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2012年12月 2日 (日)

ポーランドの恩返し:日本赤十字と帝国陸軍の偉業

 3時、就寝。

 7時に起床し、身支度したのち、朝の間に依頼されていた資料等を市内各所にお届けする。

 9時、自宅に戻り、大粒納豆、鯵の開き、シラスおろし、筋子でご飯2杯の朝食をとる。

 12時まで事務所で事務仕事。

 12時30分、おにぎり2個、荒挽きウインナー、挽き割り納豆汁で昼食をとる。

 食後、市役所の会派室に移動。過去の議会資料などを調査して、事実関係を確かめつつ、平成24年第6回定例会で行う一般質問用の資料を作成する。

Nec_0003 18時30分、自分の町内の集会所に移動し、成年会理事会に出席。今年のこれまでの地区の体育協会や成年会としての行事を振り返るとともに、今年の忘年会の日程調整や町内新年会の余興の内容などについて話し合う。

Nec_0004 19時40分、自宅に戻り、新巻鮭の切り落としアラを焼いたもの、トマトとモッツアレラチーズのサラダ、シラスおろし、小粒納豆、モロヘイヤのマヨネーズ和えでご飯2杯の夕食をとる。
 アルコールを飲むと痛めた腰がビンビンと痛むので、今日もビールなしである。

 食後、風呂に入って腰をあたためてからストレッチをしたのち、事務所で事務仕事。

Nec_0010 『週刊新潮』で、高山正之先生の「変見自在」とともに毎回楽しみにしている藤原正彦先生の「管見妄語」の2012年11月29日号掲載分でポーランドと日本の感動歴史秘話が取り上げられていた。
 先に本ブログにも書いた通り、私の名前の「孝欧」の「欧」はポーランドに行った亡き父があまりの親日ぶりに感動してつけた名である。

Poland 日露戦争で大国ロシアに勝利した日本、さらにはシベリアの残されたポーランド孤児を日本赤十字と帝国陸軍が救出し、献身的な看護をしたことが親日国になったきっかけと言われる。
 グローバル社会と言われる現代だからこそ、我々の先輩である日本人が世界に影響を与えた感動の話を子供に教えていきたいものである。


平成24年11月29日号『週刊新潮』

藤原正彦の管見妄語

ポーランドの恩返し

<一部略>

 明治25年(1892)、ベルリン駐在武官だった福島安正少佐は帰国に際し、シベリアを一年四カ月もかけ単騎横断した。ドイツ国境を出て東へと進んだ彼は、ある寒村でみすぼらしい農夫に尋ねた。
 「ここはどこですか」「昔、ポーランドと呼ばれた所です」。1795年のポーランド分割により、長い歴史を誇ったポーランドは消滅し露独嘆の領土となったのである。農夫の悲し気な表情に祖国を失う悲哀を感じ涙した福島少佐は、帰国後の新聞インタビューでこれを語った。これは国民の感動をよび、それを落合直文がポーランド詩に書き、「波蘭懐古」という歌にまでなった。こんな土壌があったから、大正9年(1920)、シベリアに残されたポーランド孤児765名の救出などという、列強各国が尻込みした大事業を日本赤十字と帝国陸軍が協力してなしとげたのであろう。朝野を挙げて不憫な子供達に同情し、お金、おもちゃ、人形、菓子などを送る人々が後を絶たなかった。栄養失調や病気を治し故国へ送り届けたことはポーランドでも大きな話題となり、大国ロシアを倒した勇猛な日本人のやさしさに人々は深く感謝し感動した。そのうえ帰国した孤児で身寄りのない者のために、日本はグダニスク郊外に孤児院を建てるのに尽力した。第二次大戦で彼等が地下レジスタンス運動に参加したためナチスが孤児院の強制捜査に入った時は、日本大使館から書記官が駆けつけ、日本の保護下にあることを言明し子供達に日本の歌を聞かせるよう指示した。皆が「君が代」と「愛国行進曲」を大合唱したところドイツ兵は呆気にとられ引き揚げたという。1990年代に駐ポ大使をした兵藤長雄氏の「善意の架け橋」によると、彼は8名の元孤児を公邸に招いたという。皆80歳以上だったが、孫に支えられやっと公邸にたどりついた老婦人は、「生きている間にもう一度日本に行くのが夢でした。公邸に招かれた時は這ってでも行きたいと思いました。なぜならここは小さな日本の領土と聞きましたから」と言って感涙に咽んだ。ポーランドは恩返しとして、阪神大地震の時には被災児数十名をポーランドに招いた。中に小さなリュックをいつも肩に担いで離さない男の子がいた。世話役のポーランド婦人が付添いに理由を尋ねると、両親、兄弟を亡くし家も焼けてしまった子で、リュックの中には焼け跡から見つけた形見や遺品が入っているという。婦人は涙止まらぬままこの子の幸せを祈り続けたという。
 歩行もままならなくなったポーランド人の元孤児4人も日本人孤児を慰めに来て一人一人に涙ぐみながら赤いバラを手渡したという。六年前に90歳で亡くなった最後の生存孤児リロさんは、第二次大戦でユダヤ人を助けイスラエル政府から賞を受けたが、「日本人に助けられたからお返しにユダヤ人を助けた。日本は天国のような所だった」と述懐していた。

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