2023年12月
          1 2
3 4 5 6 7 8 9
10 11 12 13 14 15 16
17 18 19 20 21 22 23
24 25 26 27 28 29 30
31            
無料ブログはココログ

« 2008年3月 | トップページ | 2008年5月 »

2008年4月

2008年4月30日 (水)

なぜ中国の事に・・・
柏崎市と中華人民共和国

 3時、起床。直近の締め切りがある仕事から優先的に行おうとするものの、大量のイタズラのメールが気になり、時間のロスがでる。

 7時、大粒納豆、生卵、ししゃも、筍の煮物でご飯2杯の朝食をとる。食後、1時間ほど、月刊誌を読みながらの長風呂。

 9時過ぎ、市内の某町内会長宅に伺い、相談を受ける。

 11時、長岡市に移動。駅前の某店で、日替わり定食(メンチカツ、まぐろの刺身、ポテトサラダ、卵焼き)を食べながらの打ち合わせ。何とか人脈をたどって、柏崎に毎年定例の団体旅行などを誘致すべく、交渉する。

 長岡市内の某ホテルロビーでパソコンでの仕事をさせてもらい、そのまま待ち合わせ。

 15時過ぎ、柏崎に戻り、議会事務局に出張報告書などを提出。

 18時過ぎから市内某所で政治関係の打ち合わせ。意外にも話がすんなり進み20時前には自宅に戻る。

Img_2992  21時、スーパーで半額になっていたホッキ貝の刺身、独活のごま和え、東京の新橋名物である納豆焼きを作り、ビール500ml3本とともに夕食。最後は、大根おろしをかけたご飯でシメる。
 23時近く、10年ぶりの友人からの電話があり、長話。互いに昼間仕事をしながら、夜間の日大の哲学専攻で一緒だったこともあり、夜食を一緒に食べる仲であった。作家になりたいとのことであったが、現在は自営業。しかし、まだ作家の夢はあきらめないという。

 先日の長野市でのことを知った何人かの方から、

 「柏崎市議会議員として関係ないではないか」

といった主旨のご指摘を頂戴した。
 まずもって、チベット弾圧への抗議は個人的な思いからも発露しており、また柏崎市議会議員としても中華人民共和国のことは無視できないからである。
 それは何故か。

Chinaf

 日本と中華人民共和国の国交が生まれたのは、私が生まれた1972年の9月29日。
 北京にて「日本国政府と中華人民共和国政府の共同声明」の調印式が行われた。
 時の周恩来、そして田中角栄の両首相が署名し、国交を結ぶこととなったわけであるが、同時にこれまで国交があった中華民国とは断交した

 自分が生まれた年だから関係ある、というくだらない理由ではなく

 田中角栄元首相が柏崎出身

でもあり、現在の柏崎市が10万人にも満たない地方都市ながら、

 中華人民共和国の3都市と交流

をするほどの付き合いをしているからこそ、私は抗議に行ったのである。
 しかも、本来割り勘である費用についても、これまでは中国人が来日する旅費もこちら側で負担するという徹底ぶり。
 我が柏崎市の友好姉妹都市などは、以下のようになっている。

【国内】
 姉妹都市:東京都東村山市 1996年~
        
→ スポーツ交流から
           B29搭乗員物語もあり
 夫婦都市:新潟県佐渡市 1968年~
        → お光吾作の物語より

【国外】中華人民共和国のみ
 交流都市:湖北省宜昌市 1998年~
 友好都市:四川省峨眉山市 2005年~
      江蘇省淮安市楚州区 1995年~
       
→ 周恩来元首相の出身地

 「友好、友好」と耳ざわりの良いことを言うばかりが本当の友好ではない。
 いくら友好関係のある国でも、こと人権に関わることなどは、恐れずに抗議すべきであると私は思うのである。
 ちなみに、中国とは親密に付き合うのに対し、トルコ共和国とは友好都市にもなっておらず、トルコ建国の父ケマル・アタチュルクの銅像への酷い仕打ちも容認してしまうのは差別ではないか。
 いずれにせよ、これだけ中国との付き合いをしているからこそ、抗議に行くのであって、友好関係があるからやめる、という論理にはなれないのである。

Ka ちなみに平成20年5月25日から28日まで台湾に行き、李登輝・元総統との会談や経済界の蔡混燦先生ご夫妻、台北市議会訪問、外交部日本事務会主催での立法院委員、台北県議会議員、台北市議会議員との意見交換会を行うことになっている(柏崎米の売り込みや原子力の観点からの柏崎への誘客など)。
 今後、共産党の一党独裁の中華人民共和国には入国できない可能性もでてくる・・・・かも。

2008年4月29日 (火)

案の定、中国人留学生は動員
どこの国の新聞か『新潟日報』

 8時、自宅に戻り、大粒納豆、生卵でご飯2杯の朝食をとる。

 食後にここ数日の新聞各紙をスクラップするが、どうも気になったのは『新潟日報』。長野市の混乱を伝えているが、こんな記事を掲載している。


平成20年4月27日『新潟日報』

 国旗片手にエール送る
 新大中国人留学生

 新潟市西区の新潟大の・中国人留学生ら53人が26日、北京五輪聖火リレーが行われた長野市を訪れ、コースの沿道で中国や日本の国旗を手に「中国頑張れ、北京頑張れ」などと声援を送った。現地であった小競り合いに巻き込まれるといったトラブルはなかっ
た。
 一行は同日未明、大型バスで新潟市を出発し、午前5時すぎにJR長野駅前に到着。コースの沿道の三カ所で応援した。
 留学生の男性(26)は「割と人が少ない場所で見学することができ、走者の姿がはっきり見えた」と興奮気味。同じく留学生の女性(35)は「自国で盛大に開催される大会の聖火リレーを見ることができて感動した。多少の混乱はあったが、無事終わって艮かった」とほっとしていた。
 長野市でも起きたコースへの乱入騒ぎや、チベット問題で聖火リレーが注目を集めていることについて「オリンピック精神に反することで悲しい」などの声も漏れた。


 なぜ一方的な内容で伝えるのか不明である。政治とオリンピックということでいえば、これまで政治的理由(台湾)でボイコットしてきたのは中国であり、自分のところでオリンピックの開催となると、逆のことを言っている。こういった矛盾や本当におかしいことを指摘するのが本来のジャーナリズムではないのであろうか。
 また、新潟大学が国立大学であることを考えたうえで、次の朝日新聞の記事を読めば何がおかしいかは分かる。


平成20年4月29日『朝日新聞』

 「聖火応援隊」やっぱり動員
 中国当局が旅費負担

 【北京=峯村健司】北京五輪の聖火リレーへの妨害を防ぐため、各地の中国大使館側が旅費を負担するなどして、現地の中国人留学生らを大量動員していたことが関係者の話でわかった。「人間の壁」による妨害対策を指示するなど、対処マニュアルも作成。各地で赤い中国国旗を振っていた「聖火応援隊」は、やはり当局主導だった。
 長野市を走った26日の聖火リレーでは、約5千人の中国人留学生らが日本各地から集まった。東京から参加した複数の留学生によると、前日から夜行バスで向かい、1人2千円の交通費を負担したが、残りの費用は、すべて大使館側が負担してくれたという。
 配られたマニュアルでは、(1)聖火が引き継がれる地点にそれぞれ20人ずつ集まって「人間の壁」をつくり妨害者の進入を防ぐ(2)自分たち以外の大人数の団体を見つけたら責任者に報告する(3)不審な物を発見したらすぐに新聞紙や服で包んで排除する、などと書かれている。
 さらに「体を張って妨害を食い止めてもいいが暴力を振るってはいけない」「大声を出してもいいが、相手を侮辱するような言葉は使わない」など、法律やルールを守るよう呼びかけ、現場でも注意されたという。中国のイメージが損なわれないよう配慮していることがうかがえる。
 関係者によると、パリやロンドンで聖火妨害が相次いだため、各大使館が中国人留学生や華僑を動員し、聖火を防衛することを決めたという。オーストラリアのキャンベラでは1万人以上が、アルゼンチンのブエノスアイレスでも数千人の留学生らが動員された。リレーが通過しなかったカナダやニュージーランドなど15カ所でも、現地中国人による大規模な「北京五輪支持集会」が開かれている。
 24日にあった中国外務省の定例会見で、「中国大使館が費用を負担して現地の中国人を動員しているのか」という記者からの質問に対し、姜瑜副報道局長は「そのような質問をして、どんな意味があるのか」と明言を避けた。



 現地・長野市にいけば、このような事は理解は容易であり、また日本人に暴力行為を行ったものこそが中国人側であったことは、多くの映像や写真で理解できるはずである。
 そして留学生が日本で政治活動を行う(上記記事の責任者は何か)ことこそ問題であることを指摘すべきではないか。
 さらには、「妨害行為」だから「防ぐ」などとそれらしいことを書いてあるようだが、我々は別に妨害などをしていなくとも、中国人留学生側からちょっかいを出されている。
 日本の新聞記者としての正義はどこにあるのか、不思議に思う。

Img_2986 資料整理や報告書の作成などで手間取り、14時過ぎに昼食。
 コゴミのマヨネーズあえと、ニチロの冷凍ラーメン「横浜あんかけラーメン 生碼麺」にたっぷりのネギを加えた。
 食事中に電話があり、明日の人権擁護法案反対集会へのお誘いであった。残念ながら、既に日程が入っており、参加できず。

 15時、長岡市に移動し、駅前の某店で打ち合わせ。東京都内からわざわざ来てもらっての話となったので、かなり濃密な内容で行う。

Img_2987  20時過ぎ、自宅に戻り、茹でたてのホタルイカ、秋刀魚の塩焼き、納豆オムレツで夕食をとる。ホタルイカにはわさび醤油かしょうが醤油かで、いつも悩むが今回はしょうが醤油。
 食後に録りためておいたテレビ番組などを見ながら、保存ものと削除ものを整理。かなりの膨大な番組量となるが、倍速で見る事に慣れたので、なんとかこなせる量である。

 目も疲れたので、早めの23時に就寝。

2008年4月28日 (月)

チャンネル桜「防人の道今日の自衛隊」出演
第3師団、第37普通科連隊訪問報告

 会社関係の仕事もあり、4時に就寝。

 7時、起床。大粒納豆、十日町市議会の庭野茂美議員から頂戴した山菜などを中心にご飯2杯の朝食をとる。

 8時から10時まで某町内会長のご自宅にて相談業務。

Img_2984 11時過ぎに都内に移動。途中、ス-パーで購入した半額になっていた「やきそばロール」を2個、低脂肪乳で昼食をとる。
 移動中、色々な電話がかかってきたが、あまりにも酷い長野県警の対応に、現場にいた地方議員から訴えを起こすべきという声もあがってきた。とにかく長野県議会の良識派に動いてもらうのが先決である。

Img_2989  15時から都内某所にて、柏崎への研修旅行を毎年のカリキュラムに入れてもらえないか、研修業務管理を担当する職員の方と打ち合わせ。今年度実施には間に合わなかったが、原子力発電所の見学も兼ねて来年度以降の検討材料にしてくれることで話がついた。

Img_2985 18時、チャンネル桜に移動。今日放送の「防人の道 今日の自衛隊」に出演である。
 番組収録の前に、先日の長野市での活動を取り仕切ったUさんとの打ち合わせ。長野県警のことはもとより、明らかに違法行為を繰り返していた中国人の実態を調査し、法務省の某組織との調査を行うことになった。写真や動画などを集め5月1日に告訴を視野に入れた担当官への報告を行うことに決定。

 19時から番組収録。先日の長野市での活動に加え、本題は第3師団への訪問、そして第37普通科連隊への訪問と交流秘話の報告であった。

Giren しかし、感動と感謝の自衛隊との話の前に、申し訳ないことに中国人の暴挙を報告しているうちに、また腹が立ってきて「テレビ放送されるので言わないようにしよう」と思っていたものの、つい『機動戦士ガンダム』のジオン公国総帥ギレン・ザビの言葉を引用するかたちで

 「敢えて言おうカスであると!

と言ってしまった。
Img_2988 長野での報告時間も長くなってしまい、番組を楽しみにしていてくれた自衛隊関係者に申し訳ない限りであった。
 関連書籍として、『大阪歩兵第三十七聯隊史』の他、満州での渡満してきた新潟県人との恋、厳しいながらも楽しみもあったという訓練や満州人との交流を青春日記として書いた、

 丹野行雄著
 『満州に戦う~大阪37聯隊曹長の青春記』新人物往来社

*同氏の前作は、
 『鬼軍曹と機関銃~初年兵教育の涙と笑い』新人物往来社

などを紹介した。

 20時過ぎ、番組収録終了後、そのまま帰路につく。途中、長岡市で某氏のご自宅で友人や奥様を入れての飲み会。

 「fukuda.zip」という、バックドア型のウイルス(パソコンの中身のファイルを覗き見可能になる)が埋め込まれた以下のメールが、大量に同じものが私のメールアドレスに届いた。
 送り元のメーラー(電子メールソフト)は、中国人工作員お得意の「FoxMail 3.11 Release [cn]」。


福田康夫高崎事務所 <into@y-fukuda.or.jp>
Reply-To:
into@y-fukuda.or.jp
To:       "webmaster" <webmaster@nattou.com>
Date:     Mon, 28 Apr 2008 11:23:18 +0900
Subject:  Re: 内閣支持率41・1%に急落
Received: from 2E275A22C1E14FA[192.168.1.121] by y-fukuda.or.jp
  with SMTP id 535A820B; Mon, 28 Apr 2008 11:23:16 +1000
Content-Type: multipart/mixed;
boundary="=_NextPart_2rfkindysadvnqw3nerasdf";
charset="iso-2022-jp"
MIME-Version: 1.0
Content-Transfer-Encoding: 8bit
X-Mailer: FoxMail 3.11 Release [cn]
X-Attach: 受信添付\080428_02\fukuda.zip
X-Body-Content-Type: text/plain; charset=iso-2022-jp (maybe)

   内閣支持率41・1%に急落
添付ファイルご覧ください。」
と記述
 
----------------------------
福田康夫高崎事務所
Email:into@y-fukuda.or.jp


 他にも私のブログの内容を読んだうえで、メールの題名を「陸上自衛隊・情報部情報課総合情報班計画係」などど装って送りつけられた、さらに手の込んだメールもあった。添付ファイルとして、 同じくバックドア型ウイルス「Backdoor.Darkmoon」が仕込まれた「080428update.exe」が添付されていたのである。一通ぐらいをイタズラで送るならまだしも、何十通もウイルス付きに一気にメールを送るとは、本当にやることが異常である。
 繰り返す。

 「敢えて言おうカスであると!

2008年4月27日 (日)

北朝鮮への追加制裁を求める国民大集会
ソウル聖火リレー中国人集団米国人を殴打

 1時、帰宅。風呂に入ったところ、湯船でそのまま寝てしまい、気付いたら4時。その後に就寝。

 目が覚めたら9時近くで、あわてて駅まで移動する。途中、コンビニで買った納豆巻き2本、魚肉ソーセージ、低脂肪乳をブランチとして、新幹線車中で食べる。

 14時過ぎ、新橋駅に到着。歩いて移動し、遅刻してしまったが、日比谷公会堂で開催の「北朝鮮への追加制裁を求める国民大集会」に参加した。
 司会は櫻井よしこ女史、主に家族会会員、救う会役員、拉致議連役員、拉致担当大臣でもある町村官房長官をはじめ政府関係者、海外拉致被害者家族等が登壇。会場にはあふんばかりの人で、早速デジカメで撮影しようと思いきや、あわてて出てきたので自宅に忘れてきてしまった。人間あせるとロクなことがない。
 家族会代表である飯塚繁雄氏が、

 「家族会を結成して11年、
 一部の家族は帰国したがまったく進展がありません。
 また『今年こそは』という言葉を使わざるを得ない」

というご挨拶があり、胸にズキンときた。今回、私はあくまで柏崎市議会議員という立場にこだわって参加させてもらったが、それは何も偉ぶるわけではない。飯塚繁雄氏の言葉にもあるように、次のような批判を多くの地方議員から聞くからである。

 「柏崎市は拉致問題への取り組みが無くなった。
  自分のところの家族が帰ってきたら、
  
後は知らんぷりか?

 確かに拉致問題に対する柏崎市としての取り組みは後退した感がある。
 本来であれば、自分のところの問題が解決されたからこそ、より積極的に拉致問題全体の解決に協力すべきであろう。たかが議員一人と言われるかも知れないが、今後も積極的に関わっていきたい。
 北朝鮮との関係について、町村官房長官は、

 「拉致問題の解決なしに、北朝鮮との国交正常化はない」

と発言されていたが、先に報道された内容によれば、


平成20年4月22日『毎日新聞』

日韓首脳会談:
日本もボーナスあると北朝鮮に伝言を…首相

 韓国の李明博(イミョンバク)大統領の同行筋は21日、日韓首脳会談で李大統領がソウルと平壌に常設連絡事務所を相互設置する案を説明したのに対し、福田康夫首相が「北朝鮮を説得する時、『日本からもボーナスがある』と伝えてほしい」と依頼したことを明らかにした。
 「ボーナス」の中身について具体的な説明はなかったが、日韓連携の一環で、日本も核や拉致問題の進展を促すための新たな措置を打ち出す用意があることを示唆した可能性がありそうだ。
 これについて外務省は「福田首相は『日朝国交正常化した暁には北朝鮮に経済支援を行う用意がある』と発言した。南北の事務所設置には賛意を示しただけだ」と説明している。【堀山明子、須藤孝】


という怪しい動きもあり、安心はしていられない。
 最後は以下のような決議を採択し、終了した。


大会決議

 拉致被害者救出運動を始めて11年がたった。いまだにほとんどの被害者を救出できていない。その口惜しさと怒りをかみしめながら、今年もまた、私たちは国民大集会を開いた。
 この1年、金正日政権は、拉致問題で全く誠意ある対応を行わなかった。それに対して私たちは、地方大集会、講演会、写真展、映画会、デモ、署名、街頭活動などを各地で行うとともに、大規模訪米団派遣や国際会議などで国際連係を強め、すべての拉致被害者が帰ってくるまで制裁を緩めてはならないと、訴えてきた。
 現在、金正日政権は独裁統治を続けるための外貨、食糧が不足し、苦境は深刻である。他方、北朝鮮は、昨秋以降、わが国与野党議員やジャーナリストらに、北朝鮮への経済解除を求めるよう働きかけている。それは、制裁が効果を上げているからである。
 現在、米朝が核問題で合意するかどうかが国際的な注目を集めている。まさに戦いは正念場を迎えている。すべての被害者を取り戻すために、国民の力を結集し、制裁と国際連携で北朝鮮を追い込むという原則を崩してはならない。
 私たちは今、次の3点を強く要求する。

1.金正日政権は、すべての拉致被害者を返せ
2.日本政府は、すべての被害者が返ってくるまで、制裁継続と追加制裁発動で圧力をかけ続けよ
3.米国政府は北朝鮮テロ支援国指定解除を行わず、金融制裁を強化せよ
  韓国政府は拉致問題解決を北朝鮮支援の条件とせよ

平成20年4月27日
「北朝鮮への追加制裁を求める国民大集会」参加者一同


 18時過ぎ、東京駅構内の「あじさい茶屋」にて、「コロッケそば 330円」に「生玉子 50円」で追加し、夕食にする。食後、そのまま新幹線で帰路につく。

Img_2983 22時、自宅に到着。手作り餃子があったので水溶き片栗粉を多めに入れて、羽付き焼き餃子にし、ビール500ml2缶を飲む。
 食事中、今日投票日であった上越市の市議会議員の結果について、当選の報が入った。選挙区制での選挙であったため、複数の方から応援を頼まれ、とにかく該当する選挙区の知人には電話をかけたり、メールでのお願いをした。応援した大島洋一候補、渡辺隆候補、小林克美候補と全員が当選したので、安心した次第である。

 昨日の長野市での騒動に引き続き、今度は韓国のソウル市での聖火リレーでも法を無視した行為が繰り広げられたという。
 自らも体験したが、中国人が集団になったときの無法行為は、「愛国無罪」という集合心性によるもので、本当に始末に負えないものである。


平成20年4月27日『時事通信』

 小競り合いで3人負傷
 =妨害の脱北者ら逮捕-ソウル聖火リレー

 【ソウル27日時事】北京五輪の聖火リレーが27日午後、韓国のソウルで行われ、約80人がオリンピック公園からソウル市庁までの22キロのコースを走った。走者への妨害行為が発生したほか、中国人留学生らの集団と、北朝鮮からの脱出者らで構成される市民団体などリレーに反対するメンバーらが小競り合いとなり、メンバーや警官ら3人が負傷した。
 警察当局は中国人留学生1人とガソリンをまいてリレーを妨害しようとするなどした脱北者3人を逮捕した。
 脱北者支援団体は、中国当局が脱北者を拘束し、北朝鮮に強制送還している実態を「人権弾圧」と非難。同公園周辺で中国に対する抗議デモを展開した。これに憤慨した中国人留学生が石やペットボトルを投げ、騒然とした雰囲気となった。
 終着地点のソウル市庁周辺でも「チベットに自由を」と書かれたTシャツを着ていた米国人4人が中国人の集団に殴打された
 警察当局は約9300人を動員し、厳戒態勢で警備に当たったが、対応が後手に回った。リレーでは、中国で活躍する韓国人女優チャン・ナラさんら「韓流スター」も走者を務めた。
 聖火はソウルから北朝鮮の平壌に空路で搬送。28日には同国で初めて聖火リレーが行われる。

2008年4月26日 (土)

聖火リレー:真っ赤に染まった長野市
警察官への暴行など何でもあり

 3時過ぎから1時間ほど仮眠したのち、愛車で上越市を経由して長野市に向かう。途中、直江津駅でチャンネル桜の視聴者でもある方をピックアップ。

Img_2940 6時過ぎ、ものものしい厳戒態勢の長野市内に到着。せっかくなので、一回りするルートで善光寺に向かった。
 すでに沿道は若い世代の中国人、日本に留学している学生を中心に、どう見ても普段は夜のお店で働いているらしき中国人女性によって埋め尽くされていた。ここまでくると、ここがどこの国か不明である。
Img_2937 中国人留学生の組織的動員があったかないか、ということを真面目な顔をして議論している「朝がつくテレビ局」のコメンテーターがいたが、現地に来てみれば一発で答えはでる。ところどころ車で留学生を降ろしたり、人数調整のようなことをしているのが散見されたからである。(例:写真内のワゴン車)

Img_2943 おいおい、と思いつつ、東京から来たメンバーが仮眠をしている宿坊「玉照院」に行き、合流する。差し入れのパンで朝食をとり、これからの活動について打ち合わせ。
 中国人と同じように聖火リレーに対し、ゴタゴタと乱闘騒ぎを起こしては相手と同じ低レベルの土俵となるため、ジャーナリストの水間政憲さんの発案で、真の聖火行進を行うことにした。
Img_2945 虐殺された多くのチベット人の冥福を願う意味をこめ水間さんは喪服、片手に「HUMAN RIGHTS」と書いたトーチをもって歩き、私自身は、チベット旗の旗手となり、両サイドに日の丸をもった旗手2名がつくことになった。メンバーは地方議員を含め、全国から集まった有志の皆さんである。
 あくまで同じ土俵にはせず、暴力は使わず、淡々と行う。
 このことにより、長野市内には2つの聖火が存在することになった。

 1.人権蹂躙、北京オリンピック聖火リレー
 2.チベット人の冥福を祈る人権聖火行進

Img_2948_2 8時30分、善光寺から長野駅に向かって、本当の人権聖火行進を開始。
 途中、かなり多くのチベット旗をもち、チベット人の人権蹂躙をやめよという団体と出会ったが、あっという間に中国人グループがきて、取り囲まれ、小競り合いとなった。
 彼ら中国人グループの手口はこうである。

1.チベット旗、日章旗をもった団体を
            大きな中国国旗で囲む
*統一された大きな旗をもっている事自体、
 統制された行動であることの証明。

2.テレビ中継から
       中国国旗のみが見えるようにする
3.大きな中国国旗で隠した後ろ、
     見えないところで、暴力行為を開始

0804426_watanabe  テレビ中継などで中国国旗で真っ赤に染まった長野市内しか映っていなかった、という情報が入ったが、それはまさに相手の戦法が成功したからであり、その大きな中国国旗の後ろでは日本人や在日チベット人がちょっかいを出されていた。わざわざ近寄ってきて、ちょっかいを出すのである(上記、写真は日野市議会の渡辺眞議員より)
 東京から来たNさんは、日章旗を奪われて破られたうえ、蹴り倒された。
Img_2950 さらに問題なのは、青いPOLICEキャップを被った若い警察官に対し、中国人留学生が複数で暴行を加えていたことである。一人がまず小突き、そっちを向いたところで一気に襲い、旗竿の柄の部分をたたきつけていた。全盛期のタイガー・ジェット・シンでも、あそこまではやらないであろう。こういったシーンが何カ所かで見受けられ、関東一円からの応援もあったであろうが、部分的にも一人になってしまう警備体制は可哀想であった。
Img_2966 また、日本人から長野県警「ちゃんと警備をしろ!」「お前、どっちの味方だ!」との怒号も多かったが、これは言葉の問題であった。日本語で通じる日本人にまず注意をする。日本人が素直に言うことを聞いている間に、好き勝手やられてしまうのである。
 若い中国人は、我々のところにもちょっかいをだしてきており、一緒に行動した方のなかには、頭部から出血したり、顔を殴られ、腫れ上がった方もいる。
Img_2967 繰り返すようであるが、我々からは何もしておらず、わざわざ向こうから来て、ちょっかいを出してくるのである。
 当然、チベット旗をもっていた私のところにも、何人もの若い中国人が殴りかかってきた。軽くいなして、睨みつけると、唾を吐きかけて逃げていく者もおり、しばらくするとまた後方から同じ人間が来るという繰り返し。
 20代の頃の熱い血も騒ぎ、最後には応戦する態度を見せると、ペコペコと頭を下げて、逃走していった。最低である。

 今回の体験で明確に分かったことがある。
 これまでも反対の意志を示してきたが、外国人参政権を与えたら、日本がトンデモないことになる。
 人口の少ない自治体によっては、今回のことのように組織的な住民票の移動がされた場合、議会はおろか、首長にまで影響がでてくる。恐ろしいことだ。

 10時過ぎに善光寺まで戻り、終了。宿坊「玉照院」にて、ご挨拶をしたのち、帰路につく。
 せっかくだからと思い、車をときどき停めては小さな商店などでお土産を買いつつ、この聖火リレーに対する感想を聞いた。ほとんどのお店の方からは、 「迷惑」との意見であった。

Img_2955 高速道路のインターチェンジに向かって移動し、信号待ちをしていたところ、激しく車を叩いたり、フロントガラスに液体がかけられた(多分、唾であろう、最初は鳥のフンかと思った)。私がチベット旗のTシャツを来ていたからか、若い中国人男女4人がちょっかいを出してきたのである。助手席の窓をあけて、怒りの声をあげると中国国旗を持ったまま逃走。周りの中国人からは拍手と歓声があがった。
Giren  とにかく証拠を残そうと、急いで車内からデジカメで写真を撮ったが、これら行為は最低を通り越している。人の国に来て、遊び感覚で危害を加えているのであろう。『機動戦士ガンダム』のジオン公国総帥ギレン・ザビの言葉に加えて言えばこうなる。

「敢えて言おうカス、いやクズである

Img_2970 我々の血税を使った巨額のODAの結果、日本に照準を合わせて核弾頭ミサイル「東風21」が実戦配備され、そして同じく我々の血税を使って中国人を日本に留学させ、日本国内で中国人留学生が日本人に暴力をふるうのである。
 福田首相にも変装して現地に入ってもらえば理解してもらえたのであろうが、日本人全体も日本国政府もよく考える時期であろう。

Img_2973_2 12時近く、帰り道の途中である「道の駅あらい」に寄り、「麺屋 吉祥」(新潟県妙高市大字猪野山55-15 電話:0255-72-6776)にて、「味玉らー麺 白 750円」を注文。いわゆるWスープ系で、さっぱりとした醤油味。柚子も入っており、後口も良かった。麺はモチモチ系の加水率高めで好みのタイプ。次回はつけめんを試してみたい。

 柏崎に入ってから、気になっていた再オープンの「こどもの時代館」に寄る。好評のようで安心であった。これをテコに柏崎コレクションビレッジ全体への観光客が増えることを願うのみ。

Img_2976 14時、中央地区コミニティセンターに移動し、町内会長会・コミニティ振興協議会「平成20年度定期総会」に出席。俗に言われる中央地区は39町内会があり、大所帯である。
 来賓挨拶があり、
 ・中越沖地震が全国で忘れられつつあること
 ・町内会やコミセン活動への注目

などをお話させてもらった。
Img_2977 議事がすべて終了した16時から懇親会。
 冒頭の乾杯もすることになったので、中央地区より規模の小さい某地区は、コミニティーセンターが6つもあり、1センターへの補助金が同額という補助金と住民数の不公平さを述べたのち、乾杯の発声をする。
 「割烹おくい」(電話:0257-24-6486)の料理に加え、同級生のお母さんであるIさん手作りの山菜もあり、ガバガバと食べてしまった。

Img_2978 18時近く、遅参したが「株式会社柏崎エコクリエイティブ 生ゴミリサイクル施設完成祝賀会」に出席。
 会田市長はバイオマスタウン構想を打ち出しているが、これ以前から生ゴミから有機肥料を作るリサイクル活動を民間が行っており、新潟県や国からも高く評価されてきた。
Img_2979 今回の祝賀会は、北条地内に新しいプラントができたことを祝うものであり、これからのバイオマスタウン構想には欠かせないものである。
 しかし、出席依頼をしたものの、快く思っていない会田市長以下、柏崎市役所幹部は代理もなく一切出席しなかった。新潟県としても、柏崎市が出席しなければ出席しにくい。柏崎市役所の対応は、まるで子供市政の私物化以外の何ものでもない。一方、自分たちの計画にはチャッカリ入れているのである。
 自分と政治姿勢が同じか違うかで扱いを変えるという、柏崎市政より自分の感情を優先することこそ、現柏崎市政が狂っている原因であろう。

Img_2982 21時から市内の某所にて、二次会。
 前回来たときのことを覚えてくれていたようで、近現代史の話をしてほしいとのことで、アヘン戦争から支那事変までを説明した。
 通州事件のことにも触れたが、よく考えてみると今日の長野市での出来事からみれば、同様のことが起こる可能性も高い。
 通州事件こそ、いまあらためて取り上げ、検証すべきではないかと思う。

2008年4月25日 (金)

「こどもの時代館」リニューアル作業完了
昭和のウルトラマンを平成の子に!

 2時、就寝。途中、祖母に何回も起こされ、被害妄想を解いてやるのに手間取る。

 ウトウトしながらも7時、起床。大粒納豆、生卵、紅鮭焼き、あさりの味噌汁(白味噌)でご飯2杯の朝食をとる。

080425_6  9時から10時過ぎまで、資料の作成。
 「ウルトラQ」から「ウルトラマンメビウス」までの世界観を同じにするウルトラマンシリーズの説明パネルである。写真の使用など、円谷プロと太いパイプがある「こどもの時代館」だからできることだ。
 平成のウルトラマンから入った子供でも、お父さんと一緒に昭和のウルトラマンを楽しめるよう、「ウルトラマンメビウス」も絡めて分かりやすく説明文を書いてみた。

 11時過ぎから2件、来客。

Img_2932 12時、6枚切りの食パンがもうカピカピになっていたので、トーストし、粗挽きマスタードとバターを塗り、トンカツソースをたっぷりかけたマグロの血合いのフライをはさんで「マグロカツサンド」にし、昼食にする。マグロの血合いのフライはカレーにも合うので、今度はカレーも入れた「マグロカレーカツサンド」を作ってみようと思う。

 14時から17時過ぎまで、市内何カ所かで打ち合わせ。

Img_2936 打ち合わせ終了後、「こどもの時代館」に移動し。すぐさま作業に入る。
 ウルトラマンゾフィーからウルトラマン80、ウルトラマンメビウスなど同じ世界観のウルトラマンのソフトビニール人形を並べて、説明文をつけたり、細かい作業などを行う。

Img_2935

 20時過ぎ、差し入れでトンカツ弁当大盛りと懐かしのオリエンタルカレーの「マースカレー」を頂戴したので、カツカレーにして夕食。
 食後、発禁や放送自粛となった番組について雑談する。
 ウルトラマンシリーズの中で名作の誉れ高い「ウルトラセブン」にも現在、放送されなかったり、DVDに収録されない作品があり、第12話「遊星より愛をこめて」がそれにあたる。
 実際の内容では、差別的な表現はないものの、登場する敵が「被爆星人 スペル星人」という名称であることを発端として、被爆者団体協議会からの抗議などにより、封印された。

 22時過ぎ、一通りの作業が終了し、あとは掃除と明日の再オープンを待つばかりとなったので、他のメンバーに申し訳ないながらも引き上げさせてもらった。

 23時、帰宅。ブログやメールを書きまくる。

2008年4月24日 (木)

中国人自作自演、障碍者からトーチ奪う

 3時、帰宅。シャワーを浴びたのち、就寝する。

 7時、起床。大粒納豆、タラコ、しらす、大根おろしでご飯2杯の朝食をとる。

 8時過ぎから事務所に2件の来客、相談。

 11時、 「こどもの時代館」リニューアルのための必要な道具や展示ものを借りれるか、市内の数カ所の企業さんに聞いてまわる。

Img_2921  12時過ぎ、「らーめんヒグマ 柏崎店」(電話:0257-32-7222)にて、某氏と懇談をしながら、「白味噌チャーシュー麺 850円」。某氏は「塩チャーシュー麺」を食べており、スープを一口ずつ交換してみたところ、「塩」が良い感じであった。「まるごと交換して!」とはいえないので、次回来たときには「塩」を注文してみたいと思う。

 14時から16時過ぎまで 「こどもの時代館」にて作業を手伝う。

 17時から市内某所にて、政治に関する打ち合わせ。

Img_2924 19時30分から、柏崎青年会議所から2008年日本青年会議所・北陸信越地区・新潟ブロック協議会に出向しているメンバーとの会議「第2回出向者会議」に出席。
 今まで他の委員会のタイムスケジュールが分からなかったが、今日聞いたところ十日町での会員大会と柏崎で開催予定の知事選挙公開討論会の日程が近いことが判明した。今後、調整するよう提案したい。

Img_2925 会議終了後、会場である「割烹 嘉月」(電話:0257-23-2290)にて、懇親会。
 昼にラーメンを食べ、その後、ほとんど水分をとらなかったので、やたらビールが入る。今後の柏崎市の行く末について、次の世代のことも考えて熱く語り合う。

Img_2928 22時、同じ柏崎青年会議所メンバーのお店に移動し、2次会。
 ドラマ『西遊記』から、堺正章氏とSMAPの香取慎吾氏のどちらが孫悟空に適任か、という話題に広がったが、世代によって差があるとはいえ、個人的には断然、堺正章氏である
 『西遊記Ⅱ』 での挿入歌『SONGOKU』も良かった。

 俺は自由に生きる孫悟空だよ気楽なもんだよ
 世の中いろいろ あるけれど俺は関係ないね
 もっと大きく心を広げてこの世は結構楽しい
 Hey call me magic monkey hey call me magic monkey
 愉快なこと 探しながら生きてる俺だよ magic monkey

 カラオケで探してなかったので、24時、自宅に戻る。

Img_2906 明後日4月26日、いよいよ北京オリンピックの聖火リレーが長野市内で行われる。
*写真は用意したTシャツ(表)
 日本にいる中国人には動員指示がでており、水を入れたペットボトルや日本の国旗を持参するよう周知されている。
Img_2907 先日、パリの聖火リレーでチベット旗の帽子を被る男性が障碍者の中国人女性ランナーの手からトーチを奪おうとする事件が起こった。
*写真は用意したTシャツ(裏)
 この行為により、チベット人への非難が一瞬起こったが、よくよく調査すれば中国人の仕業であり、チベット人もしくは支援者を陥れるための自作自演であった。
 こういった謀略戦は、その歴史が表すように中国人のお家芸である。
 長野には、多くの在日中国人が訪れ、日本の国旗を持参することから、日本人のふりをして過激な行動をする可能性もあるのでは、とつい勘ぐってしまう。
 現地にて、「体を張って」よく確認したい。

2008年4月23日 (水)

ド腐れ、柏崎市政
情報漏洩、車椅子の障碍者への虐め

 7時、ホテルをチェックアウトし、柏崎に向かう。

 駅までの途中にあったコンビニで購入した納豆巻き2本、低脂肪乳、アメリカンドッグで朝食をとりつつ、電車での移動。
 移動中も携帯に電話が嵐のように相次ぎ、電池切れ。

Cls231  11時過ぎ、自宅に戻り、携帯電話の充電とともにコールバックを行うと、そのほとんどが柏崎市政に関する怒りの声であった。

 それは、またも起こった情報漏洩


平成20年4月21日『新潟日報』

 児童8人の情報が流出、柏崎

 柏崎市教育委員会は21日、市立小学校の20代男性臨時教員の私用パソコンから、名前や成績など児童8人分の個人情報がインターネット上に流出したと発表した。
 市教委によると、流出したのは臨時教員が3月まで勤務していた同市の小学校のもの。2007年度に実施した学力試験の成績表2人分、名簿6人分、児童1人の身体測定グラフなど。
 臨時教員が業務資料作りの参考にしようと自宅のパソコンにデータを保存。パソコンがウイルス「アンティニー」に感染したため、18日夜に流出した。これまでに情報が悪用されたなどの報告はないという。匿名のファクスが20日夜、学校に届き、発覚した。
 市教委は21日、市内全小中学校に、個人所有分も含め、パソコン内に児童生徒の個人情報が保存されていないかどうかや、ウイルスチェックを行うよう指示。流出した学校の校長らも同日、児童宅を訪れ謝罪した。
 市教委学校教育課の涌井昭夫課長は「信頼を裏切ることになりおわびする。二度と起きないよう徹底する」と話した。


平成20年4月22日『毎日新聞』

個人情報:柏崎市立小で児童の情報流出
 ウィニー介しネットに /新潟

◇教諭の私用パソコン
 柏崎市教委は21日、市立小学校教諭の私用パソコンから、児童の個人情報がファイル交換ソフト「ウィニー」を通じてインターネット上に流出したと発表した。詳細については把握できておらず、追跡調査を進めている。
 
市教委の説明では、同日朝、「ウィニーを介して流れている」との匿名のファクスが小学校に届いているのを学校職員が発見。調べたところ、男性教諭のパソコンが18日夜、自宅でウイルスに感染、情報が漏れたことが判明した。このパソコンには、児童2人分の成績や、2学年分と一部卒業生などの名簿、胸に名札の付いた集合写真が保存されていた。児童の個人データを私有パソコンに保存することは「原則禁止」という。【根本太一】


 市議会議員宛にては、次のようなFAXが平成20年4月21日18時11分付けで発信されたが、まるで他人事のような書きっぷりである。


議員各位                     平成20年4月21日
                           柏崎市教育委員会
                           (担当:学校教育課)

     「報道各社へのお知らせ」の送付について

 市内の小学校に勤務する職員の個人用パソコンから児童に関する情報が流出しているとのFAXが、昨日付けで寄せられました。
 内容について調査してところ、児童に関する情報が流出していることが判明いたしました。
 つきましては、別紙のとおり報道各社あてFAXにて情報提供しましたので、お知らせします。


報道関係 各位                平成20年4月21日
                           柏崎市教育委員会

        個人情報の流出について

 柏崎市内の小学校に勤務する職員のパソコンから、児童の名簿や集合写真、成績などの個人情報が、コンピュータウイルス「Antinny(アンティニー)」を介して流出したことが判明しました。
 4月20日(日曜日)午後8時半過ぎに、匿名で市内小学校に送られたFAXを、4月21日(月曜日)午前8時前に出勤した学校職員が確認し、市教育委員会事務局に通報がありました。
 市教育委員会が関係者から事情の聞き取りを行ったところ、職員の自宅にあった私用パソコンから4月18日(金曜日)午後9時15分過ぎに流出したことが記録から明らかになりました。
 今回流出した情報の内容などの詳細については、今後も調査を進めていきます。
 市教育委員会として、こうした事案が絶対に再発することのないよう、21日に市内全小中学校に対して「市及び教職員の情報セキュリティーの再確認と厳守」を指示しました。

                         問合わせ先
                          学校教育課長
                          0257-43-9132


Cls027  先の議会の私の一般質問(前代未聞の住民基本台帳の情報漏洩とそれに伴う迷惑事件の発生)で、教育委員会のセキュリティ意識などを追及し、また当局も反省の弁を述べたなか、このような事件が明るみにでること自体、何もしていなかったことの証明である。
 今回の場合には教職員の労働状況も勘案する必要は多少あるが、口を酸っぱくして言ってきた個人パソコンへの情報のコピー禁止の原則が破られている

 しかも前回と同様に、小学校の名前も犯人の名前もプライバシーだの人権だのを盾に公開していない
 では、情報を漏らされた児童の人権はどうなるのか?

 革新系である会田市長与党はまたダンマリを決め込むであろうが、革新系は事あるごとに、「人権、人権」と吠えてきた。今こそ、児童の人権問題として追及すべきではないのか。
 さらに言えば、「差別、差別」とこちらも革新系のお決まりフレーズであるが、

 警察官、自衛官の情報漏洩は名前から階級まで公開

されるのに対し、

 同じ公務員である市役所職員や教職員は非公開

であり、これは差別問題として取り上げないのであろうか。

 前回の事件以降、柏崎市職員の不祥事に関する公開基準をなぜ直さなかったのか。

 6月議会では、さらに徹底追及することとしたい。

 しかも、もう1件の不祥事が隠されている。
 市役所職員の不手際により、人生設計が狂わされた市民の方、正確にいえば車椅子の障碍者の方がいらっしゃる。
 詳細は、今月28日発売のある雑誌に掲載されるが、
柏崎市役所は末期も末期
 まともな市職員やOB・OGも嘆いていることであろう。

 ちなみに、「非通知」での電話で、柏崎市役所への怒りの内容かと思いきや

 「アンタは支持しないけどねぇー
  アンタの追及が足りないから、不祥事が起こるんだよ」

と意味不明。こういった事は、是非、ご自分が一票を投じた市議会議員へご連絡願いたい(ご参考)

 さらには、本ブログへの柏崎市役所からのアクセス(ホスト:kashiwazaki.niigata.jp)は、今日の8時30分から17時までの間に、のべ約270回(ページ更新も1カウント)。
 
就業時間中に、問題追及しそうな市議会議員のブログをチェックする時間があれば、柏崎市民に謝罪するとともに、調査と対策に時間をかけてほしいものである。

 繰り返すが、柏崎市役所は末期も末期
 リーダー不在の組織が腐る典型例であろう。

 14時、電話やメールなどのお返事をしつつ、大粒納豆2パックをドンブリご飯にかけ、生卵2個も投入し、昼食にする。

 16時から18時まで、急遽、市内での調査活動。数々の怒りの声とともに、柏崎市政の問題点が多々でてくる。

Img_2919  19時前、ポテトサラダ、独活の油炒め、マグロの血合いのフライ。ひきわり納豆で、ご飯2杯の夕食をとる。
 食事中も電話があり、「どうなってんだ?柏崎」の話が続き、

 「市民も目覚めんきゃならんなぁ~」

の言葉が締めであった。

 22時過ぎ、どうしても話が聞きたいと電話での呼び出しがあり、市内某スナックへ移動。

2008年4月22日 (火)

全国若手市議会議員の会政策セミナー2008
地方議会から日本を切り拓くために

 ブログやメールを処理し、3時就寝。

 7時、起床。昨夜に引き続き、買い溜めした納豆4パックで朝食にする。
 シャワーを浴び、9時にホテルをでる。

 10時から新橋の某社にて、企業進出について懇談。同世代の社長だけにアニメ話をはさみつつ、盛り上がる。

Img_2905 渋谷に移動し、チャンネル桜で、U氏とチベット問題に関する打ち合わせ。ちょうど昼食時間になったので、「こどもの城」1階にある「レストラン アンファン」(電話:03-3797-5695)にて「ハンバーグランチ 880円」で昼食にする。
 U氏とあまりに生々しい話をしたからか、隣のサラリーマン風の方が頻繁にこっちを見つめていた。

Img_2910 チャンネル桜に戻ると、ゲストとして『週刊金曜日』の編集長がお越しになっていたので、名刺交換をさせてもらった。
 イデオロギーは違えど、編集長も納豆好きとのことで、後ほど新潟の美味しい納豆を送ることにした。

Img_2911 15時、憲政記念館に移動。
 15時30分から全国から70名以上の若手地方議員が集まる「全国若手市議会議員の会 政策セミナー2008~地方議会から日本を切り拓くために~」がスタート。主催は全国若手市議会議員の会、協賛は「財団法人 尾崎行雄記念財団」である。
 趣旨説明は、全国若手市議会議員の会会長である北九州市議会の森浩明議員。全国若手市議会議員の会は35歳以下で当選した45歳までの市議会議員で構成され、現在の会員数は250人を超える。

Img_2913  15時40分からセミナー1として、全国市議会議長会事務局長である石橋茂次長をお迎えし、「二次元代表制の1つとしての議会改革」をテーマにご講演頂いた。
 内容は、以下の通り。


<これまでの地方議会制度改革の概要>
平成11年 議員提出議案の提出用件の緩和等
平成12年 国会に対する意見書提出権の付与等
平成13年 議員派遣の制度化等
平成15年 指定管理者制度に係わる議会の付与
      地方独立行政法人に係わる議会の付与
      経営状況報告を要する出資法人の範囲の拡大
平成16年 議会の定例会の招集回数の自由化
              (年4回→自由)
平成18年 議会への臨時招集請求権の付与等
      ・議長への臨時会の招集請求権の付与
      ・専決処分の要件の明確化
      ・委員会制度
       議員の複数常任委員会への制限の廃止
       閉会中の委員会審議
       委員会の議案提出権
       専門的知見の活用

・アメリカの二元代表制は、予算編成権は議会側にあり、大統領の一般教書は行政側からの要望事項。日本の二元代表制は、予算編成権が行政側にある。

<第29次地方制度調査会の審議項目>
 チェック機能の充実として
   監査機能の充実・強化
    監査委員の独立性の強化
    監査能力の向上
    外部監査のあり方
   【長による任命→議会が選挙で選任】
   【議会選出委員の取り扱いを2名以内から廃止】
   議会制度の在り方
    議会の団体意思決定機能や監視機能の向上策
    議会制度の自由度の拡大
    議員定数
    幅広い層が議員活動できるための制度の環境整備

<監査委員制度と議会>
 議会組織内部に監査委員が移行する可能性がある。
 韓国は、議会の下に監査委員があり、議会のコントロール下にある。
 日本の地方議会は二元代表制であり、国会の議員内閣制とは違うので議会の下にあっても、恣意的なことはできないと考えられる。国会の場合は問題となる。

<議会制度の改革等の今後の方向性について>
1.議会制度改革
  ・議長への議会招集権の付与
  ・議決対象範囲の拡大
  ・閉会中の委員会活動の自由化
  ・決算不認定の場合及び専決処分不承認の場合の
          首長への対応措置の義務付け
  ・市の出資法人への監査権強化
  ・契約、財産の取得、処分に係る政令基準の撤廃
  ・地方公営企業に対する監視機能の強化
2.議員の身分等について
  ・地方議会議員の職責・職務を地方自治法
   に明記すること
  ・職務遂行の対価は、単なる役務の提供に対する
   対価としての「報酬」ではなく、広範な議員の
   諸活動に見合う「歳費」(仮称)に改めること


Img_2914  16時20分からはセミナー2。自治大学校椎川忍校長をお迎えし、「地方財政の現状と課題」をテーマにご講演頂いた。
 財政はもとより、地方公務員の在り方、人材の育て方についてアツいお話であった。


・国と地方税を1対1にする。
・税源偏在の是正手段については、すでに手詰まり状態。
・地方60%国40%の歳出、しかし実態の自前の税収は地方45%国55%。
・譲与税での調整が良いのではないのか、次に交付税である。
・人材育成に金をかけない自治体は衰退していくのみ。
・公務員のボランティア活動は制度化しても良い。地域に貢献する「役人」たれ。
・人材カットと研修費のカットを同時に行うのは具の骨頂。
・人員削減に反比例するように質を求める人材育成はセットであり、近視眼的な判断をしないこと。
・地方自治体は良い人材を入れて、育てない。
・いまの公務員は、税金で勤務時間内での勉強しかせず、民間では使えない人材になってしまっている。少なくとも土日などの自分の時間を使っても勉強する人間になってもらうようにすべき。


Img_2915  10分の休憩ののち、17時15分から基調講演。テーマは「若手議員に期待すること」で、講師は一同お待ちかねの麻生太郎衆議院議員である。
 講演冒頭、

 「麻生のツラぁ~、
   生で見るの初めての人は?」

といきなりの麻生節。吉田茂元首相を祖父にもつ人間とは思えないべらんめぇ調気さくさである。
 その後は笑いを誘い、聴衆を納得させる、あっという間の1時間であった。


・議員がエリートというのは間違いであり、リーダーである。国会議員でも地方議員でも、自分がエリートだと勘違いしている。
・一般にエリートといわれると試験勉強のできる奴と思われるが違う。

 試験勉強は特徴があり、必ず答えがある。
 試験勉強ができる奴はやさしいものから手をつける。
 試験勉強ができる奴は自分で問題を作ることができない。

でも現実の世界では、

 答えがあるとは限らない。
 難しいものから解決しなければならない場合が多い。
 自分で問題を探す。

であり、試験勉強とはまったく違う。試験勉強ができた人間が社会で成功しないのはここに理由があるのであろう。
 試験勉強ができる人間がエリートとは言わない。
・いまのお役人は本当のエリートではなく、試験勉強ができるだけのやつ。
 但し、世論に受けるためだけの役人叩きはおかしいと思う。
 役人はコキ使うべきではあるが、給料が少ないのでは意欲も維持できない。
 志が高い役人を入れて、コキ使うのが議員の仕事であって、役人を叩くだけでは結局は良い方向にはいかない。あの議員のために頑張ろう!と役人が思われるようになれ!
・リーダーは責任を持つ人間であり、エリートには責任はない。
 市議会議員はリーダーである。
 リーダーとエリートは区別せよ。社長と専務だって違う。
 社長は個人の財産まで担保にだして、個人保障してまで責任をとるリーダーだ。

 リーダーってのは最終的に体を張れる奴。

・いまの年金受給者は掛け金の4倍もらっている。冷静に考えれば、子や孫のために譲るべきであって、そういったことをキッチリ説明し、明日にも無くなるような思い込みを解いてやるべき。
 いままで8人の若い世代で高齢者1人を支えたが、もう何年かすれば2人で1人の高齢者を支える時代がくる。年金制度のシステム全体をどうするか考えなければならない。
 年金問題を民主党は政局にしようとし、自民党も応戦する。本当は、政局につかう話ではなく、こういった実態に即した話をすることが必要だ。
 消えた年金と言われているものは、500万件であって500万人ではない。問題をキチンと整理し、説明すべき。
 責任をとらないエリート(官僚)の話にのっかったリーダー(政治家)も悪い。
・90年代以降に変わったドデカイことは、

 冷戦の二極構造の崩壊
 デフレの不況
 少子化

の3つであり、
 いまの手詰まり感はここにあるのではないか。
 1928年の大暴落以来、日本はデフレはやったことはない。世界も同じ。
 米ソ対決が終わって、日本は第2次世界大戦では敗戦国であったが、現在は戦勝国側。戦勝国としてやらなければならない事がでてきた。
 戦争だって、実際は増えている。我が国は世界の変化についていっていない。
 マスコミをはじめ、しまいには一極(アメリカ)が悪いと言い出した。
 フランスやイタリアなどは、他の国に核を打ち込まれる国が隣接していない。
 日本はお隣に「核打ち込みます」と宣言する変なのがいる。それに対応することができるのは、日米同盟だけであり、イラク派遣もそのためのギブ&テイク。
 国連とアメリカの意見が割れたが、これは野球に例えれば、球場(国連の場)をとるのか、プレイヤー(アメリカ)とるのかの選択であって、日本はプレイヤーをとった。
・イラクに派遣された自衛隊。その自衛隊が活躍した地域の幹部からはこういわれた。

 「脱走兵がいない、婦女暴行や無銭飲食ない
  ・・・・・これは軍隊ではない。」

と自衛隊が他国の軍隊と違い、いかに規律正しい組織であるか賞賛の声であった。まさに自衛隊が国威を担っている。
 BBC調査で、世界で最も貢献できる、信頼できる国は日本で3年連続1位となった。案の定、中国、韓国だけは別であったが、多くのアジアの国からの評価は日本が1位。
 民主党議員がしたり顔で、「金を世界に配りまくったからだ」と言ったが、これは事実ではない。かつて世界1位であったことは事実だが、すでに日本のODAは世界5位。
Honduras  ホンジュラスという国では、青年海外協力隊が現地の子供が学校にくるよう、教科書を作った。先生用の副読本も作ったところ、3年で効果がでた。学校にくるようになり、隣国も注目しはじめた。隣国は版権を売ってほしいと青年海外協力隊に申し出たが、隊員はホンジュラス政府に譲渡したと回答。ホンジュラス政府もホンジュラス国定教科書第一号とした。こういった若者こそがリーダーである。
・世界はアメリカ一極になった。
 マスコミはアメリカを叩く。では悪いかと言われれば、一概には言えない。
 日本の歴史においても、一極であった時代が反映している。
 世界のなかでアメリカのシンパ・譜代はイギリス、カナダなどアングロサクソン国家であり、キリスト教国家。日本は所詮、外様である。ただ外様も悪いかといえば、そうではなく、先の例でいけば、加賀、伊勢・津も外様。三重県が東京を真似たのが六本木であり、当時、最も金をもっていたのが加賀。一極でも世の中が安定し、外様でも繁栄できたことを歴史から見てはどうか。
 こういった歴史など全体を見て、日本のあり方を決めるのが、若い世代のリーダー、政治家がやるべきこと。
・日本は、ついこの間まで敗戦国。
 キリスト教国家と違う国がGDPで世界2位、アメリカとの2カ国で世界のGDPの4割を抑えている。世界からみれば、日本とアメリカを離反させるのが国益となる。
 日本は何を考えるべきか。ガキの頃を思い出してほしい。クラスで一目置かれるのは、腕力のある番長と優等生である級長。いじめられるのは、勉強もできない、ケンカも弱いやつであり、金をもっていればさらにいじめられる。つまり日本である。日本は、いじめられやすい存在。
 いじめられないためには、あと何が必要か。
 軍事力は自衛隊による活躍もあり、威嚇力も含め世界が認め始めた。いくら不況といっても金はある。
 フランスはこれまで22回も貨幣価値を下げており、5回も戦争に負けている。しかしデカい顔をしているのは、文化水準が高いからだ。つまりクラスでいえば級長という地位。
 日本は日本文化を世界に発信することで、いじめられない国家になるであろう。
 日本文化は世界に広まりつつある。分かりやすいのは寿司。そして3Jが世界を席巻している。

 J-POP
 ジャパニメーション
 J-ファッション

 いまや世界のディズニーランドは、ポケモン、ドラえもんに駆逐された。
 日本語を学ぶアジアの人間は増えている。特にアジアのガキは、ゲームの攻略本を読むために、日本語の勉強をする。
 漫画『こちら葛飾区亀有公園前派出所』はアジア各国でも世界でも読まれている。しかし、あれだけ警察官をコケにした漫画はないが、それが世界に受けた。他の国なら公安にとっつかまってる。ゆえに、日本は自由の国であり、平和である国だということが世界に伝わった。
 日本に留学にきた中国人が靖国神社に行っても、軍服を着た人には会わなかったと驚き、そして「日本は軍国化していると祖国で教わったが事実ではないことを知った」と言って帰っていく。次の世代の中国、韓国は親日になる。
・これだけ時代は変わっており、日本がどんな力をもっているのか、少なくともリーダーたる市議会議員は知っておく必要があるのではないか。
 アメリカ人で中国人になりたいと申請した人間は一人もいないであろうが、アメリカ人で日本人になろうというのは何人もいる
 日本の底力を知ってほしい。


Img_3080 大きな拍手のなか、基調講演が終了し、質疑応答の時間となった。
 誰も手を挙げなかったので、質問がないのも失礼と思い、手を挙げ、

 「セーラームーンのように華麗に舞い、
  そしてデューク東郷のように
  我々のハートを撃ち抜いた麻生先生、
       
貴重なお話ありがとうございました。」

と前フリをしておいて、いまの反原発の報道、残り50年とも言われるウラン燃料とともに原子力政策と日本のエネルギー問題について質問してみた。
 以下の通り。


 ウラン鉱石にしろ、原油にしろ、売ってくれる間は問題ない。経済力の点から日本は世界での買い物で負けはしない。しかし、世界が売らなくなったとき、つまり売らないという戦略をとったときが問題であり、大東亜戦争の開戦時と同じになる。
 1973年のオイルショック以来、日本の省エネの技術が上がった。それでも電気は必要であり、結局は発電単価1円の原子力と15円の重油の電気どっち買うかという問題に落ち着く。
 日本は原子力発電を推進すべきであり、発電した電気を使い燃料電池、水素ガスを利用するのが現時代の我々がやるべきこと。
 世界のうち単独で原子力プラントを建設できる会社は6社しかない。
 東芝、三菱、日立、米国ウェスチング・ハウス(WH)、米国ジェネラル・エレクトリック(GE)、仏国アレバであり、そのうち東芝はGEを、日立はWH、三菱はアレバを取り込んだ。つまり、世界における日本の原子力技術は一番といえる。
 では、原子力発電を推進しつつ日本がやるべきことは、世界が日本に資源を売らなくなったときに、交渉できるカードできるを用意しておくこと。交渉カードを持つ努力こそが、日本におけるこれからのエネルギー問題の根幹であろう。


 まさズバリの回答であり、世界最大の原子力発電所をもつ多くの柏崎市民にお伝えしたいものであった。

 最後、閉会宣言をやることになり、事務局への感謝の念を持ちつつ、本セミナーの閉会を宣言した。

2008年4月21日 (月)

陸上自衛隊千僧駐屯地
真心支援、第3師団

 ブログやメールなどを書き、4時に就寝する。

Img_2850 7時、起床。
 ホテル1階の軽食のビュッフェ形式にて、ゆで卵2個、ミニクロワッサン2個、バターロール、野菜サラダの朝食をとる。
 昨日と同様、納豆がなく力が沸かないので、部屋に戻り、納豆2パックを食べる。

 シャワーを浴び、新聞3紙に目を通す。中国人による反フランスのデモ行進を始めたことなど、今回の北京オリンピックとチベット弾圧の余波が
 ホテルをチェックアウトし、南海線の堺駅から新今宮駅、JRに乗り換え、大阪、尼崎、福知山線にて、JR伊丹駅に到着。

 11時20分、JR伊丹駅にて広報幹部と陸上自衛隊第3師団千僧駐屯地

<報告、執筆中>


Img_2738 感 謝 状

 陸上自衛隊 第三師団殿

 貴殿は、新潟県中越沖地震にて被災した柏崎市、特に被害が大きかった中央地区において、心のこもった支援を行い、我々被災者に安全と安心を与えて頂きました。
 まさに国民の生命と財産を守る崇高な使命をもつ皆様のご活躍なくしては、柏崎市の復興はありえませんでした。
 ここに心より感謝の意を表します。

平成二〇年四月二十一日
本町七丁目 町内会  会長 ****(印)
本町八丁目 町内会  会長 ****(印)
諏訪町一丁目 町内会 会長 ****(印)
諏訪町二丁目 町内会 会長 ****(印)
東学校町 町内会   会長 ****(印)


 感 謝 状

 陸上自衛隊 第三師団殿

 貴殿は、新潟県中越沖地震にて被災したわが新潟県柏崎市において、迅速かつ心のこもった支援を行い、我々被災者に安全と安心を与えてくれました。
 とりわけ特に被害の大きかった、えんま通り商店街においては、いち早い食事の提供とともに、震災以来断水となっていたなかでの給水により、多くの住民が救われました。
 そして酷暑により不衛生になることが心配されたなかでの入浴施設の設置。まさに我々の生命と財産を守る素晴らしい活躍をされました。
 ここに心より感謝の意を表します。

 平成二〇年四月二十一日
協同組合 東本町二丁目振興会(えんま通り)
 理事長  ****(印)


 JR伊丹駅から大阪城近くの地下鉄・谷町4丁目駅まで移動。早速、佐藤副師団長にお聞きした旧軍第四師団の確認するためである。
 大阪城内にストレートに入っても良いと思ったが、大阪城の周りを一周するとどれぐらいかかるのか、試しに歩いてみた・・・・が、大荷物を持ったなか1時間弱かかり、暑い天気もあってスーツは汗だく。

Img_2883 豊国神社を参拝したのち、大阪城内に入る。
 これまで何回も大阪城内に入り、天守閣まで登ったが、レンガ作りの建物が第四師団の司令部だったとは気付きもしなかった。
 説明には次のように書いてあった。


Img_2885 もと大阪市立博物館

 もと大阪市立博物館の建物は、昭和天皇の即位を記念して、昭和6年に、市民の寄付により当時の金額にして150万円が集められ、大阪城天守閣の再建、大阪城公園の新設とあわせて、第四師団司令部として建設されたものです。
 概観をヨーロッパ中世の古城に似せた堂々とした建築で、壁面上部の装飾や、正面及び四隅の隅塔などにその特徴があります。
 戦後は大阪市警視庁として、またその後は大阪府警本部として使用されましたが、内部を改装し、昭和35年から平成13年まで、大阪市立博物館として使用されました。
 なお博物館は、「大阪歴史博物館」として、平成13年11月3日、大阪市中央区大手前4丁目に開館しました。
                            大阪市教育委員会


 昭和6年当時の物価は、カレーライスが10銭、豆腐1丁が4銭、ビール(大瓶)35銭
であり、そんな中、150万円も寄付を集めた大阪人、恐るべし!である。
 建物の横にひっそりとあった銘板には、次のような説明がされていた。


大阪城公園内に残る戦争の傷あと

 先の戦争において我が国は、アジア・太平洋地域の人々に対し大きな災禍と苦痛をもたらしたことを忘れてはなりません。大阪においても8次にわたる大空襲を含む50回を超える空襲を受け、まちは一面の廃墟となりました。
 ここ、大阪城後援も幾多の空襲により、1トン爆弾による大阪城天守閣の石垣のずれ(天守閣東北隅)や機銃掃射による石垣の弾痕のあと(天守閣の北・山里曲輪付近の石垣)をはじめ、空襲と思われる石垣のずれなど数多くの戦争の傷あとを残しています。
 当時、公園内には軍事施設が多数あり、その中でも、第四師団司令部として使われた庁舎(現大阪市立博物館)は、軍事施設として大阪市内で現存している最も規模の大きな建物です。
 また、公園東側一帯に広がっていた大阪陸軍造兵廠(大阪砲兵工廠)は、面積1.18平方キロの我が国最大規模の兵器工場であり、戦争末期には大阪本廠を含めた全工場で一般行員のほかに動員学徒・女子挺身隊・一般徴用工員など6,4000人が働いていました。その中には、当時の植民地支配の下で強制連行などにより集められた1,300人以上と言われる朝鮮青年も含まれていました。
 大阪陸軍造兵廠は、1945年(昭和20年)8月14日の激烈な爆撃により壊滅し、今では科学分析場として利用された施設(元自衛隊大阪地方連絡部)など一部を残すのみとなっており、本館があった場所には多目的利用ができるホールとして「大阪城ホール」が建ち、診療所があった場所には、大阪府・大阪市が共同で世界の平和と繁栄に積極的に貢献する施設として設立した「大阪国際平和センター(ピースおおさか)」があります。 戦後50周年にあたり、戦争の悲惨さを語り継ぎ、国籍・民族・文化の違いを超えた相互理解と友好を深め、世界平和を心から願う気持ちを込め、ここに銘板を設置します。
 1996年(平成8年)3月
 大阪府/大阪市


 左翼臭プンプンである。

Img_2893  20時前にやっと宿泊先であるホテル銀座ダイエーに到着。
 大阪市内で買い集めた納豆8種類を食べ比べ、夕食にする。
 食後、いつの間にか寝てしまった。

2008年4月20日 (日)

陸上自衛隊信太山駐屯地創立51周年
癒しのT画伯からの応援絵画

 2時、就寝。

 5時、起床。ホテル周辺に散歩にでて、コンビニにて『週刊新潮』『週刊文春』を購入する。

Img_2797  ホテルに戻って読書ののち、7時、ホテル1階で朝食をとる。
 軽食のビュッフェ形式になっており、ゆで卵2個、チーズロール2個、ヨーグルト、野菜サラダをとるものの、納豆がなく力がわかない。一度、部屋に戻り、納豆2パックを食べる。

 8時40分、JR信太山駅に到着。
 今日は、陸上自衛隊信太山駐屯地創立51周年記念式典である。
 同伴者としてお誘いした、京都のシステムエンジニアM氏と同じく京都で立命館大学の女子学生Hさんと待ち合わせ。
 お二人とも自衛隊の駐屯地は始めてであり、訓練展示も見たことがないということなので、お誘いした次第である。

 また地元では陸上自衛隊高田駐屯地の式典もあり、今回は後援会のスタッフに代理出席をお願いした。聞くところによれば、これまで副市長としか会ったことがない自衛隊関係式典であるが、珍しく会田市長本人が出席していたそうである。

Img_2766 駅から信太山駐屯地まで徒歩にて移動。
途中、「和泉市立解放総合センター」という表示を見つける。現在の名称は「和泉市立人権文化センター」となっており、水平社の歴史などを展示しているという。

Img_2798 信太山駐屯地までの間、現地に向かう多くの徒歩の方、自転車の方と一緒になったが、それぞれに「楽しみやねぇ~」などという期待の声があった。
 正門から受付に行き、昨日、お世話になって広報室長、連隊長にご挨拶。

Img_2807 申し訳ないことに、国会議員や首長が座る観閲台にご案内頂き、10時から観閲式が開始された。
 第37普通科連隊と第7普通科連隊との合同音楽隊、本部管理中隊、第1中隊、第2中隊、第3中隊(軽装甲機動車)、第4中隊、第5中隊、重迫撃砲中隊、第3普通科連隊直接支援中隊、第2整備大隊、そして4月8日に入隊の新隊員を含む教育隊の人員346名、車両60、航空機5である。
Img_2812  おなじみの西村眞吾衆議院議員が来賓としていらっしゃったので、ご挨拶。来賓としての西村議員の祝辞がまた気合の入ったものであった。

 「帝国陸軍より輝かしい伝統のある37連隊。
 国民の生命を守るために日夜訓練を行い、そして敵国となりうる周辺諸国の軍隊に負けない訓練をも行う皆さんは、わが泉州の誇りである。また、厳しい訓練を通じて、生涯付き合える戦友も大切にしてもらいたい」

Img_2813  その他の来賓紹介となり、ありがたいことに「中越沖地震での支援でお世話になった・・・」と紹介されたので、起立するとともに、僭越ながら柏崎市民を代表する気持ちで、大きな声をだし

 「ご支援、ありがとうございました」

とご挨拶をした。
 行進は、陸上自衛隊公式行進曲『大空』で始まったが、途中で名曲『陸軍分列行進曲』となり、その瞬間、西村議員をはじめ、旧軍関係者からも「おぉおぉー」との声。

Img_2814  観閲式のち、平成6年に創設したという隊員による太鼓「信太山 菊水太鼓」の演奏。
 隊員の作曲による、初陣となる戦場にでた武将の気持ちを表した曲で、腹に響く気合もさることながら、早打ちの繊細さも光った演奏であった。

Img_2816 太鼓演奏終了後、いよいよ訓練展示。
 観測用ヘリコプターOH-6Dによる敵陣地の偵察、オートバイによる斥候、そしてヘリコプターから、レンジャー隊員がリぺリング降下する。
 その後の準備射撃として、「FH70 155mm榴弾砲」が空砲を撃ち、その大音量に会場がどよめく。74式戦車による射撃もあり、ド迫力の訓練展示。

Img_2821 お誘いした2名も、初めて訓練展示であり、感激したということだった。
 訓練展示終了後、式典会食の会場に移動しようとすると、後ろの方から「三井田君!」と声をかけられた。誰かと思ったら大阪府八尾市の三宅博議員。「北朝鮮に拉致された日本人を奪還する全国地方議員の会」の副会長でもあり、よくお会いする同志であるが、何よりも印象が強いのは部落解放同盟との戦いである。強烈な恫喝や嫌がらせにもクールに対応。個人的には、心のなかで「ブレないおじさん」と呼んでいる。
Img_2822 会食会場では、乾杯ののち、テーブル上のオードブルとともに、そば、うどん、焼き鳥などをつまむ。かなり量が多く、残してしまうのがもったいない。
 ビールを注ぎ、注がれつつ、副連隊長をはじめ、中部方面隊の幹部の方と意見交換をさせてもらう。
 空挺でも活躍された某中隊長からは、いかにイラクの地で公に殉じた特攻隊「Kamikaze」が尊敬されているのか、イラク派遣の実体験からお聞きした。その後、義烈空挺隊のことなど、話し込む。

Img_2823 途中、ある隊員に声をかけられた。
 中越沖地震の給食支援の際、毎回メニューとともに住民を和ませる絵を描いてくれたT隊員(陸士)であった。T隊員というよりは、T画伯の方が支援してもらった地元町内会での通りがよく、T画伯の支援隊が交代となる際にも、某ケーキ屋さんから「絵を描いていた人にお礼がしたい」との声があったほど。
 今回は、再度、給食支援のときと同じように、応援の絵を描いてきてくれた。ありがたい限りである。
 デジカメで接写したので、地元に戻り次第、説明をつけ、共通掲示板にて掲示したいと思う。

Img_2825 会食会場を後にし、駐屯地内にある歴史資料を収めた修史館に移動する。
 ここには、皇室をはじめ、14世紀南朝の勤皇の士・楠正成、旧陸軍野砲兵第4聯隊、歩兵第三十七聯隊、歩兵第八聯隊、歩兵第六十一聯隊、信太山駐屯地の歴史資料が陳列されている。
 以下は説明板の記載による。


Img_2836歩兵第61連隊の歴史(概要)

 明治38年7月17日編成、16師団れい下に入り7月24日編成完結とともに他立ちに日露戦争参加、戦争終了後も引き続き満州に残り、同地区の守備にあたり、明治40年3月11日大阪に凱旋、浜寺仮しよう舎に入る。41年10月28日16師団から4師団のれい下に入り、42年3月17日和歌山市に移駐する。大正3年8月23日からの日独戦争に一部参加、昭和12年4月29日大阪港出帆再び渡満満州警備にあたる。昭和14年8月29日第2次ノモンハン事件の際広急派兵さる。昭和15年7月9日佳木斯(北満州)発 北支 中支 に転戦 17年2月21日中支呉淞出帆比島派遣バタン及びコレヒドール攻略戦参加、同年7月20日和歌山において復員完結。昭和18年10月4日和歌山出発、中部スマトラ 19年5月16日からビルマ マレー作戦に参加終戦に至る。昭和21年6月19日浦賀上陸 21日復員完結す。

*写真は、陸軍松井石根大将の書。


Img_2826歩兵第8連隊の歴史(概要)

 歩兵第8連隊は明治初年大阪市難波に創設され、明治7年萩の乱、同10年西南の役をはじめ、日清・日露の両戦役、日独戦争、シベリア出兵に参加して、赫々たる武勲をたてて凱旋。また平時においても明治18年淀川の大洪水、松島遊廓乱闘事件、明治43年同44年の大火、大正6年淀川洪水、大正7年夏の米騒動、昭和9年秋室戸台風等、天災地変に、その都度迅速軽快に出動して近畿の守りに磐石の重きをなし、昭和6年満州事変に出征、引き続き支那事変、大東亜戦争に従軍、中南支・比島・スマトラ・泰各地で勇名を馳せる。


歩兵第37連隊の歴史(概要)

 歩兵第37連隊は明治29年12月1日大阪市東区法円坂町に創設され、同年3月24日軍旗を拝受、同31年12月1日編成を完結、明治37年4月27日から同38年4月30日の間日露戦役に参加、明治42年7月30日大阪北区の大火及び同45年1月16日大阪南区の大火に出動、大正4年9月第9中隊を朝鮮に派遣、同6年淀川大洪水出動、大正7年8月12日から18日の間米騒動鎮撫のため出動、同年9月5日第6中隊を青島守備のため派遣、昭和12年4月29日満州出征三江省他各地で活躍、昭和15年7月11日北支に転進漢水作戦及び長沙作戦に参加、赫々たる武勲をたてる。昭和17年3月9日フィリッピン作戦のため呉港出発、バターン半島攻略、コレヒドール島攻略、同年6月内地帰還、昭和18年10月スマトラ派遣のため宇品を出帆再度の征途につき、マライ半島を経て、タイ国へ転戦 同地で終戦を迎え昭和20年9月2日タイ国シヤン州モレンにおいて軍旗を奉焼、昭和21年6月復員。


Img_2742

 旧軍の大阪歩兵第三十七聯隊については、事前に『大阪歩兵第三十七聯隊史』を古本屋にて入手し、読み込んできたので、より理解が深まった感がある。野砲兵第四聯隊についても事前学習していこうと思ったものの、文献となる『日本陸軍 野砲兵第四聯隊並びに関連諸史』が入手できなかった。再度、入手を試み、その歴史を調べてみたい。

 大阪歩兵第三十七聯隊歌についても資料が掲示されていた。厳密には第三代目であり、初代の聯隊歌は20番まである長いもので、二代目は詳細不明。掲示されていた歌詞は以下の通り(旧字体の一部を修正)。


歩兵第三十七聯隊歌
  作詞作曲:陸軍歩兵中尉 堀田俊

一、金剛山の峰高く 血潮に咲くや山桜
  大淀に聳つ錦城に 雄図こもれる摂河泉
  我が三七 我が三七は聖地に生る

二、ああ忠勇の流れ汲み 五條のみことかしこみて
  軍旗を仰ぎ命ぞと 武を錬り鍛ふ健男児
  我が三七 我が三七は軍旗ぞ命

三、日露の役に初陣し 遼陽城外朱に染め
  前石橋子に轟ける 三七の名いや高し
  我が三七 我が三七は歴史に光る

四、亜細亜の空に風荒び 皇師一度地を蹴なば
  鉄の兜の緒をしめて 第一線に我起たん
  我が三七 我が三七は日本の前衛

五、銃執る我手に霜降りて 異郷に骨を曝すとも
  いかで汚さん菊水の 君に捧げし此の精神
  我が三七 我が三七は正義にたおる


Img_2802

 駐屯地内には、王塚もあり、以下のような説明がされていた。


王塚考

 当王塚は、履中天皇第一皇子市辺押歯皇子の古墳なり
皇子は雄略天皇に従い葛城山麓に狩りし給いし内不慮の
死をとげ給いしにより府中の東南端なる桑畑の仲子多に
葬まつりしてその後御子顕桑天皇市辺王のお骨を求めら
れ桑畑の仲子多の地よりこの処に改め奉斉し給う口伝
文書によれば中世に至り元弘三年六月護良親王守護内
亟為成に和泉黒鳥村を領せしめ給う元弘の乱世に至り
大和守はこの市辺塚に烽火を上げ挙兵以って公衆に従う
と見えたり以来荒廃甚しく明治に至り民有となり好本治
一郎氏が管理せしものを大正八年伯太野砲連隊創立に際し
公にこれを寄付奉斉しまつり今日に至るものである。

昭和五十二年十二月二日
 和泉大社泉井上神社
 宮司 田所末市


Img_2838_2 お連れした二人には駐屯地内の各種展示を見てもらうことにして、一度、別れ、一人で駐屯地の外にでて、黒鳥山公園に向かう。
 官舎の横を通り、歩くこと10分程度で目的の「忠霊塔」に着くことができた。この「忠霊塔」は、昭和16年11月21日より建設開始、昭和17年4月23日工事竣工で、高さ13m、正面幅2m、奥行2m25、コンクリート花崗岩張りの納骨堂は正面幅9.5m、奥行5.5m、前庭や展望台などの浄域の総面積は2000平方メートル超という巨大なものである。
Img_2840_2 昭和17年5月8日に納骨式が行われ、明治以降の各戦役、支那事変、大東亜戦争における地元出身の戦没者を祀っているとのことで、手を合わせさせてもらった。
 同公園には、同じく大きな「天皇駐蹕碑」があった。行幸にお出にでられた天皇陛下がご休憩、駐蹕された場所の記念碑である。
 敗戦までは、この公園の位置を含め、周辺一帯が信太山一帯が軍の演習場であったとのことで、公園のなかにこういった碑がある。

Img_2843 また、この公園に来てみたい理由はもう一つあった。
 先日、批判の意味の書評をした『石碑と銅像で読む近代日本の戦争』

 「海軍内で反戦活動、憲兵隊に虐殺された活動家の碑」

として阪口喜一郎顕彰碑が紹介されていたためである。共産党系の石碑として興味本位で確認にきたが、没後50年の1982年に作られたという顕彰碑というわりには、紹介銘板の下に共産党の政治ポスターが張ってある「俗っぽさ」。これでは、阪口喜一郎氏も喜ばないであろう。
 紹介パネルには以下のように書かれていた。


Img_2844 阪口喜一郎顕彰碑紹介

 戦前、日本帝国主義が中国侵略を企てたころ、侵略の基地、呉軍港で現役の水兵にむけて反戦新聞「聳ゆるマスト」を発行しつづけ、日本共産党員として生命をかけて戦争に反対した海軍二等機関兵曹・阪口喜一郎は悪法治安維持法により検挙され、一九三三年、広島刑務所で虐殺されました。享年三十一歳、阪口喜一郎は和泉市黒鳥の人であり、碑は平和と民主主義のために活動する和泉・広島を中心に全国に及ぶ多くの人たちの献金で建てられたものであります。


*当時、単一国家である中国が存在しないにも関わらず誤解を誘うかのような「中国侵略」、呉を「侵略の基地」、獄死を「虐殺」とするあたりに、共産党のプロパガンダ臭をたっぷり感じ取ることができる。

 現地にきてみて、いかに『石碑と銅像で読む近代日本の戦争』が偏っている本なのか証明できたとともに、この公園が革新系デモ行進のゴールになっていることも理解できた。

 再度、お連れした二人と待ち合わせ、駐屯地に向かって一礼したのち、駐屯地を後にした。

Img_2849 15時過ぎ、南海線の堺駅に移動。駅近くの「ESPRESSO AMERICANO 堺プラットプラット店」にて、M氏と今後のIT戦略について打ち合わせを行う。飲み物として、つい写真につられて「アイスキャラメルナッツモカ 470円」を注文したものの、生クリームなど濃厚過ぎて、打ち合わせ中の飲み物には向かない。

 18時、一度、ホテルに戻り、資料や荷物をもって、大阪市内の企業、個人宅をまわる。中越沖地震の際、個人的にカップラーメンや水などを送ってくれた方への御礼で、中越沖地震写真集と明治饅頭をお持ちした。
 伺った時間も悪かったが、御礼で伺った某氏宅で、お好み焼きなどいかにも大阪風の夕食をご馳走になってしまった。何の為にいったのか意味不明である。

 23時、ホテルに戻る。

2008年4月19日 (土)

陸上自衛隊 第37普通科連隊
大阪企業人と「戦艦 大和」

 結局、仕事が終わらず、徹夜。

 6時過ぎ、大粒納豆、生卵、ひじきの煮物でご飯2杯の朝食をとる。

 7時46分、柏崎駅発の快速「くびき野1号」で長岡、新幹線Maxとき310号にて東京に移動する。

 東京駅近くの某社に訪問。K社長とU総務部長に完成したばかり?の柏崎フロンティアパークのパンフレットをお渡しするとともに、20分ほど意見交換を行う。
 地方の工業団地は、その地方自治体が生き残りをかけて販売合戦を続けており、特に中越沖地震で被災した我が柏崎市とすれば、死にもの狂いで企業誘致を行う必要がある。議員も行政職員もなく、とにかく人脈をたどっての営業活動を行うべきであろう。
 市長にいたっては、市役所や市内で意見を聞くのも大切かも知れぬが、市長にしかできない営業活動を行うべきであり、その点においても現在の柏崎市政には首をかしげざるをえない。
 柏崎市の財政、そして次の世代の就職先としても、柏崎フロンティアパークは重要となる。

 700系の新幹線「のぞみ」にて新大阪に移動し、その後、大阪、鳳で乗り換え、JR信太山駅に到着した。

Img_2749 昼食をとっていなかったので、信太山駅近くの「四国庵」(電話:0725-44-8158)にて、「かつ丼 800円」と「+150円 わかめうどん」を注文。かなり脂の多いロースカツのかつ丼ではあったが、卵の絡み方、ねぎの風味がよく、一気に完食。食後、荷物が多いので、タクシーにて陸上自衛隊信太山駐屯地に移動する。

 約束の15時までちょっと早かったので、中越沖地震でも現地にきてくれた某隊員にお願いし、荷物を預かってもらう。駐屯地周辺をしばらく散策したのち、再度、訪問。

Img_2753 W広報室長にご案内頂き、陸上自衛隊第37普通科連隊長兼駐屯地指令の柴田一等陸佐に面会。そして、地元5町内会、えんま通り商店街振興会からお預かりした感謝状を役不足ながら朗読させてもらい、お渡しさせてもらった。
 文面は以下の通り。


Img_2738 感 謝 状

 陸上自衛隊 第三十七普通科連隊殿

 貴殿は、新潟県中越沖地震にて被災した柏崎市、特に被害が大きかった中央地区において、心のこもった支援を行い、我々被災者に安全と安心を与えて頂きました。
 まさに国民の生命と財産を守る崇高な使命をもつ皆様のご活躍なくしては、柏崎市の復興はありえませんでした。
 ここに心より感謝の意を表します。

平成二〇年四月十九日
本町七丁目 町内会  会長 ****(印)
本町八丁目 町内会  会長 ****(印)
諏訪町一丁目 町内会 会長 ****(印)
諏訪町二丁目 町内会 会長 ****(印)
東学校町 町内会   会長 ****(印)


 感 謝 状

 陸上自衛隊 第三十七普通科連隊殿

 貴殿は、新潟県中越沖地震にて被災したわが新潟県柏崎市において、迅速かつ心のこもった支援を行い、我々被災者に安全と安心を与えてくれました。
 とりわけ特に被害の大きかった、えんま通り商店街においては、いち早い食事の提供とともに、震災以来断水となっていたなかでの給水により、多くの住民が救われました。
 そして酷暑により不衛生になることが心配されたなかでの入浴施設の設置。まさに我々の生命と財産を守る素晴らしい活躍をされました。
 ここに心より感謝の意を表します。

 平成二〇年四月十九日
協同組合 東本町二丁目振興会(えんま通り)
 理事長  ****(印)


Img_2739 また、東本町二丁目振興会さん、東本町二丁目町内会さんからは、援終了の折、災害派遣された隊員と地元住民で支に記念撮影した写真を額縁に入れたものをお預かりしていたので、同じくお渡しさせてもらった。
 その後、連隊長との意見交換。
 20分程度の時間を見込んでの日程調整であったが、自衛隊と災害派遣(第37普通科連隊の警備範囲は山間部が多い)、原子力発電所への自然災害時の対応、そして原子力災害が起こった場合の自衛隊がとれる行動など、かなりアツイ話が続いた。
 最後は旧軍と自衛隊との伝統継承など、さらなるアツさで時間超過。申し訳ない限り。
 連隊長から伝統への想い、郷土への想い、そして任務へのアツい想いをお聞かせ頂き、勉強させて頂くことが多かった。

 ここ信太山駐屯地の連隊番号「37」は旧軍と同じ番号である。戦後、自衛隊になった際、編成順に機械的に番号を割り振られる予定であったが、旧陸軍と同じにしたのは当時の自衛隊幹部である杉田一次陸将(旧陸軍参謀)。杉田陸将が旧陸軍で入隊したのが、歩兵第37聯隊であった。伝統を引き継ぐことができた理由はここにある。

【旧軍と同じ連隊番号】
 第一連隊 東京
 第五連隊 青森
 第三十三連隊 久居
 第三十四連隊 静岡

Img_2757 その後、広報室に移動し、中越沖地震の支援で閻魔堂駐車場に実際に駐屯してもらった隊員の皆さんとの意見交換の時間となった。
 こういった場を用意して頂いた皆様に感謝するとともに、明日の式典を控えて忙しい業務時間を使わせてしまい、申し訳ない限り・・・とは、言いながら、復興した柏崎にも再度お越し頂きたく、柏崎の観光パンフレットを各隊員に配布。自称・アヤシー柏崎の営業マンである。
Img_2765 個人的には、平成19年8月27日の自衛隊感謝パレードを含む、中越沖地震におけ自衛隊の活動を収録したチャンネル桜のDVDを各隊員にお渡しした。
 陸上自衛隊信太山駐屯地内には、岐阜県から持ってきた「さざれ石」があり、実際に現場から駐屯地まで運んだという、えんま堂にも駐屯し活躍した熱い男・N山2曹からお話を聞く。


<説明板より>
岐阜県指定天然記念物
「さざれ石」

  「さざれ石」は、国歌「君が代」に詠まれているとおり大小の石が永い歳月のうちに凝結して自然に大きな巌となったものであります。
 それは、まさしく協調団結の精神を意味し、私たちの家庭も地域も国家もみんなが心を合わせて進めば千代に八千代に栄えてゆくことを象徴するものにほかなりません。この度、岐阜県揖斐群揖斐川町春日の日本さざれ石の会のご厚意により信太山駐屯地創立五十周年を記念して、ご寄贈いただいたものです。
 土台に使用している石材は、旧陸軍野砲兵第四聯隊が駐屯時正門に使用されていた門柱を当駐屯地創設に際し、建て替え保存していたものです。
 古き伝統を、楠正成公ゆかりの楠木の下で、第十七代履中天皇第一皇子市辺押歯皇子古墳(鍋塚)とともに継承していくために、この場所に設置しています。

 平成十九年四月六日

 岐阜県揖斐郡揖斐川町春日 日本さざれ石の会寄贈


Img_2767  共産党や日教組などは『君が代』が侵略の歌だの難癖をつけるが、小さな石が大きな岩になるまでの安寧を願った平和を愛する国歌であり、是非、こういった現物を見て判断、イメージしてほしいものである。
 隊員の皆さんとの記念撮影をしたのち、お土産を頂戴し、送られて駐屯地を後にした。
 感謝、感謝である。

 18時過ぎ、一度、宿泊先であるコンフォートホテル堺に移動。1階ロビーで、堺市の某社社長にご足労頂き、打ち合わせ。場所に寄らない事業をしている経営者をご紹介頂き、柏崎フロンティアパークへの進出をお願いできないか、という図々しい?お願いである。

Img_2778 その後、一度乗ってみたかった南海鉄道の「ラピート」にて難波に移動。「ラピート」は「速い」という意味ドイツ語「rapid」が由来というが、愛称は「鉄人28号」という。
 その精悍な顔つきは、鉄道マニア、いわゆる「テツ」だけではなく、メカ好きの心も揺さぶる。

Img_2780 20時、難波にて同世代であるO社長と待ち合わせ。夕食がてら話をしようと、今年7月8日に閉店する「大阪名物 くいだおれ」へ移動。
 「大阪名物 くいだおれ」で有名なのは、やはり一階の玄関先にあるチンドン屋の格好をした「くいだおれ太郎」である。閉店の報道があったとき以来、

 「今までにこの活気がほしかった・・」

という声もでてくるほど、人が押し寄せ「くいだおれ太郎」も大人気だという。案の定、お店の前は黒山の人だかり。
Img_2782 自分自身も振り返ってみれば、道頓堀周辺で何回かやったことがあるテレビ番組のロケでも「くいだおれ太郎」を軽くかまう程度であったり、私的な旅行でも正面まではくるが、中の食堂にまで入って食べるということはなかった。「いざ閉店となったら行ってみる」というのも、あまりにムシの良い話なのかも知れない。
Img_2791 くいだおれ太郎からの最後のメッセージは以下のようなものであった。

「さようなら!さようなら!阪神タイガースの優勝や、いろんな思い出 胸いっぱいです。長年のあいだ 大阪名物くいだおれ を可愛がっていただき、本当にありがとうございました。ありがとうございました。 くいだおれ太郎」

Img_2785 早速、1階の洋食店のなかに入り、最後となるであろう「くいだおれ」メニュー、「くいだおれセット 1980円」「生ビール(中) 580円」を注文。
 思ったよりご飯が少ないこと以外、普通に美味しい洋食である。プレートには海老フライ一尾、小さなサーロインステーキ、熱々のデミグラスソースがかかった手作りハンバーグ、つけあわせは野菜サラダ。
Img_2790 海老フライの香ばしい頭をかじりながらビールを飲みつつ、手作りハンバーグの荒さとデミグラスソースの濃厚を楽しむ。
 あっという間に食べ終えてしまい、お腹もすっかり満足。好奇心から同じく「くいだおれ名物」であるパフェも注文してみようかと思ったが、さすがに恥ずかしくて注文できず、お店をあとにした。
Img_2792 駅まで向かう途中、「六甲牧場のソフトクリーム なんば店」が気にかかった。
 この乳牛の人形を看板に使うという、「かに道楽」のような手法につい気を許してしまったのである。ビールのほろ酔いということも・・・。
 六甲牧場の新鮮な牛乳でつくられたという「牛乳ソフト 300円」を注文。かなり濃厚なコクある味であるが、後口がさっぱりしており、一気に食べてしまった。
 O社長は、ココナッツ風味のソフトクリームに黒タピオカがトッピングされた「上海ソフト 350円」。
Img_2794 よく考えれば、同世代30代半ばのムサい野郎2名でソフトクリームを食べるという、悲壮感漂う風景であった。
 難波周辺をウロウロしつつ、駅まで向かう。
 途中に掲げてあった消防標語が気になり、思わずメモ。

 「火は出さへん 強い意志が なにわ流」

 22時過ぎ、ホテルに戻り、入浴。

DSC00807 今日の隊員の皆さんとの意見交換で、あえて「戦艦 大和」のことを触れた。
 これは「戦艦 大和」が片道だけの、帝国海軍のメンツのためだけの水上特攻だったという俗説が流れているからであり、なぜこの場で話したかと言えば、俗説だったという証明するのが大阪の企業人による協力だったからである。
 元海上自衛隊の士官で、現在は『敵兵を救助せよ!』などの著書で知られる沖縄出身の作家・恵隆之介氏が、平成20年3月1日『やすくに』に寄稿された文章の一部を以下に引用する。


 堂々たる日本人の復活を祈願する!
            恵 隆之介(元海自士官・作家)

一、偉大だった帝国海軍


 四~五年前、テレビで戦艦「大和」に乗務していた元水兵が小学校児童に講演しているシーンが放映された。私はこの時、この元水兵の言動に唖然とした。
 彼は「大和」の全景写真をバックに帝国海軍を批判し、児童生徒にいかにも「大和」の沖縄特攻は海軍のメンツを維持するための捨て石であったかのような発言をしていた。
 もし列国でこのような事をしたら、その国の国民はこの元水兵と主催した学校を決して許さないであろう。
 実は「大和」を旗艦とする第二艦隊には、高級士官しか把握できない崇高な使命があったのだ。
 昭和二十年四月一日、沖縄本島に上陸した米英軍に対抗する県民への救援物資の輸送も作戦の一つにあった。このため巨艦「大和」の船倉には、多量の民需物資が極秘裏に積載されていたのである。
 この物資の一つに関し、こういう証言が残されている。
 昭和五十八年八月二十日発行中央公論増刊「歴史と人物」(太平洋戦争終戦秘話)に、海軍大尉待遇嘱託でシオノギ製薬元原料課農水産係長兼特需原料係長だった市橋立彦氏が「大和」出撃前、海軍から受けた特命を詳細に記録発表しておられる。
 「歯磨、歯ブラシ各五〇万人分、美顔クリーム二五万人分」さらに驚くべき事に、「メンスバンド (月経帯)一五万人分」の調達指示である。当時のそれは生ゴム布が使用されていたが、国内では軍需用の生ゴムさえ欠乏している時期であった。
 しかし、市橋氏は帝国海軍からの特命とあって、ある海軍大尉とともに大阪の中小零細企業をまわって何とかかき集めた。この物資は昭和二十年三月下旬の深夜、大阪梅田貨物駅から十数両の貨車に積載されて呉停泊中の「大和」に積載されたと言う。
_2 残念ながら「大和」は昭和二十年四月七日、呉出港後五日目、午後二時二十三分、米軍艦載機の攻撃を受けて東シナ海沖縄北方四〇〇キロの地点で沈没した。
 私はこれを知った時、沖縄県民の一人として感謝の気持ちで涙が滂沱するのを禁じ得なかった。
 ところで、「大和」は水深三千メートルの海底に将兵二四九八名と共に眠っている。今、その上空を対潜哨戒機で飛ぶと、磁気探査器が大きく反応する。六万四千トンの巨艦は地球の磁場にも大きく影響を与え続けているのだ。私は大和の上空付近を飛ぶ度に天地創造とキリストの復活のシーンを連想する。
 天地鳴動する中を海水がかき分けられ、戦艦「大和」が堂々と浮上し、見事に復活する光景である。同時に、伊藤整一第二艦隊司令長官(海兵三九期)の真新しい将旗が顧翻と翻り、復活した「大和」乗り組み将兵が甲板上で「萬歳」を連呼するシーンである。

(以下、略)

2008年4月18日 (金)

聖火リレー、善光寺の英断
東京オリンピックと核実験

 なかなか資料のまとめが終わらず5時、就寝。

 8時、起床。大粒納豆、しらす、目玉焼き、ブロッコリーでご飯2杯の朝食をとる。

 9時から来客。柏崎準倫理法人会の講演会企画に関する打ち合わせを行う。

Img_2724 10時過ぎ、市内にてお願いされた用件をこなす。行く先々で今年11月の市長選挙のことを聞かれ、関心が高いことに驚く。
 12時、昨夜に購入した半額セールの「ロースカツサンド」で昼食。
 食後、明日からの陸上自衛隊信太山駐屯地陸上自衛隊千僧駐屯地に行くこともあり、柏崎の営業マンとして、観光案内パンフレットを市役所観光交流課や観光協会に取りに行く。

Img_2725 午後から改装中の「こどもの時代館」や仮設住宅などのお手伝いを順次こなす。
 「こどもの時代館」は、かなりレアな品が揃いはじめ、高さ2mほどの「超人バロム1」人形があり、他にも1/6の戦場ジオラマ、鉄道模型、昭和レトロ系ブースなど、オープンが楽しみな内容になってきた。

 16時過ぎ、新潟市に向かって愛車で出発。かなりの渋滞に巻き込まれ、10分遅れでクロスパルにいがたに到着。
Img_2741 18時過ぎから、2008年日本青年会議所・北陸信越地区・新潟ブロック協議会、新潟交流委員会の地域交流グループ会議に出席する。
 20時40分、明日の大阪府への移動もあるので、懇親会は欠席させてもらい、そのまま自宅まで戻る。

 途中、コンビニに寄り、納豆巻き2本、低脂肪乳、浅漬けセットで夕食。

 22時、自宅に戻り、明日からの出張に備え、当面の仕事を片付ける。

 今月、平成20年4月26日、長野市で行われる北京五輪聖火リレーの出発点であった善光寺が今日、辞退を申し入れた。
 善光寺事務局の若麻績信昭寺務総長によれば、

「チベットの宗教指導者が立ち上がり、
 それに対し弾圧しているので、
          仏教の寺として考えた」

とし、同じ仏教者としてチベット問題をとらえていることを明らかにした。
 英断だと思う。

Tibet

 ヨーロッパ諸国をはじめ、多くの人が中共(中国)によるチベット人の人権蹂躙、宗教弾圧に異を唱えているなか、日本人だけノホホンと平和そうな顔をしているわけにはいかない。
 とにかく、長野市の現地に行ってチベット人の人権蹂躙に対する抗議の声はあげたい。

 それにしても、普段「人権、人権」と叫ぶ、いわゆる左翼系の人はどうしたのであろうか。

 また、いまだオリンピックと政治問題を切り離すべきという意見が中共(中国)側からだされる。
 しかし、オリンピックと政治はこれまで切り離されてきたであろうか。
 1979年12月、旧ソ連がアフガニスタンに軍事侵攻した際、当時のアメリカ、カーター米大統領はモスクワオリンピックのボイコットを呼びかけ、韓国、日本、そして中共(中国)を含む50ヵ国近くが同調した。
 しかも、フランス、イタリア、オランダなどの7カ国は競技には参加したものの、入場行進はボイコットし、イギリス、ポルトガルなど3カ国は旗手単独の入場行進を行った。
 さらにいえば、中共(中国)は、モスクワオリンピックより前にも、台湾問題を理由に、

 1956年 メルボルンオリンピック
       選手団が現地に到着後
 1960年 ローマオリンピック
 1964年 東京オリンピック
 1968年 メキシコオリンピック
 1972年 ミュンヘンオリンピック
 1976年 モントリオールオリンピック

ボイコットしている。
Chainaatom  東京オリンピックにいたっては、開会後すぐの時期に核実験(1964年10月16日)までやるイヤらしさ。
 日本のマスコミもこういった点できちんと反論してほしいものである。

2008年4月17日 (木)

第2回日本会議柏崎支部設立準備会

 2時、就寝。

 7時、起床。大粒納豆、鰆の刺身の残りもの、高菜炒め、ウインナでご飯2杯の朝食をとる。

 午前中、来客が3件。市政に関するものであったため、担当課に連絡する旨お答えする。

 12時まえから14時過ぎまで、市内某所での政治に関する打ち合わせ。途中、スパゲティ・ボンゴレを大盛りにし、昼食をとる。

 16時過ぎまで床屋に行き、髪をさっぱりさせる。もともと髪の毛が茶色系なので、今回は黒くした。

Img_2718 18時30分過ぎ、一度、自宅に戻り、祖母の分と一緒にカレーを作り、夕食にする。隠し味に八丁味噌を入れたポークカレーに、ブロッコリー、小粒納豆カップを1つ。
 意外ではあるが、八丁味噌とカレーは相性が良い。

Img_2719 19時から柏崎エネルギーホールでの第2回日本会議柏崎支部設立準備会に出席。
 日本会議は、日本共産党や社民党からは狙い撃ちされる保守系の全国的な団体で、誹謗中傷も多く、『しんぶん赤旗』に至っては固有名詞の前にこんな修飾がつく。


平成19年11月29日『しんぶん赤旗』

改憲案作り着手要求
日本会議議連が総会

 日本の侵略戦争を正当化する「靖国」派議員らでつくる日本会議国会議員懇談会(日本会議議連)が二十八日、国会内で総会を開きました。

 総会では三つの決議を採択。「『軍命令による沖縄住民に対する自決の強制』が教科書記述となることは許されない」「全国学力調査結果の市区町村にいたるまでの情報公開を強く求める」「憲法審査会の速やかな設置を求める」などとしています。

 憲法審査会については「憲法改正の発議に向けて実質的な作業を開始することを強く求める」と改憲案作りへの着手を要請。沖縄戦での「集団自決」をめぐっては「日本史教科書の記述に、軍による強制を加えるための訂正を、文科相が十二月上旬にも認めようとしている」と「危機感」をあらわにし、「記述変更に断固反対する」としました。

 平沼赳夫夫衆院議員(無所属)を会長に再任。会長代行には、自民党の中川昭一衆院議員(再任)とともに中曽根弘文参院議員を新たに選任するなど、新役員体制を決定しました。民主党からも渡辺周、笠浩史衆院議員がそれぞれ副会長、事務局長代行に就任するなどしています。

 総会には、日本会議の三好達会長・元最高裁長官、椛島有三事務総長ら同会議幹部も出席しました。


 誰が侵略戦争を正当化するなどと、日本会議のメンバーが言っているのか不明であり、さらに「靖国」派などとつけ、読者を一定の思い込みの世界に引きずり込む・・・・よく考えれば『しんぶん赤旗』を読む時点で一定の(以下、略)。

 日本国憲法制定に反対した政党が憲法9条を守れと言っていることもおかしいが、日本人が日本を貶める、自分の国の国旗がどうのこうの、という「世界の非常識」行為を改めるべき時期にきており、伝統、文化を保守する運動に邁進したいと思う。

2008年4月16日 (水)

現在の柏崎市政と
西川正純前市長のメッセージ

 1時過ぎ、お誘いの電話があり、相談ごともあるとのことで、市内某店に行きウーロン茶をすすりつつお話を聞く。

 3時、自宅に戻り、シャワーを浴びたのち、就寝。

 目が覚めたところ8時となっており、またも柏崎準倫理法人会の経営者モーニングセミナーには出席できず。
 大粒納豆、生卵、鯖のへしこ、コゴミのおひたしでご飯2杯の朝食。

Img_2709 市内各箇所でのイベントや相談事でのお呼び出しがあったので、市内をウロウロとする。
 えんま通り商店街「笑福市」にて、加茂市出身で兵庫県篠山市在住の絵手紙講師・小林和子さんによる、高柳町特産の門出和紙の絵手紙を拝見したが、素晴らしいものであった。こういった手紙をもらったら、さぞかし嬉しいであろう。

Img_2711 15時過ぎ、お昼も食べていなかったこともあり、ちょうど近くであった「らーめん処 潤 柏崎店」(電話:0257-32-1523)に寄り、「つけめん大盛 830円」で昼食をとる。
 かなりの太麺であり、つけめんではどうかな、と思ったが、悪くはない。

 17時から20時まで事務所にて打ち合わせ。

Img_2712 打ち合わせ終了後、米山町であがった鰆の刺身、同じく米山でとれたタラの芽とコゴミの天ぷらで夕食をとる。仕事が煮詰まっているので、酒を飲む時間はないと思ったが、揚げたてのタラの芽の天ぷらとくればビールである。佐渡で買った藻塩をつけた天ぷらに、歯がしみるほどの冷たいビール。
 結局、500ml3本飲んでしまった。

 食後はひたすら、書類の整理。次々と書類がくるので、だんだんと積まれる量が多くなった。

 昨日、今年11月の柏崎市長選挙に桜井雅浩氏が正式に立候補を表明し、その後、会合がもたれたという。
 その場で、読まれた西川正純前市長からのメッセージが柏崎市内で話題となっており、本日、そのメッセージを入手したので、以下に掲載する。
 現柏崎市政への痛烈な批判である。


総会へのメッセージ

 本日、「地域政党柏崎米山」と「桜井まさひろ後援会」の合同総会が、大勢のご参集の下に開催されますことを心からお喜び申し上げます。

 私にも、是非出席をとのご案内をいただきましたが、「いずれは西川も戦線の一角で合力することになろうが、今日の船出は旧来からの支持者でやっていただきたい」と申し上げ、参加を見送らせていただきました。

 しかし、今日の総会の本旨は、言うまでもなく桜井雅浩さんが今秋の市長選に出馬することの正式な意思表明の場と承知しております。
 その決意をお聞きになる皆さんが、後顧の懸念なく選挙戦に臨むために、私の考えの一端をお伝えすべく、この「メッセージ」に託すことといたしました。

 現在の柏崎市政は、まことに残念なことですが著しく停滞し、芯も軸もなく、成り行き任せの「漂流」の感さえいたします。
 その漂流に追い討ちをかけるように昨年の不幸な地震の被害が加わり、柏崎の行く末に漠然とした不安感、あるいは強烈な危機感を持つ市民が少なくありません。
 一見、災害復旧の工事が大々的に行なわれているように見受けられますが、それは国・県が「災害復旧のメンツに賭けて」強力なネジを巻いているおかげであり、肝心の柏崎市の「当事者意識」や「自らの汗と知恵」は充分ではないという酷評を外部からよく聞かされるところです。

 原因はただひとつ、為政者に「自らの考え方がない」こと、その上、事に当たって「判断し、決定することが出来ない」ことにあります。これは組織の長としては致命的な欠陥であり、そうした弱点を持つ司令官に率いられたあらゆる組織(自治体、企業、軍隊など)の不幸でもあります。
 そのことが現在の「漂流」につながっているわけですが、このままさらに4年間同じ低迷が続くことになったとしたら・・・・、そこに市民の不安と危機感を覆う原因があると考えます。

 こうした市政を何とか打破したいという市民の叫びを背に、桜井さんと、不肖私にも少なからぬ期待が寄せられておりました。しかし、仮に前回と同じ構図の選挙となった場合には、最も大事な目的を果たすことが困難だとの共通認識から、先般来二人の間で様々な意見を交わしてまいりました。

 結果的に、桜井さんの意志が極めて固く、一方「三つ巴は望むところでない」という西川の立場から、今日の桜井さんの決意に私も理解と同意をする次第です。
 但し、これまでの途中、あるいは今現在もなお、この私の心情を潔しとせず、熱心な想いと期待を引きずっている支持者が居るということも少しだけご理解ください。

 桜井さんには幾度となく申し上げましたが、「厳しい戦い」が待ち構えています。
 並大抵の努力ではおぽっかないとの覚悟が必要です。
 しかし、この選挙は、独り桜井雅浩の政治的悲願の成就のためではなく、柏崎の将来を救うという「大儀」のためであると考えれば、苦労を背負うだけの価値ある選挙だと思います。

 小さなうねりからの出発かも知れませんが、桜井さん本人と支持者の皆さんの熱意と謙虚さで多くの共感を巻き込み、時の経過と共に大きな渦となっていくことを期待します。

平成20年4月15日
西川正純

2008年4月15日 (火)

08柏崎青年会議所エネルギー委員会勉強会
民主党の暴走:外国人地方選挙権

 2時、就寝。

 6時、起床。2時間ほどかけて、ここ数日分のブログやメールの返信を書く。

 8時、大粒納豆、牡蠣の佃煮、目玉焼きでご飯2杯の朝食をとる。

 9時から市内某所で政治関係の打ち合わせ。今年11月の柏崎市長選挙に自民党公認で2名が出馬するというデマゴギーが流されており、早くも情報戦が活発になってきた感がある。

Img_2706 12時過ぎ、小粒納豆とひきわり納豆を混ぜた納豆とお茶漬けの素で、丼一杯の「納豆茶漬け」を作って、昼食。
 ひきわり納豆だけでは食感が足りず、さりとて小粒納豆だけでは旨味が足りないときには、合わせるのが一番である。

 13時から1時間ほど、市内で会社関係の事務手続きなど。

 15時から18時まで、今日講師として話をする資料をパワーポイントで作成する。

Img_2707 19時から、柏崎エネルギーホールでの柏崎青年会議所エネルギー委員会の勉強会に出席。来週の柏崎刈羽原子力発電所の見学に向けての勉強会で、委員会メンバーから

 1.原子力発電所を誘致活動をした
   柏崎青年会議所
内でのアンケート集計結果。
 2.世界のエネルギー事情と日本の現状

などが発表された。アンケート結果のなかでは、貴重な実体験に基づいたものが多く、かなり少数ではあるが「廃炉」という意見が2人からあった。
 第3部は、講師として「柏崎市の財政と原子力財源」をお話した。
 今回のポイントは、

 ・柏崎市の財政の現実を見ること
 ・原子力財源への依存をうすくするためにこそ、
           原子力発電所の再稼動が必要
 ・市民のため、
  原子力発電所の存在をしたたかに利用すること

の3点。質疑応答の時間がなかったので、聞いてくれた柏崎青年会議所メンバーにどう伝わったのか気になるところである。

Img_2708 21時10分に終了し、「中華美食館柏崎店」(電話:0257-23-4530)に移動。エネルギー委員会の打ち上げに合流させてもらう。
 現実に即したエネルギー問題の話だけではなく、『機動戦士ガンダム』の核使用を禁止した南極条約とモビルスーツの核融合炉、『宇宙戦艦ヤマト』の波動砲とタキオン粒子などアニメの例え話も多用し、若干名からはドン引きされる。

 24時近くにお開きとなり、自宅に戻る。

 自民党内の人権擁護法案を推進する議員も狂っている、民主党の外国人参政権推進議員も同様である。


平成20年4月9日『産経新聞』

 地方選挙権「朝鮮」籍以外の特別・一般永住者に付与
 民主議連の骨子案

 在日韓国人ら永住外国人への地方選挙権付与に賛成する民主党有志議員でつくる議員連盟(会長・岡田克也副代表)は9日、法整備に関する提言骨子案をまとめた。付与の対象者は、外国人登録原票の国籍欄の記載が「朝鮮」となっている人を除く特別永住者と一般永住者。付与する参政権の範囲は、地方自治体の長と地方議会の議員に限定し被選挙権は付与しない。国政選挙の参政権やリコール請求などの直接請求権も範囲外とする。


 外国人に参政権を付与すること自体、日本だけではなく、国家という概念・枠組みと民主主義を否定することになる。もはや、それを狙っているとしか思えない。
 しかも今回のこの骨子案のいやらしいところは

 ・被選挙権、国政選挙の参政権、直接請求権

を範囲外としての【段階的導入】というところである。
 一旦、地方選挙権を外国人にそれらしい理由をつけて付与すれば、今度は何故、被選挙権がないのか、直接請求権がないのか、それらと地方選挙権は本来セットなものではないか、という議論がはじまることは目に見えている。

 他の国にいいように利用され、日本人自体の生活を危うくさせる将来を夢見るなら、迷わず民主党への投票であろう。

2008年4月14日 (月)

いつまで騙されるのか、映画『靖国』問題
08佐渡市議選 大桃氏当選

 車中で目が覚めたら、なんと2時。せっかく道が空いているので、関越自動車道練馬インター入り口まで、途中、知らない道をまわる。

 6時、自宅に到着。メールなどの処理を行う。

 8時、大粒納豆、昨日の夕食の残り物らしきイカの天ぷら、煮卵、ほうれん草のおひたしでご飯2杯の朝食を取る。

 先週、選挙応援に行った佐渡市の大桃氏から当選したとの御礼の電話があった。
 定数28名に立候補者35名。有権者数が55074人で投票者数44982人、投票率81.68という高さである。応援した大桃一浩候補(37歳、自民党公認)は、1298票で堂々の当選となった。
 相川町議2期、そして市議としても2期目となり、充実の年代。今後、益々の活発な政治活動を期待し、一緒にできる観光振興は積極的に協力していきたい。

Img_2703 9時から「こどもの時代館」にて打ち合わせ。
 これまで同館を訪れたことがある方から、自分(お父さん)の子供時代のものと子供の世代をつなぐ展示がほしいという意見があった。それに対応可能なキャラクターといえば、40年以上の歴史をもつウルトラマン・シリーズではあり、そのなかでも注目すべきは、昭和のウルトラマンと世界観を同一にし、客演も多い『ウルトラマンメビウス』。これまで違う世界観をもつ色々あったウルトラマンの紹介とともに、ウルトラマンメビウスをフューチャーしても良いかと思う。
 『ルパン三世』も捨てがたい。

 10時過ぎ、某制作会社から急遽、打ち合わせをしたいので、都内にでてきてほしいと連絡があり移動。
 駅までの間に、コンビニでたらこおにぎり、納豆巻き、低脂肪乳を購入。移動中の新幹線で昼食として食べる。
 さすがに疲れがでたのか、たらこおにぎりを半分食べたものの、持ったままで熟睡してしまった。

 14時から17時まで打ち合わせ。なんとか企画のかたちになった。帰路の電車のなかからネット関係の仕事をするも、FOMAでの作業にとにかく時間がかかる。

Img_2705 21時過ぎ、自宅に到着。
 何故か無性に名古屋名物である「味噌煮込みうどん」が食べたくなり、乾麺と茹で、八丁味噌、豆味噌を中心にして作る。
 味噌の濃い味、固めの麺を頬張りつつ、ご飯を押し込む炭水化物の「男めし」となった。

 案の定、映画『靖国』に関する問題が続いている。


平成20年4月10日『毎日新聞』

<映画「靖国」>出演の刀匠「李監督は信用できない」

 映画「靖国 YASUKUNI」の中心的な登場人物で高知市の刀匠、刈谷直治(かりやなおじ)さん(90)と妻貞猪(さだい)さん(83)が10日、毎日新聞の取材に応じた。刈谷さんは「映画は刀作りのドキュメンタリーと聞いていた。李纓監督はもう信用できない」と不信感を募らせ、「出演場面をカットしてほしい」と話した。
映画では、靖国神社に軍服姿で参拝する団体など、境内でのさまざまな出来事とともに、第二次世界大戦中、軍人に贈る「靖国刀」を作った刈谷さんへのインタビューなどが全編にわたって登場する。
刈谷さんによると、05年10月ごろ、知人を介して出演依頼があった。数カ月後、李監督ら3人が訪れて2日間撮影。昨年春ごろ、刈谷さん宅で試写が行われた。貞猪さんが「政治的な内容でダメだ」と言うと、李監督は「近いうちに代わりのものを送る」と話したが、連絡はないという。
一方、李監督は10日の会見で「刈谷さんに作品を見てもらい、了承を得た。チラシに使うコメントとして、“誠心誠意”という言葉もいただいた」と述べた。
刈谷さんは「上映をしてもいいと言ったことはないが、今さら何を言っても仕方がない。もう静かにしてもらいたい」と話した。【近藤諭】


 さらには、靖國神社からも削除の要請がでてきた。


平成20年4月13日『毎日新聞』

映画「靖国」:神社が映像削除要請
李監督らに「事実誤認がある」

 ドキュメンタリー映画「靖国 YASUKUNI」(李纓監督)の上映を中止する映画館が相次いだ問題で、靖国神社(東京都千代田区)が、事実を誤認させる映像があるなどとして、李監督と制作会社「龍影」、配給元の「アルゴ・ピクチャーズ」に対し、一部映像の削除を求める通知をしたことが分かった。

 靖国神社が11日付でホームページに公表した。「境内における撮影許可手続が遵守(じゅんしゅ)されていないだけでなく、その内容についても事実を誤認させるような映像等が含まれており」と理由を記載。李監督らに「質問と問題映像の削除等の適切な対応を求める通知を行いました」としている。

 毎日新聞の取材に靖国神社は「取材は14日以降にファクスで受ける」と話した。


 騙されているマスコミのこの次の展開は容易に予想できる。
 靖國神社への攻撃と、引き続き、助成金をだしたことを問題にした国会議員への攻撃である。
 もし、人権擁護法案が通り、この監督が「人権侵害されました」と言ったらどうなるのか。
 人権擁護法案を通してはならないことは、この問題からも見えてくる。

 こういった論点のすり替えを行った行為で一番得するのは誰か、御国のためと若い命をかけ戦った英霊を侮辱し、日本人の歴史観を分断し、得する国はどこか、マスコミにはもっと大きな視点で物事を見て、よく考えてもらいたいと思う。

 「近代日本かく戦えり」

2008年4月13日 (日)

名越先生を偲ぶ、歴史パノラマツアー
東村山市・B29平和観音像と柏崎

 2時、帰宅。2時間ほど仮眠し、愛車にて都内に移動。

 8時前に東中野に到着。駐車場に車を入れ、 「富士そば 東中野店」で「コロッケそば」を食べ、その近くのコンビニで納豆巻きを購入し、ダメ押しの朝食(何故、ダメ押しをするのか自分でも不明)。

 新宿に移動。9時20分、集合場所の新宿住友ビル48階の「平和記念展示資料館」に到着。今日は名越二荒之助先生の一周忌、先生のご遺徳を偲ぶツアーである。
 このツアーも名越先生が名付け親であり、「歴史パノラマ探訪ツアー」のパノラマは、

 「同じ富士山でも静岡から見たのと、山梨からでは違う。
  歴史も同じ。
  色々な角度からパノラマのように見ることが大切」

との先生の思いが込められている。
 長年、名越先生を支えた陸軍史研究家の奈良保男氏(陸軍幼年学校)、名越先生の愛弟子である拳骨拓史氏をはじめ、名越先生にゆかりの31名の方が参加された。

Img_2644 「平和記念展示資料館」は、日ソ中立条約を一方的に排除し、まさに火事場泥棒をしたソ連による日本人の抑留(ポツダム宣言違反)の貴重な歴史資料が保存してある。
 名越先生は、敗戦により朝鮮から満州を経てシベリアへ連行され、そのままシベリアで5年間の抑留生活を送った。
Img_2645 極寒の地における少ない食事で過酷な作業、「民主運動」という名の共産主義の洗脳を受ければ帰国できるという環境のなか、5年間耐え切った。生半可な反骨精神ではない。
 名越先生ご自身、ソ連抑留体験について、それはそれで非常に大切な体験ではあるが、体験のみという視点ではなく、より大きな視点で書き残されており、なかでも新人物往来社『満州国と関東軍』には、次のような文章をお書きになっている。


 ソ連抑留体験は、「真空地帯」といわれた軍隊生活とは比較にならない深刻・痛烈なものであった。それだけに抑留記は著書としてすでに五百冊(自費出版を含め)は出版されているという。小論や文集や関係資料まで集めたら、数千点に達し、図書室ができるほどになろう私もずいぶん集めて読んできたが、体験記のパターンはだいたい決まっているのではないか。
 どの抑留記録にも共通していることは、ポツダム宣言に違反して抑留されたことへの屈辱感や、厳冬の中でのノルマに追われる重労働の苦しみや、最悪の食糧事情の中の飢餓生活などが、共通のテーマになっている。
 (仮定の話になるが)これではツァー時代ロシア帝国に抑留された体験と変わらないではないか。
 ソ連抑留の最大特徴は、ソヴエト連邦というイデオロギー国家に抑留されたことである。
 捕虜を労働に酷使して労働力不足を補うことも目的であったが、別に「民主主義」を体験させて、特異な洗脳教育を行い、作業促進に役立て、あわよくば日本共産革命の一翼を担わせたいという狙いがあったことは、隠すべくもない事実であった。
 イデオロギーに対して処女とも言われた日本人は、これにどう対応したであろうか。
 ここに日本人的体質の特徴と教訓が秘められている。この点にしぼって、私の体験を語りたい。


 そして、

・モスクワ・プシキノ収容所のブルジョア民主主義
・モスクワ・クラスナゴースクのファッショ的民主主義
・シベリア運動のプロレタリア民主主義

といったパターンに分けて、その体験を踏まえた分析を行われている。

 「平和記念展示資料館」が平成12年にできてから、名越先生は平成13年より数度に渡り訪れたそうであり、ご縁のある資料館ということである。
 1時間ほど見学したが、時代背景まで含めて、じっくりと考察しながら見たい貴重な資料が満載。また日をあらためて訪れてみたい。

Img_2647 大型バスに乗り込み、埼玉県所沢市の所沢聖地霊園に移動。
 移動中は、奈良氏から日本本土への空襲をはじめ、日本の航空史などの説明があった。
 日本の都市で、石川県だけが空襲の人的被害が「0」ということを初めて知った。

 中共(中国)の南京大虐殺といったプロパガンダが許されるのなら、こういった空襲の事実をベースに、東京大空襲で女子供を含めた民間人を大量虐殺した

 「東京(トンキン)大虐殺」

という映画でも作れば、日本人の近現代史の歴史観、大東亜戦争の本質がより分かるのではないかと思う。

Img_2665  11時、所沢聖地霊園に到着。
 名越先生のご希望から「明るく、広く、桜があり、お参りしやすい」この地を選ばれたそうであり、戒名は「大法院知健二荒居士」であった。
 名越先生のご令嬢である高草真知子先生(麗澤大学・麗澤高校講師)にもお越し頂き、ご挨拶を頂戴したあと、参加者一同で、名越先生の墓前にて『海ゆかば』を歌う。

 名越先生が高天原に旅立たれてから、あっという間の一年であった。いつも頂戴していた

 「名越です。
  で、ですね、今度の
チャンネル桜の・・・・」

というお電話が、今でもかかってきそうな感じさえする。
 世界に波及したチベット問題をはじめとする民族問題、そしてさらに酷くなった感のある弱腰な日本政府の対応に、名越先生だったらどんなご意見をおっしゃるのであろうか。
 「もう1年か・・・」と一瞬、悲しい気持ちとなったが、生前の名越先生の想いをくみ取り、明るく墓前を後にした。
 今更ながら、まだまだ活躍してほしい方を亡くした喪失感を感じるとともに、託されたことを確実に実行していく決意を新たにした次第である。

Img_2669  12時過ぎ、所沢聖地霊園内の待合室で、ツアーでだされた彩り弁当で昼食をとる。
 食事をとりながら、4月26日の長野市での聖火リレーへの抗議の話となった。聖火リレーを歓迎するサクラとして在日中国人グループが大量動員されると言われている。
 チベット騒動に関する中共への抗議デモは世界各地で行われており、日本での抗議活動がどうなるのか、世界から注目されている。日本の保守派の行動力が試される。

Img_2674_2 食後、同じ所沢市内の所沢航空記念公園に移動。
 日本の航空発祥の地であり、現在でも貴重な資料が多く展示されているところである。
 ただ残念なのは、展示されている航空機が外国製もしくはライセンス製造した機体ばかりなところ。日本がいまだ独立国としての体をなしていないことの証左でもあるが、技術国・日本として、あまりにも情けない。
Img_2679 明治2年(1869年)の開国以来、100年も満たない期間に近代化をはたし、世界をあっと驚かせた「零式艦上戦闘機」(皇紀2600年、昭和15年、1940年)いわゆるゼロ戦をはじめ、「航空・日本」といわれた技術の高さを、戦争うんぬんの価値判断にとらわれることなく、技術にかけてきた日本人の在り方として、次の世代にも伝える展示をお願いしたところである。
*写真は、九一式戦闘機二型 胴体
 また、所沢航空記念公園には「航空発祥の地」や「少年航空整備兵の像」などがある。

Img_2672【説明板】
 この地は明治四十四年我が国で初めて飛行場が開設され同年四月五日早朝徳川大尉操縦のアンリ、ファルマン機が初飛行に成功しました
 それ以来、我が国航空界の発達に貢献した由緒ある「航空発祥の地」であります
 
 平成十二年四月五日
  所沢市
  所沢航空資料調査収集する会


Img_2680【説明板】
 この銅像は、昭和十八年、彫刻家故長沼孝三氏(一九〇八~一九九三)が第二回大東亜戦争美術展に出品し、翌十九年五月二十一日に、当時この地にあった所沢航空整備学校内に建立されたものです。
 翼を抱き、空を見上げる航空整備兵三人の姿は、当時の少年飛行兵や整備兵のシンボルとされていました。
 戦後、所沢飛行場は米軍基地として接収され、昭和四十六年の基地返還により、所沢航空記念公園として整備されました。しかしこの像は傷みがはげしかったため、所沢航空資料調査収集する会では、後世にわたりこの像を保存していこうと、平成九年二月、長沼孝三彫塑館(山形県長井市)の協力をいただき、修復工事を行いました・
 空への夢と希望を抱いたこの像が、市民のやすらぎや平和への祈りを込めた像として永く市民の親しまれていくことを願ってやみません。

 平成十年三月 所沢市
        所沢航空資料調査収集する会

【彫刻裏面】
 昭和十八年 夏 孝三作

【銅像台座】
 平成十七年十二月移設
 所沢航空資料調査収集する会
  会長 越阪部四一郎
 施工
  貫井石材彫刻店


Img_2690 14時過ぎ、所沢航空記念公園を後にし、お隣、東京都東村山市秋津に移動。
 ここには、墜落したB29搭乗員を祀った平和観音像がある。
 昭和20年4月2日、この地にB29が墜落し乗組員11名が戦死した。
 地主である小俣権次郎さんをはじめ、近隣の住民の方の手によって遺体を共同墓地に埋葬したという。名越先生が著書『世界に開かれた昭和の戦争記念館』に取り上げたこともあり、次男にあたる小俣光明さんにご説明を頂いた。

 参拝させてもらうとともに、非常に興味があったので、色々なことを質問した。
 なぜ非常に興味があったかといえば、戦争のことだけのことではない。東村山市は、我が柏崎市と姉妹都市だからである。


○盟約書
(東村山市と柏崎市との姉妹都市盟約書)

 東村山市と柏崎市は、長年にわたり培ってきた尊敬と友情の関係を確固たるものとし、両都市のさらなる発展を念願して、ここに姉妹都市として提携することを盟約する。

平成8年10月1日
             東村山市長 細渕一男 柏崎市長 西川正純


 しかも、柏崎市には二式複座重戦闘機「屠龍」でB29を26機撃墜し、本土防衛に活躍、「武功章」を昭和20年5月にもらった樫出勇氏がおり、関連性がまったくないということもない。

 ちなみに、東村山市は米国ミズーリ州インディペンデンス市とも姉妹都市となっている。原爆投下を決断したトルーマン大統領の出身地でもある。

Img_2691 本来、軍人と軍人が戦う戦争において、民間人を狙う空襲を繰り返すB29。その恩讐を超え、敵国アメリカといえども、御国のために戦った軍人として、ここ東村山市の人々は丁重に扱った。さらに戦後、遺体を米軍墓地に移送するとともに、この平和観音を立て、世界の恒久平和を願ったという。
 B29が墜落した当時、小俣光明さんは16歳。お父様である小俣権次郎さんは昭和25年に他界。仏になった以上、敵国も関係無く英霊であるというお父様のご遺志をつぎ、戦後、乗組員の遺族を捜してまわった。そして昭和54年に3回目の渡米をし、やっと11名全員の遺族を突き止め、報告をした。
 米軍は、大東亜戦争終結後、朝鮮戦争、ベトナム戦争と突き進んだため、詳細な情報がとれなかったという(この辺からアメリカの国柄も見てとれる)。

 乗組員の情報(pdf形式)

080413_omata  この話は、全米でも話題となり、1978年1月号の『デルタ・ダイジェスト』誌にも、「ザ・オマタ・ストーリー」として掲載された。
 光明さんのもとには、昭和60年に在日米軍のチャールズ・ダナリー司令官、昭和61年にはウォールター・モンデール駐日大使、昭和63年にはアーチー・クレメンス米太平洋艦隊司令官にそれぞれ招かれ、感謝状を与えられている。
 名越先生が願っていたように、ハワイ真珠湾攻撃の際の飯田房太大尉の慰霊をはじめ、日米双方の武士道ともいえる、互いをたたえ合う精神をより多くの若い世代に伝えたいものである。

Img_2695 続いて、福生市の清岩院(電話:042-551-1986)に移動。
 ここには、支那事変以後、真の日中友好を訴え、親日和平路線をとった汪兆銘政権に司法長官として参画し、『中華日報』総編集長としても活躍、戦後は日本に亡命した一級文人・胡蘭成氏の墓がある。
 胡蘭成氏は、蒋介石率いる国民党軍、毛沢東率いる中国共産党との戦いに敗れ、両方から狙われ、日本に亡命した。
 日本では、数学者の岡潔、日本浪漫派の保田與重郎、川端康成等々と親交を結び、日中の文化の架け橋として、活躍した人物である。ちなみに別れた奥様は、作家の張愛玲女史。
 お父様が胡蘭成氏と親交があり、ご本人も頭を撫でてもらったという記憶がある拳骨拓史氏から解説があった。
 胡蘭成氏は汪兆銘政権に参加時に、現在考えられているほど親日的ではなく、親日家となったのは、訪日し、伊勢神宮を参拝してからという。
 確かに、こんな文章も残している。


 天照大御神の稲授けと外宮の山の幸と海の幸を思って気が付いた。
キリスト教のエホバ祭りは天を祭るに当たるが、外宮に当たる祭りはキリスト教にはない。故に「人世の建設」がないのである。
大御神の稲授けと歴代天皇の大嘗祭と年毎の新嘗祭は「人世の建設と報本の悟り」なのである。他宗教にはこれがない。
 ギリシャのオリンピス神山にも、ヘブライ人の聖書にいうエデンの園や天国にも、日本の高天原のような風景がない。高天原には稲造りと機織(はたおり)があった。
 その演繹で人の世に「礼と楽」との風景が啓けたのである。


 胡蘭成氏の名前は現在ではあまり話題とならないが、名越先生が忘れ得ぬ人として取り上げたように、戦中、戦後の日本とあの大陸との交流を正確に読み取るためには、よく勉強する必要がある人物であろう。

 18時過ぎに一応のツアー終了となったものの、かなりの渋滞があり、終点の新宿駅に着いたのが20時。帰りの電車の時間がある地方の方もおり、お別れの挨拶もそこそこに解散となった。

Img_2700

 21時近く、東中野駅に着いたものの、異常にお腹が空いていたので、駅近くの「麺家 ばく」(東京都中野区東中野4-4-3 電話:03-3366-2310)にて、「ちゃーしゅーめん 並 900円」を食べる。
 麺の茹で具合、味の濃さ、油の量を決められるので、「麺固め、味濃いめ、油普通」で注文したが、なかなかの味で特にチャーシューの味の染み込み具合、歯ごたえは好みであった。次回、また食べにこようと思う。

 駐車場に行き、愛車のシートに座ったところで、眠気が襲ってきたので仮眠。

2008年4月12日 (土)

08佐渡市議選応援3日目
本間雅晴将軍の碑

 2時、就寝。1時間ほど寝ても目が覚めてしまい、夜中にビール500mlを2本飲む。

Img_2610 7時、起床。少し酒が残っていたが、ホテルの朝食にてご飯3杯をかっ込み、そのまま温泉にドブン。30分ほど浸かってから、荷物をまとめ、ホテルを後にする。
 本来であれば、全日程をお手伝いしたいが、地元での会議もあるので、本日が最後となる。

Img_2629 8時から街宣活動。
 選挙戦も今日が最後であり、大桃一浩候補も喉を気にしている。
 さすがというべきか、当たり前というか、自民党新潟県連が誇る、新潟県のナンバー1・ウグイス嬢は喉が弱ることなく、今日も鳴きまくりである。
 支援者からの応援の声に間髪入れず、感謝の言葉をのべ、候補者の名前を連呼するかと思えば、まちの状況などを伝える。まさにプロフェッショナルである。

Img_2631 12時過ぎ、佐渡高校近くの「Un Grand Pas (アン・グランパ)」(電話:0259-52-7878)にて、「豚ひき肉トマトカレー 温泉玉子添え 840円」で昼食。タバスコとチリ・ペッパーをもらい激辛にして食べる。なかなか雰囲気の良いお店で女性に喜ばれそうである。
 食後は、セットのコーヒーではなく、グレープフルーツジュースを一杯。

Img_2639 14時まで街頭演説での応援演説などの選挙活動ののち、船の時間もあることから選挙スタッフの皆さんにご挨拶をして、街宣隊から離脱。
 また、ありがたいことに、大桃一浩候補を応援している、地元・相川の豆腐屋さんである椎野商店さんからお土産も頂戴した。
 選挙に応援に来たんだか、楽しみに来たんだか、申し訳ない限りである。

Img_2638 支援者の方から車で送って頂き、佐渡市立後山小学校前にある日蓮宗「日朗山 本光寺」に寄ってもらう。
 このお寺は、日蓮聖人が赦免状を渡されたのが場所であり、赦免状手渡しの際、日蓮聖人が腰掛けたとされる「赦免石」がある。
 しかし、目的はこの「赦免石」ではなく、佐渡出身、悲劇の将軍と言われた本間雅晴中将の慰霊碑である。
Img_2632 本間中将の母校である後山小学校の正面に、 「本間雅晴将軍の碑」が建っていた。
 お寺の方にお聞きしたところ、本間家のお寺は別に存在するが、慰霊碑を建立するという話がでたところで、他の檀家さんから「戦争犯罪者だから」と猛反対を受け、縁もゆかりもないものの、母校の前であるこのお寺の境内に建立されたそうである。
 どの時代にも、相手の洗脳作戦に引っかかった方はいるようである。

 本間雅晴中将(陸士19期)は、司令官として第14軍を指揮し、コレヒドールにおいて、当時フィリピン軍司令官であるマッカーサー大将をコテンパンにし、マッカーサーは部下を置いてオーストラリアに脱出した。
 そのときに発した有名な言葉が、

 「I shall return!!」
(私は必ず戻って来る)

である。
 そして、移動のためのトラックもない状況において、捕虜を砲撃から守るために、徒歩で移動させたのが、いわゆる「バターン死の行進」。良かれと思って行ったことが、戦後、逆にとられマニラの軍事法廷で死刑となった。
 本間雅晴中将と奥様に関わる感動的なお話の他、やはり台湾の高砂族との緊密な関係が特筆されよう。
 佐渡の観光活性化のためにも、そして佐渡の次の世代のためにも本間雅晴中将のことは語り継いでほしいと思う。

 旧字体を新字体に直したが、碑文は以下のように書いてあった。


 われらは此処に本間雅晴将軍の名を記録することを誇とする
 将軍は太平洋戦争の悲劇的運命に殉じて刑場の露と消えたが
 剛毅果断にして温情豊かなる人格への思慕は
 国民の心にと共に新しく
 従容として死に就いた将軍の姿は
 愈々光彩を加え来たるであろう

 昭和三七年四月 尾崎士郎 記之


 ちなみに、碑文を書いた作家・尾崎士郎氏と本間雅晴中将のお墓は、同じ神奈川県川崎市の信行寺(春秋苑)にある。

Img_2573 15時30分、両津港発のボーイング社製ジェットフォイル「すいせい」に搭乗。両津港の看板には、

 「また来てくれっちゃ
 思い出の島 佐渡」

とあり、佐渡弁を話す『うる星やつら』のラムちゃんを思い出しつつ、次回は観光客としてくることを誓う。

 16時30分、ありがたいことに自民党新潟県連職員のS氏が迎えにきてくれたので、泊めておいた愛車に乗り換え、自宅に戻る。

Img_2640 18時30分から町内の平成20年度成年会総会に出席。
 今年の成年会としての行事の確認と予算案の確認、そして役員の改選を行った。
 こなせるかどうか不安であるが、副会長を拝命した。

Img_2641 議事終了後は、懇親会。
 佐渡帰りということもあり、佐渡するめ、そして椎野商店さん特製の「御座船揚げ」を酒宴にそえる。「御座船揚げ」は、30cmに近づこうかというその大きさ、ズンとくる重さといい、まさにメタ油揚げである。
 東京への移動があったので、懇親会は中座させてもらう。

 一度、自宅に戻ったところで東京に行く身支度。
 しかし身支度をしている最中に、相談があるとの呼び出しの電話があり、市内某店に移動する。

2008年4月11日 (金)

08佐渡市議選応援2日目
アホバカに 入れた一票 俺もバカ

Img_2578 5時、起床。ホテル1階の温泉にゆっくりと1時間半ほどつかり、7時から朝食をとる。
 今日の街頭演説も気合いを入れるため、ご飯3杯をかっ込む。
 しかし、納豆を食べていないことにも気づき、昨日の街宣途中で買った佐渡市内の「王子納豆」を部屋に戻ったところで1パック。

Img_2579   8時から旧・小木町を中心に街頭演説。
 旧・小木町と我が柏崎市とは、浪曲『佐渡情話』における「お光・吾作」、柏崎の伝承における「お弁と藤吉」の恋物語から、ずっとお付き合いをしてきたこともあり、何回か訪れた町である。
 よく考えると、藤吉(吾作)は不倫をしておきながら、けなげに小木町からたらい舟に乗ってやってくるお光(お弁)を結果的に死に至らしめてしまう自分勝手な男であり、柏崎の男がそうだと思われるのも、ちょっと心外な部分もある。
Img_2583 旧・小木町の皆さんは温かく、人情味を感じる良い町で、蕎麦をはじめ食事も美味い。
 今回の街頭演説でも、「柏崎から応援にきた」という冒頭から関心をもって聞いてくれる方も多かった。
 町のなかには、面白い方もいるようで、ある方の家にはこんな川柳が書いてあった。

 ガンバレと 応援するが 浮動票
 アホバカは おだてて落とせ ほめ殺し
 Vサイン 夢見て走る 選挙カー

 なかでも一番印象が強かったのは、これまでの選挙を反省したかのような、この川柳であった。

 アホバカに 入れた一票 俺もバカ

 昨年の選挙で私に投票してくれた方にこう言われないよう、きちんとした政治活動をしていきたいと思う。

Img_2580 また、小木港の近くにある交通看板が秀逸であった。

「交通安全
 追越し違反 9000円
 佐渡するめ 500円」

 柏崎でも、これぐらいの遊び心がほしい。

Img_2589 12時過ぎ、一度、選挙事務所に戻り、休憩と選挙スタッフの交代。
 網元の直営店「寿司 りきずし」(電話:0259-74-3326)の出前「ちらし寿司」にて昼食。玉子焼きが美味い。
 人の選挙の応援に来ていながら、太って帰りそうである。

Img_2591  食後、せっかくなので相川町周辺、商店街を歩いて視察。
 大桃一浩候補もその実現に奔走した、 「はんが甲子園」によるまちかどギャラリーがあり、何件が入り、見学させてもらった。
 聞けば、やはり最初はそんなくだらない事やっても意味がない、との批判も多かったようであり、今になってはやってよかったと某商店の店主もおっしゃっていた。

Img_2595 13時から姫津港で街頭演説。
 この姫津港には、一度来たことがあり、そのときの印象は我が柏崎の番神がこんな感じだったら良いであろうな、というものであった。
 自然の石とコンクリートによる整備の調和がとれており、磯遊びにも釣りにも楽しめそうなところである。

Img_2596 何カ所かで街頭演説をしたのち、市が開催されているとのことで、開催されている通りの近くで街頭演説。
 昔ながらの市といった風情で味があり、大桃一浩候補が歩いて握手をしたあとからついていき、美味しそうな食べ物を買いながら、販売されているお婆ちゃんやお爺ちゃんに色々とお話をお聞きする。
Img_2597 「もじゃきん」という、栗の形をした大判焼きのようなお菓子が名物とのことで、選挙スタッフの方から一つ頂戴し、食べてみた。中には粗つぶしのあんこがパンパンに入っており、薄く香ばしい皮がまたピッタリである。
 何故「もじゃきん」かと聞けば、屋号の「茂左ェ門」と「きんつば」が、くっついた言葉だそうだ。

Img_2600 続いて、両尾山を登った、航空自衛隊佐渡分屯基地の近くでも街頭演説を行い、自衛隊の駐屯地も地元にとって重要な施設であることの再確認などを大桃一浩候補が訴えた。
 航空自衛隊佐渡分屯基地は、航空自衛隊入間基地の分屯基地であり、第46警戒隊、中部航空施設隊第一作業隊が駐屯している。
Img_2601 構内には、F-1支援戦闘機が展示されており、構内の開放イベント時には子供に大人気という。さらに大人気なのは、子供だけではなく、社民党、共産党にも大人からも人気で、弾道ミサイルを追尾できる初の新型地上レーダー「FPS-XX」設置についても、かなり騒いだという・・・・安全が高まるレーダーの設置で文句をつける意味合いがよく分からない。
Img_2604 その後、旧・金井町の金井総合運動公園で休憩。
 この公園は、防衛予算のなかの周辺整備により設置された公園で、かなり機能的な作りになっている。
 公園内には、昭和50年代まで航空自衛隊の主力戦闘機であったF-104J要撃戦闘機(愛称は「栄光」)が展示されているが、メンテナンスの悪さが目についてしまう。
Img_2605 公園内の桜が美しく、桜を見ながら、先ほどの市で購入した「大根の酢漬け」とお茶を飲む。
 酒なし、漬け物とお茶のつつましい、つかの間のお花見である。
 体力回復、気分転換をし、20分後、街宣活動を再開。

 今日は同時選挙となっている市長選挙の候補者の演説などがあり、早めの19時に街宣活動終了。

Img_2609 20時過ぎから 「居酒屋&スナック おるふぇ」 (電話:0259-74-3851)にて、夕食をとる。
 またも子がたっぷり詰まったイカの煮物、そして透き通ったイカの刺身につい箸が進み、またも生ビールのジョッキを痛飲。昨日より多く、6杯飲んでしまった。猛省。

 23時、宿泊先の「ホテル さどや」(電話:0259-74-3511)まで送ってもらうも、まちなか探検がしたくなり、ホテルの外にそっとでてみる。
 しかし、道は暗く、いわゆる飲み屋街までたどり着けず、途中で引き返す。

2008年4月10日 (木)

08佐渡市議選応援1日目

 なかなか仕事が終わらず、ほぼ徹夜に近くなったが、5時から仮眠。

 7時、起床。塩納豆を入れたおにぎり2個を作り、グレープフルーツジュースをもって、愛車で新潟市に移動。運転しながら朝食をとる。

 9時、自民党新潟県連に挨拶しつつ、車を置かせてもらう。
 タクシーで佐渡汽船乗り場まで移動し、ジェットフォイルの往復チケット11490円を購入。

Img_2561 10時、ボーイング社製ジェットフォイル「ぎんが」にて、佐渡市両津港まで移動する。さすが時速80kmを誇るジェットフォイル、速く快適である。
 客室外に出ることは禁止されているが、一回外でその風を体験してみたいものである。

Img_2566 11時、佐渡市両津港に到着。
 今日から3日間、自民党公認候補でもあり、自民党新潟県連の青年部でもお世話になっている大桃一浩氏の応援活動である。
 選挙スタッフの方に迎えにきてもらい、早速、合流。気合いを入れ、さて!といったところで昼食時間となった。

Img_2564 12時、佐渡唯一の道の駅「芸能とトキの里」の展望大食堂で、「日替わり定食 800円」。とにかく食べてみて米の美味さと牡蠣などの煮物の風味に驚いた。「ながも」の味噌汁も、食感が良い。人の選挙の応援に来て、美味しいものを食べる・・・・申し訳ない限りである。
 他の保守系の候補者も同じ食事時間となり、敵陣営ながらも和気藹々とした雰囲気であった。

Img_2565 食後はひたすら街宣活動。
 候補者の方針もあり、とにかく多くの場所での街頭演説である。目標は選挙期間中に300カ所。既に200カ所を超えている。
 家の外まででなくとも中で聞いてくれる方もおり、演説が終わったところで家の中から合図してくれる方もいる。ありがたい限りである。

Img_2569 19時過ぎ、すっかり暗くなったなか、他の候補者の街頭演説を聞きながらも、大桃候補の街頭演説も聴いてみたい、という地元の方からのありがたい要請を受け、急遽、街頭演説場所を変更。候補者自身が涙する高齢者政策の訴えに、多くのご年配の方が涙していた。

 20時、街宣活動終了。

Img_2576 21時過ぎ、 「居酒屋&スナック おるふぇ」 (電話:0259-74-3851)にて、夕食。
 子がたっぷり詰まったイカの煮物や甘い独特の醤油をつけて食べる脂ののった刺身に、つい調子に乗って生ビールのジョッキを5杯飲んでしまった。

 23時、宿泊先の「ホテル さどや」(電話:0259-74-3511)まで送ってもらい、温泉に1時間ほど入ったのち、就寝。

2008年4月 9日 (水)

チベット問題:日本仏教界も動きだす
柏崎市議会議場は倒壊危機?

 かなりお叱りを受ける柏崎市政の話が続き、2時過ぎにやっとお店をでる。3時、帰宅。シャワーを浴びたのち就寝。

 7時、起床。大粒納豆、ひじきの煮物、岩海苔、生卵でご飯2杯の朝食をとる。

 8時から10時及び11時から13時近くまで、市内某所で政治に関する意見交換会。途中、コンビニの納豆巻き2本、低脂肪乳、コーンサラダを購入し、昼食にする。

 途中、今日開催された議会運営委員会の情報が入ってきた。
 驚いたのは柏崎市役所庁舎の耐震診断結果である。なんと議場については庁舎耐震診断の結果「耐震性に疑問、倒壊の可能性高い」となり、耐震補強工事を実施することとなった。
 そのため、6月議会、9月議会の本会議はソフィアセンターで議会が開催される。
 より多くの方に傍聴に訪れてもらうチャンスだととらえ、一般質問でガンガンと柏崎市政のおかしいところを追及したい。

 14時から17時まで市役所や市内で、全国若手市議会議員の会や会派の事務手続きを行う。

Img_2558 19時から「第3回えんま通りまちづくりの会全体会」にオブザーバーで出席。道路関係については、県道であるため、市議会議員の出番はない。
 これまで任意の団体であったが、地権者、町内会、テナント入居者などの利害を代表する協議会を設置すること、今後の道路拡幅に関する一定程度の合意をもつための会議であった。
 これから先は、UR都市機構の提案などを参考に、身の丈に合った復興へと活動が進んでいく。

Img_2559 21時過ぎ、自宅に戻り、チキンカレーにひきわり納豆を入れ、さらにコスタリカの「サルサ・デスソース(salsa de la MUERTE)」 をかけて激辛仕様にして夕食。
 食後は、明日から佐渡に行くため、緊急な仕事をとにかく処理する。

Tibet チベットの宗教弾圧、民族差別について、日本の宗教界はどう思っているのか不思議に思っていたが、いよいよ抗議の声がでてきた。
 非常に勇気ある行動だと思う。以下の声明をテレビ生放送で行った住職がおっしゃるように無理に続け!というわけではないが、より多くの日本の仏教者に考えてほしいと思う。


 今、私達日本の仏教者の真価が問われています。
 チベットでの中国の武力行動によって、宗教の自由が失われることに心から悲しみと、やむにやまれぬ抗議を表明せずにはいられません。
 私たちは、あくまでも宗教者、仏教者として、僧侶を始めとするチベット人の苦しみをもはや、黙って見過ごす事が出来ません。
 チベット仏教の宗教的伝統を、チベット人の自由な意思で護ると言うことが、大切な基本です。
 皆さんは、日本の全国のお坊さんどうしているのかとお思いでしょう。
 日本の各宗派、教団は日中国交回復のあと、中国各地でご縁のある寺院の復興に力を注いで来ました。
 私も中国の寺院の復興に携わりました。
 しかし、中国の寺院との交流は、全て北京を通さないと出来ません。
 殆ど自由は無かった。 これからもそうだと全国の殆どの僧侶は知っています。
 そして日本の仏教教団が、ダライラマ法王と交流することを、北京は不快に思うこともよく知られています。
 あくまでも宗教の自由の問題こそ重大であると、私は考えています。
 しかし、チベットの事件以来、3週間以上が過ぎて尚、日本の仏教界に目立った行動は見られません。
 中国仏教会が大切な友人であるなら、どうして何も言わない、しないで良いのでしょうか。
 ダライラマ法王中心に仏教国の歴史を重ねてきたチベットが、今無くなろうとしています。
 私たちは宗教者、仏教者として草の根から声を挙げていかなければなりません。
 しかし、私の所属する宗派が、中国の仏教界関係者から抗議を受けて、私はお叱りを受ける可能性が高いでしょう。
 このように申し上げるのは、私達と行動を共にしましょうということではないのです。
 それぞれの御住職、檀信徒の皆さんが、これをきっかけに自ら考えて戴きたいのです。
 オリンピックにあわせて、中国の交流のある寺院に参拝予定の僧侶もいらっしゃるでしょう。
 この情勢のなか、中国でどんなお話をされるのでしょう。
 もしも、宗教者として毅然とした態度で臨めないならば、私たちは、これから、信者さん、檀家さんに、どのようなことを、説いていけるのでしょうか。
 私たちにとって、これが宗教者、仏教者であるための最後の機会かも知れません。

書寫山 圓教寺 執事長 大樹 玄承 

平成20年4月5日

2008年4月 8日 (火)

国連 平壌での五輪聖火リレー参加取りやめ

 議事録のまとめに手間取り、4時就寝。

 7時、起床。大粒納豆、マカロニサラダ、切り干し大根、生卵でご飯2杯の朝食をとる。

 食後、原子力関係の業界新聞など過去一年分をチェック。

 9時過ぎ、愛車で長岡市に移動。どうも交換の時間がなく、いまだにスタッドレスタイヤである。

Img_2554 10時から長岡市内某所にて打ち合わせ兼試食、試作品評価。
 納豆の商品開発に関わるもので、営業の方はイマイチと評価した納豆をボンボンとゴミ袋に入れていた。納豆に対する愛情がないっ!と、半分ジョークのふりで怒ったが、実はマジ切れ
 納豆だからというわけではなく、仕事への情熱の無さ、取り組み方として間違っていると思ったからである。結局、残った納豆はすべて頂戴した。

 13時、自宅に戻り、大量の納豆で納豆丼で昼食。今日は、この時点で20パック以上は食べている。

 15時、17時と来客があり、政治関係の意見交換。

 19時、市内某店にて、意見交換会がてら、ヒレトンカツ定食大盛りで夕食をとる。

 22時、一度自宅に戻るも、呼び出しがあり、市内某スナックに行く。

Nkorea チベット騒動で北京オリンピックの聖火リレーへの抗議活動が世界的に活発化しているが、実は北朝鮮での聖火リレーも問題になっていた。
 オリンピックと政治宣伝は、切っても切れない関係であり、聖火リレー自体が、ナチスのプロパガンダ大会と言われた、1936年のベルリン・オリンピックに始まる。
 高山正之氏ではないが、 『世界は腹黒い』のである。


平成20年4月8日『産経新聞』

国連 平壌での五輪聖火リレー参加取りやめ

 【ニューヨーク=長戸雅子】国連報道官は7日、今月28日に北朝鮮の平壌で行われる北京五輪の聖火リレーに、当初予定していた国連児童基金(ユニセフ)職員らの参加を取りやめると発表した。
 報道官は「(国連の参加が)北朝鮮の児童が置かれている現実への関心を高めることにつながると確信できない」と理由を説明した。聖火リレーへの国連の参加が、北朝鮮の政治宣伝に利用されることを懸念したとみられる。
 ユニセフの聖火リレーへの参加は、国際五輪委員会(IOC)が要請していた。報道官は、IOCとは今後とも協力していく姿勢を強調した。
 五輪聖火が平壌に入るのは初めてで、28日は主体(チュチェ)思想塔、凱旋(がいせん)門、金日成広場など約20キロにわたってリレーが行われる予定。聖火ランナーは80人で世界大会で活躍した元スポーツ選手ら北朝鮮国民が大半だが、在平壌の中国大使も参加する予定。
 国連の不参加決定を最初に報じた英紙サンデー・タイムズは「恥知らずな政府が聖火リレーを政治的イベントとして利用する可能性があることを国際機関として初めて認めたとものいえる」との外交筋の言葉を紹介している。

2008年4月 7日 (月)

平成20年柏崎小学校、第一中学校入学式

 0時55分、日本テレビの「NNNドキュメント’08 兵士たちが記録した南京大虐殺」を見る。
 紹介文では、

「兵士たちの日記と証言で描く南京大虐殺 農民が殺りく者に変わっていく軌跡
日中戦争真っ只中の70年前、南京陥落時に起きた南京大虐殺。様々な議論を生み、虐殺の人数さえ両国の間で大きな開きがある。この事件について、20年間身を削るような調査を続けてきた人がいる。彼が探り当てたのは、兵士が最前線で綴った「陣中日記」。そこには日本軍が中国人捕虜1万数千~2万人を一挙に虐殺したことが記されていた。また農民が突然戦場という異常な世界に放り込まれ殺戮者に変貌していく姿が浮かび上がる。」

とあったが、案の定、酷い内容であった。南京大虐殺と言われているのは、非戦闘員である30万の南京市民を虐殺した と言っていたのである。今回のこの番組が扱ったのは、戦闘員同士の捕虜の処刑である。ここで早くもすり替え。
 しかも、現在の中共(中国、中華人民共和国)とつながるかのようなナレーションもされていたが、当時は中華民国であり、蒋介石率いる軍と戦ったのであって、毛沢東の共産党軍はもとより、和平を望み日本軍と協力関係にあった汪兆銘のことは触れられなかった。
 そもそも、自軍の将兵を置き去りにし、さらには日本軍の事前通告にも関わらず、南京城内をオープン・シティーにせず、非戦闘員である南京市民を巻き込ませて、トットと逃げたのが蒋介石
 日中戦争という呼称を使うから、相手が望む通りに、現在の中共(中国、中華人民共和国)と戦争したように錯覚を起こす。
 正確には、支那事変であり、当時の大陸は謀略うずまく混沌とした状況であったことをよく理解すべきであろう。何も日本軍だけが大陸に駐屯していたのではなく、白人列強国の軍も駐屯していた。
 ちなみに蒋介石が軍事を学んだのが、現在の陸上自衛隊高田駐屯地である。

 4時、就寝。

 8時、起床。大粒納豆、目玉焼き、たらこ、菜っ葉の油炒めでご飯2杯の朝食をとる。

Img_2522 10時に母校である柏崎市立柏崎小学校に移動。
 今年度から校長となったW先生は、中学2年生のときの担任の先生であった。また、多くの保護者は同級生や自分より年下が増えてきており、時間の流れを感じるとともに、自分の情けなさを感じる。
 10時30分から入学式。元気の良い72名の新入生の挨拶がよく、一人の子は「ありがとーーーござーまーーす」
と大声を張り上げていた。こういった素直な子にはドンドン伸びてもらいたい。

 無事、入学式が終了し、そのまま市内での打ち合わせに途中参加。ミックスサンドイッチ2人前、グレープフルーツジュースをランチにとりながら、13時までイベント関係のことを話し合う。

Img_2523 13時、母校である柏崎市立第一中学校に移動。校長室での雑談のなかで、今後中央地区の生徒数を増やす政策をやるべきではないか、とのご提案があった。確かに若い世代は、車の置き場所も含め、広く安い土地を求め、郊外にでてしまったおり、さらに次の世代は市外に流出している。Uターンもしかりであり、原子力財源の活用をそこに見いだすべきでは、とのご意見もあった。
 13時30分から入学式が開始となり、厳粛な雰囲気のなか、86名の新入生を迎えた。

 15時、上越市に移動。16時過ぎから政治に関する意見交換会に参加する。

Img_2526  19時過ぎに柏崎に戻り、柏崎青年会議所のECO活動推進委員会の会議に出席。
 オープニングビデオ、レポートビデオ、パワーポイントの資料の最終確認であったが、何点かの修正がでてしまった。

Img_2527 21時、自宅に戻る。
 スーパーで半額になっていた甘海老、つぶ貝(解凍)の刺身、ひきわり納豆、きんぴら牛蒡でご飯2杯の夕食をとる。
 食後、ひたすら議事録を書く。

2008年4月 6日 (日)

見事にハマった映画『靖国』問題
異常な『新潟日報』社説

 2次会がかなり盛り上がり、カラオケでは『イヨマンテの夜』 (作詞:菊田一夫 作曲:古関裕而)など難しい歌に挑戦。知人からの電話もあり、3次会、4次会と進んでしまい、自宅に戻ったのは3時過ぎであった。
 シャワーを浴びたのち、就寝。

 9時、起床。さすがに二日酔いなので、ひきわり納豆を使った納豆茶漬けで朝食をとる。

 午前中は、事務所の掃除。なかなか片付かず、歩く場所もないほど書類が広がっている。

 11時から上越市に移動。途中、コンビ二で納豆巻き2本、低脂肪乳、浅漬けきゅうりで昼食をとる。

 16時ごろまで、政治関係の2件の打ち合わせを行う。

Img_2521 18時、自宅に戻り、頂き物の北海道産のぷくぷくしたほたてを無塩発酵バターとクレイジーソルトで焼いたもの、大粒納豆、肉じゃがでご飯2杯の夕食をとる。
 食後はひたすら原稿を書く。

 以前、本ブログにも書いた中国人の李纓監督が制作した、靖國神社がテーマのドキュメンタリー映画『靖国 YASUKUNI』の東京都内での上映が中止になったという。
  マスコミ報道とは違い、「シネマート六本木」「シネマート心斎橋」を経営するエスピーオー担当者は、上映中止を決めたのは映画館側ではなく、配給会社の方から中止の連絡があったと証言し、文書まで公開している。

 ゲーム理論通り、見事な中国人側の作戦勝ち である。
 日本のマスコミは、こぞって国政調査権による「表現の自由」への弾圧だ!と国政調査権を政治的圧力とのすり替えをやる。
 本来、責められるべきは「政治的に公平公正」を求められる助成金制度の審査が甘かった文化庁。
 この映画で中心となる人物には菅原龍憲氏、高金素梅氏がおり、助成金の申請時でも靖國神社、そして小泉純一郎元首相を相手取って訴訟を起こしていた。つまり、テーマとなる靖國神社と係争関係にあった。この点を見ても、チェックの甘さといい、異常である。
 今回の映画にある種のイデオロギーがあることを認めつつ、それを含めて口を出すべきではない、という意見もあるが、この問題の根本に戻れば、わざわざ日本の助成金制度を使ったところにある。
 日本の助成金を使うことで、以下の3つの効果が期待できる。

 1.単純に、資金的な面(750万円)。
   
ただし、意味が薄い。
 2.この映画は公式に日本政府も認めていると宣伝できる。
   広告費に5000万円以上もかけられる資金力がある
   ことから、この意味が一番大きい。

 3.税金を使っていることから日本の保守陣営が騒ぐ
   
保守系議員をマスコミと一緒になって潰すことを目的にする。

Hokori  共産党をはじめ、野党も騒いでいるが自分たちが、かつて同じことをやってことを忘れているようである。
 日本青年会議所が作ったDVDアニメ「誇り」のときには、自分たちが国会で騒ぎ、日本青年会議所も情けないことに迎合してしまった。
 そういった事は触れずに、違う問題であるNHKのねつ造報道や日教組の会場使用のことと強引に結びつけたのが、『新潟日報』の社説。「おい、おい、おい」とツッコミたくなる。
 「いつか来た道」は「軍靴の音が聞こえる」と同じ左翼定番のフレーズ。
 誰が最大の受益者となるのか、よく考えてほしいものである。

 ちなみに、この映画に一部としてニュース映像で流れる、靖國神社内の式典になだれ込んだ靖国神社反対派のシーンがある。
 実際に、平成17年8月15日、私はその現場にいたが、彼らは『君が代』を歌っている厳粛な式典の最中に乱入してきたもので、関係者に排除されて当然であった。さらに、その位置と反対側でも同じような輩がおり、途中で逃走。逃走の際、参拝に訪れていたお年寄りに次々とぶつかり、なぎ倒していった。それこそ非人道的である。映画ではそのシーンを、ちゃんと使っているかどうか確認してみたい。 


平成20年4月2日『新潟日報』 社説

「靖国」上映中止 表現の自由が脅かされた

 恐れていたことが現実となった。靖国神社を題材にしたドキュメンタリー映画「靖国 YASUKUNI」の上映中止がそれだ。
 三月中旬に東京都内の映画館一館が上映を取りやめたのに続いて、三十一日には東京都の三館と大阪市の一館が四月に予定していた上映を断念していたことが明らかになった。これで東京での上映予定は一切なくなった。異様な事態である。
 映画の配給元は「言論、表現の自由への危機を感じる」とのコメントを発表した。上映中止の理由について映画館は「近隣の商業施設に迷惑を掛ける恐れがある」と説明する。
 一部政治家や政治団体から「好ましからざる映画」のレッテルを張られ、その圧力によって上映自粛に追い込まれた格好だ。歴史の歯車が戦前に逆転したかのようだ。
 この映画を最初に問題にしたのは自民党の稲田朋美衆院議員らである。文化庁の助成を受けていたことから「中立的な映画かどうか確かめたい」と事前の試写を求めた。配給会社は「全国会議員向けなら」と応じ、三月十二日に異例の試写会が行われた。
 稲田議員らが求めた試写は「事前検閲」にも等しい。映画は思想の映像化であり、何らかの主張を持つ。「中立的かどうか」を問うこと自体、表現の自由への干渉である。
 「中止は残念。私の意図とは違う」。中止を聞いた稲田議員の反応だ。素直に受け止めたいところだが、国会議員の発言の重みを理解していないと言わざるを得ない。議員の一言は周囲に大きな影響を及ぼす。NHKに文句を付ければ制作現場は委縮するのだ。
 今回の上映中止は、グランドプリンスホテル新高輪が日教組の教研集会を一方的に断ったケースとよく似ている。上映や集会に妨害が予想され、混乱を避けるために催しを取りやめる。一部団体の思惑通りの結果だろう。
 表現の自由は民主主義の根幹をなす原理だ。これがふらついているということは、日本社会が不安定化し、自分の気に入らないものを排除する傾向を強めているからではないか。
 「外部への迷惑」を理由に上映を中止した映画館側にも苦言を呈したい。映画文化の守り手として毅(き)然(ぜん)たる態度で上映してほしかった。制作者が心血を注いだ作品が日の目を見ないようでは健全な社会とはいえない。
 広く公開されることを期待する。作品の判断はその後の話だ。渡海紀三朗文部科学相は「こういうことに至ったのは残念」と会見で語っている。文化の根元がぐらついているのに、危機意識がまるで感じられない。
 無形の圧力が表現活動を委縮させる状況は「いつか来た道」に通じている。

2008年4月 5日 (土)

平成20年度産大・工科大新入生歓迎会
「ようこそ柏崎へ」、柏崎市議会会派数

 0時から4時まで事務所で仮眠。

 7時、大粒納豆、目玉焼き、たらこ、ひじきの煮物、しらすおろしでご飯2杯の朝食をとる。

 午前中は、議事録、報告書、ブログなど事務所での事務仕事。

Img_2516 お昼になっても祖母が起きてこないので、お越しにいくと何も写っていないテレビを凝視していた。
 誰かが話しかけてくる、という被害妄想のようなことも言うので、なんとかなだめ、乾麺の讃岐うどんを茹で、昼食として食べさせる。
 ちょっと遅刻したかと思い、慌てて12時30分過ぎに市民プラザに向かう。
Img_2517 今日は、平成20年度の新潟産業大学・新潟工科大学新入生歓迎会「ようこそ柏崎へ」である。
 実行委員会の皆さんが懸命に準備されたものであり、柏崎に来る学生を温かく迎え入れたい思いではあったが、とにかく歓迎の挨拶が長い・・・・。
 挨拶時間中に、ホワイトボードに柏崎豆知識を書いたりしていたが、待てども待てども話が終わらず。
 乾杯をしたのち、何人かの学生に話を聞いたところ、入学式でも十二分に長い話を聞いたのにここでも長い話を聞くとは思わなかった、とのことであった。
Img_2518 学生同士の話もあるようだったので、1時間ほどで失礼させてもらい、祖母のお世話と甥っ子、姪っ子の面倒を母親と交代する。
 祖母が残したうどんに黒豆納豆、生卵を追加し、黒豆納豆うどんで昼食をとる。

 姪っ子が外に遊びに行きたいというので、フォンジェ内のキッズマジックで遊ばせる。

 17時から事務所に来客。2時間ほどの打ち合わせ。

Img_2520 遅刻ながらも19時から東部体育協会の理事会に出席。既に議事は終了しており、懇親会となっていた。かけつけでビールや酒の一気飲み。
 理事会の中締めののち、周辺町内会の町内会長とともに2次会に突入。
 現在の市政に関する苦情を多々頂戴する。
 特に多かったのが、会派の分裂に関してである。
 現在、柏崎市議会での会派数はなんと11。30名の議員で会派が11もあるという、新潟県内の自治体、いや全国的にも異常事態である。
 大同団結できないのか、というご意見は多いが根本的な問題は、意見の違いという部分ではない。
 少数会派でも権利は大会派と同じという扱いにその原因がある。
 同様な問題として、先般、新潟県議会でも会派の人数に応じた一般質問の回数にするといったことで議論があった。
 一見、「少数意見を大切に!」ということは耳聞こえは良いが、当然、そうなれば大きな会派を作ることをしなくなる。少数会派でも大会派と同じ権利であるなら、小さな会派を多く作ってしまった方が有利になるからで、柏崎市議会における革新勢力はそれを目指してきた。当然、中間に位置するような会派も小さな会派であればあるほど、切り崩しやすい。
 柏崎市議会の正常化は、まず議会制民主主義の原則通りに、大会派と少数会派の権利は同じではない、ということから始めるべきである。
 しかしながら、現在の議員構成は次回選挙の3年先までは変わらない。変わるとすれば今年11月の市長選挙のあと、中間に位置する会派がどう動くかである。

2008年4月 4日 (金)

中越沖地震原発調査特別委員会
7号機中間報告、地質調査結果

 2時、帰宅。風呂に入ったのち、3時間ほど仮眠。その後はビデオ編集や会議のための資料作成を行う。

 7時、大粒納豆、チーズ入りはんぺんを焼いたもの、たらこでご飯2杯の朝食をとる。

Img_2505 9時過ぎ、市役所に移動。会派室で会派の先輩議員と意見交換を行ったのち、10時から副委員長を務める中越沖地震原発調査特別委員会に出席。
 今回は、東京電力側からの報告で、柏崎刈羽原子力発電所の7号機中間報告、地質調査結果の報告についてである。
080404  すっかり反原発一色になっている『新潟日報』などでは、活断層の評価に「これまで隠していた」風の一方的な報道がされているが、実際には活断層の定義が途中で拡大されていることに起因する。

【昭和63年】
物理的:地層が切断されているもの
時間軸:5万年前以降

【現 在】
物理的:1.地層が切断されているもの
     2.褶曲(しゅうきょく)した地層
時間軸:後期更新世(約13万年前)以降
     
5万年前よりさらに過去に拡大

 いわばより安全側になるよう評価が変わったのであり、昭和63年時点での科学的知見に、現在の科学的知見が加わった。これをもって、現在の進んだ技術の立場から、昔の判断を見て、嘘をついていたというのはナンセンスである。(これが科学の進歩)
 さらに今回の調査の場合は、より安全側になるよう、明らかに質の違う断層(断層の構造が異なると同時には動かない)も同時に動くことも考慮して、

 ・角田・弥彦断層  54km
  気比ノ宮断層 22km
  片貝断層 16km
 の明らかに違う3つ断層を長さ90kmの同時活動として

 ・F-D断層 25km
  高田沖断層 23km
 の明らかに違う2つ断層を長さ48kmの同時活動として

つまり拡大的な評価をしている。科学の世界では、これを
「より保守的に評価する」
と言うが、これがまた誤解を呼ぶ。つまり用語の使い方が、科学の世界の使い方であり、一般の方には伝わりづらい。これは東京電力側はもちろん、国側も聞く側の立場に立ってのプレゼンテーションをよく考える必要がある。良かれと思ってやった事が逆の意味でとられており、今回の委員会でも委員ではない原発反対派議員から、

 これだけ評価を変えるのだから、
 
これまでのことを反省しろ!
 原発反対派の指摘する地層も全部調査しろ!

という感情論に収束されてしまった。
 今後も定期的に中越沖地震原発調査特別委員会を開催し、引き続きの報告をもらいつつ、勉強を重ねていくことで終了とした。

Img_2507 12時過ぎ、自宅に戻ると甥っ子、姪っ子が来ていたので、妹が買ってきたケンタッキーフライドチキンの「ツイスター ペッパーマヨ味」を一緒に食べて昼食にする。好きなメキシコ料理のブリトーに似ていることもあり、結構お気に入りである。ただ、衣が多いので、できれば豆と挽肉といった本場に近い商品も是非だしてほしいと思う。

Img_2508 14時、愛車にて見附市に向かって移動する。
 15時から「見附市勤労者家庭支援施設ふぁみりあ」にて、2008年日本青年会議所・北陸信越地区・新潟ブロック協議会の新潟交流委員会スタッフ会議に出席。Y副委員長からの差し入れ、「美松 ガトウ専科」(電話:0258-33-2636)の「生クリームどら焼き」を食べながら?会議を行う。

 18時過ぎに会議が終了し、せっかくだからと見附市内を一回り。途中、越後もち豚を売っている店があったので、ロース肉を購入。

Img_2510 19時、自宅に戻り、越後もち豚を粗挽きブラックペッパー、おろし生姜、みりん、ブランデーを風味付けで醤油風味のしょうが焼きにし、大粒納豆、ポテトサラダとともに夕食にする。
 食後、届いていた月刊誌『正論』『諸君!』『論座』など通して読む。

2008年4月 3日 (木)

国歌斉唱で起立卒業生1人 教員指示か
元校長、中学校で「最後の授業」

 3時、就寝。

 7時、起床。ひきわり納豆、小粒納豆を混ぜたもの、目玉焼き、たらこでご飯2杯の朝食をとる。

 午前中はこれまでの打ち合わせの議事録のまとめ。リアルタイムで議事録をとるようにしているものの、なかなか中身を精査して関係者に送付する時間がない。
 事務所に来客があり、道路に関する陳情であった。

Img_2502 12時過ぎ、祖母の分と一緒にお気に入りのニチロの冷凍ラーメン「横浜あんかけラーメン 生碼麺」を作り、昼食。
 もずくを入れたり、祖母が飲み込みやすいように片栗粉を追加してトロみをさらに増したり、手を加えるものの、熱く作り過ぎ、自分自身で舌を火傷。コップのなかの水で、レロレロと舌を冷やし、イジリー岡田氏のような動きをしてしまった。

 13時から市内某所で長時間の打ち合わせ。

Img_2503 17時過ぎ、一旦事務所に戻り、ブログの更新やメールチェックなどを行う。
 先日、佐賀県玄海町に行った際にお土産で頂戴した玄海町のイカの一夜干しのゲソを天ぷらにしたところ、その非常に美味であった。思わずビールも飲みたいところであったが、大粒納豆とご飯で酒なしの夕食にする。

Img_2504 19時30分から柏崎青年会議所のECO活動推進委員会の会議に出席。
 作成し直したオープニングビデオ、レポートビデオ、パワーポイントの資料の流れなどを確認する。

 21時過ぎ、会議終了となり、自宅に向かう途中、バッタリ、某氏と出会ってしまい、「仕事があるので」と言ったものの、流れのなかで市内のスナックで懇親となる。

 いまだこんな学校があるのか?というニュースがつい先日にあった。


平成20年3月27日『産経新聞』

国歌斉唱で起立の卒業生、1人だけ
教員指示か

 大阪府門真市の市立第三中学校で今月13日に行われた卒業式で、約170人の卒業生のうち男子生徒1人を除く全員が、国歌斉唱時に起立せず、その多くが斉唱もしなかったことが26日、分かった。式に出席していた3学年の担任、副担任計11人のうち9人も起立せずに斉唱もしなかったという。学校側は事前に教員が卒業生に不起立を促した可能性があるとみて担任らから事情を聴いており、事態を重くみた府教育委員会も調査に乗り出した。
 式の後、一部保護者から事態を問題視する声が寄せられ、学校側は市教委に報告。府教委によると、学校の調査に対し一部の教員は「生徒に国歌の意義について説明し、『式で歌うかどうかは自分で判断しなさい』と指導した」と話しているという。
 瀬戸和夫校長は「事前に不起立を指導していたのであれば、生徒の内心の自由を侵す行為で明らかに行き過ぎ」と話している。


flag このニュースに対し、教師の組合系、いわゆる左翼団体は「快挙だ!学校に激励を送ろう!」などとしているが、これこそが生徒を左巻き教師の勝手な政治活動に巻き込む暴挙であること気付いていない。
 そんなに国歌がイヤなら公の存在である公務員をやめて、活動をすれば良い。公のお金、税金で生活しながら、もっとも公たる国を否定するのは筋が通らない
 もっとも被害を受けるのは、これから世界の国々にでていくことがあるだろう生徒たちである。他の国に行き、自国の国歌には起立もしません、反対します、と言ったら、相手にはしてもらえない。恥をかくのは生徒である次世代を担う子供達である。
 厳重な処分を望む。

 そんな政治的な押しつけを生徒にする悪教師の一方、同じ大阪府内であるがこんな感動的なニュースもあった。最高の授業であったかと思う。


平成20年3月9日『朝日新聞』

余命半年
元校長、中学校で「最後の授業」 吹田市

 がんで余命半年と告げられた大阪府吹田市の前教育長、延地(のべち)和子さん(62)が7日、2年余り前まで校長を務めていた市立竹見台中学校で、卒業を控えた3年生36人に「最後の授業」をした。病気のこと。仕事のこと。24歳で先立った一人娘のこと。自分の人生を教材に生きることの貴さを説き、「人生はしんどいことがいっぱいだけど、しっかりと生きてほしい」と語りかけた。

 「私、なんでもさらけだしてきたの」。視聴覚室に集まった生徒たちの前で、延地さんはニット帽を脱いだ。抗がん剤治療の副作用で一部が抜けた頭髪があらわれた。「顔もむくんで自分じゃないみたいで、20万円もするカツラを買ったのよ。それで旅行に行けたのに」。生徒の緊張をほぐしてから話し始めた。
 延地さんは戦後間もなく神戸・須磨で生まれた。1カ月後に父を亡くし、母と5人きょうだいで貧しさの中で育った。高校時代、家庭教師をして教える楽しさに気づき、大学を卒業後、吹田市で中学校の国語教師に。05年12月、吹田市初の女性教育長に就いた。
 昨年7月、記者会見中に腹部に痛みを感じた。ビール瓶1本分の腹腔(ふくこう)内出血が見つかり緊急入院。副腎皮質のがんだった。担当医に「肝臓やリンパ節に転移している」と言われた。昨年12月に辞表を出し、市議会で「がん患者として生きていきます」と宣言した。
 今年1月の2回目の抗がん剤治療で、髪は抜け、吐き気に襲われ、体重が1日1キロずつ減った。それでも、治療効果はみられなかった。「撤退しましょう」。主治医の言葉に治療の中止を決意し、一人暮らしの不自由から自宅を離れ、ホテルに宿泊しながらホスピスへの入所を待っている。
 そんなとき、竹見台中の山邊義毅校長から「卒業する子に命について語ってほしい」と頼まれた。山邊校長は延地さんが校長時代の教頭。3年生は1年生の2学期まで、延地さんの「最後の教え子」だった。
 この日は、26歳で赴任した2カ所目の中学校での経験を「教師としての原点」として語った。当時は校内暴力の全盛期で、「市内一」と言われるほど荒れていた。若い男性教師らは生徒に教室から引きずり出されて殴られ、辞めたり「不登校」になったりしていた。産んだばかりの娘を校長室のソファに寝かせ、学校や教室に寄りつかない生徒たちを追いかけ回した。
 「そのやんちゃな子たちが50歳近くになって、いま、洗濯とか私の身の回りの世話をしてくれる。大変だったけど、楽しかった」
 一人娘のもと子さんのことも話した。私立高2年のとき、同級生らになじめず、「今日から学校に行かへん」と言い出した。親としては悩んだが、中退を認めた。大検に合格して大学に進んだものの、11年前、自宅で卒業論文を執筆後、眠ったまま息を引き取った。突然死だった。
 「子どもの分まで生きなくちゃ、そう思っていたのに、がんになって、悔しくて悔しくて……」。涙声に教室内は静まった。
 病気になって「自分はひとりじゃない」と気づいたとも語った。教師仲間、大学時代の友人、教え子。800人以上が見舞いにきてくれた。
 「最後の授業」の最後には、「がんと闘っている人は大勢いる。私の使命は希望を失わずに生きること。私の命がなくなったとき、話を聞いてくれた人の中に火種が残ってくれたら、私は第二の人生を生きられる」と話した。
 そして、「いま始まる新しいいま」という題の詩人川崎洋さんの詩を朗読して締めくくった。
 生徒たちは、目を真っ赤にした子も、延地さんをまっすぐ見つめて聞いていた。元生徒会長の覚前雄登さん(15)は「いつも笑顔を絶やさなかった先生が、あんなに重い病気だとは知らなかった。自分たちに全部話してくれてうれしかった」。杉山春菜さん(15)は「今はすぐ理解できないかも知れないけど、託されたんだなと感じた」と話した。
 延地さんは「久しぶりに子どもたちの前で話せて楽しかった。私も勇気をもらった」と先生らに言って学校を後にした。

2008年4月 2日 (水)

北京オリンピック、皇族の出席なし

 2時、就寝。1時間もしないうちに祖母に起こされる。またも知らない人が部屋にいるとの妄想で、なだめるのに1時間。寝たかと思えば、今度はお腹が空いたとのことであった。5時過ぎに落ち着く。さすがに柏崎準倫理法人会のモーニングセミナーに出席する気力がなく、就寝。

 7時、起床。熱めのシャワーを浴びたのち、大粒納豆、呼子イカの一夜干し、ゴマ豆腐、生卵でご飯2杯の朝食をとる。

 9時過ぎ、市役所に移動。4月の人事異動で議会事務局のメンバーも変更があり、挨拶をする。

Img_2496 10時から議会だより編集委員会。近日発行の「市議会だより」に関する最終確認を行ったが、特に問題となる点はなし。
 いつも思うが、質問の項目を多く書いた方が仕事している風に見える、ことを狙ってであろうか、やたら質問項目だけを多くする議員もいる。

 終了後、市内某所での打ち合わせ。

Img_2500 12時近く、一旦自宅に戻り、「うれっ子」(電話:0257-22-4648)の「チャーシューつけめん」の出前をとって昼食。
 食事中に自宅の電話が鳴り、何かと思えばイタズラ電話であった。名前も名乗らず、「プルサーマルをやるのか、人殺し」などと意味不明なもの。初老の男性らしき声であったが、卑怯者の典型である。

 午後から市内の何カ所かで打ち合わせ。柏崎に外国人観光客を呼び込む作戦について、色々なメディア、人脈をどう使うのかをザックリと話し会う。

Img_2501

 18時、一旦、事務所に戻り、メールなどの整理。
 19時過ぎ、弟が送ってくれたタラバガニを母、祖母とともに夕食に食べる。
 夕食を軽くにし、19時30分から某懇親会に一次会だけ参加させてもらう。
 注いでまわる度に、保守系の市長候補はどうしたんだ!とお叱りを受ける。

 22時、帰宅。

 北京オリンピックの開会式への皇族の出席はなし、との方針が報道された。


平成20年4月1日『産経新聞』

 北京五輪開会式 皇族の出席見送り
 政府方針「不安定要因多く」

 中国が北京五輪開会式に、天皇、皇后両陛下をはじめとする皇族方の出席を要請していた問題で、日本政府は1日、この要請を受諾しない方針を固めた。中国製ギョーザ中毒事件や膠着(こうちやく)状態の東シナ海のガス田共同開発問題に加え、チベット騒乱など不安定要因が多く、時期尚早と判断した。開会式への出席では欧州各国に参加を辞退する動きがある。日本政府から開会式に誰を派遣するかは「全くの白紙状態だ」(外務省幹部)という。
 この問題には、宮内庁と外務省はもともと消極的で「2月のギョーザ事件以前から、皇族方にはご出席を要請しない方向だった。国際的に注目されるチベット騒乱が起きた今はなおさらだ」(政府関係者)としている。
 一方、首相官邸は態度表明を保留していたが、3月27日の参院内閣委員会で、岩城光英官房副長官が、自民党の有村治子氏の質問に「諸般の事情を踏まえつつ慎重に検討する」と慎重姿勢を明らかにしている。
 中国は昨年1月、当時の王毅駐日大使(現外務次官)らを通じ、政府・与党に、非公式に皇太子ご夫妻の開会式出席を要請。また同年4月には、訪日し、陛下と会談した温家宝首相が「ぜひ、陛下と皇族の方々においでいただきたい」と要請していた。これに対して陛下は通常通り「自分の外国訪問は政府で検討することになっています」と話されていた。
 北京五輪で中国側は「アテネ五輪の時に(集まった)各国の指導者、元首は六十数人だったが、北京はこの数を超える」などとして、元首招聘(しようへい)を進めている。
 両陛下は平成4年、天安門事件で国際社会から孤立していた中国を訪問された。これには「日中関係を非常にしっかりした盤石なものにした」(河野洋平衆院議長)との評価はあるが、中国の銭其●元外相が回想録で「中国が西側の制裁を打ち破る最も適切な突破口となった」と記したように、「ご訪問が中国に利用された」(閣僚経験者)側面は否定できない。
 さらに江沢民前国家主席は、両陛下ご訪問後も「反日教育」を強化し、反日デモが繰り返されてきた。
 北京五輪開会式では、ドイツやチェコ、ポーランドなどの首脳が欠席を表明しているほか、英国のチャールズ皇太子も不参加を明らかにしている。
●=「深」のさんずいを「おうへん」に


 スポーツと政治は切り離すべきとの声もあるが、実施する中共(中国)側が政治目的をもっていることからも、上記の判断は正しいと思う。
Poland_2  記事にもあるように、ドイツ、ポーランドなど欧州の5カ国首脳、そしてチャールズ英皇太子も不参加を表明しており、いまだ解決を見ていない毒ギョーザ事件をはじめ、人権を尊ぶ日本が心配するチベットの問題もある。
 ちなみに、毒ギョーザ事件に関しては、犯人は日本国内で行ったとする責任転嫁まで行われている。普通の国であれば、ここまでコケにされれば、自国民に被害者もでていることもあり、烈火のごとく怒り反論するが、それもできない福田内閣は情けない。

Tibet オリンピズムの根本原則「スポーツを行うことは人権の一つ」に則り、チベット人の基本的人権を守ることすらできない北京オリンピックの開会式は、オリンピックの意義のためにも、より多くの国がボイコットすることを望む。

2008年4月 1日 (火)

道路特定財源暫定税率、失効!

 1時過ぎ、寝ようと思っていると祖母がフラフラと起きてきて、お腹が空いたという。とりあえず、冷やご飯でおかゆを作り、鮭フレークとともに食べさせる。しかし、食べながら寝てしまい、ときおり目を覚ましては食べ続けていた。4時にやっと就寝。

 7時、起床。大粒納豆、目玉焼き、魚肉ソーセージ、グレープフルーツジュースでご飯2杯の朝食。

 8時、自宅をでて一路、新潟市に向かう。途中、栄サービスエリアでトイレに向かったところ、知人にバッタリ出会い、近況報告。サラリーマンをやめ、会社を立ち上げたものの、うまくいかず現在は長距離トラックの運転手をやっているとのこと。随分たくましい感じになっていたので、いま準備しているという会社は是非、成功してほしい。

 10時から新潟市内の某所にて打ち合わせ。打ち合わせが長引き、近くのコンビニで納豆巻き2本、低脂肪乳、30品目サラダで昼食をとる。

 14時、事務所に戻り、先週出張に行っていた間の新聞、郵便物などに目を通す。

 18時、市内某所での懇親会に出席。さすがに飲み会続きなので、今日はウーロン茶にさせてもらい、一次会で失礼させてもらった。料理の最後についた蕎麦を人の分まで2杯食べる。

 21時、事務所に戻り、依頼されていたビデオの編集などを行う。

 昨日付で道路特定財源の暫定税率が失効となった。
 これにより柏崎市の財政では、このままでいけば約3億612万円の減収が生じる。実際には、自動車重量譲与税(2008年4月末で失効)、地方道路税(いわゆるガソリン税は、揮発油税と地方道路税を合わせたもの)、自動車取得税交付金が影響を受ける。
 「ガソリン値下げ隊」などと、ただ単に国民受けを狙った民主党、それに譲歩したことを発表してしまう腰砕けの福田内閣、ともに国民のことは考えていない。
 いま目先のガソリンの値段が下がったとはいえ、将来的には、今度はそれに変わる財源が必要になってくる。
 必要な道路はあるものであり、維持費もかかることから、本来やるべきは、

 官僚の、いや
    木っ端役人の無駄遣い体質

であって、民主党はその点を追及すればよく、自民党も安倍首相が本格的に手がけた公務員改革を民主党の追及もうまく使って断行すべきであったと思う。
 衆議院に戻されての再議決もあることから、復活したとしても無駄遣い体質の根本解決にはならない。
 結局は、今回の政治のゴタゴタの被害者は、ガソリンスタンド経営者も含めた国民である。

 米軍への思いやり予算も含め、今後もねじれ国会による本質的な事とは違う議論で時間が使われるであろう。いち早い政界再編を望む。

« 2008年3月 | トップページ | 2008年5月 »