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2012年8月22日 (水)

周恩来と靖國神社

 0時過ぎ、帰宅。シャワーを浴びたのち、事務所にて資料整理を行う。

 4時、就寝。

 8時に起床し、大粒納豆、茄子の味噌油炒め、オニオンスライスでご飯2杯の朝食をとる。

 9時、市役所に移動し、会派室で事務仕事を行う。

Nec_0003 10時から議会運営委員会に出席。議題は、9月定例会の日程内容の確認、各決算委員会の会派への委員配分、会派の異動と議席の一部変更(春川敏浩議員が大志クラブから市民クラブに異動)、議会全員協議会の開催(9月21日、福島第一原子力発電所事故の概要と現状、柏崎刈羽原子力発電所の安全対策の実施状況)、東村山市議会との交流議員研修会(10月24日、25日)、食の地産地消推進計画の策定体制等について、全柏崎知名人親善野球大会、地球温暖化対策に関する「地方財源を確保・充実する仕組み」の構築を求める意見書について等であった。
 教育委員の人事案件があったため、岐阜県大津市のいじめ問題もあり、これまでのように学歴・経歴の簡単な説明ののちに教育委員人事を議会で議決というのではなく、もう少し丁寧にすべきではないか、という提案もし後日、協議することで決定。
 食の地産地消推進計画の策定体制等については、議員発案であったため、行政側の策定委員(付属機関)に議員を2名入れるか否かが議論となった。論点が整理された段階で、策定委員と議会側で意見交換会を実施すればよく、委員を議員を入れるべきではないと意見し、他会派も賛同。全会一致で委員を送らないこととなった。

 11時過ぎに終了となり、その後、会派室で事務仕事。

Cimg2945 13時、一旦、自宅に戻り、輸入食品ショップで買った「Old El Paso」 のフラワートルティーヤ、ホットタコソースを使い、スーパーで半額になっていたサーモンカルパッチョ、鶏モモ肉の塩焼き、キャベツの千切り、マヨネーズで入れてサーモンタコス、チキンタコスを作る。久々のメキシコ風の食事である。

 食後に移動し、14時から県内某市で法的な打ち合わせ。民事でもキッチリけじめをつけたいと思う。

 18時、事務所に戻り、資料作成。

Cimg2946 20時、シメ鯖、地元で獲れた鮑の肝の酒蒸し、冷や奴、挽き割り納豆汁、ビール500ml2本、「本醸造 八海山」1合で夕食をとる。
 ビール好きではあるものの、さすがに鮑の肝の酒蒸しにビールは生臭くなってしまうので、冷やしておいた「本醸造 八海山」を合わせた。

 食後からも事務所で資料作成。

72_japanchina 尖閣諸島や新潟中国総領事館など中国関係のことを普段から発言しているためか、日中国交正常化40周年なので田中角栄元首相の出身地である柏崎市として発言を控えてはどうか、とのご指摘を柏崎市民の方から頂戴した。ご指摘をしてもらえることはありがたいことであるが、これは政治的な信条として曲げることはできない。
 ご指摘のなかでは靖國神社への参拝も中国に刺激を与える、ゆえに市議会議員としても控えるべき、とのことであった。これも曲げることはできない上、歴史的事実からしても間違っている。
 (正確な意味でおかしい言葉であるが)日中国交正常化は、昭和47年(1972年)9月29日、田中角栄、周恩来両首相が北京において「日本国政府と中華人民共和国政府の共同声明」(日中共同声明)の調印式で署名したことで成立した。
 この調印式の前、昭和47年(1972年)7月8日に田中角栄首相は靖國神社に首相として参拝をしており、成立後においても

・昭和48年(1973年)4月23日
・昭和48年(1973年)10月18日
・昭和49年(1974年)4月23日
・昭和49年(1974年)10月19日

と天皇陛下のお遣いである勅使が参向する春、秋の例大祭に公式参拝している。
 つまり、靖國神社が政治カードにしたのは、近年の中国側であり、当時は何も問題にしていなかった。
 さらに、その周恩来自身も日本に留学している間、靖國神社に参拝している。

1918年4月30日(火曜日)気候・夜・雨。
【治事】

「午前、授業のあと、青年会に行き、帰ってきて読書。午後、授業のあと、急いで帰ってきて、また読書。夜、九段に靖国神社の大祭を見に行くが、雨に降られたのでやめて、青年会に行って新聞を読み、伯鳴の部屋に行き、しばらく話す」

同5月1日(水曜日)気候・雨のち晴れ。
【治事】

「朝、読書。昼飯のあと、半時間、昼寝。夜、九段をぶらぶらしていると、靖国神社の大祭に出会い、それを見てはなはだ大きな感慨を催す

同6月2日(日曜日)気候・小雨。
【治事】

「朝、『新中』に行って集会に参加し、ついで夢九を訪ね、昼まで話し、いっしょに出かけて会元楼で食事。飯のあと『游就館』に遊び、私の寓居に帰り、しばらく話してからやっと別れる。夜、輪扉が来る」

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経済・政治・国際」カテゴリの記事

コメント

日中国交正常化から40年。
僅か40年、されど40年と言う気がする。
その間どの様に両国の間が変わってきたか、考えた人はどれだけであろうか。
正常化当時は、未来永劫の蜜月の様な雰囲気で浮かれており、中ソ対立が激化するや
我が国と同盟でもするような態度を取ったではないか。
その後手の平を返して我が国を非難し、近くはロシヤと同一歩調をとり、我が国に対応しようとする。
それが、あの国の本当の姿であろう。本音は一貫している。
自分の「国益」が最重要であり、その為に利用するものは最大限に利用する。
相手に力が無いと思えば恫喝する。貧しいと思えば、金にものを言わせて手なずける。
そして自国の為にあらゆるものを収奪する。
さすがに数千年わたって抗争を繰り返してきた人間達のやる事である。

心して対峙しなければならない。”力を着けよ”と思う。
力とは、軍事力ばかりの事ではない。経済力も、文化力も、政治力も、外交力も総合された力が必要である。
それも、日本を守る、日本人を守る”凛”とした気構えが無ければ何もならない。
本当にあるのか。自分を含めて問いたい。

このブログを読んでくれている人が、掲示板より多いと思い、ここに書かせて頂いた。

 雄太さん、コメントありがとうございます。
 日中国交正常化とともに40年?の私としても、この間の外交の弱さ、そして軍事力をはじめアメリカなどに頼るという戦後体制のツケがまわってきたのだと思います。
 あらためて、その清算の必要性を感じております。

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