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2011年11月

2011年11月30日 (水)

第5回農政部会・農業委員会忘年会

 2時、就寝。

 7時に起床し、大粒納豆、魚肉ソーセージを入れた野菜炒め、ニンニク白菜漬けでご飯2杯の朝食をとる。

 8時過ぎから電話ラッシュとなり、午前中はその対応に追われる。

 12時30分、チーズフランスパン、ロースハム、低脂肪乳、グレープフルーツジュースで昼食。

 13時、事務所に来客があり、柏崎市役所に対する苦情をお受けした。平成23年12月8日に開会となる第6回定例会での委員会の場で当局に問い質したい。

Cimg1252 市役所に移動し、15時から農業委員会、第5回の農地部会に出席する。
 議案は、農地法第3条許可申請が8件、農地法第5条事業計画変更承認申請が4件、農地法第5条許可申請が13件、農地法第3条の許可を要する農地の買受適格証明願い、農業経営基盤強化促進事業に基づく農用地利用申請集積計画の決定(県公社売渡分、一般賃借権の新規と再設定計8件)ですべて可決。その他、報告事項として「農地の転用事実に関する照会に対する回答書の専決処分について」があった。
 納税課から公売にかけることについて若干の質疑があり、私自身もこれで良いのであろうかという印象を受けた。
 一筆ではなく、枝番地(○○-1、○○-2)がつくような農地の公売について、納税課としては少しでも高く売れるようにするのが正しいが、農業委員会としては、集積化や農業の効率化を考えるため、できれば枝番地で耕作している人に買ってもらう方が良い。つまり1枚の田んぼとして耕作してもらう方が良く、場合によっては売却価格を調整することも考えられる。組織としては違う目的があるため、即調整できることではないが、農業の生き残りのためには、取り組むべき課題である。
 農政部会は議題がないため、なし。

Nec_0002 終了後、マイクロバスでメトロポリタン松島に移動し、17時50分から農業委員会の忘年会となった。
 それぞれ各地区から農業委員の方が選出されており、その地区での昔の話などを聞くことができたので、あっという間にお開きの時間となった。

 21時過ぎから市内某店で二次会。

 22時30分に帰宅し、熱めの風呂に入る。

 23時過ぎから事務所にて事務仕事。

2011年11月29日 (火)

柏崎市議会総務常任委員と柏崎建設業協同組合との懇談会

 3時、就寝。

 7時に起床し、大粒納豆、目玉焼き、白菜漬け、らっきょ甘酢漬けでご飯2杯の朝食をとる。

 8時過ぎから自転車で農業委員会の農地パトロールと農業者年金加入推進活動で担当地区の松波、荒浜、高浜地区をまわる。
 途中、某郵便局において同級生の親御さんにお会いし、TPPや国政の駄目さ加減について意見交換。

Cimg1251 買い物などをしたのち、13時、自宅に戻り、お気に入りの冷凍食品であるニッスイ「わが家の麺自慢 ちゃんぽん」とご飯で昼食をとる。
 ちゃんぽんを作る際にはスープを水で割らずに、低脂肪乳を入れたため、濃厚なスープとなり、麺を食べきったあとにご飯を投入し、レンゲで食べると美味である。完全な炭水化物摂りすぎの男めし。

Nec_0002 事務所で農業委員会の記録をつけたのち、柏崎市産業文化会館に移動し、15時から柏崎市議会総務常任委員と柏崎建設業協同組合(11社参加)との懇談会に出席。
 柏崎建設業協同組合は、昭和42年に34社で発足し、昭和59年がピークで59社、現在は53社が加盟している。
 テーマは「建設業界における現状について」であり、自己紹介、理事からの説明ののち、意見交換となった。

<説明>
・2009年平均の全就業者に占める建設業就業者の割合は北陸地方は9.5%で全国第一位。第二位は、東北地方で9.3%。
・住宅系は大手業者が入り、地元業者が受注できる機会が減っている。
・平成23年6月6日に柏崎市に要望
1)柏崎市単独発注の建設工事について、早期の発注
2)発注についての地元企業(柏崎市に本社を有する)への発注
3)同様に、柏崎建設業協同組合の会員企業への発注
4)健全な企業努力や営業努力を反映するため、指名競争入札の実施
・先の要望への回答もあったが、さらに平成23年10月6日に要望を行った。
1)地域に貢献する産業界であり、公共工事の大幅の増加。
2)入札制度に関する事項として検討を願う。
 a)制限付一般競争入札から指名競争入札への変更
 b)建設工事のランク(金額)の見直し
3)発注にあっては、公共施設の維持、災害、除雪等、緊急時に対応できる、地元企業(柏崎市に本社を有する)の優先
・地元企業で十分施工できる公共工事はできるだけ地元に発注してもらいたい。災害対応などだけ地元業者にくる。柏崎市が発注している仕事については、ある程度、その方向になった。しかし、新潟県や国がこの地域では発注するものについては、新潟県内に本社があれば良いとなっているので、地元が工事現場でも市外業者が入っている(事例:柏崎駅前周辺開発工事)。他の官庁にも働きかけをお願いしたい。
・入札の関係をチェックしているが、Cクラスは1社で入札している事例があり、これまで1社では入札しないといったが、一貫性がない。当局に問いかけると、他市の事例を引き合いに出される。新潟県は指名発注になっている。

<除雪について>
・除雪に関わる業者が激減しており、平成17年に5351名がいた作業者が、平成23年には3000名以下になっている。
・市民の生活を守る意味でも地元の業者がなければ除雪や地震などの災害対応もできない。雇用の維持が難しい現状もある。

 意見交換の場では、次のように話をさせてもらった。

・入札に関しては平成19年までは事業所が柏崎市にない場合でも競争入札に入れるということで議会でも問題になった。
・現在、議会においては当局はほぼ地元発注している答弁している。
・今の柏崎市の公共工事については、設計と施工を切り離しており、それは柏崎市職員の技術職が設計はもとより、
査定が難しいということと業者との癒着の不祥事による。不祥事を無くそうということから、結果的に設計委託料など余計な金を税金からだしている。透明性を高めるには良いであろうが、本来の目的は「柏崎市民の幸せ」であって、今回のような契約のあり方は見直すべきだと思っている。設計、施工の一括込みで安く、安全に作れるならそれが最良。地元業者で多少背伸びしなければならない案件でも、地元業者の技術向上のためには発注することも大切かと思う。
・公共事業の重要性はもちろんのことであり、政治力の問題と原子力発電所があるがゆえの安全対策(賛成・反対は別として)を生かしていないこともある。東日本大震災を経験したからこそ、国から原子力発電所に対する安全対策の工事(道路、防潮壁等)を行うよう働きかけ、パイを増やすこともすべきであって、政治側の課題でもある。

Nec_0003 17時から会費持ち寄りで「レストラン サンブン」(電話:0257-24-7662)にて、懇談会。
 机を挟んでの意見交換では言いづらいような意見も活発に飛び交い、特に現政権の無駄遣いの話は盛り上がった。
 野田政権は、デフレ、景気対策としての公共事業発注よりも海外でいい格好するための政策が多く、

韓国へ5.3兆円
中国へ4.3兆円
ASEANへ2兆円

と海外へのばらまきを日本国民の合意もなく行っている。まさに売国奴。

Nec_0004 19時過ぎ、中締めとなり、某店に行き、二次会となる。
 2011年モンドセレクション金賞を受賞した、鹿児島県・西酒造の薩摩芋焼酎「天使の誘惑」を水割りで飲む。40度もあるため、ウイスキー感覚。
 柏崎の未来を見越した都市政策を熱く議論し合う。

 21時、帰宅。熱めの風呂に入って酔いを覚ましてから、事務所にて、資料の読み込みを行う。

2011年11月28日 (月)

平成23年第6回定例会一般質問通告
「ウルトラマンゼロ外伝 キラー ザ ビートスター STAGE I」

 3時過ぎ、就寝。

 7時に起床し、大粒納豆、粗挽きウインナー、めかぶでご飯2杯の朝食をとる。

 8時過ぎから電話ラッシュとなり、一般質問の通告を行ったのち、資料の送付や調査などを午前中いっぱい行う。

 12時、冷凍うどん2玉を茹で、しゃぶしゃぶ用のごまダレとひきわり納豆、カシューナッツを砕いたものをかけた胡麻納豆うどんで昼食。

 13時から事務所や市内某所での打ち合わせ2件。

 16時、事務所に戻り、次の議会改革に関する特別委員会の第一部会で審議する「議員倫理条例案」について、先行している他の議会との比較などを行う。

Cimg1249 18時、お土産としてもらった竜王ふなずし工房「鮒寿し」、小粒納豆、ご飯、ビール500ml1本、山梨のNさんから頂戴した蒼龍葡萄酒 「甲州ワイン」で夕食をとる。
 久しぶりの鮒寿司に嬉しくなり、ビールでまず2切れ、甲州ワインで5切れ、最後は昆布一切れ、刻みネギとともにご飯にのせて、ちょっと醤油をたらした鮒寿司茶漬けでしめた。発酵食品だらけの食事である。

 食後、発売されたばかりのウルトラマン新作「ウルトラマンゼロ外伝 キラー ザ ビートスター STAGE I」 を見る。
 良いところで終わり、ゾフィー、ウルトラマン、ウルトラセブンの出番は次回のSTAGE II。
 来年の新作映画「ウルトラマンサーガ」では、DAIGOやAKB48が出演する。
 

 平成23年12月8日から開会となる柏崎市議会平成23年第6回定例会の一般質問について、いつも通りに一問一答形式にて、以下のように通告した。
 来年2月には結審するであろう旧柏崎トルコ文化村の裁判や鉄道活性化、雇用問題など、今回も質問したいことがあり過ぎ、選ぶのが大変であった。

 登壇は、平成23年12月12日(月)15時20分過ぎあたりとなる。


1.核兵器廃絶平和推進事業について、これまでの事業評価と今後の取り組みについて問う。
→市長

(要旨)
 核兵器廃絶平和都市宣言に基づく、核兵器廃絶平和推進事業として市民及び中学生を対象にした被爆者体験者講演会、原爆写真展を行っているが、世界の核兵器の情勢や現実的な日本への脅威については本事業で取り組みがなされていないと思われる。
あらためて、これまでの事業評価と今後の取り組みについて問う。

2.東日本大震災に関するがれきの受け入れについて
→市長

(要旨)
 すでに東京都や山形県の一部など自治体として、東日本大震災によるがれきの受け入れを実行している。中越沖地震における当市のがれき等を他市が受け入れてくれた事もあり、協力すべきであると考えるが、課題を含め市長の考えを問う。

3.東日本大震災に鑑みた小中学校における生徒避難の課題について
→教育委員長

(要旨)
 災害はいつ来るか分からず、東日本大震災に鑑みれば、学校現場での被災については教職員の判断、日頃の避難訓練、生徒の意識づけなどが重要であったことが分かる。
 当市においても、あらためて災害別の避難の課題を調査、検討すべきと思うが、その方針を問う。
 
4.総合的な地産地消に基づいた教育、生ゴミリサイクルへの取り組みについて、柏崎市の方向性を問う。
→市長、教育委員長、教育長

(要旨)
 地産地消の考え方が広く認知されているが、食べ物の流通という面が主になっており、食品を元とする生ゴミ等のリサイクルを含めた本来の地産地消の考え方に立ち返るべきである。
 教育においても、地場産の食材を食べるということだけではなく、給食をはじめ普段の食事においても食べ残しやリサイクルを意識し、「もったいない」気持ちを持つことが涵養と思われる。「3・3・3運動」と合わせて、教育現場での実態、取り組みについて問う(方針等については教育委員長、現場の実態については教育長)。
 また、柏崎市のごみ減容化、地産地消を進めるためにも同様の考え方は必要であり、生ゴミリサイクルの取り組みについて、市長の考えを問う。

2011年11月27日 (日)

平成23年度救急法基礎講習・救急員養成講習会1日目

 3時、就寝。

 7時に起床、大粒納豆と生卵でご飯2杯をかっこんだのち、上越市に向かって移動する。
 途中、「マクドナルド 8号線柏崎店」(電話:0257-20-4441)で昼食用に「ソーセージマフィン 100円」を2個購入。

Cimg1230 8時40分に上越市市民プラザに到着し、9時から平成23年度救急法基礎講習・救急員養成講習会に参加する。
 これまで何回も講習会の機会はあったが、途中でスケジュールが変わったり、全日程の参加ができなくなったりしたため、今回の上越支部の開催日程が何とか都合がついた感じである。

Cimg1233_2 ちなみに、新潟県の赤十字独自の事業として、昭和48年から小学1年生への黄色い交通安全帽の交付。ピーク時には県内4万人の新入生に配ったが、現在は少子化により約2万人とのこと。
 自分でも黄色い帽子をかぶっていた覚えがあるものの、新潟県独自の事業とは知らなかった。

Cimg1231 今回の救急法基礎講習から5年に1回見直す救急法が今年12月1日に変更となることから、新しい救急法での第1期目の研修となる。
 これまでは気道確保(A)から人工呼吸(B)、胸骨圧迫(C)という流れであったが、今回からは呼吸がないことを確認した段階でいきなり胸骨圧迫(C)に入り、気道確保(A)し、人工呼吸(B)という流れとなった。
 午前中は、一次救命処置(BLS:Basic Life Support)の座学と実技・心肺蘇生(CPR:Cardio Pulmonary Resuscitation)。

Cimg1232 12時過ぎ、休憩となったので、朝買ったソーセージマフィン2個と低脂肪乳、グレープフルーツジュースで昼食をとる。
 ソーセージマフィンは温かい方が美味しいのであろうが、ほとんど噛まないような食べ方になってしまうので、冷えた方が食べ応えもあり、好みである。しかも、冷えているとかなり塩分が強いことも分かる。

 13時から再開。午前中のBLSの続きとなり、AED使用の実技から入った。

 実技試験はパスし、13時50分から筆記試験。
 結果、無事に赤十字救急法基礎講習受講証と3年間有効の赤十字救急法基礎講習終了者認定証をもらった。

Cimg1234

 休憩をしたのち、14時20分から救急員養成講習会。
 2時間ほど座学を行ったのち、三角巾を使った実習を行う。布をたたむといった行為が苦手なため、手間取ってしまった。

 17時過ぎに終了となり、帰路につく。

Nec_0001 18時、帰宅し、冷凍しておいた地物の岩牡蠣をフライにしたもの、牛蒡と人参の胡麻マヨネーズサラダ、小粒納豆、白菜ニンニク漬けでご飯2杯の夕食をとる。
 白菜ニンニク漬けには、たっぷりのおろしニンニクはもとより、すり下ろした林檎、刻んだ昆布、小エビの塩辛、鷹の爪などを投入し、ご飯と小粒納豆を巻いて食べると絶品である。

 19時から市内某所にて意見交換。

 21時過ぎ、どうしても話したいことがあるとのことで、市内某スナックに行き、市政に関する苦情をお聞きする。

 買い物をしてから帰宅し、風呂に入ったあと、事務所にて事務仕事。

2011年11月26日 (土)

老舗ホテルの立て直し、前経営陣が再取得
TBS「報道特集」東電学園

 書庫での資料探しがなかなか終わらず、深夜にごそごそと動き、やっと4時に就寝する。

 8時に起床し、大粒納豆、目玉焼き、めかぶでご飯2杯の朝食をとる。

 10時から市内某所で現場確認。

Nec_0001_2 11時30分、先日結婚披露パーティを都内で行った山梨のNさんご夫婦が柏崎にドライブでお越しになったため、12時から「ささ川」(電話:0257-23-2702)にて昼食を一緒にとる。
 柏崎らしいもずくと、こちらも新潟らしいかきのもとの酢の物をはじめ、百合根と里芋の炊き合わせ、刺身などを味わってもらった。

 14時から市内某所にて打ち合わせ。

 16時過ぎ、事務所に戻り、一般質問の項目などについて再検討を行う。

 18時、先日、東電学園について取材があったTBS「報道特集」が放映され、苦情、激励なのか独り言なのか分からないメールや電話が相次いだ。
 番組の主体は、東電学園高等部27期で福島第一原子力発電所に勤務されていたK氏を追う内容で、

告白 私が東電を辞めたワケ…予見されていた炉心溶融
 “電力マンの虎の穴”と呼ばれる学園から叩き上げ、福島原発で働いてきた技術者が東京電力を辞めた。彼が現役時代目撃した事故とは?そして今彼が目指すのは? 」

というテーマであった。
 私自身の出番は少なかったが、番組の終わりの頃に東電学園OBの言葉として以下のように紹介された。

 「(30年以上はかかる放射性廃棄物の処分や技術開発のために)いまこそ、人材確保のために東電学園のような教育機関が必要ではないか」

Cimg1229 19時、スーパーで半額になっていたチラシ寿司、鯖の味噌煮缶詰、ツナサラダ、ひきわり納豆汁で夕食をとる。
 野菜をたっぷり食べようと生野菜を刻み、クルトンとツナ缶をのせ、シーザーサラダドレッシングをかけて食べたものの、一気に体が冷えてしまい、ひきわり納豆汁を2杯飲むことになった。

 21時過ぎ、市内某所での某集まりの二次会から顔をださせてもらう。

 23時、帰宅。

Nec_0003 老舗のホテルが倒産し、大きな会社が買収して再建に力を注ぐということは多くあり、再建した後は、買い取った企業が運営していくのが一般的である。
 新聞を整理していたところ、珍しいことに、再建したホテルを前の経営者が再び取得して再出発をしたという記事があった。 宮城県の鳴子温泉郷の老舗「鳴子ホテル」の事例である。
 きっと再建のためのかなりのドラマがあったのであろう。是非、一度訪れてみたい。


平成23年11月4日『日経流通新聞』

「立て直し成功」
鳴子ホテル売却
オリックス不動産

【仙台】オリックス不動産は、鳴子温泉郷(宮城県大崎市)の老舗ホテル「鳴子ホテル」の営業権とホテル資産を前経営陣に売却したと発表した。売却額は非公開。ホテルは2006年から同社の支援を受け、経営立て直しに取り組んできた。「前経営陣による再取得は珍しく、再生の成功例」(同社)という。
 
同ホテルは創業約140年。数十億円の負債を抱えて、06年にオリックス不動産に営業権やホテル資産を譲渡した。前経営陣はホテル運営会社を設立し、客室・大浴場の改装や、営業手法の見直しなどで再生に力を注いできた

2011年11月25日 (金)

ThinkPadはこうして生まれた

 1時、帰宅。熱めの風呂に入り、酔いを覚ましたあと、4時まで事務所にて事務仕事を行う。

 4時間ほど事務所で仮眠したのち、大粒納豆、鮭の塩焼き、車麩の煮付けでご飯2杯の朝食をとる。

 9時から市内某ホテルにて、取材を受ける。

 11時、市内某所にて、打ち合わせ。

 13時、会派室にて、お総菜パン2個(まるごとソーセージ、大きなコロッケパン)、低脂肪乳で昼食をとりながら、資料の整理を行う。

 15時、事務所に戻ったところで来客。

 18時から市内某所にて意見交換会に出席する。

 22時過ぎ、自宅に戻り、今日の意見交換会の議事メモを作成し、関係者にFAXで送信。

Cimg1225 23時40分、乾麺のとろろ蕎麦を茹で、さつま芋の天ぷら、かき揚げ、生卵、干し納豆と煮干しでダシをとったつゆをかけた、天玉そばで夕食をとる。
 さつま芋の天ぷらは総菜というよりは、おやつという感じがあり、あまり好きな方ではないが、多少しょっぱめの蕎麦つゆに浸ったものは別である。

Cimg1226 今日の意見交換会の際、

「会議をしながら議事メモをとる秘訣」

を聞かれた。話を整理して要約できる能力を養うことが基本であり、さらに私の場合にはツールの選択が重要で、普段はデジタルメモ「ポメラ」DM10、ノートパソコンの場合は必ずIBM(現在はLenovo)のThinkPadが相棒である。
 ThinkPadとのつきあいは、OS/2 WarpやWindows 3.1時代のThinkPad 365Xから始まり、チャンドラ2のThinkPad 235、ThinkPad 240、ThinkPad s30、ThinkPad X31、ThinkPad X32、ThinkPad X41、そしてThinkPad X60s、ThinkPad X61ときている。

*消耗品であるバッテリーと回転体であるCPUファン、HDDだけは定期的な交換にコストがかかる。

 いまでも2005年に発売されたThinkPad X41や2003年に発売されたThinkPad X31をWindows XPにてメインとして愛用しており、適宜、パワーアップやメンテナンスをしているので、トラブル知らずである。

Cimg1228 ThinkPadは、堅牢性に加え、保守マニュアルの公開、キーボードのタッチ感、トラックポイント(赤いポッチ)が私にとっての魅力となっている。

*ThinkPadのデザインが参考としたのは松花堂弁当

 そんなThinkPadの誕生秘話がまとめられた本、内藤在正著『ThinkPadはこうして生まれた』が出版され、ThinkPad愛用者として、早速購入して読んでみた。
 技術論(世界初のバタフライキーボードのThinkPad 701C)はもとより、マネジメント、エンジニアの仕事に対する熱意を伝える内容で、非常にすっきりした読後感の本であった。

 ThinkPadは日本の大和研究所で開発されており、

「成果は、時間で測られるものではなく、『質』で測られるべきものなのです。私たちは、その為にPCに何が出来るのかを、常に考えてきました。」

 「ユーザーのプロダクティビティやクリエイティビリティを高めることに貢献する、そうしたモバイルPCこそが究極のThinkPad」

といった明確な目標、日本のエンジニアに対するエールなど、ThinkPadの本という狭い視野ではなく、モノ作りの啓蒙、ビジネス書としても面白い本である。

*個人的にはチャンドラ2についても書いてほしかった。

 ちなみに私が愛用してやまないThinkPad XシリーズのXの意味は、 eXtra-light,eXtra-small ultraportableの意味とのこと。

2011年11月24日 (木)

議会改革に関する特別委員会第一部会
第4回検討会:行政職員への圧力記録等

 シャワーを浴びたのち3時過ぎ、就寝。

 8時に起床し、大粒納豆、目玉焼き、粗挽きウインナーでご飯2杯の朝食をとる。

 身支度をしたのち、9時30分、市役所に移動。

Cimg1223 前回の部会と同じく、委員が来るまでに私物のプロジェクターなどを設置し、会議の環境を作る。
 10時から部会長を務める、議会改革に関する特別委員会第一部会に出席。今回は、(仮称)議員倫理条例の骨格を大まかに決めるということが議題である。
 議論の内容は以下の通り。

1.前回までの決定事項の確認
・企画部会に出席、承認を求め、特別委員長名で市長部局に政治倫理規定にするか否かを問いかける。期限を12月定例会前とする。
・市長を含めて政治倫理として条例案を各自、検討、考えてをまとめてくる。
・事務局にて、条例案の対比表、市三役の処遇に関する組織を調査し、各委員に資料として配布。

2.報告事項
(1) 予算要求、市長部局への問いかけについて
11月18日の企画部会に部会長の出席が求められなかったため、次回の企画部会(12月2日)においては三井田が出席し、市長部局への問いかけについて企画部会の承認をもらう。
 予算要求については、議会運営委員会において最終的に議論され、視察費要求を削減し、研修会の実施を追加する方向となった。

(2)調査資料の説明:議会事務局
  市三役の処遇に関する現在の柏崎市の関連条例等について
・職員の倫理の保持に関する条例
・職員の倫理の保持に関する条例施行規則
・柏崎市情報公開・個人情報保護審査会条例
・柏崎市情報公開・個人情報保護審査会条例施行規則
・柏崎市男女共同参画推進条例
・柏崎市男女共同参画推進条例施行規則
・柏崎市コンプライアンス推進委員会設置要綱

現在の法体系では、市長、副市長の処遇を自体を規定するものはない。

3.協議事項
(1)次回定例会までの日程・議論のスピードと範囲
・12月定例会までに本部会を最低2回実施する。
・12月定例会中の本委員会にたたき台もしくは方向性を示す。

S:細かい文言までの時間はないため、条例の構成を考える段階でいいのではないか。特別委員会の本委員会が12月13日のため、目途にしてはどうか。
I:12月13日の特別委員会では部会長からの途中報告などを想定している。
S:条例としての構成をそこで報告するということで良いのではないか。
三井田:構成とその条例の大まかな目的を1行程度説明するような資料をしたい。
Y:全体像を示すことは必要。

(2)政治倫理規定の構成について

S:目的、議員と市民の責務までは大まかに一緒であるが、議員と市民の役割は別立ての方が良いのではないか。
M:市民の役割については、真貝案の取り入れが良いのではないか。
三井田:私の方の案では、議員に説明を求めることは選挙を意識しての一文で入れた。

(第1条)目的
  本条例の目的を、前文を受け、規定する。
(第2条)議員の責務
  柏崎市議会議員の責務について規定する。
(第3条)市民の役割
 市民は,主権者として公共の利益を図る自覚を持ち,市長等及び議員に対し,その権限又は地位による影響力を不正に行使させるような働きかけをしてはならない。
(第4条)政治倫理基準
・主に行政、民間会社への地位の利用の制限
・社会通念上、好ましくない事項の禁止

M:細かい文言はあとになるであろうが、「疑惑をもたれたとき」という文言はとらえ方が難しいので、表現に気をつけてほしい。
S:倫理規定や自治法にひっかかるという事実が認められうる場合を想定している。自らの説明を求める意味もある。
M:噂や憶測は困る。

(第5条)議員の依頼等に対する記録
 行政に議員が働きかけを行った場合の記録の保持

I:議員の依頼等に対する記録については、独立した条項にした理由は何か。
三井田:私の案では議員による圧力といったものを排除するのが基本。すでに行政側で相談シートやメモ等の記録をつけているので、その記録の保持を確認する意味であり、政治倫理審査会でも資料提供させるということを想定している。
事務局:各課によって、どの程度の相談で記録を残すのか不明な点もあるので、調査し、別途報告する。

(第6条)就業等の報告義務
 議員が行政から仕事を受けることがないよう

S:補助金を受ける法人というと町内会長やコミュニティセンター組織も対象になる。
M:無償で、なり手がなく、町内会長や体育協会の役員等を議員が受けている事例もある。
S:他市の事例では、議員が町内会長をやり、その連合自治会(町内会長全体会)の会長になって問題になったこともある。市への予算折衝する町内会長会の代表が議員というのはまずい。
I:「我田引水」になるような団体の長はまずいのではないか。
Y:個々の判断によりグレーゾーンになる場合もでてくる。
三井田:議論が分かれるところなので、私の案ではまずは報告だけを求めるようにし、価値判断までは言及しなかった。
S:少なくとも指定管理者になるようなものは完全にアウト。町内会よっては、市から公園の委託業務を受けている場合もあるので、町内会長も注意が必要になる。
I:町内会長は市政協力費という手当があるのでまずいのではないか。
M:町内会によって、手当がそのまま町内会長の収入になる場合かどうか違う。
I:地元の名士のような感覚で町内会長になるようなら、全市発想になれない議員になるのではないか。
Y:一般市民の感覚では、二重取りに見える。町内会長になるのではなく、顧問ぐらいなら分かるが、議員報酬と町内会長の市政協力費という収入の二重取りはすべきではない。
I:イメージは分かった。
S:議案の採決に関する退席条項もあり、議員としての予算要望、審査、議決はするが、同時に町内会としての予算要望をするのはおかしい。
I:ここをしっかりするかどうかが倫理条例では大きい。
三井田:個人的には即はっきりしたいが、本条例制定のスピードを考えるとまずは任期中、随時の報告義務を取り決めたい。
M:町内会の建物を作る、修繕するための補助金を市に請求するのは問題だが、市政協力費について違和感はない、
S:地元から要求をあげて下さいという市当局もあり、そこに町内会長を兼ねた議員がいくのはまずいのではないか。お手盛りになる。
M:町内会長のなり手がいない実態もある。
S:それは町内会長の負担が大きいこともある。行政から投げられる仕事も多い。しかし、地元が反映するには議員以外の人が町内会長をすべきだ。
I:業者や議員の影響力の排除をするのは目的なので、制限する必要はある。

(第7条)請負契約等の辞退
(第8条)請負契約等の締結等

S:三井田案もそうだが、福岡県大牟田市は厳しい条例を決めて、請負を禁止しており、配偶者や子など一親等の請負も制限している。
I:政治家になる段階で周辺を整理すべき。
三井田:ある程度は必要だと思う。
S:きちんとした法人なら整理がつくはず。
I:議論は必要なので、別立てで必要な条文。
S:「災害等により緊急を要するとき,又は関係企業の除外により行政執行に著しい支障を生ずるときは」は実態を勘案し、残してもらいたい。

(第9条)市民の審査請求
 市民からの審査請求により、政治倫理審査会を開くことの規定

Y:市民からの請求については、証拠をそえるということが大切ではないか。
三井田:本人が証拠だと思っても、思い込みである可能性もあるため、私の案では複数での請求を想定した。請願で紹介議員が複数必要であることと同じ発想。
S:証拠というか事実関係を証明するのは請求側にあろうと思う。何人かが「そうだよな」ということが必要ではないか。
K:福島県会津若松市は4名の有権者の同意、群馬県大田原市は有権者の50分の1か議員4人の同意が必要。
S:京都府京丹後市は有権者の1%であり、ハードルが高すぎると議論の最中。
I:ハードルが低すぎても駄目。
S:市民の知る権利はあろうが、同意者最低10人は必要ではないか。
Y:のちほど詳しく議論したい。
I:10人ぐらいが適当ではないか。
I:誰が見ても同じ事象に見える前提・証拠が必要であり、そこから議論が必要。
S:市長の立場になると政敵もいるであろうが、市民に開かれた議会のためにはハードルは高すぎない方がよく、疑いをもたれないようにするのが基本。
M:議員だけの話なら議会運営委員会もあるので、ハードルは低くても良く、10人でもいいのでは。
三井田:取り急ぎの説明文には複数人数と記載したい。

(第10条)政治倫理審査会の設置
(第11条)政治倫理審査会の職務
(第12条)調査・審査への協力及び義務

Y:被請求議員等の義務を三井田案で別立てした理由は
三井田:体系のなかで、被請求議員の弁明の場を提供することと出席の義務を示したかった。
S:調査・審査への協力に被請求議員の義務も織り込むことで良いか。
K:三重県鈴鹿市の事例では、被請求議員が審査会を拒否した場合は、議長への報告義務を課している。
三井田:調査・審査への協力については、行政をはじめ関係機関協力、被請求議員の義務を規定する。
M:三井田案の審査会の審査員の任期は審査終了までとあるが、真貝案も同じで良いか。
I:審査会の役割について、審査会が常設ではないため、一報を入れる先は議長で良いのか。
三井田:私のイメージでは、議長に申し入れ等があり、議会運営委員会を開催、そして審査会の設置という流れ。
I:常設でも良いが、審査会の長を議長にしておけば良いのではないか。
S:私の案は市長も含めてあるので、任期2年で常設を想定している。常設の方が良いのではないか。
I:あくまでの議会内に作るということで良いのか。
三井田:私のイメージでは第3者の学識経験者も入れるように想定している。
Y:ことの内容によっては、第3者の意見が必要になる。第3者を入れる仕組みは必要。
I:議員がやったことを他の議員が審査するというやり方で良いのかということもある。
三井田:どっちにしても議会運営委員会で扱うので、議会運営委員会で審査会の設置を決めた段階で外部審査員の選定をするのはどうか。
M:市長を含めるかどうかでまったく違ってくる。
S:他の地区のことをもっと研究したい。外部審査は必要であり、法的解釈など専門家を聞く場は必要。
I:大枠は第三者を入れるかたちで良いと思う。

<職務関連犯罪による逮捕後の説明会について>
(第*条)職務関連犯罪による逮捕後の説明会
(第*条)職務関連犯罪による起訴後の説明会
(第*条)職務関連犯罪の有罪判決後の説明会
(第*条)職務関連犯罪の有罪確定後の措置

S:起訴後の細かいことを決める事が良いのかどうか議論がある。そもそもこういった事が起こらないようにするのが、議会のあり方ではないか。
Y:職員のように議員をやめさせることはできないので、決めた方が良いのではないか。
S:辞職勧告は議会でできるが、辞めさせることはできない。
I:刑が確定するまでは、人権の関係で踏み込めないのではないか。
S:職に踏みとどまろうとするなら説明は必要。
三井田:説明会を要求しているのに応じない場合も想定して私の案では入れさせてもらった。
S:第一部会では制定すべきと思うが、議論の余地があるため、本委員会で問いかけてもらいたい。
I:人権の尊重もあるので、制定するなら分割して細かく決めるべき。

→ 問いかけ文書は三井田で作成。12月13日の本委員会で全議員に配布。

(第13条)審査結果の公表
(第14条)議会の措置

三井田:こちらの案でまずは仮に作成したい。

S:前文の設置についてはどうか。
三井田:あった方が良いと思う。
Y:以下の通りの案を作成してきた。

 柏崎市議会が目指している市民参加と開かれた議会を礎とした新たな議会づくりは、議員に対する市民の揺るぎない信頼があって初めて実現できるものである。
 柏崎市議会議員は、市民から正当に選挙された者として、すべての市民の包括的な利益を最優先としなければならない。
 そのためには、議員は公職者としての高い倫理観と深い見識により、自ら考える明確な政治倫理基準に基づき、誇りと自信をもって市政を担いつつ、説明責任を果たしていくことが必要である。
 ここに、議員と市民との信頼関係を築く基盤としてこの条例を制定する。

*全員に諮って、前文の設置を全会一致で決定。

三井田:前文を作成するということで合意したので、中身に入りたい。私としては「新たな議会づくり」という文言がタイムリーな感じがして違和感がある。
S:決意なのでこれで良いのではないか。
I:市民に対しての決意は決意でいい。ただ、これまでの議会も改革を繰り返してきているので、普遍的な条例にする意味で「新たな議会づくり」は削ってもいいのではないか。

*諮った結果、以下の通り修正をし、前文を決定。

 柏崎市議会が目指している市民参加と開かれた議会は、議員に対する市民の揺るぎない信頼があって初めて実現できるものである。
 柏崎市議会議員は、市民から正当に選挙された者として、すべての市民の包括的な利益を最優先としなければならない。
 そのためには、議員は公職者としての高い倫理観と深い見識により、自ら考える明確な政治倫理基準に基づき、誇りと自信をもって市政を担いつつ、説明責任を果たしていくことが必要である。
 ここに、議員と市民との信頼関係を築く基盤としてこの条例を制定する。

4.次回開催
 平成23年12月5日(月)10時から

「今回の議論で作成した条例案」(pdf形式)

 12時に終了し、14時まで会派室にて資料作成を行う。

 14時過ぎ、自宅に戻り、カップラーメンの日清「太麺堂々 醤油豚骨」 とご飯、イカ塩辛で昼食をとる。太麺のカップラーメンは思った以上の出来で驚いた。

 16時、18時と事務所に来客。

Cimg1224 19時30分過ぎ、市内某社の会議室に移動し、柏崎青年会議所の次年度2012年に所属する環境エネルギー委員会の第5回委員会に出席する。
 議題は、基本方針や来年4月の公開例会、そして平成24年4月22日(日)に予定しているビーチクリーンの人集めについて、前回と同様にその手法などを話し合う。

Nec_0003 22時過ぎに委員会が終了し、その後「船栄 柏崎店」(電話:0257-22-0288)に移動して、懇親会。
 生ビール2杯ののち、熱燗(越の誉、銀の翼、辛口景虎)を飲み、韓国料理の「カムジャタン」をつつく。ジャガイモと豚の背骨を煮込んだ鍋で、辛さもあり、体が温まった。

2011年11月23日 (水)

山岡荘八の隠れた名著『御盾』

 事務所にて酔っていてもできる仕事をやったのち、3時過ぎに就寝。

 8時に起床し、大粒納豆、塩鯖焼き、めかぶでご飯2杯の朝食をとる。

 9時から11時過ぎまで某マスコミからの取材を受ける。

 12時30分、乾麺のとろろ蕎麦を茹で、レトルトカレー「ビーフカレーLEE 辛さX20倍」、ひきわり納豆をかけた納豆カレー蕎麦で昼食。

 13時、甥っ子、姪っ子が来たため、事務所で「学校の怪談」シリーズを見せつつ、横で御礼状などの手紙や資料作成を行う。

 16時、事務所に来客があり、できたばかりの資料を紙でお渡しする。

 18時から市内某所での意見交換会に出席。主たるテーマは政治ではなかったが、最後は結局、来年の市長選挙の話になってしまった。

Cimg1221 スーパーで買い物をしたのち、22時に帰宅。買ってきたシメ鯖、半額になっていた「ひじきと海草のカップサラダ」、小粒納豆、温泉卵、ご飯で夕食をとる。
 「ひじきと海草」のサラダとあるが、ひじきも海草であるため、何でこんな表記なのかと気になってしまった。

Cimg1166 我が新潟県魚沼市(旧・小出町)出身の小説家・山岡荘八が戦後に書いた戦記ものの名著と言えば、『小説太平洋戦争』が挙げられることが多い。
 戦前にも多くの作品があり、とりわけ昭和18年から『キング 改題 富士』に連載され、昭和19年に講談社から単行本が発売された『御盾』3部作「兵学校の巻」「猛訓練の巻」「黎明の巻」は文庫化を望む声もある。
 現在、この『御盾』3部作は『山岡荘八全集』にも収録されておらず、通読できるのは昭和48年に講談社から発行された『大衆文学大系28』のみ。

Cimg1227 今回やっと講談社『大衆文学大系28』を入手することができた。今後じっくりと時間をかけて読んでみたい。
 先日、本ブログで紹介した『キング 改題 富士』昭和18年10月号にも『御盾』が掲載されていたので 、歴史的仮名遣いを現代仮名遣いにし、以下に一部を引用する。


御盾(みたて)

 山岡荘八

(前号まで)
 軍縮会議でいためつけられた矢先の日本に突如降って湧いたあの関東大震災!
 アメリカは比律賓(フィリッピン)にいた駆逐艦をいち早く救援に向わせて、流石に人類愛の国と日本国民から感謝されたが、実は密かに屍の漂う東京湾に鉛錘を垂れて測量をするという抜目なさであった。
 一方ワシントンに在って米国の国情を探るに熱心な八田少佐は、海軍委員の姪から慕われ、彼女の何気ない話から、第二の 華府条約を企図している米国の魂胆を看破する。

排日法通過!

 大震災を契機としてわが国民のアメリカ依存は急速にその度を増した。
 ロシア汽船のレーニン号も、9月13日には罹災民救助のためと称し、いち早く横浜にやって来たが、この方はすぐに退去を命じられたのに、アメリカの野望は、ことごとく善良な感謝と歓呼に迎えられた。
 一方が、露骨な思想攻勢を予感させるのにひかえて、一方は、どこまでも美しい、人道主義、文化主義のベールをつけていたからであろうか?
 原因はしかし、決してそれだけではなかった。アメリカに依存することに依って発展しようとする、日本経済の利欲性のためであった。
 その証拠に、翌13年の春の議会で、排日法案がアメリカ下院を通過すると経済界以外の日本の与論は、愕然として険悪さを加えていった。
 日露戦争直後から、折にふれてはわが同胞を侮蔑して来たアメリカであった。大正2年には土地の所有を禁止し、大正9年には粒粒辛苦、ようやく耕地にした借地権を剥奪して、労働者としてより他に、如何なる方法でも農業に従事し得ない立場にまで蹴落としていた。それが更に、労働者としても、絶対に入国できない法律を、国家の名において可決しようというのである。
 しかもその同じアメリカが、支那においては機会均等、門戸開放の9ヶ国条約で、あらゆる日本の既得権までを蹂躙しかけているのではなかったか?
 憤激した日本の与論は、ついに一片の抗議をアメリカ政府に提出せしめた。
 日米親善大使 埴原正直(はにはらまさなお)は、その温厚な表情に、一抹の怒気をたたえて、わがワシントン大使館を出て行った。
 ――かかる法律の制定は、両国の幸福にして相互に有利なる関係に対し、『重大なる結果』を誘致するやも計られず・・・
 手交した相手は国務卿のヒューズだったが、ヒューズは慇懃にこれを受取り、そして更に手厳しい議会からの抗議をもってわれに酬いた。
「日本はアメリカの立法権にまで、恫喝をもって干渉しようというのか?『重大なる結果』とはいったい何を意味するのかそれを承りたい」
 日本の国内では、まだ憤激した国民がしきりに国辱を叫んでいたが、わが埴原大使は、その横暴な逆抗議に対して、却って陳弁これ努めなければならなかったのだ・・・。
 その埴原大使に、海軍大臣ウィルパーは更に詰め寄った。
「無礼なる日本に、冷たき鋼鉄の味を満喫せしめなければならぬ!」
 その暴言を聞いた日の、ワシントンのわが大使館には、きびしい霜の夜のような沈黙があるだけであった。
 そうした空気の中で、5月13日、同法案はついに上院通過、5月26日、大統領クーリッヂの署名を得て、7月1日には、皮肉にも、わが日本のメートル法とともに実施されていたのである。
 いや、それだけではなかった。
 上院通過の4日後、米陸軍の世界一周機はスミス、ネルソン、ウェードの三中尉を乗せて、わが北門の要衝 占守島(しゅむしゅとう)に飛来していたし、大統領のクーリッヂは、何処までも平和の使徒をかたち作って、軍縮会議の招集を世界に向って提唱したのである。
 わが国民運動が、最初の憤慨に似合わず、何時とはなしに消えて行ったのは、むろんこの『重大な結果』に対する自信がなかったからであったが、その自信が喪失せしめた原因が何にあったのかを、更に静かに反省してみる人は少なかった。
 彼等の文化攻撃が、巧みに日本経済の利欲性と結びついて、如何に着々と効を奏しつつあるかの証左であった。ワシントン会議における、五・五・三の主力艦譲歩が、当然招くべく軽侮であった。
 しかも大統領クーリッヂが、軍縮会議を提唱するすぐ後で、上院議員のロッヂは、移民法に打ち砕かれた日本人の自信の上へ、更にはげしくのしかかって来たのであった。
 「大海軍は果して戦争を意味するか?否!反対に大海軍こそ平和の保障である。アメリカ国民は、世界におけるもっとも道徳的なる国民が故に、アメリカ国民のみが大海軍を所有し得る唯一の国民である。吾人はわが政策を遂行せんが為に、世界最大の陸海軍を持たねばならぬ!」
 主力鑑の制限、大震災と、相次ぐ不幸に見舞われている日本人の上へ、死屍の間に鉛錘を垂れた東京湾の測量と共に、これがアメリカの真実の贈物なのであった。
 そうした空気の中にいるだけに、稲橋生徒の兄が、行方不明になったという竹下中将からの私信も、八田少佐をわずかに瞑目せしめたに過ぎなかった。
 「そうか。稲橋の兄が・・・!兄の分までしっかりやるのだぞ!」
 そして、彼は陸、海、外の三者を語らい、ひそかに野猿鬼の獣性研究に余念がなかった。

無貞操大陸

 「クーリッヂの提唱する軍縮会議に、日本も加わるとお考えですかA大佐」
 それは、大使館のサロンの片隅、青い蘇鉄の葉の下で囁かれた。八田少佐の問いであったが、それに対してA武官の答えは間接的であった。
「大使館へやって来る日本人のうちで、何人が本当の愛国者だろうかなあ少佐?」
「・・・」
「新しい東京市の建設には、ビアード博士が招かれて行っているし、軍服を着て歩くと軽蔑されるような街が出来かけているだろう」
 少佐は、黙って頷くだけで充分であった。日本人はあまりに正直すぎるのだ。去年の11月11日には、震災に対する対外感謝デーが、日比谷公園で行われたと情報が入っていた。その感謝のもっとも大きな対象は、言うまでもなくアメリカであった。
学生は軍事教練を自由の束縛だと叫びだしているというし、社交と本心の使い分けなど出来そうにない日本人であった。
 (どうして日本人に、真実(ほんとう)のアメリカの姿を知らしめようか・・・?)
 A大佐に別れて、少佐は徒歩で白亜館の裏の広場にやってきた。少佐もまた幾度か招かれて来た白亜館の庭園が、夏雲の下に濃い緑を整然と走らせている。ここの園遊会では、何時もお茶とポンチだけしか出されなかったが、ここへ集まる人々の、私邸の食堂と寝室の棚には、世界中の高価な酒が無限にかくされていた。
 今日も、裏の広場では、学生隊が集まって発火演習に余念なく、散歩中の紳士淑女は、人垣を作ってしきりに声援を送っている。
白亜館の奥では、傲岸な軍縮会議の主唱者が、冷然とこれを見降ろしているであろうし、民衆もまたこの矛盾を、更に矛盾と感じてはいないのだった。
 彼等の額に光る汗と、眼の中に溢れている敏捷な若さとを、わが日本の学生たちに見せることが出来たらどうだであろう・・・?
わが純真な学生達もまた、憤然と祖国愛に目覚めて決起するに違いない。
 しかし、彼等の仰ぐ教壇には、こうした現実から眼かくしされたクーリッヂの唱える軍縮があり、それを裏づけるデモクラシーの直訳があるだけなのだ・・・。
 (どうして日本人に、真実のアメリカの姿を知らしめようか・・・?)
 柔らかい白さをふくんだ光線であった。その光の中にあふれている多くの眼はまた、何という尊大な好戦的な眼であろうか。
 「同情するよ。陸軍の敵は共産主義で、経済人と共通の敵だから、まだ救われるが、海軍の方はなあ・・・」
 陸軍武官のX中佐が洩らした言葉が、妙にやり切れない感情で胸元へあふれて来た。少佐は、そっと自分の靴を見やって人垣を離れた。
 8弗(ドル)出して買ったダンス靴であった。4回分の授業料、20弗を前払いして通うダンス教室の家であった。あらゆる焦燥をつつんで、砲の手入をするように、きれいに撫でつけた黒髪であった。
 茶会、園遊会、午餐会、晩餐会、夜会、舞踏会、エグノグパーティー、ウェルシュレアビットと、少佐の行先もまた無現にあったが、少佐の眼はつねに一つのものに集中されているのであった。
 敵として起つ日のために、彼等の性格の底の底を眺めているのである。長所と短所とを知悉して、何時か日本人のすべてにその真実を語り得る日に備えているのである。
 いきなり少佐の肩を叩く者があった。
 都の噂(タウン・トピックス)――という社交雑誌の若い記者で、
「ハロウ!」
 気取った仕種で片眼をつむり、
「いちど旅順口(料理屋の名前)のオコメの御飯にありつきたいですなあ」
 と、行き過ぎてから又振返り、
「八田少佐は家庭攻略の名人だという評判ですぞ」
 少佐は生真面目な表情で、
「そのうち、白亜館も攻略しようと思っている」
 言いながら、何か泣きだしたいような切迫を感じた。決して好んでアメリカ人の家庭にまで出入りする訳ではなかった。
殆どすべての日本人が、ひどく美しいものに買いかぶっている彼等の生活の実態が、果して、評価どおりの内容を持つかどうか、それが知りたかったのだ。
 もし表面どおりの婦人第一主義が、彼等の家庭の内容にまでそのまま生かされているとすれば、これは実に容易ならざることであった。
アメリカ婦人の横暴さが世界第一ならば、それに奉仕する男達の忍耐力もまた、世界第一というべきであった。
(戦いを決するものは常に忍耐力なのだ・・・)
 女性に最高の真理を感じ、世界最大の忍耐力で奉仕出来る国民は、その奉ずる理想のためには最強の軍隊に豹変出来る、恐るべき敵であらねばならなかった。
 それを思って、自我を殺し、金にあかして各種各様の家庭に出入りしてみたのだが、どうやら、それが社交界で評判になっているらしい。
 が、出入りして知った彼等の家庭には、決して旅行者たちの眩惑されてゆくような美しさもなければ、世界最大の忍耐力もなかった。
 細君の名でするパーティーが済んで、最大級の賛辞を細君に捧げて客が帰ってゆくと、それまで家畜のように従順だった夫の態度はがらりと変わるのが常であった。
 彼は横柄に足を投げ出し、それまで遠慮していた煙草を不機嫌にスパスパとふかしてゆくのである。
すると、白い絹の衣装を着るために生まれて来た彼の細君は、
「そんなに煙草を召上っては毒ですよ」
と注意する。その注意に、十人が十人まで、険しい威圧で罵るように答えるのが習慣であった。
「人の自由を束縛して貰うまい。わしは煙草が好きなのだ!お前がパーティーや芝居を好くのと同じようにな」
 それは忍耐の極限まで、押さえに押さえて来た憤懣(ふんまん)の爆発であった。ある時には卓を叩き、またある時には灰皿が飛んだ。
 そんな時に、少佐は幾人かの細君を捕えて、何故客の前でするように言高くその夫を詰らないのかと尋ねてみた。
すると彼女は、人が違ったように肩をすぼめて、
「国に、二人の大統領があってはなりませんわ」
と、答えるのが常であった。
 その打ちしおれた細君の様子を見る毎に、少佐は何時も二つの事を考えさせられた。その一つは、客の前ではただ夫の命ずるままに奉仕して、客が帰ると、却って優しく労わられる日本の妻の自然な幸福さであり、もう一つは、徹底した虚飾主義のもつ感化の力の怖ろしさであった。
 彼等の家庭と家庭の間には、打算の結合はあっても、東洋流の友情は存在しなかった。
 したがって一匹の野獣にかえった夫の姿は、わずかに離婚の数にその片鱗を見せるだけで、どんなに親しい友人の間にも立派に眼かくしされてとおる。それが実情であり教養であって、しかも、アメリカの手の届くところでは、燎原の火のように、この虚飾をつつんだ女尊男卑のアメリカニズムが燃えひろがって行きつつある。現に日本もその罹災国のひとつであった。しかも善良な日本人は、殆ど全部が――国に二人の大統領はいらないという、アメリカ女性の裏の悲惨を知らなかった。彼等は真正直に思いあがった婦人第一主義を輸入して、忽ち家庭を、牝鶏刻をつくる破滅の渕へ追い込んでゆくのであった。
 しかし当のアメリカは、決してそうした浅慮はやらず、巧みに分裂の文化を多民族だけに押しつけてゆく、選ばれた才能の所有者なのだ。
 いや、それは才能の問題ではなくて、むしろ血の問題であった。東洋人には断じて耐えられぬ、虚偽に対する無感覚さが作りあげた、光栄ある教養のせいであった。
 作りあげたと言えば、アメリカ女性ほど、不思議に、哀れに、作りあげられた女性は世界史になかった。
 彼女たちはアメリカ発展の歴史の中で、いちばん悲惨な、必要に捧げられた犠牲の肉塊なのであった。
 世界の各地から、一攫千金を夢みて、続々と荒くれた男たちが新大陸へ流れ込んで来た時に、食物の次に必要だったのは、彼女たちであった。と言って、彼等の必要とするほど、多数の女性を新大陸に呼び寄せることは不可能であった。門葉の誇りも教養もなく、その代り冒険心と争闘心と、突飛な思いつきとに天才的な閃きをもった夢想家共は、その少ない数の女性たちをあやつって巧妙に必要をみたして来たのである。
 何よりもまず貞操観念を放棄せしめる必要があった。それをなさしめるには、多くの男たちが、どんなに彼女たちに忠実であるかを知らしめて、彼女たちの愛情の焦点を、絶えず浮動させておく必要があった。
 純真な女たちは、彼等の歌に有頂天で踊った。神々の授け給うた高貴な花を泥土に捨てて、尊大に肩を張り、口を尖らしてついて行った。
そして、その次には、信仰に依ってわずかに貞操を取り戻した女たちの、どこまでも小賢しい偏狭さと妬心から、いちばんこの国に必要だった売春婦の撲滅が叫ばれだした。
 その名称は撲滅された。そしてその代りに、より強い男たちの要求の前で、東洋人の口にする二夫に見(まみ)えない娼婦などは、永遠に見得ない世界を築きあげて来たのであった。
 偉大な実用主義の男たちに取っては、相手の名称などは問題ではなかったのだ。
 すでに出来上がった無貞操大陸から、陳腐な娼婦の名を駆逐して彼等は一層新しい刺激に満足した。
 こうして最も婦人を蔑辱した『要求』から、ふしぎな婦人第一主義が出来上がって来たのだが、この世界史稀有の屈辱に対して、当の婦人たちはいったい何時気づいてゆくのであろうか?
 ただこの国の婦人たちと同じように、東洋の君子国からやって来る旅行者までが、その現実とはおよそ程遠い、純白の絹の衣装の自由さに、三嘆して帰って行くのが怖ろしかった。

或る旅

 八田少佐は、ダンス教師の済んでいるヴァージニア街のアパートの角を曲ろうとして、三人連れの婦人と出逢った。
 一人は、例の海軍委員の姪で、あとの二人は、彼女の友達の老嬢たちであった。どちらももう三十を出ている年齢ごろなのに、どちらもまだ独身であった。
「張り込んでいたの」
と、一人が言った。
「いいところへお誘いしようと思って」
 八田少佐は笑って三人と握手した。
「まさか、メキシコまで牛を買いに行こうとか言うんじゃないでしょうなあ」
 すると海軍委員の姪は、あわてて唇へ指を当てて二人を押さえた。三人の中では、まだ彼女がいちばんあどけなく、それだけ、いちばん仕種が大人びていた。と言うのは、婚期を逸した老嬢ほど、痛々しい努力で、少女らしい科を作るのがこの国の習慣で、それはぐっと肩を張った既婚女性とふしぎな対照を見せているからであった。
「駄目ですわ黙ってなくちゃ。ミスター八田は、神秘な霊感をもっているんですもの」
「その霊感が、お嬢さんたちの前では、からっきし働きません・・・」
 言いながら八田少佐は、三人と別れる口実を考えていた。ダンス教師の家で、フィリピンからやって来た、ある男と逢う約束があったからであったが、女たちは、そうした気配を敏感に察した。
 「ヤング夫人ならば今日から三日お留守ですわ。オハイオ州へ結婚の登記に行きましたから」
 一人が言うと、一人がサッと右手を挙げた。その合図で、見なれた高級車が目の前にやって来るのだ。
「お乗りになって。貴方のために考えた週末の旅なんですわ」
 八田少佐は恭しく運転手に扉を開けられると、乗るより他に仕方がなかった。裏面はともかく、表面は、絶対に淑女第一を崩さぬ国なのだ。
 しかし、その車が、物凄まじいスピードでコンチネカットの大通りを、一直線に郊外へ走りだした時には、少佐は、明らかに眉間へ皺を刻んでいた。三人の女たちは、時々眼顔で頷きあっては大袈裟に肩をすくめて笑っている。ロッククリークの森が矢のようにうしろに消え去ると、もうそのあたりは一面の畑であった。その平地のはずれにそびえたアパラチヤ山脈が、見る間に距離を縮めてゆく。
 何処へ連れて行こうというのか?
 気紛れで楽天的で、刺激と享楽のためには時と金とを惜しむことを知らない彼女たちであった。しかもその一人に少佐は思いがけない思慕を寄せられているのである。
 彼女の言葉のように、縮小された日本海軍が少佐の退役を許したら――そんな曖昧な言葉で相手の希望を繋ぎとめているのだが、潔癖な少佐にとっては、それすらもかなりの重荷であった。
 「そりゃ日本も印象的でしょうけど、アメリカにも素晴しい所は沢山あります。貴方が生涯忘れられないような」
 二人の同伴者は、また、誇張した表情で眼を見合わせた。自動車はもう段丘の多い盆地の緑の草原を走っている。時々、雪が降ったように乳牛の群が動かなかった。
「すると貴女は、このまま僕を太平洋へ連れ出そうというんですか?」
「貴方が、もしもそこが楽しいとおっしゃるならば」
「楽しくはありませんが、生涯忘れられないものと言えば、僕にとっては海戦だけです」
「ではこのまま宣戦を布告しましょうか」
 ハッハッハと少佐は笑った。
「駄目ですよお嬢さん。僕には陸奥がある。長門がある」
「陸奥なんか!」
と、海軍委員の姪は、何か素晴しい計画を楽しむように、
「28節(ノット)のワシントンで追いかけて、すぐに撃沈してあげる」
 少佐は、フッと息を切って、それから又、筒抜けな声で笑い出した。
 建造中の戦艦ワシントン。アメリカ造艦の特徴で、3連装の40糎(センチ)9門を装備した、3万5千噸(トン)の弩級戦艦は、その速力28節!28節!
 近づく女を警戒せよ――それは万国共通の戒めであったが、相手は自分の言葉よりも感情を追いかけて、何かひどく楽しそうなのだ。
「私は、貴方が、生涯忘れられないものをよく知っているのです」
「僕もお嬢さんが、何処で僕に、海戦を経験させようとしているかそれが分かった!」
「おお!貴方は素晴しい予言者です!おっしゃってご覧なさい」
「エリー湖!」
「否!」 
 少佐はわざと額を押さえて、そのあとを言わなかった。
 自動車はすでに渓谷の間を縫って、柔らかい西陽の中へ突きすすんでいた。

世界の犠牲

 着いたところは、少佐の予期していたとおりシカゴであった。三十余時間を全速力で走り続けて、有名な黄金湖岸の水泳場に近いホテルに着いてみると、そこには、彼女の伯父と伯母とが待ちかねているのであった。
 二人の老嬢は、見るも無残に疲れていたし、運転手も猿のように眼をくぼませていた。彼女の伯母は、頻りに同宿の淑女たちを少佐に紹介したがったし、上院議員の海軍委員は、何よりも少佐を迎えて乾杯を欲していた。
 しかし彼の姪はそうした一切の誘いをしりぞけて、少佐を直ぐに湖へ伴いだした。午前の陽に輝ききったミシガン湖上へ、新しい二隻のヨットが瀟洒(しょうしゃ)な姿を浮かべている。その一隻の船首には、くっきりとMUTSU(陸奥)の船名が書き込まれ、もう一隻には彼女の名が書かれてあった。
 「素晴しい!」
 少佐が叫ぶと、彼女は胸をそらして湖水の中へ身を躍らせた。少佐もそれにつづきながら、冷たい湖水が、ひやりと胸元へ理性をかきたてる感じであった。
 裏面を知らずに接したら、何と明るく親しみ深い国民なのであろう。彼等の間には、何の秘密も、何の野心も感じられない。
いや、彼等自身の側から言えば、野心などは何処にも存在しないのに違いない。
 それほど彼等は、思いあがった世界第一の自信の中に住んでいる。金も物資も、政治も文化も社会機関も、彼等の建物と同じ高さにあるのだと、固く固く思いこんでいる。
 それ故にこそ彼等だけが、世界最大の軍備を持つ資格があるのだなどと嘯(うそぶ)いて、少しも面映ゆさを感じないのだ。
 しかし、一少女の気紛れにまで、こうした浪費を許すその蔭に、どれだけ多くの人々の犠牲がかくされているであろうか?
 ヨーロッパは現に、アメリカ人のために働かされている。大戦で背負わされたその戦債を、その能力の限度まで搾り取られて、何処もはげしい経済恐慌の中に立ち竦んでいるのが現状であった。
 したがって各国とも戦敗国であるドイツから、手厳しい取立てを行っている。
 暑さの増すにつれて、黄金湖岸には、百万長者の家族たちが、人魚のように群れて来たが・・・こうした彼等の生活の背後で、ドイツ人は馬鈴薯の皮を喰い、鶏卵の皮の中から、更にスプーンで栄養を探し求めている。
 インドは間接に絞りぬかれ、支那は、フィリッピンは、南洋は、着々と彼等の生活を支える家畜の中に編入されつつある。
彼女たちの服と靴下とは、わが日本の農民が、草の家に住み、紙の家に住む野蛮人と軽侮されつつ、目をただらせて作りあげた絹であった。
 外国だけのことではない。現に国内でも、皮膚の色の違ったアジア人と黒人とは、絶え間ない迫害のもとで、牛馬のように働いては、彼等の享楽に奉仕している。
 或る英国の社会学者が、全人類に、若しアメリカ人と同じ程度の贅沢を許したら、21億の人口で地球は破産するであろうと計算しているのだが、地球の全人口はすでにそれに達している。したがって人類すべての犠牲がなければ、アメリカ人の生活は成り立たない奇形のものであった。
 そのアメリカ人が、世界第一の軍備をもって、永遠に、彼等の享楽を護りぬこうとしている。それが、彼等の意識しない、傍若無人な野望の実態であり、世界諸民族の不幸の原因であった。
 「さ、貴方の生涯忘れられない海戦をやるのです!」
 「宜しい!」
 少佐は太い紅縞の帆を張りながら、その縞の一筋一筋に、全人類の哀しい悲愁の血の香を嗅いだ。

 (心配するな!いまに日本の海軍が、貴様たちの太陽を取り戻して見せてやる!おお!取り戻さずに置くものか!)

虐殺文化

 その夜は、ひどい乱痴気騒ぎであった。ここにはワシントンの取りすました装いはなくて、世界の高利貸アメリカ人共の、底抜けな享楽主義の裸体があった。
 ホールいっぱいに下等なジャズが響き渡って、その周囲で幾百組もの牡と牝とが、不倫な愛情の取引にふけった。二人の老嬢も、何時か新しい相手を見つけて、月のない湖岸で姿を隠して行ったし、どの女の体を見ても産児制限、堕胎と、一連のアメリカニズムを連想させる汚点(しみ)をもっていた。
 何時か家族連れの老人たちまでが、歯を抜くようにナイト倶楽部へ消えて行くのであった。
 しかし、少佐が驚いて目を瞠ったのは、そうした夜の光景ではなくて、実はその翌日の出来事であった。
 昨夜の悪夢は私たちの故(せい)ではないのです――そんなからりとした表情で、二人の老嬢が、少佐を誘いにやって来たのは9時ごろであった。有名なユニオン屠殺場を見物に行こうと言い出したのである。
 「素晴しい!参りましょう」
 と、少佐よりも先に、今朝も早くからやって来た海軍委員の姪が答えた。
 「あんな設備は、日本にはないに違いありません。私が説明してあげましょう」
 少佐も、ユニオン屠殺場の話は幾度も聞いていた。ある缶詰会社の経営で、一方から入ってゆく生きた家畜が、一方の出口から立派な缶詰になって積み出されてゆく。何処までもアメリカらしい速力第一の生産工程を見せるのだと聞いていた。
 いや、それよりも、この屠殺場が出来た事に依って、大シカゴは、飛躍的な発展をとげたのだという歴史の方にも興味があった。
 その屠殺場の出来た1850年(嘉永三年)頃には、わずか人口3万人に足らない小さな町だったのだが、今ではアメリカ第二の大都会に育っている。しかも、ユニオン屠殺場の規模の広大さに至っては、世界第一のアメリカ気質を、残りなく証明するものだと聞いていた。
 200ヘクタールに及ぶ広大な敷地に、50万頭近い家畜が常に飼われていて、飼槽の長さだけで40キロを超え、一ヶ年には1000万頭以上のものが缶詰になってゆくと言う。
 「見物には半日かかるのですけど、シカゴへ来るアメリカ人は、誰もその時間を惜しいとは思いません」
 誘われて少佐も一緒にホテルを出た。それが如何に有名であるかは、彼女たちが見に行くと知って、忽ち7人の同行者が集まった
ことでも分った。
 何れも同じホテルの滞在客たちで、5人はまだ17~18の少女、あとの二人はその母親であった。
 こうして一行11人は、彼等の誇る、最も清潔にして速力的な缶詰会社を訪れたのだが、しかし少佐は驚いたのは、その規模の大きさでもなければ清潔さでもなかった。
 門を入ると、見物人の通路を中央にして、一方に牛の通路があり、一方に豚共の通路があった。見物人があふれているように、牛と豚も延々とつながって、
「あれは新聞屋のトム、あれは牛乳屋のジャック。みんなお揃いでご出勤ですよ」
 一人の母親が少女たちに説明していたが、たしかに、相手の尻へ首をのせるようにしてノロノロと流れについてゆく牛たちの頭には、妙に親しみやすい善良さがあふれていた。
 一方の豚共はまた、ムズかった子供のように、絶えず地面に鼻をすりつけて、馬鈴薯をおし転がしたようにまるまると肥っている。
 その流れと歩速を合わせて、さまざまな饒舌が取り交わされた。
「あの牝牛はフォスター家のお祖母さんに似てるわ」
「それよりも、あの豚、お隣の赤ん坊に似ていない?」
「似ている似ている。あの向こう側の牛は、カリフォルニアで見たお百姓さんそっくりだし、そのこっちのは、ケンタッキーの樵夫(きこり)の母親に似ているわ」
 その頃には、少佐もまだ微笑してそれらの会話を聞いていた。たしかに家畜にもさまざまな個性を感じさせる表情はあった。それが一緒に歩いている間に、何か話しかけてやりたいような親しみを感じさせ、その親しみが女たちの会話によく現れているからであった。
 が・・・その平和な行列は、やがて、次に到着した関門で、凄まじい血の香に塗りつぶされていったのである。
 見物人の通路が少しずつせりあがって、並んで来た牛の群れよりも高くなったところで、先ず先頭の新聞屋のトムが屠られた。
脳天にドギつい銛の一撃を叩きこまれて、彼は、ぐったりと通路へのめった。声はたてず、パッチリと開いた眼がいじらしいほど綺麗に澄んでいた。血がぬるぬると床を這い、続いて出動して来た牛乳屋のジャックの足をとめた。
 彼は何事が起ったのだろうかと、前を覗いて、これもまた、カーンと銛を叩きこまれた。彼がぺたんと前脚を折って、丸い眼をじっと見物人に据えた時には、新聞屋のトムはもうサッサと腹を断ち割られていた。もう血は屠夫の手をぬらし、刀をそめ、床を流れて、四方は文字どおり血の海であった。
 フォスター家の祖母がやられた。
 隣りの女中も殺された。
 善良なカリフォルニアの農夫も、ケンタッキーの樵夫の母も、みんなパッチリと眼を開いて血の海にのめっていった。
 いや、それよりも左手の豚共の騒ぎはもっと大変なものであった。
 彼等が、馬鈴薯を並べたように、まるまると地面を流れて来ると、行手に大きな水車のような車が待っていた。その車についた吊皮が、到着順に彼等の首に巻きつくと、彼等はそのまま中二階へ吊り上げられた。その頃から、この哲学を持たない駄々ッ児は、声をかぎりに、救いを求めて泣き叫ぶのである。
 中二階の高さまで来ると、待ちかまえていた屠殺者は、短い足をバタバタともがきつづける駄々ッ児の頸動脈へ、グサリとナイフを突っ込んだ。
 ギャーッ!それは腸(はらわた)を突きさすような、冷たく白い悲鳴であった。鬼気そのものの断末魔の声量と反比例して、凄まじい勢いで血が走る!
 斬る!悲鳴!血の噴水!
 斬る!悲鳴!血の噴水!
 しかも、この駄々ッ児は、眼をつり上げた屠殺者に、すぽりと首を斬り落されるまで、泣き、喚き、身悶え、狂うのだ。
 正に修羅場であり地獄絵図であった。
 少佐は、見るにしのびなかった。この残酷な光景を、公然と婦人や少女たちにまで見物させる屠殺者に、赫(くわ)ッと燃え立つ怒りを感じた。
 「行きましょう。これは婦人の見るものではない・・・」
 眼を覆いたくなって振返った少佐は、しかしその時、世にも怖るべき讃嘆の声を聞いたのだ。
 「素晴しいでしょう少佐!」
 昂然と言ったのは、老嬢の一人であった。
「この新鮮な肉が私たちの食卓にのぼるのです」
 少佐はあわてて海軍委員の姪を見た。
(この老嬢は、気狂いなのだ!)
 胸のムカつきそうな憎しみを感じて眼を移したのだが、その少佐の感情を嘲笑うように、
「ほら、こんどは血があんなに高く走りました。白亜館の噴水ほども走りました!ああいうのが美味しいのです。あれは健康なんですもの」
 少佐は吸い込んだ息を抑えて、更に少女たちを見、その母親を見ずにいられなかった。
 しかし、何処にも顔を覆っている者はなかった。母親たちの眼は星のように輝いていたし、少女たちは全身を小揺すりに動かして、胸で両手を叩いていた。
「あたし、あのケンタッキーの木樵(きこり)のテキが食べたくなった!」
「いいえ、あれよりも牛乳屋のジャックの方がずっと美味しいことよ。種類が違うんですもの」
 同じアングロサクソンの支配する東洋の香港では、支那人たちが、生きた鶏を逆さに吊下げて歩くというので、2弗(ドル)の罰金が科せられている。
 日本の主婦たちは、自分の飼い馴らした鶏や兎の肉は食べない。一匹の犬のために、一頭の馬のために、花を捧げ、墓を作ってやる優しさをもっている。
 それが人間なのだとすれば、ここに集って、血の噴水に舌なめずりする女たちの群は、いったい何に属するのであろうか・・・?
 貞操を失った女たちから、神はすでに人間の心を召し上げ給うたに違いない。
 この女たちから生まれ、この女たちから育ってゆく、人間の智慧と野獣の心をもった半獣人のために、世界はいま、手厳しい奉仕を強いられているのだ・・・。
 しかし、軍人である八田少佐の連想は、この半獣人に奉仕せしめるものの実体が、金本位の経済機構にあるという事よりも、彼等と戦いを開始した日の、戦場の有様であった。
 もし彼等に、わが領土を犯されるようなことがあったら、そこに何が描き出されて行くかという肌の粟立つ連想であった!
 少佐は限りない血と悲鳴の中に凝然と立ったまま、心の中でじっとある種の報告を書きだした。

 ――アメリカ文化とは、全人類の血と悲鳴によってのみ維持され得る、史上類例なき半獣人の文化なり。
 然して、その文化を維持するため、彼等の子孫に与える教育と政治の意図とは、人間の心を以てしては覗い知れない、 ふかしぎなる用意と妖智を蔵す。
 彼等は、先ず以てその子弟に享楽を教え込み、その享楽を欲するならばかくかくせよと、無言の指導をつづけつつある。
 彼等はその子弟の精神の高揚を願わず、血と殺戮とを怖れざる半獣人の勇気を維持せしめんと欲するものの如し。
 その故に、高き精神を持つ国内の宗教家は、続々と海外諸国、あるいは未開の植民地に派遣せらる。かかる人物を海外に追放することに依り、海外には善良なる神の子を増さしめ、国内に、いよいよ血と殺戮を怖れざる勇気を蓄積することを得る。これ実に、アメリカが永遠に半獣文化に依る享楽を持続し得る最良の道なり。
 すでに金本位の経済をもって、永遠に世界を搾取し得る機構は完備せり。植民地においては、続々と善良なる宗教家の献身によって、住民たちを血と殺戮から遠ざけ、着々と去勢の実をあげつつあり。
 残るはただ一点、その子弟をして、血と殺戮とに馴らさしめ、彼等の享楽に刃向う者を、永遠に討たしめんとすることなり。
 その実例は、彼等の植民地における法令と、国内におけるふかしぎなる自由とのひらきの間に無数にあり。
 黒人の虐殺に眼をつむり、ギャングの酒場を黙認し、動物愛護を叫ばしめながら、平然とその子女に屠殺場を開放する・・・。
 それらの政策の矛盾の中に、確然と彼等の指導意図を看取し得ずといえども、呪われたる半獣文化が、その方向に驀進しつつあることは一点疑う余地なき事実なり!この事実こそアメリカ認識の基礎にて、これを敵とする、自ずから人智の他なる備えを要す。
 彼等は彼等の享楽を持続する以外に、如何なる正義をも認め得ざる悪鬼なるも、それを見抜く眼識未だ東洋になし矣・・・

 まだ家畜たちの悲鳴はつづき、神々に呪われた妖女の群は、眼を細めて噴き出す血潮を楽しみつづけている・・・。(つづく)

2011年11月22日 (火)

平成24年度予算及び政策要望

 3時、就寝。

 7時に起床し、祖母の30日法要のため、仏間や仏壇の掃除を行う。

 8時30分、大粒納豆、山芋とろろ、生卵でご飯2杯をかっこんで朝食。

 親戚も来たため、菩提寺の住職が来るまで雑談をしながら待つ。

Cimg1219 11時30分を過ぎてもお越しにならなかったので、「うれっ子」(電話:0257-22-4648)の「チャーシューメン」をとって、親戚とともに昼食。
 昨日とは打って変わって晴天、温度が高くなったせいか、汗をかきながらすする。これからの季節は厳寒のなかで熱いラーメンをすする醍醐味を楽しみたい。

 13時、市役所の会派室に移動し、資料の整理。

Cimg1220 14時、市長応接室に移動し、会田市長以下の当局へ平成24年度の予算要望を行う。
 昨年と同様、一会派一律30分となっており、2人会派でも30分、7人の大会派でも30分という悪しき平等主義のまま。こういった事をやるため、2人会派が増え、会派が乱立する。


平成24年度
予算及び政策要望

総 論

 国難というべき東日本大震災が発生し、被災地のみならず、わが柏崎市もこれまでの中越大震災・中越沖地震に加え、度重なる水害等の自然災害を受け、産業活動、市民生活が困窮している。
 福島第一原子力発電所の事故もあり、原子力発電所の再稼働については、規制機関の組織強化とより安全性が求められている。柏崎市としても、市民の目線に立った、安全対策の方針を早急に打ち出すべきである。
また、円高、長期化するデフレ経済により、消費活動、生産活動は低迷し続け、大幅な税収の増加も見込み難い。そのなかでも、都市間競争に打ち勝ち、企業誘致をはじめ、経済活性策の積み上げが重要である。
復興が最優先事項ではあるが、第四次総合計画後期にもかかることもあり、未来につながる事業については、積極的な取り組みを求める。
 平成24年度予算編成においては、前述の事を重く受け止め、長期を展望する中で、喫緊の重要課題に果敢に取り組み、以下の諸項目を重視しながら、短期的財政出動も考慮しつつ、実効ある対策を講じることを要望する。

 1、 東日本大震災を鑑みた防災体制の確立
 2、 十分な安全性に基づいた原子力発電所の再稼働期実現
 3、 景気・経済対策の実行
 4、 企業誘致運動の積極的な推進
 5、 北陸新幹線開通に繋がる高速鉄道網整備対策と柏崎駅の活性化対策
 6、 観光・交流人口の増加対策と地場産品のブランド化及び販売促進活動の拡充
 7、 行財政改革の継続と経常経費の廃止も含めた圧縮
 8、 財源確保対策の方向性と明確化
 9、 職員の綱紀粛正と抜本的意識改革
10、 目標を定めた政策立案とスピード感ある政治決断

平成24年度予算要望
   柏崎
市議会整風会

1. 総合企画部、財務部、消防本部 
(1) 経済・景気政策
   波及効果が確実に見込まれるような対策
(2) 文化会館の開館を活用した市民活動の活性化
(3) 北陸新幹線開通に繋がる高速鉄道網整備対策と柏崎駅の活性化対策
(4) 防災対策の充実と市民への周知の徹底
   統一ハザードマップの作成、原子力災害時の手順等
(5) 消防団員の確保
(6) 家庭用火災報知機の設置推進
(7) 職員の能力向上と不祥事防止のためのチェック体制

2. 福祉保健部 
(1)医療体制の充実
  a.基幹病院の技術及びケア体制の向上、医師確保
  b.高齢者対策と介護政策の充実、地域医療の充実強化
(2)自殺対策
(3)インフルエンザ等、市民を守る防疫体制の研究
(4)少子化対策(子育て環境、窓口の拡充等)

3. 産業振興部 
(1)企業誘致と企業の雇用が拡大するための政策
(2)十分な安全性に基づいた原子力発電所の再稼働
(3)TPPの交渉状況に応じた臨機応変的な政策
(4)原子力発電関連部品等、地元での生産体制の早期確立
(5)再生可能エネルギーの研究支援
(6)農業団体の1フロア化
(7)土地改良事業の拡大・促進
(8)観光事業の全市的取り組み(通年観光、既存施設の活用)
(9)材料支給事業の拡充

4. 都市整備部 
(1)生活基盤整備
  a.環境・インフラ全般の整備
  b.道路・側溝・橋りょうの整備
(2)公共事業の増発
(3)8号線バイパス工事の早期実現
(4)鵜川上流部の堆積土砂の早期撤去
(5)材料支給事業の拡充
(6)街灯等のLED化の促進

5. 教育委員会 
(1)犯罪の低年令化防止
(2)いじめ、不登校の防止と生徒の視点に立った対応
(3)学校跡地の有効利用
(4)児童生徒の学力体力の向上強化
(5)郷土・歴史・道徳教育の充実
(6)通学路の安全確保
(7)学校給食での地場産品の利用率向上
(8)児童虐待防止
(9)婚活等の結婚支援事業の精査


 上記の内容に説明を付け加えるかたちで、以下のようなやりとりを行った。

・少なくとも観光の事も考え、柏崎駅-花火会場間の街灯LED化を促進。
→ 妙高市はかなり積極的に取り組んでいるが、市所有の街灯。柏崎の場合は町内会管理のため、あくまで推奨するといったやり方になる。

・全国でも珍しい施設であり、伸びしろがある「こどもの時代館」をうまく活用するよう予算付けを検討願う。
→ 一応は検討したい。

・婚活については、行政がやる仕事ではないとの指摘もあるが、行政が関与する事業だから女性も安心して申し込むということもあり、バランスを考えた事業として精査してもらいたい。
→ どこの地域にいっても「市長、嫁を探してくれ」との声があり、市長の仕事より嫁探しを頼まれるくらい。行政がやる仕事かとの議論もあるが、予算はつけたい。

・農業委員会でも建議しているが、コシヒカリの使用を考えてほしい。3月ぐらいまでは「こしいぶき」も「コシヒカリ」と大きな違いはないが、3月以降は食味が変わる。少しでも検討してほしい。
→ デザート1品を減らせばコシヒカリにできるが、現状では少し給食費を値上げしないとコシヒカリにはできない。

・一括ハザードマップについては、津波ハザード、土砂ハザードなど串刺しでいつでも検索、作成できるような地図をGISデータを使うようなかたちで研究してもらいたい。

 16時まで市役所内で作業をしたのち、市内まわり。天気が良いので、農業委員会としての農地パトロールを行う。農業者年金の説明も業務になっているため、アポイントもとる。

Nec_0001 18時過ぎから「BUN」(電話:0257-37-1682)にて懇親会。寒いとは言いつつも、生ビールを飲みながたフォアグラの串揚げ、鯨の串揚げなど揚げ物を中心に食べる。
 寒くなったため、体がさらに脂肪を溜め込もうとしているのであろうか。

 二次会、三次会と進み、24時、帰宅。

2011年11月21日 (月)

ブータン国王の演説に応えられる日本なのか

 3時、就寝。

 7時に起床し、大粒納豆、目玉焼き、野沢菜でご飯2杯の朝食をとる。

 9時過ぎから市役所や陳情を頂いている数軒をまわる。

 13時、自宅に戻り、冷やご飯に冷凍していたクリームシチューをかけてレンジであたため、最後に塩納豆を投入したもので昼食。以外に悪くない組み合わせである。

 14時から市内某所にて打ち合わせ。

 16時、事務所に戻ったところで来客があり、チャレンジショップができないものかとの相談を受ける。できる限り行政の力を借りずに民間でできることは民間で取り組むという方針でしばらく検討してみることとなった。

Cimg1217 20時、昨日の水炊きの残りの汁に粗挽きソーセージを投入し、頂き物の2011年度米粉食品コンクールにて「最優秀賞受賞」を受賞したという、山形県村山市の六兵衛工房「まいるぅ 玄米粉と味噌で作ったかれえるぅ」で作ったカレー、小粒納豆と海苔佃煮の和え物、水菜サラダで夕食をとる。
 米粉と味噌でできたルーということもあって、面白い味である。

 21時、遅参したが市内某所での打ち合わせ。

 23時に帰宅し、熱めの風呂に入る。いきなり寒くなってきたため、風呂からでるのが億劫になる。

 24時から事務所で事務仕事。

Bhutan 来日されていたブータン王国のワンチュク国王夫妻がお帰りになった。ワンチュク国王は平成23年11月17日、衆議院本会議場で国賓として国会演説をされたが、社交辞令ではない言い回しや深い理解に多くの日本国民が感動した。
 こういった日本への思いを言っていただけるのはありがたいが、現在の日本に応えられるだけの品格があるのかどうか非常に不安である。
 宮中行事よりも政治資金パーティを優先したり、パーティの最中に携帯電話を使うなど品格とはほど遠い大臣など恥ずかしく、情けない。
 しかし選んだのは日本国民。いかに選挙が大事であるか、この事を通じてより多くの人に知ってもらうべく、自分でも頑張りたい。
 ちなみにブータンはゾンカ語で「竜の国」の意味。先代の国王は昭和天皇の「大喪の礼」に民族衣装「ゴ」の礼服姿で参列した。


 天皇皇后両陛下、日本国民と皆さまに深い敬意を表しますとともにこのたび日本国国会で演説する機会を賜りましたことを謹んでお受けします。衆議院議長閣下、参議院議長閣下、内閣総理大臣閣下、国会議員の皆様、ご列席の皆様。世界史においてかくも傑出し、重要性を持つ機関である日本国国会のなかで、私は偉大なる叡智、経験および功績を持つ皆様の前に、ひとりの若者として立っております。皆様のお役に立てるようなことを私の口から多くを申しあげられるとは思いません。それどころか、この歴史的瞬間から多くを得ようとしているのは私のほうです。このことに対し、感謝いたします。
 妻ヅェチェンと私は、結婚のわずか1ヶ月後に日本にお招きいただき、ご厚情を賜りましたことに心から感謝申しあげます。ありがとうございます。これは両国間の長年の友情を支える皆さまの、寛大な精神の表れであり、特別のおもてなしであると認識しております。
 ご列席の皆様、演説を進める前に先代の国王ジグミ・シンゲ・ワンチュク陛下およびブータン政府およびブータン国民からの皆様への祈りと祝福の言葉をお伝えしなければなりません。ブータン国民は常に日本に強い愛着の心を持ち、何十年ものあいだ偉大な日本の成功を心情的に分かちあってまいりました。3月の壊滅的な地震と津波のあと、ブータンの至るところで大勢のブータン人が寺院や僧院を訪れ、日本国民になぐさめと支えを与えようと、供養のための灯明を捧げつつ、ささやかながらも心のこもった勤めを行うのを目にし、私は深く心を動かされました。
 私自身は押し寄せる津波のニュースをなすすべもなく見つめていたことをおぼえております。そのときからずっと、私は愛する人々を失くした家族の痛みと苦しみ、生活基盤を失った人々、人生が完全に変わってしまった若者たち、そして大災害から復興しなければならない日本国民に対する私の深い同情を、直接お伝えできる日を待ち望んでまいりました。いかなる国の国民も決してこのような苦難を経験すべきではありません。しかし仮にこのような不幸からより強く、より大きく立ち上がれる国があるとすれば、それは日本と日本国民であります。私はそう確信しています。
 皆様が復興に向けて歩まれる中、われわれブータン人は、みなさまとともにあります。われわれの物質的な支援は、つましいものだが、われわれの友情、連帯、思いやりは、心からの真実味のあるものです。
 われわれブータンに暮らす者は、常に日本国民を親愛なる兄弟、姉妹であると考えてまいりました。両国民を結びつけるものは、家族、誠実さ、そして名誉を守り、個人の欲望よりも、地域社会や国家の望みを優先し、また自己よりも公益を高く位置づける気持ちであります。
 2011年は両国国交25周年の特別な年。しかし、ブータン国民は常に公式な関係を超えた特別な愛着を日本に抱いてまいりました。私は我が父とその世代の者が、何十年も前から日本がアジアの近代化を導くのを誇らしく見ていたのを知っています。
 すなわち、日本は開発途上だったアジアに進むべき自覚をもたらし、日本の後に続いて、世界経済の最前線に踊り出た数多くの国々に希望を与えてきました。日本は過去にも現代もリーダーであり続けます。
 このグローバル化した世界で、技術と革新の力、勤勉さと責任、強固な伝統的価値の模範であり、これまで以上にリーダーにふさわしいのです。
 世界は常に日本のことを、大変な名誉と誇り、歴史に裏打ちされた誇り高き伝統を持つ、不屈の精神、断固たる決意、そして何事にも取り組む国民、知行合一、ゆるぎない強さと気丈さを合わせ持つ国民であると認識してまいりました。これは神話ではなく、現実であると申し上げたい。
 近年の不幸な経済不況、3月の自然災害への対応にも示されている。みなさま、日本、日本国民の資質を示された。他の国であれば、国家をうちのめし、打ち砕き、秩序、大混乱、悲嘆をもたらしたであろう事態に日本国民のみなさんは最悪の状況下でさえ、静かな尊厳、自信、規律、心の強さを持って対処された。
 文化、伝統、価値にしっかりと根付いたこのような卓越した資質の組み合わせは、われわれの現代の世界で他に見いだすことは不可能です。すべての国がそうありたいと切望しますが、日本人特有のものであり、このような価値観や資質は、昨日生まれたものではなく、何世紀も歴史から生まれてきたものなのです。それは数年、数十年で失われることはありません。
 そうした力を備えた日本にはすばらしい未来が待っていることでしょう。
日本は歴史を通じてあらゆる逆境から繰り返し立ち直り、世界で最も成功した国のひとつとして地位を築いてきました。
 さらに注目するべきは、日本がためらうことなく、世界中の人々と自国の成功をわかちあってきたことです。私はすべてのブータン人にかわり、心からお話しています。世界は日本から大きな恩恵を受けるであろう。
 偉大な決断、静かな尊厳と謙虚さを兼ね備えた日本国民。ブータンはみなさんを応援し、支持してまいります。ブータンは国連安全保障理事会の議席拡大の必要性だけでなく、日本がその中で主導的や役割を果たさないといけないと考えております。
 ブータンの成長と開発における日本の役割は特別なものです。日本から貴重な援助だけでなく、励ましもいただいてきました。

 日本国民の寛大さ、より次元の高い自然の絆、精神的な絆でブータンは常に日本の友人であり続けます。日本はブータンではもっとも重要な開発パートナーだ。感謝の意を伝えられることができて大変うれしい。両国民の間の絆をより強め、不断の努力を行うことを誓います
 改めて、ここで、ブータン国民から日本の皆様へ祈りと祝福を伝えます。
 列席のみなさま、簡単ではありますが、私どもの国の言葉で話したいと思います・・・

 「(ゾンカ語での祈りが捧げられる)」

 今、私は祈りを捧げました。小さな祈りですが。日本、日本国民が常に平和と安定、調和、これからも繁栄を享受されますように。今日はありがとうございました。

2011年11月20日 (日)

原発推進 突き進むフィンランド

 3時、就寝。

 6時に起床し、大粒納豆、生卵、めかぶでご飯2杯をかっこんだのち、某氏の車に乗せてもらい、某県まで移動する。

 8時30分過ぎに会場に着き、9時から地元町内の方をはじめ、町内活動をされている皆さんに対し、「原子力発電と放射線防護」と題して、約1時間のお話をさせてもらう。
 質疑応答もかなり活発にあり、先日、東訪振興協議会で東日本大震災の被災地を視察した内容もご紹介させてもらった。

 12時、帰宅。久々の日清カップヌードルのシーフードヌードルと小粒納豆、ご飯の炭水化物めしで昼食をとる。

 13時、15時と事務所に来客。

Cimg1215 買い物をしたのち、自宅に戻り、19時、水菜、白菜、えのき、鶏の胸肉、ミンク鯨を使った水炊き、胡麻油を入れたひきわり納豆、ご飯2杯で夕食をとる。
 まず最初にさっぱりと皮をはいだ鶏の胸肉と水菜のコンビネーションを味わい、続いて強烈な個性を持つ、ミンク鯨で楽しんだ。

 21時30分、某集まりの二次会に顔だけださせてもらい、市政への苦情を多く頂戴した。

 23時、事務所に戻り、事務仕事。

 色々な場所で原子力発電の話をさせてもらうと質疑応答の際、かなりの割合で「世界は脱原発に進んでいるが・・・」という意見を頂戴する。
 しかし、そういった事例で引き合いにだされるのはドイツやイタリアであり、日本で脱原発の国として紹介された頻度が多いことが起因と思われる。
 原子力発電の是非、イデオロギーは別としても、事実は事実として伝えなければならないので、こういった質問を頂いた際には、ベトナムやトルコ、中国、中東など原子力発電所の建設予定がある国を紹介している。
 ヨーロッパでもフィンランドが原子力発電への依存度を上げており、以下にご紹介したい。
 


平成23年11月12日『産経新聞』

東日本大震災8カ月
福島教訓に安全強化
世界初最終処分場も

 東日本大震災と福島第1原子力発電所事故から8カ月。ドイツやスイスが脱原発を決めるなど逆風が吹く欧州で、原発の道を突き進む国がある。人口540万人、北欧の小国フィンランドだ。2002年に旧ソ連・チェルノブイリ事故以来、西欧で初めて原発新設を決め、「原発回帰」の旗手として注目を集めた。福島の衝撃がさめやらぬ先月には、新しい原発の建設地を発表、再び世界を驚かせた。原子力を追い求める森と湖の国から報告する。
(フィンランド南西部オルキルオト、中西部ピュハヨキ、木村正人)

原発推進 突き進むフィンランド

 冬には凍結した海でスキーを楽しめるボスニア湾に面するオルキルオト島を望むと、工事が最終段階を迎えたオルキルオト原発3号機の巨大ドームが見えた。

■回帰のシンボル

 仏原子力大手アレバ社が手掛ける欧州加圧水型炉は世界最大級の出力160万キロワットを誇る。「過酷事故の発生確率は100万年に1回」「放射性物質の大量放出確率は1千万年に1回」-世界で一番安全な原発がうたい文句だ。
 フィンランド電力会社TVO社の女性エンジニア、カテ・サルパランタさんの案内で3号機内に足を踏み入れると、要塞のような外壁の厚さに目がとまった。「燃料を搭載した航空機が突っ込んでさても、びくともしません」とサルパランタさん。
 現在、稼働中のオルキルオト、ロビーサ両原発の原子炉計4基が同国の発電量の25%を担うが、この3号機が完成した暁には原子力発電の占有率を35%まで増やすことができる。
 オルキルオト3号機の建設計画は曲折をたどった。1993年に政府が原則決定したが、86年のチェルノブイリ事故の後遺症で議会は否決。2002年にようやく承認された。西欧で初めての原発新設の容認となり、原発回帰の流れを欧州に呼び戻した。
 しかし、同3号機は原子力安全規制当局・放射能原子力安全センター(STUK)に構造上の欠陥を指摘され、運転開始が当初予定の09年から14年まで先延ばしされた。30億ユーロと見積もられた費用も56億ユーロに膨れあがり、さらなる遅延も懸念される。
 建設作業員の7割が16カ国の外国人労働者で占められ、意思の疎通が十分に取れなかったことが理由の一つに挙げられた。
 だが、サルパランタさんは「チェルノブイリ事故で欧州の原発建設はストップし、同3号機の建設が05年に開始されるまで約20年の空白があった」と述べ、”失われた20年”が工事遅延の最大の理由と指摘した。半面、遅延は堅実に計画を進める同国の姿勢の表れとみることもできる。

■旧ソ連の呪縛

 フィンランドのエネルギー政策は今も東西冷戦時代の呪縛から逃れられない。
 第二次大戦でフィンランドはナチス・ドイツと手を結んでまで隣国・ソ連の侵攻に抵抗したが、領土の一部を失った。戦後は自由主義陣営に属しながら、ソ連の強い影響下に置かれた。
 STUK首席査察官だったユハニ・フバリネン氏はこんな逸話を打ち明ける。
 1970年代にロビーサ原発(フィンランド南部)の建設計画が持ち上がった際、西側の原子炉を買うことが内定していたが、ソ連の横やりでソ連製加圧水型炉2基を購入させられた。
 米原発大手ウェスチングハウスや独シーメンスが外側の格納容器など安全性を強化したため、ロビーサ原発はウェスチング(西進)をもじって、「イースチング(東進)ハウス」と揶揄された。
 ロビーサ、オルキルオト両原発から生じた使用済み核燃料は96年までロシアに運ばれた。ロシアが使用済み核燃料で核兵器を製造しているとの疑念を国際社会が払拭できないため、フィンランドは2000年に国内に最終処分場をつくることを決定。20年に稼働が始まれば世界初の処分場となる。
 地下約500メートル、約40キロの処分坑道は、デンマーク人監督によるドキュメンタリー映画「100000年後の安全」の舞台にもなった。
 同国は製紙や製鉄などエネルギー集約型産業が中心で、冬は暖房用の電力需要が急増。石油・天然ガスなどエネルギーの54%を輸入、その大半をロシアに依存する。原発増設による自給率アップはロシア依存度を減らす国策といえる。
 中西部ピュハヨキに「ガチョウの岩」という意味の自然の宝庫バンヒキビ半島がある。先月5日に新興の電力会社フェノポイマが新しい原発の建設地に決定し、「福島の事故後、世界で初めて発表された原発建設地」(ロイター通信)と海外から視線が集まった。
 原発反対派の住民、ヘレナ・マイヤラさんは「町長は住民に原発誘致の是非を問おうともせず、賛成派が多数を占める議会で決定した」と指摘する。

■過疎化対策の誘致

 これに対し、マッティ・パハカラ町長は「福島の事故は悲しい出来事だったが、事故を教訓にもっと原発の安全性を高められる。100年後に振り返れば、原子力は蒸気機関と同じく安全ということになっている」と強調した。
 原発建設が始まれば、住民の収入も町の税収も倍に膨らむ。原発建設で町の高齢化と人口減少に歯止めをかけたいと同町長は考えている。原発誘致に名乗りを上げた自治体は国全体で40にのぼった。ピュハヨキ周辺の世論調査でも、原発誘致に賛成の住民は08年の51%から昨年10月には61%に増え、逆に反対は42%から31%に減少した。
 現在の政府は新たな計画は認めないが、すでに計画が原則決定されたフェノポイマ原発1号機とオルキルオト原発4号機の建設は進める方針だ。2つの炉の運転が開始されれば原子力発電が発電量に占める割合は50%前後までアップする。
 STUKからフェノポイマの原発担当に転身したフバリネン氏は「人間に暖を与える火でやけどをすることも家が火事になることもあるが、火を使わないわけにはいかない。やけどをしないよう慎重に扱うことが大切なのだ」と語る。

2011年11月19日 (土)

稚拙な議会運営:「柏崎市食の地産地消推進条例」案

 2時、就寝。

 6時に起床し、事務所の掃除を行う。毎日、処理する以上の紙資料が届くので、未だに書類などが片付かない。

 9時、大粒納豆、すき焼き風卵とじ、オクラサラダでご飯2杯の朝食をとる。

 10時、自民党柏崎支部に移動し、平成24年度新年度予算要望について打ち合わせを行う。

 12時30分、自宅に戻り、賞味期限の近いほぐしたらこ、バター、岩のりを使って、たらこ岩のりスパゲティを作って昼食。

 13時から16時まで、予定では市外への出張であったが変更となり、市内3カ所をまわって、関係者から陳情を受ける。民間で解決できる案件もあったので、来週対応したい。

 17時、事務所に来客。

Cimg1214 18時過ぎ、頂き物の調査捕鯨で獲ったというミンク鯨の赤身を刺身にし、ひきわり納豆と大根おろしの和え物、「ほっともっと 柏崎錦町店」(0257-32-2370) の「しょうが焼弁当 430円」で夕食をとる。
 おろしニンニク醤油で食べる鯨の赤身はやはり美味い。打ち合わせがあるため、ビールが飲めないのがつくづく残念である。

 18時30分から市内某所で打ち合わせ。

 22時、帰宅。風呂に入ったのち事務所にて、事務仕事を行う。

 柏崎市議会議員の一部で進めていたという「柏崎市食の地産地消推進条例」案についての意見交換会が行われたとの報道があった。
 そのなか「整風会が参加していない」との懸念の声があがったという。
 お約束の対立構造を作って自分たちを正当化するやり方である。

 整風会は私を含め3名しかおらず、4つある常任委員会のうち文教経済常任委員会には委員がでていない。しかも出欠に関してのスケジュール調整の連絡もないなか、開催したが出席してこないと対立構造を煽るのは愚の骨頂。
 議員間討議等、現在取り組んでいる議会改革とは真逆の行動であり、稚拙な議会運営としか言いようがない。
 改選前にも、この手の話があったが、私は議論の場への声もかけられず、

 「全会一致で成立させたいが整風会が邪魔をしている」

と市民の前で、嘘の説明をしたアホな某議員もいた。

 彼ら一派は自分たちで過半数をもっているため、条例成立は全会一致でなくともできる。
 また逆に全会一致が前提なら最初から等しく全会派に声をかけ、議会運営委員会などにも諮るべきであろう。
 市民に対しても、パブリックコメントうんぬんの前に、同様の目的を掲げている農業委員会をはじめ関連団体に意見を聞くのが筋。
 私は農業委員会委員でもあり、また議会運営委員会の委員でもあるが、条例案の内容検討の声がけはいまだにない。

*先日の平成23年度文教常任委員会委員と農業委員会委員との意見交換会でも議題に上がっていなかった。

 こういった条例を作って仕事してます風の市民向けパフォーマンスよりも、毎年整風会としても予算要望し、農業委員会としても建議しているように、まずは学校給食での地場産野菜、コシヒカリの使用など、柏崎市議会議員としてできることを最初に取り組むべきであろう


平成23年11月18日『越後タイムス』

地産地消条例提案へ
市議会が意見交換会

 柏崎市議会文教経済常任委員会(若井洋一委員長)は十五日、市役所内で「柏崎市食の地産地消推進条例」案についての意見拝聴・意見交換会を開いた。この条例については改選前の委員会で制定への動きが始まり、二月定例会での上程を目指したが、議論不足との判断で断念、改選後有志議員による取り組みが進められたが、委員会でやるべきとの意見があり、改めて文経常任委員会で取り組むことになった。
 条例案は「より豊かな食生活や食文化の向上を目指し、生産者、消費者、事業者及び市が一体となって、基本理念、意義、役割を明らかにし、協働の下、市民の生涯を通じた健全な食生活の実現と、活気あるふるさと柏崎を次代に継承する」ことを目的とし、市内農林水産物等の学校給食などへの積極的な利用推進を謳っている。
 委員会は全会一致での制定を目標としているが、整風会の参加が得られていない。このことに対して、議員から懸念の声が上がったが、若井委員長は「全会一致でやりたい。お願いして来てもらうしかない」との考えを示した。十二月議会で上程を目指すが、委員会では市民への説明会やパブリック・コメントも考えており、日程的にむずかしい状況にある。もし条例が制定されれば、柏崎市議会では初めての議員発案による条例制定となる。

2011年11月18日 (金)

学級崩壊内閣:国賓、皇室への重みも分からず、大臣ごっこ

 2時、就寝。

 6時に起床し、シャワーを浴びてから市内某所に移動する。

 思った以上に寒いなか、現場をデジカメで撮影。

 8時、自宅に戻り、大粒納豆、目玉焼き、たこ飯2杯で朝食をとる。

Cimg1209 9時30分過ぎ、市役所に移動し、10時10分から議会運営委員会に出席。
 議題は、12月定例会(一般質問の通告締め切りは平成23年11月28日)、選挙管理委員会の選挙(満期に伴い4名の選挙)、第四次総合計画後期基本計画に関する全員協議会(平成23年12月8日)、年末懇親会、新年度議会予算、第8回全国原発立地議会サミット(平成24年11月20日・21日開催)の計6件であった。
 議会改革に関する予算の追加は、市民への報告会2回分(62.6万円)、先進地視察(135万円)、講師を招いての研修会(22.9万円)、市民アンケート(52.7万円、対象2000人、議員による直営作業)があった。先進地視察のための新規予算要求については、政務調査費内で対応するか、逆に研修会の形にし、先進地で取り組んだ議員を講師として柏崎にお呼びすればよりコストダウンできる。結果、先進地視察の費用をカットし、講師を呼んでも研修会を1回から2回に増額することとなった。

Cimg1210 選挙管理委員会の正委員4名、補充員4名について、どの会派が推薦するかについては、柏崎市議会としては9会派あるため抽選を行うこととなった。くじを引くためのくじを引いたのち、6番目で本くじを引き、整風会は「補充員3位」の推薦となった。補充員は、任期4年の正委員がその期間内に諸処の理由で不足したときに初めて役割りがまわってくるため、依頼しづらい。

 11時40分に終了となり、その後は会派室で資料整理。

 14時30分、一旦、自宅に戻り、冷やご飯、冷蔵庫にあった野菜の切れっ端、干し納豆、ふぐひれ、卵で疑似ふぐ雑炊を作って昼食をとる。

 15時、17時と事務所に来客。

 18時から市内某所の懇親会に出席する。

 22時過ぎに帰宅したところ、お泊まりに来ていた姪っ子が起きて待っていたので、一緒に買い物にでかける。

 23時、自宅に戻り、おでん(大根、ウインナ巻、卵)をつつきながら、ビールを飲む。

 民主党の学級崩壊内閣、ここに極まれりといった報道があった。
 先日の国賓であるブータン王国のワンチュク国王夫妻を歓迎する宮中晩餐会を欠席し、同僚議員のパーティを優先した一川保夫防衛相に加え、蓮舫行政刷新担当相は出席したものの事前のカクテルパーティーで携帯電話を使用したという。
 大臣は天皇陛下から認証をもらう認証官であり、本来、宮中行事などは最優先事項である。それを同僚議員のパーティを優先し、さらにスピーチで「宮中行事より大切」などと発言する軽さ。国の運営を担う大臣という責務の重さを分かっていないとしか言いようがない。
 早く解散し、TPPも含めて国民に信を問うてもらいたい。


平成23年11月17日『産経新聞』

防衛相の晩餐会欠席
「ブータン国王よりもこっちが大事」
野党徹底追及の構え

Bhutan 一川保夫防衛相が16日夜、国賓として来日中のブータンのジグメ・ケサル・ナムゲル・ワンチュク国王夫妻を歓迎する宮中晩餐会を欠席し、同僚議員のパーティーで「ブータン国王が来て宮中で催し物があるが、私はこちらの方が大事だ」とあいさつしていたことが17日、分かった。
 国王夫妻にも皇室にも礼を失する行為だといえ、自民党など野党は参院での問責決議案提出を視野に徹底追及する構え。
 発言は参院予算委員会でも取り上げられ、一川氏は「軽率だった。申し訳なく思い、反省している」と陳謝した。藤村修官房長官は首相官邸に一川氏を呼び「宮中行事を軽視するかの発言は軽率だ。厳に慎むように」と厳重注意した。
 この後、一川氏は記者団に「自分の任務はしっかりと責任を持ってやっているつもりだ」と述べ、引責辞任を否定した。
 自民党の谷垣禎一総裁は「閣僚が国賓をどう迎えるかという基本的姿勢がしっかりしていない。政権全体の問題だ」と述べ、追及する考えを強調。公明党の山口那津男代表も「非常識であり閣僚の資質が欠けている」と批判した。
 宮中晩餐会には全閣僚が招待されたが、一川氏のほか山岡賢次国家公安委員長、川端達夫総務相、細野豪志環境相が欠席した。
 また、藤村氏は17日の記者会見で、晩餐会の席上で携帯電話を使用した閣僚がいたことを認めた上で「行事進行上支障を生じることのないように」と全閣僚に注意したことを明らかにした。携帯電話を使用した閣僚は特定できていないという。
 自民党は、他の欠席閣僚についても理由が適切だったかどうかを追及する構え。携帯電話問題についても閣僚の特定に向け、調査を始めた

2011年11月17日 (木)

議会運営委員会視察(東京都杉並区)

 週刊誌を読みながら、2時過ぎに就寝する。

 6時に起床し、シャワーを浴びたのち、事務仕事。

Cimg1204 8時過ぎ、ホテル1階の「コーヒーハウス アイリス」でビュッフェ形式で朝食をとる。
 納豆はもちろんのこと、好物のグレープフルーツジュースもあり、ご飯で一食分を食べ、さらにその後パンを追加して、すっかり満腹となる。少なめに見積もっても2000kcal以上の朝食である。

 8時30分、ホテルロビーに議会運営委員会のメンバーが集合。タクシーで四ツ谷駅に行き、丸の内線で南阿佐ヶ谷まで移動する。

Cimg1205 徒歩にて、杉並区役所に移動し、9時30分より、議会改革に関する行政視察。
 冒頭、実は柏崎生まれという杉並区議会議会事務局長からの挨拶と杉並区の概要説明があった。

・54万弱の人口であり、バブル期には50万人まで減少したことがある。
・世帯数は30万世帯あり、単身世帯が多い。
・議員定数は48名(法定上限数56人)。
・常任委員会は5つに加え、議会運営委員会。災害対策特別委員会、道路交通対策特別委員会、清掃・リサイクル対策特別委員会、医療問題調査特別委員会、議会改革特別委員会。
・一般会計予算は平成23年度当初で1448億円。

 続いて、本題である議会改革について説明を受ける。説明者は議会改革検討部会の富本卓議員(4期目、議会運営委員会委員長、杉並自民クラブ幹事長)。

・平成17年10月に第一次議会改革に関する調査検討部会を立ち上げた。議員の世代交代が進んだこと、議員の専業化が進んでいる。執行部側も変化し、以前は助役が区長になるパターンであったが前・山田区長から変わった。住民側の意識も変わり、議員への視線が厳しくなってきたことがあった。会派数が多く、議員52人で16会派あった時期もある。
・最初の改革は議員自らへのアンケートから着手した。42分野で300を越える変えるべき項目がでてきた。
・以前は、議会に出席する度に6000円の費用弁償もあり、普通とは違う感覚であった。ゆえに議会改革のなかで廃止。
 → 柏崎市議会では既に廃止
・第二次議会改革に関する調査検討部会は平成18年10月に行い、政務調査費に着手した。
・平成19年6月から第三次議会改革に関する調査検討部会を行い、土日・夜間議会、出前議会、海外視察について検討。インターネット中継を開始した。
 → 柏崎市議会はインターネット中継は早期に実現
・平成20年6月、第四次議会改革に関する調査検討部会。請願、陳情の在り方をはじめ、これまでの議会改革の検証を行った。
・平成21年10月、第五次議会改革に関する調査検討部会では、議会基本条例、行政視察の在り方を検討。また、議員報酬について、日割り計算とした。傍聴者に対する乳幼児の一時保育を実施。
・平成22年10月、第六次議会改革に関する調査検討部会では、議会だよりの内容を再検討。一般質問が多く、毎回議員の半数が行うため、紙面が不足している。また、非公開であり、議事録をもたない幹事長会(4名以上の会派の幹事長)を廃止し、議会運営委員会理事会を設置した。
・平成23年1月から4回で、議会改革検討部会を実施し、さらなる議会改革の課題と進め方を検討。選挙で改選を迎えることもあり、次に構成される議会に申し送り、「議会改革の推進に関する決議」(全員賛成)をした。
・いまは議決案件の条例、総合計画などを議決対象にするかどうかを検討している。
・選挙のための議員定数削減や報酬削減ではなく、杉並区議会議員の在り方から議論しており、子供が3、4人いる現役世代の議員のことも勘案。専業として議員をして、現在の報酬で生活ができるか否かもある。
・委員会審査において、委員外の質疑も許可するようになった。
 → 柏崎市議会では既に実施
・委員長報告においても会派名を入れるようにした。
・通年議会については、議会の召集権を首長から議長にもってくるためにも検討している。議会基本条例の検討のなかで扱っている。議員の歳費を年俸制にするという面でも通年議会を検討中。先行事例を見ると、4回の定例会を弾力運用しているような感じになっている。執行部側は通年議会を嫌がるため、調整も必要。
・議会改革のパターンは、改革の鬼というような議員がひっぱるか、全員での合意をとりながらの両者に分かれるが、杉並区議会はどちらかといえば後者。
・改革の癖がついたので、何かあれば議論する風土がでてきたのは良い効果だった。

 約1時間ほどの説明ののち、質疑応答の時間となった。主な質疑の内容は以下の通り。

Q.首長(区長)が諮問する機関への議員が参加することについて、柏崎市議会においては議員は参加しないものとしてきた。しかし、最近では審議会で市民が決めたものだからと、議会に説明だけで終わらず場合もある。本当に議員が全部ひいて良かったのかどうか悩むところであり、杉並区議会の場合はどうか。
A.正式なテーマにはなっていないが、多くの議論がある。現在、基本構想の審議会を区民が行っており、そこに議員を出席させるかしないか議論となり、結果、委員として議員を出席させることになった。しかし、議員も委員として参加したものを再度、議会で審議することになり、最良の選択だったかどうかは判断に悩む。区民(市民)参加と区民(市民)から負託を受けた議員の立場で考える面もあり、非常に悩ましいテーマである。

Q.一般質問は定例議会日程の前半に行っているか、それとも委員会審査が終わった後半に行っているか。柏崎市議会においては、前半に行っているが、委員会審査で委員会をまたがるような問題がでてくることもあるので、委員会審査後に一般質問を市長に行った方が良いのではないか、との意見もある。
A.開会後、即、一般質問を行っており、前半。
Q.後半に一般質問の日程を変えようという議論はでなかったのか。
A.日程よりは、無制限だった各議員の一般質問の時間を制限することが大変だった。
Q.委員会審査のあとに一般質問を行うことで、より深く首長に問い質すこともできるが・・・。
A.杉並区議会の委員会には区長が必ず出席するので、部をまたがるような案件には区長が答弁する担当部局などは入れ替われるが、ずっと拘束される区長は大変に見受けられる。

Q.土日の議会開催については、これまでの取り組みはどうか。
A.実際に工夫しながら実施し、年に1回は一般的な方が傍聴しやすい状況を作ってきたつもり。昔に比べれば、土日開催を実施するに議員のハードルは低くなった。しかし、傍聴者があまり増えたとはいえない。

Q.住民への議会のアンケートはどうか。
A.区民調査に議会のことをのせて調査してもらったり、賀詞交換会等で議会に関するアンケートを実施した。しかし、区議会議員選挙の投票率が4割を切るように、そもそも区政に興味がないという人が多い。

Q.議会事務局の法務担当はいつ配置したのか。
A.これまでは調査担当の係長が2名であったが、平成22年に法務担当課長をおいた。今年で2年目となる取り組み。実際は、住民からの監査請求などの対応に追われている。本来の業務にウェイトを移していきたい。

Q.議場へのパソコン、タブレット端末の持ち込みの議論についてはどうか。
A.一時期に持ち込みの議論もでたが、キーボードの音の問題で消えた。今、議論がでれば、持ち込み可能の主張が多くなるように思う。

 11時30分に終了となり、タクシーで阿佐ヶ谷駅へ行き、中央線快速で東京駅に移動。

Cimg1207 「ざくろ&ローズマリー フルーツハーブティー」と「唐揚おにぎり紅鮭明太子 300円」の弁当を購入し、12時32分発の上越新幹線「とき323号」に乗り込む。動き出したところで、昨日、スーパーで購入した納豆1パックを追加して、昼食。周りの乗客から「何で電車のなかで納豆食ってんだ?」風の冷ややかな視線が集まる。

 14時過ぎに長岡駅に到着し、各駅停車に乗り換え、柏崎駅まで戻る。

 16時、帰宅し、不在だった間の手紙やFAXなどの処理を行う。

 17時、18時と事務所に来客。

Cimg1208 19時30分、煮干しと干し納豆パウダーでダシをとり、冷凍うどん、車麩、牛肉ミニコロッケ、卵を入れて作った煮込みうどん、冷や奴、小粒納豆で夕食をとる。
 車麩はすっかりダシを吸い込み、かつ卵のコーティングもあるため、かなりのボリュームとなった。

 20時過ぎから市内某所で打ち合わせ。

 22時30分、帰宅し、週刊誌をもって長風呂に入る。

2011年11月16日 (水)

議会運営委員会視察(千葉県佐倉市)

 0時、就寝。

 5時に起床し、資料作成や急ぎのメールなどを持ち込んだノートパソコンで処理する。

 9時、コンビニで購入したおにぎり(たらこ)、納豆巻き、なめこ汁、低脂肪乳で朝食をとったのち、ホテルをでて皇居周辺を大回りしながら東京駅に移動。天気が良いため、気持ちよく歩ける。

 11時30分過ぎ、千葉県の佐倉駅に到着し、駅周辺を散策。スーパーなどで地元の納豆を探すも、ほとんどが大手メーカーのものであった。

Cimg1192 12時20分、佐倉駅に戻ったところで、議会運営委員会のメンバーと合流。駅近くの「食談處 杉」(電話:043-483-1029)にて、定食で昼食をとる。
 とんかつが評判のお店だそうで、ザクザクとクリスピーなヒレカツと刺身でご飯が足りなくなるほどであった。

Cimg1193 お店のカウンターには、定番の梅酒はもとより、かりん酒やブルーベリー酒など面白い酒があったが、中でも強烈だったのはオオスズメバチを焼酎に漬けたスズメバチ酒。
 生きているときに焼酎に漬けなければならない、とのことで、ピンセットで生きているオオスズメバチを瓶に入れていったそうである。一度、飲んでみたい。

Cimg1194 13時20分、タクシーで佐倉市役所に移動し、議会運営委員会としての行政視察。
 佐倉市役所庁舎のデザインが古いながらも洒落ていると感じたため、設計者を聞いてみれば、あの建築家の巨匠・黒川紀章氏で1971年、つまり私の生まれる前の年にできたという。いわゆるメタボリズムという氏のデザインである。

Cimg1195 13時30分から視察となり、佐倉市議会の森野正議長からのご挨拶(2年前に柏崎市を総務常任委員会として視察し、ホームページ、中越沖地震対応を視察)をいただいたのち、柏崎市議会として議会運営委員長、議長から挨拶。
 その後、条例制定時に議会改革特別委員会の委員長であった森野正議長から議会基本条例、議員政治倫理条例のご説明で、内容は以下の通り。

Cimg1197・今年の選挙まで、議会改革特別委員会の委員長として取り組んだ。
・佐倉市は東京から40km圏内、電車1時間であり、t東京のベットタウンとして、「千葉都民」という状況。元々の住民は1/5程度と思われる。
・千葉市とも隣接し、また成田市とも近いので交通の便など良い。
・歴史の佐倉であり、下房の中心で11万石。外国からのお客様に「これだ」というアピールはないが、長島監督の出身地ということだけは通じる。
・7万1000世帯で17万人都市。
・千葉県のなかでは市としては3番目に議会基本条例を作った。
・議会改革は会派代表者会議で出され、そのまま会派代表会議のメンバーを議会改革特別委員会のメンバーとし、7会派(保守3会派、革新4会派)でスタート。
・保守、革新で意見が割れるため、合意できたものから積み上げていった。
・平成21年1月18日から20日にかけて朝日新聞に佐倉市議会議員の「議員による職員に対する働きかけ」のスキャンダル(恫喝まがいでの入札指示、資格審査の目こぼし)が報道された。それを受け、議員の氏名も公開するようにした。
・議案の賛否公表について、市長提案のものは即、公表可能となったが、請願や議員発議については、議案名だけだと賛成して当たり前というものが多数であったので、議論が必要になった。革新系が多く、賛成せざるを得ないような議案表題をだしていた。解決案として、市長当局とかけあい、市議会だよりの紙面を増やして、議案名と結果だけではなく、理由も掲載できるスペースを設けた。12名1会派と無所属1名が同じ紙面スペースであることについては、不平等であり、今後、再検討する。
・議員定数や報酬については、金額等の簡単な話ではなく、佐倉市として議員の在り方から考えるようにした。議員定数と議員報酬の条例はまったく同じ文言にし、あくまでセットであることを表した。
・議会基本条例、政治倫理条例には無所属の2名が反対。議会改革委員会のメンバーが会派代表者だったため、議論に参加できなかったことが理由であった。
・議会基本条例、政治倫理条例について市民への説明は5会場、5日間(日にちも曜日も変え)行った。昭和の合併時の村がまだ地区別意識が強く、どうしても5会場での実施となった。各会場30人前後の市民からの出席。うち半数は同じメンバーで市民グループ(佐倉市民オンブズマン)であった。市民の意見によって、2カ所の文言修正を行った。
・議会改革後、選挙があり、28人中10名が新人議員になったことで雰囲気も変わった。
・議長、副議長は申し合わせで1年交代にしている。
・最初の議会報告会は1年越しで、平成23年11月13日に第一回目を行った。
・今年になって、新人議員が増えたことで経緯を知らないものが増えたため、議会改革推進委員会、議会広報公聴委員会を議長の諮問機関として設置した。
・議会基本条例の説明会では毎回30名ほどであったが、条例制定後の報告会では91名の市民の参加があった。
・議会によっては、市民との対話の場を議会報告会と意見交換会と2つの表現、手法があり、佐倉市議会で2つを表記した。
・ポイントは大きく3つであった。議会報告会の開催、反問権をどうするのか(佐倉市議会では認めた)、議員間の自由討議。議員間の自由討議は、佐倉市議会でもまだ本格的にはできていないが、フリートークの場もある程度用意し、模索している。

「佐倉市議会基本条例」(pdf形式)

Q.さきほどの市長の諮問機関に対する扱いについて、柏崎市議会においても議員は委員としての市民参加はしないものとしてきた。しかし、最近では審議会で市民が決めたものだからと、議会に説明だけで終わらず場合もある。本当に議員が全部審議会の委員から撤退して良かったのかどうか、反省の点があるが、その辺、もう少し詳しく議論の経過を教えてほしい。
A.他市については詳しく調査はしていないが、第9条にて就任しない旨を規定したが、第15条の5で諮問機関からの報告を求められる事を付け加えた。現在は、県などへの答申があるような諮問機関など、5つの諮問委員会にまだ議員が残っている。この議員をひくかどうかは今後の検討。

Q.議員間討議が難しいとのことであるが、他議会の事例など研究しているか。
A.北海道栗山町は実際にやっている。埼玉県所沢市は休憩をとって、そのなかで議員間討議をやっていると聞いている。しかし、それは議事録には残らないので、議員間討議はしたといえるかどうか。本来は議論の課程を残すことであり、茨城県取手市で採決の前の討論を3回まで許可することで議員間の賛成、反対の議論を議事録に残せるように取り組んでいる。

Q.市民への議会報告において、賛否だけだと十分伝わないのではないか。意見を付しての賛成などもある。
A.先日の議会報告会では、委員長報告の形式をとった。私見を入れての報告はしないようルールを作った。基本的に議場で賛成討論なり反対討論したもの以外は、新たに市民の前で発表しないようにしたため、議会内で原稿を用意して積極的に発言することが増えた。よって、議会内の討論が増えて、議会活性化にもつながった。つまり、議会基本条例の本来の目的である「議員の質の向上」になったと言える。

Q.議会構成が変わると意識が変わるということで、三重県伊賀市も議会報告会が中止の方向にいったと聞いている。条例を作るのは簡単だが、その継続が難しいと思うがその辺の取り組みはどうか。
A.いまそこで悩んでいるところ。宮城県蔵王町が通年議会に取り組んでおり、色々な知識があることから話を聞きいったところ、月曜会議といったものを開き、周辺の町議会議長や大学教授と勉強会を月1回やっていたそうで、条例案などできていたという。しかし、蔵王町は即、条例化するのではなく、実際にやれる状況のように周りを固めてから条例をだしたため、安定して継続されるようになったという。走りながら条例化がいいのか、条例がなくても良いほど条件整備してから条例をだすのが良いのか、答えは一つではないと思う。

Q.事務局体制の改革も入っているが、市当局との話し合いはどう進めたのか。特に法制担当を議会事務局に置くべきとの議論があるが。
A.条例制定については、市当局の総務部の法制担当にチェックしてもらった。議会事務局で単独でもつのは厳しく、共有化の方向で進んでいる。議会改革を進めて、議員がこれ以上に働くと、議会事務局が忙しくなっていく。特に議事録などが間に合わずに困っている。議会費は総予算の0.4%ほどなので、1%はもらっていいのではないかという講師もいた。議会側でプロパーの人を雇うことはできないので、予算折衝をすべきと思っている。

Q.委員会規定の広報公聴委員会を設置したようだか、イメージを教えてほしい。
A.政策討論会なども設置し、公開で行うことも考えている。そういった運営を行ってもらおう思っている。もう一つは議員一人一人のレベルアップの機能も考えている。これからの検討課題。

Q.議員の政治倫理条例があるが、対象は市議会議員のみであるが、政治家として市長も含ませる議論はあったか。
A.きっかけは市議会議員の行政への働きかけというスキャンダルであったので、市長への問いかけはしなかった。資産の公開などは、市議会議員ではいらないレベルであり、市長を入れると資産公開を規定しなければならないので、対象としなかった。同時期に自治基本条例の話もあがってきて、自治基本条例とは別にやろうとした。結局、自治基本条例は否決された。

Q.通年議会への検討はどうか。
A.結論としては、議長として提案したが、他の委員からは通年議会の言葉すらできていない。全国的にも本格実施は、宮城県蔵王町と長野県軽井沢町であり、この事例では執行部もうまく利用している。

Q.市長からの反問権について、議員の質問時間が減ることもあるが、どういう整理をしたか。
A.反問権を行使した場合の議員の反論は、議員の持ち時間が減らないこととした。

Cimg1198 質疑応答が終わったのち、市庁舎と同じく建築家・黒川紀章氏による紫を基調色とした議場を見せてもらった。
 国旗は掲揚されていないが、市章はきちんと掲げられていた。凝ったデザインでできた議場だけに節電の運営は苦労したという。
 故人となった黒川氏であるが、ご存命中は自分がデザインした建物の一切のレイアウト変更も許さないという態度で、議会として定数削減した際も、不要となった議員の机の撤去もできなかったそうだ。

 視察終了後、タクシーで佐倉駅に移動し、東京駅まで快速電電車で戻る。

 17時過ぎ、東京駅に到着し、タクシーにて、宿泊先の都市センターホテルに移動。本日の視察はここで終了となった。

 18時30分から某マスコミから原子力発電に関する取材を受ける。

Cimg1199 19時30分、「わたみん家 麹町駅前プリンス通り店」(電話:03-5275-2811)に行き、既に懇親会を行っている議会運営委員会のメンバーと合流。
 生ビールを飲みつつ、焼き鳥(鶏レバー、豚レバー、鶏ハツ)、ピザ・マルゲリータなどを頬張る。

 21時過ぎ、コンビニで酒(麦焼酎、マッコリ)など購入してからホテルに戻り、有志議員とともにホテルの部屋でアツく議会改革について語り合う。視察では、アルコールが入ってしまうものの、こういった他会派の議員と徹底的に討論する時間は重要である。

 24時、ホテルの自分の部屋に戻る。

2011年11月15日 (火)

日本の領土を守るため行動する議員連盟
尖閣沖魚介類試食会

 出張前に片づけておかなければならない仕事が終わらず、4時から7時まで事務所にて仮眠。

 シャワーを浴びたのち、7時30分、大粒納豆、湯豆腐、ほぐしたらこでご飯2杯の朝食をとる。
 朝に湯豆腐を食べると一瞬、優雅な気分になるのは、温泉旅館で覚えた感覚であろうか。

 8時40分過ぎ、柏崎駅に移動。北越1号で長岡駅に向かって、上越新幹線「Maxとき316号」にて、東京駅に移動する。

 11時20分、東京駅に到着し、荷物をコインロッカーに入れた後、神田近くの某会議室にて、企業への取材が多い某ジャーナリストと意見交換。企業誘致についての話を色々と聞くも、やはりこの不況下、海外への移転の話が多いという。後日、企業を紹介してもらうこととなった。

Nec_0001 秋葉原方面に歩き、13時50分、「バーガーキング 秋葉原昭和通り店」(電話:03-3256-3655)にて、限定商品である激辛「ANGRY(アングリー)ソース」と「ハラペーニョ」が入った「ランチアングリーJrセット 620円」を「激辛(5辛) +120円」にして、昼食をとる。好物であるメキシコ料理のタコスにも似た感覚もあり、好きな味である。

Bhutan できる限りの徒歩で移動し、荷物をコインロッカーから回収してから、宿泊先で都市センターホテルにチェックイン。
 世界で唯一のチベット仏教国であるブータン王国のワンチュク国王夫妻が来日しているだけに、日の丸とブータン国旗が皇居や国会周辺の街頭に掲揚されている。ワンチュク国王夫妻の事実上の新婚旅行であり、日本を選ばれたことに感謝したい。

 15時30分、ホテルロビーにて、某マスコミの記者と原子力に関する取材の下打ち合わせ。

Cimg1190 16時過ぎ、参議院議員会館に移動。知った仲の保守系地方議員仲間とともに、日本領土(竹島、尖閣諸島等)を守るため行動する議員連盟(最高顧問 平沼赳夫、会長 山谷えり子)の一部に参加させてもらった。
 出席者は議連のメンバーの他、内閣官房(総合海洋政策本部事務局)、外務省、国土交通省(海上保安庁)、防衛省。議題は以下の通り。

・長崎五島沖における中国船船長対処の件
 海上保安庁、外務省よりヒアリング
・竹島の近況(ファッションショー、コンサート他)の件
 外務省よりヒアリング
・頑張れ日本全国行動委員会尖閣での漁業団報告
 石垣市・中山市長、
チャンネル桜
・水島社長
・尖閣沖魚介類試食会

 以前、視察でお邪魔させてもらった沖縄県石垣市の中山市長にご挨拶もし、その後は尖閣沖で漁獲された魚介類を食べながら、自衛隊誘致の件をはじめ、色々な方とお話させてもらう。
 尖閣諸島で漁獲された魚介類は以下の通り。

平成23年11月8日(火)、9日(水)
 イソマグロ、キハダマグロ、オオマチ、ハガツオ、ツンブリ、カッポレ、バラハタ、オオグチハマダイ

平成23年11月8日(火)、9日(水)
 イソマグロ、キハダマグロ、サワラ、シマカツオ、ホンカツオ、アカマチ、カンパチ、コクハンアラ(クロバニ)、夜光貝

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 すべての種類を食べさせてもらったが、南の海だから身がしまっていないと思いきや、なかなかの味わいで、淡泊ながらも深みのあるクルバニなど勉強になった時間であった。
 最高だったのは、やはり夜光貝の刺身。ぶ厚い刺身に醤油を少々、すだちを絞って口中に投じれば、コリコリとした歯触りのあとに、貝特有の旨味があり、生ビールをグイッといきたかった。

 18時過ぎに参議院議員会館をあとにし、東京都東久留米市の宮川豊史議員とともに池袋に移動。

Nec_0002 19時から某店にて、生ビールを飲みながら、同い年であり、また同じ市議会議員3期目ということから議会運営やこれまで視察で行った先進地のことなど、情報交換を行う。
 尖閣諸島の魚介類をたっぷり食べてしまったので、他に食べ物を注文することはなく、突き出しの柿の種&ピーナッツをちびちびと食べた。

 1時間ほど飲んだのち、書店まわりをして、気になった本を7冊ほど購入。

 22時、ホテルに戻って、早速、購入した本を読み始める。

2011年11月14日 (月)

平成22年度第一部決算特別委員会(教育委員会、都市整備部)

 2時、就寝。

 7時に起床し、大粒納豆、八宝菜、ひじき煮でご飯2杯の朝食をとる。

 シャワーを浴びたのち、9時30分、市役所の会派室に移動し、資料準備を行う。

Cimg1178 10時、平成22年度決算審査を行う第一部決算特別委員会に出席。
 前々回の審査、そして前回の審査に引き続いての内容は、教育委員会の審査からであり、冒頭、新しく教育長に就任した大倉教育長の挨拶があった。

<子ども課>
・早期療育成事業 1785万円
・子育て応援サイト開設委託 129万円
・結婚活動応援サロン運営事業費 282万円
 → 1組の成婚
・県立こども自然王国費 8895万円
・母子保健事業、歯科保健事業
 健康診査業務委託料 196万円

<生涯学習課>
・勤労青少年ホーム事業
 事業費 245万円、管理費67万円

<教育総務課>
・エネルギー管理経費 74万円
・避難児童生徒支援事業 3610円
 給食負担金に使用(少ないのでないか)
・奨学金については、新規15名枠に満たなかったが、地元大学(新潟産業大学、工科大学)への地元進学5名枠は埋まった。現在の平成23年度は地元枠を充足することができなかった。

<学校教育課>
・不登校・いじめ対策事業 591万円

<教育センター・青少年育成センター>
・教育センター管理運営費 1600万円
・青少年育成員70名分報酬 153万円

<図書館>
・図書館運営費 8261万円

<スポーツ振興課>
・市民スポーツ大会経費 739万円
・佐藤ヶ池野球場整備事業
 第二球場整備 1049万円
 球場トイレの整備 999万円

Q.第一中学校で行った学校支援地域本部事業については、かなりの成果をあげた事業であったと思うが平成22年度末をもってどのような評価をしたのか。
A.第一中学校と柏崎小学校で行ったが、平成22年度は文科省の委託事業として行った。文科省の委託としては終了したが、平成23年度は国の補助事業として実施予定である。
Q.他の小中学校への水平展開についてはどう評価したか。
A.学校教育課とも協議している最中、将来的には広めていきたいと考える。ただし、各学校での負担も大きいので、地域の差も勘案しなければならない。
A.柏崎市内でも小中一環教育を行っており、柏崎小学校と第一中学校はモデルケースとして昇華させていき、今後の他の地域への反映を考えている。

Q.不登校・いじめ対策事業についてのべ104回の学校訪問を行ったとの報告であがっているが、平成22年度末で不登校やいじめとみられるような件数はどれほどか。報告書においては、「学級運営が困難な事例」との記載もあるが。
A.教育相談係が学校を訪問をし、教職員の指導をしている。定期訪問と要請があっての要請訪問がある。要請訪問には発達の偏り、発達障害がある場合など学級経営が困難な場合の相談、そして不登校の児童については家庭訪問や復帰のタイミングなどが相談される。
Q.最近の他の自治体でもそうだが、いわゆる学級崩壊が増えているという報道がよくある。ただ比較するというわけではないが、他の自治体との比較、そして最近の兆候はどうなのか。
A.最近の傾向は、学級経営が難しいケースも見受けられる。保護者の考え方の多種多様化、教職員の経験不足も考えられる。保護者からの困難な要求に悩む教職員も現状ある。相談体制については、他の自治体と同様。

Q.図書館について、予算にのることではないが、聞きたい。故人となった方からの寄贈などは平成22年度中はどれほどであったか。色々な場面で、ご遺族から書籍などは価値が分からずに捨てたという話を聞くことがあり、是非、柏崎の歴史を収めておくために、価値判断も含めて図書館、博物館研究員に活躍してもらいたいと思っているため、こういった質問をする。
A.寄贈の申し込みは相当件数あり、自宅まで伺って頂戴してくることもある。ただ、設計の保管書籍数限度に近いこともあり、市販の本などは遠慮させてもらっている。手書きのもので代替えのきかないものについては、図書館で保管させてもらう。貴重な資料の提供を市民に求めるということについては、ホームページ上などで周知しており、中越沖地震のあとにも周知して10件くらいの古文書などを寄贈してもらった。

Q.結婚活動応援サロン運営事業について、1組の成婚があったというが、参加人数など平成21年度に行ったものと比較して教えてほしい。平成21年度にNPO全防災が行った事業があまりに酷かったもので比較したい。
A.委託事業ということで、商工会議所、JA柏崎にお願いしたが、年度途中だったため、イベントの回数ができなかったこと、新潟県の補助制度が使いづらかったことなど運営の課題があった。立ち上がりで個人情報を取り扱うことのマニュアルなどの整備に時間がかかったのも事実。柏崎市として把握しているのが1組の成婚であり、個別にメールなどでやりとりもしているようだ。今後は、事前に研修を受けるようなかたちを考えている。近年、「市長への手紙」でも結婚問題への取り組み要望がある。平成23年度は柏崎市単費での実施なのでアルコールの提供など自由度をある程度高くして開催している。

Q.科学技術教育事業276万円で、報告には教職員研修32回。664人、児童・保護者対象8回 6756人とあるが、その内容はどういったものであったのか。放射線に関する基礎知識などは教える機会はあったか。
A.講座の中身は、教職員向けのエネルギー教育講座を実施し、一般向けに春と秋に青少年の科学の祭典をやり、放射線のことを学習してもらっている。今後も教職員向けの放射線に関する講座を行っていきたい。
A.原子力関係については、教員も知るべきとして、今年4月後半に原子力広報センターの講師を呼んでの学習会を実施した。今年の前期は東日本大震災の避難児童の対応に追われたため実施できなかったが、後期において各学校1名は必ず参加することで研修を実施。今後は、できれば全教職員が正しい知識を得られるよう研修を行っていきたい。

Q.喬柏園の利用状況について、利用件数427、利用者数5535人とあるが、どのような利用形態(団体利用だけのなのか)であったのか、今後の若者による活用案も考えたいので、ざっくりと教えてほしい。
A.利用実態は主に演劇、シニアダンスが主であり団体。古典で個人1件の利用があった。耐震診断の結果をみて、今後の活用案をまた考えたい。

Cimg1179 12時10分、休憩となったため,会派室に戻り、「割烹おくい」(電話:0257-24-6486)の弁当で昼食をとる。
 途中、何本かの電話があり、原子力発電に関する講演の依頼や外国資本による土地の購入についての調査などであった。体は一つなので、すべてをボランティアでこなすのも難しい。

 13時、審査が都市整備部から再開となった。

<都市整備課>
・道路新設改良費 3億97万円
・河川改修事業費 1億5796万円
・砂防事業 1408万円
・柏崎駅周辺整備事業 1億3143万円
 南北連絡歩道橋実施設計委託 4200万円

<維持管理課>
・道路維持補修経費 5億1348万円
・交通安全施設等整備事業 467万円
・道路資材支給事業 2517万円
・橋りょう維持補修事業 741万円
・橋りょう修繕事業費 4831万円
・公園等整備事業 1628万円
・夢の森公園管理運営事業 4070万円
 平成22年度は、8万8160人の来客があった。

<建築住宅課>
・建築住宅指導事業 1429万円
・既存民間リフォーム改修補助 3618万円
 255件

<八号バイパス事業室>
・国道8号バイパス事業対策費 38万円
 県選出国会議員や関係各所への陳情を実施

Q.交通安全施設修繕事業照明工事645万円があるが、これは従来通りの電灯のままということか。それとも一部でもLED化などをはかったのか。
A.平成22年度においては一部は試行的にLED化を図った。平成23年度はより推進している。郊外の田圃区域については、稲の成長に関わる(白熱球は対策品あり)こともありLED化はまだ検討中。

Q.柏崎駅周辺整備に関する国庫補助金返還金 299万円をもう一度説明してもらいたい。
A.駅前公園のトイレが45年使用で国庫補助をもらっており、24年が残存しており、噴水及び電気室40年使用で残存15年で取り壊してしまったので、国庫補助金の返還が生じた。
Q.市民からは駅前公園の噴水を壊すことは、もったいないとの声も寄せられたところであるが、移設などで対応はできなかったのか。
A.区画整理の道路にかかってしまったので、取り壊ししかなかった。噴水については、別途違う方法での実現を予定している。

Q.8号バイパスの要望活動について確認したいが、原子力発電所があることを武器として、要望しているのか。また、8号パイパスが途中になっていることから、道路での事故が起きやすい箇所もあるが、そういった市民の交通環境の観点はどう考えているか。
A.昨年の費用対効果は「1」、今年の効果は「2.6」が見込まれている。これは原子力発電所を含めて防災上のメリット、交通事故の発生低下も含まれている。こういった点をふまえて事業に取り組む。

Q.橋りょうの維持管理事業について確認したい。長期的な計画をもっての長寿命化ということは分かっているが、実際に平成22年度の修繕等をしてみて、計画通りにいくような状況だったのか。東日本大震災は規模が大き過ぎる事例であろうが、予想よりも大きく壊れてしまった事例もあり、災害時の集落孤立を防ぐ意味でも確認したい。
A.平成20年度から優先度をつけて取り組んでいる。評価点をつけてあり、いまのところ大きな変更はない。津波で橋りょうが壊れること等については、今後、十分検討していきたい。

Q.執行額としては計上されてはいないが、谷根地区など
は以前より大雨災害時の孤立化が問題となっていた地区の道路整備等の対策は平成22年度に検討したのか。
A.谷根地区は県道が大雨時に事前通行規制される。町内会長から要望がきており、取り組んでいる。今年、道路を防災の観点から対策を検討し、来年度以降、順次取り組んでいきたい。事前通行規制については、通行する人の安全を確保するうえではずせないと考えている。

Q.市営住宅の申し込みについて確認したい。「市長への手紙」でも切実な訴えが市民からあったように、高齢者で何回も抽選に漏れている事例があるようだが、実態はどうだったのか。
A.駅前住宅を希望される実態がある。何回か抽選に外れている。市営住宅全般からいけば、空いているところもあり、希望者との条件が合わないのが実態。

Q.みなとまち海浜公園の管理状況、使用方法について、光熱水費190万円(港公園 光熱水費115万円、プールあり)など、少しずさんなところがあるのではないかと思われる。使い方について平成22年度は見直し等はしなかったか。
A.柏崎の顔である施設だが、指摘のようにシャワー23基の使い方やトイレが壊されるような状況が続いている。現在、内部で検討し、平成24年度以降にセキュリティ対策も検討していきたい。

 14時45分に都市整備部の審査が終わり、15分間の休憩。

 15時から再開し、討論、採決となった。一応、決算の認定はするものの、以下の点は指摘して猛省を求めるとの意見を付した。

・監査委員の指摘や国の検査院からの調査があったように、いわゆるケアレスミステイクが続出していること。
・個々の事業というより、契約全般の甘いことを指摘しておきたい。即、違法ではないとはいうものの、市議会議員が会長を務める西山町観光協会との委託契約など社会通念上、許されるものではないことを行っていた。

*その他、番神浜茶屋組合の決算状況を十分把握していなかったこと(権利能力なき社団との契約)、そして二年連続して市職員から逮捕者をだしたことも大きい。

 15時30分に終了し、その後、資料整理を行う。

 17時30分に事務所に戻り、明日からの出張にそなえた準備。

Img1180 18時、鶏のささみを揚げたトリカツ、冷や奴、小粒納豆を入れた納豆サラダ、ご飯2杯で夕食をとる。
 鶏のささみはやや高温で揚げたため、パン粉が上あごにグサリとくる仕上がりで、ビールを合わせたいところ。

Nec_0001 19時30分、柏崎青年会議所の事務局に移動し、次年度2012年に所属する環境エネルギー委員会の第4回委員会に出席する。
 議題は、基本方針や来年4月の公開例会、そして平成24年4月22日(日)に予定しているビーチクリーンの人集めについて、その手法などを話し合う。

 22時過ぎ、事務所に戻り、明日から出張で不在となるため、ここ数日で期限となる仕事を片付ける。

2011年11月13日 (日)

昭和18年健民村の熱血村長:現・福島県会津若松市

 1時、就寝。

  5時に起床し、書庫の整理を行う。整理していなかったことに加え、中越沖地震の際に本棚がすべて倒れたため、それ以来、億劫になっていた。あと3、4日はかかりそうであるが、何とか整理したい。

 9時、大粒納豆、蛸の煮込み、蛸飯2杯の朝食をとる。

 10時、12時と事務所に来客。起業に関する相談だったため、用意されている助成制度を紹介させてもらった。

Nec_0001_2 会社関係の買い出しをしたのち、14時30分、帰宅。
 半額になっていた焼きそば用の生麺3玉を多めのサラダ油でじっくりと揚げ焼きし、冷蔵庫のなかに残っていた野菜や炒め物を使ってあんソースを作って、あんかけかた焼きそばにして昼食をとる。

 16時、事務所に来客。 柏崎市政に関する苦情をお聞きしたので、後日、関係課に資料請求を行いたい。

Nec_0003 18時から「一善」(電話:0257-21-8881)で飲み会というよりは食事会に出席する。
 「ふぐの唐揚げ 600円」を皮切りに、馬刺し、赤いかの刺身など好物を注文してしまったので、つい生ビールを4杯ほど飲んでしまった。

 20時に帰宅し、バレーボール女子のワールドカップ第8日「日本vsブラジル」のテレビ中継を途中から見る。ブラジル側のエース不調もあったが、江畑選手、そして「いぶし銀」竹下選手がいい仕事をしていた。

 23時から事務所にて資料作成。

Cimg1166 先日、本ブログで紹介した『キング 改題 富士』昭和18年10月号には、当時、普及整備しはじめた「国民健康保険」を先進的に取り入れたという、福島県河沼郡日橋村の取り組みが紹介されている。
 
 福島県河沼郡日橋村は、昭和32年(1957年)4月1日に堂島村と合併して河東村となり、昭和53年(1978年)4月1日、河東村が町制施行して河東町。そして、平成17年(2005年)11月1日、会津若松市に編入された。
 地方自治体を預かるリーダー像として非常に面白い内容であったため、歴史的かな遣いを現代のかな遣いに直し、以下に引用したい。


健民村の熱血村長
~暗い貧村から、こうして明るい健民村へ~

           諏訪三郎

健民村の増強

 国民総躍起の今日、勝ちぬく為の重要生産と並行して、最も大切なことは、一億国民の健兵、健民運動であろう。
 そこで厚生省保険局は、目下、「国民健康保険」の普及徹底に全力をそそいでいるが、この国民健康保険組合こそは、全国をあげて明るい健民町村にする機関であって、すでに運営のよろしきを得て、大きな成果をあげつつあるのである。
筆者は一日、厚生省に国民健康保険課長 右田鉄四郎氏を訪ねて、いろいろとお話を承ったが、そのとき右田課長から
「よい指導者がおって、立派な成績をあげている組合の一例として、福島県河沼郡日橋(につばし)村を紹介しましょう。一つ見学に出かけて、実際についてご覧下さいませんか。」
と、熱心におすすめいただいた。私はその厚意を深謝しながら、その翌々日には、さっそく、上野発の汽車に乗っていた。
 真夏の、東北の山野には、稲穂が出揃って、食糧増産に努力する人々の苦心の花が、うるわしく咲ききそっていた。
 東北線郡山で磐越西線に乗り換え、猪苗代湖畔の山麓を走ること一時間あまり、会津若松の一つ手前にある廣田駅というのが、めざす日橋村であった。午後三時過ぎに下車。かねて連絡がとってあったと見えて、もんぺ姿の保健婦さんと、役場の少年が駅まで出迎えに来ていた。なかなか親切な人たちである。
 村役場は、駅にすぐ近い、小高い丘上にあった。まだ建築して間もない、新しい立派な建物、中には役場をはじめ、産業組合、農会、水利組合、国民健康保険組合という風に、村内すべての機関が置かれてあって、村長 斎藤千代喜氏が、それらすべての陣頭に立って、熱心に指導しておられるのである。
 「だから、村の人達は、一人で何もかも采配をふる斎藤さんを、ヒットラー村長と呼んでいるのだそうですよ。」とは、右田課長から教えられて来たところであった。
 このように、村政の一元化は、最近他の地方でもぼつぼつあらわれて、村内機関の連絡上の煩わしさを省き、大きな能率と効果をあげている。が、斎藤村長に至っては、役場に助役も置かないという徹底ぶりである。
 筆者は、すぐに、村長室に案内された。そこには、頭髪が銀の如く白く、日焼けのした斎藤村長が、にこにこしていられた。本年とって、67歳とも思われぬ若々しい活気が溢れていて、いかにも人懐かしい感じのする人である。
 初対面の挨拶もそこそこ、筆者は先ず、健康保険組合の出来ない前の、日橋村とはどんな村であったかをきいてみた。

暗い貧村

 
 「日橋村は、会津平野の一隅で、24の部落が、他の三倍もある、むやみにだだっぴろいばかりの山野に散在している、いまでも貧乏な村ですよ。おまけに村内650町歩の田地のうち、250町歩が村外の地主の所有になっていて、農業以外の特殊な産業があるわけでもなし、どう見ても、活気のない暗い村でした。」
 こう語る斎藤村長の表情は、あべこべにまったく明るいものだった。
 そのため、一時は税金の未納額が1万5千円以上にのぼり、滞納者は、片っぱしから、田畑や家屋敷まで差し押さえられて、喘いでいた。東北共通の不衛生な住宅の改善などは、到底思いに及ばず、軒は傾き、室内は空気の流通が悪く、寝室などは、日中でも提灯をつけないと足のふみ入れられぬほど真っ暗く、陰惨を極めていたという。
 「したがって、眼の悪いもの、特にトラホームにかかっているものが非常に多く、妊婦の流産、幼児の死亡率などもかなり高く、毎年肺病で死ぬ者が3~4名はあったものです。そのうえ、村に一軒ある医者には、大抵の家が百円から百五十円の借金があって、つい閾(しきい)が高くなって、なおる病気も、みすみす悪くなるという状態でした。」
 このように、暗い不健康村が、国民健康保険組合が設置されて以来、まだ日が浅いのに、昨年には、すでに健民施設の優良村として、侍従御差遣(じじゅうごさけん)の光栄を担うまでに至ったのであるというのである。

計画は細心、実行は大胆

 「組合をつくるまでの、ご苦心は?」
斎藤村長に、こう尋ねると、
「苦労なんて、一つもありませんでした。」
と、あっさり微笑された。然し、果して難関がなかったかというに、決してそうではない。
 日橋村が、国民健康保険組合の設立を県からすすめられたのは、昭和13年の10月であった。すると斎藤村長は、
「よろしいございやす、やりましょう」
と、二つ返事に引受けた。このように、何事でも村の為、国の為に、よいことだと分かると、すぐに引受けて、実践にうつすのが、斎藤村長の流儀である。
 然し、村会議員に組合設立のことをはかってみると、大抵の者が、二の足を踏んだ。政府から補助金が下るとして、それはほんの経費の一部である。さればと言って、被保険者から、沢山の保険料を徴収したのでは、加入者が少なくなり、従って年々の赤字は相当なものになるにちがいない、その損失をどうするのかというのであった。すると斎藤村長は、
「そんな心配はいらない。一ヶ年に四千円までは、役場で補助してやろう。なあに、組合が困るのも、村が困るのも同じだ。村民は、一家族のようなものだ。家族のものが、健康になれるなら、それ位の金は、なんでもない。わしにまかせてくれ。」
 日頃口にしている村民一家族の信念を説いて、こう言ったという。
「ほれ、こういうときには、村長も、組合理事長も一人でやすから、好都合です。補助金をやるのも私、それを貰うのも私です。こんな簡単なことはありません。」
 斎藤村長は、筆者にむかって、無邪気に言われた。この老村長と話をしているといかにも屈託のない、天真爛漫振りに、しらずしらず惹きつけられてくる。
 こうして村会の決議もすらすら運んで行った。そこで斎藤村長は、早速、村内にいる一名の医師と、産婆に先ず交渉をつけたが、第二段には、若松市にゆき医師会長にあって、若松市内全部の医師から、接骨医にまで契約を結んでしまった。しかしこの交渉とて、いろいろな事情から、やすやすと運んだわけれはなかった。
 次には、新潟に出かけて、新潟医大附属病院と契約しようとしたところ、ここでは、「これまでいくつかの組合の患者を引受けたが、入院費を支払わぬ者が多かったので・・・」と、頭からはねつけられてしまった。然し、そんなことで、尻込みする斎藤村長ではなかった。あべこべに、官立の病院が、政府の作った組合に反対する不当をなじって、「入院料が心配なら、日橋村では、保証金を前払いしてもいい。」と詰めよって、とうとう数回の交渉を重ねた結果、契約を成立させてしまった。すると、この辺の貧村で、新潟医大に入院出来るということは、まったく不可能なことであっただけに、それを喜んで、加入するものも出て来た。しかしなかには、組合に入ることを、何か慈善でも受けるように考えて、「きっと馬鹿にされて、粗末に取り扱われるに違いないからいやだ。」そう言って、加入を尻込むものもあった。中には、金に困って入りたくても入れないもの、悪意から反対の為に反対するものもないではなかった。しかし斎藤村長は、そんなことは、少しも気にかけなかった。
「まざりたくないものは、まざることねえ、いまに、入れてくれって、たのみにくるから見ていろ。」
と無理強いはしなかったという。

慈母のごとく

 いよいよ組合の事業を開始したのが昭和14年4月からであった。
 ところで、農山漁村の国民健康保険組合の事業としては、保健婦の設置と、そのよき活動が根幹をなすものである。そこで斎藤村長は保健婦の設置に先ず第一の努力をはらった。その結果、佐々木たけさんをはじめ、他二名の熱心な保健婦を獲得出来たので、さっそく、役場と、山奥の八田部落に、健康相談所を設けて、村民との連絡をとることにした。なお、各部落には、二名から三名の、保険補導婦というものを置いて、一層緊密にすることにつとめた。この補導婦には、部落でも信望のあるお母さん達を委嘱したのであった。
 いよいよ、店びらきである。早春の日橋村には、毎日のように吹雪が襲って来ていた。しかも三人の保健婦は、希望にあふれて、勇敢に、雪をふんで毎日妊産婦と乳幼児の家庭訪問に出かけて行った。するとある家庭では若い妊婦が、大きなお腹をして腰痛を訴えながら、荒い筵織(むしろおり)の仕事をはげんでいた。しかもその側ではお姑さんが、「うちの嫁には、流産の癖があって困る。」と愚痴をこぼした。
 また、ある産婦の家庭では、生後まだ日浅い赤ん坊に、ろくに着物も着せず、行火(あんか)も与えずに、放りっぱなしにしておいた。又、ある家庭では、あきらかに肺炎になっている幼児を、「ちょっと、風邪をひいた位だ。」と一向平気で放任していた。保健婦達はあまりのことに、慄然としながら、それぞれの注意を与え、医者にかかる必要のあるものには、医療をすすめて歩いた。 しかし、こうして、家庭巡回をすることにも、細心の注意が必要だった。斎藤村長は、
「その家に行ったら、第一番必ず仏壇を拝むことを忘れてはいけないよ。」
と教えていたが、三人の保健婦達も、よく家庭の人達の感情を和らげるようにと、何よりも気をくばることにした。お姑さんのいる家庭に行ったときには、先ずお姑さんと世間話をし、よく気持ちがとけあったところで、妊婦や、乳児のことをきくことにした。
この一事は、とかく保健婦が巡回先で、
「嫁や孫だけが大事で、おらなどは、どうなってもよいのかい?」などと、思わぬところで、姑の機嫌を損ずるような気まずいことを一掃するのにどれ位役立ったか知れなかった。(春がくると、野道の草花を手折って、そこの仏壇へ供えたりした。)
 なお、健康相談所には、毎月二回ずつ、若松市から博士が二人出張して、検診や健康相談をしてくれることにしたが、その間でも、補導婦と保健婦がよく連絡しあって、少しでも体の調子のよくない人達には、すすんで相談に応じ、医者との連絡を取って、簡単な
投薬や注射くらいは、医師の指図を仰いで、保健婦が代ってやることにした。又、吹雪のはげしい夜などは、ちょっと医師の来診が難しいと思うと、保健婦がわざわざ医者のところに出かけて、応急処置の指図を受けて患者に治療を与えてやることにした。
 一方、国民学校、青年学校ともよく連絡をとって、学童の保健につとめる側ら、トラホームの全滅運動にも乗り出した。
 さらに、農繁期がくると、保健婦は、部落毎に乳幼児の託児所を設けて、補導婦と協力のもとに、保母の役目を果して、手不足の助けをなし、同時に栄養保健のことに、心をそそいで行った。
 こうした熱心な努力は、急速に目立って来た。
 先ず、流産するものが少なくなった。
 そして日橋村の乳幼児達は、まるまるとよく肥え太って、死亡率が年々減少して来たのである。
 その効果は次の統計によっても、あきらかにわかる。

 昭和13年(出生100に対して) 10.78
 昭和14年(4月事業開始)    10.50
 昭和15年             6.96
 昭和16年             5.48
 昭和17年             6.20

 17年度は、悪性の感冒が流行して、肺炎を併発して死亡したものが4人あった為、やや率が多くなっているが、この年には、それまで少なくなかった早生児が一人もなかった。これなどは、一に、組合と保健婦、補導婦達の、よく一つになって活動した賜物と言えるのであろう。
 日橋村には、保健婦が三人おって、それぞれ部落を分担しあって働いていたが、最近その一人が斎藤村長の媒酌で大陸の花嫁となって渡満した為、現在は二人であるが、家庭巡回、健康相談、栄養指導、伝染病の予防を始め、医者と患者の連絡、女子青年学校に毎週一回出かけて、かなり突っ込んだ衛生講和や、生花なども教えている。生花を教えることは、女の身だしなみとして、家庭の整頓、清潔にも大いに役立っているという。まさに、昼夜を分かたぬ多忙さであった。

繁盛する相談所

 筆者は、村に一泊すると、翌日には、保健婦のいる健康相談所に参観したり、村人の声を聞くことにした。
 大字八田部落にある健康相談所は、本村より一里半ほど山中に入ったところにあったが、ここは、小さな農家を改築したもので、保健婦の佐々木たけさんの住宅でもあった。
 硝子窓のはまった明るい部屋には、卓子(テーブル)や椅子がおかれており、視力検査表や、乳児の体位表などが壁にかけられてあった。
いろんな薬瓶やガーゼの容器などが棚一杯にある。
 そこの卓子では、昨日はもんぺ姿だった佐々木さんが、白の診察衣をつけて、一人の若い妊婦と話し合っていた。と、そこに入って来たのは、50過ぎた男であった。
 「もう、十日ほども胃が痛いのですが。」
 「早く一度、若松の医師の診察を受けてみなんしょ。胃だって、放っておくと、大病になりますよ。」
 佐々木さんは、とても親切に受診証を書いてやる。
 アセモの「より」が出来た子供や、指先を怪我した少年にも、いちいち、マーキロや薬をつけてやっている。健康相談所は、なかなかの繁盛で、いかにも、明るく、なごやかであった。この佐々木さんは、福島県保健婦協会長をしているほどの実に優秀な人で、
「保健婦の仕事というのは、病気を治すだけでなく、病気になるその原因をつきとめて、除いてやることです。」
と、話して下さったが、まことにもの柔らかい慈母のような方であった。
 そこを辞した筆者は部落の補導婦や、村人達にも逢ってみた。その人達は、口を揃えて、
「組合が出来てから、村中が、どんなに明るくなったかわかりません。」
と、同じことを言っていた。ある女は、
「組合に入っていると、医者にかからないと損なような気がして、一寸したことでも、手軽にかかれやす。」
と、よろこんでいた。又、ある嫁さんは、
「組合が出来ない前は、つい家のものに遠慮して、医者にもかかれませんでやしたが、いまでは、自分も子供も、誰に気がねせずにかかれやすので、どんなに助かるかわからないです。」
と、明るくほほえんでいた。

真髄を発揮

 それもこれも、一に村長 斎藤千代喜氏の陣頭指揮が功を奏しているのであるが、国民健康保険組合が出来てからの日橋村は、活気溢れる明るい健民村になって、みんなが元気よく増産めがけて、働いているのである。
 あれほどあった学童のトラホームも、最近では殆ど根絶して来たので、学童の顔までがとても明朗であり元気が溢れていた。
本年など、海軍を志願した少年が13名あったが、12名まで無事合格した。県下国民学校の角力(すもう)大会と、グライダーの競技でも県一番の優勝旗を勝ち得た。国民学校の先生に聞いても、子供の体位がぐんぐんよくなって来ているという。
 かくして、自然、村の財政の上にも余裕が出来た。有名な滞納村は二年足らずで納税優秀村として表彰されるまでに至った。
その上、人手に渡っていた田地を、これまた斎藤村長の熱心な斡旋で、取り戻した家もぼつぼつ出て来ている。
 さらに、斎藤村長は、組合の書記と保健婦を動員して、従来の不衛生な便所、台所、寝室の改善に乗り出し、これまた非常な成績を着々あげているのである。又、近く厚生館というのを設けて、産院、託児所にあてることになっているという。
 最後に、日橋村の組合のやり方で、特に感心させられた一、二の例をあげてみよう。
 日橋村では、斎藤村長の「一村一家族主義」から、たとえ組合に加入していない者でも、医療費に困る者には、受診券を交付し、入院料まで出してやって、当人の望む病院にも入院させてやって来た。まことに温情のあるやり方で、これがため加入者の数は、加速度的に増加して来たという。現在では戸数977戸、人口約7000人のうち、組合に加入していない者は、殆どなくなった。
 それから、保険料であるが、一戸6円から16円まで、家族が5人以上一人増えるごとに20銭を徴収しているが、本年度から医療点数があがり、初診料を毎月とることに組合の規約が従った為に、自然、経費の葛藤を見ることになった。しかし、村からの補助金三千円を、五千円に増加して、被保険者には、いささかの負担もかけぬことにした。そして、保険料なども、年4回分納、そのとき都合悪いものは米のとれたときでよいといった寛大さで、取立方法も、書記が各戸を訪問して集金しながら、ついでに医者と患者、保健婦の間がぴったり行っているのかどうかを調べるのである。その上、入院患者があると、病状により月何回となく見舞いに出かけて、支払などもきちんきちん滞りなくしてやるのである。
 しかし、以上のことは、他の組合でもやれることだが、ちょっと真似られないのは、組合の規則によると、同一病気で一年以上治療を受けることは出来ないことになっているが、斎藤村長は、
「規則はとにかく、家族のものの病気が全快しないのに、治療を中止するわけにゆくまい。」
という親心から、組合に入った者は、全快するまで面倒を見てやっている点である。
 結核患者などに対しては、まことに血の通った適切な方策で、これでこそ国民健康保険組合の真髄を発揮していると言えるのだと思う。
(おわり)

2011年11月12日 (土)

柏崎イチロー会設立発会式

 3時、就寝。

 7時に起床し、シャワーを浴びたのち、大粒納豆、車麩の煮付け、もやしサラダでご飯2杯の朝食をとる。

 事務仕事をしたのち、午前中に2件の弔問。

 12時、自宅に戻り、乾麺のとろろ芋入り蕎麦を茹で、ひきわり納豆と生卵を入れたつゆで食べる。

 13時過ぎ、16時、事務所に来客。

Cimg1170 16時30分、柏崎市産業文化会館に移動し、諸準備を手伝ったのち、18時からの「柏崎イチロー会設立発会式」に出席する。
 会場いっぱいの460名の方に集まってもらい、 自民党・塚田一郎参議院議員の後援会組組織の立ち上げが行われた。
*国旗「日の丸」を掲揚し忘れたのは残念
 ご本人からの国政報告においては、国家観がない民主党政権のなかで重要な3点、

食料の安全保障・・・TPP
・エネルギーの安全保障・・・原子力発電所の再稼働
・領土・国民の安全保障
  ・・・尖閣諸島、竹島、北方領土、拉致問題

についての強い訴えがあった。

Cimg1171 19時から懇親会となり、会場にお集まりになった皆さんとビールを飲みつつ、色々と情報交換させてもらう。
 ただ、多くの場合は諸先輩からのお叱りとともに激励であり、「若い世代がキチンとしないと柏崎はダメになる」とのことであった。
 また、TPPに関するご意見も頂戴し、私が明確に「反対」の意志を述べると反応は二分されていた。それだけ、

農業 vs 工業

の内輪もめが演出され、アメリカの思うがままに進んでいることに国民の多くが気付いていないことが分かった。
 引き続き、地道に情報発信を続け、TPPの危険性を周知したい。

 20時20分過ぎに終了。帰り際、来年の市長選挙で候補はどうするのか、とのお叱りを受けた。

Cimg1173 片付けを若干手伝ったのち、市内某スナックにて、有志で二次会に突入。
 自民党柏崎支部の役員人事から柏崎市の農業のためには何を行うべきなのか、実際に米作りをしている生の声を聞き、多いに議論させてもらった。

 23時、帰宅。

2011年11月11日 (金)

平成22年度第一部決算特別委員会(消防本部、福祉保健部、産業振興部)

 3時、就寝。

 7時に起床し、大粒納豆、炒り卵、ほぐしたらこ、ひじき煮でご飯2杯の朝食をとる。

 8時30分、事務所に来客。

 9時30分、市役所の会派室に移動し、来週の出張のための資料準備を行う。

Cimg1167 10時、平成22年度決算審査を行う第一部決算特別委員会に出席。
 前回の審査に引き続いての内容は、消防本部の審査からはじまった。

・火災出動30件(前年度比13件増)、救急出動3789件(前年度比427件増)、救助出動69件(前年度比12件増)
・消防団員報酬1471名分を3455万円を執行。消防団員費用弁償費2974万円。訓練予防51件のべ8229名、警戒・災害活動48件のべ1266名。
・女性団員は22名。現在の消防団員定員1584名(平成23年度減数して変更)であるが、不足している。普通交付税交付の人口割り計算だと563名が標準であるが、これは面積などは勘案していないと思われる。
・交付税措置だと消防団員報酬36500円(547名)となるが、柏崎市としては2万円であり、新潟県の平均額になっている。報酬額を上げるとなると自主財源の確保が必要。
・消防署員も充足数に満たしておらず、人事課との調整中。

Q.常備消防施設について、西山分遣所の更新一部繰り越しは分かったが、全体的な常備、非常備の消防通信整備について聞きたい。いずれ行わなければならないデジタル無線化のスケジュールもあり、平成22年度を終えて、即更新が必要もしくは改修が必要な設備はあるのか。
A.平成22年度は指令台の一部更新をし、デジタルに対応している。既存設備でも一部は従来の補修でできないというところもあり、今後、計画を考えなければならないと思う。

Q.家庭用火災報知器についての普及率が新潟県内で一番低いとの発表が先日あったが、平成22年度の普及啓発はどのような活動を行ったのか。
A.平成22年度は各町内会への回覧、防火ピーアール、消防署員による勤務中、場合によっては勤務時間外による各家庭へまわっての住宅防火診断や設置の推奨などの活動を行った。平成22年度については新築は義務設置になっていたが、既存家屋については義務でなかったため、指導を行うということを徹底した。

Q.消防団員の拡充については、色々な政策を我々議会側も考えなければならないところであるが、山梨県南アルプス市のように、消防団員になると市内での飲食費が割引になるなど面白い取り組みをして、消防団員が増加、地元経済も潤うという結果もでている。市の企画当局との消防団員確保の政策会議などは行ったか。報酬の話だけではなく、何らかのインセンティブがあるというかたちもあるのでは。
A.昨今の現状は高齢者社会であり、その捜索には消防団員の手がどうしても必要になっている。消防本部と消防団長とで協議しているところであり、まだ対策があるわけではない。鋭意検討している。

Q.後学のために教えてほしい。平成22年度ということで、平成23年3月11日の東日本大震災のことも聞いていいと思うが、あの震災では水門を閉めにいき命を落とした消防団員もあり、命令なしに自己判断として行った行為、公務としての扱いが議論されているところである。消防署員の場合はもちろん公務死であるが、消防団員の実際の扱いはどうなるのか。また、消防署も機能しなくなるほどのあれほどの災害が起こった場合、命令体系がどうなるのか、といった検討は東日本大震災を受けて行ったか。
A.東日本大震災の被災地で該当する消防所長、消防団長などからも話を聞き、命令体系がなくなり指示はでなかったが、職務の範囲内として実施したという認識と聞いた。我々としても、「それもそうだ」との認識にある。

 11時25分、説明者の入れ替えを行い、福祉保健部の審査に入る。
 冒頭、福祉保健部長から国の会計検査院による指摘を受けた国民健康保険療養給付金の件について、お詫びがあった。
 この約500万円については、次の議会での補正予算で計上される。

・さざなみ学園の民営化については、受け入れ法人との契約はできたが、保護者との話し合いはなかなかつかず、平成23年10月に了承してもらった。
・高柳町の高齢者対策住宅も平成23年度予算に設計費を計上した。
・健康増進計画の見直しを行った。しかし、市民の健康状態の著しい向上はみられなかった。
・健康宣言事業、健康ツーリズム事業のための整備を行った。本格実施は平成24年度。
・第三次障害者計画に着手。20人に1人が障害者という時代に対応する。
・災害時の名簿登録事業を開始。
・子ども手当は円滑に配布できた。
・東日本大震災の避難者に対する健康対策支援を行った。

<福祉課>
・組織機構の変更で、子ども課が教育委員会に移動。
・子ども手当の給付など歳出が増加し、40億719万円。前年度17億円以上の増となった。
・自立支援事業については、前期実績で不足額がでることから12月議会での補正追加を行ったが、後期に利用が極端に減ったため、不用額が多めにでてしまった。
・生活保護は月平均341人、年5億7374万円。3/4が国の負担であり、1/4が市費。

<さざなみ学園>
・寄付金の一部でエアロバイクやランニングマシンを購入。
・民営化のための補助金として民間団体に218万6千円を支払った。
・スプリンクラー・給湯・空調などの設備を入れ替えをし、入札差金がでた。
・民営化について保護者会と14回、民間業者と20回の打ち合わせを行い、民間業者とは平成23年2月23日に民営化の覚え書きを交わした。

<介護高齢課>
・365軒に緊急通報装置設置(862万円)し、平成22年度は9件の通報があった。
・介護保険特別会計への繰り出し金は10億3601万円。

Cimg1169 ここで12時を過ぎたため休憩となり、会派室に戻って「割烹おくい」(電話:0257-24-6486)の弁当で昼食をとる。
 赤魚の粕漬けをさらに甘めの醤油焼きにしたものがご飯にぴったりで一気に完食する。

 13時、福祉保健部の審査から再開。

<国保医療課>
・国民健康保険事業特別会計繰り出し金8億2631万円
・休日急患診療費(歯科)624万9667円

<元気支援課>
・元気館管理運営費 2728万円

Q.介護基盤緊急整備特別対策事業の補助金1億8168万円の補助金の交付先の詳細を教えてほしい。
A.小規模多機能型居宅会議施設3件(登録定員75人分)、グループホーム(定員36人分)、小規模特養1カ所(定員29人分)

Q.民生委員の配置について、たとえば駅前などは復興公営住宅の建設もあり、著しく対象人数が増加しているなどがあるが、平成22年に配置の見直しは行ったのか。
A.各地区協との意見交換もしているが、色々問題があり、まだ調整がついていない。継続案件になっている。全市的なところよりも、市街地で問題になっており、比角でも話し合いがもたれた。中央地区ではまだ調整が必要なところ。

Q.糖尿病の予防に関係があるとして、歯周病との関係がよく話題となるため聞きたい。成人病歯科保健事業の歯周疾患検診委託料143万円(290人、相談8回、相談者60人)の成果はどんなものか。また契約先は柏崎歯科医師会という認識でいいのか。また、申し訳ないが何年から実施していた事業であったか、改めて教えてほしい。
A.希望者が2月の段階で800人ほどあったが、検診までの期間に治療に行く等で実際は1/3の検診。治療の千段階という方が見つかる。開始は平成15年からで契約先は柏崎市歯科医師会。
Q.平成22年度の事業評価シートをみると歯の健康同断は廃止という方向が書いてあるが、健康診断は廃止で歯周病検診は残るということでいいのか。
A.歯科の健康相談は一般病院でもできることもあるが廃止という結論はいまだしてはいない。歯周病の検診については成果があるとしている。
A.歯科医師会からの要望もあり、歯科保健計画を作成しようと平成23年に着手したところ。高齢者や障害者へのアプローチ、検診の周知、検診自体をどのような場で行うのかという議論もあり、関係者と相談している。

Q.生活保護について、確認したいことがある。米山町にいわゆる生活保護者を集めている施設(養生館)があり、周辺住民から苦情がでていた。平成22年度についてはどのような対応をとったのか。
A.21年8月に開設されたようであり、以前は騒がしいとの苦情も多く、色々あったが平成22年度になってからは苦情も入らなくなった。現在15名が入っているが、入れ替わりがあり、中には失踪でいなくなる場合もある。現在は13人が入ってる。違法ではないが、現状では良いとは思っていない。現行の法制度では制限はできない。
A.平成23年度も懸案事項として対策を新潟県に働きかけてとっていく。

 14時35分、15分間の休憩をとったのち、産業振興部の審査を行う。

<観光交流課>
・かしわざき風の陣補助金 206万円
・どんGALA!祭り補助金 206万円

<商工振興課>
・融資預託事業 44億2813万円

<企業立地推進室>
・企業立地推進員報酬1名 145万円
・広告料 46万円
・ネスパス一部借り上げ料 23万円

<農林水産課>
・たん水防除施設医師管理事業 1335万円

<農政課>
・新潟米ブランド力強化対策事業182.5万円
・農繁期就業支援事業 1097万円
 6人の雇用を確保
・中核後継者育成対策事業 305万円
 一人月額3万円

Q.新潟県フィルムコミッション協議会負担金1万円について、あくまで負担金だけであることは分かるが、柏崎市としてのフィルムコミッション活動はあったのか。長岡市をはじめ、新潟県内では自治体として多くの取り組みが成果を上げている事例もある。柏崎出身の映画監督が受賞したという吉報もあったが、平成22年度の取り組みを教えてもらいたい。
A.柏崎の場合は一団体あり、色々な会議には市役所として同席してきた。しかし、なかなか柏崎市が舞台になるような映画の誘致はできなかった。
A.平成22年度に柏崎市で24時間映画祭を行う計画があったが、主催者が亡くなったことにより、減額した経緯がある。柏崎市としても映画関係者などとは接触をとっていき、良い方向にもっていきたい。

Q.産業文化会館施設整備工事で296万円があったが、平成22年度末の段階であと何年ほどの耐用年数を見込んだのか。
A.建設以来30年が経過しており、補助金制度の上では50年の耐用年数になっている。今後の改修については、建築課や財政部門と相談の上、対応していきたい。

Q.企業立地推進室に聞きたい。広告料46万円とあるが、他の工業団地をもつ自治体の広告は羽田空港や新幹線をはじめ、かなり派手にやっているところもあるが、平成22年度は十分な効果があったと評価しているか。また企業立地推進員の活動実績についても大まかに教えてほしい。
A.広告については、『財界』(経済人が主な読者で約9万部)に2回1ページもので掲載した。しかし、反応は弱い。広告経由での問い合わせは、あまりない。新聞1回150万円より業界紙に掲載する方針をとった。方向性については検討中。企業立地推進員の活動は、1名でアンケート調査をもとに職員と同行(213件のうち56件)してもらい、アポイントとりを含めて活動してもらった。2465社にアンケートを送り、115社から反応。うち有意な回答があったところ9社を訪問した。
Q.会社訪問しただけではなく、再訪問もしくは会社代表のバックグランドから関係する会社にもお願いして囲いこみをするなどの手法はとったのか。
A.平成22年度に訪問した9社のなかには再訪問はなかった。以前に訪問した会社のなかには再訪問までいたった会社もある。
Q.市長が企業訪問に同行した事は平成22年度、もしくはそれ以前に何件あったのか。新潟県内の米で有名なところの市長と先日、酒席をともにしたときに聞いたところ、市長の出張日程と合わせて、時間ギリギリまで企業を担当課と回っているとのことだった。
A.市長が同行したのは何社かあった。アンケート調査に基づいて、対応している。

Q.綾子舞会館維持管理事業587万円が執行されているが、利用状況はどうだったのか。もっと活用されても良い施設であり、個人的にも年間数回行っているが、綾子舞人形がないことに対する観光客の不満をはじめ、綾子舞の一般公開日以外も、せっかく訪れてくれた人への対応が不足しているように思う。平成22年度にそういった点の総括はしたか。
A.地域の活動などに活用してもらっている。5486人が利用している。

Q.市民の森管理事業として、旧柏崎ぶどう村の跡地利用で60万円の委託で観賞植物や蕎麦などを植えるということであったが、先ほどの報告では蕎麦やひまわりなどの栽培に向かないとのことであったが、今後の方針をどうするのか平成22年度の総括として行ったのか。
A.ぶどう畑の活用については3年の試行となっている。平成23年度も行う。平成22年度で分かったのは、土質的に厳しいことが判明した。平成23年度は栽培のやり方を変え、結果をだしたい。

 17時15分に終了し、18時ごろまで会派室で残務整理を行う。

Nec_0001 市内での買い物や頼まれた資料のお届けなどをし、19時過ぎに帰宅。スーパーで半額になっていた味付け豚生レバー、豚生ハツを使い、大量のもやしとニラと一緒に炒めたもの、ニンニク味噌漬け、小粒納豆と大根おろしの和え物でご飯2杯の夕食をとる。
 豚生レバー、豚生ハツすべて合わせても200円以下という格安の品であった。

 食後から書庫の整理を行い、東電学園関係の資料を捜索?する。

2011年11月10日 (木)

日本海ルート拡充とモーダルシフト、そして柏崎の戦略

 3時、就寝。

 7時に起床し、大粒納豆、カレイの煮付け、ほうれん草のごま和えでご飯2杯の朝食をとる。

 事務所にて雑務をしたのち、長岡市に移動。

 10時から某病院の眼科での診察であったが、かなりの混み具合で2時間ほど待ってやっと5分程度の診察を受ける。

Nec_0005 13時、「ちゃんぽんラーメン B亭」(電話:0258-47-7787)に入り、「特製ちゃんぽん 海鮮たっぷり(エビ・ホタテ) 980円」を「麺大盛り +100円」にして昼食。
 中太ストレート麺で、味もほどよいため、スープまで飲み干してしまった。麺を大盛りにするより、ご飯を追加して、スープに投入する方が良かったかと思う。

 14時、事務所に戻り、平成24年度予算要望や講演会のための資料作り。

 16時過ぎから税金関係、決算審査のための調査で市役所関係各課をウロウロする。

Nec_0006 18時、母方の祖母が来たため、自家製の餃子、ほうれん草の胡麻和え、ひきわり納豆、ビール500ml2本で夕食。
 野菜多めで包んだため、アツアツの餃子から小籠包のように野菜の汁が飛び出し、久々のビールがグイグイと喉に入っていった。

 20時、事務所に来客。

 先日、上越新幹線直行特急早期実現期成同盟会の勉強会が行われ、鉄道貨物からのアプローチの話があったとの報道があった。
 2008年の一般質問から柏崎の鉄道活性化の意味だけではなく、いずれ鉄道貨物が復活する(モーダルシフト)ことを予想して、企業誘致のためにも、柏崎も真剣に鉄道に取り組むべきと訴えてきた。
 こういった勉強会により、より多くの人に鉄道路線があることの重要性が分かることは良いが、問題は柏崎市としてどう取り組むかである。
 次回の一般質問の場で会田市長に問い質したい。
 


平成23年11月9日『柏崎日報』

日本海ルートの拡充を
直行特急期成同盟会
鉄道貨物の現状勉強

 県と上越新幹線直行特急早期実現期成同盟会が7日、「直行特急と地域活性化に関する勉強会」を長岡市の地域交流センターまちなかキャンパス長岡で行った。講師の花岡俊樹・JR貨物新潟支店長が鉄道と船舶、トラックなどを組み合わせた物流について説明し、「日本海縦貫ルートは鉄道貨物輸送のメーンルート」として信越線、北陸線など鉄道網の維持・拡充を強調した。
 勉強会は毎年、年2回程度実施。この日は期成同盟会を構成する自治体、商工団体、信越線沿線自治体から約30人が出席した。関根慶一・県交通政策課長代理はあいさつで信越線活性化に向けた県の調査や取り組みを報告し、「旅客輸送と地域活性化のヒントを貨物輸送から得よう」と勉強会の目的を述べた。
 花岡支店長は鉄道貨物輸送の現状をはじめ、トヨタ自動車や佐川急便で行われている鉄道と船舶、トラック、倉庫、パイプラインなどを組み合わせたモーダルシフトの実例を説明。
 「東日本大震災で東北本線や東北自動車道が被災し、部品供給、北海道への生活物資輸送など産業や生活面に大きな影響が出たが、これを機会に、より一層継続的な企業活動を進めるための物流の大きな変化が始まっている」などと述べた。
 その上で、東京に近く、日本海縦貫ルートの中間にある新潟の拠点性を高めるためのJR貨物の取り組みを披露した。花岡支店長は「信越線、北陸線の日本海縦貫ルートは鉄道貨物のメーンルート。旅客輸送と互いに協力し、鉄道網の維持・拡充をしていきたい」と、これまではあまり交流のなかった沿線自治体との協調姿勢を示した。

2011年11月 9日 (水)

「バーモウ氏救出の記」前陸軍報道班員 岩崎榮

 3時、就寝。

 7時に起床し、シャワーを浴びたのち、大粒納豆、山芋とろろ、はんぺん煮でご飯2杯の朝食をとる。

 9時、事務所に来客。

 10時から電話にて某番組制作会社と電話で打ち合わせ。

 12時、来客があり、差し入れで頂戴したチーズフランスパンや手作り燻製ソーセージで一緒に昼食をとる。

 13時から市役所での雑務や郵便局、市内での陳情の伺いなど、市内まわり。途中、複数のテレビ局からの問い合わせが入る。

 17時、事務所に戻って事務仕事。

Nec_0002 18時、鶏のモモ肉をたっぷりのニンニク、生姜、長ネギ、醤油、酒のタレに漬け込んでから揚げた鶏唐揚げ、冷や奴、ほぐしタラコとひき割り納豆の和え物、ご飯2杯で夕食をとる。
 揚げたての鶏唐揚げを口に頬張ると、ピュッと熱い肉汁が広がるような仕上がりで満足であったが、できるならここに生ビールがほしいところ。

 19時30分から市内某集会所に移動し、意見交換会に出席する。観光や道路環境など多くのご意見を頂戴した。

 21時、事務所に戻り、事務仕事。

Cimg1166 大正13年(1924年)11月に、大日本雄辯會講談社、現在の講談社が大衆娯楽雑誌『キング』を創刊した。
 日本出版史上初めて発行部数100万部を突破したという国民的雑誌で、戦中である昭和18年(1943年)に敵性語である『キング』を『キング 改題 富士』と名称を変更してまでも発行され続け、昭和32年(1957年)に廃刊となった。
 当時を知るための貴重な資料であるため、日頃より古書店をチェックしていたが、この度、我が新潟県南魚沼市に亡命したことがあるビルマのバー・モウ首相に関する情報が掲載された昭和18年10月号を入手した。

 貴重な資料であろうことから、歴史的かな遣いを現代のかな遣いに直し、以下に引用する。


バーモウ氏救出の記
=殊勲の木村虎雄憲兵曹長は語る=

前陸軍報道班員 岩崎 榮

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 ビルマ独立は成った。その新生ビルマの輝かしき指導者バーモウ氏を、敵中より救い出して今日あらしめたわが憲兵隊の働きは、特筆されてよいと思う。私は一日、その殊勲者の一人木村曹長を小倉憲兵分隊に訪ね、つぶさに苦心談を聞くことができた。
私自身も、その当時陸軍報道班としてビルマに在っただけに、感慨一しお深いものがあったのである。私のきいたところを、木村曹長の談話の形にして読者にお伝えすることにしよう。以下、文中の私は木村曹長のことである。

バーモウ氏捕わる

 御承知のように、バーモウ氏はビルマ反英運動の親柱ともいうべき人物です。昭和15年の9月、マンダレーの反英大会で「神兵東方より来って、ビルマを鬼畜の手から奪い返してくれるであろう」と演説したために、マンダレーの獄に投ぜられたが、ビルマ民衆は承知しない。
 「バーモウを返せ!」「バーモウを返せ!」と、女子供までが石を投げてさわぐ暴動が全土にまき起こりましたので、さすがのイギリス官憲も手を焼いて、とうとう釈放しました。ところが、大東亜戦争になると同時に、「国防全権法」という身勝手な法律を適用して、バーモウ氏の身柄を拉し去り、どこかへ監禁してしまったのです。
 われわれはタイ国へ進駐した時、すでにこの報を得ておりました。
 ビルマ進行作戦は同時にビルマ建設作戦ですから、新ビルマの中心人物として、かけがえのないバーモウ氏は、どうあっても敵の手から奪い返さねばならなかったのです。そこで、憲兵隊は八方に触覚をのばして、バーモウ氏の行方を探しはじめました。
 幸いに、これにはバーモウ氏を頭首と仰ぐビルマの愛国青年の一団が協力してくれましたので、次々に新しい情報が手に入りました。
彼等は非常な危険と苦難を冒して、国境を越えて来るのです。
 ある青年はタイの百姓に変装して来まして、「バーモウ先生は今ラングーンの監獄にある。自分は電線工夫になって入り込み、先生の指令を受けて来た」といって、ラングーン、モールメンその他の敵軍の主要陣地や、火薬庫、燃料タンク、兵営などの所在を記した地図を持って来ました。またある青年はバーモウ氏がマンダレーの監獄に移され、その後更にどこかに移されたらしいが、生死不明ですといって、気力つきてそこに泣き崩れたまま人事不省になるというようなものもありました。
 日本軍に大切なバーモウ氏は、敵にとっても、放つことの怖ろしい人物です。そこで、作戦の進むと共に、奥地へ奥地へと移されていっているのは、疑いのないところです。われわれもある目途をつけて、いよいよタイからビルマへ入って行きました。

いよいよ救出に出動

 国境を越えて先ずミャワディという、山間の小部落に入りましたが、ここには独立義勇軍の指導で治安維持会が出来ており、会長のウートン・ウーという老人が、村民を指図していろいろと皇軍に協力してくれました。ウー老人は、「わしの倅が独立義勇軍に加わっておりますが、バーモウ先生は、どこかの山の中に隠されておられるということです。イギリスがいくら鬼でも、よもやあのお方を殺しはしますまい。もしあのお方を殺したら、たとえイギリスにどんな力があったとて、到底このビルマを治めてゆくことはできないでしょうから」と申しておりました。しかし、それから数日経ってカウカレイという村に入りましたら、ここではバーモウ博士はイギリスの手で殺されたという噂が、村民を極度に興奮させている始末です。
 生か死か、いずれとも確かな手がかりがないままに日は過ぎて、皇軍はラングーンに入城しました。わが憲兵隊はここで初めて、バーモウ氏がまだマンダレーの獄にあるという、やや確実性のある情報を手に入れたのです。マンダレー作戦が始まると、われわれもこれについて、一層情報の収集に努力しました。そのうちに、博士はマンダレーから20里も北にある、シャン山中のモゴックというところの、地獄のような監獄に移されたことがわかりました。
 5月1日マンダレーを占領。憲兵隊はすぐ手をのばして、住民から情報を集めると共に、救出の手段方法についてもいろいろと研究をしておりました。ところが5月12日の真夜中頃です。二人のビルマ青年が憲兵隊へ飛びこんで来て、「バーモウ先生がモゴックの監獄を破って出た。今マンダレー方面へ、日本軍をたよって潜行している!」というのです。
 すは!とばかり憲兵隊はどよめきたちました。牧本大尉殿を隊長に、門出(もんで)中尉殿、小田准尉殿、それに私と他10名が、直ちにトラックを飛ばしてモゴック方面に出動しました。この辺の道は、いわゆる援蔣ルートとして支那へ続いている、すばらしいアスファルトの高原道路です。それを、夜明け前の涼風を切って、寝てもさめても忘れられなかった目的の人に逢える希望で走らせた
気持ちは、何ともいえないものがありました。

キン・ママ夫人の救出

 途中のメイミョウで、警備隊から一個分隊の兵を借りて同行する。これから先には、英印軍や重慶軍の敗残兵が、何千、何百と、山の中をうろつき廻っているからです。もしもバーモウ氏がそんな奴等の手におちたら最後です。救出の望みが近くなっただけに、心配も大きくなって来ました。
 メイミョウからすこし行ったところのちょっとした部落に、はからずもバーモウ氏の兄という人物が住んでいることがわかり、たずねてゆくとバーモウ氏の子供さんたちもそこにいました。男の子が3人と、女の子が17歳に15歳の二人です。
 「父母を助け出してくれるのか」と言って、涙ぐみながら両手を合わせて、私たちを拝むのには、こちらも泣かされました。
 チョウメイという部落まで来ると、また、バーモウ氏の部下が、情報を持って来ました。
「バーモウ夫妻が、ここから左へ間道を入ったパンサンという山の中の部落に隠れている」というのです。
 そこで、その男に案内させて、間道に自動車を乗入れ、ものの2里ばかり狭い道を行くと、険しい山にぶち当たって、それからさきは、もう自動車でも行けない。とうとう借りて来た一個分隊の兵隊は、トラックと共にここで待たして置いて、あと5、6里の山みちを、案内と10人の憲兵だけで急行することになりました。右も左もジャングルに埋められた渓谷で、まるで箱根を越しているような地形です。途中で、いくつも支那兵の死骸を踏み越して行ったのですが、事実そのあたりは、右の方の山の中に、蔣軍の五師の敗残兵がおり、左の方には六師がおって、全く敵の中だったのです。
 これはいよいよ死地に踏み込んだわいと、秘かに覚悟をきめていると、門出中尉殿も、
「みなはここで、死んでくれよ」
と言われました。
「はい、死にますとも」
 各自、そんな返事をして、山の尾根を登って行くと、前方にすこしばかり開墾した赤土の畑が、午後の烈しい陽に、カッと燃えるような色を見せているところがあって、そこに3軒ばかり、シャン人の貧しい小屋があり、支那兵が30人ばかりも、そのあたりを野良犬のようにうろついているのが見えました。
 むずむずする腕を握りしめて深い林の中に忍び込み、その支那兵のいなくなるのを待つ。それから、進んで行くと、また出てくる。
その間のいらいらした気持ちー、むしろ、飛びかかって叩き殺してやる方が、どのくらい気楽だかしれないと思いました。
 やがて、山を一つ下り、谷を越えて、また山を登り、その山を北に越した山腹の、ちょうど山の髭みたいになったところに、また5、6軒の民家があった。そこがバンサンという部落だったのです。
 一軒、二階のある民家があって、そこにバーモウ氏夫妻がいるのだと案内の男がいうものだから、皆、胸を躍らせながら駈けつけました。
 ところが、バーモウ氏はその朝未明に、またそこを脱け出し、キン・ママ夫人だけが、残っているというのです。
 日本軍が救い出しに来たときいて、夫人は、その小屋がけのような家の二階から、階段をギシ、ギシと踏み、紺色の古びたロンギイの裾をかかげるようにしながら、牛皮の草履を履いて降りて来ました。
 こちらから、日本憲兵十何人の視線を一せいに集注されながら、別に取り乱した様子もなく、悪びれもせず、静かに出て来て、門出中尉殿の前に立ちました。小柄で、きりっとした表情の、眼の涼しい美人です。年のころは、34、35から40までの見当かと思いました。
 英語で、こちらから、バーモウ氏はどうされたかと聞いたら、達者な英語で
「今朝別れました。部下を3人つれて、ともかく日本軍のところまで行くと言って出かけました」
と答えたが、そのとき急に、月が曇ったように、涼しい眼のうちへ、涙をいっぱいに湛えたので、情にもろい日本の若武者どもは、はっとして、瞬間、眼のやり場に困ったものでした。
「なぜお別れになった?」
「私の方から別れて先へ行くように頼みました。女なぞつれて、重大な時に、もしものことがあっては第一、祖国に済みません。
第二に、日本軍へ申訳がないのです。私が馬鹿な女になります。また、バーモウが世間から物笑いになります。私という一人の女性がついているために、バーモウと、その同志との行動をも、よほど牽制します。バーモウはいまは、ビルマの宝です。私は覚悟しました。憎いイギリス兵や支那兵に捕まったら、辱めをうける前に自殺します。日本の婦人は、そうした場合例外なしにそうすると聞いていますが、私だって、そのくらいのことは致します」
「バーモウ氏は、いつ脱獄したのですか」
「1ケ月前、4月の12日でした」
「モゴックの監獄は、警戒が厳重では無かったですか」
「厳重でした。バーモウ一人のために、あの大監獄を守っているかと想われるほどにも厳重でした」
「それをなぜ、無理をして脱出したのですか。日本軍が助け出しに行くまで待てない情報がありましたか」
「ありました。イギリスはバーモウを蔣介石に引渡そうとしました。蔣介石軍は、バーモウをつれて重慶に行く途中で、もし日本軍の追撃が急だったら、殺してしまってよろしいという約束をしました。そうしたことは、バーモウの部下が、たくさん、密偵となって入っていますから、聞き出して来たのです」
「どんなにして、厳重な警戒のモゾック監獄を脱け出したのですか」
「私が、部下の人々を動かし、外部から策動しました。英人の監獄長と、印度人の監視長は、どちらも鬼のような人間です。
それに、百人ばかり、英人と印度人の部下があり、皆バーモウ一人のために、不必要なほどの警戒を続けているのでした。
しかし、その監獄の中へ、私は一人の同志を獄吏として化け込ますことに成功しました。この男が、月の無い夜、鬼のような印度人の監視長と、バーモウ専任の監視や獄吏たち5、6人に毒酒を飲ましたのです。みんな都合よく酔い倒れてしまいました。同志の男はそのとき、監視長の腰から、バーモウの部屋の鍵を盗み取り、バーモウをうまく脱出させました。それから、バーモウとその同志とは、監獄の下水管内に潜り込み、その排水口から谷川へ泳ぎ出して、泥まみれの濡れ鼠となって、私の懐に戻って来ました。
私は途中の山の中の小部落で彼を待っていました。それから、昼は民家に眠り、夜だけ道のない谷間や、山の中を歩き、やっと、このバンサンまで出てまいりましたが、このあたりは気がついてみると、危険の中心地帯となってしまいました。イギリス当局は、バーモウの首に、3万ルビーの懸賞金をつけると発表しました。また英軍も蔣介石軍も、バーモウを見つけしだい殺してしまえという命令を受けているそうです。
 バーモウは、今朝、私の背を撫でてくれながら、微笑して、きっと近いうちにわれら夫婦は、安全な家庭を営むことが出来ると言いのこして出て行きましたが、途中であなた方日本軍人にお会い出来なかったところを見ると、既に殺されて、首を持って行かれたのでしょうか」
 そういって、キン・ママ夫人は、きらきらした眼差しを、軒端から天の一角に向けて、しばらくの間、形のいい唇を、きっと噛みしめていました。
 陽はまだ高いが、腕の時計を見ると午後3時半を過ぎている。門出中尉殿が、
「では、これからすぐにトラックを待たせてある地点に引き返す。そしてバーモウ氏捜査の第二段に入ることにする。ところで、夫人、貴女は、日本軍司令部のあるところまでおつれしますから、われわれと一緒においで願いたい」
と言われると、夫人は、
「はい、お連れ願います」
と素直にうなづいて、少女のようなしおらしさで、家の外に出て来ました。
 そのとき、家の中から、主人の女房らしい女が、泣きながら袋を一つ持って出て、夫人に渡した。それは夫人の身のまわり品を入れてあるらしかった。

運命の清水

 バンサンから門出中尉殿以下一行の者が、キン・ママ夫人をつれて、もと来た道を引き返すとき、私だけ一人別れて、ビルマの百姓に変装し、左側の谷に降りて行きました。その谷間を伝って行くと、ジャングルが深かったり、道が無かったり、急流の踊るような渓谷があったりはするが、やはり、最初にトラックを待たして置いた部落の方へ出られないこともないという、バンサン部落の百姓の言葉を信じ、もしやバーモウ氏が、その道を辿っていはせぬかという一縷の望にひかされたわけでした。
 私はそれまでにも情報をとるためにしばしば変装しているので、ビルマ服の着こなしには相当自信があるのです。肌の色は、イヒチオールを塗りたてて、それを一度乾いた布で拭き取ると、そのあとが丁度ビルマ人と同じ色になることなぞも自分で発明したくらいで・・・。
 たった一人で敵の中の深い渓谷を辿るのは、心細いといえば心細いのですが、掌へ入るくらいの小さい拳銃を一つ持っていましたので、いよいよの場合にはこれで自殺すればよいと思っていましたから、割合に平気でした。敵には出逢わなかったが、いつの間にか道が判らなくなり、渓流に沿って歩いているうちに、その渓流とも離れて、水が流れていないところに出てしまった。
 それからむやみに、林の中を歩いていると、どこかで清水の湧くような音が聞こえてくる。その水音をたよりに行くと、きれいな水の湧いているところがあって、そこから右に、また小道が続いています。そこで、その冷たい清水を腹一杯飲み、元気を出して歩いてゆきました。
 1時間?いや30分?そのくらい歩いた時、前の方で、林の下を、ちょろりと黒いものが動いたような気がした。敵か!と用心しながら、つけて行くと、小道が(く)の字になっているところがあって、そこでハッキリと、前を行く人間が、ビルマの百姓で、4人連れだということを確かめました。
 同時に自分の頭に、あの前から二人目がバーモウ氏じゃないか!と閃きました。それで少し急いで追っかけ、むこうで気がつかぬうちに、こちらから英語でいきなり、「バーモウ氏ではないか」と声をかけたのです。
 そして、警戒させてはいかんと思ったものですから、すぐ押っかぶせて、
「自分は日本軍の憲兵である。貴方を探し出し、救助するために変装しているのだ」
と言いながら、ずんずん接近して行った。
 初めの声で非常に驚いたらしかったが、やっと安心したものと見え、向き直って待っていて、その中の一番大柄な、人品のいい男が、
「私がバーモウです」
と言って、握手するために手を差し出して来ました。
 その手を握った時の気持ちは何といっていいかわかりません。しばらくは声がつまって言葉が出ませんでした。「あなたの夫人は、自分の隊で護衛し、この先の部落へ着いている筈だから、そこまで急いで行きましょう」と言うと、バーモウ氏は、実に、世にも嬉しそうな表情になり、「サンキュウ、サンキュウ」と言って、こちらの掌が痛くなるほど握りしめたものでした。
 こうして、ビルマ第一の宝を探しあてた一行は、大喜びでマンダレーに引返し、バーモウ氏の一家は、しばらく憲兵分隊の近くに住むことになりました。その後数日にして、私は命により次の任務に向かうことになりましたので、マンダレーを去りましたが、バーモウ氏は一家総出で見送ってくれたのでした。(おわり)

2011年11月 8日 (火)

日本の領海に侵入:中国人船長を逮捕

 3時、就寝。

 7時に起床し、大粒納豆、鮭の酒粕漬け、もずく酢でご飯2杯の朝食をとる。

 食後から東電学園高等部、大学部の資料を書庫で探索。

 8時30分、東電学園の資料やウルトラマンの巨大フィギュアを持って、市役所に移動する。

Cimg1164 9時から市役所内の会派室にて、某テレビ局の報道番組の取材を受ける。
 東日本大震災を受けての原子力発電所のあり方から東電学園のことまで幅広くインタビューを受けたのち、資料をブツ撮り。
 いくら脱原発と言おうとも、現実問題から少なくとも核分裂型の原子力発電はもう20~30年はやらざるを得ないであろうこと、いま原子力発電所を即時停止したとしても、高レベル核廃棄物など核処理に関する技術は維持し続ける必要がり人材育成は必要、といったことを明言させてもらった。
 インタビュー中には、後ろにウルトラマンの巨大フィギュアが映り込むようにし、さりげないウルトラファンアピール。

 柏崎刈羽原子力発電所が見えるよう、中央海岸に移動しての撮影を行って、取材終了となった。

Nec_0003 12時、自宅に戻り、市販の中華太麺、豚骨醤油スープの素、味付けシナチク、近所の肉屋さんで購入したチャーシューでつけ麺を作って、昼食にする。
 最近だいぶ寒くなってきたので、つけ麺の機会も減ると思いきや、好物である太麺のつけ麺は変わらない。

 食後、愛車で山形県に向かって移動。

 途中、打ち合わせ相手が某国での飛行機の乗り継ぎができず、まだ日本に到着していないとの連絡があり、引き返す。

 17時、事務所に戻ったところで来客。

Nec_0004 18時、スーパーでかなり安くなっていた「千葉県産 天然わらさ 298円」、小粒納豆と大根おろしの和え物、揚げ春巻きでご飯2杯の夕食をとる。
 一パックに天然わらさ半身が入って300円という嬉しい価格。眼の不調により、ここに冷たいビールを追加できないのが悔しい。

 19時30分から市内某所での打ち合わせに出席。

 23時に帰宅し、届いた本を持ち込み1時間ほどの長風呂に入る。

 中国漁船が日本の領海内に入り、逃走を図ったうえ、海上保安庁の巡視船が体当たりしなければ停船しなかったという事件があった。
 こういった報道を見ただけで、今回は中国共産党政府の圧力を受けないだろうな、と心配してしまう。それだけ、現在の日本政府の弱腰が意識に定着してしまったのであろう。
 民間漁船の違法は粛々と処理するだけだが、本腰を入れて対応しなければならないのは、尖閣諸島周辺。中国共産党政府の意志を受けた船による挑発行為が続いており、引き続き注視が必要である。


平成23年11月8日『産経新聞』

中国人船長を逮捕
長崎・五島列島 漁業法違反容疑

 長崎県・五島列島の鳥島の北北西約4キロの領海内を2隻の中国漁船が航行しているのを、長崎海上保安部の巡視船「ほうおう」が6日、発見した。2隻は指示を無視して、逃走を始めたため、巡視船は1隻を追跡。烏島の西約60キロの排他的経済水域(EEZ)で体当たりして停船させた。
 漁船は中国船で「浙岱漁04188」(135トン)。
 海上保安官が乗り込み、巡視船による立ち入り検査を拒否した漁業法違反(立ち入り検査忌避)の疑いで船長、張天雄容疑者(47)=中国福建省=を現行犯逮捕した。残る1隻は逃走した。
 同保安部は6日夜、張容疑者を長崎市に移して調べを始めた。漁船と残りの中国人乗組員10人も7日、長崎港(長崎市)に移送し、事情を聴いている。保安部では、無許可操業の可能性も視野に船内の漁獲物の有無も調べる。

「尖閣」と異なる事情

 長崎県五島列島の鳥島沖で6日に起きた中国漁船の漁業法違反事件。昨年9月の尖閣諸島沖の中国漁船衝突事件をほうふつさせるが、海保関係者によると、今回は中国側が領有権を主張する海域ではないため、干渉してくる理由はないという。

中国に干渉理由なし

 「今回は釈放しないでください!」。7日朝、海上保安庁に寄せられた電話に担当者は苦笑した。今回同様に違法操業の外国漁船を摘発する例は毎年数件あり、巡視船に体当たりを繰り返した尖閣事件とは根本的に違うからだ。
 藤村修官房長官も7日の会見で「通常案件と受け止めている」と強調。中国側に通知したことを明らかにし、「外交ルートでしかるべき話がされている。過去にもあるケースで、日本の法律に基づき手続きが進められる。中国側から特に意見があるということではない」と説明した。
 海保関係者によると、一般的に、外国漁船を領海内(約22キロ)で摘発した場合、逮捕した容疑者を送検し、略式起訴となるケースが多い。容疑者は罰金を納付後、漁船で帰国する。
 一方、排他的経済水域(EEZ、約370キロ)内では、容疑者が違反事実を認め、担保金を支払えばその場で釈放するという。
 海保幹部は今回のケースを、「漁船の目的などもきっちり捜査した上での判断になるが、略式起訴になる可能性が高い」とみる。
 海保によると、平成20~22年の外国漁船の摘発件数は2、3件と小康状態で推移していたが、今年は9件と急増。国別では、19年までは韓国と台湾が目立ち、中国は18~22年に1件ずつと”少数派”だったが、今年は4件に上っている。
 一方、民間船を含め的40隻で違法操業のパトロールを行っている水産庁の統計では、今年に舎捕した外国漁船は10件と昨年に比べほぼ半減。国別では韓国9隻に対し中国は0だった。
 このため、海保の摘発数が違法操業全体の実態を反映しているとは言えないが、水産庁の担当者は「韓国は申請した上で、申請分よりも多く取るといった違反が大半。一方、中国は拿捕こそ少ないが、完全な無許可操業が多く、悪質さも否めない」と指摘する。

相次ぐ挑発行為

 今回のケースとは事案が異なるものの、尖闇では中国側の挑発行為が相次いでおり、海保の緊張状態が続いている。
 昨年9月以降、中国の漁業監視船が日本の接続水域(領海の外側約22キロ)に侵入したのは14回、海洋調査船がEEZ内で事前申請と異なる海域で調査を行っていたのは5回に上る。
 こうした実態に海保幹部は「今後も中国の公船が定期的に出没するだろう。公船に対しては警告しか手がきないのが実情だが、国が毅然とした態度を取れるように、粛々と任務をこなしていく」と話している。

2011年11月 7日 (月)

会計監査:柏崎市指摘事項
療養給付費の過大交付

 3時、就寝。

 7時に起床し、大粒納豆、目玉焼き、生姜の味噌漬け、ひじき煮でご飯2杯の朝食をとる。

 9時過ぎまで電話での依頼などが多くあり、資料をFAX、メールで送信したり、資料作成に追われる。

 10時から自民党柏崎支部で役員人事に関する打ち合わせ。支部長の交代をはじめ、若返りを図ることになった。現在は総務会長の任を負っているため、離党届けも未受理となっているので、できれば役を外れたいと申し出たが決定まではいかず。

 某氏の車に乗せてもらい、某県に移動。途中、コンビニで購入したレタスサンドイッチ、納豆巻き、鶏唐揚げ、グレープフルーツジュースで昼食をとる。

 14時から某ホテル会議室にて、放射線防護や原子力発電に関して約1時間お話させてもらう。
 質疑応答の時間も作ってもらい、会場からの質問を受けたが、脱原発を訴える人でも時間軸をはじめ、その内容はバラバラであることがよく分かった。

Cimg1163 18時30分に帰宅し、スーパーで安くなっていた寿司セット、オクラと山芋と小粒納豆の和え物、秋刀魚の塩焼き2尾で夕食をとる。
 生の秋刀魚で内臓もしっかりしていたため、身をほぐしてワタをまぶし、辛めの大根おろしと醤油を少々。めるめの燗をした日本酒がほしいところである。

 19時30分から市内某所での意見交換会。新規事業に関する話がいつの間にか市政に関する話になり、来年の市長選挙の話題まで盛り上がった。

 22時、帰宅し、風呂に入ってから事務所にて事務仕事。

 国の会計実地検査により、平成19年分の国民健康保険療養給付金について、誤って請求したため、国から過大に交付金を受けていたことが判明したことが、本日報告された。
 数値の転記ミスというケアレスミステイクとはいえ、約574万円という金額である。
 どういった対策をしたのか、議会にて問い質したい。


柏崎市市議会議員様
                平成23年11月 7日
                柏崎市長 会 田  洋

平成22年度 国民健康保険事業に係る会計実施検査の結果について(報告)

 平成22年6月に実施された国の会計実地検査において、指摘事項を含む検査結果の内容が平成23年11月 7日付けで公表されたところですが、この内、本市では国民健康保険事業における療養給付費の過大交付が指摘されております。
 原因は、遺憾なことに下記によるものでありますため、再発防止に向け複数の職員によるチェック体制の徹底を指示いたしました。
 なお、今後の対応については、市議会12月定例会の補正予算で返還金を予算措置させていただく予定としておりますので何卒ご理解くださるようお願いいたします。

           記

1 指摘事項・額
 国民健康保険療養給付費等負担金のうち療養給付費負担金の過大交付
5,739,200円(平成20年度に提出した平成19年度分の実績報告書)

2 原  因
 
療養給付費負担金に係る高額療養費金額欄への数値の転記誤り

   担当:国保医療課(国民健康保険係)

2011年11月 6日 (日)

カール・シュミット「政治の本質は決断にあり」

 3時、就寝。

 7時に起床し、大粒納豆、野菜さつま揚げ、きのこラー油漬けでご飯2杯の朝食をとる。

 8時30分から11時まで視察対応。柏崎の自然を見たいとのことだったので、牛ヶ首、聖ヶ鼻を案内し、断層など歴史的な重みを見せるツアーにさせてもらった。

 13時、帰宅。冷凍しておいた油揚げを使い、アゴ出汁、干し納豆パウダー、醤油、みりん、塩で作ったつゆ、冷凍うどんできつねうどんを作り、姪っ子とともに昼食をとる。

 食後から事務仕事。明日の講演会で使う資料を作成する。一般の方が対象であるため、放射線に関する用語もできる限り分かりやすい言葉、理解しやすい例えに変更した。

 16時、18時と来客があり、雑談。

Cimg1162 21時、4年前に頂いた蟹の缶詰の賞味期限が切れていたが、缶の密封は問題なかったので使うことにし、卵の卵白をメレンゲ状にしてから卵黄、蟹の缶詰、旨味の補助として干し納豆パウダーを入れ、特製のカニ玉を作って、わかめスープ、ご飯2杯とともに夕食にする。

 食後から事務所にて、事務仕事。メールの返信など、まだまだ1ヶ月前のものを処理できていない・・・。

 海外への原子力発電プラント輸出は行うとしながら、国内においては脱原発・反原発のような政策をとる民主党政権。TPPについても党を二分し、右往左往する状況にあり、野田首相の政治決断が求められている。
 本当の政治決断は「一方的に世論に迎合して決めること」ではなく、国や県、市、それぞれにおける政治家がその未来像を描いたうえで選択するもの。私の場合なら、柏崎市の将来のあるべき姿を思い描いたうえで、世論を加味しながら、政治決断しなければならない。
 野田首相が政治決断できないのは、我が国のあるべき未来の姿が描けていないからであり、またそのための情報発信すらしていないからであろう。


平成23年10月17日『産経新聞』

【日の蔭りの中で】
京都大学教授・佐伯啓思

「首相の決断」について

 しばしば首相に対して強力なリーダーシップや政治的決断力が期待される。支持率を見る限り、出だし好調であった野田佳彦首相もここへきて支持率を落としているが、その理由も、首相の決断力の欠落に起因するようである。前任者と異なって地味でパフォーマンスを避けるのは良いが、どうも安全運転で失点を最小にしようとする態度が物足りない、というわけだ。
 確かに、政治の本領は決断にあると、例えば法学者であり政治思想家でもあるカール・シュミットも述べた。このことは正しいと私も思う。しかし、シュミットが述べたのは、一種の例外状態における決断であった。つまり、危機的な事態においてである。そして、危機的な事態においては民主主義はうまく機能しないのである。危機的な事態のさなかにあって、いちいち多様な意見を闘わせ、熟議を通して意見の集約を図るなどという悠長なことはやっておれないからだ。だから、シュミットが「政治の本質は決断にあり」といった裏側の意味は、民主主義では本当の政治はできない、ということであった。
 今日の日本の状況が「危機」なのかどうかは私には即断できない。私自身は、少し長期にわたる文明の危機、もしくは歴史的な危機というものを考えている。しかし、多くのメディアやジャーナリズムは、めったにない危機的事態だと述べている。とすれば、首相に強力なリーダーシップを求め、強力な決断力を求めるなら、民主主義では危機を乗り切れない、というぐらいの論陣を張らなければならない。
 ところが、そもそも、「国民が首相に求めるものは決断力である」などという世論調査や支持率調査を引き出してきて、世論を政治に反映させようなどという趣向そのものがいかにも民主主義なのだから、これでではどうにもならないであろう。
 しかも、民主党こそは民主主義の申し子であるのだから、その民主党に危機における強力な決断を期待する方が無理というものであろう。
 もっとも事態は民主党に限らず自民党にしても同様というほかない。強力なリーダーシップと言いながら、「国民のための政治」などと言って「決断」を回避しているのは、民主、自民を問わず、今日の政党政治のほとんど必然の成りゆきなのである。考えてみれば、政党と世論の両者によって支持されなければ務まらないのが、今日の民主政治の下での首相というものである。とすれば、首相は党と世論の両者を説得しなければ決断などしようもない。
 ところが、さしあたっての重要課題について、党も世論も真っ二つに分かれ、決定不能になっている。原発問題しかり、TPP(環太平洋戦略的経済連携協定)問題しかり、財政問題しかり。これらの課題に関して、民主党も自民党も内部で分裂し、世論も見事に分裂している。
 原発については、情緒的な脱原発論者は多いものの、現状の電力需要を見れば、容易に脱原発に踏み込むわけにはいかない。TPPについては、推進派と慎重派でほとんど接点の見いだせないほどの対立を示しており、そもそも、それぞれについても利害得失の推定も困難である。
 財政問題も、かくも大きな災害時に、そもそも財政問題を持ちだすことについての見解がまったく二分されてしまうという様相である。
 これでは、いくら蛮勇をもった首相が登場しても「決断」を下すのは難しい。ましてや民主主義を売り物にした政党の内閣であればほとんど期待する方が無理というものであろう。民主政治のもとで、政治的リーダーがそれなりに「決断」を下すことができるのは、潜在的にであれ、国民の間におおよその価値の共有があればこそなのである。
 とすれば、今日の事態の困難さ、深刻さの本質がどこにあるかは明白であろう。原発にせよ、TPPにせよ、財政問題にせよ、それらの課題に対処すべき価値観が見失われている、ということなのだ。原発か脱原発か、TPP推進か反対か、財政再建か拡張か、といった問題は、もはや単なる利害得失だけでは決定できない。そもそも、それらの利害得失さえも容易には計測も推測もできないのである。
 とすれば、それらに対処する価値はどこからでてくるのか。私には、それは日本についての将来のおおよその社会イメージしかないだろうと思う。長期的な社会の向かう方向である。原発か脱原発かは、長期的には日本のエネルギー政策や経済成長への期待と無関係ではない。TPPは、日本経済の輸出依存の度合いや食糧自給、すなわちグローバル化した世界における日本の産業構造や自給的安定性と無関係ではない。財政再建か財政拡張かも、ただ経済上の問題ではなく、将来へ向けた公共的インフラストラクチャーの形成と不可分で、それは将来の社会ビジョンのなかでしか議論できない。
 将来の社会像について私なりの見方はあるが、それはともかくとして、いずれにせよ、ここで要請されているのは、日本をどのような国家として将来へ向けて構想するかという価値選択にほかならないのであり、その価値を提示することこそが、さしあたりの首相の「決断」というべきであろう。

2011年11月 5日 (土)

群馬県伊勢崎市・伊藤純子議員後援会視察対応

 3時、就寝。

 7時に起床し、姪っ子と「スイートプリキュア」「トリコ」のDVDを見ながら、大粒納豆、マス塩焼き、韓国海苔、ラー油カラスミで朝食をとる。
 「トリコ」は設定が面白く、また番組冒頭の口上にも味がある。

「舌の上でとろける霜降り肉で全身ができた獣、ぷりっぷりのタラバ蟹やオマール海老の身がなる樹、香り芳醇なブランデーが絶え間なく湧き出る泉…未開の美味溢れるこの時代を人は『グルメ時代』と呼んだ!貴重な食材が国際経済すら揺がすこの時代、未知の食材を探し、調達するプロフェッショナル達がいた。それが、『美食屋』!あらゆる食材の知識と、未踏の地に潜む危険を乗り越える強さを兼ね備えた食の探求者達…中でもカリスマと呼ばれる腕利きの美食屋がトリコ!」

 9時、事務所に来客があり、市政に対する苦情やご意見を多々、頂戴した。

 10時から市外からの某団体をご案内し、中越沖地震での被災からの復旧・復興を説明させてもらった。

Cimg1142 12時、姪っ子がどうしてもついていくというので、姪っ子を連れて柏崎刈羽原子力発電所サービスホールに移動。
 視察対応で、発電所の敷地内に入っているときに事前申請していない姪っ子をどうしようか迷ったものの、5階で工作教室をやっているため、そこで遊ばせてもらうことになった。

Cimg1147 12時40分、柏崎刈羽原子力発電所サービスホール内の「喫茶はまなす」(電話:0257-20-2370)にて、「スパゲティ 明太子 300円」を100円追加で大盛にして、昼食をとる。この値段でミニサラダとスープがつき、とてつもなくコストパフォーマンスが高い。
 姪っ子は、「お子様カレーライス 300円」を美味しそうに完食した。

Cimg1152 13時、群馬県伊勢崎市・伊藤純子議員の後援会がご本人とともに大型観光バスで到着。
 約40分間の座学ののち、展示館にて目で見ながらの説明を受け、発電所の敷地内に入る。
 視察は、6号機のタービン建屋オペレーティングフロア、原子炉建屋オペレーティングフロア、そして中央操作室をまわった。

 16時過ぎ、お見送りをして、視察対応終了。

 工作教室を楽しんだ姪っ子を車に乗せ、買い物やレンタルDVDを借りつつ、18時に帰宅する。

Cimg1160 18時30分、1パック150円になっていたマグロの血合いを使ったマグロの血合いのフライ、大根の酢の物、炒り銀杏、ひき割り納豆でご飯2杯の夕食。
 マグロの血合いは常に売っているわけではないが、たまに見かけると即買いをしている。煮物でもフライでも楽しめ、安くて美味しい食材である。

 食後から姪っ子に、年長さんにはちょっと早いものの、引き算とかけ算の概念を絵を使って教える。飽きたところで、怖いホラーもののDVDを一緒に見る。

 21時、姪っ子と風呂に入ったのち、寝かしつける。

 22時から事務仕事。

2011年11月 4日 (金)

あさま山荘事件:「難局打開の鉄球」

 資料作成が終わらず、4時から6時まで事務所の机で仮眠。

 大粒納豆、生卵、イカ塩辛でご飯2杯をかっこんだのち、愛車で某市のホテルに宿泊中の某氏を迎えにいく。

Cimg1133 8時、ホテルロビーで某氏と合流し、懇談。新幹線の時間まで余裕があるとのことで、紅葉を見ることとなった。
 上越新幹線ではなく、長野新幹線で東京まで帰ってもらうことに変更し、光ヶ原高原に移動。長野県に抜ける道は11月7日から冬季閉鎖になるため、紅葉に見るには絶妙のタイミングであった。

 途中、あさま山荘事件で有名になった鉄球が展示されている箇所で寄り道。二人とも、あさま山荘事件が起こった昭和47年生まれである。

Cimg1137

 碑文は次の通り。

難局打開の鉄球

 この鉄球は一人の人質にされた主婦を救うために命を賭けた千六百三十五人の警察官たちの勇気の証しです
 佐々淳行

 一九七二年のあさま山荘事件を映画化した「突入せよ!あさま山荘事件」のロケーションが二〇〇一年一二月厳寒の中、この地、光ヶ原高原で行われました。ここに展示した鉄球のうち、一つは事件の際、人質救出の突破口を開くため「あさま山荘」に集められた実物であり、もう一つは、映画ロケーションで実際に建物破壊に使用された鉄球です。いわば閉塞された状況を打開する「難局打開の鉄球」と申せましょう。

 二〇〇二年八月 建立 板倉町
         協力 (株)守谷商会
            田中産業(株)

 長野駅まで某氏を送ったのち、帰路につく。

Cimg1139 13時30分過ぎ、自宅に戻り、自家製豆板醤、豚と牛の合い挽き肉、大量の花椒とニンニク、ラー油、干し納豆パウダー、刻み長葱で激辛麻婆茄子を作り、麻婆ライスにして昼食をとる。
 麻婆豆腐の味の要であるビリビリとくる花椒が底をついてしまったので、また買わなければならない。

 15時、17時と事務所に来客。

Cimg1141 18時20分、「あずき」(電話:0257-23-0480)に移動し、地元の周辺5町内会で構成する東訪振興協議会で先日行った東日本大震災の現地視察の「脛巾(はばき)抜き」(打ち上げ)に出席する。
 眼底出血のため、アルコールを控えねばならなかったが、つい生ビールを注文。結局、5杯を飲む。
 主な話題は、報告書のまとめであったが、ある程度見通しがついたところで雑談。こういった雑談のなかにアイデアがあることが多く、柏崎では生息区域が狭くなってきている浜ぼうふをはじめ、浜撫子などの海浜植物のお話も聞けた。

 21時、二次会として近くの某スナックに入り、再度、生ビールを2杯。

 22時30分に帰宅し、シャワーを浴びたのち、買っておいた本を読む。

2011年11月 3日 (木)

月刊『致知』平成23年12月号
「友好と外交は違う」新潟中国総領事館移転問題

 1時、就寝。

 5時過ぎに起床し、愛車で某市のホテルまで移動する。

 8時、某ホテルのロビーで某氏らと待ち合わせたのち、打ち合わせをかねて、ホテルの朝食ビュッフェで朝食をとる。
 紙の資料、パソコンの画面を広げながらの打ち合わせとなったので、和食を食べるわけにもいかず、片手でもてるよう食パン2枚でソーセージ、チェダーチーズ、レタス、ベーコン、サワークリームをはさみ、一気に頬張った。

 11時過ぎ、某所に移動し、昼食をとりながらの打ち合わせ。

 15時、事務所に戻ったところで来客。先日の台湾視察が話題となり、空き時間におもちゃ屋さんにて19元で購入したウルトラマンのビデオCDを見る。
 メディアのラベルには「帰ってきたウルトラマン」の写真が使われているが、中身は「ウルトラマン」。そして、著作権表示には「Tsuburaya Chaiyo」の文字があり、日本からの映像提供は「制作:日本東映株式会社」となっており、メチャクチャな商品である。

Cimg1130

 16時、18時、事務所に来客。

Cimg1132 23時30分、スーパーで安くなっていた鶏モモ肉の照り焼きに山椒と再仕込み醤油をかけて、焼き直ししたものと海草サラダ、銀杏入りの茶碗蒸し、インスタントのひき割り納豆汁、ご飯で遅めの夕食をとる。
 やはり茶碗蒸しには銀杏が必須である。

Cimg1129 月刊『致知』平成23年12月号の「連載/意見・判断」P106~108に、新潟中国総領事館の経緯等を書いた「友好と外交は違う~中国総領事館移転問題にみる国家分裂の危機」が掲載された。
 この掲載により、新潟県内のみならず、全国の『致知』読者の皆さんにこの問題を知ってもらいたいと思う。
 本文の冒頭の一部は以下の通り。ご担当頂いた編集部のO女史には、感謝申し上げたい。

<一部のみ抜粋>

Cimg1128・・・そして平成二十年、中国はまずは沖縄につくりたいという要望を外務省に提出。断るや否や「では、新潟に」と提示してきた。米軍との関係から明らかに断られるであろう沖縄を先に出し、二度は断りづらい状況に追い込んでから新潟を提案する。なんとも老獪な作戦で設立されたこの領事館が、大変な物議を醸している。
平成二十一年六月、中国総領事館は、一旦は万代島ビルに開設された。このビルは新潟にある各国領事館を一か所に集め、文化交流の中心的シンボルにしようという構想で建てられた三十階建ての大きなビルで、ロシアや韓国の領事館もここにあり、何の問題もなく運営をしている。
ところが、中国は入居からわずか二か月後の八月、「独自の領事館がほしい」とビルを出て、一時的に市内の元音楽学校だったビルに仮住まいを始め、次の領事館の候補地として市有地である万代小学校跡地の買収に乗り出したのだ。
この跡地はJR新潟駅から徒歩八分(六百四十メートル)、敷地面積が約五千坪という広大な土地である。もちろん領事館は治外法権であり、日本人が自由に立ち入ることはできない。ということは、この跡地に領事館ができれば、新潟の一等地が中国領になってしまうのである。その上、中国は賃貸ではなく土地を買収し所有したいという。
普通の国家なら即却下するような話である。しかし、驚くことに新潟市ではこの計画が着々と進められていた。

・・・まず、相手国に入り込んで反国家権力の人たちに擦り寄り、次いで外国人にも自由を認めよ、権利を認めよと騒ぐ。私のように「いや、それは認められない」という人間が現れると、「私たちは皆さんと仲良くしたいのに、差別する人たちがいます」といって、「差別主義者」というレッテルを貼る。「かわいそうに。あなたたちはいい人なのに」と外国人に理解を示す人たちと結びついて、その勢力を拡大していく。こうして国民を二派に分断し、国力を低下させて、どんどん自分たちの影響力を強めていくのである。

2011年11月 2日 (水)

議会改革に関する特別委員会第一部会
第3回検討会

 3時、就寝。

 7時に起床し、大粒納豆、鮭のハラス焼き、大根おろし、焼き海苔でご飯2杯の朝食をとる。

 9時過ぎ、市役所に移動し、会議のためのプロジェクターの設置などを行う。

Cimg1127 10時から部会長を務める議会改革に関する特別委員会・第一部会に出席。
 今日からは議題の課程が分かりやすくなるように、プロジェクターとパソコンを持ち込み、リアルタイムで議事録を作りながらの設えとした。
 議題は、は、議会改革を実施するにあたり必要な来年度予算要望、次回定例会までの日程・議論のスピード、私の方で作成した「柏崎市議会議員倫理条例(案)」についての3件である。

1.前回までの決定事項の確認
(1)来年度の議会改革に必要な予算要望について

・当部会が設定したテーマの研修会1回(全議員が対象)
・広報ビラは1回(制定した条例の解説)
・市民との意見交換会2回分は当部会テーマを入れ込む。
・選挙管理委員会との懇談会を実施する。
 → 各部会からの要望結果をふまえて、他の部会との関連を協議
・第2部会からも同様な研修会開催の要望があるが、内容についての要望は第2部会としてないお。できることなら一緒に開催したいとのこと。
・市民との意見交換会については、第2、3部会からは要望はなし。第3部会から議会報告会として試行開催の検討をしている情報あり。事前の周知に関しては、計画的に進めるよう広報かしわざき、議会だよりの活用で調整中
*条例説明と議会説明会を兼ねてみてはどうか。
・第二部会で市民アンケートを実施計画中。

<事務局との質疑>
Q.市民説明会の費用は4回ほどやると30万~40万円ほどというが、会場費がそれほどかかるのか。
A.中央で開催してもやはり費用はかかる。
Q.第3部会がやりたいという市民アンケートはやり方によって費用も変わろうが、手法は聞いているのか。
A.前例が他の自治体もあるが、2000人規模で回収率5割程度をイメージしている。
Q.最低でも1000は回答が必要であるが、郵送なのか各議員が集めるのかで費用は変わるが、どのような設定か。
A.あくまでも議会全体で動く話で、質問内容も手法も第3部会の部長と副部長と本日打ち合わせる。
Q.研修については、テーマは第一部会から提案する内容を包括した講師を選べばいいのでないか。議会報告については、議会改革の報告と市民の意見を聞く事は少し変わってしまうのではないか。議会への市民からの要望と、定例会などの議会報告は一緒になると議論が散漫するような気がする。別の方がいいのではないか。
Q.議会報告と市民説明会、市民との意見交換会と名称がバラバラで中身も本当は違うのではないか。議論の過程を説明することと、議会の決定事項を報告すること、市政への要望がゴッチャになる。テーマを絞ってやるべきではないか。議会の一つの姿勢として、決めてから報告会、意見交換会をやるべきで整理が必要。市民アンケートも第3部会にまかせるものの、手法を決めてから予算要望すべきではないか。
Q.市民アンケートも企画・本委員会で決定してもらいたい。視察をしたいという部会もあるようであるが、全議員が対象なのか。
A.先進地に一回はいくべきと第3部会で話がでている。方向も決まっていないが、要求として計上すべきとなった。1泊2日程度で、部会別にいくという考え方でいる。
Q.過去の特別委員会では1名に3万~4万円ほどの旅費をつけての先進地視察を行っていたが、今回もそれをそのままやるわけにはいかない。そういった予算要求を議会改革のなかでするのは乱暴ではないか。議論が必要であろう。全議員が各々の政務調査費を使うという選択もある。全体での意見調整が必要。議会改革でさらに予算要求するのも好ましくない。
A.市民への説明会については、第3部会との調整になる。第3部会では、日程の調整の仕方などを検討しているので、第1部会で先行して説明会を実施してもらって、参考にしてもらいたいという思いもある。
Q.後段が不明。第一部会としては、条例案の説明をし、意見をもらいたいことであって、違うのではないか。
A.予算上、対市民として説明会をやるのは、部会としてではなく議会としてやることになる。外に向かっては議会全体としてやる。細かい点は議員間でも整理がついていないのではないか。

<意見>
・第1部会が倫理条例案を市民に説明する場合には、当部会で受け持つ。議会報告会とは別の次元であるので、整理が必要。
・新聞への投書もあったように議会改革への要望は市民から多い。市民から見て分かりやすい工程表が必要。市民が議会に対してどんな思いがあるのか、アンケートを先行してもらったらどうか。議会が何をやろうとしているのか、を示したうえで、議会倫理条例を制定する説明がいいのではないか。アンケートの結果を受けて、テーマ別に市民との意見交換会が流れでどうか。テーマ別の意見交換会が安定すれば、議会の定例報告会もうまくいくのではないか。
・市民説明会のイメージは分かった。部会ごとの方向性がでたときに市民説明会を行う。
・議会改革の工程表をださないと決まっていかないのではないか。部会、全体で決めて提示する必要がある。
・第3部会からの市民アンケートという話があったが、工程表からいけば第1部会が先行している。
・アンケートを最初に実施する方が良いという話もあるが、それはあくまで予算要求であり、我々は第1部会としての範疇で先行する。

<第一部会要望>
・定例会の内容などの議会報告会と一緒に当部会の市民意見交換会は実施しない。他の部会と一緒でもテーマを決めて、市民との意見交換をする報告会であれば、第1部が第1部会、第2部が第2部会という同日開催は構わない。
・研修会の実施については、第一部会のテーマを織り込んだ講師の選定をしてもらえれば1回の開催で良い。

(2)次回定例会までの日程・議論のスピード
・12月定例会までに本部会を最低2回実施する。
・12月定例会中の本委員会にたたき台もしくは方向性を示す。
・次回の部会までに各委員が今回提示の案や他自治体の事例を読み込んでくる。

2.今回の協議事項
テーマ:「柏崎市議会議員倫理条例(案)」の構成について

ステップ1 条例の詳細項目を決定する前に大まかに章立て、制定すべき大まかな内容を決める。

ステップ2 条例の詳細項目を先行している他議会のものを参考に章立てにそって設定。

ステップ3 法制担当及び選挙管理委員会との懇談・意見交換を実施し、詳細を詰める。

 各ステップ毎に本委員会へ部会長から報告を行う。

S:(S委員が提出した条例案)他の自治体で市民団体からの強い働きかけもあってできた条例があり、徳島県鳴門市などの事例も参考にした。前回提示案と違うのは、市長も含めている点。緊急事態には、議員が関係している団体でも請負になれるというところを付け加えてある。昭和58年に大阪府堺市で初めて、議員倫理条例が制定された。世界的にはアメリカのウォーターゲート事件以来、政治倫理の条例を決める方向にある。
飯塚:前回提案との大きな違いは議員だけを対象にするか、市長を入れるかで違う。
真貝:議会倫理条例と市政治倫理条例で作り方が違う。当然であるが、市長も政治家。副市長や収入役も職員とは別扱いなので、入れる必要があるのではないか、という提起をこめている。
三井田:私が前回提案した条例で市長を入れなかったのは、議場での会田市長のアホな答弁で「そういった事が起こってから市長に関する条例を作る」とあったため、外した。
M:政治倫理条例の発展という過程で、単なる議員をしばる条例でいいのか、政治家すべてを含む方がいいのか。いまの堺市はどうなっているのか。
A:堺市の現在についてはフォローしていない。市長を入れた方がいいのかどうか、どっちが良い悪いではない。どちらのパターンをどうして選択したのか、すべてを調査し切れてはいない。
K:色々な自治体をみても、事態が起こってから制定している。後追いでできているので、まだ事態が起きていない柏崎市で作るのは議論が必要で面倒。
S:罰則規定はない方が理想。今回の加藤議員の請負についてもそうだが、議員本人よりも役所側が契約してしまうことを警告する意味でも明確化は必要ではないか。議員として、そんな事はしないという宣言の意味である。就職の斡旋や寄付などできないことを市民に知らせるということができる。
M:審査会という言葉について、議会外の有識者を入れるという意味で良いのか。政治倫理基準の政治活動に関する寄付の受け取り等の読み方で不明なところがある。市長を入れるかどうかは大きな問題。
S:寄付は脱税企業や外国人団体、問題がある団体からもらわないということ。市長を入れるか入れないかという部分は議論しなければならない。職員の倫理ができて、議会が作って、市長や副市長、教育長などがないのもおかしい。
Y:職員の倫理条例は職員の身を守るという部分もあり、議会の倫理条例は議員がそういったことができないという意志表示としては良い。市長を入れるか否かについては、今回の検討の想定外というのはまずいので、市長までも入れる方が良いのではないか。
A:政治家を網羅していくのが良いかと思う。未然に防ぐ意味で政治家全体の制定が良いと思われる。
K:市長をいま入れて検討するのは難しい。(市長を含めた政治家の全体の倫理規定を作るという)考えとしては必要。
M:スピード感もないとならない条例制定で、職員倫理が先行してできている。市長を入れて、検討をするには現時点では難しいのではないか。
I:原則、政治倫理だとは思う。二元代表制の一方が先に示すことで、市民が理解することで、それを受ければ市長も考えるのではないか。議員倫理から政治倫理に押し上げるようなステップアップもあると思う。
M:ほとんど同じである。国会は議院内閣制であり政治倫理で全員が縛られる。地方議会においては二元代表制なので、議会で首長の倫理を縛るのは難しい。流れからすれば、議会先行で決めるのは良いのではないか。当然、市長部局とのやりとりも必要。のってくる可能性は高い。
S:球を投げてみたらどうか。市当局に投げかけ、先方の考えも聞いたうえでこちらも検討する方が良い。
I:ボールを投げて良い。
S:あとで市長を削っても全体構成は崩れないと思われる。
I:資産公開はどうするのか。
S:そこまで必要かどうか。また就業状態に関してはどこまで書くかも議論がある。
三井田:議員の就業状態を報告する事項については、通年議会を前提としたこともあり、入れる必要あると思っている。
I:将来的な柏崎市議会議員のあり方を先に決めるべきではないか。議員をどういう立場にするのか、そういった大きな議論が必要。
S:議員に対して、市民から「高い給与をもらっている」という批判があるが、実態を理解されていないことに加え、地方議員がどういう職業であるかを周知する必要がある。
I:就労状態を明示して、通年議会をするなら、議員のあり方の議論を進めたい。
S:徳島県鳴門市議会では、議会、議員、議長と言葉を分けている。
三井田:そういった細かい点を踏まえて、再度、市長を含めて政治倫理として条例案を各自、検討、考えてをまとめてきてもらいたい。

<決定事項>
・企画部会に承認を求め、特別委員長名で市長部局に政治倫理規定にするか否かを問いかける。期限を12月定例会前とする。
・次回の検討会までに、
市長を含めて政治倫理として条例案を各自、検討、考えてをまとめてきてもらいたい。

 11時40分に終了し、その後、会派室で議事録の作成や資料整理を行う。

 14時、自宅に戻り、冷やご飯、冷蔵庫の奥に眠っていた魚肉ソーセージ、冷凍焼けしたシューマイを鍋に入れ、インスタントのひき割り納豆汁に煮込み、ごった煮風納豆おじやで昼食をとる。

 16時、18時、事務所に来客。

Nec_0001 23時、竹炭入り塩こしょうと干し納豆パウダーでキャベツ、人参、玉葱などを炒めた残り物野菜炒めとスパゲティミートソース用をご飯にかけたミートソースライスで夕食をとる。
 ミートソースライス(厳密にはミートソーススパゲティライス)は、高校生時代の思い出の味。全寮制男子校の食事としてご飯食かスパゲティ食の選択ができるとき、スパゲティ食を選んでおき、ご飯食用のおかわりジャーからご飯をとり、ミートソーススパゲティと混ぜて食べていた。いくら食べても満腹になることがなかった青春時代の炭水化物めしである。

2011年11月 1日 (火)

平成23年度新潟県農業委員大会
中野剛志准教授講演「TPP亡国論」

 シャワーを浴びた後、3時に就寝。

 7時に起床し、大粒納豆、茹でて叩いたオクラ、生卵、生姜の味噌漬けでご飯2杯の朝食をとる。

 10時、市役所に移動し、農業委員会で準備したマイクロバスに乗る。

Cimg1119 11時20分、新潟市の朱鷺メッセに到着。近くのときめきラーメン万代島の「青島ラーメン司菜」(電話:025-243-9803)「青島チャーシュー麺(麺約175g) 800円」に「薬味刻みねぎ 50円」を追加して昼食をとる。
 久々の長岡生姜醤油系ラーメンだったので、大盛りにすれば良かったと思うほど、一気に食べてしまった。

Cimg1120 12時50分から朱鷺メッセ2階スノーホールでの平成23年度新潟県農業委員大会に出席。
 新潟県選出国会議員として、自民党は長島忠美衆議院議員が出席したが、民主党は「急遽、用件ができた」として誰も参加なし。野次の一つでも飛ばそうと思ったのに残念である。

 開会の挨拶ののち、農業委員憲章を斉唱する。はじめての経験で、中身も理解していないので、つい小声になってしまった。
 主催である新潟県農業会議会長の挨拶、来賓祝辞と紹介、そして中央の情勢報告として、全国農業会議所農政・企画部長の報告。

Cimg1122 続いて、今日の主たる目的である京都大学大学院の中野剛志准教授による講演「TPP亡国論」となった。
 要旨は以下の通り。


・2000年代の世界経済や東アジアの成長は・米国の住宅バブルによる過剰消費と欧州の好況に依存(グローバル・インバランス問題)。
 米国の過剰消費に依存したグローバルな経済成長は、2008年の世界金融危機によって、持続不可能と判明(米国は貿易赤字を減らさねばならない)

・米国の貿易戦略(輸出拡大・ドル安戦略)
(1)オバマ大統領は、2010年の一般教書演説において、今後5年間で輸出を倍増すると表明。グローバル・インバランス問題の原因である米国の過剰消費・貿易赤字の是正に乗り出す意思を表明。
*ただし、これを実現するためには、1ドル=70円程度の円高・ドル安が必要になるとの見方もあり(RBS証券レポート)、円高基調は続くものと見込まれる。
(2)6月5日、ガイトナー財務長官は、各国に書簡を送り、「米国の貯蓄率向上に向けた必要な変化は、日本と欧州の黒字国による内需拡大や民需の持続的な伸び、さらには一層柔軟な為替政策によって補われる必要がある」と主張。
(3)10月1日、米国家経済会議(NEC)のサマーズ委員長(当時)は、ウクライナで開かれた経済開発会合において、「世界経済は再調整を必要としている。米国の消費者は世界経済成長の唯一のエンジンにはなれない」と発言。
【オバマ大統領の演説(11月13日横浜市)】
 TPPを推進するオバマ大統領は、米国が今後5年で輸出を倍増させる「国家輸出戦略」を進めていることを説明した上で、以下の通り発言。
「それが、今週アジアを訪れた理由の大きな部分だ。この地域で、輸出を増やすことに米国は大きな機会を見いだしている」
「国外に10億ドル(約825億円)輸出するたびに、国内に5000人の職が維持される」
*米国の失業率は11月に9.8%にまで悪化。オバマ政権の支持率低下。
「巨額の貿易黒字がある国は輸出への不健全な依存をやめ、内需拡大策を取るべきだ。いかなる国も、アメリカに輸出さえすれば経済的に繁栄できると考えるべきではない」

Cimg1126・米国はTPPで輸出拡大による雇用拡大を目指している。

・TPPに参加しても、日本の輸出先は米国しかない。
 米国の狙いは、日本市場しかない。

 シンガポール、ニュージーランド、チリ、ブルネイ、米国、豪州、ペルー、ベトナム、マレーシアの交渉参加国に日本を加えたGDPシェアは、日米で90%以上。しかも、日米以外は、輸出依存度の高い小国ばかり。
(1)日本の輸出先となりうるアジア市場などTPPにはない。あり得るのは米国市場のみ。しかし米国は、米国への輸出に依存した成長を拒否。
(2)米国の輸出先は、日本しかない。
(3)韓国はFTAを選択、中国は人民元問題を抱えている以上、中韓はTPPに入らない。中韓が入らない協定が、アジア太平洋地域の貿易の基本ルールになるわけがない。

・米国の貿易赤字削減の手段は、関税ではなく、為替
(1)米国は、ドル安を誘導することによって、日本企業の競争力を減殺したり、米国での現地生産比率を高めたりする能力を有している。
(2)為替リスク回避等の理由により、既に日本の製造業の海外生産(グローバル化)は進んでおり、米国の関税撤廃による利益は少ない。
米国の主要品目の関税はかなり低い。
*乗用車2.5%、テレビ5%、電気アンプ4.9%、ポリエステル6.5%、ベアリング9%、トラック25%
日本の自動車メーカーの米国における新車販売台数の六割以上が現地生産。ホンダに至っては八割以上。この傾向は、今後進む。
(3)関税撤廃、ドル安、さらに不況で実質賃金が低下した米国の大規模農業の安価な農産品に、日本農業はどうやって対抗できるというのか。
*近年の韓国企業の競争力強化も通貨が主因(4年間でウォンの価値が円の半分に暴落)

【ポイント】
 米国は、ドル安戦略とTPPの組み合わせによって、自国の市場や雇用を日本企業に奪われることなく、日本の農業市場を獲得することができる。
 だから、日本のTPPへの参加は、米国の輸出を増やしうる(しかし、日本の輸出は増えない。)

・オバマ大統領の2011年一般教書演説
 企業がもっと海外に製品を売るのを助けるため、我々は2014年までに輸出を二倍にする目標を設定している。なぜなら、我々がより多く輸出すれば、この国でもっと雇用を生み出せるからだ。すでに我々の輸出は増えている。
 最近、我々は、インドと中国との合意※に署名したが、それは合衆国の25万人以上の雇用を支えることだろう。そして先月、我々は韓国との貿易協定に合意したが、それは少なくとも7万人のアメリカ人の雇用を支えるだろう・・・
*中国が米国の航空機200機等(3.7兆円相当)購入
 私は就任前、貿易協定を強化すること、そして、アメリカの労働者を裏切らず、アメリカの雇用を促進するような協定にのみ署名することを明言した。それこそが韓国との協定であり、パナマやコロンビアとの協定交渉やアジア太平洋そしてグローバルな貿易交渉の継続の中で私がやろうとしていることである。

・TPPのルールの交渉は、日本に有利には絶対に進まない
(1)多国間交渉におけるルール策定は、利害の一致する国々と連携し、多数派工作を行わなければ、自国に有利にならないというのは、外交戦略の初歩。
(2)しかし、TPP交渉参加国に、日本と利害の一致しそうな国はない。日本は、内需が大きい大国、工業製品輸出国、農業競争力は脆弱、高賃金労働国かつデフレ。他方、TPP交渉参加国は、日本とは莫逆の経済構造の国ばかり

 外需依存の小国:米国以外すべて。そして米国も今や輸出志向。
 農産品輸出国:シンガポール以外すべて
 低賃金労働国:シンガポール、米国、豪州等の移民国家以外すべて

 日本は、利害と一致しない国々に包囲されてしまう。だから、工業製品輸出国の韓国は、多国間のTPPではなく、二国間のFTAを選択し、対等な交渉条件を確保しようとしている。
(3)しかも、中露との領土問題、北朝鮮問題等で、安全保障において米国に依存せざるを得ない状況。
 これでどうやって米国と渡り合って、自国に有利なルールを作れるのか。

・菅直人首相の演説(2010年11月13日横浜市)
「我々が集う横浜は、当時開かれた港の一つで、今日では日本でも屈指の国際港に成長しました。その横浜の地で、皆さんを前に申し上げたいことがあります。日本は、今また、国を開きます。」
「今日、世界の多くの国々が「国を開き」、次々と経済連携協定を結び、自由な貿易圏を形成しています。率直に言って、わが国はこの世界の潮流から取り残されつつあります。」
「日本の繁栄は、世界、特に発展著しいアジア太平洋地域と共に成長の道を歩む、ということを抜きに考えられません。」
「環太平洋パートナーシップ(TPP)については、国内の環境整備を早急に進めるとともに、関係国との協議を開始します。」
「自由貿易を進めるとともに、農業改革を推進します。」

・しかも、問題は、農業だけではない。
(1)TPPの作業部会の主な議題
 工業製品・農産物の関税撤廃、金融、電子取引、電気通信などのサービス、公共事業や物品などの政府調達方法、技術の特許、商標などの知的財産権投資のルール、衛生・検疫、労働規制や環境規制の調和、貿易の技術的障害の解決、貿易紛争の解決
(2)関税率が低いのに「開国」を宣言すれば、主なターゲットは、以下の三つになるだろう。

A)非関税障壁(社会的規制、特に食の安全、慣行、規格、文化)
B)外資の導入促進
C)労働移動の自由化

*「優れた人材や知恵、技術、製品、そして投資を、世界から積極的に受け入れていきます」(APEC総理挨拶)
「将来は外国からの移民を受け入れるべきだ」(2011年1月22日米倉弘昌経団連会長発言)
(3)日本医師会のTPPに対する見解(2010年12月1日)
「日本の医療に市場原理主義が持ち込まれ、最終的には国民皆保険の崩壊につながりかねない面もある」
(4)ノーベル経済学賞受賞者ステイグリッツら257人の有識者が連名で、米国の進める貿易・投資協定における資本移動の自由化を懸念する意見書をクリントン国務長官やガイトナー財務長官に発出(2011年1月31日)

・アメリカの主たる狙いは、農業・食品安全と金融(保険)
(1)2011年 米国貿易政策アジェンダ
 合衆国は、米国産牛肉の参入制限、銀行、保険、郵便における日本郵政と民間企業の平等な競争条件の欠如、米国産自動車の参入制限など、長期にわたる二国間の懸案の完全な解決をいっそう促す。
(2)2010年衛生・植物検疫措置に関する報告書(日本部分)
食品安全
牛肉及び牛肉製品
・日米国政府は、日本がその市場を完全に再開しようとしないことを非常に懸念しており‥・
食品添加物、ポストハーベスト防かび剤、農薬の最大残留基準値
動物衛生(家禽肉)、植物検疫(さくらんぼ)
(3)2010年貿易の技術的障害に関する報告書(日本部分)
 有機農産物の要件(残留農薬)
(4)日米経済調和対話(2010年11月日米首脳会談で合意、2011年2月会合)
郵政、簡保、共済、残留農薬、有機農産物、食品添加物、ゼラチン…

・いったん交渉に参加したら、どんな不利なルールでも飲まざるを得なくなる。
(1)交渉参加を見送るよりも、いったん交渉に参加して、アメリカの期待を高めて
おいてから離脱する方が、アメリカとの関係を悪化させるリスクは造かに高い。
 TPPの合意をAPECホノルル(オハマ大統領の故郷)会合の成果としようとしているので、中途の交渉離脱は、アメリカの面目をつぶしかねない。
 ゆえに、どんな不利なルールでも日本側は飲まざるを得なくなる。
(2)前原前外相など、日本政府側から、TPPを日米同盟強化の一環と位置づける発言が相次いでいる。
 それは、TPP交渉参加後の離脱は、日米同盟を損なうものであるから認めないと日本政府が宣言しているに等しい(政府に交渉離脱の意志がない証拠)。
(3)不利なルールを飲まざるをえない状況になれば、国内で反米感情が噴出し、日米関係はかえって悪化する。

→いったん交渉に参加したら、有利なルール作りも交渉からの離脱も不可能。離脱してもしなくても、日米関係悪化の火種になる。

・自由貿易は、常に正しいわけではない。特にデフレ時には、貿易自由化は採るべきではない
(1)経済学における自由貿易理論(比較優位等)は、輸送コストゼロ、完全雇用などの条件下においてのみ成立するとされている非現実的な理論。しかも、米国は農業に巨額の補助金を出し、為替は実体経済から奉離しているのだから、自由貿易の理論通りにはいかない。
(2)実証研究においては、経済成長が貿易の拡大をもたらすことは認められているが、貿易の拡大が経済成長をもたらすか否かは、論争中。
例)19世紀後半の欧州諸国では、最も保護主義的だった国々の間で最も貿易が盛んになった。20世紀後半、貿易自由化が進むほど、世界経済の成長は鈍化。1929年以降の大恐慌が保護主義によって悪化したという説は、複数の有力な研究によって否定されている。
(3)自由貿易のメリットは、安価な輸入品による消費者利益の改善。
 しかし、物価の下落が続くデフレ下では、貿易自由化は失業を増やし、デフレを悪化させる。
(4)デフレ不況の国(米国にその兆候)からの輸入は、デフレの輸入になる(いわゆ
る近隣窮乏化策)。

・輸出主導の成長は、もはや不可能。
(1)2000年代以降、中国など新興国との競争の激化により、輸出企業の実質賃金が伸び悩み、労働分配率が低下し、一人あたり給与は伸びず。日本は17.4%。
 しかも、02~06年の輸出主導の成長は、米国の住宅バブル・過剰消費や円安の産物。
(2)そもそも、日本は内需が八割以上と高く、二割以下の輸出の主導で全体を牽引するのは困難。しかも、変動相場制の下では、競争力の強化は円高をもたらし、競争力を相殺。
(3)しかも2008年以降、世界的な不況でパイが縮小、各国とも保護主義的になっており、輸出拡大は困難。特に、米国は円高・ドル安を志向。中国等アジアは、欧米への輸出依存で成長していたに過ぎず、内需は小さい。

・2002年以降、輸出拡大にもかかわらず、一人あたり給与は伸びなかった。
「輸出企業の利益=国民の利益」の常識が通用しなくなったのが、2000年代のグローバル化の現実(欧米も同じ傾向)。


 質疑応答となったので、質問しようかと思ったが約1000人の参加者があり、2名の方が以下のような質問を行って、締めくくりとなった。

Q.TPP推進者の利権というのはあるのか。
A.利権とかそういったことではなく、無意識的にやっている方が大きいのではないか。危険であることに気付いていない。

Q.TPPへの参加の有無と中国との貿易をどうみるか。
A.2008年で世界は変わった。どこの国も貿易は伸びていない。中国は一人っ子政策で日本より少子高齢化する。中国に期待することは間違い。
 あれだけの震災を受けた日本の円が高いままであることが証明で、他の国は伸びていない。

 講演終了後、にいがた地域農業再生運動の取り組み報告があり、総会の議事。
 総会の議事は、以下の3議案で無事に可決、採択された。


第1号議案 TPP交渉への参加反対を求める要請決議(案)

 東日本大震災から半年。復旧・復興の取り組みは被災者と関係者の懸命の努力にもかかわらずまだまだ課題が山積しており、東日本そして我が国農業・農村は極めて厳しい状況におかれている。
 このような情勢にもかかわらず、経済界、マスコミ等は、依然としてTPP交渉への早期参加を主張しており、東日本大震災の被災者と我が国農林漁業者の心情と著しく乖離している。
 我々農業関係者は、一日も早く、復旧・復興の成果を被災者のみならず国民が挙げて実感できるような取り組みが強化されることを切望しているところであり、日本農業の崩壊を招くTPP交渉参加に断固反対するものである。

          記

1.情報開示と国民的議論がなされていないこと
 TPP交渉は農業だけの問題ではなく、21分野にわたる広範かつ総合的な協定である。食品安全、金融サービス、投資、医療、労働、政府調達等多くの分野で悪影響を及ぼすことが懸念されている。しかしながら政府による情報発信は不十分であり、国民はとても参加の判断を出来る状況ではない。よって政府は、21分野について、正確な情報開示と分析ならびに国民的議論の場を設定すること。

2.東日本大震災の復旧・復興に逆行するものであること
 東日本ならびに全国の農林漁業者は現在、東日本大震災からの復旧・復興に全力で取り組んでいるところであり、TPP交渉へ参加することは、復興に懸命の努力を傾注している被災者の努力と意欲に対し逆行するものであり、認められるものではない。TPP交渉と復旧・復興は全く両立しないことを政府は強く認識すること。

3.日本農業再生と両立しないこと
 昨年10月の農林水産省の試算を待つまでもなく、関税撤廃を前提とするTPP交渉への参加はわが国の農業生産の縮小に直結することとなる。食料・農業・農村基本計画に基づき、意欲のあるすべての農業者が農業を発展できる環境を整備し、食料自給率50%を目指すこと。

以上、決議する。

平成23年11月1日 平成23年度新潟県農業委員大会


第2号議案 震災復興と食と農林漁業の再生に向けた政策提案決議(案)

 3月11日に発生した東日本大震災は、国難ともいえる未曾有の被害をもたらし、また、原発事故による放射能の影響により、農畜産物の出荷停止やこれに伴う風評被害など、極めて深刻な事態に直面している。
 また、震災の傷も癒えない中、7月に発生した豪雨は過去に無い記録的な雨量を計測し、人的被害をはじめ河川の崩壊や多くの住宅被害等、新潟県内に大きな傷跡を残したところである。
 このような災害と原発事故による傷跡も癒えぬ中で、沸き起こったTPP論議に農業・農村は翻弄されている。むしろ今こそ「食料・農業・農村基本計画」に基づく食料自給率50%を達成することを、農政の基本に踏まえて力強い農政推進を図るべきである。
 そのためには、今後の農政の展開に当たっては、現場の声が施策に反映し、農業の持続的発展及び担い手がやりがいと誇りをもって取り組めるよう、下記事項について提案をする。

I 食と農林漁業の復興・再生に向けた提案
1 長野県北部を震源とする地震からの早期復旧に当たって

 東日本大震災は広範囲に人命のみならず農地、生産施設等に壊滅的な被害を与えた。本県においても、3月12日発生した長野県北部を震源とする地震により十日町市、津南町、上越市を始め県内において、農地144カ所農業用施設等239カ所他、総額で約25億円にも及ぶ甚大な被害を受けている。
 この震災からの早急な復旧支援を図ること。

2 新潟・福島豪雨に伴う早期復旧に当たって
 7月に本県を襲った豪雨災害については、直ちに災害復旧対策に係る緊急要請を行ったところであるが、甚大な被害実態を踏まえ、農地・農業用施設の復旧に向けた支援等を早急に講ずること。

3 食と農林漁業の再生に当って
 食と農林漁業の再生実現会議において「基本方針・行動計画」が定められたところであるが、平成22年度の食料自給率は39%であり、食料・農業・農村基本計画で定めた、平成32年度の食料自給率目標(カロリーベース)の50%を目指すため、食料自給率の向上を図るとともに持続可能な力強い農業を育てるため施策を位置づけていく必要がある。

Ⅱ 力強い農業構造の実現に向けた提案
1 農地対策の強化

 国が食料・農業・農村基本計画の中で示した、平成32年に農地面積461万haの確保を実現するため、各農業委員会としても改正農地法等の目的である農地の有効利用と転用規制の強化に取り組んでいるところである。今後も国が責任をもって以下の対策等を進め、優良農地の確保を図ること。

(1)耕作放棄地の発生防止・解消対策の強化
 平成22年度耕作放棄地全体調査による本県の耕作放棄地は約3900haとなっており、このうち再生利用可能な耕作放棄地は約870haとなっており、農業委員会系統を上げて耕作放棄地の発生防止と解消に努めている。
 国としても、耕作放棄地の解消に当たっては、収益が確保できる作物の導入や地域振興の対策と一体的な取り組みが重要であることを踏まえて各種施策の運用を図ること。
 また、全国のたばこ産地において、全耕作面積の3割以上4000ha超の廃作に取り組まれているが、これらが遊休農地化しないように、作物転換に万全を期すこと。

(2)基盤整備等の推進
 担い手への農地集積を促進し、また効率的・コスト低減の農業経営を確立するためには、圃場整備等の農業生産基盤の整備と農業水利施設等の適切な保全・管理が不可欠である。本県における水田整備率は依然として全国平均を下回っており、また多くの農業水利施設等の改修・更新も必要なことから、引き続き計画的な整備推進対策を図ること。

2 担い手・経営対策の強化
 約25万経営体におよぶ「認定農業者制度」を意欲ある経営者にとってより有益な制度とするよう見直しを図ること。その際、平成24年度より導入を目指す「地域農業マスタープラン」における位置づけについて留意すること。
 また、新規就農者の確保対策について、「青年就農給付金」・「農の雇用事業」を軸とする「新規就農総合支援事業」を確実に実施すること。

3 農業者の経営安定対策等
 平成23年度から農業者戸別所得補償制度が本格実施されているが、制度の検証に当たっては、制度の安定的運用を願う農業者が多いことを踏まえ、制度の連続性に留意してこれに取り組むとともに、所得補償制度を農業経営の「岩盤政策」として位置づけ、さらに農業者の経営の安定施策を位置づけること。

4 中山間地域等直接支払制度、農地・水保全管理支払交付金等
 本県において中山間地域における総農家数は県全体の48%、農業算出額は41%をしめている。地域振興政策として「中山間地域等直接支払制度」、「農地・水保全管理支払交付金」・「環境保全型農業直接支払」(旧:農地・水・環境保全向上対策)」、並びに「鳥獣外被害防止対策」について大幅な拡充対策を位置づけること。

5 農業の6次産業化の推進について
 農業の6次産業化の推進に当たっては、地域の人材・資源・環境等に根差した取り組みを尊重して行うこと。その際、民間企業など外部の資本力の増強に当たっては、農業生産法人の出資要件に抵触しない等、農地制度との整合性に十分留意すること。

Ⅲ 安全・安心な農畜産物生産・販売に係る提案
 3月の原発事故により土壌汚染や風評被害等、国内に未曾有の被害が広がっている。本県においても、7月に放射性物質に汚染された飼料用稲わらの給与により、肉用牛飼育農家は出荷自粛を余議なくされる等大きな被害が発生している。
 国は、農畜産物の安全性を確認するための検査体制を継続し、その分析結果をすみやかに公表し、農業者が安心して、営農活動に取り組めるようにすること。
 また、農畜産物について、暫定規制値から本規制値の制定に向けた検討を行うこと。

Ⅳ TPP交渉参加反対とWTO農業交渉に係る提案
 政府が参加検討をしているTPP(環太平洋パートナーシップ協定)は、農業だけの問題でなく、21分野にわたる広範総合的な協定であり、食品安全、金融サービス、投資、医療、労働、政府調達等多くの分野で悪影響を及ぼすことが懸念されており、TPP交渉に参加しないことを毅然と決断をすべきである。
 また、平成20年7月以降、膠着状態にあるWTO交渉や、EPA/FTA交渉に当たっては、最近の国際的な食料価格の高騰など食料需給が不透明さを増す状況にあることから、農業者の経営を守るため関税など国境措置について今後とも堅持すること。

V 農業委員会系統組織の体制強化に係る提案
 平成21年12月に改正農地法等が施行され農業委員会の役割と責務が大幅に強化された。農業委員会では、年間活動計画の策定、点検・評価の公表とともに、農業委員会の
総会等における法令審議が、迅速、公平・公正かつ適正に行われるように努めるととも
に、議事録の縦覧・公表等、透明性を確保する取り組みを実施している。
 農地制度を担う農業委員会・県農業会議に対し、引き続き、体制強化に向けた支援を
講ずること。

以上、決議する。

平成23年11月1日 平成23年度新潟県農業委員大会


第3号議案 農地制度の適正な執行と「にいがた地域農業再生運動」の推進の申し合わせ決議(案)

 われわれ農業委員会系統組織では、これまで農地の確保・有効利用と担い手の確保育成に向け取り組んできた。
 平成21年12月に改正農地法等が施行され、すでに2年が経過しようとしている中、組織として制度の目的である農地の確保と有効利用を進めていくことが一層重要となっている。
 また、農政が大きく変動する中、われわれは新たな農地制度の適正な執行を通じ、農地の確保・有効利用を進めるとともに、地域に根ざした「目に見える農業委員会活動」を計画的に進め、農業の振興とそれを支える農村の活性化を図るため、下記事項について、全力をあげて取り組むことをここに申し合わせ、決議する。

     記

1 農地制度の適正な執行と農地パトロール活動の推進
 農地の有効利用と転用規制等の新たな農地制度の目的と仕組みについて、今後も引き続き、あらゆる機会を通じて、広く国民全体の理解が深まる取り組みとして進めること。
 法令審議や議事録の公開とともに、農地利用状況調査を含めた「農地パトロール」等による農地利用の点検活動を実施し、違反転用や遊休農地の発生防止・解消と不法投棄の防止を図り、転用規制の巌正執行による農地の総量確保、並びに意欲ある担い手への農地の利用集積をさらに進めること。

2 地域に根ざした農政・情報活動の展開
 政府のTPPへの参加問題や農業者の戸別所得補償制度の本格実施等、農政が急転関する中で、農業者との意見交換会や相談活動等を通じ現場の声を積み上げ、組織として、農業・農村の現場の声を農政に反映していくための活動を展開すること。
 農業委員会だより等の広報や、「全国農業新開」・「全国農業図書」を活用し、農業
者・地域等への情報発信活動を強化する。

3 農業者年金制度の周知と戸別訪問等の加入推進活動の実践
 農業委員会だより、市町村広報等への掲載や、農業者の集う会合等あらゆる機会を活用し、制度の周知活動を徹底するとともに、11月から2月までの加入推進強化月間において、加入推進班による戸別訪問などの加入推進活動を進めること。

4 日に見える農業委員会活動の展開と体制の整備
 農地制度の周知とともに「にいがた地域農業再生運動」を推進し、日常的な相談活動や戸別訪問等により、地域に根ざした活動を実践するとともに、農業委員活動記録により日常の活動や課題を記録し、農業委員会における活動計画の策定と点検・評価の取り組みを通じて、地域農業・農村の課壌解決に努める「目に見える農業委員会活動」の展開を図ること。
 また、農業委員会の活動強化に向け、農地制度実施円滑化事業費補助金等を活用し、農業委員協力員や事務補助員の設置等、農業委員会の体制整備を進めること。

以上、決議する。

平成23年11月1日 平成23年度新潟県農業委員大会


 最後は、何を頑張るのか、ちょっと不明確なままの「ガンバロー」三唱で閉会。

 マイクロバスに乗り込み、17時30分に柏崎市役所に戻る。

Nec_0001 コピーや買い物などをしてから自宅戻り、18時55分、ひきわり納豆を入れたカレーを揚げたての豚モモ肉のカツにかけた、納豆カツカレーで夕食をとる。
 チキンカツカレーやビーフカツカレーも捨てがたいが、やはり王道は豚のカツカレーである。

 19時30分から市内某所での打ち合わせに出席。結局、議事録の作成をすることになったが、毎回、私がやってしまうと他の人の経験値があがらないので、次回以降の当番を決めさせてもらった。

 22時、事務所に戻り、事務仕事。

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