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2008年5月

2008年5月31日 (土)

中共(中国)政府の自衛隊派遣要請

 3時、就寝。

 7時、起床。大粒納豆、ジャガイモとピーマンの油炒め、目玉焼きでご飯2杯の朝食をとる。

 8時から12時まで、市内の何カ所かのお宅にまわり、陳情を受ける。「金がない、金がない」と予算のなさを職員が言うことへの怒りの声が多かった。柏崎市民に「我慢しろ」ということを会田市長は言うが、私に言わせれば、

 「市民に血を流せという前に
     市長が汗かけ!(予算確保してこい)」

とでも言いたいところである。

 一度、自宅に戻ったのち、時間がないので、ご飯に生卵、ひきわり納豆2パックをかけ、かっこむ。

 13時に長岡市に向かい、14時から18時まで長岡市内某所でテレビ企画の打ち合わせ。

Img_3728

 19時、母方の祖母が泊まりにきたこともあり、冷凍しておいた岩ガキ、キスなどをフライにし、納豆ご飯とともにワンプレート夕食。
 昨年は中越沖地震直後ということもあり、あまり岩ガキを食べることがなかった。今年は、震災前と同じように気が済むまで食べてみたいものである。

 中共(中国)政府が四川大地震に鑑み、日本への自衛隊機派遣があったというのが5月28日。


平成20年5月28日『産経新聞』

 自衛隊機派遣打診で、
 対日重視の姿勢示す 中国

【北京=野口東秀】四川大地震で自衛隊機派遣をも打診した中国政府の決断は、日中関係に大きな転換をもたらす可能性を秘めている。胡錦濤国家主席の訪日に続き、日本の国際緊急援助隊の救助活動などにより対日感情が好転しているこの機に、自衛隊機派遣で、軍など対日強硬派を抑え対日重視の姿勢を示す狙いもありそうだ。
 中国では、一党独裁体制を敷く中国共産党の成り立ち自体が抗日戦争にあり、旧日本軍の残虐さを含む抗日教育が強化され、「反日感情」と「愛国主義」を生んできた。「日の丸」も、過去の「対中侵略」の歴史をほうふつさせる象徴となってきた。
 しかし、先の胡主席の訪日は「暖春の旅」と称された。その後に発生した四川大地震では、日本の援助隊が外国としては一番乗りで被災地に到着。現地で「生命をかけてひたむきに努力」(中国紙)した事実は中国メディアに大きく報じられ、医療隊の活動とともに、高く評価され感謝されている。
 自衛隊機派遣の打診はこれに続くものだが、中国側は「救援活動で輸送機が不足し窮しているわけではない」(軍関係者)という。また、「反日感情」や体面から、人民解放軍には反対論があるとみられる。
  日本の救助隊は、山奥の生存者が極めて低い場所での活動を指定され、十分に能力を発揮できなかったが、その裏には災害現場を管轄する軍の意向が働いていたとの指摘がある。被災現場で兵士の一部は、日本の救助隊に対する批判と反発を口にしていた。救助隊に対してすらそうした状況で、自衛隊ともなると、軍を含む対日強硬派の反発は容易に想像できる。
 にもかかわらず自衛隊機の派遣を打診したのは、(1)現実の問題としてテントなどの物資を大量に必要としている(2)国際協調重視の姿勢を国内外に示す(3)国民の対日感情をさらに好転させる効果を生む-という理由からだろう。とりわけ日中の良好な関係構築は胡主席にとり、なお影響力をもつ対日強硬派の江沢民前国家主席の存在を考えれば、政権基盤の強化につながる。
 被災現場の視察などを報じる国営テレビの宣伝もあって、胡主席と温家宝首相の株が急上昇。一方、「党中央人事などへの発言力を誇示した江沢民氏の影はかすみがちだ」(中国筋)との指摘もあるなかで、自衛隊機に“政治的な効果”も期待しているようだ。


 たった2日で、ひっくり返り、準備を進めていた航空自衛隊は肩透かしを喰った。
 被災者ではないであろう、中国国内のインターネットを使える者から、

 「軍靴を履いた日本人を
    中国に入れることは絶対に不可能だ」

などの批判が続出したというが、同じ国民である被災者の事はどうでもよいのかと思う。
 日本政府も情けないことに、これらの意見に配慮して自衛隊機に代えて、民間チャーター機でテントなどを輸送するという。
 言う方も言う方なら、聞く方も聞く方だ。
 練度の高い、優秀な航空自衛隊が素早く支援活動を行うのがベストであり、支援を受ける側がいちいち選択するような状態ではないのは明らかである。
 根本に戻れば、あれほど軍事費をかけ、空挺部隊を含む総兵力38万人(日本の航空自衛隊の約9倍)がいる人民解放軍の空軍はどうしたのであろうか。日本に核ミサイルを向けるお金があれば、もっと訓練し、自国民を救うべきではなかったか。

 中越地震、中越沖地震を通して、自衛隊の災害対応に接し、その優秀さを実感してきた。今回の四川大地震での中共(中国)ご自慢の人民解放軍がいかにだらしないかを見るにつけ、その思いをより強くした。

2008年5月30日 (金)

中越沖地震原発調査特別委員会
東京電力からの報告、基準地震動等

 1時、コンビニで買ったミートソーススパゲティに小粒納豆2パックをかけ、ビール500ml2本で遅い夕食にする。

 洗濯物や郵便物を整理したのち、3時に就寝。

Img_3723  8時、起床。シャワーを浴びたのち、大粒納豆、グリーンアスパラとジャガイモの油炒めなどでご飯2杯の朝食をとる。
 今日からご飯茶碗を、先日台湾の鳥来(ウーライ)にて購入した、高砂族の泰雅族(タイヤル族)作家の作品に変えた。
Img_3725  ずっしりと来る重さで、その器全体の形状、内側、外側のデザインが気に入って購入したものである。
 高砂族の方々が運営されているお店だったので、日本人として来た以上、何か買っていかなければという思いもあったが、よく考えれば1520元(約5700円)という高価なものであった。大事に使おうと思う。

 9時過ぎに市役所に移動。他会派の議員と、次回の6月議会での一般質問事項の確認を行う(同じような内容を質問しては時間の無駄になるため)。

Img_3722 10時から、副委員長を務める中越沖地震原発調査特別委員会に出席。
 今回は、東京電力から

・中越沖地震の特徴について
  同規模の地震より揺れが大きい
  1~4号機と5~7号機では揺れが違った

・地質調査の評価について
  国、県の指摘により更に活断層の長さを再評価

・基準値震動のとりまとめ
  全号機で1000ガルを設定

などの報告があった。
 前回の報告と同様、質疑応答の時間では反対派から感情論としか思えないような発言が続いた。
 より保守的、いわゆる安全側に大きな数字をとって対策を提示すれば、「廃炉しかない」といった論調になり、中越沖地震の実測値で提示すれば「そんな事はない、隠している」といった論調である。
 ただ感じたのは、前回と同様に東京電力側の説明そのままでは、テクニカルタームや科学の基礎知識を知った前提ということになっており、より多くの議員の賛同を得るのも難しいということである。いきなり応答スペクトルによる評価と言っても、その前段階として地震による波の構成やその減衰などの仕組みも説明しないままでは、新人議員はもとより文系の議員にはハードルが高い。
 またそれは逆に議員側も、少なくとも科学一般、中越沖地震があったことからも地質学一般は勉強しておくべきであり、そのまま無知識でいるのは業務怠慢である。

 12時、委員会が終了し、その後は市役所担当者との一般質問の内容の確認などを行う。
 伝え聞くところによると、会田市長から「三井田の質問の事前聞き取りをちゃんとしろ。議場での質疑が広がり過ぎる」といった旨の指示があったようであるが、私の質問は一問一答形式であり、役人ではなく、政治家であるなら、調査し事前の詳細な答弁書など作らなくても答えられるものばかりである。つまり政治家としての意見を求めている。役人の答弁を求めているわけではない。

 15時、一旦自宅に戻り、冷凍うどんとひきわり納豆で納豆うどんを作ってかっこみ、再度、市内まわりにでかける。

Img_3726_2 19時過ぎ、やっと自宅に戻り、シャワーを浴びる。
 20時、茄子の納豆味噌ダレがけ、山女魚の塩焼きでご飯2杯の夕食をとる。
 その後、事務所にこもり、事務仕事。
 数名の来客があり、市長選挙に関する県議会議員の裏切り行為や中傷ビラの話などを話し込む。

2008年5月29日 (木)

「日本国民フォーラム」発足記念総会

 結局、漫画喫茶でなんとか仮眠したり、仕事をしつつ、9時にお店をでる。

 10時から16時過ぎまで、複数の国会議員事務所への陳情、某大学関係者への合宿誘致のお願いなど、東京都内をウロウロする。
 途中、ブランチとして、コンビニの納豆巻き(金のつぶ)を3本、ブリューチーズ、カロリーメイトなどを食べる。

 17時30分過ぎ、大井町駅近くの品川区民センター「きゅりあん」小ホールでの「日本国民フォーラム」設立総会に出席。会場は満員で、立ち見ですら入れない方もいらっしゃった。
 埼玉県の鈴木正人議員をはじめ、ほぼ顔見知りの地方議員ばかりで、昨日まで台湾で一緒だった議員も多数参加していた。
 18時からの開始となり、各国会議員、地方議員の紹介。私もそうであったが、何人かの地方議員や民間政治団体関係者が壇上におりながら、紹介されなかったこともあり、事務局も色々と大変であろうことを察した。
Img_3721 続く、最高顧問である平沼赳夫衆議院議員からの基調講演のなかで、我が柏崎市の柏崎刈羽原子力発電所と中越沖地震を触れていただいた。要旨は次の通り。

・自民党の9回当選の大物議員が経済成長率2%を実現できないと講演で話したことを聞いた。そして、税率のアップなどを言い出した。いまやるべきことは違うのではないか。
・日本の借金は確かに多い。しかし、100兆円もの資産もあり、純然たる借金は260兆円ほどである。しかもアメリカの国債を3割も保有している。
・日本での昭和恐慌があったが、高橋是清は積極的な経済政策でこれを克服した。
・双子の赤字を抱えたクリントン大統領も積極的な経済政策をとり、大幅な減税(国民に6万円分の小切手が届く)とITを主とする企業の育成を行った。
・日本も同様に、大幅な減税を行って経済を動かす、つまり「金は天下のまわりもの」を実行すべきとき。そして、今は環境の時代であり、世界一と言われる環境の技術を日本は生かしていくべきである。
・環境の技術とは何か。太陽光や風力発電の風車もそうであるが、原子力発電も重要な環境の技術である。
・昨年、中越沖地震という大地震で柏崎刈羽原子力発電所が被災した。日本国民をはじめ、IAEAの技術者など世界が心配したが、実際に現物を調査し、その頑強さ、設計震度の2倍以上でも平気などの様相に世界が驚いた。
・日本のマスコミは原子力のことを針小棒大に書くが、日本の原子力発電の技術こそは世界に誇ってもいい。

 新幹線の時間もあり、続く民主党・松原仁衆議院議員のお話の最中で大変失礼であったが退席。
 平沼議員には、楽屋裏でご挨拶させて頂いたところ、

 「世界一の原子力だからね、
  しっかり動かしてもらわんとねぇ」

とのお言葉があり、西川正純前市長へも宜しく伝えてほしいとのことであった。


平成20年5月28日『産経新聞』

「平沼新党」の母体?
保守系地方議員ら「日本国民フォーラム」旗揚げへ

 超党派の保守系地方議員らのグループ「日本国民フォーラム」が近く発足することが27日、明らかになった。平沼赳夫元経済産業相(無所属)がフォーラムの最高顧問を務める。
 全国の都府県、市区町の地方議員約100人や有識者、市民がメンバーで、代表には米田建三・帝京平成大教授(元衆院議員)が就き、自民、民主両党の中堅・若手国会議員約20人が顧問になる。29日に都内で設立総会を開き、平沼氏が記念講演を行う。
 フォーラムは、既成政党が保守の理念に基づく政策の実行に十分に取り組んでいない-との問題意識を持ち、地方の立場から日本の主権、国益を擁護し、地方振興を含む日本の諸問題の解決を目指す。領土保全や外国人地方参政権付与反対にも取り組む方針だ。メンバーの地方議員や顧問の国会議員を支援するほか、地方選挙に新人を擁立し、“保守の生活者のネットワーク”を広げていく。
 フォーラムをめぐっては「地方議員が中核の組織であるだけに、平沼氏が新党を結成すれば母体の一つになるかもしれない」(民主党筋)との観測もあり、動向は注目を集めそうだ。


 19時30分過ぎの新幹線に飛び乗り、帰路につく。

 23時過ぎ、自宅に到着。5日ぶりの帰宅となったが、大量に届いている郵便物に目がくらんだ。

2008年5月24日 (土)

李登輝が目指した後藤新平の台湾施政

 なかなか原稿がまとまらず、4時に就寝。

 8時、起床。大粒納豆、目玉焼き、もやしとほうれん草のおひたし、蕗の薹を入れた味噌汁でご飯2杯の朝食をとる。

 シャワーを浴びたのち、9時から11時まで某集会に来賓として出席。もちろんの事ながら政治に関する話題となり、ここ数年の柏崎市政の問題をお話するも、最初はねつ造扱い。つまり、地元の新聞に書かれていないため、「事実ではない」ととられる方もおり、行政改革とは言いながらも、職員採用を増やしているような実態、そして根拠となる数字をみせ、納得してもらった。

Img_3280  12時近く、自宅に戻り、「うれっ子」(電話:0257-22-4648)の「チャーシューつけめん 大盛」の出前をとって昼食。甥っ子と姪っ子も来ていたので、分けて食べる。
 甥っ子が「ウルトラマンメビウス」以外の昭和のウルトラマンにも興味がでてきたようなので、昭和のウルトラマンを紹介するDVDを見せる。

 12時30分、身支度をして柏崎駅に移動。急いででてきたため、議員バッチを忘れてしまった。

 一緒に台湾にでかける柏崎市議会のメンバーもそろい、12時57分発の特急で長岡駅に移動。その後は、上越新幹線で東京駅、成田エクスプレスで成田空港第2ターミナルと移動し、ターミナルからシャトルバスで宿泊先に向かう。

Img_3281 18時近くに宿泊先である成田ポートホテルに到着。
 明日の台湾行きのフライト時間が早いための前日泊である。
 各自荷物を部屋に置いてから、タクシーで移動し、「隠れ家 忍家 成田ウイング店」(電話:0476-24-8591)で、モツ鍋、串揚げを中心に生ビールを飲みつつ、夕食にする。
 明日からのこともあり、さっと切り上げ21時にホテルに戻る。

 今回の台湾への出張では、地震大国である台湾において、中越沖地震の話題があるなかでの柏崎米の売り込み、原子力政策に関する意見交換会、台湾経済界トップとの懇談がメインであるが、ほかに李登輝前総統との面会がある。
 その李登輝前総統が語ったスピーチの内容を、宮崎正弘氏のメールマガガジン「宮崎正弘の国際ニュース・早読み」から以下にご紹介する。
 ちなみに、李登輝前総統のお兄さんは靖國神社に祀られている。


「宮崎正弘の国際ニュース・早読み」 
平成19年(2007年) 6月2日(土曜日)   
通巻第1815号 (6月1日発行)

(速報)
「わたしは後藤新平の台湾施政を
      民主台湾の政治の土台にした」

 李登輝前総統、後藤新平賞受賞記念スピーチで強調

 6月1日午前、六本木の国際文化会館は早朝から異様な緊張に包まれた。
 日頃ならのんびりとテラスで喫茶する外国人宿泊者、新聞をたたむ音しか聞こえないロビィの静けさ。誰もが愛でる日本庭園の美しさ。独特の静謐は警備陣と報道陣によって一瞬に掻き消された。
 
 第一回「後藤新平賞」に決まった李登輝前台湾総統が記念講演をするからである。
 世界から報道陣がおよそ120名。SPが数名。台湾から随行してきたカメラとテレビクルーも目立ち、ぎっしりと会場の余地を埋めた。日本の台北特派員も随行してきている。
 テレビカメラがずらりと会場の右側と後方を占め、身動きがとれないほどの熱気に溢れた。
 参会者はイス席定員120名に対して200名以上。ぎっしりと立ち見も出たが、さらに一部は入場できなくロビィに屯する有様だった。
 
偶然、小生の隣席は竹村健一氏、すぐ二人して控え室にいる李登輝総統に挨拶に行った。控え室には総統ご夫妻を囲んで中嶋嶺雄氏、粕谷一希氏、金美齢女史、台湾から同行してきた黄昭堂氏ら。
 会場には許世楷(台北駐日経済文化代表処代表)はもちろんのこと、岡崎久彦、櫻井よし子、大宅映子、日下公人、花田紀凱、塩川正十郎、住田良能(産経社長)、小田村四郎氏らの顔もあった。

 授賞までの経過説明を主催者の藤原書店代表が述べたあと、粕谷一希(元『中央公論』編集長)が選考審査過程を披瀝され、受賞牌の贈呈。副賞はシチズンの置き時計で、理由は「シチズン」の銘々が後藤新平による由。

▼改革への情熱と先見性

 以下は李登輝前総統の講演「後藤新平とわたし」の要旨である。

 「後藤新平の生誕百五十年を記念して全集が藤原書店から刊行され、「後藤新平賞」が新設されたことは画期的で、新しい時代の指導者育成を目的とする栄誉に初回に輝けたことを光栄に思う。
 後藤新平は1857年生まれで、1929年に没した。私は1923年生まれ、交差していないが、精神の空間で結ばれている。
 
後藤新平は1898年3月から1906年9月まで、8年7ヶ月を台湾民政長官として過ごし、未開だった台湾の近代化のために成し遂げた功績は大きい。その生い立ち、功績、人間としての偉大さを私は深く心に刻み込んできた。
 後藤は貧窮のどん底から立ち上がり、医者から衛生局長となり、1895年児玉源太郎の推挙によって台湾へ赴任した。
 かれの復員傷兵の帰国に際しての検疫能力を高くかったから、とされる。

 当時の台湾は匪賊が跋扈し、ペスト、赤痢、チフス、毒蛇が蔓延して、不衛生極まりなく、漢族と原住民部族の対立があり、産業は未開のまま、およそ近代化には遠い状況だった。
 後藤は台湾近代化、台湾の開発に何が目的であり、その目的達成のためには何が大切かを考えて、明治政府の全面的な支援の元に諸改革を実行に移した。

 第一は人材の確保であった。1800人の無能の役人を馘首し、新しい人材を適所に配置した。この中には新渡戸稲造も含まれていた
 
第二に匪賊対策を従来の路線から変更し、単に匪賊を退治するのではなく労働の現場へ配置しなおして、かれらを生産、建設に役立てて任務を教えた。
 
第三に「保甲制度」、つまり地方自治の確立である。
 住民の自治を尊び、交通を整備し、戸籍制度の充実と整備をなした。同時に自治の責任を持たせた。
 
第四に劣悪な衛生環境を改善し、マラリアなどの退治のために血清の研究と同時に田舎にも医者を配置して政府派遣として医療行政を実地した。
都市部では下水道の整備を急いだ。
 
第五が教育の普及である。
(ほかの列強は現地植民地を搾取するばかりで教育をおざなりにしたが)日本は台湾の植民地経営を教育から開始したのだ。
 
第六に開発近代化の財源を確保するために地方債券を発行し、内地(日本)の国会の承認を得た。これにより土地改革がすすみ、鉄道が敷設され、基隆港が整備された。
 
第七は「三大専売法」を施行させたことだ。
阿片,樟脳、食塩、酒、煙草が専売となり税金収入が公債の返済に充てられた。
 
第八に「台湾銀行」が創設されて台湾銀行券が流通、また「度量法」が統一され、それまで台南と台北で異なった重さや長さの図り方が統一された。
 
第九は産業の奨励で、砂糖、樟脳、茶、こめ、阿里山森林の開発が進められて開発が軌道に乗る。
 
第十は貿易の拡大であり、そのために外国資本が独占していた商船の運搬を民間にも広げた。
 
第十一に後藤の「南進政策」がある。
 当時、アモイ、香港への投資も開始され、アモイには台湾銀行支店が設置を見た。
 
第十二に国民の生活習慣のなかで弁髪、纏足など悪習を禁止した。
 
 後藤はその後、満鉄総裁として満州に赴くが、もし、台湾に留まっていれば、台湾の行政はさらに異なったレールを走ったことと思われる。

▼なぜ、日本人はああまで情熱的だったのか?

 生誕百五十年を待たずに後藤新平の研究がおおいに進み、許文龍氏をして、
「台湾への政策は素晴らしかったけれども、なぜ、日本人はあれほどの情熱を燃やして台湾の近代化に努力したのか」と問いかけている。
 
とくに拓殖大学で、この研究が進められた。
池田憲彦前拓殖大学教授は「まず明治天皇の御叡慮があり、新しい版図への使命観があった。みずみずしい感受性と、ひるまない精神、つまり『肯定的思考』が多くの勇断を運んだと指摘している。
 
いま84歳になる私は、台湾人として生まれた悲哀と、同時に22歳まで日本人だった私が、日本の教育を受け、『肯定的人生』という人生観を体得して、農業の改革に着手し、その後、台北市長、台湾省省長を経て、副総統、そして十二年間にわたって総統として、一滴の血も流さないで台湾に民主化という“静かなる革命”をもたらすことが出来たことを一生の誇りとする。
 これらは後藤新平の台湾施政への哲学的基礎の上になりたっており、今日の台湾の民主と繁栄が築かれてきたのだ。
 
その精神的な繋がりの空間で、世代と時間をこえての共通の価値があり、だから私は後藤新平を敬愛してきたのである」。

 感動的な講演にしばし拍手が鳴りやまなかった。

2008年5月23日 (金)

新潟県内31全自治体まわり-3

 3時、就寝。

 6時、起床。大粒納豆、目玉焼き、セロリの浅漬けなどのバラエティ漬け物でご飯2杯の朝食をとり、愛車にて長岡市に移動する。

 7時、関越自動車道の長岡インターチェンジで、2008年日本青年会議所・北陸信越地区・新潟ブロック協議会、新潟交流委員会のK委員長と待ち合わせ。
 今日は、新潟県内31全自治体まわりの三日目である。

 今日のBGVは平成14年(2002年)に公開された『ルパン三世』のTVスペシャルシリーズ第14弾『ルパン三世 EPISODE:0 ファーストコンタクト』である。

*依頼内容
 平成20年9月16日に十日町市で開催する2000名規模の青年会議所会員大会への来賓出席の依頼及び、新潟県内23青年会議所の事業評価に関する外部審査員のお願い。
 会員大会には泉田知事をはじめ、新潟県内31自治体の首長、某有名政治家などのサプライズゲストが出席予定。

 

 まずは関越自動車道から北陸自動車道、そして国道と90分ほどかけて、村上市役所に移動。

Img_3238 村上市
   大滝平正市長
人口 約71,000人

 始業開始直後の9時近くに説明したのは申し訳なかったが、ご理解頂いたことかと思う。
 20kmほど移動し、関川村役場に到着。

Img_3240 岩船郡 関川村
   平田大六村長
人口 約6,800人

Img_3242  手短に説明は終わったものの、観光などへの取り組み具合が庁舎入り口からも醸し出されており、近くの道の駅関川(桂の関)を視察してみることにした。
 足湯や色々な地場産の物産売り場があり、20分ほど売り子のおばちゃんとお話しながら商品を物色。
Img_3245  「なんばん味噌漬け」四パックで1000円、あいさい市で「たまご 五個 250円」を購入。米ぬかなど自然飼料だけで育てた卵だという。K委員長jは、「まるよし商店」(電話:0254-52-2230)の原材料「鮭、塩」のみという「鮭とば」を購入。
 二人で車内で食べつつ、20kmほどの移動をし、胎内市役所に到着。

Img_3246 胎内市
   吉田和夫市長
人口 約32,300人

 メインである説明とお願いは早く終わったものの、市役所内の掲示が面白くデジカメで撮影する。

Img_3247 もったいないから
 もっと胎内へ

を全国・世界へ発信しよう!!

もったいない(効率のよい行財政運営)
 元気になる胎内市
もっと胎内(地域の活性化)
 元気になる胎内市民

Img_3248  また、庁舎の玄関にワインやビールなどを含む特産品販売所もあり、さらには観光名刺の台紙も販売(100枚で500円)しており、政官民あげての地域活性化への取り組みが見てとれる。
 せっかくなので、K委員長とともに 「胎内市乳製品加工センター」(電話:0254-48-3733)の「胎内モッツァレラ」、「胎内ジャージー牛乳 100円」などを購入。特に牛乳は75度で15分の殺菌という手の込んだもので、早速飲んでみると臭みもなく、非常に好みの味であった。

 これに比べて、我が柏崎市はぶどう村ワイナリーをはじめ、物産の販売や柏崎ブランドの確立に努力してきたであろうか?やる気は感じられてきたであろうか?
 今回の胎内市訪問は、非常に勉強になった。
 ちなみに、「胎内」とはアイヌ語で「清い水の流れ」という意味の地名だそうである。

 約20kmほどの移動をして、聖籠町役場に到着。

Img_3256 北蒲原郡 聖籠町
    渡邊廣吉町長
人口 約13,600人

 新発田青年会議所をはじめ、地元の活動がしっかりしているためか、すんなりと話は通った。
 約7kmの移動で、新発田市役所に到着。お待たせすることになってしまったが、新発田青年会議所のW専務、S氏にご同行頂いた。

Img_3258 新発田市
   片山吉忠市長
人口 約103,700人

 やはり新発田青年会議所の方にご同行頂いたためか、すんなりと話は通った。先日の5月例会でもお世話になったばかりで申し訳ない限りであった。
 
W専務、S氏に御礼をのべ、約20kmの移動で、阿賀野市役所に到着。

Img_3261 阿賀野市
   天野市榮市長
人口 約46,000人

 ここでも新発田青年会議所のK副理事長と待ち合わせ、ご同行頂いたので、かなりの短時間で説明が終わった。K副理事長に御礼をのべ、約15kmの移動で、五泉市役所に到着。

Img_3265 五泉市
   五十嵐基市長
人口 約56,000人

 昼休みにかかってしまい申し訳なかったが、秘書担当者の方に10分ほど説明させてもらい、お願いをした。

Img_3266 いよいよ新潟県の端の方に向かうということで、気合いを入れて磐越自動車道に入り、約57kmの移動。
 昼食時間も過ぎていることもあり、またあまりの暑さからダレてきてしまったので、阿賀野川サービスエリア上りにて、K委員長と「ソフトクリーム 280円」で休憩をとる。いい年した野郎2名で、ソフトクリームをペロペロしているのは、ある種ヤバい光景である。

 13時近く、狐の嫁入りでも有名な阿賀町役場に到着。

Img_3267東蒲原郡 阿賀町
   神田敏郎町長
人口 約14,000人

Img_3270 青年会議所自体が知られていないのか、あまり良いお返事を頂けず、役場を後にする。
 再度、磐越自動車道に乗ったものの、昼食をとるため、阿賀野川サービスエリア下りに停車。
 「体にやさしい食事処 会津屋」にて、「会津屋チャーシュー 880円」に「ライス 200円」を注文する。
Img_3271 席に届いたライスに午前中に関川村で購入した卵を二個かけて、テーブルに置いてあった醤油をひとまわし。美味しい卵かけご飯の大盛りと、チャーシューメンという素晴らしいセットに変身した。
 本当は美味しい納豆も入れたいところであった。

Img_3272 食後、売店をウロウロしていると面白い品を発見。
 なんと、江頭2:50氏、エガちゃんのキャラクター商品2つで、その名も

・江頭2:50 えが茶ん烏龍茶
・江頭2:50 えが茶ん緑茶

であった。どういった購買層を想定して販売に踏み切ったのか、興味がわく。

 1時間ほどで新潟市役所に到着。新潟青年会議所に所属するT副会長、H副委員長と待ち合わせ、同行してもらった。

Img_3275新潟市
   篠田昭市長
人口 約812,600人

 すでに新潟青年会議所の事業で、審査員をお願いしたこともあり、秘書担当、企画政策担当の方への説明もすんなりと終わった。

 本日分の自治体まわりも終了したところで、T副会長、H副委員長に御礼をのべ、K委員長の車がある長岡市に移動。
 自治体まわりも、あと粟島、佐渡島を残すのみである。

 16時、長岡でK委員長と別れ、一路、柏崎に向かう。

Img_3279 19時、ラム肉と新キャベツの炒めもの、大粒納豆、ビール500ml四缶で夕食をとる。
 食後、4時間ほどソファーで仮眠し、その後事務所に行き、締め切りが近い原稿などから片付ける。

2008年5月22日 (木)

新潟県内31全自治体まわり-2
長野事変、いよいよ国会で議題に!

 今月25日からの台湾出張のための準備をしたいものの、事務仕事が終わらず5時から3時間ほど仮眠。

 8時、大粒納豆、シラスおろし、鯖のぬか漬けでご飯2杯の朝食をとる。

 8時30分過ぎ、2008年日本青年会議所・北陸信越地区・新潟ブロック協議会、新潟交流委員会のK委員長と柏崎市役所で待ち合わせ、早速、新潟県内31全自治体まわりの二日目スタート。

 今日のBGVは平成18年(2006年)に公開された『ウルトラマンメビウス&ウルトラ兄弟』である。

*依頼内容
 平成20年9月16日に十日町市で開催する2000名規模の青年会議所会員大会への来賓出席の依頼及び、新潟県内23青年会議所の事業評価に関する外部審査員のお願い。
 会員大会には泉田知事をはじめ、新潟県内31自治体の首長、某有名政治家などのサプライズゲストが出席予定。

 

Img_3206柏崎市
   会田洋市長
人口 約93,000人

 勝手知ったる場所でもあり、10分ほどで説明が終了した。あとは出席するかしないかは市長の判断である。25kmほど移動し、出雲崎町役場に到着。

Img_3208三島郡 出雲崎町
   小林則幸町長
人口 約5,200人

 何か異常に活気の感じる庁舎の雰囲気。中越沖地震の災害復旧の仕事がピークなのであろうか工事車両も多い。
Img_3210  中越沖地震のあとなので、是非とも町長さんにご出席頂きたいとお願いと説明を行う。
 説明後、あらためて一階を見回すと、黒人演歌歌手として話題のジェロ氏のコーナーが設けてあった。やる気まんまんである。

 17kmほど移動し、刈羽村役場に到着。

Img_3212 刈羽郡 刈羽村
   品田宏夫村長
人口 約4,800人

Img_3214  ちょうど品田村長がいらっしゃったので、柏崎青年会議所OBということもあり、厚かましくも村長室に上がり込む。

 「職員に入れさせると行政コストがかかるからさぁ~」

と村長自らが入れてくださったコーヒーを飲みながら、お願いと世間話を約30分。観光戦略などつい熱くなる。
 その後、約50kmの移動で上越市役所に到着。上越青年会議所のK幹事と合流し、秘書課にてお願いと説明を行う。

Img_3215上越市(特例市)
   木浦正幸市長
人口 約206,000人

Img_3219 12時過ぎ、新井青年会議所のW氏も合流し、K委員長、K幹事との4名で新井の名物店という「とん汁の店 たちばな」(電話:0255-72-2450) 、略して「とんたち」にて、「とんそば(大盛) 950円」の昼食。
 地元ではかなり有名な名店とのことで、人もひっきりなしに出入りし、豚汁をすすりながら、丼メシをかっこんでいる。
Img_3223 正統派からすれば、「豚汁定食」を注文すべきであろうが、常にイレギュラーに挑戦する性格ゆえ、つけ麺形式で豚汁を楽しむという「とんそば」を注文した次第である。
 内容は明瞭、簡潔であり、温かい豚汁に冷たくシメた縮れ麺をつけて食べるもので、これまでにはない感覚の豚汁時間であった。
 この豚汁、汁ものというよりも溶けたジャガイモやたまねぎがペースト状になっており、まさに総菜豚汁。少ない量と思っていたものの、かなり胃袋に効いた。
 食事中、陸上自衛隊高田駐屯地の某氏や柏崎にも店をもつ某社長にもバッタリと出会い、ファンが多いことを実感した。

 K幹事と別れ、W氏にご同行頂き、約16kmの移動で、妙高市役所に到着。

Img_3225妙高市
   入村明市長
人口 約37,000人

 最上階のスカイラウンジをはじめ、新しく、そして洗練されたデザインの庁舎内を視察してまわりつつ、秘書担当者に説明とお願いをする。
 説明終了後、W氏と別れ、高速道路で約57km先の糸魚川市役所に向かう。

Img_3228糸魚川市
   米田徹市長
人口 約49,000人

 さすがに多少の疲れがでてきものの、気合いを入れて秘書担当者の方に説明を行う。
Img_3230  終了後、飲み物などだけをコンビニで購入し、再度高速道路を使って約140kmの移動。
 途中、栄パーキングエリアでトイレ休憩をしたところ、張り紙を発見した。

 「女芸人 青木さやかさんが
  プロポーズを受けた場所が
  この栄PA(下)です」

Img_3231 「どぉ~でも、いぃ~いですよぉ~」と口ずさみながら、愛車に戻り、燕市役所(燕支所)に向かう。
 庁舎前で撮影し、早速中に入ったものの、秘書担当箇所が見つからず。聞けば、燕市役所(吉田庁舎)に担当課があるという・・・・・。再度の移動。

Img_3234

燕市
   小林清市長
人口 約83,000人

 担当課も見つかり、担当者の方に説明を行う。その後、約4kmほどの移動で、弥彦村役場に到着。

Img_3236 西蒲原郡 弥彦村
   大谷良孝村長
人口 約8,600人

 センスの良い庁舎に驚きつつ、担当者の方に説明。
 17時、本日分の市町村まわりが終了した。

 18時、柏崎市に戻り、K委員長を車までお送りする。その後、市内某所にて、情報交換を含めた懇談。

080522_dvc00003 20時、市内某町内会長から依頼されていた陳情の報告のため、ご自宅に伺う。
 21時、同町内の親戚の家で、刺身、炒飯の夕食をご馳走になり、昨今の柏崎市政について説明する。

 24時近く、自宅に戻る。

 平成20年4月26日の長野事変において、日本人に被害がでているにも関わらず、何故中国人留学生を警察は見過ごしたのか。
 いよいよ、国会でも話題となった。日本の警察は誰を守るのか、真剣に議論してもらいたい。


平成20年5月21日『産経新聞』

長野事件「中国人に暴行受けた」日本人12人が被害申告

 4月26日に長野市で行われた北京五輪の聖火リレーで、「中国人に暴行を受けた」として日本人12人が長野県警に被害申告し、このうち7件の被害届が受理されたことが分かった。
 中国人も4人が被害申告し、2件の被害届が受理されたことが判明。
 21日の衆院外務委員会で警察庁の池田克彦警備局長が明らかにした。
 松原仁氏(民主)の質問に答えた。
 松原氏は、チベット支援を訴えた多数の日本人が警察官の目前で中国人に暴行を受けたと指摘し、 「どこの国の警察か。中国側が殴っても見て見ぬふり。そういうことをやると警察の信頼感を失う」と批判。
 池田局長は「被害申告が出たものは鋭意捜査しているが、具体的な答弁は控えたい」と述べるにとどまった。
 松原氏は警察官も中国人に暴行を受けたとの目撃情報が多数あることについても質問。池田局長は「公務執行妨害に当たる事案はなかったと報告を受けている」と否定したが、警察官の被害実態を調査する考えを示した。

2008年5月21日 (水)

新潟県内31全自治体まわり-1

 3時、就寝。

 5時、起床。大粒納豆、生卵、もやしを大量に入れた野菜炒めでご飯2杯の朝食をとる。食後、シャワーを浴びたのち、愛車で長岡市に移動する。

 7時から長岡市内の某ホテルロビーにて、東京都内からお越しのCMプランナーと打ち合わせ。

 8時過ぎから9時まで、長岡青年会議所メンバーであり、2008年日本青年会議所・北陸信越地区・新潟ブロック協議会のM運営専務の会社にて、新潟交流委員会のK委員長と待ち合わせ、新潟県内全31自治体まわりの準備。
 新潟交流員会で担当する「新潟県内23青年会議所が行っている事業を評価し、褒賞する事業」の外部審査委員依頼を新潟県内全31自治体の首長にお願いするため、今日からまわるためである。
 個人的には、各自治体の総務課もしくは秘書課の職員の方の対応を見比べるチャンスでもあり、非常に楽しみにしていたところ。

*依頼内容
 平成20年9月16日に十日町市で開催する2000名規模の青年会議所会員大会への来賓出席の依頼及び、新潟県内23青年会議所の事業評価に関する外部審査員のお願い。
 会員大会には泉田知事をはじめ、新潟県内31自治体の首長、某有名政治家などのサプライズゲストが出席予定。

 準備完了後、K委員長とともにさっそく田上町まで移動。

 せっかくなので、BGVとして『ウルトラマンメビウス』を第17話から連続でかける。

 加茂青年会議所のW氏と待ち合わせて、田上町役場の総務課にて説明し、依頼文書をお渡しする。

Img_3172南蒲原郡 田上町
    佐藤邦義町長
 人口 約13,000人

 続いてW氏にご同行頂き、約5kmの移動で加茂市役所に到着。

Img_3173加茂市
    小池清彦市長
 人口 約31,000人

 W氏のお陰ですんなりと説明も終わり、W氏に御礼を述べたのち、約13kmの移動で、三条市役所に到着。

Img_3176三条市
    國定勇人市長
人口 約103,500人

Img_3178 12時過ぎ、燕三条青年会議所のT氏をお誘いして、今年3月にオープンした「麺道楽 天狗屋」(電話:0256-32-1984)にて昼食にする。
 「チャーシューメンマ麺 1000円」、「ミニトロ玉子丼 350円」「ビジネス餃子(ニンニクなし) 400円」を注文し、背油(厳密には背脂)の量については選択する。
 メニューには次のように書いてあった。

 ・油なし
 ・中油
 ・大油 ※おすすめ
 ・マンモス油っぴ(超油)
     ※マンモス50円増し
 ※ご指定なき場合は中油となります。

Img_3184 マ、マンモス、油っぴ・・・・・・・・
 その力の抜けた、どう対応して良いか分からない名称のため、この「マンモス油っぴ」に決定。女性店員さんとのやりとりは、意味不明となった。

 「このマンモス・・・」
 「マンモス油っぴですね」
 「ええ、そのマンモス」
 「マンモス油っぴでぇ~、はい」

Img_3185 実際にラーメンが到着してみると、圧巻。入れ放題の新鮮なタマネギみじん切りとともに、食べるものの、ほとんど脂の味でスープを味わえず、極太麺の平縮れ麺が脂で絡んで唇で暴れるツルツル感覚を楽しむことに終始した。

Img_3186 食後、T氏と別れ、そのまま見附市役所に向かって17kmほど移動。見附青年会議所のY氏と待ち合わせ、ご同行頂く。

見附市
     久住時男市長
人口 約42,000人

 総務課にて説明し、依頼文書をお渡しする。

 Y氏に御礼をのべ、15kmほど移動し、長岡市役所に到着。

Img_3188長岡市(特例市)
    森民夫市長
人口 約281,500人

 市役所の目の前に長岡青年会議所もあることからなのか、すんなり説明も終わり、その後18km移動し、小千谷市役所に到着。

Img_3191小千谷市
    谷井靖夫市長
人口 約39,000人

 中越大地震のときにはボランティアで2日間ほど玄関付近で作業した思い入れのある庁舎。こちらも地元の小千谷青年会議所の活動もあるのか、すんなり説明が終わり、10kmほど移動し、川口町役場に到着。

Img_3192北魚沼郡 川口町
    岡村譲町長
人口 約5,000人

 この庁舎も震災ボランティアで思い入れのあるところである。10分ほど説明して依頼。その後、13kmほど移動し、魚沼市役所に到着。

Img_3195魚沼市
   星野芳昭市長
人口 約43,000人

 秘書係の方がいるのが当初、旧小出庁舎なのか他の旧庁舎なのか、一瞬迷ったものの、旧小出庁舎で正解であった。こちらでも10分ほど説明して依頼。その後、23kmほど移動し、南魚沼市役所に到着。

Img_3197南魚沼市
  井口一郎市長
人口 約62,500人

 ここで痛恨のミスが発覚。井口市長の御名前が「井上」となっており、ただただ平謝り。赤面しつつ、18kmほど移動し、湯沢町役場に到着。

南魚沼郡 湯沢町
   上村清隆町長
人口 約8,500人

 ここで時間が早くも16時過ぎとなっており、庁舎の写真も撮り忘れるほどの慌てようで、30kmほど移動。なんとか17時に津南町役場に到着した。

Img_3199中魚沼郡 津南町
   小林三喜男町長
人口 約11,300人

 就業時間で帰り支度をしている職員の方に、手短に説明する。その後、最後となる十日町に向けて、気合いを入れて17kmほど移動し、18時近くになってしまったが十日町市役所に到着。

Img_3202_2十日町市
   田口直人市長
人口 約60,700人

 十日町青年会議所のS氏と待ち合わせ、就業時間後となったが秘書の方にご説明。同じく十日町青年会議所から出向しているK委員長のお膝元ということもあり、無事に日程調整のお願いが終了した。

 本日分の市町村まわりが終わったということで、Y総括幹事の会社に伺い、お茶をご馳走になる。
 その後、K委員長を車があるところにお送りしたのち、帰路につく。

Img_3204 20時、柏崎に戻ったものの、自宅に急遽の来客。
 冷凍庫にあった米山町で獲れた蛸をブツ切りにし、タコ唐揚げを作る。ほかにも冷蔵庫にあったものでツマミを作り、ビールで2時間ほど懇談する。

 24時近く、風呂に入っていたところ、懇親会のお誘いの電話があった。しかし、明日も県内まわりの長距離運転があることから、さすがに今回は遠慮させてもらった。

2008年5月20日 (火)

「支那」は世界の共通語

 3時、就寝。

 7時、起床。大粒納豆、鯖塩焼き、ほうれん草のおひたしでご飯2杯の朝食をとる。

 8時から市内まわりと国の某機関との連絡調整。今週末からの台湾出張に関して、必要な資料を取り寄せる。

 11時から市内某所で政治に関する打ち合わせ。

080520_dvc00001 13時過ぎ、十日町市議会の庭野茂美議員をはじめ十日町市の皆さんが柏崎刈羽原子力発電所の見学に訪れるとのことで、お迎えの挨拶に伺う。
 『新潟日報』のような偏った一方的な記事を丸呑みにせず、とにかく現場を見てもらうのが一番である。

080520_dvc00002 14時、待ち合わせの方との中間点ということで、 「マクドナルド 8号線柏崎店」にて、打ち合わせ。
 まだ昼食をとっていないこともあり、コーヒーのみの先方の方には申し訳なかったが、 「チーズカツバーガーセット」で昼食にする。かなり油っぽいので、腹持ちが良さそうである。

 15時過ぎに移動。16時から長岡市内の某所で会社関係のプレゼンテーションを行う。

 18時、柏崎に戻り、市内某店での懇談会に出席。

 色々なお話もあったものの、21時近くに市内の某スナックに移動しての二次会となった。カラオケでは、『若鷲の歌』『ウルトラマンレオ』『真っ赤なスカーフ』、バラバラのジャンル。そして初挑戦の『東京』など。

 23時、自宅に戻る。

 「三井田は、中国を支那と言って差別している」とまことしやかに言われているそうであるが、これは以前に柏崎市議会の議場において社会クラブから私への指摘で紛糾し、地元新聞『柏崎日報』にも書かれたこと(柏崎市議会の支那事変)によるものであろう。
 四川大地震の話題がでているなか、それに乗じて私を叩こうとでもいうのであろうか。

 日本以外の国では、支那を語源する言葉をきちんと使っている。現に英語のチャイナもそうである。


平成20年5月14日『産経新聞』

【私の正名論】評論家・呉智英
「支那」は世界の共通語

 必ずや名を正さんか。孔子の言(げん)だ。名は言葉。言葉が正しくないと社会も文化も混乱してしまう。迂遠(うえん)なようでもまず名(ことば)を正す(正名)のがすべての基本である。
 その孔子の故国に批判が噴出している。農薬まみれの野菜、毒入りギョーザ、少数民族抑圧、過剰な愛国主義…。批判も当然。私はこれに同調する。しかしまず名を正すべきだと思う。
 昨夏、中国食品という会社が倒産した。健全な経営の食品会社であったが、農薬汚染食品の輸入会社だと誤解されて製品が売れなくなったのだ。この会社は広島にある。社名が中国食品で何の不思議もない。中国放送、中国新聞、中国電力、中国ガス、中国銀行…これらは全部日本の中国にあって、支那にあるわけではない。知名度の高いこれら公共企業であれば特に誤解も起きないが、それ以外の、岡山や広島や山口など中国にある中国何々といった会社や団体がみんな迷惑している。中国は「中国」、支那は「支那」とすれば、こんな混乱は起きるはずはない。中国食品も倒産などせずにすんだのだ。
 この混乱の責任はどこにあるのか。第一に「中国」を日本に対してだけ強要する支那。第二に、この異常な主張に諾々(だくだく)として従い、言論機関にこれを強制した昭和二十一年当時の外務省。第三に、この言論抑圧に屈するのみならず、これをなにか「民主的な」改革だと正反対に勘違いしている自称良識人たち。この三つが連動して混乱をもたらしているのである。

 詳論(しょうろん)しよう。

 まず第一の点。「支那」禁止は理不尽な言いがかりである。「支那」という言葉は最初の統一王朝の「秦(しん)」に由来し、世界中でその近似音で支那を呼んでいる。支那人自身が支那を「支那」と呼んだ記録もあり、清朝の公的文書にも「支那」は出てくる。しかし、かつての朝貢(ちょうこう)国である日本には自分たちを世界の真ん中にある国「中国」と呼ばせたいのである。

 第二の点。「支那」が抹殺されたのは、戦後の混乱期である昭和二十一年六月の外務省次官・局長通達による。支那は形式上アメリカを中心とする連合国の一員であり、日本に対して戦勝国である。その力関係を背景に「中国」を強要してきた。外務省は従順にそれを受け入れ、各言論・報道機関に「支那」を禁止し「中国」を使うように通達を発した。その中にこんな文言がある。「今度(このたび)は理屈抜きにして先方の嫌がる文字を使はぬ様(やう)に」。占領下では、正当な理屈さえ禁じられていたのである。

 第三の点。明白な言論弾圧を、自称良識人たちは、侵略戦争への反省や民族差別解消の名目で歓迎した。二十世紀末まで支那を植民地支配していたイギリスでもポルトガルでも「チャイナ」「シーナ」と呼んでいることを知らないふりで。また「中国」が差別的な自国中心主義を意味することも知らないふりで。そもそも外務省通達の存在を、これは本当に知らないのである。

 私は四十年前の全共闘の学生だった頃(ころ)からこの不合理を批判し、支那は「支那」だと言い続けてきた。最近やっと「支那」解禁の動きが出てきた。六十二年前の言論抑圧通達は無効だと外務大臣に言わせる議員はいないのだろうか。(くれ・ともふさ)

2008年5月19日 (月)

左翼に「右翼のくせに」と差別されるの図
四川大地震への支援

 2時、就寝。

 7時、起床。大粒納豆、焼きたらこ、チーズ入りはんぺん、白菜の味噌汁でご飯2杯の朝食をとる。

 9時から10時まで某氏宅にて、ペンキ塗りのお手伝い。その後、自民党の先輩議員を迎えにいったのち、長岡市に移動。

 11時から自民党・長島忠美衆議院議員の事務所にて、打ち合わせ。柏崎での後援会設立などを議員本人を含めて、1時間ほど話し込む。

Img_3166 13時、「姥姥ラーメン 長岡店」(電話:0258-29-1911)にて、「チャーシューメン 800円」に岩塩を入れて作ったという「岩タマゴ 100円」、「ラーメンライスセット +150円」で昼食をとる。

 「麺を作らないラー麺屋は、ただのラー屋だ」

のキャッチフレーズ通り、普通麺ではなく太麺を注文したが、食感も良く、踊る麺であった。

 15時、一度、柏崎に戻り、市内まわり。

 16時から柏崎青年会議所の活動として、市内二カ所のコミニティセンターをまわり、ポスター掲示をお願いする。

Img_3167 19時、自宅に戻ったところで来客。にんにくペーストを入れたデミグラスソース煮込みハンバーグ、鯛のカブト焼き、小粒納豆、ビール500ml四缶で夕食をとりながら、懇談。
 その後、酔った勢いで、DVD作成の単純作業や新聞の切り抜きなどいっきに行う。単純作業であるものの、かなりの仕事量が溜まっており、億劫になってしまっている。

 市内まわりをしている際、強烈な原発反対派であり、ご自身でも左翼とおっしゃる某氏と偶然に会った。
 イデオロギーは違っても、同じ柏崎市民であり、世間話はする。今日は何故か四川省大地震が話題となった。
 普段は、中共(中国)政府は批判するものの、震災となれば被災者には同情するうえ、手をさしのべるべきであろうと意見すると、

 「おめさん、右翼くせに中国支援するのけぇ~」

の暴言。
 普段、何かあるとすぐ「差別だ、差別だ」と騒ぐくせに、被災者には手をさしのべるべきと、イデオロギーを別にし、人道的な意見を言うと私のことを「右翼のくせに」と差別するのである。
 「右翼」とのレッテル貼りと勝手な思い込み、本人こそが差別主義者である。左翼の立ち位置から私を見れば、もちろん右翼であろう。
 事あるごとに「差別」を訴える左翼に差別される・・・笑い話以外の何ものでもない。

 もっと笑い話になりそうなのが以下である。


平成20年5月18日『産経新聞』

「日本隊は早く帰れ」
「生存者発見されれば軍のメンツ立たぬ」
人民解放軍が日本援助隊に不快感

 日本の国際緊急援助隊は18日、「いちるの望み」(隊員)をかけ、多くの生徒、児童が下敷きになった学校の倒壊現場での捜索・救助活動を始めた。ただ、同隊への感謝の声が絶えない被災民とは異なり、人民解放軍などの反応は手放しで「歓迎」とはいかないようだ。(綿陽市北川県 野口東秀)

 中国政府が日本の援助隊を真っ先に受け入れたのには、日中関係の重視や国際協調をアピールする狙いがあったが、民政省などは「反日感情」を危惧(きぐ)し受け入れに消極的だったという。
 その懸念は、被災住民に関する限り払拭(ふっしょく)されたといっていい。しかし、捜索・救助活動にあたる軍などの間には複雑な感情がみられる。
 捜索・救助活動を現場で統括するのは基本的に人民解放軍だ。実際、大規模な災害時に救助や物資の輸送などを行えるのは、軍や消防などをおいてほかにない。
 17日、日本の援助隊は青川県の被災現場で活動したが、軍の兵士の1人は「あれは日本隊だろ。早く帰れよっていう感じだ」と口走った。それ以外にも不快感を示した救助関係者もいた。
 ある中国筋は「軍が仕切る現場で日本隊に生存者を発見させると思うか?」と話す。日本の援助隊に中国側が指定した被災現場は、すでに捜索を終えたか、あるいは巨大な土砂崩れで埋まり、中国側も救助などは「無理」だと判断した小学校だった。同筋は「軍などがいったん捜索し救助活動をすでに終えた現場で、もし日本隊が生存者を発見したら、それこそメンツが立たないともいう。
 それでも日本の援助隊が生存者を救出すれば、日中関係の改善にはプラスとなる。現場の軍関係者などによる感情の吐露は、日本から援助隊を受け入れる土壌が整っていないことを浮き彫りにしている。

2008年5月18日 (日)

第三師団創立47周年
千僧駐屯地創設57周年記念行事

 1時、ホテルに戻り、シャワーを浴びたのち、就寝。

Img_3100 6時、起床。
 自衛隊の活動をはじめ、『フライデー』誌上での激写などで知られる【不肖・宮嶋】こと、宮嶋茂樹氏から最新の著書『不肖・宮嶋 戦場でメシ喰う! これがホンマのミリメシや-。』を頂戴したので、湯船に浸かりながら読破。相変わらず面白い内容であり、かつゲ○の話など生々しい。

Img_3127 8時、身支度をしたのち、ホテルのロビー1階で、小さめのおにぎり三個、味噌汁で朝食をとる。
 昨日、飲み過ぎ、食べ過ぎだったせいか、味噌汁が胃に染みいるように美味く、2杯飲む。

Img_3128 腹ごなしにホテルの前をウロウロとする。
 夜の町並みとは違って、天気の良い朝にアヤシー建物が目立つ。
 色々な建物やお店の看板があったが、最高傑作は夜のお店の案内を行う場所

 「名案内コナン」

であった。

Img_3129 また、ホテルの前には平和地蔵尊があり、紹介板には次のような説明があった。

 この地蔵尊は今を去る約七拾数年前この地に鏡ヶ池ありその池に幼な童が溺れしと伝えられ母親の我が子を思う念願から安全の守護尊として人の伝えしものきくその後大東亜戦争の為この地は荒野と化し当OKビルの御厚意に依この地に終戦後有志の者にて平和地蔵尊と名付ここに御安祭致せしものなり
                   昭和四十三年十一月

 「太平洋戦争」ではなく、きちんと「大東亜戦争」と表記されていた。

Img_3131 ホテルをチェックアウトし、JR伊丹駅で久野潤氏と待ち合わせをしたのち、陸上自衛隊第三師団千僧駐屯地に向かう。
 今日は、第三師団創立47周年及び千僧駐屯地創設57周年記念行事。前回、地元5町内会から感謝状をお預かりし、本駐屯地に伺った際、記念行事の事をお聞きし、柏崎の被災者1名、久野潤氏とともに訪れた。第三師団からご支援頂いた柏崎市内の被災者も多くご招待されたが、都合がつかないということで、僭越ながら代表としての意識ももって訪れた次第である。

 受付をしたのち、10時20分から観閲式が開始。
 国会議員や第三師団警備範囲である近畿二府四県(滋賀県、京都府、大阪府、兵庫県、奈良県、和歌山県)の自治体関係者、観閲官たる第三師団長 関口陸将が入場し、その後に「栄誉礼」となった。
 現在の「栄誉礼」は、昭和61年に故・黛敏郎氏が作曲したもので「栄誉礼冠譜」と「祖国」と2つの部分で構成され、「栄誉礼」を受ける人の階級によって、冒頭の「栄誉礼冠譜」の回数が違う。
 ちなみに故・黛敏郎氏は、日本会議の前身「日本を守る国民会議」の議長を務められていた。

*上記、動画は4回バージョンで音声はあと乗せ

Img_3134 国会議員や二都四県の自治体関係者による挨拶に続き、「塩爺」こと元・衆議院議員 塩川正十郎氏が「第三師団を励ます会会長」としてご挨拶された。
 塩爺は、大東亜戦争時には学徒出陣しており、昭和18年10月21日に明治神宮外苑競技場で開催された「出陣学徒壮行会」にも参加。のちにこう回想されている。

 「(東條首相の激励を)一生懸命に聞いたよ。
  会場はシーンとして、静寂だった。

  規律はしっかりしていた。
  戦争は誰しも嫌なことと分かってはいても、
          祖国のためだと考えていた。」

 そして、信太山駐屯地にあった陸軍・野砲第四連隊に入営されたそうである。

Img_3146 観閲式には、ご当地、千僧駐屯地(兵庫県伊丹市)の第3師団司令部および同付隊、第3後方支援連隊、第3通信大隊、第3偵察隊、第3特殊武器防護隊、第3音楽隊、福知山駐屯地(京都府福知山市)第7普通科連隊伊丹駐屯地(兵庫県伊丹市)第36普通科連隊姫路駐屯地(兵庫県姫路市)第3特科隊、第3高射特科大隊今津駐屯地(滋賀県高島市)第3戦車大隊大久保駐屯地(京都府宇治市)第3施設大隊八尾駐屯地(八尾空港)(大阪府八尾市)第3飛行隊、そして信太山駐屯地(大阪府和泉市)第37普通科連隊が観閲を受けた。
Img_3170 天気も暑かったが、佐藤副師団長(陸将補)以下による観閲行進がアツく、第37普通科連隊は柴田連隊長以下、第五中隊が気合い入りまくりであった。
 観閲式ののち、11時40分から訓練展示。
 74式戦車、FH70(155mm榴弾砲)による大きな音がする空砲射撃に加え、格闘訓練展示など、多くの来場者が驚きの声をあげていた。

*上記、『陸軍分列行進曲(扶桑歌)』はあと乗せ

 訓練展示も終わったところで、先日の長野事変の写真などを提供し、チャンネル桜にもご出演頂いた「不肖・ふーてん」さんにお会いし、ご挨拶。アツい方で、海上自衛隊の基地モニターもやっていらっしゃるとのことであった。

Img_3161 会場を体育館に移し、12時40分から記念会食。
 千僧駐屯地司令でもある佐藤副師団長(陸将補)のご挨拶のなかで、中越沖地震への災害派遣、そして我が柏崎市にも触れて頂き、

 「今日は遠く、柏崎から
 被災者を代表して三井田議員がお越しになっています」

とのありがたいご紹介も頂き、感謝感激であった。
Img_3156 会食中は、現在は第三師団勤務で先の災害派遣時には第37普通科連隊にいらっしゃったM師団最先任上級曹長をはじめ、自民党・川条しか衆議院議員、以前に自民党新潟県連青年部でお会いした自民党・中山泰秀衆議院議員など、多くの皆様と懇談させてもらう。
 中山議員は、

 「ご無沙汰しております、柏崎の三井田です」

 「おおぉぉ~納豆の・・・・」

と相変わらず名前は覚えてもらえず、「納豆」のイメージのみである。
Img_3159 ありがたいことに何人かの名刺交換をさせてもらった方からは、大阪のローカル番組

MBS毎日放送「ちちんぷいぷい」
讀賣テレビ「大阪ほんわかテレビ」

などに出演したものを見ていた下さった方もいらっしゃった。
*写真は、第三師団、千僧駐屯地記念日本酒ボトル

 面白い出会いもあった。柏崎のご出身で現在も『越後タイムス』など地元新聞に慰霊の旅などの寄稿をされている須田一彦氏にバッタリ会ったのである。
 色々な近現代史のお話もしたが、何よりもインドへの慰霊の旅を企画しようという話でまとまった。旧軍・高田歩兵第五十八聯隊として、インパール作戦に出征された我々柏崎の先輩方は、未だに異国の地に眠っており、遺骨もそのままである。
 現地コヒマの方々は日本軍への感謝を述べているなか、戦後のGHQによる「日本がすべて悪かった」という洗脳に我々日本人がハマったお陰で、先人の事をすっかり忘れている。せめて故郷・越後の米と酒を持参し、現地でまいてこようという企画である。須田氏もご親族がインパール作戦で戦死されており、話の最後には涙を流されていた。
 今年中は無理としても、来年中には実施したいものである。

 その後、某企業副社長のご紹介により、製造業など数社の経営者と名刺交換をさせてもらい、ちゃっかり柏崎フロンティアパークの売り込みも行う。

 15時、陸上自衛隊第三師団千僧駐屯地をあとにし、帰路に着く。

Img_3162 19時、富山県にて、「白海老かき揚げうどん 560円」で夕食をとる。白海老のかき揚げは大好物。揚げたてのカリカリした天ぷらも良いが、関西風のだしでモロモロになったところに潜む白海老も捨てがたい。安い立ち食い蕎麦屋でのかき揚げは、海老かと思うと大抵は紅しょうがである。

 21時、自宅に到着。風呂に入ったのち、FAXや手紙などの返事を書きつつ、大粒納豆2パックをつまみに、ビール500mlを3本。

2008年5月17日 (土)

ルパン十三世にヤラれた大阪・十三
講演「自衛隊と原子力の必要性」

 出張前に済ませておくべき仕事が終わらず、4時になって就寝。

 8時、起床。大粒納豆、シラスおろし、目玉焼き、筋子でご飯2杯の朝食をとる。

 9時、自宅をでて大阪市内に向かう。通常であれば、移動中は本を読むが、今回はDVDで「ウルトラマンメビウス」を第1話から見る。甥っ子に質問されても良いように、というのは言い訳であって、本当は自分が見たいのである。
 それにしても、改めて第1話から見てみると、昭和のウルトラマンシリーズとの整合性など、よく練られた設定で関係者の努力には驚くばかり。子供より大人の方が夢中になったのも理解できる。

Img_3101 13時、 「ごーじょーもん(代表 島田 暁子)」(電話:0776-67-6177)の「ソースカツ勝俵 1050円」で昼食をとる。添付のマヨネーズも、説明にしたがってかける。
 この「ソースカツ勝俵」は、ソースカツ丼を手軽にしたようなもので、なんとカツのなかにご飯が入っているというコペルニクス的転換の食品。
Img_3103 味付けして炊いたご飯に青じそと豚肉を巻きつけて揚げたもので、ソースが衣に染み混んでいる。手軽に食べられるものの、かなり腹には重く感じる商品であり、若者には受けると思われる。

 途中、色々な雑用や寄り道もあり、16時、宿泊先の東横イン阪急十三駅西口に到着。

Img_3104 今回、宿泊先を十三にしたのは、いわゆる大阪の下町のまちを見たいからで、ホテルの横には、女性が隣に座って楽しむお店として、「ルパン三世」ならぬ、「ルパン十三世」という著作権もクソもないところがあり、早くもヤラれた感があった。

Img_3111 某納豆会社のO社長と待ち合わせたのち、17時、 「ねぎ焼 やまもと 十三西店」(電話:06-6303-8482)にて、「牛肉ねぎ 950円」「いか玉 750円」「焼そば 650円」で夕食をとる。せっかくの美味しいねぎ焼きなものの、この後のこともあり、アルコールをとらず、ノンアルコール・ビールを飲む。

Img_3113 その後、せっかく十三に来たということで、いわゆる立ち飲み屋街に行き、飲んでも1500円以内系のお店にて、生キモや串カツなどを試しに食べてみる。
 350円という、あまりにも安い生牛レバーに少し物怖じしたが、かなり血の臭みが残っているレバーであり、それなりのブツであろうと納得する。

Img_3118_2  19時、教育再生・地方議員百人と市民の会の増木氏がホテルに向かえに来られたので、大阪駅前第2ビルの会議室に移動。
 大阪府吹田市の神谷宗幣議員主催の勉強会にて、お集まり頂いた皆様に

・中越沖地震における自衛隊の活躍
・原子力発電の必要性と震災時の真相

について、お話する。もちろん、話のところどころに、我が柏崎市のアピールも忘れずに行う。

Img_3121 勉強会終了後の21時過ぎ、「和食とお酒 神戸たちばな 梅田店」(電話:06-6311-1708)での懇親会に出席。
 やっとビールを飲めるようになったので、生ビール5杯と泉州茄子の浅漬けなど名物を食べつつ、痛飲する。
 日本人とバイオテクノロジー、菌との共生など熱く語ってしまった。

Img_3123 23時過ぎ、ホテル近くまで戻り、「餃子工房 ちびすけ 十三店」(電話:06-6390-5888)でシメ?のニンニク餃子と焼酎水割り。
 なんだか食べてばかりであるが、「食い倒れの大阪」ということで自分自身を納得させる。

2008年5月16日 (金)

『これだけは伝えたい武士道のこころ』余話
四川省への日本援助隊。無事を祈る

 3時、就寝。

 7時、起床。食パンの賞味期限が近いとのことで、6枚切りトースト2枚にひきわり納豆とマヨネーズをトッピングし、牛乳、グレープフルーツジュースとともに朝食をとる。

080516_dvc00001 8時から午前中は、市内での相談や打ち合わせなどで自転車でかけまわる。相談があるという方のお宅にお邪魔した際には、残しては申し訳ないと、ついお茶と茶菓子を食べるので、これだけ自転車で走り回ってもエネルギーは過剰のままである。
 今日は、えんま通りの「笑福市」が千秋楽ということもあり、うどんも食べたかったが既にお茶でお腹がパンパン。学校の先生の家庭訪問状態である。

 13時、一度、自宅に戻り、郵便物の整理。お礼状や名刺交換ののちの挨拶状もまだ出していない分もあり、気ばかり焦る。

Img_3097 先日の名越先生一周忌ツアーでもご一緒した、愛弟子である作家の拳骨拓史氏から、氏が寄稿した航空自衛隊幹部連合会の機関誌『翼』が届いた。ありがたい限りである。
 内容は、

 「嫌韓流に効くクスリ
  『これだけは伝えたい武士道のこころ』余話」

という、大韓帝国最後の皇太子・李垠殿下の后、 李方子(りまさこ、イ・バンジャ)妃殿下の日韓交流秘話。
Img_3098 李妃殿下は、日本の皇族出身であるが、大東亜戦争終戦後は一在日韓国人として日本で暮らし、夫婦揃って韓国に戻った後は、奉仕活動に邁進する。その奉仕活動は徹底したもので、いまでも韓国の歴史上で尊敬される人物として数えられる。
 また、韓国人初の靖国神社昇殿参拝された金寿妊さんの秘話も分かりやすく、感動的に紹介されていた。
 拳骨氏は次回作も近々出版されるとのことで、名越先生がお持ちであった「歴史に対する大らかな視点」を継いで頂き、是非、ご活躍頂きたい。

 14時から長岡市に移動し、打ち合わせ。16時過ぎに柏崎に戻り、某町内会からの依頼の仕事など数件こなす。

 18時、事務所に戻り、やっと事務仕事。議事録など覚えているうちに整理する。
 いま一番ほしいのは、議事録をとってくれる秘書?である。一日に2回以上の打ち合わせがあり、アイデアをだしつつ、議論し、議事録をとるのは時間的に厳しい。

Img_3099  20時過ぎ、冷蔵庫の余り物と味付けマグロの缶詰、ひきわり納豆で納豆炒飯を作り、夕食にする。
 訃報があり、弔電を入れている最中にもう1件の訃報。言葉にできない気分である。

Gosei 昨日から一転、中共(中国)政府は日本の人的援助をやっと受け入れるとの報道があった。
 すでに生き埋めの標準生存時間リミットである72時間は超えている。日本から派遣される援助隊の皆さんには一人でも多くの人命を救助してもらいたい事もさることながら、余震や疲れもでることから、どうか無事で元気に帰ってきてほしいと思う。
 そして、中共(中国)政府には、くれぐれもこの震災と支援を政治利用することがないよう願う。

 援助隊の皆さんに対しては、個人的に『出征兵士を送る歌』をこころのなかで歌っている。
 これまでの日本の震災で培ったノウハウを遺憾なく発揮して人命救助するとともに、日本の真剣な姿を中共(中国)政府に、そして世界に見せてほしい。


平成20年5月16日『毎日新聞』

<四川大地震>
援助隊31人、表情引き締め「厳しい現場」

【成都(中国四川省)稲垣淳、岡崎英遠】中国・四川大地震で、日本が派遣した国際緊急援助隊の第1陣31人が16日、被災地の四川省青川(せいせん)県に到着、救出活動を始める。今回の地震で中国が外国からの援助隊を受け入れるのは日本が初めて。日本の経験を生かした本格的な救出作業への期待が高まっている。
 中国外務省関係者によると青川県では中心部の家屋8割が倒壊、人口約25万人のうち死者は少なくとも1500人、負傷者も1万人にのぼる。日本の援助隊が活動する関庄地区は土砂崩れで約260世帯700人が今も生き埋めになっているという。
 援助隊は消防や警察、海上保安庁、国際協力機構(JICA)の医療関係者らで構成。一行は北京からのチャーター機で16日午前2時半(日本時間同3時半)ごろ、四川省の省都・成都の空港に到着し、中国政府関係者らの出迎えを受け打ち合わせの後、バス2台に分乗し約250キロ北の被災地へ向かった。
 日本から油圧手動鉄筋カッターなど人命救出用の機材や医療品を持ち込んでいる。成都の空港に到着した隊員の一人は「被災地に行ってみないと分らないが、かなり厳しい現場になると思う」と話した。
 中国外務省関係者は成都の空港で報道陣に対し「日本は地震多発国。災害救助経験が豊富で、特別なノウハウを持っている」と受け入れの理由を説明。「1日も早く、1人でも多くの人を助けたい」と話した。

2008年5月15日 (木)

もっと忘れられた柏崎市長
伊吹文明自民党幹事長

 3時、風呂に入ったのち、就寝。

 7時、起床。大粒納豆、鯛の潮汁、厚焼き卵、焼きたらこ、もやしのサラダでご飯2杯の朝食をとる。

17891  朝食をとりながら、四川大地震のニュース映像を見ていて驚いた。かなり上空のヘリから救援物資をパラシュートもつけずにボンボン投げ落としているのである。しかも被災地中心部であり、弱っている人は取りにいくことすらできない。
 あれだけ増強してきた中国人民解放軍は、なぜ人民の命を救済しないのか。
 物資を投下したのち、パラシュートを使って人間も降下し、物資の配布と救出作業を行うべきではないのか。本当に理解に苦しむ国である。 

 8時に自宅をでて、新潟市で午前中いっぱい打ち合わせ。コンビ二の納豆巻き2本、低脂肪乳、グレープフルーツジュースで昼食をとりながら、柏崎に戻る。

 13時から市内某所で町内会長を含めた活性化イベントの話し合い。若者を町中に呼び込み、かつ持続性のある小さなものでもやりたいとのことで、ダンスやお笑いから色々な案がでた。

Img_3089 14時30分から保守系の柏崎市議会議員との待ち合わせや車の乗り合わせをし、長岡市のパストラル長岡に移動。
 自民党長岡支部の平成20年度定期大会に傍聴出席させてもらうとともに、活性化のために企画された自民党・伊吹文明幹事長の講演があるため、出席した次第である。

Img_3090  さすがにマスコミが多く20社以上が会場につけかけており、伊吹幹事長もこれでは政界の裏話はできない、とガソリン税や民主党の空手形政治、政局を狙う政治手法への批判といった内容になった。
 講演会終了後、中越沖地震の陳情にいった事の御礼や今後の支援のお願い、そして市長選挙に関するお願いで、自民党・長島忠美衆議院議員にご手配頂き、伊吹幹事長と別室にて懇談。
 個人的には、

・なぜ今の政府には売国奴が多いのか。
長野事変における
   中国人留学生への法的処置はとらないのか。

を聞く予定であったが、お殿様発言(*)があったためか、ぶら下がりの記者質問の時間が長くなり、タイムリミット。お笑いコンビ「ザブングル」加藤風に

 「くやしいですっ!」

とやりたいところであるが、あとは来週の国会における自民党・戸井田とおる衆議院議員と、民主党・松原仁衆議院議員の質問に期待するのみ。


お殿様発言

平成20年5月13日『日本経済新聞』

自民幹事長「年貢増やすのは当たり前」

 自民党の伊吹文明幹事長は13日午前の記者会見で、同党の中川秀直元幹事長が消費税などの増税に反対していることに関連して「(今の時代は)お殿様は国民だ。国民が使っているものに年貢が追いつかない場合は、国民が年貢をもう少し増やすのは当たり前のことだ」と述べ、税金を「年貢」と例えて反論した。


 それより何より驚いたのは、伊吹幹事長に柏崎市長選挙の話をしたところ、

 「市長って誰?どんな人?」

のお言葉。これでハッキリ分かったのは、昨年の震災以降、我々自民党籍を持つ市議会議員は自民党本部や国会議員のところへ頻繁に陳情にでかけていたが、会田市長は何をやっていたのかということである。
 陳情に行っていたとしても、ボタンの押しどころ、タイミング、そしてやり方を間違っていたとしか言いようがない。震災からまだ1年も経過していないにも関わらず、政権与党の重要ポストに名前や人となりも覚えてもらっていない。私でさえ、「納豆の彼・・」ぐらいに覚えてもらっている。
 市長はその自治体の顔であり、営業マン。
 市役所のなかの業務も大切であるが、市長にしかできない<外まわり>こそ、被災した柏崎市の市長がやるべき仕事であろう。

Img_3093 引き続き、懇親会の場となり、総菜の入った弁当がでたので、お茶をすすりつつ完食。
 運転手であるため、ビールや酒を飲まずにお酌にまわるが、何故飲まないのかとお叱りを何回も受ける。
 懇親会も頃合いの時間となったので、抜けさせてもらい、帰路につく。

Img_3095 帰り道、夕食としてラーメンを食べようということになり、 「らーめん潤 長岡上除店」 (電話:0258-46-8700)に入る。周りの議員は、弁当をそのまま持ち帰りにしたそうで、完食したのは私だけであった。
 しかし、せっかく来たので、「中華そば 680円」に「ゆでたまご(醤油味) 100円」「岩のり 160円」を追加し、中脂、ネギ多めで注文。
 かなり苦しかったが、なんとか完食ののち、柏崎方面に向かう。

Img_3096  遅刻したが、19時から柏崎エネルギーホールで行われている日本会議柏崎支部設立準備会に出席。
 設立日の選定や次回準備委員会の日程を決めるとともに、映画『南京の真実』の上映会の提案などを行った。

 21時に会議が終了したのち、2件の懇親会に途中からの参加。今年11月の市長選挙への関心が高まっているようで、やはりその方面の話となった。

 24時近くに帰宅。

2008年5月14日 (水)

アニメと柏崎
「中国は一つ」問題

 2次会から3次会、4次会となり、やっと自宅に戻ったのが3時過ぎ。シャワーを浴びたのち4時に就寝。

 8時、起床。ひきわり納豆、筋子で納豆茶漬けにして朝食をとる。食後、そのまま上越市に移動。

 某市議会議員との今後の活動についての打ち合わせ。その後、上越市内のスーパーで買ったおにぎり2個(鮭、たらこ)とカップ味噌汁の納豆汁を車中で食べ、昼食にする。

 午後から長岡市に移動し、1件の打ち合わせ。ここのところ、毎日3時間以上は移動だけで時間を浪費してしまっている。ネットでの会議に移行したいところだ。

 16時、柏崎に戻り、事務所や市役所などで雑務をこなす。

 18時から市内某所で、選挙に関するお願いなど政治関係の打ち合わせ。

Gosei

 21時、事務所に戻り、事務仕事をやっているなか、大学生を名乗る中国人留学生?が自宅の方にいきなり来て、何を言うかと思えば「アナタは間違ってるよ」「中国は一つ」という主張のみ。議論であればいくらでもするが、信仰のように相手の意見も聞かずに一方的に言われては議論にならない。1時間ほどで、帰って頂く。
080514_map 愛国心に燃え、悪気はないのであろうが、自由な言論が許され、情報統制もされていない日本(マスコミは特定のフィルター)に来て、いまだ中国共産党の洗脳が溶けていないことを不思議に思う。特にチベットがもともと中国の一部というなら、1950年以前の地図は見たことがないのであろうか。
 現在、内モンゴルと言われてる南モンゴルしかり、東トルキスタンも侵略以外の何者でもない。
Turkistan 抗議にくる時間があれば、日本政府や日本人ボランティアによる震災支援を中共(中国)政府が断っているいま、是非、母国の同胞支援のために帰国し活動してもらいたいものである。

Img_3084

 24時近く、さすがにお腹が空いたので、冷凍中華麺と鯛のあら、干し納豆を使って鯛ラーメンを作り、夕食にする。
 喜多方ラーメンの冷凍麺でちぢれ平麺。太さも好みである。鯛の風味がよく麺に絡み、シンプルながらも味わい深くなった。

 上越市内での打ち合わせ中、アニメが好きかどうか、という雑談になった。
 私自身はもとより、柏崎市はアニメには関係が深く、柏崎青年会議所の大先輩でもあり、日本海太鼓などの創設に活躍した故・竹田満氏は、アニメ界の巨匠・高畑勲氏と宮崎駿氏の1968年の作品『太陽の王子 ホルスの大冒険』では演出助手を務められていた。
 竹田氏が所属した東映動画の保養所も柏崎にあったのである。そのため、後年の宮崎駿氏が手がけた映画作品である『耳をすませば』にも、オープニング後すぐに、

 「雫も柏崎へ行けばよかったのに」

と柏崎が登場する。これは、主人公である雫の姉が、夏休みで柏崎のおばさんの家へ行っていることで、柏崎のおばさんから届くダンボール箱にも「柏崎」と書いてある。
 宮崎作品ではないが、車の走り屋を描いた『頭文字D』にも「柏崎」が登場する。

 また声優でも、人気の『クレヨンしんちゃん』のしんちゃん役で声優・矢島晶子氏、『機動戦士Vガンダム』のウッソ・エヴィン役で阪口大助氏など、柏崎出身者が活躍されている。
 アニメーターとして『機動戦士ガンダム』をはじめ、珠玉の名作に関わっていた方も現在、柏崎市内に在住である。

 今後、アニメや漫画でも我が柏崎市の名がでてくるような活動も、観光振興戦略の一つとして視野に入れるべきであろう。

 誇るべき柏崎とアニメの関係であるが、余談ながら以下のような関わりは今後ないことを願う。


平成16年12月30日『日本経済新聞』

 アニメーター刺殺で姉が自首・逮捕

 さいたま市のアパートで28日、三階に住むアニメーター高橋美代子さん(32)が刺殺される事件があり、浦和西署捜査本部は29日、殺人容疑で姉の無職高橋明美容疑者(34)=新潟県柏崎市=を逮捕した。
 「小さいころからいじめられたうっぷんがたまり、仕返しにやった」などと供述しているという。
 約3年前まで母親と姉妹の3人で柏崎市で同居していたといい、捜査本部は詳しい動機を追及する。
 調べでは、明美容疑者は28日午後、新幹線でさいたま市に来て市内のスーパーで牛刀(刃渡り約18センチ)を買った後、同市中央区の美代子さん方を訪問。アパート一階の共同洗濯場で首や背中など十数カ所を刺し、失血死させた疑い。牛刀はJR与野本町駅のコインロッカーで供述通り見つかった。明美容疑者は29日未明、柏崎署に自首。
 捜査本部が浦和西署に移送し事情を聴いていた。美代子さんは人気アニメ「名探偵コナン」などの制作にかかわっていたという。

2008年5月13日 (火)

忘れられた、中越沖地震と柏崎
G8「新潟2008年サミット労働大臣協議会」

 3時、就寝。

 7時、起床。熱めのシャワーを浴びたのち、大粒納豆、焼きたらこ、シラスおろし、塩辛でご飯2杯の朝食をとる。

 10時まで事務所で会社関係の仕事をこなしたのち、新潟市に移動。
 新潟市内の某社で打ち合わせののち、コンビニで買った納豆巻き2本、飲むヨーグルト、浅漬け盛り合わせで昼食をとりつつ、長岡市に移動する。

Img_3082 12時30分から長岡市民センターにて、2008年日本青年会議所・北陸信越地区・新潟ブロック協議会、新潟交流委員会の地域交流グループスタッフのスタッフ会議に出席。
 プロジェクターも持参し、一気に仕事を片付けようと思ったものの、事務所で作ってきたエクセルファイルが2007形式で、ノートPCがエクセル2003形式しかインストールされておらず、さらにはネット接続機器も持参しなかったため変換ソフトもダウンロードできず。急ぐとロクな事がない。

 18時、一旦、自宅に戻り、郵便物の整理をしたのち、某集会に出席。
 挨拶の時間があったので、新潟市でのG8「にいがた2008年サミット労働大臣協議会」での自民党・参議院議員でもある舛添要一厚生労働大臣のコメントを紹介した。

 G8労働大臣の会議のなか、中国(中共)四川省での大地震が話題となり、舛添大臣は、

 「この新潟県も災害の多い土地であるが、
  山古志村は見事、復興した。
  鯉が泳いでいるのはその証拠。」

といった旨の発言をしただけで、地震の話題は終わってしまった。
 つまり、世界最大の原子力発電所を有する、我が柏崎市が被災した中越沖地震のことは、全然!頭になかったのである。

 次回、多少の抗議の意味も含めて、自民党本部への陳情に行った際には強く訴えたいが、情けないのは柏崎の情報発信力。山古志村にとてもかなわないことをまざまざと見せつけられた。

 集会終了後、酒屋さんでビール等持ち寄りの品を購入し、某懇親会に途中参加。挨拶をしたのち、中座させてもらう。

Img_3083 22時過ぎ、自宅に戻り、母親が手作りした餃子を羽付き餃子にして、夕食。シメは干し納豆を入れた納豆茶漬け。
 食後、食器を洗っているところに、やはり「二次会に参加しろ」とのお誘いの電話があり、市内某スナックに移動。いきなり一気飲み大会となり、焼酎水割りの連続となった。

2008年5月12日 (月)

全員協議会:原子力安全・保安院
東京電力不正かいざん問題

 メールやブログなどとともに、手紙の返事なども書き、5時に就寝。

 8時、起床。大粒納豆、ひじきの煮物、切り干し大根、目玉焼きでご飯2杯の朝食をとる。

Img_3077 9時過ぎに市役所に移動し、会派室で打ち合わせののち、10時から全員協議会に出席。
 原子力安全・保安院からの報告で、柏崎刈羽原子力発電所周辺の活断層及び7号機の設備健全性評価に係る中間報告である。
 報告事項なので、特に質問事項はなかったが、あまりにも原発反対派の暴言には驚かされた。
 要望ということで私が内閣審議官に対し、次のような意味合いの発言をした。
 「余裕」という言葉の定義が電力関係者や専門家のなかでも意志統一しないままに、一般市民に伝わることの危惧、そして

 原子炉を「止める・冷やす・閉じ込める」の「余裕」
    この機能の為には、個別の機器は壊れても構わない。

 個々の機器や金属の弾性許容範囲までの「余裕」

の議論をごっちゃにされることに注意し、分かりやすく国の立場から国民全体に伝えてほしい、ということである。
 これに対し、原発反対派である社会クラブの矢部議員からは、

 2号機は止める・冷やす・閉じ込めるもできなかった

との発言があった。まったく事実とは違うことを、議事録が残る場で平気で言うのである。
 野次も多くなり、12時も近づいたところで報告は終了となった。

Img_3078 12時過ぎ、会派室にて「やぶ」(電話:0257-22-3482)の「カツ丼」出前を食べながら、今後の原子力発電所の再稼働に関する打ち合わせ。
 朝がつく新聞紙では、中越沖地震やプルサーマル議論の際にあれだけ原子力発電そのものを叩いたくせに、原油高騰を受けた社説では「我が国には原子力発電があり・・・」と悪びれず書いている。

Img_3079 13時30分からも全員協議会に出席。
 東京電力からの不正・データ改ざん等の調査結果(総括)及び再発防止対策の実施状況及び効果の検証結果についての報告であった。
 「言いやすい風土」など、これまでに加えた検証と今後の対策が盛り込まれていたが、萎縮する方向のものだけではなく、もっとポジティブな方策も盛り込んでほしいと感じた。
 反省すべきところは反省したうえで、東京電力の社員だからと反原発派の前で萎縮などせず、世界に冠たる原子力発電の現場であり、また日本の重要なエネルギーを担っているというプライドをもって業務に邁進してほしいと思う。

 15時過ぎに終了し、その後、打ち合わせや事務仕事などで市内をウロウロ。

Img_3081 18時、一旦自宅に戻ったところ、母親が豚肉の薄切りを使った「ミルフィーユとんかつ」にチャレンジしたとのことで、早速、熱いうちに食べてみる。何もつけずに一かじりしてみると、油ではなく、脂がギュっとでてくる仕上がり。ひきわり納豆に黒酢を入れた納豆ソースをかけて、ご飯2杯とともに夕食にする。昼もカツだったような・・・・。

 19時から市内某所にて、意見交換会に出席。
 初めての方が多かったが、間違ったイメージや情報が多く伝わっているようで、トルコ共和国から金をもらった、暴力団構成員、新興宗教の勧誘活動をしているなど、明らかに意図的な誹謗・中傷が流されていた。話しかけてくれた人も「そんな事はないと思っていたんですが・・・」とのことであった。
 30人もいる市議会議員のなかで、わざわざ私一人を取り上げ話題にしてくれるのであるから、ありがたく思うとともに、それだけに私が追及していることが現市政においては脅威になっているという確信を得た次第である。
 議会のなかで起こっていることなど、誰がオープンにしているのか、また誰がねじ曲げて伝えているのか、多くの市民の皆さんにはご理解頂きたいと思う。

 かなり話が盛り上がり、22時に帰宅。

Gosei

 今日の夕方、中華人民共和国の四川において大地震が発生し、死者は四川省だけで1万人近くに上るという。温家宝首相以下、被災地の救援活動に全力を挙げているものの、電気、ガス、水道が止まったまま復旧していない。
 普段は、国家としての中共(中国)は、批判もするが、災害となれば別である。人命が優先であり、とにかく多く方が助かることを願う。
_1 また、死者が3万1918人、行方不明者は2万9770人を超えるという、ミャンマーのサイクロンでの被害も気にかかるところである。
 現政権と世界との関係が微妙な時期だけに、政治の面からも非常に心配している。

Tbscap  ちなみに、我が柏崎市が大打撃を受けた新潟県中越沖地震の際には、中国人の態度について以下のようなニュースが流れた。
 同じレベルになってはならない。


2007年7月21日「TBS News i」

 中国紙、地震喜ぶネット書き込み戒め

 中国ではウェブサイトの掲示板に新潟県中越沖地震の発生を喜ぶ書き込みが相次いでいて、 共産党系の新聞は過激な反日感情を戒める論評を掲載しました。
 「今回の地震で日本列島が太平洋に沈めば良かったのに」、「もっと強烈な地震をお見舞いしろ」。
 現在、中国のウェブサイトにはこうした書き込みが多数掲載されています。
 これを受けて、中国共産党系の新聞「中国青年報」は20日付けの紙面で、 「日本で地震が発生したあと、我が国のネット上ではすぐさま歓呼の声が沸き上がった」と指摘しました。
 その上で、「地震の被害を受けたのは一般庶民であり、軍国主義とは関係がない。戦争から何年経っても、錯乱した『敵討ちの思想』が存在するのには驚かされる」と、 過激な反日感情を戒めています。

2008年5月11日 (日)

山田方谷の「美しい国へ」
法隆寺の抗議活動

 2次会ののち、3次会と進み、3次会でのカラオケは時代劇『江戸を斬る』の主題歌であった西郷輝彦の名曲「ねがい」(作曲・編曲:いずみたく 作詞: 山上路夫)を歌う。

Img_3071 最後は「中華美食館柏崎店」(電話:0257-23-4530)に移動し、青島ビール数本と「肉野菜ラーメン 600円」でシメる。
 運転手として飲まずに付き合ってくれた新潟青年会議所のY氏をはじめT副会長、黒崎青年会議所のS氏、新津青年会議所のN専務理事をお見送りしたのち、2時過ぎ帰宅。

 風呂に入り、メールの返信をしたのち、4時に就寝。

 8時、起床。胃が重い感じであったが、祖母と分も作り、大粒納豆、目玉焼き、鯖塩焼き、わさび岩海苔でご飯2杯の朝食をとる。

 10時から市内某所で打ち合わせ。まだ酒臭いと言われながらも2時間ほどの長話となり、途中、ミックスピザ、アイスコーヒー、モンブランケーキで昼食をとる。

 13時に自宅に戻り、 「たかじんのそこまで言って委員会」を見ながら、事務所の整理。ちなみに、歌手やしきたかじんとしては、「劇場版 機動戦士ガンダム」の『砂の十字架』も捨てがたいが、 『東京』が一番好きな曲である。普段の声と歌声とのギャップ、まさに島田紳助氏いわく「愛を歌うヤクザ」。

 番組には、チャイニーズドラゴン新聞編集主幹の孔健氏が出演していた。しかし氏の話を聞けば聞くほど「相容れない価値観」を持つ国であると思うだけであった。

Img_3076  先日の安倍前首相の発言を思い出し、読もうと思いつつも途中になっていた矢吹邦彦著『炎の陽明学―山田方谷伝』を持って、15時からなんと2時間の長風呂。
 ここ数日の酒が抜けつつ、知識を吸い込む時間となった。


平成19年4月16日『産経新聞』

 一筆多論
 山田方谷の「美しい国へ」 皿木喜久

 歴史研究家の岡田幹彦氏(日本政策研究センター主任研究員)から、山田方谷について話を聴く機会があった。幕末の藩政改革者でもあるこの陽明学者の名前は気になっていた。それでも、現代日本にこれほど多くのメッセージを残していることには驚いた。
 山田方谷は備中松山藩(現在の岡山県高梁市など)の製油業の家に生まれた。子供の時から学問に優れ「神童」と呼ばれた。
 京都などで朱子学、後には陽明学を修め、25歳で士分に取り立てられる。江戸で佐藤一斉に学んだ後、藩校の学頭(校長)となる。そのまま地方の儒学者として生確を送ると思われたところへ突然、若き藩主、板倉勝静から藩政改革の責任者に指名される。方谷45歳のときである。
 松山層は5万石という小藩である。しかも実商は2万石しかなかった。藩士や領民が食べる分の米を除き、銀に換算すると2万両足らずにしかならなかった。これに対し、参勤交代などによる支出は湯水のごとくであり、10万両の借金を抱えていた。
 方谷がこの財政破綻とどのように取り組んだかば、矢吹邦彦氏の『炎の陽明学』(明徳出版社)に詳しい。まず借金元である大阪の商人に財政状況と再建計画を隠さず示し、返済の繰り延べを求める。その上で、徹底した倹約はもとより、鉄製品などの特産物を藩
の経営で増産する。米の売りさばきも藩が直接行うなど、手を尽くして財政再建を進め、 その結果、わずか8年で借金をなくしたばかりか、逆に10万両の蓄財をするにいたる。徳川300年の歴史で「奇跡の改革」と言ってよかった。
 しかし、岡田氏がそれ以上に注目するのは、方谷が書きのこした『理財論』などに見られる改革の基本的考え方である。
 それは①財政や金のやりくりだけに心を奪われず、経済の外に立つ②政道を正し、人心を教化し立て直し、士気を奮い起こし武備を撃え、治国の大方針を確立する③一時しのぎの応急処置に走らず、大局に立ち長期的展望を失わない、と要約される。
 一言で言えば藩(国)の「心」を育てなければ、財政改革などできないということだろう。
 方谷は実際に藩政改革に当たって、わいろの追放など綱紀粛正を徹底させた。「撫育(ぶいく)局」を設け、藩民に殖産などについて教育する。また、文武の道に励むよう奨励する。驚くことには、財政再建の最中にありながら、農民にも参加を求め、藩を守るために近代的軍備を持つ農兵隊も設けた。
 そうすることによって藩民としての自覚を求め、その「やる気」を持たせたのである。それが改革成功の原動力となったことは言うまでもない。だが、150年余り前に山田方谷が行き着いたこの改革指針と逆に、経済にだけ心を奪われてきたのが、戦後日本の政治だった。教育は現場に任せっきりで国が責任を持とうとしない。武備を整えるための憲法改正はサボタージュしてきたのである。
 その結果は、この教育の荒廃であり、日本への誇りや愛情のカケラも持たない日本人の増加であった。政治家や行政機構、それに企業の不正が横行する。隣国が少しでも乱暴狼籍に出ると、あたふたするしかないのである。
 ただ、国の守りや教育の再生を訴える安倍晋三首相の「美しい国へ」路線だけは、方谷からのメッセージを受け継いでいるような気がする。後はどんな反対があろうが、方谷が藩政改革で見せたよう「千万人といえども吾往かん」の気概を持つことだろう。


Img_3075 風呂からあがっても、読み進み22時近くになって読破。
 かなりの文章量であったため、読み終えた段階で自分の考えとどう結びつけていくのかを考えるまではいかず、シメサバのおぼろ昆布漬け、コーンコロッケ、ひきわり納豆汁でご飯2杯の夕食をとりながら思索する。

 胡錦涛主席の法隆寺訪問に対して、抗議の声を上げた大阪のM氏からメールが届いた。
 長野事変のときもそうであったが、根拠となる法・条例もなく、日本人を取締り、法・条例を犯す中国人を確保・逮捕することがない、日本の警察には猛省を願いたいところである。


 先生もご存知の通り、本日、中国のコキントウ国家主席が奈良を訪問するということで僕は知人とともに法隆寺に赴いたのですが、チベットの旗もプラカードも持たずに(持っていると行く手を警官に阻まれ、没収されると聞いていたので・・)小さなメガホンのみを持って、法隆寺に向かって歩いているとあちらこちらで職務質問をされ、それでもなんとか門の前までたどり着きました。
 そんな状況だったので、まわりにチベット旗を掲げている人はだれもおらず、僕たちは雨の中を、ただコキントウさんが来るのをじっと待っていたのですが、そのとき近くでカバンの中からチベットの旗を印刷した紙を出した人がいました。
 驚いたことに警官たちはそれを見た瞬間、長野でのタシィ・トゥリンさんのときと同じように数人がかりでその人にタックルをかまし、彼を地面に押さえつけたのです。
 旗が描かれた紙を出しただけで、なぜそこまでするのかと、びっくりしていると今度は別のところから「フリーチベット!」を叫んだ人がいて、それに呼応するかのように、僕の知人も同じように叫んだところこれまた二人とも数人がかりで警察官にとりおさえられ、はがいじめにされたまま連れ去られてしまいました。
 そして3人ともテレビカメラの餌食となって、まるで犯罪でもおこした人物のように警官にしょっぴかれていくところを撮影されてしまったのです。
 
僕のところにもテレ朝のカメラが飛んできて「あなたも今、叫びましたね!」とリポーターの人にマイクを突きつけられたのですが、それを押し返してしょっぴかれた知人を探しにいきました。
 現場に行くと、知人は背の高い若手の警察官に腕をつかまれたまま、尋問(?)されていて警察に「なぜいけないのか」と問い詰めていました。
 警察が言うには「あなたたちがそういうことを意思表示して、反対意見の人に怪我とかを負わされてはいけないから・・・」とのことでしたが、そんな理由を誰が信じられるでしょうか?僕は警察の人に「もう日本人には『表現の自由』とかないんですか?ここは中国じゃなくて日本じゃないですか?いつからここはこんな国になったんですか?そもそも長野から今日にいたって日本の警察は中国側は全然取り締まりもしないで、僕たちだけを規制しておかしいと思わないんですか?」と抗議したのですが、彼らは「そんなことはない。いつも公正な立場でいる」と言うのです。
 僕は僕自身が長野で見聞きしたこと、三井田先生がテレビで述べられていたことなども話して「絶対におかしい。公正だなんて信じられない」と言い、「とにかく悲しい。おまわりさんだって本当のところはどう思っているんですか?僕らは何かの思想的な団体に入っていて、ここに来ているのではなくて、純粋に個人の考え方でここに自分の気持ちを伝えにきただけで、それは法律の範囲を守ってしていることなのに、そんな人間を捕まえるためにあなたたちは警察官になったんですか?」と訴えました。
 今回のことはあくまで「任意同行」であり、協力をお願いしているだけだということなのですが、知人は「強制ではなく任意だというのであれば、協力する気はないので行かせてくれ」と行っても警察の人は数人で行かせないようにブロックし、完全に自由を奪われた形になりました。
 何度もいいますが、僕たちが連行された原因は「かばんからチベット旗を描いた紙を出したり「フリーチベットと叫んだ」これだけです。
 こんなことで捕まるような世の中なんて絶対に納得できません。
 今日はこの国の政府、そして警察に本当に失望しました。
 まだ腹が立っていて、まとまった文章になっていないと思います。
 愚痴のような内容で本当に申し訳ありません。
 ただこういうことがあったということを先生に知っていただきたくてメールを送らせていただきました。
 長々と失礼いたしました。

2008年5月10日 (土)

08NBC新潟交流委員会原発見学

 1時過ぎ、宿泊先の「ホテル丸屋」に送ってもらった。ただただ申し訳ない限り。シャワーを浴び、フロント横にあった『取締役 島耕作』を1巻から5巻まで読んで、3時、就寝。

Img_3058 6時、起床。身支度をしたのち、ありがたいことに割引料金になっていたホテルをチェックアウトする。
 せっかくなので、新発田市内を30分ほど車で回って町並みの視察。
 「衣料のリサイクル」という表示のシャッターに「ウイスト」と書いてあり、まだ酒が残っているから自分が「ウエスト」と読み間違っているのか、と再確認しても「ウイスト」であった。
 コンビニで納豆巻き2本、スポーツドリンクを購入し、朝食として食べながら柏崎まで戻る。

 8時過ぎに自宅に到着。9時から11時まで某町内会長宅にて、中越地震復興基金の利用に関しての打ち合わせを行う。

 12時、冷凍うどん2玉、ひきわり納豆、生卵で「納豆うどん」を作り、昼食にする。食後、そのまま柏崎エネルギーホールに移動。

080510_dvc00001 13時、2008年日本青年会議所・北陸信越地区・新潟ブロック協議会、新潟交流委員会のメンバーが集合したので、柏崎刈羽原子力発電所の見学にご案内。
  新潟県の歳入としても、平成17年度でいえば、

 180億円
 (大規模固定資産税、核燃料税、電源交付金)

が入っており、柏崎市や刈羽村でなくとも、原子力発電所の存在を理解してほしいとの意味合いから企画したものである。
 サービスホールでの紹介映像ののち、4号機の現場に入るなど16時ごろまでみっちりとした見学コース。終了後は、参加者それぞれに感想を述べていたが、その多くは「実際に現場を見てよかった」とのことであった。

Img_3059 休憩をとったのち、16時40分から2008年日本青年会議所・北陸信越地区・新潟ブロック協議会、新潟交流委員会の第5回委員会を行う。
 議題は多くあり、まず委員長からの議案に関する考え、現時点の流れなどの説明があったのち、グループに分けてそれぞれに情報の共有。

Img_3060 19時、委員会が終了し、そのまま「スナック エムEMU」(電話:0257-32-9567)に移動し、懇親会。
 柏崎の開催ということもあり、懇親会からは柏崎青年会議所のU理事長、Y専務理事にも参加してもらう。
 新潟県内各地から来て頂いたこともあり、おもてなしの心?で飲ませまくる。

Img_3067 かなり盛り上がり、2次会へということになり、「まねく」(電話:0257-24-0228)に移動。
 Y総括幹事をはじめ、飲ませ過ぎた分がここで爆発し、違うボックスに座っていたお客さんも巻き込み、大カラオケ大会
 歌の合間にも、まるで80年代の大学生コンパのような焼酎イッキ飲みが続き、ボトルが次々と空になっていった。

2008年5月 9日 (金)

市政に関する報告会 大赤字の柏崎
新発田青年会議所5月例会パネリスト

 3時、就寝。

 7時、起床。大粒納豆、シラスおろし、板わさ、水菜のサラダ、アサリの味噌汁でご飯2杯の朝食をとる。食後、事務所にこもってメールの返信などの事務仕事。

Img_3041

 12時過ぎ、コンビニの納豆巻き2本、魚肉ソーセージ1本、低脂肪乳を昼食をとりつつ、市役所に移動。
 13時から市役所4階大会議室での「市政に関する報告会」に出席する。
 今回の報告案件は非常に重要なものであり、本来は全員協議会でも実施すべきであろう。この方式では、全文議事録が残らない!
 報告案件とそれに対する意見は以下の通り。

080509_1 ・今後の財政見通しについて
 
配布資料<前提条件>
(pdf形式)
*表:クリックすると大きくなります。

 あくまで現在の柏崎市政のまま、何も手を打たずにいった場合のシミュレーションである。
 平成21年度には財政調整基金が「0」となり、赤字額1億7050万円。
 平成22年度は、赤字額24億6707万円である。
 しかも平成22年4月から順次、柏崎刈羽原子力発電所全号機が再稼動すると仮定し、その歳入を見込んでも、この数字。平成29年でも赤字額は7億6657万円となる。
 東電の法人市民税、使用済み核燃料税も入ると仮定。しかし東電本体は28年ぶりの赤字であり、いつ回復するかは不明である。さらには、財政調整基金を0にして自治体運営を行うことは無理であるため、このシミュレーション自体も危険であろう。

 「廃炉!廃炉!」と議会の外では叫ぶ原発反対派も、議会の内側ではこういった数字を見て黙っているのである。本当に「廃炉」をいうなら、試算の前提条件(再稼働)を見て、怒りの声を上げるべきであろうし、本当に「廃炉」にした場合の試算も求めれば良い。そういった事はまったくしないのである。まさに二枚舌といえよう。
 一番可哀想なのは「廃炉」という原発反対派議員の扇動に乗せられている原発反対派の一般市民ではないだろうか。

・「小松エスト跡地」の譲受事業者の公募について
 配布資料(pdf形式) また、非公開を行うという・・・・・

・「ふるさと納税」の取組方針について
 
配布資料(pdf形式)

・学校教職員による個人情報流出について
 ペーパーなしでの説明であった。
<教育次長の説明>
 ・20歳代の男性臨時教職員。
 ・将来、自分の仕事に役立つと思った資料を持ち帰った。
 ・568ファイルが流出。うち5つが児童名簿、通知書、身長・体重など個人を特定できる情報であった。
 ・各学校長には、個人情報漏洩防止に関する通知をし、全教職員に対し再発防止を伝えた。
 ・当該職員は、県費負担の臨時教職員であり、県教育委員会が処分を行う。服務監督権のみ、柏崎市で行っているが、二度とこのような事が起きないようにしたい。
<教育長>
 教育委員会の事務局をあずかるものとして、そして県費職員の服務を監督するものとして、遺憾に思う。再発防止に対し、全力を尽くしたい。
 暗号用のUSBを使わなかった。
 今回の対応で、事件となる種は摘み取った。最終はモラルの問題になる。
 臨時職員の問題として、対応が十分ではなかった。

 ここでは紙もないので、6月議会で一般質問で取り上げる旨を話してから、問題となった臨時職員の氏名の公表について問い質したところ、回答は以下の通りであった。

<教育次長の答弁>
 昨日、県庁に事業聴取5月20日の県の教育委員会定例会で処分が発表。
 県の処分では氏名は公表する。

・庁舎耐震補強工事について
 配布資料(pdf形式)

・新潟県中越沖地震からの住宅再建に向けた今後の取組について
 配布資料(pdf形式)
 リバースモーゲージについては、申請は4件。2件を柏崎市で審査中、もう2件は県。

 報告会終了後、なんとも言えない怒りを含んだ気持ちになりつつ、16時過ぎ、愛車にて新発田市に移動。

Img_3044  18時近くに会場となる金子屋別館(新潟県新発田市御幸町1丁目4-10 電話:0254-22-2353)に到着。
 今日は新発田青年会議所の5月例会「自己変革への挑戦!」にパネリストとして出席することになっており、早速、弁当を頂戴しながら、K副理事長と打ち合わせ。

Img_3045 19時30分からにて、出席。M理事長、白根青年会議所の会員でもある新潟市議会の金子恵美議員が同じパネリストとなり、コーディネーターはK副理事長というパネルディスカッションとなった。
 設問は以下の通り。

■なぜJCに入会したのか。
 ・議員としてJCに入会するにあたり、メリット、デメリットなど。

■活動していく上で、心がけていること、または目標など。
 ・リーダー的立場になったときの心構え。
 ・言動など。

■地域にとって政治とJCの関わりあい方。
 ・議員という立場から見て、JCに欠けているものは。
 ・地域のために活動する政治とJCが、互いに求めているものは。

■(最後に)自分が変わったと思ったとき。
 ・人との出会いによって。
 ・責任ある業務(事業)をやり終えたとき。

 途中、白いブリーフ履き、脱いでいく芸人ヒッキー北風の決め台詞

 「こんなのどうぉー?」

風に発言してみたものの、M理事長しか反応してもらえず、その後の

 「こんなの好きぃ~?嫌いぃ~?
  嫌いじゃないけどぉ~」

 
が言えず・・・・・。

Img_3056 あまり大したお話もできず、申し訳なく思っていたが、お土産のお酒まで頂戴してしまった。
 その後、懇親会となり、色々な方とお話させてもらう。何たるミステイクか、名刺を切らしてしまい失礼なことをしてしまった。
 話し込んでいるうちにおでんの鍋が煮えたぎっており、卵や大根などを口に含んだ瞬間、かの「オレたちひょうきん族」の片岡鶴太郎状態となった。

Img_3057 懇親会終了ののち、2次会会場に移動。
 かなり熱い話となり、カラオケも歌わず、「最もプロレスラーらしいプロレスラーは誰か?」からはじまり、最後は近現代史の話となる。
 日本の近現代史を読み解くためには、満州をどう捉えるかは重要となるが、そこに行く着くまでに「戦争」(War)と「事変」(Incident)の定義についての理解が必要となる。支那事変に関しても、日中戦争などと呼ぶから相手が誰であり、英米の支援がなぜ受けられたのか等が分からなくなるのである。
Bhutan また、チベット人の虐殺の話から、チベット仏教、そして世界で唯一チベット仏教を国教とするブータン王国の話題もでた。
 ブータン王国は、今年憲法を公布し、絶対君主制から立憲君主制に移行した国で、日本との関係も良く、昭和天皇崩御の際には一ヶ月間喪に服したほどである。

2008年5月 8日 (木)

中共自治区?早稲田大学と抵抗した学生
安倍前首相の一撃

 2時、就寝。

 6時、起床。月刊誌3誌を持ち込み、1時間ほどの長風呂をする。

 8時、大粒納豆、青菜のごま和え、シナチクの炒め物、筋子でご飯2杯の朝食をとる。

 9時から市内某所で、明日の「市政に関する報告会」に関する打ち合わせ。
 本来、議会は全員協議会、臨時議会などの形式で行うが、「市政に関する報告会」などという奇妙な会議は現・会田市長になってから導入された。しつこい質疑をすると、議会運営では許されていない「事前審査」となるので、あまり深くはできず聞いているのみ。
 しかも今回の議題は、
「今後の財政状況の見通し」や「小松エスト跡地の売却方針」など、現在の柏崎市にとっては重要なものである。議会運営ももっと真剣に変えるべきであろう。

 12時、一旦、自宅に戻り、冷凍うどん2玉、大粒納豆、生卵、レモン汁でぶっかけ納豆うどんを作り、昼食にする。

Img_3043  今日、胡錦涛主席が講演をする早稲田大学では、思想の右左を問わず、日本人学生が多く押しかけた中国人留学生や警察の警備と向き合った。
 実況中継のようにメールをくれる学生がおり、日本の若者も捨てたものではない!との思いを強くした。
 色々な意見はあるが、大学、しかも私学において、

 「ONE CHINA!」「中国、加油!」

と五星紅旗を振りかざす中国人を優先させ、

 「フリーチベット」「人権弾圧をやめろー!」

と叫ぶ日本人の学生を排除することが一番の問題である。早稲田大学は、中共自治区ではないはずである。
日本人の背骨は溶け始めている
*写真は、明治維新ビール「大隈重信」

 14時から16時まで市内某所で打ち合わせ。一旦自宅に戻ったところに来客があり、「三井田は右翼でヤクザ」などという噂を懸命に広めている人がいる、との話を聞いたので、笑い飛ばす。
 30人もいる柏崎市議会議員からわざわざ私を選び、誹謗・中傷をする時点で、普通の人ならおかしいと感づくはずであり、自らを貶めていることに気付いていないようである。

 17時から2件の来客。頂き物のお菓子「綾子舞」をパクつく。

 20時から、市内某所での日本会議柏崎支部設立準備委員会の下準備打ち合わせ。昨今の情勢も含め2時間ほど話し込む。

Img_3034 22時、自宅に戻り、越後豚のモモ肉薄切りで豚肉のしょうが焼きを作り、ビール500ml3本、納豆茶漬けで夕食にする。豚肉のしょうが焼きには香り付けに、ブランデーをフランベするところであるが、今回は日本酒と少々の八丁味噌とみりんを混ぜてみた。なかなか風味もよくビールが進む。やはり豚肉に最高の調味料は味噌であろうと思う。

 今日の胡錦涛主席との朝食会では、パンダ外交にはじまる、毒ギョーザもチベット問題にも言及しないグダグダの展開になると思いきや、さすが安倍晋三前首相、ビシッと締めてくれたという。
 福田首相と安倍前首相、どっちが日本国の首相としてふさわしいか、よく分かる言動である。


平成20年5月8日『産経新聞』

「無事釈放を…」
安倍前首相発言で緊張走る
主席と歴代首相との朝食会

 中国の胡錦濤国家主席と中曽根康弘、海部俊樹、森喜朗、安倍晋三の歴代首相4人との朝食会が8日朝、東京都千代田区のホテルニューオータニで開かれた。89歳と最年長の中曽根氏が主宰し、和やかな友好ムードが演出されたが、安倍氏が中国側が神経をとがらせているチベットやウイグルの人権問題を指摘したことで、一時緊迫する場面もあった。出席者らの証言から、その様子を再現する。
 
朝食会は午前8時からの約1時間で、会場の日本料理屋入り口では中曽根氏らが出迎えた。計6回の靖国神社参拝をめぐり、中国側と対立した小泉純一郎元首相は「おれが行ったら、胡主席は来ないんじゃないか」と周囲に漏らしており、姿を見せなかった。

 「みなさんとお会いできるチャンスを得て大変うれしい。
  このように一堂に会するのは初めてであり、
  
かなり創造的な形だ」

 胡主席はにこやかに謝意を表明し、中曽根氏の正面の席に着いた。タケノコ、マグロのづけ、銀ダラ西京焼き、しじみ汁…と旺盛な食欲でたいらげたが、「さすがにおかわりはしなかった」(海部氏)という。
 
中曽根氏は「今まで日中関係は必ずしも良好ではなかったが、7日の日中共同声明により新しい展開が可能になるだろう」と胡主席来日の成果を高く評価。海部氏は東シナ海ガス田問題について「だんだんよい方向で進んでいるようなので、ぜひその方向で進めてほしい」と要請した。
 
こうした会場の「緩い空気」(出席者)が一変したのは、続いて安倍氏がこう発言してからだ。

 「お互い国が違うので、利益がぶつかることもあるが、
  戦略的互恵関係の構築に向け、
  相互訪問を途絶えさせない関係をつくっていくことが重要だ

 これは、小泉氏の靖国参拝をめぐり中国側が首脳交流を途絶えさせたことを暗に批判したものだった。安倍氏はその上で、「チベットの人権状況を憂慮している。五輪開催によって、チベットの人権状況がよくなるのだという結果を生み出さなければならない」と指摘した。
 
会場には緊張感が走り、出席者はみな一様に黙り込んだが、安倍氏はさらにウイグル問題にも言及した。東大に留学中の平成10年の一時帰国中、国家分裂を扇動したとして中国に逮捕されたトフティ・テュニヤズさんについて「彼の奥さん、家族は日本にいる。無事釈放されることを希望する」と求めたのだ。

 「私はその件は知らないので、
  正しい法執行が行われているか調べる」

 胡主席は、こう返答したが、チベット問題については触れようとしなかった。
 
安倍氏の発言で生じた気まずい雰囲気を修復しようと動いたのが森氏だった。北京五輪について「中国はメダルをたくさん取る作戦でくるのでしょうね」と水を向け、胡主席の笑顔を引き出した。

朝食会での安倍晋三前首相の発言要旨は次の通り。

 戦略的互恵関係の構築に向け。相互訪問を途絶えさせない関係をつくっていくことが重要だ。国が違えば利益がぶつかることがあるが、お互いの安定的関係が両国に利益をもたらすのが戦略的互恵関係だ。問題があるからこそ、首脳が会わなければならない。
 
私が小学生のころに日本で東京五輪があった。そのときの高揚感、世界に認められたという達成感は日本に対する誇りにつながった。中国も今、そういうムードにあるのだろう。その中で、チベットの人権問題について憂慮している。ダライ・ラマ側との対話再開は評価するが、同時に、五輪開催によってチベットの人権状況がよくなったという結果を生み出さなければならない。そうなることを強く望んでいる。
 これはチベットではなくウイグルの件だが、日本の東大に留学していたトフティ・テュニヤズさんが、研究のため中国に一時帰国した際に逮捕され、11年が経過している。彼の奥さん、家族は日本にいる。無事釈放され、日本に帰ってくることを希望する。

2008年5月 7日 (水)

仏教徒の良心:奈良県奈良市十輪院
売国の教科書 中国への経済支援増額

 5時、自宅に戻ったものの、さすがに眠く仮眠する。

 7時、起床。大粒納豆、筍と若布の煮物、目玉焼き、もやしの味噌汁でご飯2杯の朝食をとる。

 9時から10時過ぎまで市内某所で今年11月の柏崎市長選挙に関する打ち合わせ。

Img_3029 11時、自民党柏崎支部の拡大役員会に出席。
 先日の三役特別会議で役員決定をした柏崎市長選挙に関する推薦候補について、役員にお諮りした。
 何名かの地域の支部長から意見があり、また自民党所属の市議会議員はどう考えているのかとの詰問もあったので、厳しいようだが次の2点を軸にお話した。

・良い人そうだから、と仕事ができることは違う。
・本人が頑張っているのと成果を出すことは違う。

 その他、反原発派をこのまま黙らせておくためにも会田市長そのままにさせろ、という意見もでたが、結果、桜井雅浩氏に推薦が決定した。

Img_3030 すべての議案が終了したのち、昼食をとりながらの懇談。
 パンダ外交の愚かさから始まり、以下のような記事を見つけたので、集まってくれた皆さんに紹介すると、自民党ながらも現政権への批判が相次いだ。


平成20年5月7日『朝日新聞』

 中国農村部の排水処理、浄化槽建設など日本が協力

 鴨下環境相と、来日した中国の周生賢・環境保護相は6日、中国の農村部を対象にした排水処理の事業協力を行う覚書に署名した。
 実施期間は08年度から暫定的に3年間。
 初年度はモデル事業として、長江流域の重慶市と江蘇省の計2地域に1日100トンを処理する規模の合併浄化槽を建設して、生活排水による河川や地下水の汚染防止対策を進める。
 このモデル事業で汚染物質の削減効果を分析して、中国の実情にあった管理指針を作り、成果を中国全土に広めるために実務者ら向けセミナーも開く。
 中国政府は大気汚染だけでなく水質汚濁の防止も重要施策として掲げている。しかし、下水処理施設は都市部では重点的に整備されているものの、人口の約8割を占める広大な農村部では十分に行き届いていない。
 今回の協力は、昨年4月に温家宝首相が来日した際に署名された共同声明に基づく「日中水環境パートナーシップ」の初めての事業になる。


平成20年5月7日『時事通信』

 中国に無償協力5億円=行政官の日本留学支援

 政府は7日、中国の人材育成奨学計画に対し5億7700万円を上限とする無償資金協力を実施すると発表した。2009年度から2年間、中国の外務省や財政省などの若手行政官48人が日本の大学院に留学するのを支援する。高村正彦外相と陳徳銘商務相が同日、都内で書簡を交換した。


 戦略的互恵関係という名の売国である。
 毒ギョーザ問題をうやむやにされ、長野市では主権を脅かされ、そして税金で支援している中国人留学生から日本人が暴行を受ける。
 日本に照準を合わせた核ミサイル(「東風21」広島型の30倍。射程距離1700km~2800km)があるなか、さらに経済的な支援をしようというのである。
 そんな金を使うなら、

日本人のために使うべきであり

朝貢外交はいい加減にしてもらいたい。
 今月中には伊吹文明自民党幹事長(5月15日)をはじめ、自由民主党新潟県支部連合会大会に大物国会議員が来県する。関係者には止められるかも知れぬが、質問時間をみつけ、ガツンと意見をぶつけてみようと思う。

 15時、一旦自宅に戻り、手紙などの郵便物の整理。

 17時から市役所に行き、各種の作業を行う。

 18時30分から市内某所での懇親会に来賓で出席。乾杯の挨拶をさせてもらったが、その後は市長選やここのところの柏崎市役所の不祥事に関する質問責め。

Img_3032 懇親会を中座させてもらい、20時、「野立」(0257-24-4136)に移動。
 有志2名との懇親会?となり、原子力発電所を抱えた柏崎市の在り方について熱い議論を行う。
 その後、2次会で某店に移動。市内の某社長と相席になり、市長選に関して意見の対立がありながらも意見交換する。

 24時、帰宅。

 中共(中国)の胡錦涛国家主席が来日しているが、法隆寺唐招提寺を訪問する予定となっている。
 チベットでは同じ仏教徒が虐殺され、宗教弾圧されているなか、法隆寺唐招提寺はそのまま受け入れて良いのか、という声が上がっており、奈良県奈良市の十輪院は平成20年5月5日、新聞各紙(6紙のいづれも奈良版)に胡錦涛主席の訪問日に合わせて「チベット仏教弾圧による犠牲者追悼法要」を執り行う旨の広告を掲載した。
 さらに法隆寺唐招提寺あてに抗議の書面を提出したという。

 宗教弾圧をし、仏教徒を虐殺する中国共産党を安易に受け入れる寺院と、仏教徒として声を上げる寺院。
 本当の宗教者はどちらであろうか。


                          平成20年5月7日

       チベット仏教弾圧による犠牲者追悼法要

 私は高野山大学、同大学院でチベット仏教を専攻していました。チベットにおける中国政府の一連の仏教弾圧に深い悲しみを感じています。
 チベットには7世紀にインドから直接仏教が伝わり、8世紀には国家の指導理念を仏教に求め、膨大な経典を翻訳するためにチベット文字が創出されました。13世紀にインドではイスラム教の攻撃で仏教は滅亡しましたが、その教えはチベットで再び花開きました。 14世紀にはインド仏教を発展させたチベット仏教が確立されました。異文化の影響を受けにくい秘境であったのが幸いして、純粋な形で今日まで受け継がれて来ました。世界の仏教者あるいは仏教研究者にとってもチベット仏教は非常に貴重な存在となっています。
チベット人は仏教に篤く帰依し、厳しい生活環境の中で重要な精神的支柱としています。その中心にいるのが活仏で観音菩薩の化身といわれるダライ・ラマです。代々生まれ変わるとされ、現在のダライ・ラマ14世、テンズィン・ギャツォは貧しい農家に生まれ、4才で即位しました。一般の人々も輪廻転生を信じ、仏教の慈悲の精神に基づいた生活を送っています。
 しかし第2次世界大戦直後、人民解放軍がチベットに入り、文化大革命では多くの寺院が破壊され、僧侶は還俗を強いられました。仏教の伝統的な習慣が否定され、民族的、文化的価値観は根底から覆されました。仏像が壊され、僧侶が投獄・殺害され、120万人のチベット人が殺害されたといわれています。仏教は共産主義に反するものとして徹底的な弾圧を受けました。
 1959年3月10日、ラサ市民が武装決起しましたが、結果的にはダライ・ラマはラサを脱出せざるを得なくなりました。それと共に多くのチベット人も亡命・流浪の生活を余儀なくされました。
 それ以降もチベットに対する中国政府の締め付けは厳しく、1989年の天安門事件が勃発した際にもラサを戒厳令下において弾圧を強化しました。その時のチベット自治区の最高責任者が今の国家主席である胡錦濤です。
 今回のチベット暴動はどのような経緯で発生したか詳しくは解りませんが、再び多数の命が奪われることになりました。多くの僧侶、市民が犠牲になり、厳しい拷問が行われています。またダライ・ラマの肖像を掲げることが禁止され、宗教活動も認められず、仏教弾圧、人権抑圧が行われています。
 またチベット仏教が消滅の危機にあることにも重大な懸念を抱かざるを得ません。チベットは仏教の宝庫であり、チベット僧は純真な求道者として世界的に高く評価されているからです。信心深いチベット人の心の拠り所であるものが崩潰されようとしています。ダライ・ラマ14世は中国政府によって「宗教者ではなく、国家分裂の首謀者」あるいは「悪魔」というレッテルを貼られています。
 私たちは同じ仏教徒としてこれを看過することはできません。今回と19年前の弾圧の最高責任者である人物を日本の寺院が受け入れることは、いかなる理由があるといえども容認できるものではありません。仏教徒なら信念を持って明確な行動して欲しいと思います。
 10日には49年前より今回の暴動までに犠牲となった多くのチベット僧侶、一般のチベット人に対して哀悼の意を捧げ、ますます仏教が盛んになり、民族の共生を願い、世界の人々の安寧を祈って追悼法要を執り行います。
 ダライ・ラマよ、この世の聖者・釈尊であれ。

                        十輪院 住職 橋本純信

2008年5月 6日 (火)

チベット問題とパンダが同じレベル?

 長野事変に関して集まった資料を関係マスコミに送ったりし、3時、就寝。

 7時、起床。父と祖父の命日でもあるため、仏間を掃除し、いつ住職が来ても良いように準備する。
 大粒納豆、イカ塩辛、鮭の塩焼き、赤豆味噌で作ったあさりの味噌汁でご飯2杯の朝食をとる。

 今日は、草莽全国地方議員の会、チベットの自由と独立を支持する会、誇りある日本をつくる会が主催する「胡錦濤訪日に抗議する緊急国民大行進」が、東京の銀座にある水谷橋公園からスタートする予定であったが、ご不幸があったため、参加できなかった。都内の知人にはできる限り声をかけたので、多くの人に集まってもらうことを願うのみ。

 10時から弔問。途中、ジャーナリストの水間さんをはじめ、何人かのマスコミや保守論壇の方から電話があり、今日の行進の取材や今後の訴訟について、話し合う。
 今日もしくは明日発売の『夕刊フジ』、明日発売の『週刊 新潮』にも長野事変が掲載される。

 11時過ぎ、一度、自宅に戻ったところ、姪っ子が遊びに行きたいというので、着替えてから、フォンジェ内のキッズマジックに連れて行く。結局、途中で眠くなったようで、30分ほどで引き上げる。

 12時、冷凍うどん、ひきわり納豆に、レトルトカレーで「納豆カレーうどん」を作って、昼食にする。

 再度、服を着替え、13時過ぎから弔問。

 15時、自宅に戻る。甥っ子が「ウルトラマンメビウス」にハマっているので、「メビューム・シュート」ポーズやミクラスの人形を使って遊ぶ。

Img_3025 18時から来客。
 話が長くなったので、一緒に夕食をとろうということになり、冷蔵庫をのぞくものの、食材はなし。仕方なく、冷凍しておいた秋刀魚とイカを使い、秋刀魚の蒲焼き丼、イカのごまドレッシング和えを作って、二品のみで情けないが、夕食にする。

 20時過ぎ、長岡市に移動。すっかり遅刻したが、駅前の某居酒屋での一次会終了の間際から懇親会に参加する。そのまま有志が残って、同場所で二次会。
 24時、駐車場に停めた愛車に戻り、車内で仮眠する。

 今日の「胡錦濤訪日に抗議する緊急国民大行進」には、約480名もの人が集まったと東京都杉並区議会の松浦芳子議員から連絡があった。そして、その後の日本青年館での抗議デモには、4000名を超える人が集まったという。
 こういった国民の声を無視するかのように、福田首相がパンダの話を胡錦涛主席にしたとの報道もあった。
Img_3027  毒ギョーザや東シナ海のガス田開発の件も声を荒げて抗議もせず、どこまでお気楽なのであろうか?
 チベット弾圧が世界で問題になってから、胡錦涛主席は初の外遊である。ここで日本がビシッと言うべきときなのに、
パンダ・・・・しかもパンダはチベット周辺にいる動物である。
 また、胡錦涛主席の来日に抗議しようと集まった民間人を排除したとの報告もあった。やはり、この国はおかしくなっている。
 以下は、民間女性人Oさんからの報告(ご本人からの掲載許可済み)。

 かばうわけではないが、警察官個人もその思いがこちら側と同じであっても、公務として仕方がないところ。問題は、指示する側の事なかれ主義である。



 胡主席と福田首相会食のため、
 公権力によって日本国民が日比谷公園から排除された日

 今日は、午前中、水谷橋公園から日比谷公園へのデモに参加して、その後、こう予定していました。…午後別のデモに出て、夕方6時日比谷公園内、レストラン松本楼に胡錦濤が来て、福田総理と会食するので、その頃日比谷公園に集まろうかと…。
 しかしどうやら複数の情報をきくと、そんなに甘くはないようだったので、有志で話し合い、作戦を練ってほかの人にも連絡して集まってもらうことにしました。
 実際、どこから車が入り、警察がどう警備するのか、全くわからなかったのです。
 
午後3時の時点で早々に、警察は日比谷公園の中心部にあるレストラン松本楼一帯の公園の一部を立ち入り禁止にしました。
 そのうち、日比谷公園のあちこちの門で入場規制が始まっているらしいという知らせが入りましたし、異様な数の警官、私服警官がいましたが、まだ松本楼前の噴水広場その他の禁止区域以外には、多くの一般国民がいました。
 抗議行動を行なおうとする人々は、正確な数は動員をかけたわけではないので分かりませんが、午前中のデモの参加者、日本会議や日本協議会のメンバー合わせて40名ほどだったでしょうか。私達は、胡錦濤の車がきたら、松本楼に向かって、「胡錦濤、帰れ!」と北京語で叫ぶつもりでした。
 そして、私をはじめ私達の中の数人が立入り禁止ロープの前にいたところ、警官達が、立入り禁止区域を広げるから出て行けと言ってきたのです。

「さっきまで、このロープの外側にいるのならいい、と言ってたじゃないですか?!何故、追い出すんですか?理由を言って下さい」

「とにかく、お願いしますよ。私達に言ったってしょうがないんですから」

「嫌だと言ったら、逮捕するんですか?!」

というような押し問答が始まりました。(その後、非常な騒ぎになったので他の方がどういう発言をしたのか分からないので、以下、私の言葉だけを書きますが、他の人たちも口々に公権力による強制に対して、抗議の言葉を仰っていました。
 私は座り込みをしても退かない気持ちでしたし、実際に座り込みをしたのですが、一緒に来ていた方の中のお一人が、「ちょっとだけ(日比谷公園寄りに)退くだけだから、退きましょう」と言われたので、仕方なく立ち上がり、(その頃までにはロープの前にずらりと並んだ)警官たちに対して、「一体、どこまで退けばいいのか、ちゃんと示して下さいよ。日本は民主国家でしょう?公園から国民に出ていけというんですか?ここは天安門広場ですか?!」などと言いました。
 警官達はハッキリとは答えず、「そこまでですから・・・」と言うばかりなので、私達の何人かが(私も含めて)、多人数で押してくる警官たちに、体で抵抗しました。しかし、既にマスコミが陣取っていた所あたりまでというニュアンスだったので、そこまでだろうと思っていました。
 しかし、違っていました。
 警官たちは、私達を、腕力で押して、公園の隅に追いやろうとしたのです。
 その間、中国(本人達は香港メディアだと言いました)のメディアが、ビデオカメラで私達の顔のアップも含めて撮影し始めました。
 しかしこれに対しては、警官たちは、何も規制しませんでした。「私達を暴力的に追い出して、どうして中国のメディアに注意をしないんだ?!」と口々に抗議しました。
 その後は、警察から小突かれ叩かれしながら、みんな怪我をしながら、どんどん公園の隅っこまで追いやられて行ったのです。私達も、勿論、体でも口でも抵抗しました・・・。
「暴力を振るったわけでもなく、暴力的に何かをしようというのでもない私達を、何で排除しようとするんですか?!どこまでを禁止区域にしようとするんですか?!」そういう言葉に、「日比谷公会堂あたりまで」という声が聞こえたので、(日比谷公会堂は公園の端っこにあります)「冗談じゃない!」と思いながら押されて排除されないように抵抗しました。
 
そのうち、シュプレヒコールが私達の中で始まりました。
 「フリーチベット!」「フリーチベット!」
 そう叫びながら、私達は、なおも、スクラムを組みながら、或いは横断幕を盾にしたりしながら、警官たちが押す力に負けないように、抵抗を続けました。
 押されて転びながら、涙があふれて来ました。何人かの人が、「体、大丈夫?」と私を気遣ってくれたのですが、体が痛かったのではありません。ものすごく心が痛かったのです。気付くと、日比谷公会堂まで押されて来ていました。それで警察の暴力も終わるのかと思ったら、今度は警察に囲まれ始めたのです。
 そして、そのまま、私達は公園の外まで追い出されてしまいました。
 警察の暴力が終わったとき、私達を排除した警官達は、公園の門にずらりと並んで、私達に対峙していました。
 その間、20分ほどの時間だったのかと思っていましたが、警察の暴力的排除と私達の抵抗は、50分もの時間に亘っていました。
 私達は、公園の外の道から、拡声器を使って、胡錦濤と福田首相への抗議の声を上げました。そして、警察の公権力による、公共の場からの私への強制的排除に対しても抗議しました。
 帰りの電車の中でも、私は涙がずっと止まりませんでした。
 東シナ海ガス田開発問題、チベットで中共による虐殺事件、毒餃子事件等々、日本政府は、何ひとつ、主権国家たる抗議の声を上げて来ませんでした。
 胡錦濤のために、国民・都民の憩いの場である日比谷公園から、国家が日本国民を排除するのは、中国に朝貢外交を行なっている日本政府と中国との力関係の縮図だったのです。
 目の前にいる「おまわりさん」達に何を言ってもむなしいだけ、何も出来ないことに私は心が痛くて、涙が止まりませんでした。
 今、私は体もあちこち痛いのですが、何もヒロイズムで警察に抵抗したわけではありませんし、暴力が好きなわけでもありません。
 頭の片隅には、尊敬する三島由紀夫の、「守るとは剣の論理だ」という言葉がありました。知行合一という言葉も浮かびました。
 虚しいけれども、日本の国民として、国を守る、国土を守る、主権を守ることを、身を持って行なわなければならないのは今この時であると思ったからです。
 他の方々も同じ思いだったでしょう。
 この私達の抵抗と抗議は、状況に何の変化も齎さないでしょう。
 しかし、日本国民の抗議と抵抗の思いが、日本政府や日本の国民、そして中国政府に少しでも届いてくれれば、何かが少しだけ変わるかもしれないじゃないかとも感じています。

2008年5月 5日 (月)

産経一面トップ 長野事変
渋谷ハチ公前でチベット問題を訴える!

 スクラップしておいた新聞のPDF化が終わらず、4時までかかる。

 2時間ほど仮眠したのち、大粒納豆、あさりの佃煮、水菜のサラダ、目玉焼きでご飯2杯の朝食をとる。

Img_3023 チャンネル桜応援団のU氏から、先日来調査に協力していた記事が産経新聞の一面に掲載されたとの連絡があったので、早速、自宅に届いている紙面を確認すると、以下のように掲載されていた。


平成20年5月5日『産経新聞』

長野聖火リレー 市民は見た

 中国国旗「五星紅旗」が沿道を埋め尽くした4月26日の長野市の五輪聖火リレー。英仏などの混乱を受け、警察当局が約3000人の厳戒態勢で臨み、政府は「大きな混乱もなくよかった」(4月28日、町村信孝官房長官)と評価するが、沿道では中国人応援団による数々の暴行事件や威嚇行為が多発していた。「平和の祭典」が駆け抜けた後に何が残ったのか。現場の証言を追った。

証言[1]東京都西東京市の自営業、中川章さん(57)
「中国旗で殴られた」
 私は知人の地方議員たちとともに日の丸とチベットの小旗を振りながら善光寺の境内から聖火リレーの沿道に向かっていたんです。
 
市役所近くの交差点で中国人の集団にいきなり、巨大な中国国旗で通せんぼされましてね。若い中国人の男に旗ざおで左手の甲をたたかれ、小旗をもぎ取られ、後頭部に旗ざおでズコンですよ。旗ざおといっても長さ2メートル以上、直径3センチ以上もあるアルミ製。旗が付いていなければ間違いなく凶器準備集合罪ですよ!
 
70歳すぎの知人も若い女に腹をけられ、「フリーチベット」のプラカードはビリビリに破られました。警察官が3人ほど駆けつけてくれましたが、彼らも旗ざおで殴られていました。「あの男を逮捕してくれ!」と叫んだのですが、警察官は私たちと中国人グループを引き離して「あっちに行かないでくれ」と叫ぶばかり。目の前に犯人がいるのに取り押さえようとしないんです。
 
結局、私は後頭部に大きなコブが残り、おまけに頸椎(けいつい)ねんざで全治3週間。20人近くの仲間が暴行を受け、頭や背中にけがをしました。女性も老人もお構いなしです。一体ここはどこの国なんですか!

証言[2]牧野聖修・前民主党衆院議員(63)
「車道に押し出された」
 私はチベット支援団体「セーブ・チベット・ネットワーク」の呼びかけ人として善光寺から約30人のチベット人とともにチベット旗を持って行進しました。行く先々でずいぶんと中国国旗のポールでたたかれたり突かれたりしましたが、幸い仲間にも大きなけがはありませんでした。
 
「ワン・チャイナ」(1つの中国)と叫ぶ中国人たちの妨害は激しかったですね。沿道でいくらチベットの「雪山獅子旗」を振っても大きな中国国旗で取り囲み隠してしまうんです。歩こうとしても、中国人に押されて車道に出され、今度は警察官に「歩道に戻ってください」と怒鳴られて…。まさに板挟みの状態でした。
 
何とか聖火リレーの終着点である若里公園にたどり着きましたが、すでに中国国旗で埋め尽くされ、足を踏み入れる余地はありません。
 
結局、警察官に別の小さな公園に誘導され、ゴールの瞬間を迎えました。チベットの人たちにわずかでも聖火を見せたかったのですが、最後まで目にすることができず本当に残念です。

証言[3]長野市の主婦(34)
「怖くて日の丸を振れず」

 小学1年生の長女と手作りの日の丸を作って聖火リレーを見に行ったのです。でもリレーコースは畳ほどもある中国国旗ばかりでもう圧倒されちゃって…。おまけに至る所で怒鳴り声が響いており、怖くなって娘に日の丸を振るのをあきらめさせました。娘は「なぜ中国の旗ばかりで日の丸はないの?」と聞いてきましたが、うまく答えられませんでした。
 
結局、沿道から少し離れたところで、警備のすき間から聖火を見ることはできたのですが、長野五輪の時のような拍手は起きませんでしたね。
 
実は午前6時前に中国語のシュプレヒコールで目を覚ましたときから嫌な予感がしたんですよ。私の知り合いもほとんどは安全を考えて沿道には行かずテレビ観戦したそうです。
 
10年前の長野五輪は本当に楽しい思い出しか残っていません。今回も「あの時の再現になる」と期待していたのに本当にがっかりしました。やっぱり沿道に五輪旗や日の丸がないのはおかしいでしょ。中国とチベットの戦いの場を提供しただけで地元の人が喜べないような聖火リレーならやる必要なかった気がします。


 上記引用部以外にも三面、二十五面にも関連記事が掲載され、やっと真実が報道されはじめたことに安心した。
 あとは、法的措置のための活動である。日本は法治国家であって、放置国家ではない今回の韓国の対応がもっとも正しい対応であろうと思う。

 市内で弔問に伺ったのち、東京に移動。移動しながら、コンビニのおにぎり(焼きたらこ、鮭)で昼食をとる。

 14時過ぎ、チャンネル桜に到着。街宣活動を終えてきた東京都杉並区の松浦芳子議員をはじめ、皆さんと今後の胡錦涛主席の訪日への抗議活動やチベット支援活動について打ち合わせ。
 何も感情のみから胡錦涛主席の訪日に抗議するのではない。胡錦涛主席こそは、1989年のチベット暴動の際、チベット自治区党書記として暴動を力によって鎮圧し、チベット人の市民や僧侶を虐殺した張本人。
 また、中国政府に対しては、もはや日本国政府の謀略(農薬を入れたのは日本国内)とまで喧伝されている毒ギョーザ問題もある。

Img_3016 チャンネル桜の水島社長も合流し、伊勢崎市議会の伊藤純子議員もいることから、明日の「胡錦濤訪日に抗議する緊急国民大行進」の周知街宣活動を行うことになった。
 携行スピーカをマイクを持ち、17時から渋谷のハチ公前で街頭での訴え。水島社長、伊藤議員、松浦議員と順番にマイクをもつ。
Img_3017 明日の周知もさることながら、多くの若者が待ち合わせをしているこの場所で、私としてはチベットと日本との秘話を、次の2点に絞って、分かりやすく何回も説明をした。

 1.チベット旗の制定は日本人が関わった。

 2.先の大戦中、日本に協力したのはチベット。

 特に2については、日本人が苦しんでいるなか、協力してくれたチベット人に対し、チベット人が虐殺され、苦しんでいる今、日本人は何もしなくて良いのか、という事を訴えた。

 大東亜戦争時、イギリスは蒋介石を支援する(日本軍と蒋介石の国民党軍で消耗戦をさせる)ための「援蒋ルート」を作るが、日本軍がビルマ方面からこれを遮断。次に連合国側が選んだのは、チベットであった。当時の独立国であったチベット政府はこれを拒否。
 ペマ・ギャルポ氏はこう語っている。

 「日本は木村先生(木村肥佐生。当時、特務機関員。後の亜細亜大学教授)が夜寝る時に日に綿を入れてモンゴル人に化けてチベットに来て、お経の中に連合国に味方をしないではしいという密書を持って来ました。私達はそれを受けて、仏教国ということで、連合国側の通過を拒否しました。そして、1945年に国連ができてもお呼びが掛からなかったのはこういうことがあったのです。」

 日本の敗戦とともに、チベットは日本と同じ敗戦国扱いとなった。そして1950年、中国人民解放軍は突如、チベットに軍事侵攻。チベットは軍事制圧され、独立国ではなくなった。この歴史は良識ある日本人なら、よく考える必要がある。

 訴えている間、多くの外国人が、

 「チベットTシャツを売ってくれ」
 「これこそ人権問題だ

といった意味合いで、英語やカタコトの日本語で話しかけてきた。
 また若者のなかでも、恥ずかしさもあるのか大きな動作はしないものの、賛同の意味で親指を立てて合図をしてくれたり、人知れず拍手をしてくれる方も多かった。ありがたいことである。
 訴えの最後は、デモに参加しなくてもできることでいい、ネット上でも良いので、とにかくチベット人の虐殺をやめよ、と賛同の声を上げてほしいと結んだ。

 街宣活動終了後、帰路につく。

Img_3019_2  20時30分過ぎ、地元・伊勢崎市議会の伊藤純子議員に、豚骨ラーメン「光★MENJI」(群馬県伊勢崎市波志江町4352 電話:0270-61-8665)を案内してもらう。
 豚骨ラーメンかどうかよりも、まずは店名が気になる。

Img_3021  「光・・・・MENJI?」

と店名をつぶやいただけで、なぜか頭の中で光GENJI、昭和63年のヒット曲「ガラスの十代」がリフレイン。早くも店主の罠に引っかかった感がある。
Img_3022 注文したのは、豚骨ラーメンカテゴリーの「味玉チャーシュー中太麺 850円」。純粋な豚骨ラーメンというよりは、醤油豚骨の発展系といった味わいでスープの辛み具合と麺がちょうど良い。あっという間に食べてしまったので追加で「替え玉(細麺のみ) 100円」を試してみたが、このスープには、細麺よりも中太麺の方が似合うように感じた。生で絞るニンニクも用意してくれたので、臭くなって?満足の夕食となった。

 23時過ぎ、自宅に戻る。

 中国人留学生など長野市内で暴行を行った人間を特定するため、mixiをはじめ、写真や動画をお持ちの方にご協力を願い、メールで送ってもらう。
 済んだ事をいつまでも・・・というご批判のメールも頂戴したが、キチンとした対応をとることが結果的に双方にとって良いことと私は信じる。

2008年5月 4日 (日)

十六条旭日旗とチベット旗

 事務所の書類を整理しているたびに、「あっ、これ忘れていた」というものがあり、途中、途中で止まってしまい、5時に就寝。

 9時、起床。大粒納豆、厚焼き卵、イカの塩辛、がんもどきの煮付けでご飯2杯の朝食をとる。

 10時から市内某所で選挙に関する打ち合わせ。某県議の保守系への裏切り行為に非難が集中する。

 12時過ぎ、自宅に戻ると姪っ子が来ていたので、自転車に乗せてお買い物。「パンパン」が食べたいというので、ハンバーガーを購入し、昼食にする。

 14時から再び、市内某所で選挙に関する打ち合わせ。

 18時、自宅に戻り、甥っ子、姪っ子とともに1時間ほど遊ぶ。

Img_3015 20時、地元で獲れた「かながしら」の塩焼き、モンゴイカのいしる漬けを焼いてマヨネーズをかけたもの、越後豚のモモ肉の唐揚げにビール500ml3缶で夕食にする。「かながしら」は独特の風味がある魚であるが、何か美味しいかと言われれば、個人的には、肝である。シメは、ひきわり納豆と生卵の納豆ご飯。

Tibet  チベット旗は「雪山獅子旗」というが、実は日本人の提唱によるデザインである。
 日本のチベット研究者であり、僧侶であった青木文教氏(明治19年~昭和31年)は、明治43年に西本願寺法主・大谷光瑞の命でチベットに派遣されて以来、チベットに深く溶け込んだ。この旗こそは、その青木氏がダライ・ラマ十三世に提唱し、ともに作った旗なのである。
kyoku そして、参考にしたのが、いわずと知れた大日本帝国海軍の軍艦旗であり、現在は海上自衛隊の自衛艦旗である「旭日旗」。正式には「十六条旭日旗」という。
 以前にも日章旗とともに紹介したが、『産経新聞』紙面でも毎回楽しみにしているコラムに「旭日旗」の秘話があった。筆者である野口氏と同じく、海上自衛隊、いや自衛隊の皆さんに国軍としての誇りをもってもらい、そしてチベット問題がある今こそより多くの皆さんにチベット旗との関係をご紹介したく、以下に引用する。


平成20年4月3日『産経新聞』

 野口裕之の安全保障読本
 軍艦旗救った画家の良心

 海上自衛隊のシンボル「十六条旭日旗」には秘話がある。海自で事件・事故が続いた、この時期だからこそ紹介したい。海上自衛官に、誇りを取り戻してほしいからだけではない。国民とメディアに「国軍」の重みを知ってもらいたいのだ。
 日章から16条の旭光が出ている、きらびやかで、しかも雄々しいこの旗はかつて、大日本帝国海軍の「軍艦旗」であった。軍艦は国家の延長とされ、国外では不可侵権など、大使館同様の特権を持つ。大きな権能を有する軍艦の証しが軍艦旗である。今も昔も、軍艦旗を掲揚する艦艇に行き合った民間船は自らの国旗を少し下げ、元の位置に戻す、敬礼をする海の慣行がある。領海では各国の警察権が及ぶが、公海では伝統的に軍艦が”警察権”を担保してきた。そうした軍艦の役割に敬意を表しているからだ。
 国内法上は「自衛艦」と呼ばれる海自艦艇も、国際法上は軍艦として扱われる。当然、軍艦旗を掲げねばならないが、軍艦と呼べないため「自衛艦旗」と命名された。歩兵を「普通科」と呼ぶなど、軍隊色を薄めるための小ざかしい詭弁が、戦後ずっと、日本語としてまかり通っている。
 ところが、である。かくも屈辱的な境遇にあって軍艦旗は今も、海自艦艇に自衛艦旗として翩翻と翻っている。
 昭和29年7月の防衛庁・自衛隊創設を前に防衛庁設置法や自衛隊法の研究を始め、旗章も全面見直しとなった。海自の前身・保安庁警備隊内外の意見を聴いた結果、軍艦旗復活が多数意見だと判明。一方で、戦後の情緒的な反軍平和の世論が軍艦旗復活に反対するのでは-との危惧もあった。そこで▽直線的▽単色▽一目瞭然▽すっきり▽士気高揚▽海上部隊を象徴する▽視認性-を条件に考案する方針になった。
 方針を受け、東京芸術大学の意見を聞いたところ「軍艦旗は国旗との関連や海の色との調和など、条件を満たしている」との回答を得た。そして、米内穂豊画伯に図案作成を依頼。画伯は悩み抜いた未、結論に至る。
 「軍艦旗は黄金分割による形状、日章の大きさ、位置光線の配合など実に素晴らしいもので、これ以上の図案は考えようがない。それで、軍艦旗そのままの寸法で1枚書き上げた。お気に召さなければご辞退致します。画家としての良心が許しませんので
 ”画伯の作品”は「創設する海自への影響」「国民感情」などを焦点に庁議にかけられたが、保安庁長官は裁可した。詰まるところ、旗の持つ動かしがたいきらびやかさ、雄々しさ、芸術性は、敗戦で自信を失った関係者の心を揺さぶり、引いてはならぬ一線=誇りの存在を気付かせたのではないか。海軍魂の象徴・軍艦旗の消滅を惜しんだ海軍OBや芸術家、官僚らが期せずして心を一にし、阿吽の呼吸の結果、軍艦旗を自衛艦旗として蘇生させたのではないか。
 自衛艦旗を最終的に承認した吉田茂首相も「呼吸」を共にした一人に違いない。説明を聞いた首相は、こう語っている。
 「世界中でこの旗を知らぬ国はない。どこの海に在っても日本の艦だと一目瞭然で誠に結構だ。海軍の良い伝統を受け継ぎ、海国日本の守りをしっかりやってもらいたい
 吉田には、安全保障を犠牲にし経済復興を優先させたという批判も一部にある。だが、この言葉には敗戦への悔しさと、米英と同じ海洋国家であることへの矜持を感じてしまう。

黄金分割
 最も安定し、美しい比率とされる。その比をを数字化すると、ほぼ1対1.618となる。長方形は縦と横との関係がこの比になるとき、安定した美感を与えるという。

2008年5月 3日 (土)

新成人フェスティバル2008
「9条の会」他の政治活動

 0時過ぎ、風呂に入ったものの何故かそのまま湯船で熟睡。気付くと5時であった。8時まで仮眠。

 9時、大粒納豆、板わさ、エリンギのバター炒めでご飯2杯の朝食をとる。バターは比較的多く冷蔵庫のなかにストックがあったので、今の騒ぎにはしばらく巻き込まれずにすむ。

Img_2996  10時、柏崎市総合体育館に移動し、「新成人フェスティバル2008」に来賓出席。会場の前に来た途端、唖然とした。
 次回の衆議院選挙で新潟2区に出馬すると宣言している社民党候補者の街宣車が乗り付けられており、そして「9条の会」がパンフレットを配って歩いているのである。
Img_2197 昨年もそうであったが、今年は街宣車まで加わり、新成人を政治活動に巻き込む、この愚かさ。大ウマシカ野郎どもである。
 憲法護憲でも、改正でもイデオロギーは問わないが、とにかくこういった場所で政治活動を行うことの非常識さを感じる恥ずかしさはないのであろうか
 社民党の某Y議員に至っては、自ら手配りしていた・・・・。

Img_2997  式典は騒ぐ者なく、両親への感謝を述べた新成人による素晴らしいメッセージを中心に終了した。
 ウダウダと長く、表面的な式辞や祝辞などより、若者による自らの意志を示す気持ちのこもった言葉の方が、より多くの人に伝わることが分かった時間でもあった。
Img_3003 引き続くアトラクションでは、2008年日本青年会議所・北陸信越地区・新潟ブロック協議会のタウンミーティング委員会による憲法を知る企画。
 司会は、お笑い集団「NAMARA」ヤングキャベツのコンビが担当し、三権分立、期日前投票、被選挙権、話題となっている憲法改正の手順について、クイズ形式で新成人に伝えた。面白い企画であり、新成人も赤と青の紙で○×で答え盛り上がっていた。
 新成人には、是非、夢をもって人生を歩んでもらいたいと思う。
 いま柏崎市外にいる新成人にはいずれ柏崎に戻ってきてもらいたいし、また我々も帰ってきてもらえるよう頑張るべきである、と再認識した次第である。

 「新成人フェスティバル2008」終了後、駐車場にいくまでの間、柏崎市外にでている何人かの新成人に話しかけられた。このブログを見てくれているようで、柏崎が今いかにおかしいかよく分かる、とのことであった。
 彼らが柏崎に戻ってくるまでには、正常な柏崎にしたいものである。

Img_3012 13時過ぎ、自宅に戻り、「うれっ子」(電話:0257-22-4648)の「つけめん 大盛」の出前をとって昼食。食事中、電話がかかってきて、13時からの打ち合わせがあったことに気付き、あわててかっ込む。
 ここのところ、突発的な仕事などでたて混んでおり、スケジュール管理がメチャクチャ。申し訳ない限りである。

 14時から18時まで市内、某所で打ち合わせ。

Img_3013 差入れのラム肉を購入し、市内某所でのバーベキュー懇親会?に出席。車での移動であったため、ウーロン茶で乾杯する。
 適度に脂肪がついた柔らかいラム肉を口いっぱいにほおばり、続いてビールをウグッウグッといきたいところであるが、冷たいウーロン茶という無念さ。
Img_3014 ビールを飲めない無念さとは裏腹に、現在の柏崎市政のおかしさ、新潟日報をはじめとするマスコミの反原発の偏り具合など、かなり熱く盛り上がった。
 話し込んでいるところに、蛙がピョコピョコ。一転、のどかな雰囲気となり、お開きとなった。

 21時、一度、自宅に戻ったのち、市内某所での懇親会に2次会から参加。

 新成人のハレの場で政治活動する大ウマシカ野郎も問題であるが、国政にはもっと大ウマシカ野郎もいる。


平成20年5月1日『日本経済新聞』

日本留学の審査緩和、30万人計画後押し・法務省方針

 法務省は1日、日本の大学などに留学する外国人の入国審査を簡素化する方針を決めた。学校側が本人の代理で在留資格認定を求める場合は申請書の提出だけで済むようにし、平均で約2カ月かかっていた審査期間も大幅に短縮する。福田康夫首相が掲げる「留学生30万人計画」の実現に向け、今年度から入国審査を順次緩和していく。
 海外在住の外国人が日本に留学する場合、ほとんどは学校側が代理で在留資格認定を申請する。これまでは滞在費や学費をまかなえる貯金、語学能力の証明書などの提出も必要で、「煩雑な手続きが日本への留学生を増やす障壁になっている」との指摘が出ていた


Img_2950 長野市でのあの騒ぎ、あえていうなら「長野事変」を見れば、日本人に危害を加えても<愛国無罪>など平気な顔でいう連中の怖さが分かったはずである。
 留学生を増やすのは【目的】ではない。日本の学力レベル・価値が上がれば、【結果】的に海外からの留学生が増えるのであって、簡単に手続き上留学しやすいようにして、とにかく留学生を増やすというのは【目的】と【結果】のはき違え、愚の骨頂である。
 日本の政治は日本人のためであって、日本の治安が第一であり、日本の学力レベル・価値を上げる政策を優先すべきであろう。
 内閣支持率低下がマスコミを賑わせるが、もっと問題なのは政治家の質の低下ではないだろうか。

2008年5月 2日 (金)

長野市 聖火リレー 水間氏証言
フリージャパン!を叫ぶ日

 録り溜めていたテレビ番組などを整理したのち、4時就寝。

 7時、起床。ひきわり納豆、なめたけ、もずくで「納豆ネバネバ丼」を作り、朝食にする。

 9時から11時過ぎまで市内で会社関係の打ち合わせ。

 12時過ぎから市内某町内会長のご自宅で復興イベントを行うことについて、相談と調査。

Img_2994 15時、自宅に戻り、冷凍うどん、卵、ネギ、干し納豆で納豆うどんを作って昼食にする。
  途中、ジャーナリストの水間政憲氏をはじめ、全国の地方議員の同志から胡錦涛主席の来日について、どういう行動をとるべきなのか、という電話が入る。5月6日に毒ギョーザも含め、デモ行進をするという。
 個人的には胡錦涛主席の来日よりも、自民党籍を持つ身ながら、毒ギョーザや今回の長野市での<事件>に対する

 「福田首相の腰砕け」

を糾弾したいところである。
 また現在、長野市で中国人による暴行や器物破損などの調査をしている某新聞記者と連絡をとり、当日の状況などの情報を伝えた。

 16時から17時過ぎまで市役所にて事務仕事。

Img_2995 19時から市内某所にて打ち合わせ。
 1時間ほど白熱した議論となり、20時過ぎに差入れの「ほっかほっか亭」の「まんぷくのり弁当 480円」で夕食にする。かなり油物が多く、最後にはジャスミン茶で流し込む。

 22時、自宅に戻る。

 先日の平成20年4月30日に憲政記念館にて、自民党・中川昭一元政調会長が主宰する「真・保守政策研究会」の勉強会が行われた。お誘いがあったものの、地元での活動があり、行けなかったが、聞くところによれば国会議員30名ほどを含む300名超の人数が集まったという。
Img_2967 その席上、長野市での「本当の意味の人権聖火行進」を一緒に行ったジャーナリスト・水間政憲氏が当日の報告をかね、以下のように発言されたとのこと。

*引用元は、産経新聞記者・阿比留瑠比氏の「国を憂い、われとわが身を甘やかすの記」


水間政憲氏(ジャーナリスト):

Img_2966   (聖火リレーの際に)地方議員の会のメンバーとして私も長野に行った。善光寺の山門からチベットのトーチを持って整然と行進していた。整然と歩道の脇を二列で歩いていたら、突然、大きい旗で、進行方向を隠され、先頭の人がよけようとしたら、アルミの竿でガツン(と殴られ)と頭から血流して、これは警察がちゃんと被害届けを受けている。一人は眼鏡を割られた。私もトーチを持っていたんで、奪い取られそうになって、そうしたら警察が3人ぐらい間に入って中国人を抑えつけたんですね。そうしたら警察三人に対して旗竿で殴る蹴る。もうぼこぼこにしてましたよ、警察に対して。私は花壇の上に避難していた。少し落ち着いて降りたら、中国の若い女の子に背中ドツンと蹴られて、同行取材していた北海道新聞の記者もいるんですけど、全然関係ないところで、3回ぐらいどつかれたと、かんかんになって怒っていた
Img_2968 フリーチベットと叫んでいた日本人がたくさんいましたが、あと十年、これがこのままの形で、紅衛兵の打ち壊しみないなのが、あれが厳然と日本の日本の法治国家の中で行われた現状を見るにつけ、後10年経ったらわれわれは「フリー・ジャパン」と叫ぶような状況になるというのが、明らかに原体験として経験してまいりました。非道い状態です。大きい旗で隠してマスコミが見えないように、通路も見えないようにして、その10メートルぐらいの中で暴行を働くんですよ。もうめちゃめちゃでしたよ。それの一部状況が月曜日のとくダネ!で流していたが、あれがわれわれが殴られている状況です。フジテレビはその証拠になるような映像を持っているのでね、前後の状況も含めて。(後略)フリー・ジャパンの状態にならないように政治家の先生よろしくお願いします。


 事実である。発言のなかで触れられている記者は女性で、何もしていないにも関わらず日本人というだけで中国人男性が本気になって殴りかかっていった。まさに外道そのもの。
 水間さんの前を歩いていた集団が私を含む数名の旗手(チベット旗、日章旗)であり、大きな中国国旗で隠されたなかで暴行を受けた。そして、繰り返しの報告で恐縮ではあるが、中国人たちは

 警察官に暴行を加えた

のである。もう何でもあり、見境無しのバァーリ・トゥード。

 お隣の国、韓国では駐韓中国大使を呼びつけ注意をし、また暴行を加えた人間を摘発し、さらにビデオ映像からも特定し摘発しようとしている。


平成20年4月28日『朝日新聞』

韓国、中国人留学生の過激行動に抗議
聖火リレー

【ソウル=箱田哲也】韓国外交通商省の李容濬(イ・ヨンジュン)・次官補は28日、中国の寧賦魁・駐韓大使を呼び、前日にソウルであった聖火リレーで中国人留学生らが過激な行動に出たことに抗議した。韓国ではインターネットで、一部の中国人留学生らの暴力行為も動画で投稿され、反発が広がっている。
 寧大使は、ソウルの聖火リレーが成功裏に終わったことに対する温家宝(ウェン・チアパオ)首相らの謝意を口頭で伝えたうえで、「一部の中国の青年らが過激な行動をし、韓国の警察や記者らが負傷したことに遺憾の意を表する」と述べたという。
 韓国警察当局などによると、27日にあった聖火リレーでは、脱北者3人と中国人1人の計4人が摘発された。中国人は、リレーを阻止しようとした市民団体のメンバーにものを投げてけがを負わせた疑い。ただ、沿道でほかにも不法行為を働いた中国人がいたとの情報があり、ビデオ分析など捜査を続けている。
 負傷者は少なくとも10人が確認されている。機動隊員やカメラマンのほか、ゴール地点のソウル市庁付近でチベット問題の解決を訴えた米国人とカナダ人2人が、中国人留学生とみられる集団に暴行を受け、けがをしたという。
 スタート地点近くで30分にわたって中国人に暴行されたと訴える韓国人男性が、ネットの掲示板に「容疑者らを警察に突き出すため、有力な情報を知らせてくれた人に100万ウォン(約10万円)の謝礼を贈る」と書き込み、話題になっている。


 法治国家として、ごく当たり前の対応。それに比べ、ビデオ映像も写真も大量にある我が日本の警察や政府の対応はどうであろうか。

 法治国家ならぬ 放置国家

である。生意気を言うようであるが、国会議員の奮起をお願いしたい。
flag こういった手ぬるい対応が間違ったシグナルを相手に与え、双方の過激化を抑えられなくなる。最悪の場合には、紛争にだって発展する。このままでは、本当に

 「フリージャパン!」

を叫ぶ日が来るであろう。

 ちなみに、韓国は早速、中国人留学生ビザ審査を強化することを決定したようである。


2008年5月1日『中央日報』

政府「中国人留学生ビザ審査を強化」
中国「五輪期間中のビザ免除難しい」

  政府は韓国入国を希望する中国人と中国人留学生たちに対する査証(ビザ)発給審査を強化する方針だと外交通商部当局者が30日、明らかにした。
  この当局者は「最近聖火リレーでのデモ事件以後、資格のない中国人留学生たちが査証の発給を受けて入国しているという指摘がある」とし「法務省など関連政府と協議し、査証発給を厳格にする方針だ」と述べた。
  これとは別に中国政府は、北京五輪期間を前後して制限的に両国間の入国査証を免除しようという韓国の提議は受け入れにくいと通知してきたことがわかった。韓国政府は3月、柳明桓(ユ・ミョンファン)外交部長官と楊潔虎中国外交部長の会談で、7月から9月の間、韓国人と中国人がビザなしで往来できるようにする制限的ビザ免除案を提起した。
  政府関係者は「外相会談時は中国が肯定的な反応を見せたが、五輪を前後した期間にノービザでの入国は困るという回答を数日前に送った」と述べた。これにより韓国を訪れる中国観光客の数を増やすために中国人に制限的にノービザ入国を許可しようとしていた韓国政府の計画も実現が難しくなった。
  政府関係者は「中国の措置は五輪期間中の警護と治安問題を考慮して入国審査をいっそう厳格にするという決定であるとみられ、最近の聖火リレーのときのデモにおける問題とは無関係だ」と述べた。
◇遺憾表明した中国=中国政府は北京五輪聖火リレーで起きた中国人たちの過激デモ事態について韓国政府に公式に遺憾表明したと文太暎(ムン・テヨン)外交部スポークスマンが30日、明らかにした。何亜非中国外交部部長助理(外務次官補)はこの日、北京を訪問した李容濬(イ・ヨンジュン)外交部次官との会談で、中国人留学生の一部が反中デモ隊と摩擦が起きた際、韓国の警察と記者が負傷したことに対し、遺憾の意とともにお見舞いの言葉をくれたと文スポークスマンは伝えた。何部長助理はまた、中国人留学生たちに対する善処を希望する一方、ソウル聖火リレーが韓国政府の積極的な協力のもとで順調に行われたことに対しても謝意を表明した。文スポークスマンは「何部長助理の発言は、中国外交部の公式的立場と見ればよい」と述べた。

2008年5月 1日 (木)

はぁ?北朝鮮被爆者救済
原水禁と柏崎市長交際費

 いまだに事務所内の書類が片付かず、3時、就寝。

 7時、起床。大粒納豆、生卵、きんぴらゴボウ、筑前煮でご飯2杯の朝食をとる。

 8時30分過ぎから市内某所で打ち合わせ。

080501_dvc00002_2 10時過ぎから、自民党柏崎支部での三役特別会議に出席。
 今年11月に行われる柏崎市長選挙に出馬予定の現職・会田市長と桜井氏の自民党の推薦について、協議を行った。両氏から推薦の依頼が来ている以上、協議を行う必要がある。
 最終的な結論は、役員全体会に諮られるが、現職を推薦した場合、社民党や反原発団体と一緒に選挙活動を行うという【お笑い状態】になることからも、私は桜井氏のみの推薦を具申した。

 12時過ぎ、事務所に戻り、冷凍うどんとひきわり納豆、生卵での「納豆うどん」をすすりながら、企業誘致、観光誘致について、実務段階の調整メールやFAXなどを行う。

 15時から3件の打ち合わせ。
 打ち合わせの最中に、ガソリンにかかる暫定税率(1リットル当たり25・1円)の復活が話題になった。暫定税率分に加え、原油の調達コスト増加分もあるので、実質は30円前後の値上げとなる。
 しかし、民主党のパフォーマンスには、ほとほと嫌気がさす。議長を部屋から出さないなど、小学生の学芸会以下である。国会は「言論の府」であり、今回ばかりは「議場に出てキチンと反対する」共産党の方が筋が通っている。あれだけのパフォーマンスをやっていながら、議場にはでてこない民主党。議場で議論することが仕事ではないのか。

 原油価格がこれだけ上がり、世界的に環境問題が叫ばれているなか、火力発電所でなんとか電気を補っている日本。うわべの反原発活動をやっている人間もパフォーマンスと言えよう。ガソリンの事だけと狭い視野で考えるのではなく、原油、そして日本のエネルギー戦略まで考えた判断をしてほしいものである。

Img_2993 19時、やっと打ち合わせが終わったので、大粒納豆を使った納豆オムレツ、独活の天ぷら、かながしらの塩焼きで夕食をとる。ご飯には、長野市で買った「根元 八幡屋礒五郎 七味ごま」をかける。ピリリとした辛さの後、噛みしめるとごまの風味と油分が口に広がり、すっかり気に入った。

 食後、メールやブログなどを書く。

 先日の『新潟日報』に、こんな記事が掲載されていた。


平成20年4月26日『新潟日報』

 北朝鮮 被爆者1911人を確認
 80%既に死亡 原水禁「対策早急に」

 広島、長崎で原爆に遭ったことが確認された北朝鮮の被爆者は2007年末の時点で1911人に上り、このうち80%に当たる1529が既に死亡したことが25日、北朝鮮の団体「反核平和のための朝鮮被爆者協会」の調査で分かった。生存者は382人。1990年以降の死者は957人で、死者全体の62%を占めている。

 原水爆禁止日本国民会議(原水禁)が調査結果を入手、向井高志副議長らが記者会見して明らかにした。
 他の在外破壊者とは異なり、国交がないため放置されている北朝鮮在住被爆者について原水禁は「高齢化が進み、早急な対策が必要だ」として日本政府に援護を、あらためて働き掛ける。広島県医師会と協力し医療チーム派遣も検討する。
 原水禁などによると、朝鮮被爆者協会は強制連行された朝鮮人の名簿などを基に被爆の実態を調査、1911人の被爆者を確認した。長崎での被爆が1074人、広島が837人だった。
 長崎の被爆者が広島より多いのは不自然で、北朝鮮側は「全体像をつかめたわけではない」と説明しているという。
 調査によると、60年代までの死者は87人、70代196人、80年代289人だった。その後、90年代に432人、2000年以降は525人と急増している。
 生存者の内訳は男性228人、女性154人。70歳以下が184人、71-80歳が112人、81歳以上が86人だった。
 原水禁は、北朝鮮など七カ国の代表が参加しマニラで19日に開かれた「日本の過去清算を要求する国際連帯協議会」に参加。北朝鮮側と協議し調査結果を伝えられた。
 韓国の被爆者団体の推計によると、広島、長崎では朝鮮人計約7万人が被爆、うち約4万人が直後に死亡したとされる。


bb ・・・・「強制連行」や「日本の過去清算を要求する国際連帯協議会」など、まったくもって理解できない記事である。
 原爆の被害を北朝鮮として求めるなら、原爆を落としたアメリカに言うべきではないか。
 なぜに、「日本政府に援護を、あらためて働き掛ける」必要があるのか。そして我々の血税をなぜ使おうとするのか。
 またぞろ、強制連行で連れてこられ、そのせいで原爆による被害にあったとでも言うのであろう。
 歴史認識はもとより、北朝鮮に協力する原水禁は日本人の常識からはほど遠い活動を行っている。

 原水禁といえば、こんな活動も行っている。


平成20年4月21日『新潟日報』

 「運転再開は危険」新潟
 柏崎原発反対団体 廃炉求め署名集め

 県平和運動センターなどでつくる柏崎刈羽原発設置反対県民共闘会議は20日、新潟市中央区の古町十字路で、同原発の廃炉を求める署名活動を行った。
 共闘会議は
原水爆禁止日本国民会議(原水禁)と合同で、県内で二十万人分、全国で百万人分を目指して署名を集めている。運転再開の断念と原子炉設置許可の取り消しを求める内容で、七月ごろに東京電力と経済産業省に提出する。
 この日は約二十人が買い物客らにビラを配り、「中越沖地震で原発は大きな被害を受けた。運転再開は危険だ」などと呼び掛けた。署名に応じた同市秋葉区美拳町二、主婦長井せつさん(75)は「東電の説明だけでは、本当に安全なのかどうか心配だ」と話していた。


 原水禁が廃炉運動を行う、反原発団体であることは明白。

 新潟県内には、原子力発電に関わる交付金や税金などの収入によって、市財政の約20%を賄っている自治体がある。それは、わが柏崎市

平成17年度数値
柏崎市歳入
 法人住民税、固定資産税
 使用済み核燃料税
 電源交付金  → 合計 
約90億円
                一般会計の約20%
*ちなみに刈羽村は約50%

 現在の柏崎市長である会田市長は、市長交際費から平成19年になっても原水禁に賛助金など支出している。繰り返し述べるが、市長交際費である。

 平成18年には、柏崎市長として初めて原水禁の大会に来賓出席し、祝辞を述べた
 反原発を主な活動とする団体への支援をしながら、原子力のお金はしっかりもらってきたのである。
 個人のイデオロギーは原子力容認でも反対でも構わないが、政治家としては【筋を通すべき】ではないのか。 

 選挙を迎える今年になって、会田市長は「原子力発電との共生」などと言い出した。
 これは、中越沖地震による支出の増大など現実的なことが見えてきたこともあるだろうが、目的としては革新系であり、反原発であることを隠蔽し、

原子力を市長選挙の争点にしない

ためであろう。

 これを「二枚舌」という。

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