東訪振興協議会:東日本大震災現地視察・支援活動1日目
なかなか作業が終わらず、4時から6時まで事務所にて仮眠。
7時、レンタルの10人乗りハイエースで市役所に移動し、地元の周辺5町内会で構成する東訪振興協議会の会長以下9名と合流し、一路、宮城県南三陸町に向かう。
今日から2日間、約1000キロの運転である。
寝不足のため、満腹になって眠くならないよう時間をあけながら、おにぎり2個(筋子、ビリ辛納豆)で朝食をとりつつ、運転。
9時50分、東北自動車道の安達太良サービスエリアにて休憩をとる。
サービスエリアの建物に入ると入り口近くに「復興応援ウルトラキャンペーン」の立て看板が目に入った。
これは9月23日から11月30日まで実施される、NEXCO東日本と円谷プロダクションがタイアップしたウルトラQRハイウェイラリーの立て看板である。東北自動車道20箇所のサービスエリア、パーキングエリアに設置されたウルトラマンPOPのQRコードを読み取ることで、ウルトラマンシリーズ・スペシャル待ち受け(全20種類)がもらえる。
休憩後も車を走らせ、三陸自動車道の鳴瀬奥松島本線料金所にて、柏崎市役所から発行してもらった「災害派遣従事車両証明書」を提出し、無料での通行となった。
13時30分、南三陸町に到着し、防災対策庁舎やお年寄りをはじめ77名の入院患者が犠牲となった公立志津川病院など、現地の被害の状況、チリ地震を受けての対策がどうであったのか等、東訪振興協議会のメンバーで視察を行う。
私自身は今回で4回目の訪問であるが、以前よりは瓦礫の撤去は進んでいるようであった。
14時30分、「大朝日」(電話:0226-46-5116)にて「かつ丼 750円」で遅めの昼食をとる。
食べながら、ご主人から被災した当日のことを色々とお聞きしたが、一番主張されていたのは津波が来るまでの間、一回逃げた人のなかで元気な人間が車やものを取りに家に戻りして、結局、津波に襲われ亡くなったという話。
「誤解されっけど、残らないでいい人が残って、元気な若いのが死んだのが残念だな」
の言葉が印象的であった。
食後、南三陸町の仮設庁舎やボランティアセンターを訪問。
ボランティアセンターのスタッフの話によれば、現在のボランティアは平日で100人を切り、瓦礫撤去の人手が不足しているという。お祭り騒ぎの意味でのボランティアが終わったのであろうか。まだまだボランティアの手がほしいとのことなので、自分自身もしくは周辺の人に声掛けをしたい。
17時、女川町に到着し、高台にある町立女川病院から視察。
こちらも前回訪れたときよりは瓦礫の撤去は進んでいるものの、倒壊した大きなビルをはじめとする建造物は未着手のものが多くあった。
住居について、従来の土地にもう一度同じ住宅を建てるのか、それとも代替地を山側に求めるのか、住民の選択も今後の課題である。
石巻市渡波区に移動し、18時過ぎ、「磯料理うおしん」(電話:0225-97-5885)にて、被災した地元住民の方5人をお迎えしての意見交換会を行う。
東日本大震災の被災地支援に行くことは多くあれど、酒を酌み交わしながらの深い意見交換は今回が初めてとなる。
大変聞きにくい事ではあったが、震災当日の模様、死との直面、震災から数日間の無法状態など美談では終わらない現実的なことを約3時間にわたってお聞きした。
ここで得た貴重な情報やそれを受けて我が柏崎市として反映考えるべきことを後日、東訪振興協議会でまとめて報告会を行うこととなる。
意見交換会終了後、仙台市まで移動し、22時30分、宿泊先である「アパヴィラホテル 仙台駅五橋」(電話:022-266-3111)に到着。東訪振興協議会の皆さんのチェックイン手続きをしたのち、車を駐車場に止めにいく。大きい車のため、屋外駐車場を探すしかなく、手間取る。
23時30分、ホテルの部屋に入り、持参してきたパソコンで急ぎの仕事を行う。
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