レイテ島出身フィリピン・ドゥテルテ大統領とアメリカ
2時、就寝。
7時に起床し、大粒納豆、甘塩鮭、野沢菜、玉こんにゃく、茄子と茗荷の味噌汁でご飯2杯の朝食をとる。
シャワーを浴びたのち、お届け物や米の精米などの所用で市内まわり。
13時、自宅に戻り、冷凍讃岐うどん2玉、生卵、めかぶ、小粒納豆で作ったネバネバうどんで昼食をとる。
15時、17時と事務所に来客があり、意見交換や今後の対応方針などについて話し合う。
19時、ブラックタイガーの海老フライ、トマト、胡瓜、ほうれん草ともやし、人参のナムル、夕顔の鶏そぼろ餡かけ、ビール500ml3本で夕食をとる。
高カロリーにはならないよう海老フライにはウスターソースだけにしようと思ったものの、やはりタルタルソースがほしくなり、1本にはたっぷりとタルタルソースをのせてしまった。
食後、お泊りにきた姪っ子や妻と一緒に久々にUNOを楽しむ。
23時、熱めのシャワーを浴びてリフレッシュしたのち、事務所で事務仕事。
麻薬売人の非情なる取り締まりで世界的な話題になっているフィリピンのドゥテルテ大統領は、レイテ島のマアシン出身である。
*帝國海軍「戦艦 武蔵」はレイテ島に向かう途中で20本以上の魚雷を受け、沈没。
1898年4月、アメリカとスペインの間で戦争が勃発し、アメリカはスペインの植民地であったフィリピンの独立に全面的に協力することを条件に、フィリピン独立運動指導者エミリオ・アギナルドに協力を要請した。
アギナルドはアメリカ艦隊と共にフィリピンに帰国し、同年8月にマニラにあったスペイン総督府を陥落させ戦闘を終結。アメリカの勝利となったものの、同年12月10日、アメリカとスペインの間でパリ条約が締結され、スペインはアメリカにフィリピンの領有権を2000万ドルで譲渡した。これによりフィリピン独立の夢は破れ、フィリピンの統治権はアメリカとなった。
独立の約束が守られなかった結果、1899年8月には米比戦争が勃発。米軍は反抗するフィリピン人約62万人を虐殺、しかもレイテ島においては少なくとも島民約10万人が皆殺しにされた。ドゥテルテ大統領は、そのわずかな生き残りの子孫である。
当時の米軍の司令官は、アーサー・マッカーサー・ジュニア、のちに日本を占領したダグラス・マッカーサーの父。大東亜戦争において帝國陸軍から痛い目にあい、一度はフィリピンから逃走したものの、「I shall return.」の言葉通り、フィリピンに再上陸したダグラス・マッカーサーが選んだ地は、父が虐殺を行ったレイテ島であった。日本に協力すると、また皆殺しにするぞ!とのフィリピン人へのメッセージだったのであろう。
先日のラオスでの東アジアサミットにおいて、ドゥテルテ大統領が用意したのは、当時に米軍がフィリピンのミンダナオ島で虐殺をした写真。
虐殺の歴史を見せつけられたアメリカのオバマ大統領は首脳会談を拒否した・・・。
« 映画『シン・ゴジラ』と弾道ミサイル(飽和攻撃)対応 | トップページ | 平成26年の体外受精は21人に1人、晩婚化の問題 »
「経済・政治・国際」カテゴリの記事
- 台湾スイーツ「豆花」台湾カフェ「騒豆花」視察(2019.04.18)
- 2019_柏崎市議会議員選挙応援演説(佐藤ひろたか候補@勝願寺)(2019.04.19)
- 追悼『ルパン三世』作者モンキー・パンチ氏(2019.04.20)
- 三井田たかお総決起大会~元気がでる大講演会(2019.03.08)
- 2019三井田たかお政策動画(地域経済の活性化、交流人口増大について)(2019.03.09)
« 映画『シン・ゴジラ』と弾道ミサイル(飽和攻撃)対応 | トップページ | 平成26年の体外受精は21人に1人、晩婚化の問題 »
コメント