「日本は自衛戦争」マッカーサー証言、教材に
薩摩琵琶演奏、元帝国海軍
0時、就寝。
4時に起床し、ネット上での会議を行う。
7時、大粒納豆、めかぶ、鮭の粕漬け焼きでご飯2杯の朝食をとる。
8時過ぎから会社関係や調査依頼の報告などで市内まわり。途中、数人の方に話しかけられ、暴行事件当日後の事をご説明した。
12時、自宅に戻り、冷凍の讃岐うどん2玉を茹で、ひきわり納豆と生卵、再仕込み醤油で作った納豆釜たまうどんで昼食。
13時30分、市役所に移動し、会派室で資料整理をしたのち、14時20分から会派会議を行う。
本来であれば、13時からの議会改革に関する特別委員会の第一部会に出席するはずであったが、自粛要請があったため、欠席となった。
ただし、第一部会長を急遽、辞したことのお詫びと以下のような引き継ぎ文書は提出させてもらった。
議会改革に関する特別委員会 平成24年3月30日
第一部会長殿 三井田孝欧
第一部会の引き継ぎ事項について
この度は、一身上の都合により、部会長を辞任させて頂き、ご迷惑をおかけしたことをお詫び申し上げます。
これまでの取り組みのなか、外部の組織との懸案事項があり、引き継ぎ事項として以下の通り整理しましたので、引き続きのご検討をお願いいたします。
記
1.議員倫理条例に関する選挙管理委員会への中間報告
議員倫理条例に関して、選挙管理委員会との意見交換会を行いましたが、その際に頂いた意見の反映も含め、今後も中間報告を行うとしました。
つきましては、年度が替わるということもあり、新年度早々に選挙管理委員会に対し、検討状況、条例案の中間報告をお願いいたします。
2.選挙管理委員会からの事例報告について
選挙管理委員会との意見交換会のなか、定例会の前後の日程で公職選挙法の違反事例等を選挙管理委員会から報告するような場面があっても良いのではないか、との提案がありました。
第一部会としては、議会運営委員会に諮る必要があるものの、是非行ってほしいとの意見でした。
つきましては、企画部会、本委員会、議会運営委員会等にお諮り頂くようお願い申し上げます。
以 上
会議が終了し、16時にドコモショップに行き、携帯電話のバッテリーをもらう。既に1年以上、同じ携帯電話を使い、かつプレミアクラブ会員なので無料であった。
県内某市に移動し、18時30分からの有志の懇親会に出席。先付(春の菜の美味汁漬け、冷のっぺ汁)、お造り(三重県産カンパチ、北海道産帆立貝柱、佐渡産南蛮海老、鮪)、鱒と旬野菜煮物(里芋煮、山独活煮、茄子和蘭煮、がんもどき煮)、鴨鍋、桜鯛ストロベリーソース(対馬産天然真鯛、有頭海老、ブロッコリー、ミニトマト)、蕎麦などを食べながら、ビールを注ぐつ注がれつつで懇親を深める。
今回の懇親会では、伝統芸能鑑賞として薩摩琵琶の演奏を聞くことができた。
御呼びしたのは、長谷川雅水師匠で御年93歳。大日本帝国海軍においてロ型潜水艦で戦火をくぐり、片足が義足となったものの生還したという方である。現在は戦友の供養で演奏してまわっているという。まずは、女性のお弟子さんによる「良寛禅師琵琶伝」「平家物語(諸行無常~敦盛)」の演奏を聞かせてもらったのち、師匠による「蛍になった特攻兵宮川三郎」。師匠がご高齢にも関わらず、知覧の特別攻撃隊基地にまで自ら出かけて書き上げた詞である。素晴らしい時間を過ごすことができた。
23時、帰宅。熱めの風呂に入って、酔いを醒ましたのち、事務所で事務仕事を行う。
同志である東京都議会・野田数議員(武蔵村山市、東大和市、東村山市選出)から、ご本人と猪瀬直樹副都知事、高崎経済大学・八木秀次教授との鼎談が掲載された『正論』2012年5月号、これまでの取り組みについての報告を頂戴した。
歴史教育における自虐史観に一石を投じようと、昭和26年(1951年)、マッカーサーが日本が戦争に突入せざるを得なかったことを証言した内容が、平成24年度から東京都立高校独自の教材に掲載されるそうである。
素晴らしい第一歩であり、当時の国際情勢と日本の立場、白人国家との軋轢など、近現代史の真実が都立高校の生徒(一学年約4万3000人)のみならず、話題になることでより多くの人に伝わることを願いたい。
平成24年3月30日『産経新聞』
「日本は自衛戦争」マッカーサー証言
都立高教材に掲載
贖罪史観に一石
日本が対米戦争に踏み切った理由について、連合国軍総司令部(GHQ)最高司令官だったマッカーサーが1951(昭和26)年、 「主に自衛(安全保障)のためだった」と述べた米議会での証言が、東京都立高校独自の地理歴史教材の平成24年度版に新たに掲載される。日本を侵略国家として裁いた東京裁判を、裁判の実質責任者だったマッカーサー自身が否定したものとして知られる同証言を、公教育の教材が取り上げるのは初めて。
昭和の戦争での日本を「侵略国家だった」と断罪した東京裁判に沿う歴史観は、「日本国民は・・・政府の行為によつて再び戦争の惨禍が起ることのないやうにすることを決意」で始まる憲法前文にも反映され、「軍隊を持たず」という国際社会でも異質な国家体制の前提となってきた。歴史教育は「贖罪史観」一辺倒となり、子供たちの愛国心を育んでこなかった。その歴史観が絶対ではないことを示すマッカーサー証言の公教育での教材化は、戦後日本の在り方に一石を投じそうだ。
証言は、朝鮮戦争で国連軍やGHQの司令官職を解任されたマッカーサーが1951年5月3日、米上院軍事外交合同委員会の公聴会に出席し、朝鮮戦争に介入した中国への対処に関する質疑の中で言及。連合国側の経済封鎖で追い詰められた日本が、「主に自衛(安全保障)上の理由から、戦争に走った」と述べた。
都の教材は、この部分の証言を英文のまま掲載し、<<この戦争を日本が安全上の必要に迫られて起こしたととらえる意見もある>>としている。
教材は、江戸時代以降の日本の歴史を、東京の歩みとともに紹介する『江戸から東京へ』。都教委が都立高校の全生徒に平成23年度から配布している。都民の意見をもとに改訂した24年度版は、全新入生約4万3千人に配布する予定。
『江戸から東京へ』に掲載されたマッカーサー証言については、月刊「正論」5月号(3月31日発売)が詳しく紹介している。
渡部昇一・上智大学名誉教授の話「連合国から東京裁判の全権を委任されたマッカーサー自身が米議会で『日本の自衛戦だった』という趣旨の証言をしたことは、村山談話に象徴されるように東京裁判を背負ったままの日本にとって“超重大”であり、すべての日本人が知るべきことだ」
■村山談話 戦後50年の平成7年8月15日、当時の村山富市首相が発表。わが国が「遠くない過去の一時期、国策を誤り、戦争への道を歩んで国民を存亡の危機に陥れ、植民地支配と侵略によって、多くの国々、とりわけアジア諸国の人々に対して多大の損害と苦痛を与え」たとし、「痛切な反省の意」「心からのお詫びの気持ち」を表明。以後の内閣もこの見解を踏襲してきた。
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