2時、就寝。
7時に起床し、大粒納豆、鯖の水煮、オニオンスライス、昆布巻きでご飯2杯の朝食をとる。
9時過ぎ、市役所に移動し、図書室で諸雑務。
10時から本会議、一般質問の2日目に出席する。1名の議員が一般質問を行ったのちの11時20分から登壇。
お約束の自衛隊誘致関する前置き、
「おはようございます。本議場での一般質問の際には、必ず海上自衛隊誘致について、言及している無所属の三井田です。
先日、私の自衛隊誘致の発言に対し、
『原発近くに自衛隊があるまちは無い』
とのご批判を頂きました。
しかし、我が柏崎市と同じ原子力発電所立地自治体であり、再稼働の見通しもでてきた鹿児島県薩摩川内市の川内原子力発電所の近くには、陸上自衛隊川内駐屯地があります。それも緊急時防護措置準備区域(UPZ)圏内にあり、地元の自衛隊誘致活動によって昭和60年(1985年)3月から駐屯しています。
こういった先例を元に今後も海上自衛隊誘致を訴えていこうと思います。」
と話したのち、以下の通り、3つの課題について一般質問を行った。
1.集客力が高い、こどもの時代館を維持・改善し、次世代を見据えて活用すべきとするが、市長の考えを問う。
→ 市 長
これまでの委員会での議論などから、昭和懐物ランド・こどもの時代館を廃止する方向で検討しているとの答弁などがあった。
コレクションビレッジ等、周辺施設の平成24年度実績としては、
コレクション3館
・痴娯の家 利用者1394人
12.5万円の赤字
・黒船館 利用者1176人
129.8万円の赤字
・同一庵藍民芸館 利用者1340人
62.8万円の赤字
――――――――――――――――――
・米山山荘 利用者7729人
1562.8万円の赤字
――――――――――――――――――
・こどもの時代館 利用者9734人
359.9万円の赤字
となっており、米山山荘の7729人をこどもの時代館は2000人上回り、約1万人の来館者数。しかも赤字額は米山山荘の約1/4。
コレクション3館の利用者を合計しても3910人、つまりこどもの時代館の半分以下である。
こういった現状について、市長はどのように認識しているのか。順を追って確認したい。
Q1-1.今年も含め、こどもの時代館の入館者数の推移、コレクションビレッジ内での集客力やポテンシャルをどう評価しているのか。
A1-1.(市長)こどもの時代館は平成14年にとんちん館から模様替えしてから平成25年までの延べ利用者数31万5000人。風の丘ビレッジの観光集客に寄与してきたことは理解しているが、開館当時に比べて年々利用者数が減り、ゴールデンウィークや夏休み時期にイベントを行ってもなかなか集客につながらない。利用者の7割は大人でその評価は高い。集客力が減ったのは立地条件の問題もあると考えられるが、経営状況は厳しい。
冬季は閉鎖した実働期間のみで、来館者人数と赤字を考えてみれば、文化施設として健闘していると言えるのでないか。
この一般質問を行っている今日現在、関西国際空港に隣接した「りんくうタウン」において、こどもの時代館に展示されていたゴジラの展示をやっている。
こどもの時代館に出展されているコレクターのゴジラコレクションは、日本でも有数のものであり、今回、クールジャパン戦略「クールジャパン・フロント」を実現しようという「りんくうタウン」から白羽の矢が立ったもの。今回の展示については、コレクターのご厚意により、「協力 柏崎 こどもの時代館」と表示してもらっている。
聞くところによると、こどもの時代館ではなく、こちらに出展してほしいとコレクターに直接的な働きかけもあったという。
そのコレクターは、こどもの時代館が少しでも有名になればと、「協力 こどもの時代館」の表示(クレジット)を条件に富山県の「黒部市国際文化センター・コラーレ」 へコレクションを出張展示している。
また、海外や特にアメリカやヨーロッパからの来館者があり。つたない英語で案内することもある。日本のサブカルチャー、クールジャパンを唯一アイテム(人形等)で見られるとの評価をされている。
他の観光施設からも引き合いもあり、ポテンシャルとして高いこどもの時代館。柏崎として、このユニークな武器を捨てるのは、あまりに損失が大きい。
もう少し、柏崎市としてどう分析しているのか詳しく質問したい。
Q1-2.こどもの時代館に訪れる客層、セグメントをどう評価しているか。
A1-2.(産業振興部長)いま現在、そこまで深い分析は行っていない。
この質問をした意味合いは、展示してあるコンテンツのことを理解してもらっているかどうかにある。ウルトラマンシリーズ、仮面ライダーシリーズは、もはや3世代で見られるコンテンツ。こういったものを一括で見ることができる公の施設は、このこどもの時代館しかない。
つまり、本質問文にも書いたように、「次世代」のことを考えると、昭和、平成につながる時代の客層が十分これからターゲットになり、この事に着眼してもらいたいと思う。
こういった事を考えれば、いまこの施設を廃止してしまうことを大きなマイナス。次の世代では昭和の文化、おもちゃの価値がもっと上がるはず。浮世絵だって、歌舞伎だって当時の庶民文化が開花したもの。昭和の高度成長時代のものが見たいというニーズは必ずでてくる。
米山山荘を取り壊して、新たな「道の駅」「風の丘」を作る構想案も先般、委員会審査の際に見たが、ドッグランなど、ありきたりの施設。 現在、高速道路のSA、PAでもドッグランはあるほどで、目玉たるものではなく、当たり前の設備となっている。当たり前のものを見に、人はこない。シティセールスの点でも、ユニークなものを活用するのが王道である。市長はそういった発想はないのか。
Q1-3.こどもの時代館を柏崎市の観光全体にとって、どのような位置づけで考えているのか。現時点での方針を明確にしてもらいた。また、出展者(5年契約・今年は4年目)との契約も含めて、正式な話をしたのか。
A1-3.(市長)マニアの方々にとっては貴重なものが展示されていると思うし、他の施設と比べれば集客数は多い。だが年々利用者は減り、いろいろな試みをしても、歯止めがかからない。施設建設から37年が経過し、補修が困難。営業については指定管理契約終了まで継続するが、その後は近隣の建物とあわせて解体撤去するしかないと考える。
それぞれのコレクターに対しては指定管理者が返還手続きを行うと聞いている。
何も新しい箱物を作れとか、そういうことを言っているわけではなく、既存の施設の再活用などできないものか。せっかくのコレクションなどが散逸してしまう。
少し角度を変えて質問したい。
日本政府観光局(JNTO)の「訪日外客数の動向」において、日本を訪問する外国人観光客が、今年2014年1月からの累計で台湾が1位という結果が公表された。2014年1月から7月までの累計では、
全体:753万人
台湾:167万人
韓国:152万人
中国:129万人
となっている。
中国よりも台湾+韓国が圧倒的多数であり、中国人観光客で日本がいっぱいというのはマスコミの取り上げ方による錯覚。台湾人などをメインターゲットにすべきと思う。
また、来日する台湾人や韓国人のアンケート結果(2013年6月「韓国、台湾からの訪日旅行(インバウンド)に関する調査」JTB研究所)では、
「日本食を楽しむ」 「温泉に入る」
が最も多く、さらに台湾人の場合、雪景色を楽しむため、来訪する人気地は「北海道」。若い世代では、加えてアニメなどの日本のサブカルチャーにも人気が集中している。
それなら我が柏崎市としても、
「日本海の雪景色」 「こどもの時代館」
といった観光資源を活かす案だって考えられる。
リーダーがどういった戦略を示すのか、どういった戦術をとるのか、また熱意をもって進められるのかにかかっている。
ちなみに、「日本海の雪景色」については、あれだけの市民の反対があったにも関わらず、会田市長は番神の土地について、通年観光を理由に貸し付けをした経緯もある。本格的に取り組むべきではないか。
Q1-5.クールジャパンの政府戦略、そして柏崎を訪れる外国人に向けての施設としての活用方法を検討できないのか。
A1-5.(市長)昭和の高度成長期を懐かしむ世代、漫画やアニメを好む観光客向けに活用できないかという考えはわからなくもないが、風の丘全体のことを考えれば、コレクションを市が借りて展示するのか、建物を改築するのかといったことは、財政的に考えると総合的には難しい。
このコンセプトを捨てるのはつくづく勿体ない話である(・・・ダメだ、こりゃ)。
2.防災行政無線のデジタル化について
→ 市 長
質問の細かい内容に入る前に、防災行政無線の重要性や改良の必要を実感した、広島市の災害現場の事をお話したい。
まずもって被害に遭われた方々に心よりのお見舞い申し上げ、また尊い命を失われた皆様には、心よりご冥福をお祈り申し上げたい。
土砂災害発生から9日目となる8月29日、現地に行き、災害復旧のお手伝いをしつつ、被災された方々からの生の声を聞いた。
その一部を紹介すると、
・そもそも雨が多いだけで、意識していなかったが、事が一気に進んだ。
・警戒区域にも指定されていない。
・防災行政無線の戸別受信機が全部の家庭になかった。
・防災のサイレンも聞いていない。
といったもの。
一気に大量の雨が降るという事は、2011年の新潟福島豪雨災害と同様、積乱雲(いわゆる入道雲)の「バックビルディング形成」と、それによる線状降水帯が主な原因で、これは現代の気象科学でも予測できないため、徴候が見えた段階で、早めに防災行政無線、防災サイレン等で避難指示をだすしかない。
警戒区域に指定されていなかったという点は、土地開発、分譲、地価を下げたくないということから起こった痛恨の人為的ミス。
ちなみに、被害がもっとも多くでた安佐南区八木地区の昔の地名は「八木蛇落地悪谷(やぎじゃらくじあしだに)」。つまり、蛇が落ちるように水が流れるところ。もともと住宅には向かず、昔の人がつけた地名にはやはり理由があることを痛感した。
問題は、防災行政無線の受信機が全部の家庭になかった事、そして防災行政無線の屋外サイレン・放送も聞こえなかったという点にある。
現地で話を聞いたのが8月29日、その後の9月3日、被災地域に防災行政無線の屋外スピーカーを設置していなかった、防災用サイレンは設置されていたものの、作動していなかった事を広島市が発表した(防災メールはあった)。
設備の有無、動作不良などはもってのほかであり、加えて1年前にも発生した伊豆半島の土砂災害においても、現地に入りして痛感したことがある。
それは、先ほどの議員の一般質問にもあった「空振り」(早めに周知しすぎて、事態が軽く済んだ場合)も含めて、
・「狼少年」(空振りの連続)となる事を恐れず、事態が拡大する前に周知すること
・携帯電話やラジオなどの周知も必要だが、根本に立ち戻って、屋外の防災行政無線やサイレンなどを、プッシュ型の情報伝達で、キチンと伝わるよう整備すること
ということであった。
さて、我が柏崎市の場合を設備面だけに限って見てみれば、防災行政無線の屋外スピーカーは設置済み、各家庭における防災行政無線の受信機はほぼ配布済みという状況にある。
全国の各自治体では、デジタル化が進んでいるが、
Q2-1.まず現時点において、我が柏崎市の防災行政無線のデジタル化をどう考えているのか、方針を教えてほしい。
A2-1.(市長)防災行政無線は様々な災害発生直後には、気象情報や避難情報を市民にいかに迅速に伝えるか、重要なものとして昭和60年からその機能を発揮している。ほかの自治体ではここまで整備されていない。現在は、西山町においてデジタル無線とその他アナログ無線を併用しているが、総務省から平成34年11月までの実施が義務付けられている。平成27年度に基本設計を行い、平成29年度から順次全市デジタル化を目指す。デジタル化によって電話と同じように複数で通話できる機能や、特定地区に放送できるなど、情報伝達や拡張性に優れた機能がある。財源の問題をはじめいくつかの検討課題をふまえて整備をしたい。
デジタル化すれば、水位計などをスイッチとして、自動で警報を流すということができる。人間が判断するから「空振り」が起こる。どの水位になれば入るのかといったことを事前に決めておき、地域住民に知らせていれば、空振りでも納得いくものになる。
また、他の議員が質問した防災アプリなどは、プル型の情報提供であるが、この実現もデジタル化が必須となろう。
Q2-2.少し小さい部分の確認になるが、現在の防災行政無線の予備パーツの問題はどのようになっているのか?
A2-2.(危機管理監)今のものをそっくりデジタル化することは考えていない。
Q2-3.こちらの聞き方が悪かったので、もう1回聞きたい。現行の戸別受信機や送信側システムのなかには、メーカーが製造中止しているもののある。製造中止から7、8年ぐらいで予備部品も無くなるのが通常。デジタル化のスピードと、現行システムの予備部品のストックの関係は、どうなっているのか。
A2-3.(危機管理監)メーカーの配慮でケアしてもらう。ただし値段は張るかもしれない。
わざわざ古いシステムの延命のために、高い費用を払うのはもったいないため、デジタル化のスケジュールとよく調整してもらいたい。
デジタル化によるメリットは色々あるが、ICTでの活用がある。
情報CIOに答弁してもらった方が良いかと思うが、少し聞きたい。
ちょっと話はとぶが、「CIO」は「Chief Information Officer」の略で、最高情報責任者。現在の柏崎市の情報CIOという言い方は、「情報最高情報責任者」となり、意味を理解していないと思われると恥ずかしいので、早めに変更してもらいたい。
Q2-4.国、総務省等のICTに関する支援制度をうまく利用し、防災行政無線のデジタル化とともにICTを活用した防災体制の拡充を図る考えはないのか。先程来、話がでている東京都杉並区の場合は、地籍調査の国の予算をうまく使っての事業展開をし、自前の財源はなるべく使わないようにしている。
A2-4.(副市長、情報CIO)昭和60年に防災行政無線を設置したとき自分は当事者だった。300か所の屋外無線を短期間で設置したことで災害対応に活用できた。これからの手法について検討はしているが、まだ整理している最中。置き換えになるということではない。使い方、ソフトの問題もあるので、せっかく入れても宝の持ち腐れにならないよう対応していきたい。
単なる使用周波数の変化、置き換えではないことは同じ考えであることが分かった。
デジタル化によるメリットを生かして効率よく検討してほしい。
3.市役所新庁舎は現地改修すべきである。建設位置について、防災・まちづくり等の観点から市長の考えをあらためて問う。
→ 市 長
まずもって10年後のことであるため、駅前へ移転するなら、少なくともあと数年は柏崎市の顔たる柏崎駅前に大きな空き地がそのまま、ということになる。
昨日の一般質問では、市役所を移転するという駅前の土地について
「土地所有者と早急に、
年内には交渉を進める。」
との答弁があり、議会や市民から意見反映をせぬまま、随分と民主主義の手間を省いた、と驚いたところである。
しかも、新しい市役所庁舎のあるべき姿、機能も議論していないなか、よく移転先を決められたものと思う。
今年2月の一般質問でも主張したように、私は現地改修にし、税務署の移転を国に働きかけるべきという立場である。
基本的に市役所自体はキャッシュを生む施設ではない。本来であれば、駅前の一等地には民間の商業施設等を誘致し、固定資産税など柏崎市の収入が増えるようにしなければならない。それが柏崎市の経営者たる市長がとるべき政策。そして雇用や消費行動を生み、少しでも多くの人が地元で生活できるようにする、これが基本的な考えである。人口減少時代への対応にもなろう。
それでも駅前に移転したいという現在の会田市長の方針に対し、色々な角度から議論してみたい。
Q3-1.中心市街地活性化の観点からは、駅前に移転する意味合いはどこにあるのか。市役所は目的があって向かう施設であり、マグネット効果がある。色々な自治体(福島市等)の新庁舎建設検討資料、特に駅に隣接するか否かといったケースについて、読んでみたが、やはりほとんどの場合は、市役所庁舎をまちなかの回遊性を高めるために使っている。主なものは、
・公共施設等の一極集中を避ける。
・より奥行きのある回遊性を持ったまちづくりへの貢献
ということから、つまり、駅やバスターミナルに隣接するのではなく、商店街や文化などを通って、奥行きのあるまちなかを作るよう計画している。
A3-1.(市長)市庁舎改築は突然でなくこれまでも議会の場で何度も話してきたし、広報の市長随想にも書いている。駅前の日石跡地が適切と判断したことを話したのは今回が初めてだが、現在の場所と日石跡地を比較した話は再三している。現地での建て替えには仮庁舎が必要となり、それに伴う費用・機関やその間の市民サービスを考えると、駅前の日石跡地が最適だと判断した。日石跡地は駅前で公共交通機関との関係性からいっても、市民の利便性が上がる。中越沖地震で現在の場所がいかに困難か、身に染みる経験をした。駅前に移転すればアルフォーレ等と一体となって防災機能をあげられる。平成18年の調査でコマツ跡地と一緒に中心市街地の活性化を検討したが、駅前通りの回遊性も含めて、全体の活性化に結び付くものと位置付けている。現在の市庁舎の場所の活用も重要と考えている。
そもそも新しい市役所に求められるあるべき姿を議論したことがないではないか。
現在の市庁舎のある、現地改修ができないという言い方も、一体、どんな市役所をモデルとして検討したのか。
先の一般質問でも問いかけたように、今後10年後には市役所の業務の在り方は大きく変わっている。何も同じ大きさの市役所庁舎が必要になるかどうかも議論が必要である。
また、中越沖地震での困難な経験というが、その困難な経験の原因をよく分析してないではないか。当時の柏崎市役所の問題は、
・被災者の受付や物資の受け付け
・マスコミ対応
・災害対策本部
などの機能を一緒にしたことが問題の本質であった。
その経験から考えれば、災害時に避難者が集まるアルフォーレと隣り合わせ、などということ自体がおかしい。危機管理監もレクチャーしなかったのか。
中越沖地震だけではない。東日本大震災においても避難所も兼ねてしまった宮城県石巻市役所庁舎の混乱した事例がある。
この議場内には防災士の資格をもつ方が私以外にもいるが、一極集中させないこと、つまり避難所、災害対策本部、物資・流通などを分けておくことは基本中の基本であり、イロハの「イ」である。
繰り返すが、災害対策本部、避難所と物資集積所は別の場所におくべき。
現在でも、イベントなどあれば、アルフォーレは周辺が渋滞する。さらにそこに災害対策本部となる市役所庁舎を移転させてどうするのだ。
Q3-2.現在の市役所は昭和43年に、駅前から移転されたものである。昭和35年からは駅前に市役所があったものの海抜3mであり、水上がりをした経験から、現在の海抜10m以上のこの土地に移転されてきた。「賢者は歴史に学び、愚者は経験に学ぶ」というが、こういった経緯は考えないのか。防災上の基本、そしてあるべき姿は考えてあるのか。
A3-2.(市長)あるべき姿は現時点ではわからないが、中越沖地震の経験からは、救援物資の受け入れには苦労したので、その点では災害対策本部にわざわざ設ける必要はないと考える。交通の便のいい場所に用意すべき。流通にしても協定結んでいざというときに商品を納入するなども考えている。水害については、私も子供のころから、雨が降れば駅前が水上がりするということ、特に昭和53年のことなどが記憶にある。しかし、そのその後は柳橋の排水ポンプ所ができたので、もうあのような水害はないと思う。
原子力発電所の議論では、「絶対」「想定」だのを批判するなか、何故に駅前の水害だけ「ない」などと言うのか。言っていることとやっていることが違う。おかしいではないか。
Q3-3.10年以内には、人口が爆発的に増える可能性は少なく、かつ市役所の仕事も変わる。例えば、マイナンバー制度の導入があれば、窓口業務のワンストップ化も容易であり、窓口と執務室がくっついている必要はなくなる。また議会や災害対策本部を免震構造にして、別棟にするオプションだって考えられる。現在の市役所庁舎でも問題である永久保存文書の保管庫の扱いも考える必要があろう。そもそも10年後のあるべき市役所の姿をきちんと考えているのか?
A3-3.(市長)私はまったく逆だと思う、場所が決まらなければ具体的に建て替えができない、まずは場所を決めてから、あとから市役所のあり方を十分考えるべき。
逆という意味が分からない。何回も言っているように、現地改修できない、という答えをだしたのは、どういった市役所庁舎をどう設定したのかもわからない。まったく話にならないではないか。どこの自治体でも、場所とあるべき姿を同時に議論している。
総務委員会に報告があるようなので、そこの場でも議論したい。
最後にもう一回言っておくが、市役所庁舎は現地改修すべきである。
12時10分に休憩となり、図書室に戻って、お約束のウルトラマン&東京スカイツリーの弁当箱で持参してきた弁当で昼食をとる。
豚モモ肉の黒胡椒焼き、茹でオクラ、キャベツの千切り、茗荷の粕漬け、16穀米という内容。茗荷は一回、塩漬けした後に朝日酒造の酒粕に漬け込んだものである。
13時10分から再開。2名の議員が一般質問を行い、うち1名はいきなり市役所の新庁舎の駅前への移転そのままから話から入り、現庁舎跡地の使用方法まで踏み込んだ。
市長答弁は、またも現地改修できない理由を
(a)日陰スペースの問題
(b)仮設庁舎が必要となる
→ あるべき市庁舎の姿を議論していない。
どういったモデルで検討したのか?
(c)屋上等の諸設備の仮移設が必要となる
→ 枝葉末節のこと
とツッコミどころ満載で話し、以下の点まで答弁した。
(A)駅前の土地の土壌汚染(ヒ素)についても、文化会館アルフォーレの建設時と同じく場外に排出する処理。
(B)床面積14000平方mを想定し、車庫棟も作るとして、総事業費70億円から75億円。機能的で簡素な庁舎にする。
→ 誰がこれを決めたのか。勝手に事業を進めている。
(C)合併特例債を使うなら、平成32年までに着手が必要。
さらに現庁舎の跡地を「中心市街地活性化に資する重要な土地、時間をかけて十分な検討を行う」とし、選択肢の一つとしては
「民間活用をしてもらう」
という。まるで世間と発想が逆である。駅前の土地こそ、民間活用してもらい、柏崎市の収入、雇用の問題に資するべきであろう。
15時10分から15分の休憩ののち、もう2名の議員が一般質問を行った。
17時5分に終了となり、図書室に戻って諸雑務。
18時、自宅に戻って、着替えをしたのち、18時20分から有志、そしてお泊まりするということでついてきた姪っ子で「ダイニング 大志麻」(電話:0257-24-7200)に移動し、しゃぶしゃぶ食べ放題、飲み放題で夕食をとる。
21時20分、某格安カラオケボックスに移動し、好物のチョコミントアイスにソフトクリームをのせ、テキーラトニックを飲みながら二次会。
『それゆけ!アンパンマン』の登場キャラクターのなかで一番のお気に入り、ナガネギマンのテーマ曲「ナガネギフラメンコ」や子門真人版の「働くくるま・2」を歌う。
23時過ぎ、自宅に戻り、ミストサウナ、風呂に入る。
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