ミャンマー国防相、稲田防衛相に旧日本軍への感謝の言葉
3時、就寝。
8時に起床し、大粒納豆、目玉焼き、松前漬け、とろろ昆布の吸い物でご飯2杯の朝食をとる。
シャワーを浴びたのち、資料のお届けや調査結果の報告のため、市内をまわる。
12時30分、自宅に戻り、冷凍讃岐うどん2玉、スーパーで購入した紅生姜入りかき揚げ、干しアゴベースのつゆで、天ぷらうどんを作って昼食。
食後から事務所で依頼されたパソコンの修理3件(電源交換、ファン交換)、破損したUSBメモリのデータ復元を行う。
パソコンの内部にペットの毛が入り込んでファンが回らないという事例が多いので、ファンの吸入口に粗いメッシュを貼り付けた。
18時20分、オージービーフのモモ肉とピーマン、玉葱の炒め物、蓮根の油炒め、鱈の白子の煮物、市販の銀杏入り茶碗蒸し、小粒納豆、胡瓜の味噌漬け、ビール500ml3本で夕食をとる。
赤身だけのオージービーフの方が、野菜との炒めものに合うような気がする。
食後から事務所で事務仕事。
23時、熱めの風呂に入ったのち、録画しておいたテレビ番組を一気に観る。
かつてイギリスの植民地であったミャンマー(旧ビルマ)では、大東亜戦争開戦と同時期に帝國陸軍の支援により、「ビルマ独立義勇軍」が結成され、その後に独立を勝ち取った。
先月、ミャンマーのセイン・ウィン国防相と稲田朋美防衛相の会談では、この独立への道で日本が協力したことに感謝の言葉が述べられた。
現在でもミャンマー軍では、帝國海軍の象徴的な曲である「軍艦マーチ」を流用した「ミャンマー・ドゥーイェ・タッマドゥ」(Myanmar Tot Ya Tatmadaw)が使われている。
また、ビルマのバー・モウ首相を救出したのも日本の憲兵であり、亡命先は我が新潟県の南魚沼市であった。
バー・モウ回顧録『ビルマの夜明け』
「歴史的に見るならば、日本ほどアジアを白人支配から離脱させることに貢献した国はない。」
「真実のビルマの独立宣言は1948年の1月4日ではなく、1943年8月1日に行われたのであって、真のビルマ解放者はアトリーの英国労働党政府ではなく、東條大将と大日本帝国政府であった」
平成28年9月22日『産経新聞』
「旧日本軍の独立支援、いつも感謝」
ミャンマー国防相、稲田防衛相に
稲田朋美防衛相は21日、ミャンマーのセイン・ウィン国防相と防衛省で会談し、中国が強引な海洋進出を続ける南シナ海での法の支配の重要性について一致した。セイン・ウィン氏は「わが国の独立の歴史において、日本と旧日本軍による軍事支援は大きな意味があった」と感謝した。稲田氏は「両国は歴史的にも大変深い絆で結ばれている」と応じた。
英国による植民地統治時代のミャンマー(旧ビルマ)は、旧日本軍から支援を受けたアウン・サン将軍らが1941年に「ビルマ独立義勇軍」 (BIA)を設立し、英国軍と戦って43年に「ビルマ国」として独立。その後、再び英国領となったが、48年に「ビルマ連邦」として独立した経緯がある。セイン・ウィン氏は会談で「BIAと日本軍が英国の植民地支配を打ち倒した。日本兵と日本に対し、いつも感謝している」と繰り返した。
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