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2008年8月17日 (日)

新潟日報の主張?
首相靖国不参拝

 3時、就寝。

 7時、起床。大粒納豆、鮭の塩焼き、冷や奴でご飯2杯の朝食をとる。

 8時から13時まで、市内まわり。某市議会議員が吹聴している、私が暴力団構成員で飲食店からみかじめ料をとっているだの、原子力産業界から多額の献金を受けているだの、色々なお話を聞く。そんな根も葉もない事を言うことで、自分自身の評価を落としていることに何故気がつかないのであろうか。

 14時、遊びに来ていた姪っ子、甥っ子がお昼に残した冷や麦やコロッケで昼食をとる。

 15時から17時過ぎまで事務所で会社関係の打ち合わせ。中越沖地震以来、政治の仕事や青年会議所の活動に時間をとられているため、そろそろ本腰を入れる時期が来ている。

Img_4428_2  打ち合わせ終了後、議事録などを書き、20時、頂き物のサザエをつぼ焼きにして、ビールを飲みつつ、ひきわり納豆を入れたお茶漬けとともに夕食。最近、冷たいお茶漬けが最近ブームとのことで、冷たいウーロン茶でお茶漬けを作ってみたが、納豆茶漬けとしてはイマイチの感があった。

 ここ数日の新聞を整理していたところ、『新潟日報』紙上に靖國神社と国立追悼施設に関する社説が掲載されていた。
 私自身の考えは、国立追悼施設に断固反対である。
 それは、日清戦争、日露戦争、そして大東亜戦争を戦って散華された方は、

 「靖國神社で会おう!」

と言い、また国や残された方も靖國神社での慰霊を約束をしていた。
 戦争に負けたからといって、その約束を破るのは間違いと思うからである。
 『新潟日報』の社説はどうであったかといえば、


平成20年8月16日『新潟日報』

首相靖国不参拝 国立追悼施設はどうする

 終戦記念日の十五日、福田康夫首相は、前から公言していた通り靖国神社には参拝せず、千鳥ケ淵戦没者墓苑を訪れた。
 靖国神社をめぐっては小泉純一郎元首相の参拝が中国や韓国からの強い反発を招いた。両国との関係は冷え切った。
 そんな緊張感に包まれてきた靖国の夏に久々に落ち着きが戻ったようだ。首相の姿勢でこうも変わるのか。日本のリーダーの対アジア観がいかに重要か。そんな思いに駆られる。
 全国戦没者追悼式で河野洋平衆院議長が、無宗教の新たな国立戦没者追悼施設を造る必要性に触れた。
 河野議長は「特定の宗教によらず、すべての人が思いを一にして追悼できる施設の真剣な検討」を求めた。議長として異例の言及だ。
 いまは収まっていても靖国神社が抱える火種は消えない。そんな危機感をにじませたものだろう。
 追悼施設に理解を示す福田首相に対し、建設に向けての決断を促したものともいえる。首相はこれに応えていく必要があるはずだ。
 首相が官房長官だった二〇〇二年、私的諮問機関が無宗教の国立追悼施設の必要性を盛った報告書をまとめている。しかし、その後は事実上放置されたままの状態が続いている。
 靖国神社と追悼施設の在り方をめぐっては多様な意見がある。麻生太郎自民党幹事長は、かつて靖国を国営化する私案を発表したことがある。一方で千鳥ケ淵墓苑を拡充することで、追悼施設に格上げさせようとの声が与野党議員から上がっている。
 首相は昨年の自民党総裁選でも追悼施設の必要を語っている。そうであるならば持論の施設建設について自らの考えを披歴し、党内論議をまとめていかなければならない。
 追悼施設をめぐる首相と麻生幹事長の主張は異なる。河野議長の発言に町村信孝官房長官は慎重姿勢を示した。十五日には多くの閣僚や政治家が参拝した。小泉元首相や首相在任時には見送った安倍晋三前首相も参拝した。
 自民党内の意見が割れていることを理由に先送りしては、首相としての責任感に欠けると言わざるを得ない。
 追悼施設の是非は政界再編の争点になってもおかしくないテーマだ。日本の将来にとって重要な問題を先送りし、うやむやにしてはならない。
 靖国神社がA級戦犯を合祀したことに昭和天皇が不快感を示していたことが明らかになった。


と、1ギガ歩譲っても相容れない意見であり、昭和28年の国会における名誉回復決議(社会党も賛成)があり、A級戦犯などと国内ではいないのに、いまだA級戦犯などと書いている。
 昭和天皇の靖國神社への参拝問題は、三木元首相の私的・公的論が発端となっているだけで、勅使を例大祭にお送りになられており、国立追悼施設の議論とはまったく関係ない。
 昭和天皇の御製を理解すれば、答えは明確である。

 国のためいのちささげし人々を
    まつれる宮はももとせへたり


 そして、この社説の最後はこう結んである。


 天皇も政治家も、そして国民も心穏やかに戦没者を慰霊する場が要る。首相が堂々と公式参拝しても、アジアの隣国を傷つけない。国立追悼施設論議の原点だ。避けては通れない。


 ・・・・・はぁ?
 アジアの隣国を傷つけるだのうんぬんは、相手の外交カードに乗っかっている以外の何者でもない。遺族会こそが首相の靖國神社参拝を願っているのである。
 いったい、どこの国の新聞なのであろうか。

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