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2010年1月

2010年1月31日 (日)

おもちゃドクター養成講座

 1時、就寝。あまりの高熱に途中、何度か起きて、飲み物を飲む。

 8時、起床。大粒納豆、野菜炒め、コーンスープでご飯2杯の朝食をとる。熱は変わらず38度であり、やはりフワフワした感覚である。

Cimg2320 9時30分、柏崎市社会福祉協議会に移動し、柏崎市おもちゃドクター連絡会主催のおもちゃドクター養成講座に参加する。
 本来であれば、昨日の座学も受講しておくべきであったが、今回は実習から参加させてもらった。
 午前中は、接着剤や電池の選択、コンデンサ、トランジスタのことなどの基本を学習し、1.5Vから9Vまで対応の電池ボックスを作成した。

 12時、一旦、休憩となったので、市内での所用をすませる。人に風邪をうつしてはいけないと思い、マスクをし、極力、咳きこまないようにしていたが、またもや咳きこむことが多くなった。

Cimg2322 13時、会場に戻り、午後からの講義に出席。
 防犯ベルを活用したスピーカーテスターを作成したり、プラレールのギアボックス(Sシリーズ、Tシリーズ、TTシリーズ)の修理方法などを習う。
 15時40分に講義が終了し、修了証を頂いた。今後、ボランティアで手伝えるときには、おもちゃの修理をしたい。

 16時過ぎ、事務所に戻り、郵便物やFAXなどを処理。

 18時、豚のしょうが焼、おろし生姜を入れたひきわり納豆汁、ご飯2杯で夕食をとり、その後、ベットに入り込む。
 昨日、テレビ放送され、録画しておいた「ハッピーフライト」を見ながら寝ようと思うも、結局、最後まで集中して見てしまった。

 どうしても仕事が気になり、22時から事務所で事務仕事を行う。

2010年1月30日 (土)

民主党・子ども手当は集票目的

 3時、就寝。

 7時、起床。大粒納豆、粗挽きウインナー、山芋とろろでご飯2杯の朝食をとる。

 事務仕事をしたのち、10時から弔問。

 12時、一旦、自宅に戻り、冷凍うどん2玉とひきわり納豆で作った釜玉うどんで昼食をとる。

 午後から日本青年会議所北陸信越地区新潟ブロック協議会自民党新潟県連青年局の集会に出席予定であったが、14時からの弔問のため、欠席。

 18時から市内某店での新年会に出席し、1時間ほどで中座させてもらう。咳が止まらず、鼻水もすごいため、帰宅。

 19時、どうも体がフワフワすると思ったら、熱が38度1分もあった。あわてて、解熱剤を飲んで、仮眠。

 23時、ミルフィーユ形式で豚もも肉の薄切りで作ったトンカツ、エリンギのバター焼き、ひきわり納豆汁、ご飯2杯で夕食をとる。

 民主党の目玉政策でもある子ども手当。初年度の実現も難しいといわれているが、本当に苦しんでいる両親がいない子供には支給されないことが分かった。
 税金を配ることで、親の票を買うための政策と言われても仕方がない。


平成22年1月22日『産経新聞』

両親いない子は子ども手当の対象外に
10年度

 両親がいないために児童養護施設などに入っている子どもに対し、「子ども手当」を支給する予算措置がとられていないことが分かった。厚生労働省が22日開いた与党議員を集めた政策会議で明らかになった。山井和則厚労政務官は会議後、記者団に対して「手当相当分を支給する方法を検討する」と説明した。ただ、財源確保は簡単ではなく、2010年度は支給されない可能性もある。
 6月から支給される10年度の子ども手当は、中学卒業までの子ども1人あたり月1万3000円。現行の児童手当は両親がおらず、施設に入っている子どもには支給されていない。すでに施設で福祉サービスを受けているというのが理由で、子ども手当も児童手当にならって厚労省は制度を設計した。
 対象外の子どもは全国で約5000人で、仮に同額を全員に支給するなら必要な財源は6億5000万円に上る。厚労省は「10年度は暫定措置。11年度から支給できるよう検討する」と話している。民主党は子ども手当を「すべての子どもに支給する」とうたっていた。

2010年1月29日 (金)

民主党・小沢一郎幹事長
投機目的か?辺野古での土地購入

 議事録や資料を作成し、5時に就寝。

 8時、起床。大粒納豆、鶏肉と根菜の煮物、生卵でご飯2杯の朝食をとる。

 さっと雪かきをした9時過ぎ、11時と事務所に来客。なかなか柏崎になかった商売の相談であり、今後、賛同者を探して、失敗覚悟で取り組んでみようということになった。

 12時過ぎ、冷凍うどん2玉を釜茹でにし、台湾で蔡焜燦先生から頂いた「甜酒豆腐乳」をアクセントにつかったタレで食べる。

 13時から事務所で事務仕事。

 15時、17時、19時と事務所に来客があり、台湾の話や民主党のいい加減さなどを意見交換する。

 21時30分、市内の某寿司店で懇親会。

 23時過ぎに帰宅し、熱いシャワーを浴びる。

 なぜ政治団体で土地を購入する必要があるのか、という根本的問題が残る民主党・小沢一郎幹事長の政治資金問題。今度は、沖縄の米軍基地移転に伴う「政治と金」問題が発覚した。なんと、民主党・小沢一郎幹事長が、辺野古周辺の土地を1500坪、平成17年に購入していたという。
 米軍普天間飛行場の移転について、これまでの経緯は以下の通り。

平成 9年11月 政府が米海兵隊キャンプ・シュワブ(名護市辺野古)沖への海上ヘリ基地建設案を決定。
平成11年12月 名護市が移設受け入れを表明。政府がキャンプ・シュワブ(名護市辺野古)沖への代替施設建設を閣議決定。
平成16年4月 政府がキャンプ・シュワブ沖で環境影響評価開始。
平成17年10月 日米がキャンプ・シュワブ沿岸部へのL形滑走路建設で合意、地元は反発。
平成18年 4月 政府と名護市普天間移設で基本合意。
平成18年 5月 在日米軍再編で最終合意。島袋吉和名護市長との調整でV形滑走路建設決定。

 基地移転による価値上昇を見込んで、平成17年という絶妙なタイミングに土地を購入している。
 民主党はこれまで自民党の「政治と金」を追及してきたが、民主党自身には自浄作用が無いようである。

2010年1月28日 (木)

民団に屈した千葉県市川市議会
新潟富士ゼロックス製造の再編統合

 3時、就寝。

 7時、起床。大粒納豆、目玉焼き、大根サラダでご飯2杯の朝食をとる。

 8時過ぎ、長岡市に移動。9時から12時過ぎまで、長岡市内の某店にて、打ち合わせを行う。同店でミックスピザ、シーザーサラダ、アイスカフェオレで昼食。

 14時、事務所に戻り、台湾に行っている間に溜まった事務仕事を処理する。
 昨年末から色々と情報が飛び交っていた新潟富士ゼロックス製造(株)の工場について、柏崎市から発表があった。どのような対策を打つのか、次の議会で確認したい。


                     平成22年1月28日
市議会議員各位
                   柏崎市長 会 田  洋

 新潟富士ゼロックス製造(株)の再編統合について(お知らせ)

 本日、富士ゼロックス(株)ら、経営革新の一環として実施する開発・生産機能の再編統合と開発系、生産系新会社の設立に伴い、本市に立地している新潟富士ゼロックス製造(株)が、本年4月1日付で生産系新会社の新潟事業所としてスタートすることが発表されましたのでお知らせいたします。
 この再編統合により、新潟富士ゼロックス製造(株)の工場は、大型プリンターの拠点として存続し、一部従業員の県外への配置転換が生じることとなりました。
 新潟富士ゼロックス製造(株)は、地域を代表する企業の一つであり、この再編統合が、地域経済や雇用情勢に与える影響が懸念されることから、配置転換される従業員の処遇面などへの配慮、諸事情で配置転換に応じられない従業員の雇用確保、協力企業を含めた取引企業への影響の緩和などについて、市として会社に働きかけてまいります。
 新潟富士ゼロックス製造(株)という現地法人が無くなることは、大変残念なことでありますが、新会社の一事業所として工場は存続することから、今後は大型プリンター製造の拠点として発展することを願っています。


 16時、17時、事務所に来客。

 19時過ぎからネット上や電話での会議を約3時間ほど行う。

Cimg2317

 23時30分、ノルウェー産トロ鯖の塩焼き、もやしサラダ、ひきわり納豆、ご飯2杯で夕食をとる。
 食後、熱いシャワーを浴びて、気分転換をしたのち、事務所に戻って、事務仕事を行う。

 全国の地方議会で外国人参政権への反対の声があがっているなか、なんと千葉県市川市議会では、反対の意見書を求める陳情を民団の工作を受けて、棄却したという。 


2010年1月27日『民団新聞』

永住外国人への地方参政権付与「憲法違反」は誤り

市川市議会 反対派の陳情棄却
民団支部の説得が実る

【千葉】千葉県市川市議会は、永住外国人の地方参政権付与に反対する意見書の採択を求めた陳情を20日、本会議で棄却した。出席議員36人のうち、賛成に回った議員はゼロ。付与反対を表明していた自民と民主の4人は退出、票決には加わらなかった。議案は19日の総務常任委員会で採択されていた。
 この日の本会議では付与に消極的な姿勢の議員が、「地方といえども明確に憲法違反」との立場を表明。これに対して、公明党と無所属の両会派議員は、「市川市議会はすでに地方参政権付与を求める意見書を採択している」「これまでにも国会で法案が上程されてきたが、憲法違反であれば、内閣法制局が認めるはずがない」と主張した。
 わずか1日で形勢が逆転した裏には、民団市川支部(朴健市支団長)の果敢な働きかけがあった。同支部役員は、民団中央本部の呂健二運動本部長代行と連携をとり、各議員を訪ねて歩き、陳情趣旨の不当性を説いて回った。これを受けて鈴木啓一(自民党)、戸村節子(公明党)の両議員がいち早く動き、各会派所属議員に「市川市議会で通したら恥」と、棄却に向けた説得工作を展開した。
 本会議当日は、民団と市民団体の関係者10人余りが傍聴に詰めかけた。これが最後の決め手となった。陳情書採択に反対していた議員の一人は、「最後は皆さんがたの傍聴が大きな力になった」と語った。
 朝日新聞の調査によれば、昨年の政権交代以降、47都道府県のうち、14県議会が永住外国人の地方参政権の付与法制化に反対する意見書を可決してきた。このうち、7県はかつて、賛成の意見書を可決している。千葉県議会でも昨年12月22日、反対の意見書を可決した。


 現時点でもこれだけ外国人に工作されているのである。まずは地方での参政権(投票権)といえども、外国人参政権は付与すべきではない。
 ちなみに、記事には内閣法制局うんぬんという意見があったというが、民主党は内閣法制局の憲法解釈権をはく奪するとしている。
 すべてが仕組まれており、工作された市川市議会の自民党籍議員はこの事に気付いていないようである。


平成21年12月10日『産経新聞』

民主党国会改革の内部資料が判明
法制局から「憲法解釈権」剥奪

 民主党政治改革推進本部(本部長・小沢一郎幹事長)が作成した官僚答弁の禁止など国会改革の詳細を記した内部資料が9日、明らかになった。資料は国会法など国会審議活性化関連法案の骨子と想定問答集。想定問答集は、内閣法制局長官について「憲法解釈を確立する権限はない。その任にあるのは内閣だ」とし、自民党政権下で内閣法制局が事実上握ってきた「憲法解釈権」を認めない立場を強調している
 さらに「内閣の付属機関である内閣法制局長官が憲法解釈を含む政府統一見解を示してきたことが問題で、本来権限のある内閣が行えるよう整備するのが目的」と明記した。法制局長官の国会答弁を認めないことを通じ、憲法の解釈権は国会議員の閣僚が過半数を占める内閣が実際上も行使する方針を示したものだ。
 ただし「憲法解釈の変更を目的にして、今回の改正があるわけではない」と、憲法9条の解釈変更への道を開くとして警戒する社民党への配慮も示した。
 法案骨子は(1)国会で答弁する政府特別補佐人から法制局長官を除く(2)内閣府設置法と国家行政組織法を改正し副大臣、政務官の定数を増やす(3)衆参両院の規則を改正し政府参考人制度を廃止(4)国会の委員会に法制局長官を含む行政機関の職員や学識経験者、利害関係者からの意見聴取会を開く-の4点を挙げた。
 民主党政治改革推進本部は9日の役員会で骨子案を大筋で了承した。来週にも与党幹事長会談を開き、合意を得たい考えだ。

2010年1月27日 (水)

台湾視察2010:台湾総督府見学、帰国

 現地時間1時(日本時間:2時、以下、現地時間)過ぎ、ホテルまでタクシーで戻り、近くのコンビニで買い物。熱いシャワーを浴びて、酔いを覚まし、メールや時差のある国との仕事のやりとりを行う。

 5時から7時まで仮眠。昨日の残りのヨーグルトを飲み干して、朝食にし、その後、ホテルの周りを散策する。

Cimg2307 9時、チェックアウトをし、ホテルのロビーに集合。全員で台湾総督府まで歩き、視察させてもらう。
 台湾総督府は、日本統治時代に造られたもので、1919年竣工。上から見ると「日」の文字に見える構造になっており、設計は日本建築士会初代会長でもある、上越市出身の新潟県人・長野宇平治(1867年~1937年)である。無差別爆撃である昭和20年の台北大空襲時には、米軍B24に台湾総督府も爆撃された(親米の蒋介石により、台湾の教科書には記述されず)。

Cimg2235 現在も台湾総統のオフィスで使われており、小銃を装備した憲兵、そして金属探知機が設置されるなど、かなりのセキュリティ対策が行われている。
 管内は撮影禁止。現在の馬政権になってから展示物の入れ替えがあったようで、台湾を日本が侵略したかのような表記もされていた。

<説明パネルより>

「日本は何故台湾を占領したか」

 「馬関条約(下関条約)により、台湾が日本に割譲されたことに関して、台湾人は李鴻章に対して「大臣は国土を譲渡する権力を持っている」といって恨みを抱いてはいるが、日本が早い時点から台湾の占領を企てていたという根本的問題を無視している。
 甲午戦争を策動した伊藤博文や明治時代の日本の多くの指導者達は、幕末に吉田松蔭が創立した「松下村塾」の弟子だった。日本がアメリカに開国させられた二年目の1854年、吉田松蔭は、欧米に対抗するための、重要で軍事的な防波堤とするために、台湾を含む東太平洋弧状列島群を占領すべしと主張している。日本が甲午戦争を引き起こしたのは「韓国の独立を支援する」ためであり、同時に台湾に侵攻するだけの自信は持っていなかった。しかし、日本が平壌、黄海で勝利したため、内閣総理大臣伊藤博文は、大本営に対して「直ちに威海衛を攻め、次いで台湾を略奪すべし」という緊急要請を行った。甲午戦争後、中日の間での平和議定及び三国の遼東半島返還への干渉に対して、日本陸海軍の将校達は激しい議論を行った。陸軍は遼東半島の占領を堅持することで、北進の基地とすることができると主張し、海軍は太平洋覇権の踏み板となすために、台湾を占領すべきであると力説した。結局、遼東半島は中国に返還され、日本は海軍の望み通り台湾を占領することになった。当時の海軍将校の代表は、後に初代台湾総督になる樺山資紀であった。日本の軍隊は馬関条約(下関条約)締結の日に澎湖に侵攻した。それは、台湾割譲が、占領であるという事実を示威するためであった。
 日本の台湾占領は、軍事的な戦略の他に、経済的な動機もあった。1874年に牡丹社事件が起きたとき、アメリカの公使デ・ロングは、日本の外務大臣副島種臣に、台湾には豊富な資源があるといって、台湾を占領するようそそのかしている。1894年に、台湾、澎湖の割譲を主張した大隈重信も、その意見書の中で、台湾の豊富な物産について言及している。1895年に日本の参謀本部が編纂した《台湾誌》においても、台湾は日本の綿布の市場に成り得ると述べている。1892年には、日本の駐福州領事も、「台湾の砂糖は日本の輸入品の中で最も重要なものである。日本に輸入される量は毎年約30万擔(約一万八千トン)で、税関の金額は60-70万両(テール)にも達している。」と指摘している。そのため、新興資本家の代表でもあった《東京経済雑誌》も、日本は台湾の砂糖への依存度が高いことから、台湾を占領すべきだと主張した。」

Cimg2310 台湾総督府の見学を終えた11時30分過ぎ、「大猪猪脚飯・東東牛肉麺」(電話:02-2312-2117)で、「牛肉湯猪脚麺 110NT$」を注文し、昼食。
 よく煮込まれ、余計な脂が抜け、しっかりと味がついた豚足、ブルン、ブルンと口のなかで暴れる麺が心地よい。

 台北駅からバスで桃園空港に向かい、14時30分発の中華航空0018便に搭乗する。14時40分過ぎに離陸。機体はB747-400で、若干早くなり、飛行時間は約2時間15分である。

Cimg2311 15時05分、機内食の案内があり、ビーフライスかチキンパスタの選択だったので、チキンパスタを選択。チキンソースがかかったパスタ(マカロニ・リガーティ)、カニかまと卵のサラダ、パン、バター、ホワイトチョコのかかったケーキという内容で、まだ空腹ではなかったが、出されたものはすべて食べるというポリシーに沿って、すべてを食べた。

 東京都東久留米市の宮川豊史議員と隣席だったので、同じ年ということもあり、小さい頃に見たアニメや特撮番組の話で盛り上がる。

Cimg2314 日本時間18時10分、成田空港に到着。
 入国審査、荷物のピックアップ、税関審査を通り、18時50分、区切りをつけるため、団長である東京都議会の野田数議員からシメの挨拶をしてもらう。
 記念撮影をしたのち、解散。

Cimg2316 19時過ぎ、魚沼市の五十嵐茂明氏、南魚沼市の桑原圭美議員とともに、新潟までの帰路につく。
 湾岸道路、首都高を抜けて、関越自動車道に入り、21時、上里サービスエリアに寄って、「吉野家 上里サービスエリア店」(電話:0495-33-2666)で夕食。「牛丼・並 380円」に「玉子 50円」、「味噌汁 50円」をかっこむ。

 24時、帰宅。

2010年1月26日 (火)

台湾視察2010:二二八紀念館アツイ時間
台北市行無礙資源推廣協會訪問

 現地時間1時(日本時間:2時、以下、現地時間)、ホテルも戻って、熱いシャワーを浴び、3時に就寝。

Cimg2259 7時、起床。朝からやっている屋台などで朝食を食べようと思ったが、昨日からの食べ過ぎを考え、ホテル近くのコンビニで買った大きいパッケージの飲むヨーグルト?で朝食をとる。濃い乳脂肪と甘い味がついていたので、カロリーを確認したところ、100mlあたり83kcal。900mlを一気に飲み干したので、約750kcalの朝食である。

Cimg2234 8時、管内電話で魚沼市の五十嵐茂明氏、南魚沼市の桑原圭美議員を強引に誘い、朝の台北市内を散策。
 名物?であるスクーターの大量移動をはじめ、台湾総督府や国立劇場、そして太極拳や体操をする台湾の人々の毎朝の風景を見てまわる。

 9時40分、二二八記念館の開館を待つため、しばらく二二八紀念公園内で休憩していると、早稲田大学卒業という83歳の日本語が堪能なご老人が話しかけてこられた。戦後、日本やタイでの縫製事業が成功され、いまは悠々自適の隠居の身であり、毎日、二二八紀念公園内に来て、日本人が来るのを待っているという。ポケットには日本語のパンフレットがはいっており、日本語で会話し、日本人の若い世代と話をするのが楽しみということで、約30分ほど話し込んでしまった。

Cimg2237 10時20分、東京都国分寺市議会の副議長・木村徳議員とも合流し、4人で二二八紀念館に入る。
 蒋介石が台湾に逃げてきたことにより、文化程度の低い国民党軍が、日本統治時代に高等教育を受けた台湾人を治めることになって、起こった悲劇が二・二八事件である。
 ご案内してくれたのは、元・大日本帝国陸軍の軍人であり、いまでも自分は日本人だと言う蕭錦文さん(1926年生まれ、記録映画『台湾人生』にも出演)。

 「日本が侵略戦争をしたなんていう日本人がいることが許せない。白人の植民地になるかならないかの戦争だった。1940年には米軍は台湾市内の航空写真を撮り、戦争の準備をしている。」

 「敗戦と同時に、日本籍から敵国である支那籍になったのが一番悲しかった。泣きましたよ。」

 「台湾人で日本人として戦った我々には恩給はない。金がほしいとかそういう事ではない。できれば日本の政府から『お疲れ様でした』の言葉がほしい、それだけです・・・・・」

と熱く、涙ながらにお話しになっていた。
 またビルマ派遣軍、第15師団(祭兵団)として、インパール作戦にも参加され、散った戦友のことを今でも覚えているという。
 それならと、昨年インパール作戦で散華された方の慰霊に行ってきたとお話したところ、

 「お酒とか、食べ物は置いてくれましたか」

 「はい、日本のお酒や水をお供えして、毎回『海ゆかば』を歌って、慰霊祭をしてきました。」

 「そうですか・・・・ありがとう、ありがとう」

と涙を浮かべておられた。

Cimg2238 その後一通り、日本統治時代までの展示パネルをご説明してもらったところ、そのなかに1935年の台湾での選挙風景の写真があった。 「民主主義は戦後、アメリカによってもたらされた」という日教組教育がいかにであるかを証明する写真である。
 投票所の前には大きな日の丸、そして両脇には

 「小さな一票 大きな使命」
 「義理は禁物 人物本位」

と書かれていた。現在でも通じる標である。
 他にも日本人の訪問者がいるとのことで、合流してみれば柏崎出身の某氏であった。偶然とは恐ろしい。

Cimg2262 午後の日程があるため、日本統治時代までの説明が終わったところで急いでホテルに戻り、12時過ぎ、台湾団結連盟の李さんから障害をもつ魚沼市の五十嵐茂昭氏、東京都東久留米市議会の宮川豊史議員とともに、車で淡水まで、送ってもらう。
 昼食をとっていなかったので、ホテル横の「就愛潤餅 漢口店」(電話:02-2331-5436)で買った「飄香滷肉捲 45元」と「アイスミルクティー 25元」で昼食をとる。

Cimg2265 13時30分、淡水の街中に早めに着いてしまい、他のメンバーが渋滞などで遅れているため、五十嵐茂昭氏とともに街中の車イスへの対応などバリアフリーの取り組みを見てまわろうと、しばらく散策。
 さすが観光地だけあって、縁日、お祭りのような雰囲気になっており、BB弾で風船を割る射的もあった。10発40元ということだったので、20発撃たせてもらったところ、18発命中で最高ランク。ウルトラマンティガ・パワータイプのビニール人形を景品にもらった。

Cimg2269 射的が終わったあとも多少の時間があったので、魚介類の専門店に入り、「加拿大生[虫豪] 200元」と書かれた生牡蠣を注文。10分待ってくださいといったジェスチャーがお店のお姉さんからあったが、結局20分近く待ち、やっと2つの大きな生牡蠣(20cm級)がテーブルの上に届いた。生牡蠣の上に氷が乗り、特製の味噌だれと練りわさび、ライムが添えられていたので、1個はライムを絞り、もう1個は練りわさびを溶いた特製味噌だれで食べる。新鮮な牡蠣だったため、ライムだけが正解であった。これで日本円で約600円とは安い。

Cimg2271 14時30分、電車とタクシーを乗り継いできたメンバーと合流し、台湾で唯一の障害者団体である「台北市行無礙資源推廣協會」(2004年から活動し、組織化は2009年10月からで、政府からの補助は初年のみ)を訪問。
 話に入る前に、台北市内ではまだ2か所しかないという車イス用の昇降機、トイレを魚沼市の五十嵐茂明氏とともに体験させてもらった。日本のバリアフリーへの取り組みに比べれば、多少物足りない気もするが、日本のように行政が設置するのではなく、あくまで障害者団体から提案を行ってから、設置を検討するスタイルだという。
Cimg2280 訪問したのが大人数だったため、近くの喫茶店にて、許幹事長からパワーポイントを使ったプレゼンテーションで説明を受ける。許幹事長ご自身も電動車イスを使う障害者であるが、バイクで各地を飛び回る活動派である。

・2009年の台湾における、65歳以上の人口は10.6%の244万7926人、障害をもつ人口は15.19%の106万804人で共に上昇傾向にある。

・まずは台湾国内外からの観光客が多い淡水のバリアフリーに取り組んでいる。淡水市内には4000人の障害者が住む。

Cimg2281 台湾でのバリアフリーへの取り組みは、日本の場合と違い、インターネットがすでに十分確立された段階からはじまっているため、その進め方にもインターネットが活用されていた。もちろん、インターネットを使えない世代もいるため、『WILL』という雑誌も発行している。
 日本の政治機構と違い、地方自治体での裁量がまだ小さいため、地方独自での整備は難しく、通行用の道路も基本的に個人所有の土地なのでなかなか段差の無い道路にも変わらないとのこと。
 今後、是非、日本、そして我が柏崎にも訪問してもらい、障害をもつ方にもやさしい観光地のまちづくりをするため、共に情報交換、交流をしていこうというお話させてもらった。 

Cimg2290 16時過ぎ、現地で一旦解散となったので、再度、介類の専門店に入り、今度は「蒸蟹 100元」を注文し、食べてみた。ワタリガニのような蟹で、茹でたのではなく蒸したからか、身の量は少ないものの、味わい深く、内子のあまりの味の濃厚さに驚く。蟹味噌が苦手という某議員の分ももらって食べてしまった。

Cimg2291 その後も周辺を散策。日本では失われた昭和世代を懐かしむ意味で再現した駄菓子屋がはやっているが、台湾においてもそのようで、かなりドギツイ色合いの安いゼリーやウェハース、梅やアンズの練り飴などの駄菓子、手作り飛行機セットなどの簡単な懐かしいおもちゃが売っている、当時を再現した駄菓子屋が何軒かあった。どのお店も若者であふれていた。

Cimg2293 道沿いには、先ほど試したような射的屋に加え、輪投げ、ダーツ、スマートボールなどのアナログ的なお店が並んでおり、ところどころにあるゲームセンターよりも人があふれていた。一応、ゲームセンターも確認しようと、なかに入ってみると、雰囲気はまさに昭和のゲームセンター。ややパチものの香りがするウルトラマンの乗り物を見つけたので、思わず撮影してしまった。

Cimg2298 18時、小さなお店が多くある商店街を歩いていると、こちらが日本人と分かったからなのか、台湾人の世話焼きおばさんといった3人組が話しかけてこられ、「このお店は美味しいの、食べてみなさい」とお店「香港梁記焼肉店」(電話:02-2621-5627)を紹介された。せっかくなので、一緒に歩いていた4名で食べることにし、「蜜汁叉焼飯 65元」を購入。

Cimg2301 温かいうちに食べようと、淡水駅の近くのベンチに座り、4人で食べる。ジューシーな豚肉はもとより、付け合わせの野菜炒め、漬物も美味い。
 食べている最中、空にやたら煙がでているのが見えたので、煙の方向に移動してみると、時間があったら乗ろうと言っていた、観光遊覧船が炎上。数分後にはサイレンが鳴り響き、パトカーや救急車、消防車が到着した。ちょっと時間がズレていれば、あの炎の中であった。

 18時30分、地下鉄で淡水駅から台北駅まで移動。台北駅で車イス用のゲートやエレベータを探すのに手間取っていたところ、台北は初めてという台中から来たという中年男性が親切に話しかけてくれ、外にでることできた。

Cimg2303 一旦、ホテルの部屋に戻り、着替えたのち、タクシーで移動。
 20時過ぎ、台湾のレトロ居酒屋として、家庭料理をだすお店「阿才的店」(電話:02-2356-9108)にて、夕食を兼ねた打ち上げを行う。
 かつて台湾独立派が秘密裏に集い、蒋介石政権に対し、どういった政治活動を行うのか話し合っていたそうで、当時の雰囲気そのままであることが素晴らしい。料理も台湾家庭料理らしく、檳榔の茎のサラダや味付け落花生をはじめ濃い目の味付けでビールよりはご飯に合う。

 22時30分、お店をでて、しばらく歩いて台北市内の夜のまちを散策。屋台で美味しそうに食事をとる台湾の人を見る度に、どんな味がするのか気になり、自分が満腹になっていることをもどかしく感じる。

2010年1月24日 (日)

台湾視察2010:李登輝元総統、他
いざ台北へ

 出張になるため、仕事を何とか終え、3時から5時まで仮眠。

 準備をしたのち、6時に自宅をでる。魚沼市で、昨年の市議会議員選挙では惜しくも当選には至らなかった五十嵐茂明氏、続いて南魚沼市で桑原圭美議員をピックアップし、成田空港へ向かう。

Cimg2125_2 9時30分、朝食を食べてこなかったことを思い出し、赤城高原サービスエリアに寄り、「海鮮かき揚げ丼 630円」で朝食をとる。朝からの油ものがキツイかと思ったが、一番早くできそうな丼を選んだ。気合を入れるため、味噌汁にはたっぷりと唐辛子を入れるも、案の定、大きなかき揚げの丼は朝食には重い。

 12時過ぎ、成田空港第2ターミナルに到着。五十嵐氏が車椅子であるため、初めて障害者スペースの駐車場を使わせてもらったが、ターミナルの建物までの道のりなど非常によく考えられてできている。

Cimg2126 13時、ターミナル内で一休みしていると、おかめ納豆の箱を9つも連結し、冷凍状態の納豆を持ち込み荷物にしている老齢の台湾人女性がいらっしゃたので、話しかけ、色々と納豆談義。台湾の友達から日本にくる度に、納豆と静岡の緑茶を頼まれるので、今回はこんな量になったという。台湾国内で売られている納豆は、糸の引きも悪く、日本で買うに限る、とのこと。お兄様がリンパ癌で、体力の回復が見込まないと思ったとき、納豆が活躍したそうで、その体験談を後日、メールで送ってくれることになった。

Cimg2127 13時20分、第2ターミナル内の「廻る元祖寿司 成田空港店」(電話:0476-34-8070)にて、昼食。大トロ、納豆巻き、カニミソ、あん肝、生かき、白子、バイ貝など好きなものを食べつつ、五十嵐氏が隣で泣いているので何かと思えば、「激辛葉わさび」を食べたという。一つもらって食べたところ、半端ない量のおろしわさびと葉と茎が入っており、しかも茎が治療中の歯と歯の間に入って、いつまでもツーンと辛いという情けない状態になった。

 13時30分過ぎ、一足早い便で台湾に移動する南魚沼市・桑原圭美議員をお見送りしたのち、同行するジャーナリストの大高美貴女史チャンネル桜キャスターの落合女史、東京都国分寺市議会の副議長である木村徳議員と合流。

Cimg2129 15時50分、車椅子のため、一足早く搭乗ゲートに入れさせてもらい、中華航空101便に搭乗する。16時20分過ぎに離陸。機体はB747-400で、飛行時間は3時間15分である。
 途中の飛行路表記で、「沖縄」が「琉球」になっていることに、改めて気づく。

Cimg2128 17時30分、夕食としての機内食がでる。「チキン」か「パスタ」の選択だったので、「パスタ」を選択。ルパン三世の名作『カリオストロの城』でルパンと次元が取り合いをしたようなミートボールの入ったスパゲティ、ハムとポテトサラダ、パン、バター、ティラミス風チョコケーキに生クリームを添えたものという内容であった。

Cimg2130 現地時間 19時30分(日本時間:20時30分、以下、現地時間)、台湾の桃園空港に到着。先に来ていた南魚沼市・桑原圭美議員とガイド役である李登輝友の会のK氏と合流し、一路、新幹線の桃園駅までバス(30NT$)で移動する。時差は1時間、温度は約19度と暖かい。 バスはかなりの段差があり、車椅子が乗り込むには不便だと感じたが、何てことはなく行き先表示にハートマークのついたバスであれば、ノンステップバスで車椅子対応であり、バスの選択を間違っただけであった。

Cimg2132 桃園駅で新幹線チケットを購入したところ、障害者手帳を見せれば本人と付き添い1名が半額になるとのことであった。付き添いのチケットには「愛心」と書かれ、桃園駅から台北駅まで半額の80NT$。
 現地時間21時36分発の新幹線482便、障害者対応車両の7号車に乗り込み、台北まで移動する。さすがに7号車は車椅子用に扉の幅が1.5倍になっており、車椅子専用スペース、転倒防止バンド、そして女性車掌のサポートがつく。

 現地時間21時36分に台北駅に到着し、そこから宿泊先の華華大飯店(Flower Hotel)に徒歩で移動。チェックインし、部屋に荷物を置いてからロビーに集合し、メンツの確認を行う。
 今回の訪問団団長をお願いした、柏崎市との姉妹都市でもある東村山市選出の東京都議会・野田数議員、同い年であり全盲の東京都東久留米市議会の副議長・宮川豊史議員、東京都東大和市の関野杜成議員、そして東京都武蔵村山市の天目石要一郎議員と合流。

Cimg2137 現地時間23時、「好記宴会廳」(電話:02-2511-2996)に移動し、打ち合わせを兼ねた団結式?を行う。
 鰻の焼き串をはじめ、安くて美味い台湾庶民料理の数々を食べながら、台湾ビール金牌を飲む。しかし、ビールを飲むにつれ、咳がひどくなったため、ビールをやめ、スイカをしぼったスイカ生ジュースや砂糖が入ったジャスミンティーを飲みつつ、明日からの視察のことを話し合う。

2010年1月23日 (土)

米大統領 HV用の電池生産
リチウム確保の資源戦争

 4時、起床。ブログやメールなど溜まった仕事を片付ける。

 7時、大粒納豆、目玉焼き、山芋とろろでご飯2杯の朝食をとる。

 9時から12時過ぎまで、市内某所での打ち合わせ。

 13時、事務所に戻り、事務仕事を行う。

 15時、17時と事務所に来客。

Cimg2119 18時30分、「割烹おくい」(電話:0257-24-6486)に移動し、平成22年東学校町新年会に出席する。
 蒸したアンキモはもちろんの事、ノドグロの塩焼き等の好物が続いたため、ビールもあまり飲まずに食べてしまった。

Cimg2122  お約束の出し物は、恒例の町内会長の踊り、「3人娘?」によるヒゲダンス、そして成年会の新企画「辛いもの、すっぱいもの、食べたのは誰だ!」があり、盛り上がる。
 新企画で酢をゴクゴクと飲んで胃が焼けたのち、大量のわさびでさらに胃と鼻がやられてしまった。

 明日、台湾に行くため、二次会は失礼させてもらい、22時に帰宅。

 ちょっとした小さな新聞記事が、意外にも大きな意味をもっていることがある。今回のこの記事もその一例になろう。


平成22年1月10日『産経新聞』

米大統領 HV用の電池生産
「日本を追い越す」

【ワシントン・渡辺浩生】オバマ米大統領は8日、ホワイトハウスで演説し、製造業への投資に対する最大23億ドル(約2100億円)の戻し減税を通じ、1万7千人以上の雇用を創出する考えを示した。ハイブリッド車(HV)用リチウムイオン電池の国産化を急ぎ、先行する日本を追い越すとしている。
 昨年12月の雇用統計で就業者数が予想を下回ったことを受けた総額7870億ドルの雇用対策の一環。太陽光や風力発電、次世代型エコカーの技術開発に携わる企業に供与する。
 大統領は「HVに使われる電池のほとんどは日本かアジアの企業が製造した」と述べたうえで「多くのHV用電池を米国で生産していく」と指摘。家庭で充電できるプラグインHVや電気自動車(EV)用電池の量産も視野に日本などアジア勢への対抗姿勢を示した。
 大統領は、クリーンエネルギ一振興を景気対策の柱に掲げている。最大23億ドルの減税枠に対して、すでに総額約80億ドルの申請が殺到。米政府関係者は昨年12月、減税枠の50億ドル程度の上積みに向けて議会と調整する考えを示している。


 そして、呼応するかのように、日本の企業、政府によるリチウムへの資源確保の取り組みが報道された。
 まさに資源戦争であり、我が柏崎がEV・PHVで売りだすのであれば、この戦争にも十分目を配る必要がある。


平成22年1月21日『新潟日報』

豊田通商
リチウム権益取得へ
日本企業初HV車向け電池に

 トヨタ自動車グループの総合商社、豊田通商は20日、ハイブリッド車(HV)や電気自動車などの電池に使うリチウムの権益をアルゼンチンで取得すると発表した。2012年から生産を始め、トヨタ自動車などに供給する。資源エネルギー庁によると、リチウム権益を日本企業が取得するのは初めて。
 世界的なエコカーブームで、各国の自動車メーカーの生産競争は激化。基幹的な材料であるリチウムの需要が年々増えており、資源確保が大きな課題になっている。
  アルゼンチン北西部のオラロス塩湖にリチウム権益を持つオーストラリアの資源開発会社、オロコプレ社と、同地での開発に向けた事業化調査の覚書を結んだ。
 調査結果をもとに、共同出資会社を設立して12年に生産を開始、14年に、トヨタ自動車の代表的なHV、プリウス300万台分に相当する、年間1万5千トンのリチウム採掘を目指すという。
 日本政府も支援し、共同出資会社に、独立行政法人、石油天然ガス・金属鉱物資源機構が出資する見通し。

2010年1月22日 (金)

櫻井よしこ氏:鳩山氏には辞めて頂くしかない。

 3時、就寝。

 7時、起床。大粒納豆、鯖の塩焼き、山芋とろろでご飯2杯の朝食をとる。

 8時過ぎ、上越市に移動し、9時から会社関係の打ち合わせ。その後、12時過ぎまで諸雑用を済ます。

 コンビニで買った納豆巻き2本、牛肉コロッケ、低脂肪乳で昼食をとりながら、14時に事務所に戻る。

 15時、17時と事務所に来客。途中、雪かきをした際、携帯電話を水浸しの雪のなかに落としてしまい、一時不通になってしまった。乾かしたところ、何とか動くようになり、一安心。しばらく騙し騙し使い、近々、機種変更しようと思う。

 18時30分から、市内某所での新年会に出席。除雪、景気など、柏崎市政に対するご意見を多々頂戴した。
 ビールがあまり美味しく感じられずなく、やたら顔がほてるので、二次会は失礼させてもらい、21時過ぎに帰宅。熱を計ったところ、38度ちょっとあったため、薬を飲んで就寝する。

 事務所では国会中継をテレビで流しっぱなしにしているが、鳩山首相の答弁を聞いていると、どうもイライラしてきて仕方がない。

「毎月1500万円もらったけど、ママが勝手にやって、僕ちゃん知らない」

という論理が通じると思うのであろうか。政治資金規正法の虚無事項は禁固5年以下、または罰金100万円以下という、同法でもっとも重い罪である。
 現時点で対象となる罪は、

1.政治資金規正法の代表者の会計責任者に対する選任及び監督責任違反
→罰金50万円以下 罰金刑確定で議員失職

2.政治資金規正法の「量的制限」に抵触
→仮に偽装献金の原資とされる鳩山総理の個人資産が毎年1千万円を超えたり、あるいは実母からの献金が政治資金とされた場合

3.所得税法の脱税
→鳩山事務所が寄付していない人の寄付金控除証明書を申請。寄付していない人がその申請書を使って不正還付を受けた場合

4.贈与に関する脱税
→偽装献金の総額は約4億円。その原資に一部充てられたほか、母親からの生前贈与が12億円を超える

 この件だけでも辞職に値する上、重要な問題を先送り、そして余計な外国人参政権だけは推進する・・・・櫻井よしこ氏の提言はズバリといえる。


平成22年1月14日『産経新聞』

櫻井よしこ
鳩山首相に申す

国益への悪影響考えよ

 50年前の1月19日、日米安保改定条約が調印された。その記念日に、日米両首脳がそれぞれ声明を発表する方向で調整中だと、北沢俊美防衛相が9日、明らかにした。一方、岡田克也外相は、13日、ハワイでクリントン国務長官と会談し、記念日に日米両国の外務・防衛担当の閣僚が声明を発表することを確認し合った。
 声明は別々に、しかも首脳ではなく閣僚が出すことになったわけだ。重い意味を持つ軍事同盟の当事国でありながら、日米両国はいまや合同で声明を出すこともない。バラバラに出す閣僚声明が日米関係の冷え込みを痛感させる。
 こうした事態が中国をはじめ諸国に間違ったメッセージを発してはならないと懸念しているのが軍関係者である。戦略と理念を欠く政治が同盟の実質的空白につながってはならず、なんとかその空白を埋めたいと案ずるのは指揮官にとって当然のことだ。
 駐日米国武官が19日にホームパーティーを主催し、日本側の実務者らを招く背景にはそのような懸念があるのであろう。海上自衛隊が停泊中の艦艇を満艦飾に装い、夜には艦船をライトアップして、ささやかながら日米同盟の半世紀を祝うのも同じ想(おも)いからだろう。
 だが、同盟関係は政府同士の信頼の基盤の上にのみ築かれ得る。信頼が大きく揺らいだ末の関係の冷え込みは、日本の前途に激しく警鐘を乱打している。
 こうした事態を招いた主たる理由は、鳩山由紀夫首相に、自らの意識と現実との距離感を測る能力が欠けているからだ。それ故に、鳩山政権は内政外交双方においてひとつとしてたしかな政策を持ち得ない。言葉と行動が一致しない希代の政権である。
 沖縄の普天間飛行場の移設問題を見てみよう。国外もしくは県外への移設を目指すという当初の首相の主張に、具体的目算があったわけでなく、安易な願望の表明にすぎなかったことは、すでに明確である。首相は迷走し、紆余(うよ)曲折を重ね、「最後は自分が決める」「5月までに結論を出す」と繰り返して今日に至る。だが、「5月の誓約」の根拠や目算について、首相は説明していない。取材しても、5月解決の可能性は見えてこない。
 「ずっと日米関係で頭がいっぱい」と評される岡田外相は、13日未明の日米外相会談で、現行計画の履行を重ねて求められた。辺野古以外への移設の可能性を探り続ける鳩山民主党と米国の溝は埋まってはいない。
 24日に行われる名護市長選挙の結果によっては辺野古への移設はより困難になる。そのとき、鳩山首相は自らの言葉どおり「自ら決める」ことができるのか。おそらく無理であろう。そもそも首相には、事柄の是非や罪悪の問題を識別する抽象化の能力が欠けている。
 一例が政治資金問題への弁明である。他の政治家の政治資金問題に関して、「秘書の罪は政治家の罪」「鳩山の秘書が同じことをしたら、自分なら即刻議員を辞める」と首相は明言した。その同じ人物が、「本当に知らなかった」として、贈与税を支払って区切りとした。
 恬(てん)として恥じない理由は、前述の理由の他に考えられない。氏には自分が語った言葉の意味の重さも、抽象化の能力も欠けているのだ。明らかに鳩山家の長年の慣習であった家族間の資金の授受は脱税である。だからこそ、たとえ知らなかったとしても、政治家、いわんや一国の長としては恥ずべき行為で辞任に値することが理解できないのである。
 善悪の識別も、言葉の理解もできない鳩山首相は、では、普天間問題が行き詰まったとき、どのようにして日米関係を維持するのか。「信じてほしい」という誓いの重さにどのように耐えるのか。
 鳩山政権は、日米関係の後退で外から日本の基盤を危うくするだけでなく、外国人参政権問題で日本を内側から切り崩しかねない。
 民主党は18日召集の通常国会に永住外国人に地方参政権を付与する法案を政府提出法案として提出するとみられている。鳩山首相は「日韓併合100年のタイミング」であり、政府・与党の「理解は得られると思う」と語っている。
 日韓併合100年と参政権とどうつながるのか、理解できない。そもそも首相の参政権についての発言自体が理解できない。

 首相は外国人参政権問題を、「愛のテーマ」と言い、「仏教の心を日本人が世界で最も持っているはずなのに、なんで他国の人たちが、地方参政権を持つことが許せないのか」と問うている。
 昨年11月5日の衆院予算委員会では、自民党の稲田朋美氏が、首相が平成8年6月号の『論座』に寄稿した「わがリベラル友愛革命」の記事で、「定住外国人に国政参政権を与えることをも真剣に考えてもよい」と書いたことを指摘した。
 また稲田氏は、14年8月8日の「夕刊フジ」に「日本列島は日本人の所有と思うな、などという発想は日本人の意識を開くことであり、死を覚悟せねば成就は不可能であろう。私はそこまで日本を開かない限り、日本自体の延命はないと信じる。だから私がその先兵を務めたいのだ」と首相が書いたこともただした。
 首相はそうした言辞を記憶しているが、現在は、「現実の中で対処」することへの理解を「この歳(とし)になって」深めたそうだ。しかし同時に、首相は「共生の日本」創造の重要性を強調する。「共生」と「参政権」は別物であることが首相にはわからないのか。
 いま参政権問題は特別永住外国人への参政権付与という数年前の議論とは様相を変えている。戦前日本国民として日本に移住し、戦後、自らの意思で帰国せず日本に残った人たちとその子孫である特別永住者の参政権問題だったはずが、民主党の提案は、特別永住者を超えて一般の永住外国人を対象にしているのだ。そしてこの中には急速に増えつつある中国人が含まれている。
 日本在住外国人の中でいま最大のグループは65万5000人余の中国人である。うち14万2000人が永住権を取得済みだ。年に約1万人ずつ帰化し、減少し続けている朝鮮半島出身の特別永住者とは対照的に、永住権を取得する中国人の増加は際立っている。
 民主党提案の外国人参政権法案の先に、中国共産党の党員が日本で投票権をもち、日本の政治を動かすという事態の発生も考えなければならない。
 これは共生や友愛の問題ではない。国家としての理念と国益の問題である。

 日米安保と参政権、それらが国益に及ぼす影響について考え、その正しい仕分けもできない鳩山氏であれば、もはや首相をお辞めいただくしかないだろう。

2010年1月21日 (木)

普天間隣接の小学校移転に反対したのは基地反対派

 3時、就寝。

 7時、起床。大粒納豆、目玉焼き、エリンギのバター炒めでご飯2杯の朝食をとる。

 9時、10時と事務所に来客。途中、祖母をデイサービスに送り出す。

Cimg2116  11時、自民党柏崎支部の事務所に行き、分会長役員合同総会に出席。昨年の決算、監査報告、党務報告ののち、今年度予算案の承認と役員の改選が行われた。
 これまで広報委員長であったが、今年からは総務会長との兼務となった。
Cimg2117  広報委員長兼総務会長として、まずは外国人参政権反対のチラシを作成し、新春総会で配布したいと思う。
 12時になったところで、「米山山荘」(電話:0257-26-2611)の弁当で昼食をとる。食後から14時まで、5役会議。

 15時、事務所に戻ったところで来客があり、話をお聞きしたところ、現場を確認した方が良いかと思い、一緒に確認する。

 18時、事務所に来客。

Cimg2118 19時30分、大きめの餃子を入れた中華風スープ、ひきわり納豆とイカ塩辛を混ぜたもの、ご飯2杯で夕食をとったのち、事務所に戻り、ネット上での会議を行う。
 今回はこちらの時間に合わせてもらったので、快適な気分での会議である。

 自民党柏崎支部に集まった際、話題として沖縄の普天間基地問題がでた。
 そもそもでいえば、住宅街や商店街のあるところに普天間基地が強引に進出してきたわけではない。
 そして、よくテレビ等で映像が映し出される隣接する小学校についても、これまで移転計画があった。
 詳細は、昨年末のチャンネル桜「普天間の真実」でも紹介されたが、今年になって産経新聞でも再度、報道された。
 本当に危険なら、まずは子供の安全を確保するようにするのが本来である。
 民主党政権がどのような判断をするのか、今月24日の名護市長選挙の結果とともに注目したい。


平成22年1月10日『産経新聞』

【揺らぐ沖縄】
普天間隣接の小学校
移設計画2回頓挫

「反基地」の市民団体反対

 米軍普天間飛行場(沖縄県宜野湾(ぎのわん)市)に隣接し、ヘリ墜落など事故の危険にさらされてきた同市立普天間第二小学校(児童数708人)で、これまで2回、移転計画が持ち上がったが、基地反対運動を展開する市民団体などの抵抗で頓挫していたことが9日、当時の市関係者や地元住民への取材で分かった。市民団体などは反基地運動を展開するため、小学生を盾にしていたとの指摘もあり、反対運動のあり方が問われそうだ。(宮本雅史)

 普天間第二小は、昭和44年に普天間小から分離。南側グラウンドが同飛行場とフェンス越しに接しているため、基地の危険性の象徴的存在といわれてきた。
 移転計画が持ち上がったのは昭和57年ごろ。同小から約200メートル離れた基地内で米軍ヘリが不時着、炎上したのがきっかけだった。
 当時、宜野湾市長だった安次富(あしとみ)盛信さん(79)によると、それまでも爆音被害に悩まされていたが、炎上事故を受け、小学校に米軍機が墜落しかねないとの不安が広がり、移転を望む声が地域の人たちから沸き上がったという。
 安次富さんらは移転先を探したが確保できなかったため米軍と交渉。約1キロ離れた米軍家族用の軍用地のうち8千坪を校舎用に日本に返還することで合意。防衛施設庁とも協議して移設予算も確保した。
 ところが、市民団体などから「移転は基地の固定化につながる」などと抗議が殺到した。安次富さんは「爆音公害から少しでも遠ざけ危険性も除去したい」と説明したが、市民団体などは「命をはってでも反対する」と抵抗したため、計画は頓挫したという。
 同市関係者は「市民団体などは基地反対運動をするために小学校を盾にし、子供たちを人質にした」と説明している。
 その後、昭和63年から平成元年にかけ、校舎の老朽化で天井などのコンクリート片が落下して児童に当たる危険性が出たため、基地から離れた場所に学校を移転させる意見が住民から再び持ち上がった。だが、やはり市民団体などに「移転せずに現在の場所で改築すべきだ」と反対され、移転構想はストップした。
 当時市議だった安次富修前衆院議員(53)は「反対派は基地の危険性を訴えていたのだから真っ先に移転を考えるべきだったが、基地と隣り合わせでもいいということだった」と話す。別の市関係者も「多くの市民は基地の危険性除去のために真剣に基地移設を訴えたが、基地反対派の一部には、米軍の存在意義や県民の思いを無視し、普天間飛行場と子供たちを反米のイデオロギー闘争に利用している可能性も否定できない」と指摘している。

2010年1月20日 (水)

原寸大ガンダム、静岡市へ

 4時、就寝。

 7時、ホテルをチェックアウトし、近くのコンビニで買った納豆巻き2本、イチゴヨーグルト、低脂肪乳で朝食をとる。

 9時、某社の会議室にて、打ち合わせ。

 1時間半ほどで終了し、その後、上越市にて諸雑用を済ます。

 12時、スーパーで購入したおにぎり2個(たらこ、昆布)、白身フライ、グレープフルーツジュースで昼食をとりながら、事務所に戻る。

 14時、事務所に来客。除雪に関する苦情から市政全般までのご意見を頂戴する。

 16時から市内某所で打ち合わせ。観光に関する組織の立ち上げに関する相談などを行う。

 18時、事務所に来客。

 19時過ぎ、頼まれたものを持って、某病院にお見舞い伺う。

 20時30分過ぎから遅参したが、某懇親会に出席。色々な話題がでたが、この不景気で国内需要の伸びが期待できないからと、海外へ営業活動を行うといった、こちらもやる気になるような話もあった。

 二次会は失礼させてもらい、22時に帰宅。

Cimg0874 昨年、東京のお台場に展示され、話題となった等身大のガンダム。その後の誘致合戦の結果がどうなるのか注目されていたが、プラモデルメーカーの多い静岡市で再度、組み立てられるという。
 是非、柏崎駅周辺にほしかった逸品である。


平成22年1月6日『読売新聞』

 等身大のガンダム=2009年7月10日、東京・お台場で 東京・お台場で昨夏展示され、話題を集めた人気アニメ「機動戦士ガンダム」の像(高さ18メートル)が今年7月、静岡市に再び登場する。
 像を所有するバンダイナムコグループ(東京)が、新たな設置先を探していたところ、模型各社が集まる同市が地場産業のPRにと、JR東静岡駅北側の空き地を提供することになった。
 像はアニメ上の想定と同じ大きさ。現在は解体された状態だが、組み上がれば、並走する東海道新幹線の車窓からも雄姿を眺めることができそうだという。

2010年1月19日 (火)

中国で原発建設ラッシュ
技術者が不足・・・・

 2時、就寝。

 6時、起床。すがすがしい朝の間に雪かきを行う。やっと雪が少なくなってきたので、屋根に雪が積もったことで動かなくなっていた部屋の扉が動くようになっていた。

 8時、大粒納豆、粗挽きウインナー、ごま豆腐でご飯2杯の朝食をとる。

 午前中は市内でのボランティア活動。

 12時、自宅に戻り、シャワーを浴び、冷凍うどん2玉、ひきわり納豆、生卵の納豆月見うどんで昼食をとる。

 13時から会社関係の支払いや納品、集金で市内まわり。

 16時、事務所に戻ったところで来客。ノートパソコンの修理依頼で、ハードディスクと異音がするファンの交換ということになった。

 18時、事務所に来客。

Cimg2114 19時30分、黒豚バラ肉を生姜と魚醤で炒めてご飯にかけ、干し納豆パウダーと長ネギのみじん切りをのせた丼で夕食をとる。
 食事中に電話があり、急遽、明日打ち合わせをすることになり、長野市に移動。

 手抜き工事や賄賂などの汚職の話題に事欠かない、「ある国」での原子力発電所建設ラッシュを心配する記事が『産経新聞』に掲載された。
 日本海をはさみ、対岸に位置する我が柏崎市をはじめとする日本海沿岸都市、そして日本国民として注視しておかなければならない事であろう。
 昨年12月、臨時国会で重要な審議をせずに中国旅行にでかけ、朝貢外交を行った民主党国会議員のセンセイ達には、こういった点、そして日本に向けて核ミサイルを配備していることへの非難の声等、「日本の国会議員」の仕事をしてもらいたいものである。


平成22年1月5日『産経新聞』

中国で原発建設ラッシュ
安全性を心配する声も

【北京=矢板明夫】中国各地で原子力発電所の建設ラッシュが始まっている。中国では現在、稼働中の原発が11基あり、24基が建設中だが、2020年までにさらに100基以上を建設する計画もあるという。近年の急速な経済発展にともなう国内エネルギー需要の急増と、二酸化炭素排出量削減への国際社会からの圧力などが背景にあるが、入札をめぐる贈収賄事件も多発しており、手抜き工事や人材不足などを理由に安全性を懸念する声も出ている。

地方都市近郊の計画多数
技術者も不足

 昨年12月21日、北京の人民大会堂で、中国の国有企業、広東核電集団とフランス電力公社(EDF)の共同出資による台山原子力発電所(広東省台山)の起工式が行われた。出力175万キロワットの原発2基を14年までに稼働させる予定で、総資本約167億元(約2200億円)は、外国と共同出資による原発プラントとしては最大規模。フランスが持つ最新技術の採用が中国側の最大の狙いだといわれる。
 広東核電集団は1994年に設立され、広東省周辺を中心に事業を展開し、2つの稼働原発のほかに建設中の原発5つを抱え、さらには内陸部の湖北省などで複数の原発を新設する計画があると報じられている。
 中国政府は2007年に策定した原発整備計画で、20年までに発電量4000万キロワットを目指すとしていたが、09年春に7000万キロワットに目標を上方修正した。しかしその後、内陸部における公共投資拡大路線の中で、原発の新設計画が次々と提出され、建設ペースはすでに目標を超えたもようだ。「今後10年は毎年10基の勢いで原発を建設し、(発電量は)1億キロワットに達する可能性も出てきた」(政府関係者)という。
 しかし、原発の安全性を懸念する声は少なくない。建設計画の多くは人口密度の高い地方都市の近郊に予定されており、08年5月に起きた四川省大地震の震源地から約300キロと近い南充市にも原発の整備計画があり、放射能漏れ事故が懸念されている。技術者育成も建設ラッシュに追いつかず、運用や管理の面での人材不足も指摘されている。
 さらに、建設に絡む汚職の拡大も危ぐされる。中国最大の国有原発関連企業、中国核工業集団のトップ、康日新総経理は今年夏、原発建設の入札に絡み、18億元(約230億円)の贈収賄事件に巻き込まれ、逮捕された。
 投資資金が巨大のうえに専門性が高い原発建設は、汚職の温床となり、これまでにもたびたび責任者が摘発されてきた。インターネットの掲示板などでは、これらの汚職事件が、原発の安全に及ぼす影響を心配する声があがっている。

2010年1月18日 (月)

帰化した鄭大均教授による永住外国人参政権付与への反対論

 2時、就寝。

 7時、起床。昨日よりもかなり量は減っているが、再度の雪かきを行う。

 8時、大粒納豆、目玉焼き、大根サラダ、白菜南蛮漬けでご飯2杯の朝食をとる。

 午前中は、連絡をいただいた市内の除雪がひどかったところなどを確認。大雪も久しぶりであり、除雪技術、そして予算が縮小されている現状に対し、市民への周知や協力の在り方など、今後の議会で検討すべきことである。

 13時、自宅に戻り、冷ご飯に帆立の干物、干し納豆、焼きたらこをのせて、熱い緑茶をかけた、海鮮納豆茶漬けで昼食をとる。

 14時から17時過ぎまで、市内でのボランティア活動。大汗をかいたため、自宅に戻り、熱いシャワーを浴びる。

 18時、事務所に来客。

Cimg2113  21時40分、頂きものの子持ちシシャモ(樺太ししゃも:カぺリン)を、アドバイスされた通りに塩とオリーブオイルで焼き上げてみたもの、ビール500ml3本、ひきわり納豆とイカ塩辛を混ぜたイカ塩辛納豆で夕食をとる。
 軽くオリーブオイルをひいたマーブル加工のフライパンで岩塩をふって焼いてみたが、なかなかの味わいとなった。

 すでに帰化し、日本国籍取得した首都大学東京の鄭大均教授が永住外国人参政権付与は

1.いわゆる在日韓国・朝鮮人を「永遠の外国人」にする。

2.参政権を付与することで、国内政治へ外国政府からの干渉を受ける。

という2点から誤りとして明確に反対している。
 外国人参政権付与を推進している国会議員にはよく読んでほしい指摘である。


平成22年1月6日『読売新聞』

論点
【永住外国人の参政権―「在日」永続化の恐れ】

          首都大学東京教授 鄭大均

 民主党の小沢幹事長は、今年、永住外国人に地方参政権を付与する法案を提出する意向を示したが、これに反対する理由を二点ほど記しておきたい。
 外国人参政権法案は一般に在日コリアンの要望に対する日本政界の好意的な回答と理解されているようだが、ここには誤解がある。在日の多くは、今後も日本で生きていこうとする人々であり、機会があれば日本国籍を取得しようとしている。特別永住者の在日コリアンは長い間、「60万」といわれてきたが、その数は減少して今や40万人ほどだ。毎年1万人近い在日が日本国籍を取得しているからで、また日本人と結婚した在日が韓国・朝鮮籍を子供たちには継承させようとしないからである。
 大部分が日本生まれの世代で構成される在日コリアンに見て取れるのは韓国・朝鮮籍を持ちながらも母国への帰属意識にも、外国人意識にも欠けるという二重の状況だ。そんな人々に参政権が与えられたら、宙ぶらりんな状況が永続化してしまうだけのことだろう。彼らはペーパーコリアンであるとともにペーパー外国人になっているのであり、自分を説明しにくい存在になっている。外国人参政権法案とは、そんな在日を永遠の外国人として保存しようとするものだ。
 第二に、国内政治に対する外国政府からの干渉を高める恐れがあるゆえに反対すべきであり、問題になるのは在日コリアンだけではない。2008年末の統計では、朝鮮半島や台湾などの出身で、戦前や戦中、日本に移住等でやってきた旧植民地出身者とその子孫である特別永住者が42万人に対して、一般永住者が49万人。その多くは中国やブラジル、ペルーの出身者だが、今後さらに増えるのは中国人であろう。
 外国人参政権法案は今のところ地方選挙権に限定されたもので、国民主権の根幹を揺るがすものではないという意見がある。しかし、国政お地方政治の境界は明瞭ではない。自衛隊や米軍基地や原発、あるいは竹島や尖閣諸島のような問題は国家政策と緊密に結びつき、外国籍住民の投票行動が国の外交、安全保障政策と葛藤を引き起こす可能性は十分にある。
 そんな彼らに中国政府は無関心でいられるだろうか。おそらくは韓国政府や北朝鮮政府がそうであったように、中国政府も中国人永住者を政治的に利用しようすることがあるだろう。海外移住はかつては母国との離別を意味したが、最近では母国との文化的絆のみならず政治的絆が維持されるという状況が世界的にみられる。「日本列島は日本人だけのものではない」と考える者は日本国内にだけではなく、外にもいるのである。
 ところで先の衆院選で、韓国民団が日本の国政に組織ぐるみで働きかけを行ったのは興味深い。主要政党の候補者を招いて意見交換をし、参政権付与賛成に翻意を促したという。韓国民団がいずれ国政選挙権を要求するだろうことは予測できたが、これではまるでその予行演習である。
 一方で、韓国の公選法改正で12年以後、在日は韓国の国政選挙にも参加できるようになった。韓国の大統領選や総選挙に在日コリアンは選挙権を行使することができるようになったのである。これではしかし、特権批判を免れるのは難しいだろう。

2010年1月17日 (日)

コンクリートから人へ、がすべて正しいか?

 1時、就寝。

 6時、起床。元私設秘書・石川知裕衆院議員を受けての、民主党党大会における民主党・小沢一郎幹事長の発言、そして鳩山首相の発言をニュースで見るたびに、むかっ腹が立つ。
 それとは正反対に、阪神淡路大震災から15年という映像特集には胸が痛む。

Cimg2108  身支度をしたのち、8時30分、旅館の朝食。ご飯、鮭の塩焼き、玉子焼き、ひじきの煮物、味噌汁、味付け海苔、漬物といった内容で、昨日の反省を踏まえ、奥野食品「森の番人」を持ち込み、ご飯を3杯食べる。
 たまに咳がでたり、喉が痛くなってきたため、食後に風邪薬を飲む。

 9時、旅館を出発し、帰路につく。来るときには北陸まわりにしたが、帰りは最短の中央自動車道を通ることとした。

Cimg2112  13時、梓川サービスエリアに入り、「天玉そば 630円」で昼食をとる。運転をしながら、するめなどを食べたので、これだけでも十分であったが、甥っ子が残した「ビッグチキンカツ定食」も食べたため、食後の眠気はピーク。10分ほど仮眠した。

 新潟県に入っての豪雪に驚きつつ、16時、自宅に戻る。
 除雪に関する苦情がメールや留守番電話にかなりの量が入っており、お返事できる方については承った旨を返信。

 18時30分、市内某所での新年会に出席する。ビールからスタートと思いきや、熱燗から始まったので、1時間を過ぎたところで出席者のほとんどは酩酊状態となった。

 二次会は失礼させてもらい、21時に帰宅。

 酔い覚ましに熱いシャワーを浴び、事務所に戻って、事務仕事を行う。

 鳩山内閣は「コンクリートから人へ」をキャッチフレーズにしており、これだけ凡ミスを続けている政権(普天間基地、献金、政治資金、マニフェスト破り、財源不足)ながらまだ支持率があるのは、こういった感情的に訴える面と大手マスコミの応援と言われている。
 だが、地方ながら政治に関わらせてもらう身として、これほど政治の本質が分かっていないものはないと思う。 「コンクリート=土木建築関係=箱物」という連想をさせることによって、箱物無駄づかいはしない、ということになり、一般受けはいいのであろう
 しかし、中越沖地震で経験したことや、今回の大雪でも分かるように、除雪や通りやすい道路などのインフラ整備は国民生活のためには必要であり、いわばコンクリートだって必要なものである。
 戦後日本の急速な経済復興、世界第二位の経済大国に成長できたのは、せまい国土をいかに効率よく活用するか、といった開発によるところも大きい。これだけ自然災害がある国で、安心で便利に暮らせるのは、これまでのインフラ整備などの先人の努力があってのこと。これからは、戦後復興期に建設した道路や建物のメンテナンス、とくに昭和30年代から40年代に造られたものの、補修などが増えてくる。
 人口分布や少子化の影響を勘案しつつ、必要な道路の補修、整備はキチンと行うという政治態度が、地方分権時代の政治家に求められることと思う。

2010年1月16日 (土)

平成22年伊勢神宮参拝

 5時、起床。無線LAN完備の旅館であったため、急ぎの仕事を持参してきたパソコンで行う。

Cimg2075  7時40分、旅館の朝食をとる。
 ご飯、鯵の干物、玉子焼き、切干大根の煮物、味噌汁、味付け海苔、漬物といった内容で、ご飯が美味しく、思わず3杯も食べてしまった。納豆を持参してこなかったことを反省。

 8時30分に旅館を出発し、伊勢神宮の内宮に向かって移動する。

Cimg2082  10時、伊勢神宮参拝客用の駐車場に車をとめ、母が祖母の手をひき、私は甥っ子と手をつないで、参拝。
 これまでほぼ毎年参拝してきたが、昨年はインド・インパールへの慰霊の旅もあったので、参拝できず、2年ぶりとなった。宇治橋が架け替えしたばかりで、渡っていても気持ちが良い。
 今日、開催予定である民主党党大会に対し、草莽全国地方議員の会の仲間が外国人参政権の法案提出阻止のデモを行うため、その成功祈願とともに、売国奴のこれ以上の横暴を許さぬよう祈らせてもらった。

Cimg2099  参拝後、モクモクファームの「あらびきフランク 一本 350円」をつまみながら、おかげ横丁を散策。
 12時30分、駐車場近くの「伊勢おかげの里 野あそび處」(電話:0596-25-2848)で「月見伊勢うどん 550円」で昼食をとる。伊勢うどんを初めて目の前にした甥っ子は、うどんにチョコがかかっていると敬遠気味であったが、実際に食べさせると「美味しい、美味しい」と一気に食べ終えた。

Cimg2101  13時30分、鳥羽市に移動し、鳥羽水族館に母と甥っ子を送り、祖母とともに、お伊勢参りのお約束にしてきた中山かき養殖場(〒517-0025 三重県鳥羽市浦村町1208 電話:0599-32-5053 FAX0599-32-5686)を訪れる。
 かなりのお客さんで賑わっており、順番を待って、生かきを20個を注文し、祖母と一緒に食べる。祖母は3個、残りの17個を一気に食べてしまった。相変わらずの美味。

 15時過ぎ、鳥羽水族館で母と甥っ子をピックアップし、松阪市内まで戻る。

Cimg2106  16時、 「中華そばの不二屋」(電話:0598-23-9605)に行き、少し早目の夕食。このお店にこなければ、松阪市に来たという気がしないため、早目の夕食となった。
 まずメインのラーメンとして「五目中華そば 800円」を注文。通常の中華そばにイカやキクラゲ、半熟卵が入っている。
Cimg2107_2 そしてサイドディッシュとして、「やきそば 700円」。メニューの説明文「サクサクの揚げ麺に和風だしの効いた少し固めのタレがかかった不二屋だけのかたやきそばです。」の通り、独特のやきそばで、ラーメンを食べながら、つまむのが流儀である。半分食べたところで、卓上のウスターソースをかけて、風味を変える。

 17時過ぎ、一旦、旅館に戻り、19時までパソコンで仕事。

 20時、松阪市内の喫茶店で、「東京納豆」奥野食品の社長夫人、紀宝町のみふね酢の中野氏とともに、近況報告や今後の経営課題、貿易に関して意見交換を行う。

 23時、旅館に戻って、入浴。

2010年1月15日 (金)

議会改革に関わる特別委員会
議員定数(3)

 資料がまとまらず、5時に就寝。

 8時、起床。大粒納豆、ツナ缶と卵の炒めもの、大根サラダでご飯2杯の朝食をとる。

 9時過ぎ、市役所に移動し、資料集めなどを行う。

Cimg2070  大雪のため、委員の遅刻もあり、10時20分から議会改革に関わる特別委員会に出席。
 この特別委員会においては3回目となる議員定数に関する議論である。私自身、そして所属会派として、30名から24名への議員定数削減を提案し、それは変わらないため、議論は平行線となった。
Cimg2071  配布資料と主な議論は以下の通り。

「議員定数に関する論点整理」(pdf形式)

・蒼生会は「定数を維持する立場」ではない
 → 先の会議で定数維持としたではないか、と各会派から指摘。

・数字ででている客観的事実は別として、定数削減に賛成、反対する会派共通の議会のあり方を先にまとめることで良いか。(整風会)
 → その方向でまず共通認識をまとめる。

・削減すると多様な市民が立候補できないのではないか。(社会クラブ)

・削減してもキチンとした報酬などがあれば、多様な市民が職を捨てても立候補できる可能性もあり、削減=多様性がなくなるわけではない。議会によっては、選挙のポスター貼りを共通化して、選挙の負担を減らす議論がある。いま共通認識にできるのは、引き続き、多様性のある立候補者がでる環境に配慮する、というところまでではないか(整風会)

・共通認識をまとめるのは意味がない。(自治研究会)

・共通認識は同じまな板で議論することであって、その上で肉をのせるのか、魚をのせるのかは今後の議論。今はまず、そのまな板を同じものにする作業が必要である。ステンレスのまな板で肉を切っている人と、木のまな板で魚を切っている人では議論にならない。まずは同じまな板にすることが必要であり、何の会議でも一緒であるが、前提条件を共通にするのは基本。(整風会)

<共通認識>
・地方分権改革に対応するため、さらなる議会の力を充実させる。
・多種多様な意見が反映されるようにする。
・立候補しやすい環境を整える。
・市民への議会の情報公開、積極的な広報・公聴への取り組み。
・市民参加を積極的に求める。

 次回は平成22年2月5日になり、ある程度の方向性をだすことになる。

 13時、自宅に戻り、冷ご飯の上にひきわり納豆をのせ、熱いワカメスープをかけたもので昼食をとり、その後、雪かき。

 14時、甥っ子、母方の祖母、母を乗せ、愛車で三重県に向かう。祖母がもう一度、お伊勢参りがしたいとのことで、何とか時間を空けたものの、強行スケジュールになってしまった。

Cimg2074  通行止めとなっている中央自動車道ではなく北陸方面をまわり、18時、尼御前サービスエリアで夕食。何を食べようか迷ったものの、やはり名物である「ふぐ子ぬか漬け」を使った「ふぐ子焼きそば 600円」を選んだ。太めの麺の焼きそばにふぐ子ぬか漬けを粉末状にしたものがかかっており、不思議な味わいであった。

 移動中、民主党・小沢一郎幹事長の元私設秘書・石川知裕衆院議員らが、政治資金規正法違反の疑いで東京地検特捜部に逮捕されたとのニュースが入った。
 これまで証拠隠滅してきたという証言もあり、やっとかという印象

 23時、宿泊先である三重県松阪市の「鯛屋旅館」に到着。単純泉である温泉風呂に入り体を温め、ビール500mlを飲んで就寝する。

2010年1月14日 (木)

外国人参政権が錦の御旗?
国家公安委員長が民団会合に出席の愚

 1時、就寝。

 6時、起床。かなりの雪が積もっており、まずは自宅前に通れるだけの道を作るため、除雪を行う。地下水も途中の管路が凍ったためか、出ていないため、かなりの雪の量である。

 7時、大粒納豆、エリンギのバター炒め、甘塩鮭でご飯2杯の朝食。

 8時過ぎから12時過ぎまで、独居老人宅など市内での除雪ボランティアを行う。普段の運動不足がたたり、大汗をかき、防寒具が内部から濡れ、湯気がたつ状態になってしまった。
 途中、除雪に関する苦情が携帯電話や転送設定してある事務所の電話から多く入る。お怒りの気持ちは分かるが、市全体の状況を把握したうえで冷静に後日判断させていただく旨、回答。
 また、事務所に戻ったところ、柏崎市役所から豪雪警戒体制に敷いたとの連絡が入っていた。


              平成22年1月14日
市議会議員 各位
               柏崎市長 会 田  洋

 大雪における警戒体制の配備について(お知らせ)

 昨晩からの降雪に対して、本日(1月14日)午前9時、豪雪警戒体制を敷き、対応することとしましたので、お知らせします。

●交通情報(9時30分現在)
○JR信越本線(長岡~直江津間)、越後線(柏崎~出雲崎間)運転見合わせ
○市内路線バスは、すべて運休。高速バス(柏崎~新潟間)は運転見合わせ
○高速道路柏崎~中之島見附交通止め
○国道291号線武石トンネルが事故のため通行止め

◇お問い合わせ先
  市民生活部 防災・原子力課 
  電話:0257-21-2316 FAX:0257-21-5980


 13時、冷凍肉まん2個を電子レンジで蒸かし、ひきわり納豆汁とともに昼食にする。

 14時、事務所に来客。

Dsc00259  16時、市内まわりにでかけるため、愛車を雪のなかから掘り起こす。さすがに午前中の作業の影響がでて、一気に除雪という訳にはいかず、37歳を実感。
 愛車を掘り出したのち、市内まわり。案の定の渋滞であり、またも目的すべてを果たせずに時間となった。

Dsc00260  17時、某国会議員秘書のM氏と待ち合わせをし、「麺の家 渚」(電話:0257-21-2770)にて、ちょっと早めの夕食をとりながら、新年初めての懇談と意見交換。
 ラーメンは「つけ麺 650円」に「岩のり 100円」をトッピングし、大盛りの無料にしてもらった。

 18時30分から某集まりの新年会に出席。さすがに大雪のため、仕事から戻ってきていない方も多く、若干少なめの人数でのスタートとなった。
 すでに夕食をとっていたため、ツマミは食べず、注いだり、注がれたりでビールと日本酒のみを飲む。

 21時、事務所に戻り、酔っていてもできる資料整理や新聞記事の電子ファイル化を行う。外国人参政権に関する記事を読んでいると、酔いが覚め、怒りが湧いてくる。

 昨日の本ブログでも紹介した民団(在日本大韓民国民団)中央本部の新年パーティに、国家公安委員長が出席し、参政権の付与について発言したという。
 もうただのジョーク的な存在である社民党や売国発言を繰り返している山岡賢次国対委員長に加え、日本のセキュリティを預かる国家公安委員長までもがこの調子である。
 我が国の政府は完全に狂っている。

 鳩山首相の「日韓併合100周年というタイミングだから、参政権付与」の素っ頓狂な発言もその証拠である。
 ここまでくれば、亡国の道か否かは、国民新党、民主党内の良識ある議員の双肩にかかっている。


平成22年1月13日『産経新聞』

「参政権」めぐり温度差
首相・民団「推進合唱」
原口総務相は慎重姿勢

 政府・民主党首脳会議が11日の会合で、永住外国人に対する地方参政権(選挙権)付与法案の通常国会提出を決めたことを受け、鳩山由紀夫首相ら与野党の推進派が12日、相次いで積極姿勢を示した。ただ、所管閣僚の原口一博総務相は記者会見で「連立政権だから連立3党で意思決定されて初めてわれわれ(総務省)がオペレートす始める問題だ」と述べ、法案策定の着手には、反対の立場の国民新党を含む与党3党の合意が必要との認識を示し、推進派との微妙な温度差を露呈した。
 鳩山首相は12日、首相公邸前で記者団に参政権法案について問われ「(与党内の)理解は得られると思っている」と自信を示した。 「政府内で検討している最中だ。日韓併合100周年というタイミングでもある」とも述べ、韓国の要求に配慮している立場をにじませた。
 同日昼、東京・内幸町の帝国ホテルで約8000人が参加して、在日本大韓民国民団中央本部(民団、鄭進団長)の新年パーティーが開かれた。話題が参政権に及ぶと、大きな拍手が起こり、与野党幹部や閣僚が通常国会での参政権法案成立を誓う場となった。
 鄭団長は「2010年が明るい未来への象徴として地方参政権付与の年となれば、これにまさる喜びはない。通常国会で日本世論の祝福をもって実現されることを切に願います」とあいさつ。韓国の権哲覧駐日大使も「必ず実現するようお願い申し上げます」と与野党幹部に要請した。
 この後は、同調する日本側要人の大合唱となった。
 民主党の小沢一郎幹事長の代理としてあいさつした山岡賢次国対委員長は、昨年12月12日夜のソウルでの李明博韓国大統領と小沢氏の非公式夕食会合について「そういう(地方参政権の)話がかなり出たとうかがっている」と明かし、 「参政権成立に全力で錦の御殿として取り組む。頑張ります」と、通常国会成立を約束した。
 また、中井拾国家公安委員長・拉致問題担当相は「5日の閣議で首相が原口総務相に法案づくりを言った。今国会成立で親善増進を」、社民党党首の福島瑞穂消費者・少子化担当相も「これからの日韓は共生と協調の百年にしたい。まず地方参政権の法案を成立させたい」と述べた。
 一方、国民新党代表の亀井静香郵政改革・金融相は12日の記者会見で「法案提出について民主党から打診はない。国民新党は賛成していない」と改めて反対する姿勢を鮮明にした。その理由について亀井氏は「憲法の精神の面からも参政権は慎重に扱うべきだ。参政権が得たい人は帰化すれば済む。帰化しやすくすることを考えればいい」と、同法案を正面から批判した。原口総務相の慎重姿勢は亀井氏のような反対論が連立内や民主党内にもあることに配慮したものとみられる。

2010年1月13日 (水)

赤松農水相が民団の選挙支援を公言
公約ではなく、見返り?

 3時、就寝。

 7時、起床。大粒納豆、鯖の塩焼き、イカの塩辛でご飯2杯の朝食をとる。

 8時過ぎから13時まで会社関係の市内まわり。雪がかなり多くなってきたため、渋滞となり、目的の半分しか達することができなかった。

Cimg2066 14時過ぎ、一旦、事務所に戻り、「カップヌードルフレンチシーフード ビッグ」で急ぎの昼食をとりつつ、資料をまとめ、上越市に向かって移動。
 国道を使って移動しようとするも、案の定、登り坂で停車する大型トラックがあって渋滞となり、高速道路に乗る。しかし、高速道路も強風と雪のため、スピードがだせず、上越市に着いたのが15時40分過ぎとなった。

 17時まで打ち合わせをしたのち、柏崎に戻る。途中、一回転した車やチェーンが切れてしまい立ち往生している車が目立った。

Cimg2069  19時、「らーめん処 潤 柏崎店」(電話:0257-32-1523)にて県内の某氏とともに、意見交換をしながら、夕食をとる。
 「岩のりらーめん 840円」に「100円トッピング」を全部入り(半熟煮玉子、茹でもやし、背脂、マー油)を追加し、脂の量は某氏に経験として「鬼脂」を勧めただけに、自分でも「鬼脂」。熱い脂の皮膜をかき分けながら、麺を一気に頬張る。

 20時、事務所に戻り、会社の今後の業務形態について、スカイプにて某氏と打ち合わせを行う。東京都内に行く時間がないので、海外はもとより、国内の打ち合わせもここのところはスカイプばかりである。

 22時、市内某スナックにて、某集まりの新年会二次会に合流する。90年代つながりのカラオケになったので、これまで歌ったことなかったJ-WALKの「何も言えなくて...夏」に挑戦し、玉砕。練習したいと思う。

 24時、帰宅。

 これまで本ブログでも指摘してきた、民主党への民団(在日大韓民国民団中央本部)の選挙への関与について、アホなことに民主党の閣僚自らが認める発言を行った。
 外国人に自国の政治に関与してくれという売国奴ぶりもさることながら、この事は外国人参政権を与えてしまったら、民団の政治的意志が日本の政治に大きく影響することを意味する。
 また、民団も問題であるが、もっと問題になるのは人数、統制具合から在日中国人(65万5000人超、うち14万2000人が永住権を取得)に参政権を与えた場合である。一党独裁の自国で参政権もないなか、他国である日本の政治に介入できることになる。

 現代は、武力を使ったドンパチの戦争よりも、情報や法の目をくぐった戦争の時代に入っていることを民主党は認識していないのであろう。
 自分の選挙のために外国人に日本を売る政治家のツケは、最終的に我々国民が背負うことになる。


平成22年1月13日『産経新聞』

「参政権は民団への公約」
民主・赤松氏 衆院選支援の”見返り”

 昨年夏の衆院選当時の民主党選挙対策委員長だった赤松広隆農水相は12日、都内のホテルで開かれた在日本大韓民国民団中央本部(民団、鄭進団長)の新年パーティーであいさつし、民団による衆院選での民主党支援に「心から感謝申し上げる」と表明。そのうえで民団の支援は、外国人地方参政権獲得のためで、永住外国人への地方参政権(選挙権)法案の成立は民団への公約だと強調した。民主党幹部が、参政権を条件に民団から組織的な選挙支援を受けたことを認めたのは初めて。
 赤松氏は「鄭進団長をはじめ民団の皆さまには昨年、特にお世話になった。投票はしてもらえないが全国各地でいろんな形でご支援いただき、308議席、政権交代につながった」と語った。さらに「民主党中心の政権で地方参政権問題が解決するとの思いで応援してくれたと思う。その意味で公約を守るのは当たり前だ。本当にあと一歩。感激でいっぱいだ」と参政権法案の通常国会成立を約束した。
 民主党は意見集約が難航し、日本の有権者向けの衆院選マニフェスト(政権公約)に、外国人参政権付与を盛りこんではいない

2010年1月12日 (火)

外国人参政権法案 通常国会提出か?
鳩山政権、売国政策まっしぐら

 4時、自宅に到着。熱いシャワーを浴びたのち、7時まで仮眠をとる。

 8時、大粒納豆、目玉焼き、なめたけおろしでご飯2杯の朝食。

 外国人参政権の今期国会への法案提出のニュースがあったため、午前中は問い合わせや今後何を手伝えば良いのか、といったありがたい電話などが続き、携帯電話の電池がもたないほどであった。

 11時、事務所に来客。所属政党を含め、今後の政治活動に関する意見交換を行う。

Cimg2065  12時過ぎ、「四季の味 豊亭」(電話:0257-22-6051)に移動し、「昼弁当 1500円」を食べながら、県内の有志とともに組織の立ち上げに関する打ち合わせを行う。
 我が柏崎市のためにも、そして新潟県の観光のためにも寄与できればという思いである。

 15時、17時と事務所に来客。

 19時から、国内では外国人参政権に関する反対運動、そして国外とは今年5月に行いたい原子力に関する国際フォーラムの打ち合わせなどをスカイプで行う。

 23時、冷ご飯、冷蔵庫の残りものと卵2個を味噌汁に入れて煮込み、最後に挽き割り納豆をのせたおじや、ビール500ml3本で夕食をとる。
 食後から事務所に戻り、議事録などを作成。

 政権交代の美名のもと、民主党を応援してきた『朝日新聞』はもとより新聞各紙で、開会目前となった第174回国会で外国人参政権法案が提出されるとの報道があった。
 そして『産経新聞』では在日本大韓民国民団(民団)の要求についても紹介された。

 目先のテレビ受けしそうなパフォーマンスをやり、肝心な経済対策や普天間基地問題など外交問題にも発展する重要な政策の決定をせず、そして売国政策に邁進する鳩山政権。
 日本国民挙げて、さらなる抗議が必要であり、自分自身もこれまで以上に多くの場所で「反対」の声を挙げ、周知をはかりたい。


平成22年1月12日『産経新聞』

外国人参政権法案
政府、通常国会提出へ
反対根強く調整難航も

 政府・民主党は11日、永住外国人に地方参政権(選挙権)を付与する法案を政府提出法案(閣法)として18日召集の通常国会に提出し、成立を目指す方針を決めた。この法案には自民党を中心に反対・慎重論が根強く、地方議会を巻き込んで国論を二分する事態となる可能性もある。

 鳩山由紀夫首相、民主党の小沢一郎幹事長らは11日午前、首相官邸で政府・民主党首脳会議を開き方針を確認した。平野博文官房長官はすでに公職選挙法や地方自治を所管する原口一博総務相に参政権法案の検討着手を指示しており、今後、政府内の法案提出に向けた動きは加速しそうだ。
 民主党で検討されている法案は、地方自治体の首長と地方議員の選挙権を、戦前から日本にいるか、またはその子孫の在日韓国・朝鮮人らの「特別永住外国人」(42万人)に加え、その他の「一般永住外国人」(49万人)の成年者にも与える内容。ただ、「朝鮮」籍保持者には付与しない方針だという。
 地方参政権付与は、韓国や在日本大韓民国民団(民団)が強く求めており、社民党、公明党、共産党などが賛同。民主、自民両党では賛否が割れている。また、国民新党代表の亀井静香郵政改革・金融相は反対し、法案の閣議決定を認めないと明言している。地方でも、千葉、石川、熊本などの県議会が相次いで反対の意見書を可決しており、政府・与党内の調整が難航し政権運営の火種となる可能性もある。

国益反する恐れ、対策なく

 政府・民主党が検討する永住外国人への地方参政権(選挙権)付与法案は国民主権に反し、国益や安全保障を損なう恐れがある。
 憲法15条第1項は参政権を「公務員を選定し、及びこれを罷免することは、国民固有の権利である」と定める。地方参政権付与は国民主権の根幹をなす15条違反の疑いが強い。
 付与推進の動きは、平成7年2月28日の最高裁判決の「傍論」が、立法措置があれば地方選挙権付与は違憲でないとしたことで拍車がかかったが、「傍論」に法的拘束力がないことに目をつむっている。
 地方政治は国政と不可分だ。警察や教育行政、自衛隊や米軍の行動にかかわる有事法制、周辺事態法でも自治体の関与、協力は欠かせない。重要な役割を担う首長や地方議員、政党が外国人、外国勢力の影響下に置かれ、国益や安全保障に反する政治傾向を示すことへの防止策の議論はまったくない。
 「外国人はわずかだから影響力はない」(推進派の民主党参院議員)との意見は間違いだ。仮に1票でも外国人票がキャスチングボートを握ることはある。日本は住民票の異動も自由だ。基地問題にかかわる沖縄県名護市の市長選のようなケースで、外国人票が結果を左右する可能性を認めていいのだろうか。
 また、中長期的に見れば、人口構成は移民政策の展開次第で大きく変動する。民主党や自民党には労働力確保のための「1千万人移民」受け入れ論者がいる。日本経団連も移民受け入れを唱えている。日本が移民受け入れに転換すれば外国人の割合が急増したり、日本国民が少数派になる地域も出てくるだろう。
 民主党案は、相手国との相互主義を採らず、民主国家ではない中国の国民で日本の永住権を持つ人も対象としており、対象者を膨れあがらせている。
 地方選挙権実現後は要求がエスカレートしそうだ。在日本大韓民国民団の幹部は20年7月8日、民主党永住外国人地方選挙権検討委員会で「(地方)被選挙権も必要だ。ステップ・バイ・ステップで」と述べている。(榊原智)


【抗議先】

国民新党本部
 電話 03-5275-2671 FAX 03-5275-2675

<政府内>
・川端達夫文部科学相
 地元電話 077-523-2707 地元FAX 077-524-2906
・前原誠二国土交通相
 地元電話 075‐723‐2751 地元FAX 075-702-9726
 メール
info@maehara21.com
・直嶋正行経済産業相
 議員会館電話 03-3508-8736 議員会館FAX
 メール
 info@naoshima.com
・中井洽国家公安委員長・拉致問題対策相
 地元電話 059-224-5111 地元FAX 059-224-7887
 メール
 info@nakai-hiroshi.net

<民主党政府役職者>
・大島敦
 地元電話 048-789-2110 地元FAX 048-789-2117
 メール
 oshima.atsushi@gmail.com
・長島昭久
 地元電話 042-548-2700 地元FAX 042-548-2711
 メール
 tokyo21@nagashima21.net
・田村謙治
 地元電話 054-347-5755 地元FAX 054-347-2808
 メール
 office@tamuken.net
・渡辺周
 地元電話 0559-51-1949 地元FAX 0559-51-5209
 メール
 shu@watanabeshu.org
・吉良州司
 地元電話 097-545-7777 地元FAX 097-545-7760
 メール
 h06866@shugiin.go.jp
・松野頼久
 地元電話 096-345-7788 地元FAX 096-344-4801
 メール
 ymatsuno@trust.ocn.ne.jp
・野田佳彦
 地元電話 047-496-1110 地元FAX 047-496-1222
 メール
 post@nodayoshi.gr.jp
・古川元久
 地元電話 052-733-8401 地元FAX 052-733-6382
・山井和則
 地元電話 0774-54-0703 地元FAX 0774-54-0705
 メール
 kyoto@yamanoi.net
・福山哲郎
 地元電話 075-213-0988  地元FAX 075-213-0977
 
メール f-kyoto@fukuyama.gr.jp
・楠田大蔵
 地元電話 092-928-8787
 メールdaizoo@daizoo.com

2010年1月11日 (月)

外国人参政権:民主党・山岡国対委員長
「日本を合衆国に」?

 1時過ぎ、カプセルホテルに入り、熱い風呂に入ったのち、就寝。

 6時、起床。チェックアウトし、コンビニで納豆巻き2本を購入し、近くのネットカフェに入る。急ぎの仕事を行いつつ、納豆巻きとネットカフェのフリードリンクで朝食をとる。

 9時から11時過ぎまで、都内某施設の会議室で打ち合わせ。

 12時過ぎ、上野の松坂屋に行き、某社の社長に会い、新年の挨拶と若干のお手伝いをする。

 14時過ぎ、東京駅にて某氏と待ち合わせ、近くの喫茶店で打ち合わせ。ロイヤル・ミルクティー(ダージリン)とレアチーズケーキを食べる。

Cimg2060_2  16時過ぎ、打ち合わせが終わったところで、ディープな秋葉原に行ってみようということになり、移動。
 秋葉原に着き、まずはパソコンのジャンク品や中古品のショップを巡る。ちょうどハードディスクの入れ替えやメモリの増設を頼まれていたので、数点を購入。
 その後、初体験であるメイド喫茶に入ってみた。入場料は1時間500円、酒類もあったが、ソフトドリンクが550円という料金設定であった。
 早速、グレープフルーツジュースを注文。

「おかえりなさいませぇ~ご主人さまぁ~」

「ドリンクが美味しくなるおまじないしまぁすぅ~。
 萌え、萌え、萌え、美味しくなぁ~れぇ~」

 ・・・・・お笑い芸人いとうあさこ女史風にいえば、

浅倉南、37歳!
 何でだろう~、南、
 
30歳を越えた頃からかなぁ~
 何だかイライラする、
 南、イライラする!」

といった印象で、イマイチ楽しみ方、合わせるテンションが分からない。

 とりあえずの体験をしたのち、都内某所に向かい、19時から21時過ぎまで貿易などに関する会議に出席する。

Cimg2059  22時30分、コンビニで購入した「チキンカツ玉子丼 320円」、低脂肪乳、グレープフルーツジュースで夕食をとる。コンビニ弁当を車中で食べると、なぜか情けない気分になる。
 食後、そのまま愛車にて、柏崎への帰路につく。

 義父である新潟県出身・山岡荘八氏に顔向けできない程の売国ぶりが目立つ、民主党・山岡賢次国会対策委員長であるが、今度は「外国人参政権を付与し、日本を合衆国にする」といった発言をしたという。
 ・・・・まったく意味不明であり、この程度の知的レベルで国会議員が務まるのかと不思議に思う。
 合衆国の形態をとることと外国人への参政権付与はまったく別の話である。
 そして、仮にこの合衆国がアメリカ合衆国を意味したとしても、アメリカではグリーンカード(労働許可証兼永住許可証)を取得しても、そして徴兵登録をしても参政権は付与されない
 参政権は国民固有の権利である。 


平成22年1月10日『産経新聞』

外国人参政権
「通常国会で必ず成立」山岡氏

 民主党の山岡賢次国会対策委員長は9日、鳥取市内で開かれた同党の川上義博参院議員の会合であいさつし、永住外国人に対する地方参政権(選挙権)付与法案について「この国会で政府が必ず提出すると思う。私は国対委員長として、この国会で必ず上げる決意で臨んでいる」と述べ、18日召集の通常国会で成立させる考えを示した。
 山岡氏は「日本は一国至上主義でやってきたが、これからはそういうわけにはいかない。あらゆる国の人が結集するのが強い。合衆国みたいにしないと日本の明日はない」と述べた。
 そのうえで、外国人参政権付与に動いている川上氏について「(実現に向けて民主党の)小沢一郎幹事長を動かしている。川上さんは『平成の坂本龍馬』なんていわれている」と持ち上げた。

2010年1月10日 (日)

日中歴史共同研究委員会に抗議
史実を世界に発信する会

 2時、都内に到着し、カプセルホテルにて仮眠。

 7時、起床。大浴場で大汗をかいたのち、チェックアウトする。

 8時、都内某施設の会議室にて、打ち合わせをし、その後、議事内容の整理を行う。

 10時過ぎ、コンビニで購入した納豆巻き2本、ランチパック(富士宮やきそば)、グレープフルーツジュースで朝食をとりながら、柏崎までトンボ返り。

 13時、市内某所での会合に出席し、新年の挨拶や市政報告、そして今年さらに取り組みたいことなどをお話させてもらった。酒は飲めないので、ウーロン茶と乾きもので昼食。

 14時過ぎ、事務所に戻り、ブログやメールなど急ぎの仕事を片付ける。昨年、イラン・イスラム共和国テヘラン市での会議で一緒になった、バーレーン王国マナーマ市のジャセン・レドハ・ハッサン市議会事務局長からの嬉しいメールもあった。

 17時、愛車にて再度、東京に向かって移動。途中、塩沢から群馬県前橋市まで、何と30kmの渋滞になっていた。

Cimg2058  予定では、20時過ぎには都内に到着し、某ご夫婦と会食の予定であったが、都内に到着したのが、何と23時30分。お詫びをしつつ、その後「天下一品 歌舞伎町店」(電話:03-3232-7454)で、瓶ビールとともにこってりラーメンと餃子の「餃子定食(ライス抜き) 920円)」で夕食をとる。「神座」にしようか迷ったものの、あまりの寒さから濃厚なこってりを選んだ。京都の本店で食べた味だけは忘れられない。

 「国民生活第一」で選挙に勝ったはずが、経済政策は後手後手にまわり、外国人参政権や天皇陛下の政治利用など、売国政策に一所懸命な民主党であるが、今度は鳩山首相が南京へ訪問する計画が報道された。


平成22年1月7日『読売新聞』

首相が南京へ・胡主席は広島へ
・・・中国が打診

【北京=佐伯聡士】中国が、日中間の国民感情の改善に向けて、今年6月ごろ、鳩山首相の中国江蘇省南京への訪問を招請する代わりに、11月ごろに胡錦濤国家主席の広島訪問を検討し、日本政府筋に非公式に打診していたことがわかった。
 複数の日中関係筋が6日、明らかにした。中国は「南京事件」が起きた南京への訪問を戦後の現役首相として初めて実現させることで、東シナ海のガス田の共同開発や中国製冷凍ギョーザ中毒事件などの懸案を先送りしたまま、中国主導で対日関係を進める狙いだ。
 日中首脳の相互訪問は今年、4月ごろに温家宝首相の訪日、上海万博のジャパンデーが開かれる6月12日ごろに鳩山首相の訪中、11月に横浜で開かれるアジア太平洋経済協力会議(APEC)首脳会議に合わせて胡主席の訪日がそれぞれ計画されている。このうち、鳩山首相の南京訪問招請は上海訪問に合わせる可能性が高いという。
 同筋によると、中国側は鳩山政権との間で「戦略的互恵関係」を強化していく上で、「日中双方の国民感情の改善が欠かせない」とみている。政権発足以来、中国重視姿勢を打ち出しているのを機に鳩山首相が南京を訪問し、先の戦争への「深い反省の意」を示してもらうことで対日感情の改善につなげる狙いだ。
 一方で中国は、胡主席が被爆地の広島を訪れ、戦争被害者としての日本の立場にも理解を示すことで、日本の対中感情の改善にプラスになると判断している。
 日本政府筋は「南京事件の犠牲者数は日中間の争点になっている。首相の訪問が実現できるかどうか、最後は政治判断になる」と慎重に受け止めている。


 まさに売国奴である。
 中華人民共和国は日本とは戦争はしておらず、原爆を落としたわけでもない。その意味のない事とバーターで、無実の罪を着せられている南京大虐殺について「あったという事実」認定を鳩山首相訪問で確定させようという、中国共産党の謀略でしかない。

 先にも、日中歴史共同研究委員会がアホなことに、南京大虐殺の数の議論に入ってしまい、南京大虐殺自体があったと認めてしまっている。
 こうやって、濡れ衣を着せられ、最終的には責任うんぬんと外交の場で因縁をつけられて金もとられていくのである。

 唯一の救いは民間の有志が立ち上がっていることであり、「史実を世界に発信する会」は日中歴史共同研究委員会に以下のような抗議をしている。
 本来は政府が誇りある日本として活動すべきであり、民間が動かざるを得なくなるとは、つくづく情けない政権と感じる次第である。


平成21年12月29日
      
日中歴史共同研究委員会
座長 東京大学教授
北岡 伸一 殿  

抗議の書簡

 このほど貴殿が日中歴史共同委員会日本側座長を務める共同研究の最終報告の内容が明らかにされました。
 日中戦争全般にわたり、疑問だらけの内容であると考えるものですが、今回は「南京事件」に絞ってその問題点を述べ、かような研究報告を出すことにした日本側委員、その代表である貴殿に対し厳重な抗議を行う次第です。
 「南京で大規模な虐殺があり、日本側にその責任がある」と貴殿らは認めたということですが、いったいどのような学問的な根拠があって、そのようなことが言えるのか、貴殿の学者としての良心を疑う者です。確かに、東京裁判でそのように断定され、また現在の日本の歴史学界の主流もそのような見解であります。しかし、その後南京事件についての研究は急速に進み、今やそのような俗説は全く成り立ちえなくなっていることを貴殿はご存じないのですか。
 一つの決定的な資料と言うべきものが、平成15年に東中野教授によって台北の国民党党史館で発見されました。極秘印の押された『中央宣伝部国際宣伝処工作概要 1938年~1941年』です。内部向けの極秘資料ですから、宣伝目的の歪曲はほとんどないと考えられます。そこには、国際宣伝処が、南京戦を挟む約1年間(1937年12月1日~38年10月24日)の間に漢口において、外国人記者を招いて300回の記者会見を開いたことが書かれています。参加記者は平均50名であったことも記されています。ところが、日本非難のためのこの記者会見において、ただの一度も南京で市民虐殺があっただとか、捕虜の殺害があっただとかが発表されていないのです。さらに、この文書には南京での日本軍の暴行・略奪などの悪行批判は書かれているものの、虐殺とは全く書いてないのです。
 これが決め手ではありますが、他にもそれを裏付ける資料が確認されています。
 その中心的なものとしては、安全区国際委員会の活動記録である、Documents of the Nanking Safety Zone があります。南京市民に最も近いところで、その活動を行っていた反日色の濃い外国人たちの英文記録で、1939年に国民党の外郭機関の監修の下、上海のイギリス系の出版社 Kelly & Walsh社から出版されました。そこに南京の人口は11月末20万が、12月中ずっと20万、陥落(12月13日)から1ヶ月後の1月14日には25万人と記録されているのです。大量虐殺はおろか、100人単位の虐殺も全くうかがうことができないのが、この記録です。当時日本軍とともに100名を超える記者・カメラマン等が南京に入ったのに、誰も虐殺など見た者がいないという事実と完全に符合します。
 すなわち、南京事件については既に決着が実質的についているのです。
 こうした背景の下、「南京事件の真実を検証する会」(会長:加瀬英明、事務局長:藤岡信勝)は、昨年5月に胡錦涛主席が来日した折に、公開質問状を提出しました。(中文を提出しましたが、日英文も含め同封します。)ここに提起された5カ条で、南京問題の骨子は尽きているかと思います。そして、今に至るも胡主席からの返答はありません。答えられるはずがありません。まともな人間常識をもってすれば、これに回答することはまず不可能でしょう。「史実を世界に発信する会」の英文サイトにこれは掲載されておりまして、これを見たアメリカの学者から、Holocaust Denier ではないか、という投書がありましたので、Denier は毛沢東であり、国民党だ。それよりあなたは、この質問に胡錦涛に代わって答えられますか、と反論したところ、全く答えにならない答えを言ってきました。日本側の資料だから、などとバカなことを言ってきましたが、御覧の通り5点中の4点は外国資料に基づくものです。
 海外から公開質問状についての反響が来つつありまして、Asianists’ Asia という小さなジャーナルから、これについてもう少し解説を書いてほしい、という依頼があり、私が書いたものが同封の Why PRC President Cannot Respond to Open Questions Concerning the Nanking “Massacre” です。
 すなわち、歴史認識にかかわる重大問題について、古色蒼然たる学会の「誤った」通説をうのみにして、日本側の見解を出すなどということは、学者としての良心にもとる行為ではありませんか。最新の資料と研究成果を十分に取り入れた見解を出すのが、国を代表する学者としての務めではないかと考えますが、如何でしょうか。
 今回のこの報告書作成について、厳重な抗議と何らかの善後処置を要求するものです。
 私の個人的な書簡でありますが、内容は貴殿の個人的なことに関するものではありませんので、公開させていただくつもりですのでご承知おきください。

敬具

2010年1月 9日 (土)

10自民党県連青年部新春街頭
ひたすら外国人参政権反対を訴える!

 昨日早めに寝たためか、4時に起床。

 メールの返信やブログの書きこみなどを行ったのち、7時に大粒納豆、山芋とろろ、さつま揚げでご飯2杯の朝食をとる。

 9時から某町内会の集会場に行き、新年のご挨拶とともに市政に関する意見交換。こちらでお渡しした議会での資料とマスコミで報道される内容とのあまりの乖離に驚かれている様子であった。

 11時、事務所に戻ったところで、来客。

 12時過ぎ、あわてて新潟市に向かって移動し、13時30分、自民党新潟県連に到着する。毎年恒例の青年部新春街頭である。

Cimg2048  自民党新潟県連の街宣車に乗り、14時から新潟駅前にて街頭演説。南魚沼市の塩谷寿雄議員、桑原圭美議員、魚沼市から昨年残念ながら勝利を掴むことができなかった五十嵐茂昭氏などが参加した。
 冒頭は、自民党・塚田一郎参議院議員による国政報告があり、途中、通行されている何人かの方から

 「自民がんばれよ。民主も駄目だっけさぁ~。」

といった旨の声を頂いた。ありがたい限りである。
 私自身は、民主党政権の危うさ、民主党・小沢一郎幹事長の天皇陛下政治利用、献金問題など色々と訴えたいことがあったが、ひたすら外国人参政権について、以下の論点で演説を行った。

・外国人への参政権付与は憲法違反。
・これは差別ではなく、区別。
・どうしても参政権がほしいなら帰化し、日本に尽くすべし。
・税金を納めていることと、参政権の付与は話が違う。

Cimg2056  15時、さすが にお腹が空き、街宣の休憩時間に入ったコンビニで「ハムチーズベーグル」を購入して昼食。
 ベーグルはもはや定番の感があるが、高校生のとき、初めて訪れたアメリカで食べたときには、「何だこりゃ」という味でいまいち好きになれなかったパンである。

Cimg2054 その後、さらに新潟市内を街宣し、同世代でもある自民党・小林一大県議会議員も合流した古町十字路で、再度、時間をとって外国人参政権付与への反対を

「日本のことは日本人で決める!」

『日本は日本人だけのものではない』というすっとぼけたどこかの首相がいるが、日本は日本人のもの」

と訴えた。
 ありがたいことに、拳を上げて賛同の意思を表してくれる30代らしきカップルや、拍手をしてくれる初老の方が複数おり、外国人参政権はやはり反対の世論が多いことを実感。
 また、長年自民党支持者だったというご老人からは、

「前回は自民党にお灸すえるために民主党に入れた。でも、アンタらみたいな若い世代に代ってくれるなら、また自民党に入れる」

とのご意見を頂戴した。
 17時まで活動をしたのち、自民党新潟県連に戻る。

Cimg2057 20時から、亀田駅近くの「居酒屋 豚侍」(電話:025-381-0129)で打ち上げ兼懇親会。店名のごとく豚肉専門店であり、南魚沼市の「和豚もちぶた」生産農場品を使っているという。
 豚しゃぶしゃぶ、各部位を一串にまとめたミックス串、ミミガー、豚ホルモンをつつきながら、運転があるため「キリン フリー」を飲む。

 22時、お開きとなったため、そのまま都内に移動。

2010年1月 8日 (金)

蒋介石「以徳報怨」のウソ

 2時、就寝。

 7時、起床。大粒納豆、目玉焼き、ひじきの煮物、イカの塩辛でご飯2杯の朝食をとる。

 8時過ぎ、新潟市内に向かって移動。

 10時から12時まで、新潟市内の某社にて、新年の挨拶とともに打ち合わせを行う。

 コンビニで買ったブリトーロール(ピザ&ソーセージ)、納豆巻き、低脂肪乳、グレープフルーツジュースで昼食をとりつつ、柏崎に戻る。

 15時、17時と事務所に来客。資料をお渡しするとともに、今後の組織作りなどについて話し合う。

Cimg2039  18時過ぎ、親族が来たので、そのまま長岡市に移動し、「スタミナ苑」(電話:0258-28-2525)にて夕食。生ビール大ジョッキ(800ml)3杯を飲みつつ、ハラミ、タン塩、ホホ肉、テッチャンなどを食べる。カルビが名物との評判であるが、やはり内臓の脂の旨みの方が上に感じる。

 21時過ぎ、自宅に戻ったところ、祖母の具合が良くなく、しばらく様子を見る。

 連日の飲み疲れからか24時に就寝。

 昨年の平成21年12月23日、東京で行われた「日台共栄の夕べ」において、自民党の某首相経験のある北陸地区選出衆議院議員から

 「日本が分割されなかったのは
    蒋介石の『以徳報怨』のお陰だ」

との挨拶があり、台湾人参加者からあきれられたという。
 二・二八事件など、あれだけ台湾人を無差別大量虐殺した蒋介石のことを理解せず、台湾を持ち上げたつもりだったのであろう。日本統治時代、そして日本が敗戦したあとの歴史をよく勉強していなかったことが分かる。

 「人の振り見て我が振り直せ」

日々の研鑽を怠ることがないようにしたい。


日本人を感激させた蒋介石発言「以徳報怨」の背景
(2002年7月8日)

            台湾独立建国聯盟主席 黄 昭堂

■台日関係と「蒋介石恩義論」

 台湾は日本の最初の植民地であり、一八九五年から一九四五年まで、日本の支配を受けた。日本の敗戦に伴い、台湾は中華民国国民党政権の支配下に入って今日に至っているが、五〇年にわたる日本の台湾支配は、いまでも大きな影響を残している。
 日本の台湾領有の目的は、収奪よりも領土の拡張にあった。教育を通じての台湾人の文明度の向上、衛生の改善を通じての居住環境の向上、基礎建設、産業建設を通じての生活向上などは、収奪の視点からのみでは解釈はできない。ただ、植民地人である台湾人への高圧的態度は、台湾人に不愉快な思い出を残し、この五〇年にわたる植民地時代に対する客観的評価を困難にさせているのである。
 加えるに、蒋介石、蒋経国父子は、台湾解放者としての自分たちの功績を際立たせるため、日本の台湾統治を醜悪化することに専念した。かれら自身、それに国民党の高級幹部を含め、戦後、一貫して親日的態度をとる反面、日本文化の台湾流入を阻止し、また、台湾に残存する日本文化の追放につとめた。端的にいえば、それは、日本の書籍はもちろん、歌まで輸入禁止にしていたことでもわかるように徹底したものであった。台湾人が親日的になるのを阻止し、日本との親交関係を国民党政権が独占する政策をとったのである。
 元来、台湾人は多かれ、少なかれ、植民地時代には日本人から屈辱的な仕打ちを受けているのだが、日本に代わって台湾の支配者になった中華民国国民党政権の横暴さを経験してからは、一転して日本に好感を示すようになった。それが蒋介石たちをあわてさせたのだ。
 コミンテルンのおかげで、蒋介石は身を起こすことができたのだが、一九二七年に反共
クーデターで政権を握ってからは、後半生を反共に捧げた。もし、日本が満州事変を起こ
さず、さらには支那事変を起こさなかったら、中国共産党をせん滅できたはずだと、彼は晩年になっても残念がっていた。彼にとって、日本はいくら憎んでも憎み足りない存在であったはずだ。その彼が一転して親日家になったのは、中国共産党との対抗上、日本の中華人民共和国への接近を阻止し、日本の中華民国支持を得る必要性に迫られたからである。反共政治家としての面目躍如たるものがある。
 他方、日本の反共政治家も蒋介石政権の存在を必要とした。中華人民共和国の国際的影響力の増大を阻止するためにも、国際連合安全保障理事会常任理事国としての「中国」のイスを占める政権の存在が必要であり、蒋政権がその役割を担うのに役立つからである。
 かくて、一九五〇年代に「蒋介石恩義論」というデマゴーグが展開された。その内容はつぎのとおりである。

(1) 北海道がソ連の占領を免れえたのは、蒋介石総統が九州占領の権利を放棄して、これを阻止したからである。
(2) 天皇制を護持できたのは、蒋介石総統がこれを強く主張してくれたからである。
(3) 中国派遣軍と、在中日本人を蒋介石総統は無事に送還してくれた。
(4) 五百億ドルにのぼる対日賠償請求権を蒋介石総統が放棄してくれたから、日本はスムーズに復興できた。

 内容的には、大方の日本人の肯けることばかりだ。その結果、左派は別として、日本国
中に蒋介石賛美が浸透した。
 そのころ、台湾人は台湾に脱出してきた蒋介石の圧制に苦しんでいた。四七年の国民党中央政府軍による弾圧(二・二八事件)につづいて、四九年から五〇年にかけての政治反対者の大量逮捕、三七年にわたって続いた戒厳令の発布、国会議員の終身制、秘密警察(特務)の跳梁……。
 台湾人の苦しみを横目に見て、日本の政治家は言う。「蒋介石総統を支持しなくちゃ」。そしてこの「蒋介石恩義論」は、いまでも根強く残っている。紙数に限りがあるので、簡単にいうと、真実はこうである。

■蒋介石の対日賠償放棄はウソである

 対日戦争で勝利を得た蒋介石ではあるが、重慶に逃げ込んだままになっていた彼が、中央政権を握るためには、中共軍との熾烈な内戦に勝たねばならない。したがって、日本本土に国民党軍を送る余裕はあろうはずはなく、また、中国に派遣されていた日本軍が中共軍と手を結ぶのを阻止するには、彼らを一刻も早く、日本本国に送還する必要があった。天皇制存続が可能になったのは、むしろ米国の知日派の主張によるものだ。賠償放棄に至っては蒋介石が自ら思い立ってそうしたものではなかった。
 一九五一年に日本が台北で蒋政権と「日華平和条約」締結交渉をしたさい、蒋政権は「
国民感情が許さない」と称して、賠償を強く要求した。日本側は、中華民国政府は台湾しか支配していず、中国本土に支配権を及ぼしていないとの理由で、その要求を蹴り、一時は交渉が中断し、日本側代表団は本国に引き揚げた。最終的にはダレス米国務長官が蒋介石に圧力をかけて、賠償要求を断念させ、そのかわりに、条約の議定書に「中華民国は、日本国民に対する寛厚と善意の表徴として、……〔賠償請求権〕を自発的に放棄する」旨を盛り込み、蒋介石の面子を保ったのである。この経緯は、外務省編集の『外務省の百年』(原書房)で明らかにされている。
 ついでながら、哀れをとどめたのが中華人民共和国である。後年(一九七二年)、日本と国交を回復するにあたって、中国政府は日本に五百億ドルの賠償を要求したが、「この問題は一九五二年の日華平和条約で解決ずみだ」と、日本側に一蹴され、とうとう一銭も賠償金を得ることができなかった。
 この観点からいえば、日本は結果的に蒋介石から恩義を蒙ったことになる。蒋介石が利用されたといえないこともない。
 ともあれ、日本政府、自民党と国民党政権は、その親密度を増やしていく。かつ、一人歩きを始めた「蒋介石恩義論」によって、一般の日本人も台湾人の苦しみを横目にみながら、国民党と仲良くなっていくのである。

■最後まで蒋政権を支持した日本

 現在の台湾経済は、多くのアジア諸国のなかでは相対的に発達しているといえる。その原動力は(1)台湾人の能力と勤勉さ、(2)日本が残した建設が素地になっている、(3)米国が一五年の間に供与した計三〇億ドルにのぼる軍事・経済援助、(4)農民、労働者、環境汚染の犠牲の上に成り立っている。主としてこの四点にあった。
 
台湾人は日本との五十年にわたる「共同生活」によって、その消費性向は日本化した。地理的にも近いため、輸送費は安あがりである。ともに島国であるので、コンパクトに仕上げられる製品は、台湾の需要にマッチする。日本語が通用するので、製品、機械の活用上、便利だ。これらの理由により、台日間の貿易、殊に日本からの輸入は、「先天的」に発展する素地があった。
 
台湾への投資についても同様のことがいえる。言語(日本語)が通用する便利さと、そ
れを通じての意思疎通が比較的に容易であること、地理的に近接し、かつ労働の質が高いことなどが、日本の台湾投資を促した。国民党政権による戒厳令が、台湾労働者の集団争議やストライキを不可能にしたことも、「安定」を必須条件とする外国人投資家にとっては魅力だった。中華人民共和国と国連の場で、「中国代表権」を争う国民党政権にとって、外国からの投資は、自分を支持する証しであるとともに、投下資本そのものが人質になる。「投資人質論」である。この観点から、国民党政権は外資導入をさかんに推進した。こうして、日本の台湾への投資、台日貿易は増加の一途を歩んだ。

 日本と蒋政権との関係が一時大きく挫折したのは一九七二年のことである。
 この前年の七一年七月に、ニクソン米大統領が、蒋政権と対立関係にある中華人民共和国への訪問予定を発表(実際には七二年二月訪中)、つづいて十月に蒋政権は国連を追われ、中華人民共和国政府が中国の代表として、安保理と国連総会の席を占めた。
 これに先立ち、日本と米国は、蒋介石に、「台湾」の名で国連総会にとどまるよう説得したが、功を奏しなかったのである。
 
大勢すでに去ったのを見て、日本は七二年九月に中華人民共和国と国交を樹立し、同日、蒋政権が日本と断交するという形で、台湾と日本との正式の外交関係が切れた。日本は蒋政権が国連を脱退するまで、つまり、最後の最後まで、国連の場で、蒋政権を支持してきた。「蒋介石恩義論」の延長である。日本の蒋政権支持は、中華人民共和国による台湾侵攻阻止に役立ったとみるむきもあるが、果たして本当だろうか。
 
台湾は日本にとって大事な貿易パートナーであり、安心できる投資先でもある。台湾が中華人民共和国の手中に入れば、日本は南で共産主義国と国境を接することになり、心理的にも脅威感が増大する。また交通面では、航空識別圏の問題で、空路不安が生じ、海の貿易航路でも安全性の問題が生じる。だから、日本としては、できるかぎり、台湾を中華人民共和国に渡したくはない。日本にとっての国益の発露である。国益の追求は、現今の国際社会では至極当然のことであって、非難すべきではない。
 
ただ、蒋政権への強力なバックアップが、蒋介石の自信を強め、彼をして最後まで「一つの中国」に固執させ、「自分こそ中国の唯一の正統政府」という神話をとりつづけることを可能にしてきたといえないだろうか。
 
五八年に米国は蒋政権に「大陸反攻」を断念させたが、日本が、あの時点から蒋政権に対して、不即不離の形で、つまり、強力なバックアップをせずに、緩やかな政策をとっていたならば、蒋政権はあれだけの強気の「一つの中国」論を展開できなかったはずだ。「蒋介石恩義論」は蒋介石を不毛の強気に追いやっただけである。

2010年1月 7日 (木)

オンラインゲームで日本海が朝鮮海に?

 2時、就寝。

 7時、起床。大粒納豆、鮭の塩焼き、なめこおろしでご飯2杯の朝食をとる。

 9時、11時と事務所に来客。その後、そのまま長岡市に移動する。

 13時、長岡市駅近くの某喫茶店で、東京都内から来て頂いた某社の担当者と打ち合わせを行う。今年中には何とかかたちにしたい。
 打ち合わせをしながら、ミックスピザ、ツナサンド、トマトジュースで昼食。

 16時、事務所に戻り、事務仕事を行う。

Cimg2024  18時、自家製の塩辛納豆をベースにした豆板醤、牛合挽き肉、ニンニク、ラー油、花山椒、木綿豆腐を使った激辛麻婆豆腐を作り、水菜サラダ、ご飯2杯で夕食をとる。
 舌にビリリとくるような山椒の風味にご飯がよく合う。

Cimg2026  食事中、ノートパソコンの修理依頼の電話があり、取りにうかがう。
 CPUファンが全然まわっておらず、熱暴走でCPUも昇天。幸いなことにCPUを交換できるタイプのマザーボードだったため、在庫のCPUに交換、CPUファンは分解してファンモーターを交換し、修理が完了した。

 韓国は官民あげて、「日本海」の呼称を「東海(トンヘ)」にするという活動を行っており、日本海に面する柏崎市民として、強く反対するものである。
 しかし、日本のゲームメーカー自体が、「東海」ではないものの、「日本海」を「朝鮮海」と表記したとの記事があった。
 かつて、MSXというパソコンの走り(当時はマイコン)を使って、「コーエー(旧:光栄マイコンシステム)」のシミュレーションゲーム、「信長の野望」等で遊んでいたことを考えると、非常に残念である。


平成22年1月5日『産経新聞』

オンラインゲーム
日本海が朝鮮海に

 日本製の人気オンラインゲームで、日本海を「MER DE COREE」(朝鮮海)と表記している地図が使われていることが分かった。開発したゲームソフト大手「コーエー」(横浜市)のホームページ上の公式掲示板には、「大変不快」「どこの国の企業なんだ?」などとユーザーの非難が殺到。日本政府の見解と異なる表記を使用したことに識者からも批判の声が上がっている。

コーエー開発「国際関係の意識が希薄」

 問題となっているのは、日本人ユーザー向けに先月、公開されたオンラインゲーム「大航海時代 Online」シリーズの「El Oriente(エル・オリエンテ)」。歴史上の大航海時代の世界を舞台にしたロールプレーイングゲームで、オープニングムービーに映し出される古地図で、日本海の部分がフランス語で「朝鮮海」を意味する「MER DE COREE」と書かれている。
 これに対し同ゲームの公式掲示板には「日本人ユーザーの気持ちを無視している」などと修正を求める書き込みが相次いでいる。コーエーは産経新聞の取材に対し「現存する古地図をそのまま利用した。修正は予定していない」と説明。古地図の出典や採用の経緯については回答しなかった。
 大航海時代は日本人ユーザー3万人以上の人気シリーズで、韓国では2005年から公開されている。エル・オリエンテの韓国での公開開始については明らかにされていないが、コーエーは「すべてのユーザーに配慮した」としている。
 日本海の呼称をめぐっては、韓国・北朝鮮が国連に同時加盟した翌年の1992年から「東海」との併記や「朝鮮海」への表記変更を強く要請。「日本海」は植民地時代に押しつけられた表記だと主張している。
 しかし、外務省が平成16年に、仏国立図書館所蔵の16世紀から19世紀の間に発行された古地図1495枚を調査したところ、「日本海」は249枚あったものの、「朝鮮海」はわずか60枚だった。歴史的に「日本海」という表記が一般的だったと判明している。
 日韓関係に詳しい下條正男拓殖大学教授は「批判の声をあげているユーザーは、日本の主権を理解している」と評価。コーエーに対し「国際関係の意識が希薄で、見識を疑う。訂正を求めたい」とした。
 コーエーは、「信長の野望」「三國志」シリーズなどの人気ゲームを開発したことで知られる。

2010年1月 6日 (水)

世界最大級の原発建設へ
フランスと手を組む中国

 2時から4時まで仮眠し、その後、スカイプにて在外邦人の某氏をはじめ、時差がある国の方々から情報収集。

 7時から再度、仮眠をとる。

 9時、大粒納豆、目玉焼き、水菜のサラダでご飯2杯の朝食。

 午前中は、会社関係の仕事で市内まわり。

 13時、事務所に戻り、冷凍うどん、ちくわ磯辺揚げ、ひきわり納豆、生卵で作った、納豆天玉うどんで昼食をとり、食後、そのまま上越市に移動する。

 15時、上越市内で会社関係の打ち合わせ。

Cimg2023  18時過ぎ、柏崎に戻り、18時30分から「ままや」(電話:0257-22-7169)に移動にて、新年会を兼ねた今後の社会活動に関する打ち合わせを行う。
 柏崎の観光のためになり、かつ少しでも職につきたいという方々のためになればとの想いである。

 21時過ぎから某スナックに移動し、二次会。なぜか70年代か80年代の曲限定でカラオケということになり、小学校の頃に聞いていた歌が中心となる。久々にキャンディーズの「危ない土曜日」を聞いた。

 24時、帰宅。

 昨年2009年の国際社会における原子力政策は、

・ドイツ新政権発足による脱原子力見直し。

・スウェーデンにおける脱原子力政策の撤廃、既設炉の新規炉へのリプレース計画の政策合意文書の発表。

・原子力発電が全廃されたイタリアでの原子力凍結解除の法案成立。

・アメリカにおいて、原子発電所新規建設計画、支援するための電力会社への税制優遇措置

などの欧米諸国における「原子力ルネサンス」に加え、ベトナムなどのアジアでも原子力開発計画が具体化した。
 当然、我が柏崎市が今後、世界に開かれた都市になるためには、中越沖地震を経験した柏崎刈羽原子力発電所の存在は欠かせない。
 しかし、これまでの「世界最大の原子力発電所」というキャッチフレーズにたよってもいられない変化、中国での原子力発電所建設ラッシュもある。
 耐震技術、運転技術、そして反対派の存在など真の意味で「世界一の原子力発電所がある、柏崎市」を目指す時期にきている。


平成21年12月22日『産経新聞』

仏電力公社が中国で合弁
世界最大級の原発建設へ

 中仏の合弁会社の設立式典(AP) 新華社電によると、中国の原子力発電大手、広東核電集団とフランスの電力大手フランス電力公社(EDF)は21日、広東省で原発を建設するため、約167億元(約2200億円)を投じて合弁会社を設立した。出資比率は中国側が70%、フランス側は30%。
 合弁会社が手掛ける広東省の台山原発着工も発表。同原発の1期工事では、単一の炉としては世界最大級となる出力175万キロワットの欧州型加圧水型軽水炉(EPR)2基を建設、1号機は2013年末に運転を開始する予定という。
 中国は、急増する電力需要への対応や地球温暖化対策で原発建設を急ピッチで進めている。21日の設立式典には、中国の李克強副首相と、訪中しているフランスのフィヨン首相が出席した。(共同)

2010年1月 5日 (火)

アタチュルク像、トルコ国外では最大
トルコ国内でアタチュルク像報道

 情報をもらったトルコ国内の新聞社のサイトを巡回するも、英訳版をなかなか見つけられず、3時に就寝。

 7時、起床。大粒納豆、目玉焼き、イカの塩辛、白菜浅漬けでご飯2杯の朝食をとる。

 8時から12時過ぎまで、市内まわり。昨年末に依頼された仕事などを片付ける。

 13時、一旦自宅に戻り、冷凍うどんと椎茸、白菜、油揚げを入れて煮込み、最後に挽き割り納豆をかけた納豆鍋焼きうどんで昼食。

 14時、17時と事務所に来客があり、市政に関して数々の真相を確かめるご質問を頂いたため、議会での資料等をコピーしてお渡しした。

Cimg2021 電気自動車に関する資料を読み込んだのち、20時30分、越後もち豚のモモ肉を茹でてニンニク醤油をかけたもの、大根サラダ、野沢菜の古漬けでご飯2杯の夕食をとる。
 食後からも電気自動車に関する世界各国の取り組み状況や技術開発の今後の課題などを調べる。

DSC01244  本年2010年は、エルトゥールル号事件から120年となることから「2010年トルコにおける日本年」となった。この事から、本年1月3日から4日まで岡田克也外務大臣がトルコを訪問し、アブドゥッラー・ギュル(Mr. Abdullah GUL)大統領をはじめ、アフメット・ダーヴトオール(Dr. Ahmet DAVUTOGLU)外務大臣との会談、そして「2010年トルコにおける日本年」のオープニング式典に出席した。
 そして、アタチュルク像問題についての経過説明と謝罪が岡田外務大臣からあったという(トルコ国内某自治体関係者より)。
 発言した詳細な内容を議事録などのかたちでまだ入手はできていないが、トルコ国内の複数の新聞でアタチュルク像の移設まで書かれた記事が4日から5日にかけて掲載されたことから、事実であろうと推測できる

一例:Hürriyet紙(英文)
「Erecting Atatürk’s statue in another corner of the world」

トルコ語の別記事:http://www.nethaber.com
「Kaidesiyle birlikte 7.5 metrelik Atatürk heykeli Japonya’nın Kushimoto kentine dikilecek」

 内容としては、両国のため今年のイベントに影響がないよう、ご苦労をされた駐日大使への配慮もあって、以下のようなストーリーになっている。

・新潟地震?により、トルコ文化村は廃業となり、この地震によって銅像にも損害があり、保管されていた。しかし、今回、もうすぐ再建される

 記事によっては「Kashiwazaki:柏崎」の名称が出ておらず、「Niigata:新潟」という表記のみで新潟県民皆様へは申し訳ない限りであるが、両国のためにはこのような報道でまずは安心したところ。
 また、今回のトルコ語を何とか読んで分かったことは、旧柏崎トルコ文化村に建立されていたアタチュルク像(重さ8トン、全高7.5メートル)は

・トルコ国外にあるアタチュルク像では一番大きい。

・トルコ国内を入れても3番目の大きさを誇る。

だったことである。

 本来であれば、柏崎市で引き取り、柏崎市から和歌山県串本町に移設するのが筋であるが、今回のように一旦、トルコ共和国に返す(駐日トルコ大使館)かたちになったのは、恥の極み
 今年、是非、トルコに行き、関係者の皆様にお詫び申し上げたいと思う。

2010年1月 4日 (月)

平成22年新年賀詞交換会
事務所に投石!陰湿な手口

 1時過ぎ、新潟市に到着。駅近くのホテルにチェックインし、2時に就寝する。

 7時、起床。コンビニで買った納豆巻き、おにぎり(筋子)、低脂肪乳で朝食をとったのち、ホテルをでる。

 時間調整をしてから、8時30分から某社に行き、新年のご挨拶、打ち合わせを行う。

Cimg2009 10時、事務所に戻る。
 昨日までの荒れ模様とは違い、晴れていたため、事務所の大きな窓を開けようとしたところ、明らかに投石と思われるガラスの傷があった。
 網戸を破り、ガラスにぶつかったようであるが、強化ガラスだったため、割ることができず、石はそのまま下に落ちていた。
 今日から仕事始めということもあり、何かの警告か単なる嫌がらせか不明であるが、やる事が陰湿である。

Cimg2006  11時、柏崎市市民プラザに移動し、平成22年新年賀詞交換会に出席。
 冒頭、祝舞「松」があり、その後、国歌斉唱となった。国旗を掲揚すると「戦争がやってくる」と言っていた共産党の市議会議員が日の丸の真っ正面に陣取っていたのが笑いを誘い、また国歌を歌わない市議会議員もおり、毎年のお約束ながら違和感を感じた。
Cimg2008 会田市長から年頭の挨拶があったが、コマツ跡地をコモタウンとしてウオロクが進出することや新市民会館の件など昨年決まったことをダラダラと話し、言葉の最後には

 「ということですので、宜しくお願いします」

というもので、昨年の市職員逮捕にはじまる税金の無駄遣いなど懲戒処分を行った一連の不祥事について、市民への謝罪もなければ、今後の信頼回復への意思表示もなかった。リーダーとして、そして真面目に働く市職員のためにも、ここで発言しておくべきだったと思う。
 さらに言えば、日本人として、柏崎市民だけではなく、日本国民に謝るべき、アタチュルク像に関する発言もなかった。
 また、

 「市制施行70周年を記念して
    核兵器廃絶平和都市宣言を・・・」

の発言については、その後の懇親会の場や帰り際での何人かの市民の方から、

 「市制施行と何の関係があるんだ?」

との至極全うなご意見が寄せられた。
 来賓の国会議員は、民主党・鷲尾英一郎衆議院議員、民主党・田中直紀参議院議員、社民党・近藤正道参議院議員であり、初めて自民党国会議員が登壇していないという状況。

 12時過ぎに終了し、その後、市内での会社関係の支払いや請求書の送付などを行う。
 急ぎで電話したい用件があったが、愛用の携帯電話のソフトウェア更新があり、電話できず・・・タイミングが悪い。

Cimg2014  食事をとる間もなく、13時過ぎ、西山町出身の平成会・荒城彦一議員とともに、西山ふるさと館に移動。
 14時から平成22年西山町共同年賀に出席させてもらう。
 国会議員は、地元にゆかり深くも、いまや民主党所属である田中直紀参議院議員のみであった。

Cimg2015 式典の後、懇親会となり、非常に数は少ないものの西山町で知っている方々と色々とお話をさせてもらい、充実した時間となった。
 なかでも中学校時代に教わったO先生とは中学卒業以来であり、昔のいわゆるヤンキーと今時の問題を起こす生徒の違いについて、意見交換を行った。

Cimg2016  16時に終了し、その後、柏崎市役所に移動。
 会田市長が肝いりで実施したという、「核兵器廃絶平和都市宣言」と書かれた4メートルの看板を確認する。今後も、予算をかけて、記念フォーラムなどを開催していくという。
 いま柏崎市がやるべきこと、日本国政府としてやるべきこと、そして世界がやるべきことを考えれば、こういった屋上屋を架すような事をするよりは、柏崎市長として目の前にもっと先にやるべき事がある。不況の真っ直中、地域経済や就業問題など、本当に困っている柏崎市民を助けることをやるべきではないのか。
 次回の議会で、「核兵器廃絶=平和」というお花畑発想を含め、じっくりと問い質したいと思う。

Cimg2019  17時30分まで議会事務局にて、資料整理をしたのち、市内で買い物。
 ふと日本酒売り場を見たところ、巨大な「ふなぐち菊水一番しぼり」の1リットル缶があった。2缶も飲めば相当な酔いになる酒であり、町内の懇親会などでは恐れられて?いるもの。

 「だ、誰が飲むんだコレ・・・」

と思わず一人で缶ビールのように飲み干すシーンを想像しビビったが、面白いので通常サイズの缶とともに購入。

Cimg2020  19時、事務所にて後援会のスタッフとともに食事をとりながら、収支報告書などについて打ち合わせを行う。
 青森県下北郡大間町の帆立の刺身、近海鯖の塩焼き、紅茶で煮た煮玉子などとともに、「ふなぐち菊水一番しぼり」を飲む。シメは、挽き割り納豆とイカの塩辛をご飯の上にのせて、熱いほうじ茶をかけた納豆塩辛茶漬け。

 食後から録り溜めておいた正月のテレビ番組を見る。

 21時、某国に留学中の方から岡田外相のトルコ訪問に関しての情報が入ってきた。発言内容や議事録をのちほど入手し、内容を詳しく確認したい。

2010年1月 3日 (日)

民主党、北朝鮮と極秘接触
政局重視の幕引きに要注意

 3時、就寝。

 7時、起床。大粒納豆、目玉焼き、イカの塩辛でご飯2杯の朝食をとる。

 8時から11時過ぎまで市内まわり。あまり人がでていないため、道路はスイスイであった。

 買い物をしたのち、12時に帰宅。焼いたもちに挽き割り納豆を挟み、海苔で巻いたもの4個で昼食をとる。
 食事中に電話があり、間違ってパソコンのシステムドライブをフォーマットしたので、治してほしいとのことであった。しかも、年賀状に関するデータもあり、急ぎとのことで、ノートパソコンを回収。

 14時から17時過ぎまで、第62回ライスボウルの中継を見ながら、ノートパソコンのデータの復旧と再インストールを行う。個人データをなんとか復旧できたので一安心。そして、鹿島建設の残り4秒となってのフィールドゴールでの勝利に感動をした。

Cimg2001 19時、頂き物の半生讃岐うどんを茹で、冷蔵庫にあった残り物やおせち料理の残りを刻んで混ぜた特製かき揚げ、挽き割り納豆とショウガを効かせたつゆで夕食をとる。
 食後から事務所にて、かなり溜まっていた資料の電子ファイル化を行う。

 24時、某氏と待ち合わせをし、新潟市まで移動。

 正月の新聞各紙はスクープを競うが、今日の産経新聞一面は拉致問題があった当市としては見過ごせない記事であった。


平成22年1月3日『産経新聞』

民主、北と極秘接触
複数ルート、拉致被害者の確認要求

 北朝鮮による日本人拉致問題をめぐり、複数の民主党関係者が昨年夏以降、数回にわたって中国で北朝鮮側と極秘に接触し、拉致被害者の行方を確認するよう要求していたことが2日、分かった。鳩山政権と北朝鮮側との接触が明らかになったのは初めて。また北朝鮮側は、民主党関係者に対し、拉致被害者の中に生存者がいる可能性を示唆しているという。北朝鮮側の対応次第では今夏の参院選前にも日朝両国の公式協議が始まる可能性が出てきた。

北、生存の可能性示唆

 複数の政府・与党関係者によると、秘密接触は政権交代が実現する前の昨年夏ごろから始まり、鳩山内閣の発足後に本格化した。
 秘密接触の1つのルートは、小沢一郎幹事長に近いとされる人物で、ほぼ月に1回の割合で北京の北朝鮮大使館を訪問している。もう1つは、昨年10月中旬に、別の党関係者が首相官邸サイドの意向を受けて訪中した。このときは「仲介者をはさんだ形で、北朝鮮の高位にある人物と日朝間の諸懸案について意見交換した」(日朝関係筋)という。
 一連の接触で、民主党側は拉致被害者の行方を改めて確認するよう要求した。北朝鮮側からは、名前や身分など具体的なことは明らかにしないものの、「体をこわした人がいる」という返事があったという。
 日朝関係筋によると、秘密接触には金正日総書記側近の一人で、対韓政策の実務責任者である金養建・朝鮮労働党統一戦線部長が関与しているもようだ。外務省幹部は「生存者情報の真偽は不明だが、北朝鮮は民主党政権の考えを探りに出ているのではないか」とみている。
 鳩山由紀夫首相は昨年12月、自らの訪朝について「北朝鮮に行く必要が出てきたときには体を張っていくべきだ」と表明している。数回にわたる秘密接触は、首相や小沢氏らの訪朝への地ならしで、拉致被害者の生存を訪朝の「成果」にしようとの意図があるとみられる。
 対北朝鮮問題に取り組んでいる民主党関係者の一人は産経新聞の取材に対し、秘密接触への自らの関与を否定した上で「政府高官からも日朝間の状況を聞かれ、『何か動きがあれば教える』と言ってある」とこたえた。
 拉致問題をめぐり北朝鮮側は、福田康夫内閣時代の平成20年8月の日朝実務者協議で、拉致問題を再調査するための委員会の設置を約束した。しかし、9月の福田内閣退陣表明を受けて、調査の「延期」を通告していた。
 一方で、金総書記が昨年10月の中国の温家宝首相との会談で「対日関係改善の用意はある。いまは鳩山政権の出方を注視している」と述べ、中国側も「このチャンスを逃してはならない」との考えを日本側に伝えたとされている。


 拉致被害者が帰国は、もちろんの事ながら望むところであり、是非、実現してもらいたい。
 ただ懸念されるのが、参議院選挙に勝つための材料として使われ、かつ拉致の可能性が高い特定失踪者をはじめ、他の拉致被害者の扱いがどうなるのか、である。
 民主党の政局のために数人だけを引き渡し、そこで幕引きとなるのが最悪のシナリオ。今後どう進むのか、注視していく必要がある。

2010年1月 2日 (土)

中国製新幹線トラブルと原子力発電
乗客モラルとシステム対応

Cimg2003  年賀状などの整理やメールの返信などをしたのち、新作作品「ウルトラマンメビウス外伝 ゴーストリバース STAGE 2」を観ながら、4時に就寝。
 メカザムとの共闘と死闘、ウルトラマンヒカリの作戦、ウルトラマンタロウのストリウム光線、ウルトラマンエースのメタリウム光線などが新しいかたちで表現されており、非常に面白い作品であった。
 是非、今後もウルトラマンゼロと一緒にウルトラマンメビウスも新作をだしていってほしいと思う。もちろん、指南役としてウルトラマンレオの登場を願う。

 8時、起床。大粒納豆、蓮根煮物、のっぺ、イカの塩辛でご飯2杯の朝食をとる。

 9時過ぎ、甥っ子と姪っ子が来たので、お年玉をあげたのち、午前中いっぱい預かる。外で遊べないので、ウルトラマンメビウスやアンパンマンのDVDを見せて過ごす。

 13時、一度食べてみたかった日清食品の「ジャンクガレッジまぜそば」で昼食。 ガテン系のまぜそばの究極というお店の味が再現できているのか確認したいという思いで買ったが、太麺の存在感やニンニクペースト、魚粉など、インスタント食品としては非常にレベルの高いものであった。

 14時から18時過ぎまで、親戚との懇談や買い物。従兄弟の結婚式に本家代表として出席することになったが、自分自身が独身なのでシャレにならない。

Cimg2000  20時、半額になっていた黒毛和牛、無農薬栽培に挑戦した方からもらった白菜、自家栽培の椎茸、大粒納豆(伊勢納豆)、ビール500ml3本で夕食をとる。
 タレはポン酢にしようか、胡麻ダレにしようか迷ったものの、自分ですった胡麻を追加した胡麻ダレにし、シメは冷凍うどん。

 22時から24時までスカイプにて、在米の友人やそのお友達の方と会話をするもの、こちらが酔っていることに加え、先方が自国なまりの英語のため、なかなか聞き取れず、途中、気まずい雰囲気となる。

 昨年末、中国で走る中国製新幹線のトラブルが、乗客モラルの観点から報道された。


2009年12月30日『Record China』

全車両禁煙の世界最速鉄道でやっちゃった!
乗客の喫煙で3時間立ち往生―広東省広州市

 2009年12月29日、今月26日に開通し、世界最速の営業運転を実現した旅客専用高速鉄道「武広客運専線」で、故障により3時間も立ち往生するトラブルが発生した。これにより、出発前の車両内に670人の乗客が閉じ込められた。武漢晩報の30日付の報道。
 全長1068.6km、湖北省武漢市と広東省広州市を結ぶ旅客専用の高速鉄道「武広客運専線」は最高時速350キロでの走行に成功した世界最速の鉄道。同区間の移動所要時間は従来の10時間30分から3時間に短縮され、航空機に肩を並べる移動速度を誇る。
 29日午後3時、広州北駅を出発予定の列車に異変が起こった。出発時間を過ぎても一向に発車の兆しが見られないのである。出発を今かと待っていた乗客のいら立ちをよそに、駅員からの説明は一切なく、ただ「着席してお待ちください。車外に出ないでください」とのアナウンスが繰り返されるばかり。その後、疲れ果てた670人を乗せて列車が出発したのは午後5時35分のこと。後続の列車も1時間ほどの遅延となった。
 調べで分かったところによると、立ち往生の原因は「乗客の車内喫煙」。同線はデッキやトイレを含む全車両が禁煙となっているが、どこかの不届き者がそのルールを破ったようだ。車両は喫煙を感知すると安全装置が作動し、“故障”と認識する。その故障の原因が完全に取り除かれるまで安全装置は解除されず、列車は動かなくなるのだという。振り替え輸送などに応じてもらえなかった乗客たちからは不満の声が上がった。(翻訳・編集/愛玉)


 さらに本日、以下のようなトラブル報道もあった。


2010年1月2日『Record China』

「タバコやめますか…」
トラブル続き世界最速超特急に
「システムが先進的すぎ」の愚痴も―中国

 2009年12月、開通したばかりの世界最速の高速鉄道・武広線だが、早くもトラブル続きに見舞われている。31日、長江商報が伝えた。
 武広線は26日に開通したばかり。わずか3日後の29日には乗客の喫煙が原因で発車できない事態に陥った。武漢市・広州市間をわずか3時間で結ぶ夢の超特急がタバコ1本で2時間半も足止めされる事態となった。
 30日には再び問題が起きた。武漢市郊外の農民が同線の高架橋下に危険な化学物質が積まれているのを発見。ただちに警察に通報した。化学物質はアルコールとメチルアルコール計80キロ。未開封ながら「廃」のマークがつけられていた。警察の危険物処理班が出動し押収している。
 また南方都市報によると、同日のG6009便が故障のため1時間遅れたという。詳しい原因は明らかになっていないが、乗り合わせた乗客は列車長が「システムが先進的過ぎて技術者がまだ慣れていない」とこぼしているのを聞いたという。(翻訳・編集/KT)


 中国で走るこの高速鉄道の車両には、我が国の川崎重工業が造る東北新幹線「はやて」型も使われている。
 最高速度350km/hで運行するのが、ドイツ・シーメンスが技術供与したCRH3型、250km/hで運行するのが、東北新幹線「はやて」型のCRH2型である。
 この輸出については、一部の車両を完成車として日本から輸出したが、その他は日本の部品供給を受けて中国メーカーが生産した。
 しかし、運行技術を提供したJR東日本は「営業速度、200km/h」という条件をつけており、あってはほしくないが、大きな事故を起こしそうな予感がするうえ、さらに技術提供した日本側に賠償を求めるようなことも予想できる。

 中国へのこういった技術提供と実際の運用に関わる問題は、高速鉄道だけでなく、もっと深刻で心配な技術もある。
 原子力発電所の建設と運転技術である。
 石炭火力からの移行に伴う、今後の中国の原子力発電所の建設ラッシュと運転開始については、これまで以上に注視していく必要があると思う。

2010年1月 1日 (金)

謹賀新年 平成22年(皇紀2670年)
至誠にもとるなかりしか

*政治家は時候の挨拶が禁止(公職選挙法第147条の2)されております。インターネットについては明確な規定はないものの、当該選挙区域の有権者が閲覧することから、自粛すべきという見解も多いので、明確な年頭のご挨拶ができず申し訳ありません。

Cimg1984  0時50分、お参りをしようと自宅前の閻魔堂に行くも、まだ開いていなかったため、外から手を合わせる。
 かなりの荒れ模様であり、気温もかなり低いため、外を歩いている人はほとんどいない。寒さから酔いも一気にさめてしまった。

Cimg1986  1時過ぎ、祖母が眠っているのを確認し、母とともに柏崎神社に移動。
 多くの人でごった返しているかと思いきや、他にいたのはカップル一組だけであった。
 お参りをしたのち、いつもお世話になっている宮司さんに新年のご挨拶をし、お札(700円)を購入する。これだけ天気が荒れて、人がこないのは近年にない、との宮司さんのお話であった。

Cimg1987  自宅に戻り、神棚にお札を納め、御神酒や水、米、塩などを新しいものに取り替える。
 毎年、伊勢神宮に行き、お札をもらっていたが、昨年は忙しく結局、行くことができなかった。今年は、母方の祖母の希望もあるので、是非、行きたいと思う。

 3時から録画しておいた「Dynamite!!」をビールを飲みながら観る。「ミノワマン VS ソクジュ」でのミノワマンの勝利に気分よくなったものの、「石井慧 VS 吉田秀彦」でガックリ。「青木真也 VS 廣田瑞」では相手の骨を折るのは勝負なので構わないものの、敗者への「FUCK YOU」ポーズで舌をだしていたことに、魅せることのプロうんぬんよりも、日本人としての在り方に怒りを感じてしまい、せっかくの魔裟斗引退試合も何ともいえない気持ちで観る羽目になった。国歌斉唱のときにもキチンとしていないこともあり、是非、こういったところは改善してほしいところ。

 6時、玄関に国旗を掲揚しようにも風が強く、飛ばされるため、仕方なく断念し、就寝。

 9時、起床。干し納豆を入れた雑煮を食べて、目を覚ましつつ、第54回全日本実業団駅伝「ニューイヤー駅伝2010」を観る。今回、北陸地区代表として陸上自衛隊高田駐屯地が「高田自衛隊」として初出場しているための応援である。しかし、後半のグループから抜けられず、残念ながらテレビ中継にあまり出なかった。
 気分は、『機動戦士ガンダム』の第33話「宿命の出会い」で、息子アムロ・レイが操縦するガンダムの映像が映らないことに怒るテム・レイ

「ええい!ホワイトベースはいい!ガンダムを映せ!ガンダムの戦いぶりを!そう、そうだ、そう、ええい!アムロめ!何をやっておるか!」

である。
*結果は残念ながらの37チームの36位。選手、関係者の皆さん、お疲れ様でした。

Cimg1988  12時30分、急遽の来客があったため、本場・北海道の方から頂いた刺身用サーモンを昆布、みかん、鷹の爪、らっきょ酢で漬けたものを肴に、日本酒「天狗舞 金沢酵母仕込大吟醸」を飲む。
 今年、初の日本酒であり、地元ものを飲まなかったことを反省。

Cimg1989  13時30分、三重県松阪市に行くと必ず食べに行く「中華そばの不二屋」(電話:0598-23-9605)の焼きそばを宅配便で頂戴したので、昼食にする。
 最初はそのまま食べ、途中からウスターソースをかけて、楽しむ。やはり絶品のやきそばである。

 14時から16時まで仮眠。さすがに昼に酒を飲み、満腹になってしまうと眠くなる。

 18時、事務所に来客。

Cimg1990  19時30分、大晦日のお歳とりには母独りであったため、一日遅れの家族での夕食となった。
 青森県下北郡大間町出身の母の友人から頂戴した、刺身でも食べられる大ぶりのホタテを発酵バターひとかけ、醤油ひとたらしをして、半生にして焼いたもの、鮭のハラスの醤油焼き、ホヤの塩辛でビール500ml3本を飲む。シメは挽き割り納豆汁をぶっかけた冷やご飯。

 食後から年賀状の整理などを行う。

 昨年は「政権交代」という美名のもと、大きな変化があったが、本年は外国人参政権をはじめ、もっと大きな政治的変化があるのは目に見えている。政界再編もあろう。
 柏崎市にとっても、昨年末のアタチュルク像問題の進展をはじめ、隠してきた膿が一気に露出すると思われる。
 今年も気を抜かずに、 「誠ある政治」を実践していきたい。

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