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いまだ瓦礫撤去が進まぬ被災地
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2011年6月29日 (水)

会派視察:女川原子力発電所
石巻市渡波地区の現在

 1時、ホテルに戻る。一緒に飲んだお店のほぼ全員が煙草を吸っていたため、頭皮も含めかなり体が煙草臭くなってしまったので、シャワーを浴びたのち、就寝。

 5時に起床し、急ぎのメールやブログを書く。

Cimg3056 8時40分、ホテルの食堂で、焼き立てのクロワッサン、テッシーナブロート、全粉ソフトミパン、ソーセージクロワッサン、味付きゆで卵2個、野菜サラダ2つ、マッシュルームクリームスープ、ヤクルト、小岩井農場瓶牛乳2本で朝食をとる。

 9時、ホテルをでて、一路、宮城県女川町に向かうも途中、三陸自動車道で事故渋滞に巻き込まれる。

Cimg3061 予定より10分遅れの10時40分過ぎに東北電力女川原子力発電所に到着し、株主総会の準備でお忙しい上席執行役員でもある所長、所長代理、広報課長にご対応いただき、ご挨拶のあとに東日本大震災にかかわる状況説明を受ける。

Cimg3063・津波による冠水はなかったが、潮位計から吹き出すかたちでの海水流入があった。
・被災時、地元住民がPRセンターに避難した。PRセンターには非常用電源がないため、所内の体育館にバスで移動。今月6日まで発電所内部に避難の方がいた。


平成23年5月20日『電気新聞』

避難者に女川原子力解放
”地域を守る”最優先

 宮城県女川町と石巻市に立地する東北電力女川原子力発電所(渡部孝男上席執行役員・所長)は、東日本大震災が発生した3月11日から、津波で壊滅的な被害を受けた地域住民の命を守る避難所となっている。通常は外部の立ち入りが厳しく制限されているが、渡部所長が人道的な観点から受け入れを決断。同発電所の体育館では現在も約80人が避難を続けている。
 震災当日の午後5時頃、同発電所周辺のPRセンターに同町鮫浦地区の阿部正夫区長が1人で歩いてやってきた。「津波で全滅した。住民を避難させてほしい」。阿部区長の必死の訴えに渡部所長が応えた。阿部区長を含めて約40人がPRセンターに避難したが、電気や水道、暖房器異がなかったため、同日夜に発電所へ移動した。
 一方、発電所のゲート前には他の地区からも住民が集まってきた。中には津波でずぶぬれになり、着の身着のまま逃げてきた妊婦の姿もあった。

 渡部所長のもとには、所員から設備の状況が逐次報告されていた。この情報を基に「住民を受け入れても安全だ」という確信とともに、同社の経営理念である「地域とともに」が頭に浮かんだ。受け入れの判断について、渡部所長は「地域の人に頼まれたら迷うことはなかった」という。
 同11日は、約110人が発電所で過ごした。最初の3日間は、所内に備蓄している非常食を分け合った。増え続ける避難者のため、同13日夜には事務棟ホールから体育館、に移り、同14日には避難者が約360人に達した。
 4月26日、宮城県の村井嘉浩知事が発電所の立ち入り調査に訪れた際、避難者を見舞った。村井知事が「福島の事故のようなことはここでは起こっていない。安心して生活してほしい。必ず仮設住宅を造るから、頑張ってほしい」と呼び掛けると、避難者らから拍手が起こった。
 同発電所によると、いつまで受け入れるかを自治体と協議中。結論が出るまでは受け入れを続けていく方針だ。


・所長は南相馬市出身であり、仕事でも私生活でも原子力との関係は深い。
・東北電力社員450名の所員、協力企業1500人の作業員で電気を送っており、東北の経済基盤を支えているという誇りがある。

<被害状況>
*非常用ディーゼル発電機(D/G)はすべて健全。2号機D/G(B)号機及びHPCSD/Gは、その後の津波の影響で使用不可
*外部電源の牡鹿幹線は2回線停止、塚浜支線は1回線停止、松島幹線は1回線停止も1回線は正常。
1.1号機 重油貯蔵タンクの倒壊
 → 出火するも消防署も被災(署長も亡くなった)。自営消防隊で対処
2.1号機 高圧電源盤の焼損
 → 地震の揺れにより、短絡・地絡でアークが発生
3.2号機 補機冷却水系、B系に影響
 → 2.5mまで浸水。A系は影響なし。
4.全号機 使用済燃料貯蔵プールで飛散

<津波について>
 もともとの敷地高さは14.8mあったが、地震の地核変動により1m下がった。しかし、津波が13mであったため、冠水はしなかった。
 福島第一原子力発電所の場合は、5.7mの津波想定に対し、敷地10mあったが、14~15mの津波。女川原子力発電所は、許認可記載の想定津波は9.1mのところに敷地13.8m(実際は14.8m)、13mの津波。

<震災時の対応>
 震災後に、発電所にアクセスする道路は2本とも不通となったので、5日目までに何とか道路を確保した。当日、見学者もいたところから、ヘリコプターで物資を運び、対応した。

 一通りの説明を聞いたうえで、実際の現場を見ることになり、作業服に着替えて非管理区域の現場に入り、中央操作室からポンプ室までを確認した。
 東京電力のプラントのように中央操作室に見学者のギャラリースペースがないため、直接、操作盤の前まで見ることができる状況。中央操作室独特の匂いもあり、運転員時代を懐かしく感じたところ。

Cimg3160 震災発生時には、操作盤につかまっていても立っていられないほどであったという。そういった経験を、是非、中越沖地震における柏崎刈羽原子力発電所での対応記録『その時、仲間たちは 新潟県中越沖地震・柏崎刈羽原子力発電所被災の真実』電気新聞のような記録に残してほしい。

 現場の視察を終えたのち、会議室に戻って、質疑応答の時間となったので、限られたなか以下のような質問をさせてもらった。

Q.プラントデータを把握するための緊急対策室は機能したか。震災直後からのプラントデータは喪失していないか。
A.震災前に現在の事務建屋の耐震工事を終えていたため問題なく、プラントデータもすべて緊急対策室で把握することができた。しかし、発電所から外へは通信手段を遮断されたので、送ることはできなかった。現在、免震構造の新しい事務建屋を建設している。

Q.原子力災害対策特別措置法の10条通報(安全機能の大幅な劣化または放射線量の異常な上昇)を国が受けた段階で、オフサイトセンター(12条)設営準備に入り、15条通報(安全機能の喪失または放射線量の異常な上昇の100倍)で、原子力災害対策本部および現地対策本部(オフサイトセンター)を設置することになっているが、その辺は機能し、十分情報はやりとりできたか。
A.女川町にあるオフサイトセンター自体も津波によって流されてしまった状態である。常駐している経済産業省の方も行方不明になっている。

Q.地元の方が発電所に避難してきた経緯を詳しく知りたい。
A.(当日、対応したPRセンター所長)被災当日、薄暗くなってきた時間に、区長さん他2~3名がPRセンターにいらっしゃり、集落がすべて流されたので、避難させてほしいと依頼された。ホッカイロ等の防災品があったので、それをすべて放出し、暖をとった。避難中にも所員と住民がお互いに助け合い、連携もできていた。

Q.地元住民と発電所員との絆はどういったところから生まれているのか興味深い。どういった距離感なのか。
A.かつて弊社(東北電力)の社長に女川町出身者が就任した際は、地元の方で社長就任祝いを行うほどの距離感。日頃から全戸訪問している。女川町、旧牡鹿町を社員で手分けをし、年に1度は全戸をまわって、コミュニケーションをとっている。2名一組で若い人間とベテランの組み合わせ。上がっていけ、と言われお茶を飲むこともある。

Q.地元雇用はどれぐらいの割合なのか。
A.地元雇用は協力会社で約55%。

Cimg3065 13時、女川原子力発電所の視察を終え、30分ほど走ったところで持参してきた昼食をとる。
 「おはよう納豆」ヤマダフーズの納豆を使った「納豆手巻寿司」、おにぎり2個(牛カルビ、すじこ)、あまりの暑さに大汗をかくことを予想して買った味噌漬3種という内容。

Cimg3068 食後、そのまま女川町の現在の様子を高台から確認する。
 先日来たときよりも瓦礫の片づけも順調に進んでおり、ボランティアの皆さんも活動をされていた。
 視察ではなく、個人的に来ていれば、このまま現地にとどまり、何日かお手伝いしたいところであった。

 14時、宮城県石巻市の渡波地区に移動し、15時過ぎから被災者であるT氏から被災から数日間の生々しい現場の状況をお聞きした。

<T氏コンビニエンスストア経営者:1階店舗、2階自宅>

・現在でもこの地区は全体が地盤沈下したため、雨が降るだけでも水害となっている。
・当日はまず店員を帰宅させた。
・危機感を感じた方などが非常用品として買い物に来たため、普段の3倍の来客があった。屋外の災害放送があってから、店を閉め(鍵をかけずにシャッターだけ)、二階にある自宅に避難した。
・その夜から、修羅場となった。水のなか人がバシャバシャと歩いている音があり、店にいけば、6人ぐらいの男(実は地区の防災係や消防団)が物取りをしていた。そのうち一人を捕まえたら、高校生であった。そこから1時間後に避難している人(100名)の代表者から、物資を分けてほしいと言われた。パンと水、デザート類を提供した。その代表は地区の防災担当であった。他にも通りのコンビニは鍵を壊され、盗みに入られた。二階に自宅があるコンビニゆえ、助かったが、他のすべてのコンビニは破壊された。それから4日間は毎日、物取りがきた。
→ いくら防災のためとはいえ、食料を店から略奪して良いということではない。
・しばらく経ったころからATMやレジが壊される事態となった。町中の人が手にバットやバール、ゴルフクラブを持って歩いている状態であった。マスコミはその事態を報道していない。
・隣の地区でも略奪があり、治安は悪かった。
・町内会は機能しておらず、自警団を組織したのは一週間後であった。
・暴徒は特別な人ではなく、被災者を含め一般の人であり、外国人もいたが、多くは日本人。
・公による個別の被害把握は一ヶ月後の支援きた他自治体職員。
・避難所に避難された方のなかにも物取りに入っていた人間がいた。
・自転車泥棒が横行し、自分の壊れた自転車でさえ、盗まれた。
・津波に関するマニュアルが行政で作られていたが、ほとんどの人が忘れていた。
・避難所から仮設住宅への移動がコミュニティ単位ではないため、ストレスになっており、仮設に移らない人がいる。

 その後、石巻市内を被災状況を視察し、17時にホテルに戻る。

Cimg3072 18時40分、所属会派の議員、大志クラブの3名の議員の計6名で一昨日に続き、 「味の牛たん 喜助 駅前中央店」(電話:022-265-2080)に入って、夕食。
 「生ビール 450円」が200円になるクーポン券を15枚もらっていたので、心おきなく冷たい生ビールを飲み、お通しになっている「タンとうふ 250円」をつつく。

Cimg3075 「焼きほや 400円」が無いのが残念であったが、「笹かまのさっと炙り 250円」で生ビールを5杯ほどやっつけたあと、1日20食限定でお約束の麦飯とテールスープが付いた「厚焼定食(しお味) 2000円」、「シャキシャキサラダ 600円」でシメる。

Cimg3076 21時、店をでて個々に自由時間となったので、有志とともに国分町の某店にて二次会。さすが東北地方随一の都市である仙台らしく、お店では東北各地方から働きに来ており、意外な方言の共通点もあり、会話を楽しませてもらった。

 23時、ホテルに一旦戻り、再度、某氏と待ち合わせ、懇親会。

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