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2008年3月10日 (月)

2008年3月10日 (月)

地方議会横並び意見書の問題
柏崎JC 3月公開例会

 2時就寝。6時、起床。大粒納豆と生卵、なめ茸でご飯2杯をかっ込んで、あわてて家をでる。
 昨夜、訃報があり、急遽葬儀に参列するため、電車にて直江津駅まで移動し、合流して車で長野市に移動。今日は、議会の文教経済常任委員会であったが、委員である先輩議員に質問の内容等をお願いした。

 10時からお経があがり、11時過ぎには出棺。東京で格闘技のやっていたときの関係者であり、享年45歳という若さ。よく食事をご馳走になり、もう食えないというところまで食べても、 「若いんだから、もっと食え」と言う、後輩思いの豪快な人であった。やはり癌こそ日本国民が克服すべき病気である。
 ご両親も既に他界されており、本人も離婚していたことから、お姉さん夫婦が取り仕切っており、何も手伝えないのが歯がゆい。

 15時過ぎに自宅に戻り、事務仕事。17時から急遽の打ち合わせが入る。

tf 打ち合わせの最中にチャンネル桜の水島社長から電話があり、田形竹尾先生が今日8時51分に御逝去されたとのことであった。
 田形先生に初めてお会いしたのは、4年前。柏崎にもご講演にお越し頂いたり、しょっちゅうお電話で貴重なお話を聞き、チャンネル桜の収録時には、毎回食事をご一緒させて頂いた。
 元大日本帝国陸軍のエースパイロットであり、涙ながらに教え子を特攻隊として送り出し、そして自らも特攻出撃する矢先の戦闘停止(昭和20年8月15日)であった。
 奇しくも、今日は「陸軍記念日」。誇りある日本を取り戻せ、という田形先生の戦いは今日終わった。

*「陸軍記念日」
 明治38年3月10日の日露戦争における奉天大会戦で日本軍が勝利したことを記念する休日。大東亜戦争敗戦とともに廃止された。民間人を狙った、米軍による東京大空襲はこの日を照準にされた。

 お通夜、葬儀のご案内もあったため、仕事の全体スケジュールを動かす調整を行う。

Img_2097 19時過ぎ、柏崎エネルギーホールにて開催の柏崎青年会議所3月公開例会「『震災からの心の復興』~キセキの一日~」に途中から出席。 
 「震災前より柏崎を元気にする。」「震災前より市民を笑顔にする。」ことを目指し、応用心理学の分野から「災害心理学」について学ぶのが目的である。講師は、ナチュラルメディカルCEOの下條茂氏。
 公開例会のため多くの市民の方が出席され、食事のご提案などには耳が痛いところが多々あった。

講師紹介:
 大学卒業後、ユニオンカレッジ東洋医学課程、サンフランシスコ州立大学保健教育学科を始め、国内外の20種類以上のデュプロを取得。開業15年で10万人のクライアントさんから教えてもらった事を感謝とともに伝えたいと1997年にナチュラルメディカルを設立、クライアントが主役になるクライアント塾をはじめ、小中学校の講演会、専門学校の講師をはじめ、全国の医師、歯科医師会などの講師など全国で250箇所以上で開催する。また、国内外の医師、歯科医、セラピスト、クライアントと共につくりあげる、内閣府承認NPO法人の理事長に就任、著書に「痛み病気そこに愛はありますか?」などがある。
近年では、新聞の連載を始め、数多くの臨床経験の確かさから新潟大学医歯学部保健教育学部との共同研究で学会発表なども行っている。

Img_2099

 例会終了後、21時過ぎから「スナック エムEMU」(電話:0257-32-9567)にて懇親会。
 今後のまちづくり関係から原子力発電所の話題まで幅広い内容で盛りあがる。
 24時近くになってお開きとなってからも議論は尽きず、次のお店に移動となった。

Img_2101  移動途中に、24時近くという夜中にもかかわらず和服を着た女性が二人で寝袋を背負ってウロウロしていたので、声をかけると岡山県から旅行に来たものの宿泊場所がなく、困っていたとのことであった。
 とりあえず、「坦坦らーめん店 てんぎょう(天仰)」に入り、他の柏崎青年会議所メンバーとともに食事。「納豆つけめん 900円」を食べる。

 新潟県内の色々な自治体で現在予算審議の定例議会が開会中である。
 そんななか、柏崎市議会において全会一致可決した中越沖地震原発調査特別委員会発案「委員会発案第3号 柏崎刈羽原子力発電所の徹底調査と危機管理体制の充実を求める意見書」と同じ内容のものが、各自治体の議会に請願として出されているという。
 自民党新潟県連をはじめ、N市、S市、J市など各議会からの問い合わせも昨日から続いている。

 この委員会発案に際しては、反対派である委員長と相対するかたちで、私は副委員長という立場であり、今回の中越沖地震による原子力発電所の被害が 「原子力災害ではなく自然災害」ということ念頭に、字句の修正を迫って、同意した内容である。
 しかし、立地自治体である柏崎市議会が可決したからといって、柏崎市議会のように中越沖地震原発調査特別委員会を設置していない自治体の議会が、そのままの文面を採用するのは、いかがかと思うのである。
 柏崎市議会ではこの委員会発案の前である第5回定例会で、議会運営委員会による発案の「委員会発案第2号  中越沖地震原発調査特別委員会設置についての決議」を採択し、それを受けて中越沖地震原発調査特別委員会を設置し、その委員会の活動方針を含めて、上記の意見書を可決したのである。
 もし、上記の意見書のみを見て、他の自治体の議会が中身をそのまま写した請願を可決するということは、前後の関係を抜いた、いわば

 「真ん中のアンコのみ」

のことであり、原子力発電への賛否は別として、地方議会が自らの状況・立場を加味しないで、鵜呑みにするようなことは避けてほしいと思う。議員としても、自らの存在価値の否定になってしまう。

 他の自治体と同じ文面で可決させようという同様の事例として、道路特定財源の意見書の話があった。しかし、柏崎市議会としては、柏崎市独自の立場や在り方を文面に反映して、国会では反対である社民党、共産党の党籍を持つ市議会議員にも賛同してもらい、全員一致になった。

 他の自治体の議会に干渉するわけにはいかないが、請願とはいえ、中身や前後関係も含めてよく議論をしてもらいたいと思う。
 原発反対派は、他の議会で「中越沖地震の被害=原子力災害」のイメージがつくよう暗躍しているようであるが、それこそ風評被害のもとである。

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