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2009年5月

2009年5月31日 (日)

雨のなかのECOACTION2009
ビーチクリーンかしわざき

 0時過ぎ、もう1軒ということになり、お店を移動。結局、2時30分過ぎにやっと帰宅できた。シャワーを浴びたのち、就寝。

090531_bc

 5時30分、起床。大粒納豆と生卵でご飯をかっこんだのち、身支度をして家をでる。
 今日は柏崎青年会議所主催であり、副委員長を務めるエネルギー環境問題検討委員会が担当する「ECOACTION2009 ビーチクリーンかしわざき」である。
 その準備もあり、6時に中央海岸に集合とのことであったが、車を違う場所に置いていたことをすっかり忘れており、早朝から全力疾走し、車を取りに行く。雨も強く降ってきており、出鼻をくじかれた感じである。

Cimg0276  6時過ぎ、中央海水浴場の駐車場にて、清掃を実施する石地海水浴場、大崎海水浴場、長浜海水浴場、高浜海水浴場(椎谷)、高浜海水浴場(宮川)、高浜海水浴場(大湊)、番神海水浴場、西番神海水浴場、東の輪海水浴場、鯨波海水浴場、西鯨波海水浴場、薬師堂海水浴場、青海川海水浴場、笠島海水浴場、上輪海水浴場、米山海水浴場、そして中央海水浴場の計17海水浴場で使う備品をより分け、現地に運ぶ。

Cimg0284 「おい!今日ホントにやるの?」という問い合わせも多かったが、決行を決断。7時、自分の管理担当箇所である笠島海水浴場、上輪海水浴場、米山海水浴場に受付の机をはじめ、備品をセットしたのち、一番ゴミが多い米山海水浴場の清掃メンバーに混ざって、海岸清掃を開始した。
 本来のスタートは8時であったが、地元の方が早くお見えになったのと、あまりのゴミの多さに前倒ししてのスタートとなった。

Cimg0281 パッケージをみる限り、ゴミのほとんどは日本のどこかから流れ着いたものであるが、ハングル文字で書かれたもの(それもリポビタンDのパチもの)や北京語のゴミもかなり多く、なかには北京オリンピックの会場記念ライターもあった。
*次回、韓国に行った際には、ガンダムをはじめパチもののおもちゃを集めてこようと思う。

Cimg0291 雨が降るなか、地元の町内会長をはじめ、地元の方が朝から8名ほどお見えになり、また釣りをしていた方にもご協力頂いて、みっちりと2時間の海岸清掃。
 10時過ぎには、
米袋で約150体のゴミを集めることができた。

Cimg0276Cimg0295

 

 


 (実施前)    (実施後)

Cimg0304 11時30分、みなとまち海浜公園に柏崎青年会議所の参加メンバーが集まって、「ECOACTION2009 ビーチクリーンかしわざき」の閉会式。理事長挨拶、委員長による参加者報告(仮集計の段階で参加人数約500名)、室長謝辞、監事講評を行った。

 閉会式ののち、今日使った資材を急いで片付け、13時から某町内会の集まりに顔をだせてもらう。

Dsc00136 14時過ぎ、 「ソルト・スパ潮風」 (電話:0257-21-6661)に移動し、反省会に出席。
 2回目の昼食となるので、満腹ということもあり、なかなか食が進まなかったが、生ビールに続き、焼酎の一気飲みをしたことで、何とか完食した。食べ残しなしである。シメ近くには、お約束のソフトクリーム。

Dsc00137  かなり反省会が盛り上がり、17時、柏崎青年会議所のメンバーでもある「ささ川」(電話:0257-23-2702)に移動。いも焼酎の水割りを飲みつつ、プチトマトと塩、自家製イカの塩辛、そしてビーチクリーンの御礼として地元の方から頂戴した浅蜊で作ってもらった浅蜊のバター焼き、スパゲティ・ボンゴレを食べる。
 19時過ぎに終了、朝6時からの長時間イベントであった。

 事務所に戻り、資料の整理など酔っていてもできる事務仕事を行ったのち、届いていた『正論』 『月刊WiLL』などの月刊誌を読む。

2009年5月30日 (土)

ラブ・ジ・アース ミーティング12th
海岸清掃

 3時、就寝。

 7時、起床。大粒納豆、粗挽きソーセージ、山芋の梅酢漬けでご飯2杯の朝食をとる。

090530_love 食後、家周りの掃除をしたのち、海岸に向かう。
 今日は、全国からバイカーが集まって、「海岸でゴミを拾おう!」をメインテーマに海岸清掃を行う「ラブ・ジ・アース ミーティング12th」と柏崎マリンスポーツ連絡協議会主催、柏崎観光協会共催による今年2回目となる海岸清掃が行われる。
 明日の柏崎青年会議所主催の「ECOACTION2009 ビーチクリーンかしわざき」のお願いもあることから、2日間連続しての海岸清掃となる。

Cimg0272「ラブ・ジ・アース ミーティング12th」チラシ(pdf形式)

「第12回ラブ・ジ・アース ミーティングのメインテーマは、「海岸でゴミを拾おう!」です。キレイな海を未来に残そう。そして、世界につながる海と向き合うことであらためて地球の存在を確認しよう。この地球でいつまでもバイクに乗り続けることができるように、一緒に始めませんか?」

●後援:柏崎市・環境省
●ブース出展協力
柏崎観光協会/WIMA JAPAN/上野商会/WWF JAPAN/ドライバースタンド/YSPメンバーズクラブ
●特別協賛
ホンダ/ヤマハ/スズキ
●協賛雑誌
アウトライダー/アンダー400/オートバイ/カスタムピープル/ガルル/カワサキバイクマガジン/スクーターファン/タンデムスタイル/バイカーズステーション/BikeJIN/バイクブロス/バックオフ/ビッグマシン/別冊モーターサイクリスト/ミスターバイク/モーターサイクリスト/モトチャンプ/ヤングマシン/レディスバイク/ロードライダー
●協力
YSPメンバーズクラブ/モビリティランド/NMCA日本二輪車協会/全国二輪車用品連合会/全国オートバイ協同組合連合会/Like a Wind
●プレゼント・チャリティ協賛
ホンダ/ヤマハ/スズキ/イエローコーン/岡田商事/刀会/クシタニ/SHOEI/デイトナ/トタルルブリカンツジャパン/ドライバースタンド/ナップス/フラッグシップ/ラフ&ロードスポーツ

Cimg0270 柏崎青年会議所の同じ委員会メンバーのNさんと待ち合わせ、9時30分過ぎ、シーユース雷音の裏に参加者が集まり、さっそく海岸清掃を開始。
 天候は曇り、たまに雨もパラパラと落ちてくる感じであった。
 ゴミの多くは、コンビニの弁当やお菓子の袋、飲み物。流れついたゴミというよりは、海に遊びにきたものの、ゴミを持ち帰らずにそのまま置いていった様子である。
Cimg0269 そのまま砂の上に投げっぱなしになっているゴミの他に、わざわざ穴を掘って埋めたのか、コンビニのレジ袋の中に弁当や缶ビールの空き缶など色々なものを入れたまま、地中に埋められているものもあった。ゴミをトルにも一苦労。穴を掘る時間があるなら、ゴミ箱まで持って行ってもらいたいものである。
Cimg0271_2 また、一部のマナーの悪い方であろうが、釣りの仕掛けや餌のパッケージもそのままになっており、軍手をしていたから良いものの、仕掛けも手に刺さってしまった。
 11時、海岸清掃終了。柏崎マリンスポーツ連絡協議会主催、柏崎観光協会共催の海岸清掃への参加者が約40名、「ラブ・ジ・アース ミーティング12th」が約480名、約3トンのゴミを集めることができた。
 関係者にご挨拶をしたのち、一旦休憩。
 その後、「ラブ・ジ・アース ミーティング12th」のステージイベントを見させてもらう。
 出展ブースも多くあり、その売り上げの10%とオークションの売り上げ全額(計7万2150円)はWWF JAPAN(世界自然保護基金ジャパン)へ寄付されるとのこと。
 全国から柏崎にお越し頂き、海岸清掃など柏崎を盛り上げて頂いた、バイカーの皆さまに感謝するのみである。

 ステージイベントの司会である近藤スパ太郎氏にもご挨拶させて頂いたのち、市内某所に移動し、打ち合わせ。

Cimg0273 途中、「自民党・・・民主党・・・」とマイクの音が聞こえてきたので、何かと思えば、宗教法人「幸福の科学」を支持母体とする政党「幸福実現党」の街宣活動であった。
 同党は、次期衆議院議員選挙において、全選挙区から候補者をだすという。麻生太郎首相の福岡8区には、『金田一少年の事件簿』の漫画家・さとうふみや氏を擁立したそうである。

 12時過ぎ、一旦、自宅に戻り、ご飯の上にボイルしたグリーンアスパラ、ブロッコリー、挽き割り納豆をのせ、缶詰のミートソースをかけたミート納豆ライスで昼食をとる。
 食後、柏崎青年会議所の「ブログの輪」への書き込みや、柏崎市議会の『議会だより』の編集後記を脱稿。

 「海の柏崎」と言われる我が郷土ですが、私が小さな頃の海といえば、浜での遊びも盛んでした。瑪瑙やハリセンボンが落ちていないか波打ち際を探しまわって、気を抜くと大波をかぶり、はたまた浜ぐみを採ったり、・・・
                   (以下、本紙にて)

 14時から17時まで、市内某所で政策に関する打ち合わせ。途中、今日東京都渋谷区で開催されたNHK「JAPANデビュー」に抗議する国民大行動・第2弾の情報が入ってきた。前回参加させてもらったときには晴れていたため、1000名を超える皆さんが集まった。今回、東京は雨との話を聞いていたので、どうなるものか心配していたが、ふたを開ければ前回に引き続き、1000名を超えたそうである。北海道、名古屋、大阪でも同時に行われており、いかにNHKへの批判が多いのかが分かる。

 明日の柏崎青年会議所「ECOACTION2009 ビーチクリーンかしわざき」やその後の懇親会の事など、各種準備をしたのち、19時から市内某氏宅での意見交換会に出席。
 かなりの量のビール瓶や焼酎の瓶が空いた21時、市内に繰りだそうということになり、某スナックにて2次会となる。カラオケも歌うことになり、お約束の「ウルトラマンレオ」を最初に歌い、まわりはドン引き。

2009年5月29日 (金)

平成21年第3回臨時議会
議員定数削減の議論進まず

 0時過ぎ、もう1軒行こうということにあり、2時過ぎまでカラオケなどで懇親。

 3時近くに帰宅し、シャワーを浴びたのちに就寝する。

 8時、起床。大粒納豆、卵焼き、イカの塩辛、高菜の油炒めでご飯2杯の朝食をとる。

 9時過ぎに市役所に移動し、会派室で所属会派内での打ち合わせ。

Cimg0258  10時、第3回臨時議会に出席。日程は1日で議題は、専決処分4件(地方税法の改正を受けての税条例、都市計画税、国民健康保険税条例それぞれの一部の改正、新型インフルエンザ対策の一般会計補正予算保健衛生費456.6万円+消防費461万円の計917.6万円)、職員の給与に関する条例等の一部を改正する条例である。
 5月の人事院勧告に則ったものであり、引き下げの場合はさかのぼっての適用ができないため、6月の支給前に議決必要となる。内容としては、職員給与の引き下げは期末手当と勤勉手当の合計で20%となる。議員は1.5ヶ月引き下げ、特別職も1.5ヶ月引き下げ。
 職員については、8月の通常の人事勧告にてまた調整するとのことであり、今後も民間との格差について監視する必要がある。
 議案はすべて可決し、閉会。
 その後、市長からの報告事項として、株式会社研精舎の民事再生手続き申請に関わる市民の雇用対策の説明があった。
 株式会社研精舎は昭和42年に柏崎に進出した企業であり、柏崎工場と小国工場で社員370名が解雇となる。民事再生手続きは、平成21年5月25日の午前中に申請があったとのことで、負債総額185億円、債権者は250名。同24日に社員全員に解雇の通告をしたとのことで、28日に債権者説明会が実施され、柏崎工場は閉鎖と発表された。しかし、今後の再生計画案のなかでどう変わるか分からない。
 市内の関連企業への影響は、いま現在、債権がある会社が12社で、うち5社は同業種。市としては、ハローワーク、商工会議所、新潟県との連絡会議を実施し、当面の対応を協議している。しかし、会社側からの情報がほとんど入ってこないという状況である。

Cimg0259  10時30分から議会だより編集委員会に出席。前回提案の『市議会だより』に、重要議案についての賛否を各議員・会派ごとに掲載する件については、賛成多数となり、次回発行平成21年7月20日No137号分より反映されることになった。南魚沼市、長岡市等の議会だよりでは既に行われている。
 また、次回の編集後記を担当することとなった。

Cimg0260  11時20分から議会運営委員会に出席。前回の委員会で、整風会・平成会の2会派合同で発行した市政報告チラシについて、謝罪もしくは見解を求める、と異常な事態になった続きの会議である。
 しかし、会議にでてみれば、前回は全文筆記の議事録だったにも関わらず、今回は速記者もおらず、全文筆記議事録の体制ではなかった。このままだと、後年、議事録を読んでも、前回以降のことや我々の見解を求めた今回の会議の記録は残らず、経緯を追えなくなってしまう。あくまで、全文筆記議事録を要する議員定数削減の審査に、なぜか我々の市政報告が審査に影響するから、と審査を中止されたものであり、途中の記録も全文で残すべきものである。
 公明党からも同様の意見があり、会議の最初から議論となった。結果は、次回の全文筆記議事録をとる会議の冒頭で、経過説明を入れるというところで落ち着いた。

 懸案の市政報告のチラシについては、以下のような回答をだした。


                 平成21年5月29日
                 整風会代表 丸山敏彦
                 平成会代表 吉野芳章

        回  答

 先の議会運営委員会にて、当二会派合同で発行した市政報告について、誤りであるとの指摘を受けましたので、回答致します。

 市政報告につきましては、信念に基づき、広く市民の皆様に報告したものであります。
 主旨は、議員定数を削減するか否かであり、何ら恥じるものではなく、先に述べたように議員としての信念として、発行について一切謝罪する気はありません。

 なお、字句の訂正につきましては、次回の市政報告にて周知することといたします。

                以 上


 しかし、結局、二会派で出した回答が納得できないということになり、また会派に持ち帰りとなった。
 二会派の市政報告があるから、議員定数削減の議論ができないとして、この請願を流す(次の議会閉会までに議論がはじまらなければ廃案)ことを狙っているのであろう。そして、議員定数削減の議論ができなかったことを、整風会・平成会の市政報告のせいだ!というストーリーにするのではないかと思われる。

 この流れを整理するとこうなる。

A.現在審査すべき市民から請願
  
(議会内の活動)

B.二会派合同の市政報告
  
(議会外の議員活動、政治活動)
 内容:議員発案した定数削減議案の報告
       
Aの請願についてではない
 【指摘された点】
 1)請願の審査範囲について「次の議会『開会』まで」
   → 「次の議会『閉会』まで」
 2)「議員定数削減に反対」
   → 「本会議での継続審査に賛成しながら、
      議会運営委員会での審議打ち切りに賛成」。
            
実質的に議員定数削減に反対

 本来の議会運営委員会ではを審査するのであって、議会の外の事であるのしかもに関係のない内容について謝罪がなければ議論に入らないとし、しかも字句を訂正した市政報告を発行するという二会派の回答をしても納得がいかない、という。まったく議会機能が喪失した状態である。
 結局、多数の意見により、整風会・平成会への持ち帰りとなった。
 これ以上のことを会派活動として議論するなら、の審査の場である議会運営委員会ではなく、会派代表者会議の場にしてもらいたいものである。

 その他の議題は、議会中の平成21年6月9日に原子力安全・保安院から柏崎刈羽原子力発電所7号機の運転状況についての報告として、全員協議会を開催したいというものであった。

 12時近くに議会運営委員会が終了し、その後は市役所内での調査活動。

 13時、一旦自宅に戻り、冷凍うどんと挽き割り納豆、野沢菜を刻んだもので冷やし納豆うどんを作って昼食をとる。

 14時から16時過ぎまで、事務所にて議事録の作成など期限があるものを片付ける。

 17時から19時まで事務所に2件の来客。

 19時30分、柏崎青年会議所事務局に移動して、ビーチクリーン前の最後のエネルギー環境問題検討委員会の打ち合わせに出席する。

Cimg0261  21時、打ち合わせが終了し、スーパーで食材を買ったのち事務所に戻る。事務所にて仕事関係の月末処理を行う。月末と大きなイベントであるビーチクリーンが重なってしまったので、バタバタである。
 24時近く、スーパーで買った生中華麺、米山町で採れた岩のり、支那竹でつけ麺を作って、夕食にする。つゆは、味噌ベースの鶏骨、椎茸、かつお節。

2009年5月28日 (木)

2014年問題への検討レポート
平成21年第4回定例会質問の通告

 資料の精査がなかなか終わらず、4時に就寝。

 6時に起床し、やりかけの仕事を片付ける。

 8時、大粒納豆、目玉焼き、カリカリに焼いたベーコン、めかぶでご飯2杯の朝食をとる。

 9時、事務所に来客。離職票ができないため、なかなか就職活動ができないものの、なんとか新しい職を見つけたいとのご相談であった。

 10時から12時まで市内某所での打ち合わせ。明日の臨時議会をはじめ、議会運営委員会などの対応を決める。

Dsc00134  12時過ぎ、来客があったので、極太のちぢれ生麺を使い、味噌ラーメンを作って一緒に昼食をとる。スープは、サザエの肝を潰して八丁味噌と混ぜておいたものを基本に、米味噌、ラード、ごま油、ニンニク、かつお節、梅干し、豚骨のスープストックなど和風味噌で作ってみた。具は、酸っぱくなった野沢菜を刻んだものとわけぎのみ。

 14時から15時過ぎまで、市役所をはじめ、各所での資料集め。

 その後、一旦自宅に戻ったところで、来客が続き、16時30分過ぎまで立ち話や事務所内での懇談。

 17時、議会事務局に平成21年第4回定例会での一般質問の要旨を提出する。今回は、柏崎トルコ文化村のことをあえて触れずに、民有地の地権者とウェステックエナジー社の裁判が結審するまで待とうと思ったが、ある製品を置く場所になっていたり、移設後の話もないため、とにかく市長の言葉で現状をどう考えているのか問うことにした。
 通告した質問は以下の通り。

1.旧柏崎トルコ文化村の現状及びアタチュルク像の移設に関する対応について
           → 市長(一問一答形式)
(要旨)
 旧柏崎トルコ文化村譲渡時の計画と現状の違いについてどう認識しているのか。また、アタチュルク像の所有権が返ってきた場合の移設に関して、トルコ共和国とゆかりのある和歌山県串本町や外務省などとの意見調整があるのか、市長に問う。

2.市職員による不祥事対応の厳格化について
           → 市長(一問一答形式)
(要旨)
 先般、教職員による飲酒運転という不祥事があり、氏名を公表のうえ、懲戒免職となった。これまで市職員の不祥事の際、氏名の公表や処分について、甘い対応であったとの批判が市民から多く寄せられている。今後どのように対応するのか、市長に問う。

3.北朝鮮による核実験・ミサイル発射に対する市長の考え、拉致問題への取り組みの状況について
           → 市長(一問一答形式)
(要旨)
 国際的な非難にも関わらず、北朝鮮はミサイルの発射、地下核実験を行っている。また北朝鮮に拉致され未だ帰国できぬ日本人もおり、実際に被害にあった柏崎市としてはどう活動すべきか、市長に問う。

4.市制施行70周年にむけて、これまでの新民謡を再評価、番神水族館の復活など、柏崎らしさと活力ある事業を行うべきと思うが、見解を問う。
           → 市長(一問一答形式)
(要旨)
 柏崎町が柏崎市となったのは昭和15年。市制施行70周年の記念事業も視野に入れる時期に来ている。記念事業として、そして文化振興事業の一つとして、新民謡や番神水族館の復活など柏崎の良さと活力がでる事業を行うべきと思うが市長の見解を問う。

Cimg0257  18時から市内某所での懇親会に出席。
 これから夏に向けて食べる機会が増える鯨の味噌汁、そして皮くじらの味噌漬けがでたため、他の料理そっちのけで食べる。鯨は大好物。鯨を使った料理は柏崎の食文化をよく表しており、是非、次の世代に伝えたいものである。

Dsc00135  20時近くから次のお店に移動。
 なぜかお笑いの話になり、モンスターエンジンの「暇をもてあました神々の遊び」ネタ、いがわゆり蚊の「チェンバル語」ネタが繰り返された。
 22時過ぎ、次のお店に移動。お隣で飲んでいたグループの皆さんとなぜかカラオケ合戦になり、2曲を歌う。

Kubikino  財団法人 電源地域振興センターが報告した「平成20年度振興計画策定調査(広域)[新潟県]」「2014年北陸新幹線開業に伴う信越本線活性化の検討」を入手した。
 本来であれば、この報告を踏まえ、また現地調査もして鉄道に関する質問を次の議会で行いたかったが、現地調査の時間もなく、見送りとなった。
 引き続き、このような報告をはじめ、鉄道活性化の資料を集め、公開していきたい。

1/3「2014年北陸新幹線開業に伴う信越本線活性化の検討」(pdf形式)

2/3「2014年北陸新幹線開業に伴う信越本線活性化の検討」(pdf形式)

3/3「2014年北陸新幹線開業に伴う信越本線活性化の検討」(pdf形式)

2009年5月27日 (水)

朝日新聞に抗議したトルコ大使
『財界にいがた』に記事掲載

 1時から3時まで新潟市内の某店で懇親会。駐車しておいて愛車のなかで5時間ほど仮眠したのち、9時過ぎに柏崎に戻る。
 途中、コンビニで買った納豆巻き、グレープフルーツジュース、コロッケパンで朝食をとる。

 11時から12時過ぎまで市内某所での政治に関する打ち合わせ。

 13時、一旦自宅に戻り、レトルトカレーとひきわり納豆で納豆カレーを作って、昼食にする。

Dsc00133  14時から16時まで依頼されていた仕事を含めて市内まわり。
 途中、お茶請けとして、ちょっと時期はずれではあるが、十全茄子の浅漬けを食べさせてもらった。本当は、ちょっと和辛子をつけ、ガブッとやったあとに、冷たいビールをウグッウグッとやりたいところである。

 17時30分から市内某所での打ち合わせ。20時近くまで続き、その後は別件の打ち合わせ。「どんGALA!」の初打ち合わせもあったはずであったが、あまりの会議の連続に出席できず。

 23時過ぎ、自宅に戻る。ビール500ml4缶、油揚げに納豆を入れ魚醤で焼いたもの、豆腐ハンバーグ、スーパーで半額になっていた生寿司で夕食をとる。

 昨日発売となった平成21年6月号『財界にいがた』に旧柏崎トルコ文化村に関する記事が掲載された。
 「トルコ文化村跡地問題は柏崎市長の首を飛ばすか?」という刺激的なタイトルがつけられ、以下のような構成となっている。

・噂のマガジンが
・事態は泥沼化
・”人質”になった英雄
・鉄のカーテン

Wtsand 4つめの「鉄のカーテン」の章には、以前、本ブログご紹介したように旧柏崎トルコ文化村の敷地内の一部が製品置き場(*望遠にて地権者敷地より撮影)となっており、

「製品置き場
 エコマーク認定製品
 ウェステックサンド
 柏崎販売センター」

との表示があることや、パッカー車が走っている写真が掲載されていた。

 また関連の文章があったので、以下に引用する。


2009年4月8日号『SAPIO』

 拝啓 ノーベル物理学賞受賞者・益川敏英さま
 緊急寄稿
 改憲派の狙いが
 「自由に武器を使うこと」
   とはあまりのお言葉!

         作家 井沢元彦

(中略)

なぜトルコ大使は朝日に抗議したのか

 益川先生、あなたは「改憲派は、なぜ憲法を変えたがるのか」(以下「」内の益川発言は朝日記事の引用)という点について「解釈改憲で自衛隊がソマリアまで行く時代。条文不備のせいじゃない。9条があったのでは出来ないことをやりたいからに違いない。つまり自由に兵器を使うということです」と述べています。「自由に兵器を使」えば必ず犠牲者が出ますよね? つまり「改憲派は人殺し」「殺人者」ということではないですか?それは相手の人間性に対する最大の侮辱ではないですか。私も改憲派です。しかし、私が改憲を唱えているのは「条文に不備」があるからです。たとえばこういう事例を御存知ですか?
 1985(昭和60)年のことです。当時、イラクのサダム・フセイン大統領は「イラン上空を航行するあらゆる国の航空機はたとえ民間機であっても撃墜する」という一方的な宣言を発しました。いわゆるイラン・イラク戦争の再燃です。日本政府の不手際もあって、200人以上の民間人がテヘランに取り残されてしまいました。こういう時、日本以外のすべての国家は軍用機を派遣して国民を救出します。それが世界の常識なのですが、日本は出来ません。憲法9条が「海外派兵」を、いやそれどころか「軍隊の保持」すら禁止しているからです。最悪の場合、彼等何の罪もない日本人たちは「欠陥憲法」の犠牲になって死ぬところでした。もし、彼等が犠牲になっていたら、あなたは何とおっしゃったでしょうね。まさか「憲法9条を絶対に守るための尊い犠牲だ」とはおっしゃりますまい。それなら「日本人は大義のために(それが大日本帝国のためであれ平和憲法のためであれ)死ぬことは正しい」ということになり、まさに先生が批判してやまない戦前の日本と同じことになってしまいます。しかし、国家が憲法を遵守したら一般市民の生命が危機にさらされる、これはまさに本末転倒ではないですか。もちろん「解釈改憲」がなしくずしに進むことは私も反対です。それは国家にとっても国民にとっても大変危険なことだからです。だから、条文を遵守しようとしたら市民の生命に危険が及ぶような欠陥憲法は一刻も早く改正すべきだ、それが私(私だけでなく多くの改憲派)が考えていることです。もちろん論理的に正確に言えば、〝改憲派″の中に先生のおっしゃるような「兵器を自由に使いたい」と思っている連中もいるかもしれません。しかし、すべてを「人殺し」の仲間のように決めつけるようなやり方は、失礼ではありませんか? 品性云々と私が申し上げるのは、そのことです。
 ちなみに「平和ボケ政府」の不手際でテヘランに取り残された日本人たちを救ってくれたのは、トルコの、しかも民間航空機でした。彼等は政府の意向を受けてのこととはいえ、命を危険にさらして我々の同胞を助けてくれたのです。なぜ?「エルトウールル号事件の時に世話になったから」です。ところが、そういうことを国民には伝えたくない朝日新聞は「トルコは日本と経済協力関係だから」と事実を歪曲して報道しました。命がけで助けてくれた人々を「アイツらはカネが目的なのさ」とおとしめたのです。あまりのことに怒った当時の在日トルコ大使は朝日に「(そういう報道に)深い悲しみを覚えます」と投書しました。この投書はさすがに紙面に載ったようですが、先生はこういう事実を御存知でしたか? 護憲という「大義」のためには、そういう報道も許されるという、お考えですか? 少なくとも朝日はそういう考えのようです。その証拠に護憲派にとって都合の悪い事実を出来るだけ矮小化して報道しようとします。拉致問題が典型的で、日本の近くに「ならず者国家」があることは平和憲法護持に弊害があると考えた彼等は、最後の最後まで拉致問題に消極的な報道を繰り返していました。自分たちの家族が誘拐されたと泣き叫ぶ人々の声を取り上げるよりも、「日本の周囲には善意を持った国家しかいない。だから、改憲など必要ない」という態度を優先させたのです。これも護憲に固執する余りの大きな弊害と私は考えています。

(以下、略)

2009年5月26日 (火)

アタチュルク像問題『産経新聞』への投書

 4時、就寝。

 8時、起床。大粒納豆、ベーコンエッグ、ポテトサラダ、きゅうりの浅漬けでご飯2杯の朝食をとる。

 9時、事務所に来客。就業に関する相談であった。

Cimg0251 10時から13時過ぎまで、来週日曜日に開催のビーチクリーンのため、担当の海水浴場である笠島海水浴場、上輪海水浴場、米山海水浴場に行き、現状を確認する。
 一番、ゴミが多かったのは米山海水浴場。地元の方が集めておいたゴミの上にさらに流れ着いたゴミが重なっている。また、バーベキュー禁止にも関わらず、バーベキューでも行ったのか、炭火の跡や食べ物の包装なども多く置き去りにされていた。
Cimg0254 続いて、清掃が大変かと思われたのが、上輪海水浴場。この海水浴場は砂浜ではなく、玉石のような石の海水浴場となっており、石と石の間に多くのゴミが落ち、かつゴミを収集する道路までは距離がある。
 配分人数の増加を検討しなければならない状態であった。

 13時30分過ぎ、JAにご協力頂いたゴミ収集用米袋を保管場所に移動するなどの作業を行う。

 15時、事務所に戻ったところで来客。依頼されていた資料などを渡す。

 17時、ビーチクリーンに関する今日の現場確認の状況を柏崎青年会議所の「ブログの輪」に書き込む。とにかく早めに伝える必要があり、市内善根の某氏の前に割り込ませてもらった。

Dsc00132 18時過ぎ、豚肉しゃぶしゃぶ用、キムチ、ニラ、ひきわり納豆で作った納豆豚キムチとご飯、漬け物で夕食をとる。漬け物は、茄子一本まるまるの浅漬け。和辛子がよく似合う。
 食後、柏崎エネルギーホールに移動。

Cimg0255  19時から柏崎青年会議所のエネルギー環境問題検討委員会の拡大委員会に出席。来週日曜日に開催のビーチクリーンのため、各海水浴場の担当者別に説明などを行う。
 今日、確認した笠島海水浴場、上輪海水浴場、米山海水浴場の状況なども伝える。

 21時から22時まで、市内某所での打ち合わせ。次の議会に向けて集めてもらった内部資料の確認である。

 23時過ぎ、一旦、自宅に戻ったのち、準備をして新潟市に移動。

 平成21年5月6日『産経新聞』に掲載された、アタチュルク像問題に関する記事を受け、平成21年5月18日の同紙に投書があった。以下に引用し、ご紹介したい。
*氏名の一部は伏字に変更。


平成21年5月18日『産経新聞』

談話室
トルコとの長き友好守ろう

         会社員 ○坂 ○ 39

 本紙6日付の紙面(東京本社発行版)で、新潟県柏崎市にあったテーマパークに、かつて親日国トルコから寄贈された同国建国の父、ケマル・アタチュルク初代大統領の銅像の落ち着き先が決まらないという記事を読んだ。
 この銅像については、テーマパーク開園後に放置状態にあるとの記事を前に読み、両国の友好を損なうと心配していたのだが、懸念通りトルコの対日感情が、悪化する一因ともなっているとのことでショックだ。
 記事ではこの事態を憂慮した若者たちが、銅像の移設・保存のためインターネット上で署名活動を始めたという。両国の友好を願う者として大変心強い。
 両国の友好は明治時代、トルコ軍艦が和歌山県沖で遭難したとき串本町の住民が総出で救助、介抱にあたり、また遭難に同情した青年、山田寅次郎が義援金を募りトルコに届けるなど、民間人の交流によるところが大きい。今回の銅像の件、インターネットだけでなく広く署名活動を進めていただくことを願う。
(千葉県鎌ヶ谷市)

2009年5月25日 (月)

原発推進派の柏崎市議12人とは誰か?
北朝鮮地下核実験強行

 3時、就寝。

 7時、起床。大粒納豆、鰺の開き、筋子でご飯2杯の朝食をとる。

 9時、事務所に来客。仕事の打ち合わせではあるものの、どうしても政治の話になり、脱線続きとなってしまった。

 11時から13時過ぎまで、市内某所での作業。

Dsc00131  13時50分、お土産で頂いた「喜多方らーめん本補」(電話:0241-22-5123)の生麺を使って、米沢の肩ロースベーコンとともにつけ麺を作り、ちょうど自宅に戻っていた妹と一緒に昼食をとる。
 つけだれは、添付のラーメンスープをベースに、玉葱、ニンニク、煮干しパウダー、山椒、梅干しを入れてみた。

 15時から市内某所での打ち合わせ。柏崎市内の工業界の情報やその後の雇用に関する対策をどう提案していくのか、実際にかかわっている方からのお話をお聞きした。
 それにしても、柏崎市民が雇用不安になるわけであり、柏崎市として、臨時雇用のお願いの企業まわりや公としての雇用、そして補助制度を活用しての企業支援など、とにかく素早く対策を行うべきである。

Cimg0247  19時、柏崎市産業文化会館に移動し、「柏崎・刈羽 長島クラブ」の打ち合わせに出席する。
 いよいよあと2週間と迫り、動員計画や会場の設営など、細かい内容に入ってきたものの、次の打ち合わせもあり、資料を受け取って、申し訳なく中座させてもらう。

Cimg0248  市外からこられた方と打ち合わせののち、19時30分、柏崎青年会議所の事務局に移動し、副委員長を務めるエネルギー環境問題検討委員会に出席。
 こちらもいよいよ次の日曜日に迫ったビーチクリーンの打ち合わせであり、明日開催する各海水浴場担当者会議でどういったことを調整するのかの確認であった。
 今週末は、次の議会の一般質問の通告締め切りからイベント(30日はラブ・ジ・アース)と、いつも以上のスケジュールの混み具合である。

Cimg0249  21時過ぎ、地元ラジオ局である「FMピッカラ」に移動し、番組の収録。柏崎青年会議所のエネルギー環境問題検討委員会として、室長、委員長、メンバーのM氏とともに、ビーチクリーンの宣伝である。それぞれに熱い想いを語ってほしいと話をふられたので、
 「次の世代に美しい海を残すため」
と力説させてもらった。

Cimg0250  収録終了後、 「船栄 柏崎店」 (電話:0257-22-0288)にて、ビールの飲みつつ、1970年代生まればかりということもあり、ガンダムネタで熱く語り合う。そして、何故かテーマは「ガンダムと核」。核融合炉で動くモビルスーツ、そして核兵器を使うか否かの戦術など、あまりのマニアックさに室長(1972年生まれ)は離脱気味であった。
 核といえば、今日、北朝鮮が地下核実験を行ったとのニュースがあり、政治的にかなりの瀬戸際外交をやる原動力は何なのか、色々と考えさせられた。北朝鮮いわく「自衛的抑止力をあらゆる面から強化するための一環」としての核実験とはいうが、こういった核実験を重ねている理由は、ミサイルに搭載できる核弾頭をはやく開発するためであろうと思う。
 これだけ危険な国が近くにありながら、我が国では核兵器自体の議論さえも封じ込める非核4原則(持たず、つくらず、持ち込ませず、議論せず)であり、なめられ続けるのである。

 また、同じ核でも平和利用の原子力発電について、先日、『新潟日報』紙上にこんな記事が掲載された。


平成21年5月21日『新潟日報』

 活断層調査継続
 経産相に求める 柏崎市議ら

 原発推進派の柏崎市議十二人でつくる「柏崎市議会明日の原子力を考える会」(斎木裕司代表)は二十日、経済産業省に二階俊博経産相を訪ね、東京電力柏崎刈羽原発の安全性や敷地周辺の活断層について、調査の継続などを求める要望書を提出した。
 要望書は、原発の耐震安全性を研究する施設を柏崎市に設置することや経産省原子力安全・保安院の分離、地域振興に向けた支援を求めている。
 出席者によると、二階経産相は「安全性を継続して検証したい」と答えたという。


 ほぅ、原発推進派の柏崎市議12人とは勇ましい。
 そして、長く容認の立場をとってきた所属会派である整風会(自民4名)、平成会(3名)、公明党(2名)、民友(2名)の計11名には声もかかっていない。

 柏崎市議会議員は、全部で30名。上記の11名を除けば、19名となる。
 そのうち、明確に原発反対派と自ら述べているのが、社会クラブ(4名)、共産党(3名)である。この7名を引けば、見事12名。
 関係者からの情報によれば、当日、実際に陳情にいった会派は、市民クラブ(3名)、自治研究会(4名、うち1名は当日欠席)、蒼生会(2名)の3会派であり、残る会派は「柏崎のみらい」(3名)となる。
 関連して、本日の『柏崎日報』にも、こんな記事が掲載されていた。


平成21年5月25日『柏崎日報』

 原発調査継続など
 要望活動を市長に報告
           市議会4会派

 市議会の市民クラブや自治研究会など四会派・十二議員でつくる「柏崎市議会明日の原子力を考える会」(斎木裕司代表)が二十三日、東京電力柏崎刈羽原発の調査充実などを東電と国に要望したことを会田市長に報告した。
 「考える会」は二十日、東京で鼓紀男・東電副社長、二階俊博経済産業相に面会し、敷地周辺の活断層や機器の安全性の調査継続、原子力施設の耐震安全性研究施設の柏崎への設置などを求めた。経産相には原発立地地域のさらなる振興に向けた支援も要請した。


 市職労から選出された議員もいる「柏崎のみらい」はいつから原子力推進派になったのか不明であるうえ、所属会派の整風会はまだしも、東京電力の労働組合から選出されている議員すらもメンバーではない、原発推進派の柏崎市議の集団とは何だろうか。

 言うまでもなく、議会と行政は別組織であり、議員はまず市民に対して報告するところを、いきなり会田市長に、しかも土曜日(平成21年5月23日)の全員協議会の日に報告しにいっているあたりにその答えはあるのだろう。

 どうやら私は原発推進派ではないらしいため、今度から日本のエネルギー政策に原子力は必要であり、指摘するところは指摘し、地域との共生をはかる、
原発共存共栄派を名乗ろうかと思う。

2009年5月24日 (日)

「噂の東京マガジン」アタチュルク像問題

 1時に就寝。

 6時、起床。大粒納豆、目玉焼き、がんもの煮付けでご飯2杯の朝食をとる。食後、長野市に移動。雨が降りそうな天気である。

 8時過ぎ、ちょっと早い時間で申し訳なかったが、弔問。アタチュルク像に関する問い合わせの電話などがあったため、整理するためにも近くのネットカフェに入って、掲示板への書き込みなどを行う。

Cimg0241 11時過ぎ、柏崎に戻り、サバイバルゲームのテストゲームの様子を確認。
 回を重ねるたびに参加者や参加してくれるチームも増えてきており、今後、大きな大会のみならず、宿泊を伴う小さな大会なども定期的に実施し、柏崎の観光、経済に寄与できるよう育てたいものである。

Cimg0243 柏崎で釣り堀をもっと盛り上げても良いのでは、という雑談が盛り上がり、「言いっぱなし」のアイデア会議も兼ねて、「米山大黒亭」(電話:0257-26-2943)で「穴子天ぷらうどん 850円」を「大盛り 150円増し」にして、昼食をとる。思った以上のボリュームがあり、すっかり満腹となる。

Cimg0245 食後、一度、自宅に戻ってから、柏崎市立柏崎小学校の体育館で行われている「第34回東部体育協会大運動会」に途中から参加。遊びにきていた姪っ子がどうしても一緒に行くというので、一緒での参加である。しかし、競技は既に最後のリレーになっており、閉会式や若干の片付けへの参加のみになってしまい、町内の方には申し訳ない限り。
 結果は、 「諏訪町2丁目 1410、諏訪町1丁目 965、諏訪町3丁目 895、東学校町・東栄町 770」で、諏訪町2丁目が見事、2連覇であった。

 15時過ぎ、事務所に戻ったところ、メール、FAXなど旧柏崎トルコ文化村のアタチュルク像問題に関わる問い合わせや激励、なかには「宗教の信者め!」といった意味不明な嫌がらせなどが大量に届いていた。
 本日13時からTBS系で放送された「噂の東京マガジン」の影響であろう。名物コーナーである「噂の現場」で旧柏崎トルコ文化村のアタチュルク像問題が取り上げられた
 番組内の大まかなやりとりについて、N氏よりメールでメモを頂戴したので、以下に転載する。(敬称略、本当は映像を掲載できれば良いが著作権があり不可)


○トルコ文化村の元経営者
 平成18年に市が施設を民間企業に譲渡、その時にケマル・アタチュルクの銅像まで含んで譲渡した。
 平成19年の中越沖地震の後、銅像の台座が傾いたとのことで、銅像が台座から外され、草むらの上に横たわっていた。現在は、施設内に大切に保管されているとのことであるが、どこに保管されているか公開されていないので、全くわからない。

○譲渡先の企業
 アタチュルクの銅像は、現在、施設内に大切に保管している。在日本トルコ共和国大使館からは、丁重な取り扱いへの感謝の言葉もいただいている。
 ケマル・アタチュルクの銅像は、柏崎市に無償譲渡して良いが、この件について当社が迷惑したことについて正式に謝罪することが条件である。

○在トルコ日本大使館のプレスリリース
 アタチュルクの銅像に対する取り扱いは、非常に不適切である。
 
― アタチュルクの銅像の問題とは別に、現在、譲渡先企業と地権者との間で裁判が発生、さらに問題を複雑にしている。 ―

Cimg0168○施設内の民有地の地権者
*写真は取材時の地権者の皆さん
1、地権者の女性
 地代が入ってこないので、譲渡先の会社に電話したら、その建物は使用する予定はないので、地代は払わないと言われた。
2、地権者の男性
 地代をはらわないことを市に伝えたら、もう譲渡しているので、譲渡先の企業と直接、協議してほしいと言われた。

○柏崎市役所
 譲渡にあたって市の側に「瑕疵」はない。

― 売買の契約書には、民有地があることは明記されていて、地代については、売却後、購入した企業と地権者とで協議することになっている。―

○森本毅郎
 売却したので後は知らない。当事者同士でやって下さいというのは、無責任ではないのか。

○トルコ文化村の元経営者
 このままでは、柏崎市として恥ずかしい。トルコと関係の深い串本町に像を移転するのも解決策だと思う。

― トルコと和歌山県串本町との歴史的つながりについて説明 -

○和歌山県串本町商工会会長
 串本町では絶対にありえない話、非常にもったいないし残念なことだと思う。串本町にアタチュルク像を受け入れる話であれば、行政も前向きになると思う。

○在日本トルコ共和国大使館
 この件については中立的な立場をとりたい。現在、行われている裁判の結果を尊重したい。大使館員の中には、串本町に移転するのが良い
との意見がある。

○森本毅郎
 国際感覚の欠如としか言いようがない、柏崎市の対応は無責任すぎる。


 その後もこの放送の存在(企画自体が会田市長をイジめるためだ!といったお約束の「政争の具」論)やアタチュルク像問題自体についての問い合わせの電話を頂戴し、20時過ぎまで対応に追われる。

 21時、冷やご飯、ワラビと油揚げの味噌汁、生卵、ひきわり納豆でおじやを作って夕食にする。

 風呂に入ったのち、再度、事務所にこもり、事務仕事。できる限りメールの返事も書きたいが、先週までのメールにもすべて返信できていないのが実態である。

2009年5月23日 (土)

中越沖地震原発調査特別委員会
全員協議会(原子力安全・保安院)

 資料読み込みをし、4時に就寝。

 7時、起床。大粒納豆、焼たらこ、レタス多めのバンバンジーでご飯2杯の朝食をとる。

 8時から事務所にてメールや掲示板への書き込みなど。

Cimg0237  市役所に移動し、10時、副委員長を務める中越沖地震原発調査特別委員会に出席。土曜日開催ははじめてのこととなる。
 議題は、東京電力からの報告であり、以下の通り。

1)起動試験に関わる柏崎刈羽原子力発電所の点検進捗状況
・7号機プラント全体の機能試験・評価の進捗~これまでの実績~
 方針:慎重な確認、地震影響の考慮、透明性の重視
 現在は発電機出力約20%到達後の評価
・7号機プラント全体の機能試験・評価の進捗~今後の確認項目~
・各号機の健全性確認進捗状況

2)防火対策の改善
・大湊側予備品倉庫の火災の概要
 原子炉施設に関係のない一般設備であり、外部への放射能への影響や負傷者はなし
・大湊側予備品倉庫の火災の原因と対策
 ファンベルトが切れたことにより、加熱装置の上に落下。その一部から発火したとみられる。
・防火対策の改善計画
 火災リスクを最小限にする取り組み、危険物の本質を体で理解する教育、現場統率力・元請現場監督力の向上
・中越沖地震以降の火災事例
 これまでの発生した8件の火災に関する総括

3)知見の拡大
・発電所敷地周辺の地形の形成課程に関する検討
 (予定)地震予知総合研究振興会、社外専門家10名
・建屋の変動に関する検討
 GPS、地下水位、潮位、地盤変位ので取得方法の検討
・長岡平野西縁断層帯の活動性に関する検討
 地震計の高密度配置(40点)、(予定)地震予知総合研究振興会
・新潟県中越沖地震を踏まえた地震観測に関する検討
 発電所構内の地中深くへの地震計の設置(深さ1000~1700mの2カ所)、原子炉建屋内に地震計を密に設置(選定する号機に40箇所程度)する。

 約40分間の説明の後、質疑応答となった。昨日に事前配布でもらった資料を読み込んだが、個人的には特に疑問点はなく、着実に試験を実施しているというのが感想である。
 原発反対派が色々質問するも結局最後は、 「再起動を急ぎ過ぎて手抜きをしている」という感情論に結びつけていた。
 また、社会クラブの矢部忠夫議員はいきなり「発電所内で3月5日に発生した火災事故のあと、それが原因で当日ほぼ自殺に近い形で関係者が死んでいる」という問題発言。しかも、そのことを説明者として東京電力に答えよ、というのである。
 これは、「地域の会」でも同様な情報がでたものの、それに対し関係者から抗議が寄せられたものである。全文記録となる議事録をとらない特別委員会とはいえ、抗議まででた亡くなった方に関する発言を議会の公式の場で発言する愚。 「原発再開で死者がでた」かのように、他人の死まで反原発の材料に使うのである。
 ここで話題にあげられた方の詳細は書けないが、それこそ柏崎市政の問題点として挙げられている<ある事業>に関わり、金銭的にもかなりの負担があったと、その事業の問題点を追及している際、関係者からお聞きしていた。こちらとしては大人の対応をし、先の議会の一般質問でもあえて取り上げなかったものである。
 議会事務局の職員にも全文記録はしないことも確認したが、議会の場を何だと思っているのか、本当に疑問に思う。

 12時に終了し、一旦、事務所に戻って、来客対応。就労に関する相談を受ける。
 12時50分、カロリーメイト(チーズ味)2本、低脂肪乳、グレープフルーツジュースを頬張りつつ、市役所に戻る。

Cimg0238  13時から全員協議会「柏崎刈羽原子力発電所の設備の健全性及び耐震安全性の確認状況について」。原子力安全・保安院からの報告・説明であり、内容は以下の通り。

1.柏崎刈羽原子力発電所7号機のプラント全体の機能試験の確認状況について
・プラント全体の機能試験
・プラント全体の機能試験に対する評価の視点
・保安院が実施した、または実施中の主な確認
・設備健全性評価サブWGにおける主な意見
・保安院の活動状況のお知らせ
・プラント全体の機能試験中に発生した不適合について
・今後の取り組み
→ 引き続き、24時間体制でプラント全体の機能試験を監視、東京電力が実施する点検等に立ち会い、試験がきちんと行われているか、結果に問題はないか厳格に確認。
 今後、原子炉出力50%、100%の各段階で、それまでの試験結果、得られたデータ等を基に、7号機のプラント全体の機能についての保安院としての評価をとりまとめ。

2.柏崎刈羽原子力発電所6号機の耐震安全性の確認状況等について
・柏崎刈羽原子力発電所6号機の耐震安全性の確認状況について
→ 6号機の原子炉建屋基礎版上において、上下動が大きくなった要因などについて検討をさらに深め、保安院のワーキンググループにおいて引き続き厳格に審議していく。
・7号機タービン建屋の地震応答解析における耐震壁及び補助壁の取り扱いの不適合について
→ 7号機タービン建屋の地震応答解析における耐震壁及び補助壁の取り扱いの不適合については、不適合が是正されたかどうか立入検査を行い、抜取り調査などにより厳格に確認していく。
 他の号機についても。引き続き保安院として点検・解析などを行い確認を進める。
・原子力施設の耐震安全性に係る新たな科学的・技術的知見の継続的な収集及び評価への反映等について
→ 定期的に公開で新たな知見を取り入れる仕組みを構築。
 今後は、この仕組みを実りあるものとなるよう運用。

3.原子力発電所の火災防止対策の充実に向けて
・最近の原子力発電所の火災の状況
・柏崎刈羽原子力発電所における最近の火災と保安院の対応
・柏崎刈羽原子力発電所における火災対策の状況調査について
・原子力発電所における火災防止対策の徹底について
→ 第1回4月23日、第2回5月22日、第3回を6月上旬を予定、第4回6月下旬を予定しとりまとめを行う

 約1時間の説明ののち、質疑応答。
 午前中に引き続き原発反対派のアピールの場になってしまい、議員に配布されていない資料を持ち込み、これは虚偽だの嘘だの放言が続いた。この場は全員協議会であり、報告事項に対する質疑応答などを行うためで、独自に調査し資料を集めるのは勝手だが、全員協議会の議題をそっち側にそらすものではない。
 議題を外れているにも係わらず、議長も制止するなど何もせず、社会クラブの矢部忠夫議員の独演が1時間続いた。
 東京電力が耐震補強として安全方向として独自で追加したものに、原子力安全・保安院も責任をもて、などと無理な展開に加え、そして、午前中に引き続き、原発再開を急ぐあまり関係者が自殺をした、との発言。もう何でもありの状況である。

 15時過ぎに終了。その後、一旦自宅に戻り、着替えたり、資料を持参したうえで、16時から市内某集会所での意見交換会に出席する。インターネットをお使いの方が多かったようで、アタチュルク像問題もご存じであった。明日放送予定の「噂の東京マガジン」を楽しみにしているという方も多くいらっしゃった。

 17時過ぎに事務所に戻り、事務仕事。某保守系新聞からの原稿依頼があったため、資料を集める。

 19時30分から市内某店での食事をとりながらの打ち合わせ。明るいまちづくりにつながる動きになりそうである。

Cimg0240  21時過ぎ、2次会として市内某店に移動。
 いつものような焼酎水割りではなく、ウォッカにレモンリキッド、炭酸を入れてくれたので、飲み口もよく、グイグイと飲んでしまった。
 23時、帰宅。戻ったところで、メールを確認したところ、訃報が一件入っていた。

2009年5月22日 (金)

新潟県立出雲崎高校にて講演

 3時、就寝。

 7時、起床。大粒納豆、山芋とろろ、山うどの浅漬けでご飯2杯の朝食をとる。

 9時、自民党柏崎支部の事務所に移動し、議員定数削減のさらなる議論の進め方などを打ち合わせ。

 11時過ぎから、市役所をはじめ情報収集にまわる。

Cimg0236  13時10分、新潟県立出雲崎高等学校に移動。1年生61名を対象にした「社会人講演会」の講師として柏崎青年会議所の理事長以下、印刷会社のY氏、私の計3名、そして柏崎市社会福祉協議会のO女史、とともにお招き頂いた。
 講演に入る前に校長先生との懇談。早速のことで申し訳なく思ったが、校歌の資料を見せて頂いた。
 この高校の校歌は昭和29年1月30日、創立5周年を記念して制定されたそうであるが、作詞が谷鼎、そして作曲は『海ゆかば』で知られる名作曲家の信時潔。ちなみに、慶応義塾大学の塾歌をはじめ各大学や新潟市歌なども信時潔の作曲である。

Cimg0230 「新潟県立出雲崎高等学校校歌」
(旧:新潟県西越高等学校校歌)

 作詞:谷鼎 作曲:信時潔

一、
 小木之城址の森さびて
 ふりさけ見るや 日ごとの友と
 翠巒(すいらん)めぐる 飛香里が丘に

二、
 湛ふる力 人も見よ
 北斗冴え顕つ 思いも高く
 若きのぞみの 溢るるところ

三、
 堅忍不抜 いざや学ばむ
 清く明るく 進まむかなや

  享けたりわれら自然の恵み
  遂げなむ われらかがやく使命

Cimg0228  13時30分から講演会が開始となった。
 冒頭は、理事長による経験を踏まえた仕事への考え方など約30分の講話。自分で限界を作らないようにしようというメッセージが中心の味わいのある内容であった。
 続いての印刷会社・Y氏は、仕事のみならず人生をうまく生きる手法として、PDCAサイクルを紹介。高校1年生にはちょっと難しい内容であったかも知れないものの、分かりやすく話していた。
 ここで約10分間の休憩があり、再開後は柏崎市社会福祉協議会のO女史。どうして福祉の仕事をやるようになったのか、また福祉の仕事に就くためにどんな努力をしたのか、実践的なお話であった。
Cimg0239  最後、いよいよの出番。パワーポイント資料も作って用意してきたが、仕事とは何か、という話の前に勉強方法やこれまでの失敗話などをして、あっという間に持ち時間が終了した。途中、ウルトラマンレオの話、 「レオは一回負けても、どうやったら勝てるか特訓し、再戦で勝つ」を独り熱く語ってしまったのが失敗であった・・・。
 再度の10分間の休憩ののち、質疑応答の時間。仕事をしていて、楽しかったこと、つらかったことなどについても質問があったため、一番つらいのは選挙だ!とつい生臭いことを回答してしまい、反省。

 15時20分過ぎに終了となり、ご挨拶をして学校をあとにした。帰り道のコンビニで納豆巻き2本、低脂肪乳、グレープフルーツジュースを購入し、遅めの昼食として食べつつ、柏崎市内まで愛車で戻る。

 16時から市内某所での打ち合わせに出席。震災復興にかかわる陳情をどうするのか、といった内容であり、県議会議員への根回しが必要な案件であった。

 19時、市内某集会所に行き、懇親会。市政に関する陳情をはじめ、柏崎をでていった人間をいかに戻すかという、かなり壮大なテーマでの話し合いとなり、大量にあった缶ビールと乾き物(ビーフジャーキー、いかそうめん、柿の種、ナッツ類)があっという間に消えていった。

 23時に帰宅。

2009年5月21日 (木)

アタチュルク像屋内保管で問題終了?
泥沼の提訴合戦

 0時から3時まで愛車のなかで仮眠したのち、6時過ぎ、自宅に戻る。

 7時、大粒納豆、目玉焼き、くじら大和煮でご飯2杯の朝食をとる。

 9時から12時まで市内某所での打ち合わせ。

 12時過ぎ、事務所に来客があったため、茄子、ニンニクの芽、トマト、干し納豆、唐辛子をベースにデミグラスソースとケチャップでソースを作り、スパゲティにかけて一緒に昼食をとる。

 14時、18時と事務所に相談の来客があり、またも「EV・pHVタウン構想」に関わる講演会に出席できず。
 その間、順番がまわってきた柏崎青年会議所の「ブログの輪」に、海の話題としてジバサ(神馬草)について書き込む。

Dsc00128 18時40分、 「浪花屋」に移動し、柏崎青年会議所のシニアクラブ交流会に出席する。
 第一部として、参加して頂いたシニアクラブの先輩7名の方から激励のメッセージ。さすが理事長経験者もいらっしゃり、味わいがあり、そしてキャラクターがはっきりとでたお話であった。
Dsc00129 引き続き懇親会となり、途中、アトラクションとして、2つの味や価値を見分けるコーナーで盛り上がった。題材となったのは、ワイン、日本酒、コーヒー、水、焼き物。
 各テーブルでの対抗戦となっており、水の見極めで出番となったが、「アルプス水」と「柏崎市の水道水の湯冷まし」の違いを何とか見極めることができた。

 22時過ぎ、懇親会が終了し、2次会へのご案内があったものの、締め切りのある仕事もあり、今回は失礼させてもらった。

 23時、自宅に戻り、シャワーを浴びて酔い覚ましをしたのち、原稿を書くための資料を読みあさる。

 昨日のチャンネル桜への出演に関連してか、アタチュルク像関連の問い合わせ等があった。
 そして、アタチュルク像がすでに屋内の施設に納められ、在日トルコ大使にもその旨写真付きで手紙にて報告したとして、この問題はすべて終わりにする、との情報が柏崎市内を駆け巡った。

 屋外に野晒しになっていることだけを改善すれば良い、ということではない。
 アタチュルク像の所有権が民間企業に行き、そして実際に中越沖地震から2年を経過するなか、対策を講じることなく元の状態のように建立されておらず、譲渡契約に書いた協議(友好に配慮し、双方で協議)もできない状況にあることが問題であり、 「屋内に移動したので、ハイ、終わり」とはならない。
 さらにいえば、もっと問題なのは訴訟合戦のなか、アタチュルク像が交渉材料の一つになっていることである。2年以上前から民有地の地代問題が明らかになっており、昨年には新聞報道もあったように提訴された。裁判となって1年が経過するなかで、民有地の問題とアタチュルク像の切り分けをしなかった責任が大きい。この切り分けが成功して、初めて解決の糸口が見えてくるのである。


平成20年2月13日『朝日新聞』

 柏崎市が売却「旧トルコ文化村」
 市・地権者・民間業者
 土地売買を巡り訴訟合戦

 経営難で柏崎市が民間会社に手放した旧トルコ文化村を巡り、関係者間のトラブルが深刻化している。文化村の一部の土地を所有する地権者が民間会社を訴えると、今度は会社が市を訴え、市もこれに応訴する構え。訴訟合戦の様相を呈している。
 旧柏崎トルコ文化村(同市鯨波)は96年にオープン。メーンバンクの破綻で経営難となり、02年に市が整理回収機構から買い取ったが、業績は回復しなかった。06年6月、市は上越市のプラスチック製品製造会社「ウエステックエナジー」(ウ社)に市有地約5万2千平方メートルと文化村の施設を1億4千万円で売却し、同社は結婚式場として活用してきた。しかし、敷地内に点在する民有地の扱いが未解決のままで、ウ社と地権者で交渉が続いていた。
 こうした中、昨年10月2日、地権者8人はウ社に対し、土地約1万4千平方メートルの明け渡しと借地料の支払いを求めて新潟地裁長岡支部に提訴。これに対してウ社は、市が契約時に「地権者は賃貸の場合、従来より安い賃料の設定を受け入れており、契約成立までの賃料相当の損害金の支払いは必要ないと承知している」と説明したと主張。1月16日、民有地の買い取りや借り受けができなかったのは市の責任だとして、民有地上の施設の再買い取りなど約4200万円の支払いを求め、訴え出た。
 同社の弁護士は「市は地権者と会社に異なる説明をしていた。民有地を買い取りたかったが、もう要らない。あとは地権者と市で話し合えばいい」。一方で地権者の弁護士は「金をもらっていないのは客観的事実で不法占拠」と主張。訴えられた同市の会田洋市長は「係争中で論評はできないが、基本的にはウ社と地権者の間で解決して欲しい」としつつ、「トルコ村の譲渡は適法に行った。私たちの主張は裁判の中で訴えていきたい」として、ウ社に対し、応訴する考えを示した。
 市議の1人は、問題がこじれた原因の一つに市がウ社との契約時に民有地の扱いをきちんと定めなかったことがあると指摘。 「市は不動産売買のいろはを怠った。借地権がついている土地なのだから、契約時に地権者とも書面を取り交わすべきだった」と批判している。

2009年5月20日 (水)

チャンネル桜「防人の道 今日の自衛隊」
アタチュルク像間、本間雅晴中将

 4時、就寝。

 7時、起床。大粒納豆、茄子の味噌炒め、トマトでご飯2杯の朝食をとる。

090531_bc  9時から12時まで、平成21年5月31日に実施するビーチクリーンに関わるお願いなどで市内まわり。
 ビーチクリーンは今年で3回目となるが、柏崎青年会議所の提唱ではじまった市内の海水浴場を一斉に清掃しようというものである。
 これまで毎回1000人近くのご参加を頂き実施してきたため、今年も同規模の参加者を願って準備をしている。
 しかし、市内の色々なところをまわってお願いをしたものの、同日は各地のコミュニティセンターや地区のイベントなども重なっているとの情報を頂戴し、少しヘコんでしまった・・・。

 12時30分過ぎ、一旦自宅に戻り、冷やご飯、もずくの味噌汁、干し納豆でおじやを作り、ままかり酢漬けとともに昼食をとる。

 13時から15時まで市内某社で、パソコンの入れ替えに伴うデータ移行作業とネットワーク構築のお手伝い。タバコを吸う環境のため、ほこりにヤニがつき、パソコンの内部はエライことになっていた。

 その後、レンタルビデオ店でDVDを借りて、愛車で東京に向けて出発。なぜか幼少を思い出して「仮面ライダーストロンガー」の最終回(7人ライダー総出演、いまは亡きライダーマンも本人登場)が見たくなり、借りてしまった。今見ると、変身シーンはつい笑いがでてしまう。

Cimg0224  途中、群馬県内での事故もあり、19時30分過ぎに、渋谷のチャンネル桜に到着。打ち合わせもそこそこにスタジオに入り、 「防人の道 今日の自衛隊」の収録を行う。
 今日は、 「アタチュルク像受難 経過報告 ・ 本間雅晴中将と『台湾軍の歌』」と題して、アタチュルク像問題の途中経過報告を行った。
090520_sakura  裁判となっている民有地問題などはパネルを作成し、詳細を説明しようかと思ったが、市議会議員も市の特別職であるため、柏崎市が被告になっている以上、番組で言えないこともあり、そもそもアタチュルク像問題とはまったく関係のないため、サラっとの説明にとどめた。
*パネル画像をクリックすると大きくなります。
090520_sakura2  また、デモ行進も行うほど問題となったNHK「JAPANデビュー第1回 アジアの“一等国”」の一シーンで扱われた『台湾軍の歌』を新潟県佐渡市出身、本間雅晴中将の紹介(佐渡に来て下さいとの観光案内を加え)とともに、勇猛に日本のために戦った台湾・高砂族との関係について解説をした。
*写真は出征前の高砂族の青年が家族と撮影したもの
 放送時間の割にかなり内容を濃くしてしまったため、早足での解説や紹介になってしまった。急いで読むあまり、本間雅晴中将の高砂族についての句

「かくありて許さるべきや
   密林のかなたに消えし
        戦友をおもえば」

の「戦友」を本来「とも」と読むべきところを、「せんゆう」と読んでしまい、反省。

 21時近くに収録が終了し、そのまま渋谷区内の某社に移動して、企画関係の打ち合わせ。打ち合わせをしながら、喫茶店の出前でとったミックスピザセット(サラダ、紅茶付き)、ロールサンドで夕食をとる。

 23時過ぎ、打ち合わせが終了し、せっかくなのでというお誘いがあり、近くのスナック?に行き、懇親。車の運転があるため、ウーロン茶のみであったが、カラオケをやることになり、初めてシラフで木山裕策「home」を歌う。歌うには難しい歌である。

2009年5月19日 (火)

えっ、市政報告を出されたから
請願の審査はできない?

 3時、就寝。

 7時、起床。大粒納豆、目玉焼き、シラスおろしでご飯2杯の朝食をとる。

 8時から9時過ぎまで、事務所に来客。ご年配の方であり、どうしても現市政に反映してほしいことがあるとのことで、お茶を飲みつつ、お話をお聞きした。

Cimg0222 市役所に移動し、10時から 議会運営委員会に出席。
 請願「請第2号 柏崎市議会議員定数の削減に関する請願」の審査となり、全文記録の会議である。
 冒頭、蒼生会の入澤徳明委員より、議事進行の動議の申し出があり、整風会、平成会による市政報告のチラシ(pdf方式)があったため、その内容について釈明してもらいたい、との意味不明なものであった。
 今日は、請願の審査であり、政治活動の一環として、作成した「整風会・平成会」合同の市政報告チラシの内容について、審議する時間ではない。
 そもそも、これは政治活動であり、議会の請願審査(願意が妥当かどうか)とは何も関係のないところである。

 しかし、このその議事進行に賛成したのは、蒼生会・入澤徳明委員、柏崎のみらい・飯塚寿之委員、共産党・持田繁義委員、社会クラブ・笠原浩栄委員、自治研究会・村田幸多朗委員。
 よって、動議が成立し、政治活動の一環として作成した市政報告が、議会の場にのっかり、

 会派の政治活動を、議会の場で
   
圧倒的多数の他会派が糾弾する

という異常事態となった。このような事が許されるなら、共産党をはじめ、他の会派が出す市政報告にも、議会の場でケチをつけられることになる。
 政治活動と議会活動の違いも分からないのであろうか。

 本来、今日の議会運営委員会は請願の審査をする日であるにも関わらず、彼らの言い分はこうである。

 内容に間違いがあるため、
 謝罪しなければ、この請願の審査はできない。

 その間違いの内容としては、以下の2点であり、

1.【尚、この継続審査とされた議案は、次の議会開会までに結論が出ない場合は、審議未了で「廃案」となる。】
  → 議会開会ではなく【閉会】

2.【議員削減に賛成・反対の表】
  → 議員削減ではなく、継続審査に反対・賛成である。

というところ。1は完全にこちらのミスであり、「閉会」が正しいため陳謝した。そして2番目については、議員定数削減の請願を突如「継続審査」にして審査を打ち切ったことは実質、削減の議論に反対という意味であるが、説明文の不足があり、その対応も含めて、一回会派に持ち帰らせてもらうことを話した。

 ここで会議室が罵倒だらけとなったため、10時50~11時9分まで一旦、休憩。傍聴として、請願者である「ステップ1」の皆さんがお越しになっていたが、そのことにも怒りの声をあげる議員もおり、

 「請願者なんか
   呼ぶんじゃねーよ!」

と叫んでいた。請願者が自分の請願の審査を傍聴するのは当たり前であり、そもそも私を含め議員が請願者を呼びつけたわけではない。
 市民である請願者に傍聴されると困る事自体が、不誠実な議論をしようとしている証である。

 休憩後、市長与党会派はそれでも謝罪せよと言い続け、柏崎のみらい・飯塚寿之委員は「謝罪がなければ、冷静に議論はできない」という。
 各会派が独自にやっている政治活動を、議会での審査に持ち込むだけでも異常であり、さらにはその決着がつかなければ議会での審査もはじめない、というのである。
 市政報告のチラシのことと、請願の審査はまったく別。それを取るに足らない因縁をつけて、請願の審査をできない、とは「ただ議員定数削減の議論をしたくない」ということ、そして「いかに市政報告をだされて影響が大きかった」のか、という現れであろう。

 結局、圧倒的多数で請願の審査が延期となった。全文記録のため東京から速記者もきており、経費をかけ、審査を行うはずの議会運営委員会が、前回、前々回に続いて、引き延ばしされている。コスト意識もスピード感もまったく欠け、自らの保身を優先させているのであろう。
 全文記録の議会運営委員会が一旦、散会となり、休憩となった。

Cimg0223 速記者関係の機材を片付けたのち、11時38分から通常の議会運営委員会。議題は、平成21年5月29日(金)の臨時議会(職員、市長・副市長・議員の給与減額)、次回の定例会の日程、常任委員等の配分、正副議長選挙に当たっての所信表明について、議会慶弔内規の一部改正、議員表彰等である。
 前回の議会運営委員会で、市側からの10年の市政功労賞は辞退しようという取り決めになったが、もらうべきとする議員もおり、結局個別対応となった。
 また、驚くべきは6月からの定例会の予算審議事項の一つ、 「帆船日本丸」の寄港。
 まだ予算審議もしていないなか、会田市長が平成21年5月20日号の『広報かしわざき』の市長随筆に「帆船日本丸」の寄港のことを書いてしまったため、予算審査に配慮してほしいというのである。
 もちろん、会田市長与党の議員はダンマリ
 他会派の市政報告が審査に影響するから議論できない、としながらも、それこそ公の発行物で全世帯に配布される『広報かしわざき』に予算審議前のことを書かれていることには目をつぶるのである。同じ論法なら、予算審査前に市民に決定したかのような事を書き、議会側を予算に賛成せざるをえなくする会田市長にこそ、議会軽視として噛みつくべきであろう。
 行政と議会の2元対立の構造に加え、自らの立場を忘れてしまい、ただの市長の追認機関になっている証左である。

Dsc00125 12時45分に議会運営委員会が終了。その後、一旦自宅に戻り、小粒納豆をのせたカレーライスをかっこんだのち、昨日に続き自民党新潟県連の青年部による街宣車と合流。
 今日は2区の選挙区をまわる日であったが、柏崎市内の街宣に同行させてもらい、自民党籍のある議員としての活動に加え、市内各地で街頭から議員定数削減の顛末も説明させてもらった。

 15時過ぎに街宣車が三条方面に向かうため別れ、今日の議員定数削減の議論を報告してほしいと言われた皆さんにご連絡や訪問。

 17時過ぎ、一旦、事務所に戻り、メールや郵便物などのチェックをする。またも意味不明な匿名メールがあり、 「テレビ局と一緒になって市長をいじめるな」といった論調であった。某情報番組に取り上げられることについて、よほどの焦りがあるのであろう。

 その後、電話も相次ぎ、今日の議会運営委員会の顛末が記事として掲載された『柏崎日報』を読んだ方から「議員定数削減でオメさん、謝ったんだかね」と言われた。そもそも「会派の政治活動としての市政報告」と「議会内の請願の審査」という関係のないことをこじつけ、議論を先延ばしにしている事が問題なのである。


平成21年5月19日『柏崎日報』

議員定数削減の請願
市議会議運が
審査持ち越し

 市議会は十九日、議会運営委員会を開き、市内のグループから提出されている市議会議員定数削減の請願の審査を次回以降の議運に持ち越すことを決めた。請願は二月定例会で閉会中の継続審査となり、当初はこの日の審査を予定していた。しかし、整風会
と平成会が合同で市内に先月新聞折り込みした「市議会報告」のチラシに、定数問題をめぐって事実と違う記載があるとの指摘があり、両会派の対応を聞いてから請願を等査することになった。
 チラシでは、昨年九月定例会に議員発案で提出された定数削減の条例改正案について、継続審査の採決結果が削減への各会派の賛否になっているとして、入沢徳明氏(蒼生会)や飯塚寿之氏(みらい)が間違った情報を市民に伝えており、請願審査とかかわる問題ととただした。三井田孝欧氏(整風会)は「表現に不足があった」と陳謝しながらも「政治活動のことなので会派に持ち帰りたい」と答え、星野正仁氏(平成会)も会派への持ち帰りを主張した。
 議運ではこのほか、市議会による議員永年勤続表彰の廃止や、六月定例会で改選される常任委員会と議会運営委員会の委員配分を決めた。


 19時過ぎから夕食を兼ねた打ち合わせ。23時まで今後の展開などを話合う。

 24時近く、自宅に戻る。

2009年5月18日 (月)

自民党新潟県連青年部
県内キャラバン1区

 ブログへの書き込みや資料整理などを行い、4時に就寝。

 7時、起床。大粒納豆、生卵、なめ茸おろしでご飯2杯の朝食をとる。食後、愛車に乗り、新潟市まで移動。

090518_taiwann 今日の『産経新聞』の関東版に全面広告として、草莽全国地方議員の会、「NHK『JAPANデビュー』」を考える国民の会、日本李登輝友の会、台湾研究フォーラム、在日台湾同郷会、メールマガジン「台湾の声」、日本文化チャンネル桜二千人委員会、月刊『WiLL』による、先のNHK『JAPANデビュー』の第1回放送分に対する抗議が掲載された。

「全面広告:NHK抗議」(pdf形式)

 全国の保守系同志の議員とともに賛同し、同じ新潟県内では自民党・高鳥修一衆議院議員が賛同されて名前が掲載されている。
 明日は『産経新聞』の関西版への掲載となる。
 広告へのご支援、ご参加はこちら。
みずほ銀行 普通 阿佐ヶ谷支店 1068598
 草莽全国地方議員の会

*収支報告はチャンネル桜のサイトで行います。

 9時、自民党新潟県連に到着。今日から青年部として、新潟県内の選挙区6区を6日間かけて街宣するという、まるで参議院議員選挙のような企画である。

Cimg0211 多少を打ち合わせをしたのち、街宣車に乗り込んで出発。今日は1区(新潟市)を行うこととなった。
 街頭演説では、青年部のメンバーそれぞれに演説をしたが、私は次のような事を訴えた。

1.民主党の党首選挙の閉鎖性(県連や地方議員、サポーターにすら投票権はなかった)と自民党の総裁選の公平性(1年以上の党員にも投票権あり)

2.実は自民党は内部で世代交代が進んでいること

3.現憲法の改正・護憲ではなく「自主憲法」の制定こそ思想の左右を超えて行うべき

*本当は時間が許せば、外国人参政権の問題や人権擁護法案がいかに危険なのかをお話したいところであった。

 新潟市民の皆様の反応はそれぞれであり、「自民」という言葉がでた瞬間にドン引きし、バツ印を手で作って挑発する方や、「叩かれているけど、頑張って」という激励をくれる方もいらっしゃった。

Cimg0218 12時過ぎ、昼食をとろうと「備長炭焼肉てんてん 松崎店」(電話:025-271-0938‎)に入る。このお店は新潟市内の焼肉人気ランキングで1位になるほどで、国産にこだわる「緑提灯」のお店でもある。
 カルビ、国産鶏カルビ、上ハラミが0.5皿ずつ盛り合わせた「ランチタイム限定 ランチトリオ ライス・みそ汁付き 1000円」を注文。ご飯は大盛りにしてもらい、煙もうもうのなか美味しい昼食となった。

Cimg0220  食後から再度、再び街宣活動。
 午前中の内容に加え、中小企業の対策など行うべき、そしてこうやって若い世代だけで自民党の看板を背負った活動ができる党内の自由さ、先輩議員への批判や指摘も制限されることがないことをお話させてもらった。

 17時過ぎ、活動終了し、柏崎に戻る。

Cimg0221  18時30分 自宅に到着後、梅干しを漬けた汁をベースに各種スパイス、干し納豆、モンゴウイカ、豚モモ肉を入れて作った特製和風カレーを作り、冷凍うどん2玉にかけたカレーうどんで夕食をとる。
 祖母の分も作ったが、麺類はすでにすする気力もなく、麺を刻み、さらに牛乳でルーをのばして食べさせた。

2009年5月17日 (日)

「日の丸原発」輸出に追い風

 酔ったいきおいで、何も考えずにできる資料のファイリングを行い、3時に就寝。

 8時、起床。大粒納豆、まぐろの佃煮、海草サラダでご飯2杯の朝食をとる。

 9時から13時まで、マラソンのために柏崎を訪れた方のご家族(3家族)を市内観光にご案内。雨がふってきたため、屋内施設を中心にご案内した。

 14時、事務所に戻り、来客。雑談をしながら、冷蔵庫のなかに残っていたカレーとスパゲティミートソースを一緒の皿に入れ、ひきわり納豆をのせたもので昼食をとる。

 17時、起業に関する相談で事務所に2名が来客。2時間ほど話し込む。

 20時、冷凍うどん2玉、天かす、小粒納豆、まぐろ中落ち、アボカドで冷やし納豆アボカドうどんで夕食をとる。

 地元マスコミをはじめ、柏崎刈羽原子力発電所の再開や起動試験時のトラブルの話ばかりに集中(悪行のような報道が多いが、試験中なので、このときにトラブルがでるのは技術的には良い方向である)している感があるが、世界は原子力ルネサンスであり、大きな視点でみれば、日本原子力技術にとって、重要な動きもでてきている。
 賛成、反対ともに日本の原子力立地自治体のトップを走ってきた柏崎市だけに、こういった時期においても、世界的な視点が必要かと思い、紹介記事を以下に引用したい。


平成21年5月13日『産経新聞』

日露原子力協定締結
「日の丸原発」輸出に追い風

 日本とロシア両政府が12日、核の民生利用を促進するための原子力協定を締結したことで、原子力発電関連産業の海外進出が本格化する。ロシアは豊富なウラン資源と処理能力を持ち、日本はウランの安定調達も期待している。

ウラン安定調達期待

 ロシア政府は発電量に占める原発比率を現在の16%から、2020年に25~28%に引き上げる目標を掲げている。実現には約30基の原発新設が必要とみられ、各国のプラントメーカーが有望市場と期待している。
 ただ、参入の前提となる原子力協定の締結国は限られている。原発プラント業界は、三菱重工-仏アレバ、東芝-米ウエスチングハウス・エレクトリック、日立製作所-米GE、の3陣営が主軸だが、この中で現在、ロシアと原子力協定を結んでいるのはフランスのみ。米国は07年に協定に署名したが、ロシアとグルジアの武力衝突に反発し凍結、発効していない。
 協定締結は日本勢には大きなビジネスチャンス。原発建設の受注や現地企業との合弁など直接進出が可能になる。ロシアのアトムエネルゴプロム(AEP)と原発事業での相互協力を検討してきた東芝は、協定締結を機にAEP子会社のテクスナブエクスポートと濃縮ウラン供給の共同事業化で合意した。
 一方、核燃料となるウラン調達先としてもロシアは魅力的だ。世界の10%の天然ウランが埋蔵されており、原子炉の燃料とするのに必要なウラン濃縮の設備容量の45%を握っている。
 地球温暖化対策として原発の導入拡大を進める「原発ルネサンス」が世界的な潮流となっている。
 将来、世界のウラン需給が逼迫するのは必至で、日本にとってロシアとの関係強化は、エネルギーの安定調達先を確保するうえでも重要な意味を持つ。

2009年5月16日 (土)

NHK偏向番組『JAPANデビュー』
抗議!国民行動

 3時から6時まで仮眠。頭がすっきりしたところで、仕上げの作業をし、送信してやっと仕事が一段落となった。

 8時、大粒納豆、シラスおろし、豚肉と大根の煮物でご飯2杯の朝食をとる。

 食後、母と姪っ子を愛車に乗せて、東京に移動。途中のサービスエリア何カ所かでトイレ休憩をとったが、すべてのところで知った顔の人に出会うという不思議な日であった。

Cimg0193  12時30分、都内に到着し、東中野駅近くの「楓家」(電話:03-3361-1520)で昼食をとる。「味玉ラーメン 650円」を「Bセット ミニ温玉焼豚丼 ハーフ餃子 300円」にし、姪っ子と分けて食べた。姪っ子用に取り皿を用意してくれ、絵柄が「ウルトラマンタロウ」だったため、姪っ子は大喜び。また、サービスで子供に一杯のオレンジジュースがつく店主の心意気が憎い。ラーメンは、平打ち太めの縮れ麺がよくスープに絡み、丁寧に作った和風だしがよく合う。餃子もモチモチとした主食にできる手作りで、焼きたてをビールでいきたかったところ。また来たいと思う店であった。

 母と姪っ子を多摩動物公園まで案内したのち、渋谷駅に移動。

090516_shibuya 渋谷駅ハチ公前で街頭演説中の「東京5・16 NHK『JAPANデビュー』に抗議する国民大行動」の皆さんと合流した。
 今日は、青森市や名古屋、福岡市でも各NHK支局への抗議デモが行われ、台湾・台北市でもNHK台北支局前で抗議集会が行われている。

*主催:草莽全国地方議員の会、「NHK『JAPANデビュー』」を考える国民の会、日本李登輝友の会、台湾研究フォーラム、在日台湾同郷会、台湾団結連盟日本支部、メルマガ「台湾の声」、NHK報道を考へる会、誇りある日本をつくる会、昭和史研究所、日本世論の会、日本会議東京都本部、日本文化チャンネル桜二千人委員会有志の会ほか
*協賛報道:日本文化チャンネル桜、國民新聞

Cimg0196  これまでもNHKの偏向番組、というよりは、中立的な視点を持つべき放送法に違反していることから、個人的には違法番組と呼びたいが、何度か問題視されてきた。
 そして、NHKスペシャル シリーズ『JAPANデビュー』 第1回『アジアの“一等国”』は出演した台湾人の皆さん自らが、発言した内容と違うと怒りの声を挙げている問題である。

「有志が配布していた資料」(pdf形式)

*チャンネル桜で現地取材

Cimg0205 偏向したその内容は、台湾を独立国として認めず、併合しようとする中共政府の意向を反映したかのようなものであり、歴史上存在しない日台戦争や、台湾民族であるパイワン族の方の民族舞踊を見せたことを人間動物園と呼び、そして台湾人は漢民族が移動してきたものなど、まさに捏造
 今日は、そんな捏造報道をするNHKを糾弾しようと全国の心ある日本人、そして台湾人が集まったのである。

 渋谷駅前での街頭演説を終え、TS渋谷アジアビルでリレートークとなった。冒頭、日本李登輝友の会・会長である小田村四郎先生から問題の解説(映像は動かず、音声のみ、約11分)。
*その後、各界からのご挨拶。敬称略:渡部昇一、田久保忠衛、田母神俊雄、黄 文雄、中村 粲、佐藤 守、松島悠佐、柚原正敬、永山英樹、林 建良、三輪和雄、西村幸祐、井上和彦。


決 議 文

本年四月五日に放送された「NHKスペシャルJAPANデビュー」第一回「アジアの〝一等国〟」は、放送法第三条に「報道は事実をまげないですること」「意見が対立している問題については、できるだけ多くの角度から論点を明らかにすること」と定めているにもかかわらず、台湾統治時代の日本が一方的に台湾人を弾圧したとするような視点で番組を制作した。
これは、日本人に自虐史観を植え付け、さらには台湾人の親日感情に支えられている良好な日台関係に楔を打ち込もうとするに等しく、まさに中国が喜ぶような内容であり、視聴者に対する許しがたい背信行為であるとともに、台湾人への侮辱行為である。
それどころか、取材や編集の過程で、台湾現地での「やらせ」取材や歪曲取材、サブリミナル効果などを狙ったとしか考えられない悪質な印象操作編集を行ったことが明らかになった。
このようなプロパガンダ番組は、国民の税金と視聴料によって経営されている公共放送として、絶対に許されるものではなく、放送法に抵触する犯罪行為であると言っても過言ではない。
番組に対する有識者や視聴者からの批判は少なくなく、衛星放送「日本文化チャンネル桜」の二度にわたる台湾取材により、ほとんどの番組出演者が放送を見て不満や怒りを述べ、やらせ取材の実態が明らかにされている。また、「日本李登輝友の会」は抗議声明や公開討論会の開催要請を提出し、国会議員でつくる「日本の前途と歴史教育を考える議員の会」も公開質問状を提出した。しかし、NHKからの回答は、内容に偏向はなく事実関係にも間違いがないと強弁するのみで、真摯に番組を省みることのない誠意のかけらもない欺瞞に満ちたものだった。
その上、福地茂雄会長や日向英実放送総局長は記者会見において、番組に問題なしと断言し、「一方的」だと批判する大多数の視聴者の「声」を黙殺した。それによって、これは単なる一番組の偏向問題などではなく、NHK全体に及ぶ放送、制作姿勢の問題であることが明らかになった。
従って、我々はこの問題を公共放送の危機ととらえ、NHKに番組制作責任者の罷免と訂正・謝罪放送、並びにシリーズ「JAPANデビュー」の制作と放送中止を要求する。そして国民に対し、NHKが訂正放送を実施するまで受信料の支払い拒否を呼びかける。また政府に対しては、放送法を改正してNHKとの受信契約を自由契約に切り替えるよう要求する。
我々は以上のような要求とそれに伴う行動を以って、NHKの悪辣な暴走を断固阻止する国民運動を拡大強化して行く。
以上、右、決議する。

平成二十一年五月十六日

NHK「JAPANデビュー」に抗議する国民大行動 参加者一同
草莽全国地方議員の会
NHK「JAPANデビュー」を考える国民の会           
日本李登輝友の会
台湾研究フォーラム
在日台湾同郷会
台湾団結連盟日本支部
メルマガ「台湾の声」
NHK報道を考へる会
誇りある日本をつくる会
昭和史研究所
日本世論の会
日本会議東京都本部
日本文化チャンネル桜二千人委員会有志の会
新しい歴史教科書をつくる会東京支部
新しい歴史教科書をつくる会東京三多摩支部

日本放送協会
会長 福地 茂雄 殿


Cimg0204 その後、私を含めた草莽全国地方議員の会の紹介があり、地方議員は宮下公園に移動して、順々に演説となった。
 宮下公園には、通路はもとより、立つ場所がないほどに参加者が集まっており、熱気ムンムン。
 台湾人を代表して、メールマガジン「台湾の声」編集長であり、台湾団結連盟日本代表である林建良氏も、NHKへの怒りを熱く語った。


2009年5月13日『SAPIO』

NHKスペシャルは「日本精神」を
尊敬する「親日台湾」を侮辱した

    台湾団結連盟日本代表 林建良

 4月5日に放送されたNHKスペシャル「シリーズJAPANデビュー」の第1回「アジアの〝一等国″」は日本の台湾統治の苛酷さを強調し、大きな波紋を呼んだ。次々と紹介される台湾人の「反日」証言。「親日台湾」は幻影に過ぎなかったと、多くの日本人を落胆させたが、それでも視聴者から囂々の非難が起こっているのは、騙されなかった人も大勢いるということだろう。
 衝撃は日本人以上に台湾人の方が大きかった。なぜなら、信頼すべき日本のNHKが、なぜ事実歪曲をしたかが理解できないのだ。一番多く歴史証言で登場した柯徳三氏(87)は「NHKに騙された」と語っている。台湾人への差別など負の面の証言だけが取り上げられ、プラス評価の部分がすべて削られたからだ。日本人にメッセージを送るためと、一生懸命NHKの取材に応えたというのにと。
 これまで私は、台湾の親日感情が強調されるたびに、一台湾人として情けなくなった。なぜなら、戦後の日本政府は一貫して台湾人には冷淡だからだ。しかし今回「反日」に仕立てられたことには強い怒りを覚えている。親日感情の強い親父の世代を「反日偽造工作」に加担させたNHKの手口は、侮辱である。
 彼らに恨みがあるとすれば、それは日本による統治にではなく、台湾人に相談もなく台湾を勝手に捨て、その後は見向きもしない戦後日本に対してだ。柯徳三氏も今回、そのように知人に語っている。番組に出た元日本兵の台湾人も、「我々をみなしごにした」と日本を罵っているではないか。番組はきちんと説明していないが、その行為が正にそうなのだ。NHKは、その台湾無視の「戦後日本」の象徴のようなものだ。
 戦後の国民党の暴政に耐えてきたあの世代の人々の心の支えは、誠実さを原点とする「日本精神」だ。柯徳三氏は05年、『母国は日本、祖国は台湾 或る日本語族台湾人の告白』(桜の花出版)を出版し、日本に対する思いを次のように綴る。
「私の思う日本精神とは、人間性のある素直な精神です。捻くれた人間ではなく、真面目で正直だという事でしょう。これは、私だけでなく、日本時代を経験した台湾人は一般的にそう捉えています。根本が正直で、裏表がありません」
 ところがNHKのディレクターに「日本精神」はなく、台湾人に欺瞞的な手法を使った。彼らが晩年まで大切にしていた精神の砦は、無残にもこの若い日本人によってぶち壊されたのだ。
 柯徳三氏は2001年に放送されたNHK衛星放送の番組「アジアWho’s who」シリーズの「台湾の日本語族」にも登場し、医師の仕事の傍ら、ボランティアで日本語を教え、楽しそうに日本の童謡を歌っている。氏と同年代の台湾人たちも日本語で語り合いながら、日本人として教育された時代のことを懐かしんでいた。同じ老人が同じ時代について語っているのに、二つの番組のトーンはまるっきり逆だ。NHKは台湾を反日に仕立てることに急いで、自らの矛盾に気付かなかったのか。
 「反日台湾」のイメージを国民に与え、日台分断を図るNHKの意図は何か。柯徳三氏はそこに「中国の意向」があると疑っているそうだが、そのとおりではないのか。NHKが2007年に二度にわたって製作した「青海チベット鉄道」特別番組を思い出そう。チベット人への弾圧や略奪に使うあの鉄道を美化している。過去の日本の植民地支配を批判しながら、現代中国の植民地は美化するのだ。
 日台さえ分断させれば中国の台湾侵略に弾みがつく。そして台湾併合後は日本も中国の勢力圏に組み込まれる。
 そのような侵略国家に加担するNHKは、今や銃口を自国民に向ける洗脳軍隊に化けた。日本人は何時までその怪獣を養い続けるのか。


Cimg0206 色々な方が集まっており、何名かの方から旧柏崎トルコ文化村のアタチュルク像問題について、 「ネットでの署名をした」「日本人として恥ずかしいので早く解決して下さい」など叱咤激励を頂戴した。ありがたいことである。
 またネットでもこのデモ行進にかなりの呼びかけがあったようで、目印を持って、参加者を待っている姿が微笑ましい感じであった。

Cimg0209 宮下公園での集会のシメは、三輪和雄氏によるシュプレヒコールの練習(映像は動かず、音声のみ、約1分)。
 参加者が1000名を超えたであろう16時30分、200名規模での小隊を作り、台湾のイメージカラーである緑色の風船をもって、デモ行進を開始した。

 草莽全国地方議員の会メンバーの同志の地方議員とともに横断幕をもって、シュプレヒコールをしながら、NHKまで行進。
 東京都議会議員選挙が近いことから、現職の都議会議員は参加できないとの話であったが、さすが同志である自民党・小磯明都議会議員、民主党・吉田康一郎都議会議員は参加された。党を超えて、是非、両名とも再選してもらいたい。

 帰りの時間もあるため、後ろ髪を引かれる思いで、17時30分過ぎにデモ行進から離脱させてもらう。

 母、姪っ子と東中野駅で待ち合わせ、帰路につく。姪っ子はコアラやキリンを見たと大興奮であった。

Dsc00124  19時20分、上里サービスエリア内の「吉野家 上里サービスエリア店」(電話:0495-33-2666)にて、「牛丼大盛り 480円」に「けんちん汁 120円」、「生卵 50円」で夕食をとる。
 他の子供が近くでソフトクリームを食べていたため、姪っ子はソフトクリームばかりに目がいっており、食事はそっちのけ。なだめつつ、食事を食べさせる。

 21時30分過ぎ、自宅に到着。約束していた某集まりの懇親会2次会途中から参加する。
 他のメンバーも既に深酒の様子であったため、23時にお開き。

 24時近く、自宅に戻る。

2009年5月15日 (金)

海上自衛隊派遣反対!でも守って?
ピースボートの倫理観

 なかなか作業が終わらず、5時から7時まで仮眠。

 8時、大粒納豆、目玉焼き、筍の煮物でご飯2杯の朝食をとる。

 9時過ぎまで事務仕事をしたのち、市役所に移動。

Cimg0183 10時から議会運営委員会に出席する。議題は、平成21年5月23日(土)13時から市議会全員協議会を開催することについての承諾。当日の協議事項は柏崎刈羽原子力発電所7号機の起動試験の経過についてであり、原子力安全・保安院からの報告を受ける。同日は、10時から東京電力からの報告を受ける中越沖地震原発調査対策特別委員会報告会も開催されるため、異議なく全会派で承諾となった。
 その他の協議事項として、来週19日に開催される議会運営委員会で議題となる議員定数削減に関する請願について、議会活性化の議論と平行するため、再度「継続審査」にした方が良いのではないか、との意見が出された。
 議会活性化の話と、請願が願意妥当かどうか(請願の審査)の判断は別であると意見を述べ、その後、話は元に戻り、次回の全文記録の議会運営委員会で議論することとなった。

Cimg0184  11時から13時過ぎまで市内まわり。ビーチクリーンに関するお願いでコミュニティセンターや町内会長のご自宅をまわる。
 途中、12時過ぎ、柏崎市立博物館に寄り、「昭和30年代の柏崎写真集」を購入。せっかく立ち寄ったので、玄関周辺の展示物である真空管ラジオを見させてもらった。

Cimg0185  14時、妹が立ち寄ったので、冷凍うどんとレタス、水菜、紫玉葱、ゴーダチーズ、プチトマト、鰺の刺身、ひきわり納豆をつかった納豆サラダうどんを作り、昼食にする。
 にぼしを基本にとったダシを麺の下にひき、うどん、納豆、野菜、刺身の順にのせ、最後にマヨネーズと胡麻油で風味付けをした。

 15時から17時まで市内某社で、パソコン入れ替えの下準備。

Dsc00122  18時、姪っ子を連れて、明日、中越沖地震後の再スタートとなる「小さな絵本館 サバト」に届けもの。
 明日のオープンの準備はあらかた終了して会食をしており、お誘いを受けたため、厚かましいとは思いながらも、姪っ子とともにお邪魔させてもらった。

 19時、自宅に戻り、頂き物のピザ、甘海老とハマチの生寿司、ひきわり納豆汁で夕食をとる。 

 依頼された仕事がまだ終わっていないため、20時から事務所にこもり、作業を行う。

 海賊対策のための海上自衛隊派遣について、民主党はもとより、社民党、共産党は反対の議論をしていたが、それと同時にいわゆる「左側」と言われる民間団体でも派遣への反対活動が行われたのは記憶に新しい。
 ところが、反対活動をしていた民間団体自体が、海上自衛隊により護衛してもらっていたとの報道があった。
 これをダブル・スタンダードという。

 また、同じ論法を【どこかのまち】でも見かける。

 「原発反対!でもお金チョーダイ」

のところである。


平成21年5月14日『産経新聞』

「反対、でも守って」
ピースボート 海自が護衛

ソマリア沖

 海賊対策のためアフリカ・ソマリア沖に展開中の海上自衛隊の護衛艦が、民間国際交流団体「ピースボート」の船旅の旅客船を護衛したことが13日、分かった。ピースボートは海賊対策での海自派遣に反対しており、主張とのギャップは議論を呼びそうだ。
 海自の護衛艦2隻は11日から13日にかけ、ソマリア沖・アデン湾を航行する日本関係船舶7隻を護衛。うち1隻がピースボートの船旅の旅客船だった。
ピースボートは社民党の辻元清美衆院議員が早稲田大在学中の昭和58年に設立。船旅は寄港地の非政府組織(NGO)や学生らと交流を図ることなどを目的としている。
 66回目となる今回の船旅は約3カ月半に及ぶ地球一周で、北欧5カ国とフィヨルドを巡るのが目玉。約600人が参加し、4月23日に横浜港を出発後、中国とシンガポールに寄港。ピースボートのホームページには船旅の最新リポートとして、デッキで催されたフルーツパーティーの様子が掲載されている。
 ピースボート事務局によると、船旅の企画・実施会社が護衛任務を調整する国土交通省海賊対策連絡調窒室と安全対策を協議し、海自が護衛する船団に入ることが決まったという。
Pb  ピースボートは、市民団体による海自派遣反対の共同声明にも名を連ねている。事務局の担当者は「海上保安庁ではなく海自が派遣されているのは残念だが、主張とは別に参加者の安全が第一。(企画・実施会社が)護衛を依頼した判断を尊重する」と話している。

2009年5月14日 (木)

アタチュルク像問題、市長記者会見

 3時、就寝。

 7時、起床。大粒納豆、塩鯖、ポテトサラダ、なめこと若布の味噌汁でご飯2杯の朝食をとる。

 9時、事務所に来客。不況による人員削減とのことで、何か商売をはじめたいとの相談であった。

 11時過ぎ、事務手続き等で市内まわり。途中、市役所に寄り、資料のコピーなどを行う。

 13時、一旦自宅に戻り、なめこと若布の味噌汁の残りと冷やご飯、卵、干し納豆で納豆おじやを作って昼食にする。

 13時30分、事務所に来客。資料提供などをしたのち、市内某所での打ち合わせ。

 16時、市政へのご要望があるとのことで、市内某宅に伺い、お話を聞く。家庭ごみ有料化に対し、これまで旧社会党系の方に反対をお願いしてきたが、今回はさっさと賛成をし、どうなっているのか?とのことであった。他会派、他党のことなので、回答となるようなことはできず、現状のみを説明した。

 他党といえば、民主党の小沢一郎代表が辞任したため、代表選挙をやるとのことであるが、民主党サポーターに投票権がないという。
 自民党は一年以上の党員であれば、総裁選挙に対し投票権をもつ。そして、総裁選もできる限り全国を遊説しての政策論争をやり、その後に選挙が行われる。
 他党のことではあるが、自分の党を応援してくれる方をないがしろにしていると思う。

 18時、事務所に戻り、選挙スタッフだった某氏に資料の整理やファイリングをお願いしつつ、映像の作成など依頼された仕事をこなす。

Cimg0182  19時、冷凍庫の奥底に眠っていた佐渡産の「一夜干しするめ」のげそや、一昨日の懇親会の席で残りものとしてもらってきた大量の大葉を天ぷらにし、干し納豆をだしに枝豆を入れて炊いた豆ご飯とともに、夕食にする。
 揚げたてでビールをウグウグっといきたいが、仕事がかなり詰まっており、さっさと食べ、その後は事務所にこもって依頼された仕事。

 昨日の柏崎市長定例記者会見のなか、会田市長はアタチュルク像問題について、記者からの質問に対し、

 「進展はない」

と答え、さらに外務省との情報交換について問われると、

 「現状の問い合わせだけしかない」

と答えたという報告があった。
 某国会議員を通じて私のところに入ってきている情報とはまったく違う回答である。
 誰が嘘をついているのであろうか。

 ちなみに「市長への手紙」にアタチュルク像についての問いただしがあり、以下のようなやりとりが柏崎市のホームページに記載されている。


 中越地震以降、トルコ文化村にて倒れたままで放置されていて、さらにこれをなんとかしようと議会で議案が出たにもかかわらずあっさり却下してしまうような議会はよっぽど見識の無い議員が過半数を占めているということでしょう。
 さて、財政が苦しいというのは承知しております。であれば募金を呼びかけてでも、一日も早くこのアタチュルク像に対して対応できるようにするのが柏崎市の使命であると考えております。
 ただの像ではなく、トルコにとっては日本の皇室に値する偉大な心です。日本とトルコの友好に対して大きな亀裂が入ろうとかまわないという結論を選んだ柏崎市議会など無視して、早急にこのアタチュルク像の復旧が行えるようにしなければならない事は聡明な市長ならば知らぬはずは無いと確信いたしております。
 市役所の方に連絡をすると係争中を理由にのらりくらりと言い逃ればかりが続きます。権限が無いのですから致し方ありません。であればこそ、市長がきちっと対応していただかなくてはなりません。
2007年9月には市長は早急に対応したいとおっしゃっていたではありませんか。買い取った業者からも対応を求められたのに「想定外。市の物ではないので、市が補修したり買い取ることはない」などという最低の物言いをしたのは事実でしょうか?まさか良識ある日本人であればこのような最低最悪な物言いをするとは思えません。血の通っていない心のない人間ならばこのような発言はするかもしれませんが、市長はそのような唾棄すべき人間ではありません。
 見識ある市長として当然ながら直ちに行動に移される事は間違いないだろうと考えておりますが、やはり念を押して確認させていただきたくメールを出させていただきました。
 アタチュルク像の復旧は早急に行うのは当然でしょうから、いつ頃どのような形で行われるかお教えください。
 また、「係争中だから云々」という言い逃れを市役所の方からは散々聞いておりますので、そのような言い訳をしないようにきちんと方針として通達してください。
   

 お手紙拝見いたしました。
 旧柏崎トルコ文化村にあるアタチュルク像ついては、在日トルコ共和国大使館の理解を得て、土地及び他の物件と共に民間会社に有償譲渡したものであります。会社も利用計画の中でこの像の活用を意図し、実際にその用途に供しておりました。残念ながら新潟県中越沖地震で被害を受けたため取り外し、施設内で保管されているものであります。
 市としては、会社から無償譲渡してもらい、しかるべき場所へ建立をするべく会社側と交渉をしているところですが、他の案件で裁判になっていることからなかなか折り合えない状況となっております。このことは、在日トルコ共和国大使館及び外務省に対して経過を説明し理解をいただいているところであります。
 今後もしかるべき場所への再建をめざし、引き続き粘り強く会社側と交渉を続けてまいります。また、必要に応じて在日トルコ共和国大使館や外務省と連絡を取りながら進めてまいりたいと考えております。


 本当に正しい情報を外務省に伝えたのであろうか。
 外務省からは現状の問い合わせしかなかったと逃げているが、日本人としてそれが本当に正しいと思っているのか理解に苦しむ。
 さらにいえば、在日トルコ共和国大使館にも説明し、ご理解頂いたとあるが、

 「頂いた銅像が
  裁判の
駆け引き材料になってますが・・・」

とでも説明しに行ったのであろうか。
 外務省に説明するなら分かるが、贈ってくれた相手(トルコ共和国)に対し、理解を求めに行くという自体が、本来は恥ずかしい行為である。
 日本国内の問題として、キチンと対処してから報告するのが筋であって、まったく筋道を間違えており、さらに言えば贈ってくれた相手(トルコ共和国)側の大人の対応に甘えているだけだ。

 ちなみに、この問題を取り扱うTBS系の某情報番組
平成21年5月24日(日)13時
からの放送と決定した。

2009年5月13日 (水)

ステップ1 第9回勉強会
議員定数削減について

Cimg0174_2 1時過ぎ、最後のシメとして「屋台屋」(電話:0257-24-6263)に行き、餃子をつまみにビールを飲みつつ、「ドラゴンラーメン」。
 辛いラーメンであったが、酔った体にはちょうどよい・・・・。しかし、不摂生の極みである。

 2時、帰宅。シャワーを浴び、急ぎのメールのみ返信をして、3時に就寝する。

 7時、起床。大粒納豆と生卵でご飯をかっこみ、新潟市に移動する。

 9時から11時過ぎまで、某社にて輸入関係の仕事の打ち合わせ。

 コンビニで購入した納豆巻き2本、低脂肪乳、グレープフルーツジュースで昼食をとりつつ、柏崎に戻る。

 14時、15時、17時と相談や陳情の来客が続いた。柏崎商工会議所で行われる「EV・pHVタウン構想」に関わる講演会に出席予定であったが、急遽の欠席となった。2回実施されるようなので、次回は出席したい。

Cimg0169  19時過ぎ、ワークプラザ柏崎に移動し、19時20分から「ステップ1」の第9回勉強会に出席させてもらう。
 先の議会で「ステップ1」提出の「柏崎市議会議員定数の削減に関する請願」が継続審議となっており、その意見も聞くため、全市議会議員に出席の依頼がかかったものである。
Cimg0169 しかし、何だかんだ理由をつけたり、まったく返事がないとのことで、結局は6会派13名(1名、急遽の欠席で12名)の出席となった。
*会派として欠席は、市民クラブ、柏崎のみらい、社会クラブ、蒼生会。配布資料にもあったが、某会派の欠席理由のなかには、市民の側に立つ市議会議員とは思えないものがあった。

「ステップ1 配布資料」(pdf形式)

 まずは各会派の代表者から会派の説明を1分間。その後、2つの質問が出席者全員に行われた。持ち時間は一人2分間とのことであったため、簡潔に以下のように答えた。

1.議員定数は何名が適当か?

 24名が最適かと思う。
 電話もなかった時代には意見も聞くのも大変であったが、電話が普及し、さらにはFAXまででてきて、コミニケーションツールが進歩した。さらには現在ではネットもあり、市民の意見を広く聞く環境が整っている。
 委員会が4つあり、その倍数であることからも24名という意見。
 お前が落選する、と言われるが、自分の立場と議員定数の議論は別だと思っている。

2.市議会議員としての普段の活動

 大きく3つある。
 1つは、毎議会で一般質問を欠かさず行っているため、その調査と資料集め。もちろんのことながら、市民の方からの要望にもお応えすべく活動している。
 2つめとして、1つめの事を含めて、すべて自分の行動や集めた資料、議会で配布されたものをブログで公開、ほぼ毎日更新している。さらに公の存在としての活動に加え、私としての活動もすべて公開し、皆さんにご判断頂けるようにしている。
 3つめは、個人としても議員としても大切だと思っている近現代史や資産の掘り起こし。
 明治時代までを研究する方は多いが、昭和に入ってからの近現代を掘り起こす方はなかなかいない。昭和47年生まれとして、昭和として活気がある頃に育った人間として、昭和の掘り起こしをしたい。
 例えば、新民謡。戦前に淡谷のり子が歌った「アノソ節」、そして「柏崎小唄」はもとより、柏崎が町制から市制となったのは昭和15年であるが、その市制施行20周年を記念して、昭和47年にレコード発売された「柏崎慕情」「海の柏崎」などは、その存在が忘れ去られている。
 もう一点例を挙げれば、「浜ぼうふ」など消えた柏崎の名物。私が小さい頃は、浜にはグミのようなものや浜ぼうふがあったが、近代化の過程で消えてしまった。先輩議員、歴代の市長のご努力により、柏崎は近代化してきたが、取りこぼしてしまった柏崎の大切なものがあったはずであり、そういったものを取り上げていきたい。

 その後、意見交換となり、参加された皆さんからの質疑応答となった。先輩議員が多くいらっしゃったので、特に前面にでて喋ることはしなかったが、最後の質問「議会、議員としてどうあるべきか」については、以下のようにお答えした。

 これも3つある。
 1つは、行政をチェック・監視する立場であるからこそ、市職員に負けない知識と幅広い人脈を築くことに努力すること。
 2つめは、蛮勇ではなく、勇気をもって、指摘することは指摘すること。市長をはじめ、市職員に嫌われるから、と遠慮する方もいるようだが、議員本来の仕事は指摘することであり、行政側と組織は別。いくら嫌われようとも、信念をもって発言・行動する。
 最後は、自分でもいつも

 「至誠に悖る(もとる)なかりしか」

と問うているように、誠の一字。議場内の発言と、議会の外で市民の皆さんに話す内容が違う、その場その場だけ違った発言をする方もいるようだが、そういった事は一切しない。誠をもって政治を行うことである

 21時35分に勉強会が終了となった。本来であれば、議員側から市民の皆さんにアプローチすべきところを市民側から、このような場を設けてもらったことに敬意を表し、感謝したい。

Cimg0177 スーパーで買い物をしたのち、22時近くに帰宅。
 半額になっていた「のり弁当 298円」(実質 150円)とひきわり納豆汁で夕食をとる。よく考えたら昨日も「のり弁」。主役でもなく、ご飯の上に敷物のようになっている海苔であるが、弁当の名称に使われるというニクイ奴である。

2009年5月12日 (火)

09柏崎JC5月例会(担当)
「美しい海を後生に残すために」

 柏崎青年会議所の担当例会で使う資料の最終校正をして、3時に就寝。

 7時、起床。大粒納豆、豚肉とピーマンの油炒め、生卵でご飯2杯の朝食をとる。

 8時から市内某町内会長のところに伺い、陳情をうける。なかなか難しい内容であり、市の仕事ではなく、県の仕事になるため、後日、一緒に県議会議員のところに頼みにいくことで決着した。

 10時から13時まで市内某所でのマスコミ対応。

Cimg0169  13時過ぎ、一旦自宅に戻り、岩手県宮古市の秋刀魚の寒風干し2尾とご飯、ひきわり納豆汁で昼食をとる。
 食事中、電話があり、柏崎市内への誘致をしたかったアメリカンフットボールの合宿が場所の関係上、候補地から外れたとのことであった。
 やはり天然芝で、サッカーやアメリカンフットボールもプレー可能なところを用意し、地域経済活性化、そして子供たちのスポーツのレベルアップ(「体育の柏崎」)のためにも、試合や合宿をガンガンと誘致したいものだ。

 14時、事務所に来客。ご年配の方から、過去に録音された大量のカセットテープをCDに変換してほしいとのご依頼であった。カ ビがついているものやヨレているテープがあり、デジタル的に完全に処理できるかどうか、やってみないと分からない旨、確認させてもらった。

Cimg0171 16時、柏崎エネルギーホールに移動し、今日の担当例会「柏崎青年会議所5月例会 ~海のまち 柏崎『美しい海を後生に残すために』」の準備を行う。
 主に映像を使う例会の仕立てにしたため、国旗とJC旗はサイドの高い位置に掲揚するやり方を初めて採用した。

Cimg0170 17時30分、今年卒業となるベテランの委員会メンバーの Nさんから「のり弁当」の差し入れを頂戴した。ありがたい限りである。
 久しぶりに食べる「のり弁」であったが、思ったよりボリュームがあり、満腹となった。学生時代には、2つ食べても足りないほどであったが、年齢のせいであろうか。

Cimg0172  あらかたの準備が終わり、せっかくの大画面なので『ウルトラマンメビウス』のなかで一番好きな第34話「故郷のない男」をみつつ、開場時間を待つ。
 18時30分から開場となり、19時からセレモニー。19時30分からオブザーバーとして、柏崎市役所環境政策課、柏崎青年工業クラブの皆さんをお迎えして、例会がスタートとなった。パソコン操作と音響などを担当したため、自分自身はずっと座ったままである。
 第一部は「地球規模での環境問題と新潟県の海の生態系の変化」として、地球全体の環境の話と柏崎沖がどうなってきているのかの説明。第2部は「私たちに取り組めるエコ~環境経営を考える~」として、経営者として取り組む経営とエコアクション21の紹介。そして、第3部では「海洋漂着ゴミの現状と影響」として、ビーチクリーンを行う意義、そして海岸の漂着ゴミの説明を行った。
 室長、委員長をはじめ、委員会各メンバーの協力により、無事、21時過ぎに例会を終了することができた。

 持参してきたプロジェクターや自立スクリーンなどを片付け、遅参となったが懇親会会場の「日の出寿司」(電話:0257-23-4536)に移動。
 お店に入ったところで色々な知っている方に出会い、いまの柏崎市政はどうなってるんだ!とのお叱りや陳情を頂戴した。市政の一端を担うものとして、市政への苦言はすべて甘受すべきものであるが、お叱りを受けたのは議員として抵抗した議案であり、本来であれば「とにかく何でも市長に賛成」の市長与党議員によく聞いてもらいたいものである。
 懇親会は盛り上がり、23時過ぎまで痛飲となった。

Cimg0173  24時近く、柏崎青年会議所のOB、いやOGの某店に行き、2次会。
 色々な方が話し込んでいる横で、今日の例会で司会を立派にこなしたものの、最後の最後に「室長謝辞」を「ちつちょうちゃじ」と言ってしまったN君と意味不明なカラオケメドレーを行う。

2009年5月11日 (月)

柏崎の名を汚した張本人?

 3時、起床。ここ2日間ほどで溜まった仕事や出張の報告書などを書く。

 8時、大粒納豆、茄子の味噌炒め、ミニトマトのサラダでご飯2杯の朝食をとる。

 9時から11時まで市内某所での打ち合わせ。その後、市役所に移動し、事務仕事を行う。その際、議会事務局にて、平成21年5月23日(土)に全員協議会及び中越沖地震原発調査特別委員会の報告会を行いたい旨の相談があり、各会派の議員の都合がそれしかないとのことで承諾した。それまでに議会運営委員会を開催する必要もあり、また会派としても勉強会を行わなければならないため、スケジュールの大幅変更となる。

 13時過ぎ、一旦事務所に戻り、来客。その後、差し入れでもらったチーズフランスパン、低脂肪乳、グレープフルーツジュースで昼食をとる。

 15時から市内某宅に伺っての作業。修理の依頼であったが、結局は使用方法の問題とわかり、1時間ほどで終了となった。

Dsc00118  17時、柏崎エネルギーホールに移動し、明日開催となる柏崎青年会議所5月例会「海の町柏崎 美しい海を後生に残すために」のリハーサルに出席。
 ほぼ時間通りに設備の準備をしたが、肝心の発表者が仕事の関係で遅くなり、メンバーが揃うまで大画面で懐かしの『仮面ライダー(スカイライダー)』を観る。
 リハーサルが開始となり、約1時間ほど経過したところで、休憩。委員長の差し入れのおにぎり(鮭)で小腹を満たす。

Dsc00119 22時、自宅に戻り、豚汁、鰯の味噌煮、筍の刺身とひきわり納豆をのせたご飯で夕食をとる。
 味噌煮にして美味しい魚は数あれど、鯖と鰯がその双璧かと思う。秋刀魚もイケるのではないかと思っていたが、美味しい秋刀魚の味噌煮には出会ったことがない。

 匿名のメール(返信すると既にユーザーが無いものを含む)や、自宅への電話が何件かあったが、その大半はアタチュルク像問題についての事であり、その論調は判を押したように同じで、

 「柏崎の名を汚しているのは三井田」

という内容であった。
 そもそも問題となる原因を作ったのは誰であるのか、そしてそうならないように何度も指摘し続けてきた事を無視し、案の定、
ドツボにハマったのは誰なのか
 ハマった結果、裁判となり、その裁判にかかる弁護士費用は市民の血税が使われている。市民の金銭的な利益ですら、すでに失っており、裁判の結果いかんによってはさらに市民の血税を使う可能性もある。
 また、地代が未払いになっていることで苦しんでいるのは、柏崎市民。地代が3年間も入っていない地権者から、柏崎市はキッチリ固定資産税は回収しており、柏崎市民である地権者を苦しめているのである。

 これまで行ってきた、以下のような各段階での指摘をご覧頂ければ、「市長の足を引っ張る」どころではなく、「失敗しないように指摘してきた」ことは自明であろう。

・トルコ共和国が国をあげての運営を行うなら
   一度やってもらってみては
 <一度は、トルコ人が運営するリアル・トルコ村
                を見てみたかった。>

 → 一般公募に参加せよ。

・他国からの贈りものを一緒に売るな!
 <せめて、移設してから施設を売却せよ>

 → 契約で協議することを明記して一括売却する。

・契約に書いても第3者に効力が無い
 <買い戻し特約をはじめ、十分対処せよ>

 → 対処するとしながら、議案可決後に撤回。

・銅像がいまだ元に戻っていない。
 <売却時の契約違反ではないか>

 → 遺憾に思うが、契約違反による解除はしない。

・訴訟となったが、銅像の件は別である。
 <銅像の関係のない裁判問題と切り分けよ>

 → 銅像の件で謝罪すると、裁判に不利になる。 

 さらに言えば、実際に起こっている問題をここで隠蔽していては、将来の柏崎、いや新潟県人、日本人はもっと恥をかくのである。
 私への誹謗中傷をしたいのであろうが、せめてアタチュルク像の問題を解決してからにしてもらいたいものだ。

2009年5月10日 (日)

陸上自衛隊信太山駐屯地52周年式典

 3時、起床。昨日早く寝たため、早朝から目が覚めてしまった。外はまだ暗いものの、堺市内を色々と探検してしてみようと思い、ホテルをでて散歩。

Cimg0142  仁徳天皇陵をはじめ、百舌鳥古墳群を3時間半ほど歩き回り、かなりの運動となった。
 途中、犬の散歩をしている方と立ち話になり、こんな時間にそんな焦ったように歩いていると何かの犯人かと疑われるから気をつけろ(気ぃつけぇやぁ)とのことであった。

 7時、ホテルに戻り、シャワーを浴びる。

Cimg0143  8時、ホテルの2階でビュフェ形式の朝食をとる。関西のホテルでも納豆をだすようになっていたのは分かっていたが、このホテルの納豆は「生駒山麓生まれの大阪育ち 大阪納豆」(有限会社山重食品)であった。中国産大豆使用とはいえ、その名称が旅先のホテルらしく感じて良い。
 納豆で2杯、生卵で1杯のご飯をたべ、ついでに味噌汁も2杯飲んでしまった。

Cimg0149  9時過ぎ、陸上自衛隊信太山駐屯地に到着。途中の道路整理係として、震災時の給食支援でご活躍頂き、現場から離れる際に「ふんどし」をもらったN山さんをお見かけした。
 それにしてもかなりの人気があるイベントらしく、道路はかなりの混雑である。
 受付にて、来場したことの確認と懇親会費を払うとともに、えんま通り商店街の皆さんからお預かりした、信太山駐屯地へのお祝いのお酒もお届けした。

Cimg0150  10時から陸上自衛隊信太山駐屯地52周年式典が開始。真夏かと思うような暑さで、炎天下のなか直立不動で待つ隊員の皆さんはさぞかしつらかろう、という天候である。
 指揮官として、第37普通科連隊長兼信太山駐屯地司令の大庭一等陸佐が登壇。従来は、制服を着て乗用車での登場であったが、戦闘服姿で現れ、北朝鮮のミサイル実験、公表されているだけでも15%の伸びを見せている中国の軍事費など脅威は拡大しつつあるとの挨拶であった。天候が暑いだけなく、指揮官もかなりアツく、気合いが入っている。
Cimg0151  気合いが入っているといえば、来賓祝辞での改革クラブ・西村真悟衆議院議員。

 「我が国を取り巻く内外の情勢は、今連隊長が言われたように、まことに厳しいものがある。しかしながら、この中にあって、防衛省の内局は、『日本は悪い国でした。ごめんなさい』という村山富市談話を諸君の部隊にまで浸透させようとしているやに聞く。このようなことは、共産主義国家において、例えばスターリンの軍隊や毛沢東の軍隊をつくる時の手法である。
 しかし、諸君は、
 
村山富市の軍隊ではない!
 誇りある民主国家日本の自衛官である!
 この村山富市談話をドブに棄て、これを部隊に広めようとする
防衛省内局を更迭するのは政治の仕事であるから、私はその任務を尽くす。
 そこで諸君には、祖国日本に対する愛と、自信と、誇りをもって、その祖国を守る為の訓練を日々続行されることを切にお願いする。終わります。」

 会場からは拍手喝采であった。

Cimg0152 その後は観閲行進。スタートは陸上自衛隊公式行進曲である「大空」(作曲:須摩洋朔)であったが、普通科連隊の行進になったところで、「陸軍分列行進曲」(作曲:シャルル・ルルー)に変わり、ギャラリーからも歓声が上がった。
 個人的には普通科、いや歩兵連隊にはこの曲が一番似合うと思う。

Cimg0155  中越沖地震後の給食支援でも活躍した炊事車(炊事車を牽引するトラックの運転は、 「さざれ石」を運び、震災時も活躍した熱い男・N山2曹)をはじめ、各車両、74式戦車、回転翼航空機なども披露されたが、個人的に注目していたのが化学防護車。
 オウム真理教による地下鉄サリン事件の際に初めて出動し、活躍した車両である。
 次世代車両として開発中の化学防護車と生物偵察車を一本化したNBC偵察車の完成が待たれるところであるが、こういった車両を多く、高田駐屯地に配備してもらいたいと思う。
*NBC:Nuclear(核) Biological(生物) Chemical(化学)

Cimg0159  観閲行進終了後は、自衛隊音楽まつりでもお馴染みの「信太山太鼓」の演奏で、曲目は「菊水の嵐」。
 太鼓の演奏中、小さい女の子がお爺ちゃんと離れてしまっているとのアナウンスがあったが、そこですかさず群衆のなかから

 「それ、お爺ちゃんが迷子になっとんのや」

とのツッコミが入り、小さな笑いが起こった。大阪らしいシーンであった。

 その後は訓練展示。グランド向かって右から左にある敵陣地を撃破する内容で、空砲射撃に観客は度肝を抜かれていた。

 訓練展示終了後、祝賀会がはじまるまでの間、大阪府堺市議会の池尻秀樹議員、大阪府八尾市議会の三宅博議員、そして改革クラブの西村真悟衆議院議員と拉致問題における家族会とある拉致被害者家族との内情などについて情報交換を行う。
 個人の名誉に関わることもあり、詳細は本ブログには書けず。

Cimg0166  12時過ぎ、体育館に会場を移し、祝賀会。
 鏡開き、そして部隊関係者は「乾杯」、その他の出席者は「おめでとう」という乾杯をしたのち、懇談の時間となった。
 第37普通科連隊長兼信太山駐屯地司令の大庭一等陸佐をはじめ、昨年お邪魔させてもらったときから変わった方にご挨拶させてもらった。
Cimg0127  また、戦前に旧大日本帝國陸軍第四師団歩兵第三十七聯隊が吹き込んだレコードを寄贈した。割れてしまっている盤であるが、なんとかデジタル録音したCDをつけて信太山駐屯地内の「修史館」にでも納めて頂ければと思ったところである。
*著作権:消滅

ラッパ演奏「君が代」一部のみ
ラッパ演奏「君が代」一部のみ(mp3形式)

 13時過ぎ、関係者にご挨拶をし、そして「ふんどし」をくれたN山さんにも1年遅くなった御礼のご挨拶をし、駐屯地をあとにした。

 移動中、アタチュルク像問題について各方面から電話が相次ぎ、バッテリーが無くなりつつある携帯電話での対応に大童。色々なマスコミが興味をもってくれたようである。

Cimg0167  19時30分過ぎ、自宅に到着。
 賞味期限を過ぎた豚肉のモモ肉があったため、大阪で食べ損ねた豚天のこともあり、自分流の豚天を作ってみた。豚肉には塩胡椒で味付けしたあと、小麦粉をまぶし、山椒、ガラムマサラを入れた衣でさっくり揚げた。カレー粉が切れていたので、ガラムマサラを使ったが、なかなかの味に仕上がった。ビールと一緒に食べ、シメは干し納豆の納豆茶漬けをすする。

 食後、資料の整理などを行い、24時に就寝。

2009年5月 9日 (土)

コマツ跡地(仮)コモタウン柏崎
リサイクルプラザ彩生館

Cimg0137  本来であれば即大阪に移動する予定であったが、プレゼンテーション資料の修正、急遽の仕事の依頼があり、4時過ぎまで資料作成。

 5時から8時まで仮眠し、大粒納豆、目玉焼き、もずく酢、山うどの漬け物でご飯2杯の朝食をとる。
 食後、そのまま大阪に向かう。

Cimg0132

 移動中というのは何故か腹が減るもの。13時30分、持参してきたおにぎり3個、グレープフルーツジュース、ヤクルトで昼食をとる。
 かなり質の良い海苔を頂きものでもらったので、あえてパリパリ海苔スタイルではなく、昔ながらのぴったり海苔スタイル。中身は、おかかと塩納豆で作った特製の納豆おかかである。

Cimg0133

 14時30分、大阪府和泉市に到着し、早速、和泉市が委託して行っている「リサイクルプラザ彩生館」(和泉市室堂町674-58)を視察させてもらった。
 本来であれば、議会事務局を通した正式な視察にしても良かったが、日程の都合上、土曜日ということもあり、先方に迷惑をかけてもいけないので、普通のお客さんとしてお邪魔しながら色々なところを見せてもらった。
Cimg0135 委託料は年間約1000万円。廃棄された家具を修復する施設を併設し、リサイクル活動を積極的に行っている。
 柏崎市内でも有志「おもちゃドクター」が行っているような、おもちゃの病院も定期的に開催されており、同時におもちゃの無料交換会も実施することで、小さな子供やそのご家族にも好評とのことであった。
Cimg0134 わが柏崎市のシルバー人材センターもえんま通り商店街において、「やまゆり」を実施しているが、定期的に多くの人が訪れる仕掛け作りについては、この施設が行っている「譲ります」「譲ってください」といった伝言コーナーや各種講座の定期的な実施など参考になる点が多々あった。
 同時にリサイクルに関する知識を得るためのコーナーや太陽光発電の積極的な活用などがされており、行政による強力なバックアップがあるとはいうものの、リサイクル全体の知識の啓蒙や一歩を踏み出す前向きな関係者の姿勢に感銘した。
 また、柏崎市の場合には、「やまゆり」が商店街のなかという好立地であり、この施設のような取り組みを追加で行うことで、高齢者のもっているノウハウのさらなる活用と商店街の活性化にも一役買えるとの感想をもったところである。

Cimg0137_2  視察させてもらったのち、和泉市内を歩きまわってみた。
 柏崎市内大久保の鋳物師は河内和泉の流れと伝え聞いており、また菩提寺である同じ大久保の勝願寺は和泉から多くの職人を従え、「三井田」姓とともに柏崎に来たとも聞いていたため、その史跡は何かないかと思ったのである。しかし、下調べをする時間もなく、現地にきてしまったため、特に成果はなし。「めし・うどん」とイマドキないような潔い文句の看板など、どうでも良いものだけは見ることができた。

 17時過ぎ、堺市内に移動し、 「ホテルサンルート堺」にチェックイン。

Cimg0140  17時30分、某政治関係者と串ものをつまみながら、生ビールを飲み、意見交換。
 医療・福祉関係のユニークな政策も色々と紹介してもらったので、会派や委員会での視察先をして提案してみたいと思う。

 21時、ホテルに戻り、シャワーを浴びる。その後、ベットで週刊誌を読んでいたところ、そのまま寝てしまった。

 柏崎市役所から売却したコマツ跡地のその後についての状況報告が来たので、以下にご紹介したい。


議 員 各位
                   平成21年5月8日
       (柏崎市総合企画部まちづくり推進室)
         (柏崎市産業振興部商工振興課)

 株式会社ウオロク 状況報告

 新潟県にぎわいのあるまちづくりの推進に関する条例第8条第1項の規定により、株式会社ウオロクから平成21年4月16日、県に対して特定施設新設の届出がありました。
 この特定施設新設届出書及び添付書類の写しについて、平成21年5月8日から3ヶ月間、柏崎市では商工振興課で縦覧します。
 また、同条例に基づく届出者による説明会を、平成21年5月30日(土)柏崎市産業文化会館において2回(15時、18時)開催します。
 特定施設新設届出書の概要は以下のとおりです。

1 届出者
   ・株式会社ウオロク   代表取締役社長 葛見 久則  
新潟市中央区鐙2丁目14番13号
   ・アークランドサカモト株式会社
    代表取締役社長 坂本 勝司
    三条市上須頃445番地
   ・株式会社北越ケーズ   代表取締役 山本 邦彦
    新潟市東区河渡庚135-1

2 特定施設の名称
   (仮称)コモタウン柏崎

3 土地の所在地及び敷地面積
   柏崎市宝町字粟餅981番地1
       面積  61,422.68㎡
   柏崎市宝町字横枕1045番地1

4 床面積合計及び店舗面積
  ・床面積   21,657.44㎡
  ・店舗面積  17,103.55㎡
    店舗面積(小売業)内訳:株式会社ウオロク
            2,986.82㎡
                アークランドサカモト株式会社
                  9,863.28㎡
                株式会社北越ケーズ
                  4,103.45㎡
               (仮称)宝町調剤薬局
                    150.00㎡
5 施設概要
   ・構造  鉄骨造
   ・階数  1階
   ・棟数  7棟(飲食3棟含む)
   ・駐車場収容台数   1,061台

6 施設において営む事業の種類及び主として販売する物品又は提供する役務の内容
   ・(仮称)ウオロク柏崎店     株式会社ウオロク
  小売業   食料品・住居関連品・衣料品
   ・(仮称)ホームセンタームサシ新柏崎店
    アークランドサカモト株式会社
    小売業  日用品・資材園芸用品等
   ・(仮称)ケーズデンキ柏崎宝町SC店
     株式会社北越ケーズ
     小売業  家庭用電化製品

7 工事着手及び新設予定年月日
   工事着手予定:平成22年2月15日
   新  設 予 定:平成22年7月15日

※ 「新潟県にぎわいのあるまちづくりの推進に関する条例」における「特定施設」の届出とは、次に掲げる大規模集客施設(条例で「特定施設」と規定)の新設等を行う場合には、設置者に対し事前に届出を求め、知事が関係市町村等の意見を聴き、にぎわいのあるまちづくりの推進の観点から意見を述べる。
 1 床面積が1万㎡を超える集客施設(店舗、飲食店、劇場等)で、小売業の用に供する店舗面積が3,000㎡を超えるものの新設。
 2 床面積や店舗面積が増加することにより、床面積が1万㎡を超え、かつ、小売業の用に供する店舗面積が3,000㎡を超えることとなる集客施設の増築、改築、用途変更等。
 3 平成20年10月1日時点で既に「床面積が1万㎡を超え、かつ、小売業の用に供する店舗面積が3,000㎡を超えている」集客施設について、増改築や用途変更により床面積又は店舗面積を増加させる場合。

2009年5月 8日 (金)

水面下の原発反対派と市長
柏崎刈羽原子力発電所再開

 3時、就寝。

 7時、起床。大粒納豆、甘塩鮭、海草サラダでご飯2杯の朝食をとる。

 午前中は、依頼された仕事で市内まわり。

Dsc00117  12時過ぎ、名古屋の親戚が来たため、先日の名古屋市長選挙に当選した河村たかし氏(前・衆議院議員)のことなど雑談。
 14時過ぎ、「うれっ子」(電話:0257-22-4648)の「チャーシューつけめん」をとり、昼食にする。先日、頂いた山ウドを浅漬けにしたものが非常に美味であり、バクバクと食べてしまった。

 16時、17時と事務所に来客。アタチュルク像問題や原子力発電所に関する雑談など。

 19時から某マスコミの取材対応に追われる。正確に伝えてもらうために、メールと電話でかなりの回数をやりとり。

Cimg0130  19時30分過ぎ、柏崎青年会議所の事務局に異動し、エネルギー環境問題検討委員会の打ち合わせに出席。
 昨日に引き続き、プレゼンテーション資料、映像の確認と修正をするととおもに、ナレーションの確認なども行う。

Cimg0131  23時過ぎ、帰宅。
 干し納豆、昆布、焼いた鯛の頭などのあらで作った鯛めし、スーパーで半額になっていた刺身盛り合わせ、なめこの味噌汁で夕食をとる。
 メールやFAXがかなり量届いており、内容はアタチュルク像問題に関するものに加え、原子力発電所の再開に関わるものであった。

 柏崎刈羽原子力発電所の再開が決まり、地元マスコミでも賛成派、反対派ともに色々な意見が紹介されていた。
 柏崎市民のなかにも、様々な考え方があろうが、どうしても不誠実さが気になるのが、柏崎市議会内の原発反対派である。
 原子力財源を活用した柏崎市の予算にこれまでは<反対>しておきながら、自分たちの支援した会田市長となってからは<賛成>するばかりか、絶対反対と言っていた家庭ごみ有料化への賛成(特に社会クラブ)など、主義主張はまったく無くなった。
 外から見れば、 「原発反対します、お金ちょーだい」である。
 さらにいえば、議場の外では原発反対派の市民と一緒になって原子炉の廃炉を訴えても、議場のなかで原子力の財源を求める二枚舌。
 そして、泉田知事の原子力再開宣言への文句はつけるが、会田市長には文句をつけないのである。昨年の柏崎市長選挙の際、原発反対派の市民に会田市長への支持を求めた経緯(←注目リンク)はどうなったのであろうか。一番の被害者は、会田市長に反原発の期待の一票を投じた、原発反対派の市民の皆さんであろう。
 意見は自由であるため、抑止力としても反対派は世の中に必要だと思う。しかし、反対にしろ、賛成にしろ、政治的誠意をもって、キチンと筋を通してもらいたいものである。

2009年5月 7日 (木)

泉田知事:柏崎刈羽原子力発電所7号機
運転再開に対する同意表明

 問い合わせのメールや溜まったメールへの返信などを書き、4時に就寝。

 8時、起床。大粒納豆、目玉焼き、板わさでご飯2杯の朝食をとる。

 昨日の『産経新聞』の記事をはじめ、アタチュルク像問題が各方面で報道されたからか、問い合わせの電話やメールが相次ぎ、途中、市役所に行き資料をコピーしたり、11時まで慌ただしく過ごす。

Cimg0120_2 11時30分、自民党柏崎支部の事務所に行き、役員会に出席。
 まず昼食として、「米山山荘」(電話:0257-26-2611)の弁当がでたため、あっという間に完食した。
 「さすが農協(JA)の運営!」という声が何人かから出たほど、ご飯が美味しく、量的にも十分なものであった。

 14時、役員会終了後、市内某所で政治に関する打ち合わせ。

 16時、事務所に戻り、資料を送る封筒詰めなどを行い、その後、発送する。全国から旧柏崎トルコ文化村問題に関する問い合わせが相次ぎ、公文書などの資料の請求が来たため対応したが、数十通の郵送、すべて自腹での対応となるため、なかなかキツいものがある。

Cimg0121 17時過ぎに来客、せっかくなので、牛モツ、玉葱、ピーマン、みじん切りした大量のニンニクを焼き、一緒に夕食をとる。仕上げは納豆茶漬け。
 食事中も問い合わせが続き、なかには激励とともに、なぜもっと早く全国に周知しなかったのか、とのお叱りもあった。

Cimg0122 19時、柏崎市産業文化会館に移動し、「柏崎・刈羽 長島クラブ」の打ち合わせに出席する。
 平成21年6月6日に自民党・長島忠美衆議院議員と、拉致問題に柔らかい物腰からは想像がつかないタフ・ネゴシエーターぶりを見せてくれた、自民党・中山恭子衆議院議員のダブル講演会が決定した。先着400名。

Cimg0123 会議終了後、即、柏崎商工会議所の会議室に移動し、柏崎青年会議所のエネルギー環境問題検討委員会の打ち合わせに出席。
 プレゼンテーション資料、映像の確認と修正を行う。
 担当例会が来週火曜日に迫っており、皆切羽詰まった状況である。

 22時、柏崎青年会議所の事務局に移動し、打ち合わせを続行。

 24時近く、自宅に戻る。

 本日開催された新潟県議会の全員協議会で、中越沖地震で全機停止したままの柏崎刈羽原子力発電所のうち、7号機の再開について、泉田裕彦県知事が運転再開を認める考えを正式表明した。
 ただし、条件があるとし、

 「起動試験から営業運転に移行する際
              県がチェックする。」

とのことである。
 いずれにしても、これで再開の第一歩。一区切りついた感がある。

2009年5月 6日 (水)

産経新聞:「トルコ建国の父」救え
「友好危機」ネットで署名活動

 編集作業を終え、5時から7時まで仮眠

 7時過ぎ、大粒納豆、ポテトサラダ、筍の刺身でご飯2杯の朝食をとる。

 9時、11時と事務所に来客。仕事の依頼に加え、市政に関する雑談など、それぞれ2時間ほど話し込む。
 その間、問い合わせや激励の電話が続いた。

Dsc00115  13時過ぎ、昼食をとろうとしたところで電話がかかってきたため、 「ソルト・スパ潮風」(電話:0257-21-6661)に移動。
 色々大変な事があったようで、風呂にも入らず、某先輩グループと2時間ほど食堂で話をしながら、生ビールなどを飲み続ける。

 代行で市内の某激安カラオケ店に移動し、夕食がてらカラオケタイム。途中、自宅に遊びに来ていた姪っ子がどうしても一緒に行きたいというので、連れていき「アンパンマーチ」などを歌う。『アンパンマン』系を歌うということで、お約束のナガネギマンのテーマ曲で一番のお気に入りの「ナガネギフラメンコ」も独りで熱唱・・・・ドン引きされた。

 21時、帰宅。

 今日の『産経新聞』にアタチュルク像問題と、署名活動をしている皆さんのことが掲載された。その前向きな活動には、頭が下がる思いである。
 いまはとにかくこの問題を、より多くの方に知ってもらうことが重要であり、また多くの知恵がでてくることを期待したい。
 また、多くの方に知られていくと同時に、この問題の本質をズラそう(国際儀礼より誰かさんの政治生命を守ろう)としている連中がどのような反応をするのか、見ものとなる。


平成21年5月6日『産経新聞』

「トルコ建国の父」救え
銅像の寄贈先破綻…
「友好危機」ネットで署名活動

Turky_1 屈指の親日国、トルコ共和国の親日感情が悪化しているのを憂慮し、インターネット上でつながった有志が立ち上がった。トルコから新潟県柏崎市のテーマパークに寄贈された建国の父、ムスタファ・ケマル・アタチュルク初代大統領(1881~1938年)の銅像の行き先がテーマパーク破綻(はたん)をきっかけに決まらない問題が影響しているとみられ、ネット上で署名活動を始めたのだ。有志らは「1人1人が声に出して行動することで、解決に向けて前進する」と協力を訴えている。
 署名活動を始めた「ムスタファ・ケマル像を移転する会」の代表は、愛知県大口町の会社員、江口保さん(20)。ネット上で知り合った有志8人が中心となって運営している。
 江口さんは英BBC放送の調査で、世界有数の親日国トルコの対日感情が年々悪化し、今年は「肯定的30%、否定的47%」と大きく逆転しているのを知った。その原因を調べるうちに、アタチュルク像問題に突き当たった。
 アタチュルク像は平成8年、柏崎市にテーマパーク「トルコ文化村」が開園したのを祝い、トルコが寄贈した。2度の閉園で再建を断念した市は18年、トルコとの友好関係に配慮するとの条件を付け、上越市のプラスチック製品製造業「ウェステックエナジー」に像も含めて売却。ウ社は19年6月、施設を改装して結婚式場を始めたが、1カ月半後に中越沖地震が発生。倒壊の恐れがあったとして像は台座から外され、当初は屋外に横倒しにされた(批判を浴びたため、現在は屋内で保管)。「建国の父」に対して非礼だとして、トルコ紙でも報道された。
 さらにウ社と柏崎市、敷地内の民有地地権者の3者の間で訴訟合戦が勃発(ぼつぱつ)。訴訟と切り離して像の譲渡を求める市に対し、ウ社はその条件として市の謝罪を要求。会田洋市長は「市が引き取ってしかるべき場所に移設したいが、市の落ち度を認めると裁判で不利になる」と対応に苦慮している。
 柏崎市などに電話して問題の背景を知った江口さんらは「自分たちにできることから始めよう」とネット上に経緯をまとめたサイトを立ち上げ、4月11日からは署名活動に乗り出した。
 像の移転先に挙がっているのが和歌山県串本町だ。明治23年、遭難した軍艦エルトゥールル号の乗組員を住民総出で救助したのが縁で、串本町はトルコと100年以上にわたり交流を続けている。来年は遭難から120周年を迎え、「トルコにおける日本年」も開かれる。昨年3月にはトルコ大使館が「像の移設費用は負担するので、土地を提供してほしい」と町に要請し、町議会は全会一致で賛成したが、「裁判の結果が出ないことには動けない」(町総務課)のが現状だ。
 事態打開に向け、江口さんらは訴える。「事は両国の外交、友好にまで及んでおり、まず銅像を訴訟から切り離してほしい。一致団結してトルコとの友好を取り戻そう」と。
 会は目標の署名を集めて会田市長とウ社、外務省に提出する予定。署名目標数は1万人で、5日現在で2200人を超えた。署名サイトのアドレスは

http://www.shomei.tv/project-932.html

2009年5月 5日 (火)

撃論ムック『世界を愛した日本』
アタチュルク像問題掲載

 3時、就寝。

 7時、起床。大粒納豆、じゃがいもとピーマンの油炒め、辛子明太子でご飯2杯の朝食をとる。

 急な依頼で、8時から市内某宅でデスクトップパソコンの修理。ハードディスククラッシュであり、システムの再インストールと以前の使用状態に近くなるまでのカスタマイズに時間がかかった。

 11時過ぎ、事務所に戻ったところで、来客。

 12時、冷凍うどん、ひきわり納豆、生卵で「納豆月見うどん」を作って昼食にする。

Cimg0108  13時30分過ぎ、5月5日の「こどもの日」ということもあり、遊びに来た甥っ子と姪っ子を「こどもの時代館」に連れて行く。
 駄菓子を買ってあげると言いながらも、本当は自分が現在開催中の「矢口高雄作品展」を見たいためである。矢口高雄氏といえば、『釣りキチ三平』。自然の描写から魚の躍動感まで、原画が素晴らしい。

Cimg0116  駄菓子を買ってあげたのち、鯨波の海岸に移動。柏崎青年会議所のエネルギー環境問題検討委員会のプレゼンテーションで使う写真を撮るという目的もあったが、二人を連れて1時間ほど磯遊びをする。
 大きなアメフラシを見つけたので、「怪獣の子供」と触らせたり、紫の液を出させたりし、生態を教える。
 アメフラシを食べる地域もあるようで、今度挑戦してみようかと思う。

 16時、帰宅。その後は事務所にこもって仕事を行う。

Cimg0118  19時30分、今朝採ったばかりの筍を頂戴したので、早速、筑前煮にし、鯖のみりん干し、ひきわり納豆汁とともに夕食にする。
 食事中、明日の産経新聞(全国版)にアタチュルク像問題が掲載されるとの情報が入ってきた。柏崎市としては恥ずかしい限りのことであるが、ここで<事実や問題>を隠蔽しては、後世にもっと恥をかく。多くの協力者を得て、何とか今年中に解決したい。

 食後も再度、事務所にこもり、ビデオ編集作業。変更箇所が多くなり、納期(披露宴の日)に間に合うか微妙なところである。

Cimg0104  旧柏崎トルコ文化村のアタチュルク像問題について、これまでの経緯をなるべく平明に書いた原稿が撃論ムック『世界を愛した日本―勇気と誇りを与えてくれる、私たちの近現代史』に掲載され、本日、掲載誌が届いた。
*正式な発売日は平成21年5月8日。
 「トルコとの友好関係を壊す、トルコ英雄像放置問題」と題し、字数の許す範囲で日付や情報元となる公文書管理番号も記し、事実関係を追えるように配慮したつもりである。


トルコとの友好関係を壊す、トルコ英雄像放置問題

        柏崎市議会議員 三井田孝欧

■地方から国を悪く変える?

 「地方から国を変える」、地方議員や首長の選挙でよく使われる言葉であり、草莽の志士とまでいかないが、良い意味で私も同じ思いで活動している。
 しかし、悪い意味で地方が国に影響を与える、いや国益を損なわせる事例も存在する。 本稿ではその典型例として、日本とトルコの友好関係に悪影響をおよぼした事例をご紹介したい。なお、この問題はまだ未解決であり、地元の議員としてお詫び申し上げたい。

■柏崎トルコ文化村閉鎖まで

 平成8年7月、柏崎市にトルコの文化を伝える柏崎トルコ文化村がオープンした。オープニングセレモニーには、日本・トルコ協会名誉総裁である三笠宮寛仁親王殿下、そしてトルコ共和国からカフラマン文化大臣もご臨席され、盛大に挙行された。また、トルコ建国の父であるケマル・パシャの銅像(以下、アタチュルク像。アタチュルクは「トルコの尊父」)の贈呈式も同時に行われ、高さ約5mの巨大な像が披露されたのである。
 平成11年10月、メインバンクである新潟中央銀行が破綻。柏崎トルコ文化村も経営危機となり、平成13年12月に閉園となる。その間、駐日トルコ大使から柏崎市長、新潟県知事への支援要請がだされ、さらに地元柏崎商工会議所からも支援の声があがり、平成14年6月、柏崎市が施設を取得することが決定。その財源には、世界一の原子力発電所を抱える柏崎市らしく、電源立地特別交付金が充当された。
 平成14年7月に再オープン。私が市議会議員となった平成15年には、駐日トルコ大使をお迎えしての交流パーティやオスマン軍楽隊による大演奏会、トルコの国技であるオイルレスリングの一流選手を招聘するなどを積極的なイベントを行うようになっていた。
 当初、なぜ縁もゆかりもない柏崎にトルコ文化村なのか?という疑問を私はもっていたが、既に施設として出来上がっており、実績として両国の架け橋になっていることから、できる限り存続させるべきという立場にいた。
 しかし、平成16年に起こった中越大震災による観光客の減少も影響してか、経営が行き詰まり、平成17年3月に再び柏崎トルコ文化村が閉鎖された。

(以下、略)


 以下の本文は、誌面にてご確認頂ければ幸いである。
 なお、ファミコン直撃世代として興味津々の、ドラクエシリーズの作曲家であるすぎやまこういち氏と「スーパーマリオ」「ゼルダの伝説」の生みの親である宮本茂氏のファミコン文化対談も収録されている。

2009年5月 4日 (月)

2009年5月号『THEMIS』
アタチュルク像問題掲載

 映像の編集がなかなか終わらず、5時まで作業。

 6時から9時まで仮眠したのち、大粒納豆、わさびの葉漬け、かまぼこでご飯2杯の朝食をとる。

 10時、事務所に来客。遠方からお越しになり、政治に関する話題などを話し込む。

 12時、お土産に頂戴した肉まん2個、低脂肪乳、グレープフル ーツジュースで昼食をとる。

 13時、事務所に来客。起業に関する相談と映像編集の依頼など。

 16時、市内の某宅に依頼されていた資料を届ける。若い世代が、市政に興味をもってくれるだけでも、ありがたいと思う。

Cimg0103 18時30分過ぎ、牛蒡の細切り、玉葱、ピーマン、冷凍のバナメイ海老を使ったかき揚げと舞茸の天ぷらを作り、素うどんとともに夕食にする。
 たまには変わったうどん汁にしようと思い、干し納豆、干し椎茸、煮干しパウダー、ビーフジャーキーの残りを粉末にしたものを中心にしてダシをとり、魚醤と醤油を混ぜてみた。なかなか表現しがたい風味であったが、魚好きには受けそうな感じであった。

 食後から事務所にこもり、調査で集めた大量の資料をスキャナでpdf形式に変換する。

 毎月1日に発売となる『THEMIS』の2009年5月号「日本警世」連載94に、 「トルコの好意を無にした日本を貶める国辱市長~トルコの父・ケマル像が柏崎市に贈られたのに今では野晒し」と題した、ジャーナリスト・高山正之氏のレポートが掲載された。
 一部を引用すると、


(中略)

「お前らは」と中央の若者がいった。「なぜ我々の畑を荒らすのか」。草原と見たのは、実は彼らの大麦畑だった。

日本人のために飛んだ救援機
 十字軍を破った英雄サラディンはクルド人だ。勇猛な彼らは屈辱にはきっちり報復する掟ももつ。畑をあそこまで荒らしたら、腕の1本も斬り落とすのか。
 結論からいうと、彼らは我々が日本人と知るや、罪は不問に付したうえ、城砦のような彼らの家に招待もしてくれた。
 彼らは日本を二つの事件で知っていた。一つが明治23年、紀州沖でのエルトゥールル号遭難事件だ。村人が命がけで荒れる海から乗員を救出し、貴重な鶏から自分たちの食べ物まで供出して遭難者の介護に当たった。
 遭難者の口からその話が伝わり、日本人の優しさが強く印象つけられた。
 もう一つが日露戦争だった。

(中略)

支配人の好意でそれらの部屋に泊まらせてもらったが、ただケマルの間だけは「我が国の誇り」で、だめ。彼はアタチュルクの号ももつ。近代「トルコの父」の意味で、トルコ人を宗教から解き放ち、民族衣装を脱がせ、文字もアラビア語からラテン文字に変えさせた。
 いわばトルコ維新の立役者で、日本人にとっての明治天皇にも擬せられる存在なのだ。

(以下、略)


とあり、ご自身のトルコ訪問の経験、そして今回の旧柏崎トルコ文化村のアタチュルク像問題が書かれている。
 以下の本文は、誌面にてご確認頂ければと思う。

2009年5月 3日 (日)

新成人フェスティバル2009
09NBC憲法タウンミーティング

 依頼されたパソコンの修理作業を終え、4時に就寝。

 8時、起床。大粒納豆、ほうれん草とコーンの炒め物、山うどの胡麻和えでご飯2杯の朝食をとる。

 10時、柏崎市総合体育館に移動し、「新成人フェスティバル2009」に来賓出席。昨年と同様、会場の前に次回の衆議院選挙で新潟2区に出馬宣言している社民党候補者の街宣車が横付けされており、政治活動をしていた。あまりにも品が無い行動である。
Cimg0095 今年の新成人の出席者は803名。昭和63年から昭和64年(1月7日まで)、平成元年生まれの皆さんである。
 平成ともに育った世代であり、これまで以上の激動があると思われるが、是非、頑張ってほしいと思う。
 ちなみに、20年前は、新潟産業大学が開学し、柿崎町の柏崎市への飛び地編入が新潟県に申請された。
 また、会田市長は自らも毎年、同じ話だと言う、

 「『一生懸命』ではなく
   『一所懸命』、一つのことに頑張ってほしい」

という内容の祝辞を述べていた。せっかくの祝いの席で、ケチつけるのも何だと思ったが、語源や意味など間違って伝わるのもマズイと思ったので、補足したい。
 もともと『一生懸命』は、『一所懸命』から派生した言葉である。現在ではどちらもほぼ同様の意味で使われる。しかし、本来の『一所懸命』は、武士が武功により貰いうけた土地を、自身の自給自足のため、そして領主の恩顧に報いるため、命をかけて守ることに由来する。『一所懸命の土地』という言葉からも理解できる。
*日本の中世の歴史を学ぶ上で土地への考えを知る事は重要。
 このことを踏まえれば、一般化した『一生懸命』ではなく、あえて『一所懸命』という場合には、物理的に一つの場所にとどまって守るという比喩に使うべきところであろう。

Cimg0096  11時過ぎ、市役所に移動し、会派室に資料の整理。
 市役所の耐震工事があらかた終わったようで外観はすっかり新しい建物のようになった。
 耐震性をあげるためか、かなりゴツいサポートが入っている。かけた費用を考えると、あと20年は使用しなければならない・・・・。

Cimg0097  12時、市内某所で開催したサバイバルゲームの様子を確認しに現地に移動。市内、県外から多くの方(現職の陸上自衛隊員も数名)が集まり、総勢90名のゲームとなった。
 秋には500名規模の大会を実施し、柏崎の自然のなかで楽しんでもらう大会として定着させたい。
Cimg0098 13時近く、参加者と同じ弁当で昼食をとる。
 「春らしい天候」を通り過ぎ、「初夏」のような暑いなか、外で食べる弁当は格別であった。
 新潟市から参加した方からピザの差し入れももらい、すっかり満腹。眠くなってしまった。

 14時から16時まで市内某所での打ち合わせ。

Cimg0099  16時過ぎ、再度、サバイバルゲームの現地に行き、ゲーム終了を待って参加者の皆さんにご挨拶をさせてもらう。
 挨拶の際、是非、周辺の観光施設を利用してほしいこと、また柏崎に来てほしい事をお願いした。
 東京から参加された方が連れてきた犬が人なつこく、すっかり気に入った。一昨年の自分の選挙期間中に愛犬が死んで以来、もう犬は飼わないと決めていたが、若干、気持ちが揺らいだ。

Cimg0102  17時過ぎ、ワークプラザ柏崎に移動し、遅参となったが日本青年会議所北陸信越地区新潟ブロック協議会の「真日本建国」創造委員会主催による「憲法タウンミーティング」に出席。
 この「憲法タウンミーティング」は、日本青年会議所関係者により、憲法記念日である今日、全国一斉で開催された。

「憲法タウンミーティング」チラシ(pdf形式)

 柏崎会場にて、パネリストとして2名の大学生のほか、護憲派として社民党新潟県連合副代表の山本あきこ氏、民主党・鷲尾英一郎衆議院議員が出席。
 権利と義務、平和主義などテーマごとに意見が交わされたが、言いたい事が両者とも多くあるようで、機敏なキャッチボールという感じにならなかったのは残念であった。

 1時間ほど話を聞いたのち、お通夜があるため、退席させてもらった。

 お通夜への出席、打ち合わせなどを行い、20時、自宅に戻る。

 映像編集の締め切りがあるため、ひきわり納豆をのせた納豆茶漬け2杯を食べたのち、事務所にこもって作業を行う。

Cimg0101 今日5月3日を憲法記念日という呼ぶこと、そして憲法に関する議論になると「護憲」か「改正」かという選択肢になること、この両方には非常に違和感を感じる
 現在の日本国憲法は、昭和21年(1946年)11月3日に公布され、翌22年(1947年)5月3日に施行された。
 そして、日本の主権回復はサンフランシスコ講和条約が発効となった昭和27年(1952年)4月28日である。
 つまり、現在の日本国憲法が施行されたのは、法的に我が国と連合国がまだ交戦状態であり、厳密には第二次世界大戦は終結していない時期であった。

*戦闘の終結宣言は昭和20年(1945年)8月15日、降伏(休戦)の確定は同年9月2日。講和条約が締結されて、戦争は終結となる。さらに言えば、大日本帝國陸海は無条件降伏であったが、国としての日本は有条件降伏。

 すなわち、我が国が連合軍の軍事占領下、主権が無いときにできたのが日本国憲法であり、そもそも無効である。
 社民党や共産党など、宗教かのように「9条、9条」と叫ぶのは良いが、占領軍がやりやすいように決めた憲法ではなく、仮に現在と同じ内容になっても、自主憲法を制定するという主張はできないものかと思う。 
 主権国家として、主権を回復した上で自分たちで憲法を制定するのが本来である。

2009年5月 2日 (土)

柏崎市政20周年記念「柏崎慕情」
「海の柏崎」

 0時過ぎに起き、議事録などをまとめる。3時から本格的に就寝。

 7時、起床。大粒納豆、目玉焼き、まぐろの角煮でご飯2杯の朝食をとる。

 午前中は事務所で原稿の推敲を行う。

 12時、冷凍うどんをざるうどんにし、ひきわり納豆と麺つゆ、山芋とろろのつけダレで昼食にする。

 13時から市内某所で打ち合わせ。

Cimg0094 17時、事務所に戻る。
 夕方となったが、晴れて天候が良いため、置きっぱなしになっていた備長炭を使い、裏庭で鰯明太を焼いてみた。やはり炭で焼くと火力の質が違い、いかにも美味そうに焼けた。キンキンに冷やしたビール500ml4缶と鰯明太、ひきわり納豆をかけた冷や奴で夕食にする。

 食後は、資料の整理。新聞や雑誌の切り抜きがかなり溜まっており、スキャナを使ってをpdf形式に変換する。酔っていてもできる作業である。

 23時、酔いが覚めたところで、工具を使った修理作業を行う。

Kamoshita 柏崎町が柏崎市になったのは、昭和20年(皇紀2600年)。
 柏崎市政施行20周年を記念して、昭和47年7月(厳密な20周年の年ではない)に公募で作られた歌があり、それが「柏崎慕情」である。唄は、作曲者でもある鴨下三郎氏(柏崎市黒滝出身、東京在住)。作詩の田辺一夫氏は当時柏崎市役所の公務員であった。
 このまま埋もれさせるにはもったいない曲であり、以前も本ブログに書いたが、何かのタイミングでそのまま復活、もしくはアレンジをしての復活をしてほしいものである。

柏崎市政20周年記念制作
「柏崎慕情」
作詩:田辺一夫
補作:石黒敬七
作曲:鴨下三郎

一、
歌の米山 白雪消えて
峰の鯉形 緑に染まり
柏崎にも うららのかすみ
鐘うつ坊主で ゴンとなりや
お前のおかげで 夜が明けた

二、
恋の浦浜 もどろか八坂
どこで踊るか 三階節の
唄も静かに 波間に流れ
佐渡が島根に 灯がともりや
お光可愛の 声がする

三、
秋もすぎたか 米山三里
峠越えてきて あの湯の街の
ほのぼののぼる 湯けむり恋し
椎谷岬の 灯もうるみや
外じゃ荒波 雪が散る

 また、「柏崎慕情」のB面は以下のような曲が入っている。

「海の柏崎」
作詩:赤川真一
作曲:箱岩周平
編曲:鴨下三郎

一、
行こか米山 御野立キャンプ
月の明りで 三階節を
踊りゃ夜明の 鐘が鳴る
「ホンニ そだてばサ
  アノサコノサの柏崎」

二、
海の福浦 岩間の千鳥
浮かぶヨットに 飛び交うかもめ
夢の国かよ 佐渡が島
「ホンニ そだてばサ
  アノサコノサの柏崎」

三、
番神岬に 夕陽は落ちて
お光吾作の 悲しき恋よ
今も通うか たらい船
「ホンニ そだてばサ
  アノサコノサの柏崎」

四、
祇園ばやしに ついさそわれて
おけさ踊りの 取り持つ縁に
解けて結んだ 湯のけむり
「ホンニ そだてばサ
  アノサコノサの柏崎」

2009年5月 1日 (金)

NHK偏向報道問題
「NHK特番の傲慢さが悲しい」

 3時、就寝。

 7時、起床。大粒納豆、粗挽きソーセージ、コールスローでご飯2杯の朝食をとる。

 午前中は、事務所の掃除と名刺の整理。

 13時、事務所に来客。拉致問題など政治に関して意見交換を行う。

Cimg0093  14時30分、「うれっ子」(電話:0257-22-4648)の「チャーシューメン大盛り」をとって昼食。
 食事中、電話があり、旧柏崎トルコ文化村のアタチュルク像問題に関する問い合わせであった。本ブログで公開している情報も繁雑になっており、少し時系列に整理する必要があると実感したところである。

 15時から17時まで市内某所で打ち合わせと若干の作業。

Dsc00114 18時、事務所に来客。
 柏崎市内の某施設に関する問題点や現在の柏崎市の発注工事で起こっている問題など多くの情報が入ってきた。
 せっかくなので、筍の刺身、山うどの味噌ネーズ和え(白味噌とマヨネーズを合わせたソース)、タラの芽の天ぷらをつまみに、ビールを飲む。

 21時から24時まで仮眠。

 平成21年4月5日、21時からNHKスペシャル「シリーズ JAPANデビュー 『第1回 アジアの“一等国”』」という番組が放送された。台湾を扱った内容との前評判だったので、タイマー録画したところであるが、その内容を確認したところ、

「ひ、酷い・・・こ、これがNHK?」
(『機動戦士ガンダム』アムロの「こ、これが戦争」風に)

の一言であり、あまりの偏向内容に怒りが湧き上がるばかりであった。
 歴史上にない『日台戦争』や、博覧会での台湾民族(パイワン族)の「人間動物園」扱い、後藤新平を悪人扱い、八田與一は完全無視、台湾は漢民族のもの等、指摘すればキリがないほどである。
 なかでも許せないのは、日本統治時代に教育を受け、気持ち良く軍歌を歌っている台湾の方々の部分のみを取り出したシーン。我が新潟県は佐渡市出身の本間雅晴中将が作詩した「台湾軍の歌」を歌い、

太平洋の空遠く
輝く南十字星
黒汐しぶく椰子の島
荒波吼ゆる赤道を
にらみて起てる南(みんなみ)の
護りは吾等台湾軍
嗚呼厳として台湾軍

の「台湾軍」の部分だけを取り出して、台湾の方々は「日本軍」ではなく、「台湾軍」でいたかった、という印象操作をしている点である。
 この偏向ぶりには、多くの有識者が批判の声を寄せている。

*この問題をまともに扱っているのは『産経新聞』のみ。購読をオススメ。


平成21年4月27日『産経新聞』

正論
 NHK特番の傲慢さが悲しい

 評論家・鳥居民

「アジアの一等国」を観て

 少し前の話だが、4月5日、NHKスペシャル「ジャパン デビュー」の第1回「アジアの一等国」という番組を観た。
 悲しかった。わたしたちの祖父、曾祖父、高祖父の願いと努力に思い入る気持ちのかけらもない、辺りに人も無げな驕(おご)りぶりが悲しかった。
 もうひとつ、この番組の制作者が唯一頼りにした出演者である日本植民地時代の台湾の最後の人びとへの気持ちである。当然ながら現在70代、80代の人びとが持ったまことに複雑、微妙な日本にたいする愛情を十分理解したはずであったにもかかわらず、勝手な裁断をおこない、日本の植民地統治を罵(ののし)るために利用し、協力者の善意を足蹴(あしげ)にした、その傲慢(ごうまん)さが悲しかった。
 制作者は、1859年の横浜の開港から日本は「世界にデビューした」のだと説く。そして日本は「一等国」になろうとして、台湾を植民地にしたのだと語る。
 制作者が横浜から台湾へ話をつづけようとするのであるなら、私が思いだすのはアーネスト・サトウのことになる。英国外務省の通訳官となったサトウは、開港3年あとの横浜で日本語を学び、草書の書簡を読むことができるまでになり、薩摩、長州、各藩の国事活動家と語り、日本の進路をはっきり見定め、有能な外交官となるその片鱗(へんりん)を見せた。

日本に憎しみのない台湾

 さて日清戦争が終わった年にサトウは公使となって再び、日本に赴任した。台湾の樟脳(しょうのう)と砂糖、茶、阿片(あへん)を扱う横浜の英国商社の幹部たちと話し合い、日本は台湾の経営に失敗すると予測した。
 そのときヴィクトリア女王統治下の大英帝国は最盛期にあり、世界の人口の4分の1を支配していた。先進国が後進地域を取得し、統治する権利が当然のように認められた時代だった。
 植民地経営は「白人の重荷」であり、英国人に与えられた高貴な責務であった。植民地の人びとに命令を下すことができるのは英国人の行政官だけなのだ、英国人はこのように思っていた。そこでサトウと旧友らは、日本は台湾で清国政府以上のことはできないと語り合ったのである。
 それから100年以上がたつ。日本の台湾統治をどう評価したらよいのか。サトウはといえば、1929(昭和4)年に没していた。かれは自分たちが間違っていたと認めたに違いない。
 台湾の植民地統治は成果を収めた。価値や道徳は絶対的なものではない、あくまで相対的なものだ。日本の統治には失策も、大きな過ち、悲劇もあった。そのような過ち、悲劇を忘れず、民族の共通の意識にその憎しみを育てあげるのだと説く論考がある。たとえば英国人意識の源泉にフランス嫌いがあるのだと主張する。即座に隣国の韓国人意識の底にある日本嫌い、日本の後を追っての競争心を思い浮かべることになろう。
 しかし、わたしたちは、なぜ台湾の人びとが日本に憎しみを持たないのかと考えることになる。
 現在、台湾人は日本の統治時代を声高に非難しない。日本の統治を離れて60年、年若い世代を含めた台湾の人びとが、尊敬する国、移住したい国の筆頭に日本を挙げるのは、かつての日本の統治に不快感を持っていないことが大きな理由なのである。父親や祖母がその昔を語った二言、三言の記憶を自分たちが抱く日本人にたいする印象と重ね合わせて、かれらはその理解を大切にしてきたのだ。
 わたしたちは誰でも、この台湾の人びとの日本人への温かい感情を、嬉(うれ)しく有り難く思う。

「一等国」の犠牲者とは

 さて、奇怪極まることに、NHKの先の番組は、誰もが大事にしてきたこの感情を踏みにじろうとすることに懸命となった。
 日本の台湾統治のすべてを否定し、台湾の人びとは日本の植民地統治に恨みを抱いているのだと説いた。たとえば台湾の人びとが高く評価する台湾における後藤新平を容赦なく裁いてみせる。上水道の整備、灌漑(かんがい)設備の建設を振り返ることなどするはずもない。台湾総督府が独占した樟脳を取り上げ、植民地収奪の話に仕立てることに汲々(きゅうきゅう)としている。
 番組は「皇民化運動」で終わる。公園に集まった老人たちにつぎつぎとその昔の日本の軍歌を歌わせる。かれらは「蛍の光」を歌いたかったのだし、「荒城の月」を歌うこともできた。それにもかかわらず軍歌だけを歌わせ、「アジアの一等国の哀れな犠牲者」と視聴者に印象付け、「日本統治の深い傷」と締めくくる。
 私は制作者の「辺りに人も無げな驕りぶり」「傲慢さ」を悲しく思ったと記した。「驕りぶり」「傲慢さ」といえば、番組の題である「アジアの一等国」、その一等国民が犯した罪の第一に挙げなければならない態度、性向であろう。この制作者の振る舞いこそがまさにその一等国民そのものなのだが、このような人物が「アジアの一等国」を制作したことが、いま悲しく思う理由なのである。


 日本人の我々だけではなく、番組に出演した柯徳三氏をはじめ、台湾人自らがこの番組に怒りの声を挙げている。


平成21年4月30日『産経新聞』

 くにのあとさき
 歴史を歪曲する方法

                 湯浅博

 右であれ左であれ「事実そのものを封ずる空気」というのは、いやなものである。とくに、歴史を扱うドキュメンタリー映像には何度もだまされてきたから、ハナから事実と思ってみないクセがついてしまった。哀しいことに。
 つい最近も、台湾情勢に関心がある人ならすぐに「変だな」とテレビの小細工に気づく番組がまたあった。日本が横浜開港から世界にデビューして150年間をたどるNHKの「シリーズ・JAPANデビュー」である。
 その第1回放送『アジアの一等国』を再放送で見た。テーマは50年に及ぶ日本の「台湾統治」だから、制作者は植民地政策の悪辣さを暴き出すことに熱心だ。台湾人すべてを「漢民族」でくくるたぐいの荒っぽさが随所にあった。
 なにより『母国は日本、祖国は台湾』の著者、柯徳三さん(87)ら知日派台湾人が、筋金入りの反日家として登場したのには仰天した。日本人も驚いたが、本人はもっとビックリした。放映後、柯さんは担当ディレクターに「あんたの後ろには中共がついているんだろう」と文句をいったと後に語っている。
 異民族による台湾支配だったから、当時の柯さんらが差別を感じていたことは事実だ。番組でも、「私のいとこのお姉さんが、日本人の嫁になって日本へ行ったけれどね、戸籍が入らん。こういうのが差別でしょう」と憤懣をぶつけた。柯さんはじめ、仲間の蒋松輝さん、藍昭光さんも差別されたときの悔しさを語っている。
 ただ、「母国は日本」とまで公言している人々が、日本統治時代にに関して洗脳、差別、恨みばかりを強調するだろうか。
 同じ疑問を感じた視聴者は多い。だが、NHKは「日本とアジアとの真の絆、未来へのヒントを見いだそうとしたものです」と無味乾燥な答えで押し切った。
 それならと、義憤に駆られた衛星放送の「日本文化チャンネル桜」はさっそく現地に飛んで、番組に出演した柯さんらを交えて座談会を開いた。
 藍さんは「終戦で台湾人による統治ができると考えた。だが、中国人がきて衛生、治安がでたらめになった。虐殺事件が起きて、戦前のよかった日本時代を思いだした」と語る。日本統治の良い面とは、教育、病院、鉄道などのインフラに集約できるという。
 柯さんは「日本統治の善しあしは半分半分なんです。NHKには両方をいった。日本人がいやがる部分はカットしていいよといったのに、逆に悪い面だけを放映した」という。そして冒頭の「後ろに中共がいるんだろう」との怒りにつながる。
 制作者がシロをクロと言いくるめる番組をつくろうと思えば、取材対象の見解からクロばかりを抽出すれば事足りる。そこには、善意ある台湾人の複雑微妙な心理は配慮されない。歴史事実を歪曲してしまう古典的な手法である。
 
昨年も、神社と戦争の結びつきを強調した映画に『靖国』があった。靖国神社のご神体は鏡と剣であり、どちらが欠けても成り立たない。だが、中国人監督は半分の剣だけを摘出して「武」のイメージを極大化した。90歳の刀匠が節目に登場するのはそれが理由だろう。刀匠から「事前説明とは違う」と抗議されると、監督は「政治の圧力か」とそらした。
 『アジアの一等国』であれ『靖国』であれ、「事実そのものを封ずる空気」はいやなものである。

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