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2009年6月18日 (木)

「アノソ節」への熱い想い
ロシア観光雑誌に松田伝十郎

 2時、就寝。

 7時、起床。大粒納豆、トビウオの刺身、ふきの煮物でご飯2杯の朝食をとる。

 9時、事務所に来客。就業の事などの相談を受ける。

 10時過ぎから市内某氏宅に伺い、貴重な柏崎の文化に関わる資料を頂戴する。

 新潟県内の観光スポットの取材のため、ロシアから来日している旅行雑誌スタッフメンバーから柏崎の秘史に関する問い合わせがあったため、 「樺太発見」米山町の松田伝十郎の碑をご案内するとともに、米山町の町内会長さんに対応をお願いした。
 ロシア側からみれば複雑な思いもあろうが、是非、ロシア国内に紹介してほしいものである。

Dsc00153  12時、自宅に戻ったところで来客。
 とりあえず昨夜の残りものと、冷蔵庫の奥底に眠っていた越後もち豚のもも肉スライスとおろし生姜、干し納豆パウダー、本みりん、薄口醤油、魚醤で作った、豚の魚醤しょうが焼きで昼食を一緒にとる。

 13時から市内某所でイベントに関するアイデア会議に出席。
 柏崎市全体として、イベントが重なることが多く、せっかくの観光資源になりうるイベントも実力をだせずにいるのが実態。天候に関係なく、しかも冬の荒海を使えるイベントをなんとか形にしたいものである。

 17時、一旦、自宅に戻り、資料の整理やブログ、メールを書く。

 19時、明日の議会最終日での対応を含めた意見調整のため、市内某所で打ち合わせ。

 先日の私の一般質問をお聞きなってくれたご年配の方と偶然出会うことができ、

「是非、 『アノソ節』を蘇らせてほしい」

との熱いご意見を頂戴した。
 一般質問のなかでも触れたが、民謡、新民謡のなかに柏崎らしい風土が刻みこまれていることを考えれば、柏崎が近代化によって何を得て、何を忘れてしまったのか、がよく分かるはずである。
 会田市長は「知らないから・・・」という答弁をしたが、我々が知らないからこそ消える前に残すことが重要であって、柏崎とはどんなまちなのか後世に伝えるには必須の事業であろう。
 実際に激動の昭和を生きた方が、 「アノソ節」についてどう思われているのか、山田博さんが平成6年10月10日に自費出版された『漂泊の日々~回想と瞑想と』のなかから、以下に引用したい。


忘れ去られたアノソ節

 私がまだ幼い頃正確に言えば六十年くらいも前になるのかもしれないが、柏崎小歌(*原文ママ)とアノソ節が出来てレコードに吹き込まれたことがあった。それは恐らく昭和の七~八年頃ではなかったろうか。今から見ればとてものどかな、あの破局的な戦争に突入する前の、束の間の平穏の中に生まれた幻でさえあったと懐かしむ。

 浜の松原砂山行けば 裾に絡まるぐみの枝
   ほろろこぼれる ほろろこぼれる 実の赤さ

 浜は荒涼として砂丘だった。そして人影さえも殆どない辺り一面にぐみの林がつづいていた。この林が私達の戦争ゴッコの格好な遊び場であったことは、何かの序に確かに触れた記憶はあるのだが、この歌を誰が作ったのかは知らない。この歌には言い知れぬロマンチックな味わいがあるのだ。例えば

 人の心とエンマのちまき きりりと結んだ程が良い
   中にや香も有る 中にや香も有る味もある
 あのそこのそで今日の日も暮れる 暮れてみにし浜風も
   何故か親しい 何故か親しいかしわざき

 不思議な事にこの歌を唄う人が殆ど居なくなったのは何故なのだろうか。考えてみると歌が生まれた土壌、つまり風土が悲しいことに今の人々に無縁なものになってしまっているからなのではあるまいか。あのぐみ林を知らない人が何で情感を込めることが出来ようか。つまり追体験するとは単純に昔有ったことを忠実に追ってみることであるに過ぎない。それは例えて言えば冷たい理性が「冷静」に再構成した、事実には極めて近いが飽くまでも事実に似せた味わいのない全く別のものだからであろう。つまり異質であると言うことは、互いに関係がないと言うことになるであろうし、したがって無縁同志なのである。
 もしそうなら、年老いた私達は若い人達と所詮交わる事の出来ぬ別の世界に住む人間だと言って良いのかもしれない。
 このようにして時は移り行くものであるにしても、そこには去り行くものの、あるいは滅び行くものの、哀れさと美しさとが複雑に絡み合って漂っている。そして思い出したように私は密かにこの歌を口ずさむ。もうずっと遠くに消えていった、この町の私達だけしか知っていない素朴な味わいにほろ酔うのだ。

 石油工場のポーがなる 山は霞みの 山は霞みのうす化粧……

だがそれにしても、人は何故にこの歌を忘れ去ってしまうのであろうか。
 1992.7.1記

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