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2013年11月10日 (日)

鹿屋航空基地史料館、特攻隊慰霊塔、「櫻花」慰霊、そして発酵一宇?

 シャワー浴び、2時からリクライニングのソファーで仮眠。

 6時に起床し、インターネットカフェをでて、一路、鹿児島県に向けて移動する。途中、コンビニで購入した納豆巻き、かしわおにぎり、低脂肪乳、グレープフルーツジュースで朝食をとる。

 12時、特攻隊、海上自衛隊の歴史的な資料がある鹿屋航空基地資料館に到着。

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 屋外には昭和15年当時、世界一の高性能大型飛行艇であった帝國海軍・二式大型飛行艇12型が展示されているものの、残念ながら整備中のため近づけなかった。現存しているのは世界でこの一機しかなく、故・笹川良一氏が資金援助をし、海上自衛隊第1航空群が引き渡しを受けたもの。

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 その他、歴代の海上自衛隊で使用した航空機(US-1A、P-2J、S2F-1、B-65、BELL-47、HSS-2A、P2V-7、OH-6D、V-107、SNB、R4D-6、メンター、SNJ、KM-2)、局地戦闘機「紫電改」N1K2-Jの誉エンジン、艦上攻撃機「天山」11型B6N1のプロペラ、零式艦上戦闘機21型(A6M2)のプロペラ及び栄12型エンジン、ホワイトヘッド式魚雷、湿式加熱式魚雷、九三式酸素魚雷が展示されている。

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 「海軍 攻撃第二五四飛行隊 天山艦攻隊」の慰霊碑もあり、手を合わせた。碑の周りには「生存者故郷の石 万感の思いをこめてここに納める 海軍攻撃第254飛行隊長 肥田真幸」とあり、各都道府県の石が埋め込まれている。

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*碑文:
「攻撃第二五四飛行隊は航空母艦の攻撃部隊でハワイ海戦以来の伝統に輝く精鋭部隊である
昭和二十年二月第二御盾特攻隊の艦上攻撃機として硫黄島沖で米空母ビスマルク、サラトガを撃沈破し同年三月末より沖縄戦において串良基地に一部兵力を派遣し夜間雷撃部隊として出撃多大の戦果を挙げたが戦友の多くは護國の神と散華した
 戦後四十年を記念して生存者有志一同相計り 飛行隊の栄誉を讃えここに艦隊基地 旧海軍鹿屋航空隊跡に碑を建立してものである
     領家 高蔵 記」

 資料館のなかに入り、特攻隊の遺書をはじめ、当時の女性が特攻隊員に送った人形など胸詰まる思いで見させてもらった。
 写真撮影は1階と2階にある復元された零式艦上戦闘機52型(A6M5)のみ。

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 ここでしか買えない資料『いまを生きている人へ 特攻で散華された 若者たちの最後の言葉 魂(こころ)のさけび』や鹿児島焼酎「特攻基地 鹿屋名産 同期の桜」を購入したのち、13時、資料館に併設されている物産館の食堂に入る。さすが気合いが違い、日章旗と旭日旗が掲げられている。
 せっかくなので、昼食として「鹿屋海軍航空カレー 大盛り 750円」を食べる。ステンレス食器、添えられたヤクルトが心憎い。

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 食後、同じ鹿屋市内の小塚丘公園に移動。特攻隊戦没者慰霊塔まで行き、手を合わせた。

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 建立の由来についての解説文は以下の通り。

「第二次世界大戦における沖縄の戦闘は、戦史にも類例がないほど熾烈なものであった。
ときに戦局は、ようやく我軍に不利となり、ここに退勢挽回の秘策を試みるに至った。即ち敵国海空軍兵力の全滅を期して企てた”特攻攻撃”である。ときまさに昭和二十年春であった。そして、この壮烈なる特攻攻撃発進の地こそ、当鹿屋であって、以来八十二日間の戦闘は苛烈を極め、日々若人達は黒潮おどる沖縄へと飛び立った。
あたら青春に富む尊い生命を、祖国のために敢然と捧げたこれら若人達・・・・・世上ともすれば敗戦のかげにこのような尊い犠牲を忘れがちである。
こんにち、ことの結果はどうであったにしても、これら身を挺して祖国の難に殉じた人々の祖国愛は称賛されるべきであり、これら若人の至情至純の精神は、その御霊とともにとこしえに祭られ史実とともに後世に誤りなく伝えられなければならない。
その最もゆかりの深い地として、また本土最南端海軍航空基地として、多くの特攻隊員(九〇八名)が飛び立って再び帰ることがなかった最後の地この「鹿屋」に、その御霊を祭る慰霊塔を建立すべく、昭和三十二年十月鹿屋市長を会長とする「旧鹿屋航空基地特攻隊戦没者慰霊塔建立期成会」が結成され、全国に協力を呼びかけたところ、市内はもとより、ひろく各方面から多くの浄財が寄せられた。
これに基づき、航空隊を眼前に眺望する小塚丘に、その神霊をとこしえに平和の礎として祭る慰霊の碑を、昭和三十三年三月二十日建立したものである
             鹿屋市」

 慰霊塔本体の横には散華された908柱の氏名が書かれた銘板、そして以下のような碑もあった。

Cimg1664「今日もまた黒潮おどる海洋に 飛びたち行きし友はかえらず
太平洋戦中鹿屋航空基地より 飛びたち肉弾となって散った 千有余の特攻隊員
御霊よ安かれ 必ずや平和の礎たらん
           鹿屋市」

 続いて、航空特攻作戦において最大の戦死者数となった特攻兵器「櫻花」の部隊、神雷特別攻撃隊が別れの杯を交わした場所である鹿屋市内の野里小学校跡に移動。
 松本零士氏の名作『ザ・コクピット』OVAの「音速雷撃隊」が、この「櫻花」の特攻を扱った話である。
 慰霊碑の揮毫は、わが新潟県出身で報道班員として神雷部隊と生活を共にした山岡荘八氏によるもの。
*山岡荘八の隠れた名著『御盾』
 そしてこの碑自体、元特攻隊員であった小城久作氏が私財を投じて建立したという。ただただ頭が下がる思いであり、散華された英霊に手を合わせた。

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*碑文:
「神之池基地及びその他の基地より志願して来た特別攻撃隊員は、日本最南端の九州鹿屋の野里村小学校に結集、昭和20年3月21日より同年6月22日まで出撃を継続し散華していった。神雷部隊の後続は竜巻部隊と呼称、その中には櫻花隊、攻撃隊、爆戦隊があった。私もこの時海軍報道班員として野里村の百姓屋に住み、隣家にあられた特攻隊育ての親岡村基春司令の謦咳に接し、戦況の推移を具にこの眼に焼きつけたが、連日、紅顔の還ること無き出撃隊員を、血涙で見送った辛い思い出がある。この若き戦士達の鎮魂を希い全日本人の感激を籠めて撰文と為す。

於世田谷空中庵茶経室 山岡荘八
昭和53年3月吉日  建立者元櫻花隊員 小城久作 妻泰子」

 建立の由来も書かれており、以下の通り。

「建碑者小城久作君は此の鹿屋で特攻隊員として祖国の危機に参加した同志の霊を葬い、今後このような戦争の無い平和国家日本への祈願を籠めて、戦後33年目に漸く私財を投げうって私との約束を果たして呉れた。この野里村 の宿舎は私が海軍報道班員として岡村司令と寝食を共にし度々の空襲にも逢って具に隊員たちの生活を見聞きして来た、思えば切なく懐しい土地である。本来自分の名前は出さないという小城君の希望であったが彼の純一無雑な心情から発した建碑であるだけに敢えて私は記名するように助言した。特攻隊訓練の地茨城県の神之池にも建碑する。くだくだしいことは言わないがこの碑を見て改めて今後の若い人達の何かの心の支となり尊い散華の跡を末長く見守って行って頂けたら小城君としても此の上ない喜びであろう 山岡荘八」

 14時30分、鹿屋市を後にし、宮崎県宮崎市に向かう。

 16時、宮崎県宮崎市の平和台公園にある「平和の塔」、「八紘之基柱」(あめつちのもとはしら)に到着。
 皇紀2600年である昭和15年、紀元二千六百年奉祝事業として建立された巨大な塔(デザインは日名子実三氏)で、正面に「八紘一宇」の文字、四方に「荒御魂(あらみたま)」「和御魂(にぎみたま)」「幸御魂(さちみたま)」「奇御魂(くしみたま)」の四神像が設置されている。

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 かつて某グルメ雑誌での納豆特集の際、ジャーナリストの勝谷誠彦氏とともに「発酵一宇」特集にしようと話したこと、そして自称・納豆冒険家として、ここでやることを一つ。
 「八紘之基柱」の前で納豆である。

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 「あの人何やってんの?」風の痛い視線のなか、納豆を食べ終わったのち、一路、大分県大分市に向かう。

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*素晴らしい標語「よい国を子供にわたそう」

Dcim0005 19時30分、大分市内に入り、「かみ風船 中央町店」(電話:097-536-5858)にて、明日の視察を一緒に行う柏崎市議会の公明党、大志民友(3名)と合流。
 お店が忙しいのか、あまり冷えていない瓶ビールを飲みつつ、関サバ刺身、鶏天などを食べる。奇遇なことに、今日、アルビレックス新潟が大分に勝ったようで、そのお祝い飲み会の皆さんと出会った。

Dcim0006 21時過ぎ、二次会として大分駅近くの格安カラオケボックスでカラオケ大会。他の議員と一緒なので、年代がバラバラであることから、あえてムード歌謡を選択し、黒沢明とロス・プリモスの「ラブユー東京」(作詞:上原尚 作曲・編曲:中川博之)、敏いとうとハッピー&ブルーの「星降る街角」(作詞・作曲:日高仁 編曲:竜崎孝路)を歌う。

 22時30分、ホテルにチェックイン。シャワーを浴びて気分転換したのち、持参してきたノートパソコン(ThinkPad X61,SSD,SXGA+化,LEDバックライト化)で事務仕事を行う。

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