平成23年第5回定例会一般質問
大久保陣屋、D51-1蒸気機関車他
3時、就寝。
7時に起床し、届いていた月刊誌をもって、1時間ほど風呂に入る。
8時30分、大粒納豆、ますこ醤油漬け、たまご豆腐でご飯2杯の朝食をとる。
9時30分、市役所に移動し、10時から本会議に出席。一般質問の2日目で、朝一番での登壇となった。
質問項目は
1.文化都市・柏崎として歴史的資産の扱いについて、教育、まちづくりの観点から問う。
大久保の陣屋(長屋)跡、蒸気機関車など貴重な柏崎市の歴史的資産を失ったことの経緯及び今後の方針の確認。また、飯塚邸、喬柏園をはじめ、柏崎市内の他の歴史的資産をどのように扱っていくのか、教育、まちづくりの観点から問う。
→ 教育委員長、市長(一問一答)
2.東北地方太平洋沖地震で被災した原子力発電所及び立地自治体の状況に鑑みて、柏崎市として早急に取り組むべきことを、安全安心、地域経済等の観点からどのように考えているか問う。
東北地方太平洋沖地震発生から約半年を経過し、各種情報が明らかになってきた今、世界最大の原子力発電所立地自治体として、柏崎市民の生命・財産を守るため、早急に行うべき取り組みを、先の議会に続き再び問う。また、地域経済と原子力分野の人材育成、浜岡原子力発電所、泊原子力発電所の扱いの違いを含めた現在の国の対応について、市長の考えを問う。
→ 市長(一問一答)
の2点。
冒頭は、お約束のように、
「3.11東日本大震災以降も豪雨、台風など自然災害が続き、高齢者が多い地域が孤立してしまうといった場合に対処できる自衛隊が必要であろうと、ますます柏崎への海上自衛隊の誘致活動に気合いが入っている、整風会の三井田です。」
と述べ、以下のようなやりとりを行った。
Q.今回の一般質問も質問したいことが多くあり過ぎ、「何を質問するのか」、これを選ぶのが非常に大変だった。
今年も7月11日から8月26日まで、12回の地域懇談会が開催され、私もそのうち3回ほど出席し、各地区における市民から市長への切実な訴えをお聞きした。ここで訴えられた問題には深刻なものが多く、例えば、7月21日の地域懇談会では、私もこの一般質問の場で何度か取り上げた、柏崎港中浜埠頭のスクラップ、鉄くずからでる粉じん被害問題が議題となった。
この問題については、あまりに行政側の対応が遅いとして、被害を受けている住民の皆さんが実際に専門業者にお願いして調査をしたところ、スクラップ置き場近くの港公園プールから「鉛」が検出されたという。本来であれば、こういったものを今回の一般質問で問い質したかったが、会田市長から「鉛がでたというのは初めて聞いた。本当なら対処する」 という発言があった。一度、政治家が口にだした以上、キチンと対処することを信じて?他の質問項目を今回は選んだことを冒頭に述べておく。
一つ目の質問に入る。文化都市・柏崎として歴史的資産の扱いについて、教育、まちづくりの観点から問う。個々の委員会の質疑ではできない、複数の担当課にまたがる内容のため、この一般質問の場でお聞きするのがふさわしいであろう思った。
この質問を行う背景をまずご説明したい。
この議場におられる議員のみならず、柏崎市民の皆さんでも市外からお客さんがくれば、我がまち・柏崎市をみてほしいという気持ちで市内を案内されると思う。私も年間、かなりの回数、市外からのお客様を多くご案内しており、柏崎らしいもの、来てくれた方の感性に合いそうなものを中心に、そのコースを組み立てている。なかでも歴史に関しては、分かりやすく説明し、関連した実物を見せることで、より柏崎を知ってもらうことができ、活用しているところ。
ところが、最近では大久保の陣屋の長屋や駅前公園にあった蒸気機関車などが取り壊され、自称・柏崎勝手に観光委員会の三井田としても、大きな落胆、深い悲しみを覚えた。こういった柏崎の歴史的資産をどう扱うのか、非常に不安に思ったことが、今回の質問の背景。次世代を担う子供の教育のために必要だと思うところから、教育の観点で教育委員長に、そして歴史的資産を活用したまちづくりということから市長に伺う。
まず最初に、大久保の陣屋、長屋の取り壊しについて聞きたい。長屋自体、個人の所有物とは理解しているものの、陣屋跡が柏崎市の史跡指定されており、その歴史的価値を考えるに、長屋も含め周辺一体の整備を行政として検討すべきではなかったか。長屋、取り壊しまでの経緯を答弁願う。
A.(市長)長屋は1837年の大火ののち、建築されたもので170年経過した建物である。しかし、実際に使われていたこともあり、建築当時とは違う内容となっている。そのため、当時のような復元は難しいと判断した。また、狭隘道路が多い地区であり、地形的に利活用が難しい。持ち主が解体撤去を申し出たため、解体にいたった。当時の図面等は入手してあるので、今後の展示等を行っていく。
Q.170年も経過した建物だったからこそ、残す価値があったのではないか。ヨーロッパの歴史的建築物のなかでは、現在でも住み続けて、使い続けているものもあり、そういった感覚もある。今回、長屋を喪失したことで、教育の観点からどう考えるのか。教育委員長、そして地元で教鞭をとった経験から教育長からも補助的に答弁願う。
A.(教育委員長)一般的なことになるが、教育上の観点から柏崎には多種多様な歴史資産があり、後世に伝える努力はしていきたい。市民講座をはじめ、寿大学等の生涯学習のテーマとして、取り上げていきたい。また、教職員に対しては、柏崎を知る機会として、文化財めぐりをしており、教育現場にも反映する。また、副読本での柏崎の歴史を教える際に伝えていくこととしたい。
A.(教育長)地元に住み、また実際に長屋に住んだ身として思い入れは強い。住んだ身として分かるのは、昔ながらの屋根を維持しているのは一部であって、それを保存、活用することは可能でも、周辺のモダンな建物とはマッチしなくなっている。
Q.本来であれば、市に無償譲渡してもらい、周辺一体として整備すべきであった。市外からのお客さんが来ると私は、「大塩平八郎の乱はご存知ですか?」と問いかけてから、母校である柏崎市立柏崎小学校の横に建立されている生田萬の墓に案内する。そして、生田萬の乱
*生田萬の乱、柏崎騒動:天保8年(1837年)6月、国学者・生田万が柏崎で、天保の大飢饉や大塩平八郎の乱を受け、貧民救済のため蜂起した事件。
を説明し、その後に大久保の陣屋に移動するというコースで柏崎を紹介していた。ちなみに、余談として、37歳で自刃した夫のあとを追って、二人の子供を自らの手を殺し、そして首を釣って自害した、妻・鎬(こう)についても、お話していた。
こういった歴史案内の見せ場がなくなったのはつくづく残念である。
続いて、駅前公園にあったソ連から還ってきた蒸気機関車D51-1について聞きたい。
これは今年の第2回定例会において、当会派の丸山議員も代表者質問で取り上げたものの、市長からの取り壊すという答弁は変わらなかった。結局、今年6月25日、D51-1蒸気機関車お別れ式をやり、貴重な車体は解体。貴重な近代工業の遺産、しかも柏崎生まれでまさに故郷に錦を飾った柴野安三郎氏のこともあり、非常に残念である。なぜ残せなかったのか、改めて解体までの経過を問う。
A.第2回定例会でも答えたように、アスベストがあり、あまりに腐食が進んでいたことにより、修復、復元のための見積もりが拒否された。事例によっては、2~3億円かかるものもあり、解体撤去という道を選んだ。
Q.D51-1のアスベストに関しては、環境上問題ないという報告書を昨年12月にはもらっている。そして、アスベストがあるSLでも現在、動態保存している事例も多い。さらには、ケースで囲っての展示だった方法はある。今回は動態保存までもっていけという話ではない。いくらでも他の手法があったはずであり、保存のための情熱がないだけではないのか。
平成17年まで、東日本鉄道OB会柏崎支部さんが毎年春秋に清掃ボランティア、油塗りを行ってくれていた。活動終了時には市長も表彰状をしているので、覚えていると思うが、18年、19年、20年、21年、22年とこの間に何も保存のための努力はしなかったのか。アスベストや腐食のチェックなどはしなかったのか。
また残す部品は何で何品ぐらいなのか。
A.(維持管理課長)保存する部品としてはスピードメーター、汽笛など10品目。平成17年以降の維持管理については、毎年1回だけ清掃活動をしていたが、平成19年の中越沖地震以降は中断していた。
A.繰り返すが、修復ができるかどうか調査を行っており、第2回定例会でも答えた通り。なお、寄贈者である柴野安三郎さんのご家族、札幌にお住まいの息子さんにも解体の旨、ご挨拶に向かうという連絡をしたところ、それには及ばないという回答をもらっている。
Q.こういった近代工業の遺産は大切なものである。我が国は、開国からたった70年で、世界最大の戦艦大和、零式戦闘機を作り、満州では新幹線のようなエアコン付きで120キロで疾走する特急あじあ号が走っていた。そういった近代工業の技術が詰まったもの。
柏崎の場合と同じように公園で野ざらしになっていた事例として、群馬県伊勢崎市のC61(伊勢崎市竜造寺公園に保存展示)がある。これは、関係者の熱意により、工場で修復され、いま走っている。これは熱意に加え、情熱があったらできたこと。
今回の場合、貴重なD51-1が解体の危機であると全国に情報発信するとともに、寄付を募り、柏崎の工業界に部品作成をお願いするというやり方もあったのではないか。現物にあわせた部品製作で、D51-1が復活すれば、それこそ柏崎の名も、柏崎の工業界の名も技術も広く知られたと思う。熱意、情熱があるかないかの問題であり、夢ある展開でなかったのは、返す返すも残念であった。
次に、飯塚邸に問いたい。
中越沖地震以降、予算上の理由からすべて完全復旧するのは難しいとの状況は理解している。しかしながら、昭和天皇の散歩道など、歴史をとらえた「まちづくり」に取り組んでいる地域であり、新道小学校をはじめ、教育の観点でも重要と思われるので、修復するならキチンと良い状態にして(壊さざるを得ないところ、残す価値ある場所のメリハリ)、活用すべきと思うが、今後の方針はどうか。
A.現時点では、外観のみ修復をして、気軽に利用してもらうようにしている。今後は予算的なものがある。
Q.直すならキチンと直し、良いもの、伝統的な建築様式やその周辺の美的なものなど、教育に資するところも多いので、前向きに検討してもらいたい。
次に、この議場で何回か保存や耐震補強について取り上げた喬柏園の今後について問うう。
ちなみに、昨日も一般質問のなか、何人かの議員が取り上げた津波ハザードマップ。このなかでは、避難先に喬柏園が指定されているが、津波を伴うような地震のときには危ないような気もするので、耐震補強は必要である。
先日、戦前の柏崎観光パンフレット、つまり柏崎市(昭和15年に市制に移行)ではなく、柏崎町の観光協会が発行したものを入手した。
このパンフレットを見開くと、ライトアップされた公会堂と説明が掲載されているため、当時の観光の売りであったことが良く分かる。
喬柏園
本町2丁目の喬柏園は故・高橋忠平氏邸宅の庭園です。氏は柏崎出身。明治41年シンガポールに渡り、呉服太物業を営み、越後屋の名声をうたわれた人、功なり名挙げて故郷に錦を飾り、昭和8年5月当時の邸宅を挙げて、更に一万円を添えて柏崎町に寄付せされました。その後、元外相・芳沢謙吉氏が、これに喬柏園と命名されたのです。
公会堂
柏崎公会堂は、喬柏園内に建設せられました前記、故・高橋忠平氏の夫人サワ故刀自の寄付になるものであります。工費20万円を投じたる壮麗なる白亜の鉄筋二階建、述べ坪362坪、室数12、階上講堂には500人を収容する事が出来ます。階下に食堂の設備があります。
*刀自は女性の戸主を指す
本筋とは離れるが、このパンフレットのなかでは、明治天皇行在所、閻魔堂、そして公認競技場(グランド)の順で紹介されており、当時から柏崎がスポーツ都市であった一端も見える。
喬柏園の名づけ親である元外相・芳沢謙吉氏のお孫さんは、国際政治学者の緒方貞子氏。当時の柏崎駅から公会堂までハイヤーで60銭の時代に、工費約20万円を要した昭和初期、モダニズム建築は必ず後世においても貴重な歴史的資産として大切にされるはず。
今年は大正100年であり、モダニズム建築がクローズアップされている。
また、郷土を愛した柏崎の偉人・高橋忠平を知ってもらう教育の材料としても、保存、活用すべきと思うが市長の考えはどうか。
A.喬柏園、旧公会堂については、中越沖地震においても耐えた建物であり、現在はダンススクールなどで使われている。今年度中に耐震診断を行い、使い続けることが大切なので、活用策を検討したい。
Q.先の質問でも述べ、そして答弁にもあったように使い続けることが大切であるため、多少の費用はかかっても保存し、活用するようにしてもらいたい。活用にあたっては、若者のチャレンジショップにしたり、NPOの事務所として安価に貸し出したり、民間の力を活用するのが良いのではないか。
お隣の国、台湾では1919年(大正15年)建設の台湾総督府を、改修・修繕を繰り返しながら、現在でも台湾総統府として使用している。ちなみに設計は、上越市出身の新潟県人・長野宇平治(1867年~1937年)氏である。
古い良い建物を大切に使い続けるということは、そのまちの歴史に対する敬虔さを表している。柏崎は良いまちだと言われるためにも、保存活用を願う。
続いて、大きな2つ目の質問、東北地方太平洋沖地震で被災した原子力発電所及び立地自治体の状況に鑑みて、柏崎市として早急に取り組むべきことを、安全安心、地域経済等の観点からどのように考えているか、に移る。前回の一般質問でも同じような内容を問うたが、時間が経過し、被災状況に関しての各種情報が段々と明らかになってきたことから、再び問いたい。
前回、私はハードウェア面、ソフトウェアの面から次のように提案した。
ハードウェアの面では、有無を言わさず、避難道路の整備。特に荒浜から松波地区にかけての複数経路の確保にについて、県や国にいま交渉する絶好のチャンスであるため、要望すべきとした。原子力災害時に、ヨウ素剤を配布する、飲むませるといった事より、ヨウ素剤を飲むような場所にいないように避難する方が先のため、まずは避難道路である。ソフトウェアの面では、放射性核種の拡散状況が分かる緊急時迅速放射能影響予測ネットワークシステム(SPEEDI)データをキチンと活用できる組織の体制を確認し、災害訓練に反映すべきとした。それぞれ提案し、国の事故調査を待たずとも取り組むべきとしたが、その後に取り組んだかどうか。
A.まずは福島県で被災された方の救済が優先である。防災上、やるべきことは多々あり、内容も多岐に渡ると思われる。避難道路は最重要だと認識しており、原子力発電所立地市町村連絡協議会、いわゆる全原協としても議論しているところ。
Q.世界最大の原子力発電所を有する柏崎市として、道路の確保や防災上やるべきことに取り組んでいるのかどうかを聞いている。
A.ご指摘の国道352号線、8号バイパスは国に働きかけをしており、その他は全原協議として申し入れている。
*ここで、原発反対派の議員から「廃炉すりゃーいーんだよ」「原発推進で笑わせるな」などの野次が飛び、議長が制止。野次なら「廃炉」を言う原発反対派であるが、議場においては「廃炉」を言わず、原発財源の予算に賛成している。来年度予算はキッチリと「反対」をするのか否か、原発反対派の皆さんにはよく見てほしいものである。
Q.柏崎市として国、原子力安全委員会や経済産業省、国土交通省に要望したことの報告はもらっている。しかし、ここで言いたいのは、国に一回要望するだけではなく、各政党、それこそ政治の力を使って何回も要望すべきではないかということ。私ですら、自分の信念たる自衛隊誘致のために、各方面に自分なりにアプローチしている。柏崎市のトップとしての熱意が感じられない。ソフトウェア面、SPEEDIデータを活用した防災計画はまだ検討していないのか。
A.国の調査結果をみて、検討したいが、そもそもSPEEDI自体が使えなかったこともあり、今後の評価も見なければならない。またEPZ(緊急時計画区域:Emergency Planning Zone)の見直しもあるので、それを待ちたい。
Q.面白い答弁だ!SPEEDI自体が使えなかったのではなく、システムは稼動しており、そのデータを活用しなかった組織、官邸の問題である。世界最大の原子力発電所立地自治体である柏崎が防災訓練に使いたいといえば、SPEEDIデータぐらいだしてくれる。これは原子力発電に賛成であれ、反対であれ、必要なこと。
A.国の調査結果を待って、防災計画を見直す過程で検討する。
Q.昨日も戸別防災無線に関する質問がでたが、戸別でグループ分けできる防災無線があることが柏崎の防災上の強みである。例えば都心では、防災対策として、いかに多くの人を効率的に分散させて避難させるか、というところに苦心している。そして、これは何も都会だけのことではなく、東日本大震災をみれば、道路の整備に加え、分散して短時間に避難することが重要であること分かる。だからこそ、柏崎はそういった防災訓練を行い、防災計画を立てる必要がある。
話は飛ぶようであるが、本質は同じなので述べたい。国民保護計画が策定されて久しいが、テロが原子力発電所で発生した場合、短時間に周辺住民は退避できるかどうか。現状ではできないであろう。だからこそ、もっと熱意をもって、柏崎市民の生命と財産を守るために取り組んでもらいたい。
次に、原子力発電所と地域経済について、大まかな観点から市長に問う。今年7月に柏崎商工会議所が行った市内企業へのアンケートの結果が先日、公表された。結果は「原子力発電所からの受注減少が進行、長期化を懸念」というもの。昨日、ストレステストの件も報道があり、ドイツより先に脱原発が実現してしまう状況になるが、こういった地元経済に対する波及をどうのように市長は受け止めているのか。
A.柏崎商工会議所が行った市内企業へのアンケートでは、289社が原発関連の仕事を受注しており、そのうち190社が売り上げ減少という回答があったと報告を受けている。原子力発電所の事故もあると思うが、それよりは中越沖地震の復興がひと段落したことで、これに不況が重なったものだと認識している。原子力については、国のエネルギー政策が決まらず、柏崎市民も多くがどうするか分からない、景気の低迷、東電が厳しい環境でよりコスト削減を求められるという現状で良い材料はないが、地元産業界が今すぐ影響がでるとは思わない。
Q.今すぐ影響がでているとは思わないという答弁であるが、それなら少なくとも市役所職員は柏崎市外でお金を使わず、是非、すべて地元のお店で物を買ってほしいと思う。
では、国の原子力政策について問う。浜岡原子力発電所は国の要請により停止したが、停止しているにも関わらず交付金は従来通り。泊原子力発電所は県知事が最終決断をするというパターンであった。つまり、原子力発電所の場所ごとによって対応が違っているという状況である。こういった民主党政権のふらふらしたエネルギー政策について、市長はどう捉えているのか。また、新潟市や上越市なども個別に安全協定という話もでており、どこがイニシアチブをとるのか、不明なところがあるがどう考えるか。
A.国の安全対策が見えないこと、一貫性がなく不信感がある。骨太の方針がなければ、信頼は生まれない。また、今回の福島の事故による被災者の救済に見通しがつかなければ、心情的に再稼動はできないと考える。また再稼動のステップについては、福島の事故をみるに立地自治体だけで判断できるものではなくなっている。
12時、休憩となるも議会運営委員会が開催され、出席する。議題は、人事案件(教育委員、公平委員、固定資産評価審査委員会、人権擁護委員)、追加議案(一般会計の1280万円の補正、議場のカメラ、子ども手当制度変更によるシステム変更。ガス供給条例の改正、原ガスの価格暴騰による価格改定)、政治と選挙の総合サイト「ザ選挙」への顔写真提供、議会改革に関する特別委員会の人事の4件。
議会改革に関する特別委員会について、私は第一部会に所属することとなった。
12時30分、会派室に戻り、「割烹おくい」(電話:0257-24-6486)の弁当で昼食をとりながら、原発反対派との公開意見交換会の実施を踏まえた台湾での活動について打ち合わせを行う。
また、午前中の私の一般質問をラジオでお聞きになった方々から電話やメールがあり、大久保の陣屋、蒸気機関車解体を知らなかった、との怒りの声であった。
13時から本会議が再開。2名の議員が一般質問を行った。
14時45分から15分間の休憩をとり、さらに2名の議員が一般質問。
17時5分に本会議が終了したので、事務所に戻り、急ぎのパソコンの修理を行う。物理的破損があまりにも酷く、ハードディスクのデータ復旧できない部分がでてしまったのが悔しい。交換用のIDE接続の大容量、新品ハードディスクも入手が難しいため、変換アダプターを使用してSATA接続にさせてもらった。
18時30分、地元町内にある 「韓国料理 大長今(テイチャングム)」にて意見交換会。好物のスンデ(豚の腸にもち米、春雨、香味野菜、そして豚の血液を入れた血のソーセージのようなもの)、チャプチェをつまみつつ、生ビールを飲む。
20時過ぎ、二次会は遠慮させてもらって自宅に戻り、家の雑務をこなす。甥っ子、姪っ子がお泊りにきたため、今夏最後の花火も楽しむ。
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原発反対は議員は給料泥棒を地でいっているのは、以前から税金泥棒だ、という感覚がなかったのかね。こういう市議会議員は柏崎市の恥さらし議員だね。やっぱり、このような市議会議員は品格に、欠点があるのだね。所詮は、●●●●サー議員だね。
投稿: ぺんぺん草 | 2011年9月10日 (土) 01時44分
>貴重なD51-1が解体の危機であると全国に情報発信するとともに、寄付を募り、柏崎の工業界に部品作成をお願いするというやり方もあったのではないか。
>現物にあわせた部品製作で、D51-1が復活すれば、それこそ柏崎の名も、柏崎の工業界の名も技術も広く知られたと思う。
なるほど、そういう方法もあったんですね!
現実的かつ夢あるアイディアに感心するとともに、今更ながらD51-1解体が惜しまれます。
それにしても、ここ数年でジワジワと柏崎の大切な歴史的・文化的遺産が失われているのですね。
発想力を駆使して、汗をかくことを厭わなければ、「残す」だけでなく「活かす」ことができるのだなと、三井田さんの質問や提案を通して感じました。
でもそれは結局、情熱や熱意があればこそ・・なのでしょうけど。
最後の質問については、「国が揺れて(ブレて)いるからこそ、柏崎市がイニシアチブをとりたい」という答弁が欲しかったと思います。
投稿: 紫 | 2011年9月11日 (日) 21時39分
ぺんぺん草さん、コメントありがとうございます。
見える部分で原発反対、廃炉と叫び、議場のなかでは、いわゆる原発財源に賛成している彼らですが、来年度予算にどう対応するか、見物だと思います。
投稿: 三井田孝欧 | 2011年9月12日 (月) 12時54分
紫さん、コメントありがとうございます。
結局のところ、歴史、先人の築いたものをどう継承し、次の世代にバトンタッチするかという保守の精神、郷土愛と熱意の問題かと思います。
「柏崎のトップなんだ。市民のために自ら判断する」という意識のなさに力が抜けた答弁であり、つい「それなら誰が市長でもいいじゃないか」と思ったほどでした。
投稿: 三井田孝欧 | 2011年9月12日 (月) 12時55分