柏崎市立第一中学校歌
『仰げば尊し』2番の誤解
1時、お店をでて、駐車場に泊めた愛車内で仮眠。
7時過ぎ、柏崎に戻り、大粒納豆、しらす干し、さつま揚げでご飯2杯の朝食をとる。
風呂に入ったのち、柏崎市立第一中学校にに向かう。
9時30分から「第61回卒業証書授与式」。母校であり、知った顔の生徒も卒業するので、感動もひとしおである。85名が巣立つ。
『仰げば尊し』を歌い、校歌を歌う。
ちなみに、簡素化のためとは思うが、今回『仰げば尊し』の2番を歌わず、1番、3番であった。この2番は、恩とその恩返しに関する内容の歌詞で、
2.互(たがい)に睦し 日ごろの恩
別るる後(のち)にも やよ 忘るな
身を立て 名をあげ やよ 励めよ
今こそ 別れめ
となっており、この「身を立て名をあげ」が<立身出世>であり、時代錯誤であると間違って教え、削除されている場合が多い。日教組などはお約束の<戦争を美化する>とまで主張していた。しかし、これは中国古典『孝経』(「開宗明義章」第一)にある<立身行道挙名後世>が元であり、本来の意味は、
人間として立派に成長し、正しい道を践み行い、その名を後の世までも語り継がれるように高く揚げ、その素晴らしい人物は誰の子であるよと、父母の名を世間に広く光り輝かせる。
つまり「究極の親孝行」を指しているのである。『仰げば尊し』が唱歌となったのは、明治17年(1884年)。それを会社勤めが増えた現代の価値観で判断するから、「人を蹴落としても出世することだ」などと曲解されるのである。
個人的には、学生時代に歌った思い出もあるが、故・伊丹十三監督の映画『タンポポ』で、グルメなホームレスの『仰げば尊し』合唱が印象に強い。
柏崎市立第一中学校校歌の作曲者は、クラシック音楽の名作曲家・團伊玖磨氏。今上陛下と美智子皇后の御成婚の際のパレード行進曲『祝典行進曲』は名曲の誉れ高い。
作詞は中村葉月氏。明治24年の生まれで、『越後タイムス』編集者、その後主幹。戦後は『柏崎日報』主幹も兼ね、昭和30年12月に横浜へ移るまでの40年間、芯のあるジャーナリストとして、柏崎に新しい風を吹き込んだ方である。今の柏崎の偏ったジャーナリズムには辟易するであろう。
校閲は歌人、吉野秀雄氏である。
『柏崎市立第一中学校歌』
作詞:中村葉月 校閲:吉野秀雄 作曲:團伊玖磨
1.真砂路きよき丘超えて 磯より伝ふ波の音
自然の神秘ささやけば 知識の海の果てなさに
おどろく心 目ざめたり
2.ふるさとの街見守りて 大空に立つ米山の
いただきをゆく雲見よや 理想の極は遠けれど
あこがれ常に 高鳴りぬ
3.師のみちびきをすこやかに ひたすら学ぶ揺籃の
母校の日々ぞたのしけれ この若き日の感激を
生かさん永く わが胸に
卒業式終了後、自宅に戻り、祖母の分と一緒に冷蔵庫の残りもので「おじや」を作る。
食後、市役所に行き、13時から本会議。昨日に続き、一般質問が続く。
新人の共産党議員が、質問の冒頭で午前中の卒業式に出席した旨を触れた瞬間、自民党の先輩議員から、
「オイ!ちゃんと国歌歌ったかっ!
国旗もあったろい!」
との野次。議場が盛り上がる。最近の共産党議員は起立まではするそうであるが、昔は来賓として式典に出席していながら、着席したままだったという。式典の進行・内容に異議があるのであれば、出席しなければ良いのであって、自分の政治的な主義・主張をしたために、卒業生をはじめとする子供にイヤな思いをさせるのは愚の骨頂であろう。
16時から18時まで、市内で会社関係の雑用。途中、コンビニの納豆巻き2本、レタスサンドイッチで夕食をとる。
19時30分から市内某所での女性の集まりにて、現状の柏崎市政に関するお話をさせてもらう。かなり盛り上がり、酒も飲まず、お茶とコーヒーで24時近くまで。
昨日の一般質問が効いたのか、柏崎市のホームページ内の個人情報保護に関する説明が、いきなり3月5日付けで更新され、上位で表示されるようになった
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