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2008年1月

2008年1月31日 (木)

中国(中共)製食品の恐怖

 大阪の某氏から資料としてお送り頂いた本を通読。3時就寝。

Img_1792 6時、起床。仕事の関係で友人が泊まったので、朝食を準備する。
 7時、メニューは、目玉焼き、キングサーモンのハラス塩焼、豚汁、いんげんの胡麻和え、小粒納豆にし、ご飯2杯を食べる。
 小粒納豆は、先日東京のスーパー西友で買ったオリジナル製品であったが、豆の蒸煮具合や発酵度合いも、私の好みではなかった。

 8時から10時過ぎまで、ネットでの会議。被災地支援イベントをはじめ、人権擁護法案や外国人参政権などに関する今後の活動方針などを決める。

080131_dvc00004 11時から自民党柏崎支部にて、役員選考委員会に出席。自民党柏崎支部の役員の改選は2年おきであるが、今年は解散が予想されている衆議院選挙に加え、新潟県知事選挙、そして柏崎市長選挙がある。メンバーを一新して準備するのも手であるが、機能する組織を提案した。
 出前の生鮨セットで昼食をとりつつ、14時近くまで会議を行った。

 15時、車内クリーニング、板金や塗装修理にだしていた愛車を取りにいったのち、長岡駅前の某店にて打ち合わせ。

Img_1793 18時30分から、柏崎商工会議所5階会議室にて、柏崎準倫理法人会の役員会。4月に行う柏崎を元気にする講演会の企画である。
 落語、健康に関するお話など色々な案がでたが、とりあえず健康に関する講演会を行うことで一定の方向がでた。

Img_1794 会からの食事として、生鮨セットがでた。偶然にも昼食と同じになってしまったが、差し入れの和菓子とともに食べる。
 食べるといえば、中国(中共)製の餃子が問題となっている。
 小さな女の子が一時意識不明になるなど、千葉、兵庫の10人に深刻な健康被害を引き起こした。まさに毒入り餃子であり、なかに入っていたのは毒性の強い有機リン系殺虫剤「メタミドホス」である。
 「メタミドホス」は、体重1キロ当たり約0・01ミリグラムで中毒を発症し、6年前の2002年にも中国(中共)産冷凍カリフラワーから、基準値を超える量が検出された事件があった。もちろんのことながら、日本では使用が認められていないもので、中国(中共)でも食品への混入や残留で食中毒を発症する事件が相次ぎ、中国(中共)当局は今年1月9日付の通達で国内での生産、流通、使用を禁止している。
 そんな物質が、残留農薬なのか、意図的な混入あるいはミスなのか、冷凍ギョーザに入っていたのである。しかも、冷凍ギョーザの包装袋の内側などからも検出されている。
 真相はまだ闇のなかだが、ズザンな管理で作られる中国(中共)の食品は、なるべく買わないようにするのが得策であろう。

2008年1月30日 (水)

「ヒゲの殿下」寬仁親王殿下
海からつながる日本とトルコの友好

 急ぎの手紙やFAXの返事などにかなり時間がかかり5時、就寝。

Img_1791 9時、起床。
 9時30分から11時過ぎまで市内某所で打ち合わせ。
 12時過ぎ、自宅に戻り、メンマがついてくるくめ・クオリティ・プロダクツの「キムチたれ付納豆 いけるじゃん」でご飯2杯のブランチをとる。

 午後から夕方まで、市内にて会社関係の支払いや手続きなど。

Img_1789  22時、秋刀魚の塩焼き2匹、辛味大根おろし、ご飯2杯の夕食をとる。
 沖縄で集めてきた資料をはじめ、整理や読み込みに時間がかかり、なかなか思うように文章が書けないのがもどかしい。

 「ヒゲの殿下」で親しまれる寬仁親王殿下が海洋政策研究財団のサイトにお書きになった、トルコと日本との友好関係の文章を拝読した。
 いまだ対応をしていない旧柏崎トルコ文化村のアタチュルク像のことをお知りになったら、さぞかし悲しまれるに違いない。
 


民間外交の鑑
 ~海からつながる日本とトルコの友好~

寬仁親王殿下

 明治22年、オスマン・トルコ帝国の軍艦・エルトゥールル号が和歌山県串本町樫野崎沖で座礁するという海難事故が発生した。
 台風荒れ狂う中で行われた樫野崎の漁民たちによる救出活動、そしてその後の手厚い支援活動が、日本とトルコの友好関係の出発点となっている。
 日本とトルコの両国民の間で生まれた言葉では表現できない「絆」は、100年経過しても深まりこそすれ薄まっていない。この感動的な物語を、われわれは「民間外交」のあるべき姿として後世に伝えていかねばならない。

エルトゥールル号の海難

 明治21年(1888年)に、明治天皇は、オスマン・トルコ帝国のアブデルハミッド二世皇帝に、大勲位菊花章頸飾並びに我が国の名産品の数々を贈られ、その答礼として、二世皇帝はオスマン・パシャ提督座乗のエルトゥールル号を翌22年、日本に派遣され、帝国の最高勲章その他の品々を明治天皇に贈呈されました。
 提督は無事に日本に到着され全ての任務を恙無く果たされ、帰国の途につきます。唯、理由は今でも判明していませんが、出港が予定より1ヶ月遅れてしまいました。この為に、エ号(木造製軍艦)は和歌山沖を航海中、台風に遭遇し、不運にも串本町樫野崎の岩礁に座礁・沈没します。
 609名の乗組員の内540名が殉職し、69名のみが、樫野崎の漁民達の必死の救助活動により生き残りました。
 この悲惨な大事故は、即刻東京に伝わり明治天皇他の関係者の知る処になりました。
69名の生存者の保護は官が中心となり、民に於いても、上州沼田藩の家老職の血筋を引く山田寅次郎氏が、明治期に高名であった、新聞「日本」の編集者である陸羯南・福本日南両氏に呼び掛け全国区で、義援金募集を始めました。今ならいざ知らず、明治初期の段階では多分初めての大掛かりな募金活動であったと思います。5千円集めたといいますから、多分今なら概ね3千万円位ではないでしょうか。
 明治天皇は御自分の為にはるばるトルコ国から遠洋航海をして来たエ号の沈没に心を痛められ、御自分の御座乗艦である金剛・比叡の2隻を69名の生存者の為にお出しになり、全員を無事に故国に送り返されました。

救援活動から始まった民間外交

 これら一連の日本人の素早く且つ手厚い支援活動に、トルコ国民は痛く感動し、本事件のあった明治23年(1890年)9月16日を、「土日修好初年度」とし、平成2年両国で同時に百周年慰霊祭兼記念式典が実施されました。
 私は父の代理で先方の式典に出席する為に、軍港であるメルシンを訪れました。
 無事に式次第が進み、最後に儀仗兵が直立している前を通る時、私は、「メルハバ・アスケル」(今日は兵隊諸君!)と叫んだ所、兵隊達は即座に、「サ・オル!」(ありがとうとも解釈出来るし、貴方の御健康をの意にもなります。)と答礼を返したので、更に一言私は、「スィズデ・サー・オルスン!」(貴方達の健康と長寿を願う!)と叫び、後で現地の人々にあそこ迄言ってくれる人は本当に珍しいと感謝されました。
 そしてこの後、突堤の先端迄歩き、洞の様な建物の中に入り、大きなゲストブックに署名をして欲しいとの事で、寬仁親王・Tomohitoと大書しました。そして妻にペンを渡して、ふと壁を見た処きれいなガラス棚に、水と土の入ったフラスコが一つずつ鎮座していました。早速質問した処、「100年前の樫野崎の漁民の人々の心温まる救出活動を永遠に忘れない為に、樫野崎の水と土を安置しているのです!」という御返事でした。
思わず、私は、「民間外交の究極の成功例がこのフラスコ瓶の中にある!」と感激しました。
 クールに考えれば、救出されたエ号の水兵達は日本語はわからず、ましてや、当時の樫野崎の漁民の人々(家族を含めて)は、外国人を一人として見た事も無い人々だったでしょう。その人々が台風荒れ狂う中で、断崖絶壁を登り降りしつつ異国人69名を、多分、和歌山弁の日本語と、今でいうボディ・ラングエッヂを使って必死の思いで助けた訳で、生死のギリギリの境で、異人種同士の間で生まれた言葉では表現出来ない、「絆」が100年経過しても深まりこそすれ薄まっていない事実を見て本当に感動しました。
 同行していた皇宮警察の護衛官の佐伯猛貴というスキーが上手なので長年私に付いている警部(当時)が、帰りの車のなかで、「殿下、私が皇宮の初任科の折、警察大学で大部屋に泊って訓練を受けている時、和歌山から出てきた同僚が、酔うと必ず『俺たちの先祖はトルコ人を助けてあげた輝かしい歴史を持っているんだ!』と宣うので当時は聞き流していましたが、これだったんですね!」と感極まった声で報告してくれました。
 そこで私は、「当時の名簿を捜してこの事を手紙に書いてあげれば喜ぶよ!民間人の成し得る最高の二国間外交の成果になっていますよ!と書いてさ!」と言いました。

民間外交を後世に

 皆様方はイラク戦争・その前の湾岸戦争・そしてその又前のイラン・イラク戦争を憶えていらっしゃると思います。8年間位続いた悲惨な戦争でした。
 この戦争の当初、テヘランに残されて帰国の方策を失った現地の在留邦人(215名)を、当時のトルコ共和国のオザル大統領がトルコ航空に、危険を顧みず日本人を助けて来る様に指示しました。トルコ航空としては他国の在留外国人が沢山居る中で、日本人だけを乗せて帰るのは大変だったらしいのですが、無事にトルコ領内に運んでくれました。生きた心地の無かった在留邦人はイスタンブール空港が間近になった時、萬歳を叫んだと言います。
 詩的に言うと、「海で助けてもらった思義を空でお返しをする!」という事でしょうが、一般人にとって、「外交」という物は、「外務省:外交官」や「総理大臣や閣僚」或いは「経済界や学界の人々」が成す物と思っていると思いますが、以上書き連らねて来た、「エルトゥールル号の遭難事故と樫野崎の漁民の人々」、そして又、「親日家のオザル大統領と、トルコ航空の根性あるパイロット諸君とステュワーデス諸嬢の大救出作戦の成功」という、二つの素晴らしい物語を、「民間外交」の本当のあるべき姿として、我々は後世に伝えていかねばならないと思います。(了)

2008年1月29日 (火)

人権擁護法案反対!都内街宣活動

Img_1780 2時、就寝。
 7時、起床。ホテル近くの東京駅まで行き、立ち食いそば「あじさい茶屋」にて、「コロッケそば 330円」に「生玉子 50円」で追加して朝食をとる。
 食後、ホテルまで戻り、チェックアウト時間の11時まで、急ぎのメール返信や書類作成など。
 仕事をしながら、小粒納豆(みらい納豆)を食べる。

Img_1782 ホテルをチェックアウトしたのち、12時過ぎ、三軒茶屋に移動。E氏と待ち合わせをし、「三軒茶屋 とんき」(東京都世田谷区太子堂4-6-2 電話03-5430-2034)にて、「ロースかつ定食 1580円」を食べながらの打ち合わせ。衣が特徴的なトンカツで、竜田揚げのような食感である。キャベツとご飯をおかわり。

Img_1783 15時、JR三鷹駅まで移動し、東京都日野市の渡辺眞議員、東京都中央区の二瓶文隆議員と待ち合わせる。
 危険な法案である人権擁護法案が、自民党人権問題等調査会の太田誠一会長から法案提出との話があり、地方議員で都内での反対街宣活動をやろうと集まったのである。

人権擁護法案の危険性

 三鷹から都心に走りつつ、以下の内容を連呼した。

「大変お騒がせをしております、
 こちらは人権擁護法案に反対する地方議員の会
 でございます。
 人権擁護法案とはその美しい名称とは裏腹に、
 皆様の人権を侵害する法案です。
 この法案が通ってしまいますと、人権侵害された!
 と言われただけで、出頭させられたり、
 ご家庭にあるものを押収されます。
 警察権力が及ばない、
     人権委員ができてしまいます。
 我々、地方議員は
    この法案に強く、強く反対しております。
 皆様の人権を守るために反対をしております。」

 警察署の前を通る際には、「警察権力以上の人権委員会ができる」ことを強調し、DV法の二の舞にならないことを訴えた。
 また、「守ろう!9条」のポスターを貼った共産党支持であろう美容室のなかから、おばちゃんが、応援なのか手をふってくれた。日の丸とブルーリボンをつけた街宣車に共産党支持者が応援の声をおくるのも珍しいが、共産党もこの法案には反対しているからであろう。

 途中、渋谷のチャンネル桜に寄り、桜林美佐女史などと立ち話をしたのち、国会周辺に向かった。
 物々しい警備の自民党本部前に行き、参加メンバー全員が自民党籍を持つことから、

 「人権擁護法案反対する自民党地方議員の会です!
  この法案の提出に強く反対します!!」

と訴えた。

 永田町周辺をグルリと街宣したところで、活動を終了し、衆議院第二議員会館第一会議室に向かう。

Img_1785 18時から「日本再生同志の会」平成20年総会に出席。
 地方議員は、大阪府八尾市の三宅博議員、東京都大田区の犬伏秀一議員などが出席した。国会議員は、拉致議連会長でもある平沼赳夫衆議院議員が出席され、冒頭にご挨拶があった。
 アメリカの北朝鮮へのテロ国家指定解除の裏話などに加え、ねじれ国会が今後9年続くことは国民にとって不幸であることであり、第3の保守勢力が必要であるとの内容であった。
Img_1786 そして西村眞悟衆議院議員の挨拶。自殺された息子さんのことから、今の国際社会における日本の立場などを淡々と、そして感動的にお話された。
 以下、「西村眞悟の時事通信(平成20年1月10日号及び26日号)」より引用。


西村林太郎のこと

 私と妻伴子の息子である西村林太郎のことがニュースで報道されました。私は報道内容を知りません。しかし、報道された以上、事実を知っていただくことが必要と思い、この場を借りてお伝えします。
 昭和五十六年八月十四日に生まれた長男の西村林太郎は、九日、衆議院赤坂宿舎二十階の私の部屋のベランダから転落し、同日十二時七分に医師により死亡が確認されました。
 林太郎は、出版社に勤務しておりましたが、昨年末より、鬱状態に陥り、八日午後四時頃より、慶応大学病院精神科で診察を受け、強い鬱状態と診察されました。
 私どもは入院させるつもりで、本人も入院も仕方がないという感じでしたし、医師も入院治療が適切と言われました。しかし、ベッドに空きがなく、その日入院することはかないませんでした。そして、九日の午前十時から十一時の間にまた慶応大学病院に来て受診するようにと指示されました。
 そこで、本人と母親は医師から薬をもらって宿舎に帰り、私は一旦離れて所要を済ませて後に合流し、林太郎をよく知る友人を交えて楽しく食事をしました。友人と別れるとき、林太郎は笑ってありがとうございます、と言っていました。そして、宿舎に帰って本人は薬を飲み就寝しました。
 私は、九日の朝九時半に宿舎を出ましたが、その際、林太郎によく眠れたか、病気と分かれば、おおらかに立ち向かおうよ、と声をかけました。本人は、子供の時に戻ったような穏やかな表情をしていました。
 その後、十時二十七分頃、本人を慶応病院に連れて行くために、三十五分頃に車を付けると妻の携帯に電話すると、妻は、林太郎が居なくなっていると叫びました。その時私は、日枝神社付近から議員会館の方に向けて走っていましたが、驚いて直ちに宿舎に向かいました。
 そして、宿舎のベランダから身を乗り出して真下を見て、仰向けに横たわっている林太郎の姿を認め、妻が119番通報をした次第です。
 その時、宿舎には、妻と本人の妹がおり、林太郎は、病院に行くために服を着替えていました。そして、妻がおよそ二十秒ほど林太郎から目を離した間に、忽然と姿が消えていたといいます。ベランダは高く、腹のところまで身を乗り出さなければ真下が見えないので、妻らはベランダから下を見ても林太郎の姿を発見できず、ドアから廊下へ出て行ったのではないかと切に願って探していました。
 その後、救急隊により、林太郎は慶応義塾大学病院に搬送されました。搬送されるまでの救急隊の懸命な救命活動、病院に着いてからの、救急医学チームの懸命な救命活動、それらを経た十二時七分、私どもの立ち会いの下、医師により林太郎の死亡が確認されたのです。
 私どもは、この突然の取り返しのつかない悲しみのなかで、何故、林太郎の転落を止められなかったのかと、きつい、痛い、自責の念にかられています。そのなかで、あの目を離した二十秒足らずのなかでの、林太郎のことを思うとき、あの瞬間、鬱の苦しみから解放され、永遠の安らぎに向かって神に召されたのだと確認しあっています。
神が、彼に、もういいよ、と語りかけてくださったのではないかと。
 林太郎は、母親には、鬱状態が現れてから、死にたい、というようなことを時々言っていたようです。そのように言った後では、また、ケロッとした様子なので、妻は、あまりその言葉に強く反応して反発しないようにしていたようです。
 しかし、林太郎は、そのなかで、僕にもしものことがあったら僕の臓器を提供して欲しい、と言っていたのです。そして、その言葉を妻が私に伝え、私どもは、林太郎の最後のこの世への思いを残すため、角膜と心臓弁の提供を慶應義塾病院に申し出ました。林太郎の角膜は、二人の方の目に光を取り戻し、林太郎の心臓弁も二人の人の命を守ることになると告げられました。
 私どもは、九日、午後八時五十分過ぎ、臓器提供の最後の手術を終えた林太郎を、学習院大学の多数の同窓生が涙して見送ってくれた後、林太郎の郷里である堺に向けて慶應義塾病院をあとにして、十日午前四時半に堺の自宅に到着しました。
 林太郎は、多くの人に愛されていた子であることを確認できて、私たちは嬉しかったです。
 以上が、私たちの息子である林太郎のことです。
 場所が衆議院宿舎であったことで、大変ご迷惑をおかけしましたことを深くお詫び申し上げます。
 東京都救急隊の皆さま、慶應義塾大学病院救急医学チームの皆さま、まことにありがとうございました。
 また、マスコミの関心が集中して、カメラが救急車の窓から中を写そうとして、救急車の前進が阻まれました。さらに、病院の救急措置室や霊安室のまえにもマスコミの皆さんが長時間にわたり詰めかけていました。私たちは、外へ出ることができませんでした。
 このような状況の中では、事実に反することが流布されかねないと危惧されましたので、林太郎のプライバシーに係わることではありますが、父として、午後二時過ぎ頃、マスコミの皆さんの前で手記を読み上げ、さらにここに公表させて頂くしだいです。
 皆さま、ここまで林太郎のことをお読み頂いて
 まことにありがとうございます。
 いずれに、今や神に召され永遠の安らぎのもとにある息子である林太郎こことを、さらに詳しくお伝えする余裕も生まれると思います。                 (了)


 護衛艦の出航を見送って

 先の時事通信で、二十四日のインド洋派遣補給支援部隊護衛艦「むらさめ」の出航を見送ることは、衆議院の再議決によってテロ特措法を成立させた議員の任務でもあると書いた。
 よって、その出航状況をご報告したい。
 先ず第一に、我が国のインド洋における補給活動中断は、百パーセント政治の責任である。天候悪化もしくは船の老朽化等によって中断していたのではない。
 さらに、その政治における責任の所在も明確である。ここを無視し、また、忘れては、国民は政治選択の材料を失い、民主主義において知恵と教訓を積み上げ、政界における不良分子を淘汰して、よりよき政治を実現していくことが出来なくなる。
 政界における補給活動反対の論拠は、憲法違反という一点である。そして、憲法違反という論拠を掲げることによって、論者は国際社会における我が国のプレゼンスという「国益」を無視した。
 そこで、明確に言っておくが、我が国海上自衛隊のインド洋での各国艦艇に対する洋上補給活動は、憲法違反でも何でもない。
 結局、論者は、反対するために「憲法違反という旗」を掲げている。この政治姿勢はかつての社会党の姿勢そのものである

また、この度の補給活動中断において、我が国の国際社会における存在感という重要な要素が毀損されたのであるが、さらに、もう一つ、忘れてはならないことがある。
 それは、現実にインド洋で補給活動をしていた海上自衛隊員から誇りを奪い、彼らに屈辱を与えたということである。
 補給活動中断直前の、インド洋におけるニュース映像を思い起こして欲しい。テロとの戦いに参加している各国の海軍艦艇は、活動から離脱していく自衛艦に「戦友」としての別れの挨拶をしてくれていた。
 彼らの戦友である各国艦艇は、なおもインド洋に踏みとどまってテロとの戦いを続けるのに、我が国艦艇だけがそこから離脱するのである。それも国内における憲法違反という評価つまり汚名によって。これは戦線離脱というより、「逃亡」に近い。
 これは武人にとって大きな屈辱である。
 我が国政治は、我が国の国益の為に苛酷な条件下で活動する隊員を憲法違反と侮辱し屈辱を与えた。
 国益のために任務を尽くす国民(隊員)に屈辱を与える政治に未来はない。
 
二十四日朝八時五十五分、見送り議員は市ヶ谷の防衛省A棟に集合した。安倍前総理や防衛大臣経験者ら十数名が集まった。派遣に反対した民主党議員も二名いた
 そして、09:15、A棟屋上から陸上自衛隊の大型ヘリで海上自衛隊横須賀地区に向かい、09:35横須賀地区に着いた。
 出港式は、10:00から接岸している「むらさめ」の前で行われ、防衛大臣、官房長官等の訓辞の後、派遣部隊指揮官の第一護衛隊指令が、
「我々の活動は憲法違反だと言われた。しかし、我々はそのような中傷を跳ね返し、意地でも立派に任務を遂行してくる」
と応えた。この答辞は立派であった。任務に誇りをもつ者の心意気を感じた。
 これに対して、政治側の訓辞は、重要な任務であるから頑張って無事に帰ってきて欲しい、と言うのみで、そのような重要な任務であるにもかかわらず中断を余儀なくしたこと、その結果、貴官らの誇りを奪い屈辱を与えたこと、これらは送り出す側の政治の責任であるという自己認識が感じられなかった。

 式が終了するに当たり、岸壁に整列していた約百九十名の隊員が「むらさめ」に乗り込んでいった。軍楽隊が軍艦マーチを演奏した。すると、我々見送り議員の後ろで、
「お父ちゃーん。がんばってねー。かえってきてねー。」
という子供達の声が聞こえた。
 その時急に、小さかった林太郎が、私が海外に行くとき、同じように見送ってくれた時のことが思い出され涙が込み上げてきた。空を向いて流れ出るのをこらえた。

 乗り込んだ隊員たちが船の舷側に並んで見送りの群れを見ている。子供達の「お父ちゃーん」という声が聞こえる。また舷側に並んだ隊員たちも各々家族を見つけて目立たないように小さく手のひらだけを振っている。
 すると、「むらさめ」は滑るように岸壁を離れ、次に微速で前進し始めた。「帽ー、振れー」の号令で舷側の彼らは大きく帽子を振った。我々も、大きく手を振った。乗組員の子供達は、「おとうちゃーん」と大きく叫んでいた。
 このようにして横須賀を出航した「むらさめ」は、一日遅れの二十五日に佐世保基地から出航する大型補給艦「おうみ」と東シナ海で合流し、五ヶ月間のインド洋での任務に就く。
 我々もまた、かなりの強風の中、大型ヘリで市ヶ谷に帰った。
 出航を見送ってから、我が国の国際的プレゼンスは守られるという安堵の思いがあった。
 安倍前総理とは、行き帰りのヘリのなかでも向かえ同士で座ったが、総理退任直前に彼が補給活動は継続すると国際的に表明した約束は、一時中断したものの、これで守られた。
 これは、我が国家の為によかったのである。
 日本の為に意義のある護衛艦「むらさめ」の出航だった。
  (了)


Img_1787 総会終了後、地下1階の議員食堂にて懇親会となった。
 拉致被害者の家族会から、横田めぐみさんのお父さん・横田滋さんがお見えになり、ご挨拶をされた。
 懇親会の途中、議会開始のブザーが鳴り、西村議員をはじめ、国会議員がいわゆる「ガソリン国会」の議場に向かった。

Img_1788 ガソリンの値段が安い方が国民受けするであろうし、自民党の道路族議員などと叩けば、民主党の評価も上がるであろう。
 しかし、本来議論しなければならないのは、道路財源の無駄遣いをする官僚の意思決定システムなどであり、道路に関するお金がいらないという話にはならないはずである。
 道路には維持費もかかり、また時代の要請によってその内容も変わってくる。
 民主党は廃止を訴えているが、維持費を今後一般財源から出すとなれば、当然、消費税などの増税も視野に入ってくる。
 党利党略ではなく、そしてガソリンが安くなるという表面上の問題ではなく、本当に国民の生活を考えた国会運営をしてほしいものである。

 懇親会終了後、東京駅に向い、新幹線にて柏崎に向かう。

 24時前、自宅に到着。

   

2008年1月24日 (木)

市長は誰を守るのか。住民基本台帳

 既に地元新聞をはじめ、マスコミで報道されたが、市幹部による説明によれば、柏崎市の職員(30代、主査)が勤務時間中に、教育委員会の住民基本台帳端末を正規の手続きをせずに使用。その際、業務外知人の住民基本台帳情報を見て、住所や家族構成などを別の知人に漏らしてしまった。
 さらには、業務上で知った別の個人情報も同じ知人に漏らしたのである。

 発見の発端は、昨年10月下旬に個人情報を漏らされた市民の関係者から教育委員会に連絡があったためであり、教育委員会自体や住民基本台帳ネットワークのシステム・運用上の制御は効かなかった。

 通常であれば、こんな事をすれば職員は即、懲戒免職である。
 地方公務員法第34条の守秘義務違反になるためで、道府県警でも犯罪歴だけでなく、住所や家族構成を漏らしただけでも懲戒免職の事例があり、他の自治体職員はもちろんのこと、例えば試験問題を教職員が流出された場合も同様に懲戒免職である。
 それだけに、かなり抑制力が働いている。

*地方公務員法 第34条 
第34条 職員は、職務上知り得た秘密を漏らしてはならない。その職を退いた後も、また、同様とする。
2 法令による証人、鑑定人等となり、職務上の秘密に属する事項を発表する場合においては、任命権者(退職者については、その退職した職又はこれに相当する職に係る任命権者)の許可を受けなければならない。
3 前項の許可は、法律に特別の定がある場合を除く外、拒むことができない。

 しかも今回の事件はもっとタチが悪く、通常の職務自体も正規な手続きをせず、さらに業務以外に情報を取りにいき、それも漏らしている。

 そんな悪質な事件の処分は、たった減給10分の1(6か月)
 しかも、職員の名前も性別も明らかにしないという。

・・・・・・甘い、甘過ぎる!!

 処分理由は、柏崎市役所のセキュリティポリシー及び柏崎市個人情報保護条例の違反とした。しかし、不利益を被った第三者(情報を漏らされた)たる柏崎市民がいるなか、本文を読めばそのような甘い処分で良いとはなっていない。

*柏崎市個人情報保護条例
第28条 実施機関の職員若しくは職員であった者又は第12条第3項に規定する当該業務に従事している者若しくは従事していた者が、正当な理由がないのに、個人情報ファイル(その全部又は一部を複製し、又は加工したものを含む。)を提供したときは、2年以下の懲役又は100万円以下の罰金に処する。追加〔平成15年条例32号〕
第29条 前条に規定する者が、その業務に関して知り得た保有個人情報を自己若しくは第三者の不正な利益を図る目的で提供し、又は盗用したときは、1年以下の懲役又は50万円以下の罰金に処する。
追加〔平成15年条例32号〕、一部改正〔平成18年条例48号〕

*柏崎市ホームページ「よくある質問」より
 →「個人情報はどうやって守っているのですか」

 正規の手続きをしていない端末の使用であり、一般人がハッキングしてイジっているのと同じ扱いのはずである。一般人だったらお縄になり、犯罪者。公務員というだけで、氏名もさらには性別すらも明かされず、社会的責任も問われない。
 会田市長のコメントは、

 「市民の信頼を裏切り、おわびする。
 モラルを徹底し、あらためて全力で信頼回復に取り組む」

信頼回復したいと言う東京電力には、あれだけ突っ込んでおきながら、自分の組織となるとこの程度である。
 邪推、あくまで邪推であるが、もしかすると今年は市長選挙の年。まさか、某組合との(以下、略)。

 市長は市民を守るべきであって、
      
職員をかばうのではない。

 ちなみに、当時、住民基本台帳のシステム化やネットワーク化に強い反対を訴えていた社会クラブはこの問題にダンマリを決め込んでいる。現在は市長与党だからであろうか。

 今回のようなことがこの程度の処分で許されるなら、今後住民基本台帳システムに色々な情報を付加していく事業に市民の賛同は得られない。
 これは「刑事告訴」すべき事件であり、住民基本台帳ネットワークシステム自体の信頼度という大きな問題にもつながる。今後、抑制力を発揮させるためにもあいまいな対応ではなく、いくら逆恨みされようが断固とした対応をとるべきである。
 のんびりしていると「刑事告発」という言葉もでてくるであろう。どこかから。

2008年1月23日 (水)

案の定のすり替え、罹災者公営住宅

Img_1533  寝込んでいた分の仕事を片付け、3時に就寝。5時過ぎに一度起きるも、再び体温が39度まで上がってしまった。倫理法人会の経営者モーニングセミナーは休ませてもらい、必殺のオブラート+アスコルビン酸粉末をとって、ベットに戻る。

 8時、起床。大粒納豆ととき卵の味噌汁でおかゆ2杯の朝食をとる。

 9時から市内某所で政治関係の打ち合わせ。

 12時過ぎ、一度自宅に戻り、祖母と自分の食事を用意。ロールサンドと納豆汁という意味不明の組み合わせである。

 15時、17時からもそれぞれに市内某所で政治関係の打ち合わせ。違う分野の方は色々な情報が入る。
 色々な情報を聞いて、いまの柏崎に思うところは、『青年日本の歌(昭和維新の歌)』(作詞・作曲:三上 卓<旧海軍中尉「重巡洋艦 妙高」乗組>)の2番、3番である。「国」を「柏崎」に置き換え。

 2番
 権門(けんもん)上(かみ)に傲(おご)れども
 国を憂うる誠なし  財閥富を誇れども
 社稷を思う心なし

 3番
 ああ人栄え国亡ぶ 盲(めしい)たる民世に踊る
 治乱興亡夢に似て 世は一局の碁なりけり

 18時から依頼されたノートパソコンのメンテナンスとメモリ増設作業。

 19時からえんま通りのまちづくり会議に遅参ながら出席。今回はオブザーバーとして意見を聞くといったことではなく、あえて嫌われ役を買ってでも現在の柏崎市政がどういった判断をしようとしているのかを説明した。説明に使用した資料は、先の1月16日に総合企画部企画政策課が発表したものである。

   「柏崎市震災復興計画における主要課題」(pdf形式)
    ・コマツ跡地の売却
    ・日石跡地の取得?市民会館の候補地
    ・サイカワ跡地の仮設住宅撤去後の売却
    ・柏崎駅の橋上化
      ・・・鉄道活性化を熱心にしなければ無理
    ・桑山木材敷地の140戸(罹災者+一般)建設

 結構、好き放題に書いてあり、しかも桑山木材のことは議決(1月21日)に場所ありきで書かれている。お役所は議会を通っていないものを外にだしていいのであろうか。
 特に市民会館を日石跡地にという話はいつでてきたのか不明。これまで一般質問で再三、サイカワ跡地で中途半端なもの(エネルギーホールと産業文化会館で補助し合う文化トライアングル??級)を作るのではなく、広い土地にちゃんとしたものを作るべきと主張しても会田市長は首を縦に振らなかったのが、この変わり様である。

 先の桑山木材の議決がある前、罹災者公営住宅については、次のように考えていた。

形式:<分散型>
     ・なるべく被災者の自宅に近いところ選択できる
     ・工事を分散発注できるため、
      疲弊した柏崎経済、市内業者へのカンフル剤
     ・工事期間も短期間で行える。
     ・使っていない市有地も有効活用できる。

        「柏崎市所有の市有地 '07/3/31」pdf形式
              → 市民会館移転後の跡地もある。
     ・商店街再生に有効な手段が打てる。

 商店街再生に有効な手段は何のためかといえば、中越沖地震の象徴的な場所となった「えんま通り」である。すなわち、この「えんま通り」のなかに罹災者公営住宅を作るか、もしくは商店の2階以上を賃貸住居として再建してもらい、それを柏崎市が借り上げるというやり方である。これにより、商店街には活気が戻り、被災者にとっても生活が便利であり、商店主にも安定した収入が入るため、復興への早道となる。

 「えんま通り」としても、某店舗跡を公営住宅にしてもらうべく、陳情を予定していたが、桑山木材の議決が終わってからと某議員に言われていたという。
 しかし、このアドバイスは正しいのであろうか。
 罹災者公営住宅にさらに一般公営住宅を加えての計140戸、土地代だけで9億円。これから数億単位でお金がかかる桑山木材跡地の議決のあとすぐに、「えんま通り」でも柏崎市で民有地を買って、罹災者公営住宅を設置してくださいという陳情や請願を行った場合、議会議決をすんなり通るとは思えない。やるべきは先手であった。

 ただ既に議決がでてしまった以上は、これまでである。
 これからどうすべきかを、これまた悪者になるのを覚悟のうえ、考えられるリスクを説明した。

 途中、こんなご意見もあった。

 「アンタが被災者のための住宅に反対したのは、
        市民感情と離れているよ、おかしいよ」

 見事に市長与党の「建設手法の中身」議論から「感情的な建設可否」議論へのすり替えが効いているご意見であった。
 罹災者公営住宅自体に反対などは誰もしていない。これはインターネット中継でも新聞を読んでも分かることであるが、どこかでバイアスがかかったのであろう。
 本筋は、

 罹災者公営住宅に入らなくて済むよう、
        生活再建を極力支援する

のであって、仮設住宅に2年間暮らしている間に自宅を再建できるような復興基金メニューや支援方法が第一義的である。より多く罹災者公営住宅を作ってあげることが、支援なのではない。

 今後の陳情や請願の日程を確認したところで自宅に戻る。

 24時、プリン2個、ひきわり納豆3パック、コーンスープという、喉に負担のかからない遅めの夕食。

2008年1月22日 (火)

東京都日野市議会自民クラブ視察

 ベットでうなり続けたものの午前中いっぱいは回復せず。

Img_1526 12時、大粒納豆2パックをのせたドンブリご飯で気合を入れる。
 長ネギを多めに入れた方が良いかと思い、たっぷりと入れて食べたが、食べている最中に咳き込んでしまい、食卓一面がみじん切りの長ネギと納豆だらけになってしまった。

 12時30分、えんま堂にて東京都日野市議会の自民クラブの皆さんと待ち合わせる。今日から2日間、柏崎市を視察されるという、梅田俊幸議員、西野正人議員、谷和彦議員、池田としえ議員、渡辺眞議員(元航空自衛隊一等空尉、防大)、古賀壮志議員(予備陸上自衛官補)の7名である。
 自衛隊関係者である渡辺議員と古賀議員は、昨年の中越沖地震発生後、柏崎まで駆けつけてくれた。私の自宅前駐車場をベースキャンプとし、危険な建物に入ったり、力仕事メインのボランティアを行ってくれ、地域住民ともども大変にお世話になった方である。

 渡辺議員中越沖地震報告
             ・総括

 古賀議員中越沖地震報告

 また、一緒に本を書いた関係でもある。

Img_1528 えんま堂を中心に、えんま通り商店街の被災状況を視察してもらったのち、市役所に移動。
 13時30分から市役所5階第一委員会室にて、危機管理監から中越沖地震に関する説明と質疑応答となった。
 色々な意見がでたが、やはり地域防災組織と原子力発電所への関心が高く、特に原子力発電所の停止命令については消防法による停止だったことの意味の確認があった。

 15時近くまで質疑応答は続き、その後は拉致現場と仮設住宅を視察。

 渡辺議員の今回の視察報告:
  「柏崎刈羽の原子力発電所の早期再稼動を願う」

 日野市議会の皆さんをホテルにお送りしたのち、事務所へ戻り、FAXや手紙の処理。寒いところにでたせいか、また熱が上がり、39度ちょっと。フワフワした歩きである。

Img_1530 18時から、ホルモン焼きの「龍ノ穴」(電話:0257-41-4700)にて、柏崎青年会議所から2008年日本青年会議所・北陸信越地区・新潟ブロック協議会に出向しているメンバーの懇親会。
 牛ハラミ、鴨、テッチャン、上ミノと普段であったら生ビールとともにガンガンと食べるところであるが、食欲もなく、ウーロン茶でつまむ程度となった。

Img_1531 その後、理事長、副理事長をお誘いして、トルコ料理店「KEBAP TIME(ケバブタイム)」(電話:0257-32-4491)にて、「ケバブ・サンド 500円」を食べ、「チャイ」を飲みながらの雑談。
 震災後の柏崎の企業にとって、なかなか良いニュースはないねぇ~の結論で終わってしまった。

 20時30分、自宅に戻り、静養。

2008年1月21日 (月)

新規土地購入9億円可決
姑息な手段ここに極まれり!

 一晩中、うなり続ける。9時、ひきわり納豆とレトルトおかゆで朝食をとり、熱をはかるとまだ39度。どうりでフラフラするはずである。なんとか着替えて、市役所に移動。体調は最悪であるが、本会議を欠席するわけにはいかない。

Toshikeikakukuwayama_2  10時から臨時議会。議案は3件あったが、問題は「議第126号 平成19年度一般会計補正予算書(第9号)」の罹災者公営住宅のための土地取得費9億円であった。
 柏崎市が所有する土地で未利用の土地は多くあるうえ、市民会館の移転、そして耐震面の判断から市役所の移転まで言われているなか、何故新たに土地を購入しなければならないのか、到底納得がいかない。
 市民会館の跡地の利用となれば、地質調査の必要もないうえ、取り壊しされすれば、明日にでも着工できるのである。もちろん、期限の2年うんぬんの問題はなくなる。
 さらには、今回購入予定の桑山木材跡地には都市計画道路(北半田中浜線)も予定されており、土地のなかには水路も通っている。*画像をクリックすると大きくなります。

 「柏崎市所有の市有地 '07/3/31」pdf形式

Img_1517  これから工事上の複雑さ、都市計画の変更などの手続きの困難があるにも関わらず、「わざわざ」という言葉がふさわしいほど、場所ありきで話が決まってきたことがみえみえである。
 長い総務常任委員長報告のあと、質疑応答があったので、一つだけ議事録に残す意味でも確認として質問をしておいた。

 「委員長報告では全員異議なく賛成
      とのことであったが、出席状況は」

 これはこういうことである。
 今回の新規の土地購入に慎重な姿勢をみせていた整風会、公明党、平成会の委員の3名が出席できない1月7日に総務常任委員会を開催し、賛成多数、反対意見なしで委員会可決した。議会最優先であるには変わりないが、十分な日程調整もしないままに、さらには1月9日に全員協議会もあるにも関わらず、強引なまでの日程の設定をしたのである。ちなみに、総務常任委員会の委員長は社会クラブの矢部議員、副委員長は柏崎のみらいの池田議員であり、この議案を進める立場であった。
 いずれにせよ賛成、反対どちらであろうとも、委員3名がいないという異常な雰囲気のなかで委員会可決した議案であり、総務常任委員長の報告そのままで<質疑なし>では、全員が賛成したかのように記録が残るのでそれを阻止したかったのである。
 質疑のあとの討論では、反対討論が公明党、平成会、民友、整風会、賛成討論が市民クラブ、柏崎のみらいであった。
 驚いたことに反対討論の最中、会田市長が反対討論をしている議員に汚い野次を飛ばす始末。まがりなりにも、自治体の首長ともあろうリーダーが、自分に反対する議員へ野次を飛ばすのである。それだけ本質を突かれたことの証左ではあるが、品格を疑われるであろう。
 賛成討論では、お約束の「9億円で済むなら」論が展開された。それはあくまで土地代だけのことであり、そののち上下水道、ガス、建物と億単位の金が必要になってくることを分かっていない。いまの柏崎市の財政状況にそんな余裕はない
 採決の結果、賛成したのは、

 社会クラブ(4)、市民クラブ(2)、共産党(3)、
 柏崎のみらい(3)、蒼生会(2)、自治研究会(2)、
 平成会の一部
(2

で<賛成18>対<反対11>となり、可決した。それにしても、これまでの分散型、地域コミュニティーに密着した、戸建の罹災者住宅を主張していた共産党の行動がわからない。政策の理念より、議会内の論理に迎合するとは不確かな野党である。

 午前中に議会が終了したことで、自宅に戻らせてもらう。

 午後からは市役所の耐震診断報告など市政報告とのことであったので、体調の悪さもあり、報告であれば後に報告書をもらうことで勘弁してもらおうと思った。


人第422号
平成20年1月17日

市議会議員 各位

柏崎市長 会 田  洋

市政に関する報告会の開催について(案内)

 日ごろから、市政運営に御理解と御協力を賜わり、厚く御礼申し上げます。
 公私ともお忙しいところとは存じますが、下記により市政に関する報告会を開催し、市政運営の状況等について御報告させていただきたいと考えておりますので、御出席いただきますよう御案内申し上げます。

1 日時 平成20年1月21日(月)臨時会終了後

2 会場 市役所大会議室(4階)

3 報告案件等
(1)本庁舎耐震診断中間概要報告について
(2)その他


 しかし、事実は違ったのである。
 14時22分に、議会事務局から入ったFAXにはこのような報告事項が掲載されていた。


1.教育委員会におけるセキュリティポリシー及び個人情報保護条例違反の処分について

2.市役所本庁舎耐震中間報告について

3.旧柏崎トルコ文化村内の民有地所有者が物件の所有者を提訴した事案において柏崎市が訴訟参加することについて

4.東京電力寄付金に関する県への活用要望について


 ・・・・・議事録が残らない報告会を実施して重要案件を伝えるという、とにかくやり方が汚い。特に3番の「旧柏崎トルコ文化村内の民有地所有者が物件の所有者を提訴した事案において柏崎市が訴訟参加することについて」については、お金を使う話であり、こういうことである。

 現在、旧柏崎トルコ文化村を購入したウェステックエナジー社は、民有地の地権者に使用料を支払っておらず、地権者から訴えられている。訴えられているウェステックエナジー社としては、売主である柏崎市の責任もあるとして、柏崎市に「訴訟告知」をしたのである。

*訴訟告知
 訴訟の継続中、当事者が、その訴訟に補助参加(民事訴訟法46条)をなしうる第三者に対し、訴訟係属の事実を法定の方式(民事訴訟法53条)により知らせることをいう。
 この場合は、買主であるウェステックエナジー社が<被告>、民有地の地権者が<原告>であり、基本的にはこの間で争われるが、<被告>となったウェステックエナジー社は売主である柏崎市<第三者>に、アンタにも責任あるよ、参加しなさいとしたのである。

 このまま告知をされても裁判に参加しないまま、もしウェステックエナジー社が敗訴すれば、柏崎市は敗訴の責任を争うことが出来なくなり、そのまま損害賠償を払う事になる。そのために、柏崎市としては裁判に参加するので弁護士費用115万円を予備費から支出したいというのである。
 たかが115万円という議論もあったようであるが、予算を使うのである。本来は議会で承認を得るべきものであるうえ、そもそも予備費などという姑息な手段を使うべきではない。
 昨年の12月議会で、この譲渡契約について

 「いい加減な契約」

と言っただけで、社会クラブの矢部議員が騒ぎ、議会が中断したが、その通りの「いい加減な契約」であったことが露呈したわけである。
 正当な手続きを踏んで行った売買契約ならばこんな裁判は起きないうえ、無駄な支出もない。柏崎市が契約した「いい加減な契約」でこういう結果になったのであり、なぜ市民の血税を支出しなければならないのか、市三役の給与を返還し、その費用を当てるべきである
 今後、柏崎市はこの裁判に参加するが、ウェステックエナジー社が敗訴すれば、柏崎市にも損害賠償が請求され、さらには旧柏崎トルコ文化村自体の譲渡契約解除の恐れもでてくる。
 そのため、柏崎市は市民である民有地の地権者を【敵】として、ウェステックエナジー社と共同戦線を張ることになるであろう。
 柏崎市役所は誰の税金で(おまんま)を食べ、暮らしているのか忘れているようである。
 今後の裁判のゆくえはもとより、この115万円の支出について追及していきたい。

 13時過ぎ、おかゆとひきわり納豆を食べ、静養・・・したかったが、各方面から色々な問い合わせがあった。
 今日の議案については、これまでに被災した自治体の議員も注目しており、また防災体制の確立に一所懸命な自治体からも注目されていた。
 経験された自治体の議員からは、

 「10年後が大変ですよ」

との指摘があった。過去の知見を鑑みない、今回の議案はその通りになりそうである。

Img_1518 18時、干し納豆と長ネギをたっぷり入れた、赤ダシ仕立ての鍋焼きうどんで夕食をとる。
 まだ熱を下がらず、今日の議案やその後の報告事項のお陰?でさらに体調悪化である。

2008年1月20日 (日)

原発を腫れものにするか宝物にするか

 夜中からの寒気に熱を計ってみると39度オーバー。一日中、ベッドの上でうなる。

Img_1516 朝は、バナナ1本とインスタントのひきわり納豆汁。
 昼は、駅弁フェアで母に買ってきてもらった「名古屋名物 みそかつサンド こんがりトーストタイプ」(株式会社だるま名古屋支社 電話:052-452-2101)。空弁ランキング1位となった商品で、熱のあまり味覚がおかしくなっていても、美味しく食べられた。

 夕方からは飲み会も兼ねた、町内成年会の会合であったが欠席させてもらう。

 夕食は干し納豆とおかゆ2杯。高熱と咳で、やたらとつらい風邪である。

 ここのところ柏崎市内、新潟県内でも原子力発電自体への懐疑、反対の声が多いとの報道が地元マスコミを中心に行われている。
 本当にそういった意見だけなのであろうか。
 原子力発電を推進、容認する立場の方はわざわざ声を大きくはしないが、反対の声は当然大きくなる。
Takaramotigusa しかし、なかにはこんな意見もある。
 元日刊工業新聞新潟支局長の大西勇氏による大西レポートに掲載された元新潟大学の橋本哲夫名誉教授(放射化学)の主張。

 「宝の持ちぐれさじゃないか!」(pdf形式)

 原子力発電を福井県は宝物とし、新潟県は腫れ物としているという指摘はその通りであり、行政にいるべき専門家の数も事実である。推進派でも反対派でもより多くの専門家を配置すべきということには一緒の思いであろう。ただ悪いことに、その腫れ物を使って、柏崎市を含め、「原発に反対します、でもお金はもらいます」という乞食根性丸出しになっている。
 柏崎市議会においては、原子力反対派の市長与党が原子力による交付金が入っている予算にも関わらず「賛成」しているが、これを矛盾という。反対派として、しっかり活動し、その筋を通すのであれば、原子力関係の歳入がある予算には反対すべきであろう。

 また、これからの柏崎市にとっても、本当に原子力発電との共生を目指すのであれば、感情的なものに流されず、冷静な目で判断し、影の部分の報道があれば、その改善案をどうしたら良いかの議論を促すようにすべきであろう。光の部分の報道だってあって良いはずだが、あまり見受けない。
 少なくとも政治に関わるものは、現実を見据え、公平公正な目で判断しなければならない。反対派が原子力発電所の廃炉を目指すのであれば、従来の柏崎市とは違った産業構造を提案するか、「小さなまちになりましょう」(当然、福祉サービスなどは低下)という活動をする必要があるはずである。


1.平成17年度 原子力発電所に関連した税収等

歳入・交付金全体 約300億円
<内訳>
・県歳入 法人2税、固定資産税、 約180億円
      核燃料税、電源交付金 (県一般会計歳入の1%強)
・柏崎市歳入 法人住民税、固定資産税 約90億円
         使用済み核燃料税  (市一般会計歳入の約20%
         電源交付金
・刈羽村歳入 法人住民税、固定資産税 約30億円
         電源交付金      (村一般会計歳入の約50%
周辺自治体 電源交付金 約5億円

2.柏崎刈羽の地元経済への波及効果
   約1100億円(地域GDPの約2割)
<内訳>
・地元発注にある生産誘発 約850億円
・関連従業者による消費等 約250億円

新潟県 復興ビジョン策定専門家会議データより


Img_1514  ちなみに、日本原子力発電の敦賀発電所、日本原子力研究開発機構敦賀本部の高速増殖炉研究開発センターもんじゅを抱える福井県敦賀市は、商店街に松本零士原作の『銀河鉄道999』『宇宙戦艦ヤマト』のモニュメントがある。
yamato 『宇宙戦艦ヤマト』は、謎の星ガミラスからの侵略を受け、放射能を含む遊星爆弾による放射能汚染の無差別攻撃にさらされた人類が、イスカンダル星にある放射能除去装置コスモクリーナーDを受け取りに、旧「戦艦 大和」を復活させるストーリー。
 この放射能を扱っているあたり、妙にマッチしているように思う。

  現実的には、エネルギー自給率がたった4%(ウランを国産とすれば19%)である我が国が、原子力発電に変わる大きな発電方法が開発できていない現段階において、原子力発電からの全面撤退という選択肢は難しい。
 今やるべきことは、感情に流されるのではなく、今回の地震発生メカニズムの解明や震災被害のデータを複数のルートで検証し、その反省や「安全・安心」対策とともに、本当に国が信用できる機関なのか、責任をとれる組織なのかを追及することである。

2008年1月19日 (土)

中国人による靖國神社参拝者襲撃事件

 自宅に戻ったことで、郵便物やらFAXやらが溜まっており、朝食も抜きで13時過ぎまで書類整理。

 13時、大粒納豆2パック、コンビニのスパゲティ・ナポリタン、低脂肪乳でブランチをとる。

 14時から企業誘致に関わる打ち合わせ。

Img_1513  19時過ぎ、「鮭のしょっから煮」をはじめ、鯛のあら鍋など安い魚素材を使った料理と熱燗を飲む。シメは納豆茶漬け。
 昨日からだるく、咳も止まらないので、風邪のぶり返しであろう。
 20時から24時まで仮眠。

 一昨日も関係者から話をお聞きしたが、この事件は尾を引きそうである。


平成20年1月16日『産経新聞』

日の丸奪って暴行 靖國神社で中国人逮捕

 東京都千代田区の靖國神社で、参拝客が持っていた国旗を奪うなどしたとして、警視庁麹町署は、暴行と器物損壊の現行犯で中国籍の王班亜容疑者(43)を逮捕した。

 調べでは、王容疑者は15日午前11時25分ごろ、靖國神社の境内で、横浜市から参拝に訪れた80代の男性が持っていた日の丸(縦1m、横1・5m)を奪い足で踏みつけたうえ、さおを折った。さらに、これを止めに入った神奈川県内の40代の男性看護師を殴りつけたり蹴ったりした。2人にけがはなかった。

 王容疑者は仕事で来日していたが、動機などについては黙秘しているという。


 なぜか産経新聞以外の朝日、読売、毎日は報道していないが、外国である日本に来日し、わざわざ靖國神社でこういった狼藉を働いた者に対して、抗議の声が大きくなっている。
flag この80代の男性というのは、よく存じ上げている方で、元陸軍憲兵兵長の開(ひらき)勇氏である。開氏は、毎月15日に亡き戦友をはじめ国難に立ち向かった方への慰霊として、国旗をもって参拝されている。
 そういった気持ちで慰霊に訪れている方であることはもとより、元軍人とはいえ齢80を迎える方への暴行は許されるものではない。
 しかも黙秘とは、何やら腹がありそうである。

 もし日本国内で外国の国旗を破いたりした場合はどうなるかといえば、刑法のなかに外国国章損壊罪(刑法第92条)があり、侮辱された政府の親告が必要なものの、法定刑は2年以下の懲役または20万円以下の罰金となっている。


刑法第92条

1項「外国に対して侮辱を加える目的で、その国の国旗その他の国章を損壊し、除去し、又は汚損した者は、二年以下の懲役又は二十万円以下の罰金に処する。」

2項「前項の罪は、外国政府の請求がなければ公訴を提起することができない。」


Gosei  では逆の立場として、北京あたりで五星紅旗をもつ現地老人に暴行を加えるなど、今回と同じようなことを日本人がしたらどうなるであろうか。
 その場でリンチなどの暴行されたうえ、かなり高い確率で中華人民共和国政府として日本に抗議するであろう。

 「友好」は大切であろうが、しかし言うべきことは言い、一線を越えた際には厳重な対処をするというケジメは大切である。外務省警視庁の動きに注目したい。
 特に警視庁には、中国人に注意した警官が頭蓋骨骨折、右足切断という事件が昨年末にあったばかりであり、よく考えてもらいたい。

 ちなみに、被害に遭われた開氏は今月23日のチャンネル桜「今日の自衛隊」に出演し、当時の状況をお話するという。

2008年1月14日 (月)

民主党は誰のための政党か?外国人参政権

 事務所の掃除を始めたが、なかなか片付かず4時に就寝。

 8時、起床。大粒納豆、目玉焼き、蓮根の油炒めでご飯2杯の朝食をとる。

 9時から11時過ぎまで、視察対応。福井県の学生さんグループで、昨夜から軽自動車に乗合いで来たという。えんま通り商店街をはじめ、米山町のがけ崩れ現場などを案内。

Img_1294  12時、自宅に戻り、頂き物の「おやき」、野沢菜味と切干大根の2つと低脂肪乳、グレープフルーツジュースで昼食。「おやき」は野沢菜が王道であるが、最近は味噌味かさっぱりとした醤油系の味付けのものが多い。20代の頃はその方が美味しいと思っていたが、だんだんと味が分かってくると長野出身の祖父が美味いと言っていた「酸っぱいほど漬かった飴色の野沢菜」が入っていてほしい。

 午後はひたすら事務所の整理を行う。途中、来客もあり、結局あまり進まずに書類の山。

Img_1306 21時過ぎ、スーパーの見切り品で買った「解凍ずわいがに」、半額になっていた「〆サバ」、そして頂き物の浅間酒造「冬季限定販売 新ばしり しぼりたて」を飲む。「ざわいがに」と言えども、見切り品になっていたものらしく、水っぽく旨味なし。主に「〆サバ」で酒を飲む。3合ほど飲んだところで、ひきわり納豆と生卵のご飯でシメる。

 22時から24時まで仮眠。

 外国人地方参政権に反対する会さんをはじめ多数の方から外国人参政権に関するここ最近の急速な動きや民主党内で配られたという資料を頂いた。民主党の資料の内容はこうである。


在日韓国人をはじめとする永住外国人住民の法的地位向上を推進する議員連盟(案)

 『在日韓国人は日本の朝鮮に対する植民地化の結果、日本に居住するにいたり、戦後60年以上にわたって、地域の一員として生活を営み、地域にかかわる活動に積極的に参加するなど、地域社会発展に応分の寄与をするとともに、納税等の「住民」としての義務を日本国民と同等に果たしています。
 しかしながら、彼らは「住民」として住んでいる自分の街を暮らしやすくするための意思決定の最も重要な手段である地方自治体選挙への参加の途がいまだ拓かれていません。そのことを踏まえ、すでに都道府県32件を含めた総数1237件の地方自治体において、永住外国人への地方参政権付与を求める決議が提出されております。
 つきましては、在日韓国人をはじめとする永住外国人住民から地域社会の住民として永年にわたり要望を受けてきた永住外国人への地方参政権の付与のあり方を検討する必要があります。ちなみに最高裁判所は平成7年2月に「外国人永住者等の地方選挙権は、憲法上、禁止はされていない」との見解を示し、注目されました。韓国ではすでに、日本人を含む永住外国人住民に地方選挙権を付与しております。
 我々は、在日韓国人をはじめとする永住外国人住民から地域社会の住民として永年にわたり要望を受けてきた永住外国人への地方参政権の付与のあり方を検討し、法整備がなされることを目指し「民主党・在日韓国人をはじめとする永住外国人住民の法的地位向上を推進する議員連盟」を設立します。
 何卒、当議員連盟のご趣旨にご賛同の上、是非ともご参加いただきますよう、お願い申し上げます。』


 ・・・・・歴史、事実の認識不足、いやあえてすり替えての論調である。
 「植民地化の結果、日本に居住するにいたり」うんぬんは、「強制連行」幻想などに基づくものであり、日本が帰国事業を行っても帰らないことを多くの在日朝鮮人の方が選択したことは忘れているようだ。
 最高裁の見解とされているものは、平成7年2月28日最高裁判所第3小法廷での判決であろうが、その主文は

 憲法九三条二項にいう「住民」とは、地方公共団体の区域内に住所を有する日本国民を意味するものと解するのが相当であり、右規定は、我が国に在留する外国人に対して、地方公共団体の長、その議会の議員等の選挙の権利を保障したものということはできない。以上のように解すべきことは、当裁判所大法廷判決(最高裁昭和三五年(オ)第五七九号同年一二月一四日判決・民集一四巻一四号三〇三七頁、最高裁昭和五〇年(行ツ)第一二〇号同五三年一〇月四日判決・民集三二巻七号一二二三頁)の趣旨に徴して明らかである。

となっており、

 このように、憲法九三条二項は、我が国に在留する外国人に対して地方公共団体における選挙の権利を保障したものとはいえないが、
(中略)

原審の判断は正当として是認することができる。 論旨は採用する事ができない 

としているのであり、この判例をもって最高裁で外国人の参政権を認めたと説明するのは困難、というよりは悪意ある引用である。

*原告である民団(在日本大韓民国民団)員の訴えは明確に棄却された。

 しかも韓国で認められているというのは、平成16年時でいえば在韓日本人はたった51人であり、在日韓国人の約70万人とは相互互恵にはなりえない。
 そもそも参政権がほしいのであれば、帰化すれば良いのであって

 「帰化はしません、
  国籍は元のままで参政権下さい」

は話が通らない。
 納税のことも書いてあるが、納税はあくまで行政サービスの対価であって、参政権の条件ではない。納税と権利の関係を混同するのは、最高立法府である国会議員のレベルとはとても思えない。

 今後、柏崎市議会を含めて、各地方議会へ外国人参政権実現への働きかけが予想されるが、断固「反対」したい

2008年1月13日 (日)

天皇陛下御製 新潟県中越沖地震

 0時過ぎ、ホテル新潟に着き、そのまま宿泊。

 7時、起床。物が所狭しと置かれている自宅とは違うので、ゆったりとした気分になり、コンビニで買った納豆巻き2本、トマトジュース、ゆで卵2個で朝食をとりつつ、ソファで本を読む。
 知人である靖國神社権禰宜の奥様がインタビュワーとなって、支那事変から大東亜戦争までの戦争体験を作家・伊藤桂一氏にお聞きした『諸君!』誌の連載がまとまった新書『若き世代に語る日中戦争』を読了。
 すでに『諸君!』誌上で拝読していたが、通して読んでみると新しい発見もあった。やはりその時代を生きた方の体験を、その時代の常識に合わせて感じることが重要なのであろう。

 10時前にチェックアウトし、愛車で移動。今度からはなるべく電車にしようと思う。

Img_1292  12時過ぎ、自宅に戻り、お泊りしていた姪っ子と一緒に「有限会社 佃善(つくぜん)」 (札幌市北区篠路5条7丁目2-35 電話:0120-875-075)の「じゃが豚」で昼食。付いてきたスープに刻みネギを入れ、かき卵風スープに仕上げてみたが、つるつるとした食感、豚肉の重厚さと相まって、量は少ないながら満足の昼食となった。

 食後は姪っ子を連れて買い物や郵便物など市内で雑務。

 17時から21時まで長岡市の某所にて、打ち合わせののち懇親会。仕事関係での初の新年会となり、車での移動のため自分自身は酒を飲まなかったが、酔った勢いでの面白いビジネスプラン発表会?は非常に楽しめた。20代前半の柔らかい頭の意見は、実現性などを含めて荒削りであるが、発想方法などは大変参考になる。

 23時、自宅に戻る。

 昨年の中越沖地震発生後の8月8日、天皇皇后両陛下が我が柏崎市にお見舞いにお越しになられ、柏崎小学校の体育館に避難されていた方をはじめ、多くの被災者が勇気づけられた。
 新年明けて、改めて両陛下が昨年お詠みになったお歌を見れば、そのときの光景が目に浮かぶ。

 被災せし新潟の人は
 いかにあらむ暑さ厳しきこの夏の日に

 How are they faring The people of Niigata,
 Victims of the quake,
 In the relentless heat Of these scorching summer days.

 そういえば、こんな不敬な写真があったことも思い出す。

2008年1月12日 (土)

自民党県連青年部恒例・新春街宣

 3時就寝。7時、起床。階段をはじめ、地震後にまたひび割れてきた箇所など、午前中いっぱいかけ、パテで埋めたり補修を行う。

 12時過ぎ、某団体の新年会?に冒頭だけ出席させてもらい、ご挨拶。ここでも、桑山木材跡地の罹災者公営住宅の話題がでた。
 なかには、駅前ということになると競争率が高くなるが抽選はあるのか、といった質問もあった。公営住宅であるから申し込めば入れるだろう、という誤った情報が伝わっているのである。公営住宅も併設されるが、基本的にこの罹災者公営住宅は、

 「現在、仮設住宅に住み、
   2年間経過しても自宅の建設が困難」
 「さらに月収による制限があり、補助も5年間」

であり、この条件に合致する人のみが当初の対象となる。
 土地代9億円に加え、数億円の建設費、このお金を市民へ十分な説明もせずに、一気に支出しようというのである。しかも市有地にはまだ余りはあり、かつ民間のアパートを活用するなどの手段も残っている。
 入居の条件や支出される金額をご説明すると、

 「そんがんゼン(銭)あんなら、
       一部損壊の家にも配れぇやぁ!」

との怒りの声が上がった。ご尤もである。

Img_1275 急いで愛車にて、新潟駅前に移動。
 自民党新潟県連青年部のメンバーと合流したものの、あまりの寒さと空腹に、新潟駅ビル1階にある「柳庵」に行き、「天玉そば 430円」で昼食をとる。「柳庵」は、つゆも麺もあなどりがたく、好きな立ち食いソバ屋のベスト3に入る。ちなみに、天カスも入れ放題である。

Img_1277 すっかり体が温まったところで、14時からの新春恒例街頭演説で新潟市内をまわる。青年部は35歳以下の自民党員で構成されており、今年の7月には36歳となるので最後のご奉仕である。
 「さて、気合を入れるか!」といったところで、ありがたいことに「築地 銀だこ」のたこ焼きの差し入れを頂戴した。腹いっぱいとなり、早くも動きが鈍る。

Img_1280 演説は、寒風吹きすさぶ中、吉田六左エ門代議士やベテランの県議、1年生の県議などに加え、政治家ではない青年部のメンバーもマイクを握り、熱く訴えた。
 私自身は2つのテーマに絞り、新春らしく?「本音」の演説を行った。

1.年金問題の本質

 政権与党であり、政府の中枢である自民党が社会保険庁の監視を行った事には非があろうし、批判も感受すべきではあるが、この問題の本質は労働問題であり、役人の犯罪行為である。昭和54年5月12日に国費評事務局長と庁総務課長で交わした覚書などは、

 少なくとも窓口装置の1人1日のキータッチは、
 平均5,000タッチ以内とし最高10,000タッチ
 以内とする。

などと、何とも非常識な『まいっちんぐマチコ先生』である。
 役人の首根っこを押さえる政治が必要であり、それは自治労などの支援を受けている政党にはできないこと。

自治労国章評議会と交わしていた
覚書及び確認事項(例・抜粋)pdf形式

2.拉致問題解決への気概

 もう時間はない。韓国に新大統領が誕生したものの、北朝鮮政策に対して日本のお金(*1)を望んだり、また日本国内でも北朝鮮の国民は可哀そうだから人権的見地から支援を続行すべきという声がまた大きくなってきた。しまいには、軽水炉の建設費用の肩代わり(*2)までするのである。これを「盗人に追い銭」という。
 しかし、同じ日本人が拉致されているのであり、日本人の人権はどうでも良いのか。
 普通の国であれば、自国民を拉致されたと判明した段階で躊躇なく、政治的圧力か軍隊を投入するであろう。それが世界の常識であり、日本だって「自衛隊の投入」を考えたっておかしくはない。

*1 昨年12月14日、のちに当選する李明博候補がSBSテレビの番組内で演説。「北朝鮮が核を放棄すれば、国民一人あたりの年間所得を3000ドルまで向上させる。この財源は、国際機構と日本が協力して400億ドルを出す」・・・自分たちの民族のことは自分たちでやれ!

*2 平成19年12月22日『読売新聞』
 政府は、北朝鮮が返済することになっている朝鮮半島エネルギー開発機構(KEDO)の軽水炉建設費用に対する国際協力銀行(JBIC)の融資残高448億円について、事実上、肩代わりすることを決めた。
政府がKEDOに資金を拠出し、KEDOが同銀行に返済する形を取る。資金の拠出は来年度から最長5年間にわたり、来年度当初予算案に約90億円を計上した。外務省幹部は21日、「北朝鮮に今後、返済を要求する」として、「肩代わり」ではないとの立場を強調した。ただ、「北朝鮮が今後、返済に応じる可能性はほとんどない」(政府関係者)と見られており、北朝鮮の債務を日本国民の税金で補てんする形となるのは不可避の情勢だ。与党内からも、対応を疑問視する声が出ている。
 
日本政府は1999年4月に、KEDOが北朝鮮に供与する軽水炉型の原子力発電所2基の建設資金として1165億円(10億ドル)を上限に、JBICがKEDOに融資することを閣議決定。
 融資分は、北朝鮮がKEDOを通じて返済するが、北朝鮮が返済しない時は、日本政府が損失補てんするとしていた。北朝鮮の核兵器保有宣言などを受け、06年5月に軽水炉建設事業の廃止が決まり、448億円が焦げ付いた。
     

 過激だったのであろうか、「自衛隊の投入」と言ったところから、多くの方が足を止めて話を聞いてくださったり、20代らしき二人組からは拳を上げて、初老の男性からは大きな拍手の応援を頂戴した。

Img_1283 17時過ぎに古町十字路で演説終了。
 18時30分から「御米屋古町店」(電話:025-225-8800)にて、慰労会兼新年会となった。
 寒空のなか、スーツの薄着でいたため、体が完全に冷え切っており、ビールをコップ2杯ほど飲んだあとは、ひたすら熱めの熱燗。
 ちょっと臭いが気になる調理ではあったが、アン肝と熱燗で至福の時間となった。
 こういった日は、純米酒を飲むより、アルコール添加された辛めの特別本醸造酒の熱燗がよく似合う。

Img_1291 1次会終了後はお約束で、古町界隈を2次会、3次会と進む。23時過ぎ、4次会に進むメンバーとは離れ、「生蕎麦の丸屋 坂内小路店」(電話:025-228-3003)で、「うまにタンメン 810円」でシメる。
 元気の良い「水商売の香り」がするおばちゃんのおススメであったが、寒い日のシメにぴったりの塩気とトロみであった。

2008年1月11日 (金)

柏崎市とラスパイレス指数2007

 カラオケで一人1曲、懐かしい歌を歌うということだったので、中学生時代に人気であった小泉今日子が歌った「木枯らしに抱かれて」(作詞:高見沢俊彦 作曲:高見沢俊彦 編曲:井上鑑)を、THE ALFEE版で歌う。「せつない・・」の重なりなど、この歌は一人で歌うには難しい。歌い終わったところで、同世代の某氏もTHE ALFEEにしようと「メリーアン」(作詞:高見沢俊彦・高橋研 作曲:高見沢俊彦)を歌い、盛り上がって終了。

 1時過ぎに自宅に戻る。シャワーを浴びて、2時に就寝。

 7時、起床。大粒納豆、ごま豆腐、目玉焼きでご飯2杯の朝食をとる。

Img_1274 昨年12月13日に転んで入院をした祖母が退院となった。
 午前中いっぱい、祖母が帰ってきても良いように、手すりや椅子などの買い出しをしたり、取り付けをする。
 12時過ぎ、「うれっ子」(電話:0257-22-4648)の「チャーシューメン」の出前をとり、昼食。

 15時から市内某所で打ち合わせをし、そのまま新潟市に移動。

 19時30分から某社の会議室で、異業種交流会を兼ねた新年会を行う。参加者の多くが30代で脱サラし、起業した方で奥さんと同伴も多い。奥さんが経理や事務手続きをやり、旦那さんが営業に走りまわるというパターンが大半のようである。一緒に仕事をやると面白そうな方もおられたので、また後日、飲み会をしようということになった。

 酒を飲まなかったのに、時間が経過するのが早く、22時過ぎに終了。帰宅する。

 柏崎市におけるラスパイレス指数が、昨年より上昇し、政令指定都市である新潟市(98.3)に次いで、県内2番目の97.4という報道があった。
 特例市である長岡市、上越市よりも上である。

*ラスパイレス指数は、国家公務員の給与を100にした場合の地方公務員の給与水準を示したものである。つまり、国家公務員100に対し、柏崎市役所職員は97.4の給与水準。

 中越沖地震で被災せずとも、実質公債費比率が高く、自由に借金ができなくなっている柏崎市の台所事情は、まったく関係ないといった印象すら受ける。


・新潟県内実質公債費比率ベスト5(%)
 2007年速報版

(1)南魚沼市 24.6
(2)魚沼市 23.9
(3)柏崎市 22.2
(4)胎内市 21.9
(5)三条市 20.4

*実質公債費率:
 地方税や地方交付税などの収入の合算額(標準財政規模)に対して公債費(
債券の発行又は証書借入れによって負う債務)の占める割合。当然、この率が高いと収入から借金への返済が多くなるため、自転車操業に近くなる。
 ただし、柏崎市の場合は原子力関係の収入も標準外にあるため、それらを含めると若干数字は良くなる。
*18%を超えた場合:
  公債費負担適正化のための計画書の提出を新潟県に求められる。


 ちなみに、最低は<財政破綻>をした北海道夕張市で68.0。昨年は、長野県王滝村の67.5であった。

 柏崎市役所人事課からは「平均年齢が上がったため」というコメントがあったが、本当にそれだけの理由と言えるのであろうか。
 議会にも説明した人員適正化計画の成果をどう評価すべきなのか。
 モチベーションを高める意味でも、ただ単に給与を削減すれば良いというものではないが、少なくとも
会田市政になってからは、

 「55歳で昇給停止」

 「58歳での部長職交代」
  *若手起用のため、58歳になったら部長職から降りていた。

の制度を廃止するという<改悪>を行っていることは見逃せない。

 さらに市民皆様からの批判が多い、先の12月議会での市職員の給与の増額についても、中越沖地震という未曽有の大災害を受け、まだ財政見通しも見えていないなかで行っている。これは金額うんぬんの問題ではなく、被災した市民との一体感を損なうものである。
 職員給与の増額に賛成した社会クラブ、自治研究会、共産党、柏崎のみらいなどは、今後市民にどう説明するのであろうか。

 今年は市長選挙の年であり、政治的な動きも活発になるが、少なくとも行政職員のためではなく、柏崎市、柏崎市民のための政治を行うべく、方向転換が必要である

*全国の給与削減措置 (平成19年4月1日時点)
 初任給基準の是正(都道府県:1、指定都市:8)
 わたりの是正(都道府県:0、指定都市:3)
 給料表の是正(都道府県:2、指定都市:2)
 最高・枠外号給からの昇給期間の是正
      (都道府県:3、指定都市:8)
 諸手当の是正
  特殊勤務手当関係(都道府県:25、指定都市:8)

2008年1月10日 (木)

災害時公営住宅について過去の知見

 輸入に関する手続きなど海外とのやりとりがあり、結局、徹夜となった。

 7時過ぎ、大粒納豆、かまぼこ、大根菜の油炒めでご飯2杯の朝食。食後、横になったらそのまま寝てしまい、気付いたら10時。

 10時過ぎから市内某所にて打ち合わせ。コンビニで、納豆巻き2本と低脂肪乳、トマトジュースを購入し、13時前に一度自宅に戻って昼食にする。

 14時から再度、市内某所で打ち合わせを行う。輸入に関する手続きは大変とは思っていたが、ここまで面倒だとは思いもよらなかった。

 16時から市内で活動をされている方のお宅にお邪魔し、意見交換。話は盛り上がり、19時過ぎまで話し込む。

Img_1273 20時、母のお土産で佐世保バーガー「BigMan」(長崎県佐世保市上京町7-10 電話:0956-24-6382)の「ベーコンエッグバーガー」2個で夕食にする。1個でも十分かと思ったが、香りあるベーコンと卵の重量感にソースがうまく絡んでおり、つい2個を食べてしまった。

 22時から某団体の2次会に出席。昨年末から新年まで飲み会ラッシュであり、金銭的にも体力的にもキツイシーズンである。

 先の総務常任委員会で委員が3名出席できない日程で、異常な雰囲気のなか、市長与党の強引な展開で、9億円で新規に桑山木材跡地を取得する「債務負担行為議案」が可決した。
 市長与党は、罹災者公営住宅の建設にケチをつけるのは人間的ではないという、感情的な議論に話をすり替えているが、過去に起こった震災における知見を調査しているのであろうか。

 この文書「阪神・淡路大震災の教訓情報分析・活用調査」報告の一部(pdf形式)でも、触れられているように、民間のアパートの活用の取組みや、行政が住宅を建設したことによる官民の賃貸住宅供給バランスの不均衡などの反省点が挙げられている。
 先日、中越地震を経験した自治体の市議会議員や行政関係者からも、本当の復興のためには行政が住宅を作るのではなく、民間の力を活用をすべきであったとの反省をお電話で頂戴した。ありがたい限りである。
 柏崎市は、多くの震災による復興ノウハウを知ることができ、かつ自身でも中越地震、中越沖地震と2回の震災を経験するなか、同じミスを繰り返すのであろうか。

 いま柏崎市がやるべきことは、これまでの復興ノウハウ、知見を学んだうえで、失敗を糧として地方に多い10万人規模の自治体が被災した際のモデルケースとなること、そして原子力発電所を有する自治体に防災の在り方を示すことである。

 民間を活用せず、ただ単に感情や利権に流された選択をすべきではない。
 本来の目的は、 「罹災者公営住宅に入る人をなるべくゼロ」にするよう、元の生活(自宅)に戻って生活できる支援をすることである。

阪神・淡路大震災教訓情報資料集

2008年1月 4日 (金)

「徳育」あってこそ国は幸せ、柏崎も

 1時過ぎに帰宅。録りためてあった番組を一気に倍速で見る。お笑い関係では、3人組の「我が家」 、そして「アントキの猪木」が安定した面白さであった。お気に入りの「クールポコ」にも、今年はなんとか売れてほしい。

 5時から8時まで仮眠。ひきわり納豆汁、豆餅で朝食をとったのち、ここ数日の風でごみが溜まった家周りの掃除を行う。

Img_1242 10時30分過ぎ、柏崎市市民プラザ海のホールに移動。
 11時から柏崎市、柏崎商工会議所共催の「平成20年 新年賀詞交換会」がスタート。
 目出度い舞の後、開会宣言があり、国歌斉唱となった。同じテーブルには共産党の議員がおり、案の定、歌わず。
Img_1243 会田市長、商工会議所会頭の主催者挨拶に続き、来賓の国会議員の挨拶であったが、今年もかなり長くなり乾杯は12時近くであった。
 乾杯ののち、何人かの方とご挨拶をしていたところ、あっという間のお開きとなり、萬歳三唱で終了。食べ物も多くの残り、 「もったいない」ことこの上ない。こういった公の行事からまず「もったいない」に気を遣うべきであろう。

Img_1245 12時30分、市役所に移動。会派室にて、「やぶ」(電話:0257-22-3482)の「カツ丼 大盛り」出前を食べながら、会派会議。最近は超大盛りのメガ食品ブームであるが、このカツ丼も負けていない。1000Kcalほどはありそうである。年明け一発目の出前で早くもガツンとしたものを食べてしまった。
 議員報酬をはじめ議会費削減についての方針や現在の市政の問題点などの整理を行う。
 数えてみるだけでも解決していないや懸案事項は、震災復興以外に

・番神恒久的浜茶屋問題 結局、通年営業、冬季観光は?
・僑柏園の保障問題    市民との約束は?
・柏崎ぶどう村問題     責任の所在と施設の売却は?
・柏崎トルコ文化村問題  地権者の地代、アタチュルク像は?
・家庭ごみの有料化問題  市の方針は?
・今後の財政見通し     少なくとも10年単位の見通しは?
・フロンティアパーク売出  地震後の企業誘致の取組み

とある。
 特に僑柏園の保障問題や柏崎トルコ文化村問題については、法的なこと以上に道義的にも問題があろう。以下の記事内容が、柏崎市政にも言えるのではないかと思う。


平成20年1月3日「産経新聞」

【正論】新しい年へ 大阪大学名誉教授・加地伸行

 「徳育」あってこそ国は幸せ

 ■順法だけでは道義心の再興はない

 ≪諸課題の根底にあるもの≫

 謹賀新年。
 年頭とあれば、雄大にして深遠な、未来への希望を語るのがふつうであろう。しかし、私は足元について語りたい。日本人の足が地に着いていないからである。「道は爾(ちか)きに在り。而(しか)るに諸(これ)(道を指す)を遠きに求む」(『孟子』離婁上篇)
 
昨年、私が経験したことから言おう。拙著が10年もかかって苦心して独自に訳したことばを、いとも簡単に剽窃(ひょうせつ)した者がいた。私はそれを指摘し批判した(昨年12月4日付本紙文化欄、大阪版は22日付夕刊)。
 
その者は、あろうことか、研究・教育を担う国立大学教授である。情けない。
 
これはほんの一例。今日の日本の最大課題は、国防でも社会保障(年金問題も含め)でも経済活性化でも国会停滞でも石油高騰でもその他いかなる問題でもなく、ただ一点、諸課題の根底にある「道義」の確立である。それによってほとんどの問題は解決できるのではないか。
 
もちろん、道義の頽廃(たいはい)は今に始まったことではない。有史以来、心ある人々はこの問題を真剣に説き、その回復への提案をしてきた。遠まわりのように見えるが、その方法の一つが道徳教育であったことは言うまでもない。
 
そうした道徳教育の有効性がなかなか見えにくいのは事実である。しかし、有効性を問うことなく、道徳教育への努力が東西の歴史上、行われてきた。現代のわれわれもまたそれを行うべきである。
 
ただし、その方法や目標については、常に具体的に提案しなくてはならない。道義の回復を唱える単なる精神論では説得力がない。
 
約10年前から、私は大阪府人権施策推進審議会の委員を務めている。その一回目の出席において、私はこう発言した。「これまでの人権教育はまちがっていた」と。事務局、陪席者、傍聴者等を含めて50人はいたであろう満場が、しんと静まりかえった。息を呑んだ感じであった。そのような発言をした委員はいなかったからである。

 ≪人権を知るための基礎≫

 私は続けてこう発言した。人権というような高次の思想・道徳は、年齢の高い者でなければ、真に理解することはできない。また、一般的道徳を身につけていなくては、そういう高次の道徳を実践することはできない。特に小学生には人権教育は理解が困難であるから、まず一般的道徳をしっかりと教育すべきである、と。
 
一般的道徳とは、日常道徳のことである。例えばゴミはその辺に捨てない、友だちとの約束は守る、信号に従う…等々。そのようなことを実践できてはじめて人権教育が可能であるとし、その連続上、私は一般的道徳教育を「人権基礎教育」と名づけ、まずそこから始めよ、と主張した。
 
それを受けて、大阪府教育委員会は人権基礎教育を試みつつあるが、高い評価を得られず、まだまだ十分ではない。小学生の学力テストにおいて大阪府が全国最下位から二番目というのは、人権基礎教育すなわち一般的道徳の教育が十分でないことと、一定の相関関係があると私は思っている。
 
小中学校という義務教育段階においては、高度の道徳の教育は不要であるが、一般的道徳の教育は必須である。
 
にもかかわらず、文部科学省中央教育審議会の山崎正和会長は、個人の意見と断りつつも、道徳教育不要論を唱え、順法精神を教えるのみでよいとしている。

 ≪孔子のことばに学ぶこと≫

 愚かな話である。こうした主張の誤りは、2500年前、すでに孔子が喝破している。
 
「之を道(みちび)くに政(まつりごと)を以(もっ)てし、之を斉(ととの)うるに刑を以てすれば、民(たみ)免(まぬ)かれて恥(はじ)無し」(行政を法制のみに依(よ)ったり、治安に刑罰のみを用いたりするのでは、民はその法制や刑罰にひっかかりさえしなければ何をしても大丈夫だとして、そのように振舞(ふるま)ってなんの恥じるところもない
 
法律は守るが法律に書いていないことは何をしてもいい、となるのが順法精神原理主義の危険なところなのだ。それはすでに、高学歴のホリエモン・村上ファンドらの行為にはっきりと出ていたではないか。だから、順法精神以前に、「之を道くに徳(道徳)を以てし、之を斉うるに礼(規範)を以てすれば、恥有りて且(か)つ格(ただ)(正)し」-しぜんと法も守ることになると孔子は述べている。
 
古典のこうした知恵も知らない者が教育を主導するのであるから、我が国の道徳教
育の前途はまことに困難であり、不幸である。


 15時過ぎから17時過ぎまで郵便局をはじめ、雑用で市内をウロウロ。

Img_1247

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