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2013年7月30日 (火)

柏崎での拉致問題、衝撃の証言:舘雅子氏

 2時、就寝。

 7時に起床し、大粒納豆、生卵、冷や奴でご飯2杯の朝食をとる。

 8時過ぎから電話ラッシュとなり、午前中は市内各所での現場確認と写真撮影。合間にブログやメールを書く。

 14時、自宅に戻り、レトルトのミートソースを温め、固めに茹でたスパゲティと温泉たまごを絡めた卵ミートソーススパゲティで昼食をとる。

 14時過ぎから16時まで市内某氏宅で意見交換。

 16時過ぎ、事務所に戻ったところで来客があり、2時間ほど相談を受ける。代理人の依頼も必要な案件であるため、後日、弁護士を紹介することとなった。

Dcim0001 21時過ぎ、スーパーで半額になっていた焼き鳥(皮)3本、同じく半額のチリ産サーモンカルパッチョ(マヨネーズ和え)、半額で怪しさ満載だった韓国産・太平洋海域バチマグロ刺身、自家製のひじき煮、ビール500ml2本、挽き割り納豆と大根おろしの和え物で夕食をとる。

 食後から、頂きものの「ホワイト&マッカイ 13年」の水割り・・・しかも貧乏性のためかなり薄い水割り、を飲みながら、「テッド」を観る。非常にお下劣、下衆の極みで面白い。しかも携帯電話の着信音が「ナイトライダー」のオープニングテーマ曲(作曲:Stu Phillips,Glen Larson)のシーンがあり、制作側が同じ年代であることを認識。

 チャンネル桜の番組「桜プロジェクト」の平成25年7月23日放送版において、「東京裁判から従軍慰安婦・拉致問題まで~歴史の目撃者が語る真実 - 舘雅子氏に聞く Part2」という特集が公開された。

 この証言のなかにおいて、我が柏崎市における北朝鮮による拉致問題の重要な事項があったため、以下に文字起こしをご紹介したい。
 証言の裏取り、周辺人物の調査などの今後の動きについては、公開できるようになった段階で、本ブログでご報告するよう調整中。
 こういった貴重な番組があるので、是非、チャンネル桜を応援してもらうよう多くの皆様にお願いしたい。

舘:いえそれはね、拉致問題に造詣が深いんじゃなくて、たまたまね、拉致に協力した人たちに会ったんですよね。会ってね、散々話を聞いたんです。で、それが・・いいんですか?拉致問題に移って。これは1984年2月です。昭和58年。私は昭和58年に議員になって、その頃、行政視察っていうのに色々行かなくちゃならなかったんです。で、最初の行政視察はひとり旅で、佐久だとか上田に行って、長野に行って、柏崎に最後に行ったんです。それで柏崎で色々見せてもらって。テーマがあるんですね、行政視察には。給食だとか福祉だとか。それが終わってから最後に刈羽原発に行って、そこで終わったんで、職員の方に一日ありがとうございましたって言って別れたんです。で、私の宿が刈羽原発から行って砂浜の松林の中だっていうんで、じゃあ歩いて行きますって言って歩き出したら、「とんでもない」って言って、急に顔色が変わったんですよ。それでね、こんなところを夜~夕方歩くのはとんでもありません、私の車に乗ってくださいと、車に押し込められたんですよ。で、何事があったか私はわからないんで聞いたんだけど、口ごもって言わないんですよ。ただ「海の向こうは外国ですから」ってだけ言いました。それで船が停まっていると言いましたね。たしかに黒い船が停まってました。それでその時に私はてっきりソ連だと思ったんですよ。その頃、北朝鮮=いい国ってのはね、もう若い方はご存じないけど、何しろ北朝鮮はいい国だって土井たか子が先に立って、毎月北朝鮮から人を呼んで、国会で話を聞いてたくらいですから。北朝鮮はいい国だから、私はてっきりソ連だと思ったんですよね。それで宿に着いたら、その宿がね、ひとつひとつ東屋というか別々になって、母屋があって雪が2月でだいぶ積もってたんです。それで、これは怖いところに来たなと思ったんです。ひとりで泊まらなくちゃなりませんからね。そして宿に着いて手続きしてから、女将さんに「さっき市の職員がここを歩いちゃとんでもないって怒られたんですけど、どういうことだったんですか?」って聞いたら、なかなか答えてくれないんです。で、「海の向こうは外国です」って最初に言うんですよね。それね、皆で口裏合わせたんじゃないかって思うんですけど。

佐波:日本はどこに行っても海の向こうは外国なのに、そこの地域だけ変ですよね。

舘:そう、だから私も「ソ連でしょ」って言ったら、女将さんが「そんなソ連だなんて古いですよ。今は北朝鮮ですよ」って言ったの。それで、私はもうともかくひとりであそこに寝るのは怖いから、本当のこと話してくださいと言って、引張り出したんですよ、話を。そしたらね、要は北朝鮮の船から、北朝鮮の人が無断で町に上がってきてこれはとても困るってことを、関西弁だったんですけどね、「上がって来はるんで困るんだ」ということを、さかんに言ってました。それで「上がってどうするんですか」って言ったら、「人さらいがいる」って言うんですよね。それで、でもね、それ自分達だけでできないんで、日本・・はじめね、「組合が」って言ったんですよね。協力して、と言おうとしてパタッとやめちゃったんです、「組合が」で。それで私がね、組合の人が協力してるんですかって言ったら、うん、まあそうだって言うんですよね。協力してるって。そうしなきゃね、自分達だけじゃ連れていけない。誰を連れて行っていいかわからないでしょ、とこう言いましたよ。それで、私は今日で公務はもう終わったから、明日の朝、車で送ってくれることになったから、駅まで。「明日の朝、そのことについて知ってる方がいたら呼んでください」って言ったの。そしたらね、その女将さん、さって呼んでくれたんです、次の日の朝。日曜日の朝、起きて母屋に行ったら囲炉裏があるんですね。大きなのが吊り下がって。その周りに6~7人いましたね、スキーのような普段着のあれ(防寒着)を着た人達が。それでさかんに話してたんですよね。それで私のことを先生って言ったからね、あれ?この人私の素性を知ってるのかな?と思ったんですよね。そしたらね、「なんでも話しますから質問してください」って言うの。だから「今日は天気がいいから海をまわって、町をまわって駅まで行きますから」って言うんですよね。それで質問してくれって言うから、私がいきなりそのことは聞けなかったんですけど、ビラをたくさん持ってたの。そのビラを見たら国労の人、それから電々。ちょうどその頃、中曽根内閣で分割民営でこの二つ(国鉄、電電公社)を切ったんですよね。そのチラシを見ると、金日成主席が南北統一万歳とか。何しろ向こう(北朝鮮)のことは手書きなの。印刷してあるものだと「打倒・中曽根内閣」それから「分割民営反対」そういうのがずっといっぱいありました。その中で年かさの人から若い人までいましたけど、年かさの人がね、分割民営っていうのは要は民間の金持がみんな買い取って、労働者は働く気がしなくなるし、格差が広がるばかりだってことを言ったんです。そしたら隣の女の人がね、要するに行革っていうのはね、労働者潰し・アカ潰しだってことをはっきり言いましたね。そういうことだという話が延々と続いたんですよね。それで、アカ落としをやるんなら、自分達は東京の政府よりも金日成が・・まもなく南北統一すると信じてるんですよ・・、そこと高麗人民共和国とか、東日本人民共和国とかを一緒につくるって、真面目に話してるんですよね。それで私ももういい加減にあれだと思ったんだけど、ある若い人がひとり、こう言ったんです。「宮本共産党が68年に平壌で金日成と喧嘩してダメになったから、むこう(北朝鮮)は自分達の社会党に白羽の矢を立ててくれたんだ」って、すごい自慢して語るの。その人は社会党なんでしょうね、自分でそう言ってるんだから。それで近く金主席が統一したら、その時は自分達も立ち上がり・・って言ったら、皆がワッってやるんですよ。立ち上がるって言って。それで「立ち上がってどうするの?日本を分裂させるんですか」って私が言ったら、「それはやむを得ない。国鉄を民営化するんなら、分裂してもやむを得ない」って言ったの。で、そういう調子で皆カッカしてるんですよね。で、「夢物語を聞いてるようだけど、自民党の長期政権を倒すために、他所の国の力を借りようとするの?」って私が聞いたら、「そんなの当り前だ」って言うのね。
それで私が「そんなのおかしい」って反論を始めたんですよ。そしたら急にね、「舘さんは市川房枝の弟子じゃないですか。市川房枝は社会党の最高の理解者だ」と言い出したわけ。だからそれで話しちゃったわけですよ、私に。なんかもっといっぱいあるんですよ、話は。で、私テープに撮っておきましたけど、その話は。それでそう言うんで、「市川さんは社会党だけでなくて、すべての政党に等距離を取れと言っていた人で、どこの政党のこともいいことはいい、悪いことは悪いと言えと、私達はそういう風に言われてます。だから私も無党派で市会議員になってます」と。参議院と地方議員は無党派でというのが、市川さんの主義だったんですね。で、そんな話をしたら、パタッと黙っちゃったの。それで「しまった」と思ったんですよ、話してしまって。

三輪:つまり先生のことは色々わかっていて、市川房枝さんを誤解してたから、取り込めると思ってたんだ。

舘:ええ、取り込もうと思って大勢来たんだと思うんですよ。私は運転手さん二人くらいが来るのかなと思ったら、大勢来て散々言われました、それは。

佐波:女将さんが呼んだ人が、そういった人達がたくさん来たんですね。実際に拉致問題のようなことには、話は発展したんですか?

舘:ええ、それでね、その人達は、統一するから人物と品物を交流するとさかんに言ったの。人間の交流をすると。だからそのことが拉致なんですよ。「あなた達、そういうことをさっき言ったでしょ」とそう言ったらね、「そういうことを口に出してはいけんのです」と言うの、その人さらいのことは。そこで市川さんの問題を出して、あんたは市川さんの弟子のはずだから味方してくれると思ったんですよね。

三輪:交流というのは本人の意思とは関係なしに、交流なんですね。

舘:それも交流なんですね。目的の為には手段を選ばずというのは、左の人達はやりますからね。

佐波:そういった「交流」という言葉で拉致問題をある意味、認めてしまったんですね。

舘:ええ、だから全然罪悪感はないんです。自分達の確信のもとにやってましたね。

三輪:舘さんのこのお話は大変な証言でね、拉致問題は日本中で起きたから、いろんなところでいろんなあればあるんだけど、特に新潟の柏崎周辺のことは、これはちょっと他とも違う面があるんだよね。ですから先生これはぜひ記録に残していただきたいと思いますね。

舘:それでね、私が撮ってきたテープはずっともうほっぽっといたんですけど、うちのダンナは実はテレビ朝日の報道部門の方をやってまして、私の仕事に全然関心なくて、お互いに関心なくやってたんですけど、テープの話をしたら「それは俺が起こしてやる」と言って、その頃私はパソコンができなかったんで、ダンナが全部起こしてくれました。で、それは全部コピーしましたけどね。それをダンナが聞いて、私はこれをテレビ朝日でやってねって言って渡したんですよ。そしたらね、テレビ朝日はダメですね。結局テープを握り潰されちゃったの。それで握り潰されて返してもらうことも私、忘れてたら、亡くなってしまったんで、きっとテレビ朝日の引き出しか何かに入ってると思うんですけど。

佐波:北にとって不利な情報であるから・・

舘:朝日は絶対やらないと思います。

三輪:少なくともね、今のお話からわかることは、北がやったかどうかは別にして、少なくとも柏崎周辺ではそういう空気があったことは間違いないんで、そこは本当に歴史的な貴重な証言ですよね。

舘:それで私が泊まったところは、蓮池さんがさらわれたところです。松林の中で。だからね、なんか嫌な気持ちがしたんです。あそこに泊まれって言われたとき。

佐波:地元の方々がそれを知っておきながら、それを当り前のように受け止めていたというのが、本当に怖いですね。

舘:そう、怖いです。

三輪:だってさ、湯河原あたりの海岸で「海の向こうは外国です」なんて馬鹿いないよ。日本海側だっていないですよ。それはやっぱり特殊な条件ということでしょうね。

舘:それで帰りに駅に送ってもらう途中、車の中でね、ちょうど海端でね、なんにもないところに一軒、掘立小屋が建っていたの。ここがね、沖の船と交信するところだって言ったの。それで私に行きますか?って言ったけど、私も早く帰りたかったんで、もう結構ですと言ったんですけど。そこから電波を沖の船に送るのに5原則があると。それで5原則に従った人の情報を沖に流していたって言うんですよ。

佐波:つまり条件に合う人を・・

舘:そう、5つの条件に合う人を探していたんですって。警察に関係のない人とか、格闘技をやってない人とか、それから土地の名士でない人とか。

三輪:それから親類に議員がいない人とかね。

佐波:そういうのはやっぱり地元の人でないと、そういう細かい情報ってわからないですよね。

舘:ええ、わからないですからね。それでここに出るとき、しまった、あそこに上がってみればよかったって思うんですけど。実は最近「新潮」の方がいらして、これについて調べてくださったんですね。私の泊まった宿はそのままそこにあるそうです。ただし宿屋はしていないでね、荷物置き場になっていて、女将さんは亡くなったって言ってました。で、その一軒の連絡するところを探そうとしたけど、周りにギッシリと家が建っちゃったんですよね。今度、私も行って市役所で尋ねてみようと思います。

三輪:先生は当時は議員でいらっしゃったから大丈夫だと思いますけど、問題はね、警察も当時そういうことはある程度わかっているのよ。わかってて・・という部分がね、ものすごい暗い闇があるんだよね、そこに。

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コメント

三井田先生、初めて書き込ませていただきます。私は荒木和博先生、三宅博先生のご指導を受けて多少北朝鮮問題にかかわらせていただいております、三浦小太郎と申します。

事後承諾で申し訳ございませんが、この先生のチャンネル桜の番組を活字おこしされた
柏崎拉致事件の記録が大変衝撃的なもので
今、勝手ながらあちこちで紹介させてもらっております
http://hrnk.trycomp.net/news.php?eid=01055
また、私たちのミニコミなどでも、多くの人に読んでもらおうと思っています
是非、今後ともご活躍ください

尚、私はこのような団体にも属しております
アジア自由民主連帯協議会
http://freeasia2011.org/
もし興味がありましたらご一読ください

東京都江東区大島7-6-6
三浦小太郎

投稿: 三浦小太郎 | 2013年12月15日 (日) 17時12分

 三浦さん、コメント、ご紹介ありがとうございます。
 各方面でのご活躍、拝見しております。
 拉致事件の国内協力者について、今一度洗い出す必要があると思っており、今回の柏崎の件もその一つになればと思っております。
 色々とご指導頂くことがあると思いますが、今後とも何卒宜しくお願い致します。

投稿: 三井田孝欧 | 2013年12月17日 (火) 09時28分

この証言とやらは検証がなされたの?

投稿: | 2014年9月 5日 (金) 17時38分

 名無しさん、コメントありがとうございます。
 すべての裏取りをしたわけではなく、地元でも一部確証がない部分もありますが、随時、調査しております。
 結果等につきましては、申し訳ありませんがオープンにできない部分がまだありますので、ご理解下さい。

投稿: 三井田孝欧 | 2014年9月 5日 (金) 20時46分

この番組と議員のでた番組は過去に見て知っていましたが、最近武田邦彦中部大学教授も1980年代に新潟に行った時拉致に付いて注意をされたとブログで話していました。この番組の裏どりはできていますか?

投稿: ガルフ | 2017年11月20日 (月) 04時01分

 ガルフさん、コメントありがとうございます。
 先のコメントにも書いたように故人となった関係から、正直なところ地元でも一部確証がない部分もあります。
 引き続き、水面下で情報の確認などを行っておりますが、その経過等につきましては、申し訳ありませんがオープンにできない部分がまだありますので、ご理解頂ければ幸いです。

投稿: 三井田孝欧 | 2017年11月27日 (月) 23時02分

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