定の違いによる今後の柏崎市の財政上の不安点など。
 今回は専決処分、つまり処分が終わったものを承認するか否かだけの議会なので、質問は控えた。ここまでの疑問点や追及すべきことは9月の定例議会で行いたい。
 市役所職員の時間外給与については、担当部長から7月分2億3000万円、8月分5000万円は規則に基づいて支給している、との説明に終始した。既に行った業務である以上、議会からは返納しろと無理じいはできない上、法律上もできない。あとは市職員組合の自主的な動きを見守るのみである。
 また、議会側からになるのか、市当局側からになるのか、災害時の時間外の取扱のルールを決めておく必要もある。

 15時から打ち合わせ2件。復興をドキュメンタリーで追うTV企画など。

070828_f1000002 19時、秋刀魚の塩焼き、蒸し茄子の生姜醤油漬け、イワシの海苔巻で夕食。
 20時から22時まで事務所で打ち合わせ兼懇親会?

 23時からチャンネル桜「防人の道 今日の自衛隊」を見る。昨日撮影したセレモニーの内容が放送された。

2007年8月27日 (月)

自衛隊支援活動終了セレモニー
日本ガス協会への感謝

 1時、就寝。5時、起床。読まずに溜まっていた月刊誌、週刊誌を4時間かけて読破。大粒納豆と生卵で朝食をとり、市役所に移動する。

 9時からチャンネル桜の現地撮影のため、レポーター役として高田駐屯地の第2普通科連隊長にインタビュー。

Imga0010 インタビュー終了後、自衛隊支援活動終了セレモニーの会場のとなる市民プラザ前に移動し、カメラの準備やその他のお手伝い。
 とにかく恥ずかしくない程度の人数は集まってほしいと関係者とともに願う。

Imga0006 セレモニー終了後に商店街をパレードする予定になっているので、商店街での待ち受け準備も行う。
 基本的に今回のセレモニーやパレードは市役所主導で行っているため、自由裁量は少ないが、愛車を持ち出し、行進曲を流すためのスピーカをセット、大きめの国旗も掲揚した。

Imga0005 定刻の10時過ぎ、商店街の沿道には人があふれ、1000名を超える市民が集まった。年配者の方では、日の丸をお持ちになった方が元気よく振り、また保育園の生徒さんたちは「ありがとう」という手作りのボードを掲げていた。

 セレモニーは市長の挨拶、担当地域の部隊でもあり現場指揮官となった第2普通科連隊長の答礼、そして市民有志によるKOKIA『私にできること』の合唱など。
 パレードの準備のため、セレモニーには出席できなかったが、市民、隊員ともに感動の涙を流す方が多かったという。チャンネル桜のカメラマンが撮影したので、のちほどゆっくりと見てみようと思う。

 10時30分過ぎたころから、航空自衛隊、海上自衛隊、陸上自衛隊の順で市民プラザ前から商店街をパレード。せめてもの気持ちとして、航空自衛隊が通るときには『空の神兵』を、海上自衛隊は『軍艦マーチ』を、そして陸上自衛隊には『陸軍分列行進曲』を流した。

  自衛隊支援活動終了
      パレード映像(wmv形式,10MB)

  ありがたいことに、地元商店街、町内会の多くの皆さんが沿道に並んで下さり、それぞれに自衛隊に感謝の念を表していた。なかでも、元関東軍でソ連に3年間抑留された経験をもつ、玩具屋をやっていたお祖父さんは、ご自身が軍人だったときのことを思いだし、色々な感情が湧き出てきたようで涙されていた。

 地震発生の7月16日から約1か月半での自衛隊撤収となった。初動が良く、自衛隊の数も中越大震災のときに比べ、そのピークが一週間も早かった。また海上自衛隊、海上保安庁の艦が使えたことから、給水の展開も早かった。
 今後は仮設住宅を含め、積雪の問題がでてくる。豪雪にならないことを祈るばかりだが、中越大震災が10月だったことを考えると、今回の地震は冬まで時間があることが幸いである。除雪ボランティアをはじめ、どのような状況になったら自衛隊を要請するのか、それまでに準備しておくことが必要だ。

 パレードが終了し、機材の撤収を終えたところで産業文化会館に向かうも、目的の会は終了していた。日本ガス協会を通じて、柏崎市内のガス復旧にご尽力いただいた関係者の皆さんへの感謝を込めて、市長が御礼の挨拶をするということだったので、是非、一緒にその場で感謝したかったのだが、あいにく時間が外れてしまった。
 今回の柏崎市内のガス復旧には日本ガス協会関東中央部会をはじめ、全国のガス事業者がかけてくれた。復旧に加え、仮設配管の設置等、このご協力がなければ、まだまだカセットコンロを使う状況であっただろう。
 柏崎のガス復旧にご尽力いただいた全国の皆様には改めて感謝申しあげたい。
 誠にありがとうございました。

 12時、時間がないので、事務所でカップラーメン(明星 一平ちゃん 香ばしオニオン味噌味)で昼食。

 13時過ぎから引っ越しのお手伝いや事務所の片づけなど。未だゆっくりとお礼状を書いておらず、とにかく机周辺だけでもなんとか整理する。

070827_f1000005 20時前、豚肉の生姜焼き、エリンギとトマトの卵とじ、ひきわり納豆で夕食。
 食後は、明日の臨時議会のための専決処分内容の確認を行う。大きな問題になるかどうかは不明ではあるが、市役所職員の時間外給与の計上が7月分 2億3000万円、8月分 5000万円あり、この全額支給がひっかかる。
 もちろん公務員として、指示を受けての業務であり、対価をもらう権利がある。勤務時間などのシフトなどで対応し、できる限り残業時間を少なくした努力も分かる。
 しかし、多くの市民感情をはじめ、前回の中越地震の際の自主返納を含めて、ある程度の配慮は必要になってくるのではないだろうか。これは議会からではなく、市役所職員の組合の方で先に判断してもらう必要があろう。
 また本来であれば、震災のときのこういった時間外の運用方法は決めておくべきであり、条例化まではいかずとも明確にしておく必要もある。

 21時から某会合にお邪魔したが、市職員の時間外給与について議会は何をやっているのか、とお叱りを受ける。

 23時から東條由布子さんがチャンネル桜にゲスト出演なので、番組を見る。番組のなかで、柏崎にお越しになったときにお聞きになられた、現場自衛官の苦悩、柏崎にある日印友好の碑長岡市越路町にある鎮魂の碑のことを触れていただいた。ありがたい限りである。
 学校現場をはじめ、行政施設と自衛隊の展開については、各所で摩擦があったと聞いており、台風時の学校の対応、なかでも展開作業中の自衛官に対し、「誰の許可でその部屋を使っているんだ」と詰め寄った教員の例などはかなりひどい。復旧が落ち着いたところで、議会の場でも問題にしなければならない。

2007年8月26日 (日)

旧トルコ文化村・・野ざらしのアタチュルク像

 2時から3時過ぎまで「居酒屋 海砂」(電話:0257-21-5511)でシメ?の生ビールと刺身、豚足の煮込みなど。
 4時、帰宅。風呂に入りながら、災害復旧に関する長岡市の対応の資料を読む。風呂になかでも思わずウトウトしてしまい、資料を濡らしてしまう。
 5時から9時まで仮眠。6時からのお手伝いをすっかり忘れていた・・・・。起床後、お詫びの電話を入れる。

 9時過ぎ、大粒納豆、イカ塩辛で朝食。

 10時から昼過ぎまで引っ越しの手伝いや仮設住宅周りのゴミ拾い。12時、自宅に戻り、冷凍うどん、コロッケ、ひきわり納豆での「納豆コロッケうどん」で昼食。食後、1時間ほど昼寝をし、14時から同様の作業を行う。

070826_f1000004 17時、自宅に戻り、長風呂。料理でもしようかと思ったが、やる気が起きず、スーパーで半額になっていた秋刀魚の刺身と茹でたブロッコリーを中心に夕食にする。ブロッコリーには、色々なドレッシングが合うとは思うが、個人的にはマヨネーズかシーザーサラダドレッシングがベストである。

DSC01244 旧トルコ文化村の売却から1年以上が経過した。売却の際の採決においても前提条件をだして全会一致にさせておきながら市は議案可決後に前提条件を撤回し、市長以下のトップ、そして財務部長が処分された。
 いわくつきの旧トルコ文化村であるが、その際にも問題になったトルコ共和国から贈られた「トルコ建国の父」ケマル・アタチュルクの銅像はその後どうなっているのか不明であった。
 売却の際には、今後のトルコ共和国との友好関係にも配慮する旨の答弁が会田市長よりあったが、売却後は特にトルコ共和国との接点のあるイベントはなかった。(*写真は1年以上前のもの

Img_1807 そう思っているうちに、先日、ある方から旧トルコ文化村に客として行ってきた際に撮影したという写真をメールで頂戴した。
 問題になったアタチュルク像を見たところ、台座しかしなく、肝心の銅像は草むらのなかに横たわっていたという。
Img_1815 台座のまわりには倒れたような大きな傷はなく、また止めるためのボルトはしっかりとしていたようである。頂いた写真のなかでもそれは確認できる。
 友好のための他国からの頂きものを売却するだけに留まらず、議場でも今後もトルコ共和国との友好関係に配慮していくという虚偽の答弁をしたことには変わりはない。
Img_1811 今回、このアタチュルク像を外したのが、地震対策であった可能性もあるため、いまの時点で問題とはしないが、今後どうなるのか見守る必要があると思う。
 もし、このままにしておくようなら、日本人としても、国際人としても大変恥ずかしいことである。

Turkyjapanflag

 2002年6月22日
 「2002 FIFAワールドカップ」大阪
 「セネガルvsトルコ」試合中のスタンド写真

2007年8月25日 (土)

ブルーシートの限界
柏崎工業界への妄想

 酔ったいきおいで単純作業となる事務所の整理をし、4時就寝。

 8時、起床。ひき割り納豆と生卵で朝食をとり、9時から先日の一時的な大雨でズレてしまったブルーシートなどを直す作業を行う。
 壊れた屋根の部分をブルーシートで補強・・・というよりは、雨対策をしているが、雨が降るたびにズレてしまい、再度のかけ直しが必要になっている。ご高齢の方が住む住宅4件ほどを行ったが、かなりの重労働である。瓦屋さんもアップアップであり、こういった対策にこそ、市役所をはじめ、行政は手を差し伸べてやる必要があるのではないだろうか。

 12時過ぎ、一度、事務所に戻り、冷凍うどん2玉、小粒納豆で「納豆うどん」の昼食をとる。

 13時、某政治団体の視察対応。東と西の本町通りをはじめ、中通、土合、山本団地などの宅地の問題を含めて、3時間ほど視察してもらい、そのまま長岡市に移動する。

070825_f1000003 個人的な用事のため、一度、自宅に戻って着替えてから、再度、長岡市に移動。
 「満留古」(長岡市台町2丁目2−1 電話:0258-35-4246)にて、軽い夕食とビールを飲む。

 車で迎えに来てもらい、柏崎に戻り、自衛隊マニアでもある某氏宅で懇談。ビール500ml2本、漬物で話が弾む。

 そののち、日本青年会議所・北陸信越地区・新潟ブロック協議会のアドバンス新潟創造委員会、委員会打ち上げに途中参加。本来であれば、こちらの委員会に出席予定であったが、視察対応のため、打ち上げの2次会から参加した。

 2次会、3次会と進めるなか、新潟県内の柏崎以外の自治体から見た柏崎の特徴というのが話題になった。もちろん、青年会議所であるため、商売人からの視点であるが、やはり「柏崎は工業のまち」だという。この工業のまち、柏崎市がどう復興していくのか。酔った場での提案とはいえ、個人的には半分以上乗り気である。

070824_f1000004 1.実物大「ガンダム RX-78-2」を柏崎の工業界の技術の粋を集めて作る。少なくともマニュピレータ (手)は実動レベルで作り、操縦席から操作できるようにし、柏崎の工業界の実力を見せつけるとともに、「こどもの時代館」におき、コレクションビレッジとともに、観光のてこ入れにする。三井田個人としては、「シャア専用ザク MS-06S」もしくは金メッキを施しての「百式 MSN-00100」 を希望。

070824_f1000005 2.三井田がロトくじに当たったら、その資金で「戦艦 大和」(縮小版でも)を柏崎の工業界で作り、中を和風ホテルにする。46センチ主砲は、花火を射出できるようにし、柏崎の工業界の実力を見せつけるとともに、柏崎-佐渡(小木)間の定期観光船に使い、観光名物にする。夕食は必ずカレー、食事の前にはラッパ演奏。

 ・・・・激しい妄想である。

2007年8月24日 (金)

がけ崩れ等に対する対応
自衛隊サービス終了

 近日中に予定されている会議などの資料を作成しようにも本棚が完全に復元しておらず、資料を探しまくる。4時、就寝。6時、起床。溜まっていたメールなどに少しずつ、返事を書く。

070824_f1000002

 7時、小粒納豆、山芋とろろでどんぶりご飯を2杯、かっこむ。カレーライスのように、ご飯半分に山芋とろろを投入。その上に小粒納豆をのせた、ネバネバな一品である。
 午前中、宅地問題を調査。土合、山本、長崎、長崎新田、東の輪、番神、青海川、米山町をまわる。

070824_f1000001 12時過ぎ、自宅に戻り、厚切り食パンをトーストし、バターをたっぷりと岩のりのつくだ煮を塗る。バターの脂気と岩のりの潮の香りの組み合わせが絶妙で、塩気もバターと佃煮の分があり、汗をかいた体に染み込むように美味い。トーストとしては邪道かもしれないが、納豆+スライスチーズと同様に好きな食べ方である。

 13時30分から、保守系議員での勉強会。16時過ぎまでの熱い勉強会となり、今回の震災の特徴である、個人資産に大きく被害がでたことに議論が集中した。
 宅地関係も含め、がけ崩れなどの対応は以下の通りであるが、引き続き、要望していくことを確認した。

 中越沖地震に係わる
   がけ崩れ等に対する対応について(pdf形式)

070824_f1000002

 18時30分から、「肴や」(電話:0257-22-8857)にて、柏崎準倫理法人会の役員会。毎週水曜日朝の経営者モーニングセミナーの再開や参加企業の被害状況などについての話合い。
 震災以来、初めて柏崎市内の飲食店での飲み会である。参加したメンバーの大半もそうだったらしく、飲むペースも急ピッチになった。

 23時過ぎまで盛り上がり、2次会に突入した。

 本日をもって、自衛隊によるお風呂のサービスが終了した。ガスが復旧していない間、多くの市民が利用し、酷暑での復旧作業でかいた汗を流した。
 自衛隊、そして水、ガスの復旧に昼夜を通しての
作業を行ってくれた皆さんへの感謝は多くの市民が生涯、忘れないであろう。

2007年8月23日 (木)

ザ・ピーナッツ版『三階節』
【感謝】陸上自衛隊第3師団

 2時、就寝。6時、起床。粗大ゴミやペットボトルなどの資源ごみを無法に捨てていく者がいるので何とかしてほしいとの連絡があったため、現場に行く。ひどい状況ではあったが、毎日見に行くわけにもいかないので、町内で自主的に行ってもらうようお願いする。

Img_2045 8時、昨日の鯛のあらの残り、干し納豆をダシにして炊いた鯛飯、卵焼きで朝食。
 鯛のあらは、塩焼き、潮汁、なんでも利用できるが、柏崎の地物の場合には養殖のようなキツイ脂もなく、その旨味を堪能できる。

 午前は、仮設住宅への引っ越しなどのお手伝い。12時過ぎ、昼食として、おにぎり2個、オレンジジュースをご馳走になる。

3rdjgsdf  これまでお世話になった陸上自衛隊第3師団が、駐屯していた中央埠頭から本日、離脱するという。
 是非、『陸軍分裂行進曲(抜刀隊)』でもかけながら、お見送りをしたかったが、急遽、8月27日に予定している自衛隊支援終了パレードの調整や打ち合わせが入ってしまい、現地に駆け付けることができず。
 申し訳ない限りである。
 是非、名曲と言われる第3師団歌を覚えてから、御礼のご挨拶に伺いたい。


『第三師団歌』
作詞:? 補作:酒井雨虹 作曲:須摩洋朔

1.光れ大海万波の限り 若き希望のしぶきを上げて
  鳴るよ黒しおラインのひびき
  おおこの沿岸、断固と守れ 気迫は燃ゆる朝ぼらけ
  我らは精強三師団

2.仰げ大空雲行くところ 高き理想の夢はばたきて
  飛べよ内海母恋港
  おおこの海空だんこと守れ 気概はなびく日章旗
  我らは精強三師団

3.かおれ大地みどりの風に 清き使命は歴史を担る
  吹けよ山河に試練のラッパ
  おおこの??、断固と守れ 気力はおどる熱と肝
  我らは精強三師団

4.見よや世紀の陽は輝きて かたき自衛に祖国はうらら
  咲けよ至誠の岡辺の桜
  おおこの重任、断固と果たさん 平和の栄光の花かざせ
  我らは精強三師団


 夕方から会社関係の会計処理を行うための資料を、グチャグチャとなったファイルの山から探す。

070823_f1000001 20時、そろそろ旬となった秋刀魚の塩焼きに大根おろしを添えて、ビールの夕食。ハラワタの苦味がビールを呼び、つい500ml缶を4缶ほど飲んでしまった。
 食後は、酔いもあるので、単純作業の部屋の片づけを行う。

Img_1396  震災前に探しており、やっと入手した双子の女性デュオ「ザ・ピーナッツ」の『三階節』のレコード『情熱の花 米山さんから(三階節)』1959年(昭和34年)9月発売)が、グチャグチャの部屋のなかで無傷で発見できた。
 このレコードについては、A面が大ヒット曲である『情熱の花』であるため、容易に見つかると思ったが、案外難しく、やっと埼玉県のある古レコード店で購入できた。
Img_1397 曲を聞いてみると、ラテン風とは言いながらも、原曲を崩さない軽快な曲となっていた。本来であれば、震災前の柏崎青年会議所7月例会で披露すれば良かったのであるが、流れが変わってしまい、紹介するタイミングを逸してしまった。
 今後、機会があれば、ドンドンご紹介していこうと思う。

2007年8月22日 (水)

中越沖地震災害対策協議会厚生小委員会

 2時、就寝。6時、起床。中越大震災のときの長岡市役所などの対応がどうであったのかを調べるため、資料を風呂に持ち込んで、長風呂。

 8時、ひきわり納豆、目玉焼き、かま揚げシラスで朝食。食後、そのまま市役所に行き、会派室の片づけを行う。

Img_2043 10時から議長応接室にて、中越沖地震災害対策協議会厚生小委員会の話し合い。
 先日17日に現場を視察した内容を含めて、現時点で行政に要望、提案する内容をまとめる。
 約2時間、みっちりと話し合い、大まかには以下のような意見がでた。



福祉保健関係
 ・ひとり暮らし老人、高齢者世帯のリストアップと公開・活用策の基準の作成
 ・情報把握と情報公開
 ・地域包括支援センターの災害時の役割の明確化
 ・福祉避難所避難者の今後の対応(仮設住宅の活用)
 ・重度障害者への対応

保育園関係
 ・明照保育園は現在地で再建する場合は法面・地盤の補強が必要
 ・就学前の子供に対する心のケア
 ・私立保育園の再建計画と財政支援
 ・半田保育園民営化移行に関する再協議

福祉関係施設、病院
 ・早急な修復計画
 ・財政支援
 ・水の備蓄

その他
 ・市民、利用者の利益を考慮し、優先順位を検討して着手
 ・仮設住宅入居後の健康管理と心のケア
 ・各施設の自家発電配備とメンテナンス
 ・再建計画の立たない高齢者・障害者などの救済のため公営住宅・災害復興住宅の建設
 ・非常食の備蓄
 ・避難所のマニュアルの作成による避難所の格差の解消
 ・外部からの医療支援を受け入れる際の施設のスペース確保(健康管理センターの活用)


 12時過ぎ、自宅に戻り、冷凍うどん、大粒納豆で「納豆ざるうどん」を作り、祖母とともに昼食。

 午後は、仮設住宅への引っ越し手伝いや粗大ゴミを被災した家から出す作業などを行う。

Img_2044 20時、スーパーで半額になっていた「鯛のあら(三重県産、養殖)」で潮汁を作り、大粒納豆、潮汁をツマミにビールを飲む。
 汁系のツマミとしては、鱈の粕汁、納豆汁、カレーなどが好物であるが、この鯛のあらの潮汁も好物である。

2007年8月21日 (火)

中央区議会自民党視察対応
都心で同じ規模の地震があったら

 2時、就寝。6時、起床。燃えるゴミをだせる日なので、朝から町内のゴミ箱と事務所を何往復もする。やっとゴミだしができ、多少はすっきりした。

 7時、大粒納豆、岩のりのつくだ煮、目玉焼きで朝食。食後、そのままお手伝いの現場に向かう。仮設住宅への引っ越しをはじめ、動かなくなった家電の引き取りなどを手伝う。

 13時、一度、自宅に戻り、 「カップヌードル・シーフード味」「一日分の野菜」で昼食をとる。

 食後、東京電力の柏崎刈羽原子力発電所に移動。今日は東京都中央区議会の二瓶文隆議員をはじめ、石田ひでお議員、元海上自衛官の原田賢一議員、増渕一孝議員、木村克一議員の中央区議会自由民主党議員団が発電所及び柏崎市内を視察するためにお見えになった。

Img_2042 14時過ぎ、発電所の視察が終わったところで、柏崎市役所に移動。
 無理を言って、柏崎地域の担当部隊でもあり、今回の災害対策で現場の指揮をとった、陸上自衛隊高田駐屯地・第2普通科連隊の穴久保連隊長に地震発生時からこれまでの対応の状況などをご説明いただく。

 その後、閻魔堂をはじめ、本町通りを視察してもらい、銀座、日本橋、築地といった街を抱える中央区が同様の震災にあったらどうなるのか、色々と議論した。

 17時にお見送りをし、その後、米山町に移動。
 国土交通省がライトアップしながら、常時監視をしているが、地滑りの様子がだいぶ変わってきている。今後の大雨などでどうなるのか心配である。

 途中、復興しつつある閻魔通りの現状報告を兼ねて、「まるせい精肉店」(電話:0120-02-9071)の「えんまコロッケ」、宮崎県の友人から送られてきた知事の名前の芋焼酎「東国原」(神楽酒造)を、第3師団のCPに差し入れ。

 21時、自宅に戻り、冷蔵庫のなかの残りもので夕食。ごぼうサラダやちくわなどをおかずに、ひきわり納豆+小粒納豆をかけた「ハイブリッド納豆ご飯」を食べる。

2007年8月20日 (月)

大東亜戦争の戦争設計

 3時、就寝。7時、起床。朝食を食べる間もなく、頼まれていた某所の倉庫掃除に向かう。

Img_2038  午前中いっぱい掃除を行い、事務所に戻ると総合高校OGのM嬢が藁つと納豆のお土産をもってきてくれた。ちょうどお昼なので、他にY嬢を誘い、 「CoCo壱番屋 新潟柏崎店」(電話:0257-20-6277)に移動。「手仕込ヒレカツカレー 850円」になすトッピングの10辛、パンプキンスープ、シーザーサラダで昼食にする。

 午後からは事務所の片づけ。人に頼まれてやる掃除は手際よく短時間で終わるのに、時分の事務所の片づけとなると途端に効率が落ちる。古い本などを見つけるたびに、つい中身を確認してしまうので仕事の効率は落ちる。19時までかかっても見通しが見えず、一旦、中止にする。

 20時、生麺のソースやきそば、冷やしトマトで夕食。

 支援活動をしている某陸曹と雑談をしているうちに、「大東亜戦争は戦争設計がなかったんやないですかね」との問いがあったことを思い出した。気になったので色々と調べてみたが、いつ講和したら一番良い結果を得るのか、という内容の戦争設計は調査力不足のなめか公式文書は見つけることはできなかった。ただし、基本構想というものは存在し、昭和16年11月15日、大本営政府連絡会議で決定した「対米英蘭蒋戦争終末促進に関する腹案」がそれである。

「対米英蘭蒋戦争終末促進に関する腹案」
 
速カニ極東ニ於ケル米英蘭ノ根拠ヲ覆シテ自存自衛ヲ確立スルトトモニ更ニ積極的措置ニ依リ蒋政権ノ屈服ヲ促進シ独伊ト提携シテ先ズ英ノ屈服ヲ図リ米ノ継戦意思ヲ喪失セシムルニ努ム

<要約>
1.極東における米英蘭根拠地を覆滅して自存自衛を確立
2.蒋政権の屈服を促進
3.独伊と提携してまず英の屈服を図る
4.米の戦争継続の意欲を喪失せしむるに勉める

 現在の、既に歴史の流れを知った今から見れば、3についてはその三国同盟自体の重要性がどれほどだったのか個人的には未だ不明であり、4に至っては結果的に「卑怯な不意打ちをした!」と見事、ルーズベルトの罠にハマって、「燃えないボイラー」であるアメリカ国民の心のボイラーに火をつけてしまったことが悔やまれる。その燃え具合といったら、アメリカの大学生が開戦後、すぐに戦場にでてきたことからも分かる。日本の学徒出陣は開戦から2年も経過した昭和18年である。
 つまり基本構想である「まずはイギリスを屈服させる」というものが、真珠湾攻撃をはじめ海軍による対米戦の拡大で崩れていった。基本構想があっても、陸軍、海軍の協調がなければうまくいくはずはなく、開戦当初から問題を抱えていたともいえよう。

2007年8月19日 (日)

震災後初のBBQで気分転換

Img_2029 3時、就寝。8時、起床。疲れが溜まっているのか、体がダルいので、新刊の漫画本を3冊ほどもって1時間以上の長風呂。
 9時過ぎ、きゅうり、みょうがを入れた鯨の味噌汁、ひきわり納豆で朝食。夕顔がなかったので、きゅうりを代用で入れたが、なかなかの味わいであった。

Img_2030 お昼の炊き出し、そして趣味として、鶏のトマトソース煮を作る。鶏のドラムスティクを圧力鍋で下ゆで。ニンニクで香り出しをしたオリーブオイルで鶏のドラムスティクを香ばしく炒めたのち、ローリエの葉、ホールトマト、トマトケチャップ、冷凍しておいたコンソメのスープ・ストックで煮込む。仕上げに、バジルの葉をちらした。

Img_2031 避難所に鶏のトマトソース煮の一部を届けたのち、フランスパン(バケット、プロセスチーズ入り)柏崎青年会議所のまつり検討委員会のメンバーと合流。荒浜海岸に移動する。
*写真は、荒浜から見た柏崎刈羽原子力発電所。
 クリックすると大きくなります。

Img_2033 ビールと焼肉、作ってきた鶏のトマトソース煮などで震災後の気分転換バーベキューを行う。カンカン照りのなかの生ビールは胃に染み入るように美味しい。
 仕上げのアイスもあり、被災したという現実?をしばし忘れることができた。しかし、自宅に戻れば、まだ部屋のなかはグチャグチャである。

Img_2032

 天気が良かったこともあり、荒浜海岸から見る米山の風景は美しく、とても震災があったとは思えないようであった。
 *写真は、荒浜から見た米山。
 クリックすると大きくなります。
 

 17時、一旦自宅に戻ったのち、シャワーを浴びて酔いを覚まし、復興のための補助金メニューなどの勉強会に出席。途中、おにぎり2個、パック牛乳で軽い夕食にする。

 21時、自宅に戻り、部屋の整理。人の手伝いはやる気がでるのに、自分の部屋の片づけは何故か億劫である。

2007年8月18日 (土)

米山登山とトウキ、当帰の語源

 1時、就寝。8時、起床。いつもより寝過ぎてしまったので、調子が狂う。起きたところで、取り急ぎ返答しなければならないメールから書き始める。溜まった未処理のメールは、既に700通を超えてしまった・・・。

 11時、ひき割り納豆、レタスと冷ご飯で納豆チャーハンを作り、ブランチ。食後から18時まで市内にてボランティア活動を行う。この3日間ほどお手伝いできなかったので、遅くはなったが、なんとか片付けた。

Img_2025 19時、スーパーで半額になっていた刺身の盛り合わせとビールで夕食。シメはマグロの赤身と干し納豆をご飯にのせてから熱い緑茶をかけた「納豆茶漬け」にする。味付けとして、醤油をたらすか、塩を入れるか悩んだが、結局、少々の再仕込み醤油で味付をした。

 柏崎のご出身で現在は都心にお住いのYさんからの柏崎へのご心配のメールを頂戴した。そのなかで、米山登山にいくと必ず、魔除けとしてトウキを山頂にいるお婆ちゃんから買って帰った、という思い出のお話が書いてあり、ふとこのトウキのことが気になった。

 確かに毎年、米山登山に行くとお約束でトウキを購入してくる。小さい頃から魔除けだと言われていたが、その本来の意味合いなどは知ろうともしなかった。
 改めて調べてみると、トウキ、つまり当帰は婦人病に効くとされている薬草であり、十日町が生んだ漢方医療の権威・尾台榕堂(おだいようどう 1799年~1870年)が書いた『方伎雑誌』の中では、米山産の当帰が一番とされている。
 そもそもの当帰の語源となると、複数の説があり、

1.宋の陳承が1092年に『嘉祐本草』と『図経本草』を合併してつけた注では、「当帰を服用すると、乱れた気血を各々よく帰属する所があるようにさせる。…当帰の名は必ずこれに因るだろう」とある。

2.明の李時珍は1596年の『本草綱目』で、「古人は子孫をもうけるために妻を娶った。当帰は女性の要薬で血を調え、血が調うと夫に帰属できるようになる。それで当帰の名ができた」としている。

の2つの説が有力であるが、地元で言われる、

 病気になった嫁が実家に戻って静養していた際、当帰を煎じて飲んだところ全快して、婚家に戻ったので「嫁当(まさ)に帰る」から当帰

に近いのは2の説である。
 そして、なぜ魔除けになるのかといえば、その独特の臭いからという。

 風評被害をはじめ、柏崎の観光業界に悪影響がでている今、起死回生の企画として、安産祈願の胞姫(よなひめ)神社への参拝もセットにし、

 「少子化に歯止め!
    霊峰・米山の当帰風呂」

などはどうであろうか。

 

2007年8月17日 (金)

護衛艦DD-124「みねゆき」出港
厚生常任委員会視察
海上保安庁への感謝

 1時に起きてしまったので、事務所の片づけを4時まで行う。4時から6時まで仮眠。町内近辺のご高齢の方の粗大ゴミ出しをお手伝いし、朝から大汗をかく。

Img_1973  8時過ぎ、熱いシャワーを浴びたのち、引き割り納豆とたらこでご飯でかっ込み、市役所に移動。
 9時から中越沖地震災害対策協議会厚生小委員会の市内被害状況視察に出発。
 今日の視察は、厚生常任委員会の担当範囲内にある市内施設の被害状況を確認するのが目的である。

Img_1984  午前中は、明照保育園(地滑り、施設災害)、柏崎小学校(避難所、福祉避難所)、半田保育園(施設被害)、刈羽郡総合病院(施設災害)、災害ボランティアセンター(柏崎市社会福祉協議会)を視察する。
 気づいた点など多々あり、特に保育園と今後の民営化、要介護者の避難生活など議会として対応すべきことが明確になった。

Img_1979 また、先の12日に自衛隊による給食サービスが無くなったが、一番困っているのは、避難所、福祉避難所にいるお年寄りだということがよく分かった。
 自衛隊の給食サービスを「民業圧迫」だと伝家の宝刀を抜き、柏崎市は全面撤退させたが、その後は自分で食事を確保できない被災者はおにぎり、サンドイッチ、冷たい弁当などで食事をとっており、温かいものはあってもインスタントの味噌汁である。議員として聞いた被災者の生の声は以下であった。

 「自衛隊さんの炊き出しがあったけーて良かったども、
  いまはつめてーもんばっかでのぉ~」

 「(職員に申し出ないんですか?との問いに)
  職員さんは一所懸命してくれてるすけ、
  そんが事言わんねーてぇ~」

同様のご意見を3名ほどの方から頂いた。取り急ぎ、私の方でやっている炊き出しの味噌汁をお持ちしましょうか、と提案したところ、それも悪いから我慢するという。お年寄りの、人さんに迷惑をかけてはいけない、という気持ちからであろう。
 全面撤退させずとも、本当に必要な部分だけでも部隊を残しておけば良かったのである
 また、ガスが通っていない家庭にガスコンロを1個ずつ配布したので良い、と市当局は言うが、それは料理をしたことがない人間の発想であり、ただでさえ被災して気持ちが落ち込み、後片付けで疲れているなか、ガスコンロ1個で食事を作るのは、すべての人間ができることではない。
 誤解を恐れずにいえば、日銭で生活してきた商売人のこともよく考えてほしい。被災し、家が全壊した今は収入がゼロなのである。
 おにぎりや弁当の売り上げが地域経済にプラスになるなら、せめて温かいものだけでも自衛隊に援助してもらっても良かったであろう。
 12日に自衛隊による給食サービスが無くなって以来、できるときにはカレーや味噌汁など温かいものを作って、個人的にお年寄りに持っていった。
*RLC有志の皆さん、ご支援ありがとうございました。
 頂戴した物資で炊き出しを行いました。

 自衛隊が悪いわけではなく、要請する柏崎市側の問題であり、地域経済へのバランスと被災者の気持ちを十分に考慮すれば、おのずと違った答えがでたはずである。
 そもそもでいえば、ガスが復旧していないからこそ、お風呂のサービスが継続しているのではないか。今後、その考えを当局に問い質したい。  

Mineyuki070813 柏崎港に停泊中の海上自衛隊の護衛艦「DD-124 みねゆき」が9時から11時の間、一般公開及びラッパ演奏などを行ったところ、訪れた柏崎市民は3000名を超えたそうである。12時過ぎに一度、市役所に戻った際、玄関でバッタリと出会った「みねゆき」の艦長をはじめ、海上自衛隊関係者が予想以上の来訪者の数に驚いていた。

Img_1996 一旦自宅に戻り、祖母に味噌汁と冷やご飯でおじやの昼食を作る。ちょうど油揚げと豆腐の味噌汁の残りだったので、卵を一つ落として、グツグツ煮込む。
 自分自身は、カップうどんに小粒納豆を投入したもので昼食にする。

Img_2009 13時からも市内被害状況視察。西山町のいきいき館(施設災害、避難所)、松風の里(施設災害)、それぞれの施設のなかを視察させてもらい、松風の里では職員の方と災害時の知的障害者の生活について、意見交換。
*写真は豪快にひび割れた松風の里の作業所の床

 意見交換のなかで大変残念だったのが、自衛隊が設置したお風呂に知的障害を持つ方々が行った際、心ない市民の方から一緒の風呂に入ってほしくない という苦情があったとのことである。非常に恥ずかしいことである。また同時に、知的障害だけでなく、他にも障害をお持ちの方が被災したときの対応はもっと真剣に考えておく必要があることを学んだ。

Img_2012  15時30分、柏崎港中浜埠頭に移動し、見送りの準備。愛車に、日章旗、旭日旗を立て、トランクに置いた巨大スピーカーに電源を投入して、出港に備える。
 愛車の写真を撮ってみたが、それにしても
かなりヤバい構図
である。昔買ったタミヤの電動ラジコン「マイティ・フロッグ」のような感じすらある。

Img_2022_2 ありがたいことに、100名を超える市民の皆様がお集りになった。より美しく御礼を述べるためにも、一列に並んで頂いた。
 16時、スピーカに接続したMP3プレイヤーで『軍艦マーチ』を鳴らし、市民の皆さんが見守る中、護衛艦「DD-124 みねゆき」が出港。
*写真をクリックすると大きく表示されます。

Img_2018 勇壮な『軍艦マーチ』のなか、老若男女の市民が大きく手を振りながら、「ありがとう」の感謝の声が響いた。
 「みねゆき」からも甲板をはじめ配置場所から「帽振れ」の応礼があり、感動的な出港となった。
 *写真をクリックすると大きく表示されます。

 ちなみに、柏崎市として市長以下、職員誰一人も見送りにはこなかった。

 今回の中越沖地震が3年前の中越大震災のときの救援活動に比べて、大きく違う点は海が使えたこと である。ダムの給水管が被災したことによって、柏崎市の給水が制限された。まさに海上自衛隊の給水は命の水であった。そして、陸上自衛隊航空自衛隊との統合的な運用も素晴らしかった。

 海上自衛隊広報 平成18年度版(wmv形式)

 また、給水活動などの支援活動には、

 巡視船だいせん(境海上保安部)、巡視船えちご(新潟海上保安部)、巡視船つがる(函館海上保安部)、巡視船やひこ(新潟海上保安部)、巡視船のと(伏木海上保安部)

などの巡視船はじめ、海上保安庁の支援があったことも忘れることはできない。

Img_2024 19時過ぎ、スーパーで半額になっていたブリカマの塩焼き、ゆず入り唐辛子を効かせた茄子の味噌炒めで夕食。汗を多くかいているせいか、塩焼きの塩が若干不足しているように感じ、つい追加で塩をかけてしまった。

2007年8月16日 (木)

震災から、あっという間の1か月

 4時に目が覚め、眠い目をこすりながら、ひたすら愛車を運転する。7時過ぎ、自宅に到着。大粒納豆でご飯2杯を食べたのち、熱い風呂に入る。

 9時から、明日、粗大ゴミをだしたいというお年寄りのお宅に伺っての作業。

 10時13分、防災無線の案内もあり、黙祷を捧げた。お亡くなりになられた11名の方のご冥福をお祈りしつつ、今後の復興のことも思う。

Img_1481 震災から1か月、あっという間であり、自分のことをあまりできず、とにかく動きまわった日々であった。まだ気が張っているので、あまり疲れは感じないが、自分の部屋の片づけをするようになるほどの余裕がでてきたときには、ドっと疲れがでてくる感じがする。

 12時過ぎ、 「カップヌードル シーフード味」とひきわり納豆で昼食。食後、そのまま作業を続行する。

 16時、事務所に戻り、ブログやメールを書く。久々にパソコンの前に座れたので、溜まっている仕事を少しずつでも処理しはじめる。

 18時から柏崎港中央埠頭で、明日、「護衛艦 みねゆき」を送るためのスピーカやマイクの調整を行う。大音量にしても『軍艦マーチ』の音が割れないようにする。

Img_1969 22時、寿がきや食品のカップうどんに引き割り納豆を投入したものと、パック牛乳で夕食。食後、寝ころんだら、そのまま熟睡してしまった。

2007年8月15日 (水)

首相の靖國神社参拝はなし
国家権力に守られる極左

 結局、電話や緊急の仕事が入り、仮眠できず。3時、愛車で自宅を出発。徹夜でのドライブとなるため、途中、頻繁に休憩をとりながら、7時過ぎに都内のお決まりの駐車場に到着。

Img_1954 8時過ぎ、靖國神社に到着。のぼりを準備し、「靖國神社に参拝する地方議員の会」に所属する地方議員のメンバーとともに、参拝。
 これまでの炊き出しの際、同じ地区のHさんをはじめ、何人かのご高齢の方から、靖國神社に行くなら参拝してきてくれと頼まれていたこともあり、例年とは違った重みをもって参拝した。

 今年、安倍首相は参拝せず、閣僚で参拝したのは、高市早苗少子化担当相だけ・・・情けない。小泉前首相も参拝されたそうで、国会議員でも超党派で構成する「みんなで靖國神社に参拝する国会議員の会」、石原慎太郎・東京都知事、東国原英夫・宮崎県知事も参拝した。

Img_1957 10時30分から英霊にこたえる会日本会議主催による追悼イベント「第21回戦歿者追悼中央国民集会」に出席。
 東中野先生による分かりやすいご講演が印象的であった。
 また、声明は以下の通り。


 声 明

 先の大戦を戦勝国の立場から一歩的に裁いて戦争の責任を日本に押し付けた東京裁判の強い影響を受け、わが国では近現代日本の歩みを否定的に受け止める風潮が久しく蔓延し、ために、国民の間に国や郷土に対する真摯な思いを抱かせることを妨げてきたのは周知の通りである。
 幸いにも、戦後六十年の歳月を経て昨年十二月に教育基本法の全面的な改正が実現し、遅まきながらも祖国への愛と誇りを持つ、健全な国民精神を培うべき第一歩を踏み出すに至ったことはまことに慶賀に堪えない。さらには、国民投票法が成立し、戦後体制脱却の核である憲法改正のスケジュールが現実のものとなりつつある。
 しかるに、わが国が長い苦難の道を歩んでようやく国家としての本然の姿を回復しようとしている今、これを喜ばない中韓両国およびそれに同調する内外の反日団体は、足並みを揃えて我が国をこれまで通りの卑屈・無力な〝加害者国家″に留めておこうと躍起になっている。それが米国を舞台にしたいわゆる〝南京大虐殺″や〝従軍慰安婦″をめぐる事実無根の一大キャンペーンにほかならない。そこには遠い極東での史実に疎い米国民の感情が巧みに利用されていることは疑うべくもあるまい。
 とはいえ、何よりも重要なのはわが国自身の姿勢である。戦後久しく日本政府は歴史事実に関する真っ当な議論を端から避け、もっぱら過去への謝罪にこれ努め、一時しのぎで糊塗するを良しとしてきた。そのつけの最たるものが先般行われた米国下院での慰安婦決議であるが、最大の根拠とされたのがあの「河野談話」である。その基調音が平成七年の衆議院による「戦後五十年謝罪決議」や「村山談話」と共通していることは言うまでもない。
 かかる過去の謝罪外史は今日のわが国の威信を甚だしく傷つけ、国際社会における立場をひどく狭めているのみならず、何よりもかけがえのない生命を祖国のために捧げこの靖國のみ社にとこしえに鎮まりいます英霊をこの上なく冒涜するものであり、あらためて強い憤りを覚えるとともに、それを防ぐことができず、あるいは今なお是正することができずにいる我々の非力を心から遺憾に思う。
 今さら申すまでもなく、今日我々が享受している平和と繁栄は、祖国存亡の危機に際して散華きれた英霊の尊い犠牲によって築かれている。内閣総理大臣が国民を代表して靖國神社に参拝し、英霊に対して深甚なる感謝と慰霊の意を表するのは至極当然のことであり、小泉純一郎前首相によって再開された首相の靖國神社参拝を安倍晋三首相もできるだけ早く実現し、首相の参拝がさらに定着していくことを心より期待したい。その向かう先に天皇陛下の御親拝を仰ぐ日の近からんことを願うのはもちろんのことである。
 本日この集会に結集した我々は、首相参拝支持の世論を盛り上げることをはじめとして、近現代史の公正な見直し、さらなる教育改革の推進、集団的自衛権の解釈の是正、憲法改正へ向けての確固とした道筋の切開等々、戦後体制の脱却を目指す真の保守国民運動をいよいよ力強く展開し、もって祖国再生に微力を傾注することをここに誓う。
 右、声明する。

平成十九年八月十五日
第二十一回
戦歿者追悼中央国民集会
英霊にこたえる会
日 本 会 議


Img_1956 気温が35度に近いということもあり、天幕のなかに地獄のような暑さであった。寝不足と暑さにより、さすがにじっとはしておられず、「かき氷 カルピス味 350円」で涼をとる。
 かき氷を食べながらで失礼ではあったが、全国から来た地方議員、保守運動をしている方々と色々な情報交換を行う。

Img_1961 12時30分過ぎ、「キッチン・ジロー 九段下店」(東京都千代田区九段北1-5-5 東建ニューハイツ九段下1F 電話:03-3263-6356)にて、「お好み盛り合わせ定食 850円」で昼食。2種類のおかずが選べるので、「若鶏の唐揚」「ヒレカツ」をチョイスし、ご飯はお約束通りの大盛り。1000kcal以上、デブまっしぐらである。

 食後は、昭和館の図書室で仮眠?をとりつつ、資料の閲覧。

 14時過ぎ、外が騒がしくなったので、でてみると左翼のデモ隊と右翼街宣車が衝突していた。言葉遣いは荒いが、それぞれの主張を聞く限り、右翼団体の方が正論であろう。

右翼陣営:
 「そんなに日本が嫌いなら
  北朝鮮にでも行ってしまえぇー」

左翼陣営:
 「戦争はんたーーい」
 「暴力はんたーーい」

 暴力反対だの、政府が悪いだの言いつつ、国家権力たる機動隊に守ってもらいながら、わざわざ靖國神社近くまでデモ行進を行う極左集団。これがそのときの映像である。

機動隊に守られた極左デモ行進(WMV形式)

 遺族として参拝にこられたご高齢のおじいちゃん、おばあちゃんの気持ちをどう考えているのであろうか。レインボーフラッグに「PEACE 9」と書き、憲法9条を守れと大声を張り上げ、道路を占有。チェ・ゲバラの旗を掲げて、 「戦争はんたーーーい」「暴力はんたーーい」「安倍を倒せ!」とは、まっーーーたく、意味が分からない
ちなみに、今、日本が戦争していると思っているのであろうか。
 機動隊も仕事とはいえ、極左団体を警護するとはやりづらかったであろう。
 ただ、デモ行進の通路の許可を警察が与えたのであれば、靖國神社近くのこの場所まで許すこと自体が間違っている。この場所まで許可したのであれば、衝突は当然と予想されるからである。
 逆に、極左デモ行進もここまでやるなら、中途半端な事はせずに、普段は敵視している国家権力である機動隊の警備なしに、堂々とデモ行進をすれば良かったのではないだろうか。本当に「革命」を望むなら、そこまでがやるのが筋であろう。

Img_1964 16時から九段会館にて、西村眞吾衆議院議員を応援する「日本再生同志の会」発会式に出席。チャンネル桜でキャスターを務め、今年9月から某市において重責の任につかれる濱口和久氏をはじめ、北朝鮮による拉致被害者である横田めぐみさんのご尊父・滋さん、女優・村松英子氏など、200名以上の人が集まった。
Img_1965 地方議員は、「靖國神社に参拝する地方議員の会」のメンバーとかぶり、大阪府八尾市の三宅博議員、東京都大田区の犬伏秀一議員、大分県大分市の三浦由紀議員、群馬県伊勢崎市の伊藤純子議員をはじめ、10名ほどが出席。
 司会の三輪和雄氏が盛り上げ上手ということもあって、今後の活動などを話し合い、大いに盛り上がった。

Img_1967  発会式終了後、帰りの方向が同じ群馬県伊勢崎市の伊藤純子議員を乗せて、愛車で出発。
 19時過ぎ、途中で夕食。「珍珍珍(サンチン) 谷原店」(東京都練馬区谷原5-15-16  電話:03-3995-9192)に寄って、「豚骨白そば 650円」に「半ライス 100円」を食べる。味付け卵が1個サービスでつくので、黄身が苦手という伊藤議員の分をもらい、ボリュームたっぷりの食事となった。ひさびさに

Img_1968 21時近く、群馬県伊勢崎市に到着。スーパーで納豆を買おうと入ったところ、地元の名品?である「ぺヤング 超大盛やきそば」を発見した。とにかく大きく、麺180g、カロリーはなんと1099kcalである。面白いので、お土産用として数個を購入。
 伊藤議員をご自宅にお送りしてから、再度、高速にのり、帰路につく。

 途中、あまりの眠さに車中にて仮眠。

2007年8月 7日 (火)

【感謝】陸上自衛隊第37普通科連隊

Img_1773 1時、終身。5時、起床。熱いシャワーを浴びたのち、朝の配食に向かう。メニューは、ご飯、漬物、スクランブルエッグ、味噌汁、のりのつくだ煮。7時から8時30分まで配食をし、9時に撤収完了。

 お店が全壊、家屋も半壊した「フルーツのなかむら」さんが大変な状況のなか、是非、お世話になっている自衛隊さんに食べてほしいと、旬の「八色すいか」12個の差し入れをしてくださった。ありがたいことである。

 9時から柏崎刈羽原子力発電所の耐震に関する勉強会。今回の地震に関して気象庁国土地理院との活断層モデルが正反対になっており、気象庁は海から陸に向かって深くなるモデル国土地理院は陸から海に深くなるモデルを提示している。国土地理院のモデル通りであるなら、原子力発電所の直下もしくは近傍に活断層が見つかるはずである。とにかく、詳細な調査がこれから行われるので、その結果を待ちたい。

Img_1778 11時30分から配食の準備。メニューは、スタミナ丼(キムチと豚肉)、いんげんマヨネーズ和え、味噌汁、杏仁豆腐。12時から13時30分まで配食。
 これまで2週間の間、給食の業務を行った残りの陸上自衛隊第37普通科連隊の隊員が交代となるため、これまでメニュー・ボードの絵を描いてきたT隊員、いやT画伯も最後の作品となった。
Img_1775 配食中も地元商店街の方々から、いつもメニュー・ボードの絵を見て癒された、楽しかったとの声も多くあった。
 どの隊員が描いていたのか教えてほしいと、店舗とご自宅が全壊してしまった某ケーキ屋さんにいわれ、T隊員と引き合わせたところ、

 「アンタの絵見て、気分が楽になったてぇ~、う~ん」

との感謝の言葉。心温まるふれあいであった。

Img_1781 14時、撤収完了。
 交代となる隊員を是非、見送りたいと地元商店街の方などが集まったので、記念撮影を行う。
 別れに際し『陸軍分列行進曲』を考えていたが、F2曹をはじめ帰隊される隊員たっての希望もあり、『軍艦マーチ』をCDで用意。地元の皆さんには帽子を持参して頂き、全員が整列して、大きく『軍艦マーチ』が空に鳴り響くなか、 「帽振れー!」でお送りした。姿が見えなくなるまで、互いに手を振り続け、苦しい2週間を過ごした者同士、別れの涙を流す方も多くいた。

 陸上自衛隊のなかで急遽の命令がでたようで、なんと陸上自衛隊第37普通科連隊自体が今日で撤収となり、明日から新発田駐屯地の陸上自衛隊第30普通科連隊が駐屯することなった。昨日、到着した陸上自衛隊第37普通科連隊の隊員は2日間で展開、撤収という、鬼のようなスケジュールとなった。

 地元からの要望をもって市役所の関係課との調整や、明日の天皇陛下による慰問日程などの確認であっという間に17時となる。

070807_f1000009 17時30分から配食の準備。メニューは、ご飯、切干大根と鶏肉の煮物、茹でオクラ、豚汁、野沢菜漬け。T画伯が帰隊したため、今回からは自分で絵を描くことにした。1回目として『オバケのQ太郎』を描く。
 18時から19時30分まで配食。560食を準備したものの、あっという間に300食以上がはけてしまった。

070807_f1000012 命令とはいえ、陸上自衛隊第37普通科連隊の皆さんは展開、撤収の慌ただしい時間となった。また、地元住民から見れば、陸上自衛隊第37普通科連隊にお世話になるのは今回の配食が最後である。

「明日から
陸上自衛隊新発田駐屯地第30連隊が調理します!!
これまで調理して頂いた
大阪 37連隊に感謝のお声かけを願います」

と表示をし、地元の皆さんにも周知。多くの方から陸上自衛隊第37普通科連隊への感謝の言葉があった。
 また家庭菜園をやっているおばあちゃんから、

 「これ、軍人さんに食べてもらって」

 「じゃあ、隊長のところにご案内しますよ」

 「やや、恥ずかしいすけ、おめさん、渡してくんねぇかね」

と新鮮なきゅうりと枝豆を預かった。「自衛隊」とは言わず、「軍人さん」と呼ぶのが新鮮な感じであった。枝豆は自衛隊の大きな釜では茹でづらいだろうと思い、茹でたのち、お届けした。もしかすると、柏崎市内に展開している部隊のなかで、一番、地元民からの差し入れが多いのかも知れない。
 20時、撤収完了。

 22時、雨の降る中、隊長による

 「閻魔堂に敬礼!」

の掛声のもと、一斉に閻魔堂に向かって敬礼をしたのち、陸上自衛隊第37普通科連隊が撤収。N隊長からは記念に未使用の白ふんどしを頂戴した。これで気合を入れろ!ということであろう。ありがたい限りである。 

2007年8月 6日 (月)

『軍艦マーチ』で燃えた柏崎

Img_1749 2時就寝。5時、起床。熱いシャワーを浴びたのち、朝の配食に向かう。メニューは、ご飯、鮭、高野豆腐の煮物、味噌汁、7時から8時30分まで配食をし、9時に撤収完了。
 今日も朝から異常に暑い。

Img_1753 10時過ぎ、事務所のなかで倒れた本棚をはじめ、整理をしていると、外で多くの人が騒いでいる声が聞こえた。早速でてみると、空中には飛行船。
 目的などは不明であるが、暑い中のハードな復旧作業をしているなか、優雅なその動きに怒りがわいたのか、地元民から「撃ち落とせぇ~、自衛隊さん、お願いします!」というキワドイ発言もあった。

Img_1772 11時30分から配食の準備。メニューは、ハヤシライス、サラダ、漬物、牛乳。12時から13時30分まで配食となるが、12時30分から陸上自衛隊東部方面音楽隊による慰問演奏もあるため、その準備、そしてチャンネル桜で放送してもらうようビデオ撮影の準備も一緒に行う。
Img_1756 また、今回は『軍艦マーチ』も演奏項目に入れてもらったので、旧大日本帝国海軍の旗であり、今日の海上自衛隊の旗でもある旭日旗を掲げた。そこにまた都合の良いこと?に、共産党の持田議員が『しんぶん赤旗』の記者とともに会場を横切り、旭日旗を見るなり「マジかよ」状態であった。
Img_1763 12時過ぎ、陸上自衛隊東部方面音楽隊が閻魔堂に到着。今日は柏崎市市民プラザでもコンサートが行われるが、こちらは音楽隊の本来業務のとおり、立っての演奏、慰問演奏であり、配食をしている自衛官の士気の向上を目的としている。そのため、選曲は演歌やポップスなどはなしに、陸上自衛隊東部方面音楽隊が得意とするマーチである。
 演奏開始前には、kokiaさんも見えられ、演奏開始を待たれていた。
*ちゃっかりお話したり、写真を撮影。
 12時20分過ぎ、風邪のため鼻声であったが、司会を担当し、演奏会がスタート。
Img_1760 1曲目は、ワーグナー作曲の『双頭の鷲の旗の下に』。「双頭の鷲」は、オーストリアのハプスブルグ王家の紋章であり、その旗の下にという意味である。
 最初はまばらだった人も、迫力ある演奏に足をとめ、人が集まってきた。

 2曲目は、2000年の陸上自衛隊創隊50周年を記念して、現役の陸上自衛隊中央音楽隊所属の堀滝比呂氏(ファゴット奏者)が作曲した『凱旋』 。「日夜黙々と派遣・訓練に精励する隊員たちをイメージして作った」する様を描いた曲である。
*ダウンロードは こちら(ZIP圧縮形式) :陸上自衛隊サイトより

 3曲目は、自衛隊の前身である警察予備隊が発足1周年を記念して1950年に作られた『大空』 。作曲は須磨洋朔氏で、初代の陸上自衛隊中央音楽隊長。陸上自衛隊の音楽隊の生みの親であり、今年は須磨洋朔生誕100年である。この曲も名曲で、陸上自衛隊の公式行進曲であり、吹奏楽を学ぶ学生さんには是非、トライしてほしい曲である。
*ダウンロードは こちら(ZIP圧縮形式) :陸上自衛隊サイトより

 4曲目は、「近代メキシコ音楽の父」 M.Mポンセが、1938年に作曲した恋の歌曲『エストレリータ』。エストレリータは「小さな星」という意味。

 盛り上がってきたところで、5曲目が勇ましさで群を抜く、『扶桑歌(陸軍分列行進曲)』である。明治時代の大日本帝国陸軍軍楽隊はフランスより教師を招き、その基礎を築いていったが、その2人目の教師として明治11年から明治22年まで来日した、軍楽長・ルルー(LEROUX CHARLES EDOUARD GABRIEL)によるもので、明治35年(1902年)に作曲された。
*ダウンロードは こちら(ZIP圧縮形式) :陸上自衛隊サイトより

Yamatoart そして最後の6曲目は「世界三大行進曲」として、GHQによる占領期間でも米軍が演奏したという、今から100年以上前の名曲『軍艦マーチ』(正式には『行進曲 軍艦』)。瀬戸口藤吉の作曲。日露戦争・日本海海戦で活躍した「戦艦 三笠」がある神奈川県横須賀市三笠公園には、「行進曲軍艦の碑」が建立されている。

*世界三大行進曲
 スーザ作曲でアメリカの国家公式行進曲(National March)である『星条旗よ永遠なれ』、イギリスの第二国歌と言われるエルガー作曲の『威風堂々』(ドイツのタイケ作曲『旧友』との説もあり)、そして日本の『行進曲 軍艦』である

 『軍艦マーチ』が演奏されるやいなや観客全員からの手拍子、小さな子供

Img_1758 陸上自衛隊 CH-47J/JA 大型輸送ヘリコプター チヌーク

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2007年8月 1日 (水)

従軍慰安婦決議を本会議で採択
西村眞吾議員より激励文

Img_1687   まだまだ部屋が片付かず、4時就寝。6時、起床。熱いシャワーを浴びたのち、朝の配食に向かう。今日のボランティア担当は諏訪町2丁目でメニューは、ご飯、鮭甘塩焼き、茹でアスパラガス、れんこん金平、白菜漬け、牛乳。7時から8時30分まで配食をし、9時に撤収完了。
 午前中、新潟県上越市の渡辺隆議員(予備自衛官)埼玉県久喜市の井上忠昭議員久喜市青年会議所の某氏、新潟県出身の現役警察官の某氏にお越しいただいたので、えんま通りにお住いの方のお手伝いに入っていただく。
 陸上自衛隊の酒井陸幕副長(陸将)が現地視察にお見えになったので、震災以来お世話になっていることへの感謝を述べた。
 その後、復興支援の音楽関係の打ち合わせ、柏崎工業高校に駐屯している高田駐屯地の陸上自衛隊第二普通科連隊への差し入れと現在の自衛隊と学校施設との関係の把握で午前中は終了。

Img_1690 11時30分から配食の準備。メニューは、ご飯、鶏手羽とししとうの揚浸し、コールスロー、エリンギ三つ葉汁。12時から13時30分まで配食。14時、撤収完了。
 15時からえんま通り商店街の振興会の打ち合わせに出席。アーケードを取り壊し始めたが、防犯灯がないので何とかしてほしいとの依頼があったので、終了後、市役所の担当課にて調整を行う。

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 その他、陥没した市道や倒壊家屋の解体費用のねん出、自衛隊の駐屯についてなど、色々な話し合いのなかで、あまりにも機械的、意味のない建前主義、そして責任のなすりつけ合いに、ついどなってしまい、声が潰れてしまった。風邪気味だったこともあり、弱った喉でどなったからであろうか。

Img_1697  今日は非常に暑い一日であったが、夕方、ふと空を見るとミョーな雲が多くあり、鳥たちもヒッチコック監督の『鳥 The Birds』のようで異常な数が一斉に移動していた。
 また地震があるとは考えたくはないものだ。

Img_1693 17時30分から配食の準備。メニューは、ご飯、和風ハンバーグ、ポテトハーブサラダ、オニオンスープ、レタス。配食の前から長蛇の列ができてしまい、だんだんと配食の数が増えてきている。運営する地元5町内の方々からは、他の町内の人間が多いので、なんとかしてほしいとの声が多く挙がった。後日、運営する地元5町内の町内会長と相談することにした。18時から19時30分まで配食。最後にはおかずが無くなってしまい、地元町内の人がご飯とサラダだけという状況になってしまった。20時、撤収完了。

Img_1695 今日、衆議院議員の西村眞吾代議士から、閻魔堂横に駐屯し、炊き出しの任務を行っている信太山駐屯地の陸上自衛隊第37普通科連隊に対し、激励と御礼のメッセージが届いた。
 早速、現地のT曹長にお渡し、第3師団本部にも届けていただくよう手配した。

「激励メッセージ」(pdf形式)

 昨日、アメリカの下院本会議で慰安婦問題に関する決議が採択された。


平成19年7月31日『産経新聞』

慰安婦決議案採択 米下院

 【ワシントン=有元隆志】米下院は30日の本会議で、慰安婦問題に関する対日非難決議案を採択した。決議に法的拘束力はないが、日本政府に公式謝罪を求めている。決議案の共同提案者は下院議員総数435人のうち167人に上ったものの、決議案が採決された際に本会議場にいたのは、わずか10人程度。発声による投票の結果、出席者から異論は出なかったため採択された。
 ペロシ議長ら下院指導部は、参院選に影響を与えることを避けるため、採決の日程を選挙後の30日に設定した。上院には提出されていない。
 この日、ラントス外交委員長(民主党)が趣旨説明を行った後、決議提案者のホンダ下院議員(民主)らが演説した。共和党からもロスレイティネン外交委筆頭理事らが賛成演説を行った。反対演説はなかった。
 ホンダ議員は採択後の記者会見で、「決議は日本政府に対し、公式で明確な謝罪を慰安婦に行うよう求める強いメッセージだ」と述べ、日本政府の公式謝罪を求めた。
 慰安婦問題をめぐっては、安倍晋三首相が4月末に訪米した際、ペロシ議長ら議会指導者との会談で、「人間として首相として心から同情している。そういう状況に置かれたことに申し訳ない思いだ」と語った。
 ブッシュ大統領は首脳会談後の共同記者会見で、「首相の謝罪を受け入れる」と首相の対応に理解を示しており、日米政府間では事実上解決済みとなっている。
 これまで慰安婦決議案は4回提出され、昨年秋には外交委で可決されたものの、本会議では採決されず廃案になった。
 一方、下院外交委員会は31日、アジア・太平洋地域の安定強化や、テロとの戦いにおける日本の役割について謝意を示す決議案を採決する。ラントス委員長やホンダ議員も共同提案者となっている。慰安婦決議で日本非難をしたため、日本への謝意を示すことでバランスをとるねらいがあるとみられる。


 少人数のなかの決議とはいえ公式な結果である。アメリカは同盟国である日本よりも、常に中心であると思う共産主義の某国を選んだのであろうか。
 事実ではないことを、謝罪するよう決議したことは、調査能力の無さばかりか、いかに某国のロビー活動にハメられているかを表にだしたともいえる。
 先月の13日にはアメリカ大使館に抗議に行ったが、また行かなくてはならない。
 すでに現代の戦争は、火器を使ってドンパチをやる戦争の時代ではなく、情報と核の威嚇力の戦争。日本が核をもっていない以上、情報戦にいかに勝利するのかを真剣に考えるべきである。 

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