2023年12月
          1 2
3 4 5 6 7 8 9
10 11 12 13 14 15 16
17 18 19 20 21 22 23
24 25 26 27 28 29 30
31            
無料ブログはココログ

« 2008年2月 | トップページ | 2008年4月 »

2008年3月

2008年3月31日 (月)

中共軍の変装潜入、チベット人印象操作
柏崎でも謀略始まる

 メールやブログなどを書き、3時、就寝。

 7時、起床。大粒納豆、鮭の味噌漬けを焼いたもの、生卵でご飯2杯の朝食をとる。

 午前中は、事務所内で依頼されていたビデオ素材の編集とDVDへの書き出しなど。複数作業をするとパソコンのスペックが追いつかない。専用機がほしいところである。

 12時から市内某所で懇談しながらのランチミーティング。和風スパゲティとサラダのセットを注文する。
 ミーティング終了後、そのまま長岡市に移動。

 13時から東京から来た編集者と単行本企画の打ち合わせ。かなり長い打ち合わせになり、さすがに会場として使ったお店に悪く、ミックスサンドイッチをおやつ?に、そしてハンバーグ定食を夕食として注文。

Img_2494 19時過ぎ、柏崎に戻り、そのまま柏崎青年会議所のECO活動推進委員会の会議に出席。
 素材をもらってから作成したオープニングビデオ、パワーポイントの資料の流れなどを確認する。公開例会が4月13日(日)だったことをすっかり勘違いし、4月7日(月)だと思っていたことに気付く。4月13日(日)は名越先生の一周忌で墓前に行くことになっていたため、公開例会当日は欠席せざるをえない。ただただ同じ委員会のメンバーに平謝り。

 21時過ぎ、一旦自宅に戻るも、お呼びがかかり、市内某店に移動。市政に関するご要望をはじめ、市長選に関することなど。

 24時近く、自宅に戻る。

 宣伝、謀略は国際社会にはつきものである。

Tibet もし、自分が中共(中国)首脳部だったら、今回のチベット弾圧をどう世界にねじ曲げてプロバガンダを打つのか、チベット人が暴力的であり、政府こそが手を焼いているというねつ造からはじめるのではないか、と思っていたところ、案の定、



平成20年3月29日『産経新聞』

「兵士が僧侶に変装」とダライ・ラマ 中国に反論

 18日、インド北部ダラムサラで、記者団と話すチベット仏教最高指導者ダライ・ラマ十四世(ロイター)【北京=野口東秀】チベット仏教最高指導者ダライ・ラマ14世は29日、インド・ニューデリーで記者会見し、チベット自治区の騒乱について、「中国軍の兵士数百人が僧侶姿に変装していたと聞いている」と述べた。インドのPTI通信(電子版)が伝えた。
 AP通信などによると、ダライ・ラマは北京五輪支持の立場をあらためて述べる一方、中国に対し、「開催国として人権、宗教の自由を尊重すべきだ」と要求した。
 一方、中国国営新華社通信は同日、騒乱をめぐり北京五輪開会式へのボイコット問題が浮上していることについて、「五輪が政治の人質になっている」と批判、「五輪に名を借りた政治的恐喝は受け入れられない」と強調した。さらに、「ボイコットは、中国をダライ(・ラマ14世)一派に妥協させる圧力とはならない」と指摘した。


との報道があった。

Chinesesoldiers 左の写真(クリックすると大きくなります)のようなことが行われてる可能性が大きい。
 つまり、チベット人が暴力的であり、政府の敵というイメージ操作を行うために、チベット人に変装した中共軍兵士が同じ中共軍に向かって過剰なまでの行動をするのである。それを中共(中国)直轄のTV局が中継をし、世界配信を行うという お得意のプロパガンダ
 共産党の一党独裁で言論の自由もない国が発信する情報を、日本人はよく取捨選別する必要があろう。

 ちなみに、中国共産党の軍、つまり中共軍と個人的に記述しているが、これは中国軍という国家の軍が正式には無い からである。中国人民解放軍は、中国共産党所有の党軍である。
 現在の中国は多党協力・政治協商制度を主張はしているものの、実質は中国共産党の一党独裁であり、日本で例えれば、自民党が軍をもっているような状態である。

 上記は中共(中国)が世界に対するプロパガンダであるが、柏崎市内での市長選挙に絡んでであろうか、プロパガンダが始まったようである。
 町内や近所の複数の方から、

 柏崎に右翼団体を呼んだのは三井田と聞いた

 三井田がトルコ文化村で金儲けをしている

とのタレコミがあった。複数ルートから発信源をたどると、白衣を着るある分野の職業の方、そして二名の市議会議員であった(ニュースソースが分かり易いのが未成熟)。
 今年11月に行われる市長選挙に際して、反市長の立場をとる私への攻撃をしておこうという分かりやすい行動である。
 先週、私が出張に行っている間にも、柏崎市内を右翼団体が街宣車で回り、大きな音で軍歌を鳴らしつつ、会田市長への批判を行っていたそうで、それを私が仕組んだというストーリーだ・・・・・そんな事をする権限もないし、一番利益を受けるのは誰か明白である。
 また、トルコ文化村に関しても、トルコ政府から私が金をもらっているという、小学生のようなストーリーである。アタチュルク像をはじめ、民有地借地料など次々と問題点を指摘されたため、その矛先を少しでもボカそうというのが魂胆であろう。

 まともな政策論争もできず、また指摘されたことがマズいと分かっているからこそ、プロパガンダに頼っている。
 こうやって、このプロパガンダの手法を説明することも相手が望んだことの一部であろうが、私自身のことは別にして、現在の柏崎市政にはそんな幼稚かつ卑怯者が跋扈していることを、より多くの柏崎市民にご理解頂きたいと思う。

2008年3月30日 (日)

こどもの時代館
リニューアル前スペシャルイベント

 郵便物などの整理に時間がかかり、4時就寝。

 8時、起床。大粒納豆、イカ塩辛、もやしと青菜のおひたし、生卵でご飯2杯の朝食をとる。

Img_2487 9時、市内某氏からの相談のため、ご自宅に伺う。県政に関することなので、後ほど県議と相談することで決着。
 その後、こどもの時代館に移動。遊びに来ていた姪っ子が、どうしても一緒に行くというので、連れて行く。
 今日は、こどもの時代館のリニューアル前スペシャルイベントである。
Img_2484 明日3月31日から4月25日(金)まで展示替え作業があるためであり、リニューアルオープンは4月26日となる。
 今日のメインは、ウルトラマンとウルトラセブンとの撮影会。駐車場は既にいっぱいであり、ナンバーも長岡、新潟以外の車も多い。
 何かお手伝いできることがあればと思い関係者にも声をかけるが、多くのお客さんのさばくことで精一杯。予想外の混雑という、嬉しい悲鳴。
Img_2486 一回目のウルトラマンとウルトラセブンの登場があったところで、姪っ子が帰るとグズりだし、ドキンちゃんのお面を買ってあげたのち、駐車場に戻る。
 駐車場では、後から後から来る車に出入り口を塞がれ、出られない車が続出。何台かは誘導したが、怒り出す人もいて、しばらくは交通整理を行う。

 柏崎は「コレクターのまち」と言われる。柏崎コレクションビレッジもまさにそうであり、このこどもの時代館もそういったカテゴリーに入る。
 柏崎コレクションビレッジへの誘客も是非、お手伝いしたいと思っているが、まずは大化けする可能性が高いこどもの時代館を世界に発信する必要があると思う。
 海外では日本のアニメや特撮の評価は高く、そのコレクターの数もうなぎ上りである。
 熱い思いをもつ世界の「OTAKU」をみすみす逃す手はない。
 柏崎の観光戦略も、世界的な視点を入れて展開しても良いのではないだろうか。

Img_2488 抱っこしていた姪っ子が寝てしまったので、12時過ぎに一度、自宅に戻る。
 お昼ということもあり、缶詰のホールトマト、干し納豆、水煮のマッシュルーム、大根の菜っ葉、魚肉ソーセージ、干し椎茸でトマトソーススパゲティを作る。
Img_2493 隠し味は、等外品の羅臼昆布を購入し、粉末にしてもらったパウダー昆布。
 スパゲティを茹でる時に、干し椎茸の戻し汁を加えたり、自然の旨味を子供に教えるよう工夫した。
 甥っ子と目が覚めた姪っ子がモリモリと食べてくれたが、案の定、トマトソースで服は汚れた。

 午後から再度、こどもの時代館に行こうとしたところ、先週の出張中にご葬儀のあった方からの御礼のお電話があった。弔電は送ったものの弔問に伺っていなかったので、急遽、作業服から喪服に着替え、ご自宅に伺う。

 16時から長岡に移動し、駅前の某店で打ち合わせ。

 18時、柏崎に戻り、市内某店での懇親会に出席する。九州に行ったことも話してほしいとのことだったので、柏崎市民でも特攻隊となって沖縄の海に散華された方がいることをお話すると、是非、ご遺族に話を聞いた方が良いのでは、との意見がでた。
 二次会途中で失礼させてもらい、23時、自宅に戻る。

2008年3月29日 (土)

不当判決、沖縄戦集団自決裁判

 さすがに疲れがでたのが、ホテルを確保でき、部屋に入った段階でそのままベットで寝てしまった。

Img_2458 7時、起床。シャワーを浴びて、チェックアウトし、駅に向かう。駅構内の「らーめん粋家 上野店」にて、「朝らーめん 450円」にテーブルのすり下ろしニンニクをたっぷり入れて朝食にする。
 すっかり息が臭くなったものの、永田町に移動。
 某国会議員ご本人が会議のため、お会いすることができず、9時から30分ほど、秘書への陳情や柏崎市の現状などの報告を行う。

Img_2462 陳情活動後l、急いで柏崎に戻る。
 13時近く、「うれっ子」(電話:0257-22-4648)の「チャーハン 大盛」を出前でとり、急いで昼食をとったのち、市内某所での打ち合わせに出席。
 柏崎のことをテレビ企画で行えるかどうかの調整もあり、かなり長引き、17時過ぎとなる。

Img_2460 甥っ子と姪っ子、母方の祖母がお泊まりということもあり、佐賀県唐津市で買ってきたお土産を渡す。
 普通のお土産では面白くないので、「キンセンラムネ」で有名な唐津市の小松飲料合資会社さんのジュースを買ってきた。

Img_2461 クリームソーダ味の「スマックゴールド」、懐かしい駄菓子屋の味わいであり、学校の帰り道での買い食いを思い出す一品。そして、健康飲料と銘打った微妙な「うこんサワー」。購入時、かぼす果汁が40%も入った「かぼすサワー」にするか、「うこんサワー」にするか悩んだが、肝臓を労る意味で「うこんサワー」にした。

Img_2482 19時、冷凍しておいた秋刀魚を解凍して、2尾を塩を少なめにした塩焼きにし、佐賀県唐津市のマツキン醸造株式会社さん の「かける醤油」をたっぷりかけたもの、ひき割り納豆をのせた冷や奴、ふきのとうの天ぷらで夕食にする。
 秋刀魚の塩焼きに甘い「かける醤油」は賛否が分かれるところであるが、冷や奴には悪くない。

Img_1735 昨日に速報が各新聞社の夕刊にでたが、大江健三郎氏が書いた岩波書店『沖縄ノート』において、沖縄戦集団自決は日本軍人が沖縄県民に自決命令を発して行わせたとすることに対する、名誉回復を求める大阪地裁での裁判結果が、原告つまり元軍人側の請求の棄却に終わった。
080329_kossi  集団自決は悲劇であり、それを否定する気はない。問題は、それを日本軍が命令で行わせたかどうかがということ。名誉回復を求める裁判であり、命令がどうかは関係無いと主張する新聞もあるが、軍命令であったとするから名誉の回復を求めたのである。
 しかし、大阪地裁は「日本軍が自決命令を発した」とする『沖縄ノート』の発行を続けて良いとし、判決文には一番の焦点であった「日本軍の命令」については、

「座間味島及び渡嘉敷島ではいずれも集団自決に手榴弾が使われたが、多くの体験者が、日本軍の兵士から米軍に捕まりそうになった際の自決用に交付されたと語っていること、沖縄に配備された第32軍が防諜に意を用いており、渡嘉敷島では防衛隊員が身重の妻等の安否を気遣い数回部隊を離れたために敵に通牒するおそれがあるとして処刑されたほか、米軍に庇護された2少年、投降勧告に来た伊江島の男女6名が同様に処刑されたこと、米軍の「慶良間列島作戦報告書」の記載にも日本軍が、住民が捕虜になり、日本軍の情報が漏れることを懸念したことを窺わせること、第1、第3戦隊の装備から手榴弾は極めて貴重な武器であり、慶良間列島が沖縄本島などと連絡が遮断され、食糧や武器の補給が困難だったこと、沖縄で集団自決が発生したすべての場所に日本軍が駐屯しており、日本軍が駐屯していなかった前島では集団自決が発生しなかったことなどの事実を踏まえると、集団自決については日本軍が深くかかわったと認められ、島で原告梅澤及び赤松大尉を頂点とする上意下達の組織であったことからすると、それぞれの島における集団自決に原告梅澤及び赤松大尉が関与したことは十分に推認できるけれども、自決命令の伝達経路などが判然としないため、本件各書籍に記載された通りの自決命令それ自体まで認定することには躊躇を禁じ得ない。」

とある。
 誰も裁判官の感想を求めているわけではない。さらには「躊躇を禁じ得ない」とは、「全然、大丈夫ですぅ~」と同じように日本語として違和感を感じる。
 そもそも、この判決文をよく読めば、沖縄戦が誰と誰が戦争をしていたのか、すっかり忘れていることに気付く。
 集団自決があった場所となかった場所について、「日本軍が駐屯している・・・」と日本軍と集団自決のことを結びつけているが、米軍が上陸したかどうかこそが集団自決と関連があるのであり、沖縄県民と日本軍を追い詰めたのは米軍である。催涙弾を打ち込み、火炎放射器で辺り構わず、沖縄県民を追い込んでいったのは日本軍ではない。

 百人斬り訴訟といい、日本の司法はどうなっているのであろうか。

 案の定、『新潟日報』紙は素っ頓狂な社説を書いていた。


平成20年3月29日『新潟日報』社説

 集団自決訴訟 「軍関与」は当然の判断だ

 歴史教科書再検定騒動の発端ともなった沖縄戦での集団自決をめぐり、大阪地裁が明確な判断を示した。
 岩波新書「沖縄ノート」などの出版差し止めなどを求めた訴訟の判決で、請求棄却としたのがそれだ。
 元守備隊長らは「集団自決を命じてはいない」と主張、出版の差し止めと損害賠償を求めていた。深見敏正裁判長は「軍が深く関与したと認められる」とし、「著者が命令があったと信じるに足る理由があった」と述べた。
 軍の命令を裏付ける直接的な資料はないが、「軍による強制」は従来の教科書にも記述されており、いわば通説だった。ところが、文部科学省はこの訴訟の提訴を理由に挙げ、いったん合格した教科書の再検定を命じた。
 地元沖縄をはじめ、世論の反発を受けた文科省は再検定を事実上撤回する失態を演じていた。再検定は合理性を有しない政治的なものであることが明らかになった。教科書検定を一から考え直す契機にしてもらいたい。
 この裁判は二つの重要な問題を含んでいた。一つは確定していない史実とどう向き合うかだ。判決は多くの証言を検証し、原告二人の関与を推認できるとした。旧日本軍の体質や住民が手りゅう弾を持っていたことなどから導き出した結論だ。
 史実には常に確定的な証拠が伴うとは限らない。全体状況から事実を推論する手法を認めたことは踏み込んだ判断といえよう。
 二つ目は、出版物と名誉棄損の関係である。表現の自由とも絡む問題だ。記載された事柄が真実と断定できなくても、著者が真実と信ずる理由が認められれば名誉棄損は成立しないとの判示は、説得力がある。
 旧日本軍は戦時中の記録の多くを廃棄している。現代の出来事でありながら検証が難しいのはそのためだ。沖縄戦をはじめ、見方によって評価が異なる史実は多い。頭から決めつけず、丹念に検証する姿勢が求められる。
 同時に、一つの訴訟が提起されたからといって教科書検定をやり直すなどの拙速さも排さねばならない。歴史を学ぶ意味は、過去を教訓として生かすということであろう。一つの結論にこだわって、自由な研究や言論を封じるのは間違いである。
 歴史認識についてはもっと闊達(かったつ)に論議されていい。出版差し止めを認めなかった判決はそう示唆している。政治の力や社会的圧力で、異なる意見を封殺してはならないということだ
 戦争を遠い昔の話と片付けるべきではない。なぜ日本は無謀な戦争にのめり込んでいったのか。沖縄ではなぜ悲惨な集団自決が起きたのか。私たちはもっと歴史に学ぶ必要がある。

2008年3月28日 (金)

京都大学・中西教授を囲んでの勉強会
静岡県牧之原市へ出張の原発反対派

Img_2445 1時、就寝。
 5時、起床。熱めのシャワーを浴び、荷物の整理をはじめ、緊急のメールなどデスクワークを行う。
 7時前、部屋まで朝食が届く。このホテルは和食か洋食のルームサービスがあり、人気となっているため、一度利用してみたかったのである。
 ただ、パンとサラダ、玉子料理だけでは力がでないので、昨日購入しておいた小粒納豆1パックを食べる。

 8時台の新幹線にて、名古屋に移動。
 中越沖地震の際、麻袋を大量に送ってくれた某社取締役のS氏に御礼のご挨拶に伺う。震災直後に仲介してくれたのは、群馬県伊勢崎市の伊藤純子議員である。
 柏崎のお土産として、田塚屋さんの珍味セットと中越沖地震写真集を持参した。
 S氏のご自宅にもお邪魔し、奥様も含めて1時間ほど談笑。いまだに新潟県地方の天気が気になるという、温かいお気遣いがありがたかった。
 S氏以外にも、全国の多くの方から中越沖地震での被災に対し、温かいお気遣いを頂戴した。
 柏崎市議会議員という立場はもとより、柏崎市民としてできる限り御礼の挨拶をしていければと思う。

 ちなみに、震災時に麻袋は必要であると色々な場所で発言したり、支援活動に来てくれた全国の地方議員の仲間にもお話してきたためか、群馬県伊勢崎市をはじめ多くの自治体で、震災用備品として備蓄されるに至った。

Img_2448 12時過ぎ、時間もないので、名古屋駅構内の「名古屋呑喰処 みかど」(電話:052-541-0671)にて、「みそカツ定食【国産豚ロース使用】 980円」にて昼食。
 「どえりゃーうみゃーでかんわ」な味噌カツを期待していたのであるが、カツは既製品であり、味噌ダレもいまいち。しかし、ご飯だけはしっかりと2杯食べる。

 再び、新幹線にて京都に移動する。
 今日の勉強会には、全国の地方議員が20名ほど参加する予定であり、人権擁護法案をはじめ、柏崎では既に同内容が可決している自治基本条例の問題点など、これからの地方議会における保守運動の基礎となる勉強会である。

Img_2450 集合までの時間があり、京都駅の「ロッテリア京都ポルタ店」にて、コーヒー、だけにしようと思ったが、つい気になり「絶品チーズバーガー 300円」を試しに食べてみる。いわゆる【好奇心食い】である。お腹もいっぱいだったので、完食できないかと思ったが、思った以上に美味しく一気に食べきった。レタスもトマトもないこのシンプルさだけに、パンとチーズ、そして肉の絡みが良い。

Img_2451 15時過ぎ、会場である京都・勧業館(みやこめっせ・京都会館真正面)に移動。
 地下1階の第1会議室にて、京都大学の中西輝政教授を講師にお迎えしての勉強会である。
 地元である近畿地区を中心に全国の保守系の地方議員、そして首長が参加した。
Img_2452 静岡県牧之原市の西原市長とは勉強会前に原子力関係について意見交換。
 先般、牧之原市議会の議員有志と、柏崎市議会において、私が副委員長を務める中越沖地震原発調査特別委員会との意見交換をしたこともあるが、原発反対派の動きとしてもっとお話したいことがあったのである。
 実は今年1月19日、牧之原市相良史料館ホール【牧之原市民を対象にした】浜岡原子力発電所の地震などに関する意見交換会が牧之原市主催で開催された。ところが意見交換の時間になった途端、刈羽村から来たという原発反対派が発言しだし、結局、西原市長が仕切ったという事が起こっていた。

 【報告】当日の模様

 まだ柏崎刈羽原子力発電所の被災状況の全容も見えていないなか、原発反対派はわざわざ他県にまで出掛け活動しているのである。原子力賛成派は、人様のところにまで押しかけてギャーギャーと活動しようなどとは思わない。そういった意味でも、柏崎刈羽地区の原発反対派の活動は一線を超えていると思う。

 勉強会の出席者は以下の通り。

西原茂樹 静岡県牧之原市長

伊藤純子 群馬県伊勢崎市議会議員

宍倉清蔵 千葉県千葉市議会議員

松浦芳子 東京都杉並区議会議員

石田宗久 京都府議会議員
・二之湯真土 京都府議会議員
片山誠治 京都府議会議員
岡本忠蔵 京都府議会議員

吉田利幸 大阪府議会議員
水ノ上成彰 大阪府堺市議会議員
神谷宗幣 大阪府吹田市議会議員

田中あきひろ 兵庫県議会議員
森脇やすと 兵庫県議会議員
・和田有一朗 兵庫県議会議員
千住啓介 兵庫県明石市議会議員
三木圭恵 兵庫県三田市議会議員

森高康行 愛媛県議会議員

Img_2453 勉強会の冒頭は、まず基調講演として、中西教授から現在の日本の状況、世界の保守政治の流れなどをお話頂いた。


・現在、保守政治というよりは現在の日本は、3つの重要なことが忘れている。
 
心、伝統、絆である。

・生命力の根幹はバランス。
 それは、アドレナリンとインシュリンと同じようであり、どちらか一方が過剰でもいけない。
 多くのバランスが崩れている。

1.物質的なものと精神的なものとのバランス
 今の日本物質主義がいきついた社会になっている。
 正常な社会ではない。物質主義のアメリカよりひどい。
2.伝統と進歩のバランス
 日々新たに活力を見出すこと、原点があっての進歩。
 原点をおろそかにする進歩主義が失敗。
 原点たる伝統から離れた社会は創造・進歩の指標を失う。
 「古い」は侮蔑語ではなく、「安心」の意味を含む。
 しかし近年の日本の「古い」は荒廃したものの意味となってしまっている。
3.家族と個人主義のバランス
 今の日本社会は家族の絆、人間の絆が引き裂かれ、個人主義のいきついた姿であり、10数年に欧米で暮らしたが、日本の個人主義は極端である。しかも原点はない、根無し草。寂しい個人主義。
 欧米の個人主義は家族という伝統の基盤にある。
 英語の「フリー」、ドイツ語の「フレイ」の語源であるゲルマン語「prii」は、仲間に取り囲まれている状態を意味し、西洋個人主義の根幹は人との絆にある。

・日本における行き過ぎた個人主義は、進駐軍の命令による個人主義であり、アメリカによる日本を使った壮大な実験であった。その結果、モノと金の文明になり、良き日本の伝統は無くなった。もちろんアメリカは、そうした個人主義はやるべきではないとの知見を得た。

・バランスを回復させることが日本がいま行うべきこと。

・個人は集団のなかで輝くものであり、個人と集団を対立においている時点で日本の個人主義は間違っており、出発点が違う。

・現在の日本には、文明論的な問題がいくつかある。

1.Stateの安全保障の危機
  【台湾海峡の危機】
  馬政権は水面下で統一以外を全部やってしまうだろう。第3次国共合作と言ってもよく、本来、コミンテル運動のなかからでたのが国民党という意識をもつ必要がある。ハンチントンは「21世紀は文明を同じくする国は合併する」と述べたが、李登輝氏はそれが気になって仕方ないという。これは、中国と台湾はいずれ吸収されることを意味している。
 中華文明の悪弊は、その歴史が示すように腐敗と独裁である。
 しかも政治における優先順位は日本が(勇、仁、知)に対し、中華文明では(仁、知、勇)であるため、腐敗と独裁が先行する。
 今後、中共は、沖縄にある米軍基地を無力にした上で、日本上陸を視野に入れる。
 日本人の精神が試される危機である。

2.戦後日本の左巻き御三家。
  教育界、メディア、司法がどうしようもないほど左傾化しており、国家の基軸を失っている。それは
男女共同参画をはじめ、子供権利条例など、他の先進国が相手にしないような国連決議を左翼勢力と一緒になって推進してきたことに明らかである。
 
国連がいかに国と国との利益の戦いの場であるか、そして左翼の巣窟であるかは以下を参照。

中西輝政
 「国連-知られざる誕生の秘密」『諸君』平成18年7月号
瀧澤一郎
 「国連に巣食った共産党」『正論』平成18年10月号
田中英道
 「戦後日本は”隠れマルクス主義”によって作られた」『正論』平成18年10月号


 勉強会終了後、急いで京都駅まで移動。
 京都駅構内で、セカンドライフで日本第一人者であるM氏と打ち合わせ。
 セカンドライフ内で企業誘致を行う自治体もでてきており、仮想のネット空間での広報活動を柏崎でもできないかと思い、情報収集をしているところである。

Img_2454 今日中に東京に移動すれば、明日の朝、永田町の国会議員会館に陳情などの活動ができるので、京都駅からの新幹線を手配。
 この間に、「ブルディガラ エクスプレス」にて焼きたての「マルシャン 257円」を夕食として購入。本当はもっと買いたかったが、新幹線の時間もあり、これのみ。4つに切ってもらったが、歯触り、塩気もよく、値段以上の味であった。

Img_2456 さすがに小さなパン一個では足りないので、一緒に移動する議員とともに東海道新幹線車内販売でサンドイッチの他、「やさいたっぷり幕の内 1000円」を購入。
 焼き野菜、野菜の煮物に五穀米、黒米がつくというヘルシーさで、463kcalという弁当。味見として、複数名でつつく。

Img_2457 東京駅到着後、参加した議員と若干の打ち合わせがあるので、東京駅構内の「あじさい茶屋 八重洲北口店」(電話:03-3212-1431)で「かき揚げ玉子そば 980円」で正式な?夕食。食べ過ぎである。
 かき揚げには小エビがたっぷりと入っており、タマネギもシャクシャクとしていた。

 23時過ぎ、東京駅周辺で宿泊先を探すもあいにく満室であり、上越新幹線停車駅沿いに宿泊先を探す。

2008年3月27日 (木)

陸上自衛隊目達原駐屯地
特攻隊員安らぎの場・西往寺

 1時、シャワーを浴びたのち、就寝。

Img_2356 6時、起床。急いで着替え、ホテルの1階に行き、ビュッフェが開いたところで、おにぎりやクロワッサン、ハッシュド・ブラウン、ゆで玉子などを一気にかっ込み、朝食をとる。
 そのままホテルをでて、唐津駅から6時52分発の電車に乗り、久保田駅にて乗り換え、8時18分に吉野ケ里公園駅に到着。
 改札をでると、陸上自衛隊目達原駐屯地の広報班長O一尉が出迎えに待っていてくれた。
 ご挨拶もそこそこに、目達原陸軍特別攻撃隊出撃基地の跡に移動。
 目達原陸軍特別攻撃隊出撃基地は、昭和18年に、陸軍太刀洗飛行学校目達原分校として開設された場所で、戦局の悪化に伴い多くの若い隊員が特攻隊として飛び立っていった地である。
 現在は、目達原飛行場正門跡に建立された当時の門柱と石碑があり、石碑にはそれぞれ以下のように碑文が刻み込まれている。

Img_2359【門柱説明碑文】
 旧目達原飛行場は、昭和十八年陸軍太刀洗飛行学校目達原分校として開設され、以来多くの若鷲が養成された。
 昭和十九年以降、戦局の進展に伴い特攻第二七三振武隊として「若者よ後につづけ」を合い言葉に、敢然として国に殉じ敵艦を求めて次々と飛び立った由緒ある地である。
 昭和二十九年陸上自衛隊九州地区補給処がここに解説され、その後西部方面ヘリ隊、第四飛行隊等の駐留に伴い、現在も旧滑走路の一部がヘリポートとして使用されている。
 平成四年七月吉日 三田川町

Img_2361【碑文】
 南海に
 華と散りにし ますらおの
 御魂とどむか 基地の夏草

Img_2364【碑文】
 櫻咲く
 地を飛び立ち 南海に
 散りし若鷲 しのぶ門柱

【裏面碑文】

 東部方面総監部援護協力会
 会長 大田伊作
 理事長 塩手満夫
 副会長 春日貞吉
     吉原利美
     井森幸次郎
     渡辺繁安
     高野将弘
     加藤大能
     吉川秀隆

 防衛協会佐賀東部地区青年部
 平成四年七月建立

 沖縄の集団自決に関する話題のなかで、軍命令うんぬんを飛び越え、日本軍が沖縄県民を守らなかったという、とんでもない意見まででている。ここを飛び立っていった若い特攻隊員が突入したのは、沖縄の海にいる米軍の艦船。戦後の日本人がGHQにより戦争贖罪意識を植え付けられたとはいえ、日本軍が日本を守らなかったなどという議論をしていては、飛び立っていった若鷲に申し訳が立たない。日本人は先人の苦難を忘れる民族になったのであろうか。

Img_2381 跡地をじっくり見させてもらったあと、陸上自衛隊目達原駐屯地に移動。
 広報室で赴任したばかりの室長ご挨拶をさせてもらい、3年前の中越大震災におけるご支援の御礼を申し述べるととに、ご参考として今回の中越沖地震の資料一式をお渡しした。中越大震災の際には、この駐屯地から約20名の隊員が支援に駆けつけてくれた。
Img_2421 陸上自衛隊目達原駐屯地には、総勢で1500名ほどとなる以下の組織が駐屯している。
 所在する旧三田川町が約一万人の住民であったことを考えると、駐屯地がもたらす地域への経済効果は莫大である。
*写真はPXで買った目達原駐屯地Tシャツ
Img_2365・九州補給処本処
・第4師団 第4飛行隊
・西部方面通信群
 第102基地システム通信大隊
  第321基地通信中隊
Img_2366・西部方面航空隊
 西部方面ヘリコプター隊
 第3対戦車ヘリコプター隊
 西部方面管制気象隊第1派遣隊
・西部方面後方支援隊本部
Img_2373 本部付隊
 第106全般支援大隊
 第104不発弾処理隊

 まずは駐屯地内の見学ということで、駐屯地広報館を見せてもらった。
 現在の航空主力を有する目達原駐屯地の部隊が活躍する展示パネルの奥に、旧軍コーナーがあった。
Img_2374 目達原陸軍特別攻撃隊出撃基地から飛び立っていった特攻隊員の遺書をはじめ、貴重な資料がならんでいる。
 先日、<出撃された>元特攻隊教官であった田形先生の名著『日本への遺書』も置いてあり、嬉しいというより、なんだか安心し、そして懐かしい気がした。
 田形先生ご自身の特攻出撃命令は昭和20年8月14日であり、いざ明日出撃!と決意を胸に夜を過ごしていたのが、この目達原陸軍特別攻撃隊出撃基地である。

 他にも現在はかなり貴重となった「三三式騎銃」をはじめ、満州国からの建国功労賞の勲章などがあり、今後来るときには、時間をかけ、その由来や時代背景なども確認したいところ。
Inumetabaru 知覧の観光ポスターや映画『俺は、君のためにこそ死ににいく』のエンディングでも使われた写真「出撃を前に小犬と遊ぶ特攻隊員」
*画像をクリックすると大きくなります。
も飾ってあった。この写真は昭和20年5月26日午後に、鹿児島県万世特攻基地で撮影されたもので、写っている5名は第72振武隊の隊員。
 向かって左上が高橋要伍長(少飛15期、東京都出身)18歳、左下が早川勉伍長(少飛15期、三重県四日市市出身)18歳、子犬を抱いているのが、荒木幸雄伍長(少飛15期、群馬県桐生市)17歳、右上が高橋峯好伍長(少飛15期、神奈川県横浜市出身)17歳、右下が千田孝正伍長(少飛15期、愛知県丹羽郡出身)18歳、今でいえば高校2年生から3年生である。
 常に笑顔で、明るく歌って過ごし、「ほがらか隊」と自称、また言われたそうであるが、彼らが過ごしたのが、ここ目達原の地であった。
 写真がすべてを物語っており、辞世の句にその気持ちが表れている。

 君か為唯一すぢに空を征く
 心の笑顔誰か知るらむ
          高橋峯好 命

 帰らじと 父母に決別若櫻
 馳せ参じ征く 大君の股肱
         荒木幸雄 命

 吾もまた 君に捧げん 若櫻
 散りてのち 又七度仕えん
           千田孝正 命

Img_2380 すっかり見入ったのち、駐屯地広報室の会議室で駐屯地が紹介されたローカルテレビ番組を見せて頂いた。
 佐賀銀行さんが毎年、新入社員研修として、男女を問わず2泊3日の目達原駐屯地に訓練入隊をさせているという紹介であった。
 他の議員からも、柏崎市役所に新たに入庁する職員もやらせるべきではないか、と言うほど、効果がその顔つきにでる訓練風景であった。
 ちなみに、既に廃校となった母校である東電学園高等部は、かつて海上自衛隊第四術科学校での訓練実習があった。

Img_2382 目達原駐屯地を後にし、広報班長O一尉のご厚意で特攻隊員が出撃までの時間を過ごした「九品山 西往寺(さいおうじ)」さんにご案内頂いた。
 この西征寺に滞在した特攻隊員は以下である。

陸軍特別攻撃隊第74振武飛行隊(九九式襲撃機)
伊藤実隊長以下12名
滞在期間:昭和20年4月5~6日
出撃日:同年4月7日、12日、13日(万世飛行場)

陸軍特別攻撃隊第75振武飛行隊(九九式襲撃機)
大岩覚隊長以下10名
滞在期間:昭和20年4月5~6日
出撃日:同年4月7日、12日、13日、16日(万世飛行場)

第102振武飛行隊第一降魔隊
天野重明隊長以下12名
滞在期間:昭和20年4月7~11日
出撃日:同年4月12日、18日(万世飛行場)

陸軍特別攻撃隊第72振武飛行隊(九九式襲撃機)
佐藤睦男隊長以下10名
滞在期間:昭和20年5月17~26日
出撃日:同年5月27日(万世飛行場)

第64振武隊 国華隊(九九式襲撃機)
澁谷健一隊長以下9名
滞在期間:昭和20年5月31~6月9日
出撃日:同年6月11日(万世飛行場)

陸軍特別攻撃隊振武隊 天翔隊
山本琢郎隊長以下6名
滞在期間:昭和20月7月 出撃出来ず終戦
*うち1名は8月13日に飛行訓練中事故により戦死。

Img_2387 まずは本堂で、「特別攻撃隊員戦歿英霊」 「大東亜戦争陸海軍戦死病歿英霊」という位牌が立つご本尊にて、手を合わさせ、ご供養をさせてもらう。
 遺骨がない特攻隊員は神式では靖國神社があるが、仏式では珍しい。

Img_2394 ありがたいことに住職さんからご案内やご説明をして頂くことになり、特攻隊員が最後の時間を過ごした部屋などを見せて頂いた。
 できる限り当時そのままにして残してあり、かなり趣のある中庭も当時のままだという。

Img_2393 特攻隊員がどのような気持ちでこの部屋に寝泊まりしていたのか。平和な時代に生まれて、のほほんと育った私には想像ができない。
 十代の若さとはいえ、特攻隊をだすほど戦局が悪化していることは理解しており、国難を個人として懸命に受け止めていた。

Img_2392 母親、父親、兄弟、恋人、結婚していれば奥さんや子供もことも考えたであろう。しかし、このままの戦局であれば米軍の沖縄上陸に続き、本土決戦となる・・・・・その前に一矢報いるにはどうするのか。
 純粋に国を、そして愛する人を護るために出撃を待ったのであろう。
 住職のお話によれば、当時特攻隊員のお世話にしていた皆さんから、特攻隊員が暴れまわることはなかった、とお聞きしているとのことであった。
Img_2409 ただ、墓地内で
「お母さーん、お母さーん」
と絶叫している声はあったという。
 特攻隊員が残した遺書にも、ほとんどは母親への想いを綴っている。
*写真をクリックすると大きくなります。

Img_2404

 左の遺書は、第64振武隊 岸田盛夫伍長(京都府出身、21歳)の遺書である。見るこちらの背筋がシャンとなるほどの達筆で書かれている。
 岸田伍長は、昭和20年6月11日に沖縄周辺で散華した。
*写真をクリックすると大きくなります。

 思い出すのは幼い頃の 母の背中よ
 蛍飛ぶ飛ぶあぜ道の 遠い祭の笛太鼓

 思い出すのは兄弟けんか 父に叱られ小藪のかげに
 我が家なつかし思い出の 呼んだやさしい母の声

 思い出すのは門出の朝の 母のあのかお小さい姿
 ふった日の丸思い出の 手柄立てずに死なれよか

Img_2410 左の写真は、写真「出撃を前に小犬と遊ぶ特攻隊員」の中央にいた、荒城幸雄伍長(17歳)が西往寺での最後の一筆として、書き遺したハンカチである。 「只一筋に征く」 、あまりにも重く、字からも気持ちが伝わってくる。
*写真をクリックすると大きくなります。
 
この書は以下の本の表紙にも使われている。

Img_2405 左の写真は、同じく荒城幸雄伍長(17歳)をはじめ、西往寺での貴重な時間を過ごした特攻隊員が送った礼状である。
 なかには、この礼状が届いたときには既にご本人は散華されている場合もあり、なんとも言えない気持ちになった。

Img_2406 万世飛行場から出撃した特攻隊員のうち、妻帯者は3名。なかでも子供がいたのが1名だけで、この西往寺で過ごした第64振武隊 国華隊の隊長、渋谷健一大尉(山形県松峰町出身、31歳)である。渋谷大尉は、遺書や日記も残さなかったが、『愛するわが子へ 倫子並生れ来る愛子へ』と題した、感動的な書簡を残している。
 また西往寺には、遺詠の色紙がある。
*写真をクリックすると大きくなります。

Img_2400 父は選ばれて攻撃隊長となり、隊員十一名、年歯僅か二十才に足らぬ若桜と共に決戦の先駆となる。死せずとも戦に勝つ術あらんと考ふるは常人の浅はかなる思慮にして、必ず死すと定まりて、それにて全軍敵に総体当たりを行ひ、尚且つ、現戦局の勝敗は神のみぞ知り給ふ。真に国難といふべきなり。父は死にても死するにあらず、悠久の大儀に生るなり。
一、
寂しがりやの子に成るべからず。母あるに存らずや。父も又幼少に父母病に亡くなれど、決して明さを失わずに成長したり。まして戦に出て壮烈に死せりと聞かば、日の春の子は喜こぶべきものなり。父恋しと思はば空を視よ。大空に浮ぶ白雲に乗りて父は常に微笑て迎ふ。
二、素直に育て。戦ひ勝ても国難は去るにあらず。世界に平和のおとづれて、萬民大平の幸を受ける迄、の勉強をする事が大切なり。二人仲良く母と共に父の祖先を祀りて明く暮すは、父に対しての最大の孝養なり。父は飛行将校として栄の任務を心から喜び、神州に真の春を招来する神風たらんとす。皇恩の有難さを常に感謝し、世は変る共、忠孝の心は片時も忘るべからず。
三、御身等の母は真に点き母にして、父在世中は飛行将校の妻は数多くあれ共、母程日本婦人としての覚悟ある者少し。父は常に感謝しありたり。戦時多忙の身にして、真に母を幸福に在らしめる機会少なく、父の心残りの一つなり。御身等成長せし時には、父の分迄、母に孝養尽せらるべし。之父の頼なり。現時敵機爆撃の為大都市にて家は焼かれ、父母を亡ひし少年少女数限りなし。之を思へば父は心痛極りなし。御身等は母、祖父母に抱かれて真に幸福に育ちたるを忘るべからず。書置く事は多けれど、大きくなつたる時に良く母に聞き母の苦労を知り決して我儘せねやう望む。

 そして、渋谷大尉が沖縄周辺で散華した昭和20年6月11日、ご長男が生まれた。

Img_2411 左の写真は、第72振武隊の10人が寄せ書きした、お世話になっている寿賀さんの婚礼記念の絹のハンカチ。
 現物を手にとらせてもらい、じっくりと拝見し、ここまでの数々の遺書のこともあり、つい涙ぐんだ。
 同僚の先輩議員もハンカチで涙をぬぐっていた。
*写真をクリックすると大きくなります。

Img_2388 手ぶらで行ったにも関わらず、貴重な資料を拝見させてもらい、かつご説明も頂いた。さらにパンフレットに加え、お茶と「西往寺」オリジナルお菓子まで頂戴してしまい、申し訳ない限りである。
 時間の関係で、バタバタとした訪問になってしまったが、次回は事前にご連絡したうえでゆっくりと訪れようと思う。

 知覧・加世田万世基地から陸軍特別攻撃隊として出撃した若鷲のなかで、ホタルになって帰ってくると言い残した小千谷市出身の宮川三郎軍曹をはじめ新潟県人は16名である。さらに、柏崎市に関係のある方が第77振武隊の本間忠夫伍長。今後、できれば新潟県人として調査していきたい。

*後日、知覧特攻平和会館に確認したところ、ご遺族は柏崎市内在住の妹さんとなっているものの連絡がつかず、しかも写真も今まで一枚もなかったとのこと。現在は、生き残った隊長が寄贈した写真から切り出したものを展示しているという。


第50振武隊
 松崎義勝少尉(少飛13期)大正14年生まれ
 昭和20年5月20日 沖縄周辺洋上で散華

第61振武隊
 田中秀男少尉(少飛14期)大正15年生まれ
 昭和20年4月28日 沖縄周辺洋上で散華

第76振武隊
 長谷川武弘少尉(少飛13期)大正14年生まれ
 昭和20年4月28日 沖縄周辺洋上で散華

第76振武隊
 中川芳穂少尉 大正15年生まれ
 昭和20年4月28日 沖縄周辺洋上で散華

第77振武隊
 本間忠男少尉(少飛14期)大正15年生まれ
 昭和20年4月28日 沖縄周辺洋上で散華

第79振武隊
 池田保男大尉(特操1期)生年不明
 昭和20年4月16日 沖縄周辺洋上で散華

第80振武隊
 川上喜一郎少尉 大正8年生まれ
 昭和20年4月22日 沖縄周辺洋上で散華

第104振武隊
 渡部佐多雄大尉(特操1期)大正11年生まれ
 昭和20年4月12日 沖縄周辺洋上で散華

第104振武隊
 宮川三郎少尉 大正14年生まれ
 昭和20年6月6日 沖縄周辺洋上で散華

第3独立飛行隊
 小林真吾大尉(陸士57期)大正13年生まれ
 昭和20年6月15日 沖縄中北飛行場付近で散華

義烈空挺隊
 石山俊雄大尉 大正9年生まれ
 昭和20年5月24日 沖縄中北飛行場付近で散華

義烈空挺隊
 渡辺祐輔大尉 大正11年生まれ
 昭和20年5月24日 沖縄中北飛行場付近で散華

義烈空挺隊
 宮越春雄中尉 大正7年生まれ
 昭和20年5月24日 沖縄中北飛行場付近で散華
*大変失礼な事に、名字を間違っておりましたので訂正しました(宮城→宮越)。ご遺族の皆様には改めて、お詫び申し上げます。

義烈空挺隊
 角田信夫少尉 大正9年生まれ
 昭和20年5月24日 沖縄中北飛行場付近で散華

誠第32飛行隊
 小林勇大尉(幹部候補生9期)大正11年生まれ
 昭和20年4月3日 沖縄西方洋上にて散華

独立飛行第46中隊
 上宮賢了大尉(特操1期)大正11年生まれ
 昭和20年3月28日 慶良間西方にて散華


 急いで吉野ケ里公園駅にまで戻り、お別れのご挨拶もそこそこに電車に飛び乗った。

Img_2415 鳥栖駅にて待ち合わせ時間があったため、メカマニアの血が騒いだ。
 本来であれば、映画『月光の夏』にもなった特攻隊員が出撃前に弾いたというピアノなどが鳥栖駅周辺にあるので、それを見たかったものの、そこまでの乗り換え時間はなく断念。
 ホームから見える各鉄道車両などを見てまわった。

Img_2413 鳥栖駅にはタンク式蒸気機関車である「国鉄230形蒸気機関車268号機」が車体保存してある。この車体は、実は柏崎周辺住民の重要な足であった北越鉄道株式会社(直江津~新潟<旧駅>間の私鉄)が「北越鉄道G形18号機関車」として使っていたもので、明治40年(1907年)、北越鉄道が国有鉄道編入後ときに268号機に改称された。柏崎も含め新潟で活躍した100年以上前の車両がこの佐賀県鳥栖市で眠っている。

Img_2417 博多までは特急「リレーつばめ」で移動。特急の伝統「つばめ」の名称も良く、個性的な色合いで気に入ってしまった。
 博多から福岡空港までは地下鉄。何気なく車内を見回すと自分自身も会員になっている「鉄道友の会」から1982年に送られたローレル賞が飾ってあった。

Img_2420 福岡空港に着き、チェックインをしたところでお昼を過ぎていたため、出発ロビーにある軽食コーナーで昼食。「かき揚げうどん 420円」「かしわおにぎり 210円」で腹を満たすものの、どうしても納豆が食べたくなり、カバンに隠し持って?おいた干し納豆をうどんに投入する。

Img_2424 ANA254便にて羽田空港、モノレールで浜松町、地下鉄で浅草まで移動する。
 浅草を宿泊先に選んだのは、中越沖地震後、柏崎の商業界のために、チャキチャキな浅草のおかみさんの皆さんが講演にこられたり、商品を買ってくれたためである。宿泊先は、浅草セントラルホテル。サービスが良いことで評判であり、チェックインしたところ、おつまみと冷たい発泡酒のセットをもらった。

Img_2436 浅草おかみさん会の会合があるとのことで、その間に夕食を済まそうと 「駒形どぜう 本店」(電話:03-3842-4001)で、どじょう鍋を夕食にする。
 はじめてこのお店に連れてきてもらったのが高校を卒業してすぐであったので、かれこれ17年ぶり?である。
 どじょう鍋はどじょう本体よりも大量のネギが美味であり、さらにいえばポイントは牛蒡である。
Img_2435 だいぶ寒くなってきた財布の中身を見ての予算的なこともあり、どじょうの追加よりは牛蒡を追加し、無料の刻みネギをおかわりをするという貧乏学生のような食べ方ですっかり満腹となる。
 溶いた生卵につけて食べるのが好みである。

Img_2438 そろそろ浅草おかみさん会の会合も終わった頃かと思い、「日本料理 手打ちそば 十和田」(電話:03-3841-7375)に移動。
 会社としては、ホテルニューオータニにも出店されており、揚げまんじゅう 中富商店、手焼きせんべい 壱番屋、人形焼 梅林堂、浅草 旬の市とかなり手広く商売をされいる。
Img_2442 お店まで来て何も頼まないというわけにはいかないので、生ビールも「鴨せいろ」を注文。
 どじょうとネギと牛蒡の香りにヤラれてしまったからか蕎麦の香りよりは、鴨の脂がキラキラと浮かぶつゆに気持ちが集中してしまった。

Img_2441 「十和田」のおかみさん、協同組合浅草おかみさん会理事長である冨永照子さん(写真:左)、東京おかみさん会の会長でもある高橋和子さん(写真:左下)がお見えになったので、まずは柏崎へのお気遣いに御礼するとともに、色々とお話を伺った。
 女性のパワーをうまく使わなくては町の活性化はないこと、「浅草ニューオリンズ・ジャズ・フェスティバル」の開催までの苦労、そして今年6月にあの経営破綻した町・北海道夕張市で開催する「第16回全国商店街おかみさん交流サミット」のことを熱くお話された。
Img_2444 意外であったのは、世界的な建築家であった故・黒川紀章氏と冨永さんとのご関係。知事選では応援でご苦労されたという。冨永さんご自身も残念な結果となったが、2001年の参議院比例区に民主党から出馬している。
 高橋さんからは、柏崎の男性はもっと女性を表舞台にだして、その気にさせてほしいとのお話があった。
 とにかくお話していてもお二人ともビンビンと力強さが伝わってきており、四文字熟語で表せば、

キョ~「強烈無比」!

という感じであった。また、細かい気遣いも忘れないお二人で、帰り際に人形焼きをお土産として頂戴してしまった。ありがたい限りである。

 強烈なお二人に出会ったあと、そのままホテルに戻る気もせず、一緒に話を聞いた議員で格安カラオケでカラオケ大会となった。
 堺正章『街の灯り』(作詞:阿久悠 作曲:浜圭介)、『ああ紅の血は燃ゆる』(作詞:野村 俊夫 作曲:明本 京静)、『喜びも悲しみも幾歳月』(作詞・作曲:木下忠司)など歌う。
 先輩議員が『銀座の恋の物語』を歌ったが、おかみさんのお話との連想で黒川記章氏のことを思い出してしまった。黒川記章氏が何を思ったか、2007年の東京都知事選に出馬した際、最終日に新宿西口で街頭演説中の石原慎太郎氏の近くで、

 「裕次郎の名前がないと当選できない石原慎太郎さんへ」

と、石原裕次郎の名曲『銀座の恋の物語』を歌い、それに対し石原慎太郎氏も

 「あの人、面白いねぇぇ~」

と街宣車の上から答えており、シュールな大人の笑いとして笑わせてもらった。

 23時近く、ホテルに戻る。 

2008年3月26日 (水)

玄海原子力発電所とプルサーマル
玄海町議会との議論

 1時30分過ぎまで飲み、2時近くにホテルに戻る。メールの整理を荷物を開いたり、1時間ほど活動し、就寝。

Img_2303 8時、起床。シャワーを浴びたのち、ホテルの朝食コーナーで、焼きたてパン、コーヒー、ジュース、ゆで玉子の朝食をとる。
 納豆がないと力がでないので、部屋に戻ったところで、コンビ二で買った小粒納豆を食べる。

Img_2304 8時20分、ホテルをでて玄海町議会棟に移動。議長室にて、議長をはじめ、昨日お世話になった事の御礼を申し上げる。
 9時、玄海町議会定例会最終日を傍聴。
 他の自治体の議会を傍聴する機会は少ないので大変参考になる。
 柏崎市議会では採決は議案一件ずつ行うが、玄海町議会では一括して採決をしており、かなりの時間短縮となっていた。

Img_2307 議会傍聴後、九州電力玄海原子力発電所に移動。
 玄海エネルギーパークにお邪魔させてもらい、九州電力執行役員でもある村島所長、環境広報担当の今村次長、福山館長の皆様と意見交換をさせてもらった。

Img_2317 九州電力玄海原子力発電所は、加圧水型軽水炉(PWR)4基を有する。出力は1号機、2号機が55.9万Kw、3号機、4号機が118万kwで、サイトの敷地面積は約87万平方メートルとなる。自然にできた入り江をうまく利用して取水口や放水口(2基分は表層放流)などを設置してあるのが特徴的である。
Img_2315 2005年3月20日の福岡県西方沖地震では強い揺れを観測し、3号機の補助建屋で震度4、3号機原子炉建屋の基礎部分では水平方向で850ガル、鉛直方向で54.2ガルの最大加速度となったが、被害がなかった。
 さらには、2010年度までを目途に、3号機でプルサーマルを実施する計画を決定している。
 今回の視察・意見交換では、福岡県西方沖地震後の対応、地震があったことから、さらにプルサーマル計画の受け入れを可能にしたことなど、どういった経緯で住民に説明をし、ご理解頂いたのかを知りたいというのが目的である。


平成20年3月
                        九州電力

玄海3号機におけるプルサーマル計画について

1 主要工程
 平成16年 5月28日 地元への事前了解願い
             原子炉設置許可変更申請
 平成17年 9月 7日 原子炉設置変更許可
 平成18年 3月26日 事前了解受領
 現 在
  実施に向けての諸準備実施中
  2010年度までの実現を目標としている
 ・平成18年 9月28日 MOX燃料供給契約締結
 ・平成19年 9月 3日 輸入燃料体検査申請
 ・平成19年10月 9日 MOX燃料製造開始

2.事前了解までの主な理解活動への取り組みについて
 ・議会行政、各種団体、玄海町住民の方々等に対し
  説明会を実施
 ・玄海町全世帯に対する訪問活動
 ・公開討論会(シンポジウム)
  平成17年 2月20日;
    当社主催(玄海町町民会館,約570人参加)
  平成17年10月 2日;
    国主催(玄海町町民会館,約630人参加)
  平成17年12月25日;
    県主催(唐津市ロイヤルホテル,約780人参加)
 ・玄海町周辺住民の方々に対する講演会・イベント(演奏会等)
 ・新聞・雑誌広告
 ・テレビ・ラジオ・ケーブルテレビCM

 事前了解後も継続して広報活動を実施中


 「生データを何でもかんでも出せば良いのではない」という安全保障と情報公開の在り方から、今後10年、20年後の原子力技術者の養成、住民への個別訪問の実施の苦労話など、話の範囲は多岐にわたり、約1時間、中身の濃い時間となった。
 地元採用である協力企業さんと九州電力社員との結びつきが強いのが一番の驚きで、人間関係の距離感が思ったりも近く、定期検査や大きな作業が終わるたびに懇親会をやるという。 「飲みニケーション」というと一瞬、古い感じもするが、意外とここに安全・安心の作業、そして地元理解活動への協力の羊蹄があるような気がする。

Img_2324 玄海エネルギーパークには、4階建てのPRセンターがあり、施設内をご案内頂いた。1階からの吹き抜けの部分に原寸大の原子炉が設置されており、それ取り巻くように原子力発電の基本的知識のほか、国内外の原子力発電所のトラブル情報がパネル展示されている。
 平日ではあったが、かなりの人が家族連れで訪れていた。
 これまででピーク時には年間40万人を超え、現在でも年間27万人程度がコンスタントに訪れるという。
Img_2331 PRセンターに併設するかたちで、玄海町、唐津市のみならず、佐賀県、そして九州の祭りや、伊万里焼、唐津焼をはじめとした九州の焼き物を展示するコーナーもあり、一回りすることで九州の文化を大まかに知ることができる。柏崎刈羽原子力発電所のサービスホールにも「ふるさと探訪コーナー」はあるものの、この点は参考にすべきかと感じた。
Img_2333 発電所で発生する蒸気を無駄なく使うため、植物用の熱帯温室も設置されており、熱帯地方の植物をはじめ、珍しい花や木が生い茂っている。地中海の中庭風に設えた庭園もあり、実際に玄海町職員とPRセンターの女性職員との結婚披露宴にも使われたそうである。
 また、「どっ来い承」という組合型で運営するお土産屋さんを併設しており、地元経済への寄与をしているとのことであった。

Img_2337 13時、玄海町役場近くの「あけぼのや」(佐賀県東松浦郡玄海町諸浦336-6 電話:0955-52-3086)にて、「チャンポン 大盛 600円」を食べる。
 ウスターソースと胡椒の瓶がついてきたので、胡椒は分かるものの、ウスターソースはどういった場合に使うのか、店員さんにお聞きしたところ、途中で味に飽きるから、半分ほど食べたところで投入せよ、とのことであった。
 「ご指示」通りに、半分食べたところでウスターソースを投入してみたが、個人的には入れずとも十分であった。

Img_2338 14時から玄海町議会、玄海町当局との意見交換。出席者は、岩下議長、日高副議長、上田議会運営委員長、古館議会運営副議長、原子力対策特別委員会・渡辺委員長、原子力対策特別委員会・脇山副委員長、古館財政企画課長、山口議会事務局長である。
 「プルサーマル計画実施の住民説明・合意・経済効果について」、「福岡西方沖地震のその後と対応について」を基本テーマにフリートーキングのような感じで意見交換となる。

玄海町役場作成資料

Img_2340 数値などの確認よりは、今後の国のプルサーマル計画がどうなるのか、核燃料サイクルはどうなるのか、地域振興策としての交付金の在り方など、現実に即した議論となった。
 個人的には、原子力交付金の在り方の本来の意味に立ち戻り、やはり道路整備を行うべきとのお話をさせてもらった。それは、原子力賛成派も反対派も忘れているが、あってはならないものの本来は緊急時の避難経路を十分確保するための予算が組み込まれていたはずである。しかし、現実には柏崎刈羽原子力発電所周辺の道路事情が良いとは言えない。
 また、玄海町議員からは「原子力のリーダーは柏崎市議会であった」旨のお話もあったが、今はその栄光は無い。

 岸本町長のお顔が見えたので昨日の御礼のご挨拶とともに、原子力発電所の防衛こそは自衛隊が行うべきと思いますが、いかがでしょうか?と失礼ながら問いかけると、

 「いやまったくその通りですねぇ。
  海上自衛隊に『げんかい』という艦がありましてねぇ。
  私、そのポスターを町長室に貼っていますよぉ」

とのことであった。「げんかい」は多用途支援艦AMS-4304「げんかい」のことであり、海上自衛隊最大の艦である「ましゅう」型補給艦を一隻で引っ張れる(曳航)ほどの強力な機関(5000馬力)をもつ。ちなみに「戦艦 大和」は15万馬力。しかし、武装はない。
 原子力立地自治体の首長で自衛隊の配備を本気で考える会ができないものであろうか。

Img_2341 意見交換が終わり、役場の前にでると思いっきり目の前に「プルサーマル反対」の看板を掲げた家があった。
 日本は自由な民主主義国家であるゆえ、意見は自由である。それ故、自分とは異なる意見も大切にするのであるが、この「プルサーマル反対」だけでは、原子力発電自体に対してどうなのか不明である。もっと主張をハッキリしてもらった方が良いのではないか、と勝手に思った。

 またも渡辺議員、脇山議員にお世話になり、車で宿泊先の唐津第一ホテルに戻る。

Img_2342_2  今回の視察では、企画段階では構想にあったものの、しっかり手配を忘れてしまった反省があった。それは、唐津市役所への表敬訪問。
*写真は唐津市役所
 実は、唐津市には柏崎という地域があり、この度の中越沖地震に際し、唐津市柏崎地区(59戸、236人)が、義援金約8万円を集めて、義捐金として日赤を通じ送ってくれていたのである。
Img_2343   その御礼に是非、市長をはじめ、地区の区長さんにお会いしたかったが、日程の都合もあり、すっかり抜け落ちてしまった。猛省するところであり、近いうちに是非、唐津市には来て御礼申し上げたいところである。
 唐津市は約12万人の都市であるが、唐津城をはじめ、近代の古い建物も大切にしており、旧唐津銀行(旧佐賀銀行唐津支店)がある。
Img_2346 この建物がまた素晴らしく、しばらく見入ってしまった。最近、納豆マニア、メカマニアに飽きたらず、建築物マニアの気がでてきた。
 また、我が柏崎市でも是非やりたいと思っている屋台村も電車の高架下にある。
 現地に行ったものの、まだ時間が早かったため、唐津市ふるさと会館(アルピノ)で買い物。

Img_2344  ついでに唐津焼の「やすかわ」(電話:0955-75-1492)にも行き、一流の唐津焼を見せてもらう。
 北波多窯の西川弘敏氏の作品で、納豆ご飯を入れるのにちょうど良い大きさで、質感、デザインとも気に入ったものがあったが、あいにく売却済み。残念であった。

Img_2348 買い物をしても屋台の開店まで時間がつぶし切れず、近くの「炭火焼肉 ふくや」(電話:0955-72-2688)で、伊万里牛を少々つまむことにした。
 安く美味しい屋台の料理を待つために、高価な伊万里牛を食べるのも意味不明であるが、せっかくということで散財。肉汁あふれる柔らかな肉で、体重が重くなった反面、一気に財布が軽くなる。

Img_2350 1時間ほど軽く食べたのち、再度、屋台村に戻ると電気がついていた。
 ここには14軒の屋台が並んでおり、それぞれの屋台は四方を囲まれた建物になっている。
 また、トイレは共同のものがあり、女子トイレ2台、男子トイレ1台が設置されている。
Img_2353 数ある店のなかで、どこに入ろうか迷ったあげく、入った屋台は、「つや」(電話:0955-74-3202)。
 九州出身の知人が、よく

 「そげんツヤつけて、どこ行きよっとか?」

Img_2354と言っていたことを思い出した強引な選択である。
 まずは生ビールと、唐津名物である「ギョロッケ」 を注文。これは、魚のすり身にカレー粉をまぶして、パン粉を付け揚げた、魚肉のコロッケ。揚げたものを再度、網焼きをし、表面をカリッとしてくれたので、ビールとよく合う。

Img_2355 続いては、お約束のラーメンである。お店に入っただけでも豚骨の独特の香りがあったので気になってはいた。豚骨のみならず、鶏のダシも加わったような濃厚かつさっぱりしたスープ。
 料理はもとより、この高架下の屋台村という雰囲気が良い。
 柏崎の駅周辺をすべて小綺麗かつ都会風にするのではなく、一角はこういった昭和の香りを残したコーナーにしたいものである。

 23時、ホテルに戻る。

2008年3月25日 (火)

柏崎フロンティアパーク売り出し
佐賀県玄海町 町長、議会懇親会

 出張にでるために溜まっていた仕事をなるべく消化しようと結局、徹夜。

 7時、熱いシャワーを浴びたのち、大粒納豆、ほやの塩辛、もずくの味噌汁でご飯2杯の朝食をとる。

 8時50分、柏崎駅に会派の議員とともに集合。
Img_2280 北越1号で長岡駅まで、とき316で東京駅まで移動し、浜松町からモノレールに乗り換え、羽田空港に移動。
 モノレールのなかで、柏崎フロンティアパークの広告を発見した。
 今後の柏崎の経済は、企業を育成することもさることながら、企業誘致も重要な柱となる。
 電気料金の割引や産官学連携などが書かれていたが、どんな人材をとることができるのか、2つの大学を研究機関としてだけではなく、貴重な人材を得られるといったアピールも欲しいところである。

Img_2286 羽田空港第二ターミナルにて、フライトを待つ間、「東京ラーメン天」(電話:03-6428-8558)にて、「全部のせラーメン 1200円」と「焼き餃子 580円」で昼食をとる。
 「全部のせラーメン」は、炙りチャーシュー、半熟煮玉子、ワンタン、煮メンマ、のり、白ねぎが入っており、細麺の醤油味で量も少なめ。
Img_2287 さっぱりしていることもあり、一気に食べきった。また、餃子はラーメンとは対照的に六個入りでニンニクたっぷり。食べている最中から自分でニンニク臭を感じるほどであった。
 ANA987便で、一路福岡空港に向かう。

 福岡空港に到着したのち、地下鉄で博多駅まで行き、電車にて唐津駅まで向かう。車窓から見える海が美しい。

Img_2289 ありがたいことに唐津駅まで玄海町議会の上田利治議員が自家用車で迎えにきてくれ、18時、宿泊先の唐津第一ホテルにチェックイン。
 その後、懇親会の会場である「割烹 すぎ山」(佐賀県唐津市町田2855−2 電話:0120-72-4535‎)に移動。
 会費制での懇親会である。
Img_2290 佐賀県玄海町は、炭鉱のまちとして栄え、石炭から石油へとエネルギーの転換が進むにつれ衰退。そして昭和40年春には、原子力発電所の誘致が持ち上がり、昭和46年から九州電力玄海原子力発電所の建設が始まった。
 我が柏崎市が石油から原子力に移行してきたと同じように、玄海町もエネルギーのまちとして発展してきた。
 ちなみに唐津・東松浦1市7町2村との合併協議会からは離脱し、自主独立を模索している。
Img_2295 懇親会には、玄海町議会定数12名中の8名の議員からご参加頂き、冒頭に岩下孝嗣議長からご挨拶を頂戴した。
 玄海町議会は、柏崎市議会が言い出しっぺである原子力発電所立地自治体の議会で構成する全国原発議長会の設立に、一番最初に手を挙げ賛同してくれた議会である。
Img_2294 少し遅れて岸本英雄町長も到着。町長は県議3期目途中から町長選に出馬し、現在1期目。
 柏崎でも導入を予定していたものの頓挫したプルサーマル計画を玄海町議会、佐賀県知事とともに推進し、プルサーマル最初の自治体となる予定である。プルサーマル導入に伴う国の交付金が玄海町に30億円、佐賀県と唐津市に15億円が交付される。
 お土産で持参した原酒造「復興祈願酒」2升があっという間に空き、原子力政策に関する熱い議論が続いた。
 地元で「チューチュー貝」と言われる貝をはじめ、たまり醤油で食べる刺身がうまい。

Img_2298 一次会終了後、商店街を抜けて二次会の会場に向かう。
 時間が時間ということもあるが、商店としては既にやっておらずシャッターには「売物件」と書かれた店舗が何店もあった。
 唐津市内中心部でも商店街の活性化という課題があるようである。

Img_2302_2 唐津市内のスナックで二次会となる。
 玄海町議会原子力対策特別委員会の委員長である渡辺一夫議員、副委員長である脇山伸太郎議員と別行動をし、スナック「DAnKE(ダンケ)」にて、さらに意見交換。

2008年3月24日 (月)

2008柏崎小学校卒業式
08年3月29日号『週刊現代』町長暗殺指令?

 4時から6時まで仮眠。月刊誌、週刊誌をもって目覚めの長風呂に入る。

 8時、大粒納豆、めかぶの梅酢和え、じゃがいもとタマネギの油炒めでご飯2杯の朝食。

Img_2268 9時、母校である柏崎小学校に移動する。
 今日は「第99回卒業証書授与式」である。式がはじまる前の雑談のなか、PTA会長である前市議の桜井氏から5年後の柏崎小学校の入学生数を調査した結果を聞いたところ、なんと51人。繰り返すようであるが、5年後の柏崎小学校の入学生は51人である。本来、この校舎は一学年200名を想定して作られたもの。さらには、PTA役員もただでさえなり手がいないのに、一年間に必要な人数54人を割ってしまう。由々しき事態である。
 9時30分から開式し、KOKIAさんの『私にできること』で卒業生が入場。今年の97名の卒業生は、中越沖地震という未曾有の大災害を最上級生の立場で乗り越えてきた学年である。
 「門出の言葉」でも地震にふれ、力強い言葉があった。

 地震の時
  支えてくださった自衛隊のみなさん ボランティアの方々
 地震のときはもちろん
  いつも私たちを温かく見守ってくださった 地域のみなさん
 小学校で過ごした六年間
  優しく楽しく教えてくださった 先生方
 そして ずっと 支えてくれた かけがえのない家族
 本当にありがとうございました
 私たちは 今 卒業します
 柏崎小学校で学んだことを生かして
 夢に向かって
 輝く未来に向かって
 スクラム組んで 力強く 一歩一歩前進します
 前進します

 卒業生を送り出す山本校長もこの3月で退職であり、生徒とともに苦労したからであろう、祝辞も涙で所々止まるほどであった。
 感動のなか、「第99回卒業証書授与式」が無事に終了。
 昭和3年が生徒数2700人のピークであった柏崎小学校は、これから大きな曲がり角を迎える。

Img_2269 12時近くに市役所に移動し、議員有志での勉強会。
 「やぶ」(電話:0257-22-3482)の「カツ丼」出前を食べながら、話し会う。
 午前中はただ座っているだけだったので、あまりお腹が空いておらず普通盛りでも満腹となった。
 14時から明日からの視察関係の準備や県道(黒部-柏崎線)の陳情のため新潟県柏崎地域振興局に出向く。

 16時過ぎに一度自宅に戻ると、留守番電話の数件の録音があった。案の定、非通知から無言電話の連続。
 これでイヤがらせの効果があると思っているのであろうか。アホである。

 また、柏崎市内を右翼団体の街宣車が走り回っているという連絡が携帯電話にあった。活動するのは勝手であるが、名曲である軍歌・戦時歌謡を迷惑なほどの大音量で流して、イメージを落とすのは勘弁である。軍歌・戦時歌謡を心の拠り所にしている戦争経験者もおり、それより何より日本の近現代音楽史にとっては無視できないもの。大切にしたい。

 18時から市内某所で打ち合わせ。

Img_2276  19時、昨日もらった蛸の頭の部分、蛸のモツといっても良い部分をどう食べようか迷い、一般的な刺身や天ぷらではなく、蛸墨もあることからスパゲティを作ってみようと挑戦。
 イカ墨スパゲティは、もはや定番となってはいるが、タコ墨スパゲティは聞いたことがない。ないからこそ、挑戦する意義がある。
Img_2279_2 たっぷりのオリーブオイルでにんにくのみじん切りを炒め、バジル、ホールトマト、鷹の爪、魚醤、そして蛸のモツを蛸墨とともに投入し、最後にアルデンテに茹でた細めのスパゲティを絡める。
 最後に干し納豆のパウダー、バジルをかけ完成。
 しかし、一口食べてみたが・・・・・・タコ墨スパゲティがメジャーでない理由が分かった

Img_2263

 08年3月29日号『週刊現代』にトンだ電波系記事があるよ、との報を知人からもらい、早速、購入してみた。
 表紙には、

 驚愕スクープ/
 内部告発 日本でこんなことがありえるのか
関西電力 高浜原発「町長暗殺指令」
「特殊任務や。町長殺ってくれんか」
「ワシら誰や思うとるねん、関電やでぇ」

などと刺激的な言葉が羅列されている(本当はサトエリにも目がいった)。
 中を読んでみると、プルサーマル計画の推進にあたって、関西電力幹部が町長を暗殺せよと関連企業に依頼したとある。
 一部を引用すれば、


「これは特殊任務や。町長を頼れ」

 この頃からK氏は明確に〝暗殺指令″を下し始めたという。加藤氏が語る。
 「若狭支社に異動になったKは、’03年に初当選したある(高浜)町議の経営する鉄工所内に仕立てた特別室に頻繁に出入りするようになりました。Kはそこにワシらを呼び、『これは特殊任務や。あいつだけは絶対に許せん。あいつがおったら高浜原発はやがてはなくなってしまうかもしれん。そやから、あんたらで町長を殺ってくれんか』と深刻な顔で言いだしたのです。今井町長が3選を果たした’04年以降、何度もワシらに『町長、はよ(早く)殺れや』と言うようにになったのです」
 K氏が〝町長暗殺″のために目を付けたのが、高浜原発の警備のために飼育していた猛犬だった。矢竹氏はこう語る。
「犬のトレーナーでもあるワシにこう言いよったんです。『(町長を殺すのに)犬を使えばええやないか!犬はあんたの言うことならなんでも聞くやろ。犬で町長、殺ってくれ!」。冗談言うなと思いましたけど、Kは本気やった。また、『そ
うせんと、これから警備の仕事でけへんなるで。ワシの裁量ひとつであんたら干すこともできるんやで』とも言いました。そう言われたら、ワシも真剣に考えましたわ……」
 K氏は、異常な指令を命じるため、加藤氏や矢竹氏にこのような圧力をかけた
という。
 「犬の警備事業を他の原発にも順次拡大させていく、という条件を出してきたのです。彼はそれを 『水平展開』と言っていました。その言葉を切り札のように使って、ワシらに町長を殺させるよう煽ってきたんです」(加藤氏)
 高浜原発の警備犬事業を、大飯や美浜にある原発にも広げるとK氏は提案したのである。そして「町長を殺さなければ、『水平展開』はない」と脅したのだった。矢竹氏はこの言葉を真に受けてしまう。
 「何度も何度も『殺せ』と言われて、今から考えると、『自分でも頭がおかしくなってたんやな』と思います。本当にやらねば、と思うようになっていったんです。本気で町長殺ったろうと。そんだけ、気持ちが追い込まれとったんです。そんで『犬を使うなんてまどろっこしい。ワシがやれば、一番早い』と思って、数日間、町長つけ回したこともありました。町長が行きそうな飲み屋の前で待っていたこともあります。幸いなことに、町長と鉢合わせする機会がなくて、未遂に終わりましたが、あまりのストレスで頭にはハゲができ、家庭も不仲になってしまいました‥‥‥」


といった感じで、かなり電波な記事に感じるのは私だけであろうか。
 案の定、続報があるとしていながらも、今週号には掲載の予定はない。

2008年3月23日 (日)

市職員による住民基本台帳情報漏洩事件
真っ黒議事録

 3時、就寝。3時間ほど仮眠をし、シャワーで目を覚まし、再度、原稿を書き始める。

 9時、大粒納豆、めかぶ醤油漬け、さつま揚げでご飯2杯の朝食をとったのち、着替えて弔問に伺う。その後、再度着替えて、市内某所での打ち合わせ。

Img_2260 12時過ぎ、自宅に戻り、魚肉ソーセージや佃煮の残りなど冷蔵庫の片隅にあったもので炒飯を作る。味付けは醤油、粉末にした干し納豆。
 母と祖母の3人家族でしかなく、さらに祖母は要介護3なので、大量に食べてみたり、まったく食べなかったりと食材の量の起伏が激しい。
Img_2261 食べ物を余らせるわけにはいかないので、炒飯はもってこいの料理。
 ちょうど甥っ子と姪っ子が遊びにきたので、昼食として食べさせる。「オイチぃーね」と言ってたっぷり食べてくれるので可愛さも増す。叔父バカである。

 午後も、事務所にこもって、ひたすら原稿書き。

Img_2266  米山町でとれた蛸をもらったので、早速、塩でヌメリを取った後、刺身にする。ひき割り納豆のつけだれでのうどん、蛸の刺身で夕食。
 食後、新年度に向けての色々な企画の電話が相次ぐ。
 体が一つしかなく、また今でも仕事でアップアップしているので、何件かは申し訳ないと思いながら、断らせてもらった。

 先の定例議会3月4日の一般質問でも会田市長に迫ったが、柏崎市役所職員による住民基本台帳情報の漏洩事件については、 『財界にいがた』の平成20年3月号でも、核心部分が以下のように掲載された。


ストーカーに発展

 この事件、柏崎市役所がダンマリを決め込む裏で、実はとんでもない顛末になっていたという情報をキャッチした。「個人情報を漏らされた被害者は、それがもとでストーカーまがいの被害に悩まされたそうです。要はつきまとい行為です。市役所側はこの顛末について、固い箝口令を敷いています。確かにこれが公にされれば大変なことになりますからね」(事情を知るという市民)
 なんと、市職員が漏らした個人情報を元に、ストーカーまがいの迷惑行為が起こっていたのだという。
 情報を整理すれば、こういうことだ。
 加害者Aは妻Bと離婚した。妻Bはその後再婚し、別の家庭に収まっている。この間、BはAと連絡を取らず、嫁ぎ先も一切教えていなかった。
 一方でAは別れた妻に未練を持っていた。ヨリを戻したいと考えたかどうかは分からないが、AはBの居所をつかみたかった。
 そこでAは知人の市役所職員に相談をした。市役所職員は前述の通り、使用権限のない端末にアクセスして、Bの個人情報を入手。そこで知り得た現在の住所、家族構成等をAに漏らした。
 AはBの嫁ぎ先を訪ね、接触を試みるも、Bに拒絶される。そこから、付きまとい行為が始まったのだという。
 Bの再婚相手とトラブルになった際、住所等をどうやって知り得たかと問われたAはぶちまけてしまった。
 ”俺は教育委員会の○○を知っている。そこから開いた”
と。
 そこではじめて、市職員が個人情報の漏洩を行っていたことが発覚したというわけだ。
 ストーカーにまつわる経緯については、新聞等には一切報じられていない。公表されていないのだ。
 情報はあくまで又聞きでしかないわけだが、それでもこれを”全くのガセネタ”とは片付けられない理由がいくつか存在する。
 まず、情報を漏らされた市民側から直接電話でクレームを寄せられ、事態が発覚した点。これは情報漏えいによって何らかの実害があった証左であろう。
 次に直接、教育委員会に通報された点。要するに被害者は個人情報の出所を特定できたということだ。
 例えば、個人情報が漏れたおかげでしつこいセールスを受けたくらいでは、どこから漏れたか特定はできないだろう。住基ネットから情報を得た当人と被害者の直接のやり取りがあってのことではないか。

 柏崎市役所教育委員会に”個人情報漏洩問題で実害が出たのか”という点を問い合わせると。「新聞等に報道されている以上のことは、一切お話しできません」と口を真一文字にダンマリ。しかし実害があった点は否定しない。


 本当のことであったら、日本中の恥である。しかも、それを隠しているとしら、腐り具合も末期である。
 例えが悪いようであるが、東京電力の不祥事にはヒステリックなまでに公開と猛省を求めているのに比べ、自分たちのミスにはダンマリかつ隠蔽である。
 住民基本台帳の情報を漏らした職員は教育委員会の職員であり、任命権者は教育委員会であるため、処分の決定過程には柏崎市民から選ばれた教育委員が関わっている。
 それが平成20年1月18日に行われた教育委員会の臨時会であり、その議事録が以下である。

平成20年1月18日
 教育委員会臨時会議事録
(pdf形式)

 情報公開条例による請求で公開された情報であり、個人を特定すると思われる部分は黒塗りとなっている。黒塗りは多いが、上記引用の記事と議事の流れを考慮すれば、どんなことが起こったのか、ほぼ確定できる。
 議事録の表紙に、住民基本台帳の情報を扱う最高責任者たる会田市長の判子も押してあるように、何が起こったのか知っていながら、先日の私の一般質問には答弁しなかった

 柏崎市民が不安になることもさることながら、真面目に働く市職員も迷惑するであろう。
 この事件の根は深い。

2008年3月22日 (土)

長島忠美後援会合同会
08NBC新潟交流委員会第4回委員会

 5時から8時まで仮眠。熱いシャワーで目を覚ましたのち、大粒納豆、野菜炒め、シラスおろしでご飯2杯の朝食をとる。

 9時30分過ぎに愛車で自宅をでて、途中、同会派の先輩議員を迎えにいき、長岡市のニューオータニ長岡に移動。

 11時から元山古志村長である自民党・長島忠美衆議院議員の後援会合同会に出席する。駐車場にも車を置けないほどであり、案の定、会場も廊下まであふれる盛況ぶり。
 元農林水産大臣の自民党・谷津義男衆議院議員をはじめ、自民党新潟県連会長である自民党・稲葉大和衆議院議員、地元・長岡市の森民夫市長ほか新潟市の篠田昭市長、小千谷市の谷井市長、魚沼市の星野市長、湯沢町の上村町長などの首長、新潟県中越地区を中心にした各議会の議長以下の議員が一同に集結した。もちろんの事?ながら、昨年の中越沖地震でお世話になったはずの我が柏崎市の会田市長の姿はない(新潟市など首長が揃うなかである)
Img_2235  来賓のご挨拶が数々あったなかで、ピカイチだったのが地元・長岡市の森民夫市長であった。

 「軽々しく、
 『戦友』という言葉を使いたくはないが、
  まさに『戦友』というべき・・・」

と前置きをしたあとで、長島議員が山古志村の村長であったとき、中越大震災による山古志村の全村非難の決断をしたことをお話になった。村民全員が賛成したわけではなく、風当たりも強かったことは事実であるが、本当に村のことを考えて、 「一度、村を捨てる」決断をした。政治家にとっての決断は非常に重いものであり、逆に言えば目先の批判を交わすために決断しないことを決断したり、変に表面的な意見に迎合しないのが、本当の決断である。よく知るどこかの市?では、本当の決断はない。
Img_2239  ご本人の御礼の挨拶、そしてこれからの夢を語った挨拶には涙する方も多く、そして私を含む多くの人が勇気づけられた。

 「私は多くの方に支えられ、
  夢のような国会議員の仕事をやっています。
  皆さんのご支援にお答えするためにも、
  そして夢を語る意味でも、
  何と言われようと、
  皆様のお役に立てる
大臣になるまで
               頑張り抜きます!」

P_niigataken0 人によっては、「何をバカなことを・・・」と言うであろう。
 夢を語った人間を批判をするのは簡単である。しかし、こういった新潟県民に恩返しがしたい、日本のため、人の役に立てるようになりたい、ということを多くの人の前で宣言し、実行に移そうとしている人間を批判できるほどの資格が批判する側にあるのだろうか。
 今後も長島議員をあらゆる面から応援していきたいと思う。

Img_2241 会食の時間となり、多くの料理が運ばれたが、長島議員の後援会らしく、山古志村の山の幸が並べられた。
 数種類の漬け物、わらびなど、運転があるため酒を飲むことはできなかったが、酒の肴に最高のものであった。
Img_2245 お楽しみ時間は、なんとあの『帰ってこいよ』(作曲:一代のぼる 作詩:平山忠夫)を歌っており、一時は「貴女が帰ってこいよ」と言われていた、実力派歌手の松村和子さんの歌であった。自分自身が小さい頃に見ていたほどなのでお年かと思っていたが、ちょうど10歳年上であり、演歌歌手として脂が乗り切っている世代。声量、声の安定度など腹にひびき、消化にも良いようであった。
 ちなみに、『帰ってこいよ』は三味線をもっていたと思われている方が多いが、実はモンゴルの楽器である馬頭琴(モリンホール)だった。

 14時過ぎ、会場を途中で抜けさせてもらい、見附市に移動。
 某会社の社長とアイデア出しの会議を行う。今年8月までには事業化したい。

Img_2250 17時、三条市に移動。三観荘にて開催の2008年日本青年会議所・北陸信越地区・新潟ブロック協議会の新潟交流委員会第4回委員会に出席。
 褒賞事業を受け持つが、これまで青年会議所メンバー内で、新潟県内に23ある青年会議所が提出する自慢の事業を評価してきたが、今年からは外部審査員をお願いする。
Img_2253 泉田裕彦・新潟県知事をはじめ、各自治体の首長、商工会議所などにも挨拶まわりをする必要があるので、4月以降はハードスケジュール。ただ、粟島の粟島浦村役場への訪問は非常に楽しみである。
 会場である三観荘は、我が柏崎市の原酒造「越の誉」をお使いになっておられたので、記念に広告マッチを撮影。

 今年5月10日に柏崎で委員会を実施することになり、原子力発電所の見学をしてもらうことになった。

Img_2254 21時過ぎに会議が終了し、仕事の期限が迫っているものが多々あるため、懇親会は失礼させてもらい、自宅に戻る。
 22時、自宅に到着。鯛のあらの潮汁、越後豚のモモ肉を使った生姜焼き、小粒納豆、ビール500ml3本で夕食。

 食後、ひたすら原稿を書く。

2008年3月21日 (金)

平成20年第2回定例会閉会
震災復興計画策定

 3時就寝。2時間ほど仮眠したのち、6時から再度、事務所でブログやメールなど。メールで返事をしなければならないものが溜まり過ぎてしまった。

 9時、大粒納豆、目玉焼き、イカ塩から、芥子菜のおひたしでご飯2杯の朝食を食べたのち、市役所に移動。

 10時から本会議。主たる議案である「議第20号平成20年度一般会計予算」は、反対したい要素が数多くあったが、震災復興の予算でもあり、賛成をした。2年ぶりの全会一致になる。
 案の定、これまで原発関係の交付金が入ってきているとして「反対」をしてきた社会クラブ、消費税の導入以来「反対」をしてきた共産党も賛成をした。賛成討論のなかでも議場を盛り上げたのは共産党の賛成討論であった。柏崎市の一般会計予算ながら、いつの間にか米軍への思いやり予算の話まで広がっていた。
 米軍の撤退を求めるなら、自分の国は自分で守るために自衛隊を軍に昇格させ、軍になることでイージス艦衝突事件や情報漏洩を含めて、通常の法体系より厳しい軍法会議で軍人として厳罰することができると考えるのが、防衛力をもつ普通の国の政治であろうが、そこにいかないのが共産党。
 ちなみに共産党が近現代の歴史問題でよく出してくる「東京裁判」は、正式名称が「極東国際軍事裁判」である。さらには、この裁判の費用27億円は日本が出した。

Img_2229 12時、休憩時間となったので、「割烹おくい」(電話:0257-24-6486)の弁当で昼食をとる。
 休憩時間中に、来週視察にいく九州電力関係の資料に加え、福岡県西方沖地震、玄海島に関連する情報を探す。

Img_2231 13時から議会再開。
 問題となっていた桑山木材跡地の9億円での取得議案である「議第56号 財産の取得について(土地)」には反対をした。
 これは必ず将来、負担となるであろう。商店街の復興を願うのであれば、むしろえんま通り商店街の2階より上が住居になるよう民間で建設し、それを柏崎市が責任をもって借り上げれば、柏崎市職員の負担を少なく(職員数を減少)することができ、かつ商店街の活性化になるのである。こういったオプションの検討もなし、いきなり一等地、しかも柏崎市の収入となる固定資産税も、柏崎市が買い上げてしまったことで無くなる。
 しかし、賛成多数で本義案は可決してしまった。

 続いて、予算額より17億円も国からの交付金が少なかったことによる補正の議案「議第57号 平成19年度一般会計補正予算(第14号)」。これには反対のしようがないが、あまりにも柏崎市の財政を安易に考えていることに対しては、どうも納得がいかない。どういった考えでいるのか、次の議会で問い質してみたい。

 議員側からの発案である、議員報酬の3%削減の「委員会発案第2号」も全会一致で可決した。

 議会も終盤となった請願の採決においては、議員の欠席があったことから、共産党提出の最低賃金に関する請願で賛成・反対同数となり、議長裁定となった。議長の裁定は「可」。よって可決したものの、保守系議員からは「おいおい、どうなってんだ!」の声が相次いだ。

 14時前に議会が終了。平成20年第2回定例会は閉会となるが、まだやることは山とある。

Img_2232 議会運営委員会にて第3回定例会の日程を確認したのち、「柏崎市震災復興計画策定に係る第4回市議会意見拝聴会」に出席。
 「さらなる未来へ」というキャッチフレーズがついた。
 色々と言いたいことがあったが絞った。
 まずは、自助、共助、公助の比率をどうやって市民に分かりやすく説明するかということである。
 講演をはじめ、色々な集会での震災のお話をさせてもらう際に使っている以下の表現方法を提案した。

 「自助>>共助公助」

 もう1点は、大学生の確保と柏崎での就職についてである。震災復興計画の重点プロジェクトには産業の振興といったところはあるが肝心の人材確保、そして人口を増やす政策については多く書かれていない。
 私の質問に対し、総合企画部長は第4次総合計画に盛り込んであるといった旨の答弁をしたが、私が言いたい事は、震災復興において克服すべき人口の減少、特に若い世代について、もっと真剣に取り組むべきということである。
 企業誘致にしても人材が柏崎市内にいなければ容易に進出はできない。
 人口が減る予想は震災前の第4次総合計画からも言われていたが、震災を経験してさらに人口が減少する可能性が高いからこそ、2つの大学の学生確保、そして卒業後に柏崎に住んでもらう施策を真剣に考えるという提案である。

 終了後、視察先への手土産をはじめ、会派の諸雑用で市内をウロウロ。

Img_2233 19時、来客があったので、 「北京」 (電話:0257-23-6913)にて持ち帰りの「餃子 360円」を2人前、その他、冷蔵庫にあるもので軽く酒を飲む。
 お土産でももらった新潟麦酒の春季限定ビール『桜』を飲んでみたが、桃の香りが特徴的というものの、男のビール飲みとしてはちょっとカクテル風で苦手な部類であった。女性には受けそうな感じがする。

2008年3月20日 (木)

チベット人の独立・自由を支援する緊急抗議行動、オウム真理教と毒ギョーザ

 3時、就寝。7時、起床。大粒納豆、茄子の味噌油炒め、しらす干しでご飯2杯の朝食をとる。

 食後、電車で長岡市に移動。12時過ぎまで駅近くの某店で打ち合わせを行う。

 納豆巻き2本、鶏唐揚げ、グレープフルーツジュースを購入し、柏崎に戻る電車内で昼食にする。

 14時から某団体の勉強会に出席。来賓挨拶とのことだったので、柏崎市の財政が市民の皆さんが思う以上に大変であること、本当に柏崎の正念場であることをお話した。

Tibet 今日は、東京の六本木で、「チベット人の独立・自由を支援する緊急抗議行動」(主催:草莽全国地方議員の会 、誇りある日本をつくる会)としてチベットの独立・自由を願う行進が行われている。

co-asia ・・・かつて民族自決、自存自衛、人種差別撤廃を強く訴えた民族があった。
 その民族は小さな国ながら、地球の約半分の面積で戦い、そして敗れた。
 しかし、敗れはしたが、その精神は白人の植民地となっていた多くの人々に伝わった。
 
その国が立ち上がり、資源・物資が容易に輸入できなくなっていたとき、「同じ仏教国だから」と羊毛を送った国があった。
 それが、チベットである。
Kamikaze_sei その国が敗れたとき、中立を保っていたはずのチベットは国際社会において「敗戦国」として扱われた。

 今、敗れたその国の民が、
   チベットへの恩返しとしてできることがある。

 「近代日本かく戦えり」

 チベット人虐殺写真(閲覧注意)

 申し訳ないことに都合により、今日は現地に行けないが、より多くの日本人がチベット支援の声をあげてくれることを切に願っている。

Img_2222 先日、深夜に寝袋を背負い路上で彷徨っていた2名の旅行中の女性を自宅に泊めたが、律儀にもお礼の手紙と広島名物「もみじ饅頭」の詰め合わせが届いた。ありがたく、母親と祖母とで頂戴したが、芋もみじ饅頭と抹茶もみじ饅頭は初めてであった。

Img_2223 18時過ぎ、一度、自宅に戻り、乾麺の讃岐うどんを茹で、めんつゆとひき割り納豆、おろし生姜を入れた汁で夕食にする。
 食後、そのまま市内、某集会所での打ち合わせに出席。先輩議員の変わりということで、急遽の出席だったので、これまでの経緯を分からず、出だしが大変であった。

 21時、自宅に戻り、資料の作成など。

 13年前の今日、オウム真理教による地下鉄サリン事件が東京都内の地下鉄3路線で起こった。12人が死亡、5000人以上が重軽傷を負った無差別テロであり、現在でも後遺症に悩まされている方もいる。
 そして今年、中国(中共)の毒ギョーザが問題となった。
 地下鉄サリン事件と毒ギョーザが何の関係があるかといえば、混入された農薬メタミドホスは実はサリンと同じ有機リン系。地下鉄サリン事件は徹底調査しても、毒ギョーザの問題については徹底的な追及をせず、挙げ句の果てに今年2月28日の記者会見において、中国(中共)側公安省高官は、メタミドホスが中国国内で混入された可能性は極めて低いと述べ、日本側に責任があるかのようにされている。
 何故、日本政府も中国(中共)政府のように、ウヤムヤにしようとするのか。
 これが「日中友好」という名の「朝貢外交」である。
 言うべきことを言わず、何もしないことを決定しているようでは間違ったシグナルを中国(中共)側に与え、結果、自国民を悲劇に招く。
 媚中派国会議員にはご退席頂くとともに、「朝貢外交」をやめ、日本の国益、そして日本が世界に対してできることを強く主張していくべきである。

2008年3月19日 (水)

卒業式を日の丸が邪魔してる?

 これからの柏崎市の経済界など非常に熱い話ながら、既に泥酔状態である諸先輩の話はよく飛ぶ。よく言えばアウフヘーベン?3時に帰宅。

 2時間ほど仮眠したのち、風呂に入る。湯船で危うく眠ってしまうところであったが、6時前に会場であるシーユース雷音に到着。柏崎準倫理法人会の経営者モーニングセミナーに出席する。講師は昨日に引き続き、高崎市倫理法人会専任幹事で法人レクチャラ-の茂木光男司法書士で、テーマは「倫理法人会に入り変化したこと」
 新潟大学で学び、新潟市内の司法書士事務所で三年間を修行したうえで、地元に司法書士事務所を開設した昭和49年生まれ。今でも早起きは自分との戦いであると明言し、学んだことは即実践してみるという姿勢に、またも自らを反省した。
Img_2196 3階のレストランでビュッフェの朝食をとる。納豆はもとよりオレンジジュースと牛乳を飲んでから食事ができるのが嬉しい。ただ今までは一番好きなグレープフルーツジュースが用意されていたが、現在は黒酢ドリンク、ミックスフルーツジュースに置き換わったのが無念。

 午前中は議会関係の資料の確認や情報収集。明後日の議会最終日に向けての討論の内容をまとめる。

Img_2198 12時過ぎ、一旦自宅に戻り、祖母の昼食を作るとともに自分でもシラス山椒和えと干し納豆を具にしたおにぎり2個と鰯のつみれ汁で昼食をとる。
 食事中に来客があり、就職などについての相談を受ける。
 柏崎市内企業の人材ニーズと、能力の高低ではない学生の持っている能力との間にはミスマッチがある。ここに今後の企業誘致と若者の市外流出を止める政策の答えがあるのであろう。

 15時から市内某所で政治に関する打ち合わせ。

 18時、自宅に戻り、冷蔵庫のなかにある残りものと小粒納豆、ご飯2杯で夕食をとる。

 19時から23時まで市内某所で打ち合わせ。

Img_2190  2008年3月16日号の『しんぶん赤旗 日曜版』に、

 卒業式は「最後の授業」。
 生徒の作ったパネルを
 日の丸が押しのけて・・・

という見出しで、元中学校教師への取材記事が掲載されていた。自分とは反対側にいる意見も知ろうとチェックしている『しんぶん赤旗』であるが、この記事は本領発揮であった。
flag 卒業式において、舞台正面に生徒が作成したパネルを飾れず、日の丸がそれを邪魔しているという内容で、その記事の最後は、

 「私は卒業式の主人公である生徒たちをないがしろにされた悔しさと「君が代」斉唱で起立を強制された屈辱感でいっぱいになりました」

と結ばれている。
 教育現場において、生徒を政治問題に引きずり込むことこそが愚の骨頂であることに気付いていない。
 柏崎の教育現場でこういった議論が起こらないことを願う。

2008年3月18日 (火)

柏崎市財政、火の車!
柏崎準倫理法人会経営者の集い

 急に入ったプレゼンテーション資料作成の仕事があり、結局、徹夜となる。

 7時、大粒納豆、しらす干し、がんもの煮付けでご飯2杯の朝食をとる。

 8時、愛車にて新潟市に出発し、午前中は新潟市内で住民基本台帳情報の漏洩事件に関する法律関係の相談や書類調査を行う。

 12時過ぎ、コンビ二の納豆巻き2本、コーンサラダ、低脂肪乳を車中で食べ、昼食。

 14時、一旦自宅に戻ったのち、会派の議員とともに会議。
 今回、使用済み核燃料税の税率改定の協議が柏崎市役所と東京電力の間で6回行われたが、税率は今のままでいくことに決まったという報告があった。
 市長与党がいくら議場内では原子力との共存と言いながらも、議場外では廃炉を訴えており、会田市長も明確な方向性はだしていないなか、 「じゃあ税率アップするのでお金下さい」とはいかないであろう。ある意味、当たり前である。

 また、年度末に国からの交付される金額が、予算計上額に比較して、約17億6000万円下回ったことが財務部長より報告された。
 震災復旧・復興費は約300億円以上かかり、国や県、借り入れである地方債を除いた一般財源に、この国からの特別交付税を

 通常分+災害対策で83億8800万円

を見込み、予算を計上してたが、昨年12月の決定分(44億6000万円)と合わせても

 66億2443万円

となった。赤字にはできないため貯金を崩すことになるが、このままであれば今年度末の貯金(財政調整基金)は残金は約9億円となる。
 通常の10万人都市レベルでは、いざ何かあった場合のために、財政調整基金は15億円から20億円が必要と言われている。
 議論は明後日3月21日の議会最終日での補正予算案の審査になるが、これまで口を酸っぱくして指摘してきた財政問題だけに、今後の市政が心配であるとともに、国や県への陳情を十二分に行ってきたと主張する会田市長及び市長与党がどんな対応をするのか見物である。

 17時過ぎ、一旦自宅に戻ったところ、祖母が転んでおり、起き上がれずそのまま寝ていたという。あわてて起こすも、 「すいませんね、どちらさんでしょ」との一言。ガクッ。冬から春になるにしたがって酷くなってきた。

Img_2194  祖母を車で移動させたり、夕食を食べさせたため、19時過ぎになったもののシーユース雷音での柏崎準倫理法人会「経営者の集い」に出席。
 講師は、高崎市倫理法人会専任幹事で法人レクチャラ-の茂木光男司法書士である。
 テーマは「即行と朝起き」ということで、最近の仕事の混み具合になかなか即行できていないことや、飲み会の連続で朝起きがつらいこともあって、自らを反省する時間にもなった。

Img_2195 20時から3階レストランで懇親会。年齢が2つ下という同年代であり、気さくに話ができたので、高崎市出身で在住ということから、高崎歩兵第十五聯隊の慰霊・遺骨収集のお話をさせてもらった。
 実際に現地であるパラオ共和国のペリリュー島で遺骨収集や慰霊祭などを行うまではいかずとも、郷土の歴史として語り継いでほしいとお願いした。
Tibet その後はチベット侵略・虐殺のことなど熱く語り、22時ごろに解散となった。
 普段は「人権」「戦争反対」「世界平和」と雄々しく掲げて、平和で自由な日本国内で激しく活動する、いわゆる左翼系団体の皆さんが今回の中国(中共)によるチベットでの虐殺には一切声を上げないのは何故であろうか。
 是非、現地でのシュプレヒコールをしながらの平和パレード(もちろん自己責任)を期待するところである。

 自宅に戻るも、某懇親会をキャンセルしていたことから2次会だけは顔をだすように言われ、23時過ぎに某スナックに移動。

2008年3月17日 (月)

罹災者公営住宅取得議案
柏崎市の大学生流出

 3時まで作業をしたが、さすがに目が痛くなってきたので4時間ほど仮眠。

 7時過ぎ、週刊誌など数冊をもって風呂に入り、長風呂で目を醒ます。風呂上がりに、大粒納豆、目玉焼き、ひじきの煮物、切り干し大根でご飯2杯の朝食をとる。

Img_2191 9時過ぎに市役所に移動。会派内での会議や調査活動を行い、途中から委員ではないが、建設企業常任委員会に傍聴出席する。
 ガス水道局の予算説明に関連して、ガス民営化についての質問が続く。今回の中越沖地震の被災を受け、柏崎市としてガス事業を抱えていくのは財政面で大きな負担となる。もちろんのことながら、当局も努力しており、お客様センターをはじめサービスを向上しつつ、コストダウンに励んでる。
 今後3年以内には、ある程度の見通しをつける必要があろう。

Img_2189 12時、会派室にて、「やぶ」(電話:0257-22-3482)の「カツ丼 大盛り」出前を食べながら、会派会議。
 午後からの質疑応答のポイントなどを話し込むが、カツ丼のボリュームが胃を圧迫し、満腹感とともに眠気が襲ってくる。

Img_2192 13時から委員会再開。ガス水道局の議案審査が終わったのち、いよいよ罹災者公営住宅の9億円の取得議案となる。
 この議案のこれまでの時系列は、

平成20年1月21日 第1回臨時議会
 平成19年度補正予算(第9号)議決 
 公有財産購入費 9億円の債務負担のみ議決
 債務負担の期間は平成20年度

平成20年2月25日 第2回定例会
 平成19年度補正予算(第12号)議決
 8款6項住宅費17節 公有財産購入費 9億円 
 罹災者公営住宅及び一般公営受託土地購入費9億円 

平成20年2月26日 桑山木材(株)と柏崎市との仮契約成立

平成20年3月3日  財産取得の議案提案

となっており、そもそもは罹災者公営住宅自体に反対ではないが、柏崎市の財政状況からいって、一等地がゆえ固定資産税の収入源であった、あの民有地を財政難の今買う必要があるのか否かという出発であった。本当は市有地を活用しつつ、あの土地を民間活用してもらうようにするのが、すぐれた行政手腕ではないのか、というのが私の主張であった。
 委員ではないので、番外で傍聴している議員の立場からも質疑応答をしたが、当局は一切方針の見直しなどはなし。
 結果、この議案は委員会審査を通過し、可決した。
 当然、所属会派を含め、保守系は反対をしたことは言うまでもない。

 年度末に国から地方に交付される、交付金の金額が予想通りかそれよりも多いであろう、と楽観的に見方をしているが、国もそうそう甘いものではない。予想通りに国からの交付金があったとしても、再来年度の予算編成時には柏崎市の貯金は底をつく。
 交付金の決定金額は明日の総務常任委員会での報告となるが、この議案の9億円も含め、本当に柏崎の財政がこのままで良いのか、正念場である。

 教育委員会の教育総務課に行き、情報公開請求で請求していた文書を取りにいく。

Img_2193 18時30分から「ままや」(電話:0120-22-7169)にて、今月に新潟工科大学を卒業する女子学生2名と卒業祝い懇親会。
 これまで「風の陣」などのイベントの手伝いや地元町内の催し物に参加してもらったりしていたが、あっという間に卒業(本人達は苦労したと思うが)である。
 砂肝を塩、レバーをタレなどで焼いてもらい、今後の進路の話などをする。「どじょうの唐揚げ」「甘海老の唐揚げ」で生ビールが進む。

 柏崎市は新潟産業大学新潟工科大学の2校を有している。
 しかし、この二人の卒業生のように外から柏崎の大学に来たものの、結局、働く場所がなく、卒業後に柏崎から外へでてしまう(戻ってしまう)学生も多い。
 本当にこれからの柏崎を考えていくなら、2つの大学をいかに有効に活用するのかが重要な政策となろう。
 卵が先か鶏が先か、という議論にもなろうが、優秀な人材に柏崎に残ってもらい、優良な企業を誘致する、もしくは逆の取り組みをする。
 柏崎の曲がり角である今こそ、2つの大学のことを真剣に考えるべきである。

 21時過ぎに自宅に戻り、溜まっている仕事を進める。

2008年3月16日 (日)

えんま通り笑福市
「雪の華」によるゴスペルコンサート

 2軒ほどのはしご酒にお付き合いし、3時に帰宅。シャワーを浴びたのちに、机の上につっぷして仮眠する。

 8時、起床。風呂に入って目を覚ましたのち、大粒納豆、しらす干し、大根煮物でご飯2杯の朝食をとる。

 9時から市内某所で庭の復旧ボランティア。ご老人夫婦の世帯であり、年金暮らし。プロの庭師に頼む予算もないとのことで、手作業で石灯籠などを直す。かなりキツイ作業であったが、二日酔いの勢い?もあってか、何とか完了。

 11時、市内某所に今年11月の市長選挙に関する意見交換。1時間ほど話し込む。

Img_2172  午後からえんま通りにて、お手伝い及び買い物。昼食を今回のメインである「桜御前 500円」にする。五目ご飯、ふきのとうのごまあえ、酢の物、ふきのとうと海老の天ぷら、海鮮おすまし(めだい、岩のり、うど)、桜ゼリーとなっている。海鮮おすましが絶品であり、これをご飯にかけて一気にかっこみたい気分であった。

Img_2183 続いてフォンジェの地下広場に移動。今日は、お隣十日町市から女子高校生を中心とした小学生から大人までのゴスペルコーラスグループ「雪の華」さん、指導とピアノの田口好世さん、そしてゲスト出演として「ロス・インディオス」6代目女性ボーカルでもある、2児の母・蘭燃さんがお見えになった。
Img_2174  移動のお手伝いは、十日町市役所職員の方と、中越沖地震が発生した昨年も1時間と間をおかず、即救援物資を持ってえんま通りに駆けつけてくれた十日町市議会の庭野茂美議員である。
 ゴスペルコンサートを開催する前に、昨年のクリスマスにチャリティ・コンサートを行った際の寄付金が、えんま通り商店街振興組合の中村理事長に手渡された。
Img_2178 女子高生に渡されたからなのか、感謝の念からと思いたいが、中村理事長の顔がいやに優しげにほころび、会場からは「おい!オヤジ」との野次も飛んだ。
 コンサートは「アメイジング・グレイス(Amazing grace! how sweet the sound)」から始まり、買い物途中のお客さんの足を止めるほどであった。
Img_2184 蘭燃さんの独唱による唱歌「故郷」(作詞:高野辰之 作曲:岡野貞一)、そして震災をテーマにしたオリジナル曲「空になろう」には、何人かの方が涙していた。
 震災による被害を受けたもの同士のつながりが確認できた時間でもあった。
Img_2228 アンコールがないと失礼かと思い、「アンコール!アンコール!」と一人でコール。周りの皆さんも同意してくれたので、アンコール曲として「I Will Follow Him」。この曲、オリジナルはLittle Peggy Marchであるが、有名になったのは映画『天使にラブ・ソングを…(Sister Act)』である。
 20歳の時、アメリカはサンフランシスコの隣の町、デリー市にホームステイをさせてもらっていたが、その家の女の子が映画『天使にラブ・ソングを…2(Sister Act2)』に出演していたので、かなり思い出のある曲である。

Img_2187 感動のなかコンサートは終了。今になって考えれば、「感謝!十日町市の皆様」といった横断幕でも用意すれば、感謝の念もさることながら、途中からコンサートを見た方にも分かりやすかったのかと思う。
 会場をえんま通りのトレーラーハウス内に移し、打ち上げ。えんまコロッケを頬張る女子高生の熱気がこもる。
Img_2227  ゴスペルで一番好きな曲は、やはりエルヴィス・プレスリーが歌い、1967年のグラミー賞ゴスペル部門を受賞した「How great thou art(偉大なるかな神)」である。是非、歌ってほしいと懇願してしまった。
 ちなみに、エルヴィスはキング・オブ・ロックン・ロールと呼ばれるが、生涯3回とったグラミー賞は実は全てゴスペル部門。アメリカ国内でのエルヴィスが歌うゴスペルの評価は高く、日本でも同じように評価されることを願っている。
 彼女たちのコーラスで歌ったら、さぞかし良いだろうな、と一人で妄想。
 ついでに失礼とは思いつつも蘭燃さんに、是非、 「長崎の鐘」(作詞:サトウ・ハチロー 作曲:古関裕而)を歌ってみて下さいと懇願。素人ながら、女性がカバーする同曲は色々聞いてみたが、しっくりとくる歌い手さんがなかなかいない。彼女の丁寧なその歌唱力をもって歌えば、感動の一曲になるのではないかと思ったからである。

Img_2188 18時30分から町内の集会所での成年会理事会に出席。ある程度のことを決めたのち、ビールをメインに懇親会。
 20時過ぎにお開きとなり、2次会に突入するところであったが、さすがに仕事が溜まりに溜まっているため、今回は欠席させてもらう。

2008年3月15日 (土)

田形竹尾准尉出撃!『出征兵士を送る歌』

Img_2152  あまりの空腹に会場の隣にあるコンビニにかなり遅めの夕食を買いに行くも、納豆、納豆巻きなど納豆関連商品が一切なく、「ほうれん草の15品目バランスサラダ」「焼きそば」とビール500ml2本を購入。
 『週刊新潮』『週刊文春』など雑誌を数冊読みながら、飲み食いをする。『週刊現代』が、高浜原子力発電所に絡み、関西電力の指令で高浜町長暗殺を計画していたという電波系記事を掲載したと伝え聞いていたが、購入できず確認はできなかった。

 ご遺族の皆さんと同じ部屋の宿泊なので、早めの1時30分ごろに就寝。

Img_2164  7時、起床。天気予報では雨であったが、見事な晴れの日となった。
 シャワーを浴びたのち、九州のご遺族の方とお茶を飲みながら、田形先生の思い出話をお聞きする。
 妹さんが通っていた学校の上空に田形先生の乗る戦闘機(九七式)が来た際、教師も一緒になって全校生徒が校庭に日の丸を持ってでていき手を振り、それに対し田形先生もバンクを振って(両翼を上下させる)答えたそうで、妹さんにはそれが一番の思い出だという。

Img_2153_2 8時30分、朝食。食事中は、納豆の話題となり、長崎をはじめ、九州の一部では「しょうゆの実」を納豆と呼ぶ地区がある話や醤油伝来のお話などをさせてもらう。
 「納豆は体にいいけんね」「・・・したとですか?」という言葉に始まり、福岡弁が心地よい。

Img_2156  9時から告別式の準備。10時ごろから国会議員、地方議員、元軍人、航空自衛隊関係者、保守系の論客が次々と弔問に訪れる。
 弔電は、東條由布子さんや同じ地方議員仲間である埼玉県の鈴木正人議員をはじめ、多くの方がお寄せになり、長テーブルを2つも用意しなければ乗り切らないほどであった。
 遺影は航空自衛隊浜松基地でF-1支援戦闘機に体験搭乗(離陸なし)をされたときのお写真である。
 葬儀委員長であるチャンネル桜の水島総社長の

 「先生は好き嫌いはない、何でも食べるとおっしゃりながら、
  卵は大嫌いでした」

という笑いも含めた、心のこもった弔辞ののち、ご焼香。多くの方が訪れ、田形先生との別れを惜しむ。
Img_2158 棺には、日章旗に包まれた田形先生の上に多くのお花がたむけられ、最後にが2本入れられた
 出棺の準備ができたところで、喪主である息子さんの感動的なご挨拶。田形先生が入院されていた病院の責任者はなんと田形先生の名著『飛燕対グラマン』の愛読者であったという。

Hayabusamiokuri  そして、田形先生の教え子であり、元少年飛行兵「一式戦闘機 隼」に乗っていた増山章伍長の「送る言葉」がご本人から読まれる。

 「本当は、教え子の特攻隊員を見送ってきた
  隊長の方がつらかったのではないかと思います。
  今日は隊長の出撃だと思いますので、
               我々が軍歌でお送りします。」

Kashisyussei  その後、東京都杉並区議会の松浦芳子議員、静岡県函南町議会の植松和子議員とともに、マイクの前に立ち、『出征兵士を送る歌』を歌った。
 この歌は1番から6番まであるが、歌詞の内容に鑑み、歌ったのは1番と5番。

一、わが大君に召されたる
  生命光栄(はえ)ある朝ぼらけ
  讃えて送る一億の
  歓呼は高く天を衝く
  いざ征け つわもの 日本男児

五、ああ萬世の大君に
  水漬き草むす忠烈の
  誓致さん秋(とき)至る
  勇ましいかなこの首途(かどで)
  いざ征け つわもの 日本男児

_rrrr 田形先生とは4年前に初めてお会いして以来、年末には生まれ故郷である福岡県八女郡黒木町の低農薬「富有柿」を毎年お送り頂き、またチャンネル桜での収録時での食事会をはじめ、靖國神社での90歳の卒寿のお祝い柏崎での講演会の実施に加え、入院前には毎週のようにお電話を頂戴していた。
 お年を召していただけに、同じ話を何回もするということはあったが、一時間以上はお話し、最後はいつも、

 「『後を頼む』と言われました・・・
          私からもお願いします。
  戦友にですね、
      いつ呼ばれるか分かりませんから・・」

であった。
 泣かないようにしようと思いつつ、参列者に「元気良くご唱和下さい!」と歌の前に自分で言っておきながら、さすがに5番の最後には涙があふれてしまった。

 支那事変、大東亜戦争を通じ、エースパイロットとして、「三式戦闘機 飛燕」をはじめとする日本の航空技術の発展を身をもって経験され、さらに200回にもおよぶ出撃にも生き残ったたくましさ。
1914c アジア各地を転戦し、下士官として現地人と触れ合い、大東亜戦争の本来の敵は白人であり、人種差別への戦い、そして自存自衛、アジア解放の大義を伝えた話。
 米軍による民間人を狙った空襲という名の虐殺への怒りと、戦闘機のパイロットとして何もできなかった悔しさを、まるで昨日の事のようにお話になっていた。
 特攻隊の教官となってからは心を鬼にしていたため、かつての部下には恨んでいる人もいることであろうことも気にされていた。それはもちろんそうであろう。当時の人にも色々な捉え方がある。
 戦後は、特攻隊として沖縄の海に散華した若い隊員の「あとの日本を頼みます」という言葉を深く捉え、活動されてきた。チャンネル桜の設立に奔走されたのもその一環である。そして次の世代には誇りある日本を取り戻してほしい と訴え続けてきた。

「いい国にして下さい」
「あとの日本を頼みます」
という田形先生から私への、
 いや私達世代への引き継ぎは、
その死をもって本日完了した。

 「日本が戦争を放棄しても、
   自衛心なければ、戦争は日本を放棄しない」
                       田形竹尾

Img_2163 告別式ののち、一部の参列者の方と会場近くの「コピンヌ(Copine)」(電話:042-345-8202)で昼食会。手作りのハンバーグ&ライスのセットを注文した。コーヒーとともに1730円という値段で、高いかなという思いがあったが、肉汁の蓄え具合、デミグラスソースの深みともに好みの味であり、満足であった。ご飯だけはマイナス点。

 会場を後にし、愛車にて所沢市に移動。世界のエネルギー事情に詳しい某研究所出身のN教授とお会いし、教えを請う。

 15時過ぎ、群馬県伊勢崎市に到着。伊勢崎市議会の伊藤純子議員の事務所で、人権擁護法案・外国人参政権への反対やスパイ防止法の制定など今後の地方議員でできることの打ち合わせ。支持者の方もいらっしゃり、民謡や昭和歌謡の話で途中盛り上がる。

Img_2170  せっかく伊勢崎に来たのだから、ということで、17時過ぎに人気店である「上州ラーメン風っ子大将」(電話:0270-26-0803)にて夕食。メニューを見ると

名物・雷(かみなり)ラーメン
 辛味噌ラーメンは当店が昭和48年10月、日本で最初に海発し、名称、激辛”雷ラーメン”として誕生いたしました。当店から始まった辛味噌ラーメンブームは上州では勿論、今ではインスタントラーメン(激辛ラーメン)にまで類似商品が発売されています。辛味噌ラーメンの本場上州で、元祖辛味噌”雷ラーメン”の格調高い、独創的激辛風味をたっぷりと味わってください。」

と書いてあったので、「三番雷ラーメン[辛さで逆上、胃腸を大切に]780円」と「ギョーザ 360円」を注文し、汗をかきかき食べる。餃子はニンニクがこれでもか、というほど効いており、食べている最中から自分の臭いに気付くほどであった。

 関越自動車道を飛ばし、21時過ぎに柏崎に到着。日本会議柏崎支部設立準備の打ち合わせに途中から参加する。

 22時30分、某集まりの懇親会2次会に参加。かけつけ3杯をせよ、ということになり、焼酎を生のままコップ3杯のきついスタートとなった。

2008年3月14日 (金)

警官が拳銃抜いて何故悪い

 メールや資料整理などがあり、4時に就寝。

 8時、起床。大粒納豆、山いもとろろ、めかぶでご飯2杯の朝食をとる。食後、目覚ましのシャワーを浴び、市役所に移動。

 9時30分過ぎに教育委員会に行き、柏崎青年会議所のeco活動推進委員会の事業について、後援のお願いをする。

Img_2149 10時から文教経済常任委員会に傍聴で出席。
 説明ののち、教育方針と予算の関係についての議事進行の動議がかかった。
 これまでは市長の施政方針と同時に、教育委員会による教育方針が発表されていたが、昨年からは議場での発表はなかった。教育委員会と市長部局分離しているとはいえ、教育に関わる予算審議には教育方針が連動するはずではないか、というのが議会側の要望である。
 委員内での議論の結果、予算審議に入る前に教育方針の説明がされることになった。

平成20年度教育方針(pdf形式)

Img_2150

 12時過ぎ、委員会も中断したので、午後の委員会での審議について先輩議員に質問内容をお願いし、自宅に戻る。
 「うれっ子」(電話:0257-22-4648)の「チャーシューメン」を出前でとって、昼食をとったのち、市役所に戻り、各種の調査活動や陳情に関する調整。

 15時から今週が勝負である国からの交付金に関する勉強会を行う。予想額より少なかった場合には、柏崎市の貯金は底が見えるようになり、来年以降の予算組すら難しくなる。

 16時過ぎから祖母の散歩。最近は自分で家の鍵を開けて、道路にでて徘徊するため、散歩は母とどちらかで一緒にいる必要がでてきた。

 17時、愛車で柏崎を出発する。21時過ぎ、田形先生のお通夜の会場である「シティホール小平小川」に到着。
 関係者とともに、少人数でお経を上げ、ご冥福を祈る。

Img_2151  田形先生のご遺族の方がお土産として持ってこられた福岡・明月堂の「博多通りもん」を食べつつ、今後の活動などを含めた雑談。
 チャンネル桜の番組収録の後、よく田形先生が食事に誘ってくれ、これからやるべきことは何か、と熱く語ってくれたことを思い出す。

 先般、こういったニュースがあった。


平成20年3月5日『産経新聞』

拳銃抜いたおまわりさんに支援メール相次ぐ

 路上で騒いでいた少年を立ち去らせるため、警視庁滝野川署の男性巡査長(27)が拳銃を抜いて威嚇した事件で、全国から巡査長の行動を支持する手紙やメールが署などに相次いでいることが5日、分かった。警視庁では拳銃の適正使用にあたらないとみて、特別公務員暴行陵虐容疑で調べるとともに処分も検討中だが、署には処分の軽減を求める地元住民の嘆願書も提出された。「許される行為ではないが」…。警視庁幹部も思わぬ反応に戸惑い気味だ。
 
事件は2月26日午後8時半ごろ、東京都北区滝野川の路上で発生。「大声がうるさい」との苦情を受けて駆けつけた巡査長が区内の高校2年生(16)ら少年3人に注意した。3人はいったんその場を離れたが、約10メートル先で再び路上に座り込んだ。名前などを尋ねても無視したため、拳銃を抜いて立ち退かせたという。3人が直後に、「銃を向けられた」と署に訴え出て発覚した
 
署などには5日昼までに手紙や電話、メールで計185件の意見が寄せられた。うち10件が「滝野川署はおかしい」などと批判的意見だったが、大半の175件は「警察官をばかにしたような行動は許せない」「警察官のほかに、誰が少年を注意するのか」など支持の意見だった。巡査長の質問を無視したにもかかわらず、すぐに被害を訴え出ている少年の姿勢を批判する内容もあった。
 
一方、嘆願書には地元住民110人が署名して提出。署名した飲食店主の男性(42)は「自分も路上にたむろする若者を注意すると『うるせえ』と反抗的な態度を取られたことがあった。共感できる」と話す。
 
巡査長は警察官だった父親にあこがれ、幼いころから警察官を目指していた。5年前に同署の地域課に配属され、署内でも「正義感が強い」と評判だったという。
 
処分が出るまで自宅謹慎を続けている巡査長は「もし、あの状況に戻れるなら、相手が折れるまでとことん説得します」と、拳銃を抜いて威嚇したことに反省の弁を述べているという。


 威嚇発砲で処分の検討をする、といった話なら分かるが、拳銃を抜いただけである。そもそも、この少年たちも近所の方が110番するぐらいの騒ぎをしていたのであり、悪いのは自分たち。
 嘆願書など支援の声が上がったことに、まだまだ世の中も捨てたものではないと思う反面、自分のことを棚に上げて被害を訴える少年、そして世間に迎合してなのか、処分をすれば良いと安易な方向に走る警察幹部には、強く思うところがある。
 もっと言えば、16歳の少年3人だけで警察に訴え出ようと思うのであろうか。間に入った、大人がいるのではないか。問題の本質はそこにある気がする。

2008年3月13日 (木)

厚生委員会20年度保健会計審査
まともではない民主党

 結局徹夜となる。

 8時、大粒納豆、板ワサ、ひじきの煮物でご飯2杯の朝食をとり、目覚ましのためにシャワーを浴びる。

 9時過ぎに市役所に移動し、そのまま10時から厚生常任委員会に委員として出席。
 国民保険特別会計など保健会計の審査となる。賛否両論というよりも反対の声が多い後期高齢者医療制度をはじめ、今後、自治体の財政評価が連結されることからより厳正な審査を行う必要がある。

 午前中の国民保険会計では、法改正によるシステムの改訂費用、準備基金からの繰り入れに関して問い質した。
 準備基金は、制度が変更したときの激変緩和やインフルエンザなど突発性の伝染病時などに使われる基金であり、他の用途には使えない。以前は国による指標があったが、地方分権により自主判断となった。現在は約4億円があり、後期高齢者医療制度の激変緩和に今回5000万円、来年度5000万円の計1億円が投入するという。
 激変緩和自体には反対ではないが、新型鳥インフルエンザが一回でも我が柏崎市民が襲われてしまえば、ワクチンをはじめ、対策費用で1億円以上が支出される。で、あるからこそ、この基金の運用は柏崎市として、会計のうちのパーセンテージを指標として決めて、堅実に運営する必要がある。それが本当の「安全・安心のまちづくり」であろう。
 安易に「安くなるから・・・」と目先の市民感情に迎合するのか、それとも大局を見て「安全・安心の柏崎」のために運用するのか、という選択である。

Img_2117

 12時、休憩となったので、「割烹おくい」(電話:0257-24-6486)の弁当で昼食をとる。
 食後は、討論の内容の整理。今回の予算には、震災復興というのっぴきならない事情があり、反対したい理由は数あれど、賛成せざるを得ない。そのため、討論において意見を付しておくためである。

 13時から厚生常任委員会の再開。
 後期高齢者医療制度の他に、県立こども自然王国特別会計にも意見を半ば強引につけた。施政方針であったように、バイオマスタウン構想を推進するという。県立こども自然王国に隣接しているじょんのび村は、今年、費用をかけて従来のボイラーを木質ペレット・ボイラーに変えることを行う。もし、本当に木質ペレットでバイオマスタウン構想の実現をうたうのであれば、県立こども自然王国も県の施設ながら、関係箇所と調整し、木質ペレット暖房を導入して、高柳町のあの施設一体で木質ペレットに取り組むぐらいの意気込みがほしい。施設一体で、「環境」というキーワードで価値を上げることにもなる。
 もっと本質的なことをいえば、木質ペレットの事業化も明言した以上は、ビジネス・モデルも考えなければならない。実際、じょんのび村のボイラ程度の消費量ではビジネスにはならず、ただ単なるパフォーマンスにしかならない。
 やるなら中途半端にせず、やる。やらないなら、やらない。その結果については、選挙において柏崎市民からの審判を仰ぐのである。
 まさか選挙のための見せかけの事業じゃ・・・・・・・。

 議案の審査が終わったのち、福祉保健課から本議会後に専決処分をしたい旨の報告があった。
 これは現在開会中の国会で、地方税法の改正が審議されているが、民主党をはじめとするいわゆる野党が審議拒否をしたり、政局にするために引き延ばしているので、地方議会での関連条例の審議には間に合わないことに起因する。
 ここのところの野党、特に民主党は「反対のための反対」をする、かつての社会党のような動きをしている。
 道路特定財源の際には、選挙受けを狙い「ガソリン値下げ隊」なる恥ずかしい運動でガソリンを安くします!といったものの、地方自治体から突き上げを食らい、地方には迷惑をかけませんと宣言。しかし、その財源のあてはない。ただ単に問題を引き延ばして、期限切れを待ち、政権与党である自民党を困らせようという、政権奪取のための党利党略である。
 日銀総裁の人事に至っては、とにかく人事案件を否決しつつ、対案もださず、政局を狙うが、世界の投資家は

 「自国の金融トップの人事も決められない
               
幼稚な国

としか映らない。日本銘柄の売りや買い控えなど、日本経済にも影響がでてくる。
 柏崎市議会においても、反対をしたい議案があっても、市民に迷惑がかかったり、柏崎市が外から恥ずかしいと思われるようであれば、なくなく意見を付けて賛成するときはある。特に今回の震災復興の予算はそうなる。
 しかし、国会における民主党の動きは、世界から日本がどう見られるのかをまったく考慮せず、まさに政権奪取のための党利党略。
 ねじれ国会の本当の被害者は、政権与党ではなく国民である。多くの国民も気付いてきていることであろう。

 意見を付けての賛成をし、16時過ぎに厚生常任委員会の予算審議が終わった。その後、会派室で一時間ほど会議。

 17時30分から柏崎エネルギーホールのロビーで、柏崎青年会議所のeco活動推進委員会の打ち合わせ。

Img_2124 18時過ぎに自宅に戻り、小粒納豆に加え、冷蔵庫にあった残りものでご飯2杯の夕食をとる。
 食後、事務所にて、明後日に東京・小平市での田形竹尾先生の告別式で歌う歌詞カードを作成。
 田形先生の出棺の際には、参列者で『出征兵士を送る歌』を歌うことになった。ご逝去ではなく、あくまで出撃したということで、田形先生の教え子で少年飛行兵であった増山氏にも、その旨を盛り込んだ弔辞をお願いした。
 他の元軍人の方もそうであったが、意外にも

 「この歌を歌えないから、
  当日恥を欠かないように電話口で歌ってほしい」

ということであった。よく考えれば当然で、元軍人の皆さんは送られる立場の出征兵士であり、主役であったため、当時、自分でこの歌は歌っていないのである。
 電話口で三回ほど歌ったが、周りから見れば携帯電話片手に軍歌を歌うという、かなり際どい光景であったことだろう。

2008年3月12日 (水)

震度3の地震あり
中共:ビョークとチベット独立

Img_2110 シメは、昨日に続き、「坦坦らーめん店 てんぎょう(天仰)」に入り、「納豆つけめん 900円」を食べる。
 太麺にふわふわに泡立てた納豆のつけダレがよく合う。シナチクも厚く、好みである。

 2時近くに自宅に戻ろうとするも、某集まりの方々からお呼びの電話があり、某スナックに移動。今の柏崎市はどうなってるんだ、との怒りの声が多く、市議会議員も仕事しろ!とのお声があった。しかし、私に言われても過半数を市長与党にとられている以上、保守系の意見、というよりは 「おかしいんですよ」という指摘が通らない。また、今の議会構成は昨年4月の選挙結果であり、柏崎市民の民意であることを説明した。
 アツい時間となり、自宅に戻ったのは5時であった。

 シャワーを浴びたのち、仮眠。9時、起床。ひきわり納豆汁2杯で朝食をとり、市役所に移動する。

Img_2112 10時から総務常任委員会に出席。
 バイオマスタウン構想に疑義の声が相次ぐ。それはこういうことである。
 木質ペレットストーブ購入補助金5名分22.5万円を計上してあるものの、薪ストーブも同様にカーボンニュートラルであり、間伐材の有効利用ができる。つまり何故木質ペレットにこだわるのか、ということである。
 会田市長は、木質ペレットの起業化も主張していたが、それならそれで予算をかけて真剣に取り組むべき(選択と集中)であろう。
 また、食用廃油を使ったバイオディーゼル燃料(BDF)も、その混合用機材300万円を税金からだし、ディーゼルエンジンの公用車が使う軽油に5%を混ぜるという計画であるが、その事業主体が今はまだ決まっていない。誰にお願いするのか分からないものの、必要な機材を予算として計上し、議員に適当がどうか審査せよ、というのは乱暴である。
 新潟市の場合には、ゴミ収集車など広範囲で使用し、かつ子供たちに菜の花油を作ってもらいそれも使っている。BDF燃料は買うだけであり、行政の負担を少なくしている。
 そもそも論でいえば、バイオマスタウン構想の第一歩が木質ペレットとBDFだけというのは視点が小さい。

Img_2113 12時、母親が作ったロールサンド2個で昼食をとり、会派内での会議。
 高規格の救急車も通れない狭隘道路など、住民からの道路に関する陳情を会派内で話し会う。

 13時から委員会再開。委員会メンバーではなかったが、番外の議員として1件だけ確認の質問をさせてもらった。

 この「市長への手紙」の件である。誤解を受けるような表現に加え、回答には「まず自助が大切ですよ」の精神もない。自衛隊の「コゲだらけのカレー」についても事実の検証なく、返答で触れられていないため、事実として読み手に伝わってしまう。市職員からは全体の文章の流れを読んでもらえれば、市長の回答は間違っていない、というが、外からみた柏崎市の市民性、そして柏崎市の防災体制について誤解されるという視点が欠けている。

 17時から事務所に戻って、事務仕事をしていたところ、18時に地震が発生した。今回は震度3。体験的にはもっと震度があるような感じであり、少し傾いたままの事務所はミシミシと音を立てた。立て替え中の家や独居老人世帯を中心に近所の家を確認にまわる。

Img_2116 19時、頂き物の大和芋をすりおろしたトロロとひき割り納豆でご飯2杯の夕食をとる。
 20時から市内某所で意見交換会。
 22時、事務所に戻り、ひたすら事務仕事を続ける。

 1989年から日本に住む中国人の李纓監督が制作した、靖国神社がテーマのドキュメンタリー映画『靖国 YASUKUNI』。内容が反日的であると、自民党国会議員が試写会を要請した。
 これに対し、国政調査権による国家権力の「表現の自由」の権利への侵害だ!事前検閲だと叫ぶマスコミ報道がされている。なかには中国人への差別だ、という意見まである。
 しかし、この映画には日本政府の芸術文化振興基金750万円が使われている。我々の税金を使って、南京大虐殺などがあったかのように伝え、日本人の名誉を傷つけることは具の骨頂である。

Gosei 李纓監督は、このまま日本に住み続けたい上、この映画によって日本人の意識を変え、日本でも「健康的な空気」が吸えるようにしていきたい、と語っている。
 「健康的な空気」をなぜ自分の祖国である中国(中共)で吸わないのか。
 本当に言論弾圧をし、「表現の自由」が無い国こそ、中国(中共)だからである。

Tibet 今年3月2日にアイスランドの人気女性歌手ビョークが上海市で行われたコンサートで、中国(中共)当局から許可を得ていない<得なければいけないこと自体?>という楽曲「Declare Independence(独立宣言)」を歌い始め、「チベット!チベット!」と叫んだ。
 彼女はチベット独立の支持者である。中国(中共)は当然、チベット独立に強硬に反対している。これに対し7日になって、中国(中共)当局は、「営業性演出管理条例」を遵守しなければならないとし、ビョークには法的措置をとると発表した。

 さて、どちらが表現の自由を侵害しているのであろうか。
 そして侵略を続け、戦争を引き起こすのはどこであろうか。

2008年3月11日 (火)

『石碑と銅像で読む近代日本の戦争』を読む

 2時過ぎに、女性二人を案内しつつ、自宅に戻り、仏間に泊まってもらう。

 7時に起床しようと思ったものの、気付けば7時30分。女性の電車が7時前だったので、既に家をでたあとで、お礼のメモが残っていた。柏崎の応援団になってくれることを願う。

 8時、シャワーを浴びたのち、大粒納豆、しらす干し、生卵でご飯2杯の朝食をとる。

 9時、先輩議員に本日の委員会で質問をしてもらいたいことをお願いし、そのまま長岡に移動。某店にて、打ち合わせ。話が長引き、14時に自宅に戻る。

Img_2105 冷蔵庫にも何も残っておらず、仕方なく非常食用のカップラーメン、ひきわり納豆、ご飯1杯で昼食にする。
 町内や他の地区からの陳情の連絡があったものについて、市役所の関係課にメールで調査依頼したり、現地に行きデジカメで写真をとる。

Img_2106 18時から柏崎エネルギーホールにて、柏崎青年会議所のまちづくり委員会の勉強会にオブザーバー出席。今回は市役所の財務課長にご足労頂き、柏崎市の財政状況の実態をお話頂いた。
 これまで柏崎青年会議所は、まちづくりに対して色々な提案をしてきた。今年度も委員会が設置されているが、いまの柏崎市が置かれている状況をよく見て、より柏崎のためになる提案をしようということである。もしかすると、明るい提案ばかりではなく、耳に痛い提案だってしなければならないのが、今の柏崎であろう。
 また柏崎青年会議所は、原子力発電所の誘致活動を行ってきた団体である。柏崎市の財政において、いかに原子力交付金が欠かせないものになっているのか、現実を知ってもらう目的もあった。

Img_2108 勉強会終了後、市内某店で懇親会。突き出しの筍の煮物が歯ごたえが良い。
 柏崎市の公共事業受注の実態や街の声を聞き、今年の市長選挙に関しては、生ビールをガブ飲みしつつ、かなりアツい議論となった。

 2次会は某スナック。今週末の田形先生のご葬儀でも歌うので、練習としてお約束の『出征兵士を送る歌』 を歌ったところ、九州から来たというカウンターにいた方から、いきなり握手を求められた。その後は一緒に軍歌を歌ってくれと言われ、高木東六の名曲『空の神兵』などを歌う。
 自民党の衛藤晟一衆議院議員の同級生ということで、共通の知人がいることも分かり、驚く。

 沖縄集団自決の真実について本ブログに書いていたところ、 「歴史の書き換えは許さない」といった旨の文章とともに本ブログの一部がある所で引用紹介されていた。
 本当に書き換えているのは誰なのであろうか。
 歴史教育者協議会が書いた『石碑と銅像で読む近代日本の戦争』という本がある。左翼系意見の多いJANJANというサイトで書評を募集していたので、キチンと応募し、おかしいと思うところを指摘した。
 彼らこそ、石碑に刻まれた「大東亜戦争」を「アジア太平洋戦争」と紹介し、歴史を書き換えている。 

JANJAN「今週の本棚」
 戦争の記憶を伝えることの大切さ
 『石碑と銅像で読む近代日本の戦争』
                  を読んで

 その後、 『隠して核武装する日本』というトンデモ系の本の書評も申し出たが、連絡はまだない・・・・。

2008年3月10日 (月)

地方議会横並び意見書の問題
柏崎JC 3月公開例会

 2時就寝。6時、起床。大粒納豆と生卵、なめ茸でご飯2杯をかっ込んで、あわてて家をでる。
 昨夜、訃報があり、急遽葬儀に参列するため、電車にて直江津駅まで移動し、合流して車で長野市に移動。今日は、議会の文教経済常任委員会であったが、委員である先輩議員に質問の内容等をお願いした。

 10時からお経があがり、11時過ぎには出棺。東京で格闘技のやっていたときの関係者であり、享年45歳という若さ。よく食事をご馳走になり、もう食えないというところまで食べても、 「若いんだから、もっと食え」と言う、後輩思いの豪快な人であった。やはり癌こそ日本国民が克服すべき病気である。
 ご両親も既に他界されており、本人も離婚していたことから、お姉さん夫婦が取り仕切っており、何も手伝えないのが歯がゆい。

 15時過ぎに自宅に戻り、事務仕事。17時から急遽の打ち合わせが入る。

tf 打ち合わせの最中にチャンネル桜の水島社長から電話があり、田形竹尾先生が今日8時51分に御逝去されたとのことであった。
 田形先生に初めてお会いしたのは、4年前。柏崎にもご講演にお越し頂いたり、しょっちゅうお電話で貴重なお話を聞き、チャンネル桜の収録時には、毎回食事をご一緒させて頂いた。
 元大日本帝国陸軍のエースパイロットであり、涙ながらに教え子を特攻隊として送り出し、そして自らも特攻出撃する矢先の戦闘停止(昭和20年8月15日)であった。
 奇しくも、今日は「陸軍記念日」。誇りある日本を取り戻せ、という田形先生の戦いは今日終わった。

*「陸軍記念日」
 明治38年3月10日の日露戦争における奉天大会戦で日本軍が勝利したことを記念する休日。大東亜戦争敗戦とともに廃止された。民間人を狙った、米軍による東京大空襲はこの日を照準にされた。

 お通夜、葬儀のご案内もあったため、仕事の全体スケジュールを動かす調整を行う。

Img_2097 19時過ぎ、柏崎エネルギーホールにて開催の柏崎青年会議所3月公開例会「『震災からの心の復興』~キセキの一日~」に途中から出席。 
 「震災前より柏崎を元気にする。」「震災前より市民を笑顔にする。」ことを目指し、応用心理学の分野から「災害心理学」について学ぶのが目的である。講師は、ナチュラルメディカルCEOの下條茂氏。
 公開例会のため多くの市民の方が出席され、食事のご提案などには耳が痛いところが多々あった。

講師紹介:
 大学卒業後、ユニオンカレッジ東洋医学課程、サンフランシスコ州立大学保健教育学科を始め、国内外の20種類以上のデュプロを取得。開業15年で10万人のクライアントさんから教えてもらった事を感謝とともに伝えたいと1997年にナチュラルメディカルを設立、クライアントが主役になるクライアント塾をはじめ、小中学校の講演会、専門学校の講師をはじめ、全国の医師、歯科医師会などの講師など全国で250箇所以上で開催する。また、国内外の医師、歯科医、セラピスト、クライアントと共につくりあげる、内閣府承認NPO法人の理事長に就任、著書に「痛み病気そこに愛はありますか?」などがある。
近年では、新聞の連載を始め、数多くの臨床経験の確かさから新潟大学医歯学部保健教育学部との共同研究で学会発表なども行っている。

Img_2099

 例会終了後、21時過ぎから「スナック エムEMU」(電話:0257-32-9567)にて懇親会。
 今後のまちづくり関係から原子力発電所の話題まで幅広い内容で盛りあがる。
 24時近くになってお開きとなってからも議論は尽きず、次のお店に移動となった。

Img_2101  移動途中に、24時近くという夜中にもかかわらず和服を着た女性が二人で寝袋を背負ってウロウロしていたので、声をかけると岡山県から旅行に来たものの宿泊場所がなく、困っていたとのことであった。
 とりあえず、「坦坦らーめん店 てんぎょう(天仰)」に入り、他の柏崎青年会議所メンバーとともに食事。「納豆つけめん 900円」を食べる。

 新潟県内の色々な自治体で現在予算審議の定例議会が開会中である。
 そんななか、柏崎市議会において全会一致可決した中越沖地震原発調査特別委員会発案「委員会発案第3号 柏崎刈羽原子力発電所の徹底調査と危機管理体制の充実を求める意見書」と同じ内容のものが、各自治体の議会に請願として出されているという。
 自民党新潟県連をはじめ、N市、S市、J市など各議会からの問い合わせも昨日から続いている。

 この委員会発案に際しては、反対派である委員長と相対するかたちで、私は副委員長という立場であり、今回の中越沖地震による原子力発電所の被害が 「原子力災害ではなく自然災害」ということ念頭に、字句の修正を迫って、同意した内容である。
 しかし、立地自治体である柏崎市議会が可決したからといって、柏崎市議会のように中越沖地震原発調査特別委員会を設置していない自治体の議会が、そのままの文面を採用するのは、いかがかと思うのである。
 柏崎市議会ではこの委員会発案の前である第5回定例会で、議会運営委員会による発案の「委員会発案第2号  中越沖地震原発調査特別委員会設置についての決議」を採択し、それを受けて中越沖地震原発調査特別委員会を設置し、その委員会の活動方針を含めて、上記の意見書を可決したのである。
 もし、上記の意見書のみを見て、他の自治体の議会が中身をそのまま写した請願を可決するということは、前後の関係を抜いた、いわば

 「真ん中のアンコのみ」

のことであり、原子力発電への賛否は別として、地方議会が自らの状況・立場を加味しないで、鵜呑みにするようなことは避けてほしいと思う。議員としても、自らの存在価値の否定になってしまう。

 他の自治体と同じ文面で可決させようという同様の事例として、道路特定財源の意見書の話があった。しかし、柏崎市議会としては、柏崎市独自の立場や在り方を文面に反映して、国会では反対である社民党、共産党の党籍を持つ市議会議員にも賛同してもらい、全員一致になった。

 他の自治体の議会に干渉するわけにはいかないが、請願とはいえ、中身や前後関係も含めてよく議論をしてもらいたいと思う。
 原発反対派は、他の議会で「中越沖地震の被害=原子力災害」のイメージがつくよう暗躍しているようであるが、それこそ風評被害のもとである。

2008年3月 9日 (日)

大澤孝司さんと再会を果たす会
北朝鮮と核武装

 2次会ののち、自民党県連青年部とは別行動をさせてもらい、出張で東京から新潟市内に来ている某氏と懇談。1時間ほど飲みながら話したのち、ホテルまでお送りする。

Indobesia その後、新潟市内のT氏、N氏と待ち合わせ、2軒ほど飲みまわる。某店にてインドネシアから来た女性がおり、インドネシア独立までの話でつい熱くなる。
 インドネシアがオランダから独立したのが、昭和20年8月17日。日本が戦闘の終結を宣言した昭和20年8月15日以降も、日本兵2000名が思い焦がれる祖国・日本への想いを捨て現地に残り、約1000名の犠牲をだしつつもインドネシア独立のために戦った。

 カラオケを歌うことになったので、最近の政情への怒りから『昭和維新の歌(青年日本の歌)』を歌おうとしたが入っておらず、お約束の『出征兵士を送る歌』 にする。驚いたことに、他のテーブルのお客さんから手拍子のみならず、一緒に口ずさむ方もおられ、ドン引きを狙ったはずが、お店全体で大盛り上がりであった。
 『出征兵士を送る歌』は、昭和14年に陸軍省とある出版社が提携して宣伝し、歌詞と曲は公募したもので、歌詞は神戸市の一読者。作曲は当時その出版社系列のキングレコード専属の歌手であった林伊佐緒氏であった。
 その出版社とは「大日本雄弁会講談社」。つまり、現在『週刊少年マガジン』をはじめとして、出版業界でその勢力を誇る講談社である。

Img_2088 4時過ぎ、シメは「きんしゃい亭 古町八番町店」(電話:025-228-3919)で、「チャーシューメン」に味付け卵のトッピング。
 細麺の固めにし、たっぷり刻みニンニクを入れて、熱いうちに食べる。これで太らない方がおかしい。

Img_2089 5時、新潟東映ホテルに戻り、4時間ほど仮眠。
 朝食付きプランだったことを思い出し、ホテル9階のレストランでモーニングセット。若干の二日酔いとラーメンの満腹感もあったので、食べられないと思ったが、グレープフルーツジュースを一気に飲んだところでスッキリし、結局、完食した。

Img_2090 10時30分からホテルロビーで、2008年日本青年会議所・北陸信越地区・新潟ブロック協議会の新潟交流委員会の打ち合わせ。十日町青年会議所所属の委員長、新潟青年会議所所属の副委員長と3人でのスケジュール確認など。アイスカフェオレをご馳走になった。

Img_2096 打ち合わせ後、旧・巻町に移動。
 13時から巻文化会館で開催の「大澤孝司さんと再会を果たす会」平成19年度通常総会に出席する。冒頭は来賓の挨拶となり、なかでも自民党・塚田一郎参議院議員の力強い挨拶に拍手がわき起こった。塚田議員は、横田めぐみさんと同じ学校の1つ年上。人ごとではないとこれまでも活発に活動してきた。
 また、同じ地方議員として、色々な面でお付き合いのある東京都武蔵村山市の天目石要一郎議員も遠路はるばる駆けつけて下さった。

Nkorea 天目石議員は、北朝鮮に自費ででかけ、現地で「拉致救済の署名運動」やビラ配りを画策したり、日本国内でも公的施設として税金が免除されている朝鮮総連施設に行き、 「税金を免除されている以上、公的な施設と同じ扱いだ!」と施設内の部屋を借りて、朝鮮総連の内部で拉致被害者救出のアピールをしようとする、北朝鮮にとって危険な男?である。次は8月に北朝鮮に行く予定だそうで、

 「三井田ちゃん、一緒に平壌に行って
  拉致被害者を帰せ!って街宣活動やろうよ」

と誘われているが、天目石議員に再び北朝鮮のビザが許可されることはないと思う・・・・
 残念なことに、急遽15時に東京の某大学生のグループが中越沖地震発生後の活動について調査に来たいとのこと連絡があり、1時間ほどで退席させてもらう。

 15時、柏崎市内に戻り、某店でインタビューを受ける。中越沖地震自体の話も充実したものになったが、なぜ政治の道にいるのか、という話題で盛り上がった。
 収入や休暇という点でいけば、収入は一定で活動すればするほど経済的には苦しくなる、まさにワーキングプアな地方議員ではあるが、未来を担う学生には、人生の選択肢の一つにしてほしいと思う。

 19時、自宅に戻り、冷蔵庫の残りもので作った納豆炒飯で夕食。食べているうちに、食卓でそのまま突っ伏して3時間ほど寝てしまった。

 北朝鮮が核実験を行って以来、アメリカはテロ国家リストから北朝鮮を解除にしようと動き始めている。色々な見方を専門家はしているが、本音を言えば簡単で、いくら小さい核爆弾であろうが、とにかく核武装したから対等に扱いはじめたのである。
 核兵器を保有すると思わせての駆け引き、実際に核実験を行った上で、核を恫喝材料に使った政治的な戦略と戦術は見事と言うほかない。
 拉致問題の解決のためには敵となる北朝鮮。それを褒めるとは何事か、という人がいるかも知れないが、大きな視野で冷静に見れば見るほどそう感じる。そして、いかに日本が腰砕けかも分かるのである。
 我々の血税をODAとして投入し、そのお金で日本に向けて核ミサイルを配備する中共(中国)をはじめ、核武装した北朝鮮、徴兵制を維持する韓国に周りを囲まれている日本。日本国内で「戦争反対!」と叫ぶ極左グループには、是非、天目石議員を見習ってもらい、北朝鮮や中共(中国)に行って活動してもらいたいと思う。
 以下の本は、捕鯨だけは個人的に意見を異にするが、全編にわたって、政治の場にいる人間も理解すべき内容を含んでいる名著である。

2008年3月 8日 (土)

読売社説:外国人参政権
第52回自民党新潟県連定期大会

 徹夜で原稿を仕上げて、企画会社に送信。7時から10時まで仮眠する。

 11時、大粒納豆、目玉焼き、粗挽きウインナ、ひじきの煮物でご飯2杯のブランチをとる。

 15時、愛車で新潟市に向かって移動。

Img_2079 16時から新潟東映ホテルでの自民党新潟県連の第52回青年部定期大会に出席する。
 国歌斉唱、青年部長の挨拶、来賓の祝辞。
 地元選挙区の自民党・吉田六左ェ門衆議院議員からの挨拶では、やはり昨今の近視眼的なマスコミ報道により、自民党への批判も多いとの話がでた。
 特に道路特定財源については、その財源の賛否ではなく、役人がいかに無駄遣いをしたのかに集中し、その結果、道路特定財源がいらない、25円だけガソリンが安くなれば良いという民主党の受け狙いのプロパガンダに引っかかっている。道路特定財源がなくなった場合には、それこそ他の財源を確保することになり増税、そして税負担の公平性の問題がでてくる。
Img_2080 議事は、活動方針、決算の承認、予算、そして役員の選出についてである。役員選考委員長という立場として、役員選考委員会の結果を報告し、承認を得た。
 最後は、大会決議を採択した。


大会決議

一.我々は、「自立と共生」を基本に、自助努力を基本としながらも、お互いに尊重し合い、支え、助け合う豊かな日本を実現するため、日々自己研鑽と、社会貢献に寄与するものである。

一、我々は、党組織の中核として、国民に信頼される党づくりに邁進するとともに、街宣活動を展開するものである。

一、我々は、背水の陣となる次期衆議院議員総選挙に向けて、その使命を自覚し、総力を挙げて選挙態勢の構築に取り組み、同志一丸となって戦い抜くものである。


Img_2082 17時過ぎから自民党青年局長である井上信治衆議院議員(東京25区選出)による基調講演。


・麻生派。25区は東京の全面積の3分の1、人口は30分の1。
・100万人のうち、21万人が青年局。
・国会の運営には、警備、速記をはじめとする人件費に加え、諸々の経費で1日約1億円超の費用がかかる。衆参議院で一週間で約15億円。無駄遣いを指摘する民主党であるが、審議拒否をして自分たちがいかに国費を無駄遣いをしているのかに気付いていない。
・野党が審議にでてこないなか、多数決で決めたことが何故、強行採決なのか。マスコミと野党は自民党の強行採決というが、言葉の使い方を間違っており、悪意がある。
・金融の世界と政治を切り離すことが目的であって、衆議院で強行採決されたからといって、日銀の人事に反対する民主党の論理は良く分からない。代替案となる人事案ももたず、ただ反対している。
・道路特定財源は、責任ある地方の首長が求めていることが、その必要性の証明であり、選挙受けをするからガソリンの値段を下げますというのは無責任過ぎる。民主党の代替案は、道路特定財源は廃止し、地方の財源はそのままにするという実現不可能なもの。自分の選挙のために地方公共団体に迷惑をかけることは許されない。
 → 3月13日に民主党の青年局との公開討論会をやることになった。


 質疑応答の時間ができたので、重要な2つを質問した。それは、

Q1.外国人参政権
Q2.人権擁護法案

である。目に見える民主党や野党とのやりとりよりも、超党派で水面下に進んでいるこの2つの方がよっぽど怖い。
 井上代議士のお答えはこうであった。

A1.外国人参政権
 まず日本人が日本を決めることであって、国益の観点をよく考える必要がある。自民党のなかでも外国人参政権を推進する議員がいるが、国益に反することであるし、気が知れない。

A2.人権擁護法案
 人権の侵害があってはならないが、現在の体制で十分対応できるものである。
 現在の色々な政治的含みをもった人権擁護法案が通ってしまえば、大変なことになる。
このような法案は防ぐべき。

 心強い限りである。
 また同席した本県選出の自民党・塚田一郎参議院議員も、

 「あんな法案潰さないと・・・」

と同意見。


 新潟県民のみならず、全国の人権擁護法案に反対する皆様からの応援メッセージを!

 自民党・井上信治衆議院議員(東京25区選出)
      (自民党青年局長)

 自民党・塚田一郎参議院議員(新潟県選出)


Img_2085  講演会終了の18時から抜けさせてもらい、ホテルの部屋で仕事。途中、2件の来客があり、ホテルロビーで打ち合わせ。20時、さすがに腹が減ったので、ホテル近くの「らーめん濱来た」(電話:025-249-9580)で「醤油豚骨 岩のり玉子らーめん 800円」の太麺大盛りに、無料のライスをつけて夕食。特筆すべき味というわけではないが、クセがなく、毎日でも食べられるようなラーメンであった。今日も長くなることを念頭に、刻みニンニクをたっぷりと入れ、クドくなり過ぎたところで、紅ショウガを投入。個人的には、キクラゲなど歯ごたえのあるアクセントを入れてみたかった。

Img_2087  21時から自民党新潟県連・青年部の2次会に合流。

 人権擁護法案も危険であるが同時進行の外国人参政権もなし崩し的に導入しようという動きがある。
 さすがに外国人の参政権はマズイということで、産経新聞だけではなく、読売新聞でも反対という主張が明確になった。
 永住外国人の差別をするな、という人もいるが、これは憲法上の問題でもあり、「差別ではなく区別」である。


平成20年2月23日『読売新聞』社説

 外国人参政権 国のあり方を政争の具にするな

 永住外国人への地方参政権付与という、すでに決着したはずの問題が、なぜ、こうも繰り返し、蒸し返されるのか。
 韓国を訪問した民主党の小沢代表が李明博次期大統領と会談し、「もたもたしているのは非常に遺憾だ。実現できるよう努力したい」と述べ、法案の早期の国会提出、成立に強い意欲を示した。
 だが、憲法の規定や、国のあり方という基本的な観点から見て、たとえ地方であっても、外国人に参政権を認めることはできない。
 1995年の最高裁判決は、憲法15条の公務員を選定・罷免する権利は、日本国籍を持つ「日本国民」にある、と明示した。地方自治体の首長や議員を選ぶ「住民」も「日本国民」としている。
 憲法は、地方も含め、外国人の参政権を明確に否定している。地方自治も憲法に基づく秩序の一環だ。憲法に反することは許されない。
 地方自治体は、住民の権利・義務の規制や、罰則を含む条例の制定など、国と類似した「公権力」の行使を行う。公共サービスだけでなく、国の安全保障や教育内容など、国の基本政策に関する問題にもかかわる。
 武力攻撃事態法や国民保護法は、有事の際の国と自治体の協力を定めている。日本に敵対する国の国籍を持つ永住外国人が選挙権を行使し、国と地方の協力を妨げれば、日本の安全が脅かされる。
 民主党内では、永住外国人への地方参政権付与を推進する議員連盟が発足する一方で、慎重論を唱える議員連盟が設立された。外国人に地方参政権を付与した場合、国の基本を揺るがす恐れがあるという強い懸念があるからだろう。
 地方参政権付与論が蒸し返されるのは、95年の最高裁判決が、傍論部分で、永住外国人への地方参政権付与は憲法上、禁止されておらず、国の立法政策にかかわる問題としているからだ。
 だが、傍論は明らかに本論と矛盾し、法的拘束力もない。傍論を根拠にした地方参政権付与の主張は、無理がある。
 問題なのは、民主党内で、「自民、公明両与党分断の揺さぶりになる」という判断が加わって、地方参政権付与の推進への積極的な動きが出ていることだ。
 地方参政権付与を主張する公明党は既に法案を国会に提出しているが、自民党内に慎重論が強く、たなざらしのままだ。だが、民主党が公明党と同様の法案を提出すれば、公明党は賛成し、自民党も動揺する、と見ているのだろう。
 国のあり方にかかわる問題に政略的な思惑で対処することは、許されない。

2008年3月 7日 (金)

厚生委員会20年度一般会計審査
白豪主義と捕鯨問題

 資料の読み込みなどをし、4時就寝。

 8時、起床。大粒納豆、大根おろし、残りもののコロッケなどでご飯2杯の朝食をとる。

Img_2075 9時過ぎに市役所に移動。会派での打ち合わせののち、10時から厚生常任委員会に出席。今日の審議は、平成20年一般会計の福祉保健部分である。
 意見としては、

1.中越沖地震後という予算の色合い
  10万人の地方都市が震災にあった事例として、福祉分野における問題点を全国に発信するとともに、その問題の改善案に対し、国や県に要望し、予算を確保すること。つまり、中越沖地震後であるという色が見えない予算案と感じた。平成21年度予算には「中越沖地震を鑑みた事業で、財源は・・・」という説明が多くなってほしい。

2.庁内全体を通してのスリム化
  徘徊老人のGPSシステムや独居老人の通報システムなど各種のシステムがあるが、せっかく柏崎市内の携帯不感地帯解消のアンテナ建設、全ブロードバンド化などあるので、いつまで経っても互いに独立のシステムで形式を変えないのではなく、新技術を導入して市役所全体としてのコストダウン、利用者にも負担軽減に取り組むべきではないか。

 その他、児童クラブの指導非常勤職員の勤務実態・資質、人工透析の方への配慮とUターン・Iターン、若者のうつ病の方への相談、生活保護の実態など多種に渡って意見と質問をした。

Img_2074 12時、休憩になったため、「割烹おくい」(電話:0257-24-6486)の弁当で昼食をとる。
 食べている最中に何回も「非通知」の電話があるので、仕方なく出てみると「死ね」「市民がお前を嫌ってるぞ」などの中年以上らしき女性の声でのイタズラ電話であった。柏崎市民の個人情報の漏洩事件を追って、柏崎市役所に情報公開請求をしたり、今後も一般質問で追及する、との宣言をしたこのタイミングである。しかも、私の携帯番号を知ることができる環境。どこら辺が発信元なのか、おおよその見当がつく。分かりやすく、アホである。

Australia  13時から委員会再開。色々な意見がでたが、子ども夢ぷらんの海外研修コースが話題となる。これは柏崎市と柏崎地域国際化協会で折半して、柏崎の子供達をオーストラリアに研修にいかせるというプラン。私自身としては、子供に海外のことを見せてあげたいので、

 ・何を見てくるのか。
 ・経験をどのように周りに伝えるのか
 ・柏崎のために行くという意識を持て

という注文をつけさせてもらった。
 他の議員からは、友好都市などでお付き合いのある中国(中共)の峨眉山市、淮安区、宜昌市などもあるなか、どうしてオーストラリアなんだ、柏崎地域国際化協会のコースに乗るのであれば韓国ともモンゴル、ネパールとも付き合いがあるではないか、との指摘があった。

India 柏崎には日印友好の碑もあり、インド独立のためインド国民軍(INA)と一緒にイギリス軍と戦った、柏崎市出身の我々の祖先(高田歩兵58聯隊)が、いまだ遺骨となって現地に埋まっている。「ふるさと柏崎に帰りたい」という英霊もいるであろう。是非、本当の平和、独立の意味を知るためにも、次世代を担う子供たちにインドへ慰霊、遺骨収集に行ってほしいという気持ちがある。

 ただ私としては、いまの時期だからオーストラリアが良いと思う。それは人種差別に端を発する捕鯨問題をはじめ、国際的な文化の相互関係とは何なのかを理解できるチャンスであり、第一次大戦後、大正8年(1919年)1月18日にベルサイユで行われたパリ講和会議(ベルサイユ会議)において、

 我が日本がいち早く
    「人種平等宣言」を行った
 

その意味合い、人種差別のない柏崎のためにも学んできてほしいからである。

 オーストラリアと日本との感動的な秘話は、第2次世界大戦中にもあり、シドニー湾攻撃の際のオーストラリア海軍による日本軍将兵への海軍葬があるが、現在のオーストラリア内における日本への集中砲火は捕鯨問題である。鯨を捕る文化は野蛮であり、許されないという・・・・が、白人の捕鯨国には何も抗議しない。

 オーストラリアのタスマニアといえば、現在は動物のタスマニアン・デビルなどが有名であるが、本来は原住民(アボリジニ)がいた。そこへ来た白人、まさに侵略者は牧場など開拓をするために争い、アボリジニたちを殺し、フリンダーズ島へ強制移住させた。その結果、純血のタスマニア・アボリジニは1876年(明治9年)に絶滅したのである。当時のアボリジニたちは銃もなく、狩りや儀式に使っていたもので抵抗したが、それが
ブーメランである。

 互いの民族の文化を理解することなく、一方的な押しつけ・強奪を行った結果が民族絶滅であった。現代になってオーストラリア内でもアボリジニの文化を大切にする気風がでてきたが、日本の捕鯨文化に対しては容赦ない差別や曲解をしている。しかも繰り返すようであるが、白人、いや日本人以外の捕鯨国には激しい抗議はしないのである。

 我が柏崎市には、萩原朔太郎や森鴎外の作品にも登場する
「鯨波」という地名もあることも含め、次世代を担う子供達にはよく考えてほしいと思う。

 下記掲載のアメリカはテキサスのとっつあんの主張は正論である。

 もう一つ言えば、「普通の国」ならグリーンピースのような妨害をした段階で、海軍がでてきてあっという間に撃沈、いや轟沈させられるであろう。

「正義なき力は無能なり、力なき正義も無能なり」

それがないから、日本人が危険な目に遭う。「平和」は勝ち取るものであり、念仏のように唱えていれば良いものではない。

  18時から市内某所で打ち合わせ。

Img_2076 19時30分過ぎ、自宅に戻り、サンマの粗挽き胡椒焼き2尾、大根おろし、ひじきの煮物、肉じゃがでご飯2杯の夕食をとる。
 食後はひたすら、事務所での事務仕事。昼間、議会で時間を拘束される関係で、仕事の全体スケジュールが遅れており、気だけあせる。

2008年3月 6日 (木)

原発反対!でもお金チョーダイ??

 0時過ぎ、1回自宅に戻るも、電話があり、某スナックに移動。かなり出来上がった皆さんと、今年の市長選挙に関する意見交換を行う。激しい議論となり、場所を移動しながら、3時過ぎまで飲んだ。

 「現市長は、柏崎市の問題を押し付けられて可哀想

という意見が何人かからあったが、柏崎市政の中身を知らないで立候補したなら、ただのリサーチ不足、認識不足であり、それを解決したいという意志があって立候補したはずなので、「押し付けられ」や「可愛そう」などという論理は成り立たない。さらにいえば、契約をはじめ、市職員の不祥事と処分など、多くの問題が発生しているのは、現市長になってからである。

 4時から7時まで仮眠。明日以降の委員会に関する資料の整理や他の自治体からの問い合わせなどがあり、あっという間に10時近く。途中でタマゴパンを買い、かじりつつ、市役所に向かう。

 10時から本会議。市長与党であり、 「廃炉を訴えている」社会クラブの矢部議員の質問は政治的に難解であった。それはこういうことである。
 現実の柏崎市の財政や今年選挙であることを考慮し、会田市長は

 「原子力発電所との共存、運転再開」

を発言し、一昨日の私の質問にもそう答弁をした。しかし、「原発反対・廃炉」を主張として挙げておりながら、革新系として会田市長を応援したい立場もある。ここで矛盾が生じている。廃炉を訴えるのであれば、運転再開までのハードルのことをはじめ、いちいち会田市長に問い質す必要は無い!この質問は自己主張、自己弁護のための質問なのであろう。
 質問の中身には、原子力発電所なしの柏崎市の在り方を検討すべきとの主張もあった。
 ここまで言うのであるから、原子力関係の交付金が入る平成20年度予算案に、社会クラブは「反対」しなければ、筋が通らない。実際、西川前市長の時代まで社会クラブは「原子力関係の交付金が入る」という理由で予算には反対してきている。しかし、

 「原子炉は廃炉、でもお金はチョーダイ」

であるため、震災復興だの他の理由を挙げて、会田市長与党ということもあり、原子力関係のお金が入る予算案に「賛成」するであろう。恥ずかしいことである

 柏崎市が発注する工事での制限付一般競争入札制度についても質問があった。これは昨年の6月議会で私が質問し、改善を迫ったものであるが、ここでの質問は落札率をいかに低くするかというのが主眼であった。これは明らかに目的を間違っている。本来の目的は、

 公平性、価格・技術の適正さを確保しつつ、
    (我々の税金で行う事業であるため)
 できることなら、柏崎市に税金を納める
        地元の企業で工事を行い、
 安易に柏崎市のお金を市外に流出させない

ということである。もちろん自由競争社会であるため、市外の業者が適切ということもあり、それを否定するものではない。ただ、目先の小さな価格差、落札率の低さだけを論じるのは視点が小さい。

Img_2071 12時、休憩になったため、「割烹おくい」(電話:0257-24-6486)の弁当で昼食をとる。
 その間に、市民の方からの陳情をお聞きする。市長与党の議員に相談したそうであるが、「市長の足を引っ張ることになる」との意味不明な理由により、対応してもらえなかったそうである。

 13時から本会議再開。共産党の持田議員からは「勇気をもって発言する」との言葉とともに、

 「原発によって風評被害があったので、
           東電に賠償請求すべき」

との質問があったので、思わず

 「そりゃ乞食の論理だ!東電だって被災者だっ」

と野次を飛ばした。こんなことがまかり通ってしまえば、柏崎市民の民度を疑われる。

Img_2072 14時過ぎに終了し、その後、「柏崎市震災復興計画策定に係る第3回市議会意見拝聴会」に出席。
 この会議の冒頭が最悪であった。事前に資料を配付したあったはずなのに、いちいち50分近くかけて資料を読み、そして前回の議事録も配布せず、仕事のやり方を完全に間違っている。

 先輩議員からはそんなことで怒るな、とのお小言を頂いたが、高給取りである市役所幹部・職員の時間は市民のために有効に使うべきであって、こういった無駄は私自身、最も嫌うところ。事前配布された資料を読み込んできた人間が馬鹿を見るのである。

 市役所幹部・職員の時給、人件費は無料ではない(議員はどんなに働こうが一定)。時間を無駄に使うことは、税金を無駄に使うことと同じであり、市民への背任行為。ABC手法をはじめ、業務の効率化に努力することが、復興への努力にもつながる。民間企業では当たり前のことであり、これが理解できない人間は「能力なし」と言われるが、

・資料を事前配布したなら、
  「読んでこない人間が悪い」ルールの徹底
・この会は、説明会ではなく、意見交換会。
・会議の冒頭には前回議事録の確認、
   その反映について報告を行うこと

すらできていない。
 議員だから時間がないとか、自分が資料を読み込んできたからとか、そういった事ではなく、市民の血税によって支払われる時間を無駄にしていること、そして「当たり前の事」ができていないことに腹が立ったのである。冒頭、嫌がられるのを覚悟の上、副市長に直接、要望した。

 そして、「柏崎市震災復興計画」に関する要望は、次の3点を発言した。

1.原子力発電所と震災という点を世界に発信すべき
  世界初の原子力立地を襲った震災ということを積極的
 に利用し、放射線下における金属材料の動向や地層の
 
研究機関を誘致するぐらいの先見性をもて。

2.新技術への対応できる柔軟さ
  ブロードバンドの展開を光ファイバーにこだわるなど、頭が固い。
  日進月歩の新技術にも対応する柔軟さを盛り込め

3.重点プロジェクトを光だけではなく陰も
  市民会館建設など作ることのみで、市民の理解を得ようと
 いうことであるが、本当の復興計画のためには、公共用施設
 の見直しなど、耳が痛い部分も公平に記載すべき。

 この「柏崎市震災復興計画」は、3月10日までパブリックコメントを募集している。

 16時、事務所に戻り、来客が2件。19時から21時近くまで、市内某所での意見交換会に出席する。ここでも市長選挙の話題で持ちきりであった。

Img_2073 21時過ぎ、自宅に戻り、頂き物の卵とバラ牛肉の煮物、イカのサラダに小粒納豆をかけたものにビール500ml3本で夕食。
 食事中、食後から電話が相次ぎ、結局、仮眠できず。
 

2008年3月 5日 (水)

柏崎市立第一中学校歌
『仰げば尊し』2番の誤解

 1時、お店をでて、駐車場に泊めた愛車内で仮眠。

 7時過ぎ、柏崎に戻り、大粒納豆、しらす干し、さつま揚げでご飯2杯の朝食をとる。
 風呂に入ったのち、柏崎市立第一中学校にに向かう。

Img_2068 9時30分から「第61回卒業証書授与式」。母校であり、知った顔の生徒も卒業するので、感動もひとしおである。85名が巣立つ。
 『仰げば尊し』を歌い、校歌を歌う。
 ちなみに、簡素化のためとは思うが、今回『仰げば尊し』の2番を歌わず、1番、3番であった。この2番は、恩とその恩返しに関する内容の歌詞で、

2.互(たがい)に睦し 日ごろの恩
  別るる後(のち)にも やよ 忘るな
  身を立て 名をあげ やよ 励めよ
  今こそ 別れめ 

となっており、この「身を立て名をあげ」が<立身出世>であり、時代錯誤であると間違って教え、削除されている場合が多い。日教組などはお約束の<戦争を美化する>とまで主張していた。しかし、これは中国古典『孝経』(「開宗明義章」第一)にある<立身行道挙名後世>が元であり、本来の意味は、

 人間として立派に成長し、正しい道を践み行い、その名を後の世までも語り継がれるように高く揚げ、その素晴らしい人物は誰の子であるよと、父母の名を世間に広く光り輝かせる。

 つまり「究極の親孝行」を指しているのである。『仰げば尊し』が唱歌となったのは、明治17年(1884年)。それを会社勤めが増えた現代の価値観で判断するから、「人を蹴落としても出世することだ」などと曲解されるのである。
個人的には、学生時代に歌った思い出もあるが、故・伊丹十三監督の映画『タンポポ』で、グルメなホームレスの『仰げば尊し』合唱が印象に強い。

 柏崎市立第一中学校校歌の作曲者は、クラシック音楽の名作曲家・團伊玖磨氏。今上陛下と美智子皇后の御成婚の際のパレード行進曲『祝典行進曲』は名曲の誉れ高い。
 作詞は中村葉月氏。明治24年の生まれで、『越後タイムス』編集者、その後主幹。戦後は『柏崎日報』主幹も兼ね、昭和30年12月に横浜へ移るまでの40年間、芯のあるジャーナリストとして、柏崎に新しい風を吹き込んだ方である。今の柏崎の偏ったジャーナリズムには辟易するであろう。
 校閲は歌人、吉野秀雄氏である。

『柏崎市立第一中学校歌』
作詞:中村葉月 校閲:吉野秀雄 作曲:團伊玖磨

1.真砂路きよき丘超えて 磯より伝ふ波の音
  自然の神秘ささやけば 知識の海の果てなさに
  おどろく心 目ざめたり

2.ふるさとの街見守りて 大空に立つ米山の
  いただきをゆく雲見よや 理想の極は遠けれど
  あこがれ常に 高鳴りぬ

3.師のみちびきをすこやかに ひたすら学ぶ揺籃の
  母校の日々ぞたのしけれ この若き日の感激を
  生かさん永く わが胸に

Img_2069 卒業式終了後、自宅に戻り、祖母の分と一緒に冷蔵庫の残りもので「おじや」を作る。

 食後、市役所に行き、13時から本会議。昨日に続き、一般質問が続く。
 新人の共産党議員が、質問の冒頭で午前中の卒業式に出席した旨を触れた瞬間、自民党の先輩議員から、

 「オイ!ちゃんと国歌歌ったかっ!
  国旗もあったろい!」

との野次。議場が盛り上がる。最近の共産党議員は起立まではするそうであるが、昔は来賓として式典に出席していながら、着席したままだったという。式典の進行・内容に異議があるのであれば、出席しなければ良いのであって、自分の政治的な主義・主張をしたために、卒業生をはじめとする子供にイヤな思いをさせるのは愚の骨頂であろう。

Img_2070 15時過ぎ、本会議が終わり、議会だより編集委員会に出席。

 16時から18時まで、市内で会社関係の雑用。途中、コンビニの納豆巻き2本、レタスサンドイッチで夕食をとる。

 19時30分から市内某所での女性の集まりにて、現状の柏崎市政に関するお話をさせてもらう。かなり盛り上がり、酒も飲まず、お茶とコーヒーで24時近くまで。

 昨日の一般質問が効いたのか、柏崎市のホームページ内の個人情報保護に関する説明が、いきなり3月5日付けで更新され、上位で表示されるようになった

2008年3月 4日 (火)

市民の人権より市職員の人権?
ダンマリ作戦の市長与党

 4時、就寝。7時、起床。大粒納豆、しらす干し、大根菜っ葉の油炒めでご飯2杯の朝食をとる。食後、眠気覚ましのために風呂に入り、9時過ぎ、市役所に移動。

 10時から本会議、一般質問の初日である。
 トップバッターは吉野議員で、旧柏崎トルコ文化村の契約に関わる質問であった。なんで裁判になったのか、300万円以上の市民の税金を弁護士費用に使うことになったことをどう思うのか、という内容であった。
 市長与党からの野次は、

 「訴えるのは誰でもできる」

という、幼稚な「誰でも訴える権利がある」論。抱えた2つの係争のうちの一件は、柏崎市民を敵とするものであることを理解しているのであろうか。しかも裁判に意味があるから訴えるのであって、誰でも訴えられるから柏崎市にまったく落ち度はない、ということにはならない。
 会田市長の答弁は、

 「係争中なのでお答えできない」

というものであった。
 その他の議員の一般質問も続き、柏崎市の財政の収入を増やす政策に関しては、

 「施設の使用料、ガス・水道・下水道料金の値上げ」

という答弁があったが、新しい財源の確保については、

 「企業誘致に努力する」

のみという情けないものであった。被災した市民と痛みを分け合う意味で、負担を求めるのであろうが、もっと外から予算を引っ張ってくる努力をする宣言なり、意気込みがほしかった。営業マンたる市長がこの調子では困ると腹が立ったが、保守系の先輩議員からは、 「市民がどう判断するか、見てれば分かる」とのことであった。

Img_2058 意外と一般質問が早く終わり、11時30分過ぎに、昼休み。一回市役所をでて、市内某店にて、マスコミ関係者と意見交換。市役所に戻り、「割烹おくい」(電話:0257-24-6486)の弁当で昼食。時期外れとは思うが、キュウリの塩もみが歯ごたえよく、怒りのあとの食事に心地よい。

 13時から一般質問の再開。午後も意外と早く進み、2名の議員の質問のあと、休憩したのち、15時からの登壇となった。

 質問の冒頭はお約束の、

 「平成20年になっても、めげずに地道に海上自衛隊の誘致を訴え続ける、整風会の三井田です。
 財政難といわれますが、いまこそ原子力発電所の
防衛と地域経済のために、海上自衛隊基地の誘致を真剣に考える時期なのではないかと思っております。」

ではじめる。
 今回の一般質問の項目としては、すべて会田市長との一問一答で、

1.不正アクセス事件などにみる
  市職員のモラル、遵法精神とその処分について

2.原子力発電所の再稼働について

3.番神浜茶屋の契約及び効果について

4.中越沖地震に鑑みた防災体制について

の4つである。
 1は、昨年10月に発生し、本年1月21日に発表された柏崎市職員による住民基本台帳への不正アクセス問題が発端である。実は、中越沖地震前にも就業時間中のインターネットオークションの利用など問題が起こっている。発表の内容は、


 職務時間中のインターネットの不正利用として、福祉保健部の主査(市幹部説明:30歳代前半、歯に関係あるAさん)を平成19年5月20日に処分。
 勤務時間中に職場の公用パソコンから、公的なアドレスを使用して業務と関係の無い私的メールの送受信を繰り返し行った。つまりメールアドレスが、「柏崎市」と認識できるもので信用力のあるもので、ある種のメールを繰り返し、信用を失墜させた。
 また、勤務時間中に業務に関係のないホームページの閲覧を行うとともに、ネットオークションに参加していた。つまり、勤務時間中に売買をしていた。

1.柏崎市情報セキュリティ対策基準における、
  セキュリティポリシー違反(柏崎市のローカルルール)
  セキュリティポリシー違反の繰り返し
2.地方公務員法第33条信用失墜行為の禁止にも抵触する
3.地方公務員法第35条の職務専念義務違反

 結果、給料の月額10分の1減給を3か月とした。


であった。

 地方公務員の懲戒処分は、地方公務員法第29条に規定されており、「如何なる処分を選択するかについては、任命権者の裁量に委ねられている。なお、一個の義務違反に対し、二種類以上の懲戒処分を併課することはできない」とある。上記の3つの違反があっても処分は1つであり、その処分の選択は任命権者(市役所当局は市長、教育委員会は教育委員会、議会事務局は議長)が決めることになっている。上記の場合は市長が決定した。

 しかし、インターネットオークションのため、システム全体が速度低下の影響を受けて発覚したというが、webシステムであるオークションの利用ではそんな事にはならず、問題の発端はむしろメールであった。であるからこそ、平成19年6月20日の総務常任委員会の場では、私は以下の3つを強く指摘した。

(a)全員の市役所職員の業務に
    本当にインターネットが必要なのか精査せよ。
(b)個人的なメールを大量にやりとりしたり、
    オークションで競り合って買うような、
      そんな時間がなぜあったかの分析せよ。
(c)今後のためにも、処罰を重くせよ。

それに対する人事課長の答弁は、

「処分は適当であった。今後は、セキュリティモラルの教育研修を行う。
 研修の柱については、公務員倫理の確立、セキュリティポリシー基準の徹底、それから、文書管理事務の再確認、この3つを中心に研修会を実施し、公務員倫理をもう一度再確認する。全庁的に公務員倫理の徹底、不正の根絶に取り組んでいく」

とのことであり、さらに追加として平成19年10月19日の第一部決算特別委員会でも、同様のことを強く指摘したところ、同じく人事課長から

「基本的には、職員の服務規律の徹底という冊子で研修しており、コンプライアンスについても、服務規律を遵守しようという研修をした」

という答弁があったのであるが、その同じ10月に住民基本台帳からの情報漏洩が発覚しているのである。クソの役にも立たない研修や対策しか実行しなかったのか、とでも言いたくなる。
 今回のこの事件では、勤務時間中

(1)使用権限が与えられていない
  
住民基本台帳の専用端末を使い、
   
自分と関係のある特定の市民
     
の情報を覗き見し、知人に漏らした。

(2)業務上知り得た、
   
自分と関係のある特定の市民の情報
             を同じ知人に漏らした。

という内容であり、管理監督責任のある関係の課長を訓告処分、そして本人に対しては、たった給料の月額10分の1減給を6か月という大甘な処分であった。
 しかも、前回と同様に市役所職員の氏名や性別なども明かさない。質疑応答のなかでも、AとBとかでも良いので、事件の全容を明かせ!と言い寄っても

 「これ以上の事を答弁すると関係者が特定される」

と言い、答弁をしない。
 個人情報を漏らされた市民の人権よりも、職員の人権を守るのであろうか。

 教育委員会には、住民基本台帳が覗ける専用端末はソフィアセンターと学校教育課に、各一台がある。その業務が適正に行われていたのかも説明できないというのである。使用権限が与えられていないのに、何故パスワードを知っていたのか?
 途中

 いつもであれば、私の質問の際に野次で騒ぐ市長与党が今回に限ってはダンマリを決め込んでいた。これには理由があり、西川前市長時代に住民基本台帳のシステム化に反対し、かつ職員による個人情報の漏洩を危惧して、プライバシーの条例を追加するなどと訴えていたのは、何を隠そう現会田市長与党である社会クラブだからである。

平成14年 第1回定例会(第6日目3月7日)
社会クラブ 矢部議員

「市がですね、どれだけ全力を傾けて、この個人の情報を保護に努めてくれるのか、ここで再確認をしたいと思うわけでありますし、同時に、やはり、住民基本台帳プライバシー保護条例というようなものをですね、つくる必要があると、こう思うわけなんでありまして、提言といいますか、その必要性について、お考えをお聞きしたいと思うわけであります。 」

平成14年 総務常任委員会(6月18日)
社会クラブ 飯塚議員

「やはり個人情報が流出してしまうようなセキュリティーの問題については、よほど関心を持ってもらわないとね、市民サービスの向上、向上といったって、一方で市民の人権が侵されたんじゃ、そんなことやらんでもらわん方がいいというような気持ちの人だって出てくるわけですよね。そこらあたりについてですね、部長の見解をお尋ねしておきたいと思うんですけど。」

 しかも、この質問に答弁したのは、当時、総合企画部長であった現在の伊藤収入役。

「ただ、この個人情報の漏洩というのは、今までの例を見ますと、やはり職員といいますか、職員のモラルの問題で漏れているというのが多いと、こういうふうに感じておりますので、その辺の教育なりを今後ともしっかりと徹底していきたいと、こう考えております。」

 本来であれば、現市長与党が質問し、攻め込まなければならないのであるが、案の定、 「市民を守るより、市長、そして市職員を守っている」のである。


 申し訳ありません!
     書いている途中。

2.原子力発電所の理解と再稼働に向けた取り
  組みについて、柏崎市役所としての体制の
  在り方を市長に伺う。
3.訴えを起こされた旧柏崎トルコ文化村を
  はじめ、昨今の柏崎市の契約方法について
  疑問が生じている。通年観光という目的を達
  するための番神浜茶屋組合への市有地の賃借
  の契約について、その効果を含め、市長
  の考えを伺う。
4.中越沖地震に鑑みた防災体制について、
  ネット環境、FMピッカラの格差解消への
  取り組みの進捗、今後の展開について市長
  の考えを伺う。


 16時過ぎに議会が終了。会派室に戻り、先輩議員とともに一般会計を含め予算案の読み込みを1時間ほど行う。

Img_2067 19時からの懇親会に出席する予定であったが、2次会からに予定を変更させてもらい、メンチカツ、枝豆をつまみつつ、急に入ってきた仕事に取りかかる。
 20時過ぎ、なんとか仕事を終え、メールで送信できたので、市内某店での懇親会に、一次会の最後あたりから途中参加する。
 メールでも頂戴したが、今日の一般質問をFMピッカラで聞いてくれた方などから感想を聞くことができた。
 共通した意見は、

「このままでは柏崎は終わる」

であった。

2008年3月 3日 (月)

会田市長再出馬宣言
議場で「ネェーちゃんが夜の店に・・・」

 締め切り間近の仕事を思い出し結局、夜通し作業。5時から9時まで仮眠する。

 9時過ぎ、納豆汁2杯をすすりつつ、着替えて、市役所に移動。

Img_2055 10時から本会議に出席。各会派からの代表質問であったが、冒頭には会田市長の市長選挙再出馬宣言があった。
 先日、元市議会副議長で前回の市長選挙にも立候補した桜井雅浩氏が再出馬の意向を固めたという報道があったので、それに答えるかたちなのであろうか。とにかく、これからどういったかたちの選挙になるのか、楽しみである。

Img_2056 12時前に休憩となったため、「割烹おくい」(電話:0257-24-6486)の弁当で昼食をとる。
 議会再開まで時間があることから、中央地区の方からの陳情を1件処理。

 13時から再度、議会再開。
 のらりくらりの会田市長の答弁ではあったが見逃せなかったのが、

 日石加工所跡地は購入

という点であった。協議し、無料という可能性もあるが、という含みを残したが、土壌改良に80億円近くをかけて、固定資産税も払っているなか、柏崎市に寄付は考えづらい。問題は、購入することになった場合の財源はどうするのか、ということである。ガンガン金を使うが本当に大丈夫なのか、不安になる。

 また会田市長からは原子力発電所との共生という言葉や再稼働まで踏み込んだものまであった。これが前市長時代なら、ギャーギャーと野次を飛ばした社会クラブや共産党であるが、何故か黙っているのである。政治信条と市長与党でいたいことを天秤にかけたのであろう。

 議会の品位を損なうような発言も中村副議長からあった。柏崎市の財政を、一般家庭の経済状況に置き換えた事例を話すなかで、貯金を使い切り、お金が無い以上、お父さんは働きにでて、

 「ネェーちゃんは、夜の店で働いて・・・・」

などと、代表質問のなかで発言したのである。
 前回の議会で旧柏崎トルコ文化村の契約について、「いい加減な契約」という言葉をとらえ騒いだ市長与党であるが、同じ市長与党の議員の下品な発言にはダンマリを決め込んだ。これこそ男女差別的な発言であり、議事録が残る議会の場を踏みにじる発言である。

 国会でモメている道路特定財源に関する意見も全会一致で可決した。
 国会では、野党4党が反対にまわっているが、柏崎市議会では共産党も社民党も賛成である。


道路特定財源の確保に関する意見書(案)

 道路整備は、市民生活の利便、安全・安心、地域の活性化にとって不可欠であり、住民要望も強いものがある。
 現在、地方においては、高速道路など主要な幹線道路のネットワーク形成を初め、防災対策、通学路の整備や開かずの踏切対策などの安全対策、さらには救急医療など市民生活に欠かすことのできない道路整備を鋭意行っている。
 また、橋梁やトンネルなどの道路施設の老朽化が進んでおり、その維持管理も行わなければならず、その費用も年々増大している。
 こうした中、仮に現行の道路特定財源の暫定税率が廃止された場合、地方においては約9.000億円の税収の減が生じ、さらに地方道路整備臨時交付金制度も廃止された場合には、合わせて1兆6,000億円規模の減収が生じることとなる。
 こうしたこととなれば、本市では3億4,600万円規模の減収が生じることとなり、厳しい財政状況の中で、道路の新設はもとより、着工中の事業の継続も困難となるなど、本市の道路整備は深刻な事態に陥ることになる。
 さらには、危機的状況にある本市の財政運営を直撃し、教育や福祉といった他の行政サービスの低下など市民生活にも深刻な影響を及ぼしかねないことになる。
 よって、国においては、現行の道路特定財顔の確保、並びに関連法案を年度内に成立させるよう強く要望する。
 以上、地方自治法第99条の規定により意見書を提出する。

平成20年3月3日

理由
道路整備財源の確保を図るため。
柏崎市議会


Img_2057 18時、自宅に戻り、冷蔵庫に残っていた食材をすべてとひきわり納豆で作ったお好み焼きとビール500mlを3本の夕食。
 食後、3時間ほど仮眠する。

 シャワーを浴びたのち、企画書などの4月にある仕事の準備を行う。

 今日の議会でも全会一致で「道路特定財源の確保に関する意見書」が可決されたように、地方にとっては道路財源はまだ必要との認識がある。
 そんななか、道路と鉄道の関係について面白いエッセイがあったので、以下に引用したい。


2008年4月『Will』

 日下公人 繁栄のヒント 日本人は金利よりも安心

 ガソリン税の一般財源化問題で大騒ぎをしているが、ここでもやはり本質的な解説はない。ガソリン税を道路以外のことに使うか否かという話はご承知の通りだが、マスコミは「道路は十分ある」「職員のマッサージ器購入はケシカラン」「自民党対民主党」などといった話題に終始している。
 1945年、マッカーサーが米軍を引き連れて日本を占領したときに驚いたのは、道路の不備だった。彼らの部隊はトラックなので道路がないと機動性が確保できない。そのためアメリカの都合で日本に道路を作るよう命令を下した。
 しかし当時日本は食うや食わずでカネがない。しかも明治以来、日本は鉄道主義で国内で採れる石炭を使ったSLが走っていた。面積あたりの鉄道延長はジャワ島に次いで世界第二位だった。その国でマッカーサーは道路を作らせるべくSLの製造を許可制にした。そもそも蒸気機関車などは戦時中にアメリカの戦闘機による執拗な攻撃を受け、数が減少していた上にこのような命令を受けたのである。それを美化して、世界はもはや道路時代だ、日本は遅れている、とPRした。
 カネのない日本は世界銀行の融資を受け、まずは東名高速道路の建設に着手した。アメリ力も道路を作るならと、石油の輸入を一部許可した。ゆくゆくはアメリカの自動車と石油を日本に買わせるためだ。しかし日本はその一方で鉄道の開発にも余念がなかった。
 これが逆転大ホームランを生む。日本はあくまで鉄道主義を捨てることなく、まず、鉄道の電化を進め、さらに新幹線の開発を進めた。その上トヨタやホンダや日産がトラックや乗用車を作るようになり、結局、日本は世界一の鉄道技術を持った上に、世界一の自動車生産国になった。
 アメリカはその間、航空輸送の発展と電化の遅れで、鉄道会社は大赤字になり、アムトラックという公共企業体に収収されたが、21世紀に入ってもまだ脱線などの事故を引き起こしており、市民の足にはなっていない。
 新幹線はおろかニューヨークの地下鉄さえも車体を作ることができず、川崎重工から買っている。お家芸だったはずの車も日本のトヨタやホンダから購入する国になってしまった。さらに米ゼネラル・モーターズ(GM)は2月12日、07年の通年決算の最終赤字が約4兆1000億円に達したと発表している。自動車主義は石油主義で、そのためイラクにまで石油確保の戦争をしかけたり、地球温暖化の最大原因国だとの非難を受けたりしている。石油病はアメリカの生活習慣病である。
 日本は着々と鉄道技術と自動車技術を蓄え、その上道路も建設することができたが、それはアメリカの都合による勝手な要求を受け入れつつも工夫し、努力した日本人の底力である。そしていまや道路も世界一完備された国になった。ガソリン税を暫定税率分で1リットル当たり25円も払っているのは、もうこの辺りでやめにしていいだろう。

2008年3月 2日 (日)

エルトゥールル号回顧展:藤岡知夫氏
陸自隊員住宅火災から住人を救助

 3時就寝。

 7時、起床。大粒納豆、目玉焼き、粗挽きウインナーでご飯2杯の朝食をとる。

 8時から市内某所での打ち合わせ。一般質問をはじめ、現在の柏崎市政をどう改善していくのか、外部の方の意見を聞く。

 12時、自宅に戻り、冷凍うどん、なめたけ、ひきわり納豆を使った「ヌルヌル納豆うどん」で昼食。

 一般質問のためのさらなる資料集めのために、半年分の新聞各紙に目を通す。
 イージス艦「あたご」の衝突事故以来、マスコミで一方的な自衛隊叩きが展開されているなか、小さな扱いではあったが、陸上自衛隊によるお手柄の救出劇の記事があった。


平成20年3月1日『新潟日報』

 上越 関山演習場近く住宅全焼
 陸自隊員 住人を救助
 飛び降りた児童キャッチ

 29日正午すぎ、上越市中郷区江口の保険代理業萩原健さん(58)宅から出火、住宅約190平方メートルを全焼した。家には萩原さんの義父海藤孝行さん(81)と、萩原さんの孫で小学一年の森侑太君(七つ)がいたが、陸上自衛隊関山演習場に訓練に来た自衛隊員が発見、隊員の連携プレーで間一髪救出された。二人にけがはなかった。
 救助したのは、石川県金沢市からきた第10後方支援連隊の隊員約10人。同隊は出火直後に現場付近の演習場入り口に到着、煙に気づいた。二階の窓から侑太君が助けを求めているのを発見、トラックを家に近づけ、隊員がほろの立に上がり、窓から飛び降りた侑太君を受け止めた。さらに、煙が充満する一階の窓から海藤さんの姿が見えたため、引っ張って救出した。海藤さんは足が不自由だった。
 救助に当たった小松高則一等陸曹(47)は「子どもの顔が見えたので無我夢中で助け出した。助かって本当に艮かった」とほっとした様子だった。
 妙高署の調べでは、萩原さん宅は八人家族。住宅は高床式の一部四階建てで、一階部分から出火したとみて調べている。


 マスコミは、自衛隊を国民の敵かのように煽るが、日本周辺に核武装をした国がある現実をどう見ているのであろうか。

Img_2054  19時、グリーンアスパラと豚肉の炒め物、コーンコロッケ、小粒納豆でご飯2杯の夕食。
 食後、風呂に入りつつ、届いた月刊誌『世界』『論座』『諸君』『正論』を読む。

 体がふやけたところで、一般質問に関する資料の整理。

 中近東文化センター附属博物館でエルトゥールル号回顧展をやっているという話は聞いていたが、結局、見にいくことはできず残念に思っていた。
 昨日届いた平河総合戦略研究所のメールマガジン「☆☆甦れ美しい日本☆☆」第162号に、藤岡知夫氏によるエルトゥールル号回顧展とトルコとの関係について書いた文章があり、つい嬉しくなってしまったので、以下にご紹介する。


藤岡知夫
 日本はトルコとの友好関係をもっと深めるべきだ。
 エルトゥールル号回顧展を観る。

 トルコは日本にとって遠い国である。ヨーロッパ人は自分勝手に世界を色づけし、黒海と地中海を繋ぐボスボラス海峡より東をアジアと呼んだ。従ってヨーロッパ人にとってトルコも日本も同じアジアであるが、日本人からみればトルコはヨーロッパである。南は地中海、北は黒海に面しているのであるから、絶対にアジアとは呼べない。トルコ自身は回教の国であるが、アラビア諸国と違って宗教色は薄く、ヨーロッパの一員たらんとし、EUへの加盟を熱望しているが、ヨーロッパ諸国は極めて冷淡である。
 この国は歴史上中世の1500年代の初めから1600年代の終わりにかけての約200年足らずの間、武力を持って勢力を広め、南はエジプトからナイル川沿いの中流域及びアラビア半島の中程まで、北はハンガリーまでを勢力圏に入れ、ハンガリーの首都ブタペストにはその時代の回教寺院が残っている。
 ヨーロッパ東端の国トルコと日本が過去に於て深い関係を持ったことがあるとは、私も全く知らなかったから、日本人の殆ども知らないのではないだろうか。
 明治18年(1887)明治天皇の伯父にあたる小松宮殿下が、妃や陸軍のお供を伴って米国を皮切りに、フランス、ロシア、オーストリア、イタリアなどを歴訪したが、その折トルコにも立ち寄って、スルタンに拝謁されたのである。トルコではその返礼として2年後、トルコ製の軍艦エルトゥールル号を日本に派遣した。この軍艦はまず長崎に到着した後、6月には横浜に入港し、日本も最高の皇室儀礼で厚遇し、友好を深め、約600名の艦員は3ヶ月も滞在して、9月14日に碇を上げたのである。
 しかしその時、台風が接近しており、9月16日には紀伊半島先端の串本で、沖合の暗礁に激突し、沈んでしまったのである。暴風雨の中、それを知った現地の遭難現場の僅か60戸しかない河岸地区の人達を中心に、嵐の中決死の救出作業を行ったが、救出できたのは僅かに69人、約500人の船員が船と共に海底に沈んでしまった。
 誠に悲惨な事件であったが、日本政府は生存者69名を直ちに軍艦比叡及び金剛の二艘に乗せて、事件から1ヶ月後の10月神戸を出航し、翌年の始めにはトルコに送り届けた。500人もが日本の串本沖で水没したにも関わらず、これは台風の接近を知りながら出航してしまった船長のミスで、69名の生存者を直ちに軍艦で送り返して来たことに、トルコでは深く感謝し日本に大きな好意を持った。丁度その頃トルコはロシア国境での小競り合いを度々起こし、その都度ロシアに痛めつけられていたのであるが、日露戦争が没発し、日本がロシアに勝ったということで、大変日本を尊敬するようになり、日露戦争の直後、日本の英雄東郷の名をそっくりもらい、トウゴウという名の男の子がトルコには大勢いるらしい。
 日本とトルコの関係はその後が大事である。イランイラク戦争開始から5年後の1985年3月、サダムフセインがイラン領空を通過する航空機は、民間機であっても撃墜すると言い出した。イラン在留の外国人は即刻航空機で国外退去を開始したが、日本人は日本航空機のイラン乗り入れがなかったため、外国航空会社の便で脱出しようとしたが、全ての航空会社は自国民を優先し、日本人のイラン脱出が非常に困難になってしまった。そこで日本政府は日本航空の飛行機を飛ばせば良かったのであるが、その頃の腰抜け中曽根首相は、自国機を危険にさらして何か言われるのが怖くて何もしないでいた。
 そこで伊藤忠商事のイスタンブール事務所長が、トルコの首相と個人的に親しかったこともあって、直談判をしたところ、トルコ航空機を日本人のために一機イランに飛ばし、当時イランに在住していた215人をイスタンブールまで運んでくれたのである。他方イランにはトルコ人が500人ほどいて、その救出も勿論行っていたのであるが、自国人よりも日本人を優先して助けてくれたのである。この事実は日本人として決して忘れてはならないことであるが、日本の小中学校の教科書に載っている話も聞いたことはないし、日本人はその救出直後には新聞で知ったかも知れないけれども、現在の私は記憶に全く残っていない。その時日本人がトルコ人に感謝を表明したら、彼等は「古い盟友だろ」と言ってニコッと笑ったとのことである。現在でもトウゴウという名前の男が沢山にて、日本政府が何もしないで手を拱いている中、自国より優先して日本人を助け出してくれたトルコこそ、真の日本の友である。
 トルコのEUへの参加を手助けするとか、何とか日本も彼等に対して恩返しをする手だてはないものであろうか。私自身もヨーロッパには何十回と行っても、トルコに行ったことはなかったのであるが、旅行者としても大変面白い国であるらしいので、次回ヨーロッパ旅行の折には是非寄ってみたいと考えている。日本の真の友と言える国は、トルコを除いて台湾とインドしかない。支那などは初めから敵だと思ってかからないと、後で酷い目に遭うことになるであろう。
 以上の事実は昨年テレビ番組で知ったのであるが、エルトゥールル号回顧展を武蔵境にある中近東文化センター附属博物館で開催していたので、昨年11月から行こうと思っていたのであるが、今年の2月17日までやっているので、そのうちと思っているうちに、最終日になってしまい、慌てて観に行ってきた。エルトゥールル号の写真などを詳しく展示してあり、尚かつトルコの素晴らしいタイルなどの陶磁器も沢山展示されていて、トルコという国の素晴らしさについて、目を見開かされた半日を過ごすことが出来た。
 中近東文化センターにはメソポタミア時代からの古い陶器やガラス器などの美しい発掘物が多数展示されており、私は始めて訪問したが、なかなか素晴らしい博物館である。
 また、中近東文化センターの位置は、私にとっての蝶の古戦場である。戦争中の昭和17.18年頃この辺りに広大な屋敷を持った両親の知人がいて、その家の庭に栗拾いに行ったり、また7月頃訪問したときには近くの雑木林で、生まれて初めてウラナミアカシジミとクロシジミ♀(その当時はゴマシジミだと思っていた)を採集した聖地でもある。
楽しい思いで半日を過ごすことが出来た。

藤岡知夫(ふじおか ともお);
昭和35年慶應義塾大学工学部電気工学科卒
昭和40年同大学院工学科博士課程終了 工博
昭和54年同大学教授に就任
平成2年東海大学開発技術研究所教授に就任
平成6年東海大学理学部物理学科教授に就任
平成12年財団法人応用光学研究所理事長に就任
専攻 レーザー工学 レーザー物理学
著書に
「レ-ザ-がひらく21世紀」(三田出版会、1990年)
「光・量子エレクトロニクス」(オ-ム社、1991年)
「オプティカルパワ-」(裳華房、1994年)
趣味の蝶関係では「日本産蝶類大図鑑」(講談社、1976年)
「蝶の紋」(河出書房新社、1973年)
「日本産蝶類及び世界近縁種大図鑑」(出版芸術社、1997年)など13冊。

2008年3月 1日 (土)

平成20年2月29日第二回自民党人権問題調査会

Img_2052 2時過ぎ、3次会会場から「中華美食館柏崎店」(電話:0257-23-4530)に移動。
 「檄辛ラーメン」、「ニラレバ炒め」などで一日?をシメくくる。
 3時過ぎに帰宅。

 8時、起床。さすがに朝食は軽めにヤマダフーズの「納豆汁の素」を使った納豆汁を2杯すする。

 9時から市内某所にて、政治関係の意見交換。2時間ほど話し込む。

Img_2053 12時、先日に続き、お気に入りのニチロの冷凍ラーメン「横浜あんかけラーメン 生碼麺」とひきわり納豆の納豆ご飯1杯で昼食をとる。 熱いトロみある汁が体を温めてくれて、結構お気に入りの商品になった。
 午後から市内での雑用と、パソコン修理の依頼をこなす。
 ノートパソコンの液晶が暗くなったということで、バックライトを交換する。

 18時から22時まで市内某店での懇親会に出席。一般質問に関する資料整理などがあるため、一次会で失礼させてもらう。

 昨日、<自由社会の敵となる>人権擁護法案に関する第二回自民党人権問題調査会が自民党本部で行われた。
 その内容について情報を頂戴した。
 法務省の答弁もいい加減なもので、すでに機能している「人権教育及び人権啓発の推進に関する法律」ではなぜだめなのか、人権擁護法案に反対する議員の質問にも全く答えていない。危険である。
 我が新潟県選出の国会議員では、6区の自民党・高鳥修一衆議院議員が明確な反対運動をしている。

<応援メッセージ先>
衆議院第一議員会館404号室
電話:03-3581-5111(内線5404)
FAX:03-3508-3404


第二回自民党人権問題調査会議事録

●太田会長 挨拶
 先会出された問題点に対して政府側より的確に回答することに時間がかかった。自分
はこの人権擁護問題に関わっており、何とか形にしてゆきたいと思っている。外国に対して胸を張れるよう。法案の中身は、話し合われる意見を踏まえていきたい。人権救済の必要な差別される側の人は、弱者であり、声高に主張できない人達である。足を踏まれた方の痛みに手を差しのべるべきである。法律を作った結果として、該当するものがないほうが望ましい。

●人権擁護局より説明

●意見
西田昌司(参議院議員・京都選出)
 今の法務省の説明は、一般的国民の常識的なものとかけ離れている。というのは、先日、京都市長選で、からくも自民党が勝ったけれども、この争点は同和問題だった。それは、同和問題の解消ではなく、優遇的なものになっている、逆差別的だということだった。20年前の京都市長選も同じ争点だった。
 市民的感情として、同和問題は解消しているのに、残っているじゃないかというのが市民感情としてあった。人権という言葉を振りかざして逆差別状態を助長させてしまう。これを認識してほしい。
法務省が言っていることの実状は、家庭内、施設内の問題が挙げられているが、人と人の付き合いの問題であり、家庭を基盤とする道徳意識、規範意識の低下の問題であり、法律で救済できない。道徳教育で救うべきである。教育基本法、指導要領も改正になり、道徳教育を充実させていくとなっているが、主軸をそこに移して、やっていかなければならない。
 法務省は人権とは何かと問うたことに対して答えていない。そんな中で、強制的な法律を作ることは、国民の意識と乖離したものである。この法律は、国民の対立を生み、モラルを低下させるものである。根本から考え直すよう、撤回を求める。

稲田朋美(衆議院議員・福井1区)
 法相は白紙から話し合うと言われたが、問題は包括的に人権侵害を扱う法律が必要かどうかということだ。太田会長は足を踏まれた側のことを考えるべきと言われたが、不当な申し立てを受ける側のことも考えて欲しい。
 私は、反対する側から、弁護士会から、私の行動が三権分立に違反しているとか、論文掲載に使った写真が名誉既存だとか、言いがかりとしか言えないような人権侵害の申し立てをされて、言いがかりでも、呼び出しがかかったりして苦しんでいる。
 首相の靖国神社参拝を民族的人格権の侵害だと裁判が起こされているが、参拝をすすめる私は訴えられてしまうだろう。表現の自由は憲法の他の人権に優先するものとされており、これは民主主義の根本をなすもの。
 もし私がそういうことで申し立てをされれば、それは憲法違反だと裁判所に訴えざるを得ない。また裁判所に憲法違反だと訴えるケースが多くなるだろう。

中川昭一(元政調会長・衆議院議員・北海道11区)
 刑事罰を課すかどうかという大事な法案なのに、何故、法務省からは民事局だけ来て、刑事局が来ていないのか。

法務省
 この法案には刑事罰はなく、行政罰があり、調停・勧告等という民事的手法のため、刑事罰はない。刑事局は来ていない。

中川昭一(元政調会長・衆議院議員・北海道11区)
 
この法律が出来れば、稲田さんが弁護士資格を失うという可能性もある。脅迫等の刑事罰を課すような現行の人権侵害もある。この法案は、重大だから包括的と言いながら、何故か刑事罰をうまく避け行政罰でやろうとしているという魂胆を感じる。場合によっては、重大な人権侵害の場合には、現行の法律を適用して刑事罰を課す場合もあるだろうに、何故、行政罰だけでやろうとしているんですか。

矢野隆司(衆議院議員・近畿比例)
 
自分の経験を話すと、以前、新聞記者をやっていて、当時は「皮切り」という言葉は使用してはいけなかった。毛皮を剥ぐ行為に由来しているから。当時、自分の文章にこの言葉を使った時に、新聞労連と対立した。その後、芦屋市の市役所のキャップをしていた時、芦屋市に、狭山裁判の石川被告が逮捕された日に、「石川氏は無罪だ、狭山は冤罪だ」というゼッケンをつけて全校生徒が登校するという小学校があった。そのことで或る父兄に、「そんなゼッケンをつけて登校させたくない」という相談を受けた。何故こんなことを言うかというと、この法律が出来たとして、逆差別を受けている人、被害を感じている人が、同和団体に対して、訴えを起こすことができるのかどうか聞きたい。

法務省
 逆差別の問題も、人権侵害のひとつとして重要に感じている。所謂エセ同和問題については、政府、警察と一体になって対応してきた。それから逆差別については、具体的に差別があれば対応する。しかし言いがかりや事実がなければ、逆に人権侵害・誹謗中傷であると、同和団体であっても、これに対して言っていかなければならない。
 今度の法律では、同和問題についても、人権侵害があるのか無いのか、無い場合にもはっきりさせるということが大切だ。誹謗中傷の訴えがあれば、これも判断する。
刑事罰を避けるのか、ということに関しては、これは人権侵害の民事刑事の解決は裁判所で解決するのが本来であり、刑法にあたるものであれば、裁判所で罰せられるべきであり、損害賠償などは民事で行なうべきである。
 調査の結果、刑事罰に該当すれば、告発という手段がある。
 ここに掲げたことは、民事裁判を起こすのは大変だろうから、救済の勧告、援助等の手法が設けられており、民事裁判を補完するものである。人権委員会においても、民事の不法行為の判例に則って判断することが前提になっている。

西川京子(衆議院議員・福岡10区)
 
益々危機感を感じる。要するに些細なことでも訴えられて、時間的にも精神的肉体的苦痛を受けるということだ。セクハラ問題でも同じで、やった側とやられた側とでも微妙な話になっている。これを誰が判断するのか?心の分野に法律が強制的に入り込む危機感がある。今の話を聞いていると、心の分野に入り込むこと個人情報保護法でも、今の状況を誰も想定できないで成立したが、これがあるためにPTA名簿も作成できない。人間関係、地域社会を壊している。誰が判断するのかは、神のみぞ知る問題である。これは、人間どうしの中で解決するんでしょという、道徳の次元の話です。

平沢勝栄(衆議院議員・東京12区)
 
数年前、この問題を法務部会長として審議して、あの時と同じような議論が行なわれている。あのときの結論は、これは、一本に纏めきれないということで、とてもじゃないが法律として出せないということでお蔵入りしたものである。何故また出てきたのか、出さなくてはならない理由を聞きたい。

杉浦正健(衆議院議員・愛知12区)<<賛成派
 小泉元首相が再度行なうと述べたものだ。マスメディア、いじめについての対応が必要だと。自分の地元には同和問題は無いが、白紙の状態で、ここに臨んでいるが、法律を作ったほうが良いと思う。

衛藤晟一(参議院議員・全国比例)
 
安部総理は、この法律はやらないと言ったから、だから話はチャラだ。他の三条委員会(公取など)は極めて限定的だが、この案は広範囲に及んでいる(惧れまで含んでいる)。先に訴えたほうが勝ちになってしまう。表現の自由が侵害される。

法務省
 科料の制裁は、調査段階ですぐにということではなく、調査に応じない合理的理由を裁判所が判断して、行なわれる。この法律は包括的だといわれるが、特定のものに限定しており、あらゆる人権侵害について、科料を課すわけではない。最終的には裁判所で判断する。些細な事案には、斡旋、調整をはかることになる。現在もそういう仕組みになっており、法律が出来ても変わらない。

(衛藤 じゃあ法律は要らないじゃないか)

赤池誠章(衆議院議員・南関東比例)
 
今の加害者の拒否ということについては、現行でも警察との協力もあるということだから、現行法の下、法務省と警察で連携して対応を進めて欲しい。現行の中で定員増なりを要求すればいい。

萩生田光一(衆議院議員・東京24区)
 
鳩山法相も、全く白紙からと言われたが、杉浦先生のお話は、継続的に党内で話し合われているかのようだ。私は頭からこの法律が駄目だと言ってるのではなく、現行で救済できないこととは、どんなことなのかと聞いている。法務省が挙げている3点については、福祉施設で虐待があれば地方自治体が対応したほうが良いだろうし、障害があるが故に学校に入れないならば教育委員会や文科省が対応すればよい。本当に、そういう風に泣き寝入りしている例があるのか。雇用法があるのに、雇用問題を挙げてくるとは、雇用法が機能していないと法務省自らが言っているようなものだ。捜査機関、刑務所の問題も、法務省が管理できていないと言っているようなものだ。今示された3つの例は、今の制度で本当に救済できないのか。

早川忠孝(衆議院議員・埼玉4区)
 
富山や鹿児島の冤罪事件は人権侵害として看過できないが、これはどういう制度が無いので救済できないのか。今の人権委員会はどう対応したのか。現行の人権委員会の拡充が出来ないということであるが、拡充できない限界点は何なのか。仮に人材が確保できないとしたら、人権委員会を作ったとしても同じことだ。もともと既に廃案にしたものを元に議論するのが分からない。

石川準一(参議院議員・千葉選出)
 
千葉の障害者条例は、喧々諤々揉めたが、なかでも障害者を普通の学校が受け入れするということが問題になった。事故が起こった場合のこと、受け入れたクラスとそうではないクラスとの学力の差とか色々な問題が出てくるし、受け入れないところは、それを公開するといわれ、組織や企業が機能しなくなるおそれもある。もっと現場の声を積み上げて考えていくべきである。

下村博文(衆議院議員・東京11区)
 
太田会長へ。立法機関である我々は、行政機関とは別の視点で考えるべきではないか。国民にとって、法律がどうプラスなのか考えるべき。訴訟社会を助長させることはどうなのか、日本にとって良いのかと、立法府は考えるべきである。行政が作りたいと言っても、将来的に日本にとって良いのかと、行政とは違うスタンスを持って考えるべきだと思う。
 西川先生が個人情報保護法のことを言われたが、よかれと思って作った法律にも、マイナスの部分がある。人権と(この会議での)今までの意見は、全部反対意見である。いままでの人権制度がどう問題なのか検討して、法律を考えるべき。最初から法律ありきではなく、今までのことを検証する中で検討すべきである。1年後、2年後に悪法になるおそれがあるから反対が多いのだろう。それを考えるべき。これは太田会長以下の運営の問題である。

太田
 訴訟社会は、いけないと思う。ただこの法律については・・・ナーバスになっているということもありますが・・・

法務省
 「差別的取り扱い」について、学校の受け入れ拒否という件については、一方的に学校を批判するということではない。両者の意見を聞く。「差別的取り扱い」は現行では救済できず、裁判所か人権委員会かで扱うしかない。しかし学校の受け入れの場合、急を要するので、人権委員会だと迅速に対応できる。「差別的扱い」については、刑事罰が適用できない。各国(の人権委員会)でも、「差別的扱い」だけを扱っているといっても過言ではない。
 高齢者の扱いについては、自治体で対応すればいいと言われたが、昨年千葉における例があったが、加害者である施設が施設をたたんで収容者を連れてどこかへ行ってしまって、千葉県も苦慮している。千葉の事例では、被害者が訴えることも出来ず、施設が拘束しているというだけでは、必要があれば(被害者=入所者)を拘束もできるわけだから監禁罪にもあたらず、刑事罰にまで行かない、こういう事例は多い。こうした場合、人権委員会があれば、迅速に対処できる。

下村博文(衆議院議員・東京11区)
 今の答弁は、総理の答弁としては認められないものだ。一般論では、学校が障害者を受け入れないのはいけないことかもしれないが、もっと教育環境とかそういう対応が必要かもしれず、そういう意味で、これは教育委員会で対応すべき事案かもしれない。だから、人権擁護だけで解決しようという考えは行政の考えであって、それだけで考えると間違えてしまうかもしれないということだ。

土屋正忠(衆議院議員・東京比例)
 
今の事例の中で、教育の問題については、教育基本法では、国民は能力に応じて教育を受けるとなっている。障害の違う人達がひとつのクラスに入っていいかという問題である。昭和20年代から障害者の教育について考えてきた。知的障害については、昭和50年頃から考え始められたものだが、知的障害者との混合教育が良いのかどうか、大議論になって、今は障害別教育になっているが、それに対して、普通学級に入れろという声もある。しかし、そうしたほうが、本当にその人達の為になるかどうか、そういう大事な問題について、荒っぽい議論をしちゃ駄目だ。
 高齢者の話しにしても、夜中に徘徊する老人を、家庭では世話できない、共倒れになる。今の議論では拘禁するのは駄目だというが、それは人権侵害という枠でくくることの出来るような問題ではない。介護保険法とか予算措置とかの問題も関係してくる。
 三条機関ということは執行機関ということであり、そうであれば人権擁護を徹底するために膨大な支局が必要となるだろう。常時、人権侵害防止のために目を光らせなくはならない。
 現場の人をここに呼んで、議論すべきである。

戸井田徹(衆議院議員・兵庫11区)
 
或る企業の経営者が相談にきた。セクハラで訴えられたと。50年間続いている会社で、社員の半数は知的障害者で、地域でも社長は変な人だとは誰も思ってなかった。或る女性が社員として入ってきて、ルールを守らないとか働き方に問題があって、社長がこの女性と話し合って、分かってもらえたと思って、最後に「みんなと仲良くしてくれ」と握手をして別れたら、セクハラで訴えられたという。社長は仕方なく示談で済ませたそうだ。
 こういうように、法律を利用する人が出てくる。利用する人間の手にかかったら、真面目な人ほどやられてしまう。セクハラと人権擁護は同じだ。握手をしたら、セクハラになるということだ。こんなことが蔓延したら、社会がおかしくなる。日本が壊れる。これは是非止めていただきたい。

古屋圭司(衆議院議員・岐阜5区)
 
議論を聞いていて、この法案は、危険な方に向く可能性が高い。答申では、抑圧的に書いてある。簡易救済と現行法での解決を尊重すると述べている。どうしても駄目なら積極的措置を、それでも、定義をしっかりするとか歯止めがかかっている。現行制度で駄目なのかとか、しっかり議論して行きましょう。そういうことで以前に廃案になったので、この法案は止めるべきだ。

太田
 共感できる部分が多々あった。昔の法案で議論するつもりはない。有識者の話も、今後聞きたいと思っている。

« 2008年2月 | トップページ | 2008年4月 »