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2012年12月15日 (土)

責任転嫁の政治家:第46回衆議院議員総選挙と柏崎市長選挙

 3時、就寝。

 7時、大粒納豆、目玉焼き、シラスおろしでご飯2杯の朝食をとる。

 8時過ぎ、10時と事務所に来客。その後、市内まわり。

Nec_0006_2 14時、一旦、自宅に戻ったところ、サラリーマン時代の上司Oさんから渾身の手打ち蕎麦が届いていた。ありがたい限りである。
 早速、大量の湯をわかし、煮干し、干し納豆パウダー、帆立パウダー、鰹節ベースのつゆを作り、昨日作ったかき揚げの残りと一緒に食べる。母親と二人で一足早めの年越し蕎麦といった昼食になった。

Nec_0007_2

 食後、若干の事務仕事をしたのち、市内まわり。その後、これまでの大まかな反応などを自民党新潟第二選挙区支部長の細田健一選挙事務所に行き、報告する。

 17時過ぎ、一旦、自宅に戻り、身支度。細田健一候補の街宣車が通ったため、外にでて声援を送る。

Nec_0008 18時30分から「登美本」(電話:0257-22-3406)での地元町内の成年会の忘年会に出席。
 ビールや日本酒を注ぎつ、注がれつつで今年の成年会の活動をはじめ、歴代の成年会長が設定した面白い忘年会についての話題で盛り上がった。

 21時過ぎ、二次会として市内某店に移動。

Nec_0009 22時30分からカラオケにあるお店に行こうということになり、市内某店に入る。
 出席者全員が昭和生まれということもあり、カラオケは昭和くくりでスタート。安全地帯かオメガトライブかで迷ったが、故・村下孝蔵の「初恋」(作詞・作曲:村下孝蔵)を、こんにゃくジャーキーを食べながら歌う。また、久々に、アニメ「シティーハンター」のオープニングテーマだった小比類巻かほる「City Hunter~愛よ消えないで~」(作詞:麻生圭子 作曲:大内義昭)を聞いた。

 いよいよ明日の投開票となった第46回衆議院議員選挙。市内をまわっていると色々な声を聴くが、これまでの民主党政権の迷走と今回の選挙が、柏崎市長選挙によく似ているという話から、結局は柏崎市政の話になる。
 大体のパターンとしては、

民主党:自民党の古い政権に戻すな
柏崎市長選挙:私利私欲を好む人達が行う『私政』に戻すな

民主党:自民党政権の負の遺産が・・・
柏崎市長選挙:前市長の負の遺産が・・・

民主党:自民党が邪魔し、足をひっぱられた
柏崎市長選挙:一部議員が邪魔し、市長の足をひっぱられた

であり、加えて柏崎市長選挙の場合には数の力にものを言わせたデマゴギー (デマゴーグ、デマの語源)があった。

柏崎市議会内では「食の地産地消条例」が典型例。自分たちで制定できなかったものを「邪魔された」「足を引っ張られている」とねつ造し、責任転嫁。最終的にこちらで修正案をだし、討論も行い、可決。

 地方議員といえども、政治家の端くれ。誠実に、そして責任のある行動をしたいものである。


平成24年12月7日『産経新聞』

【賢者に学ぶ】
政治家の資質について
哲学者・適菜収

121215_weber 政治家になるべき人間の資質について、きわめて明瞭に語りつくしたのがマックス・ヴェーバー(1864~1920年)の講演録『職業としての政治』である。
 政治家は権力を扱う職業だ。その権力は「国家による正当な物理的暴力行使の独占」に支えられている。こうした特殊な職業にはどのような倫理が求められるのか?
 政治家は情熱、責任感、判断力の3つを持つべきだとヴェーバーは言う。情熱とは興奮ではなく現実に向かい合う熱意である。現実をあるがままに受け止め、事物と人間に対して距離を置いて判断する。こうした熱意と冷静さを一つの魂の中で結びつけることが政治家の仕事である。
 一方、政治家になってはいけないのは「距離を見極めることができない人間」だ。彼らは革命、改革といった派手な言動に酔い、虚栄心に溺れ、過去の判断に責任をとらない。こうした
「権力を笠(かさ)に着た成り上がり者の大言壮語」「知的道化師のロマンティズム」「権力に溺れたナルシシズム」こそ政治を堕落させるのである。
 加えて言えば、彼らは幼稚である。政治に必然的に付随する悲劇性、現実世界の不条理が理解できないがゆえに、そこから目を逸(そ)らし単純な正義を声高に叫ぶ。
 ヴェーバーは言う。

 「善からは善のみが、悪からは悪のみが生まれるというのは、人間の行為にとって決して真実ではなく、しばしばその逆が真実であること。(中略)これが見抜けないような人間は、政治のイロハもわきまえない未熟児である」

 無差別的な愛の倫理を貫けば「悪しき者にも力もて抵抗(てむか)うな」となるが、政治家に求められる倫理は逆である。彼らは暴力の行使により「悪しき者」に抵抗する義務を持つ。さもなければ、悪の支配の責任を負わなければならない。そうである以上、政治家が単純な平和主義を唱えるのは犯罪行為に近い。
 正しい選択がよい結果を生み出すとは限らない。にもかかわらず、政治家は信念を持って判断を下さなければならない。こうしたジレンマをどう乗り越えればいいのか?
 それは判断の結果に全責任を負うことである。「この世のいかなる倫理であっても、多くの場合において『善き』目的を実現するには、倫理的にいかがわしい手段や、少なくとも倫理的に危険な手段を利用せざるをえない」とヴェーバーは言う。そこには「悪しき副産物」が発生する可能性もある。政治を職業として行う者は、この「倫理的なパラドックス」を考慮に入れた上で、「それにもかかわらず!」決断を下すしかない。全体を見据えて現実に踏みとどまり、責任逃れの回路を自ら断つ人間。そして責任倫理に従って行動する人間。ヴェーバーは政治家になるべき「成熟した人間」をこのように規定した。現在わが国に蔓延(はびこ)るのはこれと正反対の心情である。大言壮語で世情に阿(おもね)り、失政に対する自己弁護と責任転嫁に奔走する政治家、非現実的な理想論を声高に叫ぶポピュリスト、平気な顔で前言を翻すデマゴーグ…。彼らが離合集散を繰り返せば、悪の支配を準備することになる。ちょうどこの講演が行われた1919年のドイツのように。

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