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2009年6月

2009年6月30日 (火)

柏崎市倫理法人会「健康応援講演会」
大塚貢氏「食育と健康」

 3時、就寝。

 7時、起床。大粒納豆、目玉焼き、辛子明太子でご飯2杯の朝食をとる。

 9時、市内某所での打ち合わせ。月末の慌ただしいなかであるが、仕事がでるだけありがたいことである。

 11時過ぎ、某氏と市内某店にて、アイスコーヒーを飲みながら打ち合わせ。

 12時、賞味期限ギリギリのフランスパンがあったため、薄切りにし、トマトケチャップやパセリ、ニンニクで作ったトマトソースを塗り、ひきわり納豆とチェダーチーズ、パルメザンをのせて、オーブンで焼いた納豆ピザで昼食をとる。

 14時から17時過ぎまで、会社関係の仕事で市内まわり。

090630_bira_2 18時、柏崎市産業文化会館に移動し、会場の準備を行う。
 今日は、柏崎市倫理法人会主催による「健康応援講演会」で、講師は長野県の旧真田町で「完全米飯給食」を中心となって進め、非行・犯罪ゼロにした大塚貢氏である。
 会場に多くの方が来場され、18時30分から講演会の開会となり、パソコンの操作や会場整理を担当した。
 配付資料、講演のメモは以下の通り。

「配布資料」(pdf形式)

Cimg0552・これまでずっと荒れた学校しか赴任しなかった。
・山梨では戦に勝っても恩賞となる土地はなかったが、長野は米どころが結構あった。
・戦国武将・村上義清の土地で、真田幸村は一晩で武田信玄にやられた。村上義清は、上杉謙信をたよった。川中島の戦いへの導線となる。
Cimg0557・校長のときは1200人ぐらいの学校だが、校舎内をバイクが走るような荒れ方。タバコが落ちていることが日常。
・教育長になってときも、一月に20台以上バイクが盗まれるような環境。暴走行為は夜11時から朝4時ぐらいまで。町民の生活に影響がでた。無免許での暴走行為で二人乗りで二人死んでしまう状況。
・不登校はいじめ、学校がつまらないことにある。その原因のほとんどは
先生の授業がつまらない
  教科書を読ませているだけ。問題が起こって会議をすると、あの子はダメだ、あの親はダメだという話になる。
 → 先生には私だったら10分もたない、生徒は50分もっている。生徒の方ががまん強いと言う。授業研究を促す。

・色々なスポーツ大会で、生徒がコンビニ弁当などを持参している事例が見えた。コンビニに張り込んでみたら、案の定、コンビニ弁当、菓子パン、ジュース類を購入していた。そういった子供を追跡すると、非行、犯罪、キレるとのか関係が分かった。
・スポーツ大会で勝っても負けても、弁当を広げたときの親への感謝はでるはずであるが、コンビニ弁当ではそうではない。親を金をくれる財布としか見ない。親子の絆が切れている。
・一週間、生徒が朝食を食べたものを調査した。食べてこない子供は案の定、問題のある子供であった。一番エネルギーが必要な時間にエネルギーがなく、イライラしたり、無気力になる。早寝、早起き、朝ご飯は当然のこと。
・朝食を食べてきていても、その内容が合成甘味料、合成保存料のはいった加工品であったら、同じこと。食べている内容に問題がある。野菜やミネラル分など、血をきれいにするものをとっていない。
→ 臨時のPTAを開いて、親を説得しはじめたが、話を聞いてくれなかった。子供が食べたいものを食べさせて何が悪いといった状況。指導する先生も疲れてくる。
・家庭でとれないものを学校給食でとってもらおうとしたら、今度は先生たちから反対された。ご飯に魚を指導してダメならと、パンに魚を合わせてみたがダメ。
・パンは幾日たってもやわらかいものや、カビが生えないものがある。軟化剤や防カビ剤を子供に毎日食べさせるわけにはいかないと思った。しかし、国産小麦粉やイースト菌を使う本物には補助金はつかなかった。
・ご飯食にしようと、全国各地の米を試してみた。こくぞう虫がわいてこない米が多々あった。こくぞう虫がわいてくるような安全な米を食べさせるべきと、大規模農家にお願いした。しかし、一農家の儲けにつながると叩かれ、無農薬ではなく、減農薬しかないが農協にしたら、今度は一法人の儲けにつながると叩かれた。
・現在、海の魚をのぞけば、95%が地元の食材を使っている。調味料も同様。安全、安心であり、なにより地元に金が落ちる。
・メニューは基本的に魚。頭から骨まで食べられるような工夫をしている。青魚が多い。
・一月に一度、生徒の希望をとっているが、希望も魚となった。毎月、親も参加する食育の授業をしており、生徒も理解してきている。
・食べる煮干しなど、咀嚼力を高め、脳を活性化させるメニューにしたら、親は「猫にするのか」と言い、議会でもお然りを受けた。
・発芽玄米を13%混ぜ混み、ギャバをとらせている。アトピーやアレルギーの子供がいなきなった。
・真田町ではきれいなハムのようなものは食べさせない。幼児のガンやアトピーが増えている理由がここにある。
・高脂血症、高コレステロール、高血圧の子供もいなくなった。中学生が37%というデータもある。今年の厚生労働省による高脂血症の調査によれば、男子44%、女子42%という状況であった。
・本当にこのままでいいのか。昨年の国の医療費は33兆4000億円、介護費は6兆円とかかっており、税収の40兆円を越える勢いである。
・こういった根本的なことを考える知事や市町村長がなかなかいない。
・いま真田町は万引きを含めて、7~8年はゼロが続いており、長野県警がおかしいと言っている。不登校も激減した。子供に判断力がでたからであろう。
・思春期に犯罪を犯す者の多くは、大人になっても再犯する可能性が高い。子供の頃からが大切。
・取り組みを続けてきたことで、家庭の食も変わってきており、安全・安心の食材を求め、調理に時間をかけるようになった。
・一挙に大量に浴びる農薬でも死ぬが、毎日、微量ずつに摂取する農薬も問題。アメリカの「ミツバチが死んだ」が良い事例。日本もそうなってきている。
・日本の美味しい米、魚、野菜を小さいときから食べさせることが、犯罪をなくし、良い国を作るために必要。
・凶悪犯罪の犯人のほとんどは、学力がトップクラスであった経歴をもつが、その後は毎日のようにコンビニ弁当だった。

Cimg0561_2 21時、会場のあらかたの片付けを終え、「レストラン サンブン」(電話:0257-24-7662)に移動し、懇親会。
 できる限り地元食材を利用し、魚食を中心にするという講演のあととしては、ちょっと申し訳ないメニューではあったが、大いに食べ、意見交換を行った。

 23時、帰宅。

2009年6月29日 (月)

重粒子線装置導入に進む自治体
佐賀県に続き、神奈川県も

 読みたかった本を一気に読んだのち、3時に就寝。

 8時、起床。大粒納豆、しらすおろし、生卵でご飯2杯の朝食をとる。

 午前中は、祖母のお見舞いにきた親族を連れて病院を往復。

 13時、ひきわり納豆と生クリーム、ウニの塩漬けで作った納豆パスタで昼食をとる。

 14時過ぎ、市役所に移動し、調査活動。

Dsc00163  15時、市役所第一委員会室にて、議長、平成会、整風会で打ち合わせを行う。打ち合わせの目的は、先般より「謝罪」を要求されている議員定数削減に関する報告チラシの件である。議長による斡旋ということになり、とにかく議員定数削減に関する議論を行うための打ち合わせ。
 結論としては、報告チラシを出したことに謝罪はしない、ただしより正確に

 「議員定数削減に○×」

ではなく、

 「継続審議にして、委員会審査にしながら、委員会の場では一言も議論しないうちに(継続審査にした議員たちが)審議打ち切りを申し出て、打ち切りにした。」
*本会議場で賛否を問えば、インターネット中継にも映像記録が残るが、委員会は残らない。

ことを詳細に発言した議員名も含めて、報告を再度、出すこととした。

 17時から市内某所での市政報告会。ここ最近の市政に関する情報交換のほかに、次期の市議会議員選挙に関わることなどを話す。

Dsc00166  18時30分、市内某飲食店にて、懇親会。
 あまり地元で食べることができない、地場産の大きな車エビを食べることができ、あまりの美味さに、背わたや頭のなかのミソまでしっかり味わった。こういった食材をもっと柏崎市内でだせるようにし、日本海の味を堪能したい観光客を呼び込みたいものである。

 21時、帰宅。熱いシャワーを浴びて酔いを覚ましたのち、事務所にこもって、依頼されたビデオ編集を行う。


平成21年5月14日『原子力産業新聞』

重粒子線装置導入で協力
放医研 佐賀県に次ぎ神奈川県と

 放射線医学総合研究所(放医研)と神奈川県は四月十四日、「研究・医療協力に関する協定書」の締結式を行い、米倉義晴・放医研理事長、松沢成文・神奈川県知事をはじめとする関係者が出席した。この協定により、重粒子線治療装置の導入や治療に関し相互協力を推進していく。放医研と自治体との協力協定の締結は、今年一月の佐賀県との協力協定に続き二件目。
 神奈川県は三月、神奈川県立がんセンター総合整備の一環として「重粒子線治療装置整備基本構想」を取りまとめた。今年度に重粒子線治療装置の調査設計、来年度以降に基本・実施設計を行い、約三年間の工事期間を経て、二〇一四年度中の治療開始を予定している。重粒子線治療施設は現在、横浜市旭区で建替中の新がんセンター敷地内に設置され、病院棟と地下通路で接続する。完成すれば年間千人の患者を治療可能となる。放射線治療装置(リニアック)を四台設置するほか、高性能のCTやMRIを導入するなど最新のがん医療体制を整備していく。
 重粒子線治療は、従来の放射線治療に比べ、正常な組織への損傷を低く抑えながら身体の深い部分にあるがんにピンポイントで照射が可能。従来のⅩ線では効果が上がりにくい肉腫等への治療効果が期待でき、肝臓がん、肺がん等の難治性がんへの高い効果も実証されつつある。副作用が少ないため、患者の生活の質を確保でき、手術が困難な高齢者等に対する治療法としても期待が寄せられている。

2009年6月28日 (日)

日本の原発51基をミサイル攻撃すれば
朝鮮労働党中央党副部長

 3時、就寝。

 7時、起床。大粒納豆、笹かまぼこ、たまご豆腐、大根おろしでご飯2杯の朝食をとる。

 午前中は、病院にもっていくための祖母の荷物や部屋の掃除などを家事全般を行う。

Cimg0531_2  11時、柏崎市社会福祉協議会に移動し、「ガンダムミーティング」のメンバーに映像素材を渡し、その後、事務所に戻ったところで、来客。お子さんも一緒だったので、お気に入りのアルパカ(Alpaca)のぬいぐるみで一緒に遊ぶ。

 13時、事務所に来客。差し入れでもってきてくれた、焼きそばとたこ焼きで昼食にする。

Cimg0532  19時、頂き物の自家製鯖寿司、これまた頂き物の料理の折り、ひきわり納豆汁で夕食をとる。
 きちんとして米酢と昆布でシメたという、厚い身の鯖は脂ののり方と言い、酸味と旨味のバランスといい、これまで食べた鯖寿司のなかでも5本指に入るものであった。

 22時から23時過ぎまで色々な方から電話をもらい、先日、応援にいった魚沼市議会議員選挙の情報が分かった。
 投票状況は、

有権者数:34,180人
投票者数:28,170人
投票率:82.42%
 

で、とにかく一番若いということで、応援に入った28歳、車イスの五十嵐茂昭候補は、343.229票で、29名中の27位。定数は25名であるため、残念ながら落選ということとなった。今回の挑戦は意義あることであり、結果にめげず、是非、次回は万全を期して挑戦してもらいたいと思う。

 北朝鮮の高官が日本の原子力発電所を攻撃するといった内容の発言を、講演でしていることが分かった。
 原子炉建屋、原子炉格納容器等を木っ端みじんにするのは、ほぼ不可能であるが、実際に北朝鮮からミサイルを撃たれた場合には、「撃たれた」事自体で周辺住民がパニックになる恐れがある。
 世界最大の原子力発電所である柏崎刈羽原子力発電所を抱える我が柏崎市としても、見過ごすことはできない発言であるため、直訳部分も多く、非常に読みづらいが以下にご紹介したい。
 柏崎市に海上自衛隊が必要という、市議会議員になって以来、ずっと私が言い続けている事もご理解頂けるかと思う。

*以下の引用記事にでてくる「チョッパリ」は、「豚足」の意味で、鼻緒のある下駄を履く日本人に対する侮蔑語。


平成21年6月12日『統一日報』

「日本の原発51基をミサイル攻撃すれば」

06年核実験に対する朝鮮労働党内部講演録音
(日本関連部分) 


張ヨンスン(朝鮮労働党中央党副部長)

(*脱北者たちが運営する自由北韓放送(www.fnkradio.com)は、第1次核実験後、金正日の特別指示で党幹部らを対象に行われたという講演の録音テープを入手した。講演は2006年12月以降で、この内容は日本に関する部分を抜粋したものである。)

 ブッシュが大統領の椅子に座るや否や、それまで進行した「朝・米会談」も打ち壊したではありませんか? 2002年10月3日、ケリー(James Kelly)が来る時も、我々はブッシュがぶっ壊した「朝・米会談」の再開か、何かの意見を提起すると期待したのです。ところが、ケリーは我々を威嚇し始めました。何と言ったのか。彼らとの朝米関係が改善されないと、今我々と良くなりつつある南北関係、朝日関係も全部破綻させる、こういう形で威嚇したということです。

 それで、対座していたわが外務省の副相が、あまりにも腹立って、「オイ、核兵器がお前らだけが持てるものか、我々も持つ権限がある、出て行け!」と追っ払ったのです。これもわが外務省の副相が自分の考えで言ったものではありません。偉大な将軍様が、わが外務省副相に、なぜアメリカのやつらに(我々が)核兵器がないと度々言うのか。アメリカの奴らに核兵器がないと言うのは真実を教えてやることではないか。どうしてアメリカの奴らに真実を教えてやるのか。いっそ我々も持てると言ってやれ。こういう意味のお言葉を下さったのです。それで、わが外務省の副相が図太く、核兵器とはお前らのみが持てるものか。我々も持てる。出て行け。その上に自分の意見を付け加え、それ(核)よりもっと強力な武器も我々は持つ権限ある。出て行け!と言って追っ払ったのです。

 ケリーは、10日間一言も言えずじっとしていて、十一日目の10月17日、北朝鮮が核を開発したと認めた、とその時嘘をついたのです。なぜ嘘をついたのか。我々の周りの国々が、我々が強くなるのを望みません。だから、我々が核を開発したと認めた、と嘘をついておけば、我々の周辺の国々が一斉に我々に悪態口を浴びせるだろうと思ったということです。ところが、我々の周辺の国々が一斉に、米国に騒ぎ始めたのです。なぜか、これから情勢が悪化し戦争が勃発する場合、自らの屋根に先に火が付くから,,,

 これがどういう意味か。仮に、アメリカの奴らがこれから情勢を悪化させ、第2の朝鮮戦争が起きれば、我々は、米国本土、日本本土、南朝鮮を同時に打撃します。打撃できる力があるのか? いくらでもあります。米国の本土を打撃するには13,000キロあればできます。13,000キロ!(我々が)衛星を発射した。これでは十二回も打撃してもあまります。

 偉大な将軍様が、米帝国主義者などの侵略策動を看破され、「苦難の行軍」の時、「先軍政治」で、先軍政治をされながら、我々の核科学者たちを自ら育成されました。わが核科学者たちは、将軍様が育成された30代、40代の青年科学者たちです。わがロケット発射基地が、東海岸の海辺に添って少し上がれば咸北道花台郡の舞水端里に我々のロケット発射基地があります。

 (その基地は)何度も火の海がなったことがあります。そのたび、科学者らは慌てて途方に暮れ、将軍様は大丈夫だから続けろと。率直に申し上げると、ロケット一発を開発するためには、あの「金策製鉄連合企業所」のような大きな工場を、およそ50個を売ってもその金額を補填できないほど、それくらいの多くのお金が掛かります。そのため将軍様が「苦難の行軍」の時、胸の痛いお言葉も下さったことがあります。「工場は回らず、人民たちが飢えているのを彼自身がよくご存知ながらも、お金がちょっと入ると、ここに全部注ぎ込んだと...こうやったから我々が奴らにやられなかった、そうでなかったら、すでにかなり前に奴らに押されたはずだと、わが人民たちはこれを理解する時が必ずあると,,」このように胸の痛いお言葉を下さったことがあります。

 ついに、わが科学者たちがロケットを開発しました。去る(2006年の)7月5日の明け方の4時、7発のミサイルを一挙に発射したのを含めて、我々は4度も発射試験しました。一番初めに550キロを発射したのです。この通信(情報)には日本の下駄らがちょっと早いです。この野郎らが潜水艦で近づいてこっそりと観察して、その時何と報道しまくったのか。「朝鮮民主主義人民共和国」がロケットの発射試験をした。550キロを撃った。目標を正確に打撃した。そして何と言ったのか。半径をそのまま東に回せば、日本、大阪を打撃できると報道したのです。

 その次、今度は将軍様がより射程距離の長いロケットを開発せよ。1,000km、3,000kmをわが科学者たちがまた取組んで開発しました。二番目の発射試験の時、日本チョッパリたちの頭越しに、わが国から3,000km離れているグアム島、6,000km離れているそこのハワイ、これと同じ距離の公海上に、太平洋上に、3,000km、6,000kmの二発を発射したのです。その時まで日本チョッパリらは、自分たちの頭越しに我々が試験発射したロケット二発が飛んで行ったのも知らずにいました。米国の奴らが教えてやったのです。

 「オイ、お前らの頭越しに共和国の試験発射したロケット二発が飛んで行った」と。その時、日本の奴らが何と言ったのかご存知ですか。私たちの探知機が故障していた。そう言いながら、これは意地悪さが、粉を炒める日に風が強く吹いたのと同じ現象だ、と報道したのです。今度このようにして開発された運搬ロケット三個を連結して衛星を付けて、1998年8月31日の12時07分に衛星を打ち上げたのです。ここの先生たちは皆ご存知でしょうが、三個のロケットには、9個の「高速機関」が入っています。1個当り3ヶずつ。この高速機関は、発射すると秒当たり8km速度で飛んで行く高速機関です。

 秒速8km、3,500度の熱にも耐えるこういう高速機関ではありませんか。見て下さい。我々が何かを作れないため作らなかったのではないでありませんか。今でも我々ちはロケット工業をはじめとする軍需工場を、人民のほうへ回せば、甚大な経済強国になります。しかし、そうはできないということです。なぜ、米国野郎が我々を食おうという条件では、軍需工場を人民のほうに回すわけには行かないということです。それで、私たちがしきりに品銭(品物とお金)を節約し腰のベルトをきつくしめようということです。

 ここに歳を老いた先生たち、あの人が正気なのか。戦争直後から「品銭」を節約し、腰のベルトをきつく締めろと言って、もうこれ以上締められベルトの穴もない。いったいどこまで締めろというのか。私が、ここの先生たちに明白に申し上げられることは、祖国が統一される日まで締めよう、(ベルトに)穴がなければ突き開けながらでも...

 結局、この思想が何ですか?わが将軍様が、今日のための今日を生きず、明日のための今日を生きよう、われわれの現世代の基本任務は何でしょうか?必ずや統一された祖国を後代に譲ってあげることではありませんかか。見て下さい。我々が良い暮らしをしたくなくて、しないではないということです。誰のせいなのか。米帝国主義者らのためだということです。そう、我々が米帝国主義者らは我々と一つの空の下では生きられない、不倶戴天の敵だ、こう言うことです。

 その上に、我々のミサイルはどの奴も迎撃できません。今、アメリカのミサイル専門家という人々が何を言っているのか分かりますか? ミサイルを迎撃する方法は三つある。一つはミサイルが発射される前に発射基地を叩き壊すことだ。二番目の方法は、発射されたミサイルが水平飛行する時叩くことだが、これは技術的に不可能だ。弾丸が弾丸をどう叩けるか。これは技術的に不可能だ。三番目の方法は、ミサイルが目標に向かって下降する時、向い撃つことだが、これは技術的に可能だ。だが、ミサイルが地面に落ちて被害を被るか頭のてっぺんでさく烈して被害を被るか、被害を被るのは同じでないか。これも迎撃と言えるのか。こう言っています。絶対に迎撃できません。これを米国の地に落とせば良いのです。

 そうですから、米国の巷に、人々の中に、わが共和国のロケット・アレルギーにぴったり罹っているということです。我々がロケット発射の試験したニュースを聞くだけで、角度がずれて彼らに飛んできて爆発して死ぬかと心配したあまり、なかった神経痛が生じ、全身にじんましんが出て、今アメリカの巷がそうです。小さな子供もアン、と泣くのをなだめてみて最後の方法が、オイ、そう泣いたら、共和国からロケットが飛んでくる。そうしてこそ、泣いた子供も恐くて泣くのをぴたりと止むということです。

 日本のチョッパリらを見ましょう。北海道、本州、四国、九州の島の塊りではありませんか。あれは北海道から九州の南端までの日本全域を打撃するには、1,500kmあれば充分です。率直に申し上げると、我々は1,500kmまで飛ぶロケットは、坑道(トンネル)の中に系列生産されています。その上、日本チョッパリらは、土地も狭いのに、原子力発電所がちょっと多いです。51個あります。今、我々が、ロケット一発で日本の原子力発電所一つを打っ壊した時、2次大戦の時、広島に落ち20万も殺した原子爆弾の破裂の320倍の破裂が出ます。原子炉一つが壊れた時。狭い日本の地に50個の原子炉を我々が打っ壊した、と想像してみて下さい。どれくらいの破裂が出て、どんな現象が起きるだろうかを。

 万一、日本チョッパリらが補償もせず、あのように悪く居直り続けたら、我々は地球上から日本という国を跡もなく消せます。だから、日本チョッパリらが、わがミサイルやロケットを見て喚きたてるのです。

 分界線(休戦ライン)に配置されている一万門あまりの砲。今アメリカの奴らが何と言うのかご存知ですか?30分で、南朝鮮の全域を灰の粉にするということです。1時間の間に、彼らのほうへ50万発の砲弾が飛んでくるといいます。50万発! もう一度申し上げますが、アメリカの奴らが情勢を悪化させ、第2の朝鮮戦争が勃発する場合、我々は米国本土、日本本土、南朝鮮を容赦なく同時に打撃をするのです。だから、我々の周辺の国々が(彼らの)屋根の上に火が先に付くではありませんか?そのため、我々の周辺の国々が一斉に、アメリカに喚き立てたのです。オイ、共和国がいつ核を開発したと認めたのか。持つ権限があると言っただけを、お前らはなぜ嘘をついて、我々の屋根に先に火が付くようにするのか、と騒ぎ立てたのです。

 本来、アメリカの奴らが嘘を付いたことで、そういう形に周辺の国々から我々を孤立させようとしたが、彼らが孤立したのではありませんか? だから、この奴らが困って、2003年の4月9日、国連の安全保障理事会で北朝鮮の核問題討論しよう、と国連に持って行ったのです。それで、4月6日、わが外務省の代弁人声明で、その時、糺したのではありませんか?お前ら国連というものが、われわれの核問題を置いて決議案というものを紙の上に何文字かを書いて見ろ!。我々は、我々に対する宣戦布告と見做して相応する対応対策を取ると闡明しておいたということです。4月9日、国連の安全保障理事会が開かれました。

 ここ、常任理事国は5個国あるではありませんか。これは皆さんがご存知のように、「一時可決」(満場一致)の原則でありませんか。我々が、2003年4月に、労働新聞に米国ともう一つの国だけが反対した、こう表現しておきました。少なくないわが人民たちが、これは名前を書かなかったのを見ると、ひょっとして中国ではないか、こういう考えがあったそうですが、実は、それが中国でなく英国だったということです。
 ところが、なぜ、英国という名を書かなかったのか。我々は「主な敵」であるアメリカの奴だけを孤立させれば良いということです。それで、我々がアメリカともう一つの国と、こう表現しておいたら、その時英国の人々が我々に何と言ったと思いますか。自分の名を書かなかったと、これ本当にありがとうございます、すみません。こう言ったのです。

2009年6月27日 (土)

「東京大空襲」が意味するもの

Dsc00161  0時過ぎ、2軒目として某スナックに移動。「宇宙海賊キャプテンハーロック」「home」「ウルトラマンレオ」などを歌う。
 途中、何回か電話があり、見慣れない番号だと思ったら、海外在住の某氏からで、日本食の輸入の仕事をはじめたいとのことであった。

 2時、帰宅。シャワーを浴びたのち、3時過ぎに就寝する。

 7時、起床。発売されたばかりの週刊誌や月刊誌をもって2時間ほど、長風呂に入る。

 大粒納豆、目玉焼き、もずく酢でご飯2杯の朝食をとり、その後、病院に向かう。
 祖母に話しかけても反応はなく、まぶたを開けている時間も短くなってきた。

 12時、一旦、自宅に戻り、冷やご飯とひきわり納豆、永谷園「さけ茶づけ」で作った納豆茶漬けで昼食。

Cimg0519 14時、商店街活性化のため、NPO全国防災・災害支援ネットワーク会議柏崎駅前ニコニコ通り商店街の皆さんが協力した、駄菓子屋「駄菓子えんまねき」がオープンしたとのことで、さっそく現地を見せてもらう。
 氷水のたらいに入ったラムネ、カタ抜きなどお約束のレトロ感たっぷりのお店で、親子連れで賑わっていた。あとは、社会勉強のため、子供を「たらかす」おじさんがいれば完璧?である。
 とにかく開店までこぎ着けた関係者の皆さんに敬意を表したい。

Cimg0525  14時30分、柏崎市社会福祉協議会に移動し、昨年に引き続き、「わいわいがやがやフェスティバル」。今年も柏崎市内のガンダム好きのメンバーが「ガンダムミーティング」のコーナーを設置したが、昨年とは場所が変わって和室された。今回、事前にグッズなど提供することはできなかったが、ファーストガンダムの1年戦争を別角度で描いた作品の映像を明日、提供することになった。

Cimg0529 15時、地元町内の集会場に移動。遅参したが、町内成年会での子供御輿づくりに参加する。
 少子化の流れで、地元町内会も子供が少なくなっているが、今年は子供御輿を決行。キャラクター御輿を作成することになった。

Cimg0530 作業の一区切りがついたところで、愛車で長岡市に移動。
 18時から「健康の駅ながおか 高齢者センターしなの」にて、車イスレクダンス普及会「矢車草の会」の役員、長岡支部の皆さんとの懇親会に出席する。今年10月、長岡市で開催される全国大会のことや、理事長に触発され歴史に関することで盛り上がる。柏崎をはじめ、周辺自治体でのボランティア募集の協力をお約束した。

 20時過ぎ、先日、選挙応援にいった五十嵐茂昭氏の状況が気になってので、選挙事務所に向かって移動。途中、今日も応援に入っていた十日町市議会の庭野茂美議員と連絡がとれ、無事、選挙戦を終えたことが分かったため、帰路につく。

 途中で買い物などを済ませ、22時、帰宅。

 今日の懇親会のなかで、近現代史に話しがおよんだとき、当然のことながら、長岡市の方から長岡大空襲のお話がでた。戦争の悲惨さ、という一言で片付けるのは、最近のマスコミの風潮であるが、本当に伝えるべきことは、悲劇だけではなく、その本質である。
 本来、戦争は軍人と軍人が行うべきものであり、女性や子供などの民間人を狙ったアメリカによる空襲(原爆も同様)こそ、まさに戦争犯罪。この事は、キチンと後世に伝える必要があろう。


平成21年3月12日『産経新聞』

【正論】
「東京大空襲」が意味するもの

       拓殖大学教授・藤岡信勝 

木造の家屋狙った焼夷弾

 アメリカが日本の人口密集地に焼夷(しょうい)弾を使用することを考え始めたのは「パールハーバー」よりもはるか前のことである。日米戦を想定して、「木と紙」でできている日本の家屋を攻撃するには、焼夷弾のような火炎兵器が最も効果的だと分析した。
 アメリカが日本の空襲用に開発した焼夷弾は「M69油脂焼夷弾」とよばれ、本体はゼリー状のガソリンである。開発責任者のR・ラッセルはスタンダード石油会社の副社長だった。焼夷弾1本の形状は、野球のバット半分程度の鋼鉄製の筒である。これを38発、鉄バンドで束ねたものを上空から投下すると、バンドが空中ではずれ、広い範囲にバラバラと落下し、家屋を燃やし、あたりを火の海にする。アメリカはテキサスの砂漠にわざわざ日本式の家屋を建てて実験し、効果が抜群であることを確かめていた。
 南太平洋のサイパン島を基地として、アメリカは昭和19年11月からB29による日本本土への空襲を開始していた。
 しかし、それは、(1)飛行機工場などの軍需工場を目標に、(2)日中、(3)高度1万メートルの上空から爆弾を投下するもので、命中率は平均5%程度にすぎなかった。 同年12月29日、ホワイトハウスでルーズベルト大統領、マーシャル参謀総長らを含む秘密の作戦会議が開かれ、日本本土爆撃作戦を再検討した。そこで決まったのは、 (1)民間人を直接の対象とし、(2)夜間、(3)低空飛行で焼夷弾を投下する、戦時国際法違反の「無差別爆撃」だった。

最大の戦争犯罪のひとつ

 この作戦変更に伴い、マリアナ3島の司令官のクビがすげ替えられた。民間人の家屋を焼く焼夷弾攻撃に反対していたハンセル少将にかわって、ドイツ・ハンブルクの絨毯(じゅうたん)爆撃をやり遂げたカーチス・ルメイ少将が任命された。
 ルメイは江戸時代の大火の50%が3月上旬に集中していることを調べ上げた。春先の強風が吹くこの時期が作戦には最も効果的だと分かった。3月10日は日露戦争の奉天会戦で日本が勝利した陸軍記念日だった。
 前日、マリアナ諸島を飛び立った325機のB29は、少量に抑えた燃料と満載の焼夷弾を抱えて東京を目指した。作戦計画に従ってまず、正方形と2本の対角線のライン上に焼夷弾を落として火の壁をつくり、住民の退路を断った上で、1平方メートル当たり3発、総重量2700トンの焼夷弾を、雨あられと無辜(むこ)の市民の頭上に降り注いだのである。
 ルメイは戦後、「もし、アメリカが戦争に負けていたら、私は間違いなく戦争犯罪人として裁かれていただろう。幸い、私は勝者の方に属していた」と述べている。一夜にして10万の市民を焼き殺した「東京大空襲」は、第二次世界大戦の最大の戦争犯罪の一つであろう
 東京都江東区で家具店を営む滝保清さん(現在80歳)は、64年前の3月10日、空襲による業火の中を逃げ惑っていた。当時16歳の中学生で、早くに父を亡くした保清少年は、数日前に運悪く足にけがをして歩けない祖父を背中に背負い、安全な方角を目指した。だが、火の勢いは激しくなる一方で、やがて祖父の背中のドテラが燃えだし、煙と熱風の渦に巻き込まれた。
 目の前で燃えている祖父を残し、「後ろ髪を引かれる思いで、生きたいという本能と窒息の苦しさから逃れたい一心で」(私家版冊子『赤い吹雪』より)逃げ出さざるを得なかった。

国立慰霊碑の建立を急げ

 長い年月がたち、つらい地獄の体験をやっと他人に語る心境になった滝さんは、平成3年、東京大空襲の犠牲者を追悼する慰霊碑の建立を求める署名運動を地元の仲間とともに始めた。
 本業をそっちのけで奔走し、3月10日の犠牲者の数を超える11万5000人の署名を集めきった。
 願いは国会に通じ、平成17年11月1日、衆議院本会議で国立慰霊碑建立の請願が採択された。昨年12月、自民党の国会議員からなる「戦災犠牲者の国立慰霊碑建立を目指す議員の会」(下村博文会長)が設立された。
 しかし、所管の総務省は、兵庫県姫路市に昭和31年に民間の寄付で建立した「全国戦災都市空襲死没者慰霊塔」があり、国が新たに慰霊碑をつくる予定はないという。滝さんは、個人や民間や自治体ではなく国が慰霊碑を建ててほしいと切望する。
 空襲犠牲者は、東京都のために死んだのではなく、国のために命をささげた点で戦死者と同じではないか、と言う。
 滝さんたちが署名運動を始めてからすでに18年の歳月がたつ。残された時間は少ない。政治と行政は、一刻も早く決断すべきである。

2009年6月26日 (金)

NHK相手を8400人が集団提訴
JAPANデビュー捏造問題

 3時、就寝。

 7時、起床。大粒納豆、辛子明太子、鯖の塩焼きでご飯2杯の朝食をとる。

 町内の仕事ののち、祖母が入院している病院に向かう。

 担当医と祖母の状態を相談し、延命措置はしないということで確認のサイン。88歳という年齢もあるが、元気なときに話していた本人の希望でもある。
 すでに何を話しかけても答えず、目も虚ろになってきており、それなりの覚悟をもつよう母親にも伝える。

 13時、自宅に戻り、冷凍うどん、ひきわり納豆、生卵で納豆ぶっかけうどんを作り、昼食。

 15時、来客。事務所で企画書についての打ち合わせを行う。

 16時から18時過ぎまで、市内まわりや市役所内で議事録や過去の議案などを調査。

 19時から市内某所で市政に関する意見交換会に出席する。貴重なご意見や今後、こうしたら良いのでは、との提案を多々頂く。政治活動に生かすとともに、次の議会での一般質問、委員会審査に反映したい。

Dsc00159 23時、「やきとり大吉 柏崎店」(電話:0257-21-4655)に移動し、某氏とともに懇親。好物の「鶏のレバー刺し」をまず2人前(一皿に盛ってもらい)を生ビールで流し込み、2、3本の焼き鳥(ハツ、皮、砂肝)ののち、再度、「鶏のレバー刺し」を食べる。

 渋谷でもデモ行進を行ったNHKの捏造番組問題に対し、原告団の一人となって、提訴に踏み切った。
 8000人を超える原告団は異例とのことであるが、いかにNHKの報道が偏っているのか、より多くの国民に伝わればと思う。


平成21年6月26日『産経新聞』

「番組で台湾統治証言歪曲」精神的苦痛

NHK相手を8400人が集団提訴

 NHKスペシャル「シリーズ・JAPANデビュー アジアの“一等国”」に出演した台湾人や日台友好団体などから番組内容に偏向・歪曲(わいきょく)があったと批判が相次いでいる問題で、視聴者約8400人が25日、放送法などに反した番組を見たことで精神的苦痛を受けたとして、NHKに計約8400万円の損害賠償を求める訴えを東京地裁に起こした。

 問題の番組は日本の台湾統治時代を取り上げたもので、4月5日に放送された。放送直後から「日本の台湾統治を批判するため、証言をねじ曲げている」などの批判が相次いだ。
 原告は訴状で番組について、「取材に応じた台湾人の話を、一方的に都合良く編集して使っている」などと指摘。具体的には(1)台湾統治下の暴動を「日台戦争」と表現(2)「日英博覧会」でパイワン族の生活状況を実演紹介した企画を「人間動物園」と表現などを挙げ、番組にはやらせや事実の歪曲・捏造(ねつぞう)があり、放送法に違反する番組だった-などと主張している。
 原告には、約150人の台湾人も含まれている。原告側は今後、出演した台湾人や友好団体の関係者の証人申請や、出演者らがNHKに出した抗議文などの提出も検討している。また、東京、大阪、名古屋では、放送に反発する地方議員や有識者ら有志が抗議デモを行った。
 NHK広報局は「訴状を受け取っていないのでコメントできない。番組の内容には問題がなかったと考えている」としている。
 
「シリーズ・JAPANデビュー」

 NHKによると、近代国家を目指し世界にデビューした日本がなぜ国際社会で孤立し敗戦を迎えたのかを考え、未来へのヒントを探るのが企画の狙い。テーマは「アジア」「天皇と憲法」「貿易」「軍事」の4つで、うち「アジアの“一等国”」は、その第1回。近代日本とアジアの原点を台湾統治に探る内容としている。

責任見失う公共放送

 批判が相次いでいたNHKスペシャル「JAPANデビュー アジアの“一等国”」はついに法廷で争われることとなった。番組の取材方法や編集の在り方に、これほど注目が集まったのは極めて異例だ。
 「南京大虐殺」「従軍慰安婦」「強制連行」など、これまで俎上にのぼった近現代史の代表的論点をたどると、もともとの発端は今回の放送に使われた「日台戦争」という言葉同様、後に一部学者や出版物から編み出された造語に始まったものが多い。
 日本のメディアが盛んにこれを取り上げ、定着した後に、計り知れない禍根をもたらす。同盟国の米国で可決された「従軍慰安婦」をめぐる対日非難決議のように、外交の足かせとなったり、日本の国が不当におとしめられていく。
 そうした悪循環の構図やメディアの悪意にすでに多くの国民が気づき、真剣に憂慮している。公共放送の番組作りに厳しい目が向けられる理由だ。
 平成13年にもNHKは「ETV2001 問われる戦時性暴力」と題した番組を放送した。「女性国際戦犯法廷」という名の模擬裁判を取り上げたものだが、この模擬裁判の企画趣旨は「東京裁判では裁かれなかった旧日本軍の性奴隷制を裁く」として、日本政府や昭和天皇に有罪判決が出される-というものだった。
 政治家の圧力と番組改変にばかり注目が集まったが、そもそも歴史検証に名を借りたわが国を貶(おとし)めるような番組作りだったのではないか、という疑問は今も根強くある。
 今回の訴訟は8000人を超える大規模提訴となった。批判がこれほど広がった背景には、インターネットの発達がある。メールやメルマガなどさまざまなデータが瞬時に駆けめぐり、多くの国民が自らの考察や意見を自由に表明できる。
 その多くがNHKに懐疑的だったり批判的な内容で、それらは次々と広がっていく。なかには粗暴な言葉遣いや中傷、邪推もあるが、共感できる指摘や豊かな学識に基づく適切な考察、核心をついた推理も少なくない。
 これほど多くの視聴者が違和感を覚え、訴訟提起に至ったことは、さらに多くのサイレント・マジョリティがいることを意味する。NHKはそうしたことを肝に銘じ、公共放送としての番組作りがいかにあるべきかをあらためて問い直す必要があろう。

2009年6月25日 (木)

09魚沼市議選応援
車イス、28歳の挑戦!

 3時、就寝。

 7時、起床。ゴミ出しをしたのち、大粒納豆、目玉焼き、コタマ貝の酒蒸しでご飯2杯の朝食をとる。
 食後から町内会費やぎおん柏崎まつり協賛金を集めるため、町内をまわる。

 10時から11時過ぎまで市内某所での会議にオブザーバー出席させてもらう。

 会議終了後、コンビニで買った納豆巻き2本、低脂肪乳、グレープフルーツジュースで昼食をとりつつ、魚沼市の小出まで移動。

Cimg0511  12時過ぎ、現在、選挙期間中である魚沼市議会議員選挙(平成21年6月21日告示、同28日投票 )の応援のため、五十嵐茂昭(いからししげあき)候補の事務所に入る。
 全国若手市議会議員の会の先輩でもあり、日頃からお世話になっている十日町市議会の庭野茂美議員が既に応援に入っており、午後から一緒になって、候補者の街宣活動を行う。
 定数24名に対し、29名が立候補している激戦の選挙。激戦ついでに、天気も気温30度を超える猛暑でかなり手強い。
 五十嵐茂昭候補は、若干28歳の一番若い候補者であり、車イスでの生活をしている障害者でもある。17歳のときの交通事故がもとであるが、それがゆえ健常者と障害者の両方の気持ちが分かる人間であり、街頭からの訴えは福祉の充実を基本に行った。
 気合いの入ったプロのウグイス嬢での流し街宣に加え、市内十数カ所で街頭演説を行う。

Cimg0514  17時40分、選挙事務所に戻り、「大沢調理センター」(電話:02579-2-0884)の仕出し弁当で夕食をとりながら、候補者と演説内容を含めたブラッシュアップ。
 できれば最後まで街宣活動に参加したかったが、地元に戻る用事があるため、19時過ぎ、事務所を後にした。

 20時30分、シメの挨拶ギリギリのタイミングになってしまったが、市内某所での懇親会に出席。あまりの遅刻に、いきなりの日本酒ジョッキ一気飲みをするハメになった。本当は危険な行為である。

 21時、二次会として市内スナックに移動。このブログを読んでくれている方と出会い、なぜかウルトラマンシリーズの話で盛り上がる。「ウルトラセブン」ファンはかなり濃ぃいことが分かった。

 23時、帰宅。

2009年6月24日 (水)

どんGALA!祭りお天気祈願祭
プルサーマル交付金制度打ち切り

 3時、就寝。

 6時、起床。祖母が入院、母が寝込んでいるため、家事や町内の班長としての清掃などを行う。

 8時、大粒納豆、筋子、笹かまぼこ、大根おろしでご飯2杯の朝食をとる。

 9時から病院に行き、祖母の身の回りの世話。肺炎と心不全ということで、話もできないほどである。

 10時過ぎ、遅参したが市内某所での政治関係の打ち合わせ。

 12時、一旦自宅に戻り、辛子明太子、マヨネーズ、一度水洗いしたひきわり納豆で、和風納豆明太子スパゲティを作り、母とともに昼食。

 14時、事務所に来客。ノートパソコンの入れ替えのため、データのバックアップ・移行などを行う。

 16時、市内某所での打ち合わせ。プレゼンテーション資料の作成を依頼されたため、素材の提供元やコンセプトなどを話し合う。

Cimg0506  17時30分、駅前の商店街の一角にて、「第10回 どんGALA!祭り」の成功と当日の天気を願っての祈願祭に出席。大会事務局をはじめ、会場となる商店街の皆さんも多く出席された。
 今年は、第10回目。一昨年は、「どんGALA!祭り」を行った翌日に中越沖地震に被災した。災害や悪天候を打ち消すよう、気合い?を入れて、玉串奉奠を行う。

Cimg0508  18時30分から「ニュー新橋」(電話:0257-24-1133)にて、直会。祈願祭であがった御神酒で乾杯を行った。
 普段はあまりお付き合いのない方から初めての方までいらっしゃり、柏崎市政や原子力に対する多面的な意見をお聞きできた。
 なかには、会田市長与党の某議員から

「三井田は反原発で、原発を推進したい会田市長の足を引っ張っている」

と聞いたという方もいらっしゃった。私の事を言われているという事は別として、明らかな嘘を、市民に言う「誠を失った」政治感覚を疑う。
 かなり話は盛り上がり、シメの三本締めのあとも、残った食べ物を食べつつ、しばらくの間、意見交換を行う。

 21時30分、事務所に戻り、戻ったところで来客。携帯電話のメールの抜き出しなどの作業を行う。

 今日の懇親会で、原子力発電に関する賛否両方の意見を聞けたが、プルサーマルに関しての情報が、賛成・反対両方になかなか行き渡っていないことも分かった。
 反対派としては「金でプルサーマルをやって、市民を殺すのか」といった論調、賛成派としては「もう発電所があるんだから、もらえるならもらえば」というご意見であった。しかし、プルサーマルに関しては、既に国による交付金の打ち切り方針がでている。


平成21年6月7日『新潟日報』

プルサーマル
交付金制度打ち切り
経産省 60億円支給は7道県

 一般の原発でプルトニウム・ウラン混合酸化物(MOX)燃料を燃やすプルサーマルの実施受け入れに同意した道県に、それぞれ60億円を払う交付金制度を、経済産業省が3月末で打ち切ったことが6日、分かった。
 既に交付が決定した7道県以外は、今後新たに同意があっても交付されない。経産省は「同意自治体すべてに交付すれば、早期に受け入れ努力をしたところから不満が出かねない。延長は不要と判断した」としている。プルサーマル実施以外の、MOX燃料加工施設や使用済み核燃料の中間貯蔵施設などの誘致に伴う交付金は従来通り。巨額交付金でプルサーマル推進を図る手法には賛否があるが、打ち切りによって国の原子力政策の先行きにも影響を与えそうだ。
 同交付金は、プルサーマル開始までの間に10億円、さらに開始の翌年度から2~5年間で50億円が支払われる。経産省によると、これまで佐賀県が申請し、交付金の一部が支払われたという。
 2006年10月の制度開始以降、交付対象になったのは北海道(泊原発)、青森(大間原発=建設中)、静岡(浜岡原発)、福井(高浜原発)、島根(島根原発)、愛媛(伊方原発)、佐賀(玄海原発)の各道県。いまだにプルサーマル開始が具体化していない東北、東京、北陸の各電力会社と日本原子力発電の原発は支給対象にならなかった。
 本県では、東京電力柏崎刈羽原発3号機でのプルサーマル計画実施について1999年、県など地元自治体が了解し、国が2000年に実施を許可した。しかし、同計画の賛否を問う01年5月の刈羽村の住民投票では、反対が多数を占めた。02年には東電のトラブル隠しが発覚し、県などが了解を白紙撤回した。東電は3号機にプルサーマル用のMOX燃料を保管しているが、実施のめどは立っていない。


 実際、原子炉のなかではプルトニウムも燃えており、個人的意見としては「わざわざプルサーマル」と日本でしか通用しないような名前を付けたことが、大きな誤解を生んだ原因ではないかと思う。

2009年6月23日 (火)

長岡・上越間 鉄道活性化シンポジウム

 3時、就寝。

 7時、起床。大粒納豆、目玉焼き、ほうれん草のおひたしでご飯2杯の朝食をとる。

 ショートステイで祖母をお願いしていたところ、高熱がでたため、病院に連れていくことになり、午前の打ち合わせ等をすべてキャンセル。母親も寝込んでおり、悪いタイミングである。

 10時から祖母を連れて、診察。診察の結果、心不全のほか、肺にも水が溜まっているとのことで、急遽の入院となった。熱も38度を越えており、88歳という年齢も考え、個室の病室。

 12時、一旦、自宅に戻り、祖母の着替えや身の回りのものなどをもって、再度、病院に戻る。

 13時過ぎ、柏崎市市民プラザに移動。
 13時30分から上越新幹線直行特急早期実現既成同盟会主催による「長岡・上越間 鉄道活性化シンポジウム」に出席する。

*上越新幹線直行特急早期実現期成同盟会
上越新幹線直行特急早期実現期成同盟会は、上越新幹線直行特急(長岡・上越間)の
早期実現と信越本線(長岡・上越問)の利便性の維持・向上を図ることを目的に活動し
ています。
<設立>昭和62年12月1日
<構成>新潟県、長岡市、上越市、柏崎市、糸魚川市及び刈羽村の各首長、議会議長
長岡、上越、柏崎及び糸魚川の各商工会議所会頭
長岡市、上越市、柏崎市、糸魚川市及び刈羽村内の商工会会長
<役員>会長:新潟県知事
副会長:長岡市、上越市、柏崎市及び糸魚川市の各市長、刈羽村長
事務局:柏崎市総合企画部企画政策課

Cimg0468 これまで議会の本会議、委員会問わず、とにかく先手を打て!と何回も鉄道に関する一般質問や提言をしてきたところである。これまで、ほとんど動きのなかった事を考えると、まずは第一歩と言えよう。
 開会の挨拶として、会田市長が話をしたが、事前に準備された原稿を手にもち、さらにそれを棒読みするという、取り組みへのアツさが感じられなかったのが残念。
Cimg0469  第一部として、基調講演「地方鉄道の活性化とまちづくり」。講師は、交通ジャーナリストの鈴木文彦氏である。

【プロフィール】
1956年 山梨県生まれ
1981年 東北大学理学部地理学科卒業
1984年 東京学芸大学大学院修士課程(地理学)修了
現在:交通ジャーナリスト
   特定非営利活動法人日本バス文化保存振興委員会副理事長
r鉄道ジャーナル」にレギュラーとしてバス、ローカル鉄道の記事を執筆するほか、
「運輸と経済」「人と国土」などにバス・鉄道に関する論文・取材記事が多数ある。
<著書> 『新制度「地域公共交通活性化・再生法」』
『路線バスの現在・未来』 など多数
く委員> 国土交通省交通政策審議会「地域公共交通に関する新技術・システム検討委員会」委員、国土交通省交通政策審議会「地域公共交通小委員会」委員など

 大まかな内容は次の通り。

・幹線系鉄道のメリットと課題
<メリット>
 高度な施設と高速性、ネットワークとしての全国展開、拠点間の大量輸送
<課題>
 経営と社会的期待のギャップ、過大な施設と需要のギャップ、地域ニーズへの対応の限界、駅周辺の空洞化、マイカー社会の限界(高齢化、10年後の地域の足のあり方)と公共交通の位置づけとして、社会的なインフラであり「対策」から「政策」に転換することが必要
 → 幹線系鉄道と鉄道貨物の需要とも必ずしも一致しない。

・生活交通としての鉄道
 最大のお得意さまは通学(60%~70%が定期利用者)、日中は高齢者がわずかな利用、幹線系鉄道も普通列車の利用形態はローカル線と同じ(駅周辺に行くべきものがない限り、鉄道利用は減る)

・ネットワークとしての幹線系道路
 利用の多い駅と少ない駅とのギャップ、地域ニースとしてのバランス、バス・タクシー等との「結節」の重要性(地域内の結節)

・地域活性化と鉄道
<人の流れと拠点都市の活性化>
 幹線道路の改良と流動の変化、都市の活気とリンクする鉄道利用。
<観光ルートとしての活用>
 地域資源の再発見、周遊ルートの構築、バス・タクシーとの連携、外来者・観光客にも使えるインフォメーション

・駅とまちづくり
 まちづくり拠点としての「駅」の再認識。駅の機能を大切にすること、駅そのものを人の集まる場所にすること、町と鉄道の一体的なイメージアップ。

・幹線系鉄道を最大限活用する
<今の時代に合った鉄道>
 バリアフリー、「環境」は追い風、発想の転換と存在需要の開発
<鉄道のメリットを最大限活かす>
 速達性、定時性、全国ネットの活用

・乗ってみたくなる列車の必要性
 列車に乗ること自体の楽しさ、車両のデザインやイメージ・話題性、子供や女性に支持される車両、清潔感も重要、付加価値や値頃感を感じられる車両

・みんながつくり育てる公共交通
<持続できる公共交通>
 負担のあり方、責任分担、地域に即した身の丈に合う手法、事業者を元気にする、地域のみんなが「当事者」、公共交通は自分自身の問題、公共性の検証
<鉄道事業者・行政・地域住民の協働>
 商店街や地元組織・大学等とのタイアップ、意見交換をする「場」の重要性、情報公開と提案、コーディネーターとしての行政
 → マイレール意識の高揚

事例紹介を含めた配布資料

「配布資料」1/3(pdf形式)

「配布資料」2/3(pdf形式)

「配布資料」3/3(pdf形式)

 質疑応答の時間があったので、『鉄道ジャーナル』読者の一市民として、次の2点を質問させてもらった。
*市職員をはじめ、動員で来た公務員や関係者にも鉄道活性化を理解してもらう意味も込めて、あえて総括的かつ基本的な質問を行った。

Q1.長岡~柏崎~上越間の信越本線についてのシンポジウムであるが、ポイントは柏崎と思われる。これまで柏崎は越後線を含めて、鉄道貨物を活用してきた。そういった点を含めて、全国の鉄道をご覧になってきた先生として、柏崎の鉄道をどう思われるか。

A1.確かにポイントは越後線を含めた柏崎の鉄道のあり方である。二つの新幹線にアクセス出来る場所として、まずは柏崎駅に魅了をもたせ、利用客を増やすようなことと思われる。的確な答えにはならないが、越後線を含め、柏崎駅からの利用を増やすことがまず重要。

Q2.JR九州の面白い車両のような活性化ができればと思うが、地域の住民からの提案や地域と鉄道事業者との意見交換があって、実現したような事例はあるのか。

A2.JR九州の車両は奇抜なデザインゆえに賛否両論ある。厳密な意味で住民要望で実現した事例はないが、中央線などでは沿線住民に詳細なアンケートをとり、私も意見をだした。今後、JRと住民の距離間を縮めることで、もっと地域に密着した新しい展開ができると思う。

Cimg0476  10分間の休憩の後、15時20分から第2部パネルディスカッション、テーマは「北陸新幹線金沢開業後の信越本線(長岡・柏崎・上越間)のめざすべき方向性」で、コーディネーターは、一部に引き続き交通ジャーナリストの鈴木文彦氏、パネリストとしてフリーゲージトレインに詳しい新潟大学工学部教授の谷藤克也氏(国鉄16年間勤務)、東日本旅客鉄道株式会社新潟支社総務部企画室長の西田聡氏、そして、上越新幹線直行特急早期実現期成同盟会の副会長として、会田市長。
 以下のような視点で、大まかなやりとりは次の通り。

1.日本縦貫路線としての信越本線(長岡・柏崎・上越間)の位置づけ及び可能性

西田:この間は、貨物14往復走っており、東北と関西・近畿を結ぶ重要な路線。「北越」は5往復一日1500人の利用、夜行は4往復。「くびき野」は3往復で1100人程度。長岡方面は、定期で一日約1700人、通常利用で一日約1300人。直江津方面は、定期で一日約1000人、通常利用で一日約800人、犀潟からの北越急行で7500人が利用している。
 新潟から北陸方面へは新幹線の影響はないと思うが、北越急行の「はくたか」は大打撃を受けるだろう。

鈴木:沿線地域として、信越本線をどのように活用したいか。

会田:2014年問題として「陸の孤島」になると言われ、市民からの心配の声も多い。歴史的にも、この地区は交通の谷間で、それゆえ心配。上越新幹線の利用客減少の予想があり、北陸新幹線のメリットを上越地区が十分受けられないという議論もある。このことを柏崎にとってマイナスにはしないようにしたいが、地域的な利便性と広域的な問題と二面から考える必要があろう。北陸新幹線が開通することにより、柏崎の利便性があがると考えている。2つの新幹線を使えるための利便性を高めることが当面の課題。ただ、「北越」はなくなるであろうと思うので、それに変わる提案が必要と思う。

鈴木:首都圏と結ぶルートの確保という観点であったかと思う。そして新潟県の基幹軸としての機能強化も必要というのが共通項とみえた。

2.信越本線(長岡~柏崎~上越間)へのミニ新幹線やフリーゲージトレインの導入を含めた鉄道高速化の可能性。

鈴木:信越本線の活かし方として、ミニ新幹線など新たな仕組みが考えられようが、幹線としての新技術の導入について、説明してもらえないか。

谷藤: (パワーポイント資料)
・フリーゲージトレイン 一次試作車
・JR在来線 軌間1067mm
 JR新幹線 軌間1435mm
・英国のゲージ戦争
 工業都市バーミンガムからグロスターを通り、港町であるブリストルにいくまでの軌間論争
・フリーゲージは乗り継ぎ抵抗の解消のため生まれた。(フランスのTGV、改軌方式の日本のミニ新幹線)
・軌間の異なる線路を通して輸送する方法
(1)同一ホームでの乗り換え:九州新幹線 新八代駅
(2)改軌方式:ミニ新幹線
(3)軌間可変車両(GCT)
   スペインのタルゴ方式
    機関車は軌間固定なので途中で交換、客車は可変軌間車両になっている。
   1969年には
   バルセロナ(スペイン)
     -チューリッヒ(スイス)間
   フリーゲージトレイン技術研究組合
    平成14年度から取り組んでいるが完全な実用化には至っていない

鈴木:車両の断面は、在来線の大きさですか。

谷藤:車両は、在来線と同じ大きさ。

鈴木:フル規格新幹線との平行運転の可能性は

谷藤:いまのところ可能性はない。

会田:この期成同盟会は20年越しで取り組んできており、ミニ新幹線の目標を掲げてきたが、先が見えない。柏崎から乗り換えなしに首都圏に行くためのミニ新幹線の構想であったが、需要の面から難しいと捉えている。広域的な視点に立つと、新潟県全体の問題でもある。日本海沿岸を横につなげる意味も必要であり、期成同盟会に新潟市や三条にも参加してもらうように舵を切っていきたい。フリーゲージの可能性も残したい。

鈴木:在来線を活かすという点では事業者としてどう思うか。

西田: 「北越」で新潟、北陸間での利用者が多いので、大切にしていきたい。糸魚川からJR西日本となるので、新潟県全体の鉄道問題として捉えるのが難しい状況もある。知事を含めて、相談しながら県路軸として考えていきたい。

3.まちづくりや地域振興による鉄道活性化の可能性。

鈴木:今後、県路軸という考えが大切であろうが、いまからでもできることがあるのではないか。喫緊の課題として鉄道活性化に対する思いは

会田:信越本線のゆくえとまちづくりでは、プラスとマイナスの大きな分かれ目がある。鉄道の利用者がなんといってもその重要なファクター。平成12年から平成19年11万人も利用者が減っている。まちの玄関口としての駅の魅了をアップさせ、利用客を増やす取り組みをしたい。各都市が手をつないで取り組むべき。交通インフラが整っている市の中心部が活性化しなければならない。柏崎駅前はまちの中心ではなかった。商業機能は駅から離れていたので、これから駅周辺を活性化させたい。復興公営住宅や市民会館もその取り組みの一環。できれば駅舎そのもの、もっといえば駅の位置も含めて、整備すれば良いと思う。いますぐにはできないが、JRとよく相談したい。観光列車もやりたいと思う。

鈴木:地域振興として鉄道事業者ができることは。

西田:JRとなってから電車の本数を増やした経緯があるが、少子高齢化の波がきている。そのほかの県内沿線は、昭和62年の約半分になった。駅の周りに駐車場を整備し、パーク&ライド型として利用が増えた事例がある。西新発田駅は駅を移設したところ、ジャスコを呼んだこともあり、一日100人の利用が500~600人になった。駅は点であり、周りの整備が必要であり、新潟駅では高架下にバスを入れ、点と点をうまくつなげる検討をしている。とにかく利用者の不便をなくす努力をしており、駅以外の部分の利便性向上については、皆様からご協力いただきたい。

鈴木:技術者として信越本線のこの区間を眺めたときの感想は。

谷藤:学会等で福井に行くことが多いが、「北陸」に変わる魅力的な列車を維持してほしい。日本海縦貫鉄道の観点を前面にだすべきではないか。心配している。

鈴木:ここまでで3つのことが浮かび上がってきたかと思う。
・信越本線は日本海縦貫軸であること
・新潟県の県路軸として重要
・地域としては駅周辺のまちづくりが必須であること
 最後にパネリスト一言ずつ。

谷藤:沿線の皆さんに鉄道を使ってほしい。駅近くの無料駐車場など行ってもらいたい。

西田:観光の視点を大切にしていきたい。特に柏崎は花火などの資源があり、幅広くアピールし、人にきてもらうように積極的に取り組んでいく。

会田:新幹線という相手には、乗り換え抵抗感がキーポイントとなろう。北陸の人が東京にいくには、高崎あたりまで北陸新幹線でいく時代がくる。敵は高崎。知事もマニフェストに鉄道活性化を入れているので、足並みをそろえて努力したい。

 会場からは「高速道路1000円に負ける」「花火のときの臨時電車を増やすべき」との意見もだされたが、予定された時間を過ぎたため、16時50分に終了。

 その後、市役所での資料整理をはじめ、議会関係の調査活動を行う。

Cimg0501 18時30分、えんま堂に行き、二十三夜講に出席。
 約20分間の読経ののち、弁当を食べつつ、ビール、冷や酒の会食となった。
 つい先日、えんま市があったばかりであり、今年のえんま市がどうであったのか、意見を交換。次のような意見があった。

Cimg0500・ゴミ捨てのモラルが低くなった。周辺住宅の塀や敷地内にも平気でポイ捨てされた。
・お参りは整列はよいものの、それぞれの参拝に時間がかかってしまった。
・参道の屋台は、参拝客が列をなすため、逆に売れず、撤退が続いた。できれば、参道ではえんまグッズなど、記念の品を販売すれば良いのではないか。

Cimg0502  かなり突っ込んだところまで話し込み、20時過ぎからえんま通りの飲食店「田」にて、二次会。
 特製の「参鶏湯」をつつきながら、生ビールを飲む。
 閻魔堂再建の募金活動や今後の再建までの見落としなど、飲んでるわけにはかなりカタイ話となる。

 22時過ぎ、自宅に戻る。熱めのシャワーを浴びて、酔いを覚ましたあと、読もうと思って買っておいた本などを通読。

2009年6月22日 (月)

自衛隊への韓国人スパイ活動

 3時、就寝。

Dsc00156  7時、起床。大粒納豆、目玉焼き、蕗の煮物でご飯二杯で、甥っ子、姪っ子とともに朝食をとる。
 食後、海苔をウルトラマンティガとバルタン星人の影絵風に切り、炒ったタラコとのりたまを混ぜた特製ふりかけをかけ、保育園にもっていくお弁当を作る。

Dsc00157  8時、保育園に向かって家をでる途中、昨日に引き続き、海に寄る。
 魚をさばいたときにでた頭や内臓を餌にしていたところ、見事、蟹が五匹入っていた。自然体験の教育である。甥っ子、姪っ子ともに大興奮で、保育園に持って行くと聞かず、最後には泣いてしまった。
 保育園に預けたのちに、事務所に戻る。

 10時、事務所に来客。商売に関する相談を受ける。

 12時、かなり賞味期限の過ぎている乾麺の冷や麦と卵とひきわり納豆を入れたつゆで昼食。
 食後から、会社関係の仕事などで市内まわり。

 15時、市内某所で打ち合わせ。

 18時、事務所に戻ったところで、来客。

 18時30分から上越市において、自民党・高鳥修一衆議院議員の上越地区総決起大会(来賓:自民党・町村信孝衆議院議員)が開催され、お誘いを受けていたが、申し訳なく欠席させてもらった。来場者は1000名を超えたそうである。
 アタチュルク像の問題でも関心をもって資料請求してくれた国会議員だけに、来る総選挙でも是非、再選してもらいたいと思う。

Cimg0466 20時、座間の米軍キャンプと陸上自衛隊座間分屯地に見学に行っていた妹と母が帰宅し、お土産としてお約束の「Anthony's Pizza」のミックスピザをもらったので、ビール350ml4缶とともに、アメリカンな夕食をとる。
 既に旅行日程が決まっていたため、母は具合の悪いなか参加してきたが、悪化したようで、即寝込んでしまった。

 陸上自衛隊座間分屯地には、東部方面情報保全隊座間派遣隊(東部方面隊下ではなく防衛大臣直轄)が配置されている。情報保全隊というのは、いわゆる情報・インテリジェンスに関わる業務を専門的に行うが、専門ではなくとも自衛隊全体がもっと意識を高める必要があろう事件が報道された。
 スパイ行為は映画だけのことではない。
 憲法9条さえ守れば平和、という方々には、世界がいかに腹黒いのか、現実をよく考えてもらいたいと思う。


平成21年6月9日『産経新聞』

【対馬が危ない!】
 日本に帰化韓国人男性
 海自施設で不可解行動

 防衛省の関連施設の隣接地が韓国資本に買収されるなどしている長崎県対馬市で、日本に帰化した韓国人男性が、10年以上にわたって海上自衛隊対馬防備隊本部(同市美津島町竹敷)など自衛隊関連施設に出入りし、幹部自衛官らと深い付き合いをしていたことが防衛省OBらへの取材で分かった。男性は、施設内のホワイトボードに記載された演習日程や人数、人員配置などを書き写しているところを何度も目撃されており、管理体制の甘さとともに、防衛情報が外部に漏れていた可能性が高い-と指摘する声も出ている。
 この男性は年齢60歳前後で、両親が韓国人。本人は対馬市で日本に帰化したとされる。妻は、在日本大韓民国民団対馬島地方本部の事務局長。
 男性は20年ほど前、海上自衛隊員とその家族を支援する民間組織を設立。以来、対馬に入港する護衛艦の艦長や対馬防備隊本部に勤務する自衛官らと接触、4、5年前まで、記念植樹を行ったり、年に数回、男性の山小屋や経営する焼き肉店で自衛官や地元の警察官らと懇親会を開いていた。
 だが、防衛省OBら複数の関係者の証言を総合すると、男性は海自幹部らと親しくなった後、支援組織の会長として防備隊本部に顔を出しながら、不可解な行動をとっていたことが分かった。
 防備隊本部は、上対馬警備所と下対馬警備所が収集する情報、特に対馬海峡や朝鮮海峡を航行する潜水艦の動向などをチェック、分析する重要な施設で、対馬市民でも自由に出入りはできない。
 ところが、ある防衛省OBによると、男性は防備隊本部にフリーパスで出入りするたびに、総務部入り口のホワイトボードに書かれている業務予定や護衛艦の入港予定などを書き写していた。平成17年ごろには、週に1回は顔を出していたため、重要な記載があるときは、幕を張るように指示が出されたという。 別の関係者によると、男性は、人員の配置や防衛力など海自の内部情報について、具体的な部分まで詳細に熟知していたという。


平成21年6月9日『産経新聞』

【対馬が危ない!】
 陸自や公共事業にも触手
 演習日程など情報収集

 海上自衛隊対馬防備隊本部(長崎県対馬市美津島町(みつしままち)竹敷(たけしき)などの自衛隊関連施設に海自支援組織会長として出入りし、不可解な行動を取っていた男性は、海自だけでなく、陸自対馬警備隊にも接触していたことも明らかになった。男性は海自施設と同様に、隊内の情報を収集する一方で、関連施設にからむ公共事業落札にも関与していた可能性が出ている。
 防衛省OBによると、平成10年ごろ、この男性が突然、「海自の紹介だ」と言って対馬警備隊を訪れ、警備隊一科のホワイトボードに書かれてあった演習日程や人数などの行事予定をノートに書き写していたという。
 同警備隊ではそれ以降、隠語で書くようにしたが、その後も面会に訪れては隠語で書かれた予定をノートに写しているのを目撃されている。
 関係者によると、多くの自衛官は親しくするうちに、男性が韓国人であることに気づいたが、帰化しているため関係を続けていたという。

 男性の行動は16、17年ごろまで10年以上も続いたが、市民や対馬警備隊、対馬防備隊本部の一部自衛官の間では、男性には背後関係があり、情報目的で支援する会を結成し、接触してきたのでは-という懸念がつきまとっていたとされる。
 男性の不可解な行動はほかにもあった。
 「毎週のように、東京・市谷の防衛庁(当時)や長崎県の佐世保総監部に出かけていた時期もあった」(関係者)。支援組織設立当時から付き合っていた自衛官が出世し、対馬
を離任した後も関係が続いていたためで、携帯電話で冗談交じりに話ができるほど親しい幹部もいたという。
 男性の周辺によると、こうした人脈の広さを活用、上京の際や佐世保総監部を訪ねる際には、支援する会の会員を案内し、防衛省幹部に紹介するなどしていたという。
 ある関係者によると、16年ごろ、下対馬警備所で上水道工事の話が持ち上がった。
 同警備所では、雨水をためて飲料水にしていたため、厳原(いづはら)町(当時)が町の予算で水道を引こうとしたのだが、男性は、支援する会の会員だった電工会社の役員を懇意にしていた海自幹部に紹介。防衛省の予算で、同社の淡水化設備を採用させようと働きかけたとされる。
 結局、海自内部でも問題となり、男性の計画は中断したが、これ以外にも、自衛隊が関連する工事に関与していたもようで、別の関係者は、「自衛隊施設に関する工事の入札を担当している自衛官とも接し、詳細は言えないが、隊舎の改造工事や警備船の改修工事などを落札した業者もいたようだ」と証言する。
 防衛省OBの中にも、男性は、支援する会を利用して防衛省関連施設の工事受注にも食い込んでいた疑いがあったと、指摘する声がある。
 男性は4、5年前、挙動不審を疑われ、防備隊本部などへの出入りはできなくなり、それと同時に、支援する会の活動も滞りがちで、防衛省幹部らとの関係も遠のいているという。
 だが、国防の最前線施設に、帰化しているとはいえ、韓国人が自由に出入りし、関連施設の工事受注にまで関与。しかも、さまざまな情報が漏れていた疑いもあることに防衛省関係者の間には、内容によっては日米安保体制にも影響を与える可能性があると危惧(きぐ)する見方もある。
 対馬については、韓国資本による不動産の一部買収などに端を発し、国境・離島を見直す新法制定への動きが活発化している。今回の問題は、本土から遠く離れた国境・離島を領土保全や経済支援だけでなく、安全保障の観点からも改めて対応を迫られそうだ。

2009年6月21日 (日)

トキめき新潟国体開会式に向け一丸

 ブログやメール、読みたかった本など読み、結局、徹夜となる。

 母と妹がともに旅行にでるため、甥っ子と姪っ子を預かり、8時、大粒納豆、マヨネーズ、おかかで作った納豆巻きで一緒に朝食をとる。

Cimg0452 食後、身支度をしたのち、甥っ子と姪っ子を連れて愛車にて移動。
 9時50分、妙高サンシャインランド遊園地に到着した。あいにくの雨模様であり、お客さんは他に数名程度という寂しい状況。入り口で、入場料を大人500円、子供300円2名分を支払い敷地内に入る。
 雨が降り、少し強めの風が吹く、意外にスリリングな観覧車をはじめ、ふわふわ動物園、メリーゴーランドなど、あっという間に5000円以上を使うこととなった。

Cimg0460 11時過ぎ、一通り乗り物に乗ったため、バロー上越ショッピングモールに移動。噂には聞いていたので、一回は見にきたかったところである。
 また、以前にも一度ステージを見たことがある「お笑い集団NAMARA」のジャグラー「エージ」氏がパフォーマンスを行うとのことで、2つの目的をもって、現地に行ってみた。
 ショッピングモールとしての機能は必要十分であり、メインであるバローの安さがマグネットのようであった。また、「エージ」氏のステージも素晴らしく、お客さんも大きな拍手で反応の上々。甥っ子はいたく感動したらしく、彼のもとに駆け寄り、 「忘れないよ」と大人びた発言をしていた。
 若干の買い物を済ませたのち、帰路につく。

 13時過ぎ、一旦、自宅に戻り、甥っ子、姪っ子にざるうどんを食べさせて、お昼寝。

 寝ている間、14時から16時過ぎまで事務所にて、電話での打ち合わせや資料作成を行う。

 17時、新潟工科大学を卒業したI嬢が事務所を訪れてくれたので、懇談。甥っ子、姪っ子もそのうち一緒になり、なぜか海に移動し、魚採りを行う。

Dsc00155  19時、オージービーフのにんにくタレ焼き、納豆巻き、大根と若布の味噌汁で夕食をとる。甥っ子、姪っ子も食べられるよう、昼間のうちに安い筋が入ったオージービーフに、刻んだヘット、コーヒー用クリームを混ぜ込み、ラップをして冷蔵庫に入れて、肉に多少手を加えた。

Cimg0465 食後、二人を風呂に入れたのち、『ウルトラギャラクシー大怪獣バトル』のDVDを見せ、その間に家事や事務仕事を行う。気分はシングルファーザー家庭である。
 『ウルトラギャラクシー大怪獣バトル』の世界がいよいよ『ウルトラマンメビウス』と交差する映画『大怪獣バトル ウルトラ銀河伝説 THE MOVIE』が今年12月12日に公開され、さらには『ウルトラマンメビウス外伝 ゴーストリバース』のDVDも発売が決まった。好きなウルトラマンは間違いなくレオだが、作品としての完成度や思い入れは、やはり『ウルトラマンメビウス』。いまから甥っ子とともに楽しみにしているところである。

 以前、新潟県高等学校教職員組合がトキめき新潟国体の開会式で「君が代」を演奏するな、という申し入れを新潟県に行い、それに対し公開質問状のやりとりをしたことがあったが、いよいよ開会式に向けて吹奏楽隊と合唱隊の練習が本格化したとのニュースがあった。
 是非、堂々とした演奏で開会式を盛り上げてもらいたいと思う。


平成21年6月8日『新潟日報』

開会式に向け一丸
新潟で初の合同練習

 9月に開かれるトキめき新潟国体の開会式を盛り上げる吹奏楽隊と合唱隊の初の合同練習が7日、新潟市西区の黒埼地区総合体育館で行われた。市内のコーラスグループや高校の吹奏学部、県警音楽隊など20団体、総勢400人が参加。入場行進の際に奏でる「新潟
ゆかりの曲メドレー」などの音を入念に合わせた。
 両隊は5月からそれぞれ練習を始めた。合同練習では、県吹奏楽連盟の林尚彦理事長(65)らが指揮。曲のテンポなどを確認しながら、「佐渡おけさ」「砂山」といった新潟ゆかりの曲を熱心に演奏した。力強い歌声とメロディーが徐々に一体となり、会場内に雄大な調べが響き渡った。
 合同練習は8月30日に、もう一度行われる。林理事長は「国体を盛り上げたいという自覚と熱気が伝わってきた」と好感触を抱いた様子。トロンボーン奏者で新潟第一高校3年の前山瑞季さん(17)は「国体に参加できることがうれしい。私たちの演奏で素晴らしい開会式を演出できれば」と意気込んでいた。

2009年6月20日 (土)

09柏崎JC6月公開例会
『起業教育ってなんだろう?』

 先日録画していた岡山県倉敷市にあったチボリ公園の顛末を追ったドキュメンタリー『おとぎの国の迷い道~倉敷チボリ公園破綻の構図~』(制作:岡山放送)などを見つつ、3時に就寝。

 8時、お泊まりにきていた甥っ子と姪っ子に起こされ、起床。
 姪っ子は「カ行」が言えないため、「心臓がドキドキする」という言葉を覚えたはいいものの、

 「心臓がドする」

としか言えない。ちなみに、『アンパンマン』のドキンちゃんも、

 「ドンちゃん」

である。『はじめ人間ギャートルズ』の「ドテチン」に近い。

 9時、大粒納豆、いわしのつみれ揚げ、水菜の煮物でご飯2杯の朝食をとる。

 10時から弔問。

 12時、一旦自宅に戻り、つゆにひきわり納豆を入れ、乾麺を茹でた納豆ざる蕎麦で昼食をとる。

 13時から市内某所での会合に顔をださせてもらう。乾杯のみということで、ビールを数杯飲む。

 14時過ぎ、柏崎エネルギーホールに移動。
 14時30分から柏崎青年会議所6月公開例会「起業教育ってなんだろう?~子どもを輝かせ地域を活性させる新しい学び~」に出席する。
 セレモニーののち、15時から公開となり、理事長挨拶、こどもの未来創造委員会のN委員長による「アツイ」趣旨説明が行われた。

Cimg0449 例会の第1部はシンポジウム『僕は、ここにいるんだよ』。コーディネーターは新潟県教育委員庁総務教育課・指導主事の逸見東子氏、パネリストは柏崎市教育委員会・指導主事の関原るみ子氏、かしわっ子クラブ・運営主任の五十嵐孝夫氏、比角地区こども育成会・幹事の須田貴子氏、枇杷島児童クラブ・指導員の山田美智子氏、中越沖復興支援ネットワーク・コーディネーターの堀由美子氏、柏崎子ども劇場・事務局長の東條美保氏、柏崎青年会議所から矢島博生氏と小黒嘉奈栄氏である。

「第一部資料」(pdf形式)

 それぞれのパネリストの自己紹介ののち、以下の3つの質問が投げかけられた。

1.子どもの体験を通して見えてきたこと(子どものすごさ、可能性)など具体的な子どもの様子をお聞かせください。

2.子どもの体験を通して発見した大人のよさ(子どもとかかわることで何が変わったのか)大人のネットワークや地域とのかかわりについてのお話や大人にスポットを当てた発言をお聞かせください

3.日常生活では得られにくい体験を実現させるための工夫についてお聞かせください。

 印象に残ったのは、やはり「子供はまかせられると子供はがんばる」「子供もよく見てるバカじゃない」「やりたいという気持ちを作る」というところであり、上杉鷹山による

 「してみせて 言って聞かせて させてみる」

を受け、聯合艦隊司令長官・山本五十六が言った

 「やってみせ、言って聞かせて、させて見て、
  褒めてやらねば人は動かじ」

に通じるものがあった。

Cimg0450 第2部は、『あの子もこの子も輝ける世界』として、チャレンジショップRikkaの研究発表を高田商業高校商業クラブの生徒さんが行った。

「第二部資料」(pdf形式)

 その取り組みもさることながら、プレゼンテーションの際の態度、そしてパソコンを操作する事務方もしっかりとして感心した。
 是非、柏崎の商店街でもこういった取り組みをしてみたいものである。

Cimg0451 最後は、今回の担当委員会でもあるこどもの未来創造委員による起業教育についての説明やその意味とすること、そして取り組みを行う、

 こどもチャレンジ事業~10代の君たちへ~
 「失敗したっていいじゃないか!」

のアツ過ぎるほどの説明であった。

 17時30分、例会終了後の懇親会は欠席させてもらい、市内某所での打ち合わせ。

Dsc00154  19時、自宅に戻り、「ほっともっと 柏崎錦町店」(0257-32-2370)の「しょうが焼スペシャル弁当 580円」の夜割引500円、ひきわり納豆汁、スーパーで半額になっていたカワハギの肝もついた刺身で夕食をとる。
 「しょうが焼」に、から揚げとえびフライがついており、かなりのボリューム。

 食後、甥っ子と姪っ子を連れて、買い物にでかける。洗車用品、炭酸飲料を買い込む。

 23時、事務所にこもり、事務仕事。

2009年6月19日 (金)

平成21年第4回定例会閉会
国体選手の日の丸は勝利を呼ぶ旗

 締め切りの近い資料を優先的に作成し、3時に就寝。

 7時、起床。大粒納豆、明太子、高菜漬けで、ご飯2杯の朝食をとる。大きめの高菜だったので、ご飯の上に納豆をのせ、それを高菜で大きく包んで楽しんだ。

 9時、事務所に来客。市政に関する情報を知りたいとのことで、資料をお渡し、その後、市役所に移動する。

 10時から本会議に出席。
 総務常任委員会においても反対した、家庭ごみ有料化に関する「議第59号 廃棄物の処理及び清掃に関する条例の一部を改正する条例の一部を改正する条例の制定について」は、次のように反対討論を行った。
 
・本来、議会に提案される議案は法制担当の検査も受けてから提出されるものである。しかし、本議案は先の議会で提出され可決したばかりの条例を施行するにあたって、内容に不備があったため早くもその一部を改正するものであり、事務的な問題があるといえる(簡単にいえばオソマツ)

・家庭ごみ有料化を推進してきた立場であるが、まだこの時期ではないと当初予算の際に反対したため、本議案も反対するものである。

 結果、反対したのは平成会と整風会のみで議案は可決。
 続いて、今日、議案提出され、委員会の審査なしで採決しろ、という1億6800万円の案件「議第67号 契約の締結について(枇杷島小学校(機械設備)工事)」について質問をした。議案内容は別として、入札が不調に終わったから、議会最終日にいきなり1億円以上の議案を即決せよ、という乱暴なやり方は今後もあるのかと会田市長に質問したものの、しばらく事務方で協議したのち、会田市長は答弁せず、副市長から「ご理解頂きたい」との答弁。
 会田市長に議会との仕事の進め方について聞いているのに自分では答弁せず「役人まかせ」というのが、いまの柏崎市政をよく表している。

 議案や人事案件の採決が終了したのち、意見書、請願の審査。
 社会クラブや共産党が定期的に提出してくる「30人以下学級の実現」の意見書について、所属会派である整風会・五十嵐議員が提案者である社会クラブ・高橋議員に

 「柏崎市内の小中学校の40人を越えるクラスの数は把握しているのか」

と質問したところ、

 「柏崎市内の数は把握していない」

との答弁。なんと提案者にも関わらず、前提となる数字を把握していないのである。この意見書のなかには子供の個性等の美しい言葉が並んでいるが、その後の共産党による賛成討論にもあったように、

 「抜本的に職員数を増加させること」

が真の目的である。子供は少子化により、すでに多くが30人以下学級となっている場合が多いため、反対した。反対したのは、民友、公明党、平成会、整風会であったが、その他の会派による多数で可決してしまった。

Cimg0442  注目の「請第7号 国体開催を機に、市議会議場に市旗・国旗を掲揚を求める請願」については、先に行われた議会運営委員会では「反対」されたため、
「不採択」
となっていた。

 反対討論は、前回の請願のときと同じく、自治研究会・砂塚議員と共産党・持田議員。
 自治研究会・砂塚議員の反対討論は以下のようなもので、議員の仕事を何だと思っているのか怒りと失望しか残らないものであった。

・願意は妥当だと思うが、目的や手段が違う。
 → まったく意味不明。願意妥当なら賛成すればよい。

・前回、緊急性がない、議員自らが発議すべきことして反対をしたが、その後の働きかけがない
 → 自分で議員発案を議場で発言した以上、自らが行動し、議員発案すればよい。議員は待つ存在ではない。さらに言えば、一度議場で発言した以上、責任をもって、自分で行動すべきものである。

・「国体を機に」とあるが、国体とは別に機会を見つけて議論したい。
 → どんな機会があるのか。そこまで議場で発言した以上、責任をもって議員発案してもらいたい

081125_sisho 簡単に言ってしまえば、「賛成」はしたいが社会クラブなどの革新系とともに市長与党議員の立場を崩したくない、というだけであろう。自ら一般質問のなかで、市長与党議員という議員の立ち位置について「腰ぎんちゃく」という表現をしていたが、自己紹介だったようだ。 結局は、「反対」する理由を無理に見つけ、議場で自らの釈明をしただけである。

 共産党・持田議員の反対討論はお約束の「日の丸」があると戦争になるといったファンタジー感たっぷりの論法。なかでも傑作だったのは国体の際、沿道から選手に向かって振る「日の丸」についての発言である。

 「 (国体で振る「日の丸」は)
  選手が勝利を呼び込むための旗」

・・・・・・思わず大声で笑ってしまった

flag 議場に「日の丸」を掲げると戦争がやってくる?が、国体の最中に振る「日の丸」は選手が勝利を呼び込むための旗だという。
 昨年、国体での「君が代」演奏に反対する新潟県高等学校教職員組合との公開質問状のやりとりのなか、国体やオリンピックでの「君が代」は

 「選手団入場の歌
     として捉えている」

という、かなり笑わせてくれた事件があったが、同じようなダブルスタンダードを感じる。
 採決の結果、今回も以下の通り「不採択」となった。

市旗・国旗掲揚に賛成
 整風会、平成会、公明党、民友

市旗・国旗掲揚に反対
 社会クラブ、自治研究会、柏崎のみらい、共産党、市民クラブ、蒼生会

 これが今の柏崎市議会の左翼っぷりである。

 続いて、先の議会運営委員会において、またも「継続審査」となった「請第2号 柏崎市議会議員定数の削減に関する請願」
 この本会議の場では、引き続き「継続審査」にするか否かが採決となるため、当然、結論をだすべきという立場から「継続審査」には「反対」である。
 採決の結果、以下の通り「賛成多数」で「継続審査」となった。
 またも先送りである。議員定数削減に反対するのであれば、「継続審査」などでお茶を濁さず、堂々と議員定数削減の請願に反対すれば良い。市民の顔を伺い、態度が見えないようにするために「継続審査」で2回も先送りしているのは、不誠実である。

「継続審査」に「賛成」
 社会クラブ、自治研究会、柏崎のみらい、共産党、市民クラブ、蒼生会

「継続審査」に「反対」
*即、議員定数削減の議論をすべき
 整風会、平成会、公明党、民友

 釈然としないまま、11時20分に平成21年第4回定例会が終了となった。

Cimg0443  11時30分から全員協議会。内容は刈羽村への給水に向けて、刈羽村との協議結果の報告である。
 我が柏崎市は、「水こそ命」として、これまで多額の税金を投入し、水の確保を行ってきた。故に、水の他地区への供給については、柏崎市議会内において保守、革新の区別なく、激しい議論が行われてきた経緯がある。特に社会クラブは反対を貫いてきた。
 今回の給水は、西山町が合併したことにより、給水管の延長工事が発生し、給水管が刈羽村内を通ることが発端である。
 詳細な内容は以下の通り。

・平成24年を目標として、刈羽村水道事業を譲り受け、柏崎市が行う(耐震工事などは刈羽村負担)。
・油田地区の簡易水道をのぞき、簡易水道は廃止。
・刈羽村までの管路費用1億円(口径を350mmから400mmに変更する差額)、赤岩ダムをはじめ既存施設の負担額は31億円(第5次拡張工事で柏崎市で消化する量となるため、第6次拡張工事以降の負担を求める)とし、計32億円。
・水道料金は柏崎市と同一料金体系とする。

「刈羽村への給水に向けて」(pdf形式)

「刈羽村給水資料」(pdf形式)

 一通りの説明が終わったところで12時となり、休憩に入った。食事をとる時間もなく、情報公開請求の手続きや資料の調査などを行う。

 13時から全員協議会が再開。
 議論の大きなところとしては、柏崎市がこれまで投資してきた水道施設に対する刈羽村の負担金31億円が妥当かどうかである。
 まだ協議中のことでもあり、今日はまだ報告の段階のため、特に質問をすることはしなかった。今後、進捗があった段階で色々と聞いてみたいと思う。

Cimg0445  14時過ぎに全員協議会が終了となり、その後、会派代表者会議。内容は、平成会と整風会で出した市政報告についてである。
 出席者は会派代表者のみということで、会議室から漏れてくる声を聞いていたが、間違いの修正うんぬんの話から、市政報告を出したこと自体について謝罪せよ、と話がズレてきており、机をたたき合っての激しい議論となった。もちろん、市政報告の作成は正当な権利であり、言論の自由がある以上、その点についての謝罪はない。
 あまりの激しさに、一旦休憩。再開後、議長裁定ということになり、後日、二会派から回答することとなった。 

Cimg0446  15時過ぎ、一旦、自宅に戻り、遅い昼食。中越沖地震のときに頂いたものの、申し訳なく賞味期限が過ぎてしまった袋のインスタントラーメン「明星 チャルメラ しょうゆラーメン」を、貧乏学生時代にはできなかった卵入りで食べる。

 「袋のインスタントラーメンには
           人生がある」

とはお気に入りの漫画『極道メシ』にでてくるシーン(台詞は第二巻「アカン!カップ麺には人生がない」)であるが、丼に移さず、鍋から直接すするインスタントラーメンには、確かに味わい深いものがある。

 市内まわりをしたのち、18時から市内某所で打ち合わせ。

 打ち合わせ終了後、買い物などを済ませ、20時、自宅に戻る。

Cimg0447  20時30分、蟹缶、フカヒレスープの缶詰、干し納豆パウダー、干し椎茸、ほたての貝柱を使った雑炊をつくり、ビール500ml4本とともに夕食にする。
 甥っ子と姪っ子がお泊まりに来たため、せがまれていた『ウルトラマンティガ』の映画「ウルトラマンティガ THE FINAL ODYSSEY」を一緒に見る。

2009年6月18日 (木)

「アノソ節」への熱い想い
ロシア観光雑誌に松田伝十郎

 2時、就寝。

 7時、起床。大粒納豆、トビウオの刺身、ふきの煮物でご飯2杯の朝食をとる。

 9時、事務所に来客。就業の事などの相談を受ける。

 10時過ぎから市内某氏宅に伺い、貴重な柏崎の文化に関わる資料を頂戴する。

 新潟県内の観光スポットの取材のため、ロシアから来日している旅行雑誌スタッフメンバーから柏崎の秘史に関する問い合わせがあったため、 「樺太発見」米山町の松田伝十郎の碑をご案内するとともに、米山町の町内会長さんに対応をお願いした。
 ロシア側からみれば複雑な思いもあろうが、是非、ロシア国内に紹介してほしいものである。

Dsc00153  12時、自宅に戻ったところで来客。
 とりあえず昨夜の残りものと、冷蔵庫の奥底に眠っていた越後もち豚のもも肉スライスとおろし生姜、干し納豆パウダー、本みりん、薄口醤油、魚醤で作った、豚の魚醤しょうが焼きで昼食を一緒にとる。

 13時から市内某所でイベントに関するアイデア会議に出席。
 柏崎市全体として、イベントが重なることが多く、せっかくの観光資源になりうるイベントも実力をだせずにいるのが実態。天候に関係なく、しかも冬の荒海を使えるイベントをなんとか形にしたいものである。

 17時、一旦、自宅に戻り、資料の整理やブログ、メールを書く。

 19時、明日の議会最終日での対応を含めた意見調整のため、市内某所で打ち合わせ。

 先日の私の一般質問をお聞きなってくれたご年配の方と偶然出会うことができ、

「是非、 『アノソ節』を蘇らせてほしい」

との熱いご意見を頂戴した。
 一般質問のなかでも触れたが、民謡、新民謡のなかに柏崎らしい風土が刻みこまれていることを考えれば、柏崎が近代化によって何を得て、何を忘れてしまったのか、がよく分かるはずである。
 会田市長は「知らないから・・・」という答弁をしたが、我々が知らないからこそ消える前に残すことが重要であって、柏崎とはどんなまちなのか後世に伝えるには必須の事業であろう。
 実際に激動の昭和を生きた方が、 「アノソ節」についてどう思われているのか、山田博さんが平成6年10月10日に自費出版された『漂泊の日々~回想と瞑想と』のなかから、以下に引用したい。


忘れ去られたアノソ節

 私がまだ幼い頃正確に言えば六十年くらいも前になるのかもしれないが、柏崎小歌(*原文ママ)とアノソ節が出来てレコードに吹き込まれたことがあった。それは恐らく昭和の七~八年頃ではなかったろうか。今から見ればとてものどかな、あの破局的な戦争に突入する前の、束の間の平穏の中に生まれた幻でさえあったと懐かしむ。

 浜の松原砂山行けば 裾に絡まるぐみの枝
   ほろろこぼれる ほろろこぼれる 実の赤さ

 浜は荒涼として砂丘だった。そして人影さえも殆どない辺り一面にぐみの林がつづいていた。この林が私達の戦争ゴッコの格好な遊び場であったことは、何かの序に確かに触れた記憶はあるのだが、この歌を誰が作ったのかは知らない。この歌には言い知れぬロマンチックな味わいがあるのだ。例えば

 人の心とエンマのちまき きりりと結んだ程が良い
   中にや香も有る 中にや香も有る味もある
 あのそこのそで今日の日も暮れる 暮れてみにし浜風も
   何故か親しい 何故か親しいかしわざき

 不思議な事にこの歌を唄う人が殆ど居なくなったのは何故なのだろうか。考えてみると歌が生まれた土壌、つまり風土が悲しいことに今の人々に無縁なものになってしまっているからなのではあるまいか。あのぐみ林を知らない人が何で情感を込めることが出来ようか。つまり追体験するとは単純に昔有ったことを忠実に追ってみることであるに過ぎない。それは例えて言えば冷たい理性が「冷静」に再構成した、事実には極めて近いが飽くまでも事実に似せた味わいのない全く別のものだからであろう。つまり異質であると言うことは、互いに関係がないと言うことになるであろうし、したがって無縁同志なのである。
 もしそうなら、年老いた私達は若い人達と所詮交わる事の出来ぬ別の世界に住む人間だと言って良いのかもしれない。
 このようにして時は移り行くものであるにしても、そこには去り行くものの、あるいは滅び行くものの、哀れさと美しさとが複雑に絡み合って漂っている。そして思い出したように私は密かにこの歌を口ずさむ。もうずっと遠くに消えていった、この町の私達だけしか知っていない素朴な味わいにほろ酔うのだ。

 石油工場のポーがなる 山は霞みの 山は霞みのうす化粧……

だがそれにしても、人は何故にこの歌を忘れ去ってしまうのであろうか。
 1992.7.1記

2009年6月17日 (水)

柏崎第一中学校えんま市清掃
総務常任委員会

 1時、就寝。

Cimg0440 4時30分、起床。起床後、作業服に着替え、軍手をもって、市民プラザ前に移動する。
 5時から昨年に引き続き、母校である柏崎第一中学校の早朝のえんま市清掃に参加。保護者の皆さんに加え、地域の皆さんとともに本町通りの端々に置かれた大量のゴミを片付ける。
 昨年以上に、食品関係の生ゴミが多いように感じた上、その捨て方にモラルの低下を感じたところである。
 6時に清掃終了。生徒さんも一所懸命に掃除したため、本町通りはすっかり綺麗になった。

 会田市長肝いりの事業であるノーマイカーウィークは無駄とまでは言わないが、従来通りのイベントであるえんま市でのゴミ減量化や清掃に、もっと力を入れるべきであろう。朝から幟をもって、ノーマイカーウィークをアピールする暇があれば、市長としてこういった清掃活動に参加し、えんま市で排出されるゴミの実態を知るべきである。

 6時30分、自宅に戻り、祖母と朝食づくりや事務仕事。

 7時、大粒納豆、目玉焼き、ぜんまいの煮物、野沢菜の古漬けでご飯2杯の朝食をとる。

 9時過ぎ、市役所に移動。今日審査する議案に関わる過去の資料を調査する。

Cimg0441  10時から総務常任委員会に委員として出席。
 冒頭、じょんのび村に関わる報告を求めるよう公明党・真貝議員から申出があったため、これに賛成をし、これまでの経過について報告をしてもらうこととなった。
 最初の審査は市民生活部所管の議案。議案は、補正予算、廃棄物の処理及び清掃に関する条例の一部を改正する条例の一部を改正する条例の2つである。
 補正予算は特になく、問題だと思っていた「議第59号 廃棄物の処理及び清掃に関する条例の一部を改正する条例の一部を改正する条例」については、担当課の課長から謝罪があった。この議案のもとになるものは、先の議会で議決したばかりの家庭ごみの有料化。その準備行為と施行日を改正・追記するという内容である。議決した次の議会で早くも修正となった理由としては、先の議会での議案提出の際、事前準備行為は条例になくともできるとの認識であったものの、可決後に法制担当からの指摘を受けたという。謝罪があったため、深くは追及せずに審議が終わった。いずれ家庭ごみの有料化は必要であろうが、復興途中であるこのタイミングではない、と先の議会でも反対したので、筋を通して今回も反対である。

 その後、2件の報告事項。
 最初は、中越沖地震に係る被災者支援等についての報告として、これまでの支援の内容が説明された。今後の課題となるのは、生活支援相談員の延長、えんま堂などの文化財復興支援、えんま通りなどの商店街の支援となる。

「中越沖地震被災者支援」H21.6.17(pdf形式)

 復興支援室も一所懸命に業務を行っており、特にはないものの、民生委員の配置についてだけ要望をのべた。駅前の復興住宅ができることで、駅前の人数が増加し、対応する民生委員はどうするのか、との内容である。答弁としては、復興支援室としても増員の要望をしたものの、担当課からは増員はせずに、担当地区と中央地区の民生委員と分担するとの回答があったとの答弁であった。
 2つ目の報告は、斎場使用料の改定。

「斎場使用料の改定について」(pdf形式)

 柏崎市では、新しい斎場になった平成10年4月以降、市内居住者であれば無料であった。しかし財政難と受益者負担の観点から、12歳以上12000円、12歳未満を8000円、死産児を4000円、身体組織等を2000円にするものである。いわば火葬代の有料化。議案は次の議会に提案されることになる。

 説明者の入れ替えのため、11時35分から10分間の休憩。休憩の間に、次回の議会開会までに総務常任委員会で新市民会館に関わる審査を行うよう、委員会協議会などの調整をはかる。

 11時45分から総合企画部・財務部の議案審査。
 
 補正予算の審査では、リケン他3社が赤字になったことによる市税(予定納税)の還付金及び還付加算金5334.5万円などが主なもの。

 12時、休憩となったため、一旦、自宅に戻り、冷凍うどんとひきわり納豆、桜エビの入ったかき揚げ、卵で作った「天たま納豆うどん」で昼食をとる。
 食後、郵便物などを処理したのち、市役所に戻る。

 13時から委員会再開。以下のような議案の審査を行った。

・情報公開・個人情報保護審査会条例の一部を改正する条例
 合併後の移行期間がある程度経過したため、委員定数を9人から5人に変更する。県内主要5市は5人以内。

・旧市民会館の解体に関わる契約
 1億9740万円で解体を行う。大3400万円でアスベスト除去、12月末までに完了。空いた土地に130台分の駐車場を設置。国庫補助金5150万円を活用する。

→ 解体自体への意見はなかったが、中越沖地震の際、エライ事になっていた車庫棟内の書庫の扱いを指摘させてもらった。今回の解体後、車庫棟を増設する予定と担当課長は答弁。しかし、車などは代替えが聞くが、柏崎市の公文書は代替えがきかないため、先に文書庫の検討をすべきと要望した。

・枇杷島小学校改築に関わる契約
 建築本体14億5425万円、電気設備 2億1735万円で締結。
→ 機械設備の入札が不調に終わったため、上記の契約のみとなった。なぜか説明せよと質問したところ、後に報告、議会最終日に提案するとのこと。

・中央地区学校給食共同調理場改築に関わる契約
 建築本体 2億685万円、機械設備 1億9005万円。

・新橋海岸線道路新設工事に関わる契約
 320mのうち、本町側135m。1億9425万円。

・旧門出保育所の譲渡
 土地は無償貸付、建物を譲渡するが、解除条件付。10年以内の目的外使用や返却希望があった際には、取り壊しを柏崎市が行うことになる。

消防ポンプ自動車の取得

小中学校教務員校務用パソコンの取得
 700セットを1億4695万円。
→ 単純計算しただけでも1台あたり20万円。設定、設置の作業が、相場の通り1台あたり1万円であったとしても高すぎないのか、民間の相場はその半額以下であると問うてみるも、担当課の答弁は妥当な金額。業者としては美味しい仕事である。

 議案審査が終了し、以下の報告事項となった。

・(仮称)柏崎市新市民会館基本設計(案)
 先日行った第1回市民説明会において、38枚の紙質問、8名の市民による口頭での意見があった。その他、市民文化団体から54件の質問をもらっている。
 8月上旬に2回目説明会を実施したい。

→ 今回設計を行った会社の実績は?
 いわき芸術文化交流館アリオス(アドバイザーとして)
 福井県立音楽堂ハーモニーふくい(設計)
 東京都・世田谷パブリックシアター(設計)

→演奏者が楽器をもって自家用車でくる場合の不安があるが対応はどうするのか。
 通用口で対応してもらいたい。

→震災復興のシンボルというが、どこにその色がでているのか。
 建物そのものが復興のシンボルととらえている。

→晴れた日の黒姫山系などの説明はあるが、三階節にもあるように、荒れた天気、冬の景色も柏崎らしいものと思うが、そういった仕掛けはどうなのか。
 設計者とともに考慮したい。

→駐車場の台数はもとより、L字型の駐車場では、上演終了後の混雑時には不安がある。進入専用、退出専用の道路設定などをすべきではないか。
 今後、考慮したい。

→駅南側からのアクセスもどうかと思うが、対応状況は。
 歩道橋を含めて、まちづくりの観点から検討したい。

 その他にも色々な意見があるということで、メールか紙で担当課に要望を提出することとなった。
 また、同時に今議会閉会後にも総務常任委員会でこの案件を扱いたい旨を申し入れ、第2回の市民説明会が行われたのち、総務常任委員会を開くこととなった。

・中心市街地活性化の取り組みの現状について

「中心市街地活性化の取り組み状況」H21.6.17(pdf形式)

・平成21年度柏崎地域土地開発公社の経営状況の報告
 2101万円の赤字。半田市営住宅の土地売却が下回った。

・平成20年度各会計決算見込額について

「平成20年度各会計決算見込額」(pdf形式)

 一般会計の今年使える繰り越し財源は、あと7億8000万円ほど。

・枇杷島小学校改築(機械設備)に関わる契約
 本会議に提案しようと5月29日に機械設備の入札を実施したが不調。6月15日に入札を実施し、本会議の最終日に提案したい。1億6800万円で締結。

・じょんのび村の改修契約の経緯について
 基本設計は平成20年1月。平成20年8月1日に契約(観光交流課)をし、同月7日に入札の広告、9業者が落札し、議第85号で平成20年9月19日に議会で承認された。
 その後、平成20年12月15日に臨時工事検査をし、不具合を発見。

契約検査課「じょんのび村施設改修工事資料_H21.6.12」(pdf形式)

 平成21年3月11日付で請負額の変更。1億9845万円から929万円増額し、2億774万円となった。

「建設工事変更契約書 _H21.3.11」(pdf形式)

 平成21年3月31日に契約検査課による検査に合格したとのことであるが、その後に不具合や本来の目的であったバリアフリー化を満たすために必要な処置が不足しているという問題がある案件である。また、当初指摘されたように、公である柏崎市が発注した工事で、柏崎市の道路に直接雪が落ちるオソマツな設計もしかり。
 しかも、議決を得るために平成20年9月の議会に参考資料として提出された設計図には、木質ペレットボイラーが記入され、平成20年1月の日付が入っている。木質ペレットボイラーについては、平成20年1月時点では考慮されておらず、平成20年6月18日に業者の好意により木質ペレットボイラーに設計変更した、という答弁が本会議であったばかり。まったく、つじつまが合わない。
*木質ペレットボイラーは会田市長肝いりの事業
 しかも財務規則上は議会議決は必要なく、一応は問題ない契約額の10%以内の増額であるが、受け取りのための検査の10日前に契約するというのは、すんなりと納得できない。
 竣工図と施工図の違いも明確にあり、この問題は次の議会で修正のための補正予算を審議する際、深くツッコミたいと思う。

「打ち合わせ記録_H20.10.16」(pdf形式)
*あたふたした工事であったことが分かる。

 説明が終わったのち、議案の採決。「議第59号 廃棄物の処理及び清掃に関する条例の一部を改正する条例の一部を改正する条例」のみ反対討論を行い、「反対」するもで賛成多数で可決し、その他の議案にはすべて賛成した。
 その後、飯塚邸の復旧に関わる請願の審査を行い、17時近くにやっと総務常任委員会が散会となった。

 19時過ぎ、事務所に来客。市政に関する怒りの声など意見交換を行う。

Dsc00152 20時30分、干し椎茸、玉葱、干し納豆パウダー、ホールトマト、干し貝柱、茄子、ピーマンで和風スパゲティを作り、ビール350ml缶とともに、夕食をとる。
 選挙スタッフだったN氏手伝ってもらい、絶版となっていた柏崎に関する本をPDF化。貴重な資料である。

2009年6月16日 (火)

沖縄戦で障害者・朝鮮人が差別、迫害
洗脳教育の恐怖

 3時、就寝。

 7時、起床。大粒納豆、目玉焼き、ほうれん草のゴマ和えでご飯2杯の朝食をとる。

 8時過ぎからえんま市に関わる苦情などを多々受ける。苦情のほとんどはゴミ関係であり、近隣住宅をはじめ、駐車場を利用されている方からゴミを車の上に置かれていた、自転車を置いていたらかごにゴミが大量に投げ込まれていた、などの声であった。
 会田市長は、ノーマイカーなどの取り組みを懸命にアピールしているが、そんな事よりもより大きな規模で行われる えんま市でのゴミ減量化とモラル向上のための取り組みを行うべきであろう。
 何が大切なのか、優先順位をどう考えているのか、まったく理解不能である。

 9時過ぎ、市役所に移動し、資料の確認やコピーなどを行う。

Cimg0430  10時から文教経済常任委員会に傍聴出席。最初は教育委員会所管の議案の審査であったが、特に問題はなく、すんなりと審査は終了した。
 報告事項は1件。市民プラザの利用について、飲食を伴う会合利用の際には、喫煙が認められるものの、今後、分煙・禁煙の観点から理解を求めていくとのこと。

 10時50分から10分間の休憩。説明者の入れ替えの後、説明者が産業振興部に代わり、議案審査となった。
 補正予算は、緊急雇用対策事業の助成金の増額3600万円(増額前の段階で44事業所 75人の雇用がこれまで発生)、フロンティアパーク土質調査委託料1800万円(原子力発電施設等立地地域特別交付金から1800万円を充当)などが盛り込まれており、特に問題はないとの判断。
 その後、企業振興条例の一部を改正する条例、報告事項が「財団法人柏崎市農業振興公社経営状況」が行われた。

 12時、休憩となり、会派室で先輩議員と打ち合わせしたのち、一旦、自宅に戻る。

 12時30分、スパゲティを茹で、海苔、ひきわり納豆、干し椎茸とその戻し汁、若布の塩漬けで和風納豆スパゲティを作って昼食。

 午後からも「財団法人柏崎市観光レクリエーション公社経営状況」「財団法人柏崎地域国際化協会経営状況」などの報告が予定されていたが、急遽の打ち合わせが入ったため、先輩議員に質問事項のお願いをし、13時から市内某所で政治関係の打ち合わせ。

 15時、事務所に戻り、事務仕事。

 18時、事務所に来客があり、仕事をしながら、親子丼、ひきわり納豆汁で夕食をとる。

 先日、沖縄集団自決における軍命令について本ブログで再度書いたところであったが、今度は同じ沖縄でもトンでもない 歴史認識・洗脳の報道があった。


平成21年6月13日『毎日新聞』

平和を考えるフォーラムin糸満:
戦争のない社会実現へ

 糸満市内の児童・生徒が平和について意見を交わす「小・中学生と平和を考えるフォーラムin糸満」(市教育委員会主催)が11日、糸満市摩文仁の県平和祈念資料館であった。初めての取り組みで、小中学生約50人が参加し、平和学習で学んだことや平和への取り組みなどを報告。戦争のない社会を実現していくために必要なことについて、一人一人が考えを深めた。
 真壁小6年の大城望絵さんは、沖縄戦で親を亡くした祖父母と共に毎年慰霊の日に平和の礎(いしじ)を訪ねていることに触れ、「礎の前で泣くお年寄りを見て、戦争は二度と繰り返してはいけないと思う。殺し合いといじめのない平和な世界を目指すためにも、沖縄戦を語り継いでいきたい」と語った。
 兼城中3年の潮平美佳さんは「沖縄戦では障害者や朝鮮の人が差別、迫害され、殺されたりもした。人権が踏みにじられる戦争は許されない。差別がなくなれば戦争も少なくなる。これからは一人一人の違いを認め、差別をなくしたい」と呼び掛けた。児童・生徒らは、校内で体験者の語りを聞いたり、パネル展や壕見学などを実施するなど、平和に向けた今後の実践活動をそれぞれ紹介した。
 戦争体験者で同資料館友の会の大城藤六さん(79)は「大人側の意見交流者」としてフォーラムに参加。「子どもたちの祖父母で戦争を体験した人の中には、あまり当時の様子を語りたがらない人もいると思うが、子どもたちは平和についてよく考え、しっかりしている」と語り、戦争体験の継承の重要性をあらためて強調した。(琉球新報)


 当時は朝鮮人も日本人であり、沖縄の戦場において障害者かそれとも朝鮮人なのか区別することなどほぼ不可能である。人種を区別して殺すという行為が、あの激戦の地で可能であったのかどうかという想像力も欠けている。生徒さんが中学3年生であることを考えると、そういった洗脳に近い教育を行った側の責任になろう。
*差別がなくなれば、戦争も少なくなるという論法も意味不明

Cimg0432 そもそも、日本人と当時、日本人であった朝鮮人がどこの国と戦ったのかという視点が全く欠けている。まさか、日本軍が朝鮮人、沖縄県民と戦ったとでも思っているのであろうか。
 当時、沖縄にいた朝鮮人は志願兵のほか軍夫であるが、それこそ朝鮮軍服というものはなく、平等に日本軍の軍服を着ており、見分けはつかない。
 そんななか、当時の軍夫を管理する立場であった韓国人の手記『或る韓国人の沖縄生存手記』金元栄著(1978年11月1日に発刊された韓国人慰霊塔奉安会著『鎮魂』を基にした本)には、次のように食料を盗んだ記述が堂々と掲載されている。

3月22日
(中略)
十分間の休憩時間を利用し、灯りがついた或る民家に入った。主人はおらず、湯気のたつサツマイモ一皿があったので、一緒に入った三人はがむしゃらに喰い始めた。

 さらには、こんな記述もある。

6月18日
(中略)
 私は彼らに捕虜になる外ないからそうなるよう勧告した。そうするには、日本人と同行してはならない、各自心の行くままに避難し、米軍が近づいて来たら朝鮮人であることを打ち明けて投降するよう説明してやった。

 あるときは日本軍として食料を沖縄県民に強要したり、盗み、状況が悪くなってきたときには、日本人を裏切り、米軍に投降したというのである。
 朝鮮民族の名誉のために言えば、特攻隊への志願など勇敢に連合軍と戦った朝鮮人の方もいる(靖國神社には、2万1181柱の朝鮮人が祀られている。朝鮮人だからと差別はされていない)
 引用した記事のような一方的な洗脳教育を行うことは、日本人にとってはもちろん、朝鮮民族にとっても歴史の真実、そして先人の苦労を無にする行為であろう。

2009年6月15日 (月)

議員定数削減、またも継続審査!
国旗・市旗掲揚を否決

 3時、就寝。

 7時、起床。大粒納豆、ベーコンエッグ、トマトでご飯2杯の朝食をとる。

 8時から11時まで市内での調査活動。今議会で問題となるか、次回の定例会になるのか、市政の重要な問題である。

 12時、一旦自宅に戻り、ひきわり納豆をかけたおかゆを祖母と一緒に食べたのち、市役所に移動する。

Cimg0428 13時から議会運営委員会に傍聴出席。
 議案は、継続審査となっていた「請第2号 柏崎市議会議員定数の削減に関する請願」 「請第7号 国体開催を機に、市議会議員に市旗・国旗の掲揚を求める請願」である。
 冒頭、議長から発言。会派代表者会議でチラシの件で謝罪を求めており、その結果を待たなければ審議に入れないという経緯、そして議会最終日に会派代表者会議を行う旨の説明があった。
 まずは、 「請第2号 柏崎市議会議員定数の削減に関する請願」の審査。
 公明党・真貝議員から願意妥当とする意見、共産党・持田議員からは削減よりも議会のあり方の問題、「市民の声は定数削減ではない」として、反対の意見がでた。平成会・吉野議員、民友・遠藤議員、整風会・五十嵐議員が賛意。
 この段階で、社会クラブ・高橋議員から動議がだされ、またも「継続審査」の採決をとることになり、「継続審査の動議」に以下の議員が賛成、結果、賛否が同数となり、委員長である柏崎のみらい・佐藤議員の委員長裁決で、またも「継続審査」になってしまった。

継続審査に賛成した議員
・社会クラブ 高橋新一議員
・共産党 持田繁義議員
・自治研究会 野中栄二議員
・市民クラブ 霜田彰議員
*委員長裁決 柏崎のみらい 佐藤敏彦議員

 こうやって何回先送りすれば良いのであろうか。議員定数削減に反対なら反対で堂々と否決すれば良いし、議員定数削減の検討をはじめよ!という請願者の願意をくんで賛成すべきものである。

081125_sisho 続いて、 「請第7号 国体開催を機に、市議会議員に市旗・国旗の掲揚を求める請願」の審査。
 共産党・持田繁義議員から「なぜ、またこのような請願がでてくるのか」という質問があり、紹介議員である平成会・吉野議員が「日本人なら当然だろう」との答弁があった。
flag 社会クラブ・高橋議員からは「議論もしたくない」との発言。公明党・真貝議員、整風会・五十嵐議員から賛成の発言があり、共産党・持田議員が再度の反論を行った。
 この請願への賛成と反対は以下のとおり。

<賛成>
・整風会 五十嵐直樹議員
・平成会 吉野芳章議員
・公明党 真貝維義議員
・民友 遠藤清議員

<反対>
・共産党 持田繁義議員
・社会クラブ 高橋新一議員
・自治研究会 野中栄二議員
・市民クラブ 霜田彰議員
*委員長裁決 柏崎のみらい 佐藤敏彦議員

 結果、賛否同数となり、委員長である柏崎のみらい・佐藤議員の委員長裁決で、「反対」。 「不採択」となった。
 国体を前にしても、国旗と市旗の掲揚に反対するのが、いまの柏崎市議会である。
 その他、全員協議会(刈羽村への給水について)、次の議会運営委員会の日程を決め、委員会終了となった。

 15時、17時とそれぞれ、市内某所で打ち合わせ。

Cimg0429 20時、甘海老の刺身、豆腐と白身魚の揚げもの、甘海老の頭でダシをとった味噌汁、ひきわり納豆で夕食をとる。
 甘海老の刺身は、そのまま醤油につけて食べても良かったが、少し岩塩をふって身を締めてから、塩味で楽しんだ。

2009年6月14日 (日)

えんま市初日
がん治療施設誘致断念

 3時、就寝。

 7時、起床。大粒納豆、鯖の塩焼き、冷や奴でご飯2杯の朝食をとる。

 今日からえんま市であり、朝から来客が多い。荷物を預かったり、自転車を駐めさせてあげたり、家を出たり入ったりである。
 なかにはゴミを投げ捨てていく者もおり、マナーの悪さに怒りがわく。

 午前中は、市外から来た方をえんま市にご案内する。

Dsc00150_2  13時、花鰹、梅干し、干し納豆、干しほたての戻し汁でダシをとったうどんを作って昼食。梅干しをダシに使ったことで、さっぱりとした酸味がでた。
 その後、えんま市に行っていた、姪っ子や甥っ子、甥っ子の友達などが家に来たので、同じものを作って、食べさせる。

 食後も親族をはじめ、市外からえんま市に来る方の訪問が絶えず。

Dsc00151  19時、ソーセージ、大量の刻みニンニク、ピーマン、玉葱、干し椎茸、マッシュルームの水煮、ホールトマトの缶詰、トマトケチャップ、干し納豆パウダーでスパゲティ・ナポリタンを作って、遊びにきた親族とともに夕食にする。
 通常であれば、スパゲティを茹でた戻し汁を活用するが、今回は干し椎茸の戻し汁を使い、旨味を補強した。

Cimg0426  20時過ぎ、姪っ子を連れて、少しすいたえんま市にでかける。
 途中、多くの知っている方に出会い、市政に関する意見や苦情なども頂戴する。本ブログも見て頂いているとのことで、ありがたい限りである。
 牛肉串、ビールなど飲みつつ、姪っ子と金魚すくいやくじ引きなどを行う。

 21時、自宅に戻る。

 シャワーを浴びてから事務所にこもり、事務仕事。

 話題となっていた湯沢町の粒子線がん治療施設誘致とその後の断念について、住民監査請求が行われていたが、棄却との報道があった。
 監査委員会の指摘はもっともであるが、議員として興味をもつのは議会側の判断である。議事内容がどうであったのか、今後の参考にさせてもらおうと思う。


平成21年5月29日『新潟日報』

がん治療施設誘致断念
住民請求を棄却
「町長の独断ではない」湯沢監査委

 湯沢町監査委員は二十八日までに、同町が断念した粒子線がん治療施設誘致で、上村清隆町長に誘致に使われた町費の返還を求めた住民監査請求を棄却した。
 監査請求をしたのは同町湯沢、無職高橋政喜さん(六五)。上村町長は一部の職員だけで同施設誘致を進め、議会に諮らず独断で断念を決めたとして、町有地の汚染土壌処理調査費や町民説明会経費、旅費など計六百六万円を返還するよう求めた。
 請求に対し監査委は「町長は、副町長や幹部職員と協議を進めた上で、町の最高責任者として最終的な行政判断を下した」と指摘、「独断には当たらない」とした。高橋さんは「監査結果はおかしい」としている。

2009年6月13日 (土)

コミック こんなに強い自衛隊
沖縄集団自決「軍の命令ではない」

 2時、就寝。

 6時、起床。メールやブログなどを事務仕事を行う。

 8時、大粒納豆、卵焼き、ごぼうサラダ、さつま揚げでご飯2杯の朝食をとる。食後、長岡市に移動。

 9時から12時過ぎまで、長岡市内にて、東京都内から来てもらった担当者と打ち合わせを行う。打ち合わせをしながら、オムライスとアイスコーヒー、グリーンサラダで昼食をとる。

 買い物などをしつつ、14時に事務所に戻り、事務仕事。議会中にできなかった会社関係の仕事を行う。

Dsc00147  18時、甥っ子と姪っ子が遊びに来て、歌いたいというので、割引券を持参し、安い某カラオケルームに連れて行く。
 『ウルトラマンエース』『ウルトラマンネオス』『ウルトラマンメビウス』の主題歌などのウルトラマンシリーズに加え、『それゆけ!アンパンマン』『いないいないばあっ!』、そして『侍戦隊シンケンジャー』などを歌う。

Dsc00148  19時、ひきわり納豆、ソーセージ、チェダーチーズ、トマトソースを輪切りにしたフランスパンにのせて焼いたもので、夕食をとったのち、市内某所での政治関係の打ち合わせにでかける。
 急いで食べながら家をでたため、口のなかの上あごがヤケドしてしまった。

 21時過ぎ、自宅に戻る。

 23時、プロレスリングノアのプロレスラーで社長でもある三沢光晴選手の死去のニュースが入ってきて、驚く。
 王道たる「受け」のプロレスを体現していただけに、故障が多いことは、いちプロレスファンとして心配であった。
 46歳という若さでの急逝に実感がわかないが、とにかくご冥福をお祈りしたい。
 また、対戦相手であった齋藤彰俊選手にも、今後頑張ってもらいたいと思う。
 三沢選手であれば、「真剣にプロレスをしたんだ、気にするな」と言うであろう。

Cimg0425  いつもチャンネル桜の自衛隊応援番組「防人の道 今日の自衛隊」でご一緒させてもらっている井上和彦氏の最新の著書を頂戴した。
 その名も「コミック 国防の真実 こんなに強い自衛隊」である。
 多面的な角度からマンガで分かりやすく自衛隊のことが論じてあり、田母神閣下もゲスト出演しており、ご一読をおすすめしたい。

 その井上和彦氏、そして藤岡信勝先生、中村粲先生、秦郁彦先生、埼玉県議会・鈴木正人議員、当時の軍人である皆本閣下とともに昨年、沖縄集団自決の真実を知るツアーにでかけたところであるが、やっと地元でも閉ざされた言語空間に光があたってきたとの報道があった。


平成21年6月11日『産経新聞』

沖縄集団自決
「軍の命令ではない」
地元誌が特集記事

 第2次大戦末期の沖縄戦で守備隊長が住民に自決を強いたとされる「沖縄集団自決」について「軍命による自決ではなく、切羽詰まった住民が自殺した悲惨な事件だった」とする特集記事が沖縄県浦添市文化協会発刊の「うらそえ文藝」第14号に掲載され、波紋を広げている。特集には、自決現場を目撃した当時の米軍の報告書や住民の証言などが収録され、問題の発端となった地元紙、沖縄タイムス発刊の「鉄の暴風」こそが訂正すべきと結論づけている。
 「鉄の暴風」で自決を強いたと名指しされた守備隊長や遺族らは、この記述を元に書かれた大江健三郎氏の「沖縄ノート」に対し出版差し止めなどを求めているが、昨年秋の2審判決では訴えが退けられ、現在、最高裁で争われている。
 この特集記事を書いたのは同誌編集長で沖縄県文化協会長の星雅彦氏と沖縄戦ドキュメンタリー作家として知られる上原正稔氏の2人。
上原氏は長く「鉄の暴風」を疑ったことがなく、現地調査した作家の曽野綾子氏が1973年に「ある神話の背景」で疑問を呈したさいも、軍命による集団自決を事実として信じて疑わなかった。ところが、沖縄タイムスや琉球新報などで沖縄戦に関連した連載記事を書くうちに、新たな住民の証言や米軍の報告書などを入手、「(『鉄の暴風』は)現地調査しないまま軍命による集団自決をでっち上げたという結論に達した」という。

090613_usorae 上原氏によると、こうした結論を2年前に琉球新報で長期連載中の沖縄戦をめぐる記事に盛り込もうとしたところ、「新聞社側の圧力で断念せざるを得ず、『うらそえ文藝』での発表に踏み切った」と説明している。
 また、星氏も沖縄県史編纂(へんさん)で40年ほど前に、集団自決事件の起きた渡嘉敷島を訪問した際、住民の話から軍命の存在に疑問を抱いたが、「鉄の暴風」が沖縄県民の間で定着し、疑問を差し挟めない状況だった。しかし、「今回は勇気を持って真実を知らせるべきと決心した」と、話している。
 富田詢一・琉球新報社編集局長の話「上原氏への圧力はありません」


 当時、沖縄の人を守ろうとした軍人、そして遺族の名誉にかかわることであり、いち早い名誉回復が望まれる。


平成21年5月30日『産経新聞』

【土・日曜日に書く】
「住民は避難」が軍の大方針
 論説委員・石川水穂

旧軍の極秘文書から

 沖縄県渡嘉敷・座間味両島で旧日本軍の隊長が集団自決を命じたとするノーベル賞作家、大江健三郎氏の著書「沖縄ノート」などの記述をめぐり、元隊長らが出版差し止めなどを求めた訴訟は、1、2審とも原告側が敗訴し、最高裁に上告中である。
 この3月に出版された「沖縄戦『集団自決』の謎と真実」(PHP研究所)で、編者の現代史家、秦郁彦氏が国立公文書館で見つけた旧軍の極秘文書をもとに、沖縄戦当時の政府や現地軍(第32軍)が非戦闘員に対し、どんな方針で臨もうとしていたかについて、興味深い考察を行っている。
 極秘文書は、沖縄戦が始まる3カ月前の昭和19年12月、32軍の高級参謀、八原博道大佐が起草した「南西諸島警備要領」である。文書の存在は八原氏の回想録「沖縄決戦」などで知られていたが、現物がどこにあるかは分かっていなかった。秦氏が見つけたのは、米軍が32軍の62師団から捕獲して英訳したものだ。
 そこには、19年8月に閣議決定された「総動員警備要綱」や同年10月に策定された陸海軍「沿岸警備計画設定上の基準」に基づく老人や子供たちの避難計画が具体的に記されていた。
 「軍の作戦を円滑に進め、混乱を避け、被害を少なくするために島民を適当な場所、あるいは近隣の島々に疎開させる」「『老人、子供』とは、60歳以上の者及び、国民学校6年生以下の者をいう。『戦闘に参加できない者』とは、女性の大半及び、直接戦闘参加を命じられなかった男子をいう」(秦氏の訳)
 疎開先は沖縄本島北部の国頭郡とし、昭和20年4月末までに完了することを目標にしていた。

あり得ぬ軍の自決命令

 この計画のもとになった「沿岸警備計画設定上の基準」は、地方の特性に応じて老人や子供を危険地域から避難させる措置を求めたものである。
 秦氏は「これらの文書から、政府や大本営、現地軍が、非戦闘員を玉砕させず、安全地帯に避難させる大方針だったことは明らかだ」とし、集団自決について「軍が自決命令を出す動機も必要性もなかった」と断じている。
 昨年10月、2審・大阪高裁は集団自決について「『軍官民共生共死の一体化』の大方針の下で日本軍がこれに深く関(かか)わっていることは否定できず、これを総体としての日本軍の強制ないし命令と評価する見解もあり得る」との判断を示した。
 秦氏の研究は、この高裁判断を根底から覆すものだ。
 昨年2月、座間味島で民宿を経営する宮平秀幸氏から、同島に駐屯した海上挺進第1戦隊長の梅沢裕少佐が村長らに集団自決を押しとどめようとしたという話を取材した(同月23日付産経)。
 宮平氏は一家で避難する途中、日本軍の壕(ごう)で、将校から「死に急ぐことはない」と言われ、軍が保管していた食糧を分け与えられたことや将校らがその後、米軍に斬(き)り込んで戦死したことも話した。
 座間味島では今も、日本軍のことを悪く言う住民は少ない。
 今月、渡嘉敷島に駐屯した海上挺進第3戦隊の中隊長(少尉)だった皆本義博氏から、陣中日誌を送っていただいた。
 昭和20年3月下旬の集団自決について、こう書かれていた。
 三月二十九日曇雨「悪夢の如(ごと)き様相が白日眼前に晒(さら)された昨夜より自訣(じけつ)したるもの約二百名(阿波連方面に於(お)いても百数十名自訣、後判明)…戦いとは言え言葉に表し得ない情景であった」「勤務隊、水上勤務隊を以(も)って犠牲者の埋葬を行う」
 「自訣は翌日判明した」との記述もあり、軍命令によるものとはとても考えられない。 軍命令説のもとになった沖縄戦記「鉄の暴風」(沖縄タイムス)では、日本軍が住民の食糧を強制徴発したとされているが、陣中日誌には「各隊は野菜家畜類其(そ)の他の物資を自由に集収することを厳禁す」などと書かれていた。

16万人が疎開・避難

 「沖縄戦『集団自決』の謎と真実」には、元防衛研究所戦史部主任研究官、原剛氏の沖縄の集団疎開に関する論文も載っている。原氏の研究によれば、沖縄県民の総人口(約60万人)の約4分の1にあたる16万人が九州や台湾、沖縄本島北部(国頭郡)などに疎開・避難している。
 県民の疎開・避難を先頭に立って指導したのが島田叡(あきら)知事だ。島田知事は沖縄戦終結後に自決し、「沖縄の島守」といわれている。
 それでも沖縄戦は住民を巻き込んだ地上戦となり、軍民合わせて18万8000人が戦死した。その一方で、住民を危険から守ろうとした人たちの努力も忘れてはならない。

2009年6月12日 (金)

人形漫談:花島二郎氏施設慰問

 ビルマ戦線に関する資料の読み込みをし、3時に就寝。

 7時、起床。えんま市の時期となってきたので、自宅周辺の掃除や大工仕事を行う。

 9時、大粒納豆、目玉焼き、わさび昆布、茄子の辛子漬けでご飯2杯の朝食をとる。

 10時、人形漫談の花島二郎氏を宿泊先のホテルにお迎えに行き、「ケアハウスしおかぜ」に移動。
 前回の花島二郎氏の福祉施設への慰問は、マギー司郎氏の愛弟子・マギー西村氏と一緒であったが、今回は単独での慰問講演である。

Cimg0404  10時30分から、慰問講演。
 バルーン漫談のあと、漢字クイズとなり、面白い漢字の読み方クイズに皆さんが真剣に答えられていた。
 途中、衣装着替えが一回入り、いよいよ人形漫談、インベーダーのダン君が登場。時事ネタも入れた漫談で盛り上がり、約40分のショーが終了した。

Cimg0408  11時50分、少し早めの昼食として、施設利用者の皆さんの食事を検食させてもらった。メニュー内容は、えだまめごはん、かぶの薄くず汁、鮭のしょっから煮、なすとみょうがのおひたし、いもようかん、パック牛乳。鮭のしょっから煮がでているとは思わず、笑みもこぼれる。検食簿(外部用)にしっかりと評価を記入させてもらい、検査?させてもらった。

Cimg0412  食後、花島二郎氏を柏崎市内の観光にお連れし、番神の自然水族館の跡地や海岸、そして柏崎コレクションビレッジ「痴娯の家」などをまわる。「痴娯の家」では岩下館長にご案内頂き、人形という観点から色々なご説明をしてもらった。
 その後、「鯖サンド 350円」で小腹を満たす。

Cimg0415  14時、「特別養護老人ホーム しおかぜ荘」に行き、本日2回目の慰問講演。
 バルーン漫談をはじめ、ご高齢の皆さんもかなりお喜びになっており、リクエストはあるかといったやりとりにも積極的に参加されていた。
 お約束である講演最後の人形とのふれあいでは、キスをするお婆ちゃんもおり、微笑ましい風景であった。

Cimg0419  終了後、片付けもそこそこに「福祉施設 さざなみ学園」に移動。
 16時から本日3回目の慰問講演を行う。最初のバルーン漫談では、バルーンで作ってほしい動物のリクエストが殺到。かなりの盛り上がりをみせた。人形漫談では、インベーダーのダン君に驚きつつも、多くの笑い声が聞こえ、手応え十分の講演であった。
Cimg0423  講演終了後、施設の子供たちから花島二郎氏、インベーダーのダン君、そして私まで記念の品を頂いてしまった。
 袋にはいちごの絵、顔の絵とともに、「みいださん ありがとうございました」と書かれ、コーヒー豆を利用した消臭袋やしおりが入っていた。ありがたく使わせてもらおうと思う。

 17時、花島二郎氏をホテルにお送りしたのち、市内某所で打ち合わせ。

Cimg0424  柏崎市産業文化会館に移動し、18時30分から「レストラン サンブン」(電話:0257-24-7662)で柏崎・刈羽 長島クラブの慰労会に出席。
 先日、600名近くの方に集まって頂いた長島忠美議員・中山恭子議員講演「あの日を忘れない・・・・・」のスタッフ関係者を含めての慰労会となり、長島忠美議員ご本人もお越しになり、酒を酌み交わした。

 20時30分、慰労会が終了となり、余った料理をタッパーに入れて、自宅に戻る。

 熱いシャワーを浴びて、酔いを覚ましたのち、事務仕事。

2009年6月11日 (木)

じょんのび村改修工事問題
会田市長が謝罪

 3時、自宅に戻り、シャワーを浴びてから就寝。

 7時、起床。大粒納豆、めかぶ、笹蒲鉾でご飯2杯の朝食をとる。まだ体から酒のにおいが漂っている状態。

 9時過ぎ、市役所に移動し、会派室にて情報交換を行う。

Cimg0401  10時から本会議、一般質問の2日目。公明党の若井恵子議員がじょんのび村改修工事について取り上げ、損益分岐点が3億5000万円のところに4億円近い回収費用をかけて、今後の財政見通しをどうするのか、といった観点で詰め寄った。市長の答弁としては、とにかくハードウェアを改修して、魅力を高めようとしたというもの。金をかけて見栄えを整えれば赤字が解消する、という発想が貧困である。

 11時50分、休憩となったので、一旦事務所に戻り、メールや郵便物など事務仕事。

Cimg0400 12時30分、市役所に戻り、売店で購入した照り焼きハンバーグパン、いちご牛乳、自宅で握ってきた茨城名物しょぼろ納豆入りのおにぎりで昼食をとる。
 しょぼろ納豆は、巻き寿司にも合うが、おにぎりに入れた方が、ご飯の熱で蒸れた後の味わい、周辺のご飯への影響等、非常に具合が良い。

 13時から再開。じょんのび村改修工事について、民友の遠藤清議員が取り上げ、市長からは工事管理の面で謝罪があった。今後、さらに改修するための予算が計上されてくるため、そのタイミングで税金の無駄遣いについてどう考えているのか、市長に問い質したいと思う。

 15時、休憩。

 15時15分から再開となったが、共産党による憲法9条を守り、「核兵器廃絶柏崎平和都市宣言」を発しろ、戦争体験を継承するための教育(自虐史観)をしろ等、聞くに耐えない質問であった。この時期なら「核兵器廃絶」は北朝鮮に言うべきことで、憲法9条が日本の平和を守ってくれるというなら、北朝鮮が憲法9条を読んでくれるよう活動すればよい。
 そもそも現在の日本国憲法の制定に唯一反対した政党が日本共産党であり、それが今、護憲とは意味が分からない。
 柏崎の「核兵器廃絶平和都市宣言」については、平成17年に共産党、平成18年に社会クラブが同様の質問をしているが、市長の答弁は世論の高まりが必要であり、今後検討するというもの。
 戦争の教育については、各学校での社会科、国語の授業で戦争に関するものを取り上げたり、地域の戦中、戦後の方への聞き取り、そして今後、広島や長崎、沖縄などへの修学旅行を行うよう教育委員会と相談しながらやっていく、とのことであった。
 自虐史観、左がかった子供にならないよう注視が必要であろう。本当に平和と戦争のことを考えたりするなら、硫黄島のことや遺骨収集をやってもらいたいものである。それこそ、前回議会の一般質問で取り上げたように、ビルマ、インドをはじめ、アジア各地に我々の先輩の遺骨はそのままであり、遺骨収集まではいかなかったとしても現地で慰霊を行ってほしいと思う。

 16時15分に議会終了。委員会の審査に向けた資料集めなどを行ったのち、市内某所での打ち合わせにでかける。

Cimg0402  長時間の打ち合わせを終え、20時過ぎに帰宅。
 20時30分、スーパーで半額になっていた薩摩揚げ(野菜)、冷凍秋刀魚、ひきわり納豆汁、ご飯で夕食をとる。
 食事をとりながら、先日放送された「NHK JAPANデビュー」の第3回「通商国家の挫折」を見る。第1回、第2回ほどのひどさはなかったが、次回の第4回は「軍事同盟」。少し心配である。

2009年6月10日 (水)

一般質問(アタチュルク像のゆくえ)
当事者意識なき答弁

 3時、就寝。

 6時、起床。一般質問の資料をさらに精査し、質問の流れを固める。

 8時、大粒納豆、鯖の塩焼き、しらすおろしでご飯2杯の朝食をとる。

 9時過ぎ、市役所に移動し、会派会議。

Cimg0392  10時から本会議、一般質問の初日である。最初は平成会の荒城彦一議員。ガス・水道事業の現状と今後の方向性、プレミアム商品券の追加発行が主な質問となっており、特にプレミアム商品券は景気対策のため、荒城議員をはじめ保守系議員がこぞってもっと発行額を増やすべきとしてきたもの。しかも、プレミアム商品券は即日完売となり、買えなかった市民の方から不満の声も数多く出ている。
 市長の答弁は、なんと平成23年4月1日にガス事業民営化する予定は延期、刈羽村への給水は西山地区への給水拡張とともに実施する方向で、負担金、時期など調整に入ってる、ガス事業・水道事業ともに料金改定時期の見直しをする、プレミアム商品券の追加はないという。
 プレミアム商品券は仕方ないとしても、ガス民営化の延期など、民営化を前提にして予算を先の議会で審議したばかりである。審議に使った財政計画は何だったのかと思う。毎年の予算で補正できる範囲ではなく、長期的な財政計画も見直す案件。そういった決定をした段階で、議会全体に報告すべき内容ではあろう。まさに迷走している。

 続いて、自治研究会の砂塚定広議員の質問。そのなかの最初の項目が何と「市長に議会のことを問う」という、議会と行政が別組織である根本原理が抜けた質問であった。「二元代制を考え直すか」「議員定数削減」「議会運営と市長与党」「議会改革」などの小項目があったが、二元代表制を変えるなら地方自治法をはじめ国会で審議すべき内容である。それ以外も、議会のなかで議論すべきことであって、行政のトップたる市長に問い質すものではない。逆にいえば、行政側の市長が議会側のあり方を答弁すべきものではないのである。
 市長の答弁としては、地方分権を検討するなかでの審議会意見を紹介するのみ。当然の答弁であった。

 11時55、一旦、休憩となったのち、自宅に戻る。豆腐と若布の味噌汁に冷やご飯、卵でおじやを作り、その上にひきわり納豆をのせ、祖母と一緒に昼食をとる。

 12時30分、郵便局などに寄ったのち、市役所に戻る。

 13時、再開。午後の最初は平成会の星野正仁議員の登壇し、じょんのび村改修工事に絞って質問を行った。
 この問題は、先に本ブログでも書いたように、柏崎市としてじょんのび村の改修工事を税金で発注(しかも当初9690万円が市長選挙を意識してなのか、3億8千万円に増額)したものの、工事がはじまってみれば問題だらけ、屋根から市道に直接雪が落ちてしまうなど、今後の修正・対応策にさらなる税金の投入が必要になった案件である。実際の補正予算は、次の議会にでてくるため、私としては次回の議会で質問することにしたが、今回、星野議員が問題提起してくれたのはありがたい。今議会では、同様に公明党の若井恵子議員、民友の遠藤清議員も行う。
 市長の答弁は、つらつらと細かい内容。そもそも何故、計画時に9690万円がいきなり3億8千万円になるのか、どんな丼勘定をすれば、こうなるのか。使われる金は、我々の税金、血税である。しかも、工事結果はズタズタ。
 この問題は星野議員をはじめ、何人かの議員とともに徹底追及していきたい。
 質問中、「メクラドア」との発言に社会クラブ・矢部忠夫議員が噛みつくシーンがあった。「ブラインド」も同様なのであろうか。言葉狩りである。

Cimg0395  14時から登壇。今回の質問もすべて一問一答形式で、市長に対するものである。

1.旧柏崎トルコ文化村の現状及びアタチュルク像の移設に関する対応について
2.市職員による不祥事対応の厳格化について
3.北朝鮮による核実験・ミサイル発射に対する市長の考え、拉致問題への取り組みの状況について
4.市制施行70周年にむけて、これまでの新民謡を再評価、番神水族館の復活など、柏崎らしさと活力ある事業を行うべきと思うが、見解を問う。

 質問の冒頭はお約束の通り、

「北朝鮮による度重なるミサイル発射や核実験があり、あらためて今後も我が柏崎に海上自衛隊の誘致を訴え続けようと思った、整風会の三井田です。」

と始めた。
 最初は、

1.旧柏崎トルコ文化村の現状及びアタチュルク像の移設に関する対応について

平成18年の減額譲渡の契約から、トルコ共和国から贈られたアタチュルク像の扱いを含め、先の議会など何回もこの議場で追及してきた問題である。
 現在も、いまだに問題は解決しておらず、我々、柏崎市民の税金、つまり血税を使って裁判を行っており、しかも購入者であるウェステックエナジー社、柏崎市民である地権者、柏崎市の3者で2つの裁判をかかえ、ドロ沼の状態になっている。
 平成19年12月の議会では、一般質問において、結果的に「いい加減な契約」であったから、このような事態になったと発言したところ、社会クラブの矢部忠夫議員から発言の撤回の動議がだされた経緯があるが、そのような契約だったからこそ、裁判にもなっている。
 これまでの議会でもこの裁判をたてに、肝心な部分に関しての会田市長の答弁は

 「係争中であり、裁判に不利になる可能性があるため詳細には答えらない」

というもの。では、今回、裁判とは関係のない部分を答えてもらおうという質問である。
 減額譲渡の契約を議論した際には、旧柏崎トルコ文化村の雰囲気を生かし、結婚式場をはじめ、パークゴルフ場の整備が計画としてあげられていた。この計画を行うからということで、減額譲渡したのである。
 契約条項には次のように決められている。
*甲は柏崎市、乙はウェステックエナジー社

「第7条 乙は、平成20年5月30日までに売買物件をその用途に供さなければならない。
2 乙は、用途に供した日から7年間は、売買物件を「旧柏崎トルコ文化村譲渡申請書利用計画書」のとおりの用途に供するものとする。なお、乙は、7年以内に事業計画変更を余儀なくされる場合は、第15条の親定により甲と協議ができるものとする。」

 しかし、現在でもパークゴルフ場は作っておらず、計画には無い企業活動である砂売り場が作られている。さらに、活用すべきものとして譲渡の際に確認した「トロイの木馬」などは、既に壊されている状況。先に放送された「噂の東京マガジン」では、アタチュルク像を売った理由として、秘書広報課長は

 「あそこの施設がそもそもテーマパークなわけですよ。トルコ共和国のイメージを、こう、ふんだんに出しながら、トルコの国を知ってもらおうというこう、最初の民間会社のスタートでやったもんですから、像だけ切り離しますよ、ということには、やはり、なかなかならないということから、あのぉ、譲渡そのものに瑕疵はなかったと。」

と答えているが、実際に壊されているトルコ関係のものを見れば、まったく筋が通らないことになる。
 この状況についてどう思うのか問うたところ、以下のようなとんでもない答弁であった。

・主たる結婚式場やレストランは運営している。
       → 誰の立場で答弁しているのか。
・その他の部分は着手していないので協議したいと申し入れている。
 しかし、協議に応じてもらえない。

      → 協議に応じないなら契約解除である。
・敷地に入らせてもらえない以上、確認しようがない。
      → 何のための契約だったのか。

 一言でいえば、 「業務怠慢」である。
080117_hojo  答弁の際、裁判に関して、ウェステックエナジー社と柏崎市が一緒になっているかのような事は、事実ではない、と会田市長が発言したが、これは平成20年1月17日に柏崎市が新潟地方裁判所長岡支部に提出した「補助参加の申立書」を見れば事実が分かる。

 「補助参加の申立書」(pdf形式)

 きちんと、

「上記当事者間の御庁平成19年(ワ)第253号建物収去土地明渡等請求事件について、補助参加人は被告を補助するため、補助参加の申立てをする。」
*被告はウェステックエナジー社

090520_sakuraとあり、利害関係者として補助参加している。市長、副市長、秘書広報課長は顔を見合わせ、 「意味が違う、文字だけを追っただけ」などと小声で話していたが、原告の柏崎市民である地権者の皆さんの立場、守るべき柏崎市民の目線で考えてみないのであろうか。
 前回の議会から3ヶ月を経過するが、アタチュルク像について「粘り強く交渉する」と答弁した以上、どうなったのか問うたところ、

・現地に入っていないので確認していない。
 → 全然、成果がない
・敷地内のひさしのあるところに保管されていると伝え聞いている。
 → ひと事だと思っているのか

とまったく当事者意識のない答弁。
 現在、アタチュルク像は敷地内の建物(センタードーム)のひさしの下に、ブルーシートに巻かれて置いてある。まずは、現在のその状況だけでも、写真をとり、柏崎市として公に情報を発信しろ、と迫ってみるも、のらりくらりの答弁。
 では、外務省やトルコ共和国とのつながりがある和歌山県串本町との情報交換はどうかと問うたところ、一応情報は確認しているとのことであった。
 和歌山県串本町議会の平成21年第1回定例会において、以下のようなやりとりがある。*議事録より抜粋

副町長:アタチュルク像を串本町に、というご提案がありますので、4月にこういう組織を起こして、みんなで考えていって、議会の方へも取り組みについては、るる報告をするなりご意見をいただくなりという形で進めていきたいと。今のところはそういうところでございます。

議員:アタチュルク像は一体どのようになっているのか、手短に。インターネットで見るともめてるんやけど、そこらあたりはどのように進んでいるのか、わかれば・・・

副町長:議員も新聞で見られたということなんですが、今ちょうど所有権をめぐって裁判に入っておりまして。法の場でどういう形になるのかという途上でありまして、このことについてはトルコ大使の方もこの状況を見守るという形で。この前串本町へ来られたときにそのように言ってましたので、我々とすれば法の場のことでありますから、それを見守るという形が今の状況であります。

 結局のところ、膠着状態のまま会田市長は手を打てていない状況があることがハッキリ分かった。次の議会までに地権者とウェステックエナジー社との裁判に進展があろうことから、その結果をみて、次の動きをしたい。

 続く質問は、

2.市職員による不祥事対応の厳格化について

である。これは、先般、教職員による「酒気帯び運転及び道路交通法違反」という不祥事があり、氏名を公表のうえ、懲戒免職となったことから、あらためて公務員の不祥事の処分について、氏名公表基準など見直す気はないのか、という内容。
 柏崎市はこれまで甘い対応と言われ、私も何回かこの事を一般質問で取り上げてきた。
 しかし、会田市長の答弁は、新潟県と比べても甘い処分だと思わないというもの。甘い処分であった事例として、住民の個人情報を盗み出すという事例を紹介した。

<兵庫県神戸市>
 平成21年、元妻や好意を寄せていた女性の住所などを調べるため、同市東灘区役所市民課職員が住民基本台帳システムの端末を私的に利用。氏名公表のうえ、懲戒免職処分。さらに 同市個人情報保護条例違反で県警に告発する方針。

→【本ブログでの紹介】

<柏崎市>
 平成20年、勤務時間中に使用権限が付与されていないにも関わらず、教育委員会内に設置されている基幹系の端末機を正規の手続きを経ないで使用し、私的な事由で自分と関係のある特定の人の住民基本台帳情報を覗き見る行為に及んだ上、この個人情報を知人に洩らした。また、職務上知り得た自分と関係のある特定の人の個人情報も同様な事由で同じ知人に洩らした。
*神戸市の事件よりさらに悪い点は、使用権限がないところ。
 柏崎市情報セキュリティ対策基準におけるセキュリティポリシー違反及び柏崎市個人情報保護条例違反として、氏名公開なし、給料の月額10分の1減給を6か月、管理監督責任のある関係の課長を訓告処分。

→【本ブログでの紹介】  

 市民の個人情報を漏らし、それによる問題が起こったという点では同じであり、あまりにも柏崎市の処分が甘いことがこれで分かるはずなのだが、会田市長の答弁は、

・決められた「ものさし」の中で判断する

というもの。政治家としてその「ものさし」を見直せと問うているのであるが、まったく伝わらず、のらりくらりであった。こういった事を多くの市民に知ってもらいたものである。

 3つめの質問は、

3.北朝鮮による核実験・ミサイル発射に対する市長の考え、拉致問題への取り組みの状況について

というもので、議会側で北朝鮮への非難決議をしたように柏崎市長として、非難声明をだせと迫ったものの、やる気はない模様。お隣の上越市は、平成21年5月25日、市長と議長の連名で金正日総書記あてに抗議文を送付している。
 会田市長は原水禁の集会に歴代の柏崎市長としてはじめて、出席した市長ではなかったのであろうか。


平成18年6月23日『越後タイムス』

歴代市長で初参加
非核平和行進事前集会

 会田市長は二十日、市役所前で開かれた原水禁柏崎実行委員会(斎藤昭浩委員長)による「非核・平和行進」事前集会に、歴代市長として初めて参加し、来賓として挨拶を行った。集会と行進には約六十人が参加した。
 市長は、「核不拡散の枠組みにも拘らず、いくつかの国で核保有国へ歩み出している国際社会の緊張の高まり、戦争の危機の中、唯一の被爆国の国民として、核兵器の廃絶と平和を目指して、柏崎の地から高く声を盛り上げていく必要がある」と訴えた。
 また、同実行委員会が「非核平和都市宣言」をするよう申し入れたことに対しては、「大変意義のあることだが、大勢の市民の願いがこもって初めて宣言に結びつく。宣言ができる環境をつくることが大事だ」と述べた。
 参加者は、全員で御野立公園まで歩き、そのうちの代表が旧柿崎役場まで歩いて、上越へ行進を引き継いだ。


 記事に添えられた写真には、「平和憲法を守ろう」と書かれた看板の街宣車の前で演説する会田市長の姿が写っている。
 私個人としては思想・信条の点から相容れない団体であるが、会田市長は政治家として出席し、主張を訴えた以上は原水禁で発言したように、北朝鮮の核実験に抗議の大きな声をあげるのが筋である。
 ちなみに今日も原水禁の行進があり、 「原発のない社会を目指す」との呼びかけもされた。
 続いては、拉致問題について問い質した。
 我が柏崎市は、蓮池さんご夫妻のみにならず、特定失踪者といわれる山梨県甲府市の山本美保さんがもっていたセカンドバックが荒浜海岸にあったということもあり、拉致に関する国内の協力者について、いまだ全貌が明らかにはなっていない。であるからこそ、実際に被害にあった柏崎市としても、拉致問題に対し、今後も積極的に活動していくべきである。少なくとも柏崎市のホームページのトップに拉致問題に関する記述を掲載すべきと提案したが、会田市長からはできないとの答弁。何を言っても、私が提案するものには反対なのであろうか。
 こうやって政策の内容で判断せず、「政争の具」を自分たちで作り、この質問中にも革新系議員からの野次があったように、保守系議員が「足をひっぱっている」というアピールをするのが、お決まりのパターンである。

 最後の質問は、まさに提案型の質問、

4.市制施行70周年にむけて、これまでの新民謡を再評価、番神水族館の復活など、柏崎らしさと活力ある事業を行うべきと思うが、見解を問う。

柏崎町が柏崎市となったのは昭和15年(皇紀2600年)。そろそろ市制施行70周年の記念事業も視野に入れる時期に来ているため、記念事業として、そして文化振興事業の一つとして、新民謡や番神水族館の復活など柏崎の良さと活力がでる事業を行うべきではないか?という内容である。
 番神の自然水族館(弁天岩)の復活は、これまで多くの議員諸先輩も同様の提案をしてこられてきたもの。柏崎の綺麗な海で磯遊びをしながら、魚や貝を観る自然水族館は、自然体験、環境の大切さを知る、そしてかつてのように実際にその場で魚を焼いて食べることができれば、食育の場ともなる。
 現代は現代なりのやり方を工夫し、実現してみてはどうかと言ったものの、会田市長は

・難しい、冬には魚が逃げる。
・冬に人がこない

と子供のお使いのような答弁。市民から猛反対、署名活動もあった、あの番神の市有地を浜茶屋に貸し出す際には、冬の荒波も含めて通年観光として番神の地を盛り上げると言っておきながら、今度は冬は大変~ みたいなことを平気で答弁するのである。これを「支離滅裂」という。
 難しく、他の自治体にはないからこそ挑戦する意味がある。「海の柏崎」にふさわしいと思うのであるが、結局はできないとの答弁であった。
 ちなみに、柏崎市政施行10周年を記念して、番神の浜で2回目の海の「日蓮劇」が演じられたという歴史がある。

 続いて、あまり金もかからず、文化的な意味合いのあることとして、新民謡などを掘り起こし、CD化する記念事業はどうか、と質問してみた。
 柏崎市は、三階節、米山甚句、柏崎おけさ、柏崎甚句に加え、新民謡と言われるアノソ節(レコードでは大歌手である淡谷のり子が歌唱)柏崎小唄(レコ-ドでは、当時の柏崎の一流の芸者さんが歌唱、演奏)海の柏崎、柏崎慕情(柏崎市政施行20周年記念制作で、作曲者でもある鴨下三郎氏は柏崎市黒滝出身、東京在住。作詩の田辺一夫氏は当時柏崎市役所の公務員)など、数々の民謡があり、民謡の宝庫ともいえる。
Img_1396 三階節などはアニメ『宇宙戦艦ヤマト』でも有名な作曲家・宮川泰(ひろし)氏が編曲し、ザ・ピーナツが歌った「米山さんから」という曲にもなっている
 それ以外にも、現在の笠島海水浴場に歌碑が建立されている「笠島小唄」などもあり、歴史のなかに埋もれさせるのはもったいないということからの質問である。
 会田市長の答弁は、

・私も知らない(議場の議員に同調させるように)。
 色々な人に聞いてもらってから考える。

というもの。知らないから、掘り起こしをするのであって、そもそも論でいえば、柏崎市政施行の周年事業についてのこの質問を私が通告した段階で、いままでの周年事業の内容も含め、勉強しておくべきものである。この答弁は、ただの「勉強不足」。本当に柏崎を大切に思う気持ちがあるのだろうか。

*市長は、多くの情報をもち、その部下も使えるうえ、一般質問の前に担当部局と勉強会を行う。

 来年の市政施行70周年は、先般、昭和64年、平成元年産まれの成人式があったように、昭和と平成が社会人としてクロスしはじめる時代であり、80周年、60周年と違う意味合いはそこにある。昭和の柏崎の文化遺産を改めて、後世に伝えるということを行うべきではないか、という提案が本質のところ。
 事務的なことを言えば、著作権の関係など、行政がやるから意味があり、公だから著作権関係の問題をクリアしやすいのである。これは、 「こどもの時代館」が先行事例であり、公がやる施設であることから、著作権料の一部免除などの交渉が成り立っている。
 ここまで迫っても、会田市長からはやるとも何とも答弁がなかったので、最後は教育長に教育の観点から次回、提案の質問をすると発言し、質問を終えた。

*民謡に地域の風土が反映されている事例として、「柏崎おけさ」の

 「吹けや西風 揚がれやジバサ ヨ
  可愛い殿サの ヤーレ磯廻り」

を紹介したが、「柏崎甚句」と言ってしまった点はミスであった。

 15時から休憩。

 15時15分から再開となり、2名の議員が質問をし、17時10分に終了となった。

Dsc00145_2 今日は18時から2件の打ち合わせが重なっていたが、急遽、某氏の慰労を含めた懇親会に変更。
 安い某カラオケルームで3時間ほど、ジントニックを飲みつつ、普通のお店で歌ったらドン引きされる歌、『無敵超人ザンボット3』のエンディング曲「宇宙の星よ永遠に」や「キャプテンハーロック」などを歌う。

 本を購入しつつ、22時過ぎに帰宅。着替えをしようとしたところ、電話があり、某懇親会の3次会から合流することとなった。

 23時から市内某店で懇親。

2009年6月 9日 (火)

市政報告(国旗市旗)一斉折り込み
全員協議会(原子力安全・保安院)

 3時、就寝。

 6時、起床。先週までに届いていた郵送物などを処理する。

 8時、大粒納豆、目玉焼き、ほうれん草のおひたしでご飯2杯の朝食をとる。

Cimg0390  今日の全朝刊に、先の市政報告(1)「議員定数」に引き続き、市政報告(2)「国旗・市旗掲揚の請願、柏崎市の財政」を折り込んだ。
 早速、ありがたいことに激励の電話などを頂戴した。

「市政報告2 国旗市旗編」(pdf形式)

 先の市政報告で間違いであると指摘された部分

【尚、この継続審査とされた議案は、次の議会開会までに結論が出ない場合は、審議未了で「廃案」となる。】
  → 議会開会ではなく【閉会】

については、『お詫びと訂正』として訂正文を掲載した。

 9時には柏崎市内、11時には長岡市の某所へ弔問に伺う。

 12時過ぎ、一旦事務所に戻り、資料を整えて市役所に移動。

Cimg0387_2 会派での打ち合わせののち、13時、市役所の売店で購入した「チョリソードック 200円」、苺牛乳で昼食をとる。
 いつもなら低脂肪乳か豆乳、グレープフルーツを選ぶところであるが、容器に描かれた「とちおとめ」の絵が美味そうにみえ、つい苺牛乳を買ってしまった。

Cimg0388 13時30分から全員協議会に出席。今日は原子力安全・保安院による柏崎刈羽原子力発電所7号機のプラント全体の機能試験に関わる確認状況についての説明である。
 説明内容は以下の通り。

1.プラント全体の機能試験とは
2.保安院の確認状況

(これまでに実施したもの)
・原子炉起動にあたっての安全性の確認
・振動測定のダブルチェック
・格納容器内の点検への立会い
・発電機の仮並列、本並列への立会い
(現在確認を実施中のもの)
・プラント起動時の設備点検に対する確認
  平成21年6月4日時点で約8割が終了
・プラント起動時の系統機能試験に対する確認
  蒸気タービン性能検査(その2)実施済み
  気体廃棄物処理系機能検査 実施済み
 <今後実施するもの>
  蒸気タービン性能検査(その1)
  原子炉隔離時冷却系機能検査
・プラント運転データに対する確認
 約800項目の運転データを確認
・設備健全性評価サブWG委員会、地元の意見を参考に重点的に安全確認を実施
・原子力安全委員会の指示を踏まえた対応
・プラント全体の機能試験中に確認された不適合について
 1)タービン駆動原子炉給水ポンプ起動試験時の漏電警報の発報について
 2)主排気筒からのヨウ素133の検出について
 3)タービン駆動原子炉給水ポンプ吐出弁からの漏えいについて
 *以下は既に説明済み
 4)原子炉隔離時冷却系の不適合(蒸気止め弁の不具合、圧力抑制室の水位上昇)について
 5)給水流量調整弁の不適合(開度表示のずれ)について
 6)配管サポートに関する不適合(誤って取り外されたサポート)について
3.発電機出力50%までについての保安院の評価
 現段階で確認した範囲において、7号機のプラント全体の機能の健全性に係る問題はないと判断する。
4.今後の取り組み
・引き続き、プラント全体の機能試験を監視、東京電力が実施する点検に立ち会い、試験がきちんと行われているか、結果に問題はないか厳格に確認。
・今後、定格熱出力一定運転移行までの各段階で、それまでの試験結果、得られたデータ等を基に、7号機のプラント全体の機能についての保安院としての評価をとりまとめ。

 約40分の説明ののち、質疑応答の時間となった。
 お約束の科学的ではない、宗教のような反原発派の質疑があり、特にひどいのは東京電力の判断としてさらに耐震補強を行った部分についても国が責任をもてるのか、といった社会クラブ・矢部忠夫議員の質問。補強しろ、耐震補強しろ、と連呼したり、企業としての判断でより強く補強すれば、国に責任がもてるのか、といった支離滅裂具合であった。

 15時10分過ぎに終了。その後、一般質問に関わる調査などを市役所内で行ったのち、散髪にでかける。

 16時30分、事務所に戻ったところで来客。雑談を含め2時間ほど打ち合わせを行う。

Cimg0391  21時、ご飯にひきわり納豆、豚モモ肉を重ねて揚げた豚カツをのせ、ゴロゴロと野菜を入れたポークカレー、水菜サラダ、グレープフルーツジュースで夕食をとる。ガラムマサラ、レッドペッパーを大量にかけて、激辛にして食べ、明日の一般質問に向けて気合いを入れる。

2009年6月 8日 (月)

平成21年第4回定例会開会
北朝鮮への決議は即決!

 3時、就寝。

 6時、起床。メールやブログを書いたのち、本を持って1時間ほどの長風呂に入る。

 8時、大粒納豆、ベーコンエッグ、もずくの酢の物、大根おろしでご飯2杯の朝食をとったのち、市役所に移動。

Cimg0380  9時、議会運営委員会に出席する。任期は今日で終わり。
 議案は、議員発案の取り扱いとして、社会クラブ提出の「30人以下学級の実現、義務教育費国庫負担制度の国庫負担率2分の1復元をはじめとする教育予算の充実を求める意見書」、同じく社会クラブ提出の「国直轄事業負担金の廃止を求める意見書」、所属会派である整風会提案の「北朝鮮の核実験・ミサイル発射に関する抗議決議」、柏崎のみらい・自治研究会共同提出による「議会改革に関する特別委員会設置についての決議」の4件である。
 社会クラブ提案の2件は全会一致をみなかったため、1件は議会最終日に賛否を問い、直轄事業に関する意見書については全会一致できるような内容に差し替え、再度、次回の議会運営委員会での議論となった。
 当会派提案の北朝鮮の核実験に関する決議は、本日、全会一致となり、即決で了承された
 柏崎のみらい・自治研究会共同提出の特別委員会設置については、議員定数などまだ審議中であり、一致できないものとして「反対」をした。それは、現在の議会運営委員会のメンバー構成ができた際、速記者をはじめ予算を使う特別委員会ではなく、議会運営委員会で議会改革を議論していこうと決めたからである。しかも私はその際、特別委員会設置を提案していたが、反対された立場。今回の提案をした会派は、昨年の議員発案としての議員定数削減案には、

 「議会運営委員会で議論中なので継続審査」

にしておき、継続審査をしたあとに、審査を打ち切った。さらには、現在も市民団体「ステップ1」から提出された請願の審査に入らない状況にある。ここで予算を伴う特別委員会を設置するのは、ただ単に市民向けのパフォーマンス。まずは当初決めた通りに、議会運営委員会で決める、もしくは総括をしたのち、特別委員会の設置を議論すべきである。
 続いて、正副議長選挙に関わる所信表明の申し出として、斎木裕司議員、飯塚寿之議員があったとの報告があった。
 最後にその他事項として、入澤徳明議員から整風会・平成会から「その後の報告はないのか」、「けじめをつけろ」との質疑が出された。その際、

 「三井田議員もブログで
    正当性を主張しているが・・・」

との言葉があったので、

 「いやぁ~よく見て頂いて、
   ありがとうございます。」

*まだ返答のないこちらも見てくれているのであろうか。それとも未だに内容証明が届いていないとでも言い張るのであろうか。

と含みのある御礼。質問への返答しては、今日の議会運営委員会の案内に今回の件が掲載されていなかったので、紙での返答書は用意していない旨を答えた。
 結局、謝罪うんぬんは会派代表者会議の場に移ることとなり、請願の審査を今議会の閉会までに行うこととなった。

 10時10分から本会議場にて、議員永年勤続表彰の授与式。自分で選挙まで出て市政に貢献しようとしているという気概から、市政功労者表彰を辞退した議員も3名いらっしゃった。

Cimg0378  10時30分から平成21年第4回定例会が開会、激しい議会の開会である。
 通常通り、会期、署名議員の決定に続き、会派合併による議会運営委員会条例の一部を変更する条例を採決。その後、議長辞職があり、議長選挙となった。
 市民クラブの斎木祐司議員から所信表明の申し出があり、これを許可。その後に議場を閉鎖し、無記名投票となった。
 投票、議場閉鎖を解除し、集計した結果、民友の本間厚幸議員が11票、市民クラブの斎木祐司議員が16票、共産党の持田繁義議員が3票で議長は斎木裕司議員に決定した。
 続いて、副議長の辞職と選挙。
 柏崎のみらいの飯塚寿之議員から所信表明の申し出があり、これを許可。その後、議場閉鎖して、無記名投票となった。
 投票、議場閉鎖を解除し、集計した結果、整風会の五十嵐直樹議員が11票、柏崎のみらいの飯塚寿之議員が19票、副議長は飯塚寿之議員と決定した。

 これまで、柏崎市議会で保守系が強かった時代は、議長を保守系がやれば、バランスをとって副議長を革新系に任せるという慣例があったが、ここ近年は市長与党から両方選出するという状態であり、昨年の市長選挙での構図そのままである。
 続いて、各常任委員会の選任があり、私は総務常任委員会に決定した。

 11時25分、一端、休憩となり、総務常任委員会に出席。委員長、副委員長の選出となったが、8名という委員会構成であり、委員長、副委員長ともに選挙を行ったものの、それぞれ二人の候補者がでて票が同数となった。結果、まずはくじを引く順番を年配の議員から引き、その順番結果をもって、再度のくじ引き。最終的に、委員長は平成会の荒城彦一議員、副委員長は自治研究会の砂塚定広議員に決まった。

Cimg0379  12時、一旦、自宅に戻り、スーパーで半額になっていた鰤をヅケにしておいたもので丼を作り、祖母と一緒に食べる。
 ヅケのたれには、かつおダシ、薄口醤油、すりごま、酒、みりん、わけぎ、隠し味として蜂蜜。みりんをいつも通りに入れ、蜂蜜を入れてしまったので、ちょっと甘めになってしまった。

 13時、議会が再開し、各常任委員会の正副委員長の報告からはじまった。
 その後、各議案の説明。
 冒頭、「議第57号 手数料条例の一部を改正する条例の制定について」を今月4日に基となる法律が施行となるため、委員会付託なしで、本日即決してほしいとのことであった。しかし、本日即決というのはおかしく、柏崎市議会はつい先日、第3回臨時議会を行ったばかりである。
 早速、なぜ先の臨時議会に提案できなかったのか、質問した。答弁は、元となる県の条例の内容に分かりにくい点などがあり、確認などの関係から遅くなったとのことであった。それなら読解力不足と言われてしまうではないか。他の議員からも、国が悪いのか、県が悪いのか、今後のことも考えてほしいとの意見がでた。

Cimg0382  議案の説明が終わったところで、日程の追加を謀り、 「委員会発案第5号 北朝鮮の核実験・ミサイル発射に関する抗議決議」が追加され、全会一致で決議された。
 議会運営委員会での提案となってしまっため、決議文を作ったものの、提出者及び提案説明は議会運営委員長となった。
 いずれにせよ、北朝鮮への決議を全会一致でできたことは幸いである。

 14時10分に本日の会議終了。その後、会派内と他会派との調整を15時過ぎまで行う。

 16時から市内某所で打ち合わせ。

Cimg0384 17時45分から柏崎ベルナールにて、議員表彰祝賀会に出席。
 議長、そして市長の挨拶ののち、今日表彰された10年勤続表彰の議員の皆さんの挨拶があり、乾杯となった。
 10年前は、プルサーマル議論が活発な頃であり、プルサーマル導入の先頭を走っていた柏崎が、いまは他の原子力立地自治体の後ろにいるような状態である。
Cimg0385 次の会議や車での移動などがあるため、酒を飲まず、議場内での対立はノーサイドとして、世間話をしつつ酒を注ぐ。
 料理も前菜からはじまり、お造り、牛肉のデミグラスソース煮、鯛のポワレなどがでたが、話をしている時間が長く、ゆっくり食べる間がない。
 周りの皆さんに酔いがまわってきたのか、案の定、今議会に提出された議案に対する意見や私個人への怒りなのか何なのか、接近距離での言い合いの場面も増えた。

Cimg0386  申し訳なく途中で抜けさせてもらい、移動。
 19時30分、シーユース雷音に到着し、日本会議柏崎支部の平成21年度総会に途中から出席させてもらう。
 西川勉支部長(元県議会議長)、民主党・鷲尾英一郎衆議院議員、自民党・三富佳一県議会議員、自民党・東山英機県議会議員をはじめ、多くの皆さまが集まっていたため、この秋に開催の「第33回陸海軍軍樂隊合同大演奏会・帝国陸海軍正規軍装の会」を観に行くツアー皆さんにお諮りした。結果は、 「実行すべし」
【報告】第32回 【報告】第31回 【報告】第27回

 21時過ぎにお開きとなったのち、市内某所に移動し、調査活動。

 23時、自宅に戻る。

2009年6月 7日 (日)

有機農法で草とり:市野新田
新市民会館説明会、他

 昨日の講演会をゆっくり聞けなかったため、録音を聞きつつ、事務仕事を行い、3時に就寝。

 6時、起床。クリーンデーのため、母が掃除、その分、祖母の世話などを行う。

 7時、大粒納豆、塩鮭、笹かまぼこでご飯2杯の朝食をとる。

Dsc00140 8時過ぎ、急遽の来客2件。ともに市内一斉クリーンデーをはじめ、色々なイベントが重なり過ぎている事に対する苦情であった。市内一斉クリーンデー、消防団の大会、風の陣、米山山開き、新市民会館説明会、各地の運動会など、確かに重なり過ぎている。今後の柏崎のイベントの在り方として、問う内容である。
Dsc00141 お話をお聞きしたのち、急いで市野新田に移動。
 10時から有機農法を取り入れた田んぼで草取りを行う。地元選出の議員である平成会・星野正仁議員とともに、ズホズボと足をもぐらせながら、稲周辺をかき回して空気を入れ、雑草を抜く作業を行う。
 この田んぼは、今年、平成21年1月26日に行われた「食の安全・安心 有機農業推進シンポジウム」にパネラーとして出席された方の持ち物。
 他に、柏崎市消費者協会の皆さんやブルボンの社員の皆さんも参加され、雨のなか草取りを行った。

Dsc00144 11時30分、ちょっと早めの昼食時間となり、地元の米を使ったおにぎり、地元の餅米をつかった中華ちまき、漬け物、蕗の煮物、水菜のサラダなどが用意された。
 大汗をかいたこともあり、遠慮することなく、しょっぱめの漬け物を食べては、おにぎりを頬張らせてもらった。本当は、ここで冷たいビールを飲むのが美味しいのであろうが、午後の予定もあるため、お茶のみ。

 13時、一旦自宅に戻り、汚れた作業服を着替え、自転車で市内まわり。
 今日は、新市民会館の説明会も行われており、知人も何人か会場に行っている。
 議会の場においては、明日開会となる平成21年第4回定例会の総務常任委員会で報告される。今期から任期満了の平成23年3月まで私は総務常任委員会であるため、その場で議論していきたいと思う。 

「新市民会館概要 平成20年11月」(pdf形式)

「新市民会館第1回市民説明会資料」(pdf形式)

 イベントに出店しているアルコール類やスナック類を大量に購入することになり、すっかり酔っぱらい、満腹となって、17時に帰宅する。

 18時から21時まで仮眠。

 熱いシャワーを浴びたのち、事務所にこもり、一般質問用の資料を精査する。

2009年6月 6日 (土)

長島忠美議員・中山恭子議員講演
「あの日を忘れない・・・・・」

 2時、就寝。

 何回か、介護のため起きたため、おそめの7時に起床。大粒納豆、エリンギとグリーンアスパラのバター炒め、だし巻き玉子でご飯2杯の朝食をとる。

090606_bira_6 9時、市内某所での情報収集。その後、イベント準備のため、柏崎市産業文化会館に移動する。
 今日は、柏崎・刈羽 長島クラブの主催による講演会である。

チラシ「あの日を忘れない・・・・・」
 (pdf形式)

 会場が3階ホールとなった関係上、不足分のイスの運び込みを始め、各種の準備が必要となり、2時間以上前から会場入りした。
Cimg0366  10時40分、イスを並べ終わり、一段落したところで、スタッフの女性陣で用意してくれたおにぎり2個(サケ)と「2009トキめき新潟国体」マークの入った狭山茶のペットボトルで腹ごしらえ。
 11時からスタッフで最終のミーティングを行う。今日の自分自身の役目は、1階玄関でのお客様の誘導と、講師、来賓の控え室へのご案内である。
Cimg0368  今日の講演会は、会場や誘導する関係から先着450名としていたが、事前申し込みの時点で560名を超えており、スタッフとしての成功のポイントは、いかに会場に早く誘導するかであった。
 12時から開場したところ、次々と多くの方がお越しになり、あっという間に会場がいっぱいとなり、また混乱することもなかった。
 入場者数は約600名
Cimg0369 12時30分、開会宣言、実行委員長の挨拶があったのち、ウズベキスタンでの人質事件(特命全権大使)、そして北朝鮮による拉致問題の交渉の際(内閣総理大臣補佐官:拉致問題担当)にも「タフ・ネゴシエーター」として、その名を馳せた自民党・中山恭子参議院議員による講演「中央アジア・北朝鮮そして日本」となった。

<著書にもあるご講演の一部>
 10年前の1999年8月、中央アジアウズベキスタンに赴任した直後に中山恭子大使に待ち受けていた試練。隣国キルギスで起きた日本人鉱山技師4人が反政府ゲリラに拉致され、その救出の指揮を最前線で執ることになりました。「明日までに日本政府が直接交渉に応じないなら、一人ずつ撃ち殺していく」との犯人側からの声明。「1%でも救える可能性があるなら出来ることは全てやるべきだ」と人質救出に向け命がけで取り組んだ中山大便と館員達の64日間攻防の秘話。

Cimg0370 会場は熱気でムンムンし、クーラーを効かせると一部の方が寒くなってしまうということで、クーラーの調整や気分の悪くなった方の対応などで、出たり入ったりしていたが、中山恭子参議院議員のお話に聞き入る方が多く、講演終了時には盛大な拍手が湧き上がった。
 講演終了後、拉致被害者である蓮池薫氏が感謝の花束をお渡しし、その後、所用のため退席となった。
 会場には、蓮池薫氏のご両親、奥さんの祐木子さん(旧姓:奥土)もお見えになった。

Cimg0372  続いて、自民党・長島忠美衆議院議員による講演「いのちとふるさとを守るために」
 いつもながらの味わいのある語り口であり、長島忠美衆議院議員が中越大震災でご活躍されたことを知っており、かつ中越沖地震後の柏崎の現状を鑑みたときに、色々な思いをされる柏崎市民の方が多いようで、会場には頷きながらお聞きになっている方が多くいらっしゃった。

<著書にもあるご講演の一部>
 村長2期日の平成16(2004)年10月、中越地方を襲った大地震に遭遇、村長として中心被災地・山古志村の住民避難、被災復興の陣頭指揮にあたる。連日防災服姿で飛び回る姿がメディアで話題となったほか、いち早く全村避難という英断を下したことが高く評価された。仮設住宅に居る被災者全員を見送るまで、共に避難住民と暮らすことを誓い、一昨年末に最後の一人として仮設住宅を退去し、故郷山古志に戻る。
 現在も国会議員としての責務を果たすべく、東京と新潟を往復する多忙な日々を送っている

 14時20分過ぎ、少し早めに講演会は終了。その後、後片付けをしたのち、スタッフで記念撮影を行った。

Cimg0376 15時過ぎ、有志3名とともに「長寿庵」(電話:0257-22-2669)に入り、「カツカレー 850円」を注文する。なぜ値段が一番高いのか気になる「カツライス 1200円」にするか迷ったものの、他のメンバーがカレーを頼んだこともあり、一人でお店番をしているおばちゃんのことを考え、カツカレーを選択した。
Cimg0377  食事の注文と同時に瓶ビールを注文したところ、つまみとしてキュウリの塩もみがでたので、つまみつつビールを飲む。
 注文から約40分後、やっとカツカレー登場。中華丼のような皿にご飯、カツ、キャベツ、トマトがのり、その上にシャクシャクの玉葱が入った和風カレーがかかったもの。懐かしい味であり、普通、カツカレーを食べた後は戦闘的?になるが、このカツカレーはすっかり和み気分となった。

 16時、事務所に戻り、事務仕事。

 18時、市内某所での懇親会に出席する。市政に関する情報交換をはじめ、来週開会となる議会の打ち合わせなどをも行う。

 22時、自宅に戻り、週刊誌などを持って、2時間ほどの長風呂に入る。

2009年6月 5日 (金)

議員定数等の特別委員会設置?
NHK台湾特番議連の誕生

 2時、就寝。

 6時、起床。メールの返信や原稿の推敲などを行ったのち、読みたかった漫画本を持って2時間ほど風呂に入る。
 某グルメ雑誌関係者に一読すべきと言われていた『極道めし』は確かに面白い。

 9時、大粒納豆、目玉焼き、くるみと小魚の和え物、ほうれん草のおひたしでご飯2杯の朝食をとる。

 10時から12時まで市内某所で打ち合わせ。起業に関する内容で商店街の活性化に一役買えればと思う。

Cimg0364  12時過ぎ、「麺の家 渚」(電話:0257-21-2770)に移動し、友人と「BIG WAVE 680円」を無料の大盛りにして昼食。いままでは「つけ麺」系がほとんどであったが、新メニューになっていたので、チャレンジしてみた。牛すじ肉の煮込みやもやしなどがドーン とのり、「ラーメン二郎」のようなワイルド感が漂っており、完食するのがやっと。「肉まし」にならどんな状況だったのだろうか。

 14時から17時まで一般質問に関わる調査や会社関係の仕事で市内まわり。

 17時過ぎから19時まで事務所にて、議事録の作成などの事務仕事。
 議会事務局からの連絡として、 「特別委員会設置についての決議(案)について」というFAXが届いていた。発信者は柏崎のみらい、自治研究会となっており、議員定数などを議論する議会改革に関する特別委員会設置の決議をしたいという内容である。
 昨年、提案した議員定数削減の提案を継続審議にし、そして審議打ち切り。そして、市民団体から提出された請願についても、難癖をつけ、審議に入らない態度をとっている会派が何を言っているのであろうか。さらにいえば、市民に密着した「開かれた議会」を目指す改革のため『議場の貸し出し』をしたいという案件にも反対をしたことを忘れているのか。
 数の論理からいけば、会田市長与党議員が過半数のため、可決し、特別委員会は設置されるであろうが、 「私たちも議会改革しようとしてます」といったポーズをとるための手段にしか見えない。

 19時30分から22時過ぎまで市内某所で夕食を兼ねた懇談会。

 23時、事務所に戻り、資料整理を行う。なかなか紙の資料が片付かず、電子ファイル化も間に合わない。

 NHKへのデモまで行うほど批判も高まっているNHKの報道姿勢であるが、いよいよ国会議員も動きはじめ、議連が誕生することになった。
 今後に注目したい。


平成21年6月4日『産経新聞』

NHK台湾特番
自民有志が議連

 NHKスペシャル「アジアの“一等国”」(4月5日放送)に出演した台湾人や日台友好団体から番組内容が「一方的だ」と批判が相次いでいる問題で、自民党有志議員が3日朝、報道内容を検証する「公共放送の公平性を考える議員の会」(仮称)の準備会合を国会内で開いた。
 安倍晋三元首相、中川昭一前財務相、菅義偉自民党選対副委員長ら30人近くが会合に出席。会長に古屋圭司党広報本部長を内定するとともに、今月中旬に総会を開くことを決めた。
 日本の台湾統治を取り上げた同番組は、1910年の日英博覧会で、台湾の先住民族を紹介したことに関連し「人間動物園」と表現したが、これについて中山成彬元国土交通相がNHKに再質問を行った。同会では中山氏への回答を踏まえ、報道内容を検証、再放送に際し“改善”を求めていくことにしている。

2009年6月 4日 (木)

北朝鮮核実験への抗議決議
9条の会:北朝鮮との信頼関係?

 3時、就寝。

 7時、起床。大粒納豆、鯖のみりん焼き、高菜の油炒めでご飯2杯の朝食をとる。

 8時から10時過ぎまでイベント周知のための市内まわり。その後、事務所に戻り、事務仕事。

Cimg0362 12時30分、叔父が釣ってきた真鯛のなかに入っていた卵巣(鯛の子)をもらったのでダシに使い、鯛の魚卵&干し納豆つゆのうどんを作って昼食をとる。腐っても鯛とは言うが、卵巣もなかなかのダシがとれた。
 食後、会社関係の納品などで市内まわりをしたのち、議会事務局に行き、決議文の処理や雑用をこなす。

 17時、事務所に戻り、事務仕事。18時過ぎに来客があり、その後、買い物にでかける。

Cimg0363  20時30分、鯛のアラを煮たもの、鯛の刺身、ポテトサラダ、ウイスキーの水割り、ひきわり納豆汁で夕食をとる。
 これまでビール一辺倒であったが、ウイスキーが異常に安くなっていることやハイボールブームということもあり、ちょっと試しに食前酒として飲んでみたが、なかなか良いものである。

 護憲の立場をとる「九条の会」が発足から5周年ということで講演会を開いたとの記事があった。


平成21年6月3日『朝日新聞』

「九条の会」発足5年記念、大江健三郎さんが講演

 憲法を守ろうと活動する「九条の会」が2日、発足から丸5年となったことを記念して東京都千代田区の日比谷公会堂で講演会を開いた。呼びかけ人の一人で、昨年末に亡くなった加藤周一さんの志を受け継ごうと、壇上には加藤さんの写真が掲げられた。
 講演した作家の大江健三郎さんは「核保有国と非核保有国との間に信頼関係がなければ、核廃絶は始まらない」という加藤さんの指摘を紹介。 「そんな信頼関係などあるものかと笑いを浮かべた人もいるでしょう。例えば北朝鮮との間に。でも私は日本としてのやり方はあると思う。私たちが不戦の憲法を守り通す態度を貫くなら、信頼を作り出す大きな条件となるのではないか」と語った。


 ・・・・・頭が痛くなり、力が抜ける内容である。
 日本はこれまで改憲も、それこそ戦争もしていないにもかかわらず、北朝鮮は我が国民を拉致し、ミサイルを撃ち、終いには核実験を行い、軍事圧力をかけてきているのが実態。
 9条の会は、是非、北朝鮮に行って、彼らを説得してもらいたいものである。

 北朝鮮つながりでいけば、本日、以下のような決議文を作成し、柏崎市議会として決議できないか、と全会派にお願いの投げかけをさせてもらった。


北朝鮮の核実験・ミサイル発射に関する抗議決議

 北朝鮮は去る平成21年5月25日、2回目の核実験を強行した。
これは、北朝鮮の核実験を禁じた国連安保理決議1718への明白な違反のみならず、2005年の6カ国協議共同声明、さらには2002年の日朝平壌宣言にも反している行為であり、到底容認できるものではない。
 この度重なる核実験はNPT体制に対する重大な挑戦であり、米国、韓国はもとより、中国、ロシアも同様に北朝鮮を非難している。
 今日までの相次ぐミサイル発射と並び、我が国の安全保障、北東アジア及び国際社会の平和と安定を脅かすものである。
 よって、柏崎市議会は、直ちに実験に関する施設の放棄を求めるとともに、北朝鮮の暴挙に強く抗議し、断固として非難する。

以上、決議する。
平成21年6月 日
柏崎市議会


 来週、議会初日である平成21年6月8日の議会運営委員会での協議され、全会派の一致をみれば、議会運営委員長名の発議となり、本会議にあがって全会一致となる。議会運営委員会で、一会派でも反対があるようなら、本会議での採決となり、賛否を問う。
 国会においても全会一致であったように、柏崎市議会でも全会一致を願うところである。

2009年6月 3日 (水)

「天地人」をダシに自衛隊批判
『新潟日報』の怪

 仕事が終わらないのと、祖母の世話があり、5時過ぎから仮眠。

 7時、起床。大粒納豆、鰺の南蛮漬け、たまご豆腐でご飯2杯の朝食をとる。

 午前中は次の議会の議案や審査に必要な資料集めと読み込み。母がいないため、定期的に祖母の様子を見に行く。

 12時、冷凍うどん、白海老の天ぷら、挽き割り納豆の天ぷらで作った天ぷらうどんで昼食。祖母の分は、つゆに片栗粉を入れ、麺を刻んだ。

 13時、事務所に来客。再就職に関わる相談であり、条件やできることなど話を聞く。

 15時から17時過ぎまで、事務所にてメールの返信などを事務仕事を行う。

 19時、事務所に戻ったところで来客。その後、焼酎を飲みながらの懇談となった。飲みながら、カニかまとキュウリのマヨネーズ和え、鯛の刺身、ひきわり納豆汁を夕食がてら食べる。

 22時、某懇親会の2次会をやっているとのことでお呼びがあり、某店に顔だけだすつもりが、市政に関わる話が盛り上がり、2時間ほど飲むことになってしまった。
 「粉飾決算した会社を会田市長は支援すると新聞には書いてあったが・・・」という話が発火スタートであった。

 24時、帰宅。

 先日、『新潟日報』を読んでいたところ、いきなりこんな記事が大きく掲載されていた。


平成21年5月22日『新潟日報』

 「天地人」で人気の坂戸山
 陸自26日に行進訓練

 
南魚沼 住民、登山渋滞など懸念

 陸上自衛隊高田駐屯地(上越市)の隊員約七十人が二十六日に、大河ドラマ「天地人」人気でにぎわう坂戸山(六三四メートル、南魚沼市)で、行進訓練をすることが二十一日、分かった。県外客も多く訪れる名所とあって、地元の一部住民からは、込み合うことによる安全面の懸念や「観光地のイメージが壊れないか心配」などの声が上がっている。
 関係者の話によると、訓練は午前八時に同市の八海山麓サイクリングターミナルを徒歩で出発。坂戸山に登頂し、午後四時までに終了する。高田駐屯地はこれまでも妙高市の関山などで同様の訓練をしている。
 坂戸山は戦国武将・直江兼続ゆかりの地で、連日大勢の観光客が詰め掛けている。登山ルートはいくつかあるものの、訓練が行われれば「〝登山渋滞″が発生するのでないか」との指摘や、何も知らない来訪者の安全確保を心配する声もある。
 高田駐屯地は、南魚沼市などを担当エリアとする部隊が、地域の地理特性を理解するための行進訓練だと説明した上で「地元にも周知しており、安全面は問題ない」としている。


 平日に70人の自衛隊隊員が登山訓練するからといって、観光地のイメージがうんぬんと何を書いているのだ、と思った翌日、こんな記事が掲載された。


平成21年5月23日『新潟日報』

陸自坂戸山訓練
中止申し入れを
  共産県委、県に要請

 陸上自衛隊高田駐屯地の隊員約七十人が二十六日に、南魚沼市の坂戸山で行進訓練を実施することについて、共産党県委員会(小日向昭一委員長)は二十二日、県に対し、地元住民の安全確保が不十分だとして、自衛隊に訓練の中止を申し入れるよう要請した。
 申し入れ書では、小銃を携帯した部隊の訓練で、住民の安全上の配慮が不十分だと指摘。「県民の安全確保に責任がある県の立場から、自衛隊に訓練の中止を申し入れてはしい」と求めている。
 申し入れ書を受け取った県市町村課の担当者は「地元自治体の意向を尊重したい」と述べるにとどまった。
 坂戸山は、大河ドラマ「天地人」の主人公で戦国武将・直江兼続ゆかりの地として、連日観光客でにぎわっている。


 ・・・報道翌日に、共産党が新潟県に申し入れとは、話が出来すぎている。完全に決め打ちの自衛隊批判と疑われても仕方がない。
 しかも訓練終了後には、さらにこんな記事を掲載し、問題だったかのように扱っている。


平成21年5月27日『新潟日報』

 陸自登山訓練
 混乱なく終了
     南魚沼・坂戸山

 陸上自衛隊高田駐屯地(上越市)の隊員約七十人が二十六日、南魚沼市の坂戸山(六三四メートル)で登山訓練を実施した。
NHK大河ドラマ「天地人」放映で、多くの人が訪れる観光名所での訓練だったが、特に混乱はなかった。
 隊員は小銃を携帯しない軽装姿。一般登山客の安全に配慮し、四つの分隊に分かれ、時間を空けて出発、登山道の渋滞などは起きなかった。
 一部住民が、登山道渋滞などに懸念を示し、共産党県委員会が、安全確保が不十分だとして、自衛隊に中止を申し入れるよう県に要請していた。


 つまるところ、人気である『天地人』を利用し、共産党と一緒になった自衛隊批判であったのである。
 『新潟日報』はいつから『赤旗』と同じ主張になったのであろうか・・・・。

2009年6月 2日 (火)

日本会議柏崎支部請願
国体を機に、議場に市旗・国旗掲揚

 依頼されていた原稿を仕上げ、3時に就寝。

 6時、起床。原稿の推敲をしたのち、熱いシャワーを浴びる。

 7時、大粒納豆、鮭の塩焼き、蕗の煮物、カクテギでご飯2杯の朝食をとる。

 午前中は事務所で自分のブログや掲示板への書き込みなど、目先の仕事を片付ける。

 12時、冷やご飯、茄子と茗荷の味噌汁、生卵、干し納豆でおじやを作り、祖母にも食べさせつつ、昼食をとる。

Cimg0352  13時から17時まで、米山台保育園、米山保育園、西部保育園をはじめ、食育に関する講演会のポスターやチラシの配布をしつつ、一般質問のための情報収集。
 途中、笠島海水浴場に寄り、「かさしま小唄」の碑を確認する。

「かさしま小唄」
 作詞:森田芳広 作曲:小島英治

かさしま良いとこ 名所とこ
渚 七浦 しまの蔭
米山さんまで 水かがみ
ネェホンニ よいとこ 名所どこ

かさしま良いとこ 幸どころ
海に お山に 田に 畑に
つきぬ 不断の幸の華
ネェホンニ よいとこ 幸どこ

かさしま良いとこ 平和どこ
沖は 荒波たつ しぶき
村は 凪だよ 千代 八千代
ネェホンニ 良いとこ 平和どこ

 また、西部保育園に寄ったついでに、大東亜戦争慰霊碑が中越沖地震後に直っているのかどうかを確認する。

 その後、市役所での資料整理や議案の読み込みなどをし、19時過ぎ、自宅に戻る。

Cimg0361

 20時30分、自家製餃子を羽なしで、一番絞り胡麻油で半分揚げ餃子気味に焼いたものと、ビール500ml三缶、ひきわり納豆汁で夕食をとる。
 カリっとした熱々の餃子に、ビールが良く合う。
 食後は、事務所にこもり、原稿書き。催促の電話もあったが、推敲に納得がいかず、書いては直しの連続である。

081125_sisho 今日、日本会議柏崎支部より、議場に市旗と国旗を掲揚する請願が提出されるとのことで、紹介議員となった。
 同様の請願は昨年末の平成20年第5回定例会でも提出されたが、否決されている。
 否決した議員のなかには、保守政党であるはずの自民党(高柳支部、西山支部)所属の議員もおり、市長選後であること気遣ってなのか、社民・共産と一緒になって反対をした。
flag そしてモラルや伝統を大切にする某教育団体の支持を受けている議員においては、「議論する時間がない」「勉強させてほしい」などとの理由をつけ、反対討論を行ったが、今年に入ってからの平成21年第2回定例会においても、自ら議員発案することもなく、勉強会の開催も聞いていない。反対のための方便であったと言われても仕方ないであろう。
 09トキめき新潟国体も目前に迫ってきており、請願にもあるようにタイミングとしては、ここを逃してはならないと思われる。
 国旗や市旗の重要性を捨て、議会内の政治力学を優先することがないよう、少なくとも自民党の党籍をもつ旧西山町・旧高柳町の議員には賛成してもらいたいものである(思想信条をとるのか、社民系とともに市長与党という利権をとるのかである)。
 現在の柏崎市には、自民党の支部が柏崎支部、西山支部、高柳支部の3つが存在する。そのうち、西山支部、高柳支部の議員が社民系と一緒になって会田市長を支援し、外から見た目では保守層も応援した、ということになっている。


                      平成21年6月2日
柏崎市議会議長 霜田 彰殿

                請願者  日本会議柏崎支部
                      支部長 西川 勉

国体開催を機に、市議会議場に市旗・国旗の掲揚を求める請願

 昨年、平成20年第5回定例会に「市議会議場に市旗・国旗の掲揚を求める請願」を提出し、不採択となりました。その際、反対理由として、「緊急性がない」、「意見交換の時間がほしい」等が挙げられておりました。しかし、先の請願から半年が経過し、柏崎市民、そして新潟県民が一丸となって行うにいがたトキめき国民体育大会の開催が間近となった現在、いまだ市議会議場に市旗・国旗の掲揚されていないことに鑑み、請願するものです。

 平成11年8月13日に施行された「国旗及び国歌に関する法律」により、それまで慣習法として定着してきた「日の丸」も改めて国旗であると法律として定められました。自国の国旗に敬意と誇りを持つことはすでに世界の常識でもあり、お互いの国旗を尊重し合う地域環境づくりがいまや望まれております。
国旗は自国を象徴するものであり、国家にとって重要なものとして、国民の意識と生活に根付いています。日本でも文化的行事および国際的行事の際には国旗が掲揚される上、先のWBC(ワールド・ベースボール・クラシック)や北京オリンピックをはじめ、国際的なスポーツ大会の場においては、「日の丸」の旗を振って日本を応援してきました。
 このように国旗「日の丸」は、日本人にとって自然かつ身近なものとして既に定着しております。
 
 また当市でも3種目の競技が開催される国民体育大会は、戦後の混乱期の中で国民に希望と勇気を与えるため、GHQ占領下であった昭和21年、戦災を免れた京都市を中心とした京阪神地方で初めて開催され、選手が食料を持参してまで参加したものです。 そして、占領下においても日本の国旗たる「日の丸」が掲揚されたという歴史をもちます。以来、毎年各県持ち回りで開催され、地域の振興にも一役を担ってきました。当然のことながら、開会式では国旗の掲揚、国歌斉唱があり、開催前に市民の代表で構成される市議会議場においても、国旗の掲揚を行うべきとするものです。

 同時に、より多くの柏崎市民に柏崎という郷土に誇りをもってもらうためにも、昭和25年7月に制定した市章を入れた市旗を、市民の代表で構成される議会の議場に掲揚することが重要と考えます。
 
 本市の公共の場において、すでに定着している国旗掲揚、それに伴う市旗の掲揚を、本市政執行部と市議会議員が一堂に会する議場において、にいがたトキめき国民体育大会の当市での開催前までに、速やかに実施されることを願います。

<請願事項>

国体開催を機に、速やかに柏崎市議会の議場に市旗、国旗を掲揚すること。

                                  以 上

2009年6月 1日 (月)

食育で、こどもと学校を変えた!

 1時、就寝。

 6時、起床。大粒納豆と生卵、野沢菜でご飯をかっ込み、愛車で新潟市に移動する。

 8時30分から10時まで新潟市内某社で打ち合わせ。会議室にもネット環境が揃っているため、打ち合わせをしながらも雑用をこなす。

090630_bira_2

 12時、柏崎まで戻り、柏崎エネルギーホールのロビーにて、柏崎市倫理法人会の打ち合わせに出席。
 平成21年6月30日に、長野県上田市の元教育委員長である大塚貢氏をお迎えして、講演会を実施するため、その周知(チラシ・ポスターの掲示や配布)についての調整である。

チラシ「健康応援講演会」(pdf形式)

 長野県上田市では、非行・犯罪ゼロ、いじめもゼロ、そして全国平均より抜きん出て学力が高いという。以前は、非行や犯罪もあったが、「授業改善、米飯給食、花づくり」によって子どもたちの心身を甦らせ、現在の状況を作った。その根本たるところの食育についてお聞きする企画であり、できれば子供も持つ親御さんに周知したいところである。

Cimg0310 ポスターやチラシの配分を決めたのち、13時、出席メンバー有志4名で、仮店舗での営業という「盛来軒」(電話:0257-22-2181)に移動。旧店舗に駐車するまでが手間であったが、広々とした駐車場があり楽である。
 王道は「ラーメン定食 840円」であるが、今までに見たことがない「魚粉」という文字があったので、「岩のりラーメン 830円」に「魚粉 50円」、そして「大盛り +100円」にして注文。思いもかけぬ大きさの丼で出てきたが、安定した感のある懐かしい味わいのラーメンであった。

090606_bira_6 13時30分から請願関係の署名やチラシの配布などで市内まわり。
 今週末の平成21年6月6日に開催する講演会「あの日を忘れない・・・・・」の問い合わせも頂いていたので、チラシをもって何軒か伺う。
 自民党・長島忠美衆議院議員による講演「いのちとふるさとを守るために」、<タフ・ネゴシエーター>自民党・中山恭子参議院議員による講演「中央アジア・北朝鮮そして日本」という、かなり濃い内容であり、先着450名の予定が、早くも定員ギリギリまで申し込みが集まったような状況である。
 政治的なチラシや周知のあとは、食育に関するチラシとポスターを中鯖石保育園、南鯖石保育園、高柳保育園、北鯖石保育園、ワークプラザ柏崎などに届け、掲示をお願いする。

 18時、事務所に戻り、事務仕事。

Dsc00138  19時30分、鯖の竜田揚げ、スーパーで半額になっていた柏崎の地物ハチメ(メバル)の刺身、納豆汁で夕食をとる。ハチメは今が旬であり、半額になっていたとはいえ、歯ごたえ、旨味十分であった。
 食後から再度、事務所にこもり、事務仕事を行う。

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