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2008年7月

2008年7月31日 (木)

サムエル・フォール卿来日募金
第7回新潟交流委員会

 1時30分過ぎに帰宅し、シャワーを浴びた後、3時に就寝。

 7時、起床。大粒納豆、目玉焼き、ウインナソーセージ、フルーツトマトでご飯2杯の朝食をとる。

 8時過ぎ、事務所に来客。進路に関する相談を受け、2時間ほど話し込む。

 11時過ぎから、市内某所での打ち合わせ。

 12時前、横浜市議会のまちづくり調整・都市整備委員会の皆様がお越しになられたので、昨年震災ボランティアにお越し頂いた酒井誠議員をはじめ、議長、前議長にご挨拶させて頂き、ご紹介した食事場所である「ろくべえ」(電話:0257-28-6200)で、再度、委員会メンバー全員に柏崎にお越し頂いた御礼のご挨拶。

 一度、自宅に戻り、昼食として生卵、挽き割り納豆で冷やご飯をかっこむ。

 先に本ブログでも紹介したサムエル・フォール卿の来日について問い合わせがあり、チャンネル桜や『敵兵を救助せよ!』著者の恵隆之介氏に確認をとる。
 サムエル・フォール卿の来日は7月中で計画していたが、なかなか進まず、現時点で10月になるとのことである。
 来日支援のための活動は引き続き行っているとのこと。

 【 振込先 】
 ゆうちょ(郵貯)銀行
 普通01740-6-135085
 口座名 サムエル・フォール卿来日支援基金

 愛車で長岡市に移動し、14時から長岡市内某社で仕事関係の打ち合わせ。

Img_4275 会議終了後の16時、見附市に向かって移動し、17時、 「グランドール四季」 (電話:0258-63-5135)に到着。
 17時30分から、2008年日本青年会議所・北陸信越地区・新潟ブロック協議会、新潟交流委員会のスタッフ会議を行う。
 18時30分から委員会メンバーを含めた、第7回新潟交流員会を開催。本年9月13日に予定されている会員大会についての詰めを行う。

 20時過ぎに委員会終了。その後、同会場で見附青年会議所から出向しているメンバーがセッティングしたガンバロウ会があったが、打ち合わせがあるため、申し訳なくも欠席する。

 愛車での移動途中、コンビニで納豆巻き1本、たまごサンドイッチ、低脂肪乳を夕食としてとる。

 21時30分、新潟市に到着。某ホテルのロビーにて、雑誌関係者と1時間ほど打ち合わせを行う。

 24時、自宅に到着。

2008年7月30日 (水)

泉田裕彦後援会柏崎支部設立準備会
JC褒賞事業第6エリア審査会

 4時から5時30過ぎまで仮眠したのち、シーユース雷音前の海岸まで移動。

Img_4258  6時から柏崎準倫理法人会の事業として、「海にありがとう」海岸清掃を約1時間行う。
 煙草の吸い殻が特に多く、また花火もやりっ放しで放置されているゴミが目立った。ただただマナー、モラルの向上を願うばかりである。

 7時過ぎ、自宅に戻り、大粒納豆、笹かま、がんもの煮付けでご飯2杯の朝食をとる。

 8時から9時過ぎまで、市内某氏宅にて相談業務。

Img_4266  9時30分、市役所に移動し、厚生常任委員会での提案を委員会メンバーに送ったのち、10時から議会運営委員会に出席する。
 今日の議題は、第6回原子力サミット、東村山市議会との交流、そして議会のあり方、議会費のあり方についてであった。
 議会の在り方については、所属会派・整風会を代表し、そしてまたこれまで自分としても主張してきたとおり、

080730_kaiha  議員定数5名減で25名

を提案した。5名減では、三井田は落選ではないか、とのツッコミを頂いたが、自分の事よりは信念に従って議員定数の大幅な削減案を提出した。
 今日一日で議員報酬を含めた議論が乾くことはなく、次回は8月19日となった。

 12時、事務所に戻り、ひきわり納豆をのせたトースト二枚と低脂肪乳で昼食をとりながら、事務仕事。

Img_4267  13時30分、商工会議所に移動し、泉田裕彦後援会柏崎支部設立準備会に事務局担当として出席する。
 現時点で、知事選挙の対立候補は、共産党系として県労働組合総連合(県労連)議長の山崎栄三氏(64)が表明をしており、民主党は泉田知事を支援するのか、対立候補をだすのが決断せず、グズグズしている。
 泉田知事ご自身は昨日、自民党本部総裁室にて福田首相から推薦状を受け取っている。

 15時、愛車にて、上越市に向かう。

Img_4271  16時過ぎ、「料亭 やすね」(電話:0120-247125)に到着。準備をしたのち、18時30分から2008年日本青年会議所・北陸信越地区・新潟ブロック協議会、新潟交流委員会の褒賞事業、第6エリアの審査会がスタート。
 審査員は、青年会議所内部として(社)上越青年会議所の嶋津理事長、 (社)新井青年会議所の東條理事長、 (社)奴奈川青年会議所の安田理事長、外部審査員として上越市から産業観光部長、妙高市から副市長、糸魚川市から収入役、上越商工会議所副会頭(JCOB)、新井商工会議所会頭、糸魚川商工会議所会頭、くびき野NPOサポートセンター秋山代表、株式会社 まちづくり新井社長(JCOB)の皆様。

Img_4273  19時40分に、審査会は無事に終了。
 引き続き、同会場で20時から懇親会となり、青年会議所内に限らない色々な情報交換をさせてもらった。
 上越市はもとより、糸魚川市など鉄道問題は深刻であり、行政関係者と地元経済人がタッグを組んで取り組むといった意気込み。新潟県縦貫高速鉄道のためには柏崎がキーとなるはずなのに、柏崎の無策ぶりが申し訳ない限りであった。

Img_4274  22時、中締め。
  「接待の上越青年会議所」と言われるように、「このままでは返さん!」状態となり、2次会会場に移動となる。
 名物という「とんかつ梅林」(電話:025-524-3988)のトンカツ、かつサンドを持ち込み、ウーロン茶で楽しむ。上越青年会議所の飲み会では、最後の最後にこのトンカツでシメるそうで、太って仕方ないというのも納得である。

2008年7月29日 (火)

全員協議会(原子力安全・保安院)
原子力施設に関する調査対策委員会の検討状況

 1時過ぎ、事務所に戻り、酔っていてもできる事務仕事を中心に2時間ほど作業。3時に就寝する。

 8時、起床。大粒納豆、がんもの魚醤焼き、なめこおろしでご飯2杯の朝食をとる。頂き物の野沢菜の古漬けが美味い。

 9時、事務所に来客。柏崎に来られてから苦労されていることなど、2時間ほどお話をお聞きする。

 12時、残り物を整理するために、冷蔵庫にあった揚げ物や練り物、野菜などをごった煮にした、おじやで昼食をとる。

Img_4252 13時、市役所に移動し、会派室で軽く情報交換を行ったのち、13時30分から全員協議会に出席。
 原子力安全・保安院による原子力施設に関する調査対策委員会の検討状況の報告であった。
 災害発生の原子力施設状態について、情報周知の遅れから批判を浴びえていた原子力安全・保安院であるが、モバイル保安院という携帯メールでの迅速な情報発信の試みを行い、現在3500名の登録があるとのこと。
 また、さすが一流の学者が集まったワーキンググループでの指摘には勉強させられることが多く、もっと幅広く勉強する必要を感じた次第である。
 質疑応答の時間では、原発反対派の社会クラブをはじめ、質問にもならないような質問、そして質問したという実績を残すための質問などがお約束のように続いた。
 しかしながら、こういった場では廃炉を求める声をあげない。議会の外では勇ましく、廃炉活動などというが、こういった場では言わないのが不思議である。

 16時近く、全員協議会が終了し、そのまま市内まわり。

Img_4254_2  18時30分過ぎ、自宅に戻り、妹が作った手羽先餃子などで夕食にする。
 家族で一緒に食事をとれるときには、なるべく祖母に話しかけるようにしているが、会話が成り立たない事が増えてきた。
 今日お泊まりする甥っ子や姪っ子が、「おっきいばぁーちゃん」と話しかけても、あまり反応がない。

 20時、事務所に来客。2時間ほど、仕事関係の話をする。

2008年7月28日 (月)

ありがとう、高橋翼君
そしてお疲れ様でした。

 やらなければならない仕事が多いのに、なぜか読書がしたくなり(逃げ?)、チャンネル桜での番組として放送している、西尾幹二先生の『GHQ焚書図書開封』を再読。読み始めると止まらず、4時、就寝。

 8時、起床。大粒納豆、焼きたらこ、鯖のへしこでご飯2杯の朝食をとる。
 食後、新聞各紙を広げたところで、高橋翼君が亡くなったというニュースを発見。驚くとともに悲しみもさることながら、「お疲れ様でした」という気持ちでいっぱいになった。
 翼君には、「風の陣」をはじめ、柏崎市内の多くのイベントに協力してもらい、そしてイベントに来てくれた色々な方に命のメッセージを残してくれた。
 議会日程があり、ご葬儀には行けないため弔電のみとなってしまったが、とにかくご冥福を祈りたい。


平成20年7月28日『産経新聞』

 筋ジス歌手 高橋翼さん死去

<新潟>難病の進行性筋ジストロフィーを抱えながら、命の大切さを訴える音楽活動を続けてきた高橋翼さん=新発田市五十公野が27日午前2時47分、慢性心不全のため、入院先の柏崎市内の病院で亡くなった。22歳の若さだった。
 翼さんは3歳で、次第に筋肉が萎縮(いしゅく)する進行性筋ジストロフィーと診断された。同じ病気の仲間の死に直面するうちに、命の大切さや共生社会の実現を訴える歌手になることを志し、平成14年から音楽活動を始めた。18年10月に肺炎で心肺停止に陥ったが、奇跡的に回復。今年2月に県弁護士会から人権賞を受賞し、活動再開を目指したが、3月から体調を崩して退院が延びていた。
 翼さんは心機能が弱って苦しいときも、「あきらめない」「頑張る」と繰り返していたという。母親の美鶴(みつる)さん(44)は「お疲れさま。よく頑張ったねと褒めてあげたい」と涙ながらに話した。
 翼さんの通夜は29日午後7時から、葬儀・告別式は30日正午から、新発田市本町3の1の2、セレモニーホールあやめで。喪主は美鶴さん。


 9時から事務所でクリップしておいた新聞記事を整理し、その後、市役所に行き、コピー作業。中越沖地震発生からの1年間の柏崎市政の動きを確認する。

Img_4251 途中、14時過ぎに自宅に戻り、小粒納豆2パック、オクラ、しらす、卵白3個の納豆丼をかっ込み、昼食をとる。
 食後、再度市役所に行き、19時近くまでコピー作業やカテゴリー分けなどの単純作業を行う。

20080728203350 20時、事務所にて、冬の柏崎観光も視野に入れたイベント企画の打ち合わせ。若干の話をしたのち、もっと自由な発想で話を膨らませるため、「やきとり大吉 柏崎店」(電話:0257-21-4655)に移動。
 鶏のレバー刺しややきとりを生ビールで流し込みながら、企画内容をつめる。

Img_4255 22時過ぎ、かなり盛り上がってしまったので、そのまま2次会のカラオケに移動。
 かなりマニアックな曲もあるカラオケの機種だったので、幼稚園のときにはじめて父親に名曲堂で買ってもらったレコードのB面の曲『無敵超人 ザンボット3』エンディングテーマ「宇宙の星よ永遠に」(作詞:日本サンライズ企画室 作曲:渡辺岳夫 編曲:松山祐士)を歌った。
 『無敵超人 ザンボット3』は、人間爆弾というかなり際どいシナリオをはじめ、壮絶な最終回などトラウマのように残るアニメであった。

もう 帰ることない 宇宙の星よ
さらば さらば もう 逢えはしない
けれど 涙は いらない
ぼくらには 母がいる 父がいる
平和で 豊かな 地球がある
輝け! ぼくらの星よ 永遠に輝け

もう 戦いはない 緑の大地よ
走れ 走れ 風よりも 速く
そして 微笑 忘れず
僕らには 愛がある 友がある
正義と 勇気の 仲間がある
輝け! ぼくらの星よ 永遠に輝け

2008年7月27日 (日)

36歳、孤独の誕生日
ウルトラマンメビウス「時の海鳴り」

 3時、就寝。

 7時、起床。大粒納豆、目玉焼き、アジの開きでご飯2杯の朝食をとる。

 8時から11時まで市内まわり。

Img_4249 11時過ぎ、自宅に戻り、お泊まりしている甥っ子と姪っ子と一緒に食べるため、鮭とちりめんじゃこで炒飯を作り、昼食にする。
 甥っ子が、「ウルトラマンメビウス」にでてくる地球防衛チーム「GUYS」にすっかりハマっているので、「GUYS炒飯」だと言って食べさせる。
 甥っ子と一緒に見ていた「ウルトラマンメビウス」であるが、名シナリオも多く、ウルトラマンレオが好きな身としては第34話「故郷のない男」(公式サイトが最高と思うものの、第23話「時の海鳴り」(公式サイトも綺麗にまとまっており、印象深い。
0809_book_home 先日、チャンネル桜の水島社長に、「戦わないウルトラマン」としてウルトラマンコスモス、昭和のウルトラマンを継いだウルトラマンメビウスなどの話をしていたら、今日発売の『月刊WiLL』のコラムにその事をお書きになっていた。
 また特別対談で、東條由布子さんとアルピニストの野口健氏が「百十六万の遺骨を見捨てた厚労省」として、遺骨収集のことを話されていた。御国のために戦った兵士の遺骨をそのままにしている先進国は、日本だけである。
 そして、我々柏崎市民の先輩もインパール作戦でのコヒマをはじめ、多くの方がいまだ祖国・日本に帰れずにいる・・・・・。

 14時、事務所に来客。選挙関係の打ち合わせなど。

 15時過ぎ、愛車で新潟市に向かうが、休日のためかとにかく道が混んでおり、17時までに到着できず。携帯の調子が悪く、電源が落ちることが多い。

 遅刻したものの、自民党新潟県連の応接室で、青年部の街宣活動や今後のイベント企画などを話し合う。

 19時近くに打ち合わせが終了。夕食でも一緒にということになったが、自宅で祖母独りという状態になっていることを思い出し、失礼させてもらった。

Img_4250 途中、買い物をしながら、20時過ぎに自宅に到着。
 須坂屋のへぎ蕎麦、乾麺200gとひきわり納豆を入れたつゆで夕食をとる。
 よく考えたら、今日は誕生日であり、36歳になった。
 昨年の震災最中の誕生日よりは多少マシではあるが、孤独な独り蕎麦の誕生日であった。

 全国若手市議会議員の会をはじめ、保守系若手議員の活動でも一緒に行動した、兵庫県太子町の上山隆弘氏が、31歳(昭和51年生まれ)という若さで町長選挙に打ってでたが、残念なことに以下のような結果となった。
 次回も是非、頑張ってもらいたいと思う。

有権者数:26423人
投票者数:14040人
投票率 : 53.14%   

当 8009 首藤 正弘 (62)無所属 現
  5267 上山 隆弘 (31)無所属  新
   485 野々村竜太郎(41)無所属  新

2008年7月26日 (土)

2008ぎおん柏崎まつり
震災復興、海の大花火

 会社の決算などに手間取り、4時に就寝。

 8時、起床。大粒納豆、目玉焼き、シラスおろし、オクラのサラダでご飯2杯の朝食をとる。

 9時から12時過ぎまで、市外からこられた方のご案内。ちょうど1年前に震災ボランティアに来て頂いた方々である。

 昼食をとるお店を何軒かご紹介したのち、一旦、事務所に戻る。

 差入れの茄子ミートソーススパゲティで昼食をとり、再び、13時から16時まで柏崎市内の案内。施設より自然が見たいとのことだったので、米山町や笠島をご案内する。

 16時過ぎ、事務所に戻ったところで来客。市長選挙や今後の市政のことなど、1時間ほど懇談する。

Img_4186  その後、ホテルまでお迎えに行き、市外からのお客さんを花火が見えるところまでピストン輸送。
 とにかく車が混んでおり、駐車マナーが悪い車が多い。市外から多くの観光客の皆さんに来てもらうのはありがたいが、マナーが悪いのは勘弁である。中央地区の某氏のご自宅前には、群馬ナンバーの車が無断で停めてあり、夜勤に出勤するために車を出そうにも出せないといったお話も聞いた。
 シャトルバスの運用方法、そしてさらに根本的なことまで言えば、柏崎市内の道路計画が本当にこれで良いのかよく考える必要がある。
 駅周辺のまちづくりも重要であろうが、観光自治体としての地位を築くのであれば、優先順位も若干変わってくるであろう。
 また、障碍をもっている方や高齢者への配慮も、他の自治体の事例をよく調査し、先んじたことをしても良いかと思う。

 人出:21万5000人(実行委員会発表)

Img_4248 結局、花火はほとんど見ることなく、ご案内と渋滞、そして何故か苦情の処理で終わり、21時、やっと自宅に戻る。
 ビール500ml4缶、だだちゃ豆納豆を入れた蕎麦つゆで、山芋そばをたぐり夕食にする。

2008年7月25日 (金)

2008ぎおん柏崎まつり
たる仁和賀無念の中止

 3時、就寝。

 8時、起床。大粒納豆、塩鮭、もずく酢、あさりの味噌汁でご飯2杯の朝食をとる。

20080725141329 会社の決算もあり、午前中は市内で各種の雑用や選挙に関する打ち合わせ。色々な町内の山車とすれ違い、元気な子供の姿がほほえましい。
 途中、電話を何本が頂き、会田市長の選挙事務所開きの情報が入った。案の定、選挙事務所には革新系の議員が集まっており、支持者は200人も集まっていなかったという。その支持者という数も、私に電話をくれた方のような、とりあえず現職市長を応援するか、といった感じで参加したものの、現場に革新系議員が多く来ていることに驚き、「やっぱ応援するのや~めた」の方もいる。
 選対本部長に自民党籍をもつ元市議がつき、保守の色をだそうとしているが、本質は変わらない。

 12時、一度、自宅に戻り、冷凍うどんとひきわり納豆で納豆うどんを作り、昼食をとる。

 13時から事務所で打ち合わせ。

080725 14時過ぎ、再度、市役所に移動。
 印鑑証明などをとる用事があり、身分証明も必要だと思い、印鑑証のほかに保険証も持参したところ、今年5月1日から写真のない証明書の場合は2点必要だとのことであった。そ、そんなアナウンス何時あったであろうか。
 とりあえず、住所記録などから本人確認はしてもらったが、今後は写真付き身分証明でないと確認できない、などもっとハッキリした形にしてもらいたいものである。

 16時、一旦、事務所に戻ったのち、市外からお越しになっている方をホテルまで迎えにいき、市内を案内後、たる仁和賀の見学など、19時までご案内する。
 マズイ天気だと思っていた矢先、突然の大粒の雨、無念の中止である。あわてて、車や傘の用意をし、ホテルまでお送りする。

Img_4241 21時近く、やっと自宅に戻り、ひきわり納豆、合い挽き肉、生中華麺で納豆肉味噌汁なしラーメンを作って夕食にする。胡麻油を多めにかけてみたが、香ばしさが目立ってなかなかの出来映えであった。
 食後、1時間ほど長風呂に入り、風呂上がりにビール500ml四缶を一気に飲み干す。

2008年7月24日 (木)

2008ぎおん柏崎まつり 民謡街頭流し
上越市、竹島問題で訪韓中止

 3時、就寝。

 7時、起床。大粒納豆、車麩の煮物、トマト、板わさでご飯2杯の朝食をとる。

 8時、愛車で長岡駅に向かう。9時過ぎ、東京からお見えになった4名の方をピックアップし、山本五十六公園や模擬原爆「パンプキン」の投下地点など午前中は、長岡から柏崎までの間をご案内する。

 昼食は、番神の海岸に行き、自由行動にしてもらった。その間に一度、自宅に戻り、生卵とひきわり納豆でご飯をかっこんで昼食をとる。15時まで事務所で事務仕事。

 15時過ぎ、番神の海岸に迎えに行き、ホテルまでお送りしたのち、再度、えんま通りをはじめ、被災現場をご案内する。

Img_4240  18時、民謡街頭流しを見ることができる場所までご案内したのち、自宅に戻る。
 あまりの暑さで疲れもでそうなので、豚モモ肉、インドで買ってきた各種スパイスを中心に、干し納豆も入れた炒め物とご飯、梅干しで夕食をとる。

 民謡街頭流しをはじめ、ぎおん柏崎まつりの時期は市外の方をご案内するので自分自身はなかなか参加できないのが悩みの種である。

 食後、ソファーに横になったところ、そのまま寝てしまい、気付けば22時過ぎ。シャワーを浴びて目を覚ましたのち、事務仕事をする。

 竹島問題で、上越市が訪韓を中止したというニュースがあった。
 訪問見合わせを促す電話が韓国側からあったというが、日本の教科書の事で騒ぐ竹島問題で、訪韓した一般の日本人が危険な目に遭う可能性があるのであれば、もはや近代国家とはいえない。
 双方が主張することを主張してこそ文化も交流できるのであり、イコール・パートナーである。
 竹島問題による中止が二回目というなら、いっその事、国際経済・文化交流都市の関係を一度解消すると上越市も韓国側に提案すべきであろう。


平成20年7月24日『新潟日報』

 竹島問題で訪韓を中止
 上越市、商議所など

 中学校社会科解説書の竹島(韓国名・独島)記述問題を受け、上越市は二十三日、今月三十日から三日間の日程で予定していた韓国・浦項市への市民訪問団の訪問中止を決めた。
 上越市によると、浦項市側から二十三日午後、「竹島問題で韓国国内での日本への情勢が厳しくなっている」と、訪問見合わせを要請する電話連絡があった。
 上越市の訪問団は、木浦正幸市長、市議、商工会議所、市民ら二十八人で構成。浦項市の国際花火大会に合わせて訪韓する予定だった。
 木浦市長は「非常に残念だが、韓国国内の情勢を考えるとやむを得ない」とのコメントを発表した。
 浦項市は、大阪府生まれの李明博大統領が育った韓国南東部の都市。
 両市は一九九一年から相互訪問を続け、九六年に国際経済・文化交流都市の関係を結んだ。二〇〇五年度にも、今回と同様に竹島問題をきっかけに両市職員の相互派遣事業が中止になったことがある。

2008年7月23日 (水)

竹島記述問題、国交断絶も選択肢
外交と教育のゴチャ混ぜ

 3時、就寝。

 7時、起床。大粒納豆、塩鮭、シラスおろし、しそ巻きでご飯2杯の朝食をとる。

 8時、愛車で自宅をでて、長岡市に向かい、12時まで某氏事務所で打ち合わせ。

 コンビニで買った納豆巻き2本、低脂肪乳、一日分の野菜ジュースを昼食にとりつつ、柏崎まで戻り、13時30分からの自民党柏崎支部での選挙対策会議に出席。

Img_4234 会議終了後、新潟市の「ホテルオークラ新潟」に移動。
 準備ののち、16時から2008年日本青年会議所・北陸信越地区・新潟ブロック協議会、新潟交流委員会の褒賞事業、第2エリアの審査会がスタート。
 審査員は、青年会議所内部として(社)新潟青年会議所・若山理事長、黒埼青年会議所・関根理事長、 (社)新津青年会議所・小林理事長、 (社)白根青年会議所・川村理事長、 (社)五泉青年会議所・若月理事長、佐渡青年会議所・遠藤理事長、外部審査員として新潟市企画調整課長、五泉市企画政策課長、阿賀町企画観光課長、新潟商工会議所副会頭、新津商工会議所会頭、五泉商工会議所青年部長、新つくる会、佐渡商工会青年部協議会、黒崎地区野球連盟、村松商工会青年部の皆様。

 17時過ぎに、審査会は無事に終了。引き続き懇親会という日程ではあったが、次の打ち合わせがあるので、失礼させてもらった。

Img_4235 新潟市内での所用を済ましたのち、18時過ぎ、「万人家 紫竹山店」(電話:025-247-5078)で「ちゃーしゅうめん 780円」と「ライス 150円」で夕食をとる。この後、会議があるのにも関わらず、ニンニク2片を潰して投入。

 食後そのまま、急いで柏崎市に戻り、20時から市内某所でのイベントの打ち合わせ。

 23時、自宅に戻る。

080723  10年に1回見直しとなる中学校新学習指導要領の社会科解説書に竹島に関する記述をしただけで、韓国がハチの巣をつついたような騒ぎとなり、駐日韓国大使が日本政府に抗議し、一時帰国するような事態となった。
 また新潟県内でも新発田市でのスポーツ交流が中止になったとの情報があった。


平成20年7月18日『新潟日報』

 新発田、韓国スポーツ交流
 竹島記述問題で中止

 日本政府が中学校の新学習指導要領の社会科解説書に竹島(韓国名・独島)を初めて明記する方針を決めたことを受け、新発田市と三十年近くスポーツ交流を続けている韓国議政府(ウィジョンブ)市は十七日までに、八月上旬に予定されていた交流大会の延期を通知する文書を新発田市に送付した。同市体育協会は同日に緊急会議を開き、今年の大会を中止することを決めた。
 新発田市と韓国議政府市は友好都市関係にあり、両市は一九八一年から年一回、互いに行き来する形で小中学生のスポーツ交流大会を開催。今年は、八月一日から三日まで議政府市で行われ、新発田市の小中学生ら八十四人が参加する予定だった。
 同市教育委員会によると、大会中止は歴史教科書問題をめぐって開催を取りやめた二〇〇一年以来二回目。
 市教委によると、文書は議政府市の金文元市長名で十六日、新発田市役所にファクスで届いた。竹島問題を挙げ「韓国国民と議政府市民の情緒が急激に変化し、今年の親善交流日程を延期することが不可避と判断する」としている。
 中止について新発田市体育協会の大沼淳会長は「政府間の領土問題と長年続いてきた民間レベルの交流は別次元。子どもたちが準備を進め、楽しみにしていたのに残念だ」と話している。新発田市の片山吉忠市長は十七日、「訪韓を心待ちにしていた子どもたちの心情を思うと心が痛む。政治問題に影響されない相互の信頼関係構築が重要だとあらためて感じている」とのコメントを発表した。


 国際的に、そして歴史的に見ても竹島は日本固有の領土である。
 不法占拠し、国際司法の場にでてくることをしていないのは韓国であって、さらに言えば日本国内の教育、それも教科書自体ではなく、指導要領への記載だけでこれだけ騒ぐのは内政干渉以外の何者でもない。
 それに対する日本国政府も情けなく、町村官房長官は配慮するとまで言って、譲ってしまった。
 外交と教育は別であり、それをゴチャ混ぜにするから話がおかしくなり、そして国益を損なう。どこの世界に、教育内容にまで他国にチャチャを入れられる国があるのか。
 韓国が天皇陛下や福田総理の写真を焼き、まだまだ騒ぐというなら、先方のお望みの通りに国交断絶すれば良いのではないか。
 日本は日本としての主張をすればよく、安易な妥協は余計に争いを大きくする。
 それにしても、日本の国益をちゃんと守る【まともな】国会議員がどうして少ないのであろうか?

2008年度(社)日本青年会議所中国地区島根ブロック協議会制作
『私の竹島ですが、何か?』

2008年7月22日 (火)

教育関係者必読
『高校生レストラン、本日も満席』

 「ウルトラマンメビウス」、「ウルトラマンレオ」、「海の進軍」、「出征兵士を送る歌」などを歌い、3時近くに自宅に戻る。やはり「ウルトラマンメビウス」は歌いづらい。シャワーを浴び、4時に就寝。

 8時、起床。大粒納豆、目玉焼き、野菜さつま揚げでご飯2杯の朝食をとる。

 9時から12時近くまで、市内某所で選挙に関わる打ち合わせ。

 12時過ぎ、自宅に戻り、頂き物の焼きそばとご飯、メンチカツで炭水化物たっぷりの昼食をとる。

 14時から17時まで、事務所に来客。地方議員が書く、それぞれの地域の近現代史秘話をまとめた本の企画などについて詰める。

 18時から選挙事務所にて打ち合わせ。

Img_4229  21時、自宅に戻り、シメ鯖(ノルウェー産)、ひきわり納豆としらす、鮭フレーク、卵黄で作った納豆丼で夕食をとる。
 国産のシメ鯖が入手しづらいことや、スーパー閉店間際に安くなって残っているのが、ほとんど輸入ものであるため、いつもノルウェー産。時間がとれれば、自分で美味しいシメ鯖を作り、冷酒とともにやりたいものだ。

080722_book 高校生でレストラン経営をしていることで、すっかり有名になった三重県の相可高校。
 その立役者である村林新吾先生が書かれた本が『高校生レストラン、本日も満席』。扱っている題材から料理の本、高校生の活動紹介の本として捉えるむきもあろうが、この本こそは、教育者の本当の目的とは何か、生徒のために教師ができることは何か、分かりやすく知るための一冊である。まさに現代の『スクール☆ウォーズ ~泣き虫先生の7年戦争~』といっても良いほどの、これまでの孤軍奮闘の模様が書かれており、何回読み返しても胸が熱くなる。
*もちろん、本書を読むときのBGMは、麻倉未稀「ヒーロー -Holding Out For a Hero-」
 より多くの人に読んでほしいと思う。

 JANJANでの本書の書評
               評者:三井田孝欧

2008年7月21日 (月)

週刊文春 今週のBEST10 第2位
一泊してでも観に行きたい花火大会

 2時、就寝。

 7時、起床。大粒納豆、鯛のあらの塩焼き、生卵、シラスおろしでご飯2杯の朝食をとる。昨日の日焼けで顔が突っ張りまくり。

 9時からイベント関係の物品の片付け。

 10時過ぎ、電話があり、今日集会があることを初めて知り、途中から参加する。

 12時から市内某店でコーラフロートを飲みながら、懇談。フロートがアイスクリームではなく、ラクトアイスであったものの、この暑さにはアイスクリームの濃厚さよりも清涼感があった。

 12時30分過ぎから昼食を取りながらの打ち合わせ。ゴマだれの冷やし中華が食べたかったが、会食の手前、麺類をとるわけにはいかず、日替わり定食を選択。

 14時から16時過ぎまで、市内でのチラシ配布などの活動を行う。

 17時、事務所に戻り、ブログやメールなど事務仕事。

Img_4228 19時から某集会でのご挨拶。
 1時間ほどで中座させてもらい、その後、市内某氏宅に総菜を持ち寄っての懇親会に出席する。
 モツ煮をはじめ、刺身など色々なものが持ち寄られ。自分自身は、クラシックコーラと近江牛切り落とし、地元でとれたジャガイモを使った肉ジャガ、ハーブ鶏のケチャップ煮を持参した。
 キンキンに冷えた生ビールとともに、盛り上がり、あっという間に24時近く。会場をカラオケ店に移し、2次会スタートとなった。

080721_photo  現在発売中の『週刊文春』平成20年7月24日号の「今週のBEST10」コーナー(P50、51)に、

「一泊してでも観に行きたい花火大会」

というランキングが掲載されており、1位は173点で「びわ湖大花火大会」。そして2位は170点で、なんと!「ぎおん柏崎まつり海の大花火大会」であった。

 ランキング紹介は次のようにあり、

 中越沖地震を乗り越えた越後三大花火「海の柏崎」。「尺玉300連発」「尺玉100発一斉打ち」「600mワイドスターマイン」「3尺玉2発同時打ち」などは必見。新潟県柏崎市。7月26日。

寸評は以下の通り。

 二位は乗災の影響で昨年は中止となった、越後三大花火大会町ひとつぎおん
柏崎まつり 海の大花火大会」だ。
 「目玉の『尺玉百発一斉打ち』は夜空を覆いつくすほど壮観です。僕は以前身体を悪くし、その後妻を病気で亡くしまして、ショックでもう花火を追いかけることを辞めようと思っていたんです。だけど、キレイな花火は幸いことを忘れさせてくれるんですね。本当に涙が出るほど感動するので、皆さんに一度は観てはしいです」(本橋さん)

 せっかくの良いニュース、活用していきたいものである。

 柏崎の営業マンたる会田市長は、夏のシーズンが始まった今頃になって、長野県や群馬県の都市を観光誘致でまわっているそうであるが、完全に時期を間違って(普通は春にキャンペーン)おり、商売センスの無さを露呈している・・・・。

2008年7月20日 (日)

新潟県中越沖地震震災復興イベント
「2008 どんGALA!祭り」

 4時、就寝。

 8時、起床。大粒納豆、目玉焼き、笹かまでご飯2杯の朝食をとったのち、 「2008 どんGALA!祭り」の準備のため、市民プラザ前に移動。

20080720105658_2  観客イスの設定から車の進入防止コーンなどの一連の用意をして、11時から新潟県中越沖地震震災復興イベントとしての「2008 どんGALA!祭り」がスタート。
 昨年は、大会翌日に中越沖地震という悲惨な目にあったが、今回はそのような事がないことを願う。
20080720113236 ありがたい事に、昨年の中越沖地震をうけて、柏崎の復興を願うという意味の横断幕まで用意してくれた群馬のチームをはじめ、多くのチームが前口上で柏崎の復興を願ってくれた。
 進行上、天候も雨が降ることもなく、風も心地良かったが、弁当の配送をはじめ、近隣住民への迷惑など次々とトラブルが発生。地方車を送り出す係りをしながら、お詫びにまわったり、手が足りないところに顔をだす。
20080720132421  14時近く、遅れて届いた弁当で昼食をとる。
 従来の祭りとの住み分けをはじめ、色々な批判も多くなってきた「どんGALA!」ではあるが、ここまで成長した以上はどううまく柏崎の観光や地域活性化に結びつけるのか、そして運営方法やボランティアに来てくれた人へのフォローなどの改善点を真剣に考える必要があると思う。

 18時過ぎ、閉会式の準備も終わったところで、ボランティア部隊が解散。
 間違って残ってしまった「おにぎり弁当」がもったいないので、自己責任ということで持ち帰って夕食にする。

 20時から市内某店での懇親会に途中から出席。顔も腕も真っ赤に日焼けしたからか、やたら生ビールの喉通りが良く、5杯ほど飲み干す。
 仕事も溜まっているので、2次会は勘弁してもらい、22時、自宅に戻る。

2008年7月19日 (土)

厚労省:業務時間中にネット遊び
先取りの柏崎市役所

 1時、さすがにラーメンなどでシメるほど胃袋に余裕がなく、自宅に戻る。3時、就寝。

 6時、起床。届いた中国共産党関連の本を3冊ほど風呂に持ち込み、90分ほど半身浴をしながら読む。

Img_4217  8時過ぎ、大粒納豆、昨日の山形出張の際に買ったしそ巻き、今年初物となった鯨と夕顔の味噌汁でご飯2杯の朝食をとる。
 いつもならご飯2杯とも納豆だけで食べるペースであるが、パリパリと歯ごたえ良く、クルミも入ったしそ巻きで最初の1杯を食べてしまった。さらに鯨の脂を吸った夕顔が胃に染みいるように美味い。

 9時、新潟市に移動。10時から知人のご尊父の告別式に出席し、12時に出棺を見送る。

 13時、コンビニで買った納豆巻き2本、低脂肪乳、一日分の野菜ジュースを昼食にとりながら、長岡市に移動。

 長岡市内で弔問に伺ったのち、柏崎に戻り、もう1軒弔問に伺う。

 19時過ぎ、自宅に戻り、差入れでもらった鯛入りの折詰めとビール500ml4缶で夕食をとる。
 「2008どんGALA!祭り」の前夜祭懇親会が予定されていたが、さすがに出席できず、仮眠する。

 24時、シャワーを浴びて目を覚ましたのち、事務仕事。

 先日、色々と批判の多い厚生労働省職員の業務実態について、驚くような報道があった。業務時間中の業務外ホームページ利用などが1日に12万件もあったという。
 まさにネットカフェ状態であり、お遊びである。そんな暇があればまともに業務をしろ!とでも・・・とは言うものの、柏崎市役所でも業務時間中にネットオークションで売買していたり、惚れた腫れただの男女に関するメールのやりとりを市役所名義のメールアドレスで行っていた事例もあり、究極は住民基本台帳情報の漏洩というお恥ずかしい状態。厚生労働省のことを安易に批判できない、柏崎市役所である。


平成20年7月13日『産経新聞』

 厚労省職員 ゲーム、チャット三昧
 業務外HP閲覧1日12万件

 厚生労働省で官用パソコンを用いてゲームやお笑いなど業務と関係のないホームページ(HP)閲覧が1日に約12万件もあったことが12日、分かった。年金や後期高齢者医療、医師不足など厚労行政が批判を浴びるなか、多数の同省職員が職場を“ネットカフェ”状態にし、HPで遊んでいる実態が明らかになった。
 
厚労省統計情報部では今年5月7日、職員約5万5000人のうち、東京・霞が関の本省と8つの地方厚生局計約5500台のパソコンを対象にインターネットの閲覧状況を調査。総閲覧数1000万件のうち、少なくとも12万2000件が業務外と判明した。
 
うち、7万5000件が掲示板やチャットなど情報交換系のHP。ゲームソフトやネット上で遊べるゲーム関連のHPが4万1000件、芸人や演芸場、アニメなどお笑い系HPも6000件に及んだ。
 
厚労省は平成17年7月から省内のパソコンから閲覧制限できるシステムを導入。アダルト系、株取引といった分野は当初から閲覧不可にしたが、調査対象となった分野は接続が可能な状態になっていた。
 昨年8月、ネット上の百科事典「ウィキペディア」に外務省、農水省、宮内庁などの官用パソコンからの書き込みが相次ぎ発覚。厚労省からも美少女アダルトゲームやアイドルなどの編集が判明、同年10月に20回以上も編集を行った職員2人を訓告にしたほか計12人を処分。全職員に業務外のパソコン使用を禁じる通知を出した。今回の調査は、通知を守っているかを確認することが目的だったが、12万件もの不必要な閲覧が発覚したため、お笑いなど問題の分野も先月18日から閲覧を禁止している。
 調査では匿名のインターネット掲示板「2ちゃんねる」の閲覧も3700件あった。同掲示板では特定の幹部や職員の誹謗(ひぼう)・中傷が繰り返されている事実を厚労省も把握。「定時9時~5時は午前9時~翌日朝5時」「食堂が値上げしてる」など、厚労省の関係者にしかわからない書き込みも多数、存在していた。
 中央省庁の職員によるパソコンの業務外使用をめぐっては13年5月、国土交通省職員が援助交際を求める女性に返事を書いたとして戒告処分を受けるなど、問題が相次いでいた。

2008年7月18日 (金)

山形3区で街宣活動!
加藤紘一事務所へ抗議書!

 3時、事務所ででて、加藤紘一衆議院議員の選挙区である山形3区の鶴岡市に向かう。

Img_4197 約200kmをぶっ続けで走り続け、7時、 「すき家 鶴岡店」(お客様窓口:03-5783-8806) にて、「みそ汁鮭納豆朝食 490円」をご飯大盛り(無料)にしてもらい、朝食をとる。大山納豆がついており、大盛りご飯でも足りないほどの勢いでかっこんだ。

 8時、JR鶴岡駅前に到着。早速、7月7日の加藤発言の内容を記載したチラシを配り、そしてマイクを握って、地元、鶴岡市の皆さんに訴えかける。
 地元マスコミ各社が取材のために来てくれたのはありがたかったが、通行する人が少なく、聞いてくれたのは約50名ほど。

Img_4199  40分ほどの活動ののち、地元の護国神社に参ろうということになり、鶴岡護国神社に移動。
 鶴岡護国神社は、鶴ヶ岡城本丸隅にある庄内神社に隣接しており、なかなか味わいのある建築様式であり、戊辰の役から大東亜戦争まで、国難に殉じた2484柱が奉られている。
Img_4198 戦争の天才と言われた石原莞爾中将の生誕地の石碑もある。
 鶴岡護国神社を参拝したのち、 本殿とも言える庄内神社を参拝していたところ、宮司・石原氏からお声掛け頂いた。
 何でも、先日7月10日に観光キャラバンで東京都内にでかけていたところ、渋谷で街宣活動中の我々と出くわしたという。
 何という偶然!英霊の導きであろうか。
 ありがたいことに、石原宮司から加藤紘一事務所に電話をかけてもらい、直接抗議文を持っていく旨のアポイントメントをとって下さった。

Img_4201 9時30分過ぎ、地元・加藤紘一事務所に出向き、地元第一秘書のA氏に直接、抗議文を手渡した。
 本当はアポなし突撃を敢行しようとしていたが、地元の警察から事務所放火事件以来、周辺住民も含めて過敏になっているので、なんとかその辺の配慮を、とのことであった。

 加藤発言に対する抗議文(pdf形式)

 ご挨拶も兼ねて手土産のお菓子も持参したものの、さすがに受け取ってもらえず、事務所の入り口で約10分間の話し合いで終了。

Img_4209 続いて、酒田警察署に街宣活動の確認に行ったのち、JR酒田駅前で11時から街頭演説とチラシの配布を行う。
 やはり人は少なく、タクシーを待っている方やお土産の販売をしているアルバイトの皆さんに訴えるかたちとなった。
 活動を終え、せっかくだからとお土産などを買いながら、売り子さんに加藤発言の内容も含めて、キチンとお話すると納得してくれる方が多かったのが印象的であった。

 12時過ぎ、帰路につく。

Img_4215 13時過ぎ、 「道の駅あつみ『しゃりん』」の食堂で、「焼肉定食 900円【庄内豚】」で昼食をとる。
 庄内豚は炭火で焼いたような香ばしい仕上がりになっており、脂身がしつこくなく、やたらご飯が進む。松藻が入った、なぜかご飯丼に入っている味噌汁も胃に染みいるように美味い。
 食後、あつみ温泉周辺の物産を何点か購入。

 17時過ぎ、長岡に到着し、JR長岡駅に東京都中央区の二瓶文隆議員をお送りし、東京都杉並区の松浦芳子議員とも別れた。

 【二瓶議員の報告】

Img_4216 18時、自宅に到着。
 プチトマトとモッツアレラ・チーズのサラダ、米なすの浅漬け、夕顔と鶏の挽肉の餡かけ、ひきわり納豆、ご飯で夕食にする。
 食後、ソファーでそのまま仮眠。

 22時、シャワーで目を覚ましたのち、市内某スナックに移動途中の某氏らと待ち合わせ、懇親会に途中から出席する。


『ZAKZAK 2008/07/18』

■加藤の地元で辞職要求
  「貴殿はそれでも日本人か」

 自民党の加藤紘一元幹事長がテレビ番組で、北朝鮮から帰国した拉致被害者について「北に返すべきだった」などと発言した問題で、拉致問題に取り組む全国の地方議員らが18日、加藤氏の地元・山形県内で議員辞職を求める活動を始めた。問題となった発言自体を知らない有権者も多く、驚くとともに加藤氏への不信感を高めていた。
 集まったのは全国約200人の都道府県市区町議員(超党派)でつくる「拉致問題を考える草莽全国地方議員の会」のメンバー。あいにくの雨の中、同日午前8時から、加藤氏の選挙区である山形県鶴岡市や酒田市のJR駅前やスーパー前などで街宣活動を行い、議員辞職を要求するビラを配った。
 また、同日午前、加藤氏の地元事務所に抗議文を提出した。
 加藤氏の問題発言とは、今月7日の日本BS放送で、「国家と国家の約束だから(拉致被害者5人を北に返した方が)良かったと思う。日本政府は『返す』と約束していたが、安倍(晋三前首相)さんを中心に『返すべきではない』となった」などと語ったもの。
 直後から、拉致被害者家族らが「貴殿はそれでも日本人か」などと猛烈に反発。地方議員の会でも「拉致被害者や家族会の心を傷つけただけでなく、拉致被害者救出活動への妨害工作だ」として、東京・渋谷のハチ公前や、永田町の自民党本部前で街宣活動を続けてきた。
 地方議員の会の世話人である東京・杉並区の松浦芳子区議(自民党)は「東京でもそうですが、加藤氏の発言自体を知らない人が多く、私たちが説明すると、『ウソでしょ』『信じられない』と驚き、辞職要求活動にも賛同してくれる。反応はいい」と語る。
 加藤氏は自身のHPで釈明しているが、松浦氏は「釈明にも謝罪にもなっていない。加藤氏は『日朝国交正常化推進議員連盟』の顧問に就任したが、(北寄りの発言をする)確信犯なのでしょう」とあきれている。

2008年7月17日 (木)

道徳は教えられる!
柏崎偉人伝をより深く!

 3時、就寝。

 7時、起床。大粒納豆、シラスおろし、魚肉ソーセージでご飯2杯の朝食をとる。

 8時から14時まで会社関係や青年会議所の雑務で市内まわり。途中、コンビニで買った納豆巻き2本、30品目サラダ、ゼロカロリー・スプライトで昼食。

 15時から事務所に来客。

Img_4190 18時、一度、自宅に戻り、生ラーメンの麺、冷蔵庫の残りものの生野菜、ひきわり納豆を使っての納豆冷やし中華を作り、夕食にする。
 暑さも本番になってきたので、冷やし中華が美味く感じるが、あまりに勢いよく啜ると、ムセてしまい、そして白い上着は最悪な結果になってしまう。

Img_4191 19時から市民プラザでの大会前最終の「2008どんGALA!祭り」の打ち合わせに出席。
 打ち合わせ時間よりも、まちなか歩きマップの折り込み作業の時間が長く、久々の折り紙?を楽しむ時間となった。

 21時、事務所に戻り、会社の決算関係の仕事。

 23時過ぎ、東京から軽自動車の街宣車で東京都杉並区の松浦芳子議員、東京都中央区の二瓶文隆議員が柏崎に到着し、事務所で一休みしたもらったのち、加藤紘一衆議院議員への抗議文書を作成する。

 事務所にお越しになられた方からは、先日のブログに書いた、米山町の松田伝十郎が樺太発見200周年でもフューチャーされない事に怒りの声があった。
 柏崎の偉人伝をより深く、次世代を担う子供たちには学んでほしいと思うのは、ただ単に知識ということではなく、その生き様を見て、道徳心も養ってほしいからである。現に、柏崎の先人には、そういった要素が十分にある偉人が多い。

 未成年による凶悪事件などが起きている現代であるからこそ、郷土・柏崎を愛し、道徳心ある子供を育てる教育に力を注ぐべきであろう。


平成20年2月27日『産経新聞』

 解答乱麻
 道徳は教えられる
 深層心理学者 林道義
 はやし・みちよし 著書に『母性の復権』『父性の復権』
『家族の復権』の3部作、『父弟のための家庭教育のヒン
ト』『家族教育の再生』(編著)など多数。

 教育再生会議の最終報告が提出され、「徳育」を重視すべきことと「教科化」が提言された。また新しい「学習指導要領」が発表され、週1時間とはいえ「道徳」の時間が設けられている。世論もまた道徳教育の必要なことを強く支持している。
 しかし、抵抗も根強いものがある。なにしろ中教審の会長が「道徳は教えられない」と発言したり、また必要性を認める人でも「強制はいけない」といって「教科化」には反対する人が少なくない。
 道徳を教えるためには、人格的感化力が必要だが、そんな立派な教師は少ないから、学校で道徳を教えることは不可能だ、という理屈は説得力がありそうに思える。しかし道徳を教えるのに、特別に立派な教師は必要ない。立派な人のことを紹介する教科書を読ませるだけで、子供は感動し感化されるからである。
 自分の体験を持ちだして恐縮だが、私は不幸なことに高校までに尊敬できる立派な先生に出会ったことがなかった。しかし国民学校の「修身」の時間に二宮金次郎の話を読んで感動した覚えがある。青年になってもその商人版ともいえる石田梅岩の教えを読んで、これも感動した。教科書には野口英世やパスツールの話、ジョージ・ワシントンの「正直」の話やリンカーンの奴隷解放のことも載っていた。子供心にそういう立派な人になりたいと思った。
 私だけではない。このごろ同級会で会ってみると、小・中・高いずれの同級生も、それぞれに学歴も違うし人生も違ったが、みな立派な人生観と志をもって生きてきたと感じられる。子供のころに高い志と目標を与えられたせいではないかと思われる。
 教える先生は普通の人でよいのだ。教科書の話自体が感動を与えるのである。私が特別に素直でまじめだったのではない。子供はみな素直でまじめなのだ。とくに低学年ほどそうである。
 大人(親)がわざと反抗心をあおったり、価値をおとしめるようなことをいって、子供の心を汚そうとするのがいけないのである。とはいえ、そういう大人はいくらでもいるから、それに抗して強い動機付けを与えるような感動的な教科書を作る必要がある。
 教科書に金太郎を登場させるという案もあるそうだが、ただ昔のものを復活させればよいというものではない。どういう意味でその話が必要なのかについて、目的を明確にし、社会のコンセンサスを得る努力が必要になる。
 道徳教育などしなくても、大人が立派に振る舞ってみせればよいという意見もあるが、立派でない大人はたくさんいる。だからこそ、批判できるだけの判断力を持たせる道徳教育が必要になる。
 道徳教育を単に規範意識や協調精神を教えたりすることに限ってはならない。崇高な志を持たせることをこそ目標にすべきである。
 みんなのためになる人間になりたい、弱きを助ける勇気のある人間になりたい、研究や的確な判断力で多くの人を救った人のようになりたい、こういう気持ちにさせるような「道徳」の時間を実現したいものである。

2008年7月15日 (火)

原発活用フォーラム
「地域活性化と原発」~先進県に学ぶ~

 4時、就寝。

 7時、起床。大粒納豆、シラスおろし、目玉焼き、あさりの味噌汁でご飯2杯の朝食をとる。
 8時から10時まで市内で文書などを配布。市役所で所用を済ませたのち、柏崎青年会議所・ECO活動推進委員会で8月9日、10日に実施するECOキャンプの周知文書を米山小学校上米山小学校鯨波小学校へ配りに伺う。

Img_4119  12時、公明党・真貝議員、平成会・星野議員と待ち合わせ、星野議員のお店「びすとろHOSHINO」(電話:0257-32-3550)で「鶏のからあげ定食 700円」(ご飯大盛り、カップスープ)で昼食をとる。ご飯をよく食べるためという、チリソースが良い。

 両議員とともに、三条市の「三条・燕地域リサーチコア」に移動。
 13時30分から「原発活用フォーラム~『地域活性化と原発』~先進県に学ぶ」に出席する。
Img_4120 冒頭は、主催者である新潟大学名誉教授の橋本哲夫先生から、地元である福井県に比べて、新潟県は賛成派の反対派もよく分からないといった旨のご挨拶。
 続いて、基調講演として、 「財団法人 若狭湾エネルギー研究センター」専務理事・来馬克美氏による「福井県は原子力とどう共生しているか~福井県の原子力行政とエネルギー研究開発拠点化計画~」


Img_4121 福井県庁で原子力に取り組んできた。
 14道県に原子力発電所があるが、原子力行政一筋は珍しい。
 今日、柏崎刈羽原子力発電所を視察したが、被災にあったのかどうか分からないほど、しっかりしていた。
 洞爺湖サミットでも原子力の重要性が再認識された。

1.原子力発電の現状
  世界では439期が運転中(2005年12月31日)

2.福井県の原子力~経緯~
  約700億Kwh、関西圏の消費電力の1/2、
  日本の原子力発電料の約1/4
  すべての炉型の初号期が設置(BWR,PWR,ATR,FBR1)
  施設設置者は3事業者
  廃止 ふげん1基

3.福井県の原子力行政
  昭和30年代に地域開発
  昭和32年4月 福井県原子力懇談会設立
  昭和46年8月 通報連絡や損害賠償に関わる協定を締結
  今後も運転中発電所の安全確保の他、核燃料サイクル、
  高速増殖炉、敦賀3・4号の創設、新型転換炉の廃止措置
  などの課題を抱えている。

4.エネルギー研究開発拠点化計画
 福井県を原子力を中心としたエネルギーの総合的な研究開発
 拠点地域とする。
  a)安全・安心の確保
    高経年研究体制党の推進
    地域の安全医療システムの整備
    陽子線がん治療を中心としたがんの研究治療施設の
    整備
      平成22年度末に
       「福井県陽子線がん治療センター(仮称)」
                          治療開始予定
  b)研究開発機能の強化
    「高速増殖炉研究開発センター」
    「原子炉廃止措置研究支援センター」
    「若狭湾エネルギー研究センターの新たな役割」
           (がん治療、野菜品種改良、材料改良)
    「関西・中京圏を含めた県内外の大学や研究施設との
     連携の促進」

  c)人材の育成・交流
    県内企業の技術者の技術向上に向けた技術研修の実施
    県内大学における原子力・エネルギー教育体制の強化
    小学校、中学校、高等学校における原子力・エネルギー
    教育の実施
     美浜町は教育委員会と協力し、先進的な取り組み。
    国際原子力情報・研修センター
    国等による海外研修生の受入れ促進
    国際企業等の誘致

  d)産業の創出・育成
    産官学連携による技術移転体制の構築
    原子力発電所の資源を活用した新産業の創出
    企業誘致の促進


【参考】 
 もし、柏崎刈羽原子力発電所が全て運転再開した場合、
 1年間でCo2は?
 ・日本国民の年間Co2搬出量(2004年)
  約13億トン・・一人あたり約10トン
 ・柏崎刈羽原子力発電所の発電量(2006年度)
  約550億Kwh・・・・7基
   原子力発電によるCo2排出量 約22g/Kwh
   石油火力によるCo2排出量 約742g/Kwh
  → (742-22)×550÷13=約3%Co2削減
         石炭火力と比べるとさらに削減(約
4%)


 基調講演後、質疑応答の時間が設けられたので、2つの質問をした。
 福井県にしては、レベルが低い質問で恐縮であったが、次の内容。

Q.新潟県、特に柏崎市では教職員や市職員自らが反原発活動をしているが、これまでの福井県内での反原発の動きは?
A.今では教員も教育委員会も一緒になって原子力教育をしてくれているが、当初は相手にはしてくれなかった。ここ5年で変わってきており、全面的な原発共存の動き。原子力を排除する時代は超えた。福井県にとっては原子力は必要という共通認識が形成されている。

Q.新潟県予算のなかで原子力財源と明確にわかるものは、一般会計予算の1%である180億円。それゆえ、柏崎刈羽周辺自治体以外からの原子力への理解が少ない場合が多いが、福井県内での各自治体間での合意形成はどうであったか?
A.かなり合意形成はできており、県議会でも、原子力財源への依存度が強いがゆえに毎回議論の場となる。時間が解決してきたと言える。

Img_4123  第2部として、植木組社長の植木義明氏をコーディネーターに、新潟大学名誉教授・橋本哲夫氏、長岡技術科学大学・斉藤秀俊氏、曙産業会長であり元三条市議会議長(4期)である大山治郎氏がパネリストとして、パネルディスカッション「地域活性化と原発」。


橋本哲夫氏
・新潟県民は原子力に関してコップのなかでゴチャゴチャやっており、井の中の蛙ではないか。福井県はトラブルのたびに研究施設を作って来た。

斉藤秀俊氏
・安全、安心の考え方の徹底、人材の育成に関して福井県は進んでいるように感じた。

大山治郎氏
・原子力は必要であり、一市民の立場としても絶対に必要。福井県の取り組みは素晴らしく、工業高校が無くなっていくこの地域にこそ必要な施策ではないか。

橋本哲夫氏
・新潟県を除いて、原子力立地自治体には研究施設などができている。5年間は国が維持費を負担するルールになっているが、新潟県は5年後が分からないとして断っていた経緯がある。新潟県に割り当てられていたであろうお金をみすみす逃がしている。

斉藤秀俊氏
・いまから動いても遅くはない。
 安全、安心という学問領域は一般の人に浸透していない。経験則であるが、科学的に裏付けることが重要ではないか。やはり時間がかかるのではないか。

橋本哲夫氏
・教育的な観点からすると、原子力の専門家が少ない。
 原子力学会の新潟支部長だったが、新潟県内には会員12名。
 福井県は198名。福井県80万人、新潟県240万人という人口比率を考えると、異常。
 育成も良いが、一番良いのは専門家の誘致ではないか。
 県立大学の案には、原子力専門コースが入っていない。
 行政関係者もまた地元マスコミも他の原子力立地自治体は積極的に勉強している。
 新潟のマスコミは、反対派の意見は採り上げるが、賛成や原子力の光の話題はほとんど取り上げない。

斉藤秀俊氏
・10年、20年と専門家が育つまで待っていらない状況ではないか。社会人教育をやるべき。ここに原子力技術者育成の鍵があるのでは。これなら数年での人材育成ができる。施設も必ず必要になってくる。放射線と材料は切っても切れない関係である。講師を連れてくるにしろ、魅力的な研究施設が必要になる。

大山治郎氏
・人材もそうであるが、まずはなぜ原子力が必要なのかを産業界も知る必要がある。
 また、中国の原子力導入についても、事故が起こった場合に被害を受けるのは日本海側の我々なので、高度な技術を提供する必要があるのではないか。

橋本哲夫氏
・原子力は確実に次世代の日本の主力産業になる。
 新潟県は福井県に比べて、優秀な工業が多い。今後、原子力業界に進出した場合には大化けする可能性がある。

斉藤秀俊氏
・原子力業界は安全、安心が優先するため、技術をもっているところが勝つため、中小企業でも活躍できる。大きな仕事をとれる。そのためには人材と出会いの場の確保。

橋本哲夫氏
・企業のマッチングについては、勉強会や講演会を頻繁に開くこと。レベルアップとともに、仕事のやりとりもできることになる。マッチングNPOの設立など面白いではないか。

大山治郎氏
 自動車産業も転換が必要であり、いずれは電気自動車にとって変わる。
 そのために原子力産業も良いのではないか。
 大容量小型バッテリー、水素エネルギーなども新潟県の研究テーマで良いのではないか。

橋本哲夫氏
 東京電力と東芝、日立に協力してもらうか、補助金など国に協力してもらうべき。
 福井県は次の自助努力の段階になってきている。
 新潟県は自助努力できるポテンシャルがあるので、一旦走り出すと強いであろう。
 アジア、つまり大陸を相手にした商売ができるのが新潟県。

斉藤秀俊氏
 地元に企業を誘致するに関して、人材が一番問題になる。
 大学や研究所がいくつあるかは武器になるので、うまく原子力を活用すべきではないか。

橋本哲夫氏
 新潟県は農業県であるので、放射線により品種改良した農産物などの研究施設などは良いのではないか。

斉藤秀俊氏
・世界に向けて一番売れる原発は「安全で安心なもの」。実現は難しいが長期スパンで考えて良いのではないか。新潟県産原子炉として世界に売れる可能性もある。

橋本哲夫氏
・県北は安定した地盤があるので、放射性廃棄物の技術の試験なども良いのではないか。


 パネルディスカッション後、聴講者からの質疑応答が続いていたが、時間もあるため16時過ぎに会場を後にした。

 柏崎市内に戻り、19時過ぎまで選挙に関する市内まわり。選挙事務所に顔をだしたのち、そのまま再度、21時過ぎまで市内まわり。

Img_4124  自宅に戻り、岩手の牛肉の切り落としを使った「肉じゃが」、納豆汁などで夕食をとっていたところ、昨年、中越沖地震で支援に来てくれた若い自衛官T君から電話があった。
 T君は中越沖地震発生の7月16日生まれで、その意味もさることながら、柏崎の市民に心から感謝されたことにも感動し、柏崎での支援活動は一生の思い出になったという。
 レンジャー訓練も終えたそうなので、車の免許を取ったら、柏崎に来てほしいと電話を終えた。

 22時過ぎに事務所に来客。

2008年7月14日 (月)

慰霊すら史実を曲げる?
共産党、皇軍美化の「慰霊祭」

 酔った勢いで、新聞のスクラップをPDF化し、4時就寝。

 8時、起床。大粒納豆、鯖の塩焼き、シラスおろしでご飯2杯の朝食をとる。

 9時から12時まで、市内某店で選挙関係の打ち合わせ。昼食として、明太子スパゲティとガーリックトースト、コーヒーゼリーを食べる。

 13時、事務所に戻ってメールを開くと、全国若手市議会議員の会のOBである和歌山県御坊市議会の山本清司議員から、仲間である兵庫県太子町議会の上山隆弘議員(昭和51年生まれ)が、7月22日告示、27日投開票の町長選挙にチャレンジするとの連絡があった。町議2期目、31歳での決断。是非、頑張ってほしい。

 15時、17時から市内某所でイベントに関する打ち合わせ。

Img_4116 20時から、柏崎青年会議所・ECO活動推進委員会で8月9日、10日に実施するECOキャンプに関する打ち合わせに出席。
 姉妹都市である東京都東村山市東村山青年会議所の協力を得て、東村山と柏崎の子供たちの交流と環境問題を勉強するためのキャンプである。

Img_4117 23時過ぎ、自宅に戻り、鰯明太、フルーツトマトとモッツアレラ・チーズのサラダ、ひきわり納豆、ご飯で夕食をとる。
 食後、いつもネタ元として楽しみに?している共産党の『しんぶん赤旗』であるが、先月分をまとめて読んだところ、こんな記事があった。


平成20年6月24日『しんぶん赤旗』

 皇軍美化の「慰霊祭」
 自衛隊強行 赤嶺議員ら抗議

 沖縄戦の犠牲者を追悼する「慰霊の日」の二十三日明け方、当時沖縄に配備された第三二軍の牛島満司令官らをまつった糸満市摩文仁(まぶに)の「黎明(れいめい)之塔」で、自衛隊による「慰霊祭」が強行されました。同塔の敷地内では沖縄県平和委員会や日本共産党の赤嶺政賢衆院議員らが「自衛隊は皇軍美化の慰霊祭をやめよ 自衛隊による沖縄戦の史実改ざん糾弾」とする横断幕を掲げて抗議しました。
 まだ暗い午前五時すぎから、制服に身を包んだ自衛官らが献花、参拝して「慰霊」しました。県平和委員会によると参加したのは、陸上自衛隊第一混成団の団長、同広報室渉外担当ら十四人です。五時四十分すぎ、桑江良逢・同団初代団長が献花すると、自衛官らは直立不動で見守りました。
 「慰霊祭」の中止を申し入れていた県平和委員会の大久保康裕事務局長(45)は「軍隊は住民を守らないというのが沖縄戦の本質だった。県民を守るどころか、『国体護持』のため。その第三二軍を顕彰する塔で自衛隊が『慰霊祭』を行うのは史実をねじまげるものだ」と厳しく批判します。
 自衛官らは県平和委員会などの抗議に対して「私的なことだ」と繰り返しました。
 自衛隊の「慰霊祭」をめぐっては、一九七〇年代に千人規模の「行軍」まで行い開催し、住民の強い反発を受けその後中止されていました。二〇〇四年から再開され、今年は、昨年にくらべ参加者が半減しました。


 慰霊すら史実を曲げるというのである。どんな思考ロジックをしているのであろうか、まったく理解できない。
 記事では「軍隊は住民を守らない」というが、実際に第32軍は米軍との死闘により、沖縄本島の部隊は全滅している。
 自国の先人をとやかく言う前に、相手がどの国であったのか、爆撃を辺り構わず行ったのはどこの国だったのか、よく考えてほしいものである。

2008年7月13日 (日)

こわい日本人の劣等意識
7・13水害から4年

 2時、就寝。

 7時、起床。大粒納豆、目玉焼き、筋子、ほうれん草の胡麻和えでご飯2杯の朝食をとる。

Img_4095  9時から13時過ぎまで、見附市の某氏宅に集まり、平成16年7月の7・13水害関係でボランティア支援した者同士で会食。お約束のイタリアンをはじめ、持ち寄りの品が並んだ。柏崎からということで、米山町のもずくを持参し、三杯酢とおろし生姜を添えて出した。
 車での移動のため、飲まずにひたすら食べる。

 14時30分から市内某所で復興イベント関係の打ち合わせ1件。

 16時、事務所に来客。その後、相談頂いていたことの報告など市内まわり。

 18時から市内某所での懇親会に出席。飲むにつれ、市長選挙の話題になり、色々な話が耳に入ってきた。中には、「そこまでやるか?」といったエゲツない話まであり、証拠のものが手に入り次第、公開していこうと思う。

 仕事も溜まっているので途中で中座させてもらい、19時30過ぎ、自宅に戻る。

Img_4114  懇親会では、ほとんど食べずに酒を注いだり、注がれたりだったので、胃のなかが酒でタプンタプン。
 ちょうど妹夫婦からお土産でもらった喜多方ラーメン「河京」(電話:0241-22-0875)の生麺とにぼしスープがあったので、モロヘイヤをさっと茹でマヨネーズ和えにしたものを添え、夕食として食べる。

 食後は事務所にこもり、事務仕事。

 自宅では複数の新聞をとっており、とりわけ最近の記事で楽しみにしているのが『産経新聞』の「昭和 正論講座」。
 当時の世相で書かれた内容ではあるものの、現在でもその指摘通りというものがあり、非常に参考になる連載である。
 『アーロン収容所:西欧ヒューマニズムの限界』の著者としても有名な会田雄次氏が昭和48年、私が1歳の頃に書かれた以下の文章は、衆愚政治についての指摘は、現在でも同じ、いやもっと顕著になっていることではないかと思う。


平成20年6月8日『産経新聞』

 昭和 正論講座
 こわい日本人の劣等意識 京大教授 会田雄次

*産経新聞 昭和48年7月25日に掲載

長所発見へタな国民性

 小学生に自分の長所と短所を列挙させる。その場合、子供たちは自分の短所は鋭く見事に数え上げるけれど、長所についてふれることはすくない。遠慮がちということもあるが、事実、長所発見が下手なのだといえよう。私は、この傾向は子供たちだけのものではなく、日本人全体について指摘できるいわば日本人の国民性だと思う。
 どうしてこうなるのか。もちろん、それは日本人が自己反省のきびしい国民だということを意味しない。私たちはむしろ真の意味での反省心には極めて乏しい民族性を持つということは、他のあらゆる調査からもいえることである。
 直接的には家庭の訓練、つまり主として母親から、やかましくその欠点をあげつらわれることが原因であろう。しかし、基本的には私たち日本人の”骨がらみ”の性格となっている劣等意識の表現だといえる。それは誰からも指摘される日本人の、例の他人志向型性格と表裏一体をなしている。
 私たちは他人のもの、外国のことは何でもよく思う性癖を持つ。もちろん、隣の花は赤く見えるというのはおそらく全人類に共通した現象だろう。が、しかし日本人は自尊心が乏しいだけ、その外国や他人羨望は、激しいねたみや近親憎悪を伴う途方もなく陰湿でゆがんだ形をとるのが特徴である。反骨と自称する人間とか、最近流行の各種の反抗運動者の中に、理解し難いゆがみを認めることが多いのはそのためだ。逆にいえば、理解し難い反抗行為は、そこに劣等意識という基本条件を置くとき、極めて明快に解明できるものとなるのである。

たえず評価待遇に不満

 日本人のこの劣等意識は、自己の社会的存在に関してとくに強く現れる。具体的にいえば、自分の能力や働きの割に、自分は会社や周辺から不当に低くしか評価待遇されていないという「損」意識である。つまり、自分はその生れ故に、容貌ゆえに、反骨精神という正義感ゆえに、不当な待遇を受け、たえず損をして生きて行かねばならないとの思いだ。この意識は各種各様に私たちの思考と行動を規定するが、それを分類・列挙すると次のようになる。
 第一は、理由なき不当待遇だという思いである。第二は、自分は正義でその自分を不当な待遇をする周辺、究極的には体制を不正ときめつける心情を持つ。第三には、あらゆる機会をとらえて、この損害をうめ合わせようとする衝動にいつもとらわれているということである。特価品や骨董をあさったり、あやしげな投資に誘惑されることは、みなこの衝動が生む行為といえよう。第四は、抜きんでようとする仲間に対する異常な羨望と憎悪である。これは戦後の教育によってとりわけ若い層に強烈に叩き込まれた。東大主義や秀才教育をけなすと、ワーツとくる理由もそこにある。

反体制の権威にすがる

 第五は、自分を「正当評価」してくれる機関や組織や人がどこかにありはしないかという強い願望である。だからといって、これは必ずしも現にいま自分の生活を保証してくれる組織や世界の中でのよりよい報酬や地位の向上を求めているということに限らない。劣等意識が強いから、あまり正面から評価されると、かえって不安になるのである。とりわけ自信を喪失するよう訓練された戦後派の人々にはその傾向が強い。「出世など責任が重くなるからいや、それより趣味に生きたい」というような若者の意見などその代表である。これを出世を否定しているなどと受けとるのは間違いだ。責任を持ちたくないだけのことなのである。しかし、それよりむしろかれらの望みは、組織から外れた世界での評価である。「半」タレントを望んだり、市民連動や組合活動でリーダーシップをとりたがったり、新興宗教の幹部として活躍することに生甲斐を覚えたり、冒険行などで有名になったりから、異様な服装で顕示欲を満足させたり、暴力団に慣れたり、すべてそうだ。それをノンビリ行こうという精神だなどというのは誤解も甚しい。こういう欲求に対し、政府や財界が無知無策なことは呆れるばかりで、逆に共産党などの洞察とそのエネルギーの吸い上げのたくみさには舌を巻くものがある。
 第六は、虚勢を張りたがることだ。第七は、仲間を求め徒党を組んでいないと不安になる感覚であり、第八は、何かの権威をバックに、いわゆる虎の威を借りる狐をきどる心情である。この種の行動の中で一番巧妙なのは、権力組織の中で十分その権力を利用しながら反体制をきどるというものであろう。もっともこれなら欧米にもよく見られる現象だが、劣等意識が強く、自己責任を持ち得ない日本人は、反体制をきどるときでも国の内外での反体制の権威によりかかろうとする。有名国立大学などの進歩派教官に、そういう芸人たちが数多く見られるという現象は日本だけの特殊性であろう。

最悪の衆愚政治の危険

 このような日本人の劣等意識は全休としてこの日本を異状な危険に陥入れることがある。パニックに陥り、欲求不満によって国民が集団ヒステリー状態になりやすいからである。PCB汚染の魚とやらによるあの騒ぎが、小さいがこの危機の典型だった。すでにベルツは明治憲法発布の際のお祭り騒ぎについて書いている。「日本中が浮々と大騒ぎである。にも拘わらず、滑稽至極たことはそれを大歓迎している日本国民大衆の誰一人として、この発布される憲法の内容について全く何も知らないのである」と。
 憲法発布だからよかった。PCBだからまだ救いがあった。これが日本沈没とか現代的蒙古襲来式の騒ぎになったら一体どういうことになるだろう。
 もう一つの心配は愚衆支配である。衆愚政治という現象が最悪の形で出現するというおそれだ。人口一千万という都会のまん中で日照権を要求することは、自分の住むマンションの横に高層ビルが建つと眺望権が阻害されると反対することと同じ狂気の沙汰、それが基本的人権と尊重されているのである。人影も見えぬ山中に五、六軒で「住宅街」を作った。電気はもちろん、都市ガスも上下水道も、小学校も病院も持ってこい、その一つでも欠けることは体制の悪の表現に外ならぬ。そんなところでも朝夕刊が配達され、刺身が食べられてこそ、シビル・ミニマムが保証されたといい得る。そのようないまや牙をむき出した大衆の欲望を、すこしでも制限しようとすれば社会不安がおこる。そんな極限まで日本は到達しようとしているのである。
 ここまできた劣等意識民族のヒステリーをどうしたら沈静させ、正気の状態にもどし得るのか。その困難で、おそらく「殺人的不人気」を招くだろう課題に、まともにとりくもうとする為政者はまだ出現しないようである。(あいだ ゆうじ)

【視点】この年、東京ゴミ戦争という住民エゴの騒動が起き、美濃部東京都知事が「一人でも反対があれば工事を断行しない」という無責任な発言で都民をあきれさせた。住民エゴはある種の公害反対運動にも、買い占め騒ぎにもあった。会田雄次氏はこれらの「反抗連動者」には、不当な待遇を受けているとの「損」意識が背後に潜んでいると見た。彼らは組織を否定しながら徒党を組み、反体制を気取りながら反体制の権威によりかかる。会田氏のいう「愚衆支配」が正義を振りかざしているときに、それらを「劣等意識民族のヒステリー」と批判するにはかなりの勇気がいる。会田氏の筆になる大盛りの毒気でなければ不可能だったに違いない。(湯)

2008年7月12日 (土)

震災復興祈念・米山町海まつり
現代語訳『北夷談』樺太発見200周年!

 1時、帰宅。ここ数日に届いた郵便物やFAXなどが溜まっており、6時まで整理作業を行う。6時から9時まで仮眠。

Img_4089 9時過ぎ、大粒納豆と生卵でご飯2杯をかっ込んだのち、米山町に移動。
 今日は、例年の「海開き」を拡大し、「震災復興祈念・米山町海まつり」である。神事に引き続き、来賓の挨拶となったが、子供御輿なども予定されていることから、

 「復旧のため、多くの県内外の方がこの米山町を訪れてくれました。
 これからは復興のため、再度、多くの方にこの地に来てもらうよう、皆さんと一緒に活動したいと思います。挨拶は短く、海に事故がないことを願って、ご挨拶とします」

と短く終わらせた。

 米山町は自衛隊への感謝を表すため、陸上自衛隊高田駐屯地の第2普通科連隊第2中隊長、第5施設群長兼駐屯地司令をお呼びし、一緒に復興祈願・海開きをするとともに、感謝式も行った。

Img_4092 元気な子供御輿、そして貝拾いののち、直会となり、例年と同様に美味しい米山町で獲れた海の幸、山の幸を楽しませてもらった。
 特に肝までしっかりしたバイと鰯のぬたが美味しく、バクバクと夢中で食べ、「アンタ、また太るよぉ~」と言われてしまった。
 ちなみに、バイは巻き貝の総称の事で、

 「バイ貝」

というのは、「巻き貝貝」と2回同じ事を言っている。「チゲ鍋」と同じである。

 14時、萬歳三唱でお開きとなり、その後、新潟市まで移動。自分の車で行く予定であったが、某氏が途中で拾ってくれることになり、15時過ぎに新潟市に到着した。

 20時過ぎまで某ホテルにて、再婚同士という知人の祝いの宴。通常のお祝いの他、米山町の浅蜊やイカの浜焼きをお土産として持参し、ホテルマンから引かれる。
 ご両人には悪かったが、やはりホテルの凝った料理も良いものの、米山町で食べた味わいが口に残っており、あまり食が進まず、食べ残しを出してしまった。タッパーで持ち帰ることもできず、もったいない事をした。

 23時過ぎ、自宅に戻る。

 今日の「震災復興祈念・米山町海まつり」において、今年の柏崎市長選挙に立候補予定の桜井雅浩氏も来賓挨拶で紹介されていたが、現在、現代語訳『北夷談』が出版されている。
 今年は樺太発見から200周年にあたるが、柏崎市としての動きは何もなし、間宮林蔵に美味しいところをもっていかれて、終わりである。
 「何も足さない、何も引かない」というサントリーウイスキーの名コピーがあったが、これに習えば、

 「何も足せない、
    何をすべきか分からない」

が現在の柏崎市政であり、先人に申し訳ない限りである。 


平成20年5月21日『新潟日報』

 探検家・松田伝十郎の蝦夷地見聞録
 『北夷談』を現代語訳に

 中俣さん(南魚沼)が23日出版
 先祖の功績伝えたい

 柏崎出身の樺太(現サハリン)探検家・松田伝十郎が江戸時代後期に記した見聞録「北夷談」の現代語訳が二十三日、新潟日報事業社から出版される。松田は樺太が離島であることや海峡を発見したが、一般的には間宮林蔵が発見者として知られる。松田の研究家で子孫の中俣満さん(59)=南魚沼市欠乏上=が「間宮林蔵に比べて知られていない先祖の功績を伝えたい」と五年かかりで完成させた。

 北夷談は松田が江戸幕府の役人として蝦夷地(北海道)に赴任し、風土や暮らし、体験をつづったもの。一七九九(寛政十一)年に蝦夷地が幕府の直轄になったことに始まり、一八二二(文政五)年に松前藩に返還されるまでの二十四年間が七巻に分けて記されている。
 中俣さんによると、原本は発見されておらず、数種類の写本が残されているだけだという。南魚沼市郷土史編集委員長を務めた松永靖夫氏が監修。国会図書館所蔵の写本をもとに、国立公文書館所蔵本や昭和初期の訳本などを参考にして作業を進めた。
 中俣さんは「写本ごとに中身が違っている上、写し漏れや誤字があった。人名など辞書に載っていない旧字には特に苦労しました」と振り返る。
 第三巻には「樺太が離島であることは間違いない。ここからが大日本国であると地境をしっかり見定めた」と記され、松田がユーラシア大陸と樺太とを隔てるタタール海峡(間宮海峡)を発見したくだりがある。一般的には間宮が発見者とされるが、中俣さんは「勝ち気で功名心に燃える間宮に手柄を譲った。松田自身は真実を突き止め、命令を果たせただけで満足したのではないか」と話す。
 「樺太が離島である」と松田が発見したのは一八〇八(文化五)年六月で、今年でちょうど二百年。中俣さんは「節目の年に出版できて良かった。こういう人物がいたことを知ってほしいし、越後人の奥ゆかしさや人間性を感じてほしい」と話している。

2008年7月11日 (金)

蓮池さんご両親も抗議!加藤発言
『夕刊フジ』に抗議街宣掲載

 シャワーを浴びたり、本を読んだり、仮眠をとったりと、パソコンで原稿を書いたりとせせこましく時間を過ごし、8時にネットカフェをでる。ネットカフェ難民の生活が分かったような・・・。

 8時過ぎ、「吉野家 JR渋谷駅店」(電話:03-5774-1045)の「特朝定食 490円」で朝食をとる。その後、新橋まで移動し、某社で9時から10時過ぎまで打ち合わせ。

Img_4080 11時、チャンネル桜に移動し、支援されている皆さんとともに、拉致被害者の救出を願う青い風船作りを手伝う。
 応援団のUさんは活発な方で、朝から気合いを入れて風船を作っている。先日出版された西尾幹二先生の力作であり、チャンネル桜でも番組が放送されている『GHQ焚書図書開封―米占領軍に消された戦前の日本』はUさんの古本屋まわり無くしてはできなかった仕事である。

Img_4081 12時過ぎから約2時間、昨日に引き続きJR渋谷駅のハチ公前で街宣活動。中野区選出の東京都議会、吉田康一郎議員、東京都杉並区の松浦芳子議員、東京都港区の山本閉留巳議員に加え、埼玉県和光市の松本武洋議員、東京都江東区の竹田将英議員が加藤紘一・衆議院議員の辞職を訴えた。

 お昼時ということもあり、暑いなか多くの方が話しを聞いてくれた。ただ、なかには私の「売国奴だと思う」発言にお叱りの声もあった。
 怒りの声をあげているのは、地方議員ばかりではなく、我が柏崎市で拉致された蓮池さんのご両親も抗議の声をだされた。


平成20年7月11日『西日本新聞』

 加藤元幹事長に抗議質問状
 蓮池さん両親「真意聞きたい」

 自民党の加藤紘一元幹事長が北朝鮮から帰国した拉致被害者5人について「(北朝鮮に)返した方がよかった」と発言したことに対し、新潟県柏崎市の拉致被害者蓮池薫さん(50)の父秀量さん(80)とハツイさん(76)夫婦は11日、「理解しがたい。発言の真意について是非お聞きしたい」とする抗議・質問状を加藤元幹事長あてに送付した。
 文書では「親の気持ちを逆なでする発言が、自民党幹事長までやられた加藤氏の口から出たことにあぜんとする」と抗議。「拉致問題解決の根本は一体何であり、拉致被害者およびその家族の立場についてどう考えているのか、ぜひとも伺いたい」とし「偽りのない回答を」と求めている。
 柏崎市によると、原稿用紙2枚に手書きの文章を加藤元幹事長の議員事務所にファクスで送った。


 会田市長も当然、抗議の声をあげるとは思っているが・・・期待はしていない。

Img_4083 14時過ぎ、チャンネル桜に戻り、差入れのおにぎりやサンドイッチで昼食を取りながら、夕方の活動用の青い風船を作る。
 デザートのお菓子として、まりもっこりクッキーを頂戴した。なかなか口に入れづらいお菓子である。

 15時から新橋を皮切りに、自民党本部、衆議院第一第二議員会館、参議院議員会館への街宣活動とのことであったが、次の打ち合わせと移動時間もあり、残念ながら失礼させてもらった。

 16時から新宿の某社にて企画の打ち合わせ。

Img_4084

 21時過ぎ、三条市に移動。三観荘2008年日本青年会議所・北陸信越地区・新潟ブロック協議会・新潟交流委員会の緊急会議に出席する。
 会議に出席といっても、東京から直接来たため、パソコンも持参できず、また都内にいる間に受け取ったであろうメールも見ていないので、たいした戦力にならず、腹ごしらえの味噌汁とおにぎりを食べに来ただけではないかと思うほど。

080712_fuji  今日の街宣活動については、早速『夕刊フジ』が掲載してくれた。ありがたい限りである。
*夕刊は翌日日付


平成20年7月12日『夕刊フジ』

「加藤辞めろ」
「北に返すべき」に地方議員ら猛反発

都内で街宣「被害者救出への妨害工作」

 自民党の加藤紘一元幹事長がテレビ番組で、北朝鮮から帰国した拉致被害者について「北に返すべきだった」などと発言した問題で、拉致問題解決に取り組む全国超党派の地方議員らが10日、加藤氏の議員辞職を求める活動を始めた。都内各地での街宣活動に加え、来週にも加藤氏に議員辞職要求文を突き付けるという。こうした動きに対し、加藤氏は自身のHPで釈明した。

来週にも議員辞職要求

 立ち上がったのは全国約200人の都道府県市区町議員でつくる「拉致問題を考える草莽全国地方議員の会」や、拉致問題の早期解決を求める市民団体「拉致被害者奪還!青い風船の会」のメンバー。
 10日午後から東京・渋谷のハチ公前や東京・永田町の自民党本部前などで街宣活動を行い、加藤氏が日本BS放送で語った問題発言の経緯や議員辞職を求めるビラ数百枚を配った。

「どこの国の国会議員だ」

 地方議員の会の世話人である東京・杉並区の松浦芳子区議(自民党)は「加藤氏の発言は、拉致被害者や家族会の心を傷つけただけでなく、拉致被害者救出活動への妨害工作といえる。さらに、北の金正日総書記を『天皇陛下みたいな人物だ』と語ったのは、日本国や日本人への侮辱であり、絶対に許せない。加藤氏は一体、どこの国の国会議員なのか。即刻、議員辞職すべきです」と語った。
 メンバーは11日も都内で街宣活動を行い、週明けにも加藤氏に議員辞職を求める要求文を突き付ける予定。加藤氏の地元・山形県の有権者にアピールするため、同地での街宣活動も計画しているという。
 加藤氏の発言をめぐっては、拉致被害者家族会(飯塚繁雄代表)と「救う会」(藤野義昭会長)も9日、「不見識極まりない発言だ。加藤氏の精神構造を強く疑わざるを得ない」「5人が北に戻されていれば『自分の意思で戻った』と言わされたあげく、『拉致問題は解決済み』という北の主張に利用されていた」などという抗議声明を出している。
 これに対し、加藤氏は自身のHP(9日付)で「私の発言の一部分だけが、時事通信の記事として配信された」として、「拉致被害者の方々には一時も早く戻ってきていただきたい」「拉致という犯罪で、日本人の人生を奪った北朝鮮にも強い怒りを感じます」などと釈明している。

【加藤紘一氏の発言】(7日夜、日本BS放送)
「国家と国家の約束だから(5人を北に返した方が)良かったと思う。日本政府は『返す』と約束していたが、安倍(晋三前首相)さんを中心に『返すべきではない』となった。その辺が日朝の間で打開できない理由だと思う」「(金正日総書記は)あの国では天皇陛下のようなポジションの人物ですね。その人が謝り、『何人は亡くなり、何人は生きているから1回お返しします』とまで言った」

「本当に腹が立つ」地村さん父
公明・北側一雄幹事長も批判

 自民党の加藤紘一元幹事長の北朝鮮による拉致被害者を「返すべきだった」発言に対し、各界から批判が続出している。
 拉致被害者、地村保志さん(53)の父、保さん(81)は10日、加藤氏あてに「本当に腹が立つ」などとする抗議文をFAXで送った。
 抗議文で保さんは、2002年に保志さんが帰国した当時を「栄養失調寸前の息子たちを見て、北には絶対返さないと誓った」などと振り返り、加藤氏に対し、「貴殿はそれでも日本人かと言いたい」と怒りをあらわにしている。
 公明党の北側一雄幹事長も同日の記者会見で、「拉致されて日本に帰って来られて、どうしてまた戻す必要があるのか」と加藤氏を批判した。

2008年7月10日 (木)

祝!平成18年「納豆の日」
加藤紘一議員抗議デモ

 3時、就寝。

 6時、起床。朝なら都合がつくとのことで、事務所で某氏と懇談を1時間ほど。その後、大粒納豆、豚汁、古漬けの野沢菜でご飯2杯の朝食をとる。

 妄言を吐いた加藤紘一議員への抗議デモのため、東京に移動予定であったが、議会関係と復興イベントの急遽の打ち合わせが2件入り、10時まで市内某所で打ち合わせ。

 11時過ぎ、都内に向かって移動。途中、差入れにもらったおにぎり2個(ツナマヨネーズ、紀州梅干し)、マスタードをたっぷり塗ったアメリカンドッグ、低脂肪乳で昼食をとる。

 15時過ぎに自民党本部に到着するも、自民党所属の地方議員を含む、抗議街宣デモ隊と合流できず。
 自民党本部前でバッタリ会った某衆議院議員秘書としばし、立ち話。人権擁護法案、1000万人移民構想、外国人参政権など危険な水面下の流れを確認した。

Img_4076 17時、JR渋谷駅のハチ公前で、やっと加藤紘一・衆議院議員抗議デモ隊と合流。
 主催は、拉致被害者奪還!青い風船の会 (草莽日本運動) 、拉致問題を考える草莽全国地方議員の会、誇りある日本をつくる会である。
  静岡県函南町議会の植松和子議員、中野区選出の東京都議会、吉田康一郎議員、東京都杉並区の松浦芳子議員、東京都港区の山本閉留巳議員など、党派を問わない人が集まり、街頭で加藤紘一・衆議院議員の辞職を訴えた。
 私が訴えたのは、次の2点。

 1.どんな言い訳をしても、そのような感覚で国政を担って
   いたのなら問題であり、国民の生命と財産、そして
   国益を守るべき、国会議員に値しない。

 2.天皇陛下を「ごろつき国家」の元首と同列に扱う言葉
   などの感覚は理解できない。いくら言い訳しようにも
   その背景は見えてくる。山形県の選挙区の方には
   是非、賢明な判断を次の選挙でしてほしい。

 演説途中、柏崎市議会の副議長とバッタリ出会った。会田市長とともに、陳情に来ているのであろう。
 会田市長もわざわざ地元新聞に宣伝(平成20年7月9日『柏崎日報』等)してから、陳情に来ているが、柏崎市民の安全と安心を守るべき柏崎市のトップであるなら、柏崎市民を北朝鮮に帰そう(蓮池さん)などというこの発言への抗議もしてきてもらいたいぐらいである。

 19時過ぎ、街宣活動と片付けが終わったところで、解散。その後、インターネットが使え、かつシャワーも無料のネットカフェに10時間コースで入る。

Img_4078 21時過ぎ、ネットカフェの無料コーンスープと途中のコンビニで買った「ダブル納豆」(ひきわり納豆と極小粒納豆の2種類が入っており、強烈なからし味でまとめてある)、30品目野菜サラダで夕食をとる。
 狭苦しいなか、読まなければならない本を持ち込んで、原稿書き。しかも記念すべき?「納豆の日」にこのような時間を過ごす事になろうとは思ってもいなかった

 加藤紘一・衆議院議員のサイトに発言に関する釈明があるとのことで、見れば次のような事が書いてあった。


7月7日、BS11で放送された
 「西川のりおの言語道断」での発言について

 7月7日、BS11で放送された「西川のりおの言語道断」の中での私の発言の一部分だけが、時事通信の記事として配信され、多くの皆さんが違和感を抱いたり、怒りを感じたり、悲しんだりしておられるようです。
 記事だけを見ると、唐突に「拉致被害者を北朝鮮に戻すべきだった」と述べたように受取られますが、是非、前後の文脈を知っていただいた上で、趣旨をご判断いただければと思います。
 拉致被害者の方々には一時も早く戻ってきていただきたいのは当然ですし、ご家族の方々のお気持ちを察すると言葉を失います。また、拉致という犯罪で、日本人の人生を奪った北朝鮮にも強い怒りを感じます。
その上で、一時も早い解決を願い、2002年の政府の対応が、安倍官房副長官(当時)の主張によるものではなく、福田官房長官(当時)の主張する内容であれば、小泉首相(当時)の行った歴史的な会談がその後も大きく展開し、かつ拉致問題ももっと大きな進展を見せていたはずだという趣旨を述べたものです。
 その中で、「約束を守るべきだった」といいましたが、その真意は2つです。

1.拉致という犯罪を犯した北朝鮮から、「日本は約束を守らなかった」などといわれてはならない。日本人の誇りを大切にすべきである。

2.北朝鮮が拉致を認めて謝罪したあの時、北朝鮮はアメリカの攻撃を恐れていた。だからこそ、一気呵成に交渉を進めて、拉致問題の全面解決を図るべきだった。しかるに、北朝鮮に「日本は約束を破った」という不信感と口実を与え、その後の交渉が途絶える一因を作ったと考える。

という点です。


 言い訳にならない言い訳である。国家と国家の約束というが、元々は犯罪であり、テロ行為といえるのが拉致被害。スタートから間違っている。
 そして、まったく拉致被害者家族の気持ちを考えていないことが良く分かる。
 自分の家族が拉致されていたとしても、同じ事を言えるのであろうか?

2008年7月 9日 (水)

加藤紘一議員の妄言
拉致被害者、北朝鮮に返せば良かった?

 3時、自宅に戻り、シャワーを浴びたのち就寝。

 8時、起床。大粒納豆、もやしとほうれん草の和え物、スクランブルエッグでご飯2杯の朝食をとる。

 9時から14時まで選挙関係での市内まわり。途中、コンビニで納豆巻き2本、低脂肪乳、茄子の浅漬けで昼食をとる。
 まわっていて思うのは、やはり原子力発電所への不信である。『新潟日報』をはじめ、あれだけの感情的な反原発記事の連載があれば、柏崎市民自らが誘致した原子力発電所ながら、いつの間にが東京電力が無理やりに立地してきた、という錯覚に陥ってもおかしくはない。

 15時から事務所に来客2件。

 17時から愛車で長岡市に移動。18時から21時まで某ホテルロビーで出版に関する打ち合わせ。

Img_4073  22時、自宅に戻り、国産うなぎの蒲焼き、もずくとひき割り納豆を入れた豚汁、シメ鯖で夕食をとる。
 食事中にも各方面から電話があり、自民党・加藤紘一衆議院議員の妄言への怒りと柏崎市民として抗議してこい!との声であった。
 明日から2日間の抗議街宣活動でキッチリと声をあげてこようと思う。

 それにしても、どこの国の国会議員なのであろうか。北朝鮮が拉致していった事自体が問題なのであり、日本が救出を武力に寄らないのであれば、外交のテクニック(騙すのだって外交!)で被害者を救出するのは当たり前。
 また、我が国の天皇陛下とテロ支援国家、いや「ごろつき国家」の元首を同列にするのはもってのほかである。
 駐日北朝鮮大使にでも就任されたのであろうか。


平成20年7月9日『産経新聞』

 加藤氏「拉致被害者を北朝鮮に返すべきだった」と発言
             家族会・救う会が抗議声明

 自民党の加藤紘一元幹事長 自民党の加藤紘一元幹事長が拉致被害者5人について「国家と国家の約束だから北朝鮮に返すべきだった」と発言したことをめぐり、拉致被害者家族会(飯塚繁雄代表)と「救う会」(藤野義昭会長)は9日、「拉致被害者や家族の思いや不安をまったく理解しようとしない加藤氏に強い憤りを覚える」と抗議声明を出した。
 加藤氏は7日夜のBS番組で、小泉純一郎首相(当時)が訪朝した平成14年秋、拉致被害者5人が帰国した際、政府が5人を北朝鮮に返さないことを決めたことを「当時官房副長官だった安倍晋三前首相を中心に(拉致被害者を)返すべきでないと決めたことが日朝間で拉致問題を打開できない理由だ。返していれば『じゃあまた来てください』と何度も何度も交流していたと思う。そこが外交感覚の差だ」などと発言。金正日総書記が拉致問題を認め、謝罪したことについても「天皇陛下みたいな人物だ」と述べた。
 「家族会」と「救う会」の抗議声明では「5人が北朝鮮に戻されていれば『自分の意思で戻った』と言わされたあげく『拉致問題は解決済み』という北朝鮮の主張に利用されたであろうことは少しでも外交感覚のある人には明らかだ」と指摘。「不見識極まりない発言だ。加藤氏の精神構造を強く疑わざるを得ない」と批判した。

2008年7月 8日 (火)

明日の柏崎を考え、
会田市政を正しく評価する市議会議員の会

 3時、ホテルに戻り、就寝。

 8時、起床。素泊まりだったので、近くのコンビニで納豆巻き2本とヨーグルト、茄子の浅漬けを購入して、朝食にする。

 シャワーを浴びたのち、9時過ぎにチェックアウト。そのまま、永田町に向かい、11時過ぎまで陳情活動。手持ちの資料も無くなったところで、帰路につく。移動しながら、コンビニのおにぎり2個(たらこ、鮭)にコロッケパン、低脂肪乳で昼食にする。

 15時、途中、1件の弔問ののち、自宅に到着。

 18時過ぎ、自宅をでて、上越市の市民プラザに向かう。撤退した某大手スーパーの跡地を利用したものであるが、かなり活用されているようである。

Img_4051  20時、同会場で実施されている上越青年会議所の7月例会の場で、少しの時間を頂き、2008年日本青年会議所・北陸信越地区・新潟ブロック協議会、新潟交流委員会の褒賞事業や9月13日に十日町で実施する会員大会のアピール。会員大会は、一般の方も入場可能であり、大物国会議員、というよりは首相経験者をお呼びしての熱い講演を実施予定である。
 会場がリフォーム物件だからなのか、途中で天井クーラーから大量の雨漏りがあった。プラスチックの桶を下に置いてのちょっと変わったアピールタイムに笑いが起こった。

Img_4058  アピール終了後、新潟交流員会の委員長をはじめ、担当者はそのまま燕三条に移動。新井青年会議所奴奈川青年会議所から出向しているメンバーはそのまま解散となった。夕食を食べていないこともあり、せっかくなので残ったメンバーで近くの「らぅめん助屋 上越店」(電話:025-526-3340)で会食。
Img_4059  それぞれに注文することになったので、「黒らぅめん 全部のせ 1090円」を選択。九州風のとんこつラーメンにマー油を入れたのが「黒らぅめん」だそうで、麺は九州風の細麺。スープと麺の好みを選べたので、「こってり、麺固め」の九州好みのハードテイストにしたが、スープがぬるいのが残念であった。替え玉を入れたとしても、この温度では・・・と思い、珍しく替え玉なしで店をでた。

 22時、一旦、自宅に到着。20分ほど休憩をして、再度、長岡市に向かい、24時から某懇親会の3次会から途中参加させてもらう。

080708_report 先日の長岡市、十日町市へ出向いての財政の勉強会をはじめ、この柏崎市の緊急事態のために、色々な勉強会を議員有志で重ねている。
 資料は、その名も「新聞に載らない柏崎市政レポート」
 これからも内部で勉強を重ねていきたい。

「新聞に載らない柏崎市政レポート
会田市政を正しく評価する

                  (pdf形式)

2008年7月 7日 (月)

チャンネル桜「防人の道今日の自衛隊」出演
世界は原子力へ回帰

 資料作成が間に合わず、4時に就寝。

 8時、起床。大粒納豆、塩鮭、冷や奴でご飯2杯の朝食をとる。シャワーを浴びたのち、会社関係などの仕事で市内まわりにでかける。

 11時から柏崎市議会への陳情などの相談業務。途中、多くのパンを差入れに頂戴したので、低脂肪乳とともに昼食にする。

 17時過ぎ、東京に到着。某東京都議会議員とともに某出版社に出向き、柏崎での雑誌連動のイベント企画ができないものか相談する。

Img_4021  18時過ぎ、チャンネル桜に移動。
 19時から、 『防人の道 今日の自衛隊』の収録となったが、あまりにも話をしたいネタが多く、絞るのに苦労する。
 北朝鮮のテロ指定国家解除のためと言われる、冷却塔の爆破がいかに無意味で、ただのパフォーマンスだったのか、万景峰号が再度入ってくることになった場合に、引き続き泉田裕彦・新潟県知事に頑張って頂きたいと思うのは何故か(港の権限は知事にあり)等をお話させてもらった。

ポイント:新潟知事選挙 10月2日告示、10月19日投開票
 この知事選挙に人道支援を誘うような北朝鮮によるプロパガンダが予想される。

 また、東京電力株式会社柏崎刈羽原子力発電所より、震災後の原子炉などの映像も提供してもらい、中越沖地震にも耐えきった原子力技術を放送した。

Img_4022 収録終了後、某「激売れ」保守系オピニオン誌関係者、ジャーナリストの井上和彦さんと「鶏料理専門店 とりかく 宮益坂店」(電話:03-5774-1027)にて会食。
 政治関係の話など、真面目かつ馬鹿話で盛り上がる。

 23時過ぎ、お店をでてから、遅くなったが某地方議員の事務所に行き、懇談。

2008年7月 6日 (日)

現職・中学教頭の主張
「学校から労組排除を!」

 3時、自宅に戻り、あまりの煙草臭さにシャワーを浴びてから就寝。

 8時、起床。大粒納豆、じゃがいもとピーマンの油炒め、板ワサでご飯2杯の朝食をとる。

 9時から事務所に来客。柏崎市で復興目的に宿泊を伴うイベントを開催したいとのありがたい企画の話であった。

Img_4016 11時過ぎ、小さい子供を連れた方や選挙を手伝ってくれた方など知った顔が事務所に集まったので、焼き鳥の余りもの、コーン缶、納豆パウダーを使った炒飯を作り、またその炒飯にかけるための山芋とろろを作り、「とろろ炒飯」で昼食をとってもらう。
 13時過ぎまで市内の市長選挙に関する情報など色々な話を聞く。

 16時過ぎ、祖母がデイサービスから帰ってきたので迎えに出たところ、またも自分の息子である無くなった父と私を間違っていた。

 17時まで事務所内で事務仕事をしたのち、市内某所で18時からと20時から2件の打ち合わせ。

Img_4020 21時、自宅に戻り、残りもののカレイの塩焼きと昆布パウダー、納豆パウダーを使った素・スパゲティで夕食をとる。
 明日、チャンネル桜『防人の道 今日の自衛隊』に出演することになっているが、是非お話したい北朝鮮の黒鉛炉の良い写真(もちろん著作権もあるため)が見つからず、手書きにしようか悩む。最悪、手書きで説明パネルを作ろうかと思う。

 先日の廃炉パレードへの教職員の参加、そして今日行われた「新潟県母親大会」へも教職員組合が主催者側として関わっていた。もちろん、教師個人ではなく、組合のメンバーとしてである。
*3名の方から「草」として「新潟県母親大会」に参加してもらったので、詳細は後日報告。
 しかし、いくら組合とは言っても教師が、こういった政治活動を行うことには非常に違和感を感じる。そんな暇があれば、授業の充実のため資料作りをするか、良い授業にするために十分な休息をとってもらいたい
 そもそも、教職員は労働組合法は適用されないうえ、明確な政治活動を行うことは地方公務員法第52条違反。現職の中学校教頭でさえ、勇気をもって新聞紙上で指摘している。

 教師の目的は何か、根本に立ち返る必要があろう。


平成20年6月11日『産経新聞』

【解答乱麻】学校から労組排除を

北海道紋別市立渚滑(しょこつ)中教頭・長野藤夫

 国旗・国歌の指導▽学校職員評価制度▽心の教育▽指導主事による学校教育指導▽主任制▽全国学力・学習状況調査▽全国体力・運動能力、運動習慣等調査▽初任者研修▽10年経験者研修-。
 これらにことごとく反対し、妨害や骨抜きを図り、学校教育の正常化を妨げる反社会的勢力がいる。
 彼らは、授業時間や時数を意図的に削る怠業はもとより、勤務中の組合活動やストライキ、選挙運動などの違法行為でさえも平気ではたらく。もはや教師の仮面をかぶっているだけと言っても過言ではない。
 はたして、何が彼らをそうさせているのかである。
 それは、次の言葉に言い尽くされている。

 「自分はこの学校の職員である前に、組合員です」

 耳を疑うような言葉であるが、このように言い切る者が少なからず存在するのである。まさに「自分は教師ではありません」「教育公務員ではありません」と宣言しているに等しい。自分の職務は何なのか、そして自分の給料がどこから出ているのかを1度も考えたことがないのであろう。
 言うまでもなく、地方公務員法第58条により、公立学校教員には労働組合法が適用されない。それは、公務員の「使用者」が国民、住民だからである。公務員と「使用者」たる国民、住民とが対等の立場に立つことになる労働組合法の適用は、公務員を「全体の奉仕者」であると定めた日本国憲法第15条に反する
 だから、彼らの言う「組合」とは「労働組合」ではなく「職員団体」のことなのだ。
 地方公務員法第52条の「この法律において『職員団体』とは、職員がその勤務条件の維持改善を図ることを目的として組織する団体又はその連合体をいう」との規定から考えると、先に掲げた彼らの行為は「職員団体」の目的から著しく逸脱した違法行為だ。にもかかわらずそれを防ぐことができず、結果的に児童生徒に害悪がまき散らされ、教育がゆがめられてしまっているのは「職員団体」と称しながら実質的には「労働組合」だからである。
 では、何をどうすれば、この状況を解決できるのかである。
 同条第5項には、「警察職員および消防職員は、職員の勤務条件の維持改善を図ることを目的とし、かつ、地方公共団体の当局と交渉する団体を結成し、又はこれに加入してはならない」とある。
 そこで提案する。
 この第5項に「教育職員」を加えるべきである。教育は国家百年の計なのである。治安や災害回復に勝るとも劣らない重要な任務を担っているのだ。
 中には、全日本教職員連盟のように、少数ではあるが教師としての自覚と誇りを持って活動している職員団体もある。また、某職員団体のような反社会的勢力に所属していても、まじめに努力している人はいる。
 だが、ここは大事をとって禍根は断たねばならない。関係する各方面に問題提起をさせていただく。

2008年7月 5日 (土)

西川勉氏旭日小綬章受章祝賀会

 2次会、3次会と続き、4時にお開きとなった。かなりの散財。ホテルをとっていない、というよりは現金も尽きたので、マンガ喫茶で仮眠する。

 6時過ぎ、マンガ喫茶をでて、7時の新幹線に飛び乗り、柏崎まで戻る。途中、おにぎり2個(たらこ、さけマヨネーズ)、納豆巻き、低脂肪乳で朝食をとる。

 10時30分ごろ柏崎駅に到着。母から車で来てもらい、そのままメトロポリタン松島に移動する。

Img_4007 11時から元・新潟県議会議員である西川勉先生の旭日小綬章受章祝賀会。
 西川先生は。柏崎市議会議員を2期、新潟県議会議員を5期、県議会議長を務められただけではなく、経済人として柏崎商工会議所の会頭も行い、そして文化人として音楽や写真をプロ並みに極めた方である。そして、県議会議長経験者としては、お父様である弥平治氏とともに親子二代にわたる。
Img_4008 祝賀式典において、西川先生ご夫妻が入場する曲もご自分で指揮をとられた柏崎フィルハーモニー管弦楽団の演奏による「ラデツキー行進曲」。
*オーストリアの軍人であるラデツキー将軍を称える行進曲
 粋な演出であり、またこれができるのが、西川先生らしいところである。
Img_4009 式典の後、会場を移して、祝賀懇親会。
 持ってきたお祝いでは申し訳ないほどの料理がでたこともさることながら、200名を超える出席者で会場はかなり盛り上がり、時間の経過を忘れるほどであった。
 普段一緒に飲む機会があまりない、県内各地選出の県議会議員をはじめ、市内の企業経営者など、お祝いに来たのに、色々勉強させてもらった感じである。
Img_4012 また、出し物として、西川先生が応援してきた三味線の皆さんが出演してくれ「津軽じょんがら節」など演奏してくれた。アンコールでは「みかんの花咲く丘」。
 議員としては引退されたが、日本会議柏崎支部の支部長をはじめ、西川先生にはまだまだお元気で是非、ご活躍頂きたいと思う。

Dsc03587 15時近くに自宅に到着。甥っ子と退院した姪っ子が遊びにきていたので、かなり酔っていたが、ウルトラマンタロウとウルトラマンメビウスのお面を使ってウルトラマンごっこ。酔いがまわった。それにしてもウルトラマンタロウは、「ストリューム光線!」と叫ぶのが必須であるため、子供相手でも恥ずかしい。

 16時から18時まで、事務所で仮眠。

 19時から市内某店での懇親会に出席。今日は酒漬けである。
 東京では、拉致被害者救出のためのデモ行進などが行われていたはずなので、いくら地元行事優先とはいえ、申し訳ない限りである。

 22時、一旦中締めとなったため、帰宅しようと思うもカラオケに行こうということになり、スナックに移動。
 「ウルトラマンレオ」、村下孝蔵「初恋」、池田聡「モノクローム・ヴィーナス」などを歌う。 

2008年7月 4日 (金)

震災後の財政計画勉強、長岡市・十日町市
JC褒賞事業第5エリア審査会

 3次会まで行き、2時過ぎに帰宅。酔っていても読める内容の本を読みつつ、3時ごろに就寝。

 7時、起床。最近発売された新刊の漫画8冊ほどを持って、1時間ほどの長風呂に入る。

 8時過ぎ、大粒納豆、目玉焼き、あさりバター炒めでご飯2杯の朝食をとる。食後、着替えて、柏崎市役所に向かい、公明党・真貝議員、民友会・遠藤議員、平成会・荒城議員と待ち合わせ、長岡市役所に向かう。それぞれ会派代表というわけでもなく、今後の柏崎市の財政に関心のある議員で集合した。
 規模が違う中越大震災と中越沖地震とはいえ、なぜ柏崎はこんな財政難になったのか、また合併はどう財政に影響したのか、長岡市と十日町市の財政を勉強させてもらうのが目的である。

Img_3997  10時過ぎ、大雨の降るなか、長岡市役所に到着。
 議会事務局の方にご案内頂き、財政当局の方から説明を受けたのち、質疑応答となった。
 気になった数字は以下の通り。

 ・長岡市がこれまで災害復旧に措置した予算
平成16年度から平成20年度(予算額)
1436億円

*長岡市の当初予算は約1350億円。上記金額のうち、平成19年度半ばからは中越沖地震の復旧費。うち546億円のなかには融資関係も含む

<財源の内訳>
 
国・県支出金 593億円(41%)
 市債      259億円(18%)
 その他     429億円(融資利子など収入)
 一般財源   155億円(11%)

 これから返すべき、災害復旧債は約120億円であり、長岡市の起債残高1330億円(一般会計)のうち約1割でしかない。

<総起債残高>
 長岡市 2500億円(一般会計+特別会計)
 柏崎市 1400億円(一般会計+特別会計)

長岡市の実質公債費率
 平成17年度 17.4%
 平成18年度 17.1%
合併に伴うもの、下水道

 質疑応答等、生々しい話もあり、色々と考える多かった。
 正直な感想としては、あまりにも不確定要素が多い国からの特別交付金を当て込み過ぎた柏崎市(予想額より17億円不足し、ピーピー状態に。長岡市は予想外の80億円)の事業決定までに対する疑念である。
 合併を多く行った長岡市の業務の多さに驚くとともに、そのような多忙のなか、快く視察を受け入れてくれたことに深く感謝を申し上げ、移動した。

Img_4000  13時過ぎ、十日町市の十日町地域地場産業振興センター(略称:クロス10)に到着。
 クロス10内にある「小嶋屋」(電話:0257-57-2323)で昼食をとろうということになり、へぎそばと天丼のセットである「小雪そば 大盛 1000円」で昼食にする。

Img_4001  14時、十日町市役所に到着。
 十日町市は吸収・対等合併ではなく、新規の合併であったため、かなり様子は異なっていた。
 合併してきた町村で持っていた各種貯金(財政調整基金や目的をもった基金)を、すべて財政調整基金にするわけではなく、それぞれ旧町村の実情に合わせた目的をもった基金のままにし、財政調整基金の持ち寄り割合を一番持っていなかった旧十日町市に合わせたことも初めて知った。
 また、地震もそうであるが、豪雪時の除雪費用(これまで最大で27億円)もあり、自然災害が与える財政上の不安の大きさに唯々驚いた。
 外部から数字を追っただけの自治体分析では見えてこないことがあり、有意義な視察となった。
 懇切丁寧に失礼な質問にも答えてくれた十日町市の財政課には御礼申し上げたい。

Img_4003 16時、六日町の「金誠館」(電話:025-772-2377)に到着。
 今日は、2008年日本青年会議所・北陸信越地区・新潟ブロック協議会、新潟交流委員会の褒賞事業、第5エリアの審査会である。
 今年から初めての試みであり、これまで内輪の評価だけであった県内23青年会議所の褒賞事業に、外部からの審査員に加わって頂いた。
 新潟県内をエリアに分けて、順次行っていくが、今回は記念すべき第一回目。
Img_4005 審査員は、地元の青年会議所から十日町青年会議所・服部理事長、魚沼青年会議所・佐藤理事長、 雪国青年会議所・北原理事長、行政関係から十日町市長、魚沼市長、南魚沼市長、川口町長、湯沢町長、津南町長、十日町商工会議所、民間団体として、NPO「セーフティーネットぼうさい」、NPO魚沼交流ネットワーク、劇団「ゆきぐに」の皆様。
 県内23青年会議所それぞれから提出された自慢の事業であるが、プレゼンテーションはそれぞれ3分で統一され、前半12事業、5分休憩後、後半の11事業が紹介された。
 審査員からのお声も上々で、他の地区で行っているまちづくり事業がよく分かり、参考になるとのことであった。
 審査会終了後、懇親会が開催されたが、出張のため、そのまま東京に移動。

 22時、かなり遅刻したが、赤坂の某店にて某国会議員秘書、企画会社経営者などと懇親会。
 柏崎への100名以上の宿泊を兼ねた原子力などエネルギー、そしてオタク系の遊びを絡めたイベント企画などを話し合う。

2008年7月 3日 (木)

要対処!忘れられた中越沖地震

 議事録やメールを書き、やっと4時に就寝。

 7時、起床。大粒納豆、薄味たらこ、冷や奴でご飯2杯の朝食をとる。

 8時から9時まで某町内会長宅にて、相談業務。

Img_3986  9時、ホテルに泊まっていた山形県米沢市議会の一新会の皆さん(相田克平議員、島軒純一議員、海老名悟議員、鳥海隆太議員、渋間佳寿美議員、工藤正雄議員)と合流して、柏崎刈羽原子力発電所サービスホールに移動し、約2時間かけて中越沖地震での原子力発電所の被害の実態と、原子力発電がいかに日本にとって必要なのかをご覧頂いた。

 11時過ぎ、たいしたお見送りもできず、申し訳ないながら長岡駅に移動。東京まで行こうとしたものの、途中、弔問もあり、目的の新幹線に一本遅れてしまった。

 14時20分過ぎ、東京駅に到着し、タクシーで衆議院第一議員会館に移動。
 我が県選出の自民党・高鳥修一衆議院議員、自民党・近藤基彦衆議院議員をはじめ、自民党・戸井田徹衆議院議員、自民党・麻生太郎衆議院議員、そして某首相経験者の事務所をまわる。
Dscf4394 色々な話があったが、一番の驚きは「もう中越沖地震なんて過去のもの」風の雰囲気である。
 これは何とかしなければならない!
*写真は被災当日の事務所

Img_3993  所用が終わったところでT氏、K氏の2名と「つばめKITCHEN ~丸の内オアゾ(oazo)~」 (電話:03-5252-7900)で、かなり遅い?昼食兼夕食。
 「ニシンの酢漬け つばめ風 578円」に「ソーセージの盛り合わせ 1260円」という定番をまず注文。ソーセージは、ブツッという皮がはじけた後に口中に広がる脂が良く、添えられてきたボディのしっかりした粗挽きのマスタードがまた泣かせる。
Img_3994 続いて2~3人前という「ドイツ鍋(おじや付き) 3780円」を注文。アイスバイン、ウインナー、フランク、ロールキャベツを入れたもので、仕上げに残ったスープにご飯を入れてくれる。これも文句なしの美味さであった。
 勢いで決めた店であったが、是非、近いうちにビールがたっぷり飲める状態で来たいものである。

 20時過ぎ、長岡駅に到着し、駐車していた愛車に乗り換えて自宅に向かう。途中、あまりにも眠くなり、20分ほど仮眠。

 21時過ぎ、自宅に到着。風呂に入って目を覚ましたのち、頼まれていた書評などの原稿を書く。

2008年7月 2日 (水)

市長選挙、廃炉派の投票行為は?

Img_3971  2時過ぎ、シメとして、「中華美食館柏崎店」(電話:0257-23-4530)でビールと「檄辛ラーメン」。
 なぜか例会担当委員会のメンバーと最後まで来てしまった。
 3時、自宅に戻り、シャワーを浴びて、就寝。

 8時過ぎ、起床。大粒納豆、生卵でご飯2杯で朝食をとる。

 9時から弔問2件。

 10時過ぎ、中越沖地震にてボランティアに来てくれた千葉県船橋市の学生さん4名と柏崎駅にて待ち合わせ、復興しつつある市内をご案内。
 途中、メンチカツなどを買い食いする。
 12時、市内の飲食店を何店かご紹介して、事務所に戻る。

 13時過ぎても腹が減らないので、昼食は野菜ジュースのみ。溜まっていた新聞切り抜きのデジタル化(PDFファイルへ)を行う。

Img_3985 15時過ぎ、中越沖地震発生から支援に来てくれ、また商店街同士の交流の場を作ってくれた、山形県米沢市の相田克平議員をはじめ、所属会派の一新会の島軒純一議員、海老名悟議員、鳥海隆太議員、渋間佳寿美議員、工藤正雄議員と待ち合わせて、視察のご案内をする。
 柏崎コレクションビレッジ「痴娯の家」からご視察頂こうと思ったものの、あいにくの休館日。リニューアル・オープンした「こどもの時代館・昭和懐物ランド」を案内し、ついでに自分でも「ウルトラ兄弟ガム」やウルトラマンタロウ、ウルトラマンメビウスのお面を購入してしまった。
 その後は、拉致現場をはじめ、市内主要部を通ってホテルまでお送りし、打ち合わせがあるため、失礼させてもらった。

 18時から会社関係の打ち合わせ1件。

Img_3974 20時近く、遅くなってしまったが、市民プラザに移動し、「中越沖地震震災復興イベント 2008どんGALA!祭り」第6回実行委員会に出席。
 資料をもらって、さて合流と思ったところで自宅から電話があり、祖母が外にでてしまったとのことであった。急遽自宅に戻り、探せば風呂場のなかでズブ濡れになっていた・・・。

Img_3981 22時近く、かなりの遅刻をして市長選関係の打ち合わせに出席。
 相手となる現職・会田市長の選挙パンフレットが手に入ったので、内容を見てみた。
 出席していたメンバーからは、「何だこりゃ・・・」の声があったが、私の感想は違った。それは、明確に原子力発電所との共存が書かれていたからである。

 「原発と柏崎市
  ・重要な基幹産業のひとつ原子力発電所とは共存を図ります。」

 つまり、会田市長を応援する社民党をはじめ、「廃炉を訴える反原発団体」の存在は完全に無視された。
 今後、「廃炉を訴える反原発団体」が会田市長を応援するためには、表面上、廃炉を訴えつつも、

 「これは選挙のため」
 「再選後には廃炉を訴えるから・・・」

と何らかの理由をつけなければならない。まさに欺瞞に満ちた選挙である。
 ここで活躍すべきは共産党であろう。
 市内では「廃炉」を言うものの、議場では「廃炉」の「は」の字も言わない社会クラブに比べ、先の議会でもちゃんと議場で「廃炉」を発言していたのは共産党である。
 私自身は、原子力推進の立場をとるが、立場は違っていたとしても、政治に関わる者は「筋を通すべき」と思う。行く先々で言い方を変える者こそ、政治家ではなく、政治屋である。
 恥ずかしい選挙にしないためにも、キチンと廃炉を訴える市長選挙候補者はでてこないものであろうか。

 23時過ぎ、自宅に戻り、大粒納豆2パック、冷凍うどん2玉で「納豆うどん」を作り、夕食にする。

2008年7月 1日 (火)

ものづくり活性化センター開所
古代製鉄遺跡を柏崎の武器に!!

 事務所の片付けが終わらず、4時就寝。

 8時、起床。大粒納豆、秋刀魚明太、冷や奴でご飯2杯の朝食をとる。

080701_dvc00001  シャワーを浴びたのち、市内軽井川に移動。
 9時から、柏崎市ものづくり活性化センターの開所式に出席する。
 このセンターは、新潟県から移管されたもので、今度の柏崎のものづくりために産官学の交流を主に行っている場を目指すという。
 玄関入り口にある銅製の看板がこぢんまりしていたので、もっと派手なものでも・・・と、つい口走ってしまったが、柏崎青年工業クラブの皆さんからの善意との事。味わいある銅板になってくれることを願う。

 11時から長岡市の某店で打ち合わせ兼昼食会。親子丼と盛りそばのセットですっかり満腹になり、食後は睡魔が襲ってきた。

 14時、柏崎に戻り、市内まわり。地元新聞の縮刷版を購入したり、中越沖地震発生後からの新聞報道を検証するための資料を集める。

Img_3966  16時、遺跡考古館(電話:0257-22-2003)に行き、柏崎フロンティアパーク造成で発見された「軽井川南遺跡」を紹介するため、柏崎市教育委員会で作成されたパンフレット「柏崎の遺跡シリーズ第一集」(A4判16ページ)を分けてもらう。
 また、作業中であった下ヶ久保Aの炉など見学させてもらった。
 この下ヶ久保Aこそ、「軽井川南遺跡」の要諦であったかと思う。
 平成15年4月23日「軽井川南製鉄遺跡群を守る会」から市議会議員全員への公開質問があり、私は次のように回答した。

問1.軽井川南製鉄遺跡群は市民の貴重な文化的財産として可能な限り現状保存すべきもので、基盤機構と協議調整の上、その努力をすべきだと考えますが、どのようにお考えですか。

 軽井川南製鉄遺跡群が市民の貴重な文化的財産であることは、同じ思いであります。この遺跡群の存在によって、

 ・柏崎各地の地名とたたら製鉄
 ・柏崎に残る民話とたたら製鉄
 ・蝦夷などとの武力闘争がないこの地でたたら製鉄が繁栄した理由
 ・太平洋側の製鉄技術、日本海側の製鉄技術の違い

など歴史的ロマンは大きく広がるところであり、積極的な調査を望む立場であります。
  ただし、本遺跡の特徴として、400年以上も同じ場所にたたら製鉄を操業していたことによる、「重なり」のある遺跡もあり、調査をすることによって、結果的に壊れる(時代の新しい)遺跡もあります。
  また、現状保存とは、再度土を盛って寝かせることであって、その後の地上部分の管理も必要になってまいります。可能な限り、とにかく現状保存をするという手法もあるとは思いますが、試掘、そして学術調査をし、遺跡群のなかで遺跡の重要度分類を行い、記録保存で良いもの、また現状保存した方が良いもの、切り出し保存をした方が良いものを分ける、という現実的な選択が必要と考えます。
 すべて現状保存するために、基盤機構からすべての土地を買い取るという手法もあるとは思いますが、買い取り費用、買い取った後に永続的にかかる地上の管理費用を考慮しますに、選択できる方法ではないと思っております。

問2.1400平米のみの現状保存ではなく、更に現状保存の地域を広げ、将来国指定の史跡としての保存・活用につなげることが肝要かと考えますが、どのようにお考えですか。

 軽井川南製鉄遺跡群を市民の貴重な文化的財産と考える点では、同じでありますが、将来「国指定の史跡となること」は結果的にそうなれば僥倖とも言える素晴らしいことであって、「国指定の史跡となること」が今の目的ではないと捉えています。
 今回発見された軽井川南製鉄遺跡群を大切にし、文化的な調査や歴史ロマンを語ることを今やるべきであって、「国指定の史跡となる」ために、やみくもに現状保存の地域を広げるのは本末転倒の感があります。
  また、「国指定の史跡となること」に対しても、ただ広ければ国による指定の「可能性」があるというだけでは、億単位の貴重な市民の税金をその「可能性」に拠出はできないと考えます。
  例えば、国の史跡整備の助成制度でも補助額が最高(1億8000万円)の地方拠点史跡等総合整備事業国庫補助を適用するにしても、文化庁に対し、どの条件を揃えれば良いか現時点で確認する必要があります。個人的にこれまで提案してまいりましたのは、下ヶ久保Aに含まれます鋳造遺跡の切り出し保存であります。これは、見た目上は観光資源にもならないものとは言われるものの、この鋳造遺跡こそは学術的に貴重なものでありますので、これを切り出し保存するというものです。こういった学術的価値と現状保存の範囲をセットにして国による指定を受けようと努力するなら良いのですが、とにかく範囲だけ広げれば可能性があるということだけでは、税金の使い方としていかがなものかと思います。

問3.一千年前の古代人が、柏崎という場所で、どんなくらしをしていたかと考えたり、調査し保存(記録保存は含まない)する事は現代人に与えられた使命だと思いますが、産業団地の方を優先しますか、その理由と考えをお聞かせください。

 産業団地でありますフロンティア・パークの優先か、遺跡の全面保存か、という二元論ではなく、古代の製鉄所の集まり、つまり古代の産業団地であり、古代のフロンティア・パークである軽井川南製鉄遺跡群と現代のフロンティア・パークをうまく共存させることが重要と考えます。
 フロンティア・パーク事業自体は、市民の負担がほとんどなく整備され、また基盤整備機構側がその後の企業誘致の責任をもつ(自分たちの利益のためにも)ものであります。
 企業誘致が成功し、一人でも多くの雇用が生まれ、現代に生きている柏崎市民の生活が安定することも、文化保存と同様、僭越ながら政治家の仕事と思っております。
 フロンティア・パーク事業と真っ向から対立する軽井川南製鉄遺跡群の価値の高い(柏崎の武器となる)遺跡は下ヶ久保Aでありますので、その扱いについて議論する方が重要かと考えます。
 また、フロンティア・パーク事業を中止し、これまで基盤整備機構が整備のために投入した費用を市民の税金で負担して、遺跡全体にもう一度土を盛り、その後、税金で維持管理していくことで市民の総意が得られるのであれば、議論は白紙からスタートとなりますが、現実的ではないと思います。

問4.軽井川南製鉄遺跡群の現時点で解っている遺跡の全貌、発掘された遺物の公開説明会など随時行い、文化財の積極的活用と公開をはかり、歴史的な遺産が隠蔽されることなく市民が共有出きる様に発掘ニュースなどとして市民に公表し、学校教育や社会教育役立てるべきだと考えますが、お考えをお聞かせください。

 まったくもって同じ考えであります。
 軽井川南製鉄遺跡群により判明していくであろう、古代の柏崎の様子などは積極的に公開し、柏崎の財産にすべきと思います

 一度、公言した以上は古代と現代の産業団地の歴史をつなぐ作業に着手すべきという思いもあり、今回パンフレットを分けてもらった次第である。
 今考えれば、議会側にも問題はあったとは思うが、結局、会田市長は国にも働きかけず、現在は柏崎市の単費で遺跡に関する作業を行っている。
 残すべき物を残せず、残すにも十分な金を確保できていない。某職員によれば、選挙もあるからなのか、会田市長は市役所のなかにいる時間が多いという。市役所のなかにいる事も大切であろうが、もっと外にでて柏崎市のための営業マンになってきてもらいたいものである。
 あえて言えば、企業誘致に関しても「軽井川南遺跡」も武器にするぐらい器の大きさがほしいところ。もちろん、そして自分でも実践していきたい。

 17時から20時過ぎまで、自民党柏崎支部で選挙関係の打ち合わせ。

Img_3969  21時近く、終了間際となったが、柏崎エネルギーホールに移動し、柏崎青年会議所の7月例会「生き残るための経営戦略セミナー~今こそ決断のとき!~」に出席。
 講師は、有限会社TAOK人材開発の代表取締役・佐藤寛氏で、経営について学ぶ例会である。できれば、最初から出席したかった例会であった。

Img_3970  21時過ぎ、「日の出寿司」(電話:0257-23-4536)に移動し、懇親会。
 今日の例会で学習したSWOT分析をはじめ、経営に関するアツイ話から、来年度の柏崎青年会議所の委員会人事など、あっという間に閉会の時間となった。
 市内某スナックに移動し、2次会。

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