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2008年5月 6日 (火)

チベット問題とパンダが同じレベル?

 長野事変に関して集まった資料を関係マスコミに送ったりし、3時、就寝。

 7時、起床。父と祖父の命日でもあるため、仏間を掃除し、いつ住職が来ても良いように準備する。
 大粒納豆、イカ塩辛、鮭の塩焼き、赤豆味噌で作ったあさりの味噌汁でご飯2杯の朝食をとる。

 今日は、草莽全国地方議員の会、チベットの自由と独立を支持する会、誇りある日本をつくる会が主催する「胡錦濤訪日に抗議する緊急国民大行進」が、東京の銀座にある水谷橋公園からスタートする予定であったが、ご不幸があったため、参加できなかった。都内の知人にはできる限り声をかけたので、多くの人に集まってもらうことを願うのみ。

 10時から弔問。途中、ジャーナリストの水間さんをはじめ、何人かのマスコミや保守論壇の方から電話があり、今日の行進の取材や今後の訴訟について、話し合う。
 今日もしくは明日発売の『夕刊フジ』、明日発売の『週刊 新潮』にも長野事変が掲載される。

 11時過ぎ、一度、自宅に戻ったところ、姪っ子が遊びに行きたいというので、着替えてから、フォンジェ内のキッズマジックに連れて行く。結局、途中で眠くなったようで、30分ほどで引き上げる。

 12時、冷凍うどん、ひきわり納豆に、レトルトカレーで「納豆カレーうどん」を作って、昼食にする。

 再度、服を着替え、13時過ぎから弔問。

 15時、自宅に戻る。甥っ子が「ウルトラマンメビウス」にハマっているので、「メビューム・シュート」ポーズやミクラスの人形を使って遊ぶ。

Img_3025 18時から来客。
 話が長くなったので、一緒に夕食をとろうということになり、冷蔵庫をのぞくものの、食材はなし。仕方なく、冷凍しておいた秋刀魚とイカを使い、秋刀魚の蒲焼き丼、イカのごまドレッシング和えを作って、二品のみで情けないが、夕食にする。

 20時過ぎ、長岡市に移動。すっかり遅刻したが、駅前の某居酒屋での一次会終了の間際から懇親会に参加する。そのまま有志が残って、同場所で二次会。
 24時、駐車場に停めた愛車に戻り、車内で仮眠する。

 今日の「胡錦濤訪日に抗議する緊急国民大行進」には、約480名もの人が集まったと東京都杉並区議会の松浦芳子議員から連絡があった。そして、その後の日本青年館での抗議デモには、4000名を超える人が集まったという。
 こういった国民の声を無視するかのように、福田首相がパンダの話を胡錦涛主席にしたとの報道もあった。
Img_3027  毒ギョーザや東シナ海のガス田開発の件も声を荒げて抗議もせず、どこまでお気楽なのであろうか?
 チベット弾圧が世界で問題になってから、胡錦涛主席は初の外遊である。ここで日本がビシッと言うべきときなのに、
パンダ・・・・しかもパンダはチベット周辺にいる動物である。
 また、胡錦涛主席の来日に抗議しようと集まった民間人を排除したとの報告もあった。やはり、この国はおかしくなっている。
 以下は、民間女性人Oさんからの報告(ご本人からの掲載許可済み)。

 かばうわけではないが、警察官個人もその思いがこちら側と同じであっても、公務として仕方がないところ。問題は、指示する側の事なかれ主義である。



 胡主席と福田首相会食のため、
 公権力によって日本国民が日比谷公園から排除された日

 今日は、午前中、水谷橋公園から日比谷公園へのデモに参加して、その後、こう予定していました。…午後別のデモに出て、夕方6時日比谷公園内、レストラン松本楼に胡錦濤が来て、福田総理と会食するので、その頃日比谷公園に集まろうかと…。
 しかしどうやら複数の情報をきくと、そんなに甘くはないようだったので、有志で話し合い、作戦を練ってほかの人にも連絡して集まってもらうことにしました。
 実際、どこから車が入り、警察がどう警備するのか、全くわからなかったのです。
 
午後3時の時点で早々に、警察は日比谷公園の中心部にあるレストラン松本楼一帯の公園の一部を立ち入り禁止にしました。
 そのうち、日比谷公園のあちこちの門で入場規制が始まっているらしいという知らせが入りましたし、異様な数の警官、私服警官がいましたが、まだ松本楼前の噴水広場その他の禁止区域以外には、多くの一般国民がいました。
 抗議行動を行なおうとする人々は、正確な数は動員をかけたわけではないので分かりませんが、午前中のデモの参加者、日本会議や日本協議会のメンバー合わせて40名ほどだったでしょうか。私達は、胡錦濤の車がきたら、松本楼に向かって、「胡錦濤、帰れ!」と北京語で叫ぶつもりでした。
 そして、私をはじめ私達の中の数人が立入り禁止ロープの前にいたところ、警官達が、立入り禁止区域を広げるから出て行けと言ってきたのです。

「さっきまで、このロープの外側にいるのならいい、と言ってたじゃないですか?!何故、追い出すんですか?理由を言って下さい」

「とにかく、お願いしますよ。私達に言ったってしょうがないんですから」

「嫌だと言ったら、逮捕するんですか?!」

というような押し問答が始まりました。(その後、非常な騒ぎになったので他の方がどういう発言をしたのか分からないので、以下、私の言葉だけを書きますが、他の人たちも口々に公権力による強制に対して、抗議の言葉を仰っていました。
 私は座り込みをしても退かない気持ちでしたし、実際に座り込みをしたのですが、一緒に来ていた方の中のお一人が、「ちょっとだけ(日比谷公園寄りに)退くだけだから、退きましょう」と言われたので、仕方なく立ち上がり、(その頃までにはロープの前にずらりと並んだ)警官たちに対して、「一体、どこまで退けばいいのか、ちゃんと示して下さいよ。日本は民主国家でしょう?公園から国民に出ていけというんですか?ここは天安門広場ですか?!」などと言いました。
 警官達はハッキリとは答えず、「そこまでですから・・・」と言うばかりなので、私達の何人かが(私も含めて)、多人数で押してくる警官たちに、体で抵抗しました。しかし、既にマスコミが陣取っていた所あたりまでというニュアンスだったので、そこまでだろうと思っていました。
 しかし、違っていました。
 警官たちは、私達を、腕力で押して、公園の隅に追いやろうとしたのです。
 その間、中国(本人達は香港メディアだと言いました)のメディアが、ビデオカメラで私達の顔のアップも含めて撮影し始めました。
 しかしこれに対しては、警官たちは、何も規制しませんでした。「私達を暴力的に追い出して、どうして中国のメディアに注意をしないんだ?!」と口々に抗議しました。
 その後は、警察から小突かれ叩かれしながら、みんな怪我をしながら、どんどん公園の隅っこまで追いやられて行ったのです。私達も、勿論、体でも口でも抵抗しました・・・。
「暴力を振るったわけでもなく、暴力的に何かをしようというのでもない私達を、何で排除しようとするんですか?!どこまでを禁止区域にしようとするんですか?!」そういう言葉に、「日比谷公会堂あたりまで」という声が聞こえたので、(日比谷公会堂は公園の端っこにあります)「冗談じゃない!」と思いながら押されて排除されないように抵抗しました。
 
そのうち、シュプレヒコールが私達の中で始まりました。
 「フリーチベット!」「フリーチベット!」
 そう叫びながら、私達は、なおも、スクラムを組みながら、或いは横断幕を盾にしたりしながら、警官たちが押す力に負けないように、抵抗を続けました。
 押されて転びながら、涙があふれて来ました。何人かの人が、「体、大丈夫?」と私を気遣ってくれたのですが、体が痛かったのではありません。ものすごく心が痛かったのです。気付くと、日比谷公会堂まで押されて来ていました。それで警察の暴力も終わるのかと思ったら、今度は警察に囲まれ始めたのです。
 そして、そのまま、私達は公園の外まで追い出されてしまいました。
 警察の暴力が終わったとき、私達を排除した警官達は、公園の門にずらりと並んで、私達に対峙していました。
 その間、20分ほどの時間だったのかと思っていましたが、警察の暴力的排除と私達の抵抗は、50分もの時間に亘っていました。
 私達は、公園の外の道から、拡声器を使って、胡錦濤と福田首相への抗議の声を上げました。そして、警察の公権力による、公共の場からの私への強制的排除に対しても抗議しました。
 帰りの電車の中でも、私は涙がずっと止まりませんでした。
 東シナ海ガス田開発問題、チベットで中共による虐殺事件、毒餃子事件等々、日本政府は、何ひとつ、主権国家たる抗議の声を上げて来ませんでした。
 胡錦濤のために、国民・都民の憩いの場である日比谷公園から、国家が日本国民を排除するのは、中国に朝貢外交を行なっている日本政府と中国との力関係の縮図だったのです。
 目の前にいる「おまわりさん」達に何を言ってもむなしいだけ、何も出来ないことに私は心が痛くて、涙が止まりませんでした。
 今、私は体もあちこち痛いのですが、何もヒロイズムで警察に抵抗したわけではありませんし、暴力が好きなわけでもありません。
 頭の片隅には、尊敬する三島由紀夫の、「守るとは剣の論理だ」という言葉がありました。知行合一という言葉も浮かびました。
 虚しいけれども、日本の国民として、国を守る、国土を守る、主権を守ることを、身を持って行なわなければならないのは今この時であると思ったからです。
 他の方々も同じ思いだったでしょう。
 この私達の抵抗と抗議は、状況に何の変化も齎さないでしょう。
 しかし、日本国民の抗議と抵抗の思いが、日本政府や日本の国民、そして中国政府に少しでも届いてくれれば、何かが少しだけ変わるかもしれないじゃないかとも感じています。

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