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2009年2月 1日 (日)

インパール:ロッパチン村の慰霊塔

Cimg0986_2  6時(現地時間、時差-3.5時間)に起床し、シャワーを浴びたあと、ホテル一階のレストランにてビュッフェ形式の朝食をとる。
 日本人客が多いのか、はたまた日本食がブームなのか、さすがに納豆は無いものの、梅干しや沢庵、わかめと豆腐の味噌汁があり、サニーサイドアップの目玉焼きとともにワシワシとかっこむ。
 高山正之氏と同じテーブルとなったため、イスラム圏やいままでの中東での取材秘話など面白いお話をお聞きできた。

 8時30分(現地時間、時差-3.5時間)にホテルをチェックアウトし、デリー(インディラ・ガンジー)国際空港に向かう。気温は32度であるが、乾燥しているため、そんなに暑さは感じない気候である。

Cimg0991 空港の敷地内は撮影禁止であり、自動小銃をもった州兵にパスポートチェックされ、荷物の検査も二重に受けて、空港の建物のなかに入る。
 テロ対策として、機内に持ち込む手荷物にはカメラ以外の乾電池で動く電気機器は全て本体からはずして、預け荷物)に収納するよう指示される。
 30分ほど待たされたが、無事荷物を預け、11時(現地時間、時差-3.5時間)に国内線ゴハーティ経由インパール行きIC889が離陸。機体はエアバスA320であり、乗客率は100%であった。
*デリーからインパールへは直行便がない。

Cimg0988 12時過ぎ(現地時間、時差-3.5時間)、機内食があり、ベジタリアンかチキンかの選択で、チキンを選択。
 ピッキーヌのようなかなり辛い香辛料が入ったチキンカレー、ジャガイモカレー、ライス、チャパティ、トマト、オニオンサラダ、かなり甘い春雨のようなものが入った液体のデザート、ミネラルウォーターであった。全体的に、口に合わない。

 13時(現地時間、時差-3.5時間)過ぎ、経由地のゴーハティに到着し、他のお客さんの入れ替えを約40分待ったのち、再び離陸。

Cimg0990 ゴーハティは、ディマプール・レドへの鉄道の要点で英軍根拠地であった。
 離陸後、即、軽食とあり、内容は、豆カレーをはさんで揚げたパン、チーズとトマトの簡単なサンドイッチ、2枚のかなり甘いクッキー。
 揚げパンがかなりの好みの味であった。

Cimg0995_2  14時(現地時間、時差-3.5時間)過ぎ、かなり乱暴な着陸で、前の席につんのめりながら、インパール空港に到着。
 大東亜戦争当時には、インパールには4つの飛行場があり、現空港は英印軍の南インパール飛行場であった。
 空港内で入境許可書とパスポート、インドへのビザなどを係官2人が2重にチェック。タラタラと仕事をしているため、多少イラついたが、そうまでしないと仕事がなくなる上、お国柄もあると冷静になる。
 チェックののち、預けたスーツケースを回収したが、案の定、投げられたような後があり、キャスターが2つが見事に破損し、転がすことができなくなったしまった。

 現地ガイド役(マニプール、ナガランドなど現地の言葉も異なるため2名)と総合ガイドのジャギー氏の打ち合わせののち、やっと15時15分(現地時間、時差-3.5時間)、団体バスで2926高地(レッドヒル)に向かう。
 道は極めて悪く、常に電動マッサージ機に乗っている感じである。
 ジャギー氏と現地ガイドからマニプール州の説明を受けながらの移動。

<マニプール州>
(1)人種はモンゴロイドが多く人口200万人、マニプール州の宗教は70%がヒンズー教。
(2)ナガランドの南に位置し、ミャンマーとの国境地帯は立ち入り制限区域となっている。マニプールは歴史上、度々ミャンマーからナガス族の武力侵略を受け、大東亜戦争中の一時期、一部は日本軍占領下にあった。
(3)州都であるインパールは、海抜790mで森と湖に囲まれた丘陵地帯。南にはラクタック湖(淡水湖)がある。
(4)分離独立主義グループのみならず、南丘陵地帯ではナガ族とクキ族の激しい抗争が続けている。州内には50の異なるゲリラ組織の存在が確認されている為、マニプール州訪問の外国人はインパール空港発着の航空機でのみ入境が許可されている。
(5)インパール渓谷のメイティ族(ヒンズー系)はビルマ族に対抗する為、1826年英国とヤンダボ条約を締結、英国の支配下に入った。(ビルマはアッサム、マニプルなどに対する権利を放棄)

Cimg0997  15時50分(現地時間、時差-3.5時間)、ロッパチン村の2926高地(レッドヒル)に到着。
 2926高地は日本軍でつけた名前で、第33師団(弓)第214聯隊第2大隊(末田大隊)の最進出の激戦地であるが、レッドヒルという名称はロッパチン村の村民が、日本兵が赤い血を流した丘として名付けた。

090201_2926 昭和19年5月28日インパールまで、あと15kmと迫った2926高地(レッドヒル)に進出し、9日間、孤軍奮闘していた第33師団(弓)歩兵第214聯隊第2大隊約500名のうち大隊長の末田光大尉ら約40名が辛うじてヌンガンの聯隊本部へ生還した。

090201_vil  ここには、アジアで唯一の現地村民が作った日本兵の慰霊塔があり、毎年5月20日に慰霊祭が続けられてきた。
 ロッパチン村モへンドロ・シンハ村長(当時)は、この慰霊塔の建立に際し、次のように語っている。

090201_oldvil 「私達は日本兵がインド解放の為に戦ってくれた事をよく知っていました。私達は食糧や衣類を喜んで提供しました。ところが英軍がそれを知って阻止しました。日本軍は飢餓に追い込まれましたが勇敢に戦い、次々に戦死してゆきました。この勇ましい行為はすべてインド独立の為だったのです。私達は何時までもこの勇戦を後の世まで伝えていこうと思い慰霊塔を建てました。この塔は日本軍人へのお礼と、独立インドのシンボルにしたいのです。その為、村民で毎年慰霊祭を挙行しています」

 当初は、簡単な慰霊塔であったが、1977年に日本関係者の努力により、立派な塔(上記写真は当初の慰霊塔)となっており、碑文などはそれぞれ以下の通り。

Cimg1029正面:
 「インパール作戦々没
         勇士之碑」

 「ロトパチンの碑を守る会」

Cimg1016正面板:
「英霊よ
 
この地で
  安らかにお眠り下さい」

Cimg1019右側面:
「天下泰平 国土安穏
         願以此功徳
 普及於一切 我等与衆生
          皆倶成佛道」

Cimg1021左側面:
於インパール作戦
     
為散華日本兵建之
ー九七七年師走十二日
ロトパチン村民一同」

Cimg1020裏面:
「赤丘に
  我が明日のため骨埋む
日本男児に
  今日ぞ捧げん(牧野財士)」

Cimg1018 慰霊塔横には、多くの戦死者をだした山砲第33聯隊(聯隊長:福家政男大佐) の英霊をまつる「山砲三三聯隊第三中隊戦歿者之碑」も同戦友会の手によって建立されている。
 この地で顔役であり、日本政府によるビルマ方面遺骨収集団の第1回目から協力してくれているカンタ氏ともお会いした。ご本人は、大の親日家であり、ループタイは菊の御紋が入ったもの。今回のツアーにも、危険なゲリラ地帯などには同行してもらうことになった。

Cimg1001 また、同地には平成6年3月25日に日本国政府はインド政府の協力を得て、建立された大型の慰霊公園「インド平和記念公園」(設計:菊竹清訓 銘版:尾川宏 施工:三井建設株式会社)が整備されていた。
 地元民が作った慰霊塔を無視するかのようなものである。
 碑文には、

「さきの大戦においてインド方面で戦没した人々を偲び、平和への思いを込めると共に、日本インド両国民の友好の象徴としての碑を建立する。」

Cimg1011とあるが、建立以降の維持管理はずさんでほったらかし。もちろん、掃除などの維持は、地元民に頼りっぱなしである。日本政府は何をやっているのかと、怒りを覚えた。これなら、地元村民が作った慰霊塔の維持の基金を寄付した方が良かったのではないかと。
 怒りつつも、掃除など面倒みてくれている地元の人にも感謝すべきと、心ばかりのカンパ(20ドル+2300ルピー)を集めて手渡す。

Cimg1009 日本から持参した酒、お菓子をお供えし、日本、インドの両国旗、線香、ろうそくなどで祭壇を作る。
 全員で整列して、黙祷をしたのち、『海ゆかば』を斉唱。
 厳かな雰囲気のなか、慰霊祭を執り行った。

 2926高地(レッドヒル)を後にし、17時20分過ぎ(現地時間、時差-3.5時間)、宿泊先であるホテル「HOTEL Nirmala」(M.G.Avenue,Imphal-795 001 Manipur)に到着。すっかりあたりは暗くなっていた。

Cimg1037  宿泊先のホテルは、インパールのなかでは高級ホテルとのことであるが、案の定、お湯はでず、しかも床が水平ではないため、長時間いると酔いそうな部屋である。
 トイレとシャワーはお約束の手桶式。用を足した後は、不浄な左手を拭かなくてならない。

 夕食までの間、時間があったので、徒歩でインパールの町にでて、ちょっとした売店でスナック菓子を購入したり、露天で売っていた食べ物をつまんでみたりした(これが後で効いてくる)。
 ちょうど結婚式もやっており、軍楽隊なのか、軍服を着た音楽隊が盛大に祝っているところに出くわしたので、一緒になった奇声をあげ、祝う。

Cimg1046 ホテルに戻って、19時(現地時間、時差-3.5時間)に夕食。
 マニプール州はドライ(公では禁酒)州であり、ホテルに頼んでビールを手配するも、日本のように冷たいわけではないため、あまりグビグビとは飲めず。もう一泊するので、冷蔵庫で冷やしてほしいとホテルにお願いする。
 チーズカレーやマトンカレーを中心にナンとライスを食べたものの、何かもの足りず、部屋に戻る。

Cimg1049  夕食後の21時(現地時間、時差-3.5時間)から一部屋に集まり、買ってきたスナック菓子をつまみと免税店で購入した酒で懇談会、軍歌大会?となった。
 やはり色々な方がいらっしゃるので、話をお聞きするだけでも非常に参考になる時間であった。

 24時(現地時間、時差-3.5時間)、就寝。

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