第三師団創立47周年
千僧駐屯地創設57周年記念行事
1時、ホテルに戻り、シャワーを浴びたのち、就寝。
6時、起床。
自衛隊の活動をはじめ、『フライデー』誌上での激写などで知られる【不肖・宮嶋】こと、宮嶋茂樹氏から最新の著書『不肖・宮嶋 戦場でメシ喰う! これがホンマのミリメシや-。』を頂戴したので、湯船に浸かりながら読破。相変わらず面白い内容であり、かつゲ○の話など生々しい。
8時、身支度をしたのち、ホテルのロビー1階で、小さめのおにぎり三個、味噌汁で朝食をとる。
昨日、飲み過ぎ、食べ過ぎだったせいか、味噌汁が胃に染みいるように美味く、2杯飲む。
腹ごなしにホテルの前をウロウロとする。
夜の町並みとは違って、天気の良い朝にアヤシー建物が目立つ。
色々な建物やお店の看板があったが、最高傑作は夜のお店の案内を行う場所
「名案内コナン」
であった。
また、ホテルの前には平和地蔵尊があり、紹介板には次のような説明があった。
この地蔵尊は今を去る約七拾数年前この地に鏡ヶ池ありその池に幼な童が溺れしと伝えられ母親の我が子を思う念願から安全の守護尊として人の伝えしものきくその後大東亜戦争の為この地は荒野と化し当OKビルの御厚意に依この地に終戦後有志の者にて平和地蔵尊と名付ここに御安祭致せしものなり
昭和四十三年十一月
「太平洋戦争」ではなく、きちんと「大東亜戦争」と表記されていた。
ホテルをチェックアウトし、JR伊丹駅で久野潤氏と待ち合わせをしたのち、陸上自衛隊第三師団千僧駐屯地に向かう。
今日は、第三師団創立47周年及び千僧駐屯地創設57周年記念行事。前回、地元5町内会から感謝状をお預かりし、本駐屯地に伺った際、記念行事の事をお聞きし、柏崎の被災者1名、久野潤氏とともに訪れた。第三師団からご支援頂いた柏崎市内の被災者も多くご招待されたが、都合がつかないということで、僭越ながら代表としての意識ももって訪れた次第である。
受付をしたのち、10時20分から観閲式が開始。
国会議員や第三師団警備範囲である近畿二府四県(滋賀県、京都府、大阪府、兵庫県、奈良県、和歌山県)の自治体関係者、観閲官たる第三師団長 関口陸将が入場し、その後に「栄誉礼」となった。
現在の「栄誉礼」は、昭和61年に故・黛敏郎氏が作曲したもので「栄誉礼冠譜」と「祖国」と2つの部分で構成され、「栄誉礼」を受ける人の階級によって、冒頭の「栄誉礼冠譜」の回数が違う。
ちなみに故・黛敏郎氏は、日本会議の前身「日本を守る国民会議」の議長を務められていた。
*上記、動画は4回バージョンで音声はあと乗せ
国会議員や二都四県の自治体関係者による挨拶に続き、「塩爺」こと元・衆議院議員 塩川正十郎氏が「第三師団を励ます会会長」としてご挨拶された。
塩爺は、大東亜戦争時には学徒出陣しており、昭和18年10月21日に明治神宮外苑競技場で開催された「出陣学徒壮行会」にも参加。のちにこう回想されている。
「(東條首相の激励を)一生懸命に聞いたよ。
会場はシーンとして、静寂だった。
規律はしっかりしていた。
戦争は誰しも嫌なことと分かってはいても、
祖国のためだと考えていた。」
そして、信太山駐屯地にあった陸軍・野砲第四連隊に入営されたそうである。
観閲式には、ご当地、千僧駐屯地(兵庫県伊丹市)の第3師団司令部および同付隊、第3後方支援連隊、第3通信大隊、第3偵察隊、第3特殊武器防護隊、第3音楽隊、福知山駐屯地(京都府福知山市)の第7普通科連隊、伊丹駐屯地(兵庫県伊丹市)の第36普通科連隊、姫路駐屯地(兵庫県姫路市)の第3特科隊、第3高射特科大隊、今津駐屯地(滋賀県高島市)の第3戦車大隊、大久保駐屯地(京都府宇治市)の第3施設大隊、八尾駐屯地(八尾空港)(大阪府八尾市)の第3飛行隊、そして信太山駐屯地(大阪府和泉市)の第37普通科連隊が観閲を受けた。
天気も暑かったが、佐藤副師団長(陸将補)以下による観閲行進がアツく、第37普通科連隊は柴田連隊長以下、第五中隊が気合い入りまくりであった。
観閲式ののち、11時40分から訓練展示。
74式戦車、FH70(155mm榴弾砲)による大きな音がする空砲射撃に加え、格闘訓練展示など、多くの来場者が驚きの声をあげていた。
*上記、『陸軍分列行進曲(扶桑歌)』はあと乗せ
訓練展示も終わったところで、先日の長野事変の写真などを提供し、チャンネル桜にもご出演頂いた「不肖・ふーてん」さんにお会いし、ご挨拶。アツい方で、海上自衛隊の基地モニターもやっていらっしゃるとのことであった。
会場を体育館に移し、12時40分から記念会食。
千僧駐屯地司令でもある佐藤副師団長(陸将補)のご挨拶のなかで、中越沖地震への災害派遣、そして我が柏崎市にも触れて頂き、
「今日は遠く、柏崎から
被災者を代表して三井田議員がお越しになっています」
とのありがたいご紹介も頂き、感謝感激であった。
会食中は、現在は第三師団勤務で先の災害派遣時には第37普通科連隊にいらっしゃったM師団最先任上級曹長をはじめ、自民党・川条しか衆議院議員、以前に自民党新潟県連青年部でお会いした自民党・中山泰秀衆議院議員など、多くの皆様と懇談させてもらう。
中山議員は、
「ご無沙汰しております、柏崎の三井田です」
「おおぉぉ~納豆の・・・・」
と相変わらず名前は覚えてもらえず、「納豆」のイメージのみである。
ありがたいことに何人かの名刺交換をさせてもらった方からは、大阪のローカル番組
MBS毎日放送「ちちんぷいぷい」
讀賣テレビ「大阪ほんわかテレビ」
などに出演したものを見ていた下さった方もいらっしゃった。
*写真は、第三師団、千僧駐屯地記念日本酒ボトル
面白い出会いもあった。柏崎のご出身で現在も『越後タイムス』など地元新聞に慰霊の旅などの寄稿をされている須田一彦氏にバッタリ会ったのである。
色々な近現代史のお話もしたが、何よりもインドへの慰霊の旅を企画しようという話でまとまった。旧軍・高田歩兵第五十八聯隊として、インパール作戦に出征された我々柏崎の先輩方は、未だに異国の地に眠っており、遺骨もそのままである。
現地コヒマの方々は日本軍への感謝を述べているなか、戦後のGHQによる「日本がすべて悪かった」という洗脳に我々日本人がハマったお陰で、先人の事をすっかり忘れている。せめて故郷・越後の米と酒を持参し、現地でまいてこようという企画である。須田氏もご親族がインパール作戦で戦死されており、話の最後には涙を流されていた。
今年中は無理としても、来年中には実施したいものである。
その後、某企業副社長のご紹介により、製造業など数社の経営者と名刺交換をさせてもらい、ちゃっかり柏崎フロンティアパークの売り込みも行う。
15時、陸上自衛隊第三師団千僧駐屯地をあとにし、帰路に着く。
19時、富山県にて、「白海老かき揚げうどん 560円」で夕食をとる。白海老のかき揚げは大好物。揚げたてのカリカリした天ぷらも良いが、関西風のだしでモロモロになったところに潜む白海老も捨てがたい。安い立ち食い蕎麦屋でのかき揚げは、海老かと思うと大抵は紅しょうがである。
21時、自宅に到着。風呂に入ったのち、FAXや手紙などの返事を書きつつ、大粒納豆2パックをつまみに、ビール500mlを3本。
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