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2007年10月

2007年10月29日 (月)

アイパー滝沢ネタで喜ぶ?

 録りためておいた番組を連続で見てしまい、6時に就寝。

Img_0527 2時間ほど仮眠し、シャワーを浴びる。
 十穀米、3か月ほど寝かせた「京都 牛若納豆」の大粒納豆、目玉焼きで朝食にする。さすがに国産有機大豆だけあって、3か月経過でもエグみはでずに発酵の深みが増している。もう1パックをいましばらく寝かせようと思ったが、つい2杯目に食べてしまった。

 午前中は溜まっていたメールの返信や柏崎青年会議所のブログ、エッセイなどを執筆。

 13時近く、冷凍うどんに小粒納豆、大量のにんにくチップで「納豆にんにくメーン」の昼食。

 14時から事務所で打ち合わせ。これまでの誹謗中傷など「名誉毀損」に対する今後の法的手段や実名公開のタイミングなどを話し合う。影からありもしないこと、善意で行ったことを捻じ曲げてでも行う誹謗中傷に何もお咎めなし、ということは教育上良くないことである。
 それにしても、いまだに私が暴力団の組員だの、どっかの新興宗教の信者だの匿名メールを送ったりしてくる、 「逆説の愛」の方がいる。
 逆上してやればやるほど、証拠を残し、ますます立場が危うくなるであろうに、見境さえつかなくなってきているようである。
 私が暴力団の組員だったりすると喜ぶようであるから、今度からアイパー滝沢のネタでもやろうかと思う。
 『およげたいやきくん』のB面であった『一本でもニンジン』(作詞:前田利博 作曲:佐瀬寿一)の曲で。

  「一本でも日本刀、2キロでも密輸、散弾銃でも四丁、
   四人でも極道、5部屋でも牢獄、六歳からナナハン、
   七千円のパーマ、8代目は倉田さん、
   
九丁でもトカレフ、銃ぶっぱなしてイチコロっ!

  イチコロ、ポン刀、密輸、四丁、極道、牢獄、ナナハン、
  パーマ、倉田さん、トカレフッ!」

 17時、中越沖地震の発生時に救出したご家庭の娘さんがご挨拶に見えられた。すっかり自衛隊のファンになったそうで、「自衛隊友の会」に入会し、陸上自衛隊高田駐屯地にも御礼のご挨拶に行くばかりか、昨日、陸上自衛隊朝霞駐屯地で行われた「観閲式」にも出掛けられたという・・・・・す、凄い。

Img_0529 19時からエネルギーホールの会議室にて、柏崎青年会議所の来年度事業計画の会議。来年は「ECO委員会」として、「ECO ACTION 2008」をはじめ、柏崎の現世代、次世代に柏崎の自然の大切さを知ってもらう事業などを行う。

Img_0530 会議室の会場が閉館となる22時から場所を移動。
 「船栄 柏崎店」 (電話:0257-22-0288)にて、夕食兼アイデア会議。とはいうものの、かなり白熱した議論の後なので、喉が渇いておい、生ビール5杯にジン・トニックという飲み会ペース。

 24時近く、帰宅する。

2007年10月28日 (日)

2007全国学力テスト結果

 3時、就寝。
 7時、起床。今週の参議院での被災者生活再建支援法に関わる議論のための地元要望資料を作成する。また、今回の地震における原子力施設との連絡体制の問題なども、まさしく国会で議論してもらうべきことなので、まとめる。

 9時過ぎ、車で祖母をデイサービス施設まで送り届ける。

 11時、来客。色々な調査結果をもらったが、ここまで腐敗した部分があるものかと驚いた。今後、追及していきたい。

 12時から某店で生ビールを中心にした復興記念飲み会?朝食をとる間もなかったので、かなり酔っぱらった。

Img_0524  16時から19時まで仮眠。手紙やFAXなどの返事を書きつつ、整理する。
 21時過ぎ、スーパーで半額になっていた牛肉タタキ、十穀米、おろしたホースラデッシュ、おろしたニンニクで「牛タタキ丼」を作り、夕食。
 食後、事務所に戻り、溜まっていた会社の仕事を順次片付ける。 

 今年4月に実施された全国学力テストの結果が公表された。

   小学校(pdf形式)  中学校(pdf形式)

 しかし、今回の公開内容は、全国平均、都道府県平均など限定的な結果のみで、各自治体や学校ごとの平均は原則非公開となっている。しかも、これを指導したのが、文部科学省だという。
 過剰な競争になることを恐れているのであろうか。だが、たったこれぐらいの公開であれば、やらくても良かったのではないか。
 もっと多くの情報を公開し、適度な競争意識を持つことによって、生徒は伸びるはずである。
 柏崎で義務教育を受ける子供には高い学力をつけさせるためにも、市町村レベルぐらいまでは即公開すべきだ。
 さすがに『読売新聞』も平成19年10月25日の社説で、より多くの情報公開を求めている。


全国学力テスト “宝の持ち腐れ”にしてはならない

 子どもたちの学力や学習環境に関する膨大なデータが得られた。これをどう教育の改善と学力向上につなげるか。徹底した分析と、その有効活用が今後の課題となる。

 4月の全国学力テストには小学6年と中学3年の222万人が参加した。出題は国語と算数(数学)で、それぞれ知識を問うA問題と、知識の活用力をみるB問題の2種類だった。

 知識の問題には、ほぼ合格点がついた。中学数学だけが平均正答率7割台だったが、他の小学国語、算数、中学国語はいずれも8割を超えた。

 一方、活用問題では、正答率7割台は中学国語のみで他は6割台前半と振るわなかった。国語の「正しく読み取る」「考えをまとめる」、数学の「考えの過程を明確にし説明する」力が弱かった。

 読解力や表現力など、知識応用の力に問題があることは、3年前の国際学力調査などでも指摘されていた。それが今回のテストで再確認された。現在、作業中の学習指導要領改定に反映させる必要がある。各学校でも、授業や指導法の見直し・改善を検討してほしい。

 学校ごとの成績状況は、保護者や教員が最も注目していた点だろう。小、中学校とも、全国平均との標準偏差では大きなばらつきはなかった。だが、全体の1割近くの学校が、B問題を中心に正答率が5割に満たないという実態もある。そうした学校のレベルアップのため、早急な支援が必要になろう。

 子どもの学習環境や生活習慣と、学力の関連性についても分析した。毎日、本を読む子は国語の正答率が良かった。家できちんと宿題する子、朝食をしっかりとる子も正答率は高い。各家庭で子どもの生活環境を改善することが大事だ。

 懸念されるのは、「競争の激化」「学校の序列化」の批判を恐れるあまり、多くの自治体が過剰なほど結果公表に慎重になっていることだ。

 このため、自校の平均正答率などを全国や都道府県単位のデータと比べるのがせいぜいで、自校のある市区町村や、県内他地域のデータなどとの違いは検証できない学校も出てくる。これでは全国津々浦々きめ細かい調査をした意味が薄れないか。保護者の関心も強いだろう。

 全国学力テストの結果は、子どもの学力の一面を示すものに過ぎない。そう関係者も理解して臨んでいるから、43年前まで実施されていた学力テストのような、試験対策での過熱もなかった。

 適度な競争は子どもの学習意欲を高め、学力向上を後押しする。テスト結果を、宝の持ち腐れにしてはならない。

2007年10月27日 (土)

心のケア・ボランティア 3日目

 3時、就寝。7時、起床。届いた月刊誌をもって1時間ほど風呂に入る。9時過ぎ、大粒納豆、たくわん、ソーセージ、生卵で朝食。

 10時、家をでようとしたところ、ちょうど同じ町内の方に会い、町内行事について情報交換。
 ホテルに花島二郎氏(紙切り、腹話術)、マギー西村氏(手品)をお迎えに行き、そのまま荒浜の拉致遺留品現場をはじめ、刈羽村、西山町などの被災が大きかったところを視察案内。
 定番の東京電力柏崎刈羽原子力発電所サービスホールもご案内し、小国名物の「ぎんなんアイス」をご賞味頂く。

Img_0506 原子力の次は石油ということで、出雲崎の石油産業発祥地記念公園、そして越後出雲崎天領の里にご案内する。
 ちょうどお昼になったので、2階のレストラン「陣や」で「もずくザルうどんセット 大盛 1100円」をとり昼食。もずくを練りこんだうどんと、サザエの炊き込みご飯、漬物、サラダのセットになっており、かなりのボリューム。もずく麺も悪くない上、冷凍もできることからもっと活用方法が広がるであろう。

 13時30分、社会福祉法人柏崎刈羽ミニコロニー「松風の里」に到着。ありがたいことに会場となる食堂には、

Img_0507 「ようこそ マギー西村さん 花島二郎さん」

の歓迎メッセージが貼られていた。

Img_0508Img_0509 14時から食堂にて、花島二郎氏の紙切りからスタート。
 地震は怖かったか、地震は怖くないか、といった質問に大きな声で答えたり、切り終わった紙をほしがる様子を見受けられ、お楽しみ頂いたようであった。
Img_0510 中盤は、マギー西村氏のマジック。
 「ええーーなんでぇ~」との反応多く、特に千切った新聞が元に戻る手品では、「もっかい(もう一回)」の声もあった。また、師匠ゆずりのお約束の「ラッキーちゃん」の登場に喜ぶ方が多かった。
 トリは、花島二郎氏と相棒である「世界でただ1頭の生きている恐竜ジョイ・レックス」との腹話術。
 会場の皆さんとの掛け合いもあり、あっという間の時間であった。

Img_0513 いよいよお別れとなったとき、施設利用者の方から御礼のご挨拶とクローバーの鉢植えを記念品として頂戴した。
 しかも、私も頂いてしまった。ありがたい限りである。

Img_0515_2 控え室に戻り、紅茶とパンプキンシュークリームを頂きながら歓談ののち、施設を後にした。

 16時、花島二郎氏、マギー西村氏を柏崎駅にお送りする。

 17時、コンビニの納豆巻き2本で運転しながら夕食をとりつつ、頼まれていた案件などで市内まわり。

 19時から町内集会場で、町内会長以下、各班長、PTA、成年会などが集まり、来週行う「復興祈念おでんパーティ」の打ち合わせ。
 特別ゲストとして、花島二郎氏をお願いすることとなった。

 21時過ぎ、事務所に戻る。会社関係の会計作業などを行う。

2007年10月26日 (金)

心のケア・ボランティア 2日目

Img_0484 3時、就寝。7時、起床。
 昨夜から甥っ子と姪っ子がお泊りしていたので、大粒納豆、生卵、温野菜、もずくを入れた豚汁で一緒に朝食をとる。
 姪っ子は兄のことを「ニィニィ」と呼ぶようになった。

 9時から事務所にて、1件の打ち合わせ。復興関係の法令整備に関する今後の動向などを話合う。民主党案は耳障りよく聞こえるが、財源を握るのが都道府県で持ち寄る基金であることなどを無視しており、実現性は低い。法案は何も新潟県に合わせて作るものではないので、他の都道府県知事が反対するのである。

 10時過ぎ、ホテルに花島二郎氏(紙切り、腹話術)、マギー西村氏(手品)をお迎えに行き、ご希望のあった「こどもの時代館」 、フィッシャーマンズケープ、恋人岬などをご案内する。
 途中、途中で浜焼き、サバサンドなどで食事をとってもらった。

Img_0486 12時過ぎ、マクドナルドのコーヒー無料券をお持ちということで、移動。個人的にはコーヒーだけは悪いと思ったので、「ベーコンレタスバーガー セット」に40円でトマトを追加した。
 コーヒー無料券で来店を促し、他の商品も購入という「お約束」に引っ掛かっている感はある・・・・・。

 13時、新潟県立はまなす養護学校に移動。

2007年10月24日 (水)

今度は「これ以上、調査しないでくれ?」

 原稿の遂行や企画書の見直しで5時までかかり、1時間ほど仮眠するつもりが起きたら9時であった。

Img_0461  大粒納豆、生卵でご飯2杯を食べたのち、市内某所でのコンクリート塗りのお手伝い。高齢者世帯であり、押し車での家の出入りにご苦労されている。
 13時近くに一度、自宅に戻り、もずくの味噌汁2杯で息抜き?をし、コンビニの納豆巻き2本で昼食。

 14時から18時まで事務所にて、情報交換や打ち合わせに来られた方々と黒豆コーヒーを飲みながらお話。

 市長を応援している連中はよっぽど私が目障りらしく、暴力団員だとか、自衛隊の食事を一人占めにしたなど、色々な方面に噂を流している。
*噂通りなら、私は国会議員以上に権力や富をもったフィクサー?・・・アホである。
 事務所にこられた方々からも様々な情報が入ったが、こんな事で市長を守ろう、問題の本質をズラそうとは、つくづくおビョーキで可哀そうな人達なんだと思う。
 さらには、打ち合わせの最中にこんな電話が番号非通知かつ匿名でかかってきた。

 これまで三井田への誹謗中傷を繰り返していたものの、このままいけばマズイ(足がつく)ので、私はやめます。ついては、これ以上の調査をしないでほしい。

という内容。・・・・・・情けない、今度は自分だけ助かろうというのである。
 私が駅裏で強姦事件を起こしたとか、暴力団の組員だと足跡を残しながら色々なところで分担をして活動し、情報をつかまれたと分かるや、逃げの一手。あとは内部での裏切りもの探しか内ゲバでもやるのであろう。私に言わせれば、強姦事件などはあちら側の(以下、自粛)
 そんなことは放っておき、こちらは正論を貫こうと思う。

 19時から20時過ぎまで某懇親会でのご挨拶と現在の制度の説明。応急修理の件をはじめ、現柏崎施政への苦言を多く頂戴した。リコールでもやってほしいとの声もあったが、議員がその主体になることはできないとご説明し、納得してもらう。

 20時30分ごろ移動、「野立」(電話:0257-24-4136)にて、柏崎青年会議所

2007年10月23日 (火)

集団自決と検定 11万人?

 0時過ぎに帰宅。シャワーを浴びたのち、事務所で書類の整理をするも、気づいたら机に突っ伏して寝ていた。

 6時、起床。会社の決算や明後日からのボランティアのまとめなどを一気に行う。

 8時過ぎ、大粒納豆、うなぎの卵とじ、赤だしのしじみの味噌汁で朝食。

 9時、柏崎駅へアクティビジネスの大西社長をお迎えに行き、その後、市内の被災個所をはじめ、柏崎刈羽原子力発電所サービスホール田中角栄記念館ふるさと人物館などをご案内する。
 移動の車中のなか、人相の話になり、ブラジルで企業を立ち上げたときの面接のご経験など貴重なお話を聞くことができた。

 13時、市内のコンビニで納豆巻き2本、低脂肪乳を購入し、運転しながら昼食。

Img_0460 14時から来客。各種の情報交換。
 17時から1件の打ち合わせ。
 18時過ぎから20時まで会社の伝票の整理を行い、20時から来客。
 23時過ぎ、柏崎の港で釣れたカマスを大量に頂いたので、天ぷらにし、ビール500ml3本とともに夕食にする。

 先日らい、沖縄の集団自決について、11万人の集会がどうのこうのでモメている。大西社長の友人でもある大手警備会社「テイケイ」の会長が、この集会の会場を分析した結果、1万9000人から2万人がいいところだろうとしている。
 いずれにしても人数の問題ではなく、真実か否かが問題であり、そもそもで言えば日本軍が沖縄県民と戦ったのでなく、敵はアメリカ軍である。
 一番分かりやすい説明が、今日平成19年10月23日『産経新聞』の『正論』であった。


●【正論】集団自決と検定
 作家・曽野綾子 それでも「命令」の実証なし

 ~戦争責任と曖昧な現実に耐えること~

 ≪大江氏の『沖縄ノート』≫

 1945年、アメリカ軍の激しい艦砲射撃を浴びた沖縄県慶良間列島の幾つかの島で、敵の上陸を予感した島民たちが集団自決するという悲劇が起きた。渡嘉敷島では、300人を超える島民たちが、アメリカの捕虜になるよりは、という思いで、中には息子が親に手をかけるという形で自決した。そうした事件は、当時島にいた海上挺進第3戦隊隊長・赤松嘉次大尉(当時)から、住民に対して自決命令が出された結果だということに、長い間なっていたのである。

 1970年、終戦から25年経った時、赤松隊の生き残りや遺族が、島の人たちの招きで慰霊のために島を訪れようとして、赤松元隊長だけは抗議団によって追い返されたのだが、その時、私は初めてこの事件に無責任な興味を持った。赤松元隊長は、人には死を要求して、自分の身の安全を計った、という記述もあった。作家の大江健三郎氏は、その年の9月に出版した『沖縄ノート』の中で、赤松元隊長の行為を「罪の巨塊」と書いていることもますます私の関心を引きつけた。

 作家になるくらいだから、私は女々しい性格で、人を怨みもし憎みもした。しかし「罪の巨塊」だと思えた人物には会ったことがなかった。人を罪と断定できるのはすべて隠れたことを知っている神だけが可能な認識だからである。それでも私は、それほど悪い人がいるなら、この世で会っておきたいと思ったのである。たとえは悪いが戦前のサーカスには「さぁ、珍しい人魚だよ。生きている人魚だよ!」という呼び込み屋がいた。半分嘘(うそ)と知りつつも子供は好奇心にかられて見たかったのである。それと同じ気持ちだった。

 ≪ないことを証明する困難さ≫

 これも慎みのない言い方だが、私はその赤松元隊長なる人と一切の知己関係になかった。ましてや親戚(しんせき)でも肉親でもなく、恋人でもない。その人物が善人であっても悪人であっても、どちらでもよかったのである。

 私はそれから、一人で取材を始めた。連載は文藝春秋から発行されていた『諸君!』が引き受けてくれたが、私はノン・フィクションを手掛ける場合の私なりの原則に従ってやった。それは次のようなものである。

 (1)愚直なまでに現場に当たって関係者から直接談話を聴き、その通りに書くこと。その場合、矛盾した供述があっても、話の辻褄(つじつま)を合わせない。

 (2)取材者を怯(おび)えさせないため、また発言と思考の自由を確保するため、できるだけ一人ずつ会う機会をつくること。

 (3)報告書の真実を確保するため、取材の費用はすべて自費。

 今日はその結果だけを述べる。

 私は、当時実際に、赤松元隊長と接触のあった村長、駐在巡査、島民、沖縄県人の副官、赤松隊員たちから、赤松元隊長が出したと世間が言う自決命令なるものを、書き付けの形であれ、口頭であれ、見た、読んだ、聞いた、伝えた、という人に一人も会わなかったのである。

 そもそも人生では、「こうであった」という証明を出すことは比較的簡単である。しかしそのことがなかったと証明することは非常にむずかしい。しかしこの場合は、隊長から自決命令を聞いたと言った人は一人もいなかった稀(まれ)な例である。

 ≪もし手榴弾を渡されたら≫

 この私の調査は『集団自決の真相』(WAC社刊)として現在も出されているが(初版の題名は『或る神話の背景』)、出版後の或る時、私は連載中も散々苛(いじ)められた沖縄に行った。私は沖縄のどのマスコミにも会うつもりはなかったが、たまたま私を探して来た地元の記者は、「赤松が自決命令を出したという神話は、これで否定されたことになりましたが」と言った。私は「そんなことはないでしょう。今にも新しい資料が出てくるかもしれませんよ。しかし今日まで赤松が自決命令を出したという証拠がなかったということなんです。私たちは現世で、曖昧(あいまい)さに冷静に耐えなきゃならないんです」と答えた。
この答えは今も全く変わっていない。

 戦争中の日本の空気を私はよく覚えている。私は13歳で軍需工場の女子工員として働いた。軍国主義的空気に責任があるのは、軍部や文部省だけではない。当時のマスコミは大本営のお先棒を担いだ張本人であった。幼い私も、本土決戦になれば、国土防衛を担う国民の一人として、2発の手榴弾(しゅりゅうだん)を配られれば、1発をまず敵に向かって投げ、残りの1発で自決するというシナリオを納得していた。

 政治家も教科書会社も、戦争責任を感じるなら、現実を冷静に受け止める最低の義務がある。(その あやこ)

2007年10月18日 (木)

アタチュルク像移設へ

 原稿がなかなかまとまらず、3時、就寝。7時、起床。喉が痛く、甥っ子、姪っ子の風邪がうつったようである。

Img_0335 8時過ぎ、大粒納豆、舞茸ご飯、舞茸と玉ねぎの味噌汁で朝食。シャキシャキとした歯ごたえと口にいっぱいに広がる舞茸の風味で食が進む。
 9時から事務所にて打ち合わせ。イベントへの出店の依頼であったが、人手が足りず、今回は別の人に対応してもらうことになった。

Img_0347  11時から自民党柏崎支部で役員会。自民党としての陳情の日程調整などを話し合う。
 昨日、共産党が、仮設住宅や宅地被害で困っている人たちとともに国会への陳情に行ったそうである。困っているときには、政党も何もないと被災者の立場では思うが、中央の政治家はやはり共産党が絡んでいるとのことで、一切拒否。新潟県選出の自民党・国会議員からは共産党が入り込むと通じるものも通じない上、柏崎にとっては損なことだ、とのお叱りがあった。
 会議ののち、出前の生寿司を食べながら、雑談。今月28日に行われる自衛隊観閲式などが話題となる。

 13時から電話での打ち合わせを1時間ほど。途中、某国会議員秘書から旧トルコ文化村のアタチュルク像問題に関する情報が入った。
 やはり、会田市長は10月1日の産経新聞での記事がでたあと、10月3日に外務省に行って謝罪をしており、今日から移設のための作業に着手したそうである。
 しかし、議会には報告なく、地元マスコミにも情報提供はない。本来であれば、地元マスコミは怒りを表すべきであろう。トルコ国内でも問題になっているだけに、移設するならするで早く発表しなければならないのに、水面下での動き。明日の第一部決算委員会、12月議会ではこの問題を例に、こういった隠ぺい体質を追及したいと思う。
 また、移設の準備がはじまることから、そろそろ私への誹謗中傷もはじまることだろう。お約束のタイミングである。

 栃木県栃木市から地元のお祭りで柏崎の物産を売りたいとのありがたい連絡があったため、商品の手配などを行う。

Img_0348  20時過ぎ、三重県松阪市から友人3名が車で柏崎に到着。
 新潟らしい夕食をとりたいということで、時間も時間なこともあり、まずは「らーめん処 潤 柏崎店」(電話:0257-32-1523)に行き、「岩のりらーめん 700円」。3人には、さらに「100円トッピング」全部入りの「鬼脂」で食べてもらった。
Img_0349  すっかり脂まみれとなり、新潟らしいさっぱりしたものも食べようと、「うまいもの屋 一翔 柏崎店」(電話:0257-32-2360)に移動し、「へぎそば」を中心に「越の鶏 焼き鳥」数種類。
 歩くのもキツイほど腹いっぱいとなって自宅に戻る。

 お土産で頂いた伊勢芋で作った焼酎「多気」を飲みながら、リック・フレアー名勝負のDVDを鑑賞。

2007年10月10日 (水)

「三国人」発言で処分?

 各方面からの問い合わせなどへの返信などで3時就寝。5時に起きて、柏崎準倫理法人会の経営者モーニングセミナーに出席しようと思っていたものの、眼が覚めたら7時であった。起床後、大粒納豆、なめこの味噌汁、目玉焼きで朝食をとる。

 9時、10時30分と事務所への来客。ボンランティア関係のスケジュール調整や今後の自民党の活動などについて。

 昨日の夜からこんな内容のメールが複数届いている。

 「三井田議員は議会で
  『三国人』と発言して処分されたと聞いている

  柏崎市民として恥ずかしいから辞職してほしい。」

 しかも、返信してもアカウントが削除済みということで、メールが返ってくる。わざわざ無料のメールアカウントをとり、意味不明のメールを送る暇があれば、もっと問題の本質を見てほしいものである。
 また、同じ内容のメールを何通も送ったのは取り上げてほしいか、精神的に追い詰めようという魂胆であろう。認識の間違いが多いのと、メールで返信できないので、あえて取り上げ、指摘すれば以下の通り。

1.事実の誤認
 私が議会で『三国人』と発言して処分されたことはない。あえていうなら、大東亜戦争に関する発言の際、その当時に中華人民共和国は存在しないことから、『支那』と発言し、社会クラブをはじめ、市長与党の革新系が問題発言にしようと食らいついてきたのは事実。
→ sina.com問題

2.『三国人』が差別語か否か
Img_0293  石原都知事の発言でも話題となったが、本来は戦争に勝ってもおらず、負けてもいない第三の国の人という意味であり、『三国人』と言われていた方々自身が使っていた言葉。
*台湾人、朝鮮人は当時は日本人であり、一緒になって連合国と戦った。
Img_0294  その証拠に、現在は絶版となっているが、昭和48年9月に出版され、ベストセラーとなった林浩奎(イム・ホーギュ)著『第三国人の商法 日本人禁制の秘密を明かす』KKベストセラーズという本がある。この本は在日と言われる著者本人が『第三国人』という言葉を使い、パチンコ、麻雀荘、サウナ、廃品回収などの現金商売でいかに儲けるのかを書いたものである。私の手元にあるのが昭和48年10月の38版であるから、相当売れた本である。
*当時、いわゆる特殊浴場をトルコ風呂と呼んでいたこともわかる。
 しかし、これを差別の本だという声は当時にはなく、著者自身がこう書いている。

 「第三国人とは、すなわち ”祖国を離れ、常に祖国の発展と近い将来の帰国を夢みながら、異国の厳しい環境の中で、激しいビジネス競争に身を置き、力強く生活を営んでいる" 民族の集団である。だから日本人のいう第三国人とは、日本で戦前戦後を通じて生活している在日韓国人、在日台湾、中国人などを総称していう言葉である。彼らの大多数は第二次世界大戦前後の世界の混乱した状況の中において、日本での成功を夢みて海を渡ってきた人たちである。三国人とは戦前戦後を通じて(日本で)生活している在日韓国人らを総称して言う言葉で、彼らの大多数は第二次大戦前後の混乱期に日本での成功を夢見て海を渡ってきた人たちだ」

 互いのためにも歴史を正しく伝えたいものである。

2007年10月 9日 (火)

トルコ国内で問題化
トルコ風呂名称問題より質が悪い!?

Img_0277 2時、就寝。
 7時、起床。引き割り納豆、揚げた海老しんじょの含め煮、ニラと卵の味噌汁でご飯2杯の朝食をとる。朝から海老しんじょを食べると何だか豊かな気持ちになる。

 午前中いっぱい会社の決算用の証書類を書類の山から探す。地震後、整理をする暇がなく、いまだに領収書などが議会資料などに混ざっている状態である。

 11時過ぎ、来客。冷凍うどんと引き割り納豆、えび入りかき揚げの「納豆かき揚げうどん」を一緒に食べながら、打ち合わせ。

Img_0291 13時30分から自民党柏崎支部にて、役員総会。
 これまで7月の参議院選挙のための、塚田一郎選挙対策本部を組織していたが、本日をもって解散することとなった。当落に関しては望んだ通りの結果であったが、小千谷支部の不祥事などは残念なことである。

 14時30分から18時まで、市内での各種調査。被災者への配慮不足や市役所職員との齟齬についてなどが次々に判明する。ただ、かばうわけではないが、市役所職員にとって少しいいがかりなようなご意見もあるのは事実である。それらを冷静にさばいて、12月議会での議論に生かしたい。

Img_0292 21時、鶏の骨付きモモ肉で作ったから揚げ、イカ納豆、シーザーサラダドレッシングをかけたキャベツなどを肴にビール。
 やたら携帯が鳴り、またパソコンのメールも多いので何事かと思えば、旧トルコ文化村のアタチュルク像をはずして倒してあることが、トルコ国内の新聞に掲載され、インターネット上でも一斉配信されたことによるものであった。
 本来であれば<日本国内で日本人の手、できれば柏崎市内で解決したかった>ものの、既にトルコ国内の大手新聞会社が取り上げてしまった。大手新聞社であろうことは、複数のニュースサイトで同じ記事が配信されていることからも分かる。

http://www.haberturk.com/haber.asp?id=39541&cat=200&dt=2007/10/09
*このサイトはアタチュルク像の首をもつ別の写真までつけて、
 日本人のこの行為を非難。

http://www.radikal.com.tr/haber.php?haberno=235217

http://www.milliyet.com.tr/2007/10/09/son/sondun10.asp

 結局、メールや電話の返事に追われることになったが、外務省筋や外交を得意とする国会議員秘書からの情報などが入ってきた。
 また、国内に在住で、日本語が達者なトルコ人からは、

 「トルコ風呂の名称問題よりも質が悪い

というお叱りの言葉があった。現在、特殊浴場はトルコ風呂とは言わず、違う名称になっているのは周知の通りである。

 それにしても、柏崎市役所の担当課からの情報と、トルコ大使館関係者、外務省からの情報が見事に食い違っている。現市長はどこまで議会、そして市民に対しシラを切り続けるのか、今後が見ものである。

2007年10月 8日 (月)

いまだブルーシート

 2時過ぎ、カラオケより帰宅。3時就寝。

 7時、起床。大粒納豆、なめたけ、モロヘイヤのマヨネーズ和えでご飯2杯の朝食をとる。8時過ぎから11時過ぎまで、自宅2階の書庫の整理をする。7月16日以降、いままで手をつけずにいたため、本棚の下敷きになった本などには折り目がキッチリとついてしまった。

 13時過ぎまで、支援金制度に関する相談やトルコ文化村のアタチュルク像問題、番神の浜茶屋のことについての問い合わせなど、数人の方からお電話を頂戴する。
 地震のことに加え、市政運営の数々の問題点が多くの市民に知れ渡ってきており、これまで現市長を応援していた方からも、国や県とのパイプがないことなど、

 「本当に今の体制のままが柏崎に良いのか」

といった言葉を聞くようになった。

 14時過ぎ、冷凍うどん2玉と引き割り納豆、生卵2個で納豆うどんを作り、昼食。

 15時から17時まで被災されたお宅のブルーシートの張り直しのお手伝い。
 お手伝いしたお宅も修理待ちの状況。工務店やお抱えの大工さんは10件、20件ではなく、100件以上の依頼があるところが多く、年内の応急修理も無理である。市の職員からは

 「県外業者でも頼めば良い」

と言われたそうであり、かなりご立腹であった。言い方もあったのであろうが、市民の気持ちを考えれば、知った人間にやってもらいたいものであり、また県外からくる業者への交通費分など費用がかさむ分を心配する気持ちもある。
 これらの問題は、政治家たる市長が、県議会議員も連れて、県庁と調整すれば解決することであり、いまだに解決されない理由はただ一つ「政治力のなさ」である。

Img_0275  19時、一口のヒレかつにオリバー「どろソース」をたっぷりかけて、夕食にする。

2007年10月 7日 (日)

卑怯者のよろめき

 陳情のため、被災者生活再建支援法の問題点を整理した資料などを作り、4時就寝。

 8時、起床。ひきわり納豆、たたきオクラ、ハムエッグでご飯2杯の朝食をとる。

 10時から12時近くまで事務所にて、打ち合わせ。
 インターネット上の各掲示板や匿名メールなどの対処について、今後の方針を話し合う。情報が集まってくるにつれ、<算術ではない、地位が高いとされている職業で、しかも業界組織もある>方々の卑怯なやり方には、怒りを感じるどころか、人として恥ずかしくないのか不思議に思ってくる。現市長を守るためには正義などはどうでもよいようである。守るべきは柏崎市民の生活や利益であって、現市長ではない。

 12時過ぎ、焼きビーフン、ご飯、バナナのヨーグルト和えで昼食。よく考えたらチョー炭水化物の男めしであった。

 13時から15時まで来客。事務所にて情報交換を行う。

 16時から事務所にて、復興後の商店街に出店したいという方のお話を伺う。復興後に動きたいということであったが、是非、いまの時点から意志表示のうえ、お手伝い頂きたいとお願いする。

 19時から市内某店で懇親会。アタチュルク像に関する最新情報、国会議員や県関係者から得た震災復興の情報などをお話させてもらったのち、ビールでスタート。かなり盛り上がり、痛飲というより、鯨飲した。

Dyna  23時過ぎから某カラオケ店で2次会。
 コアなメンバーなので、西郷輝彦『ねがい』、堺正章『街の灯り』、『科学戦隊ダイナマン』、『ああ紅の血は燃ゆる』、『喜びも悲しみも幾歳月』、『長崎の鐘』、『栄冠は君に輝く』、『出征兵士を送る歌』などを歌う。シメの唄は、秋ということもあり、久しぶりに沢田研二『コバルトの季節のなかで』を選択した。

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