柏崎:樺太から帰ってきたD51-1蒸気機関車(2)
2時、就寝。
6時、起床。大粒納豆、燻製ハム、大根おろしのなめ茸和えでご飯2杯の朝食をとり、愛車で長岡市に移動する。
7時30分過ぎから9時まで某所にて打合せ。
10時過ぎに柏崎市内に戻り、市内をまわる。
13時、一旦、自宅に戻り、 日清のどん兵衛 液体つゆ仕上げ」、ソーセージパン1個、低脂肪乳、ピンクグレープフルーツジュースで昼食。
食後から18時過ぎまで市内をまわり、19時30分から推薦を頂戴した町内会の総会に伺い、推薦御礼のご挨拶をさせてもらう。
20時過ぎ、「でん」(電話:0257-32-2428)に移動し、遅参したが二十三夜講に出席する。
色々な方が集まったので、生ビールを飲みつつ、戦前のえんま堂周辺、戦後混乱期のえんま堂周辺など、非常に興味深い話を聞くことができた。聞けば聞くほど、変わった土地である。
選挙が終わり次第、こういった場での会話を記録、テキスト化してはどうかと話がでたので、是非、協力したいと申し出た。
21時30分、選挙事務所に戻り、頂いた「祈 必勝」の為書きへの御礼の手紙を書くなど、事務仕事を行う。
今日、自民党・三富佳一県議会議員から為書きを頂戴した。
また、自宅の留守番電話に後援会資料のパンフレットを見たとのご連絡があり、折り返し電話をしたところ、市政に関する多くのご不満をお聞きした。
息子さんが定職になかなか就けない、就職先の経営状況が厳しいようで生活も苦しいとのことで、日本全体の厳しい経済状況もあるものの、柏崎市は柏崎市としての政治がしっかりすべき事柄もあり、真摯にこの声を受け止めたい。
昨日の本ブログにも掲載した柏崎市内の駅前公園芝生広場にあるD51-1蒸気機関車は、ソ連から柏崎の地までの輸送したものであるが、その過程ではかなりの苦労があったという。
平成2年7月に日本に到着する予定が、サハリン州当局との折衝、運搬は難航。柴野安三郎氏が会長が務める札幌市・株式会社タイムス観光の社長自らが8月27日に直接サハリンに出かけて早期運搬を要請し、9月2日サハリンのホルムスク(真岡)港をソ連のカーフェリーサハリン8号で出港、3日にやっと小樽港に到着した。
同月12日、日本の白洲山九(1104トン)に車両を積みかえて出港し、14早朝に柏崎港に到着。市の関係者、一般市民らが見守る中、大型クレーンで約70トンの巨大なD51-1は陸揚げされた。
陸揚げされたのち、錆落としや補修塗装が行われ、11月4日、柏崎港から日本通運のガータートレーラー(タイヤ66本)で二時間かけて、駅前公園芝生広場に運ばれたのである。
そして、平成2年11月18日、柴野夫妻、飯塚市長、市議会をはじめとする関係者が集まり、市制施行50周年記念「D51-1蒸気機関車除幕式」が執り行われた。
また、柴野氏からは、柏崎の子供たちに滑り台をプレゼントしたいとのことで、1000万円を寄付し、市内の絵本作家である曽田文子氏デザインによる滑り台が、同じ駅前公園芝生広場に設置された。
このような歴史をたどったD51-1であり、検証や議論なしの撤去は許されるものではない。
参考文献:市制施行60周年記念出版『柏崎の先人たち 柏崎・刈羽の人物誌』柏崎市
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