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2009年2月

2009年2月28日 (土)

平成20年浜に漂着したポリ容器内容分析

 3時、就寝。

 7時、起床。大粒納豆、山芋とろろ、鰺開きでご飯2杯で朝食をとる。

 8時、知人の建前、退院祝いなどで市内まわり。

Cimg1404  9時30分、一旦自宅に戻って、お泊まりした甥っ子、姪っ子を連れて、中央地区コミュニティセンターに移動し、見守りボランティア「かしわっ子クラブ」に参加しつつ、一緒に遊ぶ。
 今回は、広告の紙を大量に持参し、紙飛行機を作って遊んだ。

 12時、自宅に戻り、頂き物のチーズフランスパン、フランクフルト・ドック、グレープフルーツジュースで昼食をとる。

 14時、愛車で新潟市に移動し、15時30分から18時過ぎまで某事務所で、政治関係の情報交換。

 20時、自宅に戻り、スーパーで半額になっていた生鮨パック、ミニロース豚カツ、コーンサラダ、ヨーグルトで夕食をとる。

 食後は、議会資料の読み込み。

 昨年から今年にかけて、またも我が国の日本海側海岸にハングル文字の書かれた多くのポリ容器が漂着した。
 そのポリ容器の中身に関する分析結果が、先日、新潟県から発表されたが、案の定、中には危険な液体も含まれていた。
 環境省は原因究明に向け、韓国を始めとする周辺各国に調査を要請したというが、解決への見通しは立っていない・・・・。
 環境問題というよりも、モラル問題であろう。


平成21年2月19日『新潟日報』

漂着ポリ容器内容分析終了 県調査

 ハングル文字などが書かれたポリ容器が大量に漂着している問題で、県は十八日までに内容物を分析した結果、濃塩酸の入った容器が三個、硫酸の入った容器が一個あったと発表した。排水基準を上回る鉛、水銀、ヒ素が検出された容器もあった。内容物が海に漏れた形跡はないという。
 県内でこれまでに見つかったポリ容器は計二千二百九十三個。うち四十六個は内容物があり、塩酸、硫酸のほか、酸性の液体が二個、アルカリ性が二個、溶剤が四個、油類が三個などだった。大部分は海水だった。
 県廃棄物対策課では「人体に有害な物が入っていることもあるので、見つけても触らずに市町村などに通報してほしい」と呼び掛けている。

2009年2月27日 (金)

全員協議会(原子力安全委員会報告)

 3時、就寝。

 7時、起床。読みたい資料を持ち込み1時間ほど風呂に入る。

 9時、大粒納豆、塩鮭、ブロッコリーと白菜のサラダででご飯2杯の朝食をとる。

Cimg1400 市役所に移動し、10時から全員協議会。
 今日は、「東京電力株式会社柏崎刈羽原子力発電所7号機の施設健全性及び耐震安全性に関する原子力安全委員会の見解」について、内閣府・原子力安全委員会からの報告である。
 事務局長より以下の内容で報告・説明が行われた。

1.原子力安全委員会
2.調査審議の内容及び体制
3.主な検討の経緯
4.柏崎刈羽原子力発電所7号機の施設健全性
5.柏崎刈羽原子力発電所7号機の耐震安全性
 A)活断層評価・基準地振動関係
 B)基準地震動Ssに対する7号機の耐震安全性
 C)地震随伴事象
 D)地盤の安定性
 E)原子力安全・保安院への意見等
6.まとめ
 参考資料の説明
 ・東京電力株式会社柏崎刈羽原子力発電所7号機の施設健全性評価に関する見解について(平成21年2月18日 原子力安全委員会決定)
 ・東京電力株式会社柏崎刈羽原子力発電所敷地・敷地周辺の地質・地質構造・基準地震動Ss及び地震随伴事象の評価並びに基準地震動Ssに対する7号機の耐震安全性の評価に係る報告書」に対する見解について(平成21年2月18日 原子力安全委員会決定)
 ・新耐震指針に基づく柏崎刈羽原子力発電所7号機の施設健全性について(平成21年2月18日 原子力安全委員会決定)
 ・東京電力株式会社柏崎刈羽原子力発電所7号機の施設健全性及び耐震性について(平成21年2月18日 原子力安全委員会決定)

 質疑応答となり、原発反対派議員から海域のF-B断層の長さについての質問からはじまった。
 この論点は、(A)海洋音波調査では深さ5kmほどまでしか測定できないこと(新潟県の技術小委員会では、可能性がゼロではないとして両論併記となった)や、(B)プログラデーション(これができるには、間瀬・野積方面の海岸を隆起させ、大陸斜面の成長に寄与する断層運動が海側に必要になり、佐渡海盆東縁断層の活動に他ならないという主張)の存在である。
 (A)について、原発反対派は5km以上の深さに活断層があったらどうするのか、と主張し、科学的知見では5kmよりも深いところに活断層があっても、その兆候が5kmより浅いところにでてくるというものである。
 (B)について、プログラデーションがどういった過程でできたのか追求しており、それが断層があるためできたというのが反対派の主張である。しかし、原子力安全委員会では、どの形成過程は注視していくが、それが柏崎刈羽原子力発電所に重大な影響を与えるものではない、と評価している。

 長々とした質疑応答になったが、会田市長は今回の全員協議会も途中、退席した。

 12時過ぎに終了し、13時まで会派室で調査活動などを行う。

 14時、一旦自宅に戻り、冷凍うどん2玉、ひきわり納豆で納豆うどんを作って昼食にする。

 15時、17時と事務所に来客。

 18時過ぎ、甥っ子と姪っ子がお泊まりにきたので、一緒にビデオレンタル店に行き、アンパンマンやウルトラマンのDVDを借りる。ついでに、「Gメン’75 Forever」全4巻も借りた。

Cimg1401 19時30分過ぎ、柏崎青年会議所の事務局に移動し、エネルギー環境問題検討委員会に出席。
 3月17日に行う、柏崎刈羽原子力発電所の見学、5月例会、ビーチクリーンについて打ち合わせを行う。
 委員会メンバーのN君から、プレゼントとして「ウルトラサイダー」(ウルトラマンデザイン)を頂戴した。ありがたい限りである・・・と同時に存在を知ってしまったため、今後、ゾフィー、セブン、ジャック、ティガ、メビウスのデザイン缶を入手しようという野心が生まれてしまった。

Cimg1402  22時に会議が終了し、自宅に戻る。さすがに空腹になっていたため、夕食にしようにも冷蔵庫内に何も無く、車で買い出しにでかける。
 スーパーで半額になっていた生牡蠣、スパゲティ・カルボナーラ、小粒納豆を購入し、独り寂しく夕食にする。
 食後は、資料の読み込み。

2009年2月26日 (木)

平成20年度『柏崎に関する研究』発表会

 7時、起床。せまいソファで寝たため、どうも寝起きが悪く、シャキっとしない。

 インターネットカフェをでて、柏崎に戻る。途中、コンビニで購入した、納豆巻き、たまごサンドイッチ、低脂肪乳、野菜ジュースで朝食。

 11時、自宅に到着。熱いシャワーを浴びる。

 12時、大粒納豆にシラス、大根おろし、ゆず少々を入れた納豆、帆立の炊き込みご飯で昼食。

 13時、事務所に仕事の依頼があったため、緊急で対応する。2時間ほどかけ、旧式のノートパソコンから新型ノートパソコンへのデータの移行や旧式のパソコンの再インストール、メモリやハードディスクの増設など。

 17時過ぎ、事務所に来客。アタチュルク像に関するこれまでの議会での議事録、その他の資料をお渡しする。

Cimg1398 18時30分、柏崎商工会議所に移動し、柏崎商工会議所総合建設部会、社団法人新潟県建設業協会柏崎支部主催による「平成20年度 新潟工科大学・新潟産業大学学生による『柏崎に関する研究』発表会」に出席する。
 今年から、新潟産業大学も参加することになり、幅が広がった。

Cimg1399  どちらの大学も、貴重な学生時代を柏崎で過ごした学生からの「柏崎を活性化し、住みよいまちをつくるためには、何が必要とされているのか!」という発表であり、私自身、新たな視点、アプローチの仕方など、大変参考になるものであった。
 パソコンのトラブルにより若干の順序の入れ替えがあったが、発表は以下の通り。


1.『柏崎の若者における住みたい度ギャップの一考察』
  新潟産業大学 大学院経済学研究科2年 山本氏

2.『柏崎地域における青少年のネット利用実態と保護者のネットリテラシーレベルの調査研究』
  新潟産業大学 産業学科4年 罇氏

3.『ロボット工作を手段とした“ものづくり”教育に関する研究~かしわざき 小学生ロボット工作クラブの取り組みについて』
  新潟工科大学 機械制御システム工学科3年 嶌岡氏

4.『自動車の走行パターンに基づく二酸化炭素排出量の計算機シミュレーション』
新潟工科大学 情報電子工学科4年 山崎氏

5.『柏崎市における低炭素地域づくりのための自然資本活用に関する調査研究』
新潟工科大学 建築学科4年 小師氏

6.『有機性廃棄物からのエネルギー生産』
新潟工科大学 大学院修士課程2年 丸田氏

7.『コミュニティセンターを核とした災害時における無線通信について』
新潟工科大学 情報電子工学科4年 石曽根氏

8.『住民団体が主体となったイベントによる地域活性化に関する研究-新潟県川口町東川口地区「よってげてぇふれあい市」を事例として-』
新潟工科大学 建築学科4年 岩嶋氏

9.『まちづくりにおけるキーパーソンの役割に関する研究一新潟県柏崎市北条地区を事例として-』
新潟工科大学 建築学科4年 水戸氏

10.『中山間地域における小規模小学校と地域との連携による地域づくりの可能性に関する研究』-柏崎市立門出小学校「門出小学校の師匠たち」を事例にして-」
新潟工科大学 建築学科4年 矢川氏

11.『柏崎市高柳町の古民家に関する実態調査』
新潟工科大学 建築学科4年 渡部氏

12.『在来木造住宅の床率について』
新潟工科大学 大学院修士課程1年 山口氏

13.『在来木造住宅の金物工法に用いられる金物に関する調査研究』
新潟工科大学 大学院修士課程1年 山田氏

14.『雨水によるコンクリート外壁面の汚れに関する研究』
新潟工科大学 建築学科4年 山際氏


 事務所への来客の予定があったため、中座させてもらい、20時過ぎから事務所で打ち合わせ。

 22時、ひきわり納豆汁、串カツ、焼きうどんで夕食をとり、食後は一般質問のための資料整理を行う。

2009年2月25日 (水)

中越沖地震原発調査特別委員会
チャンネル桜「防人の道 今日の自衛隊」

 一般質問の通告作成後、昨日の打ち合わせや今日のTV番組出演のためのパネル作成が終わらず、5時から3時間ほど仮眠。

 8時、大粒納豆、しめ鯖、ブロッコリーとトマトのサラダでご飯2杯の朝食をとる。

 近所のお年寄りから頼まれた力仕事をしたのち、熱いシャワーを浴びて、市役所に移動。

Cimg1391 10時、副委員長を務める中越沖地震原発調査特別委員会に出席。
 今日は「新潟県中越沖地震における発電所の状況について」ということで、東京電力からの報告である。
 内容は以下の通り。

1.新潟県中越沖地震以降のこれまでの取り組みについて
 ・最新の知見・最善の手法による調査、点検・評価
  国際原子力事象評価尺度(INES)の評価では、地震による不具合は安全上重要なものではないと評価された。
 1)地震発生時の課題に対する対応
 2)中越沖地震による不具合の復旧と対策
 3)建物・構築物、設備の健全性確認の実施
 4)耐震安全性の確保の方針
 ・透明性の確保
 1)広報紙ニュースアトム 85回
 2)新聞広告 31回
 3)TV CM 14本制作
 4)ラジオCM 9本制作
 5)ビデオレター 7本制作
 6)地域説明会 各7回
 7)地域への訪問 のべ約31200名
 8)発電所視察 のべ約24100名
 9)地域の声委員会 9回
 ・国内外での知見共有のための公開

2.地質・地盤調査について
 1)海域の調査
  ・発電所周辺海域における地質調査
  ・F-B断層、佐渡海盆東縁断層
   発電所の半径30kmの範囲を含む広域を調査し。F-B断層を約36kmの活断層とした。
 2)陸域の調査
  ・発電所及び発電所近傍における地質調査
  ・真殿坂断層、柏崎平野の下の断層について
    ボーリング調査結果によると、阿多鳥浜テフラがほぼ水平に分布し、断層活動による変位や変形を受けていない。発電所東側に広がる柏崎平野の下にも活断層はない。
*今後、新たな知見が得られた場合には、適宜公開、説明していく。

3.プラント全体の機能試験・評価について
 <方針>
  ・慎重な確認
  ・地震影響の考慮
  ・透明性の重視
 1)機器単位の点検・評価
 2)系統単位の点検・評価
 3)原子炉を起動しての健全性の確認
   蒸気を流すことで初めて点検できる設備についての評価

 約1時間の説明ののち、質疑応答の時間となった。

Q.発電所の寿命はどれぐらいなのか
A.発電所の会計上の耐用年数は15年程度となる。技術的には、クリティカルとなる(他の機器は交換できるが容易に交換できない)原子炉は設計ベースで40年であるものの、かなりの余裕をみている。30年目に高経年化の評価を行う。長寿の検討のなかでは、約60年以上との議論がある。

Q.起動試験の期間はどれくらいになるのか。
A.期間としては1~1.5ヶ月ほどであり、途中、低い圧力でも、地震前との比較を含め各種の評価を行う。その際には原子力安全・保安院にも入ってもらい確認する。内容は、常に公開をしていく。最終報告は、原子力安全委員会にも行う。

Q.GPS測量で建屋の今後の変位を計るというが、その精度はどうなっているのか。
A.精度は、3~4mm。ただし、GPSだけではなく、従来の方法も用いる。変位については、原因が特定できず、地下水の動きや温度も関係しているであろうことも考慮する。一般のものを含め建物が外部要因である程度の変位をだすのは、自然的なことととらえている。

Q.活断層の意見が割れる根本原因は?
A.海域についていえば、音波探査では地下5km程度しか調査できないため、その精度について意見が割れる。地下5kmより深い部分に活断層があったとしても、表面にでてくる断層の変化で分かるものであり、精度が高い地下2kmほどで判断している。しかし、識者によっては、その認識が違い、論点となっている。

 その後も議論が続いたが、最後は反対派の起動試験後に緊急停止(スクラム)しろ、もっと活断層があると主張する学者と東京電力で公開討論会をしろ、だのこれまでと同じ事の繰り返しであった。

 東京電力からの説明が終わったところで、会議室を変え、今後の中越沖地震原発調査特別委員会のあり方を議論。
 これまで8回の委員会を開催してきたが、新潟県の技術委員会の小委員会が両論併記になったこともあり、今後どうするのか議論が紛糾した。
 結局のところ、新潟県主催の「柏崎刈羽原子力発電所の耐震安全性に関する小委員会」の県民説明会をまずは傍聴に行くことで落ち着き、13時過ぎに終了。

 資料整理をしたのち、事務所に戻り、おにぎり2個(明太子、エビマヨ)、鶏の照り焼きを昼食にとりながら、出張前の準備を行う。

Cimg1392  15時過ぎに事務所をでて、途中、所用をすませ、渋谷区のチャンネル桜に18時40分ごろに到着。
 「防人の道 今日の自衛隊」の出演であり、今回は緊急の話題として、アタチュルク像の扱いについて、トルコと日本との歴史秘話をご紹介したのち、現状を説明した。
 旧柏崎トルコ文化村自体の売却の際にも、他国から戴きものである「トルコ建国の父」ケマル・アタチュルクの像を民間売却するのはおかしいと指摘し、そして現在のまだ寝転んで放置されたままはトルコ共和国に対して失礼にあたると、これまで何回も議会で追及してきたが、事態は解決していない。
 2010年は、トルコにおける日本年であり、今年2009年はトルコ国内で準備が行われている。この問題が解決しないまま、これまで以上の多くのトルコ国民に知られることになれば、トンでもないことになる。

Cimg1395  番組収録後、都内の某トルコ料理店に移動し、チャイを飲みながら、30分ほど在日トルコ人の方からのご意見をお聞きする。
 今回、アタチュルク像の件が再度、ネット上で話題になったことからお知りになったという。そして、どうしても柏崎市の関係者に会って意見を聞きたいとのことで出向いた次第である。
 お怒りになっているのはもちろんのことであったが、在日トルコ人大勢で柏崎市役所に出向く案やその他の実際の行動については、現在開会中の議会での私の一般質問とそれに対する会田市長の答弁を待ってからにしてほしい、とお願いをした。

Cimg1396  21時過ぎ、さすがに空腹となったため、近くにあった 「はなまるうどん」の某店で「かけうどん 中 210円」に「コロッケ 105円」「春菊の野菜かき揚げ 136円」をトッピングにして夕食。
 周りを見ると、夜のお店に出勤前なのか、着飾った女性が多く、うどんをすすっており、なかなかシュールな光景であった。

 満腹ののち、眠気も襲ってきたので、ホテルを探すこともなく、インターネットカフェに入り、個室リラックスルームを8時間利用にして、23時から爆睡。

2009年2月24日 (火)

平成21年度柏崎市施政方針
一般質問通告(インド、アタチュルク像等)

 3時、就寝。

 7時、起床。風邪なのか、お腹の具合が悪いため、1時間ほど熱めの風呂に入る。

 9時、大粒納豆、生卵、叩いたオクラでご飯2杯をかっこみ、市役所に移動。

Cimg1389  会派会議ののち、10時から本会議に出席。
 地域振興基金条例をはじめ、委員会審査が終わったものから順次可決した。

 軽井川製鉄遺跡の用地買い戻しに関する案件も可決された。その買い戻し地域は以下の通り。

「軽井川製鉄遺跡の用地買い戻し」(pdf形式)

 山本団地の大規模盛土造成地滑動崩落防止事業分担金徴収処分に係わる異議申し立てに関する諮問については、賛否分かれるかと思いきや、総務常任委員長の報告では「問題ない」するものであった。

 今日の議案提出、即断即決となる議案が提出された。中身は、平成20年度農業集落排水事業会計補正予算(第5号)であり、工事費など支払いに関しての資金ショートがでるため、一時借入れ限度枠を10億円から20億円にしたいというもの。今議会に提案された同予算の補正(第4号)になぜ間に合わなかったのか、改めて問い質したところ、事前のチェックが不足していたとのガス水道局長からの陳謝があった。
 議会は行政の追認機関ではないため、今後もこういったことを指摘していきたい。

 その後に市長による平成21年度施政方針演説となった。
 内容について色々とあるが、これまで何回も一般質問でしつこいぐらいに問い質してきた鉄道に関しては、

「後6年足らずに迫った北陸新幹線の長野・金沢間の開業によって、柏崎地域が鉄道交通体系の谷間となることのないよう、両新幹線を活用して高速鉄道交通体系の利便性の効果が十分に得られるように、信越本線の利便の維持・向上や利用の促進などその活性化に向けて、新潟県、長岡市、上越市などと、より緊密な連携を図りながら、取り組んでまいります。あわせて、将来における二つの新幹線をつないだ日本海縦貫高速鉄道交通体系の整備に向けての取組を進めるものとし、昨年度実施した信越本線活性化方策検討調査や新潟県による信越本線高速化等調査の成果を踏まえながら、新潟県全体の鉄道交通体系の在り方も含めた広域的な視点から、新潟県をはじめ、沿線地域と一体となった活動を進めてまいります。」

とまるで人ごとかのようなスローガン。毎年このような事を言いつつ、目立った活動はない。
 さらに何回も問い質してきた市内のブロードバンド化については、これだけしか触れられていない。

「市内全地域で光ファイバーによる情報化を進めるため、合併2町地域のブロードバンド化、携帯電話通話エリアの拡大について、事業者、地域と連携し、協力を得ながら進めます。」

 また、明確にさざなみ学園の民営化にも触れられた。これには個人としては反対である。何でも民営化すればハッピーというのも間違いであろう。

Cimg1390  12時過ぎに一旦休憩となり、会派室に戻って「割烹おくい」(電話:0257-24-6486)の弁当で昼食をとる。
 大きめの岩がきのフライがあり、添付のウスターソースではなく、タルタルソースであれば、もっと美味いだろうに・・・と思いつつ、ご飯をほおばる。

 13時から議会が再開し、新年度予算の説明が延々と行われた。
 あれ?という点が多々あり、特に気になってのは以下の部分である。

・合併特例債は合計33億2800万円となった。
  → 合併特例債を将来の借金としていたはずが、フルに使う方針?

・市民会館 14億円、設計委託 2810万円
  → 借金の返済が始まる頃の柏崎の事を考えているのか。

・地方債 平成19年度末 513億2715万円
      平成20年度末 577億9633万円
      平成21年度末予想 612億8900万円

  → 選挙の際に、次世代に迷惑をかけないと発言したのではなかったのか。
    ガンガンと借金している。

・市民の森管理事業 535万円
  → 柏崎ぶどう村の後始末はウヤムヤに。
    ぶどう畑としては断念し、コスモスなどを育てる?

・どんGALA、風の陣には206.5万円の補助

 その他の議案として、

・ガスは今年度中に料金改定。
 平成23年4月に民間譲渡したい旨のアドバイザー費

 そして、家庭ゴミの有料化。

・議第33号「廃棄物の処理及び清掃に関する条例の一部を改正する条例の制定について」

資料「家庭ごみの有料化について」(pdf形式)

 前回の家庭ごみ有料化の際には、

1)議会議決も得ないまま、市職員を使って会田市長自らが各町内まわり
  
→ 議会軽視とともに、税金の無駄遣い
2)議会に提案した議案に対し、保守系議員が修正案を提出
3)共産党が家庭ごみ有料化自体に反対したため、原案、修正案ともに賛成少数で否決

となった。
 昨年、議員側からの要望の機会というのに、場をわきまえず「家庭ごみ有料化に賛成してくれるのか」とまで、意気込んでいた会田市長であるが、今回のこれからの審議も微妙なところである。

 17時近くにやっと本会議が終わり、その後18時過ぎまで調査活動などを行う。

 19時から21時まで市内某所での会議に出席。ネット環境がある会議だったので、自分の仕事と平行しながらできたのが幸いであった。

 21時過ぎに帰宅し、ひきわり納豆2パック、冷凍うどん2玉で作った納豆ざるうどんに、山椒を多めに加えた鶏モモの塩焼きで夕食をとる。

 食後から事務所にこもり、一般質問の通告書を精査する。
 今回の一般質問は以下のように通告することにした。


<一般質問>

1.米山山荘前に「日印友好の碑」があり、その建立の経緯を知ることは近現代史の理解、そして今後の柏崎市の国際化にとって有益なものと考えるが、教育委員会としての取り扱いを問う。
大東亜戦争におけるインパール作戦において、インド独立をめざし、柏崎刈羽周辺から多くの先人が出征し、そして散華された。いまだ現地には遺骨も埋まったままである。昭和54年7月にはインドから遺骨収集に協力した方も来日、そして当市を訪れ、日本との友好を約束した。以上の経緯から、この碑を有効活用すべきと思うが、教育委員会の見解を問う。

2.旧柏崎トルコ文化村の敷地内に設置してあった、トルコ共和国から贈られたアタチュルク像の扱い及び現状について、改めて問う。
 先の議会の一般質問でも取り上げた際、本来、アタチュルク像とは関係のない係争により、建立ができないという事態になっているとの答弁であった。
 トルコと日本との国際協力事業が進んできており、この像の取り扱いについては、悪い意味での話題になる可能性が高い。進捗状況を含め、改めて現状と今後の対応を問う。

3.国道352号松波渋滞緩和及び拡幅をはじめ、「安全と安心」のための道路整備についての取り組みを問う。
 国道8号バイパスの進捗に加え、原子力発電所を抱える当市としては、国道352号松波地区の渋滞緩和、そして拡幅事業の進捗について、さらなる努力が必要と考える。市長の国への要望活動について問う。

4.バイオマスタウン構想とBDFの事業縮小について
 バイオマスタウン構想の中心的なものとされていたBDFについて、平成20年度予算で未執行による減額補正がでるなど、迷走している感がある。これまでの経緯、そして今後の取り扱いについて市長に問う。

2009年2月23日 (月)

閻魔堂、復活の二十三夜講

 3時、就寝。

 7時、起床。大粒納豆、シラスおろし、冷や奴、海草サラダでご飯2杯の朝食をとる。

 8時から市内各所で、今議会で行う一般質問のための調査活動。

 12時、一旦、事務所に戻り、会社関係の仕事を行う。仕事をしながら、チーズフランスパン、グレープフルーツジュース、りんごヨーグルトで昼食をとる。

 14時から再度、市内での調査。色々な情報を頂戴することができた。

 16時、事務所に戻り、来客対応。同じく、17時から来客があり、柏崎市政に関する雑談など。

Cimg1387  18時30分、閻魔堂に行き、二十三夜講に出席。昔行われていた二十三夜講を復活させようという試みで、今回は記念すべき一回目となる。
 住職にお経をあげてもらい、その後、閻魔堂とえんま市の歴史について、講話を頂く。

「閻魔堂、えんま市の歴史」(pdf形式)
*著作権は閻魔堂住職にございます。
 再利用の際には、閻魔堂までお問い合わせ下さい。

Cimg1388  その後は、熱燗、缶ビールを飲みつつ、弁当や漬け物名人のSさんが持ってきてくれた白菜南蛮漬けをつまみ、こっちが主ではないかと言われる懇親会。
 まちづくりの事例やこれからのえんま通りの復興にかける想いなど、かなり熱い話し合いとなった。
 こういった寄り合いをもっと頻繁にもって、復興につなげたいものである。 

 20時過ぎに散会となり、自宅に戻る。

 シャワーを浴びて、酔いを覚まし、事務所にこもって予算書、それに関する平成21年度地方税法改正(案)などの参考資料を読み込む。

2009年2月22日 (日)

教育の秋田、その底力の秘密

 2時、就寝。

 9時、起床。いつもより多く寝たためか、体が軽い。

 10時、大粒納豆、揚げ春巻き、大根サラダ、野菜ジュースでご飯2杯の朝食をとる。

 食後、愛車で長岡市に移動。

 12時過ぎから長岡駅近くの某店にて、東京都内在住のフリーライターである某氏とミートソーススパゲティ、バナナジュースを飲みつつ、出版に関する打ち合わせ。

 14時、柏崎市内に戻り、某町内会長をはじめ、陳情や苦情をお聞きするため、市内をまわる。

 17時、事務所に戻り、事務仕事。会社の仕事も溜まっており、インドに行った一週間に溜めた仕事がボディーブローのように効いてきている。

 19時、来客。柏崎市内の色々な政治の動きなど、普段聞けないような内容を多々お聞きすることができた。

Cimg1386  22時近くにやっと夕食。
 ひきわり納豆、甘塩鮭、自家製クルトンを入れた水菜とトマトのサラダ、卵豆腐、ビール500ml3缶をとる。
 暖房で乾燥した室内にいた時間が長かったためか、ビールがグイグイと入っていった。

 最近、秋田県の学力がなぜ高いか、テレビなどマスコミで特集されることが多い。
 その要因として、多くの識者が様々な分析がなされているなか、一番分かりやすく、そして我が新潟県、いや柏崎市もこうあるべきではないか、と思った記事が以下であった。


平成21年2月2日『産経新聞』

教育の秋田、その底力の秘密

 国際教養大学理事長・学長 中嶋嶺雄

学力テストだけじゃない

 秋田の教育がいま、全国的に注目されている。その第1の要因は、昨年、一昨年と小中学校の全国学力テストで秋田がトップに立ったことであった。当初は半信半疑であった人びとも、2年連続トップになったことで、「なぜ秋田が」と真面目に問うようになった。東京の山手線には「秋田に学べ」という進学塾の広告が出たほどである。
 第2は、寺田典城県知事がこの全国学力テストの市町村別成績を公表し、一石を投じたからである。学力テストの市町村別結果については、文部科学省が公表しない方針を打ち出し、自治体の各レベルの教育委員会もそれに従っている。寺田知事の決断は、そのような国家統制への地方からの挑戦にほかならない。県内では藤里町など一部町村が反発して学力テストへの不参加をいったんは表明するなど、さらに論議を呼んだ。
 第3は、PRめいて恐縮だが、開学5年目の国際教養大学の評価が、先日の大学入試センター試験の点数などでも再上昇し、この秋田の地に日本はもちろん海外からも優秀な学生がつめかけていることである。ある大手予備校が最近発表した入試難易度予想データによれば、本学のC日程(センター試験の成績と英語小論文)で合格ボーダーラインに達するにはセンター試験の93%の得点が必要となっている。これは実に、東京大学(理IIIを除く)の92%を上回っていた。
 ここまで書いて、秋田の子どもたちは体力テストでも全国トップクラスと報じられた。「教育の秋田」にはいま、大きな注目が集まる。

「田舎」の方が成績優秀

 まず第1の全国学力テストでの連続トップの好成績については、県内でもさまざまな検証がなされている。
 好結果を生んだ要因の一つとして、家庭がしっかりしていることが挙げられた。朝食、夕食を両親や家族とともに規則正しくとる。それは学童・生徒の精神や情緒の安定につながっていると指摘された。家庭の在り方がいかに重要かがわかるであろう。
 秋田の子どもたちは塾に通う率がきわめて低い。しかしその分、家庭で予習・復習する。テレビを見る時間も少ない。さらに秋田市の有名な「竿灯(かんとう)まつり」にも見られるように、子どもたちが地域社会で役割を演じていて、田舎に行けば行くほど鎮守の祭りにも多く加わっている。つまり今日の日本社会が失いつつある古き良き伝統が生き、保守されているのだ。
 そこで第2点、市町村別の学力テストの成績を知事が公表するに至った所以(ゆえん)に移ろう。同じ秋田県内でももちろんテスト成績にはばらつきがある。だが、ハタハタ漁の八峰町や秋田杉の里の上小阿仁村、西馬音内(にしもない)の盆踊りの羽後町といった人口の少ない田舎の方が、秋田市など都市部よりも成績が良いという、大いに考えるべき結果が含まれていたのである。
 ここには、日本社会の現状を見る上での重要な課題が潜んでいるように思う。
 そもそも、学力テストの詳しい結果を公表すべきでないという文科省方針は根本的に誤っている、と私は思う。それが序列化につながるとか、競争をあおるといった理由づけもおかしい。これでは「ゆとり教育」から脱却するという最近の方針転換がどこまで本気なのかと疑いたくなる。

大学教育にも知事の支援

 教育においては、能力や成績に応じた対応がぜひとも必要なのである。運動会で等級を避けたり、成績表の相対評価を避ける「平等主義」の悪弊からは、速やかに脱しなければならない。他の都道府県教委も日教組も結果公表には文科省と同一歩調をとっている。そのような「一貫性教育ギルド社会」から脱しない限り、わが国の教育再生はできないのではないか。
 第3の国際教養大学に関しては、私が責任を負う公立大学法人であり、詳細な言及は避けたい。しかし本学の開設自体が秋田県議会での、つまり寺田県政の重大課題なのであった。それだけに私たちは、これまでの日本の大学にはない個性を求めた。
 すべての授業、学内の会議を英語で行う。全学生が1年間の海外留学で1学年分の単位を取得し、単位の互換を可能とするカリキュラムと、そのための国際コードを設けた。教職員の教育力、とくに英語力を高め、海外からの留学生はもちろん日本人学生の勉学意欲を引き上げる。新入生は全員が寮生活で、図書館は24時間開いている。
 さらに「8月に卒業、9月に入学」といった世界の実情に合わせたグローバル水準の大学にしたことが大きかったと考える。これが、秋田という一地方で、最も先端的な高等教育を可能にしているといえるのかもしれない。

2009年2月21日 (土)

議会に反問権を!町長らが議員に逆質問

Cimg1376  0時過ぎ、シメとして「中華美食館柏崎店」(電話:0257-23-4530)で、青島ビールを飲みながら、「棒々鶏」「あんかけ堅焼きそば」を食べる。
 なぜか子供の頃に見ていたテレビ番組の話になり、つい「ウルトラマンレオ」について熱く語ってしまった。

 2時に帰宅。シャワーを浴びてから就寝。

 8時、起床。大粒納豆、山芋とろろ、プレーンオムレツでご飯2杯の朝食をとる。

Cimg1378  9時過ぎ、遊びに来た甥っ子と姪っ子を連れて、中央地区コミュニティセンターに移動し、見守りボランティア「かしわっ子クラブ」に参加しつつ、一緒に遊ぶ。
 地域の諸先輩もボランティアとして参加しており、コマを子供たちに教えてくれた。
 姪っ子は高速回転でまわるコマを見るのが初めてらしく、寝転がって、その動きを追っていた。

Cimg1379  12時、自宅に戻り、冷蔵庫にあった甘塩鮭をほぐし、イカの塩辛、コーン、ハム、マッシュルーム、干し納豆パウダーを使って、何でも入りチャーハンを作り、甥っ子、姪っ子とともに昼食をとる。
 化学調味料の代わりとして干し納豆パウダー、風味付けとしてイカの塩辛を使った。

 14時から17時まで市内某所での打ち合わせ。午前中に運動したこともあり、眠くなったため、途中、カフェオレを2杯飲む。

 18時、事務所に来客。

Cimg1383  20時近く、M嬢と「らーめん処 潤 柏崎店」(電話:0257-32-1523)にて、「中華そば 680円」に「100円トッピング」を全部入り(半熟煮玉子、茹でもやし、背脂、マー油)、「Bセット 370円」(餃子3個+杏仁豆腐)で夕食をとる。
 かなりのボリュームだったので、またも眠くなってしまった。

 食後、事務所に戻り、M嬢に手伝ってもらいながら、貴重な戦争に関する資料を一気にスキャナで取り込みpdf形式に変換する。

 議会の活性化案は色々とあるが、個人的に是非やるべきと思うのが、反問権の付与である。
 これは、議員がタラタラと原稿を読むだけの一般質問(これが嫌いなため、私はいつも一問一答形式を選択)ではなく、市長当局側も質問できるというもので、これによりキチンとしたレベルの議員が育ち、かつ深い議論ができる。
 議員定数削減の提案とともに、提案していきたいと思う。 


平成21年1月8日『新潟日報』

町長らが議員に逆質問

 津南町議会は7日までに、町長ら町側が、質問した議員に逆質問する「反問権」を3月定例会から導入することを決めた。通常、自治体側は議員の質問に答弁するだけだが、逆質問により論点を明確化するなどし、県町村議長会事務局などによると、県内自治体の議会が反問権を導入するのは初めて。

津南町議会3月定例会から
『反問権』を導入
議論活性化図る

 これは県内唯一の女性議長として知られる藤ノ木富有さん(六七)が議会改革の一環として、先月の議会運営委員会で提案。全議員が賛同したほか、全員協議会で町側も了承し、導入が決まった。
 反問権は、定例会本会議の一般質問にだけ導入する。町側は議員の一般質問の内容に準じて反問し、議員に意見などを求めることができる。反問できるのは、町長、教育委員長、農業委員会長、選挙管理委員長で、各課長には反問権はない。反問は一つの質問に対し、原則一回。議長が認めるときは三回まで許可する。
 藤ノ木さんの提案は、昨年四月の同町の議長研修で、反問権を導入している宮城県本吉町を訪問したのがきっかけ。藤ノ木さんは「議会は事務的な質疑の場ではなく、政策提言をし、議論する場だと思っている。議員はいつ反問を受けるか分からないので、一般質問に準備不足で臨むわけにはいかず、議長の質も高まると思う」と話す。
 町は「これまでの一般質問では、内容が上滑りで議論が深まらないことが多々あった」と導入を歓迎している。
 県内では現在、新発田市が導入を検討中。全国では、北海道栗山町、長野県栄村、三重県伊賀市などが導入している。

2009年2月20日 (金)

厚生常任委員会、町内会情報交換会
日本会議第1回勉強会

 1時、就寝。

 5時、起床。今日の委員会審査のた再度、読み込む。

 8時、大粒納豆、生卵、山芋とろろでご飯2杯の朝食をとる。

 9時過ぎ、市役所に移動。市民の方に依頼された調査や陳情を行う。

Cimg1368  10時から厚生常任委員会。今回の定例会では、2つの委員会が平行して行われるので、今日の場合は建設企業常任委員会を傍聴することができない
 内容としては、平成20年度の補正予算が主であり、特にこれといった問題はない議案であった。
 あえて特色をあげるとすれば、国からの補助金を介護保険特別会計に入れ、そこから全額5489万円を積み立た「介護従事者処遇改善臨時特例基金条例」
 また、一応意見したのは、県立こども自然王国の指定管理者制度への移行であった。
 これまでの良かった点、悪かった点の総括なく、ただ単に指定管理者制度に移行では、あまりにも芸がないという論点である。
 議案審査後の報告事項は以下の4つ。

・第2期柏崎市障害福祉計画(案)
 平成21年から23年までの計画。
 障害者自立支援法第88条による策定義務で、1期3年間となっている。
 障害がある人の自己決定と自己選択の尊重、地域生活への移行や就労支援などの課題に対応したサービスの質の確保と基盤整備。
 
→ 障害者の就業支援を積極的に行うべきと、その手法から事例まで数点の意見を述べた。
*現在、水面下で進めている、商店街活性化にもなり、環境問題、そして障碍者の雇用となるプランを紹介しようと思ったものの、この場で話すことではない、と思い直し断念。

・第4期介護保険事業計画
 
・保育園のアスベスト調査結果
 石綿以外に国内使用はないと言われていた3種類のアスベスト(アクチノライト、アンソフィライト、トレモライト)について、再度市内の保育園を調査したところ、松波保育園にあった。対応として、被覆工事を行う。
 松波保育園では保護者説明会を実施し、経過と報告を行った。

・柏崎病院の保険医療期間取り消しについて
   平成21年2月18日付けで関東信越厚生局が「柏崎病院」に対して行った不正請求に伴う保険医療機関の取消処分の報告。
 医師数が医療法で定める標準人数を下回る状態であったにもかかわらず、診療報酬を減額しないで請求しており、これまでのしゃかい保険事務局や県の立ち入り検査で不適合として改善指導がでたものの、従わなかった。
 平成21年2月17日をもってすべての入院患者の転院を完了することができた。
 
→ 民間の医療法人のことなので、酷かと思ったが、柏崎市全体の医療についてどう考えていくのか(50床の喪失)福祉保健部長に質し、診療科は違うが医師会と相談のうえ、以下の事例のようなダイナミックな施策も考えてほしいと要望。 


平成21年2月17日『東京新聞』夕刊

『地元で産みたい』願い結実
鎌倉に全国初医師会が産科

 神奈川県鎌倉市の市医師会(細谷明美会長)が設立、運営する産科診療所「ティアラかまくら」が十七日開院し、診療を始めた。「地元で出産を」との市民の強い要望を受け、市の財政支援で開院にこぎつけた。医師会が運営する産科診療所は全国で初めてという。
 診療所はベッド数が八床で、医師三人、助産師と看護師計十二人が常勤。合併症がない通常分娩(ぶんべん)を扱い、健診などで異常が分かれば、新生児集中治療室(NICU)を備えた病院で出産できるよう連携する。
 市は医師会との協定で、診療施設の改修、運営費に二〇〇八年度で約三億円を助成。〇九年度も運営費約七千八百万円を助成し、安定運営への財政支援を継続するほか、医療事故などで訴訟が起きた場合にも積極的に支援する。
 市内には、分娩できる病院が一カ所しかなく、年間千三百人前後の出生数の七割は市外で出産していた。診療所は〇九年度で年間三百人、一〇年度以降は三百六十人の出産を予定しており、市内での出産は六割に増える見込み。十月まで百一件の出産予約が入っている。
 JR鎌倉駅に近い診療所では、午前九時の診療開始前にはお産を控えた十五人が受け付けを済ませ、待合室で診察を待った。三月に三人目の赤ちゃんを出産予定という山下みどりさん(38)は「二人の子どもは私の実家がある四国などで産み、鎌倉では初めての出産。この診療所のおかげで近くで安心して産むことができます」と話していた。
 雨森良彦所長(75)は「診療所の開設は少子化の壁を崩すことにつながる点で有意義だと思う。お産は二十四時間体制でケアすることが大切。私も当直室に住み込んで診療に当たりたい」と語った。


Cimg1369 討論、採決がすんなりと通り、12時20分過ぎに厚生常任委員会が終了。会派室に戻って「割烹おくい」(電話:0257-24-6486)の弁当で昼食をとる。
 食事中、何件かの電話を頂き、除雪に関する苦情やなぜか自民党自体への苦言も頂戴した。
 苦言のもとは、中川昭一・財務・金融担当相のG7(先進7カ国財務相・中央銀行総裁会議)会合後の記者会見問題。
 中川大臣の脇の甘さは指摘されて当然のことであろうが、一緒にいた財務省関係者や読売新聞記者などは、なぜもっと話題にならないのか不思議である。
 以下は、ジャーナリストの水間政憲氏の見解。


緊急拡散『読売新聞とCIA』

 一昨年の「麻生クーデター説」を、読売新聞グループが主導したことは、当時、ネット上に筆者が配信したコメントが、現在も、「クーデターの主犯はメディア」とのタイトルで検索すると多数ヒットします。
 その時のコメントでも指摘しましたが、戦後、読売新聞社主・正力松太郎は、CIAのエイジェント「ポダム」(暗号名)として活動していたのです。
 そして、国家利権のテレビ電波をいち早く認可してもらってます。
 戦後日本テレビは、日本が二度と米国に逆らうことができないように、米国の「日本人総白痴化3S政策」(スポーツ、スクリーン、セックス)を日本テレビ放送網で、プロレス・野球や西部劇などの米国番組を垂れ流して、日本人洗脳政策の手先になっていました。
 一昨年の「麻生クーデター説」を主導したのは、読売新聞と日本テレビでした。

 今回のG7に、読売新聞編集局経済部・越前谷知子記者は、中川昭一財務大臣を同行取材するだけでなく、昼食後に飲酒した席に同席していたと報道されているが、一記者の行動にしては非常に不可解なのです。
 一昨年も、福田康夫議員の支持率が、どのマスメディアより高く、過半数を超えたと報道したのも読売新聞でした。
 今回、各マスメディアが、麻生首相の支持率を17~19%と報道しているにも拘わらず、日本テレビだけが一桁の「9.7%」と、報道していることが偶然とは思えないのです。
 筆者は、2006年6月号『正論』で「スクープ!遺棄化学兵器は中国に引き渡されていた」を発表しました。そして、継続して「遺棄化学兵器問題」を発表していたのです。その頃、読売新聞社会部記者から連絡があり、読売新聞本社に出向き、正論編集部にきていた筆者宛ての告発資料を提供したのです。
 その時、社会部記者は「政治部は取り上げないが、社会部の切り口で取り上げたい」と言っていました。
2007年秋、遺棄化学兵器処理事業に関係していたPCIが、東京地検特捜部に強制捜査されたので、読売新聞社会面に、遺棄化学兵器処理事業の闇が掲載されると期待していたのです。
 しかし、取材を積み重ねていたその社会部記者は、唐突な人事異動で、社会部から飛ばされたのです。
 中国の雑誌に「読売新聞1,000万部の力で安倍政権を倒す」と発言したのは、渡邊恒雄読売新聞社主でした。

 読売新聞グループは、どこの国の国益を守ろうとしているのであろうか。
 そしてまた、読売新聞グループの力で、麻生政権を倒すことを策謀しているのであろうか。
 それが杞憂でなければ、日本人1億3千万人の力で、読売新聞グループの野望を、阻止しなければならないのだ。

ジャーナリスト・水間政憲


Cimg1370 所雑用を済ませたのち、中央地区コミニティセンターに移動。
 途中からとなったが、中央地区町内会長会に出席する。
 ちょうど来賓である会田市長が講演を行っている最中であり、その内容は、

「8号バイパスは平成元年から取り組んでいるが何も進まなかった、私が市長になってから、1/6も進んだ。
 20年かけて1/6ならあと100年かかる。国土交通省大臣に、当時は冬柴さんだったが、せいぜい長生きしてほしい、と言われた」

などと聞くに堪えないような手柄話ばかりであった。
 さらには、市役所近くの某町内会長からの市役所移転の可能性についての質問には、

「今の庁舎の耐震工事に2億4000万円かけた。あと10年先までは使うであろうし、あとは次の世代の人が考える・・」

あまりに無責任である。

Cimg1371  16時過ぎから懇親会となり、お総菜をつまむ。ビールや日本酒がだされたが、車の運転もあるため、ウーロン茶を飲む。
 色々な町内会長さんから情報や陳情を頂いたが、やはり一番大きなものは、神社の再建への負担金の問題であった。氏子が少なくなってきており、震災復興基金を活用しなければ、再建ができない。

 17時過ぎ、一旦事務所に戻り、資料の整理。

Cimg1372 19時、ワークプラザ柏崎に移動し、日本会議柏崎支部第1回勉強会に出席する。
 日本会議は、全国で102支部、新潟県内では6支部となっており、新潟県は全国2番目の増加率で841名の会員数となっている。
 支部長でもある西川勉・前県議からの講義形式で、教育勅語について勉強。

1.教育勅語について(西川勉支部長)
 ・教育勅語までの近代日本のあゆみ
  (欧米列強によるアジア侵略と開国)
 ・自由な発想からでた教育勅語
 ・日本の近代教育の原点
 ・元田永ざねと井上毅(こわし)
 ・教育勅語の無効決議こそ、無効
2.柏崎市議会の議場に国旗・市旗掲揚の誓願についての報告(三井田)
3.建国記念の日集会参加者による報告
  東京会場、上越会場、長岡会場、新潟会場
4.奉祝委員からの報告
5.事務連絡

Cimg1375  21時過ぎに終了し、そのまま市内の某スナックで懇親会となった。
 日本会議柏崎支部で提出した「議場に市旗と国旗を掲揚する請願」が否決されたことの今後の対応や、旧トルコ文化村にあったアタチュルク像の問題などを話ながら、最後には少年法の改正についてまで話がふくらんだ。

2009年2月19日 (木)

平成21年第2回定例会開会
まちづくりセミナー セーラ女史

 3時、就寝。

 7時、起床。大粒納豆、山芋とろろ、ニンニクの酢漬け、野沢菜の古漬けでご飯2杯の朝食をとる。

 議会初日となるため、各種の資料を準備し、9時過ぎ、市役所に移動。

Cimg1361 10時から本会議、平成21年第2回定例会が開会となった。
 今日の議案は、平成20年度一般会計補正予算が中心であり、主に、「議第12号 地域振興基金条例」のために合併特例債を活用し22億円を投入することや、職員の予定外退職7名分の人件費などである。
 ただ、議案の詳細を聞けば奨学金の対象者人数を間違っていたための修正や、移転しようとした施設に、国や県の補助金が入っていたことがわかり、その計算に時間がかかるため、先送りするなどといったお粗末な内容もあった。
 市役所の耐震改修工事は1億9719万円から2億4371万円に変更する議案がでた。これは、市長当局が昨年の12月に改修工事7000万円を超えたが、専決処分(議会承認なし)で行いたいと言っていたもの。本来は、当初契約の15%を超えており、議決が必要な案件であった。結果的に精査をし、4000万円の超過となったようであるが、工事着手前の調査の意味は何であったか、不思議に思う。
 その他、中越沖地震後の山本団地復旧に関わる分担金について、山本団地にお住まいの市民の方を中心に地方自治法229条(分担金等の徴収に関する処分についての不服申立て)によって、5件の不服申し立てがあった。これに対しては、同法の第4項

地方自治法第229条4
 普通地方公共団体の長は、前項の処分についての審査請求又は異議申立てがあつたときは、議会に諮問してこれを決定しなければならない。

に規定する通りに、議会での諮問が必要となる。泥沼の予感がする案件。
 また、話題の定額給付金給付事業 14億4033万円も補正予算として追加された。これには、執行するための費用(約5000万円)も加算して、14億9115万円。

 質疑応答となったため以下の2つを質問した。

Q.定額給付金事業に合わせ、柏崎市内でしか使えないクーポンなどの給付形式の検討をしたのかどうか。市長に答弁してほしい。
A.商工会議所と協議している(市長)。

Q.軽井川製鉄遺跡の買い戻し費用2290万円(土地購入費 2100万円、フェンス等 190万円)が計上されているが、どこを買い戻すのか資料をだしてほしい。
A.下ヶ久保Cを買い戻す(教育)次長。

 色々な意見がある定額給付金であるが、やはり地元・柏崎で使ってもらえるよう、現金ではなく、少し割り増しをしてでも地域クーポン等を検討すべきと思う。

Cimg1362 本会議終了後、議会運営委員会に出席。
 2月27日に原子力安全委員会による説明会、全員協議会を開催したいという内容に加え、以下の議案を次回の本会議で追加したいとのことであった。

「議第46号 元気館の設置及び管理に関する
        条例の一部を改正する条例」 
              (2月24日提出、説明)

「議第47号 平成20年度農業集落排水事業会計
        補正予算(第5号)」
     (2月24日提出、委員会付託省略、即決)

 農業集落排水事業については、資金ショートするので、一時借入金の限度額を現在の10億円から20億円に変更するむね、即決で議会議決がほしいというもの。なぜ今頃なのか、予想はつかなかったのか、議案提出後に問い質したい。

Cimg1363 続いて、議会だより編集委員会に出席。
 次回の議会だよりより、どの議員がどの議案に賛成したか、反対したのかを記載することで合意がとれた。これで、市民の皆さんに真実が伝わることであろう。
 また、議会ホームページの改修の話題もでたので、掲載の手間を省くこともさることながら、議員全体としてもいつまでも紙に縛られることもないので、今後、議案もPDF形式等で当局からもらうような働きかけをしたらどうか?と発言したものの、「PDF」と言った段階で何を言っているのか?という反応になり、尻つぼみとなった。
 議会自体の電子化はほど遠いようである。

Cimg1364 13時、やっと昼食をとれる時間となり、「割烹おくい」(電話:0257-24-6486)の弁当を食べる。
 岩牡蠣のフライが入っており、ご飯が進み過ぎて、足りないほどであった。

 調査などを行ったのち、15時過ぎに一旦事務所に戻り、資料整理。

Cimg1365 不具合修理のためにディーラーに愛車を預けたのち、16時過ぎに柏崎商工会議所に移動する。
 柏崎商工会議所所業部会主催、サービス部会、柏崎観光協会共催、柏崎文化協会協賛の「まちづくりセミナー」に出席。
 講師は、2002年に日経ウーマン・オブ・ザ・イヤーに輝いた、セーラ・マリ・カミングス氏(株式会社 文化事業部代表取締役社長、株式会社 小布施堂取締役、株式会社 桝一市村酒造場取締役、利酒師)で、「信州・小布施からの情報発信」をテーマに約90分間の講演となった。


Cimg13661991~92年 関西外国語大学留学。93年ペンシバニア州立大学卒。1994年、小布施堂・桝一に入社。1997年以降、桝一の再構築に取り組みつつ、『第三回国際北斎会議』開催、『小布施ッション』をスタートさせるなど、長野県小布施町から世界に向けて文化・情報を発信している。日経『ウーマン・オブ・ザ・イヤー2002』大賞受賞。03年より『1530』(ゴミゼロ運動)、『小布施見にマラソン』(ハーフマラソン)を企画運営。2004年、株式会社 文化事業部を設立、代表取締役就任、株式会社 修景事業を設立、取締役就任。また、初の女性代表幹事として日本酒造組合中央会の代表幹事にも就任している。


・長野オリンピックのために日本に来たのが最初であり、当初は英国選手団の面倒をみた。
・長野に住むようになり、雨や雪が楽しくなるものを見つけようと思った。
 マイナスをプラスにしたいと思って、面白い五輪の傘を作って販売しようと思ったが、なかなか理解されず、中国にでも発注しろと言われた。それで決心が固くなり、より真剣になった。
・ケンカできる会社が良い。自社のお酒をだす飲食店で冷凍食品(インスタント)を中心にするというプランがあり、反対した。小布施らしい手をかけたものをだすべきと半年間、社長とケンカし続けた。
できない理由を考えるのは誰にでもできる。時間ない、人いない、金ないでもできる事を考えることが大切。
・コンクリートをはがし、四季を感じ、小布施でしか実現できない文化サロン(レストラン)を作った。酒造は寒づくりであり、年間通しての雇用はない。その意味でも文化サロンは重要となった。
・会社の入り口にあった自動販売機をはずした。最初は、利益を上げている自動販売機をなぜ外すか怒られたが、入り口に自動販売機をあることはお客さんにこないでほしいというのと同じだと説得し続けた。こういった最初の壁にぶつかるだけで、今の日本の若者は終わっているように思う。壁にぶつかっても、やり続ける努力が必要。
何百年も先輩から引き継いできたものを、自分の代で終わらすわけにはいかない、という使命感がある。日本は、ちゃんと日本があったはず。
・小布施にある北斎に注目した。ニューヨークの美術館でも重要な扱いのアーティスト。世界が確認されている14通の北斎の書簡のうち、12通はある。これは貴重な財産。
・物事をとにかく言ってみて、意見のキャッチボールをした。気づいたことを言わないのは、無責任だと感じている。
・利き酒大会にでて、蔵元と知り合ったが、暗い顔をして、足を見ていた。ワインに押されているなど、暗い材料のことを言うが、世界の人が日本酒を飲むようになる可能性があると、明るいことを考えた。
・<桶仕込み保存会>50年ぶりの復活となった。桶屋さんには、勲章をもらった人がいたが、継承伝承を考えた支援策はないようであった。日本には本物の桶を作れる人は片手で数えるだけになった。悲しいこと。やっと昨年の8月にNPO法人になったので、技術伝承ができそう。無理だといわれたが、その時代時代で無理をした人が歴史に残っている。
・OBUSESSION(小布施+セッション、+とりつかれる)の実施にあたっては、合併についてよく考えた。会合のあとのパーティは義務づけた。これで交流をはかろうと思ったのであり、事実そうなった。学生が参加しやすいように学生は無料にした。
・餅ベーション。日本人こそ正月は日本酒と餅つきと思って実際に行った。正月にコミニケーションとることを日本人は忘れているのでは。
・桝二プロジェクト。自分たちの将来は待つのではなく、自分で作るものという発想のもと、30年前のアパートを壊し、2つの蔵を長野県内から移築してきた。今は12部屋のゲストハウスとして活用している。大量生産ではなく、その地域でしかできないものを売り出していく。
・茅葺き<HEKIIKEN>北斎が使っていたアトリエを曳屋をしてきた。戦前の日本の棟梁にもきてもらい、なるべく再現をした。よしずもキチンと現地で伝えられてきた技術を90歳のお婆ちゃんに教わりながら作った。日本は資源がない国というが、資源は多くあり、何を資源と思うかだと思う。
・300年も十分持つ、小布施達磨窯による瓦を復活させた。なぜ、今の日本人は伝統を大切にしないのか。
・1530(市ゴミゼロ運動)行政にまかせず、地域にプライドをもつ為、自分のゴミ以外も拾う運動をはじめた。できることからやる、ことをモットーにしている。昨年の講演料収入で、ドイツ製の掃除機を購入した。
・小布施 見に マラソン(ハーフマラソン)。日本は困った時の方が力を発揮するのではないか。海の無い小布施に、人の波の描こうという発想からはじめた。
・苦しんでコツコツ物事をやってきた。その分、やはり喜びも大きいものであった。
・いま困ったと思うのは農業。何の薬がかかっているかどうか分からない農作物を食べる、今の日本は本当に豊かなのかどうか疑問がある。
生きる美しさ、汗をかくことを思い出すべきではないか。誰かがやってくれる、ではなく、自分でもできることから始めてみましょう。


Cimg1367 17時30分から会場を研修室に移して、懇親会。
 セミナーへの出席者のみならず、セーラ女史の旦那さんも参加されて、和気藹々とした懇親会となり、時間があっという間に過ぎた。
 3本締めの中締めののち、英語教師でもあり、オペラ歌手でもあるというセーラ女史の旦那さんが「第九」の熱唱し、お開き。
 話に夢中だったためか、オードブルがかなり余っており、もったいないので数皿頂戴し、帰りがてら、食べてくれそうな方にお願いした。

 21時、帰宅。シャワーを浴びたのち、議会資料の読み込みを行う。

2009年2月18日 (水)

日吉小学校6学年後期総合学習
「柏崎を支える人々日吉を支える人々」

 徹夜での資料作成作業をし、6時から1時間ほど目覚ましのために熱めの風呂に入る。

 7時過ぎ、大粒納豆、温泉たまご、山芋とろろ、海ぶどうのサラダでご飯2杯の朝食をとる。

 8時過ぎ、移動しようと愛車に行こうとするも、あまりの雪の多さにそのまま近づくことを断念。物置からスコップをだしてきて、この冬初の雪かきを行った。

 40分ほどの作業でやっと愛車を動かせるようになり、移動。

Cimg1355 9時過ぎ、柏崎市立日吉小学校に到着し、プロジェクターとパソコンの準備を行う。
 今日は、日吉小学校6学年後期総合学習「柏崎を支える人々日吉を支える人々」の講師として、柏崎青年会議所の理事長、直前理事長、こどもの未来創造委員会の委員長らメンバー5名とともに、お邪魔した。
 依頼内容は、

1.地域との繋がりを大切に思う心を育む為の講話
2.児童が青年会議所の活動を調べたことに対しての返答

であり、それぞれに

<お仕事チーム>
・柏崎青年会議所について
・柏崎青年会議所の歴史や今までの主だった事業について。

<地震チーム>
・柏崎青年会議所の復旧・復興活動について。
・柏崎青年会議所が考える柏崎の復興について。

<原発チーム>
・柏崎青年会議所と東電との関わりや地震後の東電の対策について。

<祭りチーム>
・柏崎の祭りの歴史や柏崎青年会議所と祭りとの関わりについて。

と分担をしてお話、質疑応答をさせてもらった。
 私の担当は祭りであり、その発祥を4つのカテゴリーに分けて、説明。

 1.宗教(神社、寺院)
   例:神社まつり、盆踊り
 2.商売からの発展、地域(まちづくり)
   例:商工祭、風の陣
 3.感謝、想い
   例:大漁祭、いわし祭り、震災復興祭り
 4.文化の発展のため
   例:マーチングバンド、民謡流し

 生徒の皆さんはかなり下調べをしていたようであり、自由討議の時間も多くの質問をもらった。
 途中、ウルトラマンの話で脱線はあったものの、11時30分まで密度の濃い時間となった。

Cimg1358  日吉小学校を後にし、参加したメンバー3名とともに昼食をとるため、「醤丸 柏崎店」(電話:0257-21-8422)に移動。
 新しくできたラーメン屋さんであり、一度来てみたいと思っていたお店である。少し残念なことに、駐車場がせまく、かつ今日の大雪のため、車を駐めるまでが一苦労。
Cimg1359  なかに入ってメニューをみると、スープの選択は2種類あり、鶏ガラベースと豚骨ベースであった。
 せっかくなので、ベース中のベースを頼もうと、鶏ガラベースの「醤丸つけ麺 炙りチャーシュー 1050円」を注文。大盛りも無料とのことだったので大盛りにし、かつ「あつもり」と「ひやもり」の選択は、「ひやもり」を選んだ。個人的に、つけ麺には「あつもり」が似合わないと思うからである。
 しかしながら、届いたのは・・・・「あつもり」であった。店員さんに違うことを訴えでたところ、一緒に行ったメンバーの注文と間違ったとのことで、隣同士で交換。
 麺は、好みのコシのある太麺、つけダレはトロミがあり、ゆずが仕込まれているため、さっぱりした感じである。炙りチャーシューは控えめな大きさ。

 13時過ぎ、自宅に戻る。

 今日の13時から祖母が手術をしており、母が付き添っているため、15時過ぎまで掃除や雪かきなど家事を行う。

 16時、事務所に来客。1時間ほど、相談を受ける。

Cimg1360  遅刻したが、18時30分から市内某所での懇親会に出席。
 薄切りした唐墨、鱈の白子を美味く、ビールがガンガンと入っていった。
 20時30分過ぎにお開きとなり、その後は某居酒屋に移動しての2次会。
 意外や意外、話を聞いてみれば、亡き父が常連となっていた居酒屋であることが判明した。

 23時過ぎに帰宅。

2009年2月17日 (火)

結局は馴れ合いの反原発派議員
反原発活動の欺瞞

 資料の作成が終わらず、4時に就寝。

 7時、起床。大粒納豆、魚肉ソーセージ、温泉卵でご飯2杯の朝食をとる。

 しんしんと積もった雪のため、自転車が使えず、市内某所での9時からの打ち合わせに遅刻してしまった。

 12時まで打ち合わせをしたのちに帰宅。

 13時、冷凍うどん2玉を使って、ひきわり納豆と串カツをのせた納豆うどんを作って、昼食にする。
 祖母が入院したため、母親と交代で食事をとることが多くなった。

Cimg1354  13時30分から全員協議会。原子力安全・保安院からの「柏崎刈羽原子力発電所の健全性及び耐震安全性の確認状況について」の説明である。
 日程調整が不十分であったこともあり、議員側で欠席者が目立ったが、もっとも驚いたのは会田市長の欠席。
 複数いる議員は良いが、たった一人の首長たる市長は出席すべきところであろう。
 説明の内容は大まかに以下の通り。
 
1.これまでの調査・対策委員会での検討を振り返って
 「止める」「冷やす」「閉じこめる」は機能したが、問題となったのは、当初の想定を大幅に超える地震の揺れ、自衛消防が機能しなかったこと、情報連絡・提供のまずさであった。
 それぞれに自衛消防の組織強化、モバイル保安院などできる対応から速やかに行った。

2.柏崎刈羽原子力発電所の耐震安全性の
  確認状況について

 a.中越沖地震により観測された最大加速度が設計時
   において算定された最大加速度を上回った要因
  ・今回の地震震源の特性
  ・震源から柏崎刈羽原子力発電所につづく
  地下構造の特徴
 b.活断層評価
  ・海域ではF-B断層(長さ36km)、陸域では長岡
   平野西縁断層帯(長さ約91km)と評価した。
  ・一部の学者論文にあるF-B断層の北方延長、
   真殿坂断層については、各種調査や有識者の
   議論の結果から考慮しないものと判断。
 c.新しい基準地震動Ss
 d.Ssに対する施設の耐震安全性
  ・解析モデルは妥当であり、構築物等は評価基準
  値以内と確認。
  ・JNES独自の解析モデルでも評価基準値以内と
   確認。
 e.原子炉建屋基礎地盤の支持能力
  ・解析モデルを設定し、すべり安全率も考慮し、十分
   な支持力があることを確認した。
 f.地震に伴う地盤変動によりもたらされる原子炉建屋
  等の上下変動と傾斜
  ・最大傾斜1/4000があったが、大きな影響を与え
   るものではないと判断。1/1000も解析評価を
   行ったが、影響は極めて小さく、発電所の安全機能
   が損なわれないことを確認した。
 g.津波に対する安全性について
  ・津波による最大高さが重要施設の設置高さよりも
   十分低いこと、干潮になっても原子炉の冷却に
   必要な水をとれることを確認した。
 h.原子力発電所の耐震安全性に係る信頼性の一層
   の向上を図るための今後の取組みについて
 (1)地震学などの進歩を反映する仕組み
 (2)確率論的安全評価
 (3)地震動の観測
 (4)国際機関などとの連携強化による研究の推進

3.柏崎刈羽原子力発電所7号機の
         設備健全性評価について

 機器単位評価から系統単位の評価、プラント全体の評価を進めてきており、7号機はすべて終了している。
 全プラントを通し、これまでの点検において安全上重要な設備に損傷は確認されていない。
 各解析、目視点検、各試験によって7号機の機器単位(約1360機器)、系統単位(23項目)、プラント単位でも問題がないことを確認した。
 7号機の起動に安全上の問題はない。

 説明後の質疑応答は、またも反原発派議員の独断場。ある学者はこういっているから、反映しろ!という論調であった。通常、学会や議論の場で多くの専門家が客観的・科学的に認めたものを反映するのであって、一人の学者を取り上げて、それを反映しろ、というのは学問の世界が分かっていない。
 まずは専門家の世界でデータなどを用いて、科学的な評価を得るのが先である。
 何でも反対というのは良いが、最後には社会クラブ・矢部議員、柏崎のみらい・飯塚議員からは、起動試験後、100%出力になった段階で緊急停止(スクラム)しろ、という要求まででた。
 原子炉にはそれぞれに特性があり、新しい原子炉は、スクラム時の特性(車で言えば、急ブレーキをかけた場合の車の動き)をとるために試験的に行う。今回もそれを行って、その後、また地元了解を得ろ、という目的が不明なメチャクチャな要求である。

 先般、社会クラブの議員を中心に、反原発地元3団体が全国から集めた柏崎刈羽原子力発電所の再稼働に反対する署名を東京電力に持参した。
*実際には、50万人分以上の署名があると見せて、持ち帰った。
 しかし、彼らは柏崎市議会内で再稼働反対決議や再稼働に関する住民投票を求める議員発案を提出するなど、実際の政治現場での反原発活動は、まったくしていない

 昨年の柏崎市長選挙において、反原発派市議は会田市長を支持した。会田市長の立場とすれば、柏崎市の財政問題から再稼働が不可欠である。
 議場内で過半数をとっている会田市長与党議員、とりわけ反原発派市議は、自分の支持者である反原発の市民に向けては反原発活動をしていると見せねばならないものの、会田市長を窮地においやるわけにはいかない。
 パフォーマンスとして、議場外やこういった全員協議会の場で国(原子力安全・保安院)や東京電力に文句はいうが、会田市長自体への反原発活動はしないのである。
 つまり「馴れ合い」の反原発活動。
 本当に騙されているのは、反原発の立場をとる人々であろう。

 15時40分に終了。

 市役所での調査活動をしたのち、17時に一旦事務所に戻る。

 18時、東京都内に向かって移動。途中、コンビニで買った納豆巻き2本、味付け茹で卵、アメリカドックで夕食をとる。

2009年2月16日 (月)

北朝鮮が弾道ミサイル発射を「予告」

 3時、就寝。

 7時、起床。大粒納豆、笹かまぼこ、水菜のサラダでご飯2杯の朝食をとる。

 月刊誌をもって、1時間ほど風呂に入る。

 9時から11時過ぎまで、市内各所をまわり、市政への苦情の聞き取りや陳情を受ける。

 12時、胡麻とキムチの素を入れたひきわり納豆で納豆巻きを作り、低脂肪乳、グレープフルーツジュースとともに、昼食をとる。

 13時から17時まで、市役所をはじめ、関係各所でのさらに情報収集などを行ったのち、事務所に戻る。

Cimg1353  今日収集した情報などをまとめ、裏取りなどをしつつ、20時、昨日作ったスープの残りと牡蠣、シナチクでラーメンを作り、ミニ串カツとともに夕食にする。
 昨日とは違う、太い麺を使い、醤油たれの量を若干増やしたため、かなりインパクトのある味に仕上がった。やはりラーメンは少々しょっぱめの方が個性が強くでるようである。

 またも北朝鮮が弾道ミサイルの発射を匂わせている。
 アメリカのオバマ政権の対応を見極めるためと思われるが、こういった事が行われても平然としている、平和ボケの我が日本。
 「反戦」「平和」と叫ぶ、社民党、共産党の皆さんには是非、北朝鮮に行ってご活躍頂きたいと思う。


平成21年2月16日『読売新聞』

北朝鮮が弾道ミサイル発射を「予告」…テポドン2号か
北朝鮮情勢

 【ソウル=浅野好春】北朝鮮の朝鮮中央通信は16日、「長距離ミサイル発射準備説を騒ぐのは、我々に対する冒涜(ぼうとく)であり、挑発だ」と題する記事を伝え、「わが国で何が打ち上げられるかは、(諸外国が)見守れば分かるだろう」と、弾道ミサイルを近く発射することを事実上認めた。

北朝鮮が発射を「予告」したのは初めて。

 米韓当局は、長距離弾道ミサイル「テポドン2号」(射程4300~6000キロ)発射準備の動きをとらえていたが、同通信は、「宇宙開発は我々の自主的権利だ」として人工衛星の発射を示唆した。ただ、人工衛星の発射体は弾道ミサイルと同一で、北朝鮮は今回、人工衛星打ち上げの体裁をとりつつ、テポドン2号を発射するとみられる。
 北朝鮮がこの時期にミサイルを発射するのは、1月に発足したばかりのオバマ米政権を牽制することで、米国を「米朝直接対話」の場に引きずり出す狙いなどがある可能性が高い。
 北朝鮮は、1998年8月31日に中距離弾道ミサイル「テポドン1号」(射程2200キロ)を打ち上げた際も、4日後に「3段式ロケットによって人工衛星を打ち上げた」と主張。この時の人工衛星を「光明星1号」、発射体を「白頭山1号」と命名した経緯がある。

2009年2月15日 (日)

平成21年自民党柏崎支部新春総会
阿久根市議会を解散

 2時過ぎ、就寝。

 7時、起床。大粒納豆、山芋とろろ、ベーコンでご飯2杯の朝食をとる。

 食後、入院している祖母が帰ってきたときのため、祖母の部屋の模様替えや手すりの再配置など大工仕事を行う。

 11時、平成21年自民党柏崎支部新春総会の準備のため、柏崎市産業文化会館に移動。

Cimg1344  準備が一段落した12時過ぎ、一階の「レストラン サンブン」(電話:0257-24-7662)で、サラダ付きの「カツカレーライス 880円」で昼食をとる。
 懐かしい感じのカレールーが入ったステンレスの器が良い感じである。
 食事をとりながら、司会などの打ち合わせも行う。

Cimg1349  14時から平成21年自民党柏崎支部新春総会が開会となった。
 国歌斉唱、丸山支部長の挨拶ののち、来賓の挨拶は、自民党新潟県連代表代行の三富佳一・県議会議員、長島忠美・衆議院議員、東山英機・県議会議員、会田洋・柏崎市長、品田宏夫・刈羽村長、柏崎経済人連盟・松村保雄会長。
Cimg1350 その他にも多くの来賓の方がお見えになっており、広報委員長なのでマイクをとり、ご紹介させてもらった。
 祝電は、細田博之・自民党幹事長、古賀誠・自民党選挙対策委員長、与謝野馨・内閣府特命担当大臣(経済財政政策担当)、石破茂・農林水産大臣、佐藤信秋・参議院議員、塚田一郎・参議院議員、近藤基彦・衆議院議員、泉田裕彦・新潟県知事より頂戴した。
 総会終了後、若干の休憩ののち、祝宴となり、会場に集まった200名の皆さんと盛り上がった。

 萬歳三唱で終了し、片付けもして、17時過ぎに帰宅。

 甥っ子と姪っ子が遊びにきていたので、一緒に『大決戦!超ウルトラ8兄弟』のDVDを借りに行く。

Cimg1351 18時、椎茸、干し納豆、タマネギ、煮干し、鰹節、さば節、干し帆立でスープをとりながら、『大決戦!超ウルトラ8兄弟』を見る。
 映画館で見たときよりも話がよく分かる感じもするが、やはり映画館のような大音量、5.1chぐらいで楽しみたいものである。
 先ほどの魚介系スープのほか、冷凍しておいた鶏ガラスープも解凍。
Cimg1352 再仕込み醤油をベースにした醤油ダレを作り、魚介系スープ、鶏ガラスープのWスープで、細麺のラーメンを作って、夕食にする。具は、先ほどの祝宴で残ったものを持ち帰ったチャーシューと長ネギのみじん切り。
 甥っ子も姪っ子もよく食べてくれ、大人一人分の麺をペロリであった。

 20時、事務所に来客。商店街活性化案として、私が先日、提案した環境に関するお店に興味を持って頂いたとのことで、実現可能かどうか、再度話し合う。

 先日、本ブログにも書いた、 「辞めてもらいたい市議」アンケートを実施した鹿児島県阿久根市・竹原信一市長に不信任が議会から突きつけられ、議会を解散した。
 市長の暴走と思う部分もあるが、市民がどう判断するのか、地方自治の事例として注目したい。


平成21年2月15日『読売新聞』

阿久根出直し市議選 “中立”前議員、
苦悩の選挙戦

 3月22日投開票が決まった阿久根市の出直し市議選(定数16)は、「改革」を標榜する竹原信一市長(49)の市長派と、それを阻止しようとする反市長派が、ともに候補者の擁立を急ピッチで進めている。現在、20人以上の立候補が取りざたされ、「対決の構図」が浮き上がってきた。そんな中、竹原市長の政治理念に一定の理解を示しつつも、市長の不信任案に賛成した“中立路線”のある男性前議員が苦悩している。改選後の市長の失職をにらんだ選挙だけに、旗幟(きし)鮮明にしないと選挙戦は戦いにくい。反面、「是は是、非は非」との信念で、竹原市長と向き合ってきた姿勢は曲げられないからだ。

◆「市民に理解求める」
 前議員は、議会定数を10削減する条例改正案では、「地域の声を行政に反映できなくなる」と反対した。が、反市長派の反対で不同意になった教育長人事案については、「教育行政を正常化すべき」との理由で同意した。不信任案が提出された6日の臨時議会では、「行財政改革の必要性は理解するが、市民生活に直結した夢のある政策はなされていない」と、賛成する立場で討論した。
 
「私は市長派でも反市長派でもない」。議会解散後の12日、険しい表情でそう語った。
 
だが、現実に選挙は近づいている。支持者からは「市長派に付くべき」「反市長派の方がいい」と、両極の声が寄せられている。「このままでは、両派の間に埋没してしまうかもしれない。しかし、これまでの姿勢を市民にしっかり説明し、理解を求めていく」と語り、今のところ、中立を貫いている。

◆市長交代のキーマン
 出直し市議選への立候補の動きは活発化し、市長派は前議員1人と市長に理解を示す政治団体「阿想会」の推す新人5人程度、反市長派は前議員12人のうちの約10人と新人7人程度が予定している。この外にも元議員の名前が挙がっており、激戦は避けられない情勢だ。
 
地方自治法によると、改選後の市議会で、2度目の不信任案が出された際、定数の3分の2以上が出席し、その過半数が賛成すれば市長は自動的に失職する。定数16の阿久根市議会では、反市長派が11議席を占めれば、「万全の状態」となる。
 
ただ、改選後の議席構成によっては、市長の失職をめぐって、市長派と反市長派による前議員の1票の取り込みも予想される。キャスチングボートを握ることになりそうだが、前議員は「市議選のことで精いっぱい。選挙後のことはまだ考えられない」と心情を語った。
 
市長の議会解散による今回の市議選では、市長派、反市長派の対立が際だっている。しかし、前議員の市長に対する「是々非々」のような視点を捨て置くことはできないだろう。有権者には、市長が、市議が、その資質を有しているのかどうかを見極める目が求められている。

2009年2月14日 (土)

直接請求制度:条例、リコール、議会解散

 会社関係の仕事が終わらず、4時過ぎに就寝。

 8時、起床。起床後、愛車でそのまま新潟市に移動する。

Cimg1341  新潟市に到着するも、さすがに空腹で力がでないので、9時、新潟市内のガストで「目玉焼きソーセージ&ベーコンセット 523円」をライスにし、さらに大盛りにしてもらって朝食をとる。
 ドリンクバーもあったので、オレンジジュースやぶどうジュースを飲んだが、できればグレープフルーツジュースがほしいところであった。

 9時30分から1時間ほど、新潟市内の某所にて打ち合わせ。

 12時、柏崎に戻り、一旦、事務所で書類をまとめてから再度、長岡市に移動。

 14時から16時過ぎまで長岡市内の某社会議室にて打ち合わせ。前回の議事録が出来上がってきていないため、打ち合わせの効率が悪く、他社の若い社員であったが、厳しく指摘させてもらった。

 18時、事務所に戻ったところで、来客。東京都内に行きたいというお子さんをもつ親御さんからの相談であった。

 20時、事務所に来客。イベントに関するアイデアを出し合う。

Cimg1342  22時過ぎ、選挙を手伝ってくれたメンバー2名とともに、カラオケボックスで新年会となった。
 ソーセージ、ポテト、唐揚げの盛り合わせバスケット、大根サラダ、明太子スパゲティなどをつまみつつ、生ビール5杯、その後はジントニック。
 新しい通信カラオケの機械であり、かなりの曲数があったので、他には無さそうな青西高嗣氏の名曲「“AO”corner」(作詞/作曲:青西高嗣)を歌う。あとは、「瞳を閉じて」「ダッタン人の踊り」「ウルトラマンメビウス」「take me higher」(ウルトラマンティガ版)など、練習がてら歌った。

 千葉県銚子市をはじめ、ここ最近、首長のリコール請求が話題になっている。


平成20年12月26日『朝日新聞』

銚子市長リコール、署名提出 市病院休止で市民団体

 千葉県銚子市の市立総合病院休止をめぐり、同市の岡野俊昭市長の解職請求(リコール)運動を進めている市民団体「何とかしよう銚子市政 市民の会」(茂木薫代表)が26日午前、請求に必要な有権者数の3分の1(1日現在で2万229人)を上回る2万5945人分の署名を市選挙管理委員会に提出した。
 市選管の審査で有効署名数を確定した後、同会が解職の本請求をし、解職の是非を問う住民投票が実施される。
 岡野市長は7月、18億円に上る累積赤字(昨年度)などを理由に、同病院の休止方針を発表し、9月から診療を休止している。だが、「休止は公約違反で納得できない」とする市民らが同会を結成し署名を集めていた。


 こういった住民が直接、声をあげるのが直接参政制度、直接請求制度である。

 通常は議員や首長を選挙で選出し、「アンタに任せたよ」と付託する間接民主制で運営されている。
 しかし、付託した議員や首長が行った判断が選挙民と違う!と認められるときに、直接請求を実施することができる。
 条件としては、<地方公共団体の議会の議員及び長の選挙権を有するもの><一定の連署>をもって、<代表者から請求>する必要がある。
 分かり易くいえば、柏崎市であれば、柏崎市での選挙権をもつ者の一定数の署名や押印が必要となる。
 種類は大まかに5つがあり、首長のリコールはその一つである。

 以下、備忘録との思いで記載する。

*参考数は、平成20年柏崎市長選挙での選挙名簿数
 75971人を使った。

(1)条例制定(改廃)の請求
    地方自治法第74条
 条例(地方税の賦課徴収、分担金、使用料及び
 手数料の徴収に関するものを除く。)の制定又
 は改廃の請求ができる
 条件を満たし市長が受理した場合、20日以内に
 議会を収集して、意見を付して議会に付議。

 条件:選挙権を有する者の50分の1の数
    の署名押印を一ヶ月以内
 参考数:約1520人分

(2)事務監査の請求
    地方自治法第75条
 地方公共団体の監査委員に対して、監査の請求を
 することができる。
 条件を満たし監査委員会が受理した場合、直ちに
 請求に係わる事項につき監査し、その結果を請求
 代表者に通知し、告示。

 条件:選挙権を有する者の50分の1の数
    の署名押印を一ヶ月以内
 参考数:約1520人分

*一人でもできる住民監査請求(地方自治法第242条)
 もあるが、この場合は当該行為があった1年以内に
 実施となる。

(3)議会の解散請求
    地方自治法第75条
 選挙管理委員会に対して、議会の解散の請求をする
 ことができる。
 ただし、議会の解散請求は、当該議会議員の一般選挙
 又は議会の解散請求に基づく解散の賛否投票が行われた
 日から1年間は行うことができない。
 選挙管理委員会が受理した場合、解散の賛否投票に
 先立って、20日以内に議会から弁明書を徴し、請求
 の要旨と併せて、解散投票の投票期日の告示とともに
 告示。解散の賛否投票は、受理の告示日から60日以内
 に、公職選挙法の定める手続きによって行われる。
 この解散の賛否投票において過半数の同意があったとき、
 議会は解散する。

 条件:選挙権を有する者の3分の1の数
    の署名押印を一ヶ月以内
 参考数:約25324人分

(4)議会の議員個人及び
    首長の解職(リコール)請求

    地方自治法第80条、81条
 選挙管理委員会に対して、議会の議員個人及び首長の
 解職(リコール)請求をすることができる。
 ただし、無投票により当選した場合を除き、当該議員
 又は首長の就職の日から1年間及び解職の賛否投票の
 日から1年間は行うことができない。
 選挙管理委員会が受理した場合、受理の告示日から
 60日以内に、公職選挙法の定める手続きによって、
 解職(リコール)の賛否投票が行われる。
 
この解職の賛否投票において過半数の同意が
 あったとき、議会の議員個人及び首長は解職
 (リコール)される。

 条件:選挙権を有する者の3分の1の数
    の署名押印を一ヶ月以内
 参考数:約25324人分

(5)主要公務員の解職請求
   地方自治法第86条
 自治体の首長に対して、副知事若しくは副市町村長、
 選挙管理委員若しくは監査委員又は公安委員会の委員、
 教育委員会の委員の解職の請求をすることができる。
 ただし、副知事又は副市町村長の場合は、その就職の
 日又は解職請求に関する議会の議決の日から1年間、
 選挙管理委員若しくは監査委員又は公安委員会の委員
 の場合は、その就職の日又は解職請求に関する議会の
 議決の日から6ヶ月間は行うことができない。
 自治体の首長が受理した場合、直ちに議会に付議し、
 当該議会において議員の3分の2以上の者の出席により、
 その4分の3以上の同意があったときに解職される。

 条件:選挙権を有する者の3分の1の数
    の署名押印を一ヶ月以内
 参考数:約25324人分

2009年2月13日 (金)

旧柏崎トルコ文化村問題は「政争の具」?

 1時過ぎ、偶然見つけたカプセルホテルにチェックインし、6時まで仮眠。

 7時、チェックアウトし、新幹線で柏崎まで戻る。途中、ハムとチーズのサンドイッチ、牛乳、おにぎり(鮭)で朝食。

 10時過ぎ、自宅に到着。

 11時から13時過ぎまで、市内某所での商店街活性化の案を練る会議に出席。環境問題への対応を含めた店舗の提案をさせてもらった。

 14時、事務所に戻り、柏崎の海洋生物の変化などの資料をまとめようとするも、電話が相次ぐ。内容は、トルコ文化村問題についての事実確認であった。

 16時、大粒納豆、生卵、スモークサーモンでご飯2杯をかっ込んで遅めの昼食。

 16時30分から某所において、サバイバルゲームやアウトドアゲームに関する打ち合わせ。その間も多くの電話があり、同じくトルコ文化村問題についての事実確認。

 18時過ぎ、事務所に来客。

 19時30分から柏崎青年会議所の事務局に移動し、第2回エネルギー環境問題検討委員会に出席する。市内一斉のビーチクリーンや環境問題を訴える例会の内容などを詰める。

 22時、事務所に戻り、議事録などの事務仕事。

 22時30分、大粒納豆、ポテトサラダ、焼き鳥(たれ、皮)3本、豚汁でご飯2杯の夕食をとる。

Img_1811 今日頂いた電話の多くは、トルコ文化村問題についての事実確認であった。
 何がきっかけでより多くの人に再度知られるようになったかは不明であるが、この問題こそは柏崎市だけの問題ではなく、国際信義に関わる問題であることを知ってもらうだけでも、ありがたい話である。
 旧柏崎トルコ文化村問題の譲渡前からアタチュルク像、そして売却後に問題が起こったときのための買い戻し特約を指摘してきたが、会田市長はまったく無茶苦茶な進め方をし、案の定、問題となり、裁判沙汰となった。そして、現在まったく解決していない。
 さらには、現に裁判になっていることから「いい加減な契約」をするからこうなるんだ!と私が発言しただけで糾弾しようとした社会クラブの矢部議員をはじめ、会田市長を擁護したい議員、そして市役所関係者は、この旧柏崎トルコ文化村問題自体を、まさに「政争の具」扱いをしている(「政争の具」扱いをすることで問題を矮小化)。
*今回、この問題が再度知られることになったことも、三井田が仕掛けていると陰謀論でも語っていることであろう。

 柏崎市役所に電話したところ、

 「トルコ文化村は何も問題になっていない。
  騒いでいるのは一部(議員)だけ」

と某市役所職員から言われたという市外の方からもお電話を頂戴したが、柏崎市民の税金を使って裁判までしているなか、よくこんな【嘘】が言えたものだ。
 某市役所職員の発言に限らず、この問題を矮小化したい連中は、

・焦点をぼかす
 アタチュルク像は民間会社があったときにもらったから関係ない。
 トルコ国内でのアタチュルクの評価など。
 議員と市長の政争の具になっている、市長選で負けた腹いせ等の嘘。

・指摘する側の信用失墜
 問題を指摘している議員は、どこかから金をもらっているなど。

などのパターンを繰り返している。

 誰が真実を言っているのか
 必ず分かってもらえると思い、とにかく情報を発信し続けたい。

*私がトルコの国旗を逆さに掲示したとの匿名メールも頻繁にあるが、私がそのような事をしている画像があれば是非、見せてもらいたいものである。
 柏崎トルコ文化村関係者から私が金をもらっているなどという、いかにも一般受けそうな嘘も同様。倒産した会社からどうやって金をもらうのであろうか。

2009年2月12日 (木)

納豆本企画、食べ比べ
日教組問題究明議連

 資料作成などが終わらず、徹夜。

 7時、大粒納豆、さつま揚げ、シラスおろしでご飯2杯の朝食をとる。

 8時、東京都内に向かって移動。

Cimg1337  11時、渋谷区の某喫茶店の会議室を借りて、某社から発売予定の納豆本の大手メーカー納豆食べ比べを実施。
 タカノフーズくめ・クオリティプロダクツ旭松食品ミツカンの製品のなかで、スーパーやコンビニに入手しやすいものを選択して、一気に食べ比べと評価を行った。
 途中、青野菜ジュース、山ぶどうジュースで口直し。

 2時間ほどで終わり、その後はチャンネル桜に行き、若干の打ち合わせと懇談。

Cimg1338  14時30分、S嬢と「渋谷 ラーメン大戦争」(東京都渋谷区渋谷1-13-7)に移動する。
 このビルには、4つのラーメン店が入っており、1階は 「麺屋 梵天」(電話:03-3400-0588)、2階は「紀州和歌山らーめん まっち棒」(電話:03-3406-7233)、3階は「つけめん 乱世」(電話:非公開)、4階に「鶏そば うつけ」(電話:03-3400-1344)。今回は4階に入った。
Cimg1339  「鶏そば 730円」を注文。最初にトッピングとして、味を濃くつけたおから、海苔、シナチク、炙った鶏肉が皿で届き、続いて麺が入った白濁した鶏スープが目の前に置かれた。麺は加水率の高いつるつるの麺で、量は少なめ。鶏スープは濃厚なタイプではなく、あっさりとしたタイプで塩ベースであった。
 するすると食べ終わったところで、シメのご飯が届き、スープに入れて雑炊として食べる。
 下の階から香ってくる豚骨の香りが強く、鶏スープの味や香りの印象が強く残らなかったが、おからを使ったトッピング、炙った鶏の味は印象的であった。

 16時、永田町に移動し、某国会議員事務所への陳情や柏崎市への予算配分の確認などを行う。

 16時30分から衆議院第二議員会館第一会議室で開催の日教組問題究明議連勉強会に出席。依頼していた資料の回収もあったので、講師の自民党・山谷えり子参議院議員、自民党・義家弘介参議院議員に挨拶もできず、中座させてもらう。

 20時過ぎまで資料整理などを行い、柏崎への帰路に着こうとしたところ、某マスコミから取材依頼の電話があり、文京区に移動。

 若い世代に向けた近現代史秘話の出版企画など23時過ぎまでの長い会議となった。

 24時、出版社近くの「松屋」で、「味噌てりチキン定食 580円」をライス大盛りにしてもらい、夕食にする。

2009年2月11日 (水)

皇紀2669年建国記念の日(旧紀元節)
「道徳」の教科化を

 2軒目の某スナックで2時間ほど過ごしたのち、3軒目として、ショーがあるお店に入り、2時間ほど懇談。英語かスペイン語か不明な会話となる。

 3時過ぎに帰宅し、シャワーを浴びたのち、就寝。

 8時、起床。大粒納豆、目玉焼き、水菜サラダでご飯2杯の朝食をとる。

 「建国記念の日」イベントがあるため、身支度をしていたところ、会社の電話が鳴り、パソコンの増強とサーバーの復旧依頼があった。

 9時から13時まで市内某社にて、復旧作業。データのサルベージやメモリの増設、ハードディスクの入れ替えなどの作業を行う。途中、コンビニで購入した納豆巻き2本、低脂肪乳、野菜ジュースで昼食をとる。

 14時過ぎ、防災関係のエキスパートであるH氏がお越しになったので、自宅の方でお茶を飲みながら情報交換。今後の商店街の活性化案などを話し合う。

 16時から前市議会議員のご自宅にお邪魔し、先日のインド慰霊調査の報告。その後、道路計画の陳情など色々なお話を伺う。

 18時から21時まで柏崎青年会議所の事務局で、エネルギー環境問題検討委員会の委員長と事業計画などをつめる。

Cimg1335 22時、自宅に戻り、冷蔵庫の残りもの、挽き割り納豆でチャーハンを作り、わかめスープとともに夕食。
 残りものを全部入れてしまうという方針で、乾麺から茹でた蕎麦も入れてしまったが、これは失敗であった。

 先日、日本青年会議所が塩谷立文科相に「道徳」の教科化を提言した。
 日教組の過激な活動家をはじめ、大きな抵抗が予想されるが、是非、文科省には真剣に検討、推進をしてもらいたいと思う。


平成21年1月7日『産経新聞』

「道徳」の教科化を
JCが文科相に提言

 日本青年会議所(JC)の小田與之彦会頭は、文部科学省に塩谷立文科相を訪
ね、小中学校の学習指導要領で「道徳」の教科化を求める提言書を手渡した。
 提言書では、現状の「道徳」授業について「授業時数が確保されず、教える内容も担保されていない」と形骸化への懸念を示し、「検定教科書の不在が教師の混乱を招き、教師の勉強不足や能力による格差が生まれている」と指摘。
 教科化の壁とされる点数評価については「国語と同じように行う」とし、検定教科書には偉人伝や天皇の歴史、武道・茶道など「道」を盛り込むべきーなどとしている。
 小田会頭は2041人の賛同署名も提示。JCによると、塩谷文科相は「道徳教育の重要性は認識している。教科化は一つの手法に過ぎないが、提言をきちんと検討したい」と話した。JCは「道徳の授業はどうあるべきかという議論を国民の闇に広げていきたい」としている。

2009年2月10日 (火)

柏崎JC2月例会「ふるさとを考える」
~市政への興味関心を高める~

 3時、就寝。

 7時、起床。大粒納豆、板わさ、卵焼き、野沢菜の古漬けでご飯2杯の朝食をとる。

 午前中は、柏崎青年会議所の本年度所属委員会であるエネルギー環境問題検討委員会での行う例会のための事前調査を行う。

Cimg1328 12時、一旦、自宅に戻り、「うれっ子」(電話:0257-22-4648)の「チャーシューメン大盛り」で昼食をとる。
 食後から事務所にこもり、資料の整理や依頼されていたノートパソコンの修理などを行う。
 ノートパソコンの修理は、パンク状態になっていたコンデンサの交換と液晶バックライトの交換で完了。

 15時、17時と事務所に来客があり、柏崎活性化のアイデアを話し合う。

Cimg1329 18時過ぎ、柏崎青年会議所の平成21年2月例会「ふるさとを考える ~市政への興味関心を高める~」のため、柏崎商工会議所に移動。
 18時30分から例会が開始、今回は公開例会ではないが、市議会議員2名、そして市内の市政に関する勉強会「ステップワン」の皆さんがオブザーバー参加された。
Cimg1330 今日の例会の担当は、ふるさとリフォーム委員会。
 例会は3部構成で、まず第一部の基調講演として、会田洋・柏崎市長が約40分間の講演を行った。

「100年かかる8号バイパスの進展は私が市長になったから」
 → 歴代市長をはじめ、国会議員、県議などの陳情の成果

「私が市長になったとき、財政調整基金は360万円しかなく、私の貯金よりも少なかった」
 → 他に50億円もの公共施設用基金があった。
   さらに言えば、中越大震災の対応の最中で、西川前市長は財政調整基金までも使って、復旧を行っていた。

「私が市長のうちは、絶対赤字にはならず、収支は合う」
 → 基金(貯金)を使うだけのこと。

とツッコミ満載の内容であったが、今回は来賓できてもらう立場であり、質疑応答もなし。

 続いて第2部として、委員会メンバーが調査してきた柏崎市の人口や雇用の実態、そして柏崎市の財政状況の発表があり、市議会議員へのアンケートの結果も発表された。

 「三井田提出のアンケート回答」

Cimg1332 そして第3部として、模擬議会を行った。
 本来であれば、この模擬議会を本物の柏崎市議会の議場を使って実施することで、より議会を身近に感じてもらえるはずであったが、会田市長与党議員の反対にあい、議場で実施することができなかった
 現在の柏崎市議会は、市民に開かれた議会とは真逆を向いている。

 模擬議会の議案とその趣旨は以下の通り。

模擬議案
「議第1号 海上自衛隊基地を柏崎市に誘致する案」
(pdf形式)


<第3部「模擬議会」の議案 趣旨説明>

模擬議案「海上自衛隊基地を柏崎市に誘致する案」

■企画の趣旨

 「まちづくり」を考える時に、現実社会では行政と市議会があり、いろんな議論と検証の中で実施されていきます。本当は市議会本会議や市議会委員会審議を傍聴すれば、その経緯や議論などを見聞きできるのですが、普段そのような時間を持つのは中々困難であります。
 身近であるべき市政のお話が、少し遠い存在に感じられるのは、こういった機会がなかなか作れない事にもあると思います。結果として興味関心が薄れ、まちづくりを積極的に考える事も疎かになりがちになります。
 そこで当委員会では「模擬議会」を開催し、市政の仕組みを学び、模擬議会を通じてまちづくりについて考える機会を創り出したいと考えました。
当然の事ながら、「賛成討論」と「反対討論」の議論を交え、最後に「採決」を採りますので仮想議員の皆さん、例会当日までに賛成か、反対か考えておいて下さい。

■議案選定の趣旨

 仮想議員のみなさんから活発な議論をして頂くのに、どのような議案が良いかを委員会で検討し、上記の議案に決定しました。議案選定の趣旨は以下の理由に依りますのでご理解下さい。
①賛成・反対の意見が半分ずつになりそうである事。
 「討論する過程でまちづくりについて考える」事が目的なので、みんなが賛成またはみんなが反対するような議案では意味がありません。
②模擬(シュミレーション)なので、大胆かつ現実味がありそうで興味をもってもらう事
③柏崎の将来像を創造させるような議案である事
④柏崎の財政または経済に貢献できるような議案である事


Cimg1333 ふるさとリフォーム委員会のW委員長が市長となり、議案の提案理由を説明。
 質疑応答は省略し、そのまま討論となった。討論は賛成と反対両方があり、その後に記名投票による採決。
 結果は、

賛成24 反対23 無効票12

で可決となった。
 W委員長のまとめののち、恒例の(突然、指名の意味で)ガチンコ3分間スピーチ。テーマは、 「もし私が市長だったら」というもので、「来そうだな・・・」と思っていたら案の定、トップバッターの指名を受けた。
 3分間ということで、テーマを絞り、原子力財源を利用した粒子線医療施設の開設を訴えた。簡単にいえば、

「がんが治る、
 環境とエネルギーのまち・柏崎」

を作るということであり、自分自身の市議会議員選挙の際の公約でもある。
 スピーチののち、色々なメンバーから、「選挙のときにもっと言えば良かったのに」等、ありがたいご指摘を多く頂戴した。

Cimg1334

 例会終了後、「割烹 みずち」(0257-22-2455)にて懇親会。
 新入会員メンバーと挨拶をし、ビールや焼酎を飲む。
 途中、ゲーム大会も催され、あわやビリとなってイッキ飲みの刑になりそうなところ、間一髪、ブービーで勝ち抜けできた。

 23時過ぎ、2次会として、市内某スナックに移動する。

2009年2月 9日 (月)

柏崎JC「ふるさとを考える」アンケート
全市議会議員への5つの質問

 2時、就寝。

 7時、起床。インドとは、たった3時間30分の時差でしかないが、やはり時差ボケがあるようで、朝から仕事全開モードにはなかなかならない。

 9時、大粒納豆、シメ鯖、白菜の漬け物でご飯2杯の朝食をとる。

 12時過ぎまで、相談や仕事の依頼の電話が相次ぎ、何一つ自分の仕事ができず。

 13時、冷凍しておいたパスタ(スパゲティ)とトマトケチャップ、ソーセージ、ピーマンでナポリタンを作り、昼食をとる。

 15時、17時と来客。就職の相談であったが、本人ではなく親御さんだけがお見えになったため、本人と会わずに相談には乗れないとお話させてもらった。

Cimg1327  20時30分、ラム肉でとった肉系のスープ、にぼしパウダーとかつおぶしでとった魚系のダブルスープ方式で作った蕎麦、小粒納豆で夕食をとる。
 ラーメンはダブルスープ方式で成功している事例が多いので、蕎麦でもやってみようと思ったのだが、それなりに納得のいく蕎麦に仕上がった。
 今回は乾麺を使ったので、次回は生蕎麦を使ってチャレンジしたい。

 柏崎青年会議所から平成21年2月例会「ふるさとを考える」の開催に向けて、柏崎市議会議員全員への質問状が届いた。
 私自身、柏崎青年会議所に所属はしているが、委員会が違うため(所属はエネルギー環境問題検討委員会)、あくまで市議会議員としての私への質問だとして、以下のように回答した。
 他の議員がどのように回答したのか、例会当日の発表が楽しみである。
*青字が三井田の回答


質問内容

 柏崎市に対するご意見をお聞かせください。
 世界恐慌、100年に一度の大不況と言われるほど全世界が不況のおり、柏崎市も例外ではないと思われます。今後も加速しそうな経済衰退の中、早め早めの対策が必要ではないでしょうか。
 そこで現段階での柏崎の市政、財政、今後の展望、効果的な政策や対応策、柏崎市の対する思いや考えをお聞かせください。

1.財政について短期的、長期的にやるべきことは何だと思われますか?

短期的:
 (1)新潟県内でも高額な市職員人件費の圧縮
 (2)公の施設の統合
 (3)公共事業の市内業者への発注と市内での消費拡大
 (4)質問2で詳細を述べる原子力関連税収の見直し
 (5)プルサーマル計画の推進

長期的:
 (1)ガス民営化をはじめ、市職員の適正数の見直し
 (2)原子力発電以外の財源となるための企業誘致

  ・法人税と労働者人口の増加に伴う税収入を目的と
   し、原子力との対立概念ではなく、エネルギー分野
   とその他の分野(企業、海上自衛隊)も視野に入れ、
   複数の財源を形成する。
 (3)柏崎刈羽原子力発電所のリプレイス計画の推進
  ・老朽化が進んだ原子炉を、より効率化・大出力
   となる新型原子炉へプレイス(入れ替え)

2.柏崎市が今後最優先で行うべき政策は何だと思われますか?その理由も合わせて3つほどお聞かせください。

 (1)財政の再建と原子力税収の検討
  ・質問1の通りの財政再建
  ・使用済み核燃料税(5年おき見直し)の税率アップ
  ・核燃料税のアップを新潟県に要望
      新潟県:12% → 県80%、市町村20%
      福島県:14% → 県70%、市町村30%
  理由:あるもの(原子力発電所)を活用し、
     まずは事業の原資たる財政の安定をはかるため

 (2)高速鉄道への取組み(整備新幹線含む)
  理由:鉄道は、道路など十年単位の話しではなく、三十年
     以上のスパンで検討すべきことである。環境問題へ
     の対応から現に流通が車から鉄道に戻る(モーダル
     シフト)よう国全体も動いており、市内の産業界・企業
     誘致のためにも早急に取り組むべき。

 (3)粒子線がん治療の施設、人材育成
                 →がんこそ市民の敵

  理由:柏崎市を「がんが治るまち」にするため。
     全国で粒子線がん治療施設の試験がはじまって
     おり、人材不足が予想される。
     人材育成機関の創設を早急に検討し、同時に人材
     育成という大義をもって粒子線がん治療施設本体の
     建設もすすめる。

3.10年後の柏崎市はどうなっていると思いますか?

 10年後は、環境問題への対応から、アジア各国をはじめ世界の主要国で新規の原子力発電所が建設され、運転がはじまる頃。国内においても、石油の直接利用が減り、電気の利用に変わる。大地震を経験した世界最大の原子力発電所であり、原子力のみならず、他のエネルギーや放射線技術の活用をして、世界から注目される「がんが治る、環境とエネルギーのまち・柏崎」になっている(なってほしい)。

4.より分かりやすく、開かれた議会にするために必要なことは何だと思われますか?

 (1)現職議員による出前議会報告を市内各地で行うこと。
 (2)審議結果、その過程などインターネットのさらなる活用。
 (3)学生をはじめ市民団体での模擬議会など、
  議会制民主主義の普及活動。

5.柏崎市の一番好きなところ、どんなところでもかまいませんのでお聞かせください。

  柏崎の近現代史を学ぶことで知った『柏崎市民の底力』。
  昭和15年、柏崎市制誕生となる以前、そして市となって以後も「産業なし」「陸の孤島」となると、必ず柏崎を思う人物、集団が現れ、地域に活力を戻してきたこと。

2009年2月 8日 (日)

議会改革公開学習会
「市民に開かれた議会・市民との情報共有」

 すぐ寝ようとするも、目が冴えてしまい、荷物の片付けなどを行って6時に就寝。

 10時に起床して、シャワーを浴びたあと、11時から市内某所にて打ち合わせに出席する。

 14時、コンビニで購入した納豆巻き2本、低脂肪乳で昼食をとったのち、ワークプラザ柏崎に移動。

Cimg1324 14時30分より第1・2研修室で開催の議会改革公開学習会『「市民に開かれた議会・市民との情報共有」を目指した実現日揮した伊賀市議会議会改革に学ぶ』 (主催:柏崎市議会・公明党)に出席する。
 会場には多くの市民の方、現職の議員が集まり、資料が不足して追加でコピーするほどの盛況ぶり。
 冒頭、柏崎市議会・公明党代表の真貝義委員から、以下のような開会の挨拶があった。

 今の柏崎市議会は改革が立ち止まっているように思う。
 これからの柏崎市は公共料金の値上げラッシュとなる。市民生活を守るとは何か、よく議論する必要があるのではないか。それゆえ、議会の責任は重い。
 整風会から出された議員定数の議論が、打ち切られた経緯をみると、議会についてより多くの柏崎市民の皆さんによく考えてもらいたい。

 まったく同感である。
 議会の中の事は市民には分からないであろう、として選挙のときの顔と議会内の顔が異なる議員が多いことも知ってもらいたいと思う。

Cimg1325 続いて、メインである三重県伊賀市議会議員 本村幸四郎氏による講演「開かれた議会と市民との情報共有を目指して」
 この伊賀市議会は全国の区・市議会で初めて「議会基本条例」を制定した議会であり、その改革の立役者たる方が講師である。
 大まかな内容は以下の通り。


 現在8期目、議会のあり方検討委員会委員長。
 34歳で上野市議会議員に当選。
 約3ヶ月で83団体、600人以上の市民との対話集会を開催し、議会改革を推進し、条例を制定した。
 全国初の議会基本条例である。
 生まれは昭和19年で、長崎の普賢岳の近くで産声があげた。その後は左官の丁稚奉公に始まり、大阪や周辺都市を仕事でまわるような職人として生活の糧を得ていた。
 いままで、民間が好調のうちには、行政や議会になかなか目を向けてもらうことはできなかったが、今は違う。
 議長選挙も市民に公約を示して、立候補するように改革した。
 議員だけで議会のことを決めることは困難だとして、議員を選ぶ市民との対話を始めた。
 集会は、演説会ではなく、あくまで対話なので10名以下の人数で集めた。
 集会で意見を聞くと、議会中継をみている人が多かったが、ほとんどの意見が学芸会以下というものだった。
 また、出来の悪い議員と罵る市民も多かったが、その議員を選んだのは誰かというところまで言ったところ、多くが、黙ってしまった。
 そして、地縁や血縁、一緒に酒飲んだからという基準で議員を選ぶような状態のままでいいのか、と主張を続けた。
 対話の結果、定数、報酬の問題がその大部分であった。
 定数は下限が決まっていないので、その根拠を決めようということになり、面積と財政、近隣類似自治体を条例に盛り込んだ。


 「配付資料」(pdf形式)

 16時過ぎに終了。集会後も片付けを手伝ったのち、色々な方と情報交換を行う。

Cimg1326 買い物などを済ませ、18時30分、自宅に戻る。
 妹が作った餃子を焼き餃子にし、グリーンアスパラなどの野菜サラダ、五斗納豆の納豆巻きで、冷たいビール500mlを4本ほど飲み、夕食にする。

 食後、事務所にこもり、インドに行っていた間に届いた郵便物などを処理。

2009年2月 7日 (土)

インドからの帰国
チャンネル桜 地方議員特集収録

Cimg1311

 0時(現地時間、時差-3.5時間)、機内食での夕食。日本時間では夜中の3時過ぎとなる時間の食事であるわりには、かなりのボリューム。
 ベジタリアンかノンベジタリアンかの選択には、もちろんノンベジタリアンを選び、あとは帰るだけであるため、赤ワインをもらった。チキンカレーが中心であったが、あまり美味いものではなく、パンにバターが一番美味しく感じた。

Cimg1312 5時過ぎ(現地時間、時差-3.5時間)、2回目の機内食として、軽食がでた。内容は、クロワッサンにバター、甘いアップルパイ、ピンクグレープフルーツとパイナップルの盛り合わせである。
 そろそろ日本時間に体調を合わせるために、ワシワシと食べるも米ではないので、力がつかず。

<ここで3時間30分の時差を戻す>

Cimg1313 日本時間の9時30分、成田空港に到着。
 入国審査を通り、預けておいた荷物をピックアップして、税関を抜ける。
 健康状態の申告でお腹の調子の悪い方、という表示もあったが、そのまま通り抜けてしまった。

 ツアー参加者皆さんがバラバラとなってしまったので、ご挨拶もできずに解散となった。

 途中で雑用を済ませながら、成田空港から東京都内に向かう。

Cimg1315 12時過ぎ、渋谷区のチャンネル桜に到着。日本風のものを食べようと思ったものの、ズバリの店がなく、近くにあった「ファーストキッチン 青山学院前店」(電話:03-5467-3674)で「ダブルチーズベーコンエッグバーガー」「チーズポテト」「ミルク」を購入し、昼食にする。インドで食べたパンと違って、日本らしく?感じる味である。
 
 13時からスタジオに入り、「日本よ、今・・・・闘論!倒論!討論!2009」の地方議員特集「地方から中央へ攻め上れ 草莽崛起を実践する地方議員たち」に出演。
 私の他のパネリストは、

・東京都武蔵村山市議会 天目石要一郎議員
・東京都大田区議会 
犬伏秀一議員
・東京都荒川区議会 
小坂英二議員
・東京都議会 
小磯明議員
・埼玉県議会 
鈴木正人議員
・東京都杉並区議会 
松浦芳子議員
・大阪府八尾市議会 三宅博議員

のよく知った仲の同志であり、司会はチャンネル桜の水島総代表という、かなり濃いぃ~メンバーでの討論である。 3時間という長丁場であったが、特に言いたい地方自治での問題として、地方公務員制度、歴史認識を上げ、我が柏崎市の問題として、原子力やエネルギーに関することをお話させてもらった。
 生活保護をもらいながらパチンコに勤しみ、形式上の離婚をして2つの家庭で生活保護をもらう実態、そして政治的イデオロギーに染まっていた日比谷の派遣村問題まで、かなり突っ込んだところまで各議員が発言し、盛り上がった時間であった。

Cimg1318  収録終了後の17時30分過ぎ、東京都荒川区議会の小坂英二議員、埼玉県議会の鈴木正人議員、東京都杉並区議会の松浦芳子議員とともに、「レストラン アンファン」(電話:03-3797-5695)で懇親。
 「明太子と木の子の和風スパゲティー 850円」を食べ、日本的な味に安心する。

Cimg1323 懇談ののち、群馬県伊勢崎市に移動。
 群馬県伊勢崎市議会の伊藤純子議員に会って、渡すものを渡したのち、21時過ぎ、 「麺屋 五郎蔵」 (電話:0270-22-5666)で「五郎蔵つけ麺大盛り 950円」で夜食?
 かなりの太麺でうどんに近い感じであり、麺もつゆも嫌いな部類ではないが、相性が今一歩という感があった。

 移動中、睡魔に襲われつつも、24時、自宅に戻る。

2009年2月 6日 (金)

インド人の核保有意識
仏舎利に出会う

 6時(現地時間、時差-3.5時間)、起床。まだお腹の調子は戻らず。

Cimg1295  熱めのシャワーを浴びたり、荷物のパッキングなどをしたのち、8時(現地時間、時差-3.5時間)過ぎに一階のレストランに移動して、朝食をとる。
 気持ちの良い朝なので、オープンテラスに席を作ってもらい、ご飯、フルーツミックスジュース、梅干し、ベーコン、ヨーグルトなどを食べる。

Cimg1298  9時30分(現地時間、時差-3.5時間)、団体バスに乗り込んでホテルをでて、ガンジーが荼毘に付された場所であるラージガートに向かう。
 交通渋滞もあり、10時15分(現地時間、時差-3.5時間)、ラージガートに到着。過去に2回来ているので、何気なく元帝國陸軍人であった北村氏と英語も混ぜながら、INA(インド国民軍)の話で時間を潰していたところ、インド人の小学生に囲まれてしまった。
090206_jan  北村氏はINA創設にも関わり、主に宣撫工作などでビルマ、フィリピンで活躍されていた。INA(インド国民軍)の婦人部隊ジャンシー聯隊の観閲式に参加した経験もあるそうで、周りに集まった小学生は、チャンドラ・ボースのことも含めて色々と質問をしていた。
 インドらしいと思ったのは、核保有についてである。小学生の引率で来たであろう先生らしき40代の男性は、日本とインドがパートナーとなり、アジアを引っ張っていくべきとした上で

 「日本は原爆を落とされたのに、
        なぜ原爆を持たないのか。
  落とされた国だから、
     持つ権利は我々インドよりもある。
  インドも核を持つまで大変だった。」

なんと日本も核保有すべき、という意見。個人的には同意するところであるが、一応、日本には非核三原則があると説明した。しかし、私の英語表現がヘタだったのか、あまり伝わっていないようであった。

 11時30分(現地時間、時差-3.5時間)、ホテルに一旦戻り、休憩。まだお腹の調子が戻らないので、トイレとソファを行ったり来たり。

 12時30分(現地時間、時差-3.5時間)、ホテルをチェックアウトし、団体バスで昼食の会場に出発。

Cimg1304  13時(現地時間、時差-3.5時間)、昼食をとる北インド料理レストラン「Moti Mahal Delux-Southend」(20/48, Malcha Marg Market, Chanakya Puri 電話:2611-8698)に到着。人気のお店のようで、日本大使館関係者であろうか、日本人の奥様グループなどの多くの日本人も利用していた。
 タンドゥーリ・チキンや長めで薄くパリパリしたナンなどに加え、お気に入りのほうれん草のカレーを食べ、14時15分(現地時間、時差-3.5時間)までくつろぐ。

Cimg1307_2 14時20分(現地時間、時差-3.5時間)、ラクシュミー・ナラヤン寺院に向かう。この寺院はセメント事業で財をなしたビルラ氏が寄進したヒンズー教の寺院で1938年に建てられたもの。
 華やかな建物は、大理石と赤い砂岩を使ったオリッサ様式で建てられている。
 ラクシュミーはナラヤンの妻であり、ヒンズー教の夫婦が奉られており、別棟にはシヴァ神とその妻ドゥルガーも奉られている。
 中に入ってみたかったが、時間がないため、外からの写真撮影のみ。

 14時40分(現地時間、時差-3.5時間)、王宮をシーク教寺院に改築したデリーで一番大きい寺院・バングラ・サヒブ寺をバスの車窓から見学。

Dsc00060 15時5分(現地時間、時差-3.5時間)から約1時間、インド国立博物館(National Museum)を見学する。
 日本語のオーディオセットを借り、古代インド美術から順々に見て回る。
 ガンダーラ仏などを観ていると、その表情はアジアというよりは、確実にアーリア系の血が多く入っているような顔つきに気付いた。その時代、時代によって仏像の表情は違うということは、頭では解っていたが、実際に目の前で本物をみると、ガツーンとした衝撃を受ける。
 仏教美術の最後の目玉は、特別展示されていた仏舎利(入滅した釈迦が荼毘に付された際の遺骨及び棺、荼毘祭壇の灰塵)であった。

Cimg1308 16時30分(現地時間、時差-3.5時間)、ツアーのお約束とも言える、お土産用の紅茶専門店に連れて行かれる。
 紅茶はある程度の品を、3つほどだけ購入し、その後はダウンタウンといった感じの周辺を散策。
 笑ったのは、自動車修理工場の「MOTO KARE」(元カレ)の看板であった。

Cimg1309 再び、団体バスに乗り込み、17時10分(現地時間、時差-3.5時間)にインド門を通過しつつ、19時(現地時間、時差-3.5時間)にデリー(インディラ・ガンジー)国際空港に到着。
 今回のガイドをしてくれたジャギー氏にお別れの挨拶をしたのち、搭乗手続きを行う。
 厳重なセキュリティチェックを受け、1時間30分遅れの22時40分、AI306便に搭乗する。機体は同じくボーイング777-200LRであり、乗客率はなんと20%ほどと少ない。
 23時5分、やっと離陸。ほとんどの席が空いているため、水平飛行に入った段階で、好きな席に移動し、横になって仮眠をとる。

2009年2月 5日 (木)

ディマプールからデリーへ

 お腹の具合も悪く、数時間寝ては起きてトイレに行くことの繰り返しとなったので、6時に起床し活動を開始する。

Cimg1276_2 7時(現地時間、時差-3.5時間)から全員で朝食をとる予定であったが、旧帝國陸軍人の北村氏をはじめ関係者のインタビューを撮影したため、若干の遅刻。
 甘いトースト2枚に無塩発酵バター、スクランブルエッグ少々、塩をかけたインディカ米のおかゆ、甘いアイスティーで朝食をとる。

090309_post

 昨夜取材を受けた内容が、今朝の地元新聞の『Nagaland Post』紙一面に写真とともに掲載された。
 多言語の現地において、英字新聞に掲載されたということは、より多くの方に読んでもらえることを意味する。
 写真の下のキャプションは以下の通り。

「Group of Japanese comprising World War III veterams,businessmen,Government official,and journalists,at Hotel Saramati Dimapur on arrival from Kohima on Wednesday.The team earlier visited Imphal to commemorate World War II Japanese soldiers.」

 7時50分(現地時間、時差-3.5時間)にホテルをチェックアウトし、団体バスで出発する。

Cimg1281 8時20分(現地時間、時差-3.5時間)、ディマプール空港に到着。
 インパールからここディマプールまでバスの運転や案内をしてくれた現地ガイドにお別れの挨拶をしたのち、旅券と航空券を空港警備員に提示して中に入る。
 厳重なセキュリティチェックを受けたが、その係員が空港の掲示板に貼られた新聞を観ながら、

 「ここに掲載されているのは、君らか?」

と話しかけてきたため、10分ほど話し込む。仕事中なのに、そんなに雑談していていいのか、とこちらが心配する勢いで話し込んだ。

Cimg1283 ディマプール発ゴーハティ行きのフライト(CD7752)は10時(現地時間、時差-3.5時間)に飛び立つ予定であったが、何かあったのか、インド時間ということで、10時20分(現地時間、時差-3.5時間)過ぎにやっと離陸した。
 使用機種は、フランスとイタリアが共同開発した双発ターボのプロペラ機ATR-42-320。座席数は42席しかなく、案の定、搭乗率は100%であった。

Cimg1284 水平飛行に入った10時40分(現地時間、時差-3.5時間)、軽食がでた。メニュー内容は、コッペパンのような形状のちょっと甘いパンにバター、パイ生地で挽肉のカレーを包んで揚げたもの、チョコチップの入ったスポンジ生地でさらにチョコレートペーストを挟んだものの3種類。
 はっきり言ってしまえば、全然好みではない。しかし、食べ物を残すのが嫌いなので、完食した。

Cimg1287 11時25分(現地時間、時差-3.5時間)、乗り継ぎであるゴーハティ空港に到着。
 乗り換え便のIC880便が11時45分発(現地時間、時差-3.5時間)となっているので、急いで乗り変え口に向かうも、こちらも出発準備が大幅に遅れていた。
 12時25分(現地時間、時差-3.5時間)にやっと離陸。使用機種はエアバスA320、搭乗率は95%といったところ。上昇途中に見えたチョモランマが美しく、いつまでも見ていたい気分になった。

Cimg1288 13時(現地時間、時差-3.5時間)、機内食のランチ。選択は、ベジタリアンかどうかであり、ノン・ベジタリアンを選択した。内容は、マトンカレーとチキンカレーの合いがけ、小さなパンとバター、レモン汁がたっぷりかかったサラダ、ナッツの入った砂糖の固まりのようなプディング、ミネラルウォーターである。どうしてここまでカロリーを高くするのか?という内容のメニューであるが、残すのも癪なので完食した。

Cimg1290_2 15時10分(現地時間、時差-3.5時間)、デリー(インディラ・ガンジー)国際空港に到着。正直、やっと都会?に帰ってきたという安堵感があった。
 交通渋滞もあり、16時30分、初日と同じ宿泊先である「THE LALIT NEW DELHI」(BARAKHAMBA AVENUE CONNAUGHT PLACE 電話:011-2341-1001)に到着。係の不手際で、チェックインに30分以上かかり、イラついてきたところを、ウェルカムドリンク(オレンジジュース)で誤魔かされる。

 
 
  Cimg1289 Cimg1293 Cimg1294

2009年2月 3日 (火)

セングマイ、カングラトンビで慰霊
インパールからコヒマへ

Cimg1145 4時(現地時間、時差-3.5時間)、起床。既に外は明るく、ホテル近くの市場も活発になっているようだったので、ホテルのベランダから写真をとる。
 朝の散歩がてら、ホテルの外を歩こうと思ったものの、強烈な便意が何度もおそってきて、トイレにこもりっきりとなる。
 水ではなく、予想では一昨日夜の屋台の食べ物が効いてきたのではないかと思う。

Cimg1146 7時(現地時間、時差-3.5時間)、朝食。
 刻んだ野菜が入ったオムレツ、甘い食パンのトースト、青々としたバナナ、茹で卵、無塩発酵バター、おかゆなどが用意されたので、またも茹で卵を5個、無塩発酵バターをたっぷりつけたトーストなどを食べる。

 今日の全行程は130km、気温も28度以上である。

 9時40分(現地時間、時差-3.5時間)、ホテル出発。ホテルのクリーニングを利用した高山正之氏のお話を聞いたところ、下着+Yシャツ数枚などをクリーニングにだしても40ルピー(約80円)ほどで、バリバリにノリの効いた仕上がりだったそうである。

Cimg1156 10時5分(現地時間、時差-3.5時間)、セングマイに到着。
 セングマイは、昭和19年4月18日、インパールを目指した第15師団(祭)右突進隊、京都の部隊である歩兵第60聯隊(聯隊長 松村弘大佐)の最到達地点である。
 インパールから北約20kmの最後の関門セングマイ高地へ歩兵第60聯隊は第2回の夜襲を敢行、聯隊砲1門のみでは‾突撃支援射撃が出来ず戦死者91名を出して失敗。
 同年4月19日、歩兵第60聯隊の第2大隊(大隊長 内堀次郎少佐)はセングマイ高地頂上まで上ってきた敵戦車の躁欄と敵の迫撃砲により、戦死傷者100数十名の損害を出した。

Cimg1157 セングマイ高地を望むインパール川の河原に行き、黙祷のあと、『海ゆかば』を合唱。
 戦後は、ここに慰霊のためのお寺があったが、3年前の台風で流されたという。
 現地の方も多くでてこられ、お互いに主たる言葉ではない英語を使って、しばしの交流。今でも日本軍人を尊敬しているという、お年寄りにも会えた。

Cimg1168  セングマイを後にし、10時45分(現地時間、時差-3.5時間)、インパール北北西15kmのカングラトンビに到着。地名のカングラトンビは、カングラが「ドライ・乾いた」、トンビが「若い」という意味で、若く乾いた土地という意味をもつ。
 英印軍補給部隊の慰霊墓地があり、上官が来るとのことで、アッサムライフル連隊の儀伏兵と軍楽隊がいた。
 昭和19年4月7日、第15師団(祭)右突進隊、歩兵第60聯隊第3大隊は夜襲成功後、隠れていた英印軍戦車3輌に躁爛され潰滅状態となった。第11中隊長・長石虎之助中尉、機関銃中隊長・田中敬造中尉ら68名が戦死、大隊長・福島銀市少佐も重傷。

Cimg1173 11時45分(現地時間、時差-3.5時間)、ミッション(現在はガンポビ)に到着し、見晴台で地形の確認。
 12時10分(現地時間、時差-3.5時間)、インパール川に架かる1番目の橋、長さ約15mを確認する。
 コヒマ-インパール道の補給路を遮断するため、昭和19年3月28日、第15師団(祭)、敦賀の部隊である歩兵第67聯隊第3大隊(大隊長 本多宇喜久郎大尉)日本軍はこの橋を爆破、停止した英車輌30以上を破壊した。
 本多宇喜久郎大尉が歩兵第67聯隊第3大隊に着任した際、部下将校の殆どが士官学校出身で占められていたため、かなりの戦果がだせると本人は思ったという。
 歩兵第67聯隊第3大隊は歩兵砲2門の内1門を帯同、行動開始後10日間無線封鎖をし、ミッションの橋を爆破後、師団に報告した。
Cimg1175 12時20分(現地時間、時差-3.5時間)、インパール川に架かる2番目の橋、長さ30mを確認する。
 昭和19年6月22日、ミッション付近の第15師団(祭)歩兵第67聯隊(連隊長 松村弘大佐)の陣地も突破され、コヒマ-インパール道は完全に英印軍の手中に陥ちた。
Cimg1184 この2番目の橋のふもと、河原において、歩兵第67聯隊の動けぬ傷病兵がグルカ兵により、生きたままタンカごと焼き殺された。
 その無念もあるかと思い、河原において、慰霊祭を実施。
 国旗「日の丸」を掲げ、日本から持参した酒、水をまき、黙祷のち、『海行かば』合唱した。

Yamautimasafumi  第15師団(祭)の師団長・山内正文中将は当時結核であった。
 マラリヤに倒れ、後送された山内正文中将は師団長を解任され、死の床で、

 「撃つに弾無く、今や豪雨と泥浮の中に傷病と飢餓の為に戦闘力を失うに至れり。第一線部隊をして此れに立ち至らしめたものは実に第15軍と牟田口の無能の為なり」

と語った。
 インパール作戦の大きな戦術ミスはこの言葉に尽きる。

 悲劇のインパール作戦ではあったが、インド独立への大義は伝わっており、インパール北方約18kmの4950高地山頂付近にあるマパオ部落では、今でも『日本兵を讃える歌』が現地で歌い継がれている。
 マパオには、第15師団(祭)、歩兵第51聯隊(聯隊長 尾本嘉三雄大佐)が進出していた。歌の大意は、

 「ある日この平和に満ちた美しいマパオの丘に日本兵がやって来て、勇敢に戦ったが、インパール入りの目的を果たせず、空しく引き返さざるを得なかった、村人達も散り散りになったが神の恵みを得て、叉集まってきた。去っていった日本の兵士の無事を祈る」

というものである。

Cimg1185 13時50分(現地時間、時差-3.5時間)、曲がりくねった道途中の自称・ホテルという「View Point Hotel」に弁当を持ち込み昼食にする。
 ホテルは「飲食店」の意味で使われているものの、掘っ立て小屋そのもので、壁には女性のグラビアが貼ってあり、出せるものは白湯のみという。
Cimg1186 無料で弁当持ち込みで場所を借りるわけにもいかないので、とりあえず白湯を注文。しかし、でてきた白湯は茶色く濁った生ぬるいものであった。さすがに飲むことができずに、床に流す。
 昼食の弁当は、チーズのサンドイッチ、青いバナナ、茹で玉子2個、焼きそばであった。

 少し休憩をしたのち、14時35分(現地時間、時差-3.5時間)に出発。

Cimg1188  14時50分(現地時間、時差-3.5時間)、標高1390mのマラム分岐点に到着。コヒマから撤退し、インパール街道を遅滞しながら南下してきた宮崎支隊は、ここからウクルルに向かった。
 現地では、あまり日本人がくることがないのか、周りには見物の人だかりとなった。

Cimg1195  マラム分岐点を後にし、インパール街道を走っていると、16時(現地時間、時差-3.5時間)、あまりの悪路の為、バスがエンスト。
 さらには急な砂の坂道で、バスの馬力とタイヤのグリップがないため、登ることができず、少しでも荷物を軽くしようと、ツアーメンバーが降りて、何とか登ることができた。

 16時25分(現地時間、時差-3.5時間)、マニプール州最後のチェック・ポイントであるマオソンサンを通過し、16時30分(現地時間、時差-3.5時間)、ナガランド州に入る。
 コヒマはナガランド州の首都で人口155万人である。
 16時35分(現地時間、時差-3.5時間)にナガランド州最初のチェック・ポイントがあり、17時30分にもチェックポイント。

Cimg1197  17時50分(現地時間、時差-3.5時間)、宿泊先の「HOTEL JAPFU」(PR Hill, Kohima, Nagaland 797 001 電話:370-224-3439)に到着した。
 早速、部屋に入ってみるが、案の定、お湯がでず、トイレなどはバケツ式である。
 また、インパールと同じで停電が多く、電力が安定していない。

Cimg1200 ホテルのロビーで、昭和54年に日本、そして我が柏崎にお越し頂いたコヒマ三人娘のうち、アジャノさん、アルオイさんとお会いすることができた。アルオイさんの姪っ子さんは、日本人と結婚されたそうだ。
 今でも日本の旧軍人との交流は続けており、遺骨収集のための情報も引き続き集めているという。
 アジャノさんは、現在、ナガランド州の観光を担当する部局で活躍されているとのことで、ナガ族の資料も頂戴した。
 一番お聞きしたかったメレンさんご夫妻の現在については、残念ながらご夫妻とも鬼籍に入られたとのことで、明日、ご令嬢にお会いできるよう手配して頂いた。
 インドに眠る英霊への慰霊に加え、柏崎刈羽地区のインパール作戦に関係した旧軍人の方に、ご報告ができる視察となった。


昭和54年7月10日『新潟日報』

 日印友好 上越で確認
 遺骨収集に協力のインド人 謝意込め招く

 太平洋戦争のインパール作戦で約三千人の戦死者を出した歩兵第五十八聯隊の生還者で組織する「歩五八会」(西田将会長)のインドでの遺骨収集に協力してくれたインドの娘さんら五人の一行が同会の招きで九日、上越市などを訪れ同会会員や遺族らの歓迎を受けた。
 一行は、インドナガランド州コヒマで遺骨収集の現地監督をした同州儀典次官補のメレンさん夫妻と五十八連隊がインパール作戦で作戦行動をとった旧コヒマ村の村長の娘・アジャノ・ベルホーさん(一九)や現地で遺骨収集に献身的に協力してくれたメングノ・アンガミさん(二一)、アルー・セクホセさん(二三)の五人。
 遺骨収集団の派遣は昨年でインド政府により打ち切られたが、彼女たちは今後も遺骨を捜し回り、巡拝団が訪れた際に渡してくれることになっている。このため、同会ではそのお礼の意味でかねてから「日本に行ってみたい」という彼女たちの希望にこたえようと会員から四百万円余の募金を集め、招待することにした。
 一行は、五日に来日、東京見物などをした後、八日には越後湯沢で開かれた歩五八会新潟大会に出席した夕方、新潟市を訪れ、県庁を表敬訪問したり、日本の着物を着せてもらって繁華街を見物、同夜は同市に泊まった。
 九日は柏崎市青海川の自然休養村にある「痴娯の家」を見学、昔、五十八連隊が駐とんしていた上越市を訪れた。市役所庁舎正面にマイクロバスで到着した一行は、近くの大曲保育園児六十人が振る日印両国旗の小旗のなか植木市長や市職員らの出迎えを受けた。
 メレン氏は「温かい歓迎に感謝します。インドにはまだ多くの遺骨が残っていますが、今後も協力していきたい。また日本を訪れる機会を楽しみにしています」とあいさつ、インドの民族衣装をまとった三人の娘さんも出迎えた園児と握手を交わしたり、その覚えたての「ホタルの光」を歌ってみせたりして歓迎にこたえていた。一行はこの後、同市の有沢製作所を訪れ、地元の若者と交流、上越厚生南会館で開かれた戦友会や遺族らによる歓迎パーティーに出席後、東京へ向かった。なお、一行は京都などを訪れた後、各地で歓迎を受け十五日に帰国の予定。


昭和54年7月10日『柏崎日報』

 コヒマの友人ようこそ・・・
 さわやかに日印親善
 インドの娘さんら 柏崎でも盛んな歓迎

 海からのさわやかな風が吹き凍れる緑の柏崎自然休養村で九日、日本、インドのなごやかな国際親善風景がくりひろげられた。
 これは太平洋戦争中最も激烈な戦いとなり、三万人の日本兵が死んだインパール作戦生き残りの兵士たちが昨年戦友の遺骨収集を行った際、現地の人たちから献身的な協力を受けた。とくにコヒマ地区では州政府の高官メレンさんとその夫人、またコヒマ村村長の娘アジャノ・ベルホーさん(一九)ら三人の協力ぶりに涙ぐましいものがあったことから、これら五人旧高田歩兵五八連隊の歩五八会が今回日本に招いたものである。一行はさる四日に空路来日し東京から新潟入りしたもので中越地区では柏崎自然休養村が会場となった。
 この日午前十一時、多数の人たちが日印両国の小旗を打ちふって出迎える中を一行のマイクロバスが痴娯の家前に到着、この時歓迎の花火が打ちあげられて歓迎ムードをもりあげた。一行は痴娯の家の玩具、人形を見学したのち岩下館長から一人一人にガラスケース入りの大きな日本人形を贈られ大よろこびだった。
 このあと米山山荘に移動して歓迎会に入ったが来賓として招かれ今井市長は「不幸な戦争で柏崎市民も多く死にました。遺骨収集に協力して頂き感謝に耐えません。このたびはほんとうによくいらっしゃいました。平和の日本の姿をよく見ていって下さい。そしていつかまた日本へ来て下さい」とあいさつした。招かれたメレンさんは通訳を通じ「私たちは勇敢な日本の兵士を忘れず今でも敬慕の心をもっている。いま平和で美しい日本に招いて頂いて本当にうれしい」とお礼の言葉をのべた。そして乾杯、昼食ののち会場の正面玄関に招待者たちによって記念樹のモミの木が植えこまれた。
 こうして一行は再びバスに乗り日本語で何度も「アリガトウ、サヨナラ」の言葉をくりかえし、次の予定地の上越市に向かったが、この時見送る旧軍人たちの間から当時戦地で故郷をしのんで歌った蛍の光が湧き上った。


Cimg1203 19時(現地時間、時差-3.5時間)から夕食となり、「どうぞご自由にビュッフェ形式です」ということであったが、料理の種類は四種類ほどで選ぶも何もなく、全種類を少しずつプレートに盛っても場所が余るほどであった。
 チーズカレー、マトンカレーを中心に、アルコール度数8%のビールを飲みながら、ナンとライス両方で楽しむ。

 21時(現地時間、時差-3.5時間)から、一部屋に集まり、酒を飲みながら、インパール作戦に関するNHKの番組「NHKスペシャル ドキュメント太平洋戦争 第4集 責任なき戦場 ~ビルマ・インパール~」を観てから、インパール作戦について語り合う。

Cimg1201 24時(現地時間、時差-3.5時間)、部屋に戻って、就寝しようとするも、強烈な便意が波状攻撃のようにあり、ベッドとトイレを行ったりきたりする。
 海外旅行でお腹の調子悪くなるのは初めてであり、前回インドに来たときにもならなかった。さすがに奥地まで来ると色々な要因が重なるのであろうか、とにかく酷い下痢である。

2009年2月 2日 (月)

サンジャック、ウクルルにて慰霊

  4時(現地時間、時差-3.5時間)、一旦、目が覚めるも、あまりにも周りが暗すぎ、再度、就寝。

 6時(現地時間、時差-3.5時間)、起床。インターネットが使えない環境のため、撮影した写真の整理などネット環境がなくてもできる仕事などを行う。

Cimg1051  8時(現地時間、時差-3.5時間)、ホテルの1階に朝食。青々としたバナナ、卵を薄くのばして焼いたオムレツ、茹で卵、トースト、無塩発酵バター、おかゆなどが用意され、臭みのないレモン色の黄身をした茹で卵を5個、無塩発酵バターをたっぷりつけたトーストで3枚ほど食べる。

Cimg1052 ホテルの前にでて、ふと上を見ると、電柱に尋常ではない数の電線が張られているのが見えた。停電も1時間に何回もあるうえ、配電がこの状況では、近代化はまだほど遠いであろう。
 8時45分(現地時間、時差-3.5時間)、移動のためのバスに乗り込む。身分確認があったときのために、パスポート持参。
 交通渋滞がひどく、インパール地方のテロリストの暴発に警戒する軍人・軍用者が多いため、移動にはかなりの時間がかかった。

Cimg1057_2 9時20分(現地時間、時差-3.5時間)、インパール北方15kmのカメン村に到着。
  昭和19年4月3日、第15師団(祭)本隊・歩兵第67聯隊第10、第11中隊の2個中隊が敵戦車に反撃され、第10中隊長・大西中尉ら戦死行方不明59名、戦傷21名でほとんど潰滅状態になった地である。
Cimg1062  誰の遺体かは区別はつかない状況であるが、現地の方は丁寧に土葬してくれていた。
 全員で黙祷ののち、『海ゆかば』を斉唱して、慰霊。
 この墓を是非、このまま維持してほしいと参加者でカンパを1500ルピー集め、カメン村の代表に手渡した。

Cimg1071  カメン村を後にし、ひたすらサンジャックを目指すが、簡易舗装をメンテナンスしていない悪路であり、気分を悪くする人まででる始末。
 州、県などチェックポイントを「袖の下」を渡しつつも通過し、アッサムライフル連隊第17大隊D中隊が駐屯するチェックポイントに到着したのは、11時45分(現地時間、時差-3.5時間)。標高は1585mである。

 12時(現地時間、時差-3.5時間)、インパールから約60kmのサンジャックに到着。

 昭和19年3月22日、第31師団(烈)の左突進隊:宮崎繁三郎中将率いる宮崎支隊は、ウクルル周辺の敵を撃退し、ウクルルから退却する敵を追ってサンジャックに移動した。
 本来、サンジャックは第31師団(烈)の進撃ルートではなく、第15師団(祭)の歩兵第60聯隊、福島銀市少佐率いる第3大隊の攻撃ルート。ウクルル周辺の英印軍を蹴散らした宮崎支隊が先行して現地に到着したため、本来の担当である、歩兵第60聯隊第3大隊との連携が不十分なまま、サンジャックを攻撃することとなった。

日本陸軍の進撃ルートと部隊名

 宮崎支隊・情報主任である柏崎出身・浜中尉(のちにウクルルで戦死)の情報では、サンジャック陣地にいる英印軍は火力を多数有する約1個旅団(2個歩兵連隊)程度としていたが、実際には円筒形陣地・4個歩兵連隊の堅牢な陣地であった。
Cbi_03585  英印軍は分断包囲されると、直径数10kmの円形に集結し、その中央に重砲を置き円周には戦車と機関銃を配置。食糧・弾薬を毎日のように輸送機で空輸するという空陸共同の立体的防御陣地を形成していた。
Cimg1108 スリム中将指揮の英第14軍の基本戦術は、人的損害を避け、分断包囲にあった場合には、円筒形陣地を構築あるいは後方の拠点に後退し、補給線の延びきった日本陸軍を平野部出口で待ち受けて、迎え撃つというもの。日本陸軍は見事、その戦術にハマってしまったのである。

*写真は、サンジャック内にある英印軍の慰霊塔「SHANGSHAK WAR MEMORIAL」。日本軍関係の施設には、柵やはないが、英印軍関係の施設はしっかりと柵がある。

 空からの補給がある英印軍に比べ、日本陸軍の各師団はアラカン山脈の険しい山中移動の為、重砲や野砲を持たず、山砲や重機関銃も規定の半分しか携行出来ていなかった。さらには、インパール攻略を3週間で完遂する計画であったため、将兵の携行弾薬も最小限、糧食は20日分しか用意していなかった。
 第31師団(烈)の左突進隊:宮崎繁三郎中将率いる宮崎支隊は、さらに

・右猛進隊
 高田歩兵第58聯隊第1大隊基幹
         (第1~4中隊)
・中猛進隊
 高田歩兵第58聯隊第2大隊基幹
         (第5~8中隊)
 歩兵団司令部同行
・左猛進隊
 高田歩兵第58聯隊第3大隊基幹
         (第9~12中隊)
 山砲兵第2大隊、工兵1中隊基幹

090202_sanと分担しており、サンジャック陣地正面東方から左猛進隊、西方から中猛進隊で挟み撃ちする作戦をとった。
 インパール方面からの英印軍の援軍が来ることを阻止するため、第1中隊に大隊砲1門、重機関銃2門をつけてサンジャック西方4191高地に配置。
Cimg1085 昭和19年3月22日、中猛進隊(長家大隊長)は第一線に第2大隊第8中隊、第二線として第5中隊、第6中隊にし23日未明にかけて夜襲。左猛進隊(島之江大隊長)はサンジャック東方、7338高地の敵と激戦となってしまい、サンジャックへの到着は遅れ、中猛進隊とのはさみ撃ち攻撃が失敗。
 同日、中猛進隊と左猛進隊の薄暮攻撃するも失敗した。
*写真は、現在のサンジャック

 元歩兵第五十八聯隊編著『ビルマ戦線-歩兵五十八聯隊の回想』には次のようにある。


 二十三日午前三時、第一線たる八隊は猛然と突撃を敢行した。最先頭は愛用の日本刀を翳して突進する伴小隊長である。「中隊長に続け」、「中隊長を殺すな」、と中隊は一団となって突入した。俄然猛烈な銑砲火、手榴弾の炸裂、全山まさに火を噴くかと思われた。
 伴中尉は精練証を有する剣道の達人である。手練の早技で敵兵数人を斬って落し、この時すでに身に数創を受けていたが毫にも屈せず、更に敵陣内深く突入して壮烈な戦死を遂げた。続く小隊長馬場正雄少尉以下もよく中隊長と共に勇戦したが、燐烈な敵火に倒れる者多く、もはや突撃成功の見込みは絶えた。
 この状態を見た長家大隊長は、自ら敢然と第二線部隊を提げて殴り込みの夜襲を決行した。まさに阿鼻叫喚、耳をつんざく銃砲声の間に、「天皇陛下バンザイ」の声が聞えていた。
 戦友の屍を乗り越えて敢行された猛烈な突撃も、一気に敵陣を奪取することが出来ないままに払暁を迎えた。現態勢で夜が明ければ、大隊の苦戦は明らかである。大隊長は機関銃に援護射撃を命じ、大隊本部および各中隊を辛うじて敵方斜面から収容した。この時部下思いの大隊長が、左頸部の受傷個所から鮮血を流しながら、「部下の骨が拾えないのが残念だ」、と男泣きに泣いていたのが今でも忘れられない。


 同年3月24日、宮崎支隊長はサンジャックに到着した右猛進隊(森本大隊長)にコヒマ南方のトマへに直行し、コヒマ・インパール間の連絡を遮断するよう命令した。
 再度、中猛進隊と左猛進隊による薄暮攻撃も失敗。
 同年3月25日、中猛進隊の第2大隊第5中隊(中村中隊長)が、敵陣地中央である教会陣地を西から攻撃、中隊の1部は陣地内に突入し、玉砕した。
Cimg1077 同年3月26日、左猛進隊、第3大隊の島之江大隊長は、予備隊であった第11中隊(西田中隊長)に第6中隊も掌握させ、2個中隊(合計約150名)をもって、攻略することを指示。2個中隊はサンジャック陣地に隠密潜入し、第6中隊は教会陣地、第11中隊は北側陣地を攻撃した。第11中隊長・西田将中尉が小隊長の頃、第6中隊に所属していたため、指揮命令には何の支障もなかった。
*写真は、現在の教会陣地の跡
Cimg1079 思いもかけぬ教会陣地の東側の敵陣地にも手こずり、夜明けと共に激烈な陣地内戦を展開、第11中隊長・西田将中尉も重傷を負う。
 敵陣内に孤立した突入部隊は、時間と共に殲滅されていった。
 同年3月27日未明、宮崎支隊の強襲でサンジャック陥落。遅れて、第15師団(祭)の右突進隊・歩兵第60聯隊第3大隊が突入した。
*写真は、教会陣地への突入路

元歩兵第五十八聯隊編著『ビルマ戦線-歩兵五十八聯隊の回想』には次のようにある。


 やがて二十六日も日は暮れた。連隊長は最後の総突撃を決意し、軍旗を先頭に陣前近く進んでいた。敵の銃砲火は相も変らず無闇と撃ちまくり、隊内には異様な緊張が漲っていた。夜半過ぎ、昼をあざむく照明弾と共に、敵の射撃は一き激しくなり、狂気のような火網は我が突撃を察知したかの如くで、総突撃の前途もあわや……と思われた。
 だがその一瞬、敵の猛射がピクリと止んだ。連隊長は直ちに斥候を派遣した。時すでに遅し。陣内に敵影はなく、折柄アラカンの山嶺に昇った弦月が、冷え切った山上に冷たい光を投げかけるばかりであった。

※サンジャックの戦闘は、敵を殲滅することは出来なかったが、その戦利品は膨大なものがあった。(大砲、迫撃砲、その他各種火器、弾薬、食糧、車両、軍馬等。なお捕虜は約百名)連隊はこれによって装備を強化し、食糧を補充することが出来た。「糧を敵に求める」ということが、インパール作戦における悲しい目論見ではあったが、この時ばかりは実際に目論見通りに行ったのである。しかし、それにしても大きな代償であった。我が方の死傷者は約五百名である。


 一週間近くかかってサンジャックを攻略することはできたが、このため左突進隊のコヒマへの前進は一週間近く遅れた。

Cimg1095 サンジャックの戦地を確認していたところ、INA(インド国民軍)の宣撫工作部隊の一員であったシーシャックさんとお会いすることができた。宣撫工作部隊が先行し、このインパール作戦の大義を現地人に説明していた。シーシャック氏は、インド独立を信じ、INAの一員として日本軍に協力し、宮崎支隊の前方で作戦任務についていたのである。宮崎繁三郎中将とは、昭和19年4月にここサンジャックで会い、支隊撤退時に当地で別れたという。

Cimg1104 当地には、サンジャックの方が大切にしてくれている、西田将大尉が残していった品物が保管されている西田会館がある。
 その前で、日印両国旗を掲揚し、日本から持参した供物を用意して、サンジャックの皆さんとともに、『海ゆかば』を歌い、慰霊祭を執り行った。
 このサンジャックの地には、新潟県人をはじめ、多くの英霊の遺骨が埋まったままである。

 慰霊祭ののち、サンジャック内にある英印軍の慰霊塔「SHANGSHAK WAR MEMORIAL」を見学。丈夫な柵で囲まれていたが、鍵が壊れており、中に入ることができた。

Cimg1116 13時(現地時間、時差-3.5時間)、シーシャックさんのご自宅を開放してもらい、バスに積んでもってきたランチパックで昼食をとる。
 内容は、茹で玉子、甘いバターを塗っただけのサンドイッチ、チキンカレーソースが入った春巻き、青いバナナ、ミネラルウォーターである。

Cimg1118 シーシャックさんのご自宅には、日本陸軍の将兵が残した装備、書籍等が大切に保存されており、アルバムや下士官用軍刀等を手に取って見せてもらった。
 御礼として、シーシャックさんに靖國神社で購入した桜の湯飲みをお渡しした。

Cimg1078 まだ文化的にポイ捨てが横行しているようで、道ばたにはお菓子の包装など、自然には還らないプラスティック製の袋が多く落ちていた。
 ゴミを捨てたらダメということを、言葉が通じないサンジャックの子供に教えるために拾ってみたが、驚いたのは日本のアニメパワーである。袋のデザインは日本のアキバ系アニメであった・・・・。

Cimg1121 13時45分(現地時間、時差-3.5時間)、サンジャックからウクルルに向けて出発。
 険しい山道をひたすら進みながら、当時の日本軍将兵のことを思いつつ、アラカン山脈を見ていると、自然と熱いものがこみあがってきた
 よくここまで来て戦ったものである。現職の自衛官でも旧軍を悪く言う方もいるが、現地に来て、旧軍と同じことをやれるのかどうか、是非、考えてもらいたいと思う。

Cimg1124_2 15時5分(現地時間、時差-3.5時間)、標高1800m、インパールから約80kmのウクルルに到着した。
 昭和19年3月18日に左猛進隊、ウクルル南東10kmの高地で頑強な英印軍に遭遇南15kmのサンジャックからの敵逆襲にあう。
 同年3月19日、左猛進隊、ウクルル南東10kmの7378高地を占領。
 同年3月21日、宮崎支隊長率いる中猛進隊が英軍1個大隊が守備していたウクルルに突入する。
 占領後は、第31師団(烈)と第15師団(祭)の補給基地となっており、前線で糧食・弾薬等が不足した時は当地で補給することになっていた。

Cimg1127 当時の補給基地になっていたところは現在、教会になっており、その片隅をお借りして、慰霊祭を行った。
 日本から持参した供物をお供えし、新潟の地酒、日本海の海水、柏崎の水を周辺にまき、全員で整列して、黙祷。
 『海ゆかば』を合唱した。

Cimg1134  15時50分(現地時間、時差-3.5時間)、ウクルルを出発。
 来た道を帰るだけであるが、暗くなってしまうと、勝手な自治組織、解りやすく言えば山賊のような部族・集団がでてきて、法外な通行料を要求するとのことで、バスは飛ばし気味となった。
 往路と同じ、3つほどのチェックポイントを通って、インパールに戻る。

 18時50分(現地時間、時差-3.5時間)、昨日と同じホテル「HOTEL Nirmala」(M.G.Avenue,Imphal-795 001 Manipur)に到着。

Cimg1142 シャワーを浴びて、ゆっくりしたのち、19時30分から夕食となった。
 バスで揺られすぎて、食欲が多少減退気味なので、冷凍で持参してきた納豆を用意する。しかし、醤油を持参するのを忘れていたことに気付いた。なんたるイージーミステイク。
 ありがたいことに、ツアーに参加のI氏が醤油の小分けパックをお持ちだったので、分けて頂き、醤油で味付けをした納豆を食べることができた。
Cimg1141 カンタ氏も一緒に夕食をとることになったので、一緒に納豆を食べ、かつ日本から持参した柏崎(高柳)の地酒(石塚酒造)を飲みながら、懇談する。カンタ氏は納豆も日本酒も大好物とのことである。
 無農薬の大きいレモンや無農薬黒米などオーガニック製品で輸出できないものか等、ビジネス話で盛り上がる。

 21時(現地時間、時差-3.5時間)、から一部屋に集まって、再度の懇親会。

 24時(現地時間、時差-3.5時間)過ぎ、に就寝する。

2009年2月 1日 (日)

インパール:ロッパチン村の慰霊塔

Cimg0986_2  6時(現地時間、時差-3.5時間)に起床し、シャワーを浴びたあと、ホテル一階のレストランにてビュッフェ形式の朝食をとる。
 日本人客が多いのか、はたまた日本食がブームなのか、さすがに納豆は無いものの、梅干しや沢庵、わかめと豆腐の味噌汁があり、サニーサイドアップの目玉焼きとともにワシワシとかっこむ。
 高山正之氏と同じテーブルとなったため、イスラム圏やいままでの中東での取材秘話など面白いお話をお聞きできた。

 8時30分(現地時間、時差-3.5時間)にホテルをチェックアウトし、デリー(インディラ・ガンジー)国際空港に向かう。気温は32度であるが、乾燥しているため、そんなに暑さは感じない気候である。

Cimg0991 空港の敷地内は撮影禁止であり、自動小銃をもった州兵にパスポートチェックされ、荷物の検査も二重に受けて、空港の建物のなかに入る。
 テロ対策として、機内に持ち込む手荷物にはカメラ以外の乾電池で動く電気機器は全て本体からはずして、預け荷物)に収納するよう指示される。
 30分ほど待たされたが、無事荷物を預け、11時(現地時間、時差-3.5時間)に国内線ゴハーティ経由インパール行きIC889が離陸。機体はエアバスA320であり、乗客率は100%であった。
*デリーからインパールへは直行便がない。

Cimg0988 12時過ぎ(現地時間、時差-3.5時間)、機内食があり、ベジタリアンかチキンかの選択で、チキンを選択。
 ピッキーヌのようなかなり辛い香辛料が入ったチキンカレー、ジャガイモカレー、ライス、チャパティ、トマト、オニオンサラダ、かなり甘い春雨のようなものが入った液体のデザート、ミネラルウォーターであった。全体的に、口に合わない。

 13時(現地時間、時差-3.5時間)過ぎ、経由地のゴーハティに到着し、他のお客さんの入れ替えを約40分待ったのち、再び離陸。

Cimg0990 ゴーハティは、ディマプール・レドへの鉄道の要点で英軍根拠地であった。
 離陸後、即、軽食とあり、内容は、豆カレーをはさんで揚げたパン、チーズとトマトの簡単なサンドイッチ、2枚のかなり甘いクッキー。
 揚げパンがかなりの好みの味であった。

Cimg0995_2  14時(現地時間、時差-3.5時間)過ぎ、かなり乱暴な着陸で、前の席につんのめりながら、インパール空港に到着。
 大東亜戦争当時には、インパールには4つの飛行場があり、現空港は英印軍の南インパール飛行場であった。
 空港内で入境許可書とパスポート、インドへのビザなどを係官2人が2重にチェック。タラタラと仕事をしているため、多少イラついたが、そうまでしないと仕事がなくなる上、お国柄もあると冷静になる。
 チェックののち、預けたスーツケースを回収したが、案の定、投げられたような後があり、キャスターが2つが見事に破損し、転がすことができなくなったしまった。

 現地ガイド役(マニプール、ナガランドなど現地の言葉も異なるため2名)と総合ガイドのジャギー氏の打ち合わせののち、やっと15時15分(現地時間、時差-3.5時間)、団体バスで2926高地(レッドヒル)に向かう。
 道は極めて悪く、常に電動マッサージ機に乗っている感じである。
 ジャギー氏と現地ガイドからマニプール州の説明を受けながらの移動。

<マニプール州>
(1)人種はモンゴロイドが多く人口200万人、マニプール州の宗教は70%がヒンズー教。
(2)ナガランドの南に位置し、ミャンマーとの国境地帯は立ち入り制限区域となっている。マニプールは歴史上、度々ミャンマーからナガス族の武力侵略を受け、大東亜戦争中の一時期、一部は日本軍占領下にあった。
(3)州都であるインパールは、海抜790mで森と湖に囲まれた丘陵地帯。南にはラクタック湖(淡水湖)がある。
(4)分離独立主義グループのみならず、南丘陵地帯ではナガ族とクキ族の激しい抗争が続けている。州内には50の異なるゲリラ組織の存在が確認されている為、マニプール州訪問の外国人はインパール空港発着の航空機でのみ入境が許可されている。
(5)インパール渓谷のメイティ族(ヒンズー系)はビルマ族に対抗する為、1826年英国とヤンダボ条約を締結、英国の支配下に入った。(ビルマはアッサム、マニプルなどに対する権利を放棄)

Cimg0997  15時50分(現地時間、時差-3.5時間)、ロッパチン村の2926高地(レッドヒル)に到着。
 2926高地は日本軍でつけた名前で、第33師団(弓)第214聯隊第2大隊(末田大隊)の最進出の激戦地であるが、レッドヒルという名称はロッパチン村の村民が、日本兵が赤い血を流した丘として名付けた。

090201_2926 昭和19年5月28日インパールまで、あと15kmと迫った2926高地(レッドヒル)に進出し、9日間、孤軍奮闘していた第33師団(弓)歩兵第214聯隊第2大隊約500名のうち大隊長の末田光大尉ら約40名が辛うじてヌンガンの聯隊本部へ生還した。

090201_vil  ここには、アジアで唯一の現地村民が作った日本兵の慰霊塔があり、毎年5月20日に慰霊祭が続けられてきた。
 ロッパチン村モへンドロ・シンハ村長(当時)は、この慰霊塔の建立に際し、次のように語っている。

090201_oldvil 「私達は日本兵がインド解放の為に戦ってくれた事をよく知っていました。私達は食糧や衣類を喜んで提供しました。ところが英軍がそれを知って阻止しました。日本軍は飢餓に追い込まれましたが勇敢に戦い、次々に戦死してゆきました。この勇ましい行為はすべてインド独立の為だったのです。私達は何時までもこの勇戦を後の世まで伝えていこうと思い慰霊塔を建てました。この塔は日本軍人へのお礼と、独立インドのシンボルにしたいのです。その為、村民で毎年慰霊祭を挙行しています」

 当初は、簡単な慰霊塔であったが、1977年に日本関係者の努力により、立派な塔(上記写真は当初の慰霊塔)となっており、碑文などはそれぞれ以下の通り。

Cimg1029正面:
 「インパール作戦々没
         勇士之碑」

 「ロトパチンの碑を守る会」

Cimg1016正面板:
「英霊よ
 
この地で
  安らかにお眠り下さい」

Cimg1019右側面:
「天下泰平 国土安穏
         願以此功徳
 普及於一切 我等与衆生
          皆倶成佛道」

Cimg1021左側面:
於インパール作戦
     
為散華日本兵建之
ー九七七年師走十二日
ロトパチン村民一同」

Cimg1020裏面:
「赤丘に
  我が明日のため骨埋む
日本男児に
  今日ぞ捧げん(牧野財士)」

Cimg1018 慰霊塔横には、多くの戦死者をだした山砲第33聯隊(聯隊長:福家政男大佐) の英霊をまつる「山砲三三聯隊第三中隊戦歿者之碑」も同戦友会の手によって建立されている。
 この地で顔役であり、日本政府によるビルマ方面遺骨収集団の第1回目から協力してくれているカンタ氏ともお会いした。ご本人は、大の親日家であり、ループタイは菊の御紋が入ったもの。今回のツアーにも、危険なゲリラ地帯などには同行してもらうことになった。

Cimg1001 また、同地には平成6年3月25日に日本国政府はインド政府の協力を得て、建立された大型の慰霊公園「インド平和記念公園」(設計:菊竹清訓 銘版:尾川宏 施工:三井建設株式会社)が整備されていた。
 地元民が作った慰霊塔を無視するかのようなものである。
 碑文には、

「さきの大戦においてインド方面で戦没した人々を偲び、平和への思いを込めると共に、日本インド両国民の友好の象徴としての碑を建立する。」

Cimg1011とあるが、建立以降の維持管理はずさんでほったらかし。もちろん、掃除などの維持は、地元民に頼りっぱなしである。日本政府は何をやっているのかと、怒りを覚えた。これなら、地元村民が作った慰霊塔の維持の基金を寄付した方が良かったのではないかと。
 怒りつつも、掃除など面倒みてくれている地元の人にも感謝すべきと、心ばかりのカンパ(20ドル+2300ルピー)を集めて手渡す。

Cimg1009 日本から持参した酒、お菓子をお供えし、日本、インドの両国旗、線香、ろうそくなどで祭壇を作る。
 全員で整列して、黙祷をしたのち、『海ゆかば』を斉唱。
 厳かな雰囲気のなか、慰霊祭を執り行った。

 2926高地(レッドヒル)を後にし、17時20分過ぎ(現地時間、時差-3.5時間)、宿泊先であるホテル「HOTEL Nirmala」(M.G.Avenue,Imphal-795 001 Manipur)に到着。すっかりあたりは暗くなっていた。

Cimg1037  宿泊先のホテルは、インパールのなかでは高級ホテルとのことであるが、案の定、お湯はでず、しかも床が水平ではないため、長時間いると酔いそうな部屋である。
 トイレとシャワーはお約束の手桶式。用を足した後は、不浄な左手を拭かなくてならない。

 夕食までの間、時間があったので、徒歩でインパールの町にでて、ちょっとした売店でスナック菓子を購入したり、露天で売っていた食べ物をつまんでみたりした(これが後で効いてくる)。
 ちょうど結婚式もやっており、軍楽隊なのか、軍服を着た音楽隊が盛大に祝っているところに出くわしたので、一緒になった奇声をあげ、祝う。

Cimg1046 ホテルに戻って、19時(現地時間、時差-3.5時間)に夕食。
 マニプール州はドライ(公では禁酒)州であり、ホテルに頼んでビールを手配するも、日本のように冷たいわけではないため、あまりグビグビとは飲めず。もう一泊するので、冷蔵庫で冷やしてほしいとホテルにお願いする。
 チーズカレーやマトンカレーを中心にナンとライスを食べたものの、何かもの足りず、部屋に戻る。

Cimg1049  夕食後の21時(現地時間、時差-3.5時間)から一部屋に集まり、買ってきたスナック菓子をつまみと免税店で購入した酒で懇談会、軍歌大会?となった。
 やはり色々な方がいらっしゃるので、話をお聞きするだけでも非常に参考になる時間であった。

 24時(現地時間、時差-3.5時間)、就寝。

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