2023年12月
          1 2
3 4 5 6 7 8 9
10 11 12 13 14 15 16
17 18 19 20 21 22 23
24 25 26 27 28 29 30
31            
無料ブログはココログ

« 2007年10月 | トップページ | 2007年12月 »

2007年11月

2007年11月27日 (火)

原発交付金、本年度のみ3倍
通常の3倍ですっ!

 資料作成などで3時、就寝。

 7時、起床。ひきわリ納豆、大根おろし、塩鮭、春菊のおひたしで朝食をとる。

 今日の9時から12月一般質問の通告の受付が開始になるため、鉄道や番神浜茶屋の問題などもやりたかったが、今回は2点に絞り、推敲をしつつ、以下の内容で通告した。

1.中越沖地震発生時からの災害対応・防災体制
  の問題点、および各種支援制度、国・県へ
  の働きかけなど復興への取り組みについて、
  市長の考えを伺う。
          → 市長 一問一答

2.トルコ共和国から贈られたアタチュルク像の
  取り扱い及び譲渡契約の履行について、市長
  の考えを伺う。
          → 市長 一問一答

 11時過ぎ、議会事務局から電源立地地域対策交付金の特別措置に関するFAXが市長発信で届いた。
 内容は昨日のブログでも書いたように、被災した今年度のみ、電源立地地域対策交付金のうち、原子力発電施設等立地地域長期発展対策交付金が追加で交付されるという決定である。
 中越沖地震発生前の交付金は、

 柏崎市12.9億円 刈羽村 7.7億円 =計 20.6億円

だったが、今回の特別措置により、

 柏崎市38.8億円 刈羽村23.0億円 =計 61.8億円
    +25.9億円    +15.3億円  通常の3倍

Img_0889 となった。新潟県選出国会議員をはじめ、水面下で調整をして頂いた関係各位には心から感謝申し上げたい。
 被災者再建支援法の改正などは長島法とも言われており、災害対策特別委員会の委員である各代議士の活躍に寄るところも大きい。

 災害対策特別委員会の会議録議事情報一覧

 ただ、復興にかかる費用は10億円単位ではなく、100億円単位であり、財政上これでもう安心というわけではない。
 もう一つ気がかりなのは、反原発派の廃炉活動である。もちろん、原発反対派は信念を貫き、今回のこの追加措置にも反対をして、交付金を返そう!と言ってくれる?であろう。原発交付金に関しては目をつぶって、もらうものはもらって、反対、反対と叫ぶなら、まさに乞食である。
 現在の柏崎市議会の議員構成の上では、原発反対派、市長与党が過半数を超えるため、会田市長に迫ることもできよう。12月議会が楽しみである。

Tanima

2007年11月26日 (月)

臨時増刊号『しのだやま』災害派遣活動
原発交付金増額、明日閣議決定

 3時、就寝。7時、起床。大粒納豆、辛子明太子、油揚げと豆腐の味噌汁で朝食をとり、午前中は事務仕事と市内まわり。

 12時、某店でランチミーティング。サイコロステーキとライスのセットを食べつつ、情報交換と計画作り。

 途中、某国会議員秘書より、明日の閣議において、原発交付金増額を決定されるとの情報が入ってきた。これまで陳情にいく度に訴えてきており、また先日の原発立地議会 中越沖地震柏崎刈羽原発・災害対策緊急大会でも決議をした要望であるため、決定されるのであれば、明るい話題となる。

Img_0885 信太山駐屯地から平成19年11月臨時増刊号『しのだやま』(発行所 信太山自衛隊協力会)が届いた。「新潟県中越沖地震災害派遣活動 信太山駐屯地隊員奮闘記」特集で、嬉しい限りである。
 中越沖地震が発生し、

 「三年前、新潟の復興を信じて帰ったのに・・・・・」

と二度目の被災となったことを思い、一人泣いた熱い男・N山2曹の渾身のレポートが掲載されている。
 早速、町内をはじめ、希望される方々にお配りした。
 ちなみに、N山2曹による現地到着からの被災者の印象にこんな文章があった。


第5章 被災地の方々との出会い

 安心したのもつかの間、本部より、朝三時までに五百食の現品を持って行くので、六時までに給食作成を完了せよとの連絡があった。その後、現品が到着し、切り込み等の仕込みを実施した。ほとんど寝る間もなく朝食を準備し、六時無事作成完了。
 午前七時、被災地域代表の中村さんが三井田氏と共に訪れ、「ありがとうございます。」と言ってクーラーを取りに来られた。その感謝された事と第一食目配食無事達成の喜びの為、疲れも吹き飛んでいた。

 また夜中は、暗くて顔が良く見えない中、電気の調整等でお世話になった吉野氏 (プロカメラマン)の姿もあった。吉野さんは、黒い顔に白髪交じりの長い髭を束ね一見大地主さんと思うぐらいの貫禄を備えていたが、実際は、印象と正反対の吉本芸人風の口調で緊張してるムードを解き放してくれた。同様に三井田氏は、この人本当に市議会議員?と疑いたくなる程の服装 (作業服にツッカケ姿) で愛国心を強調し、政治的理念を口ずさみ、「自衛隊さんありがとう」と笑顔で話しかけてくれました。まさかこの人達は、やばい政治団体の人達?と思わずにはいられませんでした。
 しかし、色々と世間話をしていると素性がわかり、より交流の深い関係になりました。
(人は人相、容姿では判断してはいけません。反省)


 今後、格好に気をつけようかと思う。
 信太山駐屯地の隊員の皆様をはじめ、中越沖地震での災害派遣活動をもっと世に知らしめるにはどうすれば良いかと思い、最初の一歩として、軍事ジャーナリストの井上和彦さんにお送りした。次回のご著書での紹介を願う次第である。

 年末近くとなり、バタバタしているため計画を作る段階までいかないが、何とか早いうちに信太山駐屯地への御礼ツアーを実行したい。

Img_0884 夕方から電話や来客が相次ぎ、20時過ぎ、「イカスみそ いか墨味噌」で作った「和風いか墨パスタ」で夕食。「イカスみそ いか墨味噌」を少量の日本酒で溶いて、細めのパスタとウインナー輪切り、ピーマン、たまねぎ、たっぷりのニンニクで炒めた。完全に和風の仕上がりだったので、つけ合わせには、福神漬け。ついでにスープ?は、ひきわり納豆汁にした。 

2007年11月25日 (日)

イラク特措法とテロ特措法の混同

 1時過ぎ、自宅に到着。1時間ほどメールなど緊急の仕事を終わらせ、そのまま車で都内に向かって出発。3時間ほどしたところで、眠気も限界となり、上里サービスエリアで仮眠する。

 9時、某社に到着。休日というのに、編集者がひっきりなしに出入りしている。
 中越沖地震の体験などの本を出版するという企画であるが、執筆者を含め1000部はまず手元で捌いてもらいたいということであった。やろうと思えばやれなくもないが、飲める話ではないので、今回はお流れ。その後、しばし雑談をしてから帰路につく。
 帰り道、通りがけのジョナサンで「気仙沼メカジキの陶板焼き」ライスドリンクセットのブランチをとり、そのまま柏崎までトンボ帰り。

 14時から事務所での情報交換。ここ数日、柏崎に来ている右翼団体の街宣車について、

 「あれは三井田が呼んだ」
 「三井田も同乗して活動していた」
  *議会や会合にでているので不可能

などと、会田市長を応援する<白衣着用の職業の>方々から噂が流されているという・・・・アホである。同じ誹謗中傷をするなら、もっと気の利いたものにしてほしい。
 ちなみに、右翼団体は「会田市長はやめろーー!」と糾弾しており、市民のなかには拍手している方もいる。
*もし私が同様の活動をするのであったら、「いやー柏崎市の復興計画の策定もお金を払って委託にだして、凄いですねー。有能でお金持ちですねー、さすが市長っ!」とひたすら褒める。

 16時からひたすら事務所の片付け。書類が増える一方で、いっこうに片付かない。

Img_0874 20時、カレイの煮付け、大粒納豆、ちりめんじゃこをたっぷり入れた卵焼きで夕食をとる。
 食後、届いた月刊誌を片っ端から読む。今日、打ち合わせをした編集者もそうであったが、海上自衛隊による給油活動をイラク戦争に関わるものであるから反対という意見が存在する。給油はあくまでテロ特措法によるものであり、シーレーンの安全確保という点は日本の国益にも関する事柄である。どういった資料が説明に適当かと思っていた矢先、『月刊 日本の息吹』12月号に、この件に関する佐藤正久参議院議員のインタビューが掲載されていた。分かりやすい資料であるため、以下に引用する。


Img_0675 国益を守れ!
インド洋派遣自衛隊活動中断で失われるもの

 11月1日、テロ特措法期限切れにより、自衛隊はインド洋上から撤退した。中断による我が国の損失は計り知れない。国益についてのコンセンサスなき国は滅びる!
佐藤正久参議院議員に聞く

国益についてのコンセンサスを作れ
-国会に身を置くようになられて、痛感されていることは?

佐藤 議員になって思うのは、国益ということをしっかり議論すべき時に来ているのではないかということです。今回のテロ特措法の議論でも油の転用問題とか防衛省の不祥事とか議論を矯小化してしまっている。もちろん、それらはきちんと究明すべきでしょう。しかし、例えば油の転用問題ではアメリカが航海記録の公開という軍事機密に関わる部分にまで踏み込んで説明してくれたのであれば、それでよしとしなければ日米同盟関係そのものにまでひびが入りかねない。
 それはともかく最大の問題は、そもそもインド洋上での海上自衛隊の活動が我が国にとって大事なものなのかどうかという議論が抜け落ちてしまっていることなのです。普通の国は、国益、つまり国家目標があって、その目標を達成するための国家戦略がある。そしてその国家戦略を達成するために、軍隊はどう使おうか、経済力はどう使おうか、そのための資源をいかに確保するか、技術力はどう活用しようか、など計画を策定していくわけです。
 国益とは何を守るかということです。我が国の国益とは、日本の伝統、平和、繁栄を守ることだと思います。伝統は心、平和は安全保障、繁栄は経済力と言い換えてもいいでしょう。インド洋での活動は、日本の国際的名誉を守り、テロとの戦いに寄与することで我が国の安全保障につながり、貿易立国の繁栄の元であるシーレーンを守っているのですから、国益に合致しているのです。
 実際に、自由主義連合のインド洋での活動によって一番恩恵を蒙っているのは日本なんです。日本が輸入している石油の九割は中東の湾岸から来ている。衛星写真を見ると、日本向けのタンカーが約九十隻、このシーレーン上に並んでいます。日本の船主組合や船員組合の方の話を聞きますと、二つの敵が本当に怖いといいます。二つの敵とはテロリストと海賊です。平成十六年(二〇〇四)に石油の積み出し基地を狙ってテロリストが自爆テロを仕掛け、アメリカの海兵隊員が三名亡くなり、日本のタンカーも被害を受けました。海賊というとすぐマラッカ海峡を思い浮かべる人は多いと思いますが、湾岸やインド洋にいる海賊は軍隊に近い武装をし、莫大な利益を上げています。人質を取っての身代金の額で比較すれば、マラッカ海峡では一千万円、インド洋では一億円です。手っ取り早い商売ですから海賊が横行している。そういう危険から守ってもらうという点で、日本のタンカーや商船が一番恩恵を受けている。地上での活動に比べると比較的安全でコストもそれほどかからず、国際的評価も高い。自由主義連合は、広い海域をたった十五隻ぐらいの軍艦で必死になってパトロールしている。港に戻ると時間のロスが大きいから、二十四時間洋上にいる。だから洋上で日本の海上自衛隊が給油と給水活動をしていることはとても評価されているんです。
 だからなぜ日本が引くのか、ほかの国からすると理解できない。国民の間には、イラク戦争に反対だから今回のインド洋上での活動延長にも反対という人がいるかもしれませんが、注意を喚起したいのは、いま議論している法律は、「テロ特措法」であって、「イラク特措法」ではないということです。私がかつて陸上自衛隊の一員としてイラクに行ったり、いまも航空自衛隊がイラク・クウェート間で活動している根拠法はイラク特措法。いま議論しているテロ特措法は、それとは別の法律で、テロに対抗するためにアフガンを中心に展開している「不朽の自由作戦(OEF)」の一貫としての「海上阻止活動(OEF-MIO)」への参加の是非を決めるものです。この作戦にはイラク戦争に反対したドイツやフランスも参加していて、海上だけでなく、地上での治安維持と民生支援活動にも参加している。なぜドイツやフランスが若者の命を賭けて、はるかアフガンまで派遣しているのか、日本人はよくよく考えてみる必要があると思います。それは国益のためです。断固としてテロには屈してはいけない、というのがドイツやフランスにとっての国益なのです。九・二の同時多発テロの犠牲者にはドイツ人もフランス人も、そして日本人もいた。だからこそ彼らにとっては、日本がこの時点で離脱するのが皆目理解できないのです。

中断によって失うもの
- 中断によって引き起こされる状況とは?

Img_1943t_2佐藤 継続中の活動の後方支援をやめるということが、どれほど前線に影響を与えるか。中越沖地震で自動車部品メーカーの工場がストップしたら、大手の自動車工場のラインが全部止まりましたが、このようにシステムの一部の停止は全体に影響します(三井田注:佐藤議員には8月13日に柏崎へお越し頂き、その後も支援法改正などご尽力頂いております
 もちろん、日本が引揚げても、その埋め合わせは何とかやりくりするでしょう。しかし、残るしこりは大きい。裏切り行為と見られる。とくにパキスタンは困るでしょう。イスラム国家のパキスタンがこの活動に参加している意味は大きい。それが、文明の衝突、あるいは宗教戦争に陥ることを防いでいるのです。しかも国内の反対勢力をあまり刺激したくないパキスタンは、日本から給油してもらいたいんですね。イギリス、アメリカからはもらいたくないというのが本音だと思います。
 私もイラクに行って思ったのは、日本に対する期待の高さです。イギリスのある会社がイラク国民に「どこの国に一番援助してほしいか」という調査をした。結果は日本がダントツの一位です。アフガニスタンでもそうです。やはり中近東の国々は、日露戦争で勝利し、戦後復興を成し遂げた日本に対して好意的なイメージを持っているんですね
 その日本が活動半ばで去る。信頼の低下は避けられません。更に心配なのは、その間隙に中国が入ってくるかもしれないということです。私が中国の高官なら、日本が撤退して、もし戻ってくるとしても、その空白期間が長いと見て取ったら、中国の軍艦と補給艦を派遣しますよ。それは日本にとっては悪夢です。米英豪中、つまりアメリカ、イギリス、オーストラリア、中国のインド洋となってしまうんです。いま中国は資源獲得のためにアフリカからミャンマーまでのルートがほしいんです。すでにマダガスカルやミャンマーに海軍基地を作っているとの情報もある。これを結ぶインド洋のシーレーンができれば、マラッカ海峡はもはや必要なくなる。中国にとってインド洋への進出は戦略的に大きいのです。一方我が国にとって死活的に重要なシーレーンに中国がプレゼンスすることは避けたい。

- 我が国にとって湾岸危機以上の危機ですね。

佐藤 湾岸戦争のときは、一兆三千億円の資金援助をしても国際社会から感謝されなかった。それでわざわざ海上自衛隊の掃海艇を出した。余談ですが、あのとき掃海艇を出すための法的根拠は何だったと思いますか。当時はPKO法などまだありませんでしたから、自衛隊法の中に、日本周辺海域の機雷を掃海する任務規定がある。それをペルシャ湾にまで拡大解釈したのです。そんな無理な法解釈をしてまで国際的信頼を回復しようとした。それをやったのは当時自民党の幹事長だった小沢さん(現民主党党首)ですよ。その小沢さんが、今度は、国連決議に固執している。おかしな話です。
 ちなみに我が国は、アフガニスタンに対して、海上自衛隊の活動に220億円、本土の民生支援に1400億円拠出しています。合わせても湾岸危機のときの八分の一の支出で、大きな国際的信頼を得ているのです。それをわざわざ自ら壊そうとするのは、まった
く国益に反するといわざるをえません。

- 中断によるマイナス状況を最小限に食い止めるには何が必要ですか。

佐藤 万一、今国会で決着がつかずに来年の通常国会に継続審査となれば、来年の夏まで中断ということになってしまいます。いずれにせよ、中断に際して、政府にやってほしいことが二つあります。一つは、中断のやむなきに至ったが、我が国はテロとの戦いを継続すると改めて宣言することです。具体的には、日本が議長国である来年の主要国首脳会議(G8サミット)でアフガンの復興支援についての会合を行うことを表明するのです。そもそも六年前、アフガン戦争後最初の支援国会議をやったのが東京でしたから、今度も
日本がリードすると印象づけるのです。
 もう一つやってほしいことは、他国の艦船を前に活動を中断し引揚げざるを得ない現場の隊員への思いやりを示してほしいということです。自衛隊の最高指揮官である福田総理から、派遣隊員へねぎらいの電話を入れてほしいですし、横須賀に帰還した際には出迎えに行ってほしいと思います。

地上に立つことの恐ろしさ
- 小沢さんは、アフガン本土に民生支援として人材を派遣すべきと主張しています。

佐藤 私もいつかはそれが必要だと思っています。しかし、それは決して甘い認識で行ってはいけない。まだ治安が安定していません。イラクに行くときには、あれほど訓練を積んだ自衛隊員ですら住民の中に入ったらどうしようもなく不安でした。ゲリラ戦とかテロリストとの戦いでは、市民が一瞬にして武装ゲリラやテロリストに変わるんです。正規軍であれば、軍服を着ていますから識別が容易ですが、ゲリラ戦ではそれが分からない。だから米軍はあれほど犠牲を強いられている。地上に立つことの恐ろしさというのは実際に立ってみた人じゃないと分かりません。ですから、もし文民を派遣するというのであれば、自衛隊に守られながらやるというのが現実的だと思います。

- その際には、武器使用基準を整備する必要がありますね。

佐藤 集団的自衛権の行使が認められれば一番すっきりするんですが、そこまでいかないのであれば、少なくとも正当防衛を超える分野でも武器を使えるようにしなければならないと思います。これまでの基準では、敵から撃って来てはじめて武器使用が認められるのですが、そのあと敵が逃げたら、それを追撃することはできないとされています。これでは敵がヒット&アウェイを繰り返すうちにこちらが参ってしまいます。こういうところを見直した上での派遣でないと、現場の自衛隊員に余計なプレッシャーを与えるだけです。 我々はイラクに派遣されるときには、皆、家族と水杯を交わして遺書を書いて行きました。もし小沢さんが言うように文民にせよ、自衛隊員にせよ、アフガンの地上に人を派遣するというのであれば、派遣する側、即ちシビリアンの側も相当な覚悟をもって決断すべきだと思います。(十月二十六日インタビュー)

2007年11月24日 (土)

2007年度第2回新潟ブロック協議会

 2時、帰宅。あまりの寒さに風呂に入ったのち、3時過ぎに就寝。

 7時、起床。大粒納豆、生卵で朝食をとる。食後、修理を頼まれていたデスクトップパソコンの診断。ケースのなかはヤニを吸った黄色いほこりだらけで、CPUファン及び電源ファンが動いていない状況であった。両パーツを交換し、ケース内を徹底的に綺麗にして作業終了。

 9時、民間防災の本を出版する企画について、出版社と電話で打ち合わせ。今回の中越沖地震発生からの出来事を、現地の市議会議員の立場で書き、また手伝いにきてくれた命知らずの地方議員や予備自衛官、元自衛官にも2~3ページずつ体験談を書いてもらいたいとのことである。詳細は、明日、実際に会って打ち合わせをすることとなった。

Img_0864 11時過ぎ、愛車に乗り、北里大学保健衛生専門学院に向かう。2007年度(社)日本青年会議所北陸信越地区新潟ブロック協議会の第2回新潟ブロック協議会のためである。
 景色はすっかり冬である。空気がきれいなこともあって、雪山が美しく、思わず、デジカメで撮影。

 途中でコンビニに寄り、納豆巻き2本、低脂肪乳1パックで昼食をとる。

Img_0866 12時30分から今年2007年度に出向し、所属したアドバンス新潟創造委員会の分科会。実質、この事業の最後の会議である。委員長からの挨拶をはじめ、出席したメンバーそれぞれから1年間を通しての感想なども話してもらう。
 この委員会は、新潟県内の連携を推進することはもとより、今後本格的に議論されるであろう道州制を取り扱った。かつて、 (社)新潟青年会議所も提案したが、今回はより一般の人にも分かりやすく、そして新潟県の存在自体が道州制の議論のなかにおいて、特異な県であることを周知できただけでも成果は大きい。

Img_0870 来年度2008年も(社)日本青年会議所北陸信越地区新潟ブロック協議会に出向することになったので、13時30分からの2008年度の分科会に出席。来年度は新潟交流委員会である。
 わんぱく相撲の新潟県大会をはじめ、新潟県内23LOMの事業についての褒賞も行う委員会。

 分科会ののち、全体会の予定であったが、急ぎの仕事もあったので、一度、柏崎まで戻り、18時過ぎの懇親会の時間にまた戻る。

Img_0871 懇親会では2007年度の(社)日本青年会議所北陸信越地区新潟ブロック協議会を率いて、中越沖地震直後から約1カ月間も柏崎でご活躍頂いた目黒哲也会長の労をねぎらい、盛大な懇親会となった(会長以下、役員の皆様、お疲れ様でした)。
 車で来たため、ウーロン茶を中心にヴュッフェ形式の食事をとる。
 料理は、株式会社レパスト

Img_0872 懇親会終了後、アドバンス新潟創造委員会のメンバーの宿泊先でもある「採食一心 金誠館」(電話:025-772-2377)に移動。メンバーが揃ったところで、アドバンス新潟創造委員会の打ち上げがスタート。既に満腹ではあったが、美味しそうな料理につい箸が伸びる。
 途中、目黒会長以下、執行部も顔をだし、一気飲みで労をねぎらう。
 ちなみに、「労をねぎらう」は正式には「労を労う」と書く。
 委員会メンバーも相当の酒量を摂取したところで、関東一本締め(一丁締め)で終了。(委員長以下、メンバーの皆様、お疲れ様でした)

 明日の出張もあるため、申し訳ないものの2次会は欠席させてもらい、愛車にて自宅に戻る。

2007年11月23日 (金)

仮設住宅での共産党活動?

 仕事として引き受けたプレゼンテーションの作成などがあり、4時、就寝。

 7時、起床。大粒納豆、いくら醤油漬けでご飯2杯の朝食をとる。

 9時から12時過ぎまで、作成したプレゼンテーションの納品と操作方法などの打ち合わせ。

Img_0861 13時過ぎ、自宅に戻り、「会津地鶏カレー 中辛口」(財団法人 猪苗代町振興公社 電話:0242-65-2841)に小粒納豆1パックをのせた「納豆カレー」で昼食をとる。
 食事中に、仮設住宅に入っておられるMさんから電話があり、風の巻き込などで音が鳴るので、何とかしてほしいとのことであった。

 愛車のタイヤをスタッドレスに交換したのち、ホームセンターで隙間埋めテープなどを購入し、仮設住宅に向かう。
 これまでの仮設住宅建設の経験もあり、行政としても風防を取り付ける工事にかかっているが、細かい部分はやはり入居者で対応することになる。ただ、お年寄りや自分でチャチャっと直すようなことをしたことがない人だとさすがに厳しい。
 隙間埋めテープや潤滑油など、持っていった道具や材料ですべて事足りたので、その後雑談となった。
 <いま困っている事>というよりは、迷惑しているのが共産党の活動なのだそうである。確かに共産党のチラシや活動報告が撒かれたかのようにあった。なかには、共産党の活動を信じてしまっている人もいるということである。これまでの災害においても、仮設住宅には共産党や宗教団体の勧誘が入り込み問題になってきたが、今回の同じ様相を呈してきている。
 私もそうであるが多くの議員は、仮設住宅で政治活動すること自体が非常識であると思い、極力、用のないときには仮設住宅には行かないようにしている。また、共産党のチラシのように、与党が決定したことを、「私たちの実績です」風に書くのは誠実ではない。人の弱みにつけこむような事はしたくないものである。

Img_0862 話込んでしまったので遅刻したが、18時過ぎにシーユース雷音に移動し、柏崎準倫理法人会の懇親会に出席。
 全国5万社の倫理法人会の会員となっている企業から届いた義捐金の一部を柏崎で被災した会員の企業に配った。誠にありがたい限りである。

 21時過ぎ、一度、自宅に戻ったのち、某会の2次会に顔だけだす・・・・つもりが、すっかり捕まってしまった。

2007年11月22日 (木)

日吉小学校6年生インタビュー
ぎおん祭り、震災ボランティア

 玄海町の皆さんをお送りして家路についたところで、柏崎に現地調査に来ている某氏と部下との3次会上がりにバッタリ会ってしまい、またスナックへ。
 カラオケ大会となり、池田聡「モノクローム・ヴィーナス」、池田聡「before」、『サイボーグ009』の「誰がために」、事業計画の夢が叶うように?『科学戦隊ダイナマン』の「夢をかなえてダイナマン」、案の定、ドン引きである。

 3時過ぎ、6次会?から帰宅。4時就寝。

 8時、起床。大粒納豆、あさりの味噌汁で朝食をとり、冬囲いをしようと準備をする。案の定、工具類などが地震でグチャグチャになっており、油をさしたり、手入れをしながら整理する。

 10時、移動しようと家をでたところで、近隣町内の元気な某おばさんに会って立ち話。昨日の原発立地議会中越沖地震柏崎刈羽原発・災害対策緊急大会で決議文を読んでいるところをテレビでご覧になったとのことで、安全はもちろんだが、原子力発電所がある以上、動いてくれないとねぇ~とのことであった。

    10時20分過ぎ、柏崎市立日吉小学校に到着。今日は6年生の後期総合学習のテーマ「柏崎を知ろう」に基づき、「柏崎の郷土を考えている」柏崎青年会議所の事業などについてインタビューを受けるためにお邪魔した。柏崎青年会議所では「柏崎のこども育成委員会」が担当である。
Img_0847 最初のインタビューは、「ぎおん祭り」についてであった。なかなか良く調べ、そして本質を突くような質問もあり、感心させられるとともに、神道と仏教の違い、例大祭などの意味などが親、祖父母世代から、よく伝わっていない部分があることも感じた。

<頂いた質問の内容>
・ぎおんまつりの名前の由来は?
 京都の祇園祭と関係があるらしいと調べた。
・祇園祭はなぜ夏に行うか?
  日が決まっているのは覚えやすいからなのか?
 何かその日に意味があるのか?
・ぎおんまつりの良さは?
  もりあがったりして柏崎を楽しくしようと思って
 行っていると思う。
・イベントについて  一番盛り上がるイベントは?
  花火だと思う。→ 花火は毎年なぜ上げているのか?
・東本町でやるのは? 市の中心だから、集まりやすいから
・花火について
  長岡は戦争復興。柏崎のねらいは?
  会社がお金を出して花火を上げたり、市民がちょっとずつ
 寄付をしてあげているので、市民が心一つにするためだと思う。
・花火は何年前から始まったのですか?明治時代には始まっていると思う。
・花火を見るベストスポットは? 鮮魚センター前がよいと調べたよ

 やはり現在の「ぎおん祭り」を説明するには、柏崎市の市政施行10周年のことや三社祭りのことを話さねばならず、かつては春の祭りを住吉:石井神社、夏の祭りは祇園:八坂神社、秋は諏訪:柏崎神社ということもお話した。
Img_0853 2時間目は、「震災ボランティア」について、柏崎青年会議所事務局長が民間ボランティア、私の方で民間でも公に近いもの及び公の応援体制などを説明した。

<頂いた質問の内容>
・ボランティアに来た人たち(普通の人)は、どんな活動をしましたか?
・その中で一番喜ばれた活動は何ですか?

・中越沖地震の時に、全国からボランティア(普通の人)を募集したと思いますが、どうのように集めましたか?
・外国人らしい人を見かけたのですが(外国から来た人や日本に住んでいた人もいると思いますが)外国の人のボランティアも集めたのですか?

・他の県からガスや水道や電気を直しに来てくださった方たち(技術をもっている人、会 社の人など、専門家)、たくさん来ましたが、誰がどう呼びかけたのですか。
・ボランティアに来てくれた人は、全部で何人でしたか?
 中越沖地震の時より中越地震の方が家の被害が大きかったので、ボランティアの人が多く集まったと思うのですが、どうですか?

・ボランティアの人はいつまで活動してきたのですか?
・ボランティアの方は自分のための食事をどこでどうやって食べていたのですか?
・ボランティアに参加する時に必要なものは何ですか?

 特に詳しく説明を行ったのが、災害時の助け合うことの重要性である。

 自助>>共助>公助

 自分でできることはなるべく自分でやり、もしできないなら隣近所、町内などの仲間で助け合い、それでもどうしようもないときに公を使う。いきなり公に行くと、結果的に対応が遅くなる場合が多々あると、なるべく分かりやすく説明させてもらった。

Img_0856 12時30分過ぎ、授業が終了し、御礼のご挨拶をして頂いた。
 玄関まで生徒さんにお送りいただくなか、給食の準備風景を見ていると、なんと 『学校給食用 ロッテアイス 雪見だいふく』なるものがあった。時代は変わったものである。アイスを入れるコストがあれば、納豆を必ずつければ良いのに、と心のなかでつぶやく。
 玄関にて、担当の先生にもご挨拶をし、学校を後にした。

Img_0858 せっかくなので、昼飯でも食べようと今回同じく講師となった柏崎青年会議所メンバーと「らーめんスーパー中華大陸」(電話:0257-21-9936)に入る。
 気分が『ガツンと』だったので、「とんこつセット 890円」。チャーハン、玉子丼、天津丼のなかからご飯ものを選べる。迷わず、天津丼をチョイス。
Img_0859 他のメンバーも同様に天津丼を選択。そこへ、さらに「岩のりトッピング 150円」を追加した。
 昼の忙しい時間だからか、他のメンバーのセットは続々と届くも、こちらは10分遅れであった。しかも、遅れてきた天津丼は先に届いたものとは全く違う真白なシチュー状態。明らかな味のつけ忘れであった。一人で作られているようなので、忙しいのであろう、塩天津丼と自らに言い聞かせ、大量の炭水化物を摂取した。

 16時まで事務所の整理。ここのところの資料づくりと出張により、事務所は紙の資料で埋まってしまっている。

 18時から某所での懇親会。柏崎への出店計画がある企業さんのリサーチである。

 22時、自宅に戻り、事業計画などを作成する。

2007年11月21日 (水)

原発立地議会 中越沖地震柏崎刈羽原発・災害対策緊急大会

 溜まっていたメールを書きまくったものの、まだ200通以上は返信をしていない。とりあえず、疲れの限界まで書こうとするも、いつの間にかキーボードに突っ伏して寝ており、起きたら8時であった。

Img_0828  目覚ましの熱いシャワーを浴びて、スーツに着替え、これまた喉が焼けるほど熱い天然なめこの味噌汁、生卵、大粒納豆で朝食をとる。
 天然なめこの味噌汁はもちろん主役はなめこであるが、一緒に入れる里芋も負けず劣らずの働きをしてくれる。

 10時から会社の業務として、市内をまわる。

 11時過ぎ、自宅に戻り、祖母の昼食として、ピザトーストを作り、自分でも同じものを頬張って、産業文化会館に移動。

Img_0831 12時過ぎから、本日行われる「原発立地議会中越沖地震柏崎刈羽原発・災害対策緊急大会」の運営の説明を行う。
 主催としては、柏崎市議会、刈羽村議会であり、議員と議会事務局による手作りの大会である。
 1階の文化ホールで開会し、最後は3階大ホールでの飲食を伴う意見交換会で終了という日程である。
Img_0832 14時から開会式。緊急大会にも関わらず、全国20の自治体から約350名が参加し、会場はいっぱいとなった。
 開会・趣旨説明を緊急大会実行委員長である柏崎市議会の本間議員が行い、続いて全国原発議長会会長である柏崎市議会の霜田議長、来賓挨拶は柏崎市長と刈羽村長であった。
 会田市長はここでも盛んに「消防法に基づく緊急停止命令」を自分の成果のように披露していた。しかし、すでに止まっている原子力発電所に緊急停止命令をだしたのであって、本質的なことではない。もっと大切なところは別にあることに気づいていないようである。某市議会議長からは「分かってないねぇ~、オタクの市長」と言われた。
Img_0835 14時20分から東京電力株式会社による「原発の被災状況及び現状について」の報告があった。
 できる限り分かりやすい説明をしたのであろうが、用語をもっと分かりやすくたとえ話も入れても良かったのではないかと思う。例えば、いきなり汽水分離器と言って構造の説明をするのではなく、原子炉のなかにある理由をタービンまでの経路とともに補足説明してもらえればよく、特に今回は今年4月の統一地方選挙で改選となった新人もいるのである。
 次に基調講演として、泉田裕彦新潟県知事から「被災した原発立地地域からのメッセージ」をテーマにご講演頂いた。
 就任以来、災害を多くご経験してきただけに、他の自治体の議員からも注目されていた講演であり、またその内容も大変良かった。
 個人的に、講演内容のなかで興味を引いたのが、今回の中越沖地震における自衛隊への出動要請である。
 これまで柏崎市議会の場では、会田市長は即、自衛隊を要請したと答弁するものの、記録は一切なく、その記録も先日の9月議会で予算をつけた300万円でコンサルタントに委託して災害発生からの記録を作成する、というお恥ずかしい内容である。

*防災マニュアルには記録係が規定されており、少なくとも記録がないというのはマニュアル違反。同様に、復興計画をコンサルタントに委託する費用400万円も恥ずかしいことである。山古志や長岡にできて、なぜ柏崎はできずに委託するのか。

 泉田知事曰く、震度6までは自衛隊の出動要請はどうしようか考えるが、震度6強ならもう「躊躇なく」自衛隊を要請するとし、今回も10時16分の地震発生から15分以内である

 10時28分
    泉田知事から会田市長に電話し、

自衛隊の要請は必要かどうか聞いたそうである・・・・順序がまったく逆であり、いくら防災計画、防災マニュアルも整備していても、これが実態である。
 しかも、泉田知事からは「会田市長さんは動転されていたか何かで・・・」との嫌味までつく始末。この辺を12月議会でしっかりと追及したい。

Img_0840 基調講演ののち、大会決議の採択となった。今回は、決議文の朗読という大役を仰せつかった。
 本当はシャレの効く場であったなら、原発反対派、推進派が集まっていることから、決議文の朗読を思いっきり失敗し、

 「ああぁぁ~ヘタこいたぁ~」

とやったところで、原発反対派のもとに近寄り、

 「反対派~っ、うぇぇぇーーい」

そして推進派にも近寄り、

 「推進派~っ、うぇぇぇーーい」

とやってうえで、

 「でも、そんなの関係ねぇ、でもそんなの関係ねぇ」

とやりたかったが、そうはいかず真面目に朗読した。
 決議文の内容は以下である。


原発立地議会 中越沖地震柏崎刈羽原発・災害対策緊急大会の決議(案)

 7月16日に発生した新潟県中越沖地震によって、柏崎刈羽地域はもとより柏崎刈羽原子力発電所も甚大な被害を被り、世界中の原発史上初めての地震災害となった。
 岩盤上の地震動の記録がほぼ全号機で設計値を大幅に超え、原子力発電所の耐震設計上の基本が問われる事態となっている。さらに3号機原子炉建屋の変圧器に火災が発生し、また、放射性物質が、微量とはいえ、施設外に漏えいした。このような状況の中、情報が適正に提供されなかったことや、マスコミ報道の影響が重なりあって、新潟県内各地に風評被害を引き起こした。
 原子力発電所立地議会サミットが開催されて10年になるが、その意義は「地域振興と住民生活の向上、安全を求めながら、原子力発電所に関わる諸問題、国と地方自治体のあり方など、率直、公正な議論を行い、問題解決に向け、その職責を果たしていく」ことにあるとしている。
 それは、これまで想定していなかった地震被害と原子力施設の被害が並行して起きた現実に照らし、安全対策の向上、原子力発電所立地地域の被災者生活再建支援の更なる充実、公共施設の復旧と地域振興を図ることを確認する上で、本大会は大きな意義がある。
 また、本大会は、被災した柏崎刈羽原子力発電所の現状を把握し、原子力施設の災害に対する危機管理や原子力防災における教訓などを共有することを目的に、緊急に開催することとなった。
 よって、原子力発電所の安全確保など、国は次の事項について、十分な措置を講じられるよう強く要望する。

                      記

1 国における原子力施設等の検証と耐震調査の徹底及び情報公開
 (1) 原子炉本体の調査について、電気事業者に任せることなく、第三者機関による多角的かつ詳細な調査、検証を国の責任で行い、原子力施設被害の全容解明を急ぐこと
 (2) 現実の地震動の記録に鑑み、原子力発電所周辺の活断層、海底活断層などの徹底的な調査とその結果の公表、また、昨年9月に改定された「新耐震設計審査指針」については、今回の知見を踏まえて改めて検討を行うこと

2 原子力災害に対する危機管理及び緊急時対応の向上
  国は、地震災害と原子力災害が並行して起こる複合災害も想定し、原子力災害に対する危機管理体制の充実・向上を図ること
  また、緊急時の対応において、立地自治体への権限付与に関して、原子力災害対策特別措置法の改正を検討すること

3 原子力発電所立地地域の継続的な振興、その充実
  国の重要なエネルギー政策を担う原子力発電所立地自治体における災害救援、災害復旧・復興及び税収減に伴う巨額な財源不足に対しては、特別交付税において十分な財政措置・復興財源対策を行うこと
  さらに、電源立地対策交付金制度を活用した特例措置や関係法令の整備を行い、立地地域の継続的な振興を図ること
                          以上、決議する。
平成19年11月21日
全国原子力発電所立地市町村議会議長会
原発立地議会 中越沖地震柏崎刈羽原発・災害対策緊急大会参加者一同


Img_0844 無事、上記決議文が採択された。
 3階大ホールに移動し、18時から意見交換会がスタート。各テーブルには、刈羽村議、柏崎市議がホスト、ホステス役となって配置され、市外から来た議員との意見交換となった。
 私のテーブルは楢葉町、富岡町の議員が一緒であり、今後の原子力財源のゆくえなどについて話合った。
 また、本ブログをご覧いただいているとお声掛け頂いた方が3名ほどいらっしゃった。誠にありがたい限りである。
 「全国若手市議会議員の会」の仲間としては、愛媛県伊方町議会の清家慎太郎議員が出席されており、香川県坂出市の祖母・姉妹誘拐事件の犯人は?と盛り上がり、地元である香川県坂出市議会の植條敬介議員に電話をし、現地情報を聞く。そのうち、発電所立地部会を「全国若手市議会議員の会」でも作ろうということになったので、近々、会に復帰しようかと思う。
Img_0836 意見交換が盛り上がるにつれ、アルコールの量も増える。いつもならビールのみであるが、今回は「越の誉 復興祈願酒」と、いまや幻となった「柏崎わいん 白」が用意されており、他の自治体の議員にガンガンと勧めるとともに、自分でも飲む。

 20時過ぎに意見交換会が終了。

 あとは いかに柏崎の夜のまちでお金を落としてもらうか、である。知っている店をはじめ、他の自治体の議員に情報をたっぷりと提供し、夜のまちに繰り出してもらった。
 自分自身でも、同僚の先輩議員とともに、佐賀県東松浦郡の玄海町議会の皆さんとともに店をハシゴする。

2007年11月20日 (火)

平成20年度予算要望

 1時、帰宅。あまりの寒さに風呂に1時間ほど入る。危機管理に関するスクラップを整理し、5時就寝。

Img_0821 8時、起床。長ネギをたっぷり入れた冷蔵後の残り物を入れた味噌汁、昨夜、祖母が残した一口ひれかつ、ひきわり納豆で朝食をとる。
 最近の祖母はお菓子ばかりを食べ、食事をまともに食べなくなってきた。最近、お菓子を食べることを注意すると、

 「いじめられるから、オラ死むて・・・」

といった調子である。

Img_0823 午前中は来客が続き、13時過ぎまで打ち合わせなど。
 昼食としては、冷凍うどんとストックしてあるアゴダシのつゆで納豆うどんにしようと思ったが、今回は旭松食品さんの「ごま油納豆」を使って、油そば風につゆのない、納豆うどんにしてかっこむ。

Img_0826 15時20分から市長応接室で、市長、副市長、収入役、財務部長への所属会派「整風会」の平成20年度予算要望。
 しかし、今回は例年の要望とは違い、あえて紙での要望を提出しなかったた。それは、こういうことである。

 1.来年は新規事業を一切停止。
 2.復興を優先にする。

という方針を既に市長がだしているからであり、またその復興の計画も【これから】市民や学識経験者から15人を選び、さらに計画づくりを400万円もかけて外部に委託するという恥ずかしい事態だからである・・・・ 「自分のことは自分でしなさい」という小さい頃、母親にさんざん言われたことを思い出す。
 まだ方針のでていない復興計画に要望するわけにはいかないので、まずは当局側から大まかな説明をしてもらった。その後、会派長の丸山議員をはじめ、来年度以降の財政について、「本当に大丈夫か?」といった確認。
 今回の予算要望は黙っていようと思ったが、予算を使わず、この震災という悲劇のなかで少しでも夢ある事業をしようと、<あるスポーツ施設計画>で市で保有している土地の減額貸付もしくは無償貸付してもらうことはできないかとの軽く相談。後日、その公益性と事業内容を詳しく書いた資料をもっていくことになった。
 このスポーツ施設の要望は、総合学習や公民などの授業を通して、小中学生からもらう柏崎への要望で常に上位に位置するものである。

 16時30分から車を飛ばし、長野市内の某スポーツ施設の先行事例の調査。冬は特に多くの利用客があることで、現時点でも大盛況であった。

Img_0827 21時、自宅に戻り、先日、福島市に行ってきた母のお土産である「鰊の山椒漬け」を中心に、五穀米で夕食をとる。
 食後、デスクトップパソコンのハードディスクの入れ替えとデータ移行を依頼されていたので、作業にかかる。ハードディスククラッシュまではいかないものの、元データの入ったハードディスクがかなり損傷して欠落したクラスタがあり、移行作業よりもデータのリカバリーに異常に時間がかかった。

2007年11月19日 (月)

倫理法人会から柏崎市へ義捐金
栃木市協働まつりからの目録贈呈

 1時就寝。気が抜けたのか、目が覚めると8時。朝食もとらずにそのまま柏崎まで戻る。

Img_0792 11時過ぎに戻り、シャワーを浴びる。さすがに空腹なので、お土産でもらった「蒸しおやき 山菜ミックス」2個で朝食。
 「おやき」なのに、蒸すとは意味不明であるが、固めでしっかりとした生地と濃い目の味付けの餡が結構マッチしていた。蒸したあと、香ばしさをだすために表面を焼いても良かったと思う。

Img_0797 柏崎市役所に移動し、12時40分に市長応接室へ澤会長をはじめとする新潟県倫理法人会、柏崎準倫理法人会のメンバーをご案内する。
 全国で5万社となった倫理法人会の会員からの義捐金があり、うち柏崎市へは100万円を頂戴した。ありがたい限りである。

Img_0801 続いて、昨日、栃木市役所にて「協働まつり2007 ~YOU~実行委員会」さんから、ありがたく頂戴した目録

 車イス 3台、歩行器(アシストウォーカー)2台

を市長に手渡す。また、礼状のためにも記念写真を撮影。しかし、視線を合わせたり、笑顔での撮影に応じず。政治的に対立する立場だからといって、そこまで拘ることもなかろう。
 とにかく栃木市の皆様、そして趣旨を理解し、協力して頂いた柏崎市内のIさん、T屋さんに感謝である。

Img_0810 14時近く、一回自宅に戻り、めいっぱいの自家製イクラ醤油漬けを乗せたイクラ丼で昼食。地元で獲れた鮭であり、手間をかけて作ったこともあって、しみじみ旨い。ひきわり納豆汁との至福の昼食となった。
 昨日の出張からバタバタして、来客があることを忘れており、書類の渦となった事務所で打ち合わせ。

Img_0813 昨日、栃木市の日向野市長から頂戴した、栃木市制70周年の記念品の重い箱を開けてみた。なかから取り出すと、レーザーによる細工で、大正10年11月に竣工した栃木市役所別館のクリスタルであった。クリスタルの表面ではなく、内部に立体的に彫刻されているものである。栃木市役所別館の大正ロマンを感じるその建物のデザインだけではなく、それを表現する手段もセンスが良い。
Img_0816 柏崎市の市制は昭和15年(1940年)であり、市制施行60周年の2000年には、ぎおん柏崎まつりで600連発の花火を上げたが、次の市制施行70周年(2010年)には何をやるのか、今から勝手に案をいくつか考えておこうかと思う。
 米山の全景をこういったクリスタルで見れるのも面白いような・・・。

 ちなみに来年2009年は樺太発見200周年であり、米山町を中心に松田伝十郎の偉業を讃えるイベントもすべきであろう。黙っていると、また間宮林蔵が・・・になってしまい、柏崎の先人を貶めることになる。

 16時から湯沢の謀社に出張。途中、雪が積もっており、思いっきりノーマルタイヤで行ってしまったため、駐車場に止めようと急ハンドルを切ったら、車が一回転してしまった。

Img_0817 21時過ぎ、柏崎に戻り、柏崎青年会議所の次年度2008年のECO活動推進委員会の会議に出席。
 「ECOACTION2008」の内容の検討として、柏崎の子供だけではなく、大人にも環境を大切にする必要性を実感してもらうためにはどのような企画をすべきなのか、議論は白熱。
Img_0820 22時を過ぎたところで会議を終了。寒さのなか、「屋台屋」(電話:0257-24-6263)に移動し、ビールで若干喉を潤した後、熱燗をあおりながら、さらに熱い議論。
 シメは、「屋台屋らーめん 780円」にトッピング「岩のり 200円」と「ゆで玉子 100円」。

2007年11月18日 (日)

平成19年度栃木市役所 防災士養成講座
「ボランティア活動について」

 依頼されていた事業計画などの見直しなどもあり、5時、就寝。2時間ほど仮眠をし、ひきわり納豆汁で目を覚ましたあと、栃木県栃木市に移動。

 途中、群馬県伊勢崎市議会の伊藤純子議員と合流し、栃木市役所に向かう。撮影係をお願いしてしまった。

Img_0719 12時過ぎ、軽く食事をしようと、なぜか「すき家 栃木店」(お客様窓口:0120-498-007)に入り、「メガ牛丼」ならぬ、「牛丼おしんこセット ミニ 370円」で昼食。何で栃木まで来て、「すき家」なのか不明であったが、「メガ牛丼」を食べている人を見たかったのもある。ミニのセットは、667kcalであるが、「メガ牛丼」は1286kcalで、倍近い。残念なことに、「メガ牛丼」をパクついている人はいなかった。

Img_0782 13時、栃木市役所に到着。栃木市は、蔵が多いまちであり、今回の中越沖地震では、本町通りの蔵がほぼ壊滅し、かつその下敷きになった方がいたことから、柏崎は良い事例になるであろう。
 市役所の庁舎は古く、またそこまでの道も大変せまい。箱もの批判はあるやも知れないが、防災体制の構築のため、また古いまちなみの景観のためにも、移転なども視野に入ってくるであろう。
 ちなみに、個人的にお気に入りの女優・山口智子女史の出身地でもある。
Img_0723 13時30分から3階にて「平成19年度栃木市役所 防災士養成講座」、私の担当は「ボランティア活動について」。とはいうものの、実際には今回の中越沖地震で経験した、民間ボランティア、公に近いボランティアなどの良かった点、今後改善が必要な点などを中心にお話させてもらった。

Tochigi16  パワーポイントのスライドの量(30枚)もさることながら、話したいことが多すぎ、時間を気にするあまり、かなりのハイスピードとなった。
 反省。


アジェンダ

1.自己紹介
2.現地の被災状況DVD
3.地震発生から自衛隊の撤収までのボランティア
4.災害時における行政職員の役割
5.休憩 10分
6.グループ討議
  テーマ「災害時、いかにして本来業務に戻るか」
7.グループ発表
8.総括


*DVDは、元NHK美術カメラマン、『プロジェクトX』を担当された、柏崎市出身の高橋章氏による映像。送料込みで2000円、売上は義損金になります。連絡先:090-8043-3769

Miidajitakumae  とにかくこの栃木市は日向野市長の決断が早いのか、改革などもスピード感が「ゆったり」の柏崎市とは違う。中越沖地震が発生してから、わずか数日で職員を派遣し、民間で運営する炊き出し所をはじめ、文化財へのボランティア活動など柏崎市役所のなかの業務への支援とは違ったかたちをとられた。しかも、派遣された6名の職員の方は、ブルーシートを張った駐車場や車中で泊られ、柏崎市民に対し、献身的にご支援頂いた。これには、賛否両論(特に組合側?)あろうが、行政職員の経験としては「情けは人の為ならず」であり、栃木市で災害が起こった際、栃木市民のために何をすれば良いのか、ご体験できたことと思う。
 さらには、今回の研修がそうであるように、管理職には防災士を習得するようにし、防災はもとより自衛隊に強い防衛大学出身、元陸上自衛隊の濱口和久氏を首席政策監に迎え入れた。なかなかできることではない。

Img_0735 休憩後の後半はグループ討議。8つの班に分かれ、災害時、とくに避難所の運営などについて、いかに行政職員の負荷を軽くし、本来業務に戻るよう(地元の市役所職員でしかできない業務)にするかを話し合って頂いた。
 各班からの発表には、他の団体でお話させてもらったときにはでなかったようなご意見もあり、こちらとしても大変参考になった。
 講義に行きつつ、柏崎でも反映することを学び、まさにWin-Winの関係である。

Img_0740 15時30分過ぎから、「協働まつり2007 ~YOU~」実行委員会の皆さん、(社)栃木青年会議所の直前理事長、日向野市長、栃木県教育委員会のご担当S氏から「協働まつり2007 ~YOU~」のご報告を頂いた。
 「協働まつり2007 ~YOU~」は去る10月28日に行われ、今年が4回目。あくまで民間主導のイベントとして、実行委員会形式で運営されている。
Img_0765 今回は、中越沖地震の震災復興を願い、柏崎の物産を販売頂くとともに、リングプルを約500kg、ドラム缶6本分を集め、柏崎市に車イス 3台、歩行器(アシストウォーカー)2台を頂戴できることになった。
 そのお気持ちとともに、恐縮しつつ、目録を頂戴した。明日、早速、会田市長にお渡ししようと思う。

 贈呈式ののち、「台風市長」日向野市長からトータルサポートセンターなど福祉政策に関する熱いお話を頂戴した。これはまた日を改めて、お邪魔し、じっくりと調査したいところである。8万人都市である栃木市はできている。原発財源もある10万人都市の柏崎市は何をすれば良いのか。震災復興と同時並行に進めていきたい。
 ちなみに、栃木市のボンランティア登録は約1万人、しかも自治組織もしっかりしているという。災害対策のモデル地区にあっさりと進化する可能性もある。

 日向野市長や柏崎に支援に来て頂いた職員の方から、特産品の下駄やお酒、お菓子など多くのお土産を頂戴してしまった。誠に申し訳ない限りである。

Img_0783 市役所をでたのち、「協働まつり2007 ~YOU~」実行委員会事務局長さん、栃木県教育委員会のS氏、(社)栃木青年会議所の直前理事長にお付き合い頂き、栃木市名物「じゃがいも入り焼そば」のお店へ移動。
 お店は元気なおばちゃんが「じゃがいも入り焼そば」より名物という、「大豆生田商店(おおまめうだしょうてん)」(電話:0282-22-3796)。
Img_0784 早速、「イカやきそばポテト入り 350円」を注文。でき上がるまでの間、お茶やコーヒーがセルフサービスで飲める。
 聞くところによれば、昔から焼きそばにじゃがいもが入るのは定番だったそうで、食糧難の頃のなごりではないかという。

 「はぃぃ~ イカ入りぃぃ~」

と元気なおばちゃんの声で「イカやきそばポテト入り」が到着。味はオーソドックスではあるが、じゃがいもが入っている分、食べがいがある。しかも、卓上にはソースがあり、味の追加も可能になっている。柏崎市内でいうところの「すみれや」の風情で、雰囲気とともに味わい深いものがあった。帰り際、

 「いや~、おばちゃんに会うために新潟から来ましたよ」

と言うと、

 「いやぁぁぁ~またぁぁ~」バシッ!(背中に張り手)

とおばちゃんパワー炸裂。最後まで楽しんだ。
Img_0786 さらにその後は、(社)栃木青年会議所の直前理事長にご案内頂き、「手打ちラーメン 味一」(電話:0282-22-0178)へ移動。
 まだ20代で電力会社の社員だった頃、同期入社の栃木出身の連中に連れてこられ食べた覚えがあり、その時の印象が残っていたため、是非また来たかったのである。
Img_0788 実際にお店にきてみると、どうも様子が違う。店主にお話を聞いてみると8年前にこの場所に移転してきたというので、以前に来たのは前の店舗だったことが分かった。
 早速、「チャーシューメン 680円」と「餃子 350円」を注文する。
 スープは醤油ベースのあっさりしたもので、ビロビロと食感が楽しい手打ち麺との相性が抜群。
Img_0789 特筆すべきはチャーシューであり、柔らかくローストされたその身は、麺と麺の間に食べると幸福ならぬ口福。そこへすかさず、シャキシャキのシナチクがアクセントになる。
 そういえば「支那そば」を「中華そば」に、「支那竹」を「麺麻」と変わってきているが、「東シナ海」はどうするのであろうか・・・・アホらしい。
Img_0790 餃子も薬味と肉汁の絡み具合といい好みの一品であった。
 と、ここまで一気に食べてきたが、その間、群馬県伊勢崎市議会の伊藤純子議員はどうしていたかといえば、同じ量だけ食べてもらったのである。まさに「食事量のジェンダーフリー」。こうやって、女性に嫌われるのである。その後、伊藤女史は帰宅した。

2007年11月17日 (土)

大阪発:Q-pot風アクセサリー

 2時過ぎ、車のなかで仮眠。しかし、あまりの寒さに4時過ぎに一度目が覚めてしまった。車内にある毛布類を被ってもう2時間ほど仮眠する。

 起きたところで、都内へ移動。途中、赤城高原サービスエリアでおにぎり、牛乳を購入して、運転しながら朝食をとる。

 10時から12時過ぎまで某メーカーにて、打ち合わせ。

 打ち合わせ終了後、そのまま柏崎に向かってトンボ返りとなる。途中、コンビニで買った納豆巻き2本、伊藤園「一日分の野菜」で昼食。

 18時から事務所で打ち合わせ。さすがに打ち合わせ中に眠くなり、何回か意識が遠のく。

 今日の分の議事録を書こうと思うも集中できず、20時から22時まで仮眠。

 23時、シャワーを浴びてサッパリしたところで、冷凍うどんにひき割り納豆2パックをのせた納豆うどんで夕食をとる。食後はひたすら今日の議事録作り。

Img_0812 大阪のくま1さん、くま2さんからQ-pot風アクセサリーを頂戴した。
 ありがたい限りである。
 郵送されてきた封筒を、お泊まりに来ていた姪っ子と一緒に開け、取り出した瞬間、

 「ぼぉじちゃん、ウマウマ」
*「おじちゃん」がまだ言えない

と手に取り、口に運ぼうとした。確かに美味しそうなアクセサリーである。姪っ子には食べ物じゃないと言って取り上げるも、しまいには泣いてしまった。仕方ないので、冷蔵庫にあったプリンと交換し、なんとか治まった。恐るべし、スイーツアクセサリー。

2007年11月 7日 (水)

中越沖地震原発調査特別委員会
耐震設計指針 原子力安全・保安院

 2時、駐車場に戻り、車中にて仮眠。あまりの寒さに目を覚ましたのが6時であった。

 7時過ぎ、自宅に到着。十穀米、大粒納豆、筋子、大根とじゃが芋の味噌汁で朝食をとる。

 10時から会社の新規事業の打ち合わせ。

 11時過ぎ、いつの間にか祖母がいないことに気づいた。母が旅行にでかけているので、目が届かない間に外出してしまったようである。かなり痴呆が進んでいるので、捜索。12時過ぎにやっと公園で立っているところを見つけ、家に戻る。

 鮭のそぼろで炒飯を作り、食べさせているうちに13時過ぎとなる。

071107dvc000011 13時からの中越沖地震原発調査特別委員会に遅刻。副委員長という立場なのに申し訳ない限りである。
 今日の勉強会は、経済産業省原子力安全・保安院の原子力発電安全審査課安産審査官を講師に迎えての耐震設計指針がテーマ。
 今回の中越沖地震で断層がどの方向からどのように動いたのか、については、国土交通省をはじめ、それぞれに分析結果がバラバラである。
 炉内構造物をはじめ、各機器の実際の損害状況、発電所をモデル化したシミュレーションによる損害予想とのつき合わせなど、これから報告がでてくるものも多い。
 何が知りえて、何が知りえないかの確認ができた貴重な勉強会であった。

 16時30分から、政治に関する打ち合わせ。

071107dvc000022 18時近く、妹が作っていった餃子を焼き、祖母と夕食。水溶き片栗粉で羽付き餃子にする。大蒜と生姜が効いているので、かなり口が臭くなってしまった。

 食後、日本青年会議所・北陸信越地区・新潟ブロック協議会アドバンス新潟創造委員会報告ページを作成する。
 先日、泉田知事へのインタビューを行ったものの、マイク入力がなく、音声がほとんど聞こえなかった。ノイズ除去と音声のみの抽出を専門業者にお願いし、なんとか使えるレベルになってきたので、ビデオ映像と合成し、報告ページに掲載。

« 2007年10月 | トップページ | 2007年12月 »