エルトゥールル号回顧展:藤岡知夫氏
陸自隊員住宅火災から住人を救助
3時就寝。
7時、起床。大粒納豆、目玉焼き、粗挽きウインナーでご飯2杯の朝食をとる。
8時から市内某所での打ち合わせ。一般質問をはじめ、現在の柏崎市政をどう改善していくのか、外部の方の意見を聞く。
12時、自宅に戻り、冷凍うどん、なめたけ、ひきわり納豆を使った「ヌルヌル納豆うどん」で昼食。
一般質問のためのさらなる資料集めのために、半年分の新聞各紙に目を通す。
イージス艦「あたご」の衝突事故以来、マスコミで一方的な自衛隊叩きが展開されているなか、小さな扱いではあったが、陸上自衛隊によるお手柄の救出劇の記事があった。
平成20年3月1日『新潟日報』
上越 関山演習場近く住宅全焼
陸自隊員 住人を救助
飛び降りた児童キャッチ
29日正午すぎ、上越市中郷区江口の保険代理業萩原健さん(58)宅から出火、住宅約190平方メートルを全焼した。家には萩原さんの義父海藤孝行さん(81)と、萩原さんの孫で小学一年の森侑太君(七つ)がいたが、陸上自衛隊関山演習場に訓練に来た自衛隊員が発見、隊員の連携プレーで間一髪救出された。二人にけがはなかった。
救助したのは、石川県金沢市からきた第10後方支援連隊の隊員約10人。同隊は出火直後に現場付近の演習場入り口に到着、煙に気づいた。二階の窓から侑太君が助けを求めているのを発見、トラックを家に近づけ、隊員がほろの立に上がり、窓から飛び降りた侑太君を受け止めた。さらに、煙が充満する一階の窓から海藤さんの姿が見えたため、引っ張って救出した。海藤さんは足が不自由だった。
救助に当たった小松高則一等陸曹(47)は「子どもの顔が見えたので無我夢中で助け出した。助かって本当に艮かった」とほっとした様子だった。
妙高署の調べでは、萩原さん宅は八人家族。住宅は高床式の一部四階建てで、一階部分から出火したとみて調べている。
マスコミは、自衛隊を国民の敵かのように煽るが、日本周辺に核武装をした国がある現実をどう見ているのであろうか。
19時、グリーンアスパラと豚肉の炒め物、コーンコロッケ、小粒納豆でご飯2杯の夕食。
食後、風呂に入りつつ、届いた月刊誌『世界』『論座』『諸君』『正論』を読む。
体がふやけたところで、一般質問に関する資料の整理。
中近東文化センター附属博物館でエルトゥールル号回顧展をやっているという話は聞いていたが、結局、見にいくことはできず残念に思っていた。
昨日届いた平河総合戦略研究所のメールマガジン「☆☆甦れ美しい日本☆☆」第162号に、藤岡知夫氏によるエルトゥールル号回顧展とトルコとの関係について書いた文章があり、つい嬉しくなってしまったので、以下にご紹介する。
藤岡知夫
日本はトルコとの友好関係をもっと深めるべきだ。
エルトゥールル号回顧展を観る。
トルコは日本にとって遠い国である。ヨーロッパ人は自分勝手に世界を色づけし、黒海と地中海を繋ぐボスボラス海峡より東をアジアと呼んだ。従ってヨーロッパ人にとってトルコも日本も同じアジアであるが、日本人からみればトルコはヨーロッパである。南は地中海、北は黒海に面しているのであるから、絶対にアジアとは呼べない。トルコ自身は回教の国であるが、アラビア諸国と違って宗教色は薄く、ヨーロッパの一員たらんとし、EUへの加盟を熱望しているが、ヨーロッパ諸国は極めて冷淡である。
この国は歴史上中世の1500年代の初めから1600年代の終わりにかけての約200年足らずの間、武力を持って勢力を広め、南はエジプトからナイル川沿いの中流域及びアラビア半島の中程まで、北はハンガリーまでを勢力圏に入れ、ハンガリーの首都ブタペストにはその時代の回教寺院が残っている。
ヨーロッパ東端の国トルコと日本が過去に於て深い関係を持ったことがあるとは、私も全く知らなかったから、日本人の殆ども知らないのではないだろうか。
明治18年(1887)明治天皇の伯父にあたる小松宮殿下が、妃や陸軍のお供を伴って米国を皮切りに、フランス、ロシア、オーストリア、イタリアなどを歴訪したが、その折トルコにも立ち寄って、スルタンに拝謁されたのである。トルコではその返礼として2年後、トルコ製の軍艦エルトゥールル号を日本に派遣した。この軍艦はまず長崎に到着した後、6月には横浜に入港し、日本も最高の皇室儀礼で厚遇し、友好を深め、約600名の艦員は3ヶ月も滞在して、9月14日に碇を上げたのである。
しかしその時、台風が接近しており、9月16日には紀伊半島先端の串本で、沖合の暗礁に激突し、沈んでしまったのである。暴風雨の中、それを知った現地の遭難現場の僅か60戸しかない河岸地区の人達を中心に、嵐の中決死の救出作業を行ったが、救出できたのは僅かに69人、約500人の船員が船と共に海底に沈んでしまった。
誠に悲惨な事件であったが、日本政府は生存者69名を直ちに軍艦比叡及び金剛の二艘に乗せて、事件から1ヶ月後の10月神戸を出航し、翌年の始めにはトルコに送り届けた。500人もが日本の串本沖で水没したにも関わらず、これは台風の接近を知りながら出航してしまった船長のミスで、69名の生存者を直ちに軍艦で送り返して来たことに、トルコでは深く感謝し日本に大きな好意を持った。丁度その頃トルコはロシア国境での小競り合いを度々起こし、その都度ロシアに痛めつけられていたのであるが、日露戦争が没発し、日本がロシアに勝ったということで、大変日本を尊敬するようになり、日露戦争の直後、日本の英雄東郷の名をそっくりもらい、トウゴウという名の男の子がトルコには大勢いるらしい。
日本とトルコの関係はその後が大事である。イランイラク戦争開始から5年後の1985年3月、サダムフセインがイラン領空を通過する航空機は、民間機であっても撃墜すると言い出した。イラン在留の外国人は即刻航空機で国外退去を開始したが、日本人は日本航空機のイラン乗り入れがなかったため、外国航空会社の便で脱出しようとしたが、全ての航空会社は自国民を優先し、日本人のイラン脱出が非常に困難になってしまった。そこで日本政府は日本航空の飛行機を飛ばせば良かったのであるが、その頃の腰抜け中曽根首相は、自国機を危険にさらして何か言われるのが怖くて何もしないでいた。
そこで伊藤忠商事のイスタンブール事務所長が、トルコの首相と個人的に親しかったこともあって、直談判をしたところ、トルコ航空機を日本人のために一機イランに飛ばし、当時イランに在住していた215人をイスタンブールまで運んでくれたのである。他方イランにはトルコ人が500人ほどいて、その救出も勿論行っていたのであるが、自国人よりも日本人を優先して助けてくれたのである。この事実は日本人として決して忘れてはならないことであるが、日本の小中学校の教科書に載っている話も聞いたことはないし、日本人はその救出直後には新聞で知ったかも知れないけれども、現在の私は記憶に全く残っていない。その時日本人がトルコ人に感謝を表明したら、彼等は「古い盟友だろ」と言ってニコッと笑ったとのことである。現在でもトウゴウという名前の男が沢山にて、日本政府が何もしないで手を拱いている中、自国より優先して日本人を助け出してくれたトルコこそ、真の日本の友である。
トルコのEUへの参加を手助けするとか、何とか日本も彼等に対して恩返しをする手だてはないものであろうか。私自身もヨーロッパには何十回と行っても、トルコに行ったことはなかったのであるが、旅行者としても大変面白い国であるらしいので、次回ヨーロッパ旅行の折には是非寄ってみたいと考えている。日本の真の友と言える国は、トルコを除いて台湾とインドしかない。支那などは初めから敵だと思ってかからないと、後で酷い目に遭うことになるであろう。
以上の事実は昨年テレビ番組で知ったのであるが、エルトゥールル号回顧展を武蔵境にある中近東文化センター附属博物館で開催していたので、昨年11月から行こうと思っていたのであるが、今年の2月17日までやっているので、そのうちと思っているうちに、最終日になってしまい、慌てて観に行ってきた。エルトゥールル号の写真などを詳しく展示してあり、尚かつトルコの素晴らしいタイルなどの陶磁器も沢山展示されていて、トルコという国の素晴らしさについて、目を見開かされた半日を過ごすことが出来た。
中近東文化センターにはメソポタミア時代からの古い陶器やガラス器などの美しい発掘物が多数展示されており、私は始めて訪問したが、なかなか素晴らしい博物館である。
また、中近東文化センターの位置は、私にとっての蝶の古戦場である。戦争中の昭和17.18年頃この辺りに広大な屋敷を持った両親の知人がいて、その家の庭に栗拾いに行ったり、また7月頃訪問したときには近くの雑木林で、生まれて初めてウラナミアカシジミとクロシジミ♀(その当時はゴマシジミだと思っていた)を採集した聖地でもある。
楽しい思いで半日を過ごすことが出来た。
藤岡知夫(ふじおか ともお);
昭和35年慶應義塾大学工学部電気工学科卒
昭和40年同大学院工学科博士課程終了 工博
昭和54年同大学教授に就任
平成2年東海大学開発技術研究所教授に就任
平成6年東海大学理学部物理学科教授に就任
平成12年財団法人応用光学研究所理事長に就任
専攻 レーザー工学 レーザー物理学
著書に
「レ-ザ-がひらく21世紀」(三田出版会、1990年)
「光・量子エレクトロニクス」(オ-ム社、1991年)
「オプティカルパワ-」(裳華房、1994年)
趣味の蝶関係では「日本産蝶類大図鑑」(講談社、1976年)
「蝶の紋」(河出書房新社、1973年)
「日本産蝶類及び世界近縁種大図鑑」(出版芸術社、1997年)など13冊。
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