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2011年6月 1日 (水)

現地視察と支援活動:宮城県南三陸町、女川町

 3時30分過ぎ、宮城県石巻市の道の駅「上品の里」に到着。車中泊すべく、トイレに寄ったり準備していたところ、いきなり声をかけられたので誰かと思えば、中越大震災のときに小千谷総合体育館で一緒に活動したことがある方であった。支援活動のなかでの名刺交換だったので、失礼なことにお名前も忘れてしまっていたが、近況報告などをしながら1時間ほど懇談。

 5時から9時まで車中にて仮眠する。

Cimg2773 9時20分、道の駅「上品の里」のなかにある農産物直売所「ひたかみ」にて、宮城県産大豆を使った地元の納豆、地元で愛されているというフレッシュ製パンの「クリームサンド」を購入し、朝食をとる。
 「クリームサンド」というパンなので、クリームが入っているかと思えば、ピーナツクリームが入っており、納豆との怪しいコラボレーションになってしまった。一般的なクリームパンに味付けをしない納豆を入れると、食感が楽しい菓子パンになるため、それを狙ったものの失敗。

 食後から移動。とにかく現地は凄まじい状況である。途中、応援にきていた兵庫県警をはじめ各都道府県の警察や海上保安庁が遺体捜索をしていた。

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 11時過ぎ、宮城県南三陸町に入り、現地の状況を確認しつつ、南三陸町役場の方と連絡を取り合う。
 その間、避難されている方やボランティアに来ている方々に色々とお話を伺い、今後、行政ではなく、また災害ボランティアセンターでも対応できないようなものを調査。ホームステイ先の募集などは意外な盲点であった。
 災害ボランティアセンターでもお話を伺ったところ、現在でも毎日100名近くのボランティアが来ているそうで、力仕事もさることながら思い出の写真探しや写真の洗浄などの仕事があるとのことである。こういったボランティアなら手伝いたいという方もいると思われる。

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 12時、昼食時間となって申し訳なかったが、役場の方にご挨拶し、今後のご協力出来そうなことや現状の問題点をお聞きする。
 その後、南三陸町内を車でいける範囲で周り、どういった事が起きたのかを知るとともに、思い出の品探しをしているご家族のお手伝いをさせてもらう。運良く見つかったので、30分程度で終了。
 また、最後まで住民への避難放送をしていた南三陸町役場の防災対策庁舎にも行き、手を合わせる。花を持参してこなかった事を猛省。

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 13時、崩落どころか跡形もなくなった主要道路の橋として、陸上自衛隊第二施設団(宮城県柴田町・船岡駐屯地)が設置したパネル橋MGBを通り、南三陸町から移動する。

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 少し高台になったところには、 「津波浸水想定区域ここまで」の表示パネルがあり、過去の経験からある程度は想定されていたことが分かる。

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 14時、女川町に移動する間、さすがに空腹となったので、車を一旦停め、お湯を沸かす。
 「赤いきつね」と魚肉ソーセージ、野菜ジュース2本、納豆1パックで昼食をとり、その後、再度の移動。カーナビゲーションにある道がないため、行ったり来たりが多くなってしまう。

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 女川町には柏崎市議会として10万円と少額ではあるが義捐金を送らせてもらったが、一面、瓦礫の山である現地の状況をみれば、復旧・復興のためにはとんでもない金額がかかることが良く分かった。
 女川町の民家等は全滅状態となったが、女川原子力発電所は運転中だった号機も冷温停止まで無事に移行でき、周辺住民の避難所となった。


平成23年3月26日『産経新聞』

【東日本大震災】
なぜ女川原発を避難先に?
240人が生活
「行くとこない」
「頑丈で安全」

 東日本大震災の発生直後から、東北電力女川(おながわ)原子力発電所(宮城県女川町、石巻市)の体育館で近隣住民が避難生活を送っている。東京電力福島第1原発の事故が連日伝えられる中、被災者はなぜ原発を避難先に選び、そこにとどまり続けるのか。   (徐暎喜)

 女川町と石巻市は津波の甚大な被害を受けた。海岸沿いの町は津波で大半が破壊され、多くの人々が避難生活を強いられている。
 女川町中心部から海岸沿いの道を約15キロ進んだところに女川原発はある。距離は近いが、ここにたどり着くまでは一苦労だ。地震の影響で道路は所々で陥没し、何メートルにも渡って亀裂が走っている。自衛隊が復旧作業を進めているが、道の途中にちらほら見える住宅は完全に孤立していた。
 女川原発の広報課によると、地震発生当日の11日、原発が地域住民などへの広報施設として開放している「女川原子力PRセンター」に、次第に被災者が集まってきたという。
 原発は各自治体指定の避難所ではないが、東北電力は人道的な観点から、被災者の受け入れを決定。同センターは水や電気などが不十分なことから、職員の厚生施設として利用している原発施設内の体育館に被災者を誘導。現在、約240人が身を寄せている。

 避難所は原発施設の中にあるため公開されていないが、片づけなどで原発と自宅を往復している避難者に話を聞くことができた。
 水産加工業に携わる女川町の60代の男性は「町の中心部に向かう道が地震で通れなくなり、ここに避難するしかなかった。頑丈に作られているから安全だと聞いていたし…」と話す。
 福島原発の事故を知ったのは避難後のこと。「怖くないわけではないが、他の避難所は人でいっぱい。行くところもないし、しばらくはここでお世話になろうと思っている」と話す。
 石巻市から避難してきた40代の女性は、安全なところに避難しようと思ったときに、原発のことが真っ先に浮かんだという。
 「福島での事故を聞いて、『もしかしたらここも?』と思わなくはないが、事故が起こったようなニュースは聞かないし、今さら他に移ることは難しい。家にも近いので、しばらくはここで過ごしたい」
 女川原発は今後、各自治体と避難所の期限などを協議する方針だが、「避難者がいる限り、当面の間は続けたい」と話している。


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「?」
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 女川町内をウロウロしていたところ、地元の方に声をかけられた。物盗りのように思われたようなので、名刺を出して事情をお話し、18時過ぎまでお手伝いさせてもらう。

 道のところどころに大きな穴が開いており、そこに水が溜まっているため、不用意に足を入れるとズボッともぐる。

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 周りも暗くなった19時過ぎ、車で移動するのも危険であるため、高台の駐車場にて車中泊することとした。

Cimg2826 移動途中のスーパーで買った値下げ品の「まぐろづくしお刺身」、コンビニで買ったベーコンサラダ、地元の納豆2パック、発泡酒500ml2缶で夕食。
 さすがに冷えた発泡酒というわけにはいかないが、空を見上げつつ飲み、刺身をつつく。常に醤油を持っているため出来る芸当である。

 車内のLED電灯で本を読みながらも、疲れもあったのか21時には就寝。

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