現地時間1時(日本時間:2時、以下、現地時間)、ホテルも戻って、熱いシャワーを浴び、3時に就寝。
7時、起床。朝からやっている屋台などで朝食を食べようと思ったが、昨日からの食べ過ぎを考え、ホテル近くのコンビニで買った大きいパッケージの飲むヨーグルト?で朝食をとる。濃い乳脂肪と甘い味がついていたので、カロリーを確認したところ、100mlあたり83kcal。900mlを一気に飲み干したので、約750kcalの朝食である。
8時、管内電話で魚沼市の五十嵐茂明氏、南魚沼市の桑原圭美議員を強引に誘い、朝の台北市内を散策。
名物?であるスクーターの大量移動をはじめ、台湾総督府や国立劇場、そして太極拳や体操をする台湾の人々の毎朝の風景を見てまわる。
9時40分、二二八記念館の開館を待つため、しばらく二二八紀念公園内で休憩していると、早稲田大学卒業という83歳の日本語が堪能なご老人が話しかけてこられた。戦後、日本やタイでの縫製事業が成功され、いまは悠々自適の隠居の身であり、毎日、二二八紀念公園内に来て、日本人が来るのを待っているという。ポケットには日本語のパンフレットがはいっており、日本語で会話し、日本人の若い世代と話をするのが楽しみということで、約30分ほど話し込んでしまった。
10時20分、東京都国分寺市議会の副議長・木村徳議員とも合流し、4人で二二八紀念館に入る。
蒋介石が台湾に逃げてきたことにより、文化程度の低い国民党軍が、日本統治時代に高等教育を受けた台湾人を治めることになって、起こった悲劇が二・二八事件である。
ご案内してくれたのは、元・大日本帝国陸軍の軍人であり、いまでも自分は日本人だと言う蕭錦文さん(1926年生まれ、記録映画『台湾人生』にも出演)。
「日本が侵略戦争をしたなんていう日本人がいることが許せない。白人の植民地になるかならないかの戦争だった。1940年には米軍は台湾市内の航空写真を撮り、戦争の準備をしている。」
「敗戦と同時に、日本籍から敵国である支那籍になったのが一番悲しかった。泣きましたよ。」
「台湾人で日本人として戦った我々には恩給はない。金がほしいとかそういう事ではない。できれば日本の政府から『お疲れ様でした』の言葉がほしい、それだけです・・・・・」
と熱く、涙ながらにお話しになっていた。
またビルマ派遣軍、第15師団(祭兵団)として、インパール作戦にも参加され、散った戦友のことを今でも覚えているという。
それならと、昨年インパール作戦で散華された方の慰霊に行ってきたとお話したところ、
「お酒とか、食べ物は置いてくれましたか」
「はい、日本のお酒や水をお供えして、毎回『海ゆかば』を歌って、慰霊祭をしてきました。」
「そうですか・・・・ありがとう、ありがとう」
と涙を浮かべておられた。
その後一通り、日本統治時代までの展示パネルをご説明してもらったところ、そのなかに1935年の台湾での選挙風景の写真があった。 「民主主義は戦後、アメリカによってもたらされた」という日教組教育がいかに嘘であるかを証明する写真である。
投票所の前には大きな日の丸、そして両脇には
「小さな一票 大きな使命」
「義理は禁物 人物本位」
と書かれていた。現在でも通じる標である。
他にも日本人の訪問者がいるとのことで、合流してみれば柏崎出身の某氏であった。偶然とは恐ろしい。
午後の日程があるため、日本統治時代までの説明が終わったところで急いでホテルに戻り、12時過ぎ、台湾団結連盟の李さんから障害をもつ魚沼市の五十嵐茂昭氏、東京都東久留米市議会の宮川豊史議員とともに、車で淡水まで、送ってもらう。
昼食をとっていなかったので、ホテル横の「就愛潤餅 漢口店」(電話:02-2331-5436)で買った「飄香滷肉捲 45元」と「アイスミルクティー 25元」で昼食をとる。
13時30分、淡水の街中に早めに着いてしまい、他のメンバーが渋滞などで遅れているため、五十嵐茂昭氏とともに街中の車イスへの対応などバリアフリーの取り組みを見てまわろうと、しばらく散策。
さすが観光地だけあって、縁日、お祭りのような雰囲気になっており、BB弾で風船を割る射的もあった。10発40元ということだったので、20発撃たせてもらったところ、18発命中で最高ランク。ウルトラマンティガ・パワータイプのビニール人形を景品にもらった。
射的が終わったあとも多少の時間があったので、魚介類の専門店に入り、「加拿大生[虫豪] 200元」と書かれた生牡蠣を注文。10分待ってくださいといったジェスチャーがお店のお姉さんからあったが、結局20分近く待ち、やっと2つの大きな生牡蠣(20cm級)がテーブルの上に届いた。生牡蠣の上に氷が乗り、特製の味噌だれと練りわさび、ライムが添えられていたので、1個はライムを絞り、もう1個は練りわさびを溶いた特製味噌だれで食べる。新鮮な牡蠣だったため、ライムだけが正解であった。これで日本円で約600円とは安い。
14時30分、電車とタクシーを乗り継いできたメンバーと合流し、台湾で唯一の障害者団体である「台北市行無礙資源推廣協會」(2004年から活動し、組織化は2009年10月からで、政府からの補助は初年のみ)を訪問。
話に入る前に、台北市内ではまだ2か所しかないという車イス用の昇降機、トイレを魚沼市の五十嵐茂明氏とともに体験させてもらった。日本のバリアフリーへの取り組みに比べれば、多少物足りない気もするが、日本のように行政が設置するのではなく、あくまで障害者団体から提案を行ってから、設置を検討するスタイルだという。
訪問したのが大人数だったため、近くの喫茶店にて、許幹事長からパワーポイントを使ったプレゼンテーションで説明を受ける。許幹事長ご自身も電動車イスを使う障害者であるが、バイクで各地を飛び回る活動派である。
・2009年の台湾における、65歳以上の人口は10.6%の244万7926人、障害をもつ人口は15.19%の106万804人で共に上昇傾向にある。
・まずは台湾国内外からの観光客が多い淡水のバリアフリーに取り組んでいる。淡水市内には4000人の障害者が住む。
台湾でのバリアフリーへの取り組みは、日本の場合と違い、インターネットがすでに十分確立された段階からはじまっているため、その進め方にもインターネットが活用されていた。もちろん、インターネットを使えない世代もいるため、『WILL』という雑誌も発行している。
日本の政治機構と違い、地方自治体での裁量がまだ小さいため、地方独自での整備は難しく、通行用の道路も基本的に個人所有の土地なのでなかなか段差の無い道路にも変わらないとのこと。
今後、是非、日本、そして我が柏崎にも訪問してもらい、障害をもつ方にもやさしい観光地のまちづくりをするため、共に情報交換、交流をしていこうというお話させてもらった。
16時過ぎ、現地で一旦解散となったので、再度、介類の専門店に入り、今度は「蒸蟹 100元」を注文し、食べてみた。ワタリガニのような蟹で、茹でたのではなく蒸したからか、身の量は少ないものの、味わい深く、内子のあまりの味の濃厚さに驚く。蟹味噌が苦手という某議員の分ももらって食べてしまった。
その後も周辺を散策。日本では失われた昭和世代を懐かしむ意味で再現した駄菓子屋がはやっているが、台湾においてもそのようで、かなりドギツイ色合いの安いゼリーやウェハース、梅やアンズの練り飴などの駄菓子、手作り飛行機セットなどの簡単な懐かしいおもちゃが売っている、当時を再現した駄菓子屋が何軒かあった。どのお店も若者であふれていた。
道沿いには、先ほど試したような射的屋に加え、輪投げ、ダーツ、スマートボールなどのアナログ的なお店が並んでおり、ところどころにあるゲームセンターよりも人があふれていた。一応、ゲームセンターも確認しようと、なかに入ってみると、雰囲気はまさに昭和のゲームセンター。ややパチものの香りがするウルトラマンの乗り物を見つけたので、思わず撮影してしまった。
18時、小さなお店が多くある商店街を歩いていると、こちらが日本人と分かったからなのか、台湾人の世話焼きおばさんといった3人組が話しかけてこられ、「このお店は美味しいの、食べてみなさい」とお店「香港梁記焼肉店」(電話:02-2621-5627)を紹介された。せっかくなので、一緒に歩いていた4名で食べることにし、「蜜汁叉焼飯 65元」を購入。
温かいうちに食べようと、淡水駅の近くのベンチに座り、4人で食べる。ジューシーな豚肉はもとより、付け合わせの野菜炒め、漬物も美味い。
食べている最中、空にやたら煙がでているのが見えたので、煙の方向に移動してみると、時間があったら乗ろうと言っていた、観光遊覧船が炎上。数分後にはサイレンが鳴り響き、パトカーや救急車、消防車が到着した。ちょっと時間がズレていれば、あの炎の中であった。
18時30分、地下鉄で淡水駅から台北駅まで移動。台北駅で車イス用のゲートやエレベータを探すのに手間取っていたところ、台北は初めてという台中から来たという中年男性が親切に話しかけてくれ、外にでることできた。
一旦、ホテルの部屋に戻り、着替えたのち、タクシーで移動。
20時過ぎ、台湾のレトロ居酒屋として、家庭料理をだすお店「阿才的店」(電話:02-2356-9108)にて、夕食を兼ねた打ち上げを行う。
かつて台湾独立派が秘密裏に集い、蒋介石政権に対し、どういった政治活動を行うのか話し合っていたそうで、当時の雰囲気そのままであることが素晴らしい。料理も台湾家庭料理らしく、檳榔の茎のサラダや味付け落花生をはじめ濃い目の味付けでビールよりはご飯に合う。
22時30分、お店をでて、しばらく歩いて台北市内の夜のまちを散策。屋台で美味しそうに食事をとる台湾の人を見る度に、どんな味がするのか気になり、自分が満腹になっていることをもどかしく感じる。
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