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2010年8月14日 (土)

会津八一と学徒出陣
靖國神社参拝

 3時、就寝。

 7時、起床。大粒納豆、頂き物のしそひじき、目玉焼きでご飯2杯の朝食をとる。

 午前中は、姪っ子を連れて親戚まわり。ゴーヤと茗荷の漬け物、ゴーヤの煮物などこの夏、出来が良かったゴーヤの活用方法を色々とお聞きした。

 12時、買い物をしつつ、帰宅。たらこスパゲティを作って、姪っ子と昼食をとる。

 午後は事務所で郵便物や新聞切り抜き、FAXなどの整理。かなりの量を溜めてしまったため、なかなか終わりが見えない。

 17時過ぎ、長岡市に移動。

Cimg0224 18時、「長岡甲羅本店」(電話:0258-29-5555)にて、母親、弟、妹夫妻、甥っ子、姪っ子そろっての食事会となった。「甲羅の特選御膳 みやび 3675円」を注文し、生ビールを飲む。かに刺身、かに天ぷら、かに酢、かに釜めし、かにグラタン、お椀、かに味噌豆腐、香の物、かにサラダ、抹茶アイスクリームのセットであったが、生ずわい蟹握りを追加。生ずわい蟹握りのとろけるような甘みが絶品であった。

 22時、帰宅。

 さすがというか何というか、売国ぶりを遺憾なく発揮している管政権。首相をはじめ全閣僚が靖國神社に参拝しないという。
 戦争したわけではない韓国には謝罪するが、国のために散った英霊には感謝すらしない。精神的にもダメなら、経済的にも15年ぶりの円高に対し早急に手を打つこともしない。
 日本の迷走はまだまだ続く。


平成22年7月21日『産経新聞』

日本の面影
ノンフィクション作家 工藤美代子

今夏も靖国神社に参拝なし

 新潟出身の歌人で会津八一という人がいた。奈良を題材に詠った歌集『南京新唱』=大正13(1924)年刊=は不朽の名作といわれる。書家としても名を成し、その書は現在でも市場で高額で取引されている。
 しかし、実は八一は優れた教師でもあった。不器用で無愛想ながら早稲田中学や早稲田大学で教壇に立ち、学生たちの信望を一身に集めた。
 学徒出陣が始まった昭和18年の11月、八一は早稲田大学の学生たちのために恒例の奈良研修旅行を決行した。ほとんどの男子学生は、この旅が終われば出征するはずだった。
 当時、一行は奈良の日吉館を定宿としていた。その看板は八一の揮毫によるものである。
 暮れゆく秋の日を惜しむように学生たちは平城京大極殿址の芝山で、それぞれノートを広げて八一の美術史の講義に耳を傾けていた。
 その中には作家、三浦朱門氏の姉の三浦(現・小杉)瑪里さんがいた。彼女の回想によると学生たちは各自が米持参で故郷から奈良にはせ参じた。それは配給量よりはるかに多く、仲間の世話係だった三浦さんは、米を用意した親たちの心情を思って涙したという。
 このとき三浦さんと一緒に旅行計画を練ったのが永井進という同じ早稲田の学生だった。両親はアメリカにいて収容所へ入れられていた。明るく物事に頓着しない性格で、八一がかわいがっている学生の一人といえた。
 その永井が奈良の研修旅行の最後の日にいきなり日吉館から警察に運行された。政治運動とはおよそ無縁の学生であり八一が先頭に立って抗議をしたが、聞き入れられなかった。
 やがていったんは釈放されたが、間もなく永井は召集される。そして数カ月後に、日吉館の女将は永井からはがきを受け取った。今、奈良の航空隊にいるので来てくれという内容である。女将はとっておきの砂糖で、おはぎを作り、すぐに永井を訪ねた。
 永井は奈良で特攻隊の訓練を受けていた。訓練中は毎朝隊を組んで、日吉館の前の道を駆け足で通る。そのとき、いつも恩師、会津八一が書いた看板を手でなぜて泣きながら走っているのだと永井は女将に話った。明日は南方へ出発するというところだった。他の隊員には面会に来る肉親がいたが永井は国内に親族がいない。
 永井がフィリピン沖で戦死したと三浦さんや日吉館の女将、そして八一が知るのは、もう終戦が間近になってからのことだった。

 平城遷都1300年の今年は奈良に関する催しも多いが、奈良にまつわる会津八一とその弟子たちの悲話を知る人は少ない。
 
多くの戦没者の御魂が祀られている靖国神社に、この夏も日本の総理は参拝しないという。政治のトップに立つ総理が、日本の神社仏閣に対する尊崇の念もなく、また戦没者を悼む気持ちも持ち合わせていないのだとしたら、平城遷都1300年のお祭り騒ぎもむなしく感じられる。
 余談だが、早稲田大学文学部の学徒出陣式のとき、三捕さんたち女学生が持ち寄って作った職に「学徒出陣」と大書したのは八一だった。どんな心境だったのか、万感の思いがあったことだろう

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