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2010年8月

2010年8月31日 (火)

プレ次世代原発、海外展開へ技術蓄積

 3時、就寝。

 7時、起床。大粒納豆、鮭ハラス塩焼き、モロヘイヤのマヨネーズ和えでご飯2杯の朝食をとる。

 8時から9時30分まで市内某所での聞き取り調査。

 10時、事務所に来客があり、市政の問題点について意見交換を行う。

 12時40分から13時30分まで市内某所にて、相談を受ける。政治上の問題ではなく、あくまで民間-民間の問題であるため、窓口の紹介のみにとどめさせてもらった。

Cimg0127 14時過ぎ、どうしても時間がないので、「マクドナルド 8号線柏崎店」(電話:0257-20-4441)のドライブスルーで「大月見バーガーセット 700円」、ドリンクはコカ・コーラゼロを購入し、移動しながら昼食をとる。
 「おおつきみバーガー」と注文したら、「はい、だいつきみ、ですね」と訂正されてしまった・・・。あまり好きではないマクドナルドであるが、月見バーガーは別格である。

 14時30分、事務所に戻ったところで来客。

 15時30分から18時まで、会社の月末処理や議会事務局に行っての資料整理などを行う。

 18時30分、20時と事務所に来客。

Cimg0128 21時、冷蔵庫にあったSPF豚のモモ肉薄切りの賞味期限が過ぎていたため、2枚ずつをまとめ、なかにひき割り納豆を入れた納豆トンカツを作って夕食にする。
 ひき割り納豆に辛子と葱を多めに入れたので、味のアクセントも良く、ご飯を2杯モリモリと食べてしまった。

 今日、まちなかで出会った、元エンジニアという方から原子力発電の今後についての意見を求められたので、リサイクル燃料として活用するプルサーマル、高速増殖炉、今後の色々な新型原子炉(第4世代原子炉)についてお話させてもらった。
 現在の柏崎刈羽原子力発電所の原子炉を、近いうちに新しいものに入れ替えたらどうだ、とのご提案もあったが、新しい形式の原子炉が商用として利用する前には、研究炉での各種の試験も必要であり、今すぐというわけにはいかない。
 より安全性を高め、放射性廃棄物のさらなる低減を目指した第4世代原子炉が登場するのは、2025年~2030年の間。その時期を頭において、今後の柏崎市と原子力発電との共存共栄を考えておくことは必要である。


平成22年8月21日『産経新聞』

プレ次世代原発
海外展開へ技術蓄積

2025年実用化の方針

 世界最高水準の性能を持つ原子力発電所として、2030(平成42)年の稼働を目指して官民一体で計画している次世代原発をめぐり、経済産業省は20日、次世代型の主要機能を盛り込んだ上で、稼働時期を5年程度早めた「プレ次世代原発」を25年に実用化する方針を明らかにした。次世代型は国内の電力需要を賄うだけでなくへ海外にも売り込みを図る国家的な戦略インフラ。プレ次世代原発で技術を蓄積し、〝真打ち″の世界的普及を目指す。

 次世代原発の開発は2年前に始まり、基本仕様を固めた。これから概念設計を行う段階だが、蒸気発生器や免震装置といった主要技術は15年前後に開発できる見通しだ。
 このため、経産省はこれらの主要技術をプレ次世代原発に活用。出力などの性能は次世代原発を下回るものの、次世代原発の実用化技術をいち早く確立する上で、プレ次世代原発の運転は効果的だと判断した。
 具体的なスケジュールは、15年までにプレ次世代原発の基本設計を終了。16年からは三菱重工業や東芝など重電各社が詳細な設計などに着手し、20年から安全審査に入る。22年中にも建設を始め、25年の稼働を目指す。プレ次世代原発は、次世代原発の事実上の1号機でもあり、規格や材料などの標準化によって、その後のコスト削減が図れるメリットもある。
 一方、次世代原発については、燃料や炉心など一部の技術開発に長期間を要する必要があるため、運転開始時期は当初予定通り、30年とする考えだ。
 日本や欧米の既設原発は30年ごろから運転年数が60年を超え、50年までの20年間で270基の代替需要が生まれると予測されを国内では地元の反発などで原発の新規立地が困難となっており、今後、電力を安定的に供給するには既存設備の建て替えが不可欠だ。
 さらに発電出力が世界最大級の180万キロワット級に及ぶ次世代原発は、中国やインドなど今後の電力需要拡大が見込める各国への輸出も期待されており、プレ次世代原発の稼働で海外展開を加速させたい考えだ。

次世代原発
 国内の既存原発の代替需要や海外市場への展開をにらみ、官民が連携して2008(平成20)年度から開発に着手した。発電出力は現行の3割増となる世界最大級の180万キロワット、稼働率も最高水準の97%を可能にし、経済性向上と安全性強化、環境負荷低減を目指す。大型原発を概念設計の段階から開発するのは25年ぶりで、30年の運転開始が目標。総開発費は約550億円で、官民が半分ずつ負担する。

2010年8月30日 (月)

原発に依存する限りCO2排出を高める?
柏崎市議が地元企業を貶める事例

 5時、起床。溜まっている資料を整理しつつ、録り溜めたテレビ番組を見る。

 7時、大粒納豆、目玉焼き、野菜薩摩揚げでご飯2杯の朝食をとる。

 諸雑用をしたのち、某氏とともに新潟市に移動。

 10時から12時まで法律関係の相談で某事務所にて打合せを行う。

 途中、コンビニで買ったレタスサンドイッチ、納豆巻き、低脂肪乳で昼食をとりつつ、帰路につく。

 14時、16時、18時と事務所に来客。途中、電話でのインタビューや取材の申し込みなどが相次ぐ。

 21時過ぎ、柏崎エネルギーホールに移動し、柏崎青年会議所で所属する郷土愛育成委員会の会議に出席。ここしばらく委員会の活動に参加していなかったので、浦島太郎状態であった。

Cimg0125 22時、会議終了後、夕食をとるために「中華美食館柏崎店」(電話:0257-23-4530)に移動する。かなりの空腹だったため、生ビールを飲んだのち、「担々麺と天津飯セット 950円」。テーブルの上に置かれた大辛唐辛子の粉末とラー油をたっぷりと担々麺に入れ、大汗をかく。

 23時、帰宅。

 先週末に行われた原発反対派の集会とデモ行進の様子が地元新聞『柏崎日報』で報道された。


平成22年8月30日『柏崎日報』

柏崎原発廃炉訴える
300人が集会とデモ行進

 中越沖地震で被災した東京電力相崎刈羽原発の廃炉を目指す集会とデモ行進が28日、市内で行われた。原発反対の地元3団体と県内市民グループなどでつくる「原発からいのちとふるさとを守る県民の会」が「やっぱりいらない!柏崎刈羽原発」と銘打って主催し、県内外から約300人が参加。集会アピールでは、営業運転を再開した3基について「決して安全性が確保されたから運転が再開されたものではない」とした。
 集会は中央地区コミュニティセンターで開かれた。
 長谷川公一・東北大大学院教授が「原発は地球温暖化対策の切り札か?」と題して講演し、
「原発は地震に弱くトラブルが多いため、稼働率が不安定。火力発電で補わざるをえず、原発に依存している限りCO2排出を高めてしまう」と指摘。「国際的に温暖化対策は節電と自然エネルギーだ」と主張した。3人が柏崎刈羽原発の報告を行い、山口幸夫・原子力資料情報室共同代表は具体的な問題点を挙げながら「大きな地震を受けて設備に影響が残ったのではないか」と述べた。
 参加者はJR柏崎駅前までの市街地を行進し、シュプレヒコールを上げて廃炉を訴えた。


 記事には、「自治労」「日教組」と白抜きされた幟をもった人々のデモ行進の写真が添えられている。
 柏崎市職員給与の一部に原発財源が入っていることを知っていて、こういう事をやるのである・・・・子供の教育上も好ましくない。
 講演で紹介されたという「原発に依存する限りCO2排出を高める」というロジックも強引かつ、ご都合主義。
 震災後に営業運転を再開した3基についても「決して安全性が確保されたから運転が再開されたものではない」とまで言い放つのも、再開までの過程を無視したものである。

 主義主張は自由であるが、活動のために事実を曲解したり、反対しながら利益(金)は得る、ということはやめてもらいたい。

 柏崎市議会においても、税金である政務調査費を使って選挙の応援に行き、かつ柏崎刈羽原子力発電所のみならず、柏崎市内の企業の事まで、相手が知らないと思って「いい加減な話」をしてくる議員もいる。
 社会クラブの4名。矢部忠夫議員は、地元企業であるブルボンの商品に住所記載がなかっただのと因縁をつけている。地元企業を応援するならまだしも、貶めてくるとはどういうことなのだろうか。

*選挙応援などの政治活動に政務調査費は使えない。

「行政視察報告書(社会クラブ)」(pdf形式)

 よって、報告書には選挙応援にいったことが隠してあり、住民との意見交換ということになっている。

山口県上関町町議会議員選挙(定数12)
平成22年2月9日告示、14日投開票

*上記、ビデオ紹介文
「原発計画を抱える山口県上関町にて町議選が始まった。
7基も原発を抱える
新潟県柏崎市から4人の市議会議員が祝島に応援に駆けつけた
原発が来ると、人口が増え、雇用が増え、町が豊かになる?
国や電力会社が決して明かさない真実を、何十年も柏崎刈羽原発を見続けてきた彼らが明かす。」

2010年8月29日 (日)

平成22年度 富士総合火力演習
柏崎市青少年健全育成市民会議30周年

 ネットカフェで映画を2本(『インビクタス/負けざる者たち』、『パブリック・エネミーズ』)を見ながら、4時から6時30分まで仮眠。

 7時、スーパーで購入しておいた納豆巻き、おにぎり(筋子)、インスタント豚汁で朝食をとったのち、ネットカフェをでる。合計2900円で、自衛隊員なら15%オフになるという「ミリタリーサービス」がある地元らしいお店であった。

Cimg0094 駐車場に停めてある愛車のなかでスーツに着替えてから御殿場駅に移動。有料シャトルバスを待つ方が多く、これまでに見たことがないような長蛇の列で、合計1時間ほど待った。途中、M78ウルトラマンパーク行きのバスを見つけ、甥っ子と姪っ子の顔が浮かぶ。
 富士総合火力演習の会場まで有料シャトルバス(片道550円)で移動。

 9時30分過ぎ、富士総合火力演習の会場に到着し、早速、紫席での受付をしてもらう。人生初のVIP扱いで、係員である陸幕の女性に席までご案内頂いた。

 演習開始まで富士学校を主体にした音楽隊による『世界の行進曲』をテーマにした演奏があった。曲目はチェコの作曲家フチークの「フローレンティーナ」、スーザ「士官候補生」(ハイスクール・カデッツ)、世界三大マーチの1つであるタイケの「旧友」、ワーグナー「双頭の鷲の旗の下に」、アルフォード「ボギー大佐」の5曲。何故、「陸軍分列行進曲」「空の神兵」など日本が誇る名曲、軍歌を入れてくれないのか、多少不満であった。

Cimg0096 音楽演奏に引き続き、富士学校長、陸上自衛隊幕僚長が入場し、そして北澤俊美防衛大臣が「クールビズ」で入ってきて、手を挙げて周りに愛想を振りまいた。
 シビリアン(文官)として、規律ある態度を自衛官に求めるなら、クールビスではく、ネクタイをキチンとしてくるべきである。さらに、チャラチャラと周りの観客に手を振るなど、アホな事はしてほしくない。最高指揮官の管首相がこないのは、お約束。
 さすがに北澤大臣への拍手はペチペチ程度と小さく、

「おらぁ、民主党何やってんだっ!」

「帰れ!」

との野次も多く飛んだ。
 自衛官に比べ、あまりにもチャラい態度であったため、腹が立ち、

「皆さ~ん、
 防衛大臣に石を投げないでくださ~い。
 靖国神社に行かない大臣に
     石を投げないでくださ~い」

とデカイ声で野次ったところ、周りから笑いが起こり、一部の自衛官も下を向いて笑っていた。

 開始直前になり、国会議員も多く集まり、挨拶をさせてもらった「ヒゲの隊長」佐藤正久参議院議員、見事当選した宇都隆史参議院議員、周りが人だかりとなった三原じゅん子参議院議員、そしてとにかく人気抜群の小泉進次郎衆議院議員も席についた。

flag それにしても、国歌斉唱と国旗入場が無いのは何故であろうか。最高指揮官である管直人首相や北澤防衛大臣の指示なのか不明であるが、日本を守る自衛隊の演習としてはちょと格式に欠けるように感じた。

 10時10分、いよいよ平成22年度富士総合火力演習が開始。参加部隊は、富士教導団(富士教導団本部付隊、普通科教導連隊、特科教導隊、戦車教導隊、偵察教導隊、教育支援施設隊)、高射教導隊、教育支援飛行隊、各方面隊隷下部隊、中央即応集団隷下部隊、航空自衛隊で、総勢2400名の隊員による演習である。
 内容は以下の通り、暑いなかアツイ演習を見ることができた。

○前段演習
 陸上自衛隊の主要装備品の紹介

1.遠距離火力
 航空火力
  ・F-2

 特科火力
  ・99式自走155mmりゅう弾砲
  ・203mm自走りゅう弾砲
  ・155mmりゅう弾砲FH70

2.中距離火力
 迫撃砲
  ・81mm迫撃砲L16
  ・120mm迫撃砲RT
  ・自走120mm迫撃砲
 誘導弾
  ・79式対舟艇対戦車誘導弾
      (89式装戦闘車)
  ・87式対戦車誘導弾
  ・96式多目的誘導弾システム

3.近距離火力
対人障害
  ・指向性散弾
対戦車障害
  ・ヘリ散布地雷
普通科火力
  ・軽装甲機動車
  ・89式装甲戦闘車
  ・対人狙撃銃
  ・01式軽対戦車誘導弾
  ・96式装輪装甲車
  ・89式5.56mm小銃
  ・84mm無反動砲
  ・96式40mm自動てき弾銃
  ・110mm個人携帯対戦車弾
  ・06式小銃てき弾
  ・5.56mm機関銃(MINIMI)
  ・12.7mm重機関銃
ヘリ火力
  ・対戦車ヘリコプター(AH-1S)
    <通称:コブラ>
  ・戦闘ヘリコプター(AH-64D)
    <通称:アパッチ>
 対空火力
  ・87式自走高射機関砲

4.戦車火力
 ・90式戦車 ・74式戦車

5.空挺降下
 ・集団降下 ・自由降下

*ここで音楽隊の「空の神兵」演奏がほしかった・・・。

Cimg0108 ここで15分間の休憩となり、在日米陸軍音楽隊によるゲスト演奏が行われた。同盟国である米軍に対し、観客がトイレなどに立つ休憩時間に演奏させるというのは失礼と感じたところ。ゲストバンドとして呼んだなら、キチンと観客の前で演奏させるべきである。
 演奏曲目は、スーザ「星条旗よ永遠なれ」、歌詞に富士も入れた「在日米陸軍行進曲」などであった。自衛隊に比べ、自国への愛国心あふれる選曲である。

 11時30分から後段演習となった。

○後段演習
 攻撃の場を通じた諸職種協同の戦闘模様の展示

1.航空偵察
 ・観測ヘリコプター(OH-1)
 ・遠隔操縦観測システム(FFOS)

2.ヘリボン行動
 ・多用途ヘリコプター(UH-1)
 ・オートバイ(偵察用)
 ・対戦車ヘリコプター(AH-1S)
   <通称:コブラ>
 ・戦闘ヘリコプター(AH-64D)
   <通称:アパッチ>
 ・輸送ヘリコプター(CH-47J)
 ・多用途ヘリコプター(UH-60J)
 ・軽装甲横動車
 ・高機動車

3.攻撃
3-1.偵察活動

 ・87式偵察警戒車
 ・オートバイ(偵察用)
3-2.攻撃準備射撃
3-3.障害処理
3-4.前進支援射撃
3-5.普戦チームの攻撃

*普通科(歩兵)+戦車
3-6.突撃支援射撃
3-7.突撃

 ・203mm自走りゅう弾砲
 ・155mmりゅう弾砲 FH70
 ・81mm迫撃砲L16
 ・120mm迫撃砲RT
 ・90式戦車・74式戦車
 ・89式装甲戦闘車
 ・92式地雷原処理車
 ・79式対舟艇対戦車誘導弾
 ・87式対戦車誘導弾
3-8.戦果拡張
 ・全装備

 12時10分、全装備での「戦果拡張」となり、「状況終わり」となった。

 今回の総合火力演習を見るにあたって、お世話になった心のアニキEさんや社長の皆さんに御礼のご挨拶をしたのち、シャトルバスで御殿場駅に向かう。

 かなりの混雑でやっと愛車に乗ることができたのが14時。御殿場市内から東富士五湖道路の須走インターチェンジに入り、帰路につく。

Cimg0121 16時、中央自動車道の釈迦堂下りパーキングエリアに寄り、釈迦堂名物「ラーメン食堂」で、「辛口パワーセット 900円」で遅めの昼食をとる。
 パワーラーメンという人気のラーメンらしく、半熟卵に大量の刻みチャーシュー、揚げニンニクが丸ごと入っており、辛みもあって、汗をかいた体に染み入る味であった。

 18時30分過ぎ、やっと柏崎市内まで戻ってきたところ、路肩で放心状態となってフラフラしている方がいたので、車を停めて話しかけた。途切れ途切れの会話のなかから、かなり深刻なトラブルで困っている事が分かったので、後ほど来ることを約束して一回、現場を離れる。

Cimg0122 19時過ぎ、急いで柏崎商工会議所に移動し、柏崎市青少年健全育成市民会議「設立30周年記念式典・記念祝賀会」に出席。
 1時間の遅参して申し訳ない上、さきほどの方を救うべく、会費を支払い、出されている仕出し料理を持ち帰らせてもらった。
 昭和55年7月に設立された柏崎市青少年健全育成市民会議の益々の発展を願うとともに、記念式典・祝賀会の準備にご苦労された方に感謝申し上げたい。

 20時、先ほどの現場に戻り、物事を1つずつ整理して、道筋をつける。

Cimg0123 21時40分、帰宅。さすがに空腹になっていたため、山梨県内のスーパーマーケットで購入した「富士吉田うどん なま」を茹で、ひきわり納豆と市販の蕎麦つゆを混ぜたもの、ビール500ml4本で夕食をとる。
 歯にビンビンくる吉田うどんの固さが美味い。

 熱い風呂に入り、24時、就寝。

2010年8月28日 (土)

反原発団体に税金を出す会田市長
原発反対集会&パレードと原水禁

 3時、就寝。

 7時、起床。大粒納豆、筋子、鱒の味噌漬けでご飯2杯の朝食をとる。

 午前中は溜まりに溜まった新聞紙や資源ゴミなどを片付け。切り抜いた新聞をpdf形式に変換する作業も滞っている。

 11時から甥っ子、姪っ子を連れて、買い物。午後から静岡県まで移動するための準備やDVD整理のためのファイルボックスなどを買い込む。

 13時、愛車で柏崎をでて、北陸自動車道から長野自動車道に入る。

Cimg0086 途中、携帯電話に意味不明の着信や仕事関係の話があったため、所々のパーキングエリアに止りつつ、16時40分、姥捨サービスエリアで持参してきたご飯と塩鮭、スナックコーナーで購入した「牛タン入りつくね 350円」、ヤスダヨーグルトで遅めの昼食。

 長野自動車道から中央自動車道に抜け、その後、中央自動車道の甲府昭和インターチェンジから一般道に抜ける。

 途中経路にあったスーパーマーケットすべてに寄り、地元の納豆を買い漁りつつ、富士吉田市に向かう。やはり富士食品さん、納豆工房せんだい屋さんの商品が多い。

Cimg0092 20時、 「道の駅 富士吉田」に到着。持参してきたポリタンクに湧き水を汲む。富士山の恵みであるこの水はバナジウム含有量が多く、ポリタンクをもった人が列をなしているほどの人気である。
 水を汲み終わったのち、名物である吉田うどん(「免許皆伝」あたりで)をも食べようかと思ったものの、この時間のうどんでは本物の味わいではない、とあきらめる。

 21時過ぎ、御殿場駅に到着。市営駐車場に車を止め、駅前のネットカフェにナイトパック10時間(2800円)で入り、仕事の続きを行う。

Cimg0093 22時40分、さすがに空腹になったので持参した「鯨焼肉缶詰」、途中のスーパーで購入した納豆巻き、揚げソーセージパン、お茶焼酎3本で夕食をとる。
 納豆臭いわ、酒臭いわでネットカフェの周りの客の迷惑になっていないか気にしながら、小さくなって食べる寂しい食事である。

Cimg0085 本日14時から「やっぱりいらない!柏崎刈羽原発集会」という集会とデモパレードが14時から中央地区コミュニティセンターで開催されたという。
 内容は、「原発は地球温暖化の切り札か?」という東北大学大学院・長谷川公一教授による講演(ウラン採掘や処理でCO2もでる?)と寸劇、「柏崎刈羽原発のここが問題」という現地報告で、主催は「原発からいのちとふるさとを守る県民の会」、そして後援は原水爆禁止日本国民会議、いわゆる原水禁である。
 原水禁は「核と人類は共存できない」として、原子力発電についも断固反対であり、上記のような集会にも後援をしている。
 このような主義主張の団体に対し、当然、世界最大の原子力発電所を有し、その恩恵を十分に受けている柏崎市のトップたる会田市長は、税金である市長交際費から原水禁にお金をだしている。
 原発反対団体と手を組みつつ、国に原発財源をたかる現市政。
 支出の内訳は以下の通りであるが、福井県敦賀市の視察をはじめ、他の原子力発電所立地自治体に行ってみて分かったのは、このような筋が通らないことをしているのは柏崎だけ、ということである。
 原子力発電への賛否はそれぞれ自由であるが、活用するならそれなりの態度があろう。この事をより多くの柏崎市民に知ってもらいたい。

*市長交際費公開資料より抜粋

<平成17年>
協賛 6月30日
原水禁平和大行進県内行進一行へ
5000円

<平成18年>
協賛 6月20日
原水爆禁止世界大会代表派遣費補助
10000円
協賛 6月29日
原水禁平和行進新潟県実行委員会への募金
5000円

<平成19年>
賛助金 6月18日
原水爆禁止世界大会代表派遣費賛助金
5000円
賛助金 6月28日
原水禁平和大行進県内行進賛同募金
5000円

<平成20年>
賛助金 6月20日
原水爆禁止世界大会代表派遣費賛助金
5000円
賛助金 6月26日
原水禁平和大行進県内行進賛同募金
5000円

<平成21年>
賛助金 6月10日
原水爆禁止新潟県協議会ヒバクシャ支援・原水禁運動に対する賛助金
5000円
賛助金 6月25日
2009年原水爆禁止国民平和大行進・世界大会賛同募金
5000円

<平成22年>
賛助金 6月10日
原水爆禁止新潟県協議会ヒバクシャ支援・原水禁運動に対する賛助金
5000円
賛助金 7月16日
2010年原水爆禁止国民平和大行進・世界大会賛同募金
5000円

2010年8月27日 (金)

全員協議会(原子力安全・保安院:5号機)
会派議会報告会@西山町

 3時、就寝。

 7時、起床。大粒納豆、生卵、イカ一夜干し、ズイキの酢漬けでご飯2杯の朝食をとる。

 午前中は、来週から開会する議会のための資料調査を行う予定であったが、柴野たいぞう氏に関する問い合わせの電話や来客が相次いだ。なかには、私が供応接待で毎日飲み食いをさせてもらったというようなタレコミがあったからと電話してきた記者もいた。アホである。こうやってブログで公私ともに公開している意味合い(心意気?)が分かっていないのであろうか。
 事務所をでていたものの、携帯電話の電池が無くなるわ、来客があるとの連絡が自宅にあるわで、事務所と外を行ったりきたりであった。

 昼食をとる間もなく、13時、市役所に移動し、会派室で書類の整理を行う。

Cimg0073 13時30分から全員協議会に出席。議題は「柏崎刈羽原子力発電所5号機及びその他の号機の設備健全性及び耐震安全性に係る確認状況について」で、原子力安全・保安院からの報告である。
 今回の全員協議会の出席者は議員30名中、24名で、会田市長は欠席。2割の議員が欠席している・・・・。
 説明の内容は以下の通り。

●5号機

1.建物・構築物の設備健全性評価について
・立入検査等の結果と地震応答解析の検討結果を照合し、総合的に検討した結果、原子炉建屋の健全性は確保されていると判断。
・立入検査等の結果と地震応答解析の検討結果を照合し、総合的に検討した結果、タービン建屋の健全性は確保されていると判断。
・立入検査等の結果と地震応答解析の検討結果を照合し、総合的に検討した結果、海水熱交換器建屋及び排気塔の健全性は確保されていると判断。
・立入検査等の結果と地震応答解析の検討結果を照合し、総合的に検討した結果、非常用取水路の取水機能の健全性、原子炉補機冷却系配管ダクトの配管支持機能の健全性及び非常用ガス処理系配管ダクトの配管支持機能の健全性は確保されていると判断。
・構造ワーキンググループの検討結果を踏まえ、中越沖地震に対して、5号機の建物・構築物の健全性は確保されていると判断。

2.機器、系統単位の設備健全性評価について
 平成22年8月18日、保安院は、中越沖地震における原子力設備に関する調査・対策委員会等の検討結果を踏まえ、中越沖地震に対して、5号機の機器及び系統単位の設備健全性は維持されていると判断。

2-1.機器単位の設備健全性
 以下の点から機器単位の設備健全性は維持されていると評価。重要機器(約1960機器)は技術基準に適合。
・設備点検等の確認結果から、点検対象とした約1960機器には、技術基準の適合性に係る異常は無いと評価。
・JNESによる地震応答解析の結果、評価基準値を越えた原子炉補機冷却系配管及び支持構造物については、詳細目視点検、浸透探傷試験等により健全性が確保されていることを確認。
・計算誤りによる再解析の結果、評価基準値を越えた原子炉冷却材再循環系配管及び支持構造物については、詳細目視点検、浸透探傷試験等により健全性が確保されていることを確認。
・不適合事象について原因究明の上、補修等の措置が適切に実施されていることを確認。

*JNESの検証作業により確認された東京電力の計算誤り
【概要】
・原子炉補機冷却水系配管の時刻歴解析について、JNESの検証作業により計算誤りがあることを確認。
・東京電力に対し同様の誤りがないか水平展開を指示したところ、5号機の原子炉冷却材再循環系配管で計算誤りを確認。
・既に評価が終了している1、6、7号機については、計算誤りがないことを確認。
【原因と対策】
・解析実施メーカは、解析内容を十分にチェックしていなかったことから、対策として解析内容を十分に審議・チェック。
・メーカの解析結果に対する東京電力の検証作業が主体的に実施されていなかったことあら、対策として主体的にチェックできるよう、解析業務の検証マニュアルを改訂。

2-2.系統単位の設備健全性
 5号機の安全機能を担う系統は、技術基準に適合し、必要な安全機能を有していることを確認。系統単位の設備の健全性は維持されていると評価。
・適切な実施方法、体制の下ですべての試験項目が終了。
・各試験(29項目)の結果は技術基準に適合し、「止める」「冷やす」「閉じこめる」を担う系統は必要な安全機能を有していることを確認。
・重点確認4項目についても、地震影響がないことを確認。
・燃料装荷に当たっては、安全に燃料装荷作業が行われ、燃料の装荷された状態で必要となる安全性は確保されていることを確認。
 
3.耐震安全性に係る評価について
 5号機の耐震安全上重要な建物・構築物、機器・配管系の耐震安全性は、基準値振動Ssに対しても確保されるものと判断した。さらに、津波等の地震随伴事象に対して施設の安全機能が重大な影響を受けるおそれがなく、また、建物・構築物の基礎基盤の支持性能は確保されるものと判断した。

4.安全確認の結果について
 以下の点で保安院は5号機の起動につき、安全上の問題はないと判断。
・保安院は、以下の1,2,3に従って確認を実施。
1.建屋や設備への地震動の影響の有無について、JNESによる分析結果との比較検討
2.保安検査官による異常の有無、安全設備の作動点検を含む確認
3.地震学や地質学、機械工学をはじめとする多分野の専門家約70人による審議会等による検討
・設備の点検・健全性評価、耐震安全性評価を厳格に行った結果、中越沖地震に対して建屋や設備等の健全性は維持されていること、新たに設定された基準地震動に対して建屋や設備の安全機能は維持されることを確認。

5.プラント全体の試験計画の評価について
 保安院は、プラント全体の評価を通じて安全確認を行い、確認結果について、適宜公表。

●その他の号機

6.各号機の確認状況について

1号機:確認済み
2~4号機:保安院及び専門家による立入検査等を実施。今後、立入検査等も含め、東京電力が実施する点検・評価結果及び地震応答解析結果を審議していく予定。
5号機:確認済み
6号機:確認済み
7号機:確認済み

 約50分の説明ののち、質疑応答となったが、今日の説明資料ではない事、持参した資料を読み上げ、原発反対派がしつこく聞くという、お約束の展開となった。
 最後には、社会クラブの矢部忠夫議員は

「保安院と東電が結託している。泥棒に自分を捕まえる縄を持ってこい、と言っているようなもの」

とトンでもない発言をし、

「そこまで信頼感がないなら、中止だ、中止」

とつい野次をとばしてしまった。報告内容に関する質疑応答なら良いが、事業者である東京電力と国の機関である原子力安全・保安院が結託しているとまで言うなら、そもそものこの全員協議会での報告の意味がなくなってしまう。

 15時45分、全員協議会が終了し、その後、会派室で資料整理。

 修理(回生ブレーキ制御ユニットの交換)が終わった愛車を取りに行ったのち、明日14時から行われる「第3回 8月のコンサート」のチケットを市内某店で買う。

 コンビニで買ったレタスサンドイッチ、ハム&チーズラップサンド、納豆巻きでかなり遅めの昼食をとりつつ、17時30分、西山町産業会館に移動。

 所属会派である整風会としての議会報告会を行うため、机やイスを出して準備を行う。

Cimg0075 18時30分から議会報告会を開催。会派長である丸山敏彦議員の開会の挨拶ののち、市議会定例会(議員定数削減の経緯)や各議員の活動報告、現在の市政の問題点(借金1330億円、市民1人あたり160万円)について報告を行う。
 議員個人の活動報告としては、

・市役所職員の不祥事の連続
・若者が帰ってくることができる環境づくり
・世界の原子力発電の推進と柏崎

をご説明させてもらった。
 その後は、お集まり頂いた40名を越える皆さんとの質疑応答となった。主なやりとりは以下の通り。

Q.議員定数が26名になったということであるが、24名でまた出さないのか。
A.同じ議案をまた出すわけにはいかないので、来年4月の選挙ののちに、24名案をだすのは可能。

Q.たかが30人の議員数で会派が多すぎるがどうしてか。市政をキチンと考えてほしい。
A.ご指摘の通りであり、これが柏崎市議会の実態で異常である。

Q.議会のなかでお山の争いをやってるだけではないか。
A.少数意見を大切にしろ、ということで二人会派でも1意見、十人会派でも1意見ということが原因だと思う

Q.議員数削減の決定的な目的は何か。金銭だけなのか。
A.議員活動のあり方が変わってきており、人数が少なくても十分な活動ができるということがある。

Q.行政改革について、職員の定数が下がっていないことがどうなっているのか。また職員給与も高い。変えられないのか。
A.やはり市長が先頭になってやること。我々としても、議員定数を削減した以上、切り込むべきことと思っている。しかし、いかんせん現在の議会構成においては数の論理で負けてしまう。市役所職員のクビを切ることは法的にはできないが、いわゆる肩たたきをやった自治体、そして人事院勧告によらない給与体系に調整している自治体もある。いずれも首長、トップの決断しだい。

Q.新市民会館の入札について、地元企業で落札したとあるが、実態はどうなのか。
A.できる限り地元で落札できるような呼びかけは当会派としてやってきた。今回の入札に関しては、結果的には良かったのではないかと感じている

Q.5年前に合併したが、柏崎市街のような利便性のある街になるのではないか、と思っていたが、そうはなっていない。財政も厳しいという。原子力の活用はなぜできなかったのか。福井県の事例は(三井田から)聞いたが、どうして柏崎はできなかったのか。
A.福井県に遅れをとったのは事実。福井県と原発、新潟県と原発、それぞれのつきあい方はまったく違っていた。中越沖地震のあとも積極的に調査に来たのは福井大学など市外、県外であった。原発をフルに生かすような組織を柏崎で作らなかったのは間違い。

Q.原子力を活用する協議会が三条でスタートしたが、柏崎ではどうなっているのか。また巻き返しはあるのか。その案はあるか。
A.トップセールスによる地元資材や機材の売り込み及びそれに耐えうる技術開発を支援する助成金などの行政の体制、長岡技科大が作った原子力学科を上回るレベルの学科を新潟工科大を作るといった前向きな取り組み、そして医療に関して粒子線治療施設を検討すべきことだと思う。


平成22年3月11日『原子力産業新聞』

陽子線がん施設を着工
日立 名古屋市で維持管理も

 日立製作所は二日、愛知県名古屋市の陽子線がん治療施設に着工した。日立は二〇〇八年十二月、名古屋市から同施設の整備事業を約二百四十億円で受注し、施設の設計・建設および運転・保守・維持管理業務等を行う。治療開始は二〇一二年度の予定。
 陽子緑がん治療は、水素の原子核である陽子を加速器で高速に加速し、その陽子線をがん細胞に集中して照射することで治療する。痛みがほとんどなく、身体の機能や形態を損なわないため、治療と社会生活との両立が可能な最先端の技術として注目されている。
 日立製作所は、陽子線がん治療施設の主要機器である加速器をはじめ、照射や制御などの放射線に関する技術・ノウハウを保有。筑波大学陽子線医学利用研究センターの陽子線治療システムを導入し、現在も運転・保守サポートしているほか、世界最大級のがん専門病院である米国MDアンダーソンがんセンターへ陽子線治療システムを納入した実績などがある。


Q.市長派と反市長派は分かるが、少なくとも行政レベルでの前向きなものは是々非々でやってほしい。明日からがんばってほしい。
A.ありがたく、感謝する

 20時40分、副会長である吉野芳章議員の御礼の挨拶で閉会となった。

 片づけをしたのち、21時30分に帰宅。

Cimg0084 21時40分、今日お泊まりということで待っていた甥っ子、姪っ子とともに夕食をとる。
 スーパーで半額になっていた中華生麺の太麺二玉、パックのシナチク、3割引になっていたスーパーの総菜チャーシューを使い、モンゴルの岩塩をベースに干し納豆パウダーや干し椎茸でダシをとったスープで食べる。今日も暑かったせいか、ビール500ml4本をグビグビ飲んでしまった。

 食後から事務所にて、書類の整理。

2010年8月26日 (木)

柴野氏:架空増資「当選で200倍」?
一般質問を通告(天下り、職員不祥事)

 3時、就寝。

 7時、起床。大粒納豆、ハム切り落としを使ったハムエッグ、蕗の煮物でご飯2杯の朝食をとる。

 柏崎出身で先の第22回参議院議員通常選挙に自民党公認で立候補した柴野たいぞう氏について、昨日から問い合わせが殺到しており、8時過ぎから電話や来客が続いた。
 この件は、今朝の新聞各紙、そしてテレビなどのニュース番組でも大きく取り上げられた。
 柏崎出身の候補者を応援しないわけにはいかないと、自民党柏崎支部として推薦し、応援をした以上、直接選挙とは無関係ながらも、この問題の真相がどうなのか、支援をお願いした皆さんに説明する責任がある。
 続報を待ち、詳細が分かったところで、私自身は離党届けは出しているものの、自民党柏崎支部に説明すべきと提案したい。


平成22年8月26日『産経新聞』

柴野元衆院議員の会社を捜索
東京地検 12億円架空増資の疑い

 7月の参院選で自民党から比例代表で立候補し落選した、柴野多伊三元衆院議員(59)が社長を務めるバイオ燃料開発会社「日本中油」(東京都港区)が、架空の増資をした疑いがあるとして、東京地検特捜部は25日、電磁的公正証書原本不実記録などの疑いで、日本中油や大田区内の柴野氏宅など関係先を家宅捜索した。
 関係者や登記簿によると、日本中油は昨年8月に資本金2千万円で設立。同年12月に12億3千万円の増資を行った。しかし、実際は、同社名義の口座に数千万円の出入金が繰り返されており、増資は架空で虚偽の登記をした疑いがあるという。
 同社は同月に投資事業組合を組成し、東南アジアでのバイオ燃料開発への投資を呼びかけており、投資家の信頼を得ようと架空の増資を行った可能性がある
 同社はホームページなどで中国最大の石油国営企業「中国石油天然ガス集団」(CNPC)グループの日本法人を名乗っているが、CNPCの日本法人「中国石油国際事業日本」(港区)は産経新聞の取材に「資本関係はなく関連会社ではない」と否定した。
 柴野氏は平成5年7月の衆院選に旧東京1区から新生党(当時)公認で出馬し、初当選。8年の衆院選は新進党(同)から、12年の衆院選は諸派で出馬したが落選した。今年7月の参院選は自民党から立候補したが、落選した。
 日本中油は産経新聞の取材に「ノーコメント」としている。


平成22年8月26日『毎日新聞』

柴野元衆院議員:架空増資
未公開株も販売か
「当選したら200倍」

 7月の参院選で自民党から比例代表で立候補し落選した柴野多伊三(たいぞう)元衆院議員(59)が社長を務めるバイオ燃料開発会社「日本中油」の架空増資事件で、柴野元議員が参院選前に開いた出版記念講演会で「私が当選した暁には日本中油の株が200倍にもなる」と自社の未公開株を推奨していたことが分かった。25日に日本中油などを家宅捜索した東京地検特捜部は、柴野元議員らが架空増資で投資家の信頼を得た上で未公開株を販売した疑いがあるとみて、詐欺などでの立件も視野に解明を進めるとみられる。
 柴野元議員の後援会関係者によると、柴野元議員は昨年12月、バイオ燃料や地球温暖化問題を取り上げた著書「環境革命」を出版した。今年1月から全国各地で出版記念講演会を開いていた。5月23日に広島市で開いた講演会では「私が参院議員に当選の暁には、日本中油株が(現在)1株1万とすれば、20万円にも100万円、200万円にも跳ね上がる。私を政界に送ってほしい」と出席者に呼びかけていたという。
 別の後援会関係者によると、柴野元議員は周囲に「来年1月までにはシンガポール市場に上場する」などとも語っていたという。

 日本中油は09年8月に資本金2000万円で設立され、09年12月に12億3000万円増資したと登記したが、この増資は架空だった疑いがあり、特捜部は電磁的公正証書原本不実記録容疑などで家宅捜索した。中国最大の石油国営企業「中国石油天然ガス集団」(CNPC)グループを名乗りながら、CNPC側が否定していることも判明している。
 柴野元議員側は、増資や中国系大企業との関連、政界との関係などを誇示し「株が値上がりする」などと、未公開株購入やバイオ燃料事業への投資などを広く持ちかけたとみられる。日本中油関係者から株を購入した企業が払い戻しを求めてトラブルになっているケースも生じているとされ、特捜部は全容解明を進める模様だ。

◇二階氏「党の救世主」--出版パーティー出席
 柴野元議員が1月29日に東京都内のホテルで開いた出版記念パーティーは自民党の二階俊博前経済産業相が発起人となり「(柴野元議員は)党の救世主だと期待している」と紹介していた。パーティーには、日本中油側との取引で売掛金が回収できずトラブルになり、その後6月に倒産した東京都内の会社の社長も招待されていた。架空増資など詐欺的手法をとっていた日本中油の信用確保に、パーティーが一役買っていたことになる。
 パーティーにはほかに泉信也元国家公安委員長や後援者など数百人が出席。森喜朗元首相や谷垣禎一総裁、大島理森幹事長からの祝いの花も飾られた。
 二階氏は、「(柴野元議員が93年から)衆議院議員を1期務めていたころから、日本の政治を背負っていく人だと思っていた。党再生のリーダーとして掲げ、選挙を戦いたい」と持ち上げていた。
 二階氏事務所は「候補者選定は党本部の規約に従って判断した。個人の事業の詳細まで把握することは困難で、非常に驚いている」とコメントした。【杉本修作、前谷宏】


 午前中は来客が続き、13時にコンビニで買ったソーセージドック、納豆巻き、低脂肪乳、ピンクグレープフルーツジュースで昼食をとる。
 また、次の議会、平成22年第4回定例会での一般質問を以下の通りに通告した。


1.将来を見据えたあるべき小中学校の配置、学校統合のあり方について、その方向性を問う。
 → 教育委員長、教育長

(要旨)少子化や住居環境の変化から必然となる学校統合について、人口動向から既に見えている生徒数の分布、教育委員会で掲げている「3・3・3運動」の観点から、最大の教育効果を得るためにどのように考えているのか問う。

2.第三セクターや財団法人など外郭団体への市職員の天下りについて、市長の見解を問う。
 → 市長

(要旨)指定管理者制度や公益法人制度など、第三セクターや財団法人など外郭団体のあり方が変わってきているなか、市役所退職者による天下りについて、市長の考えを問う。

3.連続する市職員による不祥事、中越沖地震復興基金に関わるトラブルなどの原因及びその対策、そして公益通報制度の現状とさらなる周知について問う。
 → 市長

(要旨)逮捕者まで出した公金詐欺事件、中越沖地震復興基金に関わるトラブルなど不祥事が続いており、その原因追及と対策をどのように行ったのか。また、市民から市職員についての苦情も多く届いており、改めて公益通報制度のさらなる周知を行うべきと思うが、現状を含めて問う。


 14時から18時過ぎまで市内での調査活動。

Cimg0072 今月29日に実施される「平成22年度富士総合火力演習」を、心のアニキであるE氏のお陰でVIP用のA・Bスタンド紫色席で観ることができることになった。ただただ感謝である。
 当日の夕方に柏崎市内での会合があるため、土曜日の午後から移動し、車中泊で観てきたいと思う。

Cimg0070 20時、カレーコロッケ、牛肉コロッケ、ひきわり納豆と大根おろしの和え物、もずく酢、ビール500ml3本で夕食。
 コロッケは数あれど、牛肉コロッケとカレーコロッケが定番かつ個人的にも好きなコロッケである。以前、納豆コロッケを作っていたが、毎回食べるほどの定番にはならない、と知人に言われたのはショックだった。

 食後、事務所に戻り、会社関係のプレゼンテーション資料を作成する。

2010年8月25日 (水)

管総理:自衛隊最高指揮官の意識なし

 1時、就寝。

 7時、起床。熱めのシャワーを浴びて、ホテルをチェックアウトし、東京駅に向かう。

 8時24分、Maxとき309号で長岡駅に行き、停めておいた愛車にて柏崎まで戻る。

Cimg0066 南魚沼市議会の桑原圭美議員が柏崎に来られたので、13時、「やぶ」(電話:0257-22-3482)に行き、昼食をとりながらの意見交換。いつもならカツ丼の大盛りであるが、暑いときに熱いものを食べてみようと「五目中華そば 750円」を「大盛り 100円」を食べる。あっさりしたスープに加え、スープをすった麩、昭和を感じる赤いプレスハムが泣かせる。

Cimg0068 13時50分、柏崎ショッピングモール「フォンジェ」の「月味家」(電話:0257-20-0025)に行き、「かき氷 メロン 300円」を食べながら、さらに意見交換。
 途中、柏崎出身で先の第22回参議院議員通常選挙に自民党公認で立候補した柴野たいぞう氏について、東京地検特捜部による家宅捜索が入ったとの情報があった。詳細な続報が入り次第、対応を決めたい。

 14時30分、事務所に戻ったところで来客があり、就業についての相談にのる。

 16時から18時まで市内まわり。途中、多くの方から市政に関する情報が寄せられる。そろそろ携帯電話のバッテリーもヘタってきた。

 19時、自宅に戻る。

Cimg0069 19時50分、モロヘイヤのしょうゆマヨネーズ和え、銀だらの煮付け、焼き茄子、ひきわり納豆でご飯2杯の夕食をとる。
 食事中にも柴野たいぞう氏の件はどうなっているのか、と自民党柏崎支部関係者、選挙で色々なお願いをした方から問い合わせの電話が入る。

 かつて、ルーピーと言われた民主党の鳩山由紀夫元首相は

 「勉強すればするほど、海兵隊が抑止力を持つことが分かった」

と発言し、 「いまさら何言ってるんだ?」と日本国内の安全保障関係者のみならず、米軍関係者もあきれさせた。
 そして、同じ民主党の管直人首相も、 「自衛隊の最高指揮官は内閣総理大臣」という根本中の根本のことが分かっておらず、関係者をあきれさせている。
 この国の安全保障はどうなるのであろうか。


平成22年8月20日『朝日新聞』

菅首相知らなかった?
「大臣は自衛官じゃないんですよ」


 菅直人首相は19日、首相官邸で北沢俊美防衛相に「ちょっと昨日予習をしたら、(防衛)大臣は自衛官じゃないんですよ」と述べた。憲法66条は「大臣は文民でなければならない」と規定しており、これを知らなかったかのような発言は、シビリアンコントロール(文民統制)への理解の浅さを露呈したと批判されそうだ。
 首相は、この日開いた自衛隊の折木良一統合幕僚長ら制服組首脳との意見交換会を前に、北沢氏との雑談の中でこうした発言をした。
 意見交換会のあいさつでは「改めて法律を調べてみたら『総理大臣は、自衛隊の最高の指揮監督権を有する』と規定されており、そういう自覚を持って、皆さん方のご意見を拝聴し、役目を担っていきたい」と語った。これまで、そうした自覚がなかったと受け取られかねない発言だ。
 意見交換会を終えた折木統幕長は、記者団に一連の発言について聞かれて「本当に冗談だと思う。指揮官としての立場は十分自覚されている上での話だと、私は認識している」と語った。

2010年8月24日 (火)

靖国神社の特攻隊員ら戦没者遺書
「泣かずにほめて下さい」

 3時、就寝。

 6時、起床。大粒納豆、生卵でご飯をかっ込んで自宅をでる。

 長岡駅まで愛車で移動し、新幹線で東京都内まで移動する。

 13時過ぎ、品川区の風力発電に関する会社を訪問し、意見交換。

 15時、中央区の環境に関する某社事務所に行き、情報収集と思いがけぬ得たビジネス情報に地元メーカーのものの売り込みなどを行う。

 Cimg006319時、有志2名とともに、東京駅ビルの中にある「まぐろ茶屋 北の浜」(電話:03-3201-0706)に入り、まぐろかま焼き、茶豆、玉子焼きなどをつつきながら、コーラを飲み、夕食をとる。氷点下まで冷やされたドライの生ビールを飲みたかったが、今日得た情報を早めに書類にまとめたいため、我慢してレモンを搾ったコーラを飲んだ。

 21時過ぎ、チャンネル桜に寄り、今後の番組についての意見交換。

 22時、インターネットが使えるホテルを探して、チェックインする。

 現在、靖國神社が全面協力した、『国民の遺書「泣かずにほめて下さい」靖國の言
乃葉100選』が一気に6刷、ベストセラーになっている。
 これまでも英霊の言葉は、「英霊の言乃葉」として靖國神社において頒布されていたが、一般図書となるのは今回が初めてであろう。

 副タイトルになっている「泣かずにほめて下さい」は、新潟県出身、21歳で散華した陸軍伍長・島田美好命(昭和20年7月20日、フィリピン・ルソン島マンカヤンにて戦死)の遺書からである。


泣かずにほめて下さい

            陸軍伍長 島田 美好命

お母さん 永々のお世話感謝します
私もいよいよ国家のため お役に立つ時が参りました
私は赤紙を受けし日より すでに吾が身は大君に捧げて仙台部隊に入隊した私です
男と生れこんなうれしい日はありません
一旦召されたからには生きて帰る事なく第一線に出陣し死を覚悟して行きます
万が一戦陣で散った時 父母をはじめ兄妹なかよく幸福に暮らすことを草葉の陰より見守ります
私 建築士の職務上 兄上の部屋を改築し喜んで戴いた事 なによりの置土産だと思ひます
父母 兄弟に告ぐ 白木の箱が届いたら泣かずにほめて下さい

父母さまへ


 『国民の遺書「泣かずにほめて下さい」靖國の言乃葉100選』、より多くの人にこの本を読んでもらいたいと思う。
 また、以下に引用した記事にて紹介されている野田権禰宜は、靖國神社の神職のなかで一番アツイ男である。


平成22年7月19日『産経新聞』

靖国神社の特攻隊員ら戦没者遺書
初の選集

65年前の若者の思い「今は」
日本人として「強さ感じた」

 靖国神社(東京都千代田区)に祭られた246万6千余柱の戦没者の遺書や手紙から100編を選んだ「国民の遺書 『泣かずにほめて下さい』靖国の言乃葉100選」(産経新聞出版)が出版された。靖国神社の全面協力を得た初の選集。太平洋戦争末期の特別攻撃隊員をはじめ戦没者が遺した父母、妻子、弟妹、そして祖国への最期の言葉が収められている。今時の若者たちは、65年前の同世代の思いをどう受け止めるのだろうか。

100824_tokkou 靖国神社は昭和35年から境内の掲示板に毎月1通ずつ、戦没者の遺書や遺詠、手紙を掲示している。これまで靖国神社発行の冊子「英霊の言乃葉」(1~9集)にまとめられてきたが、靖国神社でしか買えなかった。今回、漫画家の小林よしのりさん(56)が100編を選び、靖国神社史科課が解説をつけた。
 沖縄戦で戦死した29歳の陸軍中尉は妻へこうつづった。

<<愛する日本、その国に住む愛する人々、その為に吾等は死んで行くのだと考へることは真実愉しいものです。…あなたの夫はこのやうな気持ちで死んで行つた・・・>>

 本書を読んだ若者に聞いた。成城大3年の大城翔太郎さん(21)は「父母や妻への思いに共感する一方、死地へ向かうことに腹をくくった強さを感じた。自分の今の生活でここまで覚悟を決める場面があるだろうか」。
 日本女子大4年の鈴木景子さん(22)は「自己中心的な私たちの世代と這い、最期であるにもかかわらず他者のことを考えている。ただ、国への思いというものは正直よく理解できない」と話した。
 全国最年少の16歳6カ月で神風特攻隊に参加した野村龍三・2等飛行兵曹は、遺言書で勇ましい辞世の句を披露しつつ最後にあふれ出たのは次の言葉だった。

<<龍三ヨクヤツテ呉レタト一言デモヨイカラ云ツテ下サイ 出撃一時間前 御両親様>>

 野村2等兵曹と同じ16歳で国士舘高1年の小田潤平君は、野球少年の日焼けした顔で遺言書を読み「自分の命よりも国を守ろうとした当時の若い世代の気持ちを、今の若者ももっと知るべきだと思った」という。
 「そうすれば、今の社会で『死にたい』と考える人も減るのではないか」

 小林さんは、本書のまえがきで「英霊の遺した言葉は今時のネットのコメントやブログ、政治家の泡より軽い言葉とはまったくの対極にある。日本の国が続く限り、何度もよみがえって読む人の心を打ち続けるだろう」と述べている。
 靖国神社史料課長の野田安平権禰宜(48)は「当時の若者たちの、人間として、日本人としての思いを多くの人に知ってほしい」と話す。

2010年8月23日 (月)

”アタチュルク”ケマル・パシャ
信念と強い指導力

 3時、就寝。

 7時、起床。大粒納豆、秋刀魚の塩焼き、生卵、もずく酢でご飯2杯の朝食をとる。

 8時30分、11時と事務所に来客。

 12時過ぎから14時まで、会社関係やお見舞いなどのために市内まわり。

Cimg0061 15時、スーパーで買った喜多方ラーメンの生麺3玉を使い、特製つけめんを作って遅めの昼食をとる。喜多方ラーメンには濃縮の塩スープがついていたので、鶏ダシの醤油ラーメン用スープの素と合わせ、最後に干し納豆パウダーと煮干しパウダー、長ネギのみじん切りを入れた。

 19時、事務所に来客。

Cimg0062 21時、ひきわり納豆と豚の挽肉を使ったチキンライスならぬ、ケチャップ味の納豆豚ライスを卵で包んだ「納豆オムライス」、もずく酢、きゅうりの浅漬け、ビール500ml3本で夕食をとる。オムライスをつつきながらビールを飲むのも、なかなか趣がある。

 夏休みであるからか、トルコと日本の関係についてインターネットで検索する複数の学生から、柏崎市民としては非常にお恥ずかしい旧柏崎トルコ文化村のアタチュルク像問題についての問い合わせを受けた。
 私への誹謗中傷でこの問題の本質をズラそうとした連中の努力むなしく、柏崎市長、そして追従した市長与党議員は日本人として恥ずかしい、とのご指摘が書いてある。
 そして、トルコの父という意味のアタチュルク、ケマル・パシャの偉大さについての説明も本ブログに掲載すべきではないか、との提案を頂戴した。
 先に会員に配布された『教育再生』において、渡部昇一先生がお書きになった文章が一番簡潔で分かり易いと感じたため、以下に引用し、ご紹介したい。


平成22年8月号『教育再生』通巻第27号

渡部昇一氏が選ぶ
教科書に載せたい
世界の偉人10人(後編)

ケマル・パシャ(1881~1938)
-信念と強い指導力

100823_att アタテュルク(トルコの父)とも呼ばれます。トルコ共和国の最初の大統領です。今はギリシャ領になっているサロニカ(テッサロニキ)で生まれ、青年将校となりました。オスマン帝国のスルタン (イスラム世界の世俗君主)政権下で自由を求める革命運動をやっているうちに第一次世界大戦になります(1914)。彼はオスマン帝国がドイツ側に付いて参戦することには反対でしたが、ダルダネルス海峡や東部国境の防衛に当たり、軍事監察官になりました。
 第一次大戦に負け、オスマン帝国が連合国に分割占領されると、彼はイスタンブールを去ります。アンカラで占領に反対する抵抗運動を行い、大国民議会を開いてアンカラ政府の代表者に選ばれます(1920)。
 ドイツと同様、スルタン政府も連合国から厳しい亡国的な条約を押し付けられます。ケマル・パシャは独立戦争を起こし、独立に反対したギリシャ軍を何度も打ち破り、1922年、スルタン制を廃止して共和制を樹立。スイスのローザンヌで諸国と条約を結んで、アンカラを首都とするトルコ共和国を建国。イスラムの宗教的権威が政治を支配するカリフ制も廃止しました。
 日本の維新の志士もワシントンもビスマルクも、強い信念で国を変える人は戦争によって国を作りました。日本が徳川時代に結んだ外国との不平等条約を解消したのは、治外法権は日清戦争の後(1899)、関税自主権は日露戦争の後(1911)でした。
 ケマル・パシャは日本を深く尊敬していました。西洋に対して独立を確保した国は、有色人種の間では当時日本とタイしかありませんでした。日本は日露戦争でロシアを破り、またジュネーブ会議 (第一次大戦後の軍縮会議。1927)にも出席しました。
 イスラム教国で普通の国になることは大変です。イランがパーレビ王朝で近代化しましたが、原理主義的なホメイニ師らのイラン革命で倒されています(1979)。イスラムで近代化に成功したのは、今でもトルコぐらいしかないのではないでしょうか。
 彼は縁のない帽子(トルコ帽)にこだわるトルコ人に対して、「神に対する敬虔さは、緑なし帽子で頭を地につけるだけではなく、心の問題だ」と言って、西欧の習慣を取り入れたのでした。おそらく明治の日本を参考にしたのでしょう。

2010年8月22日 (日)

福島知事「プルサーマル受け入れ」

 3時、就寝。

 7時、起床。大粒納豆、わさび海苔、目玉焼き、十全なすの浅漬けでご飯2杯の朝食をとる。

 食後、愛車で上越市に移動し、9時から荷物の立会をしたのち、柏崎に戻る。

 運転中、愛車の回生ブレーキ故障ランプが点灯したままになったため、ディーラーに持ち込み、初期診断。25日にドック入りすることとなった。6年目、12万kmとかなり使い込んでいるため、無理もない。

 12時、遊びにきた甥っ子と姪っ子を連れ、昼食を買いに市内のスーパーにでかける。甥っ子がハマっている、カードを使った「大怪獣バトルRR」を一緒に2回やったのち、カツ丼弁当、茶そば&天丼弁当を購入し、3人で分けて昼食にする。

 14時、愛車で新潟市に移動。

 15時から17時まで、会社や政治活動の関係で新潟市内及び周辺自治体での所用を済ませる。

Cimg0060 18時、自宅に戻ったところで、モッツアレラ・チーズと無農薬トマトのサラダ、マグロの血合いのカツ、小粒納豆となめ茸の和え物、ご飯で夕食をとる。
 マグロの血合いは調理までに手間はかかるものの、フライにすれば上質なヒレ肉と間違うほどの味わいとなる。

 食後から事務所にこもり、借りてきた本やネット販売の古本屋で入手した資料を中心に、依頼された戦没者の調査を行う。

 いよいよ福島県がプルサーマルの受け入れを発表し、日本で3番目のスタートを切る。
 柏崎においては、東京電力自体の問題が発端となったプルサーマル地元了解撤回から7年が経過。その間、中越沖地震での被災もあったが、順調に再起動が行われてきている。
 プルサーマルと和製英語で仰々しい名前で呼ばれるが、本質はリサイクル燃料である。プルトニウムを飲むと大変!といった非論理的な議論ではなく、冷静な議論を行い、新潟県としても一歩踏み出す時期が来ている。 


平成22年8月7日『産経新聞』

福島知事「プルサーマル受け入れ」
東電悲願ようやく始動

 福島県の佐藤雄平知事は6日、東京電力が福島第1原子力発電所3号機(大熊町)で計画しているプルサーマル発電について、受け入れを正式表明した。県の関係部長会議で「これまでの検討結果を受け、県として最終的に受け入れる」と述べた。
 これを受けて、東電は今月下旬に定期検査中の3号機に燃料を装填し、9月にも発電を始める見通しだ。計画通り進めば、九州電力玄海(佐賀県)、四国電力伊方(愛媛県)の各原発に次ぎ国内3番目となる。
 プルサーマル発電は、原発の使用済み核燃料からプルトニウムとウランを取り出し、新たなウランと合わせて加工もた「プルトニウム・ウラン混合酸化物(MOX)燃料」を使う。ウラン資源を円のように循環活用する日本のエネルギー政策の柱である「核燃料サイクル」の中核をなす。
 東電は、福島第1と柏崎刈羽(新潟県)で国内初の実施を目指したが、平成14年にトラブル隠しが発覚し、地元からの事前了解が撤回されていた。
 福島県は、佐藤知事が2月の県議会で、受け入れの前提として、耐震安全性の確認など3つの「技術的条件」を提示。県の専門家会合が今月4日、「東電、国は適切に対応した」との判断を示していた。
 本来なら業界の先陣を切るはずだった東京電力のプルサーマル発電が、ようやく動き出す。「資源小国」の日本にとってプルサーマル発電は、国のエネルギー政策の柱の一つ。不祥事で出遅れた分、東電は信頼を回復し、業界をリードしていくことが求められる。
 「核燃料サイクルの確立は経営の最重要課題」 「安全を最優先に着実に準備を進める」。東電の清水正孝社長は6日に発表したコメントで、プルサーマル発電の着実な実施と安全の最優先を改めて表明した。
 東電にとって福島第1原発でのプルサーマル発電は悲願だった。国内初の実施を計画していた平成11年に、関西電力の高浜原発で使用する予定だったプルトニウム・ウラン混合酸化物(MOX)燃料の品質管理データの捏造が判明。そのあおりで実施が先送りになり、14年には東電自身のトラブル隠しが発覚し、計画は白紙に戻った。
 電気事業連合会は昨年6月に22年度までに全国の16~18基で実施するとの目標を5年先送りした。
目標実現に向け東電が果たすべき役割は大きいが、他の電力会社と違い、福島第1原発に続く候補は明らかにしていない。これから地元理解を求めていくことになる。後れを取り戻すためにも、同原発での実施で再び信頼を失うことは許されない。

2010年8月21日 (土)

さぁ、始まった中国で「沖縄返せ」の声
としまえん、ウルトラマンショー

 2時、就寝。

 5時、起床。日が上がり暑くなる前に家周辺の草取りや掃除を行ったのち、大粒納豆、生卵でご飯をかっこみ、朝食をとる。

 6時30分、姪っ子を連れて、愛車で都内に向かう。

 関越自動車道に入り、ところどころで休憩。姪っ子との二人旅なので、トイレなど定期的な停車をする。

Cimg0012 11時、某市にて、愛車プリウス(NHW20 Gツーリングセレクション)の補機バッテリーを交換。
 二代目プリウスのグレードはSとGがあるが、Gはブレーキシステムが補機バッテリーの前に付いており、そのため補機バッテリーの交換が非常にやりづらい構造になっている。ユーザー泣かせ、ディーラー儲けの構造である。

 補機バッテリー交換後、姪っ子と菓子パン(チョコメロンパン、チキンカレーパン、ソーセージ揚げパン)をかじりながら、都内に向かうものの、事故もあり、かなりの渋滞。14時から星陵会館で開催される「謝罪外交に断固反対をする集会」(主催:謝罪外交に断固反対をする集会実行委員会、後援:頑張れ日本全国行動委員会・草莽全国地方議員の会有志・やまと新聞社・日本創新党・たちあがれ日本地方議員有志)に出席予定であったものの、練馬近くになったところで、14時を過ぎてしまった。本当は、姪っ子とともに1時間ほど集会に出席したのち、遊園地に連れて行く予定であった。

 15時過ぎ、首都高の混み具合も鑑み、ここで決断せねばならないと思い、ルートを変更して、 「としまえん遊園地」に移動。

Cimg0014 15時30分、「キッズ1日券 1900円」と「キッズ1日券大人 2400円」のチケットを購入し、「としまえん遊園地」に入る。駐車料金は1000円。
 姪っ子は身長が110cm未満であるため、乗ることができるアトラクションも限られており、1907年製作という歴史的メリーゴーランド「カルーセルエルドラド」をはじめ、軽めの乗り物を中心に楽しむ。

Cimg0052 16時、エルドラドステージでウルトラマンショーが開催されるということで、姪っ子と最前列に陣取り、約30分のショーを鑑賞。
 地球の野菜をすべて奪おうとする暗黒星人・ババルウ星人が超古代怪獣・ゴルザを率いて襲いに来たところを、ウルトラマン、ウルトラマンダイナ、ウルトラマンメビウスが救うというストーリーであった。最後にEXゼットンが登場したが、激しいアクションで汗がたまったのか、右腕がとれ、スーツアクターの手が見える状態になったのが残念。しかし、この暑さのなかでの熱演には感謝である。
 ショー終了後、姪っ子はウルトラマン、ウルトラマンダイナ、ウルトラマンメビウスの3人に握手してもらい、ご満悦であった。

 18時、さすがに遊び疲れたため帰路につき、練馬インターチェンジから関越自動車道に入る。

 Cimg005719時30分過ぎ、上里サービスエリアに寄り、「御用蔵 醤油チャーシューメン 780円」、「五目炒飯セット 260円」「トッピング半熟味玉 100円」を姪っ子と分けて夕食にする。
 麺は固めが好きだが、混んでいるためかダマになっている固い麺で、心から悔やむ味わい。やはりここでラーメンを食べることはできないと痛感した。

 23時、帰宅。

 今日、残念ながら管談話に代表される謝罪外交への反対集会に出席できなかった。管談話を発表した本人がどこまで気付いているのか分からないが、損害を韓国に与えたと明言してしまった以上、その賠償や北朝鮮、そしてまともな国際感覚がない特定アジアの国も日本にタカってくるのは明白。
 案の定、したたかな中国共産党は、この謝罪弱腰外交の足下を見て、今度は「沖縄を返せ」という運動をはじめるようである(それに同調する日本の左翼)。
 日本国民が不況にあえいでいるなか、外国にはバンバンと金をバラまき、日本の主権すら捨ててしまうような売国政権には、いち早く退陣して頂きたい


平成22年8月18日『毎日新聞』

海をゆく巨龍:転換期の安保2010
中国で「沖縄返せ」の声

◇「琉球併合に国際法上の根拠はない」
 学者ら論文、06年以降20本

 沖縄に対する中国の権利が今もある--。こんな刺激的な主張が最近、中国の歴史学者の間で有力になりつつある。沖縄がかつて琉球王国時代に中国との交易で栄え、中国に従属する地位にあったことを根拠にしている。米軍普天間飛行場(沖縄県宜野湾市)の移設問題で日米同盟が揺らぎ、沖縄と日本政府の関係もぎくしゃくする中、中国では「沖縄を返せ」の声が強まっている。【「安保」取材班】
 昨年12月、北京。中国人歴史研究者らによるシンポジウムが開かれ、「明治政府による琉球併合(1879年)も、戦後の沖縄返還(1972年)も国際法上の根拠はない」との主張が繰り返された。主催者の一人、徐勇・北京大教授は、日中関係史が専門で、日中歴史共同研究の中国側委員も務めた有力研究者だ。
 沖縄の「日本帰属」を支持するこれまでの中国の公式見解を覆す主張だ。上里賢一・琉球大名誉教授(中国文学)は「徐教授は過激な反日派ではないのに、こうした議論を展開している。中国政府も、中国共産党も、公式見解と異なる主張を黙認しているのが怖い」と話す。
 徐教授と知り合いの三田剛史・早稲田大特別研究員(経済思想史)によると、徐教授のような議論は戦前に多かったが、戦後は息を潜めた。
 現代中国の建国の父、毛沢東の場合、戦前の論文「中国革命と中国共産党」で、沖縄を「帝国主義国家」が「強奪」した「中国の多くの属国と一部の領土」の一つとした。ところが、戦後この論文が刊行された際は、関連部分が改変され、「沖縄」の字も抜け落ちた。冷戦下で、日本に対する攻撃的な主張はしない方が無難と判断したようだ。
 ところが、今世紀に入り、「中国は沖縄に対する権利を放棄していない」と主張する研究論文が発表され始めた。三田特別研究員によると、関連した論文は06年以降だけで一気に約20本も出た。
 三田特別研究員は、論文急増の理由を「研究の自由の幅が広がったからとも、基地問題を巡る沖縄の日米両政府への反発をにらんだ動きとも考えられる」と分析し、「日中関係や基地問題の行方次第で、さらに広がるかもしれない」と指摘する。
 予兆は既に5年前からあった。上里名誉教授は、05年4月18日、沖縄の地元紙、沖縄タイムスの朝刊を開いて目を疑った。上海の反日デモで「沖縄を(中国に)返せ」と書かれたビラが出たとの記事を見たのだ。
 後日、徐教授の主張も知って危機感を強め、同年暮れ、同紙に反論を5回連載で寄せた。「当事者を無視して沖縄の帰属を論じる大国意識は、『琉球処分』(明治政府による併合)のときの日本や、戦後の米国と同じ」と批判する。
 上里名誉教授は、昨年11月、中国・青島で開かれた国際学術会議の会場で、徐教授に初めて会った。直接話したのは数分間。徐教授が「今後、研究者同士で(帰属問題を)大いに議論したい」と言うので、上里名誉教授は「反論を既に書いた」と述べたが、話はかみ合わなかった。
 上里名誉教授らこの場にいた沖縄の研究者は、12月の北京のシンポへの招待状をもらったが参加を断った。「米軍普天間飛行場の問題が焦点化した時期のシンポジウム開催に、意図的なものを感じた」と言う。
 上里名誉教授は、最低限の反論は済ませたとして、今は中国側の動きを見守ることにしている。「中国は、沖縄が基地問題などで日本政府を批判するのを見て、自分たちと一緒にやれると誤解しがち。しかし沖縄に、彼らに同調する人はまずいない。他方、沖縄に日本政府への怒りがあるのも事実。この微妙なところを、本土の人たちに知ってほしい」と話している。

◇渡来人の伝統、脈々と 沖縄に親中国の土壌
◇基地問題、本土への怒りと相まって

 照りつける太陽の下で、朱色の祭殿前にじっと座って祈るおばあさんがいた。那覇市若狭の至聖廟(びょう)(孔子廟)は、約340年の歴史を重ねる。至聖廟を管理する久米崇聖会の古謝昇理事長は「こういう人が今もよく来る。信仰は生きている」と記者に説明した。
 年中行事や墓、食事など沖縄では今も中国の影響は強い。琉球王国に渡来した中国人の子孫は久米村(現那覇市久米)に戦前まで集住しており、「久米村人」と呼ばれた。久米崇聖会は渡来中国人の子孫の団体だ。会によると現在、把握できるだけで9020人いる。仲井真弘多知事もその一人。知事は年1回9月、至聖廟での祭礼に参加する。
 久米は沖縄戦の前に空襲で全焼したが、ここに92年、市営中国式庭園、福州園ができた。約8500平方メートルの園内に、中国福建省福州から来た職人が福州の建材を使って建てた建物や池が点在する観光名所だ。
 福州園ガイドで、久米村人系の松永麗子さん(78)は「この庭園は久米にないと意味がない。私たちの心のよりどころだ」と言う。近い将来、至聖廟を隣に移し、久米村の趣を取り戻すという。
 沖縄は14世紀から日本が併合する19世紀まで当時の明、清の臣下、藩属国だった。中国の一部歴史研究者らが「中国は沖縄に対する権利を放棄していない」という時、「権利」は当時の関係を下敷きにしている。
 もちろん、沖縄には「沖縄を返せ」の声に応じる動きこそないが、他方、在日米軍基地の75%が集中し、米軍普天間飛行場(宜野湾市)移設問題に象徴される日米安保への反感は強い。高良倉吉琉球大教授(琉球史)は「沖縄では本土への反発と中国への親近感がセットになっている面もある」と説く。
 今年4月と7月、中国艦隊が沖縄近海を通過したが、「小説 琉球処分」などの作品がある芥川賞作家の大城立裕さん(84)は「(中国艦船は)日ごろは話題にならない。他国の軍艦は琉球処分のころからずっと周囲をうろついているから」と話す。
 5月末の毎日新聞と地元紙、琉球新報が沖縄県民を対象に実施した合同世論調査では「日米安保条約を維持すべきだ」との回答は、わずか7%だった。富川盛武・沖縄国際大学長(経済学)は「これだけ政府に軽く見られたうえで聞かれれば、当然の数字だ」と語る。
 同大は普天間飛行場の隣にある。04年8月には、ヘリが本館前に落ちた。墜落の数時間後、富川学長は忘れがたい場面に遭遇した。学内を取材中のテレビ記者を米兵が連行しかけ、それを地元の人々が取り囲んだのだ。
 「怒りが充満していた。数百人が、方言で『タックルセー』(ぶちのめせ!)と罵声(ばせい)を上げ、今にも石が飛びそうだった」。記者は解放されて暴動寸前の空気は収まったが、「県民には長年の理不尽への怒りのマグマがある。これを前提に沖縄を考えてほしい」。
 富川学長も検討に参加して、県が今年3月に策定した将来構想「沖縄21世紀ビジョン」は「独特な歴史的背景などをもとに中国・台湾などとの多元的なチャンネルを通じ『ネットワーク型経済』の構築を図る」とした。
 歴史研究での中国との交流も、帰属問題以外では順調だ。県教育委員会は琉球王国の外交文書集「歴代宝案」の復元・校注作業を89年から続けている。北京の外交資料館、第一歴史档案館の協力で、約3300件の関連史料を提供された。高良教授も歴代宝案にかかわる。「私がよく付き合う中国の学者は実証的で、今の政治や外交に直結した話をあまりしない。そういうまともな人が多いから、中国との歴史問題を楽観している」という。
 富川学長も久米村人の血を引く。「沖縄の人は当然日本人だが、同時に日本人のようで日本人ではなく、中国人のようで中国人ではない独特の感覚もある。この感覚を生かして、米国と中国のどちらに付くかの二分法を解くことこそ、沖縄の役割だ」と主張する。【「安保」取材班】

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 「海をゆく巨龍 転換期の安保2010」は以下の記者が担当しました。成沢健一、浦松丈二、米村耕一(北京)、鈴木玲子(上海)、大谷麻由美(台北)、西脇真一(ソウル)、矢野純一(マニラ)、佐藤賢二郎(ジャカルタ)、和田浩明(カイロ)、飯田和郎(編集委員)、西岡省二、仙石恭(政治部)、杉尾直哉、工藤哲、隅俊之、朴鐘珠(外信部)、滝野隆浩、樋岡徹也、村上尊一(東京社会部)、鈴木英生(東京学芸部)、遠藤孝康(大阪社会部)、小松雄介(大阪写真部)

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◇沖縄と中国の主な歴史的関係

 607年ごろ 隋の煬帝が「流求国」攻略
12世紀    宋と「流求」が貿易
1372年   沖縄の明(後に清)への朝貢貿易(~19世紀)
  92年   久米村(現那覇市久米)に中国人が渡来
1609年   薩摩の琉球入り 沖縄が明と薩摩藩の二重「支配」に
1879年   琉球処分 琉球王国の士族らが清に救援求める
  94年   日清戦争で清が救援に来ると沖縄でうわさ
1911年   中国で辛亥革命 同年時点で一部沖縄紙は日清の元号を併記
  39年    毛沢東が沖縄を「帝国主義が強奪した」と記す
  45年    沖縄戦 沖縄が米軍統治に
  72年    沖縄日本復帰 中国は支持
2006年ごろ 沖縄の帰属問う論文が中国で増える

 ※「南島の風土と歴史」(上原兼善ほか著、山川出版社)など参照

2010年8月20日 (金)

死亡事故に鑑みて、柏崎市内の第4種踏切

 3時、就寝。

 7時、起床。大粒納豆、しそひじきを混ぜた卵焼き、ほうれん草ともやしの和え物でご飯2杯の朝食をとる。

 食後、愛車にて新潟市に移動。

 9時30分から1時間程度、官庁関係での調査活動を行う。

F1000002 12時、自宅に戻ったところで遊びに来ていた甥っ子がハンバーグが食べたいというので、「ガスト 柏崎店」(電話:025-720-1384)に移動。途中、市内某所での支払いも行う。お店につき、「チーズINハンバーグ ランチセット 723円」をガーリックソース、デミ味の2種類で注文。なぜかご飯を2つとも大盛りにして、一緒に昼食をとる。ハンバーグのこってり感にチーズが加わり、かなりの高カロリーである。

 食後、一旦自宅に戻り、郵便局での諸雑用を済ませたのち、市内某所に移動。

 14時から16時過ぎまで、就業、起業に関する相談を受ける。この不況下をチャンスと見て起業する某氏の思いっきりの良さを生かすため、できる限りの支援をしようと思う。

 今日の午後から前泊の出張に行く予定であったが、先方の予定が変わったため、17時から19時過ぎまで、弔問や出産のお祝いとお見舞いなどで市内まわり。

F1000005 21時30分、今シーズン最後となるであろう岩牡蠣を生で数個、半分だけ火が通った感じにした岩牡蠣フライを中心に、冷蔵庫にあったもので作ったチャーハン、里芋と大根の味噌汁、小粒納豆で夕食をとる。
 大好物の岩牡蠣が終わり時期はいつも秋の到来を感じていたが、今年はその気配がまったくない。

 22時過ぎからネット上での会議。今回は時差をこちらに合わせてもらった。

 昨日、非常に痛ましい事故が柏崎市内で起きた。

*個人情報のため、あえて名前は○で置き換え


平成22年8月19日『柏崎日報

自転車の小学生死亡
踏切で列車にはねられ 橋場町

 19日午前7時過ぎ、市内橋場町のJR越後線第2下原塔切で、同原町、会社員・○○○○さん(50)の長男で槙原小5年・○○君(10)が自転車に乗っていて普通列車にはねられた。○○君は全身を強く打ち、意識不明の状態で市内の病院に運ばれたが、まもなく脳内出血、肺挫傷、骨盤骨折など多発外傷で死亡した。列車は吉田駅発柏崎駅行きの2両編成で、乗客約70人にけがはなく、約1時間後に運転を再開した。また、この列車を含め上下線3本が最大71分の遅れとなり、乗客約250人に影響が出た。
 
現場は警報機、遮断機のない第4種踏切で、車は通行できず、歩行者などが利用していた。柏崎署によると、列車の運転士は○○君に気づき、警笛を鳴らして急ブレーキをかけたが、間に合わなかったという。○○君は夏休み中、朝食前に自転車で近所を回って体を鍛えていたとのことで、自宅に戻る途中だった。


平成22年8月20日『新潟日報』

小5踏切ではねられ死亡
柏崎 遮断機、警報器なし

 19日午前7時ごろ、柏崎市橋場町のJR越後線第2下原踏切で、同市原町、会社員○○一也さん(50)の長男で槙原小5年の○○君(10)が、柏崎行きの上り普通電車にはねられ、全身を強く打ち死亡した。
 柏崎署によると、○○君は自転車に乗ってトレーニングをするため午前6時40分に現場から約100メートル離れた自宅を出た。運転士が自転車で横断中の○○君を発見し、警笛を鳴らしブレーキを掛けたが間に合わなかったという。電車は制限速度内の75キロで走行。乗客70人にけがはなかった。
 同踏切は郊外の住宅地にある。車両は通行できない。遮断機と警報器は設置していない「第4種踏切」だった。
 JR東日本新潟支社によると、人の横断を感知すると音声で注意を促す警報装置を二つ設置していたが、2003年ごろに壊れてから使用しておらず、看板などで注意を呼び掛けていた。警報装置を修理する予定はなかったという。事故で越後線は普通列車3本が最大71分遅れ、約250人に影響が出た。
 同踏切では1992年8月にも畑仕事から自宅に戻る途中の女性=当時(82)=がはねられ、死亡した。住民から、危険な踏切と指摘され「踏切を閉鎖した方がいい」との声が出ていた。
 父○○さん(50)は「元気で親の言うことをよく聞く子だった」と涙ながらに語り、母○○さん(39)は「あそこの踏切が危ないって、散々言っていた。こんなことになるなんて」と声を詰まらせた。
 JRなどによると、県内には「第4種踏切」が77カ所あり、2004年には南魚沼市(六日町)で女性2人が、02年には五泉市で高齢者がはねられ死亡した。


 未来ある子供、しかもまだ10歳ということで、同じような年代のお子さんをもつ方からも、このような事は起きてほしくないとの心配のご連絡を複数頂戴した。
 早速、事故が起こった警報機や遮断機のない「第4種踏切」が柏崎市内でどれだけあるのか、JR東日本新潟支社さんに問い合わせを行ったところ、 「柏崎市内には2カ所の第4種踏切がある」とのことだった。
 その2カ所のうちの1カ所に起こった事故であり、生活上の利便性がある場合もあるものの、できれば「第4種踏切」を改善できないものか、今後、各方面に働きかけていきたい。

2010年8月19日 (木)

マリンスポーツでの柏崎活性化
マリンスポーツ財団会長との懇談

 3時、就寝。

 7時、起床。大粒納豆、帆立の煮物、辛子明太子でご飯2杯の朝食をとる。

 食後、熱めの風呂に入って身支度をする。今日も朝から暑いので、冷たいシャワーではなく、熱いお湯につかる。

 9時から11時過ぎまで、弔問と一般質問に向けた市内での調査活動。

Cimg0008 11時45分、みなとまち海浜公園マリンスポーツ交流センターの会議室に移動し、「みなとまち海浜公園と海岸の有効適正利用に関する意見交換会」に出席する。
 柏崎市が委託管理をお願いしているマリスクラブ柏崎財団法人マリンスポーツ財団の会長である自民党・前衆議院議員の笹川堯氏、柏崎選出の2名の県議とともに、意見交換を行った。

施設:新潟県の所有→柏崎市が管理→柏崎市がマリスクラブ柏崎に委託

 Cimg0009みなとまち海浜公園の海岸部は関東圏では一番大きなマリンスポーツ基地となっており、年々利用者は増えている(登録車両:平成22年で701台)。しかし、導入道路や管理、禁止されているオートキャンプやバーベキュー目的の利用、そして不法占拠の船舶、海水浴客との住み分けなど色々な問題を抱えている。
Cimg0010 現場視察をしたのち、12時20分、シーユース雷音に移動し、「ランチ 1050円」で昼食をとりながらさらに意見交換。
 みなとまち海浜公園周辺の海の問題は、マリンスポーツと遊泳者との関係もあるが、貝を採取している人との間にもある。一昨年にはコタマ貝が大量発生したが、今年はチョウセンハマグリやシナハマグリではなく、正真正銘のハマグリが採れている。このハマグリを採りに来た人とジェットスキーとの衝突も問題になっているのである。
 これら問題解決だけではなく、夏真っ盛りでなくとも良いマリンスポーツの大会を誘致することで、通年観光に寄与するような前向きの提案もさせてもらった。

 14時、長岡市に移動。途中、愛車プリウスの「警告!ハイブリッドシステムエラー」がでて、停車してしまうトラブルがあった。12万キロを超えたので、寿命なのであろうか。

 15時から17時過ぎまで、東京都内からお越し頂いた某氏と長岡駅近くの某店にて、打合せ。

 自宅に戻ったところで、来客があり、市政に関する意見交換を行う。

Cimg0011 20時、冷凍しておいた地鶏のモモ肉を解凍して、クレイジーソルトとバジルをふって塩焼きにしたもの、ひきわり納豆の大根おろし和え、わさび海苔を巻いた筋子のおにぎりで夕食をとる。
 地鶏モモ肉はうまく冷凍したつもりであったが、冷凍焼けをしており、反省。三重県伊勢市で食べた味噌ダレの伊勢地鶏を急に思い出し、食事をしながら、次回いつ行こうか思案してしまった。

2010年8月18日 (水)

大東亜戦争と中越大震災
高田歩兵第五十八聯隊第六中隊

 3時、就寝。

 7時、起床。大粒納豆、筋子、おからの煮物、十全茄子の漬け物でご飯2杯の朝食をとる。

 9時、11時と事務所に来客。途中の細切れとなった時間に積んであった本を読み進める。

 13時、ひきわり納豆と生卵を入れたつゆでそうめんで昼食。

 食後、遊びに来ていた甥っ子のためにDVDを借りたあと、愛車で長岡市に移動する。

 車を運転していてもジリジリと腕だけが日焼けする。15時に某社に到着し、16時過ぎまで打合せを行う。

Cimg0007 18時、自宅に戻ったところで、親族が集まり、スーパーで20%引きになっていた鮨やキャノーラ油で揚げたフライドポテトなどで夕食会。祖母もショートステイから帰ってきたので、一緒に食事をとろうと思うもすでに流動食、かつかなり痴呆も進行しており、孫や子供の認識もできない状況であるため、別々に食べる。

 食後、市内某宅に伺い、集まって頂いた数名の方と市政に関する意見交換。

 21時過ぎに帰宅する。 

 先日、次のような紹介記事が『新潟日報』紙上に掲載された。


平成22年8月11日『新潟日報』

戦争の悲惨さ後世に
小千谷広井さん
従軍体験記を出版

 小千谷市千谷の広井貫一さん(88)がこのほど、第2次世界大戦の従軍体験をまとめた「命つな繋いで」を自費出版した。
 顔面に銃弾を受けながらも九死に一生を得たすさまじい戦闘の様子や、戦友が次々と命を落とした戦場の光景をつづった。
 広井さんは同市南荷頃出身で、1941(昭和16)年12月、20歳の時に陸軍に入隊。南方に出征し、44年には連合軍の補給路遮断を目的に、インド北東部の都市インパール攻略を目指したインパール作戦に加わった。
 歴史的敗北を喫した同作戦で広井さんは顔に銃弾を浴びて重傷を負った。奇跡的に一命を取り留めた後も英国軍の攻撃をくぐり抜け、日本の敗戦とともに現地で収容所生活を送り、47年に帰国した。
 「大正、昭和、平成と生きてきた人生の一端を形に残したい」と本の出版を決意した広井さん。「人災」といえる戦争体験とともに、本の後半には、自宅が全壊した「天災」である中越地震の記録も収録した。
 広井さんは「戦争を知らない若い世代に、悲惨な戦争やつらく苦しい思いをして死んでいった戦友たちのことを知ってはほしい」と話した。


Cimg0004 早速、入手を試みたところ、本日『命繋いで~あの日見た星空 大東亜戦争と中越大震災』到着したので、一気に読み終えた。
 著者である廣井さんは高田歩兵第五十八聯隊第六中隊に所属しており、サンジャックでの激戦、禁止となっているダムダム弾を英軍が使用し被弾したこと、敗戦を知り軍旗を焼いた悔しさ、そして戦友を置いていかざるをえない状況を詠んだ詩

 戦いに 君置き去りて 我悲し
 忘れはしない 屍街道

など、我々の世代のみならず、後世に残すべき内容が綴られている。
 読後あらためて、郷土部隊である高田歩兵第五十八聯隊をはじめ、戦地での慰霊や遺骨収集の重要性を再認識した。

*ただ気になった点は、編者による解説のなかで、インパール作戦の目的が「援蒋ルートの遮断」に加え、「反英インド独立闘争を煽動、インドを混乱に陥れる」となっているところである。援蒋ルートの遮断は良いが、インドを混乱ではなく、長年にわたるイギリス植民地からのインド独立支援が目的。でなければ、日本軍と一緒になって戦ったインド国民軍や率いたチャンドラ・ボースの存在(現在ではインドの国会に肖像を掲揚)は説明できなくなってしまう。

 戦後65年、未だに「お国の為」と戦って散った英霊の遺骨は、祖国に帰りたくとも戦地でそのままである。
 社民党や共産党などが言う「平和、反戦」などと唱えるだけの平和教育ではなく、戦地での遺骨収集こそ本当の平和のための教育ではないだろうか。

2010年8月17日 (火)

平成22年第3回臨時議会(新市民会館契約)
ウルトラマンからのお礼

 3時、就寝。

 7時、起床。大粒納豆、筋子、しそひじき、イカ一夜干しでご飯2杯の朝食をとる。

 熱めのシャワーを浴びたのち、9時、市役所に移動し、会派室にて会議。新市民会館に関する入札の実態について意見交換を行う。

Cimg3821 10時、第3回臨時議会の本会議に出席。会議の冒頭、「現在の出席者は29名、あとは遅参と思われます・・・」と議長があいまいな宣言をした。遅参の場合には遅参届けが必要であるが、遅参届けもでていないのに確認をせず、本会議を開始したのである。残りの1名は、前回の議会でも「遅参」としながら、「欠席」した某議員。これが現在の柏崎市議会の姿である。
 議題は、新市民会館の契約締結に関わるものと除雪用機械の購入。
 新市民会館については、今後しばらくはこれほどの公共事業はでないであろうという大型契約(本体26億7225万円、電気設備3億2340万円、空調換気設備4億845万円、給排水衛生設備1億8270万円、舞台機構設備3億8850万円、舞台照明設備2億3100万円、舞台音響設備1億8375万円)であり、地元経済のため、極力地元発注すべきであるとの主張を行ってきた。市外から採算を度外視しての入札もあり、どのような結果になるのか不安であったが、結果的に地元業者が入るかたちになった。契約担当課のご苦労は大きかったであろう。

Cimg0006*柏崎商工会議所は、今年1月に会頭と総合建設部会長が市長に地元発注を要望。7月2日にも会頭、副会頭、小売商業部会長、卸商業部会長が資材、機材の地元発注を市長に要望している。地元企業が受注することで不況対策にもなり、当然のことである。

 あえて追加で言えば、専門性があると言われている音響や舞台照明などの契約についても、落札した専門業者から地元で十分できる仕事は地元業者に発注してもらうようお願いしてもらいたい。

 10時20分から議会運営委員会に傍聴出席。9月定例会の日程と決算審査の委員会人数配分などを決める。
 その他として「遅参と思います・・・」発言について、整風会として議題にしたが、議員本人から連絡がなく、結果的に欠席扱いにするということで話が終わってしまった。某議員は、税金から報酬をもらう公務だと認識しているのであろうか。恥ずかしい話である。議会改革うんぬん手前の話で、議会のトップたる議長もしっかり指導してもらいたい。

flag 続いて自治研究会から「柏崎市議会議場における国旗及び市旗の掲揚に関する決議(案)」を9月議会に提出したいとの提案があった。来年4月の選挙前に保守系からの批判をかわそうということであろうか。前回、彼らは「反対」(平成20年第5回定例会)を、2回も(平成21年第4回定例会)したのである。

 しかも今回提出してきた文面は前回、日本会議柏崎支部から提出されたものをパクっている。


平成20年12月2日
柏崎市議会議長 霜田 彰殿

                請願者  日本会議柏崎支部
                       支部長 西川 勉

   市議会議場に市旗・国旗の掲揚を求める請願

 平成十一年八月十三日に施行された「国旗及び国歌に関する法律」により、それまで慣習法として定着してきた「日の丸」も改めて国旗であると法律として定められました。自国の国旗に敬意と誇りを持つことはすでに世界の常識でもあり、お互いの国旗を尊重し合う地域環境づくりがいまや望まれております。
 国旗は、自国を象徴するものであり、どの国でも、国家の重要な行事や式典では国旗を掲揚し、国歌を演奏します。また、他国の国旗・国歌に敬意を払うことは、相手の国の人々に敬意をあらわすことでもあります。国旗・国歌を大切にすることは、国際儀礼であり、国際社会に生きる基本的なマナーであります。
 二十一世紀を迎え、ますます国際化する世界で、将来の担い手である青少年が我が国に対する誇りを持ち、ひいては他国の国旗を尊重する国際感覚を養うことは、大切な課題といえます。
 また、自主と自立の地方分権時代を迎え、より多くの柏崎市民に柏崎という郷土に誇りをもってもらうためにも、昭和25年7月に制定した市章を入れた市旗を、市民の代表で構成される議会の議場に掲揚することが重要と考えるものです。
 本市の公共の場において、すでに定着している国旗掲揚と、それに伴う市旗の掲揚を、本市政執行部と市議会議員が一堂に会する議場において、速やかに実施されることを願います。

<請願事項>
 速やかに柏崎市議会の議場に市旗、国旗を掲揚すること。

                            以 上


【自治研究会案】

柏崎市議会議場における国旗及び市旗の掲揚に関する決議(案)

 平成11年8月13日、法律第127号で「国旗及び国歌に関する法律」が施行されたことにより、それまで慣習法として定着してきた日の丸(日章旗)が正式に国旗であると定められました。
 国旗は自国を象徴するものであり、国旗を大切にすることは国際儀礼として、国際社会に生きる基本的なマナーであります。ますます国際化する世界の中で、次代を担う青少年が、我が国の国旗に対して誇りを持ち、他国の国旗を尊重する国際感覚を涵養することが大切であります。
 本市も、市庁舎をはじめ式典や文化的行事には国旗が掲揚され、自然かつ身近なものとして既に定着しています。
 また、市章については、昭和25年7月に制定したもので、柏崎を象徴する柏と海を図案化し、即ち、中は結び柏、周囲は波頭を表しています。徽章をはじめ様々な用途に使用され、広く市民に受け入れられています。
 本年は、市制施行70周年と中越沖地震から3年という節目に際し、本市議会議員として市民の負託に応えるため、更なる飛躍と発展を成し遂げなければなりません。
 これらのこと踏まえ、市政執行部と市議会議員が一堂に会する議場に、国旗及び市章を入れた市旗を掲揚することは、極めて大きな意義があります。
 これまでに提出された請願の願意をしっかりと受けとめ、平成22年12月定例会から、柏崎市議会議場に国旗及び市旗を掲揚することを決議いたします。

平成22年9月  日
柏崎市議会

理由
 市制施行70周年及び中越沖地震から3年という節目に際し、本市議会議員として、更なる飛躍と発展を決意し、柏崎市議会議場に国旗及び市旗を掲揚するため。


 恥ずかしくないのであろうか。
 先の議員定数削減案にしても、整風会として提案していた26名を一旦否決しておきながら、しゃあしゃあと自分たちの案として提出してくるのである。
 これで一般市民の有権者を騙せると思っているのであれば、これほど柏崎市民を馬鹿にしたものはない。

 11時から会派室で再度の会派会議。次の議会後に行われる平成21年度の決算については、昨年は委員長を務めた第一部決算委員として審議することとなった。NPO全防災問題をはじめ、平成21年度予算の執行について、ガッチリと審議したい。

 12時、自宅に戻り、母方の祖母と一緒に、ひきわり納豆と生卵を入れた煮干しベースのつゆでそうめんを食べる。

 午後から事務所で事務仕事に入ったものの、15時、16時、18時と事務所に来客が続き、各方面から市政に関する情報が入った。あとは県庁関係各課が動けば、この問題は表面化する。

Cimg0003 21時、甘海老の刺身、甘海老の頭の味噌汁、パイナップルジュースとサルサ・デスソースをベースに作った甘いのか辛いのか不明なカレーライス、ひきわり納豆と大根おろしの和え物で夕食をとる。
 甘海老の頭の味噌汁には、やはり赤の豆味噌ベースのブレンド味噌がピッタリである。

Cimg0002 先日、柏崎にお越し頂いた『ウルトラセブン』でアマギ隊員役であった「ウルトラマンになった男」・古谷敏氏から荷物が届いた。
 なかは直筆のお礼状も入っており、十分なおもてなしもできなかったなか、ありがたい限りである。
 やはりウルトラマンは強く、そして優しい。

2010年8月16日 (月)

柏崎市の民主党政権への陳情
信越本線の鉄道利便性向上

 5時、起床。熱めのシャワーを浴びて、目を覚ましたのち、事務所で書類整理を行う。

 8時、大粒納豆、目玉焼き、卵豆腐、塩鯨と夕顔の味噌汁でご飯2杯の朝食をとる。

 9時から12時まで市内某所にて、市政に関する打合せ。

 13時、自宅に戻り、懐かしい感じがするクリームサンドパン、ソーセージ揚げパン、低脂肪乳で昼食をとる。

 14時、16時と事務所に来客。帰省してきたことから、地元である柏崎に戻って就職先があるのか、いまの柏崎はどのような状態にあるのか、という質問を多くもらい、できれば柏崎に戻ってきてもらいたい気持ちとともに現在の柏崎についてお話した。

F1000005 18時50分、頂き物の甘塩一夜干しするめ、カニ味噌、しそひじきを入れたひきわり納豆でビール500ml3本を飲み、夕食。
 一夜干しするめは、軽く炙ったのち、マヨネーズと一味唐辛子、花椒を混ぜた特製ソースをつけて食べる。ビールによく合うつまみである。

 21時、某集まりの代表から電話があり、急遽、市内の某スナックに移動。生ビールを1杯飲んだあとは、シングルモルトのウイスキーを水割りを飲む。カラオケもせず、ひたすら近現代史のアツい話をし、女性はドン引きであった。

 23時、帰宅。

H2315rail 「平成23年度 民主党・政府省に対する説明」として、柏崎市として民主党政権に対し行った主要事業の要望の資料が届いた。
 内容としては、中越沖地震に伴う柏崎刈羽原子力発電所の安全性の確保からえんま通りの再生、8号柏崎バイパスなどがあったが、なかには何をどうしてほしいのか、柏崎市としては解決策をどう考えているのよく分からない要望があった。国土交通省鉄道局幹線鉄道課への「北陸新幹線開業後における信越本線(長岡・柏崎・上越間)の鉄道利便性の向上について」である。

「北陸新幹線開業後における信越本線(長岡・柏崎・上越間)の鉄道利便性の向上について(pdf形式)

 その文面は以下の通り。

【要望事項】
 信越本線(長岡・柏崎・上越間)の上越新幹線及び北陸新幹線との確実性と速達性の高い接続による利便性の維持及び向上が最重要課題であり、ご支援をお願いします。
 また、将来的な課題として、長岡・柏崎・上越間を含めた日本海縦貫高速鉄道交通体系の整備が必要となっています。

【要望理由】
 間近に迫っている北陸新幹線の長野・金沢間の開業によって、信越本線(長岡・柏崎・上越間)を中心とした在来線鉄道の交通体系が大きく変容し、機能の低下が危慎されるところです。
 北陸新幹線開業後におけるこの区間の鉄道利便性の維持及び向上を図ることは、上越新幹線と北陸新幹線を結んで日本海沿岸地域の発展や機能の強化に寄与し、新しい日本海国土軸を形成するという意義をもっています。
 併せて、この区間の中間に位置する柏崎地域にとりましても、二つの新幹線を有効に活用することにより、東京、北陸・近畿及び新潟の各方面との交通利便性の向上が図られ、産業、観光など交流人口の拡大による地域の発展につながるものであります。
 したがいまして、信越本線(長岡・柏崎・上越間)、について、上越新幹線及び北陸新幹線との確実性と速達性の高い接続を図ることにより、利便性を維持し、向上を図っていくことが何にも増して重要であります。
 さらに、国土の均衡ある発展や地域の一層の振興に向けて、信越本線(長岡・柏崎・上越間)の利便性の向上を踏まえながら、この区間を含めた日本海縦貫高速鉄道交通体系の整備が将来的には必要であると考えます。

 日本海縦貫高速鉄道の必要性、信越本線の利便性向上は分かるが、要望するのであれば、まずは柏崎としてこういった事に取り組みたいと、事業名もしくは詳細な方針を挙げて、実務的な要望をすべきではないかと思う
 他の要望は事業や今後の方針も提示しており、上記のような要望では国として、民間会社であるJR東日本とどう話し合いをすべきなのか困るであろう。
 やはり議会で本格的な議論を行うしかない。

2010年8月15日 (日)

靖国神社に参拝する全国地方議員の会
ウルトラマンフェスティバル2010

 0時から3時まで仮眠。

 3時30分、身支度をし、まだ寝ている甥っ子を助手席に乗せ、愛車で関越自動車道六日町インターチェンジまで移動する。

 5時、関越自動車道六日町インターチェンジで新潟県南魚沼市議会・桑原圭美議員、魚沼市の五十嵐茂明氏と合流し、東京都内に向かう。

 途中、筋子のおにぎり1個、ビタミンBドリンク剤2本で朝食をとる。

Cimg0225 8時、靖國神社に到着し、早速、「靖国神社に参拝する全国地方議員の会」の地方議員の皆さんと合流。昨年の反天皇制極左デモの影響か、機動隊をはじめ、警察関係者の警備が異常なほど充実していた。
 参拝前にチャンネル桜によるインタビュー収録があったので、管談話に代表される情けない日本の姿になったことを申し訳なく思い、 「ただただ英霊に謝罪したい」と答えさせてもらった。

Cimg0228 9時過ぎ、「靖国神社に参拝する全国地方議員の会」地方議員60名とともに、議会名と名前が書かれた幟を持ち、大鳥居から手水舎まで行進。甥っ子は、視覚障害がある東京都東久留米市議会の宮川豊史議員を、自分なりに考えて手引きをし、一緒になって歩いていた。良い社会経験になった事であろう。鳥居前で、幟を回収するとともに、「海ゆかば」を全員で斉唱。その後、本殿前にて、全員が一体となって参拝を行った。

Cimg0229 参拝後、大鳥居近くにある高田歩兵第五十八聯隊に所属した方で組織された「歩五八会」が、昭和47年4月9日に献木した山桜に移動。
 すでに「歩五八会」は解散しており、関係者も鬼籍に入る方が多くなっているため、郷土部隊に感謝し、歴史を伝えたいとする身として、できる限りこの山桜を見守りたいと思う。

Sakurai 10時過ぎ、東京都中央区議会の二瓶文隆議員、東京都東久留米市議会の宮川豊史議員とともに池袋サンシャインシティに移動。
 10時30分、『ウルトラQ』戸川由利子役、『ウルトラマン』ではフジ・アキコ隊員役だった「伝説の怪獣ヒロイン」・桜井浩子氏とお会いし、記念撮影と若干の意見交換を行う。

Cimg0243 宮川議員にも付き合ってもらい、甥っ子とともに11時に「ウルトラマンフェスティバル2010」に入場する。
 ウルトラマンフェスティバルは今年で20周年ということで、出展されている怪獣なども多く、また今年はオリジナルDVD作品2本、映画が1本「ウルトラマンゼロ THE MOVIE 超決戦!ベリアル銀河帝国」もあるので展示品にも活気がある。

 Cimg026612時からライブステージ「第2部 伝説の力!ウルトラパワー炸裂!!」を11列目で鑑賞。
 いきなり、用心棒怪獣ブラックキングとナックル星人がウルトラマンジャックと戦うという『帰ってきたウルトラマン』の第37話「ウルトラマン夕陽に死す」のような展開から始まり、続いてウルトラマン80とウルトラマンゼロの登場に、甥っ子はすっかり興奮していた。
 ダークロプスゼロも登場し、DVD作品や映画への序章といった感じでステージが12時30分に終了。

Cimg0267 12時50分、「バーガーキング 池袋サンシャインシティ店」(電話:03-5911-3671)にて、「池袋ワッパー 200円」「池袋チーズバーガー」がドリンクとセットになっている「ファミリーセット 990円」に「チーズビッツ 100円」を追加して、甥っ子と分けて昼食をとる。やはりファストフードのなかでバーガーキングの肉は格上である。

 池袋サンシャインの前からタクシーに乗り込み、13時50分に靖國神社に戻る。

 関係者に挨拶をしたのち、帰路につく。

Cimg0269 練馬インターチェンジから関越自動車道に入り、15時20分、高坂サービスエリアのレストランにて休憩。脳が疲れているのか、はたまた体に熱がこもっているのか、甘くて冷たいものが食べたくなり、「コーギーパフェ 400円」を食べる。甥っ子にはメロンが入っていない「フローズン・メロン 300円」。

 18時、関越自動車道六日町インターチェンジで新潟県南魚沼市議会・桑原圭美議員、魚沼市の五十嵐茂明氏と別れ、柏崎に向かう。

Cimg0270 途中で買い物をし、19時30分、帰宅。
 スーパーでブロック買いした牛肉をパイナップル果汁とマヨネーズに漬け込み、肉を柔らかくしてから、サイコロステーキにして焼き、甥っ子と夕食をとる。お盆ということで、某氏も訪れてきたので、一緒にビールを飲みながら、サイコロステーキを頬張り、最後はひきわり納豆茶漬けでシメる。

 24時、就寝。

2010年8月14日 (土)

会津八一と学徒出陣
靖國神社参拝

 3時、就寝。

 7時、起床。大粒納豆、頂き物のしそひじき、目玉焼きでご飯2杯の朝食をとる。

 午前中は、姪っ子を連れて親戚まわり。ゴーヤと茗荷の漬け物、ゴーヤの煮物などこの夏、出来が良かったゴーヤの活用方法を色々とお聞きした。

 12時、買い物をしつつ、帰宅。たらこスパゲティを作って、姪っ子と昼食をとる。

 午後は事務所で郵便物や新聞切り抜き、FAXなどの整理。かなりの量を溜めてしまったため、なかなか終わりが見えない。

 17時過ぎ、長岡市に移動。

Cimg0224 18時、「長岡甲羅本店」(電話:0258-29-5555)にて、母親、弟、妹夫妻、甥っ子、姪っ子そろっての食事会となった。「甲羅の特選御膳 みやび 3675円」を注文し、生ビールを飲む。かに刺身、かに天ぷら、かに酢、かに釜めし、かにグラタン、お椀、かに味噌豆腐、香の物、かにサラダ、抹茶アイスクリームのセットであったが、生ずわい蟹握りを追加。生ずわい蟹握りのとろけるような甘みが絶品であった。

 22時、帰宅。

 さすがというか何というか、売国ぶりを遺憾なく発揮している管政権。首相をはじめ全閣僚が靖國神社に参拝しないという。
 戦争したわけではない韓国には謝罪するが、国のために散った英霊には感謝すらしない。精神的にもダメなら、経済的にも15年ぶりの円高に対し早急に手を打つこともしない。
 日本の迷走はまだまだ続く。


平成22年7月21日『産経新聞』

日本の面影
ノンフィクション作家 工藤美代子

今夏も靖国神社に参拝なし

 新潟出身の歌人で会津八一という人がいた。奈良を題材に詠った歌集『南京新唱』=大正13(1924)年刊=は不朽の名作といわれる。書家としても名を成し、その書は現在でも市場で高額で取引されている。
 しかし、実は八一は優れた教師でもあった。不器用で無愛想ながら早稲田中学や早稲田大学で教壇に立ち、学生たちの信望を一身に集めた。
 学徒出陣が始まった昭和18年の11月、八一は早稲田大学の学生たちのために恒例の奈良研修旅行を決行した。ほとんどの男子学生は、この旅が終われば出征するはずだった。
 当時、一行は奈良の日吉館を定宿としていた。その看板は八一の揮毫によるものである。
 暮れゆく秋の日を惜しむように学生たちは平城京大極殿址の芝山で、それぞれノートを広げて八一の美術史の講義に耳を傾けていた。
 その中には作家、三浦朱門氏の姉の三浦(現・小杉)瑪里さんがいた。彼女の回想によると学生たちは各自が米持参で故郷から奈良にはせ参じた。それは配給量よりはるかに多く、仲間の世話係だった三浦さんは、米を用意した親たちの心情を思って涙したという。
 このとき三浦さんと一緒に旅行計画を練ったのが永井進という同じ早稲田の学生だった。両親はアメリカにいて収容所へ入れられていた。明るく物事に頓着しない性格で、八一がかわいがっている学生の一人といえた。
 その永井が奈良の研修旅行の最後の日にいきなり日吉館から警察に運行された。政治運動とはおよそ無縁の学生であり八一が先頭に立って抗議をしたが、聞き入れられなかった。
 やがていったんは釈放されたが、間もなく永井は召集される。そして数カ月後に、日吉館の女将は永井からはがきを受け取った。今、奈良の航空隊にいるので来てくれという内容である。女将はとっておきの砂糖で、おはぎを作り、すぐに永井を訪ねた。
 永井は奈良で特攻隊の訓練を受けていた。訓練中は毎朝隊を組んで、日吉館の前の道を駆け足で通る。そのとき、いつも恩師、会津八一が書いた看板を手でなぜて泣きながら走っているのだと永井は女将に話った。明日は南方へ出発するというところだった。他の隊員には面会に来る肉親がいたが永井は国内に親族がいない。
 永井がフィリピン沖で戦死したと三浦さんや日吉館の女将、そして八一が知るのは、もう終戦が間近になってからのことだった。

 平城遷都1300年の今年は奈良に関する催しも多いが、奈良にまつわる会津八一とその弟子たちの悲話を知る人は少ない。
 
多くの戦没者の御魂が祀られている靖国神社に、この夏も日本の総理は参拝しないという。政治のトップに立つ総理が、日本の神社仏閣に対する尊崇の念もなく、また戦没者を悼む気持ちも持ち合わせていないのだとしたら、平城遷都1300年のお祭り騒ぎもむなしく感じられる。
 余談だが、早稲田大学文学部の学徒出陣式のとき、三捕さんたち女学生が持ち寄って作った職に「学徒出陣」と大書したのは八一だった。どんな心境だったのか、万感の思いがあったことだろう

2010年8月13日 (金)

柏崎の友好交流都市:湖北省宜昌市
三峡ダムに1万の危険箇所

 1時、就寝。

 7時、起床。大粒納豆、生卵でご飯をかっこみ、朝食をとる。

 午前中は市内まわり。途中、某氏をバッタリであい、自動販売機で飲み物を買って、1時間ほど立ち話をする。

 13時、自宅に戻り、頂き物の米粉ソーセージパン、チョココロネ、低脂肪乳で昼食をとる。

 14時から16時過ぎまで、甥っ子と姪っ子を連れて、海水浴。日本人のみならず、外国人客も多く、砂浜でバーベキューを行っていたが、ゴミを大量に置きっぱなしにしているところが何カ所かあった。できる限りのゴミは拾って自宅に持ち帰ったものの、何か釈然としない思いである。

 16時30分、事務所に来客。21時過ぎまで市政から国政まで意見交換を行う。

Cimg0220 22時、豚挽肉とひきわり納豆をベースに作ったカレーソースをかけた冷凍さぬきうどん2玉で夕食をとる。
 ガラムマサラをたっぷりかけたので、多少粉っぽくなったが、辛さが心地よい。

 我が柏崎市の友好交流都市として、中華人民共和国の湖北省宜昌市がある。
 友好交流都市となった経緯については、柏崎市のサイトにて以下のように説明されている。


■湖北省 宜昌市
 1998年11月27日「交流内容覚え書き」を交わし、両市の友好発展のため、文化・経済・青少年・観光などの各分野において幅広い交流の可能性を求めていくこととし、政府訪問団の相互派遣・研修生受入などにより、交流を深めています。
▼交流のきっかけ
 一地点として世界最大規模の原子力発電所が立地する柏崎市と世界最大規模の「三峡」水力発電所の立地する宜昌市とが、相互に世界最大の発電所立地都市として、エネルギー供給に貢献している共通点から友好の芽を探求しようと交流が始まりました。
▼宜昌市の紹介
 長江の中・上流の境にあり、世界最大の三峡ダムが建設されています。4千年以上の歴史をもち、戦国時代の詩人である屈原と4大美人の一人である王昭君の故郷です。人口415万人、面積2.1万平方キロメートル。


 この交流のきっかけに書かれている三峡ダムは、現在、崩壊の危機と言われており、中国共産党政府がいつすべての事を発表するのか、注視している。
 他国のことながら、被害者が出ないことをただただ祈る気持ちである。


2010年6月24日『大紀元時報』

三峡ダムに1万の危険箇所
元英外交官が指摘
国内専門家も「利益より弊害」

 長年、中国の三峡ダム建設に注目してきた英国の元外交官によると、三峡ダムには亀裂が現れており、ダムと重慶市の間には1万個所近い危険場所が存在し、新たに30万人の移転が必要だという。中国国内の専門家も三峡ダム建設は利益よりも弊害が多いと指摘している。

1万の危険箇所

 三峡ダムにおける地滑りの発生や生態環境の悪化、アオコの大量蓄積などの問題は、中国国内メディアも以前から取り上げてきた。それらの問題に加え、三峡ダムと重慶市の間の道路や建物に、地滑り、微小地震、亀裂が頻繁に発生していると、英国の元外交官ティム・コラード氏が6月7日付けの英「デイリーテレグラフ」に掲載した文章で指摘した。
 それによると、1万近い危険個所が確認されているが、資金不足のため、付近住民は移転できずにいる。三峡ダムプロジェクトではすでに140万人が移転させられたが、今また新たに30万人が移転を迫られることになったという。
 さらに、三峡ダムは李鵬元首相が特に力を入れたプロジェクトであり、その着手は、経済的効果以上に政治的動機によるもので、工事は十分な論証を重ねないままに強行されたと、同氏は指摘する。
 三峡ダムのこれらの問題は、政府系メディアでも公表されている。それは、実質的な危事をもうこれ以上隠せないからだとコラード氏は述べる。大規模なパニックを避けようと、中国当局は慎重に対処しており、これまでは、集団抗議や地方陳情をほぼ阻止できている。
 これと同時に、当局は完全に情報を封鎖することを望んではいないようだ。水力エンジニア出身の胡錦濤氏は三峡ダムプロジェクトとは一線を画すように努力し続けており、李鵬氏のために火中の粟を拾うような冒険を犯すことを望まなかったという。

国内専門家「代償は大きい」

 長江の専門家で、四川地鉱局区域地質調査隊の範暁氏は米VOA記者の取材に対し、コラード氏の指摘した1万近い危険箇所を確認することはできないが、現在政府サイドで確定している危険箇所は5ないし6千個所以上と答えている。
 「国士部の調査によると、現在確認されているのはおよそ5千から6千個所以上。この数字には、はっきりとした地質災害地域と潜在的な地域が含まれる。政府はすでに地質災害対策に200億元を投資しており、今後も続くだろう。三峡ダムの地質危害は厳しい問題だと言わざるを得ない」
 範氏はまた、地質災害以外に三峡ダム工事の生態環境や現地住民に対する影響も甚大であり、少なくとも現時点では三峡ダムは利益よりも弊害が多いと指摘した。
 同氏によると、三峡ダム建設が始まる前、長江の流れは比較的速く、一定の自己清浄能力を持っていた。ダム建設後、その流速は遅くなり、多くの汚染物質が水中に蓄積し続けることとなった。水質の悪化によりアオコや緑藻などが大量繁殖し、魚類などの水生生物に大きな影響を与えているという。
 さらに、
峡ダム建設がもたらした移住問題によって、多くの人の生活が貧困化し、注目すべき社会問題となっていると範氏は話す。
 「移転前の貯水池地区は盆地で、土地は豊穣だったが、ダム建設によって耕地に適さない山の斜面に移転させられることが多い。その生存条件の悪化で三峡移民の貧困化が引き起こされている。地質災害、生態環境、社会移民などを含め、これらの社会的代償は計り知れない」と範氏は分析する。

 三峡ダムの弊害と利益についての論争は途切れることがない。「中国水利界の良心」と称された清華大学水利学部教授の故黄万里氏は、かつて黄河三門峡ダム建設の弊害を主張したことで、22年間右派とされてきた。
 黄氏の警告の通り、三門峡は後に水害工事となった。
 三峡ダム建設に関しても、黄教授は6度にわたり国家指導者に、建設反対の意見書を出している。当時90歳の黄氏は01年に亡くなる直前の昏睡中にも「三峡ダムは絶対に造ってはならない」と叫んだと言われている。
(翻訳編集・坂本)

2010年8月12日 (木)

36回…なぜ日本は謝罪続ける
櫻井女史、管首相に申す

 3時、就寝。

 7時、起床。大粒納豆、ほぐし鮭、ゴーヤ炒め物でご飯2杯の朝食をとる。

 8時、愛車で移動し、長岡市内の某社にて打合せ。

 10時過ぎ、東京電力・柏崎刈羽原子力発電所に視察にこられた南魚沼市議会有志の皆さんにお土産をお渡しする。

 12時、事務所に戻ったところで来客があり、差し入れのミックスピザを一緒に食べながら、懇談する。

 13時から15時まで市内でボランティア活動。ご高齢で独り住まいをされているお宅の草むしりとお茶飲み会である。

 16時、自宅に戻り、愛車の掃除とヘッドレスト液晶テレビの取り付けを行う。甥っ子、姪っ子を車に乗せたときに後ろの席でもDVDを見られるように、運転席と助手席のヘッドレストを9インチ液晶テレビ埋め込みのタイプに変更し、配線を行った。補機バッテリーがヘタってきているので、そろそろバッテリーも交換が必要である。

Cimg0219 18時30分、「Food&Drink 夕凪~ゆうなぎ~」(電話:0257-37-2758)に移動し、某氏との懇親会。
 鰻の白焼き、名古屋コーチンの塩焼き、茶豆をつまみつつ、生ビール、冷酒を飲む。日本のエネルギーの行く末、柏崎の原子力政策のあり方など熱く語ってしまった。

F1000003 21時30分から市内某スナックにて2次会。芋焼酎の水割を飲みつつ、さらにエネルギーや柏崎市内の2大学の活用について語り合う。
 福井県の原子力立地自治体を見れば分かるように、産官学連携を生かすかどうかが、まちの経済発展も握っている。柏崎は完全に立ち後れである。

 24時、帰宅。

 電話や実際に会って色々な人と政治の話をしていても、こと管談話の話になると怒りはもとより、本当に日本はこのままで良いのか不安になっていた。
 そして、より多くの人に真実を「分かりやすく」伝えるにはどうすればよいのか迷い、モヤモヤしていたここ数日であったが、ジャーナリスト・櫻井よしこ氏の『産経新聞』への寄稿を読んだとき、胸のつかえがとれた。
 まさしく言いたい事ズバリ!であり、以下に引用して、ご紹介したい。


平成22年8月12日『産経新聞』

櫻井よしこ
菅首相に申す
36回…なぜ謝罪続ける
 

 歴史に関して日本国政府がどれほど謝罪を重ねてきたかを調べてみると、その夥(おびただ)しさに愕然(がくぜん)とする。ざっと見て、日中国交正常化当時の田中角栄以来、菅直人首相の談話まで、実に36回に上る。
 歴代の首相、官房長官、昭和天皇および今上天皇の発言の一覧表を前にして、なにゆえにわが国はこれほど心からの反省を誓い続けるのかと暗澹(あんたん)たる思いである。 8月10日の菅首相談話は、仙谷由人官房長官、鳩山由紀夫前首相ら、民主党政権首脳の合作である。同談話に執念を燃やした仙谷長官の役割はとりわけ重要だ。明らかに早い段階から新たな謝罪談話発表に強い意欲を抱いていた氏は、7月7日の日本外国特派員協会での会見で韓国への戦後補償は不十分と表明した。同月16日の会見では、談話の内容は「私の頭の中に入っているし、官房で多少イメージしている」と語った。
 だがそれは、菅、鳩山両氏らと共有されてはいても、その外側には杳(よう)として伝わってこなかった。官邸が民主党側に内容を伝えたのは発表前日だったといわれる。
 党に諮るどころか、全文を事前に見せもせず、検討、議論の時間も場も与えずに承諾させる手法が、仙谷氏の流儀である。その手法は、「仙谷よ、お前もか」と言いたいほど、小沢一郎氏のそれにうり二つである。小沢氏の独裁的手法に反発した本人が第二の小沢になっているのである。
 菅、仙谷、鳩山氏らの連携作業は謀議と呼ぶべきもので、仙谷氏らが独裁者の手法を用いて秘密を保持しつつ閣議決定した菅談話には、未来永劫(えいごう)、村山談話と同質の卑怯(ひきょう)なだまし討ちの影がついて回るだろう。
 菅、仙谷両氏は、恰(あたか)も国民の意思を代表するかの如く、談話を発表したが、歴史についての知識や理解は恐ろしいほどに貧しく、国家観を欠落させた氏らにその資格はないだろう
 名著「日韓2000年の真実」を著した名越二荒之助(ふたらのすけ)氏は、アヘン戦争から日韓併合に至るまでの約70年間は日韓両国ともに最も波乱に富んだ深刻、複雑な時代であると書いた。日韓の学者の中に、日清戦争も韓国併合も日本にだけ責任を負わせる人が多いのは残念で、韓国自身の責任を取り上げないのは、韓国のためにならないと、日韓の歴史研究に心血を注いだ名越氏は指摘している。

 「アメリカの鏡・日本」の著者、ヘレン・ミアーズ氏は、「一九一〇年、日本が韓国を併合したのは、新皇帝が請願したからだった」と書いた。日本が悪と見なされた敗戦直後に、日本を公平な目で観察し、静かに真実を積み重ねて著した同書に、マッカーサーは激怒した。日本での出版を禁じられた同書が日の目を見たのは占領終了後の1953(昭和28)年だった。
 
ミアーズ氏は日韓併合について、日本は一つひとつ手続きを外交的に正しく積み上げていた、そして宣言ではなく条約で、最終的な併合を達成した、と書き、「列強の帝国建設はほとんどの場合、日本の韓国併合ほど合法的な手続きを踏んでいなかった」と記した。

 日露戦争までは描いたが、その後の日本の戦争については拒否感を示して描かずに逝った司馬遼太郎氏でさえ、当時の国際社会を、「植民地になるか、産業を興して軍事力をもち帝国主義になるかの二者択一の時代」と位置づけ、「侵さず、侵されずの平和幻想は粘土細工の粘土のようなもの」つまり、如何(いか)ようにも作り上げ得るものだと述べている。
 いずれも、歴史を現在の価値観で断ずることを戒めているのだ。だが仙谷氏の発想はおよそすべて現在の価値観に基づくのみならず、事実誤認も目につく。氏は談話発表直前の8月4日、こんな発言をした。「植民地支配の過酷さは、言葉を奪い、文化を奪い、韓国の方々に言わせれば土地を奪うという実態もあった」
 この程度なのである。韓国は長年、日本人が土地を奪った、実に全国土の四割を奪ったと教科書に記述し、教えてきた。だが2006年2月、この説はソウル大教授の李榮薫(イ・ヨンフン)氏らの研究で全面否定された。李教授はじめ一群の研究者らの調査で、日本総督府が土地を奪って日本人に与えた事例は皆無だったこと、総督府は土地紛争をめぐる審査においては「公正であった」ことが発表された。
 右の学術報告は、わかり易い文章にされ、史実の歪曲(わいきょく)が少なくない現行教科書に替わる「代案教科書」として発行された。同書はここ数年のベストセラーであり、韓国の教育科学技術部(文科省)が高校教科書に修正要求を出す事態も発生している。
 官房長官が未(いま)だにそうした事実も知らずに発言する知識不足の内閣は、日本と日本国民にとって、不幸と災いの内閣である。韓国にとっても非建設的である。
 
100年の歴史をふりかえるにしても、植民地時代をはるかに超える長さになった日韓基本条約締結後の日韓の協力をこそ、より前向きに評価し、強めていくことが重要ではないか。とりわけ北朝鮮の脅威の前で、日本は韓国の未来の安定に資する政策を取らなければならない。そのために、たとえば普天間移設問題を責任を持って急ぎ解決しなければならないことくらい、認識してほしいものだ。

2010年8月11日 (水)

国のために戦うか、管総理は国を貶める・・。

 3時、就寝。

 7時、起床。大粒納豆、温泉卵、オクラサラダでご飯2杯の朝食をとる。

 午前中は、暑くなる前を狙っての自宅の修理。故意にやられたとは思いたくはないが、壁板に石がのめりこんでいたり、屋根からの排水パイプが固定具からはずれているため、できる範囲で直す。

 12時から甥っ子を連れて市内で買い物をしたのち、海水浴にでかける。途中のスーパーで購入したコロッケパン、焼きそばコッペパン、グレープフルーツジュースで昼食をとる。
 海では、甥っ子に泳ぎや岩陰に潜む蟹や小魚の採り方を教える。

 16時、事務所に戻ったところで来客。その後、来客が続く。

Cimg0216 来客者とともに、19時30分、茄子の味噌油炒め、昨日作った激辛麻婆豆腐の残り、さざえのつぼ焼き、ひき割り納豆汁で夕食をとる。
 夕食をとりながら、市政に関する情報交換。色々な業界から多くの情報が入ってきて、ありがたい。

Cimg0217_2 20時30分、遅参したが、柏崎青年会議所の事務局に移動し、所属委員会である郷土愛育成委員会の打ち合わせに出席する。
 郷土愛を育成するツールとして、「まちしるべかるた」を各小学校に依頼し作成している最中であるが、そもそも柏崎青年会議所が行ったまちしるべ50基について柏崎市民からの認知がどうなのか、という議論が主なものであった。

Cimg0218 21時30分、「中華美食館柏崎店」(電話:0257-23-4530)に移動し、議論の続きと懇親会。
 安く飲もうということで、食事と生ビールがセットになったものを最初に頼んだものの、生ビールで火がつき、結局、大酒を飲む。セットの味噌ラーメンをつまみに生ビールを飲んだが、しょっぱめのスープが意外に合う。

 23時、帰宅。

 案の定、国辱というべき内容の管談話が発表され、我が国は大きく間違った情報を世界に発信した。
 国のために戦うという若者も少なくなったなか、内閣総理大臣自らが、国を貶めるという末期状態の日本。
 「あとを頼む!」と若い命を国に捧げた英霊にただただ申し訳ない限りである。


平成22年7月15日号『週刊新潮』

藤原正彦の管見妄語

国のために戦うか

 世界数十カ国の研究グループが参加して五年毎に行う「世界価値観調査」というものがある。各国十八歳以上の男女1000名ほどを対象とした意識調査である。 この中に、「もし戦争が起こったら国のために戦うか」という問がある。2000年と2005年の結果を見ると、戦うと答えた者の割合は日本が約15%でどちらでも最下位である。すぐ上はドイツの30%ほどだから、日本は図抜けて低いことになる。高い方ではトップがベトナムの94%、二位が中国の90%となる。
 日本とドイツが低いのは、第二次大戦で多大の犠牲者を出し戦争はもうコリゴリと思っているから、と考えるのは早計と思う。前大戦での日本の犠牲者は日中戦争も含め約310万で人口の4.5%、ドイツは約800万で12%と確かに多い。しかし人口比で16%という最大の犠牲者を出したポーランド、2400万(14%)という最大犠牲者数のソ連(ロシア)では、「戦う」と答えた人がそれぞれ72%、64%と高いからだ。
 そもそも第一次大戦でドイツは700万近い死傷者を出し、国土を破壊され、膨大な賠償金を負わされたにもかかわらず、そのたった二十年後には世界覇権を求めて新たな軍事行動を起こした。戦争はコリゴリなどとは爪先ほども思わなかったのである。一方、「戦う」のトップであるベトナムは500万の死者を出したベトナム戦争が終ってまだ25年しか経っていない。第二位の中国だって日中戦争での犠牲者数は数百万、その後の文化大革命では数千万と言われる。
 「戦う」か「戦わない」かはどれほどの犠牲者を出したか、戦争がどれほど悲惨だったかにはほとんど無関係のようである。
 自国が攻められた場合に戦う、というのはごく自然で当然の行動である。自分の家に賊が侵入し老父母や子供達に手をかけようとしたらどんな平和主義者でも戦おうとするからだ。「戦わない」とする日本とドイツの現象は、実に不思議な、そして歴史的にも稀有のものである。何らかの力が戦後数十年を経た今も両敗戦国に強く働いているということだ。それまでに行なわれたいかなる戦争とも異なり、両敗戦国がいつまでも戦争への罪悪感に打ちひしがれうなだれているように、また守るに足る祖国と思うことがないよう、巧妙な仕掛けがくみ込まれたということだ。

2010年8月10日 (火)

韓国併合100年謝罪談話?
管首相の大いなるカン違い

 3時、就寝。

 7時、起床。大粒納豆、目玉焼き、ブロッコリーサラダ、蒸し茄子でご飯2杯の朝食をとる。

 午前中は事務所にて、中東訪問関係の調整や会社の書類を作成、厚生労働省援護局への戦没者の情報問い合わせをする。

 事務仕事中、全国のみならず、在外邦人など多くの方から、管首相が用意しているという韓国併合100年謝罪談話への反対の連絡があった。
 もしこういった談話が発表されれば、村山談話、河野談話に続く、日本を貶め、延々と賠償金を貪りとられる存在にしてしまうものである。
 歴史的事実ではないことを発表し、税金を垂れ流すような国賊的行為を許してはならない。

*東京都・松木國俊氏による反論歴史資料に加筆


1.虚構の従軍慰安婦問題 (歴史の歪曲と捏造)

「女子挺身隊」と「慰安婦」を混同する歴史の歪曲
 「従軍慰安婦とは日本がアジアの女性20万人を国家制度で企画立案し、組織的に強制連行し、日本軍の性奴隷としたものであり、世界で類を見ない残酷な犯罪である」というのが韓国側の正式見解です。(韓国の教科書にも載っています)しかし、これは戦時中勤労動員で工場で働いた「女子挺身隊」のことを指しているのです。勤労動員の女性を「慰安婦にされた」と歴史を歪曲して非難し、日本に謝罪と補償を求めているのです。

日本軍が奴隷狩りを行ったという歴史の捏造
 さらに日本軍が「奴隷狩り」を行い、朝鮮の多くの乙女を無理やり拉致して慰安婦にしたということも韓国人の間で常識になっています。しかし、何の証拠もありません。もし、何十万人も強制連行されれば家族の絆の強い朝鮮ではいたるところで暴動がおこったはずです。にもかかわらず、実際にそのような暴動は一件も起こっていません。「奴隷狩り」は壮大な歴史の捏造です。
 慰安婦問題で日本が謝罪すれば、これらの歴史歪曲と捏造を日本が認めてしまうことになり、取り返しのつかない禍根を残すことになります。

実際は高給で慰安婦を募集していた
100810_1左は1944年7月26日『京城日報』
右は1944年10月27日『毎日申報』

軍慰安婦は一般業者が破格の報酬で募集していた(月収300円は当時の陸軍大佐クラスの給料)
「日本軍が強制連行した」など全くのデタラメである。

日本の官憲は悪徳女衒に誘拐された女性を救出していた
100810_2左は1939年3月15日『東亜日報』
河充明誘拐事件波紋拡大悪辣な遊廓業者、警察の救出を念慮、続々海外に転売、人事紹介所に検察のメス、特別調査隊編成内探
右は1939年8月31日『東亜日報』
悪徳紹介業者が跋扈、農村婦女子誘拐、被害女性百名を突破、釜山掲示奉天に急行
 
の朝鮮は日本と同じ法治国家であり当然である。

2.「創氏改名」で朝鮮人の「姓」を奪ったというウソ

100810_3 「創氏改名」では「姓」を無理やり日本名に変えさせられたと主張していますが、「姓」は戸籍上にそのまま残っています。 (左は「創氏改名」後の戸籍。下の丸で囲んだ部分に「姓及び本貫/金海 金」と書かれている。戸籍上、姓は金のまま)
 「創氏改名」以前は朝鮮人が日本名を名乗ることは法律で禁じられていました。併合後30年も経ちながら日本名を名乗れないのは「差別」だという朝鮮側の不満に対応するために、朝鮮総督府では朝鮮の伝統を尊重して「姓」はそのまま戸籍に残し、新たにファミリーネームである「氏」を創設して日本の苗字を名乗れるようにしたのです。
 昭和15年2月11日から半年間の期限を設けて「氏」の登録を受付ました。「氏」は日本名でもよく、自分の朝鮮姓をそのまま「氏」にすることも勿論可能でした。(届出のない場合は自動的に朝鮮姓がそのまま「氏」となった。上記戸籍では「李」がそのまま「氏」となっている)苗字だけでなく名前も裁判所の許可を得れば日本名に変えてもよいことになりました。これが「創氏改名」の真実です。(姓を変えるならば「改姓改名」となるはず)

日本名の強制はなかった
 「創氏改名」は内地人と朝鮮人の差別解消の一環であり、日本名を名乗りたければ名乗れるようなシステムにしたものです。日本名を強制する意図など毛頭ありませんでした。
 ただし、朝鮮社会の中で「日本名を名乗れるような有り難い法律が出来たご恩に報いるために村や町ごと全員日本名にしよう」という運動が起き、慌てた朝鮮総督府は登録期間中三度も「強制ではない」と注意しています。日本が朝鮮人に日本名を強制するはずがありません。下の新聞記事もその事を明確に証明しています。

100810_4左は昭和15年3月6日『大阪朝日』中鮮版

 「各都市などで朝鮮人議員の申し合わせとして氏(日本名)の創設が満場一致可決されたりしているが(中略)これは絶対に強制ではなく一視同仁の大御心から朝鮮同朋に内地人同様の氏創設の道が開かれたのであって一般に誤解なきよう主旨の徹底を図ってほしい」との南総督の発言が記載されている。

3.朝鮮語を禁止し日本語を強要したという「嘘」

ハングルは日本の教育でひろまった
 李朝時代ハングルは下賎な文字(諺文)として蔑まれ、李朝第十代燕山君はこの使用を禁止しています。明治初期韓国との交流に熱心だった福沢諭吉がハングルを再発見し、「漢字ハングル混合文」を考案、福沢の弟子で朝鮮政府顧問であった井上角五郎は1886年に福沢が作ったハングルの活字を使用して、初めて漢字ハングル混合文による新聞「漢城週報」を創刊しました。
 ハングルは日韓併合後朝鮮総督府が創設した普通学校(朝鮮語を日常語とする初等学校)を通して朝鮮全土に普及しました。さらに、朝鮮総督府はソウル地方の言葉を朝鮮の標準語に定めました。これが現在の韓国語です。つまり、韓国の文字も韓国語も日本の教育で広まったのです。また、朝鮮の歴史を抹殺したという韓国の主張も歴史歪曲です。総督府は朝鮮の子弟に朝鮮人としての誇りを持たせるべく朝鮮の歴史教育に力を入れていました。

朝鮮総督府大正12年発行普通学校教科書
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・一年生にまずハングルを教えている。
・新羅王朝を称え、東洋最古の天文台が朝鮮にあったことなど朝鮮の素晴らしい歴史を教科書で教えている。
・年上の日本人が礼儀正しく帽子を取って朝鮮の子供に道を聞いている姿が描かれている。

朝鮮語を奪うどころか日本人が朝鮮語を必死に学習していた
 日本は朝鮮語を奪い日本語を強要したと言いますが、昭和16年現在日本語を僅かでも話せた朝鮮人は総人口の16%に過ぎません。しかも彼らは全員バイリンガルでした。朝鮮語を禁止すれば残りの86%は会話ができなくなります。実際は朝鮮語を禁止するどころか、日本の公務員が必死で朝鮮語を習っていました。

100810_6

朝鮮総督府施政年鑑昭和16年版

国語(日本語を解する朝鮮人の数と書かれ、昭和7年から16年までの推移が書かれている。16年現在でも僅かに話せるものも含めて約390万人であり全人口の16%程度である。

第七節 内地人(日本人)職員に対する朝鮮語の奨励)
 「警察取締り・産業奨励・租税徴収等に於いてややもすれば人民の誤解を招くおそれありしがごときはその局に当たる者が朝鮮語に通ぜざるに基因するところ多きに鑑み本府は朝鮮総督府及び所属官署在勤の内地人職員に特に常に民衆に接する地方庁の職員に対し、朝鮮語の学習を奨励する必要を認め(中略)朝鮮語奨励規程を発布し(中略)内地人職員にして朝鮮語に熟達せる者に対し奨励手当てを給与することとなせり。(中略)朝鮮語の修得を一層広く奨励し持って以って本規程の趣旨を徹底せしめ将来普通の用務を處辧するに差し支えなき程度の朝鮮語を解し得る合格者を多数輩出せしむることに重点を置き、鋭意之が奨励に努めつつあり」

 昭和十六年末の実態はこの通りでした。朝鮮語に熟達したものには奨励金が与えられ、日本人公務員が必死で朝鮮語を学んでいたのです。韓国の「朝鮮語を奪われた」という主張がいかに荒唐無稽であるか、この資料を見れば誰の目にも明らかなはずです。


Cimg0214_2 午後から甥っ子を預かることになり、DVD(『仮面ライダースーパー1』)を一緒に借りにいきつつ、「かっぱ寿司 柏崎店」(電話:0257-20-1088)にて昼食。甥っ子はここの新幹線で寿司を配達するシステムに夢中である。納豆巻きに加え、鰯や鯖などの青魚と好物の貝類を食べ、満腹となる。

 14時、16時と事務所に来客。その後、県議会議員の事務所をまわり、所用を済ませる。

Cimg0215 21時、豚牛の合い挽肉200gに大量の花椒、自家製の塩辛納豆をベースにした豆板醤、唐辛子、ひき割り納豆、大量の刻み長葱、絹ごし豆腐を使い、激辛麻婆豆腐を作って夕食にする。
 最近、激辛麻婆豆腐にハマっている。

 23時、読みたかったハードカバー本2冊をもって、1時間ほどの長風呂に入る。

2010年8月 9日 (月)

市長の神事への参加は合憲か
石川県白山市長の神社式典騒動

 3時、就寝。

 7時、起床。お泊まりした姪っ子とともに、大粒納豆、岩のり、筋子、目玉焼きでご飯2杯の朝食をとる。

 8時から10時過ぎまで、市内某所でのボランティア活動。冬支度も大変であるが、熱気がこもった倉庫や納戸内の片付けも大変であり、お年寄りにはキツイ仕事である。

 11時過ぎ、事務所に来客があり、近況などを聞く。一見、何も問題がないように見えても、どの家庭もそれなりの悩みはある。

 12時から13時まで市内某所にて打合せ。

 13時過ぎから15時まで市内での買い物や市役所での資料整理を行う。途中、スーパーで買ったおにぎり2個(鮭、梅)、鯖味噌煮、インスタントのひきわり納豆汁で昼食をとる。

 16時から17時まで市内某所にて打合せ。

Cimg0213 19時40分、スーパーで半額になっていた鶏肉の南蛮揚げに自分で作った長ネギたっぷりの醤油あんをかけた丼、スモークサーモンと大根のサラダにシーザーサラダドレッシングをかけたもの、インスタントのひきわり納豆汁で夕食をとる。

 21時過ぎ、明日から15日の間に日韓併合について管首相が謝罪を発表するという情報が流れてきた。トンでもないことである。

 各種の竣工式や海開き、震災復興における神社の再建など柏崎市のトップとして、柏崎市長が神事に出席する事は多い。
 こういった自治体のトップである首長が神社関係の行事に出席することが政教分離の観点から違憲ではないか、との訴えを起こされた石川県白山市長の神社大祭式典騒動について、やっと最高裁判決がでた。
 結果は『合憲』である。
 2審の高裁では違憲判決がでていただけに注目されていたが、さすがに最高裁は常識的な判断をした。
 日本の伝統文化を考えれば、当たり前といえば当たり前の事であり、できればこの訴えを起こした男性の政治的背景が知りたい。

 ちなみに、これが公金返還に値するなら、自分で判断ミスをしながら、解決のために自分で汗をかかず、結果的に柏崎市から和歌山県串本町に移設することになった旧柏崎トルコ文化村のアタチュルク像の除幕式に平気な顔をして出席した、会田市長と同行職員1名分の公金返還を要求したいものである。


平成22年7月23日『読売新聞』

白山市長の神社式典祝辞
最高裁「合憲」判決

 白山市の角(かど)光雄市長が、神社の記念式典に公用車で出席して祝辞を述べたのは憲法の政教分離原則に違反するとして、同市内の男性が市長を相手取り、公金の返還を求めた訴訟の上告審で、最高裁第1小法廷は22日、2審・名古屋高裁金沢支部の違憲判決を破棄する「合憲」判断を下した。角市長は市役所で取材に応え、「適切に判断していただいた。(祝辞は)白山ろくが観光面で力を付けてほしいという願いで行ったものだ」と述べた。
 問題になったのは2005年6月に開催された白山比咩神社の鎮座2100年大祭に伴う事業の記念式典。角市長は市の職員を伴い、式典会場に公用車で出席して祝辞を述べた。
 2008年4月の2審判決は、大祭を「神社の個別的祭事で、観光イベントとして習俗化されていない」とし、角市長が式典で祝辞を述べた行為を「宗教的活動にあたり、公金支出は違法」と判断。公用車を運転した職員の時間外勤務手当2000円の返還を角市長に命じた。市長側は判決を不服として上告していた。
 
上告理由を「判例となると全国の自治体に与える影響が大きい」と説明していた角市長は、「全国の首長の皆さんには大変迷惑をかけた。(地元神社の行事で)代表してあいさつすることは首長の職務。最高裁でこういう判決が下ったから、今後は皆さん慎みながら参加されるだろう」と話した。

2010年8月 8日 (日)

夕海レトロまつり2日目
昭和ウルトライベント&アニソンのど自慢

 2時、就寝。

Cimg0196 7時30分、起床。身支度をしたのち、ひきわり納豆、鶏肉の煮物、カボチャの味噌煮、ぜんまいの油炒め、生卵、筋子でご飯2杯の朝食をとる。
 昨日の暑さと大量の飲酒が効いているのか、やたら塩気の強いものが美味しく感じる。

 8時30分、「柏崎地域観光PRセンター 夕海」に移動。今日は「夕海レトロまつり」イベント2日目のボランティアである。

Cimg0199 10時、いよいよメインである『ウルトラマン』の初代スーツアクターであり、『ウルトラセブン』ではアマギ隊員役であった「ウルトラマンになった男」・古谷敏氏、『ウルトラQ』戸川由利子役、『ウルトラマン』ではフジ・アキコ隊員役だった「伝説の怪獣ヒロイン」・桜井浩子氏によるトークショー&サイン会の1回目を行う。
Cimg0205 熱中症で倒れそうなぐらいの暑さのなか、昔少年だったウルトラマン「ど真ん中」世代をはじめ、小さいお子さん連れのご家族など多くの方にご来場頂いた。
 印象的だったのは、

 「お子さんを連れたお母さん、お子さんにいい経験、いい教育をしてください。子供は3歳までに決まります。いい子供を育ててください」

という古谷氏のシメの言葉。会場の多くの方の心に響いたと思う。

Cimg0207 トークショー&サイン会終了後、空いているステージを活用して、飛び入りアニソンのど自慢を開催。特に出場者の設定をしているわけではなく、ちびっこやウルトラファンに、海辺のオープンスペースで気持ち良く歌ってもらおうというもの。小さな子供が「ウルトラマンタロウ」を歌っていると、桜井浩子氏が一緒に歌ってくれるというサプライズもあった。

 13時30分、「柏崎地域観光PRセンター 夕海」の食堂にある「しょうゆラーメン 大盛 600円」で昼食。

Cimg0210 14時、古谷敏氏、桜井浩子氏によるトークショー&サイン会の2回目を行う。
 午前中よりも暑いなか、これまた多くの方からご参加頂き、お二人の貴重なお話を楽しんで頂いた。個人的には、日本が元気だった高度成長期の映像への熱意の話、そして本家本元のスペシウム光線が最高であった。

 16時から会場の片付けをし、16時30分、「昭和懐物ランド こどもの時代館」で古谷敏氏、桜井浩子氏のお二人を愛車に乗せ、長岡駅に向かう。

 途中、新潟名物?として、日本初のドライブスルー店である「フレンド 喜多町店」(電話:0258-28-0152)により、イタリアンと餃子をお二人に食べて頂いた。お約束である。

 17時30分、長岡駅に到着。童心くらぶからのお土産をお渡しして、お二人をお見送りした。

Cimg0212 18時30分、帰宅したところで、すりおろしニンニクを入れた醤油で食べる皮鯨の刺身、もずく酢、夕顔と鶏肉の煮物、大粒納豆の大根おろし和え、ビール500ml3本で夕食をとる。
 食事中、トラブル発生の電話があり、自転車で現場に行き、なんとか解決。夏の開放感、そして見知らぬ土地に来たという事が、過激な行動に走らせるのであろう。警察沙汰になる手前であった。

 20時、帰宅し、食事の残りを食べたのち、熱い風呂に入る。

 22時から事務所にて事務仕事。

2010年8月 7日 (土)

夕海レトロまつり1日目
ウルトラマン古谷敏氏&桜井浩子氏

 3時、就寝。

 7時、起床。熱帯夜が続いたせいか、食卓の上に置いておいた食材や総菜が悪くなりはじめていたので、激辛麻婆豆腐にひきわり納豆とともに混ぜ込み、再度炒め、ご飯にかけて弁当を作成する。

Cimg0172 イベントの準備や某町内会長のご自宅に伺ったのち、 「柏崎地域観光PRセンター 夕海」に移動。今日から2日間、「夕海レトロまつり」イベントのボランティアである。
 途中、どうしてもついてきたいという甥っ子、姪っ子と合流し、激辛麻婆豆腐弁当を食べながら、ダイドードリンコのウルトラコーラとウルトラ怪獣レモネードの販売をスタンバイ。

 10時からイベント開始となり、飛び入りカラオケのステージや飲み物の販売を行う。

 かなりの暑さと市内でのイベントが多く重なっているため、客足は良くなく、途中、仕事をするための道具を事務所に取りに戻る。

Cimg0173 13時40分、イベント会場内のなつかし給食レストランの特別セット?で昼食。砂糖がたっぷりまぶされた揚げパン、甘めのカレーがかかったソフト麺、コロッケ、ミルメーク(コーヒー)を入れた瓶牛乳、冷凍みかんというマニア垂涎のメニューである。これに差し入れで頂戴した冷えた瓶コーラが加わり、カロリー満載のメニューとなった。

 14時過ぎ、飛び入りカラオケステージが途切れたところで、スタッフで歌おうということになり、完全にマニアックな『はるかなる愛にかけて』を歌う。某氏の『パーマン』主題歌「きてよパーマン」には笑わせてもらった。

 16時、撤収し、事務所に戻る。

 祖母の部屋に行ってみたところ、かなりの暑さになっており、あわててクーラーを強め、アイスを食べさせる。独り言が多く、すでに孫である私を認識していない。

Cimg0188 18時過ぎ、「ささ川」(電話:0257-23-2702)で移動し、18時30分から懇親会。イベント関係者に加え、明日サイン会&トークショーにご登場頂く、『ウルトラマン』の初代スーツアクターであり、『ウルトラセブン』ではアマギ隊員役であった「ウルトラマンになった男」・古谷敏氏、『ウルトラQ』戸川由利子役、『ウルトラマン』ではフジ・アキコ隊員役だった「伝説の怪獣ヒロイン」・桜井浩子氏を交えての楽しい時間となった。
Cimg0186 さすがにコアなメンバーなので、生ビールや吟醸酒を飲みながらの話は、ウルトラマンシリーズのみならず、円谷プロ作品のこれまでと今後の展望、特撮とCGの立ち位置など面白い話題が続いた。途中、甥っ子がどうしてもウルトラマンと会いたいというので、お二人にお願いして記念撮影。スペシウム光線のポーズまでつけて頂いた。

Cimg0194 21時過ぎ、古谷敏氏と有志数名で、柏崎青年会議所メンバーでもある市内某店にて二次会。
 土曜日の夜ということもあり、お店が混んでいたので静かに話すという雰囲気ではなかったが、俳優時代、イベント会社社長時代のお話など色々とお聞きした。かつて長岡や柏崎の丸大の開店イベントも依頼され、実施したという。

 23時30分、帰宅。

2010年8月 6日 (金)

オバマキャンペーンは違法
ミニミニ原爆展?

 3時、就寝。

 7時、起床。大粒納豆、カレイの煮付け、オクラサラダでご飯2杯の朝食をとる。

 午前中は家長としての親戚まわりや挨拶まわり。

 14時過ぎ、スーパーに寄り、おにぎり2個セット(筋子、鮭)、ミルクティー、豆乳で昼食をとる。

 15時、事務所に戻ったところで来客があり、これまでの議会に提出された市側の資料をお渡しする。

 17時、市内施設に移動し、打合せ。

Cimg0171 市内数カ所で所用を済ませたのち、18時30分、「割烹いなほ」(電話:0257-24-2043)に移動し、柏崎市倫理法人会目標達成御礼役員会議兼来年度方針検討会に出席する。
 来年度の方針などを決めたのち、懇親会となり、生ビールを飲みつつ、市政に関する事も含めての懇談。シメはお約束の鯛飯であり、満足の懇親会となった。

 仕事があるため、二次会は失礼させてもらい、22時過ぎに帰宅。

 本来、軍服を着た軍人同士が行う戦争であるにも関わらず、民間人の大量虐殺という戦争犯罪であった広島、長崎への原爆投下。しかも、ウラン型とプルトニウム型の両方を使うという徹底ぶりは、まさに人体実験であった。毎年8月になれば、慰霊祭はもとより、原爆に関するテレビ番組や講演会が開催される。
 今年、広島では昨年に引き続き、原爆被害者を中心にした団体が核武装論者である田母神閣下を講師とした講演会を開催している。
 そして、広島市長がオバマ大統領の核兵器廃絶を信じ、なぜか行政として「オバママジョリティー」なるアホなキャンペーンを展開していることに対し、住民監査請求が行われた。


平成22年7月30日『産経新聞』

オバマキャンペーンは違法、
広島市に住民監査請求

 オバマ米大統領を支持する広島市の「オバマジョリティー・キャンペーン」は違法として、田村和之龍谷大教授(行政法)=広島市東区=ら12人が29日、秋葉忠利市長に関連経費の支出差し止めと、既に使われた啓発ポスターやTシャツなどの費用計約274万円の返還を求め住民監査請求した。
 田村教授らは、米国の原爆投下責任を不問にしアフガニスタンで戦争を続けるオバマ政権を自治体がたたえる行為は不当で、市職員に特定の政治家を支持させるのは地方公務員法に違反すると指摘している。
 オバマジョリティーは、米大統領が掲げた「核なき世界」に賛同する「多数派(マジョリティー)」を指す。秋葉市長の発案とされ、昨年8月6日の平和記念式典で「平和宣言」にも使った。市は今年3月、市職員の名札にロゴ入りシールを付けるよう「お願い」している。


 冷静に世界の情勢が見え、日本の立場が分かる広島市民が声を出し始めているのである。
 それに比べ、全然関係のない市制施行70周年記念とオバマ演説を結びつけ、核兵器廃絶平和都市宣言を行った柏崎市。核の事が主体ではない講演会を行い(成果はあったのか?)、かつ加盟した日本非核宣言自治体協議会のキャンペーンにのっかるかたちで、 「ミニミニ原爆展」(8月2日~20日:提供された写真資料及び説明資料22枚)などというものを市役所ロビーで行って、お茶を濁している。
 これまで一般質問でも問うてきたように、本気で核兵器廃絶を訴えるなら北朝鮮や友好都市になっている中国の地方都市をはじめ、中国に言う活動をすべきである。私だったら、核兵器を廃絶しない限り、もっと言えば日本に向けた核弾頭が無くならない限り、友好関係は断絶したい、と言う。
 はやりだから核廃絶に取り組むようなポーズを見せているだけ、税金の無駄遣い、と批判されても仕方ない状況である。
 それにしても、この日本非核宣言自治体協議会のキャンペーン「ミニミニ原爆展」の名称こそは、被爆者に失礼であろう。名称も含めて、もっと真剣にやってもらいたい。

2010年8月 5日 (木)

柴野元衆院議員、故人を自社「顧問」に

 お気に入りの漫画である『駅弁ひとり旅』の第10巻を読みながら、3時過ぎに就寝。今回は主人公と台湾出身でお爺ちゃんが日本人という双子とともに新潟県に入り、越後湯沢駅の「くるみ山菜すし 1000円」(川岳軒 電話:025-783-2004)、「越後もち豚すきしき弁当 900円」(川岳軒 電話:025-783-2004)、「林道かまめし 1000円」(川岳軒 電話:025-783-2004)、長岡駅の「にしんかずのこさけいくら 1050円」(池田屋 電話:0258-33-2430)、「愛(めぐみ)の郷 1200円」(池田屋 電話:0258-33-2430)が紹介された。

 8時、起床。大粒納豆、サザエの刺身、さらし鯨でご飯2杯の朝食をとる。

 午前中は祖母が施設から帰ってくるための部屋の掃除や修理などDIYを行う。クーラーをつけながら作業していても、汗がしたたり落ちてくる暑さであり、ひと休みしたときの冷たい麦茶と、漬かり過ぎでしょっぱい茄子の漬け物が美味い。

 買い物をしたのち、12時、スーパーで半額になっていた「海鮮お好み焼き」、生卵を落とした塩鯨と夕顔の味噌汁、車麩の煮物で昼食をとる。

 13時、15時と事務所に来客。今後の法的措置も含め、4時間ほどかけて、方針を決める。

Cimg0165 19時40分、なぜか辛いものが食べたくなったので、豚牛の合い挽肉200gに花椒、自家製の塩辛納豆をベースにした豆板醤、唐辛子、小粒納豆、大量の刻み長葱、木綿豆腐を使い、激辛麻婆豆腐を作って夕食にする。できれば、ニンニクの芽がほしかった。

 21時30分、市内の某スナックに行き、某会の2次会に顔だけ出させてもらう。芋焼酎の水割り2杯とカラオケ。

 23時30分、帰宅。

 柏崎出身で先の第22回参議院議員通常選挙に自民党公認で立候補した柴野たいぞう氏について、本ブログを通してのメールをはじめ、各種の問い合わせを多く頂戴している
 しかし、選挙に関わることなら知らず、民間会社のことであるため、私自身には答える材料はなく、応援した自民党柏崎支部も静観とのことであるため、一応、続報記事を以下に引用し、今後の動向に注視したい。


平成22年8月1日『毎日新聞』

柴野元衆院議員:
故人を自社「顧問」に
HP掲載 設立前死亡の博士

 先の参院選に自民党から比例代表で立候補し落選した柴野多伊三(たいぞう)元衆院議員(59)が会長を務めるバイオ事業会社「ニュー・バイオテック」(東京都港区)が、自社のホームページ(HP)に、既に亡くなった工学博士を顧問として掲載していたことが分かった。他に顧問とされた大学関係者も就任を否定している。同社は毎日新聞の指摘を受け、HPを閉鎖した。【杉本修作、前谷宏】

 柴野氏を巡っては、社長を務めるバイオ燃料開発会社「日本中油」(同)が中国最大の石油国営企業「中国石油天然ガス集団」(CNPC)グループの日本法人を名乗りながら、CNPC側が関係を否定していることが明らかになっている。
 登記によると、ニュー・バイオテック社は09年3月に設立され、所在地は柴野氏の個人事務所と同じ。代表取締役は柴野氏の妻が務め、HPでは柴野氏を「代表取締役会長」と紹介していた。また、顧問として「環境省国立環境研究所研究室長」の工学博士、森田恒幸氏と、「横浜国立大学環境化学研究センター長」の教授らの名前が掲載されていた。
 しかし、森田氏は03年9月に病死。国立環境研究所は毎日新聞の取材で掲載を知り、ニュー・バイオテック社に抗議し削除を求めた。また、教授とされた男性は、実際はセンター長でも教授でもなく同大の特別研究教員で、「柴野氏とは13年ほど前の講演会以来、会っていない。顧問も受けたことがない」と否定している。
 故人の掲載について柴野氏は「前身の会社から付き合いがあり、ご本人も了解済みだったはず。事務員任せで前身会社のHPの(記載の)ままだったようだ。おわびします」と話した。特別研究教員については「だいぶ前に『顧問的にやってください』と話はして了承してもらったと思う」と述べた。

2010年8月 4日 (水)

中国人に生活保護”指南”
子ども手当は海外7千人に10億円

 2時、就寝。

 7時、起床。大粒納豆、目玉焼き、ししとう網焼き。塩鯨と夕顔の味噌汁でご飯2杯の朝食をとる。

 8時過ぎ、愛車で移動。

 午前中は妙高市内、上越市内で会社関係の仕事や所用を済ませる。

Cimg0160 12時40分、「昭月」(電話:025-534-4775)に入り、「チャーシューメン 690円」で昼食。自慢のチャーシューは、きっちりと豚バラ肉を丸く巻いて煮たもので、脂身の量もほどよく、美味しい。麺とスープに関しては、良い意味でも悪い意味でも昔ながらのスタイル。量が足りなかったので、お店をでてから、コンビニで納豆巻きを1本購入し、食べる。

 14時、一旦、事務所に戻ったところで来客。

 17時過ぎ、緊急で修理してほしいとの依頼を受け、某社に行き、作業を行う。サーバー本体の電源に加え、ハードディスクの一部クラッシュがあり、データ復旧に多少、手間取る。普段のバックアップの大切さを痛感。

Cimg0162 20時、作業が終わったため、そのまま柏崎青年会議所の事務局に移動し、所属委員会である郷土愛育成委員会の打ち合わせに出席する。
 各小学校で作成してもらった「ふるさとかるた」の展示会、そしてその発表を行う10月例会についての話し合い。夜になっても暑く、ウダウダしていたところに、さすが経験豊かなM氏から「ガリガリ君 ソーダ味」の差し入れがあり、全員で食べる。

Cimg0164 やっと打合せが終わり、23時30分、「中華美食館柏崎店」(電話:0257-23-4530)に移動。「麻婆豆腐丼 650円」の夕食をとる。思いっきり、しびれるような(麻)にしてほしいと頼んだが、唐辛子の辛みはあるのものの、強烈な(麻)はなかった。たっぷりの花椒(ホワジャオ)を使ってほしかった。

 24時、帰宅。

 本ブログでも紹介した中国人48人の入国直後の生活保護申請について、その受給ノウハウを掲載した中国人向けの新聞があったという。


平成22年7月11日『産経新聞』

中国人に生活保護”指南”
国内華字紙が特集記事
大量申請問題 高い関心

 大阪市西区に住む中国福建省出身の日本人姉妹の親族とされる中国人48人が入国直後、市に生活保護を申請した問題が、国内の中国人ら向けの新聞(華字紙)で大きく報じられている。不況の中、生活に困窮する在日外国人は多く、生活保護に対する関心の高まりが背景にあるとみられる。ただ、中には受給ノウハウを指南するような特集記事もみられ、“生活保護のススメ”とも取られかねない内容が波紋を呼びそうだ。
 週12万部を発行している華字紙「東方時報」(東京)は、8日付の1面トップで今回の問題を報じた。主に日本の報道機関が伝えた内容を紹介したほか、2ページにわたって「在日華人はどのように生活保護を申請すればよいか」と題する特集記事を掲載。厚生労働省や法務省入国管理局に直接取材して得た回答を一問一答形式で紹介している。
 この中で、外国人の生活保護受給の可否について「生活保護法の対象外だが、昭和29年に出された当時の厚生省通知に基づき、生活が困窮している外国人には法が準用される」と記載。「扶養義務者や同居する親族も申請できる」などと具体的に伝えている。
 在日中国人が親族らを日本に呼び寄せるケースは多く、法務省によると、国内の外国人登録者は近年中国籍が急増。平成19年に韓国・朝鮮籍を抜きトップとなり、21年末で68万518人と全体の3割超を占める。
 大阪市によると、在日外国人の4月現在の生活保護受給率は、市全体の受給率(5・3%)を上回る8・3%。在日外国人の生活支援に取り組む同市のNPO関係者は「外国人は生活基盤が脆弱(ぜいじゃく)で不況などの影響も受けやすい」と指摘する。
 特集を担当した東方時報の男性記者によると、定住の在留資格を得て来日しながら、派遣切りや雇い止めで職を失うなど生活に困窮する中国人らは多いという。記者は「今回の問題が発覚する前から特集記事の掲載は決まっていた。(日本社会では)生活保護の受給に厳しい意見も多いが、外国人でも本当に困窮すれば受給の権利があることを知らせたかった」と話す。
 週10万部発行の「中文導報」(東京)も、8日付の1面記事で大量申請問題を報じた。申請を受け付けた西区役所にも電話取材し、「定住者の資格があり生活が困窮している以上、支給を認めざるを得なかった」とする職員の談話を掲載。大阪市の今年度の生活保護費は市税収入の5割近くに迫ることにもふれ、「不正受給に敏感」と解説した。楊文凱編集長は「大量申請問題は中国国内でも高い関心を集めている」と話す。
 ただ、生活保護の受給を推奨しているとも受け取られかねない記事には厳しい声も
ある。日中情勢などに詳しい中国出身の評論家、石平氏は「中国国内では生活に困窮している人は何億人もいる。華字紙の特集には、中国人永住者や帰化した人らに対し『中国からどんどん家族や配偶者らを呼び寄せ、すきを突いて生活保護をもらえ』というメッセージや発想が感じられる」と話している。


 日本を食い物にする人間も悪いが、自ら進んで日本人のためではなく、外国人のために働いているのが、民主党政権である。
 良識派の国民から批判が多かった子ども手当について、外国人が母国に残してきた子供に支給された、我々の貴重な税金は約10億円との報道があった。
 あれだけ制度設計をやり直せと言われても、選挙に勝ち、政権交代したと強行した結果がこれである。

 調べる事ができる日本人への生活保護基準は厳しくされ、詳細な調査ができない外国人への生活保護基準や子ども手当支給は甘い。
 日本人がマジメに働いても、生活保護が高額の場合もあり、さらに外国人の生活保護もそうである。
 この国は完全に狂い始めた。


平成22年8月3日『新潟日報』

子ども手当、海外の7千人に支給

 6月に支給が始まった子ども手当について、日本在住の外国人が母国に残した子ども7746人にも支給されたことが3日、自民党の調査で分かった。2010年度分は計約10億円が配られる計算になる。
 都道府県を通じて4月末時点の該当者数を調査した。同党の加藤勝信衆院議員によると、うち7246人は子ども手当の前身の児童手当も受け取っており、500人は新たに支給対象となった子どもという。未回答の市町村もあり、人数はさらに増える可能性がある。
 長妻昭厚生労働相は3日の衆院厚労委員会で、国による実態調査を行い、9月末までに結果を公表する方針を表明した。
 自民党は「日本の税金が外国人に支給されている」と批判しており、長妻厚労相は11年度からは子どもの国内居住要件を設ける方針を既に明らかにしている。

2010年8月 3日 (火)

新駐中国大使・丹羽氏発言
中国の軍拡は当然?

 1時、就寝。

 4時30分、起床。愛車にて県内某市のホテルに移動する。

 6時20分から40分ほどの講演。今回は、世界各国の原子力発電への取り組みについて、お話させてもらった。

 朝食の準備も頂いていたが、そのまま帰宅。

 8時40分、自宅に着いたところで。大粒納豆、オクラと昆布の和え物、茄子の味噌炒めでご飯をかっこむ。

F1000001 9時、市役所に移動し、会派会議に出席する。
 議題は先日の議会報告会の総括、今後の議会日程の確認、現在、市民から寄せられてきている情報の整理を行った。集まってきている情報はかなり深刻な内容が多く、早速、次の議会にて対応することとした。

 11時30分、会派会議終了。

Cimg0152_2 12時過ぎ、新潟県南魚沼市議会の桑原圭美議員と合流し、「麺の家 渚」で昼食をとる。何を食べようか迷ったが、異常なくらい暑いので、「辛みそつけめん 680円」を無料の大盛りにしてもらう。たっぷりのラー油も入り、辛さと少し固めという好みの麺で一気に食べきってしまった。

Cimg0153 食後、今週末に昭和レトロイベントを実施する「柏崎地域観光PRセンター 夕海」に桑原議員をご案内し、某M氏力作の「ザ・なつかしわざき昭和博覧会」を中心見て回る。
 今週末のイベントには、昭和レトロということで、『ウルトラQ』の江戸川由利子役であり、『ウルトラマン』ではフジ・アキコ隊員役であった「伝説の怪獣ヒロイン」桜井浩子氏と『ウルトラマン』の初代スーツアクターであり、『ウルトラセブン』でアマギ隊員役だった古谷敏氏をお迎えする。

 14時、事務所に戻ったところで来客。

 15時、16時と事務所に来客があり、市政に関する黒い部分、そしてそれを追及するこちら側への誹謗中傷の実態をお聞きした。

Cimg0154 18時30分、えんま堂に行き、二十三夜講に出席する。
 中越沖地震による被災から3年、いよいよ今月18日から本格復旧工事に入ることが住職から発表された。明治からの材料は極力そのままに、12mの鉄骨をつかってジャッキアップし、土台からしっかり作り直すとのことである。

Cimg0156 19時、読経、復旧工事の説明が終わったところで、「でん」(電話:0257-32-2428)に会場を移し、懇親会。 まぐろ中トロ、ごま豆腐、海老フライ、夕顔の煮物をつまみつつ、ビールを飲む。
 メインの話題となったのは、小惑星探査機「はやぶさ」に端を発した科学技術などの教育をどう子供に施していくか、詰め込みもある程度は必要ではないか、という議論であった。

Cimg0157 21時、2名の方と「ままや」(電話:0257-22-7169)にて合流し、今年これまでかかわった柏崎市内でのイベントに関する反省点や今後の課題などを話し合う。それにしても柏崎はイベントの日程が混みすぎている。
 話をしつつ、店自慢のやきとり、皮やレバーなどを食べ、生ビールを飲む。

Cimg0158 22時、市内の格安の某カラオケルームに移動し、ジントニックや芋焼酎ロックを飲みながら、カラオケ練習タイム。「はるかなる愛にかけて」などの特撮、アニソンを歌ったあとは、そろそろ歌う機会が多くなる軍歌の練習を行う。「海の進軍」「若鷲の歌(海軍予科練の歌)」「出征兵士を送る歌」などの定番。

 23時30分、帰宅する。

 親中と言われる民主党政権の目玉人事は、元伊藤忠商事社長である丹羽宇一郎氏の駐中国大使の任命である。
 本来、『日本の』大使は異国の地においても、日本の国民と国益を守り、日本の主張をする存在であり、駐在する国の利益を日本よりも優先することがあってはならない。
 そんな中、中国の軍事増強は当然、との発言があったという。あくまで一般論としての答えであろうが、外交は政治と軍事がセットであることを鑑みると、大使としてふさわしいものではない。この言葉に続いて「我が国の自衛隊も増強しておく必要がある」とでも発言すれば良かったのであるが・・・。
 いずれにせよ、今後の丹羽大使の動きは注視したい。


平成22年7月27日『新潟日報』

民間出身大使の丹羽氏
中国軍事増強は「当然」

 新駐中国大使の丹羽宇一郎・元伊藤忠商事社長は26日、都内で開かれた歓送迎会のあいさつで、中国の国防費が2009年まで21年連続で2けたの伸びを記録したことに触れ、軍事力増強は「大国としては当然のことといえば当然のことかもしれない」と述べた。
 国防費の大幅な増加に対しては、中国脅威論の象徴として日本や米国などで警戒感が根強いだけに、民間人初の駐中国大使として今月末に着任する丹羽氏の発言は波紋を広げる可能性がある。

 丹羽氏はこれに先立ち同日、都内の日本記者クラブで記者会見し、中国の経済発展を背景に将来的に人民元高が進むとの見通しを示し「日本のコメも十分に戦える」と表明。日本の農業分野などがネックとなり取り組みが遅れている日中の自由貿易協定(FTA)の締結推進に意欲を示した。
 個人的見解と前置きし、現在1ドル=6.7元台の人民元レートは将来的に「1ドル=4~5元にならざるを得ない」と指摘した。
 丹羽氏は歓送迎会のあいさつで、国力は軍事力、経済力、政治力によって決まると説明。国防費の増加を踏まえ、中国のトップに「中国は世界に大きな影響を与える大国であり、その自覚を持ってもらいたいと申し上げたい」と強調した。

2010年8月 2日 (月)

いらぬ、国際児童組織の指摘
歴史教科書「日本は自国解釈のみ反映」?

 3時、就寝。

 7時、起床。大粒納豆、牡蠣フライ、胡瓜の酢の物でご飯2杯の朝食をとる。

 8時、10時と事務所に来客。

 12時、頂き物の米粉パン、魚肉ソーセージ、カレースープ、低脂肪乳で昼食をとる。

 食後から会社関係や意見を頂いた現場に行っての写真撮影。

 14時30分、事務所に戻ったところで来客があり、今後の自民党をはじめとする県内保守陣営や各種選挙のことなど情報交換を行う。

 16時、18時と事務所に来客。イベント企画や社会福祉に資するアイデアについて話し合う。

 20時、市内スーパーを数軒まわり、安くなっている食品を中心に食材を購入。

Cimg0149 20時30分、スーパーで半額になっていたマグロ中トロとハマチの刺身、クレイジーソルトをふってレンジで加熱したトウモロコシ、ひきわり納豆とイカそうめんで作ったイカ納豆、ビール500ml3本で夕食をとる。文章を書く仕事も溜まっていたので、ビールを飲まないつもりでいたものの、思った以上にマグロ中トロが美味く、つい飲んでしまった。

 食後、熱めのシャワーを浴び、酔い覚まし。

 22時から事務所にこもり、事務仕事を行う。

 「児童の権利委員会」という国際組織が日本の歴史教科書の内容について、是正勧告をしたという。
 またも存在しない「従軍慰安婦」(民間の慰安婦は存在したが、従軍はない)も出ていることから、アジア某国のロビイングによる賜物とも考えられる。
 本来、その国の教科書は国の中で決めるものであり、日本のように検定制度を取り入れ、かつ複数の教科書が存在しているなか、さらにイチャモンをつけてくるのは、内政干渉以外の何ものでもない。


平成22年7月25日『産経新聞』

国際組織「日本は自国解釈のみ反映」
歴史教科書”一方的”勧告

 国際組織「児童の権利委員会」が、日本の歴史教科書について「日本の解釈のみを反映している」などと批判し、日本側に是正を勧告していたことが24日、分かった。
 具体的な問題点や教科書名には触れていないが、日韓が対立する歴史認識の問題をめぐって、一方的に日本に”譲歩”を求めているようにも受け取れる内容で、外務省などは勧告に困惑気味だ。

 同委員会は、18歳未満の権利についての国際条約「児童の権利条約」が、締約国で履行されているか審査する組織。
 6月に採択した日本に対する文書で「歴史教科書が、歴史的事件に関して日本の解釈のみを反映しているため、地域の他国の児童との相互理解を強化していないとの情報を懸念する」と批判。
 そのうえで、「アジア太平洋地域の歴史的事件に関して、バランスのとれた視点を反映することを確保するよう勧告する」としている。
 歴史教科書は中学だけで9種類(平成22年度用)あるが、教科書名は特定せず、具体的にどういう情報を基に何を問題視しているかも明示していない。
 ただ、委員会の審査段階では、日韓併合や「従軍慰安婦」という言葉の是非などについて議論を行った日韓歴史共同研究が取り上げられ、ドイツ人委員が日本側に質問したことがあった。
 委員から質問を受けたという文部科学省の担当者は「教科書の記述について具体的な質問もなかったし、韓国のことを単に『コリア』と呼んでおり、北朝鮮との違いも明確ではなかった」と首をひねる。
 韓国と歴史認識が異なることを理由に日本の教科書是正を勧告しているとすれば、重大な問題だ。

 勧告には法的拘束力はないが、外務省の担当者は「適切に対処する、としかいえない」と困惑している。
 外務省によると、同委員会委員は条約締約国の選挙で選ばれ、学識経験者や「人権の専門家」ら18人で構成されている。政府関係者によると、非政府組織(NGO)や日弁連などの見解の影響を受けることはしばしばあるという。
 教科書問題に取り組む「新しい歴史教科書をつくる会」(藤岡信勝会長)は「教科書をどのように書くかは、その国の教育の根幹にかかわる。不当な内政干渉で、断固拒否すべきだ」とする要請書を外務省に提出した。

2010年8月 1日 (日)

柴野元衆院議員中国企業日本法人トラブル

 3時、就寝。

 7時、起床。大粒納豆、目玉焼き、松前漬け、浅草海苔でご飯2杯の朝食をとる。

 8時から11時まで、事務所にて溜まっていた郵便物やFAXなどを整理する。

 11時過ぎ、お泊まりに来ていた姪っ子とともに、市内で買い物。ペットが見たいというので、コモタウン柏崎内のムサシで、ウサギやハムスター、子犬、子猫を見る。

Cimg0145 13時、豚挽肉200gに粉山椒、自家製の塩辛納豆をベースにした豆板醤、唐辛子、小粒納豆、木綿豆腐を使い、激辛麻婆豆腐を作って、麻婆ライスにして昼食。
 滝のようにでる汗が気持ちよく、食後はクーラーの効いた部屋で仮眠する。

 15時、17時と事務所に来客。

Cimg0147 18時30分、義弟から大量の岩牡蠣とサザエをもらったので、さっそく岩牡蠣はむいて流水で軽くすすいで食べる。海水を吸っているため、十分味がついており、レモン汁だけで美味しく食べた。
 その後は、ぜいたくにも岩牡蠣を巨大な牡蠣フライにして、ご飯、小粒納豆とともに夕食。

Cimg0148 食後、届いていた荷物を開けていたら、ほしいけど高いから・・と思っていたプロジェクトBMのウルトラマンメビウスが届いていた。もちろん、無料でもなく、カードでの引き落とし。酔ったときに勢いで注文してしまったようだ。それにしても良い出来のフィギュアである。

 先の第22回参議院議員通常選挙において、自民党柏崎支部として応援した柏崎出身の柴野たいぞう氏について、以下のような報道がされた。
 私自身も筋を通しての参議院議員選挙を行い、選挙終了とともに自民党柏崎支部に離党届けを出しているので、現在どのような受け止め方をされているのか不明である。しかし、党で機関決定しての応援とはいえ、自分自身も関わったため、今後の情報を注視したい。


平成22年7月31日『毎日新聞』

柴野・元衆院議員:
社長を務める会社、
中国企業日本法人名乗る
事業巡りトラブルも
「中国石油」は関係否定

 先の参院選で自民党から比例代表で立候補し落選した元衆院議員の柴野多伊三(たいぞう)氏(59)が社長を務めるバイオ燃料開発会社「日本中油」(東京都港区)が、中国最大の石油国営企業「中国石油天然ガス集団」(CNPC)グループの日本法人を名乗って事業展開しながら、CNPC側は関係を否定している。日本中油側と取引した企業には「売掛金が支払われなかった」として破産したケースも出ている。【杉本修作、前谷宏、河津啓介】

 日本中油は09年の設立で、柴野氏は公式ホームページで「CNPCグループの日本法人」を名乗り、取材に対して「CNPCの関連会社『上海中油企業集団有限公司(上海中油)』から20%の出資を受けている」とし、自身を上海中油の政策顧問と説明している。また09年12月には投資事業組合を結成し、バイオ燃料開発への投資を募っていた。
 柴野氏側と取引した足立区の給排水設備会社によると、同社は08年2月、東南アジアに建設するプラントの設計業務などを上海中油の駐日代表(現日本中油役員)から4億4300万円で発注された。だが業務完了後も売掛金の支払いはなく09年5月、名古屋市の梱包(こんぽう)会社が振り出した約1300万円の手形を渡されただけだという。その後、やはり柴野氏が社長を務める日本中油関連会社からバイオ燃料取引の仲買を勧誘されたが、結局、今年6月に東京地裁に破産を申し立てた。
 設備会社の元役員は「柴野さんがやっていたので安心していた。だまされたという認識だ」と話した。一方、現日本中油役員は「手形で返したはず。倒産しそうだった会社を助けたのはこちらだ」と反論している。
 CNPCの日本法人「中国石油国際事業日本」(中国石油日本、港区)は取材に対し「日本の関連会社は中国石油日本のみ。日本中油も上海中油もCNPCと資本関係はなく、関連会社ではない」などと文書で回答した。
 その後、柴野氏は、CNPCの直属機関・中国石油天然ガス総公司新技術推広中心→北京市中油科技開発公司→中油新興能源産業集団有限公司→上海中油--の順に資本関係があるとの資料を提示したが、中国石油日本は「従前の回答に変更はない」としている。
 柴野氏は93年7月の衆院選旧東京1区で新生党(当時)公認で初当選。96年の衆院選は新進党(同)で、00年は諸派で落選し、7月の参院選は自民党から立候補し敗れた。公表した経歴が虚偽の場合、公職選挙法違反に当たる可能性もある。
 CNPC側が日本中油との関係を否定していることについて柴野氏は「106万人(の社員)がいて、担当が違えば『知らない』になる。全部で(関連会社が)1万社くらいあるので分かるわけない。これは胡錦濤(国家主席)人脈。中国は人治の国で法治の国ではないので、親しくなると『悪いけど10%出してよ』ということが成り立っている」と説明。売掛金の未払いについては「自分はかかわっていない」と話した。

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