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« 沖縄県石垣市:外国人を含む旅行者のための避難誘導
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2016年7月31日 (日)

沖縄県石垣市:日台地方議員セミナー、李登輝元総統講演会

 0時、就寝。

 5時に起床し、熱めのシャワーを浴びたのち、持参したノートパソコン(ThinkPad X61,SSD,SXGA+化,LEDバックライト化)で、急ぎの仕事を処理する。

Aadsc_004036 7時、ホテル本館の1階「レストラン花茶屋」にて、ビュッフェ形式の朝食をとる。小粒納豆、黒紫米、島豆腐の冷や奴、ゴーヤチャンプルー、オムレツ、ポテトもち、和風ハンバーグ、大根イリチー、マカロニサラダ、ツナとコーンの生野菜サラダ、焼き海苔、若布と玉葱の味噌汁、牛乳といった内容。

Bbdsc_000101 9時過ぎ、タクシーで「大濱信泉記念館」(電話:09808-4-1551)に移動し、9時30分から多目的ホールでの日本李登輝友の会主催「日台議員セミナー」に出席する。
 約40名の元国会議員、地方議員、日本と台湾の友好交流関係諸団体のメンバーが全国から集まった。

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Img_1726 気温が高く、かなり蒸し暑い会場であったが、かつて旅館での有料テレビで見たようなコイン式の課金クーラーに200円を定期的に投入し、部屋を冷やす。いままで色々な会議室に行ったが、この方式を見たのは初めてである。また、津波が来た場合の一時避難場所の表示もあったが、「一時非難場所」との誤字が残念。

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 セミナーの内容は以下の通り。

1.講演「急増する日本と台湾の姉妹都市」
  講師:梅原克彦氏(元仙台市長)

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・2005年から仙台市長を1期。元経済産業省におり、ASEANとの経済協力について担当をしていた。
・台湾はWTO、APECは正式メンバーであるが、チャイニーズタイペイの名になっている。香港も同様。
・仙台市長時代、台南市と「観光、経済、産業、福祉、文化及びスポーツ分野の交流促進協定書」を締結した。

「仙台市・台南市の協定書」(pdf形式)

・ところが、中国側、以前に友好都市となっていた長春市(旧:新京、昭和55年)から抗議文が来るほか、数々の中国関係機関、そして【日本国内からも】圧力がかかった。

「中国・長春市からの抗議書」(pdf形式)

「仙台市から中国・長春市への返答」(pdf形式)

・仙台七夕まつりがあり、日本統治時代の影響も多少あるのか台南市にも七夕まつりがある。その七夕を切り口に台南との文化的な交流を提案したことがスタート。
・しかし、東京都にある仙台市の事務所に、中国側から圧力がかかり始めた。元々、仙台市は親中派であり、魯迅も東北大学が留学し、指導教官の藤野先生との交流が始まり。東北大学では中国人学長待望論もあったほどであった。
・長春市は旧満州、中国東北地方ということで、仙台市は日本の東北地方。そのことから1980年(昭和55年)に革新系の市長が友好都市を締結していた。

「長春市・仙台市友好都市議定書」(pdf形式)

・2005年、中国大使館(程栄華氏が公使として抗議:現在の在日中国大使、創価大学1期生、長春市出身)から圧力がかかった。中国でビジネスを展開している日本の企業を介しての面談要望であり、その企業からは市長選挙でもお世話になった関係で会うこととなった。雑談で終わろうとしているなか、最後に程栄華氏が「日中共同声明の精神を考えてもらいたい」と発言。
・2006年1月20日、台南市に行き、許添財市長(現在の民進党のトップ)に面会した。
・姉妹都市・友好都市は形式的には重く、中国からのプレッシャーは別にしても、一般財団法人自治体国際化協会(CLAIR)のガイドラインを満たすというハードルがあり、その条件のなかには、議会の同意がある。当時の仙台市議会は革新系勢力もあり、議会での同意が可決しない可能性が高かった。そこで、交流促進協定書のかたちをとった。
・2003年には岡山市が台湾・新竹市と友好交流市になっていたが、それは議会内に熱心な議員がいたためである。岡山市は、以前に中国の洛陽市と姉妹都市になっていた。それは支那事変の際の岡山聯隊の駐屯地であった。

・中国共産党の日本の取り込み戦略、戦術は自治体間交流を活用してきた。岡山市と洛陽市の関係も戦争の贖罪意識を忘れさせないためと思われる。ある会合で中国人が提案した自治体交流は、広島市、長崎市、重慶市、南京市と戦争の歴史戦であった。
・実をとるなら、姉妹都市・友好都市ではなくとも、良いと考えて双方の自治体が活性化すれば良い。

「台湾と姉妹提携する日本の自治体」平成28年7月18日現在(pdf形式)

・東日本大震災の際には、台南市は多額の義援金をもって、仙台市に来た。それはこの交流促進協定書による交流があったからである。

Q.実際的に、姉妹都市・友好都市と交流促進協定書の違いはあるのか。
A.市民や実務ベースでは、ほとんど変わりはない。しかし、台湾との交流の場合は、国の方針はあくまで日中共同声明を前提しているので、そこへの配慮は必要となる。とにかく実質が大切である。

Q.交流までの実務的手順はどのようなものだったのか。
A.台北駐日經濟文化代表處と下話をし、その後、国の方から市の国際交流担当に落とした。市長同士でサインをしてしまえば、物事は進む。大使館同士が文句を言う時代は終わったと思う。今後は産業協力をするのが良い。台湾にとっても、脱中国大陸、経済発展になり、日本の地方活性化においても重要と考える。

*石川県加賀市は、市長選挙での公約であったため、台湾・桃園市と友好都市(2016年5月19日)となった。
*沖縄県宮古島市と台湾・基隆市は種子の交流がスタートで、姉妹都市となっている。
*安倍政権となった安定してから、2013年の台湾との漁業協定をはじめ、自治体でも協定が進んだ。

2.講演「台湾出身者を『中国人』とする日本の戸籍問題」
  講師:柚原正敬氏(李登輝友の会事務局長)

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「台湾正名運動の歩み」(pdf形式)

・台湾出身者が日本人と結婚したり日本に帰化する場合、または日本人の養子となる場合など、その身分に変動があったとき、戸籍における国籍や出生地は「中国」や「中国台湾省」と表記される。
・平成22年(2010年)11月以来、戸籍問題の解決に取り組み、外国人登録証を廃止し、新たな在留カードの交付に際して、「国籍・地域」欄を設け、台湾出身者は「中国」ではなく「台湾」と明記するよう法改正された。
・これまで宮城県議会、石川県議会、
柏崎市議会で「台湾出身者の戸籍表記是正を求める意見書」が可決。柏崎市議会は、初めての全会一致での可決であった。

 11時35分に「日台議員セミナー」が終了となり、タクシーで移動。

Bbdsc_000202 11時50分、何人かのタクシーの運転手さんに聞いた、地元らしい食堂「おいしん坊」(電話:0980-83-0898)に入り、昼食をとる。安くて、美味しく、毎日のように通っているという方がおすすめと言っていた「牛汁 700円」を注文。野菜とともに牛肉、昆布などが煮込まれ、島味噌で味付けされた牛汁は、ご飯によく合う。新潟県人としては、これで白米が美味しかったなぁ・・・の気分。

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Bbdsc_000808 デザートには、「ぜんざい 250円」である。沖縄のぜんざいは、かき氷の下に甘く煮た金時豆が入っているもので、本州のものとはまったく違う。
 暑いときのアイスクリームは冷たくなるが、喉も乾いて、水がほしくなる。それに比べ、沖縄のぜんざいは、水も必要なく、さっぱりと体を冷やすことができる。

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 13時過ぎ、タクシーに乗り、ANAインターコンチネンタル石垣リゾートに到着。李登輝元総統がお越しになるということで、ホテルの前には国旗「日の丸」、沖縄県旗、石垣市旗に加え、台湾国旗も掲揚されていた。

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 13時30分から「李登輝元総統in石垣 講演会」(主催:李登輝先生沖縄県石垣島招聘実行委員会 共催:日本李登輝友の会 後援:全国青年市長会、八重山経済人会議)に出席する。500名入る会場が満席。
 司会者をはじめ、会場内には全国から来た、知った仲の地方議員が数多くおり、また先日、新潟県上越市にもお越し頂いた我那覇真子女史など、これだけでも出席した意味があるほどであった。
 主催者を代表しての挨拶は、全国青年市長会(新潟県内に所属市長は無し)会長である埼玉県本庄市の吉田信解市長。昨年の国会議員への李登輝元総統の講演に続いては、全国各地の首長、議員相手の講演会を実施すべきと思い、行動に移したとのスピーチがあり、会場からは大きな拍手が送られた。

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 歓迎の挨拶は、次期の全国青年市長会会長であり、地元・沖縄県石垣市の中山義隆市長。

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 来賓を代表して挨拶は、実質的な台湾の駐日大使である、台北駐日経済文化代表処の謝長廷代表であった。謝代表は元・高雄市長であり、台湾人である妻も投票したことがある方で、今後の柏崎での交流事業にもつなげるため、個別にもご挨拶させてもらった。

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Img_1746 いよいよ14時30分から李登輝元総統による講演「地方から発信する日台交流の深化~石垣島の歴史発展から提言する日台交流のモデル~」となり、御年93歳とは思えぬ、大きな声の日本語でお話しになった。
 主な内容は以下の通り。

地方から発信する日台交流の深化
~石垣島の歴史発展から提言する日台交流のモデル~」

・2008年には沖縄本島に来たが、石垣島は歴史的にも文化的にも産業でも台湾と密接な場所であり、楽しみにきた。
・石垣島の歴史発展から提言する日台交流のモデルというテーマで話をしたい。
・台湾が日本統治下において、石垣島はハブとなって、交流の場であった。
・戦後を通して、石垣島の農業に貢献したのは、台湾の移民であった。1930年代に台湾中部から移民し、パイナップルや缶詰技術、そして水牛を持ち込んだ。
・1920年代にはパイナップルの缶詰技術で財を成した人が台湾国内にいた。しかし、パイナップル産業が過密となり、一部が新天地となる石垣島に移ってきた。
・石垣島に来た台湾人は、開墾、焼き畑農業など過酷な農作業を行った。幸いパイナップルの環境に合っており、石垣島の経済を支えるまでになった。
・1937年、台湾からの移民を募集しているが、その頃には高待遇となっていた。80haのパイナップルを植え付けるまで拡大した。
・広大なパイナップルの耕作を支えたのは、台湾から来た水牛であった。水牛は1頭で人間3~5人分の働きがある。働き者、勤勉さがある水牛の精神は台湾精神ともいわれる。
・台湾からの移民がよく働いていたため、仕事がとられると石垣島の人との軋轢があったのも事実。相互理解のための組織もできた。
・大東亜戦争によってパイナップル産業に従事する人は減り、また日本の敗戦により、国境ができてしまった。
・戦後、石垣島のパイナップル産業を復興させようとしたのは、石垣島に残留することを決めた台湾人であった。
・産業の成長に伴い、パイナップル栽培・生産と缶詰の工業のアンパランスが生じてしまった。そこに協力したのも台湾人の缶詰技術者。石垣島に台湾の缶詰技術が多く来た。
・マラリアと戦い、地元の人との融和に気をつけながら台湾人は移住した。言葉にできない苦労があった。
・石垣島でのパイナップルなどの農業分野の発展に貢献した台湾人のことは、台湾人の一人として誇りに思う。また、逆にそういった事を受け入れてくれた石垣島の方に感謝する。
・これらを事例とすれば、日台友好の次のことがでてくる。日台が協力してきた分野はこれまでの農業分野からIT分野など大きく変わっていく。

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・自分も大腸がんになったが、日本のがん治療は最先端である。台湾もがんが死因のトップ。日本の重粒子放射線治療設備が台湾にも導入されることになった。
・浜田宏一氏(安倍内閣の内閣官房参与)との共著『日台IoT同盟─第四次産業革命は東アジアで爆発する』という本を出版した。この本のテーマでもあるIoTはInternet of Thingsで、身の周りにあるあらゆる商品をインターネットでつなぐ技術。これが第4次産業革命になると思う。

・日本一の米生産は新潟県であるが、どこでもその米を作る人が減ってきている。農業就業者が少なくなると機械化、省力化、集約化が求められる。稲作では水位の管理、田植えなどに時間をとられ、見守っている。新潟市は通信業者と協力し、センサーなどを使って水位などを管理し、農家のパソコンや携帯電話に状況が表示される。これは大きな省力化につながる。これがIOTのメリット。しかし、デメリットもあるのは事実である。IOT分野には日本の技術は世界トップであるが、その技術の多くが自社内で閉じこもっている。台湾はグローバル化に成功しており、高品質の半導体などを作ることができる。日本の技術と、台湾の生産技術が力を合わせることで、世界市場を制覇することもできるであろう。そして、日本の経済は正常に戻り、台湾での雇用も増える。GDPも3~4%は伸びると思う。
・パイナップル技術においては1960年代までは台湾が先であり、日本を助けた。今度は、逆に日本が進んでいるIOT技術をだし、台湾で生産することで、お互いを助け合える。パイナップルは研究・技術が台湾、生産が日本・石垣島であった。今度のIOTは、研究・技術は日本、生産は台湾である。
・日本と台湾は価値観を同じくする国であり、四方を海で囲まれている。日本と台湾は運命共同体。正式な国交はないが、台湾と日本は密接な関係を維持しており、台湾大地震でまっさきにかけつけたのは日本の救助隊。東日本大震災で最も多くの義援金を出したのは台湾。これは台湾政府が国民に求めたことではない。自発的なもの。
・繰り返すが、日本と台湾は運命共同体である。石垣島のこの歴史が表すのが、日台の協力関係の良い事例。新しい時代に日台ともに頑張っていきたい。

 技術の日本、生産の台湾という組み合わせで、両国の地方都市間での交流という提案であり、考え方、将来の観方として非常に参考になった。

Img_1751 15時過ぎに終了となり、次の日程まで2時間ほど空きがでたので、タクシーにて「石垣やいま村」に移動。6年前、石垣市長、石垣市観光協会を訪れる前にも、大雨のなかで来たことがある。
 リスザルと触れ合えるスペースがあり、暑い日差しのなかであったが、エサを手渡ししたりして、癒された。

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 17時過ぎ、再度、タクシーでANAインターコンチネンタル石垣リゾートに戻り、17時30分からの歓迎レセプションに出席。李登輝元総統も、今後の地方における日本と台湾の交流について、お話しをされた。
 あくまで李登輝元総統の歓迎の席であるが、全国から来た地方議員、とりわけ台湾との交流事業に熱心な議員が多く、その進捗具合や、その他の各自治体で取り組み始めた面白い政策などの意見交換ができた。
 また、妻とともに李登輝元総統にも結婚したことも含めて、ご挨拶。

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 19時にお開きとなり、タクシーで宿泊先であるルートイングランディア石垣に戻ろうと思ったものの、発音が悪かったためか、もう一つのホテルである石垣リゾートグランヴィリオホテルに行ってしまい、30分以上のロス。そんな高級リゾートホテルに泊まれるような身分ではない・・・。

 20時過ぎ、やっとルートイングランディア石垣に戻り、着替え。

 20時20分、石垣市に移住された母校・東電学園高等部の先輩(29期)T氏、埼玉県議会・鈴木正人議員や新潟から来たメンバーとともに、地元の方が通うお店「あっき」(電話:0980-87-056)にて、夕食をとる。
 メンバーがメンバーなので?今日、投開票となった東京都知事選挙において小池百合子・新知事が誕生したことを祝う宴となった。

 22時過ぎ、スコールのような大雨のなか、ホテルに戻り、風呂に入る。

 24時、就寝。

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