自称・納豆冒険家、日本最北端の地・宗谷岬でがごめ納豆
4時に起床し、4時30分からネット上での会議を行う。
5時30分、昨日までに北海道内で購入した納豆のラベル撮影と試食。41種類もあるので、10粒ほどずつの試食にし、あとは袋に入れて持ち帰ることとした。
シャワーを浴びたのち、6時30分、ホテル1階の食堂でビュッフェ形式の朝食をとる。食事が売りの一つにもなっているようで、米は地元産「ななつぼし」、イクラやネギトロなど刺身は取り放題。小粒納豆、北海道らしいザンギ、いももち、卵系(スクランブルエッグ、目玉焼き、温泉)、オクラとろろ、レタスサラダなどを選択。ご飯2杯目は、秋刀魚の甘く煮たものを混ぜ込んだ秋刀魚ご飯にし、動けないほど満腹になってしまった。
7時、ホテルをチェックアウトし、まずは稚内港に立ち寄る。朝もやのなかの漁船団を見ると、「とにかく魚頼むぞ!」という気持ちになる。
昨日で公式な視察が終わり、今日は稚内市から新千歳空港までの410kmの移動をするだけの日程。せっかくなので、日本の最北端をまわって帰路につくこととした。
7時15分、ノシャップ岬に到着。ノシャップはアイヌ語「ノッ・シャム」(岬が顎のように突き出たところ、波の砕ける場所の意味)から来ているという。晴れていれば利尻富士や礼文島も見えるそうだが、残念ながら今日は見ることができなかった。自称・納豆冒険家としてのお約束で、ノシャップ岬の景色を楽しみつつ、納豆を食べた。
8時、宗谷岬に到着し、まずは間宮林蔵の立像にご挨拶。
樺太を最初に発見したとして讃えられる探検家であり、「間宮海峡」という名にもなった。しかし、柏崎市民としては間宮林蔵とともに現地に行った、松田伝十郎も忘れてほしくない。
そして念願の日本最北端(北緯45度31分22秒)の記念碑を前に、地元らしくがごめ納豆をかっこむ。自称・納豆冒険家、最北端を制した・・・。
その後、納豆で粘る口で
「北方領土返せぇー!」
と絶叫。そういえば、亡くなった祖父は、一緒に風呂に入っているとき、
「露助だけは信じるな」
*ルースキー、русский:ロシア人
とよく言っていた。
日本最北端の碑の手前には、この地が題材となった「宗谷岬」(作詞:吉田弘 作曲:船村徹)の音楽碑があり、実際の曲も聞くことができる(昭和55年11月建立、平成14年、メロディーを奏でる「30周年記念音楽碑」を設置)。
現地にある「食堂 最北端」(電話:0162-76-2444)には入ってみたかったが、残念ながら満腹のため、実現できず。
お土産屋さんに併設されている流氷館は、何と入場無料。流氷に実際触れることができ、常に-13.4度に冷却されている。
せっかくなので、宗谷岬にある慰霊碑などもまわらせてもらった。
・旧海軍望楼
ロシアとの国交が悪化した明治35年(1902年)に要塞。日露戦争時には、宗谷沖で行われたロシア軍艦「ノーウィック号」、帝國海軍巡洋艦「対馬」「千歳」との戦闘を見守った。
稚内市内で唯一の明治年代の建築物であり、昭和43年12月に市の有形文化財に指定された。
・宗谷海域海軍戦没者慰霊碑
望楼防備隊を含む宗谷防備で殉職した人々のための慰霊碑。
昭和20年7月、米潜水艦の魚雷攻撃を受けた稚泊航路連絡船「宗谷丸」を守るため(米軍は民間船を狙った)、望楼防備隊所属「第112号海防艦」が身代わりとなり、乗組員152名が散華した。
旧防備隊々員から寄せられた浄財250万円で、昭和55年9月に建立。
・平和の碑
大東亜戦争中、昭和18年10月、この宗谷岬沖で帝國海軍によって撃沈された米海軍潜水艦「ワフー号」の乗組員80名、その「ワフー号」で沈められた日本商船5隻の犠牲者690名(こちらは民間人)を慰霊するため、戦後50年の平成7年9月に日米合同で建立されたもの。日米合同の慰霊碑建立は、この碑が初めて。
<碑文>
1943年10月11日、宗谷海峡において5時間に及ぶ日本海軍とアメリカ合衆国海軍との間で悲痛な戦いが繰り広げられた。
この場所により、北東12マイルの宗谷海峡にアメリカ潜水艦ワフーSS238号乗組員80名のアメリカ人が眠っている。また、ワフー号の攻撃による多くの日本人の犠牲者が日本海に眠っている。
この碑は、日本側の人々とワフー号に眠る乗員の家族とによって設立されたものである。
かつての敵は、今日、兄弟として出会い、両国の平和が尽きることのないよう、また、我々が今あたためている友情が決して再び壊れることのないよう、献身したい。
・あけぼの像
北海道の牛乳生産量100万トンを突破と、飼育乳牛50万頭突破を記念して、昭和46年7月、建立されたもの。
・宮沢賢治文学碑
大正12年8月、前年に最愛の妹トシを失った宮沢賢治が稚内から連絡船に乗り、大泊に行くまでの間に作詞した文語詩『宗谷(一)』『宗谷(二)』のうち、『宗谷(二)』が碑となっている。
宗谷要塞重砲連隊宗谷会により、昭和61年12月12日に建立。
<碑文>
はだれに暗く緑する宗谷岬のたゞずみと北はま蒼に唾るサガレン島の東尾や
・ラペールズ顕彰記念碑
1785年、世界海洋科学調査に出発したフランスの海軍士官ラペールズ伯爵が、1878年に初めて宗谷海峡を渡ったことにより、220年記念として2007年に建立されたもの。世界的には、宗谷海峡ではなく、ラペールズ海峡が正式名。
・祈りの塔
昭和58年9月1日、サハリン西海域で起こった「大韓航空機撃墜事件」の慰霊碑として、昭和60年9月1日に建立。
日本人28人を含む、乗客240名、乗員29名が犠牲となった。
<碑文>
愛と誓いを捧げる
あなたたちの生きる喜びを一瞬のうちに奪いさったものたちは、いま全世界の人々から糾弾されています。
事件の真相はかならず近い将来にあきらかにされるでしょう
わたしたちは あなたたちの犠牲を決して無駄にはさせません
わたしたちは 生命の尊さと武力のおろかさをひろく世界の人々に訴えていくことを誓います
愛しい人たちよ
安らかにお眠りください
1985年9月1日 建立日本大韓航空機事故遺族会
・世界平和の鐘
世界の恒久平和を願うモニュメントとして昭和63年(1988年)6月に建立。
世界81カ国のコインやメダルで鋳造されたもので、これは2号鐘であり、1号鐘が国連本部、3号鐘は稚内市と友好都市を結んでいる沖縄県石垣市に設置されている。
1つ打つと世界平和の響き、2つ打つと日本の平和の響き、3つ打つとあなたの平和の響きあり、と書いてあったので、3回打たせてもらった。
・子育て平和の鐘
稚内市で子育てと平和を願って10円玉募金などにより、昭和63年(1988年)6月に建立。
宗谷岬にいた牛に「可愛いピアスしてるね」と悪たれをついたのち、一路、千歳空港まで向かう。
途中、トイレ休憩を2回ほどしながらも、北海道を縦断し、13時50分、無事にレンタカーを返却。シャトルバスに乗り込み、14時10分、新千歳空港に到着することができた。
JALのカウンターでチェックインしたのち、14時25分、「白樺山荘 新千歳空港店」(電話:0123-45-7575)で昼食。無料の茹で卵を2個で小腹を満たしたのち、一番人気という「新まるごと北海道ラーメン 1300円」の味噌味を食べる。それなりの味噌ラーメンであったものの、値段を考えると次回はないと思う。
15時35分のフライトに合わせて、セキュリティゲートを通り、搭乗口に行ったところ、20分の遅れという。
時間ができたので、トイレに入り、和式で用を足していたところ、鍵自体が壊れており、いつの間にか脱糞風景が全開になっていた・・・・。
15時55分、JAL2876便に乗り込み、新潟空港に向かう。機体は、短距離向けのリージョナルジェット機であるボンバルディアCRJ-200。
ちなみに、CRJファミリーで一番、事故が多いのが、この200系(現在までの事故32件中、28件)である。
機内ではキウィジュースを飲み、高度7000mからの日本の北の美しい風景を楽しむ。
17時過ぎ、新潟空港に到着。同じ視察を行った議員メンバーとは、ここで別々となり、駐車場に停めておいた愛車に乗り込む。
18時から新潟市内の某ファミリーレストランにて、コーンスープを飲みながら、打ち合わせ。
1時間ほどで打ち合わせを終え、20時過ぎ、自宅に戻る。
21時40分、牛バラ肉を一回茹でこぼして脂を抜き、ゆず塩だれで絡めたゆず塩豚、蓮根の油炒め、なめ茸と昆布の和え物をのせた冷や奴、野沢菜、ビール500ml3本で夕食。
市販の塩だれに、高知県馬路村のゆず酢を混ぜたゆず塩だれが、豚肉の脂身によく合う。
食後、郵便物や新聞などを一気に読む。
24時、熱めの風呂に入る。
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