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2016年6月18日 (土)

自民党総裁・安倍晋三内閣総理大臣が来柏
門田隆将氏講演「『本義』を見失わなかった男たち」

 0時、就寝。

 6時に起床し、急ぎのメールなどを処理する。作業中に電話があり、市議会議員となった一期目にお世話になった先輩議員のご逝去の報であった。

 8時30分、大粒納豆、塩鯖焼き、叩きオクラの生卵和え、油揚げと若布の味噌汁でご飯2杯の朝食をとる。

 熱めのシャワーを浴びたのち、諸雑務。

 11時、文化会館アルフォーレのJR側駐車場に移動し、街頭演説のための準備を行う。

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 用意したパンフレット1000枚も無くなるほど多くの方(主催者発表:1200名)にお集まり頂いたなか、自民党・三富佳一県議会議員からのご挨拶。

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*日の丸を持参してきた方も!

 自民党総裁である安倍晋三内閣総理大臣が到着したなか、自民党・細田健一衆議院議員、自民党・塚田一郎参議院議員が、この度の参議院議員選挙の争点などをお話になった。
 続いて、来る参議院議員選挙に立候補予定である自民党・中原八一参議院議員から、政策を前に進めよう、アベノミクスの波を新潟に伝え、躍進する新潟を作りたい!という決意表明。

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 安倍晋三内閣総理大臣は、今回の参議院選挙の最大のテーマは経済政策であり、アベノミクスで出した結果である有効求人倍率が最も高い水準であること、野党のように批判だけではなく、結果を出していくのか政権与党としてのあり方と強調。自衛隊を解散させると綱領に書いている共産党と、それを知りながら手を組む民進党自体も批判した。

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「また今後、選挙ではなく、柏崎のぎおん海の大花火を見て、鯛茶漬けを食べ、デザートには笹団子を食べたい。是非、中原さんには当選してもらって、お招き頂きたいと思っている。」

との安倍総理の発言に、お集まり頂いた皆さんからは大きな拍手と歓声。

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 最後は、刈羽村・品田宏夫村長による参議院議員選挙に向けて、士気を高めるための勝鬨、

 「エイ、エイ、オォォー!」

でシメとなった。

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 そして、街宣車を降りた安倍総理がお集まり頂いた皆さんのもとに駆け寄ってのハイタッチ。なかには感激され、涙を流されている女性もいらっしゃった。

 13時30分に終了となり、妻と合流して、柏崎エネルギーホールに移動。「くらしをみつめる・・・柏桃の輪」主催の講演会「福島第一原発事故は日本人に何を問いかけたのか~『本義』を見失わなかった男たち~」に出席する。
 講師は、ジャーナリストでノンフィクション作家の門田隆将氏(元『週刊新潮』編集次長)。昨年の李登輝元総統を歓迎する晩餐会でお話させてもらって以来である。
 台湾やトルコと日本の秘話もお書きになっており、いつも新刊を楽しみにしている。

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 今回の講演は、東京電力・福島第一原子力発電所の事故に関するもので、主な内容は以下の通り。

・本義は難しいものではない。父母の本義は、体に良いものを与え、世の中の道理を教え、教育を受けさせ、世の中に送り出す。その本義に忠実であること。
・人間に本義があるのと同じに、組織にも本義がある。
・東京電力の本義は、電気を安定供給することであるが、もっと大切なことは人々、国家の命を守ること。公共性の高い会社であるからこそ求められる。
・人間は死の淵を必ず見るが、原子力発電所の事故は国家の死の淵を見たと思う。
・死の淵に立ったとき、人間はどういう行動にでるのか、会社はどう行動するのか。東京電力で言えば、現場と本店でも行動が違っていた。
・太平洋戦争でもそうであったが、常に立派であったのは現場。日本は現場力で生きてきた国と実感した。
・東京電力は本店と現場があまりにも感覚が違った。これが取材で実感したこと。現場は、ふるさと福島と家族を守る戦いでもあった。本店が情けなかったと思う。そしてもっと情けなかったのは官邸。官邸のパニックが本店が巻き込まれた。そのなかで「本義」を見失わなかったのは、現場であった。
・日本の高度経済成長を支えたのも現場力であり、本義を失わなかった人たち。
・福島第一原子力発電所の吉田所長も本義を見失わなかった人。ジャーナリストで直接接したのは私だけ。それはアプローチの方法が違った。吉田所長に影響を与える人たちに接触した。それにより、食道がんで入院中の吉田所長にもアプローチできた。
・吉田所長の人生で許された時間、それは残り1ヶ月しかなかった。外出許可がでたときから亡くなるまでであった。その間に事務所に訪ねてくれ、色々な話をしてもらった。
・なぜ直接会うまで1年4ヶ月までかかったかと言うと、吉田所長は日本のマスコミが真実を伝えるわけはないと思っていたため。マスコミの原子力アレルギーも凄い。
・『死の淵を見た男』で初めて、福島第一原子力発電所事故の現場の実態が世に出た。
・イデオロギー、原子力が良い悪いは小さな話であり、人間として何であったのか、その意味で福島第一原子力発電所事故を書こうと思った。現場の人間が、日本人がどう戦ったのかを歴史に残す必要があった。真実を残さなければならないと思った。
・吉田所長は「真実を残してくれ。私ではなく、部下が凄かった」と語り始めた。
・なんで現場の人間は本義を失わなかったのか、彼らは日本という国、人々の命を守るということへまっしぐらへ進んでいた。本店は、官邸に従うことが本義になっていた。
・海水注入中止命令は、3月12日に海水注入が始まっている。官邸で「海水が入ることによって、再臨界になる可能性はないか」との質問に斑目委員長は、学者なので「0ではない」と答えたが、伝言ゲームのうちに「再臨界の危険性がある」となってしまった。そこで、海水注入命令が東電フェローから吉田所長に直接電話で来た。言い争いになったが通信が切れた。その後、テレビ会議の正式な業務命令になりそうだったので、事前に担当班長のところに行き、テレビ会議上は海水注入を命令するが、実際には海水注入を命令。海水注入を続けた。この事実を東京電力幹部が知ったのは5月。IAEAの査察のときであり、吉田所長は辞表を書いて、真実を報告した。
・吉田所長に「あの時、判断していなかったらどうなったのか」と聞いたら、「チェルノブイリの10倍だよ」と答えた。それは悪魔の連鎖であり、1~4号機(大熊町)、5,6号機(双葉町)の位置関係からいけば、1号機から大量の放射性物質が出れば、運転員はもとより誰もプラントに近づけない。爆発の連鎖になる。斑目委員長は、日本が三分割(北海道と西日本は残り、東日本は誰もいなくなる)になるほどの被害と答えた。
・菅直人首相は最低5000万人の避難民がでると言っていた。天皇家が気になるという発言もあり、真意を聞いたら、いつのタイミングで両陛下に移動してもらうかが気になっていたという。
・東日本地震発生40分後の津波、そして第二派が遅い、重要施設がすべて水没。福島には大きな津波は来ていない。貞観津波での福島の津波は最大6mしかこなかった。10mを越える津波は来ないと想定していた。
・吉田所長は、津波襲来後、即、消防車両を自衛隊に手配していた。それは消防車を直列につなげ、海水を注入するためであった。翌日の朝に免震棟に自衛隊が到着。その時の陸曹の挨拶に希望を見出したという。

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・原子炉への注水を1号機の当直長に指示したところ、すでに消火ラインで構築するよう着手しているとの回答があった。3月11日の夜8時にはライン構築が終っていた。
・3月12日、ベントに行くメンバーを選定するよう吉田所長から1号機当直長に指示。「ベントに行くメンバーをこれから決める。申し訳ないが若い人は行かせられない」と当直長は言い、空気が固まったようになったという。その後、志願者に挙手を求めた。そして、当直長が「まず俺が行くので、一緒に行く奴はいないか?」と言ったところ、非番で駆けつけた2年先輩の当直長が自分が行くと言い、さらに4年先輩の当直長が行くと言ったところで、空気が溶け、若い社員もすべて志願の手を挙げた。
・ベントのための決死隊を決めたが、それぞれに家族にあり、そのときの気持ちをインタビューで聞いた。近くの家族もそうであるが、とにかく日本を守らなければならないという覚悟であったという。ベントのためのMO弁を25%開にすることができた。続くAO弁の開作業は高線量のためルートを変更するも失敗してしまう。
・5号機の副長がベントを志願し、それは1号機で10年間運転員をしたからであった。その副長と小高工業高校時代から一緒であった1年後輩が名乗りを上げた。二人とも子供がいた。5号機の副長がやり残したことがあり、決死隊の心が折れそうになったという。そのやり残したことは、妻に感謝の言葉を伝えることであった。
・現場で「本義」を見失わなかった人たちは、吉田所長となら一緒に死んでも構わないという気持ちであった。この歴史を残さなくはならない。それを残すのがジャーナリストとしての私の「本義」である。

 講師ご本人も熱く語られ、予定されていた時間をオーバーした15時40分に終了。素晴らしい講演であり、台湾人の妻も感動していた。

Wdsc_00146 16時、自宅に戻り、お気に入りの袋のインスタントラーメン「マルちゃん正麺 塩味」 を作り、煮干しと塩の漬け汁に漬け込んでおいた半熟の茹で卵、さっと茹でたもやし、万能葱をのせ、青汁とともに遅めの昼食。
 半熟の卵がうまく漬け汁を吸ってくれたので、塩ラーメンにぴったりの味わいに仕上がった。

Adsc_000201 食後、事務所で事務仕事をしたのち、17時50分、柏崎市総合福祉センターへ移動し、18時から平成28年度柏崎おもちゃドクター連絡会総会に出席する。
 今回の総会は17回目。平成27年度活動実績、平成28年度活動計画説明、会計報告、役員改選などを約1時間に渡って協議した。
 本来であれば、このまま懇親会に突入であるが、別件があるため、今回は失礼させてもらった。

 19時、事務所に戻ったところで来客。

Adsc_000602 21時、豚肉の味噌漬けの切れ端、卵、長葱、牡蠣醤油で作った豚味噌炒飯、市販の生餃子を小麦粉を使って羽付きに焼いたもの、キャベツの昆布漬け、ビール500ml3本で夕食をとる。
 豚肉の味噌漬けの脂身が良い味を醸し出している。

 22時45分、柏崎駅に行き、妻をお見送り。

 23時30分、熱めの風呂に入ってリフレッシュしたのち、事務所で事務仕事。

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コメント

おもちゃドクター❗️ 昔、佐藤和さんだったかが関わっていると聞いた記憶あります。(ふっと思い出しただけです(^_^))

 小野寺さん、コメントありがとうございます。
 佐藤和さんが代表で頑張っておられます。

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