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2008年5月20日 (火)

「支那」は世界の共通語

 3時、就寝。

 7時、起床。大粒納豆、鯖塩焼き、ほうれん草のおひたしでご飯2杯の朝食をとる。

 8時から市内まわりと国の某機関との連絡調整。今週末からの台湾出張に関して、必要な資料を取り寄せる。

 11時から市内某所で政治に関する打ち合わせ。

080520_dvc00001 13時過ぎ、十日町市議会の庭野茂美議員をはじめ十日町市の皆さんが柏崎刈羽原子力発電所の見学に訪れるとのことで、お迎えの挨拶に伺う。
 『新潟日報』のような偏った一方的な記事を丸呑みにせず、とにかく現場を見てもらうのが一番である。

080520_dvc00002 14時、待ち合わせの方との中間点ということで、 「マクドナルド 8号線柏崎店」にて、打ち合わせ。
 まだ昼食をとっていないこともあり、コーヒーのみの先方の方には申し訳なかったが、 「チーズカツバーガーセット」で昼食にする。かなり油っぽいので、腹持ちが良さそうである。

 15時過ぎに移動。16時から長岡市内の某所で会社関係のプレゼンテーションを行う。

 18時、柏崎に戻り、市内某店での懇談会に出席。

 色々なお話もあったものの、21時近くに市内の某スナックに移動しての二次会となった。カラオケでは、『若鷲の歌』『ウルトラマンレオ』『真っ赤なスカーフ』、バラバラのジャンル。そして初挑戦の『東京』など。

 23時、自宅に戻る。

 「三井田は、中国を支那と言って差別している」とまことしやかに言われているそうであるが、これは以前に柏崎市議会の議場において社会クラブから私への指摘で紛糾し、地元新聞『柏崎日報』にも書かれたこと(柏崎市議会の支那事変)によるものであろう。
 四川大地震の話題がでているなか、それに乗じて私を叩こうとでもいうのであろうか。

 日本以外の国では、支那を語源する言葉をきちんと使っている。現に英語のチャイナもそうである。


平成20年5月14日『産経新聞』

【私の正名論】評論家・呉智英
「支那」は世界の共通語

 必ずや名を正さんか。孔子の言(げん)だ。名は言葉。言葉が正しくないと社会も文化も混乱してしまう。迂遠(うえん)なようでもまず名(ことば)を正す(正名)のがすべての基本である。
 その孔子の故国に批判が噴出している。農薬まみれの野菜、毒入りギョーザ、少数民族抑圧、過剰な愛国主義…。批判も当然。私はこれに同調する。しかしまず名を正すべきだと思う。
 昨夏、中国食品という会社が倒産した。健全な経営の食品会社であったが、農薬汚染食品の輸入会社だと誤解されて製品が売れなくなったのだ。この会社は広島にある。社名が中国食品で何の不思議もない。中国放送、中国新聞、中国電力、中国ガス、中国銀行…これらは全部日本の中国にあって、支那にあるわけではない。知名度の高いこれら公共企業であれば特に誤解も起きないが、それ以外の、岡山や広島や山口など中国にある中国何々といった会社や団体がみんな迷惑している。中国は「中国」、支那は「支那」とすれば、こんな混乱は起きるはずはない。中国食品も倒産などせずにすんだのだ。
 この混乱の責任はどこにあるのか。第一に「中国」を日本に対してだけ強要する支那。第二に、この異常な主張に諾々(だくだく)として従い、言論機関にこれを強制した昭和二十一年当時の外務省。第三に、この言論抑圧に屈するのみならず、これをなにか「民主的な」改革だと正反対に勘違いしている自称良識人たち。この三つが連動して混乱をもたらしているのである。

 詳論(しょうろん)しよう。

 まず第一の点。「支那」禁止は理不尽な言いがかりである。「支那」という言葉は最初の統一王朝の「秦(しん)」に由来し、世界中でその近似音で支那を呼んでいる。支那人自身が支那を「支那」と呼んだ記録もあり、清朝の公的文書にも「支那」は出てくる。しかし、かつての朝貢(ちょうこう)国である日本には自分たちを世界の真ん中にある国「中国」と呼ばせたいのである。

 第二の点。「支那」が抹殺されたのは、戦後の混乱期である昭和二十一年六月の外務省次官・局長通達による。支那は形式上アメリカを中心とする連合国の一員であり、日本に対して戦勝国である。その力関係を背景に「中国」を強要してきた。外務省は従順にそれを受け入れ、各言論・報道機関に「支那」を禁止し「中国」を使うように通達を発した。その中にこんな文言がある。「今度(このたび)は理屈抜きにして先方の嫌がる文字を使はぬ様(やう)に」。占領下では、正当な理屈さえ禁じられていたのである。

 第三の点。明白な言論弾圧を、自称良識人たちは、侵略戦争への反省や民族差別解消の名目で歓迎した。二十世紀末まで支那を植民地支配していたイギリスでもポルトガルでも「チャイナ」「シーナ」と呼んでいることを知らないふりで。また「中国」が差別的な自国中心主義を意味することも知らないふりで。そもそも外務省通達の存在を、これは本当に知らないのである。

 私は四十年前の全共闘の学生だった頃(ころ)からこの不合理を批判し、支那は「支那」だと言い続けてきた。最近やっと「支那」解禁の動きが出てきた。六十二年前の言論抑圧通達は無効だと外務大臣に言わせる議員はいないのだろうか。(くれ・ともふさ)

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