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2009年1月

2009年1月31日 (土)

慰霊調査のため、インドに出発

 1時過ぎ、カプセルホテルを見つけ、シャワーを浴びたのちに就寝。

 7時、起床。ゆっくりと大浴場に使ったのちにチェックアウトし、コンビニで納豆巻き2本、低脂肪乳、グレープフルーツジュースを購入して朝食をとる。

 途中、色々な買い物をしつつ、成田空港に向かって移動。

 10時過ぎ、成田空港第2ターミナルに到着し、参加するツアーの皆さんと合流する。元産経新聞で戦史の追及などご活躍の作家・牧野弘道氏、同じく元産経新聞で『週刊新潮』の人気連載「変見自在」、『世界は腹黒い』のジャーナリスト・高山正之氏をはじめ、医師、大学教授など色々な職歴の方、ご高齢で参加の元帝國軍人の方など約20名である。

Cimg0966  早速、出国手続きをして、空港内を散策。
 いつもは予定をギッチリにつめており、これまでゆっくりと出発ロビーを散策する時間のある旅はなかなかなかったので、良い経験となった。
 ツインもある仮眠室やシャワールームもあるリラクゼーションスペースをはじめ、スーツケースの開錠サービスなど、ドンドンと進化している。
Cimg0967 ショップも色々なジャンルが揃い、見ているだけでも楽しい。
 なかでも、 「Fa‐So‐La TAX FREE AKIHABARA」は、秋葉原、いや外国人がいう「AKIHABARA」 を再現したオタク感あふれるショップで、ガンダムをはじめ、アニメグッズを多く取り扱っていた。
 近くにいた白人カップルは、エアーキャップ、いわゆるプチプチをおもちゃにしたものにハマっているようで、やたら感動しているようであった。

Cimg0969 11時40分、搭乗口に移動。搭乗する航空会社はエア・インディアであり、最近活発となっているテロ活動の防止のためか、搭乗前にもエア・インディア独自のセキュリティチェックが行われた。
 もし、ここでハイジャックの武器となる危険品が見つかるとすれば、出発ロビー内の売店や関係者がテロに協力した場合のみであろう。そこまで神経をとがらせているのである。

Cimg0972  12時、AI307便に搭乗。機体はボーイング777-200LRであり、乗客率は60%といったところ。最後尾の2名がけの席でゆったりと座れた。
 12時50分、機内食での昼食。選択は、ベジタリアンかノンベジタリアンとなり、ノンベジタリアンのチキンカレーを選んだ。
 日本での調理のためか、あまり抵抗感はない。ただ、甘すぎるライスプディングだけは、受け付けない味であった。

Cimg0974  機内での時間は、すべて読書にあて、高田歩兵五八聯隊関係者で編纂した『ビルマ戦線』やそのほかのインパール作戦に関する資料のうち、コヒマでの戦闘を中心に読みあさる。
 意外に集中して読み進めることができたが、メモをとるための愛用デジタルメモ「ポメラ」DM10を持参してこなかったのが、失敗であった。

Cimg0975  18時40分過ぎ、二回目の機内食。
 現地時間での夕食との兼ね合いのため、軽るめの軽食となるサンドイッチなどがだされた。最近フルーツを食べていなかったので楽しみにしていたが、先に砂糖たっぷりのデザートを食べてしまったので、あまり味を感じることができず残念。

Cimg0973 18時(現地時間、時差-3.5時間)、デリー(インディラ・ガンジー)国際空港に到着。多少、肌寒く、霧がかかっている。
 入国審査を終え、移動のための団体バスに乗る。
 今回のツアーのトータルコーディネーターは、ジャギー氏。
 空港から夕食会場となるレストランまでの移動の間、最近のインド情勢を説明してもらった。

・ デリー(インディラ・ガンジー)国際空港及び周辺は、来年5月開催のイギリスの植民地だった国が集まって行うコモンウェルズ・ゲームに合わせて大改築をしている。高速道路、地下鉄、モノレールの工事が行なわれており、あっという間に風景が変わる。ただし、工事の進捗は遅れており、大会までに完成するか微妙なところ。

・デリーは首都圏(NCR=ナショナル・キャピタル・リゾン)を構成しており、人口は1300万人。当初は500万人を予想していた。教育費用が高いので子供は1人か2人の家庭が多い。教育費用が高いので子供は1人か2人の家庭が多い。

・ デリーは首都圏を構成し、デリーは、連邦の首都機能があるニューデリー行政区とオールドデリーに分けられている。ニューデリーは、イギリス植民地時代に作られたものであり、古くは今でいうオールドデリーしかなかった。

・乗用車の50%以上は、日本とインドの合弁となったスズキの製品であるが、いまではそのシェアを韓国の現代自動車と激しい競争している。話題となっているTATA製ナノ(30万円台の小型車)の予約が開始されており、ナノが販売されると二輪車からナノに乗り換える人が増え、これまで以上の交通渋滞が予想される。

・公用語はヒンズー語、ヒンズー語が解らない人のために準公用語として英語を使用。しかし、インド国内で多く使われる言語だけでも16あり、100ルピーなどの紙幣には各言語が表示されている。現在の相場は2円=1ルピー程度で、1万円で4990ルピーに換金。

・今年4月に総選挙がある為、政府方針及び施策、予算が決まっておらず、現政権・新政権の何れが実施するかどうか政治が混乱している。

・インドの宗教は、
 1.ヒンズー教(約70%)
 2.イスラム教
 3.ジャイナ教
 4.仏教
 5.ゾロアスター教(拝火教)
 6.キリスト教
であり、ジャイナ教とゾロアスター教はお金持ちという。ネール、ガンジーは古代ヒンズー教であるバラモン教徒。

・インド国内のイスラム教徒は約20%となり、同じ教徒同士で集まって住むため「パキスタンよりパキスタン」と言われている。ゆえに、テロも続出している。イスラム教徒は殆どオールド・デリーに居住し、クリケットなどインド対パキスタの試合では、パキスタンが勝っても負けても暴動が起こり、大変迷惑している。インド独立時にガンジーはイスラム教徒を認めたが、 「国父ガンジーの唯一の判断ミス」と言う人も最近多い。

・現在のインドでは仏教徒が少ないものの、影響が強く残っており、49日の法要、新盆の風習はどの宗教も行なっている。

・インドでは、猫は縁起の悪い動物として忌み嫌われている。ペットとして猫を飼うことはない。

・1991年末からの経済自由化政策(New Economic Policy)でインドは大きく経済発展、自由化が進んだが、TVチャンネルが200チャンネルに増え、低俗なTV番組などにより、若者に悪影響を与えている。実際に、TV番組の真似する若者が増え、治安が下がった。以前は、国営放送の2チャンネル、その他の計3チャンネルだけであった。

Cimg0976  19時40分(現地時間、時差-3.5時間)、夕食会場となるレストラン「ラジーズ・アフェアー(Lazeez Affaire)」(6/48 Malcha Marg shopping center 電話:011-268-78155)にて到着。
 「ラジーズ」はウルドゥー語で「美味しい」という意味だそうである。
 食事前に作家・牧野弘道氏からインパール作戦に至る経緯から、戦闘を行った各師団の特性、師団長のことなどをご説明頂いた。

Cimg0979 <インド進攻のタイミング>
 大東亜戦争緒戦の圧倒的優勢から劣勢に立たされた昭和17年8月22日、大本営は南方軍に対し、東インド進攻の21号作戦準備を命じるが、同年9月5日参謀本部第1部長は21号作戦実施の決定は、当分保留する旨を指示。
 まだ大日本帝国陸軍に余力があったこの時点で、インド作戦を実施していれば、インドが独立、日本と手を携えて、歴史は変わったであろう。

<第15師団:祭兵団>
 第15師団長・山内正文中将率いる第15師団は、福井県人・滋賀県人で編成され、中でも頑張ったのは歩兵第60聯隊・松村弘大佐(陸士33期)の部隊であった。

<第33師団:弓兵団>
 第33師団長・柳田元三中将は第15軍司令官牟田口廉也(陸士20期)の4期後輩で陸軍大学を恩賜で出た秀才で幕僚タイプ。

<第31師団:烈兵団>
 第31師団長・佐藤幸徳中将は第15軍司令官・牟田口廉也中将と似た実戦派の勇将タイプで、張鼓峰、ノモンハン、支那事変でも前線で指揮を執っている。
 2・26事件の際、皇道派であった牟田口廉也中将と統制派の東條首相と親しかった佐藤幸徳中将は反目し合った。
 第31師団長・佐藤幸徳中将と第15師団長・山内正文中将は陸士25期の同期生。

<インパール作戦の実相>
・第33師団(弓)はインパール作戦の主力であり、南からインパールを目指した。インパールまで自動車道が開通しており、重砲等は自動車道を利用し運搬した。
・第15師団(祭)は山岳地帯を抜け、北からインパール・コヒマ道を抜けて目指し、第31師団(烈)はコヒマ・デイマプールを目指した。
・第15師団(祭)、第33師団(弓)のどちらがインパール攻略をするか曖昧であった。
戦局悪化、独断で撤退を決めた第31師団長・佐藤幸徳中将の行動は当時の帝國陸軍としては考えられないものであった。

戦闘中、前線に何とか握り飯1個でも届けようと輜重隊(食料などの兵站を担当する部隊)はそれぞれに努力していたが、決定的な糧食の欠乏は退却時に発生した
・インパール作戦は、日本に制空権はなく、敵の制空権下の戦いであった。ズブサの英軍砲兵陣地にメークテーラから帝國陸軍第5飛行師団(師団司令部はラングーン)の一式戦闘機「隼」40機が1度だけ、うち1機に50kg爆弾2発搭載し、爆撃を敢行した。
・昭和19年5月16日、第33師団長・柳田元三中将の後任に親補された田中信男少将は府立1中出身で陸軍大学は出ていないが、インパールから退却中の第33師団(弓)最後の部隊を指揮して作戦中止から4ヶ月半をかけて、自動貨車604輌をチンドウイン河東岸へ渡し終え、撤退を終える。混乱しがちな負け戦のなか、見事な指揮であった。

<コヒマについて>
・コヒマは英軍避暑地であり、現地に住むナガ族は100年前までは首刈りをしていた。ナガ族の働き盛りの男は出稼ぎで不在の為女性が残り、末子相続が行なわれている。

<第31師団、宮崎支隊・58聯隊の活躍>
・第31歩兵団長・宮崎繁三郎少将(陸士26期)が高田歩兵第五十八聯隊を主に率いた宮崎支隊は、いくら犠牲者が出ても徹底的に作戦を実行し、成果を上げる方針を貫いた。戦後、イギリスの陸戦史でも讃えられるところである。

【宮崎支隊の戦術方針】
・装備・人員均一性を見直し
(1)装備が優勢な敵に対し、装備が劣る兵で突入するため、装備においても普通のような一様ではなく、3個大隊が同じ編成装備をする必要はない。
(2)聯隊長の信任する大隊を極度に増強して、必勝大隊を作る。
(3)大隊、中隊、小隊も同様に、各隊長の信任する中隊などの戦力を思い切り増強して、必勝の中隊、小隊、分隊を作り、人員も平等にする必要は無い。
(4)分隊内にしても、全員に小銃を持たせる必要はない。手榴弾の使い方が上手い者は手榴弾を10個以上持たせ、小銃を携行する必要はない。
(5)これなら勝てるという確信を有するよう思い切って、編成装備を改変。
・3人組戦法
(1)1名は手榴弾手、1人は銃剣術手、1人は小銃援護射撃手として組み合わせる。
銃手が射撃している間、手榴弾手と銃剣術手でトーチカの中の敵を倒す。

Cimg0983 牧野弘道氏からの説明をお聞きしながら、各種のカレーを食べる。
 マトン、チキンとでてきたが、秀逸だったのはほうれん草のカレー。その濃厚さ、風味、非常に好みのカレーで、ナンで一杯、ライスで一杯と二杯も食べてしまった。

 食後、すっかり満腹となって宿泊先の「THE LALIT NEW DELHI」(BARAKHAMBA AVENUE CONNAUGHT PLACE 電話:011-2341-1001)に移動。インターネットも使え、シャワーもある一流のホテルであるが、部屋でのネット使用料が高く、30分で300ルピー(約600円)であった。

 シャワーを浴び、かなりの重量になった慰霊の品(柏崎の米、酒、日本海の海水、笹団子、柿の種など)を整理し、23時(現地時間、時差-3.5時間)に就寝。

2009年1月30日 (金)

山桜歩五八会、靖国神社参拝
カラオケのシメで「君が代」

 深夜の移動で、5時に都内に到着。インターネットカフェに入り、仮眠をする。

 9時に起床、コンビニで買った納豆巻き2本、野菜ジュース、りんご入りヨーグルトで朝食をとる。

 10時から11時まで新宿区の某社でラジオ番組企画の打ち合わせをし、その後、歯医者で虫歯の治療。

Cimg0955  12時30分、お気に入りの「讃岐うどん・生そば かのや」(電話:03-3226-8631)で「コロッケうどん 390円」に「玉子 60円」「大盛り 100円」のオプションで昼食にする。ベースを「コロッケうどん」にしていたが、でてきたのは「月見うどん 大盛り」+「単品 コロッケ」であった。

 13時過ぎ、靖國神社近くの喫茶店にて、某出版社担当者と打ち合わせ。納豆に関する本の内容について詰める。

Cimg0956  15時、明日から行くインドでの慰霊を思って靖國神社を参拝。
 靖國神社に入ったことがないという担当者もお誘い、雨の中の参拝となった。
 これまでの参拝は晴々とした日が多く、雨の中は初めてであったが、何か清清しい気持ちになり、お参りさせてもらった。
Cimg0958 その後、遊就館に入り、インドでの慰霊祭に使うための大日本帝国陸軍戦闘帽を購入した。
 担当者とわかれたのち、大鳥居の近くにある高田歩兵第五十八聯隊に所属した方で組織された「歩五八会」が、昭和47年4月9日に献木した山桜を鑑賞。

 16時過ぎ、渋谷区に移動し、チャンネル桜にて18時まで懇談やネット環境を借りて、会社関係の残務を整理する。

Cimg0960  19時、新宿区に移動し、元自衛官であるM氏、チャンネル桜にボランティアで手伝いにきているS嬢と待ち合わせ、インド独立の志士「ビハリ・ボース」に関係した、 「新宿 中村屋本店」(電話:03-3352-6161)で会食。
 生ビールを飲みながら、シューマイなどをつまむ。

Cimg0961  21時30分、親しくさせてもらっているEさんが栃木への出張から東京都内に戻ったところで合流し、格安カラオケ店で生ビールを飲みつつ、懇談。
 酔いがまわってきた頃、カラオケも快調になり、軍歌のみならず、1970年代のフォークソング、1980年代のアイドルなど多種多様な選曲となった。20代にもかかわらず、S嬢はお母さんが好きだったという1980年代の歌に挑戦していた。

Cimg0963  23時30分、そろそろお開きということなったところで、最後の一曲は「君が代」。
 正式な2回斉唱のものであり、インドに眠る日本軍人の慰霊に行くという意味からの選曲である。
 これまで何百回?とカラオケ店に行ったが、この曲でシメたのは初めてである。

Cimg0965 カラオケ店をでて解散となったが、どうも腹が落ち着かないと、Eさんと二人で「神座 新宿歌舞伎町店」(電話:03-3209-3790)で「小チャーシュー煮たまごラーメン 950円」を食べる。
 完全な酔っぱらいパターンである。

2009年1月29日 (木)

全員協議会(原子力安全・保安院の報告)
インパール・コヒマでの慰霊祭供物準備

 祖母の徘徊がひどく、やっと寝付いたところで安心し、5時に就寝。

 9時、起床。大粒納豆、目玉焼き、冬菜のおひたしでご飯2杯の朝食をとる。

Cimg0952 10時から12時過ぎまで、インドでの慰霊に持参するものの買い出し。
 酒は原酒造「銀の翼」にし、柏崎の水として地下水、地元産のコシヒカリ、味噌、柿の種などのお菓子、笹団子、梅干し、そして納豆など、依頼されたものから自分としてお供えしたいものなど、総量で約15kgとなった。
 慰霊祭のための国旗は、日本の国旗「日の丸」だけではなく、インド国旗、そして恩讐を超えた武士道の精神をもって、戦った相手であるイギリスの「ユニオン・ジャック」も準備した。

Cimg0948 13時、市役所に移動し、13時30分からの全員協議会に出席。
 今日の全員協議会は、原子力安全・保安院による「柏崎刈羽原子力発電所の健全性及び耐震安全性の確認状況について」の説明である。
 全員協議会の冒頭は、先の『原子力保安院通信』のプルサーマルの地元了解の記述間違いに関する謝罪であった。
 その後、以下の内容が説明された。

1.調査・対策委員会での検討状況概要
(各号機の設備の健全性評価・耐震安全性の確認状況)

2.柏崎刈羽原子力発電所各号機の設備の健全性評価

を7号機、6号機、1号機の順、

3.柏崎刈羽原子力発電所の耐震安全性の確認状況について

・新しい基準地震動に対する柏崎刈羽原子力発電所7号機の耐震安全性評価について
 (1)基準地震動に対する施設の耐震安全性について
 (2)原子炉建屋等の基礎地盤の支持能力について
 (3)地震に伴う地盤変動によりもたらせる原子炉建屋等の上下変動と傾斜について
  
→ 中越沖地震による各建屋の四隅の変動量が異なることについては、複数の要因が考えられるが、原因を明らかにするのは困難。しかし、それによる傾きは安全上問題ないと判断した。
 (4)津波に対する安全性について

・原子力発電所の耐震安全性に係る信頼性の一層の向上を図るための今後の取り組みについて
 (1)地震学などの進歩を反映する仕組み
 (2)確率論的安全評価
 (3)地震動の観測
 (4)国際機関などとの連携強化による研究の推進

 質疑応答の時間は、本質とは違う筋違いの質問が相次ぎ、社会クラブの矢部議員は「プルサーマルを強引に押し進めている!」などとし、共産党の宮崎議員は「浜岡は耐震対策費用が莫大と試算され廃炉となったが、柏崎がなぜ廃炉にならないのか。金をかければ廃炉にならないというのか。浜岡と柏崎の違いは何なのか」と、場所もプラントも違う以上、比較できないという基本もなく、意味不明な質問。
 段々とエスカレートし、今日の全員協議会の資料とはかけ離れた質問を繰り返すため、議事進行の動議として、議長に抗議したが、議長は「微妙に関係ある」として続行した。
 本当に知りたいことを議論する場ではなく、ただただ反原発派議員のアピール合戦の場になっているのが情けない。

Cimg0951 15時30分に全員協議会が終了。
 市役所をでてから、インパール・コヒマに眠る越後出身の英霊に、懐かしの日本海を感じてもらおうと海に行き、日本海の海水を採取する。
 その後、床屋で頭もさっぱりとさせたのち、若干の買い物をして、渡航準備完了。

Dsc00059 19時、柏崎青年会議所の事務局に移動し、今年所属のエネルギー環境問題検討委員会に出席。
 5月に行う、市内海岸一斉のビーチクリーンの日程や担当である5月例会をどうするのか等を話し合う。

Cimg0954 22時、自宅に戻り、ひきわり納豆で作ったヤケドするほど熱い納豆汁を中心に冷蔵庫の残りものや祖母が残した食事を食べて夕食にする。
 また、昨日打ち合わせの先約があったため出席できなかった東村山市議会と柏崎市議会との研修会の際、お土産を頂いたとのことで、分けてもらった箱を開けると、だいじょぶだァ饅頭、だっふんだァ饅頭 「餅萬本店」(電話:042-391-0003)であった。
 東村山市議会の皆様に感謝しつつ、ありがたくデザートに頂戴した。

2009年1月28日 (水)

インド・コヒマに咲いた友情の花
1991年、日英印元軍人和解式典

 3時、就寝。

 5時、起床。まだ修理が終わらない愛車の代わりの車で上越市に移動する。

 6時から8時まで、某宅にて高田歩兵第五十八聯隊の資料をお借りし、近くのコンビニでコピーする。

 9時過ぎ、事務所に戻り、資料の整理。

Cimg0931  11時、さすがに空腹となり、大粒納豆、塩鮭、ほうれん草の胡麻よごしでご飯2杯の朝食をとる。
 久しぶりの塩がガッチリと効いた塩鮭である。表面から吹いている塩が怖いようであり、頼もしい。熱いご飯に塩を吹いている腹の部分をもぐし、ご飯にある程度の塩気が移ったところで、かっ込む。

Cimg0932  12時過ぎからソフィアセンターに行き、貸し出しの手続きと頼まれていた郷土史の調査、そして最後まで入手できなかった、高田歩兵第五十八聯隊の生き残りの方が編纂した『ビルマ戦線』などを借りる。
 手続きの待ち時間中、戦争に関する学生用の資料(日本図書センター『目でみる「戦争と平和」ことば辞典』)を見てみたが、これまた酷く、「従軍慰安婦」が未だ掲載されており、しかも「太平洋戦争」「大東亜会議」(悪く紹介)の言葉は掲載、説明されているものの「大東亜戦争」という言葉は載っていなかった。
Cimg0934  こうやって歴史が改ざんされ、おかしくなっていくのである。
 いわゆる女衒が手配をしていた「慰安婦」はいたが、 「従軍看護婦」のように軍所属の「従軍慰安婦」などはいない。本当に従軍なのであれば、階級や身分の取り扱いがどうであったかを知りたいところである。
 ちなみに、センター試験の「日本史」もひどく、以下のような調子で南京戦を教え込んでいる。
 日本軍は非戦闘員である市民を巻き込まぬようオープン・シティにせよ、と攻撃前に勧告したが、蒋介石は自分だけトットと逃走した。


大学入試センター試験 日本史A(B)

第5問 近代日本における代表的な外交官の一人であり、政治家としても活動した幣
原喜重郎に関する次の文章A~Cを読み、下の問い(問1~8)に答えよ。

~中略~

 幣原が外務大臣として活躍した期間は、一時の中断をはさんで1924年から1931年
までの長期にわたるが、その間の外交方針はほぼ一貫しており「幣原外交」とよばれ
た。軍縮条約などへの取組みなどにこうした姿勢は顕著である。しかしこのような幣
原の外交方針は、対立勢力や中国における日本軍の行動(下線部e)によって妨げら
れることになる。最終的に1931年、陸軍が中国東北部で起こした軍事行動などによっ
て、幣原の外交路線は挫折した。

~中略~

問5 下線部得eに関連して、1920年代から30年代にかけての日本軍の国外活動に関して述べた次の文Ⅰ~Ⅲについて、古いものから年代順に正しく配列したものを、下の①~⑥のうちから一つ選べ。
Ⅰ 日本軍が中国の都市南京を占領するに際して、捕虜や非戦闘員を殺害する事件が起きた。
Ⅱ 中国東北部での日本軍の活動に対して、国際連盟からリットン調査団が派遣された。
Ⅲ 関東軍参謀河本大作らが、中国軍閥の一人である張作霖を、奉天郊外において爆殺した。
①Ⅰ-Ⅱ-Ⅲ  ②Ⅰ-Ⅲ-Ⅱ  ③Ⅱ-Ⅰ-Ⅲ
④Ⅱ-Ⅲ-Ⅰ  ⑤Ⅲ-Ⅰ-Ⅱ  ⑥Ⅲ-Ⅱ-Ⅰ


 ソフィアセンターをでたのち、新潟市に移動。
 法関係の専門家を交えての政務調査としての打ち合わせ、勉強会を行う。

 16時、自民党新潟県連に立ち寄ったのち、東京電力に勤務していた頃の先輩であり、現在は違う仕事に就かれている方を訪問し、しばし懇談。

Cimg0935 車にガソリンを入れ、自分にも燃料を入れるため、「元祖支那そば おもだかや 女池店」(電話:025-283-7711)で、「ちゃーしゅーたまご 750円」で遅い昼食?をとる。
 玉子が、現在主流の半熟の煮ていない煮卵でなく、ガッチリとしたハードボイルド。懐かしい味であるが、チャーシューの臭み、脂身の多さにはガッカリした。 

 18時過ぎ、柏崎に戻り、インドでの慰霊の際に持って行く供物などを手配する。

 19時、事務所に来客。就職に関する相談であった。

Dsc00058 20時30分過ぎ、選挙を手伝ってくれた仲間が事務所に来たため、一黒毛和牛のカルビ、黒豆納豆などで夕食を一緒にとる。
 インド行きを目の前にして風邪を引いていられないと、つけダレにたっぷりとおろしニンニクを入れ、自分で自分が臭く感じるほどになってしまった。

 22時から事務所にこもり、会社関係の仕事。

910414_kohima2  インパール作戦のうち、第31師団(烈)が目指したコヒマはナガランド州にあり、ナガ族が住む。
 ナガ族はビルマ族などと同じく蒙古系であり、いざとなれば命を捨てても戦う気質をもち、日本人と共通する点が多い。
 現在はナガ族もインド国民となっているが、インドがイギリスから独立した後も何回かインド政府に対する独立闘争を行ってきた。
 インパール作戦が実施された昭和19年頃は、ナガ人は前時代な武器しか持たなかった(それ以前には首狩りの風習もあり、イギリス宣教師によるキリスト教の布教で変化)。
*写真は、平成3年(1991年)に、あえて伝統の民族服を着たナガ族。
910414_kohima3  しかし彼らは、同じアジア人である日本が白人による支配から独立しようという心に触れたのである。以来、ナガ族は独立志向をもってきた。
 その事が影響してか、ナガ族はきわめて親日的であり、インパール作戦の際にも、ナガ族の多くが日本軍に協力。戦後にも柏崎にお越しになったナガ族の5名のように、最後まで戦った日本に尊敬の念をもっていてくれる。
 平成3年(1991年)4月14日(現地時間)、高田歩兵第五十八聯隊をはじめ第31師団(烈)が激闘を繰り広げたコヒマの地で、和解式典が開催された。
 出席したのはイギリス(旧軍人14名、婦人1名、遺児2名)、日本(旧軍人14名)、インドの旧軍人、そしてコヒマ市民が約5000人である。


*写真は故・名越二荒之助先生から頂戴したもの。

 この日、50年以上前の敵、味方の恩讐を超え、激しい戦闘を行った者同士が固い握手をし、抱擁をした。

 インパール作戦を戦ったイギリス軍のアーサー・スウィンソン大尉は、戦後に書いた著書 『コヒマ』で次のように語っている。


「コヒマの戦いは、実に64日間続いた。これほど手ごわい、そして接近した血なまぐさい戦闘は、第二次大戦を通じていくつもないであろう。日本軍とイギリス軍とが、ここで示した勇気と不屈の精神力は、まったく驚くほかはない。
 激戦の渦の中心コヒマ三叉路、日本軍が命名したウシ・ウマ・ヤギ・サル・イヌの高地の争奪戦で死傷した英印軍は四千に達し、日本軍の戦死者は三千。四千の兵が傷ついた。
 日本軍の火砲は英軍より格段に劣っており、航空機も戦車もなく、一兵の補給、一粒の米の補給も受けられず、しかも64日間頑張り続けて、インパールへのルートを遮断し、烈兵団長佐藤幸徳中将の撤退命令を受けてはじめて矛をおさめたのである」

2009年1月27日 (火)

09柏崎青年会議所新春総会
中国、オバマ演説の一部を隠蔽

 3時、就寝。

 7時、起床。インパール作戦に関する本を持って、1時間ほど風呂に入る。

 8時、大粒納豆、はんぺん煮、しらすおろしでご飯2杯の朝食をとる。

 9時から13時まで、市内での相談などを3件ほどこなす。「いつでも良いから話しを聞いてほしい」ということであったが、来週、仕事ができない分前倒しにさせてもらった。

 事務所に戻り、冷凍うどん2玉とトンカツの卵とじ、五斗納豆で納豆トンカツうどんなるものを作って、食べながら仕事を進める。納豆の糸がキーボードの上に落ちまくるのが難点である。

 16時から事務所に来客。

Cimg0923 17時過ぎ、 「岬館」 (電話:0257-22-1237)に移動し、多少の遅刻をしてしまったが、柏崎青年会議所の2009年度新年総会に出席する。
 新入会員として、同い年の方のみならず、小学校、中学校と一緒だった同級生も紹介され、嬉しい限りである。

Cimg0928 総会終了後、会場を移動し、19時30分から2009年度新年会がスタートとなった。
 アメリカのオバマ新大統領の演説などを引用した09年度・桑山理事長の挨拶からはじまり、会田市長、JCのOBである刈羽村の品田村長、同じくJCのOBである柏崎商工会議所会頭のご挨拶ののち、鏡割りと乾杯。

Cimg0930 歓談ののち、今年の出し物の登場。
 なんと伝統的な獅子舞であった。新型インフルエンザも話題となっており、疫病退散の獅子舞は絶妙のタイミングである。
 ちなみに、獅子舞はインドの遊牧民や農耕民がライオンを神として崇められていたことから生まれたとされている。

Cimg0925 なぜか最初から赤ワインを飲み、現役メンバーのみならず、来賓、シニアクラブの皆様に酒を注ぎつつ、歓談。
 あまり食べる時間がなく、飲んでばかりであったが、貧乏性からかフグの皮の煮こごり、ローストビーフ等は合間合間にしっかりと食べる。

 21時過ぎに新年会が一本締めで終了。
 監事講評のあと2次会への移動となったが、渡航準備もあるため、申し訳なく2次会は失礼させてもらい、自宅に戻る。

 理事長の挨拶でも触れられたアメリカのオバマ大統領の就任演説では、共産主義との戦いとして次のように述べられていた。

 「先人たちがファシズムと共産主義を屈服させたのは、ミサイルや戦車によってだけではなく、頼もしい同盟国と強固な信念によってでもあることを思い起こしてほしい。彼らは自らの力だけが自分たちを守ったのではないことも、その力が、自分たちが好きなように振る舞う資格を与えたのでもないことを理解していた」

 アメリカはこれまで共産主義と戦ってきたのであるが、これを放送されて困るのは一党独裁で、民衆の暴動も相次いでいる中国共産党である。
 案の定、カットして放送し、それが逆に目立たせる結果になり、「やぶスネーク」状態になっている。 


平成21年1月27日『産経新聞』

中国メディアがオバマ演説の一部削除
「欺瞞」「未熟」国内で波紋

 【北京=矢板明夫】中国の主要メディアがオバマ米大統領の20日の就任演説を報道する際、「共産主義」など一部の言葉を削除したことが中国国内で波紋を広げている。海外のインターネットなどを通じて演説の全容を知った知識人たちは「国民に対する欺瞞(ぎまん)だ」「中国の未熟さが露呈した」などと報道姿勢を厳しく批判している。
 オバマ大統領の演説の中で、中国メディアが問題視したのは「先人たちがファシズムや共産主義に対し、ミサイルや戦車だけではなく、強固な同盟と揺るぎない信念を持って対峙(たいじ)したことを思い出してほしい」とした部分。
 演説を生中継した国営中央テレビ(CCTV)は途中で画面をスタジオに戻し、専門家による解説に切り替えたほか、国営新華社通信は「共産主義」の単語を削除して演説内容をホームページに掲載した。
 「全訳」と称し掲載した大手ポータルサイトも「共産主義」をカットしており、「捜狐」「新浪」の2社は「腐敗や欺瞞、反対者への抑圧を通じて権力の座にしがみついている者たちよ、あなたたちは歴史の誤った側にいる。もし握っているこぶしを開くなら、我々は手を差し伸べる」の部分をすべて削除している
 この部分は、中国の現政権への批判を連想させる可能性があることが削除の理由とみられる。
 これらの対応は共産党宣伝部の指示によるものか、それとも各メディアの自粛なのかは不明。しかし外国要人の発言を紹介する際に、中国にとって都合のいい部分だけを大きく取り上げ、都合の悪い発言を削除するのは、中国メディアの一貫したやり方だ。今回、オバマ大統領の就任前に「中国との関係を重要視する」などの発言は大きく取り上げられていた。
 とはいえ、3億人近いインターネット人口を持つ今日の中国では、このような情報操作はほとんど機能していないのが実態だ。香港、シンガポールなどのメディアに掲載された中国語訳はたちまちネットを通じて中国国内に広がり、演説内容をそのまま伝えない中国メディアへの抗議が各ネット掲示板に殺到。「私たちはもうだまされないぞ」との書き込みもあった。
 ある北京在住の大学教授は「聞き流しても良いところをわざわざ削除したことで、逆に強調されてしまった。当局にとって逆効果だったのでは」と話している。

2009年1月26日 (月)

食の安全・安心
有機農業推進シンポジウム

 3時、就寝。

 8時、起床。大粒納豆、山芋とろろ、とんぶり、ほやの塩辛でご飯2杯の朝食をとる。

 9時から10時過ぎまで、市内某氏宅でパソコン関係の作業。

Cimg0917 11時から自民党柏崎支部に行き、平成21年度自由民主党柏崎支部役員総会に出席。
 進行係となり、議事として平成20年度支部党務報告、平成20年度支部収支報告、平成21年度収支予算などを審議し、無事、承認となった。

Cimg0918 12時、総会終了後、出席者一緒に「米山山荘」(電話:0257-26-2611)の弁当で昼食をとる。
 今年9月の任期満了までには確実に実施される衆議院議員選挙に対して、どのように活動していくのか、雑談。
 実際のところ、柏崎市長選挙の遺恨が相手陣営にあり、未だに某議員が桜井氏を応援した議員や市民に対する攻撃を繰り返している。大人ではない。

 14時から市役所をはじめ、依頼された調査や相談などで市内まわり。「かしわっ子クラブ」に顔をだせなかった。

Cimg0920 18時、柏崎エネルギーホールに移動し、「食の安全・安心有機農業推進シンポジウム」に参加。
 このシンポジウムは、「食の安心・安全」有機農業推進プロジェクト実行委員会が主催し、北陸バイオマス発見活用協議会が協力したもので、柏崎市としては応援していない
 表面上ではバイオマスタウン構想など、市民受けしそうな事を言う現在の会田市政であるが、生ゴミを活用しての有機農業の推進には無理解である。
 シンポジウムの冒頭は、「何故、農薬と化学肥料を使い続けるのか。その正体は」をテーマに館野廣幸氏(NPO法人民間稲作研究所理事、NPO法人日本有機農業研究会理事)の基調講演。

■「有機農業は生き方である」まだまだ農薬と化学肥料を使う量が足りないとでも言うのでしょうか。事実は逆であると思います。化学肥料と農薬による農業の普及が飢餓を作り出しているのではないでしょうか。草が生えれば生えるほど、土は豊かになります。
その生えた草を取って捨ててしまうから土がやせるのです。人間は自分で土をやせさせてしまうから、また苦労して堆肥を運ばなければならなくなってしまいます。(館野廣幸著『有機農業みんなの疑問』)

・1992年から無農薬農法をはじめた。当初の農林水産省は日本で有機農業はあり得ないという見解であった。有機JASなど各検査員や埼玉大学に講師にでかけている。農薬を使わない、遺伝子組み替えを使わない、化学肥料を使わないのが有機農法。

(1)農薬とは何か?=知らずに使われる農薬
 殺虫剤(害虫を殺す?)殺菌剤(無菌がいい?)除草剤(人間には安全?)
成長調整剤・ホルモン剤(農薬ではない?)
 農薬は害虫を殺すという発想は間違い。害虫だけではなく、益虫も殺す。さらに害虫、益虫以外の「ただの虫」も殺す。蜘蛛などの益虫が最初に死ぬ。蜘蛛は1200種類がいる。一反で10万匹の蜘蛛がいると言われているが、その蜘蛛が害虫を食べてくれる。無農薬になって、害虫で悩んだことはない。蛙も同様。
 殺菌剤も良い菌も死んでしまい生態系が狂う。

(2)農薬の歴史
 今から100年前に農薬ができたが、最初は戦争兵器としてである。除草剤はベトナム戦争のとき。農薬は万能ではない。
 戦争が作った農薬(農薬の正体=毒ガス)=第1次世界大戦
 ベトナム戦争と除草剤とダイオキシン

(3)レイチェル・カーソン
 農薬の危険性を告発した科学者・カーソンとケネディ大統領
 カーソン「沈黙の春」、有吉佐和子「複合汚染」、シーア・コルボーン「奪われし未来」

(4)農薬の問題点
 農薬の実験はマウスであり、2年しか生きないので、2年以上の農薬の影響についてはわからない。
 人体への毒性(急性・慢性・神経)作物への毒性、環境への毒性、不自然、残留
 農薬は不完全である(抵抗性の発生)
 知られざる農薬被害の実態(神経被害・アレルギー二ガン)「リスク論」の誤り
 農薬に潜む差別思想=「邪魔者は消せ」「結果主義から過程重視へ」

(5)有機農業はどのように病害虫を防ぐのか
 虫や菌を遠ざける(水、酢、牛乳、木酢)
 虫の好みを利用する(天敵、バンカープランツ、エサ)

(6)化学肥料とは何か?=農業を狂わせたもの
 チッソ(N)・リン酸(P)・カリ(K)が肥料であるという誤解
 肥料の最大要素は、光、二酸化炭素、水
 窒素は細胞は作るが、中身は水になる。つまり窒素を加えることで大きなものができる。

(7)化学肥料の歴史
 戦争が生んだ化学肥料(化学肥料と火薬と戦争の関係)
 現代の化学肥料=産業廃棄物(硫酸・塩酸・重金属)

(8)化学肥料の問題点
 減少する野菜の栄養分(ミネラル・ビタミン)と増える硝酸態チッソ→土が死ぬ
 化学肥料に潜む競争思想=「早く、大きく」「中身より外見」

(9)有機農業の肥料
 有機肥料=生命体が新たな生命体となる(必要かつ十分な原料)

(10)新しい方向を求めて(農薬や化学肥料の必要のない世界へ)
虫と共に生きる(天敵・多様な生態系)=虫・クモ・カエルを増やす
菌と共に生きる(土着菌・ぼかし)=発酵菌・ミミズを増やす
苧と共に生きる(コンパニオンプランツ・アレロパシー)=草の好みを知る

(11)まとめ
農薬や化学肥料を使わない有機農業は非暴力・非戦・非対立の「実践的生き方」である。

「柏崎有機農業推進シンポジウム配布資料」(pdf形式)

Cimg0922 続いて、パネルディスカッション「有機農業と地域社会」。
 山田明彦氏(柏崎日報社代表取締役、観光協会会員)をコーディネーターとして、7名の方がパネリストとなった。

仁木賢氏((株)柏崎エコクリエイティブ取締役、観光協会会員)
 夏渡で、魚のあらを使った生ゴミリサイクルを実施している。
 毎日1トンの生ゴミ処理をし、有機肥料にしているが、需要が多く足りないほどである。
 柏崎市は行政もバックアップして、資源である生ゴミのリサイクルを推進すべきではないか。

荻原玲子氏(柏崎市消費者協会会長)
 柏崎市消費者協会は、昭和43年に設立された会。毎日の生活に関わる安全、安心なものを追求している。研修や講演会、見学も行っている。
 かしこい消費者を育てている。虫がついている野菜でも構わないという感覚をもってもらうようにしている。

尾崎逸夫氏((株)ニッカイ米山常務取締役、観光協会会員)
 魚の歩留まりはブリで40%、まぐろは50%、鯛や平目などは30%前後ぐらいであり、あとは廃棄物となる。それを有機肥料として活用できる取り組みが推進していくべき。

徳永逸雄氏((有)徳永農園代表取締役、専農経営者会議会員)
 西山町で平成15年からオータムポエムなどの有機栽培をやっている。
 田んぼも6~7反、行っている。
 一般消費者がなかなか有機栽培を選んでくれないジレンマはある。国や県がもっと有機栽培をアピールする必要があるのではないか。有機栽培ものと一般のものの値段が同じであったも価値は全然違う。
 化学肥料と農薬を3割減らしたエコファーマー(新潟県内では1万人を超えた)などにも取り組んでいる。

吉川公一氏(田舎くらしを楽しむ会代表)
 別荘を自作した仲間でできた会。
 家のみならず、自給自足にまだ踏み込んでいる。
 真鴨を使った農法にも取り組んでいる。

島岡宗雄氏(市野新田新星生産組合代表、観光協会会員)
 山間地で専業農家をやっており、手間も費用も平地も3倍ほどかかる。化学肥料はかなりの量を使っている。有機肥料は残るが、化学肥料はさっと流れる。有機肥料と併用して、化学肥料は半分になると思う。

河合則夫氏(瑞穂中学フラワー道路ボランティアの会代表)
 本職は消防士ではあるが、家に帰れば家庭菜園や花づくりをやっている。
 平成元年から槙原小学校にボランティアで米作りを教えている。
 平成14年から瑞穂中学校を中心にフラワーロードをやったが、なかなか花ができず平成15年から有機肥料に変えたところ、花ができるようになった。
 花で柏崎を元気にしたい。

 21時に終了、いろいろな刺激のある良いシンポジウムであった。
 有機肥料を使って「花で柏崎を元気にしたい」という提案には大賛成で、市長さえ本気になればできることであり、また循環型社会への取組を見せることにもつながる。
 かつて、映画俳優で監督もするクリント・イーストウッドがカリフォルニア州カーメル市の市長になった際には、花でまちづくりをし、環境を良くしつつ、多くの観光客を全米から集めている。
 何人かの市役所職員が個人的立場で参加していたが、本来であれば会田市長にこそ聞いてもらいたいシンポジウムであった。

 現在、会田市長が肝いりで始めたBDF(バイオ・ディーゼル・フューエル)は中止となり、柏崎市の循環型社会への取組みは迷走を始めている・・・・。

Dsc00057 21時20分過ぎから「ままや」(電話:0257-22-7169)にて、有志と夕食を兼ねた懇親会。
 塩のみにした焼鳥の盛り合わせ、おでん、牛すじジャガ煮込みなどをつまみつつ、生ビール3杯、熱燗2合を飲む。
 22時40分に帰宅。

2009年1月25日 (日)

北海道池田町「ふるさと元気基金」

 3時、就寝。

 8時、起床。大粒納豆、エビシューマイ、プチトマトなどのサラダでご飯2杯の朝食をとる。

 9時過ぎに自宅をでて、12時過ぎまで長岡市内の某ホテル内の喫茶店で打ち合わせ。

 柏崎に戻る途中で、納豆巻き、焼きそばパン、低脂肪乳、野菜ジュースで昼食をとる。

 14時、事務所に戻り、会社関係の仕事が溜まっているため、こもって事務仕事。

Cimg0915  19時過ぎ、甘海老の唐揚げ、油を使ったついでに牛蒡フライ、なめこの味噌汁でご飯1杯の夕食をとる。
 甘海老の唐揚げが美味く、勢いよく食べているとカリカリに揚がった殻の部分が歯茎に刺さり、流血してしまった。

 食後もひたすら事務仕事。返信すべきメールも溜まっており、申し訳ない限り。

 平成21年2月6日に「2014年問題を考えるフォーラム」(pdf形式)が長岡市で開催されるそうであるが、インドに行くため、出席できないことが分かった・・・残念。

 ステーキとワインでまちづくりをした北海道池田町が、時代の変化を鑑み、次のまちづくりに取組むため、これまでの事業収益を元に「ふるさと元気基金」を設立し、支援事業を行うという。
 一度成功した事業に固執してはいけないという、良き見本であり、今後どのように活用されるのか注目したい。


平成21年1月9日『新潟日報』

 「先人の精神」基金で継承
 北海道池田町 町営事業の収益基に

 「十勝ワイン」の製造元として知られる北海道池田町は、町営のワイン醸造施設内の直営レストラン=二〇〇七年末に廃止=が稼ぎ出した収益を基に、産業振興が目的の「ふるさと元気基金」を〇九年度に設立する。基金から新たな起業などに補助金を出す予定。
 市町村が直営事業の収益を、基金として社会に還元するのは珍しく、池田町は「厳寒地では不可能と言われたワイン造りを可能にした先人のフロンティア精神を、基金を通じ継承したい」(企画財政課)としている。
 基金は約七千五百万円で創設。初年度の来年度は約千五百万円を切り崩し、一件当たり三百万円を上限にして起業や異業種進出、新製品開発などに対し、必要経費の四分の三を補助したりする。町内の企業や団体、個人が対象で、早ければ三月にも募集を始める。
 レストラン事業は約四十年前、畜産振興策の一環として、あまり牛肉を食べなかった農家の食生活を変えるため開始。ワインを片手に味わうステーキやシチューは観光客にも人気となり、最盛期の一九九一年度の売り上げは三億円を超えた。
 だがその後は売り上げが減少。町はまだ黒字だった〇七年度限りで事業を民間に引き継ぎ、収益の使途を検討していた。

2009年1月24日 (土)

歩兵第五十八聯隊第10中隊生還者
柏崎おもちゃフェスティバル

 3時、就寝。

 8時、起床。大粒納豆、鰺の開き、なめ茸おろしでご飯2杯の朝食をとる。

Cimg0894  すっかりと雪景色となり、道路の凍結しているなか、自宅をでて、9時、お隣である刈羽村の武本氏のご自宅を伺う。
 武本氏(大正11年9月1日生まれ、88歳)は、元・大日本帝國陸軍高田歩兵第五十八聯隊第十中隊指揮班の伍長として、インパール作戦に参加され、生き残った方である。
 インパール作戦(ウ号作戦)の目的は、

In1.連合軍(アメリカ・イギリス・ソ連)が国民党・蒋介石を支援するルートいわゆる援蒋ルートのうち、ビルマ方面を遮断すること。
*コヒマ-インパール(イギリス軍の主要拠点)間の道路遮断など

2.イギリスの植民地となっているインドの独立を支援。チャンドラ・ボースとともに戦う。
*ヒトラーは、インド独立に関し、「私の見解では、インドが自治政府を持つには、150年はかかるであろう」と発言していた。

「進めデリーへ ~チャンドラ・ボースの戦い~」

の2つである。
 インパール作戦時の編成は、以下の通り。
 <イギリス vs インド国民軍&日本軍>

Azadhindflag ●インド国民軍
 インド独立を目指したスバス・チャンドラ・ボースに率いられ、インド解放のために日本軍と共に長き間、インドを植民地としてきたイギリス軍と戦った。
 約6000名が投入されるも、チンドウィン河まで到達したのが、2600名であり、うち2000名は戦病者。その後の戦闘で400名が戦死し、餓死・戦病にて、壊滅した。詳細な部隊編成の情報はなし。

flag●第15軍(
 -
司令官:牟田口廉也
 近代兵器と十分な補給路をもったイギリス軍約15万名に対し、3個師団約9万名が投入され、うち戦死者が約3万8000名、餓死・戦病者が4万名以上、多くの死者をだし、インパール周辺は白骨街道と呼ばれる。


○第15師団(
   - 師団長:山内正文 北インパール

 歩兵第51聯隊(京都):上田孝中佐
 歩兵第60聯隊(京都):北部邦雄大佐
 歩兵第67聯隊(敦賀):瀧口一郎大佐
 野砲兵第21聯隊:藤岡勇大佐

○第33師団(
  - 師団長:柳田元三 南インパール

 歩兵団長:山本募少将
 歩兵第213聯隊(水戸):温井親光大佐
 歩兵第214聯隊(宇都宮):作間喬宜大佐
 歩兵第215聯隊(高崎):笹原政彦大佐
 山砲兵第33連隊:福家政男大佐

○第31師団(
   - 師団長:佐藤幸徳 コヒマ

 歩兵団長:宮崎繁三郎少将
 歩兵第124聯隊(福岡):宮本薫大佐
 歩兵第138聯隊(奈良):鳥飼恒男大佐
 山砲兵第31聯隊:白石久康大

 歩兵第58聯隊(高田):福永転大佐

高田歩兵第五十八聯隊は、烈師団と言われる第31師団下。
 第31師団は、さらに北側から

○右突進隊:歩兵第138聯隊第3大隊長
 歩兵第138聯隊第3大隊
 同大隊速射砲1分隊、師団無線2分隊
 山砲兵第31聯隊第3中隊
 工兵第31連隊第1中隊の1小隊
 衛生隊、野戦病院、防疫給水部の一部

○中突進隊:歩兵第138聯隊長
 歩兵第138聯隊第3大隊以外の同歩兵聯隊
 歩兵第124聯隊の速射砲中隊
 山砲兵第31聯隊第1大隊(第3中隊欠)
 工兵第31連隊第1中隊(1小隊欠)、
 師団無線1分隊
 衛生隊、野戦病院、防疫給水部、病馬廠の一部
 輜重(しちょう)兵1中隊

○左突進隊:宮崎繁三郎歩兵団長
 第31歩兵団司令部
 歩兵第58聯隊、山砲兵第31聯隊第2大隊
 工兵第31連隊第2中隊
 師団無線1分隊、兵器勤務隊、経理勤務班
 衛生隊、野戦病院、防疫給水部、病馬廠の一部
 輜重(しちょう)兵1中隊

の3つの隊に分けられ、


防衛庁防衛研修所戦史室著『インパール作戦』朝雲新聞社より

 さらに、左突進隊はさらに以下のように区分された(1個大隊は4個中隊で編成)。

・右猛進隊
 歩兵第58聯隊第1大隊基幹
         (第1~4中隊)
・中猛進隊
 歩兵第58聯隊第2大隊基幹
         (第5~8中隊)
 歩兵団司令部同行
・左猛進隊
 歩兵第58聯隊第3大隊基幹
         (第9~12中隊)
 山砲兵第2大隊、工兵1中隊基幹


防衛庁防衛研修所戦史室著『インパール作戦』朝雲新聞社より

 武本氏は第10中隊、左猛進隊に所属。最初の難関は、7378高地であり、ここでの戦闘で第10中隊は壊滅状態となっている。
 ご本人がお書きになった文章を頂戴したので、以下に転載する。


チンドウイン渡河作戦と7378高地の激戦

                  武 本

 昭和19年3月ビルマを発し、印度国境標高3千米の峻険アラカン大山系を突破しインパール作戦に参加した。
 すさまじい水勢で、どす黒い渦を巻きながら濁流が兵隊を鵜呑みにする。チンドウイン河畔のジャングルに集結したのは昭和19年3月17日であった。
 殆ど敵に関する情報が不十分のままインパール作戦は展開されたのである。
 ここで支給された物は、食料2週間分と、持てるだけの小銃弾と手榴弾である。今後の補給は期待してはいけない、食料、弾薬等は敵さんの物とのことであり、誠に心細いものであった。
 完全装備をすると、その重さは肩の肉に食い込み、立ち上がる事も出来ない有様であった。戦友からひっぱってもらい、やっと立ち上がる状態であった。私にとっては初めての経験であり、4千米のアラカンの嶮難を突破する事か出来るだろうか心配であった。
 装備をととのえている時に、自分の爪と頭の毛、遺言状を用意するように命令が来たが、あの時の心理状態は誠に平常心であって何を書いたか今は思い出せない。
 深夜渡河作戦の命令が下った。原住民の作った木をくりぬいた丸木舟に7名位乗って渡河する事は、安定性のない無防備の行動で大変危険なものであった。黙々と濁流をうまく利用して岸に向かって流れていく舟の上に、たえず夜間とはいえ敵の偵察機が舟上すれすれに攻撃してくる。一発見舞われればそれまでであり、戦場はいつも死に直面している。やっと上陸することが出来た。
 いよいよアラカン山脈への進撃がはじまった。アラカン山脈は人跡未腐、富士山の高さの山が累々と連なっている、肩の肉に食い込む背嚢を背負いながら、登っては下がり、下がっては登る3日間の不眠不休の行軍で、隊を離れればそれで終わりである。
 アラカンの山道は余りにも起伏がひどく体力は日一日とうすれていった。
 輸送用のビルマ牛は全部ダウンして動かない、兵隊達が牛のオシリに火をつけで歩かせようとしても立ち上がらず、そのまま谷底に落ちて行く。牛の輸送作戦はアラカン山系の途中で完全に失敗してしまった。
 「敵から見たサンジャックの戦い」の単行本によると“日本軍はどうしてあのアラカン山脈を越して来たのか、誠に理解出来ない”と述べている。
 3月19日、アラカン山脈を突破した私たちの耳に一番先に入った機関銃の音は、頑強にこうちくされた7378高地の敵陣からのものであった。この高地はアラカン山系によくある丘の一つで、ウクルルとプシングを結ぶジープ道を見下ろす位置であり、コヒマやインパールに通じている要点である。
 7378高地は「味方の増員が来るまで高地を守れ」という命令を受けた空軍力と砲兵火力を有する2百名の優秀な英印軍であった。
 この様な頑強で用意周到な敵に対して、十中隊は決死の攻撃を開始したのである。桝谷中隊長は戦死、松永小隊長は負傷、隊は壊滅状態であった。
 3月20日、島之江大隊長の最後の突撃命令により、同日正午敵は退却し戦は終わったのである。
 敵の退却した戦場には、敵のトーチカに銃剣を突き入れて頭に手榴弾を受けポッカリと大きな穴があき、脳がドロドロと流れている兵隊や、迫撃砲を受け全身殆どなく即死している勇士を見て、明日は我が身かと思いながら黙々と戦死者の処理作業に従事し、これが戦争だと思ったのである。


Satoud31  宮崎繁三郎歩兵団長率いる左突進隊の高田歩兵第58聯隊は、その後コヒマを占領するが、雨期に入っても食糧や弾丸の補給も無く、ビルマ方面軍に何度も撤退を打診したが拒絶され、昭和19年6月に佐藤幸徳師団長の独断で撤退
 約2万人の兵を率いる師団長の命令違反は、大日本帝國陸軍で初めてのことであり、その後、佐藤師団長は解任され、閑職を転々とすることになる。
 しかし、この撤退がなければ、さらに多くの戦死者がでていたと言われる。
Cimg0896 武本氏も佐藤師団長には感謝しており、墓参をした写真を見せて頂いた。
 佐藤中将は前線の司令部を去るにあたって、師団の将兵に次ぎの離任の辞をおくっている。


離 任 の 辞
         師団長 佐 藤 中 将

 不肖、今般ビルマ方面軍司令部付きを仰せつけられ、しかも後任者の着任を待つことなく急遽、赴任を命ぜられる。予は兵団長の大命を拝してより、諸子とともにあらゆる困難をおかして編成し装備しつつビルマに進駐し、ついでチンドウインの流れを越えて、アラカンの嶮難を突破し、一挙コヒマを攻略し、激戦敢闘実に八旬におよべり。この間、敵を屠る二万五千、戦車百五十に及び、遺憾なく皇軍の武威を発揚競せり。諸子また、遺憾なく戦えりの感あらん。
 しかるにこの間、後方より何らの補給を受くることを得ざりしため、ついに刀折れ矢つき糧絶え、転進のやむなきに至る。優勢なる敵をへいけいしつつ、堂々、困難なる転進を完遂したることもまた、諸子の記憶に深刻なるものあらん。しかるに図らざりき、カラソムにおいて補給を受くることを得ず、ついに糧を求めて現態勢に至る。
 幾多の英霊は今なおコヒマにあり。歴戦の傷者は今なおルンション付近の戦場にあり。豪雨沛然として至るごとに、予は天の試練の大なるに、ますます自己を反省し、いよいよ操守を固くし、諸子をひきいてこの難関を打開し、付託の重任を全うするにいよいよ身命をささげんことを深く決意せしなり。
 予、いま任を離なる。諸子を飢餓と豪雨のなかに残して、さらに勇躍して新使命に赴かんとするは、さらに大なる決意を有するものなるを銘記せよ。予は必ず英霊を慰め、傷病の諸子を救い、諸子に光明と希望を与え、赫々々たる戦捷と、何ものをも恐れざる大勇猛心を中核とする烈兵団の伝統を、永遠に建設せんことを期す。
 予の心は在任当時と同様、路子の上に在り。否それ以上に諸子の上にあらん。けだし既往における諸子の勇戦敢闘と、不肖を中心とせし熱鉄のごとき兵団の団結とに対して、予の報ゆる途は全く今後にありと信ずればなり。諸子願わくは各隊長を中心として、ますます上下協力一致し、甘受して前途の困難に遭進せよ。
 いささか決意を述べて、とりあえず離任の辞とし、再び諸子の壮容に接し、相擁して戦没せる戦友の霊に泣かん。

昭和19年7月10日


Miyazakic  この撤退の際も宮崎繁三郎歩兵団長は、巧みな戦術を使い、狼煙を使って多くの兵隊がいるように見せ、イギリス軍を翻弄。友軍が撤退する時間を作る。
 また、負傷や病気になった兵を戦場に置き去りにしないという信念をもち、歩兵団長たる自らが負傷兵の担架を担ぎ、自分の食料も部下に与えた。撤退をしながら、見つけた他の部隊の遺体についても、きちんと埋葬し、遺体の氏名と所属部隊名を詳細に記録。
 このことが、宮崎繁三郎中将を日本陸軍屈指の名将と言わせしめ、高田歩兵第五十八聯隊かく戦えり!とその奮戦ぶりがイギリスの戦史で書かれた理由なのである。
 『高田歩兵第五十八聯隊史』には、こんな逸話が紹介されている。


敵将が褒めた五十八聯隊の奮戦

 終戦後、宮崎中将がビルマで抑留された所は、ラングーン郊外の「インセン」収容所であった。そこの所長は、コヒマ戦線で聯隊と戦った英軍の中隊長であった。
 彼は、宮崎中将がコヒマ戦線で五十八聯隊を指揮した将軍であることを知り、特に敬意を持って遇した。そして会う度ごとに、五十八聯隊の勇戦敢闘振りを、口を極めて質讃していた。
 同じく抑留中のこと、第3大隊はブロームの労役に派遣されたが、奇しくもまた、この地区の英軍司令官がコヒマ戦の敵将であった。彼は数多い日本軍労役部隊の中で、特に五八を優遇してくれた。戦没戦友の遺勲が敵将を感銘させて、敗戦後のわれわれに恩恵を賜わったのである。


 チャンネル桜で放送するための素材として、インタビュー風景も撮影させてもらい、資料も多く頂戴した。
 また、戦死した戦友のために何か食べるものを供えてほしい、と預かりものをし、帰国後には報告会をやってほしいと武本氏からお願いされた。
 慰霊祭のビデオや写真などを含め、後日報告会を実施したいと思う。

Cimg0904  11時30分過ぎ、「世界のグッドトイ大集合 柏崎おもちゃフェスティバル」を見るため、姪っ子を連れて柏崎市社会福祉協議会に移動。
 おもちゃドクターの皆さんがボランティアでおもちゃを直しており、盛況の様子であった。また、木を使った面白いおもちゃも色々とあり、個人的に気に入ったのは、ビー玉を落としながら、音が変わっていくもの。
 購入したいと思ったが、名前も分からず、残念であった。

Cimg0908  買い物もあったため、12時50分、「MEGAドン・キホーテ柏崎店」内のラーメン専門店「福麦亭」 (電話:0257-24-2417)で、「みそ野菜らーめん 690円」と「ミニチャーハン 250円」で姪っ子と昼食をとる。食後は、お約束のように「ソフトクリーム(バニラ) 170円」。

 一旦自宅に戻ったのち、身支度をして、市内をまわり、インドでの慰霊祭への供物を預かる。

 16時、事務所に戻ったところで来客。ちょっとしたトラブルのご相談であり、双方の間に入って解決した。

Cimg0909  18時30分から、「割烹おくい」(電話:0257-24-6486)から平成21年東学校町・新年会に出席する。
 成年会で準備したアトラクションも好評で、黒ヒゲ危機一髪はかなり盛り上がった。普段話しをすることが少ない近所の方とも、教育問題をはじめ、かなりアツイ話をすることができた。

 22時、自宅に戻る。

2009年1月23日 (金)

「辞めてもらいたい市議」アンケート
鹿児島県阿久根市・竹原信一市長

 インパール作戦に関する手記などを読み漁り、3時に就寝。

 8時、起床。大粒納豆、目玉焼き、アスパラ菜のおひたし、イカの塩辛でご飯2杯の朝食をとる。

 9時から11時過ぎまで、市内某宅でのパソコンの入れ替え作業。仕事としてご依頼を頂き、1時間ほどで終了するかと思いきや、データフォルダに暗号をかけたものの、パスワードをお忘れになっていたものもあり、データの移行に手間取る。

 12時、自宅に戻り、冷凍うどんと昨日のラーメンスープ、キャベツ、白菜で煮込みうどんを作り、祖母と一緒に昼食をとる。
 祖母は、ときおり正気には戻るものの、頻繁に「オメさん、誰だぁ~」と孫である私にも言うようになってしまった。

 13時から事務所に来客。就職に関するご相談であった。その後、情報公開請求など市役所での所用を済ませる。

 15時から18時まで、事務所に新潟市から来客。今度のインド・インパールの地へご一緒される方で、亡くなられたお祖父様が元・高田歩兵第五十八聯隊であり、コヒマに行く手前で片眼を無くすほどの負傷をし、第一線を離れ、生還できたそうである。生前には何とか現地で亡き戦友の慰霊ができないものか語っていたとのことで、お孫さんとしてお祖父様の想いを継ぐため、今回参加される。

 18時から市内某所で打ち合わせ。

Dsc00056 19時30分、一旦自宅に戻り、豚モモ肉を使い、たっぷりの黒酢を入れた酢豚、エビの炊き込みご飯、ひきわり納豆汁で夕食をとる。
 酢豚のなかのパイナップル、ポテトサラダのなかのリンゴや缶詰のみかん、さくらんぼなどがどうしても許せない性分なので、黒酢は多く入れてもパイナップルはなしである。

 20時、22時と市内某宅でパソコンの修理や不調原因の特定など。口コミでご依頼を頂くのはありがたいことである。

 23時過ぎに帰宅。

 選挙前などに立候補が予想される人の人気投票を行って、その経過又は結果を公表するのは公職選挙法で禁止されている。

公職選挙法第138条の3
 何人も、選挙に関し、公職に就くべき者(衆議院比例代表選出議員の選挙にあつては政党その他の政治団体に係る公職に就くべき者又はその数、参議院比例代表選出議員の選挙にあつては政党その他の政治団体に係る公職に就くべき者又はその数若しくは公職に就くべき順位)を予想する人気投票の経過又は結果を公表してはならない。

 しかし、「選挙に関し」でなければ、やろうと思えばやれる。
 鹿児島県阿久根市の市長が、市議会議員全員について「辞めてもらいたい市議」アンケートをブログで行っているというニュースがあり、早速、チェックしてみると定数削減のことについても行っていた。
 内容の賛否はもとより、チェックを受けるべき議会の定数に関してまで、市長自らがやるのは行き過ぎかと思う。議員自らが決めるべきである。
 では、柏崎市議会はどうであるかと言えば、委員会で審査するとしておきながら、委員会で審査の打ち切りを行った

 さすがに「辞めてもらいたい市議」アンケートは真似できないが、議員定数のネット上のアンケートは真似させてもらおうと思う。


平成21年1月16日『毎日新聞』

阿久根市長:ブログで「辞めてもらいたい市議」アンケート

 鹿児島県阿久根市の竹原信一市長がブログ(日記様式のホームページ)で、市議15人全員の名前を掲げ「最も辞めてもらいたい議員」の投票を呼びかけ、市長に批判的な市議12人が近く市長不信任案を提出する構えを見せている。市長は議会解散で対抗する方針で、昨夏の市長選以来続く市長と議会の対立緊張はヒートアップしている。
 
投票呼びかけは12日付のブログ。「不人気アンケート」と題し、投票を呼びかけた。11日付では、「市長を支持するか」「議会は解散すべきか」などの質問も掲載した。
 
これに対し、市長に批判的な複数の市議は「市長の言動は不謹慎」「市長に不適格」などと反発。「挑発に軽々に乗ってはいけない」など慎重意見もあるが、12人で不信任案提出で調整している。
 市長不信任案は地方自治法に基づき、議員の3分の2以上の出席の上、4分の3以上の賛成で可決する。その場合、市長は10日以内に失職か議会解散かを選択できる。だが、解散に伴う出直し市議選後、再び不信任が過半数の賛成で可決した場合、市長は自動失職する。阿久根市議会(定数16で欠員1)の場合、最初の不信任案は12人の賛成で成立する。【馬場茂、福岡静哉】

 【ことば】▽竹原市長とブログ問題▽ 竹原氏は4新人が争った08年8月31日の市長選で初当選。選挙期間中にブログを更新して他候補を批判したとして、鹿児島県警から公選法違反の疑いで警告を受けた。

 選挙戦での公約通り、9月市議会で市議定数を16から10削減する案を提案したが、賛成ゼロで否決され、副市長、教育委員の人事案も不同意に。その後も人事案が否決されるなど、議会との対立は深刻化している。一方、竹原氏はブログ上で「市議会は解散すべきか」(同11月4日)「市長を支持するか」(09年1月11日)などと記述し、ネット上での投票を呼びかけた。

2009年1月22日 (木)

オバマ大統領就任演説中継の内容
公の施設で南京大虐殺展

 仕事をしながら、横目でテレビを見ているとオバマ大統領就任演説の模様が何回も流れていた。
 ザッピングしていたため、各局での和訳テロップの差を見ることができたが、民放の一部では演説終盤の

「Our challenges may be new, the instruments with which we meet them may be new, but those values upon which our success depends, honesty and hard work, courage and fair play, tolerance and curiosity, loyalty and patriotism -- these things are old.」

「patriotism」(祖国愛、郷土愛)を見事にスルーしていた。
 また、大統領選挙においては、オバマ候補のマニフェストでは原子力発電の推進が書かれていたにも関わらず、就任演説をからめて、アナウンサーや解説者は自然エネルギーの活用しかコメントしていないのが不思議であった。

 ゆっくりと風呂に入り、2時過ぎに就寝。

 8時、起床。コンビニで買っておいた納豆巻き2本、味付け茹で卵、野菜ジュースで朝食をとる。

 9時過ぎにチェックアウトし、10時過ぎから港区の某社でインタビューの収録。

Cimg0882  12時、渋谷区に移動し、チャンネル桜で来週から行くインパール・コヒマ戦跡慰霊の報告番組の件や情報交換などを行う。
 色々な情報を聞いたなか、驚いたのは香川県内で行われている公の施設での南京大虐殺の写真展である。

Cimg0883 30万人という虐殺が日本軍の手によって行われたと中国側が主張している南京大虐殺であるが、歴史的にも確定しておらず、かつ写真素材など存在しないにも関わらず、「侵略を記憶し語り継ぐ平和の旅」と銘打って行われているのである。

Cimg0889*虐殺と繰り返しと言う中国であるが、軍人及び軍人が戦時国際法を違反して軍服を脱いで便衣兵となった者などは解説をせず、民間人とゴッチャにしている。軍人対軍人は、戦争である以上、合法。
 このパネル展の解説では、民間人や避難民を便意兵や残党して、一掃する大虐殺を行ったとしている。仮にそうであれば、南京戦ののち、人口が増えるわけはない。

 しかも、パネル展の最初には、 「現地で生きられた方の証言を基に作成しています。あらかじめご承知おき下さい。」と逃げを打っている。
 分かっているだけでも、

 1月13日~15日 観音寺市役所ロビー
 1月16日~20日 丸亀市役所ロビー

で行われており、公の施設でやって良い内容かどうか、政治的にも歴史的にもおかしい内容である。
 本当に史実たる30万人の民間人虐殺を扱うのであれば、原爆の投下であろう。
 公の施設の使い方の問題であるとして、香川県内の地方議員仲間に連絡した。

Cimg0891  東京都内での用事をすべて済ませたのち、帰路に着く。
 途中、全粒粉粗挽きソーセージパン、辛口インドカレーパン、低脂肪乳、グレープフルーツジュースで昼食をとる。いつも思うことであるが、カレーパンなどの揚げパン類はビニールを介して持っていても、油が直接指に触れるような感じがする。

 18時過ぎ、柏崎に到着し、事務所に戻って、溜まった書類などを処理。

Cimg0892  21時30分、市販の中太麺を使い、スープはスライスした大量のにんにく、豚バラ肉、干し納豆、鶏ガラスープストック、牛乳、再仕込み醤油、いわしパウダー、昆布パウダーで作ったラーメンで夕食をとる。
 実際に食べてみると、ラーメンよりは極太のうどんに合うようなスープになっており、多少の反省。最後に冷やご飯を投入し、満腹となった。

2009年1月21日 (水)

中国教材「日本軍医の美談」削除

 深夜の高速バスで東京に移動予定であったが、時間が過ぎてしまったので、予定を変更。

 0時過ぎ、自宅に戻り、シャワーを浴びてから、2時に就寝。

 5時30分に起床。大粒納豆、生卵でご飯をかっこみ、東京に向かって移動する。

 11時から豊島区の某社で打ち合わせ。

Cimg0879

 13時過ぎ、駅までの移動する途中にあった「東京とんこつラーメン 十豚」(電話:03-3982-5225)で、「つけめん大 650円」の昼食をとる。
 加水率の高い中太縮れ麺は良かったが、つけダレは可もなく不可もなくといった味。チャーシューの脂身の多さが気になったので、温かいつけダレに沈め、ダシにしてみた。

 14時から18時まで、新宿の某社にて企画会議。なかなかまとまらず、途中でミックスサンドイッチ、ミニパフェ(マロン)で夕食をとる。

Cimg0880  20時、「讃岐うどん・生そば かのや」(電話:03-3226-8631)で「かき揚げ玉子うどん 480円」。個人的には、新宿の立ち食い蕎麦系のお店のなかで、このお店がベストである。
 その後、ホテルにチェックインし、議事録などを書く。

 日本の教科書検定に対し、中国はいちいちケチをつけるが、一般の教材に対しても、削除するような事があったという。
 一党独裁、日本から援助をもらいつつ弾道ミサイルは日本に向ける、いまだにチベットをはじめ侵略・民族浄化を繰り返し、表現の自由さえ無い国と隣り合っていることを、日本人はよく認識しなければならない。


平成20年12月30日『産経新聞』

「日本軍医の美談」削除
中国 教材、軍のイメージと矛盾

【北京=矢坂明夫】日本のNPO法人が編集した日本語教材が中国で今秋出版されたが、原本に史実として収録されていた「旧日本軍医が多くの中国人を助けた」との内容に対し、中国側が「問題がある」として削除していたことが29日までにわかった。中国では愛国主義教育の一環として、日本軍の残虐さを誇張して描写した書籍が大量に出版されており、こうした日本軍のイメージと矛盾しているため中国側が難色を示したとみられている。
 この日本語教材は、北京の大手出版社「外語教学と研究出版社」が9月に出版した「日語読庫」で、日本のNPO法人、日本語多読研究会(本部・東京)が外国人向けに編集、出版した「日本語多読ライブラリー」 (アスク出版)を原本にしている。
 日中の両出版社は当初、同じ内容の掲載を前提に話を進めていた。ところが、中国側が突然、変更を求めてきたという。
 この教材にはもともと、「雪女」「走れメロス」など日本のおとぎ話や短編小説、伝記など5つの文章が収録されていたが、中国側が問題視したのは「永井隆、原爆の地長崎に生きて」という文章だった。
 長崎に原爆が投下された後、自分も被爆しなから、多くのけが人を治療した医者、永井隆氏の生涯をつづった文章で、1937年に永井氏は軍医として中国に赴き、日本人だけではなく、病気や負傷をした中国人を多数治療したことも紹介された。
 その中で、「1939年には1年間で4000人の中国の人々を助けた」などの部分について、中国の出版社が「記述に問題がある」として日本側に手直しを求めてきた。
 日本側は、執筆の際に参考にした「永井隆全集」など多くの史料を中国側に送り、説得しようとしたが、結局「永井隆」の部分は、すべて削除して出版された。
 アスク出版の担当者は産経新聞の取材に対し、「この教材は外国人向けの読み物であり、日本人の中には永井隆博士のように素晴らしい人物がいることを、ぜひ中国の皆さんに知ってもらいたかった。出版できなくて残念」と述べた。中国側と何度も交渉したこの担当者は「削除は中国側の出版社の現場の意見ではなく、上の方の判断」との印象を受けたという。中国の外語教学と研究出版はこの件について「ノーコメント」としている。
 同教材は2007年10月に韓国で出版され、来春は台湾でも出版される予定だが、いずれも問題視されておらず、日本と全く同じものが出版される。

2009年1月20日 (火)

平成21年第1回臨時議会
緊急雇用対策

Cimg0865  0時、「中華美食館柏崎店」(電話:0257-23-4530)に移動し、青島ビールでかた焼きそばや餃子を食べてシメにする。
 シメに汁気のあるラーメンはよくあるが、かた焼きそばは例があまりなく、新鮮な感じであった。

 1時過ぎに帰宅し、シャワーを浴びて2時に就寝。

 7時、起床。今日の臨時議会に関わる資料を整理する。

 8時、大粒納豆、豚みそ漬け焼き、大根菜のごまよごしでご飯2杯の朝食をとる。

 9時過ぎ、市役所に移動し、関係課で調査したのち、会派室で会派内の会議を行う。

Cimg0866  10時から臨時議会。
 議案は、専決処分報告、補正予算、自動車事故の和解専決処分の3件のみである。
 専決処分は融資預託事業、県信用保証協会負担金2860万円の信用保証料の全額負担という内容で、繰越金で対応する。
 補正予算案は、1800万円の雇用促進事業、1億1900万円の融資預託事業費(中小企業等融資事業)。

「平成21年1月臨時議会資料」(pdf形式)

 融資預託事業は、これまでと同じ制度であり、特に議論はないものの、議論すべきは新規事業たる雇用促進事業である。
 確認の意味で以下の2点を質問した。

・緊急雇用対策のやり方としては、自治体自体が臨時職員を雇用するやり方と、今回の議案のように事業主に補助金をだすやり方の2種類がある。前者については、埼玉市の事例のように募集したものの応募者が数名ということ、その反面、新潟市のようにさらに拡大して募集する事例(平成21年1月17日、30人の臨時職員募集を50人に拡大。同日までに67人の申し込みがあった)もある。これはいずれもミスマッチによって生じているように思うが、こういった臨時職員の雇用について、行わない理由、また新年度の臨時職員の雇用について、市長の考えを聞かせてもらいたい。
 → 臨機応変に対応していきたい。(会田市長)


平成21年1月18日『共同通信』

100人募集にたった8人
さいたま市の臨時職員採用

 さいたま市が失業者対策として打ち出した約100人の臨時職員採用計画への応募者が18日までに、わずか8人にとどまっている。
 相川宗一市長は「採用期間が短いなど(応募側との)ミスマッチがあるのかもしれない。もっと活用しやすい方法を考えたい」と反省しきりだ。
 市が募集しているのは、昨年10月以降に勤務先の業績悪化などで解雇された市内在住者。市役所と区役所の事務補助やパソコン入力などが主な仕事で、原則として6カ月間、時給制で勤務する。
 市によると、受け付けを始めた13日以降、応募があったのは20-50代の男女4人ずつ、計8人。いずれも採用手続き中で、近く勤務を始める見通しだ。
 同様に臨時職員を募集している埼玉県内の自治体でも、応募者は予想以上に少ない。
 熊谷市は昨年12月、年末5日間だけの臨時職員を約50人募集したが応募は11人。川口市は12月末から約20人の臨時職員を募集したが、今月16日までの応募は50代の男性1人だけ。この男性も別の雇用先を探したいとして、採用を辞退したという。


・今回の議案のパターンは、十日町市が先行して実施しているが、その応募状況などのデータはあるか。
 → 上越市も実施するようになったが、データは現在持ち合わせていない。(産業振興部長)

 会田市長の答弁に物足りなさがあったので、再質問しようと手を挙げたものの、議長が他の議員を指名・・・・。
 自治体の臨時職員の雇用もさることながら、先に行った柏崎市内事業者へのアンケートでは、正社員の求人が314人もあり、結局は求人のミスマッチ量に原因があるのではないか、という趣旨のことを伝えたかったのである。
 制度を作って終わり、ではなく、質をよく考えてもらいたいと思う。
 他の議員からの質問も相次いだが、結果として全員賛成で可決となった。

Cimg0867

 11時30分過ぎ、議会が早く終わってしまったため、会派室にて「やぶ」(電話:0257-22-3482)の「カツ丼」出前を食べながら、会派内の会議を行う。
 昨年の市長選以来、報告のチラシを作成していないので、今年度中にも発行しようということになった。

 14時から18時まで、市内数箇所で依頼された仕事をこなす。

 18時過ぎから急遽の来客があり、事務所で就業に関しての相談を受ける。

Cimg0876 19時30分、遅刻してしまったが、柏崎商工会議所に移動し、柏崎市倫理法人会の役員会に出席。
 2月に行うイブニングセミナー、3月に行う倫理経営講演会をはじめ、会の運営について話合う。

Cimg0877 20時30分過ぎ、「味菜」(電話:0257-23-0707)に移動し、柏崎市倫理法会の新年会。
 アスパラ菜の辛し和え、ふくらげ(はまち、いなだ) の刺身を皮切りに、豚キムチ鍋、鯵フライ、シーフードサラダなどを食べながら、生ビールを飲む。
 「三井田の嫁探し」ネタから、野田をトトロの森にしようなど、話題が膨らみ盛り上がった。

Cimg0878 22時、一次会が終了するも、そのまま上の階のスナックで二次会ということになり、移動。
 他のお客さんがいなくなったところで、カラオケタイムとなり、「ウルトラマンレオ」「ダッタン人の踊り」を歌う。

2009年1月19日 (月)

暴力校長の懲戒処分の公表

 3時、就寝。

 8時、起床。大粒納豆、山芋とろろ、温泉たまごでご飯2杯の朝食をとる。

 9時過ぎに自宅をでて、10時から12時まで上越市の某社での打ち合わせ。

 途中のコンビニで購入した、納豆巻き2本、低脂肪乳、野菜ジュースで昼食をとり、13時過ぎに事務所に戻る。

 15時から来客。就職に関する相談であり、明日の議会でも議論すべき内容であった。

 18時、19時と来客。

Cimg0863 20時過ぎから、「船栄 柏崎店」 (電話:0257-22-0288)にて、ビールの飲みつつ、アウトドアゲームの今年の方針や企画などを打ち合わせ。
 どんど焼き、玉子焼き、焼きうどんなど腹にたまる炭水化物系をつまみにしたため、一気に満腹となった。

Cimg0864 23時、市内某スナックにて2次会。
 月曜日で寒い日ということもあってか、他にお客さんがなく、カラオケの練習ということになった。
 昭和32年の「喜びも悲しみも幾歳月」、昭和46年の「街のあかり」など昭和歌謡を中心に歌う。

 昨年末に発生した小学校長による暴行事件についての処分が以下のように発表された。
 懲戒免職、当然の結果であろう。


平成21年1月16日
市議会議員 各位
                        柏崎市教育委員会

      懲戒処分の公表等について

 昨年12月23日に発生した小学校長による暴行傷害事案について、新潟県教育委員会から平成21年1月16日付けで教職員の懲戒処分の公表がありましたので報告いたします。併せて今後の取組みについてもお知らせいたします。
 今回の処分に至ったことは、教育委員会として誠に遺憾であり痛恨の極みであります。市民の皆様の信頼を大きく損なう結果となり、心からお詫び申し上げます。
 責任の重大さを認識し、全教職員に対して、公務員たる自覚を持って行動するとともに、いやしくも市民の疑惑や不信を招く行為は厳に慎むよう徹底を図り、市民の皆様の教育に寄せる信頼の回復に全力を挙げて取り組んでまいります。
                記
 1 公表の内容
(1)被処分者
    柏崎市立内郷小学校 牧 定紀校長(57歳)
 (2)処分内容
    免職 
(3)事案の種類
   傷害及び酩酊による粗野な言動等
(4)事案の概要
   平成20年12月に、JR長岡駅構内に停車中の電車内で、酒に酔って乗務員の襟を掴むなどした際、止めに入った高校生の顔を殴り傷害を負わせ、現行犯逮捕された。
(5)処分の時期
平成21年1月16日

2 今後の措置について
校長の後任人事については、1月17日から1月31日の期間は、現教頭を校長職務代理者とし、2月1日からは、新任校長を配置する予定です

2009年1月18日 (日)

ウルトラマンメビウス外伝ショー
ティガ、メビウスVSゴルザ、ババルウ星人

 カラオケが続き、2時に帰宅。本ブログをご覧頂いている方がカウンターで飲まれており軍歌を一緒に歌ったのが印象的であった。

 3時、就寝。

 8時、起床。大粒納豆、鰺の開き、なめたけおろしでご飯2杯の朝食をとる。

 8時30分から10時過ぎまで、市内某所での打ち合わせ。

 打ち合わせ終了後、甥っ子、姪っ子を連れて、長岡市に移動。

Cimg0831  11時過ぎ、長岡厚生会館に到着。
 現地では「ながおか食の陣」が開催されており、復興後のイベントとして、参考にしたいと思ったことと、「ウルトラマンメビウス外伝ショー」があるため甥っ子、姪っ子を連れて、訪れた次第である。
 現地はとにかく凄い人で、食べ物をチェックするよりも、先に「ウルトラマンメビウス外伝ショー」の会場である1階中ホールに移動。

Cimg0834  会場はあふれんばかりの親子連れ。
 先だって行われていた「フェニィとケイコお姉さんのダンスと歌の音楽ショー」では「アンパンマンマーチ」なども歌われ、会場は熱気ムンムンであった。
 12時、「ウルトラマンメビウス外伝ショー」が始まった。
Cimg0836 甥っ子、姪っ子はウルトラマンメビウス、ウルトラマンティガに会えるのが楽しみで、以前のウルトラマン・ショーと同様、今回も正座をして待っていたが、いきなり暗黒星人ババルウ星人、超古代怪獣ゴルザがでてきたところで、甥っ子は固まり、姪っ子は大泣きしてしまった。
 そこに現れたウルトラマンメビウスとウルトラマンティガ。
Cimg0835  しかし、ウルトラマンメビウスとウルトラマンティガがやられそうになり、暗黒星人ババルウ星人が会場のちびっ子を人質にしようと、歩きまわると、会場内それぞれから泣き声が聞こえ始めた。
 その後は宇宙船が壊れ、地球で部品調達をしたい宇宙魔人チャリジャを軸に、「信じる心が勇気になる」のウルトラマンのテーマに沿ったストーリーが展開。
Cimg0850_2 最後はウルトラマンティガがゼペリオン光線で超古代怪獣ゴルザを倒し、ウルトラマンメビウスがメビュームシュートで暗黒星人ババルウ星人を倒して、無事にショーが終了した。ちびっ子をはじめ大人も一緒になっての大きな拍手に会場が包まれた。
 ショー終了後、会場を2階ロビーに移動し、ウルトラマンティガ、ウルトラマンメビウスと握手・記念撮影会に参加。甥っ子、姪っ子は狂喜乱舞し、二人ともゼペリオン光線ポーズをとっての撮影となった。

 「ながおか食の陣」の会場はまだまだ行列が多く、森民夫長岡市長のメッセージなどもあったが、甥っ子は驚き疲れ、姪っ子は泣き疲れて眠ってしまい、そのまま柏崎に戻る。

 14時過ぎ、事務所に来客。チーズバーガーや冷蔵庫にあったもので軽い食事をとりながら懇談する。

 18時、20時とそれぞれ事務所に来客。

Cimg0851  21時近く、干し納豆、煮干しパウダー、さば節でとったダシで、乾麺のへぎそばを茹でて、「納豆だし蕎麦」を作る。
 これまで納豆蕎麦は、蕎麦のなかに直接納豆パウダーを練り込むスタイルと、納豆をのせるシンプル型のどちらかであったが、調味料として干し納豆を使うスタイルも今後追及していきたいと思う。

 食後、テレビ番組企画など、事務仕事のため事務所にこもる。

2009年1月17日 (土)

「こどもの居場所づくり」事業
柏崎小学校「かしわっ子クラブ」がスタート

 1時30分、もう一軒ラーメン屋に行こうということになり、O氏と三重県にはまだ出店していない「無尽蔵 ひもろぎ家」(電話:025-249-1516)で「鶏がらすーぷ味 岩のり醤油らーめん 810円」を食べる。
 デジカメも携帯電話の電源も切れ、撮影できなかったが、この麺は、新潟県なまめん工業協同組合と新潟県農業総合研究所食品研究センターで開発したものである。
 酒も飲まず、この時間にラーメン2杯目というのは、やはり胃に重いものであった。

 O氏をホテルまでお送りし、帰路につく。

 3時、自宅に到着し、シャワーを浴びてから就寝。

 8時、起床。大粒納豆、鯛のあらの潮汁で即席の納豆茶漬けを作って朝食にする。

Cimg0826  遊びに来た甥っ子、姪っ子を連れて、9時過ぎに中央地区コミュニティセンターに移動。
 いよいよ今日から中央地区コミュニティ版「こどもの居場所づくり」事業柏崎小学校「かしわっ子クラブ」がスタートとなり、テープカットも行われた。
 これまで何回か運営委員会にも参加してきたが、引き続き、協力していきたい。
 開会式のあと、小学生と馬跳びや縄跳び、バスケットボールで2時間ほど一緒に遊ぶ。

Cimg0829  12時過ぎ、自宅に戻り、冷蔵庫にあった残りもの、ひきわり納豆を使った納豆炒飯で昼食をとる。
 今日の残りものは、ほやの塩辛をはじめ、少しだけ残っていながらなかなか手をつけないもの各種の珍味の瓶詰め。かなり濃厚な味わいとなった。

 13時過ぎ、長岡市に移動し、東京都内から出張してきてもらった某企画会社と14時から17時までテレビ企画の打ち合わせ。

Cimg0830  18時過ぎ、地元町内の集会場に移動。
 18時30分から町内成年会の理事会となり、つまみ持ち寄りで発泡酒などを飲みつつ、来週開催の町内新年会の打ち合わせを行う。
 イノシシ肉を大量にもらったため、即席のイノシシ鍋にして食べてみるも煮込み時間が足りないうちに食べ始めたため、最初は肉の歯ごたえでアゴが痛くなってしまった。30分ほどビールを追加で入れて煮込んだ後は、めっぽう美味くなり、次回は飲み始める前から料理することとなった。

 20時、途中で失礼させてもらい、前々から約束のあった市内某スナックでの某新年会に出席。やはり市政に関する怒りの声が多く、23時過ぎまで同会場で盛り上がる。

 24時近く、カラオケのある店に行こうとお誘いを受け、2次会にも出席する。

2009年1月16日 (金)

神奈川県医師バンクの取組み
産婦人科不足のために

Cimg0819  0時30分過ぎ、ラーメンでも食べようということになり、「中華美食館柏崎店」(電話:0257-23-4530)に移動し、タンタン麺などをつまみにビールでシメとする。
 子供育成事業など熱い話となり、目的は一緒でもアプローチの仕方がこれほど違うのか、勉強になった。

 1時過ぎに帰宅。シャワーを浴びたのち、2時に就寝。

 8時、起床。大粒納豆、目玉焼き、冬菜のおひたし、椎茸の醤油焼きでご飯2杯の朝食をとる。

 9時、パソコンのデータ移行の依頼があり、ハードディスクの入れ替えを行う。まだ少ない容量だったので、1時間弱で作業終了。

 10時から12時近くまで市内某所での打ち合わせ。

 昼食をとる間もなく、13時から18時過ぎまで柏崎市民にとっては大きな問題になりそうな件の裏付け調査などを行う。
 前を走っていた平ボディーのトラックが落としたコンクリートブロックのお陰で、愛車のフロントが破損し、代車となった。

 21時過ぎ、新潟市内の某施設の開所式に出席。

Dsc00048  三重県からお越しのO氏、佐賀県からお越しのK氏をホテルまでお送りし、チェックインしてもらってから、22時過ぎ、「御米屋 古町店」(電話:025-225-8800)にて懇談会。
 新潟の味として、栃尾揚げ、村上牛の昆布〆、のどぐろ塩焼き、真鱈の白子ポン酢を食べてもらいながら、日本酒各種をお飲み頂いた。

Dsc00050  23時過ぎ、せっかく新潟に来たということで、おにぎりバー「おにぎり 越後屋」(電話:025-223-1849)で、「ぬかいわし 200円」「大根味噌漬け 130円」を「越の寒梅 650円」を飲みつつ、頬張ってもらった。
 冷や酒と温かいおにぎりの組み合わせ、しかも「ぬかいわし」は心に響くチョイス。ただ、今日は運転があるため、自分では食べず飲まずなので残念である。

 チャチャとおにぎりを食べたあとは、新潟のさっぱりしたラーメンがご希望とのことで、24時、「天龍本店」(電話:025-222-9745)で「ラーメン 600円」と「餃子 500円」を「朝日山 コップ酒 350円」で食べてもらう。さすがに腹が減ったきたので、自分も同じメニューを食べ、食後、K氏をホテルにお送りする。

 柏崎市議会において、現在、私は厚生常任委員会に所属しているため、各自治体の医療に対する取組みをチェックしている。
 そんななか、昨年の平成20年3月3日、厚生労働省認可でスタートした神奈川県医師会による神奈川県医師バンクに注目していた。
 これは、産婦人科の医師不足が社会問題となっているなか、出産や高齢などで医療現場を離れたものの『再び働きたい』という医師と、医師の欲しい病院等の医療機関を結びつける事業で、神奈川県が神奈川県医師会に委託をして行われているものである。
 特に産科・産婦人科は女性医師の占める割合が高く、出産を機に現場を離れてしまう
ケースが多いと言われているため、有効という評価がある。
 病院の求人と通常の医師との全般的な結びつけについては、新潟県医師会もドクターバンクとして取り組まれているが、分野限定は珍しいといえよう。

 開設から1年が経過した今、本当のところの実績や問題点はどうなのか、この事例と同じことやった方が新潟県には効果的なのかを含めて、引き続き注目していきたい。

2009年1月15日 (木)

歴史の重み、世田谷「ボロ市」

 ホテルの部屋で集めてきた資料やさらに調べたいことを精査し、3時に就寝。

 8時、起床。週刊誌2冊をもって、1時間ほどの風呂に入る。

 10時にホテルをチェックアウトし、11時から14時まで議員会館をはじめ、官庁まわりをして資料を収集。途中、コンビニで買った納豆巻き2本と低脂肪乳で朝食をとり、おにぎり弁当セットとコロッケパンで昼食をとる。

Cimg0811  15時、世田谷区に移動し、世田谷「ボロ市」を視察。
 世田谷「ボロ市」には、我が柏崎市からも柏崎観光協会を中心にブースを出店しており、その現状視察もあるが、それ以上の目的もあった。
 同様のイベントを実施できないか、という話しが以前からあり、本物の状況を調査にきた次第である。
Cimg0815 世田谷「ボロ市」は、毎年1月15日・16日、12月15日・16日のそれぞれ2日間、世田谷駅と上町駅の間で開催されているイベントで、その歴史は古い。天正6年(1578年)、小田原城主北条氏政が楽市を開いたのが始まりで、我が柏崎市のえんま市のように、伝統行事として430年以上続いている。
Cimg0814 「ボロ市」はその名の通り、最初は古着や農産物を持ち寄ったそうであるが、いまはもう何でもありで、いかにもアヤシー骨董からアニメグッズまで幅広い。それがまた良い味わいを醸し出しており、若者を引きつける要因になっていると思われる。
 正直なところ、地元商店街の協力度合いをはじめ、この歴史の重みはおいそれと真似できるものではない。観光バスも、この市のためだけに、関東一円から殺到していた。
Cimg0813 柏崎のブースは、柏崎市役所観光交流課もサポートにまわって、かなり頑張っており、計り売りの米は早くも完売。寒さも手伝ってか、「おいな汁」も飛ぶように売れていた。
 残念なのは、少し重めの米袋販売である。
 どさくさ紛れに、水が美味しい鵜川の米を紹介し、勝手にお客さんに売り込むも「持って帰るのが・・・・」という返答がほとんど。
 上記のことだけではなく、文章に表せないような色々な刺激とアイデア、課題を見つけることができた実りある視察であった。

 視察後、急いで帰路につく。

 20時、やっと柏崎市に戻り、柏崎エネルギーホールに移動。
 柏崎青年会議所の2009年度第1回理事会に、副委員長のため傍聴参加する。しかし、他の議案の審議が長引き、今回自分の委員会の協議は見送りとなった。

Cimg0818  22時過ぎ、 「船栄 柏崎店」 (電話:0257-22-0288)にて、有志3人とともに新年初の懇親会。
 飲み放題コースで、生ビールを5杯ほどガブ飲みしながら、派遣村の政治的イデオロギー問題、子供の権利条例などバカ話しをはさみながらの熱い話で盛り上がる。

2009年1月14日 (水)

(株)柏崎情報開発センターと意見交換

 インパール作戦に出征された兵士の記録などを調べるも、祖母の徘徊がひどく、5時にやっと就寝。
 さすがに柏崎市倫理法人会の経営者モーニングセミナーは欠席させてもらう。

 9時、起床。大粒納豆、目玉焼き、まぐろの醤油煮でご飯2杯の朝食をとる。

Cimg0803 10時過ぎ、第三セクターである株式会社柏崎情報開発センターに移動。
 柏崎市議会の平成会と所属会派である整風会で、10時30分から社長との意見交換を行う。
 第三セクターとしての雇用問題や売上の今後などを調査するのが目的である。
 まず、意見交換に先立って、緊急地震速報システムを見せて頂いた。
 NHKの地震速報は、気象庁の地震速報の一般利用の範囲であり、だいたいの情報が確定した第10報ぐらいの情報を使っているが、このシステムは第一報から流れる。
 いずれは、防災無線のレシーバーを交換し、柏崎市内全家庭に第一報を流せるようにしたいものである。
 その後は、以下のような意見交換を行った。


・売り上げ構成
 売り上げ 9億円から10億円。
 現在の売上はほぼ柏崎市の公共の仕事であり、今後は柏崎の仕事だけではなく、市外の仕事をドンドン拡大していく。目標として、柏崎市からの売り上げを50%、民間から50%を目指している。できれば5年以内に実現したい。
・不況の影響について
 大手との提携をはじめ、何とかして収益の分散化をはかっている。柏崎市からの仕事も今年分で15%カットを見越している。
 そのため、人を確保して新しい分野に進出していこうと思う。
・社員構成と雇用
 契約社員が60名(正社員が30名弱、残りは契約社員)。
 売り上げをだして、少しでも採用できないかと思っている。
 現在の営業は3名で、今度は4名になる。
 もちろん、地元企業とバッティングしないようしたい。

<三井田意見>
 第3セクターの強みも生かして、柏崎市のシステムのパッケージをより研ぎすまして売り込み、利益を上げるべきではないか。その分、雇用はしてもらう。
 また、2つの大学がもったいないと思うが、活用策は考えているか。

 → まったく考えは同じだ。
   いずれはもっと地元雇用を生み、ほぼ地元雇用というかたちまでもっていきたい。
   十日町市の
株式会社オスポックが目標。
   3月末で10名ほど契約切れになるが、何とか継続したい。
<議会側からの意見>
 社長以下管理職何名かが一気に変わったが、どういったことなのか。

 → 社内のことなので、あまり言えないが、変わった事についてはまったく影響はない。


 意見交換終了後、12時過ぎ、東京都内に向かって移動する。途中、コンビニで買った納豆巻き2本、野菜ジュース、低脂肪乳で昼食をとる。

 15時から18時まで某国会議員秘書とともに、鉄道をはじめ地域交通に関する資料を調査。

Cimg0805 19時過ぎ、某氏と「北の味紀行と地酒 北海道 渋谷駅前店」(電話:03-5774-0625)で、情報交換を兼ね懇親。
 北海道らしい、大助(キングサーモン)ルイベ、3種類のふかしたジャガイモとバターのセットなどで生ビールを4杯ほど飲む。

Cimg0806

 22時、場所を変え、某氏の行きつけという小さな小料理屋で2次会。
 蓮根のはさみ揚げ、トマトとうずらの卵の串揚げ、鶏ささみのしそ巻きの串揚げなどで瓶ビールを飲む。
 カウンターのお客さん通しが気軽に話し合うようなお店で、どういったラーメンが美味しいラーメンと言えるのか、と答えのない話を延々とし、楽しい時間となった。

 24時、ホテルに戻る。

2009年1月13日 (火)

日本トルコ友好の軍艦遺品引き揚げ

 3時、就寝。

 8時、起床。大粒納豆、鯖の味噌煮、海草サラダでご飯2杯の朝食をとる。

 8時30分から10時近くまで、市内まわり。

Cimg0801 10時から議会運営委員会に出席する。
 来週の臨時議会に関する協議であり、臨時議会は緊急雇用対策に関わる補正予算である。
 内容に入る前に、先の議会において専決処分でやりたいとした、市役所の耐震補強に関する追加の予算が7000万円ほどになる話(本当は、専決処分ではなく、議会の承認が必要。契約時の10%以上の変更額が発生している)はどうなっているのか、指摘をさせてもらった。
 まだ正式な契約変更になっていないため、2月議会に補正予算として提出するということであったが、説明はまずそういった現在進行形のものからやるべきと念押しをした。それがチェック機能たる議会の役目である。
 臨時議会での審議のメインは、緊急雇用安定助成金。
 昨年11月1日以降、解雇・離職した柏崎市内在住者を、柏崎職業安定所管内の事業所で新規に雇用した場合、雇用者1人当たり18万円の助成する。
 今回の補正分は100人分で1800万円を予算化するが、その財源は繰越金となる。
 もちろん、助成にあたっては条件があり、3カ月以上の雇用や週30時間以上勤務などの要件がある。
 この段階で議論すると、事前審査になってしまうため、柏崎市内の事業者にだしたアンケートの集計結果はいつだすのか、といった質問をして、終了とした。

 13時まで市役所内での調査をし、事務所に戻る。

 14時、ひきわり納豆、冷凍うどん2玉で納豆うどんを作り昼食。今回は、超細かいひき割り納豆を使ったが、やはり大粒派として、同じひきわり納豆でも大きめの方が口に合うようで、今回は少しもの足りず。

 15時過ぎに長岡市に移動し、16時から20時まで長岡市内某所での打ち合わせ。

 21時、自宅に戻り、差入れのおにぎり3個(梅干し、鮭、高菜)と納豆汁で夕食をとる。

Turky_1 昨日の新聞でも報道されたが、トルコと日本の友好のもととなった和歌山県串本町沖で沈没した軍艦「エルトゥールル号」の2回目の遺品引き揚げ作業がはじまった。
 今後、この引き揚げ作業の成果が報道され、トルコと日本の歴史秘話が伝わるほど、良識ある多くの人が、トルコ共和国に対する柏崎市の非礼に気付くであろう。
 いつの間にか、裁判の交渉材料にまでされてしまった、トルコ共和国から贈られたアタチュルク像。
 売却の際に、ダメだ!と私を含む保守系議員が指摘していたことが、その通りになり、いまだ解決されていないのが、現在の会田市政の実態である。


平成21年1月12日『産経新聞』

日本トルコ友好の軍艦遺品引き揚げ

 1890(明治23)年に和歌山県串本町沖で沈没したトルコの木造軍艦「エルトゥールル号」の遺品引き揚げ作業が11日、始まった。
 作業に当たるのは、トルコの考古学者や串本町内のダイバー、スペインの海洋建築家ら12人で構成する調査団。平成19年の海底調査を経て、昨年から3年計画で本格的な引き揚げが始まった。2回目の今回は遺品約2000点が目標で、2月3日まで作業する。
 昨年の1、2月に、士官の軍服のものとみられるボタンや望遠鏡のレンズなど1171点を引き揚げた。トルコでは沈没から120年となる来年に記念イベントが開かれる予定で、遺品の展示会も計画されている。
 エルトゥールル号はオスマントルコ時代の軍艦で全長76メートル。明治天皇に親書と勲章を献上し帰国する途中で、暴風雨に遭い沈没。約650人の乗組員のうち69人が地元住民に助けられ、日本とトルコの友好につながった。

2009年1月12日 (月)

起動試験前にも地元の了解が必要?

 祖母のお世話もあり、4時に就寝。

 8時、起床。大粒納豆、鮭の塩焼き、ごぼうサラダでご飯2杯の朝食をとる。

 午前中は市内某社にて、以前より依頼されていたパソコンの総入れ替えとデータ移行の作業。事前準備をしておいたため、2時間強で作業が終了した。

Cimg0799  11時30分、自宅に戻り、生ラーメンの細麺、K肉屋さんのチャーシュー、頂き物のモンゴルの岩塩、干し納豆を使って、塩チャーシューメンを作成して昼食にする。
 パンチのあるスープになったので、細麺には荷が重く、加水率の高い太麺を使うべきだったかと反省。

 14時、事務所に来客。柏崎市内の防犯に関する情報をはじめ、治安の悪化に対し、何をすべきか意見交換を行う。

 16時、事務所に来客。市政から県政、国政までいかにブレない保守が必要なのか、などの熱い議論となった。

 18時過ぎに長岡市に移動し、19時から某店で懇親会。移動もあるため、ウーロン茶で1時間ほど参加させてもらい、21時に帰宅。

 反原発派の市議会議員に支えられた会田市長であるが、起動試験の前にも地元了解が必要だという認識を示した。


平成21年1月7日『新潟日報』

市長「試験前に地元了解を」

 柏崎市の会田洋市長は7日の定例会見で、中越沖地震で被災し停止中の東京電力柏崎刈羽原発について、起動試験の前と後の計2回、地元了解が必要との考えを初めて示した。起動試験は核燃料を臨界させた状態で行い、発電と送電も伴うため、より慎重な対応を求めた。
 会田市長は会見で、起動試験後の営業運転開始時が「運転再開」に当たるとの認識を示し、 「起動試験は安全確認の一環。試験後に1度(安全性を)確認する必要がある」と述べた。さらに「起動試験はこれまでの点検と質的に違う。試験前に安全確認と地元同意は必要になる」と語り、試験前の国による総合的な安全性評価と地元への説明を求めた。
 東電が地元自治体と結ぶ安全協定では、トラブルによる停止後の運転再開に当たっての地元自治体との事前協議を明記しているが、地震など大災害時にどう対応するのか、運転再開時をどの時点とするのかなどは盛り込まれていない。
 このため地元三自治体は地震直後、同協定に基づき東電に「運転再開には地域に説明し了解を得ること」などと申し入れた。会田市長は、具体的な手続きについては「今後、県や刈羽村と相談したい」と述べるにとどめ、3首長の協議の時期に関しても「試験の具体的な計画が示されておらず、答えられない」とした。
 会田市長の発言に対し、刈羽村の品田宏夫村長は「起動試験前に地元了解を求めるのは合理的だと思う。あとは東電がどう申し入れるのかを注視したい」と語った。泉田裕彦知事は「(柏崎市の消防法に基づく)緊急使用停止命令が解除されていない段階で、なぜ先走った話をするのか理解に苦しむ」と戸惑いを見せた。
 一方、東電は「いずれかのタイミングで地元に申し入れる必要があると思うが、現在は安全確認の最中。国や県の審議を踏まえ、今後調整したい」とした。
 同原発で最も点検の進む7号機では現在、起動試験の前段階に当たる系統試験を実施中。複数の機器を組み合わせた動作確認で、復旧作業中のタービン関連の3項目を残すだけとなっている。


 安全協定における震災後の再開の定義がはっきりしていなかったために2回ということになったのであろうが、「臨界前に地元了解が必要である」と設定すれば良いのであって、個人的には臨界させる起動試験前で1回、さらに試験後にもう1回の地元了解・・・何をどう説明を受け、何について了解するのか、不思議に思う。
 とにかく地元了解を複数回とった方が市民受けが良い、という考えなのか、本質的には、泉田知事のコメントの通り、会田市長自身が柏崎刈羽原子力発電所に対し、まだ消防法による緊急使用停止命令を解除していない状況で、わざわざこんな発言すること自体が理解できない。
 何が大切で、何を優先し、何を重点的に確認すべきなのかの整理がついていないのではないだろうか。

2009年1月11日 (日)

中国四川省:行政府官僚
地震被災地への救済金着服

 2時、就寝。

 7時、起床。週刊誌2冊をもって、ホテルの風呂で半身浴をしたのち、10時にチェックアウトする。

 11時、自宅に到着し、大粒納豆、エリンギのバター炒め、ウインナーソーセージでご飯2杯のブランチをとる。

 13時から16時まで、市内でハードディスククラッシュしたデータの吸い取りと、マザーボードの入れ替えなど依頼された仕事をこなす。

Cimg0798 18時、五斗納豆にかつおぶし、長ネギのみじん切り、卵黄、たっぷりのかつおぶしを混ぜたもので、納豆巻きを作って夕食をとる。
 普通の納豆よりも五斗納豆で作る納豆巻きは深い味わいであり、ご飯を少なくするか、もしくはご飯無しにして海苔で巻けば、酒のつまみにもなる。

 19時、事務所に来客。現在の市政に関する噂話が本当かどうかをご確認したいとのことだったので、関係する資料をお渡しし、説明する。

 中国共産党の一党独裁を嫌い、日本をはじめ民主主義国で活動する華人の方から電話があり、中越沖地震後の議会や市政についての質問を受けた。
 何故そのような質問をするのか、と逆に聞けば、先の四川省大地震への災害対策資金が着服されるなどの事件があったからという。
 ・・・・やはりまともな国ではない。

 柏崎地域国際化協会が友好都市である峨眉山市に届けた義援金(72万円)は、是非、青少年のために有効に使われるをことを願う。


平成21年1月6日『大紀元日本』

中国四川省:
 行政府官僚、地震被災地への救済金着服

 中国国家審計署の最新報告で、中国四川省5.12大地震への災害救済(対策)資金は濫用されていることを挙げた。その前に当地の官僚は救済資金を濫用、過大な災害状況を報告して救済金を騙し、救済金の着服の問題はすでに香港メディアの報道によって明らかにしていて、注目されている。
 中国の官僚は地震救済資金まで手を出す事実から、中国共産党の体制の穴を見える、官僚への最低限の監視監督はなかったため、腐敗問題の解決はできない。

官僚の違法行為

 新華社報道によると2008年11月末まで、官僚違法行為の告発が1962件もあった、正式送検したのは146件、162人が関与している。
 香港紙「南華早報」の報道によると、地方官員が過大に被災状況を報告し、高額な救済金を騙し取った。その代表は四川崇州観光局と交通局を挙げられる。二つの局は計12.3億元(170億円)を騙した。それだけではなく、救済物質や救済金の配布も遅れている政府機構は少なくはない。

深刻な腐敗

 北京理工大学教授・胡星闘氏は中国共産党官員が地震の救済金まで手を出すことから、共産党の腐敗は非常に深刻であることがわかる」と批判した。
 胡星闘氏は「今の中国にとって腐敗は深刻な問題である、腐敗とともに社会道徳の喪失も無視してはいけない、これは地震救済金の着服からわかる、共産党体制は民衆やマスコミの監督監視機能はなかったため、官僚の違法行為が絶えなかった」。

2009年1月10日 (土)

雨の中のウルトラマンタロウ
09自民党新潟県連青年部新春街頭

 4時、就寝。

 8時、起床。大粒納豆、ハムエッグ、ほうれん草の胡麻和えでご飯2杯の朝食をとる。

 シャワーを浴びたのち、甥っ子、姪っ子を連れて、上越市に移動。

Cimg0780  10時30分から、ハウジングセンターが開催する「ウルトラマンタロウ・ミニショー」を見る。雨となったため、屋外のショーは中止となり、握手と記念撮影会だけになった。
 姪っ子は、ウルトラマンタロウに会いたくて仕方がなく、最初は目をらんらんと輝かせて待っていたが、いざウルトラマンタロウがでてくると、「ツノが怖い」と大泣き。
 甥っ子は握手をしてもらい、ストリウム光線のポーズで記念撮影をし、ご満悦だった。

 甥っ子、姪っ子を親戚の家に預け、そのまま新潟市に移動する。

 13時30分過ぎに、自民党新潟県連に到着。
 14時から毎年恒例の自民党新潟県連青年部による新春街頭演説を新潟駅前で行う。
 最初に、塚田一郎・参議院議員(青年局次長)、吉田六左ェ門・衆議院議員が国会報告をし、その後、青年局長でもある岩村良一県議会議員をはじめ、地元選出の渡辺惇夫県議会議員、小島隆県議会議員などで順番に街頭で演説を行う。
 まずは新潟駅前で行ったが、行き交う何人かの方から話しかけられ、

 「定額給付するんなら早くしろ!」
 「自民党はダメ、政権交代だね」

など、自民党への逆風が強いことを実感した。

Cimg0785 1時間弱の街頭演説を終えたあと、流し街宣をしながら、新潟市内をまわる。
 15時過ぎ、さすがにお腹が空き、コンビニで買ったスクランブルエッグトーストなどで遅い昼食をとる。

Cimg0787 16時、繁華街である古町十字路での街頭演説。
 新潟駅前では演説をしなかったので、最後の最後に約5分間の演説を行った。
 内容としては、国会議員や県議会議員が話さなかった昨年の日教組騒動田母神論文事件を取り上げた。

 「子供には、ある程度の競争をさせておくべき」

ということから学力テストの公開について話し始めたところ、ありがたいことに若いお母さんらしき団体をはじめ、何人かの方が足を止めて、立ち止まって聞いてくれた。

 「自分の国である日本は良い国だと主張した田母神前航空幕僚長を更迭したのはおかしい。歴史認識は色々あっても良いが、自分の国を悪い国と教える教育を変えるべきだ!」

と締めくくったが、拍手や「そうだっ!」と声をかけてくれる方もいらっしゃった。

Cimg0792 街宣終了後、宿泊先である万代シルバーホテルにチェックインし、18時から 「くいもの屋わん 新潟古町店」 (電話:025-226-7888)にて、打ち上げ兼新年会。
 雪もちらつく中、スーツで街頭に立っていたため、参加者全員、体の芯まで冷え切っており、ビールやワインがグイグイと入っていった。

Cimg0795 20時過ぎ、矢沢永吉ファンであり、店内がすべて永ちゃんスタイルである「Avant Garde」(電話:025-224-8982)にて2次会。
 まずはドキュメンタリー『RUN&RUN』を見ながら、熱く語り、その後のカラオケは矢沢永吉ナンバーとなった。もちろん、yazawaタオルを借りての着用は基本である。

Cimg0797 23時、「天龍本店」(電話:025-222-9745)で、仕上げの瓶ビールを飲みつつ、「焼き餃子」をつまみ、シメとして「チャーシューメン」をすする。
 魚介系の透き通ったスープに縮れ麺、バラ肉の焼豚、メンマとネギが入ったシンプルなもので、かなり好みの味である。

 24時、ホテルに戻る。

2009年1月 9日 (金)

緊急雇用対策と臨時議会

 3時就寝。

 8時、起床。大粒納豆、まぐろのブツのヅケ、ぜんまい煮でご飯2杯の朝食をとる。

 9時から11時過ぎまで、市役所にて会派の事務仕事や資料の整理、調査などを行う。

Cimg0777 12時過ぎ、事務所に来客。
 せっかくなので、煮干しパウダー、干し納豆パウダー、昆布粉で作った、煮干しうどんとおでん、カクテギで一緒に昼食をとる。煮干しパウダーで作ったつゆは、ガツンとした風味ながらも、化学調味料を使っていない(グルタミン酸は干し納豆から)ので、スッキリとした後口。次回はラーメンを作ってみようと思う。

 13時から16時過ぎまで、ネットを介しての会議。

 17時から18時まで、再度、市役所での調査や資料の整理を行う。

Cimg0778 19時過ぎ、妹からもらったニンニクと生姜がたっぷり入った手作り餃子、キムチ、納豆汁で作ったおじやで夕食をとる。
 ブツ切りになっていた大量のニンニクと生姜が効いたのか、食べた後は体温がかなり上昇。風邪気味だったので、ちょうど良い。

 20時、酒席へのお誘いの電話。自転車で移動し、市内某店で挨拶だけさせてもらって、自宅に戻る。自分がとてつもなくニンニク臭いのもあるが、インパール作戦関係の文献を調査したかったため、失礼させてもらった。

 平成21年1月20日に緊急雇用対策に関わる臨時議会を招集したい、と市長当局からの要請があり、平成21年1月13日に日程調整のための議会運営委員会が開催されることになった。
 しかしながら、平成21年1月20日は議会事務局で募集した人間ドックの日であり、私は該当しないが、分かっているだけでも5名ぐらいの議員は欠席となる。
 個人の健康より、柏崎市議会の公務が優先とは言うものの、先に決まっていた事であり、ここに市長当局と対立である議会側が機能しておらず、すべて市長当局の言うがままになっているという現実が垣間見える。
 また、平成21年1月13日に日程調整を行い、平成21年1月20日に臨時議会開会ということは、議会運営上、議案は議会開会一週間前までに議員に送付という原則を守れるのかどうかも微妙である。
 臨時議会の内容は、まだ聞いておらず、議員には情報はないものの新聞にはしっかりと掲載されており、以下のようなものだという。


平成21年1月8日『毎日新聞』

柏崎市:解雇の市民採用で企業に助成金/新潟

 柏崎市の会田洋市長は7日、経済不況で離職、解雇された市民を新規採用した企業に対する助成金制度の創設方針を明らかにした。額や規模については、月内に開く予定の臨時議会までに一般会計の補正予算案を組む。
 同市内では自動車部品メーカー「リケン」の事業所などで約370人が雇い止めにあい、市などが昨年12月27~30日に開いた相談窓口には91人から問い合わせがあったという。
 相談は今も受け付けているが、市はさらに7日付で500以上の事業所にアンケート用紙を発送。今後の従業員解雇方針の有無や、新規採用の予定などの調査を始めた。
 雇用情勢の悪化は震災復興の障害になりかねず、会田市長は「民間雇用の促進を図るため、市が財政面で支援する」と表明。その一方、市の臨時職員として採用する考えはないとした。


 企業に雇用対策として、助成金をだす政策は既に十日町市が決めており、

(1)労働時間が週30時間以上
  一ヶ月以上の継続が条件で、一人あたり10万円。
  上限は一事業所100万円

であり、さらに十日町市役所としても臨時職員の採用を行う予定で

(2)特別支援学級介助員、一般事務、公共施設維持管理
  に30人、雇用期間は1月中旬から3月末

となっている。
 それに比べ、柏崎市はどうであろうか。

 市内事業者向けアンケートの調査も、年明けになった平成21年1月7日付けでやっと発送であり、企業からの回答やその分析が臨時議会に間に合うのか微妙である。
 さらには、柏崎市役所として仕事を創出するような臨時職員の採用もしない。
 他の新潟県内自治体が昨年末には既に政策を決定しているなか、柏崎市の政策にはまるでスピード感がなく、雇用問題など他人事のように扱っていると思うのは、私だけではないであろう・・・・・。

 平成21年1月5日の仕事はじめにおいて、会田市長は幹部職員75人に対して、次のように話している。

「知恵も汗も出せない人は辞表を出すしかないという覚悟で励んでほしい」

 リーダーたる市長にもその覚悟で励んでほしい。

2009年1月 8日 (木)

「早寝・早起き・朝ご飯」は憲法違反?

 1時過ぎ、帰宅。風呂に入ったのち、3時に就寝。

 8時、起床。大粒納豆、山芋とろろ、鰺のひらきでご飯2杯の朝食をとる。

 食後、新潟市に移動し、公的機関での相談や資料集めなどを行う。途中、13時過ぎに、コンビニで買った納豆巻き、おにぎり(鮭、筋子)と低脂肪乳で昼食をとる。

 17時過ぎに、帰宅。

 18時、事務所に来客。柏崎市政に関するご不満をはじめ、これから先の柏崎はどうなるのか、という声であった。

 遅参となったが、20時過ぎから市内某所での新年会に出席。冒頭に挨拶をさせてもらい、その後は酒を注いでまわる。柏崎市政でおかしいと思うことをとにかく情報公開してほしい、ネットだけでなく紙でも同じ情報をだしてもらえれば配布など協力する、というありがたい言葉を頂戴した。

 22時、自宅に戻る。

 日本政策研究センターから、いかにも日教組の害を現す文章があるという指摘があり、日教組のシンクタンクである国民教育文化総合研究所(教育総研)の該当する文章を見て、驚いた。
 まさかと思っていたが、本当に「『早寝・早起き・朝ご飯』は憲法違反である」と題したコラムがあった。その主張はこうである。


 近代立憲主義における政治体制においては、人はいかに生きるべきかといった価値の問題については、その善し悪しを判断することはできないということ、つまり、価値における多様性の保障が大前提である。言い換えれば、国家は何が善い生き方であるかを示すことができないのである。生にかかわる根底的な価値については相互に比較することは不可能であるという立場をとることで、人々はひとりの個人として人権を保障されるのである。このことが、日本国憲法13条に規定されている。

「すべて国民は、個人として尊重される。生命、自由
 及び幸福追求に対する国民の権利については、
 公共の福祉に反しない限り、立法その他の国政
 の上で、最大の尊重を必要とする。」

 ここでは幸福の中身は問われない。
 それは法律で規定することはできないのである。できるのは、その各人の幸福を「追求するプロセス」の保障である。それが公共の福祉に反しない限り、各人の世界観に基づく価値の実践・追求は自由でなければならない。


 ここまでは賛同できないこともない。次からおかしくなる。


 いま、学力「低下」問題への「対策」のひとつとして、政策側から言われている「早寝・早起き・朝ご飯」は、人の生活の仕方、生き方という、憲法の下でけっしてその価値の優劣を示してはいけないことがらに踏み込もうとする違憲のスローガンである。
 重要な点は、このようなスローガンの内容そのものの善し悪しは、この問題の議論にとってはまったく関係がないという点にある。仮にその具体的内容が、多くの人々が納得するような善いもの(あるいは少なくとも善いところもあるもの)であったとしても、そもそもそのような価値は比較不可能なもので、一定の尺度に乗るようなものではないとすることが、民主的社会の大前提である。価値あるいは道徳に関することがらは、私生活の自由として保護されるべきことがらなのである。


 子供に良かれ、という内容であるスローガン「早寝・早起き・朝ご飯」も私生活の自由として保護されるというのであれば、 「人を傷つけないようにしましょう」という道徳的なスローガンも違憲になるのであろうか
 そして、強引に政治問題とゴチャ混ぜにする。


 実は、この「早寝・早起き・朝ご飯」というスローガンと同様の論法は、教育基本法「改正」の段階でも起こっていた。「国を愛することがなぜいけないのか」と与党は盛んに主張した。ここで、国を愛することが善いことなのか悪いことなのかといった問いかけの罠にはまってはいけない。価値の問題を語ることに関して、国は禁欲的でなければならないのである。国を愛すること自体が「いけない」のではない。法律でそのような個人の信条に関することがらを規定することが「いけない」のである。
 さらに加えるならば、食事の仕方(たとえば回数や時間帯)については、すでに人類学や社会学等の研究成果により、単なる個人の問題を越えて、文化の問題である点も指摘されている。少なくとも、生物学的に合理的根拠があっての一日三食というものではない。しかし、この点の議論を進めていくと、再びスローガンの内容の是非に引きずり込まれる危険があるので、注意が必要である。
 最後に、少なくとも、夜更かしや朝食を食べないことが公共の福祉に反しないことは確かである。
                    運営委員 池田賢市
                       2007年12月20日


 公共の福祉に反しないので、子供は夜更かしをしても良いし、何をやっても良い、と結んでいる(さらに言えば、ちゃんと朝食を食べるという議論が三食食べる文化にまで論理が飛躍)。こういった感覚で、子供の教育をするのが日教組なのである。
 「日教組は日本のガン」という中山成彬・衆議院議員の発言をよく噛みしめたい。

 ちなみに、朝食については、ウルトラ五つの誓いの最初にでてくる。

一つ、腹ペコのまま学校に行かぬ事。
一つ、天気のいい日に布団を干す事。
一つ、道を歩く時には車に気を付ける事。
一つ、他人の力を頼りにしない事。
一つ、土の上を裸足で走り回って遊ぶ事。

2009年1月 7日 (水)

納豆菌飼料、生育手助け

 3時過ぎ、就寝しようとするも、祖母がなかなか眠らず、5時過ぎまで話し相手になる。

 柏崎市倫理法人の経営者モーニングセミナーに出席しようと思うも、机で突っ伏して寝てしまい、気付けば8時。大粒納豆、目玉焼き、叩きオクラ、しらすおろしでご飯2杯の朝食をとる。

 午前中は市内での打ち合わせ。

 12時過ぎ、一旦自宅に戻り、ハムをのせ、発酵バターを塗ったトースト2枚、野菜ジュース、低脂肪乳で昼食をとる。

 13時、事務所に来客。親御さんとお越しになっての就職先の相談など。

 15時から17時過ぎまで、市内某所で政治関係の打ち合わせ。

Dsc00044  18時過ぎ、「ふくみ」(電話:0257-32-2136)にて懇親会。
 エネルギーのまちとして、今後の柏崎市はどうあるべきか、また世界の原子力リバイバルのなか、どういう戦略をもっていくべきなのか、熱く語る。

 21時過ぎ、2軒目としてトルコ料理店「KEBAP TIME(ケバブタイム)」(電話:0257-32-4491)に行き、「ラク」で仕上げ?

 昨年末までのローカル新聞をチェックしていたところ、納豆菌を飼料に活用するという記事があった。
 面白い研究であり、是非、今後も注視していきたい。


平成20年12月30日『北國新聞』

納豆菌飼料、生育手助け 植物で効果あり、
次は動物 金沢工大・袴田准教授

 金沢工大バイオ化学部応用バイオ学科の袴田佳宏准教授(応用微生物学)が納豆菌を使った飼料の開発に取り組んでいる。今年は納豆菌を混ぜた化学肥料を使って金時草を栽培し、生育助長効果に手応えを得た。飼料の高騰が進む中、袴田准教授は「納豆菌を安く大量に培養する技術を確立し、安価な飼料作りを目指したい」と研究を進めている。
 袴田准教授によると、納豆菌はミネラルやたんぱく質を含む。整腸作用もあり、人体や家畜などに害のない安全な菌であることから、飼料に活用できないかと一年半ほど前から研究を始めた。
 手始めに、金時草五株を比較栽培した。化学肥料のみを二株、納豆菌を混ぜた化学肥料を二株、納豆菌のみを一株で、納豆菌のみの金時草はよく育たなかったが、納豆菌に化学肥料を混ぜた二株は色づきも良く、最も大きく育った。
 この結果から、袴田准教授は納豆菌を使う分だけ化学肥料の使用を抑えることができるとして、「植物に効果があったため、動物の成長にも役立つだろう」と推測している。個体差を把握するため、来年は十五株で比較栽培し、詳細なデータを取るという。
 また、納豆菌の抗菌作用をそのまま生かすことができれば、飼料に加える抗生物質の使用も抑えることが可能で、より安全な飼料を提供できるようになるという。
 袴田准教授は現在、納豆菌を大量培養するために必要な変異株の採取に取り組んでおり、 「今後、穀物飼料が不足することは明らかだ。納豆菌が飼料不足を補う一手になればいい」と話している。

2009年1月 6日 (火)

26373人は柏崎市民ではない?
そして、良識がないのか。

 3時、就寝。

 8時、起床。大粒納豆、めかぶ、なめ茸瓶詰めでご飯2杯の朝食をとる。

 午前中は、依頼された調査など市内まわり。

 13時過ぎ、事務所に戻り、カロリーメイト(チーズ味)1箱、低脂肪乳、野菜ジュースで昼食をとる。

 13時30分、15時とそれぞれ、来客。派遣村からシー・シェパード、衆議院選挙まで雑談や意見交換など。

 18時、長岡市に移動し、19時から某社の新年会に出席。冒頭に挨拶だけさせてもらい、注いで回る。

Cimg0776  21時、帰宅。

 22時30分過ぎ、残りもの激辛カレー、小粒納豆、野菜小判揚げ、冷凍うどん2玉で納豆カレーうどんを作り、夕食にする。

081125_aida14

 昨年末から年明けにかけて数名の方から、「広報かしわざき」12月20日号と一緒になって、

「あいだ洋後援会報 No.14」(pdf形式)

が配布されてきたとの苦情を受けた。
 聞けば、町内会長自体が会田市長の選挙活動を行い、そして現在も後援会活動として、町内への配布物に会田市長の後援会報をはさんで配布しているという。もう柏崎市は何でもありになってしまった。
 さらに、苦情とともに頂戴した後援会報には、こんな文字が躍っている。

 「市民の良識が勝った!」

 ・・・ほう、そうですか。桜井候補に投票した26373人の柏崎市民には良識がない、と。
 投票した総投票数5万4257票で、票差が1021票。2名の立候補者なので、ひっくり返しを考慮すれば、実質約500票。さらにいえば、無効票が490票、不受理が1票であった。
 これだけの接戦、普通の感覚であれば、

 「ご批判も受け止め、今後の市政発展に・・・」

といった謙虚な姿勢になるのが、政治家以前に人というものではないか

 更に書くなら、

 自分の後援会報を
  公の刊行物である「広報かしわざき」
               と一緒に配布

するような状態を、良識あるものと考えているのであろうか。

2009年1月 5日 (月)

平成21年 新年賀詞交換会

 3時、就寝。

 8時、起床。大粒納豆、山芋とろろ、おせち料理の残りでご飯2杯の朝食をとる。

 ここ数日、祖母の具合がかなり悪く、孫である私も他人だと勘違いする状態。

Cimg0770  10時30分過ぎ、柏崎市市民プラザ海のホールに移動し、11時から「平成21年 新年賀詞交換会」に出席する。
 冒頭、祝舞「長唄 外記猿」があったのち、開会、国歌斉唱となった。
 案の定、共産党、社会クラブ、柏崎のみらいをはじめ、国歌「君が代」を歌うことはなく、拒否する議員が多数。
Cimg0771  会として正式に行う国歌斉唱を拒否するぐらいなら、出席しなければ良いのであって、国旗・国歌に反対する政治家の信念として筋が通らない
 さらにいえば、会場正面には市旗と国旗がキチンと掲揚されており、先般の議場に市旗・国旗を掲揚する請願には、

「国旗を掲揚すると、
      戦争がやってくる」
「日の丸を見ると
  市民が一体感を無くし、
    震災復興もままならない」

と反対したのであるから、この会場でもその信念を貫き、欠席すべきであろう。
 ・・・・まったく筋が通っていない

 乾杯ののち、20分ほど知った方にご挨拶だけして、祖母を独りにしたことから自宅に戻る。
 会田市長の挨拶

 「昨年のこの会では『復興元年』と申しましたが、
           今年は『復興二年』ですっ!」

には、

 「・・・で、何が言いたいの?」

と笑わせてもらった。

 祖母の昼食として、昨夜の残りの鯛汁と冷やご飯でおじやを作ってから移動。

Cimg0772  13時30分、「びすとろHOSHINO」(電話:0257-32-3550)で、ご飯を大盛りにした「鶏のからあげ定食 700円」、「フリードリンク 315円」で昼食をとりながらの打ち合わせ。
 色々な情報があがってきたので、明日から早速、裏取りをし、次の議会で徹底追及したい。

 17時、来客。2時間ほど話し込む。

Cimg0775  22時、ガラムマサラをたっぷりとかけた「ひき割り納豆&カツカレー」、鯛のあら汁で夕食をとる。

2009年1月 4日 (日)

地方公務員の懲戒処分大幅増

 3時、就寝。

 8時、起床。大粒納豆、目玉焼き、薩摩揚げでご飯2杯の朝食をとる。

 9時、10時と来客。就職に関する相談などを受ける。

Dsc00042 11時30分、ひき割り納豆と冷蔵庫に残っていたものを使った炒飯を作り、お泊まりに来ていた親戚とともに分けて昼食にする。

 急遽、パソコン修理なども頼まれ、午後から市内まわり。

Dsc00043 21時過ぎ、市内スーパーで半額になっていた鯛のあらと干し納豆を使った鯛汁、頭の塩焼き、ビール500ml4本で夕食にする。
 養殖物の鯛であるが、「1パック 150円」の半額である75円。メインの料理より、ビールの方が高くついてしまった。

Hyougost  昨年書いた兵庫県西宮市の教職員がストライキを計画した件の続報として、兵庫県教職員組合の資料を頂戴した。
 資料を見れば、明確に「ストライキ」の文字がある。
 教職員を含む地方公務員のストライキは明確に法律で禁止されているにも関わらず、こういった事をすることに驚きを感じる。

 全国的にこういった事への処分はどうかと言えば、2007年には前年比で3倍となっており、やはりストライキなどで処分されている。


平成20年12月25日『共同通信』

地方公務員の懲戒処分大幅増

 総務省は25日、07年度中に懲戒処分を受けた地方公務員は、06年度の7591人の3倍近い2万326人に上ったと発表した。2万人を超えたのは1984年度以来。北海道教委などがストライキ参加教職員らに行った大量処分や、各地で発覚した採用試験受験時の学歴詐称問題で急増した。処分者数が最も多かったのは「違法な職員組合活動」で、06年度の155人に対し、07年度は1万2874人だった。


 新潟県では、2007年の処分は44人。知事部局で10人、県教育委員会で34人が懲戒処分を受け、交通事故や交通違反が主なものとなっている。

 全国的に「違法な職員組合活動」が増えているが、新潟県内、そして我が柏崎市でもこのような事はないよう、今後もしっかりと監視していきたい。また、それが監視機能を受け持つ議員の本分でもある。

2009年1月 3日 (土)

米山駅の護岸壁崩落

 4時、就寝。

 8時、起床。大粒納豆、おせち料理の残りでご飯2杯の朝食をとる。

 9時過ぎに自民党柏崎支部に関係議員で集まったのち、長岡市に移動。

Dsc00040  10時から自民党・長島忠美衆議院議員の事務所にて年始の挨拶と意見交換を行う。
 事務所には色々な方が見えられており、地元の旧・山古志村の皆さんからは、震災復興後の実際など、興味深い話しを伺った。

Dsc00041 *左の写真は、長島事務所にあった、手作りのアンパンマンの人形。

「みんなで帰ろう
  わがふるさと
     山古志へ」

とある。

 12時、柏崎市内に戻り、母と手分けをし、親戚への年始のご挨拶。

 15時、信越本線米山駅の護岸壁崩落のニュースがあったため、早速の現場調査に行くも対応工事が始まっており、現場に入れずじまい。


平成21年1月2日『新潟日報』

信越本線米山駅の護岸壁崩落

 2日午前7時ごろ、柏崎市のJR信越線米山駅構内の線路わきの護岸壁が崩れた。現在使用していない海側の線路の路盤が崩落、ほかの線路への影響が懸念されたため、同日夕まで柏崎―直江津間で運転を見合わせた。特急、普通列車合わせて27本が運休や区間運休し、約4200人に影響が出た。
 JR東日本新潟支社によると、日本海に面した同駅構内で、海と線路部分を隔てるコンクリート製の護岸壁が幅約10メートル、高さ約6メートルにわたって崩落した。波で線路下の路盤が浸食され、使われていない線路が数メートル宙づりの状態になった。
 近くにある下り線路部分の浸食を防ぐため、崩れた部分に土のうを積むなどの仮復旧作業を行い、約10時間半後の午後5時半ごろ、運転を再開した。原因は調査中。
 この影響で、特急「北越」上下6本が新潟―直江津間で運転を見合わせ、普通列車上下21本も運休や区間運休した。一時、長岡―柏崎、柏崎―直江津間でバスによる代行輸送を行った。
 福井市へ向かった新潟市秋葉区の本多忠博さん(59)は長岡駅で「運休を知り引き返そうと思ったがバスが出るというので来た。何時に着けるか分からないが、今日中に着ければ」と代行輸送のバスに乗り込んだ。
 新潟地方気象台によると、1、2日とも柏崎地方には波浪注意報が出ていた。計測場所でないため記録はないが、2・5メートルから3メートルの波があったとみられる。


Cimg0769  18時過ぎ、甥っ子、姪っ子を含めた妹夫婦、母とともに、長岡市にある「スタミナ苑」(電話:0258-28-2525)で夕食をとる。
 生ビール、ハラミ、タン、ホホ、コブクロ、センマイなど、久々の焼肉を堪能。
 帰り道、甥っ子にせがまれ、レンタルビデオ店で「ウルトラマンティガ」のDVDを借りる。

 21時、自宅に戻り、正月気分最終日として、読書タイム。

2009年1月 2日 (金)

お年玉よりウルトラマン?!
最後まで諦めない、不可能を・・

 3時、就寝。

 7時、起床。大粒納豆、おせち料理でご飯2杯の朝食をとる。

 午前中は、来てくれた親戚との懇談。甥っ子や姪っ子に加え、従兄弟の子供など、にぎやかな午前となった。その反面、「早く結婚しなさい!」との親戚のプレッシャーも大であった。

Dsc00038  13時過ぎ、おせち料理にも飽きたので、生ラーメンの太麺を使い、つけ麺を作って昼食にする。つけだれは、豚バラ・チャーシューの煮込み汁に、煮干しパウダー、干し納豆パウダー、しけてしまったおぼろ昆布、干し椎茸の戻し汁、かに缶の汁などを使った。手前味噌ながら、久々のスマッシュ・ヒットで、3人で800gの麺をあっという間に完食した。

Dsc00039  15時過ぎ、姪っ子がどうしても遊びたいというので、ショッピングモール「フォンジェ」内で買い物をしたのち、 「キッズ・マジック」でお遊びタイム。
 たぶん未婚独身者で来ているのは自分だけではないだろうか、と不安になりながら時間を過ごす。

 20時、大粒納豆、マッシュルーム、味付け鮪で作った納豆炒飯で夕食。

 食後は、事務所にて会社関係の年賀状などを整理する。

Cimg0766  甥っ子、姪っ子をはじめ、親戚の子供にお年玉を用意していたところ、すっかりウルトラマンにハマっている甥っ子は、お年玉より「ウルトラマンメビウスに会いたい」と言う。
 ショーなどがある情報を調べ、近いうちにウルトラマンタロウやウルトラマンメビウスに会わせるという約束をした。
 男の子なら一度は通るウルトラマンの道であるが、是非、学んでほしいのは昭和のウルトラマンシリーズ、そして昭和を継いだ「ウルトラマンメビウス」通じてのメッセージ、

 「最後まで諦めず、
   不可能を可能にする。
       それが
ウルトラマンだ!」

である。
 甥っ子がウルトラマンを卒業しないうちに、それだけは伝えたいと思う。
Cimg0767  私が好きなウルトラマンであるウルトラマンレオは、一度は敵に負けても、対策を考え、訓練をし、再戦で必ず勝つ、という展開がほとんどであった。それゆえ、その諦めない態度が好きな理由(自分自身が獅子座ということも)である。
 甥っ子に言うだけでなく、子供っぽいかも知れないが、自分自身も今年の議会活動、政治活動について、

 「最後まで諦めず、不可能を可能する」

ことを目標にしたいと思う。

2009年1月 1日 (木)

平成21年謹賀新年
今の柏崎市がやれる事

Cimg0762  2年参りにも行きたかったものの、祖母がいつ起きてくるか分からないため、お参りを母に託す。
 録りためたテレビ番組を倍速でチェックし、国旗を掲揚してから6時に就寝。

 9時、起床。親戚や知人が自宅の方にこられたため、日本酒を飲みながら、おせち料理をつまんでの朝食となる。
 納豆がないとどうしても落ち着かず、食後に大粒納豆2パックを食べる。

Cimg0764  夕方まで、飲み食いが続き、昼食や夕食という括りなく、過ごす。
 色々なご馳走があったものの、結局は納豆を食べたくなり、最後のシメは辛子と刻みネギを多めに入れた小粒納豆に馬刺しを組み合わせた、「桜納豆飯」。

 20時、風呂に入って酒を抜き、集中して読書。期限なしで、いつでも良いと言われていたエッセイの原稿を書くためであるが、やはり締め切りがないとナアナアになってしまうようで反省をし、平成21年最初に手をつけることにした。

 今年の正月、中越沖地震以来2度目の正月を仮設住宅で迎えられた方は、

・柏崎市 521世帯1288人
・刈羽村  64世帯 211人
・出雲崎町 3世帯   10人

*ピーク時は、1061世帯3044人

いらっしゃり、なるべく早く、ご自宅の再建など元の生活環境にお戻りになれるよう願うとともに、また引き続きお手伝いしたい。

 また、ここのところ話題となっている「派遣切り」など不況の波による労働問題について、長岡市や上越市はいち早く対策を打ち出し、それぞれ臨時職員として長岡市で50人、上越市で80人の採用計画を打ち出した。
 柏崎市はどうかと言えば、「柏崎市緊急経済・雇用対策本部」を設置したものの、実際の手段として上記のような施策は発表されていない(リケン関係でも370人ほどの非正規職員の解雇があるとの情報)。

<実施した対策>
・中小零細企業向け追加金融対策
・労働相談窓口の設置
 柏崎職安管内雇用促進協議会の職員が対応し、ワークサポート柏崎職業相談員が応援する。

 本当に困っている人がいるかどうかのリサーチが終わっているという話しも聞かず、しっかりとした正月休みなのだろうと思う。
 柏崎市としての財政緊急事態宣言をしながら、市役所職員の賞与(ボーナス)は一般職で平均89万円もだす会田市政ちゃんと案を考えているのであろう・・・・たぶん。

 先に仮設住宅の数を示したが、取り壊しまで時間があるものの、既に空きとなっている箇所もある。
 もし、本当に困っている人がいれば、新潟県に相談をし、空いている仮設住宅を貸して、少しでも生活費を助けるという政策だってできるのではないか。
 こんな事を書くと、「無理だ!」「制度が・・・」という声もあろうが、本当に困っている人がいるなら、それを決断し、実行するのが、政治家である。

 現在の柏崎市政に政治力があるのか否か、今年は試される年ではないかと思う。


平成21年の新年に当たり天皇陛下のご感想

  昨年は、台風の上陸もなく、自然災害による犠牲者の数は、例年に比べれば少なかったのですが、岩手・宮城内陸地震及び岩手県沿岸北部を震源とする地震によって、山間部に大きな被害がもたらされ、人命が失われたことは痛ましいことでした。日本の厳しい自然のもとでは、皆が防災に対する認識を更に深めることが大切であると思います。
  また、秋以降、世界的な金融危機の影響により、我が国においても経済情勢が悪化し、多くの人々が困難な状況におかれていることに心が痛みます。国民の英知を結集し、人々の絆を大切にしてお互いに助け合うことによって、この困難を乗り越えることを願っています。
  今年は、私が即位してから満20年、そして、私どもが結婚してから満50年にあたりますが、歳月の流れにいろいろと思いを致しております。皇后と共に、これからも、国と国民のために尽くしていきたいと思います

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