祝!天長節、糸魚川市民へのお言葉
日本李登輝友の会「平成28年日台共栄の夕べ」門田隆将氏講演「2・28事件に散ったある日本人弁護士」
1時、就寝。
7時に起床し、持参してきたノートパソコン(ThinkPad X61,SSD,SXGA+化,LEDバックライト化)で急ぎのメールなどを処理する。
糸魚川市の火災が鎮火したとのニュースがあった。この年の瀬に寒い中、避難生活となる糸魚川市民の皆さんの事を思うと心が痛む。
今上陛下の天長節でのお言葉のなかでも、早速、糸魚川にお心を寄せていただいた。今上陛下のご健康、皇室の弥栄を願うばかり。
8時50分、ホテル2階のレストランに行き、ビュッフェ形式の朝食。小粒納豆、カリカリベーコン、レタスやミニトマトのサラダ、スクランブルエッグ、焼き海苔、梅干し、味噌汁、ご飯2杯、牛乳、ヨーグルトと、今日の夜に備えて、軽い内容である。
食後、ゆっくりと風呂に入ったのち、10時40分にホテルをでる。
11時30分、靖國神社に到着し、参拝。今年、最後の参拝になるであろう。
奉献酒のラベルが境内に掲示してあり、我が柏崎からは原酒造の名前。郷土愛がくすぐられる瞬間である。
毎年のお約束である巨大絵馬も確認。
参拝後、食事をとろうと思ったいたところで知った方々と偶然お会いし、そのまま境内の休憩所にて、懇談となった。
2時間もおしゃべり?をしたため、かなり空腹となり、14時20分、「ドトール 市ヶ谷店」(電話:03-3264-2926)に入り、「贅沢ミラノサンド 炭焼ローストビーフ~特製バルサミコソース~セット 760円」、ドリンクはミルクハニーカフェオレにし、遅めの昼食をとる。
14時40分、アルカディア市ヶ谷に移動し、15時からの日本李登輝友の会「平成28年日台共栄の夕べ」に出席する。
渡辺利夫会長からの開会挨拶、李登輝元総統からのメッセージ、来賓者を代表してJET日本語学校名誉理事長の金美齢氏から挨拶。
15時15分からノンフィクション作家の門田隆将氏による講演会「2・28事件に散ったある日本人弁護士~日台の絆を示して台湾で英雄となった男」となった。
主な内容は以下の通り。
・日本人の父、台湾人の母をもつ、台湾を救った日本人弁護士・坂井徳章(湯徳章)の話である。
・この会場に、この本を執筆するにあたり協力して頂いた皆さんにもお越し頂き、感謝しかない。
・日本の坂井家を探すだけでも大変であり、取材がとにかく大変であった。
・2・28事件の70周年前にこの本を出したかった。
・坂井徳章の40年の人生が私の心を揺さぶった。
・かつての戒厳令下の台湾に行ったが、台湾独立を言おうものなら、殺されそうな雰囲気であった。しかし、その頃から2・28事件の情報を入れていた。
・李登輝総統がでる前は、外省人による傀儡政権。それを順番に外省人の指導者を切っていって民主化したのは、李登輝総統。そして本省人の李登輝政権のもとで、2・28事件がタブーではなくなった。映画『悲情城市』もタブーではなくなった証拠。
・何としても立派な生き方をした2・28事件の被害者を書きたかったが、あまりに立派な生き方をした人が多く、被害者も2万7000人から8000人。
・台北でばかり2・28事件を調査していたが、部下から湯徳章はどうか、と言われた。台南の湯徳章公園にも行ったことがあったのに、すっかり忘れていた。
・「台湾人、万歳!」と叫んで死んだ坂井徳章(湯徳章)氏を書こうと心に決めた。
・坂井徳章(湯徳章)は、小学校卒業しか学歴がないので、中央大学の聴講生であったが、司法試験から上級公務員まですべて合格している。努力と信念の人である。
・お父さんは熊本県出身の警察官。台湾に渡り、台湾人女性と知り合い、そこで生まれたのが坂井徳章(湯徳章)。昭和8年まで「内台共婚法」がないため、台湾人と日本人で結婚できなかった。お父さんは、そんな事は気にせず、信念を貫き、台湾人女性と事実的な結婚をした。
・そのお父さんも台湾人反乱事件で虐殺されてしまう。お父さんは反乱現場から子供たちを脱出させて、死ぬことが分かっていて残った。その行為が息子に精神を形成した。
・正式な結婚をしていないので、母と貧困生活。しかし、坂井徳章(湯徳章)はずば抜けて頭が良かった。超難関の台南師範学校にも合格した。
・台南師範学校の制服は格好良くて人気であったが、貧乏であったため、制服が買えなかった。学費、食費までは支援してもらえたが、衣服はなかった。しかし、お母さんが貧乏のなか作ってくれた服だったので、恥ずかしいとは思っておらず、誇らしく思っていた。
・教師になれる道があったにも関わらず、もっと人の役に立てる仕事があるのではないかと退学を申し出て進路を変える。そのため、小学校卒業が学歴。
・師範学校を退学し、炭焼きをやりながら過ごしたが、そこに集まった人たちの教養が高かった。日本統治の大きな特徴で、師範学校を作ったため、教育レベル、知的水準は高くなっていた(日本と同水準で90%近い識字率)。様々な人から坂井徳章(湯徳章)は学び頭脳、体力も成長していった。
・19歳、巡査試験を受け、合格。日本統治の教育レベルの高さが、一度はドロップアウトした坂井徳章(湯徳章)を拾い上げた。
・若くして結婚するが、結婚生活より勉強生活。台南州で、そして本省人としても唯一の警部補になった。
・曲がったことが嫌い、正義の実現が自分の仕事と思っており、警察仕事に壁があった。内地人との出世、捜査においても差別があったこと。鹿沼事件というものがあり、ひき逃げした高い地位にある日本人が逃げようとしたのを追及した。上からは書類送検だけで済ませろとの圧力もあったが、坂井徳章(湯徳章)は裁判まで持ち込んだ。
・この事件をきっかけに警察の中にいては、正義の世の中にできないと考え、30歳を過ぎ、子供もいるなか、苦難の道を選択。
・警察をやめ、父の弟、つまり叔父を探すことができた。叔父は経済ジャーナリスト。叔父を頼って、東京にでて帝国大学出と競う。
・後に義父となる叔父からは、司法試験に強い中央大学の聴講生になることを勧められた。しかし、小学校卒のため、本試験の前に2つの大きな試験があった。本試験を含めた3つの試験の全部を一緒に勉強した。
・当時の大学は3年間であったが、警察官時代の蓄えがあるうちに司法試験に合格する必要があり、一気に駆け抜けた。子供たちからは、「お父さんは机に向かって勉強し、ブツブツ暗記のためにつぶやいていた」という。
・昭和16年、大東亜戦争の開戦1か月前、司法試験(高等文官司法科)に合格した。体が壊れる前に合格する必要もあった。台南では新聞報道された。
・弁護士となり、帝都・東京でエリート生活をするのではなく、台湾人の人権を確立するため、台湾・台南に戻った。
・終戦後、国民党軍がやってくることになる。日本の統治であろうと、国民党軍の統治であろうと、台湾人の人権を守るために活躍する。当時は、まだ人権の概念がない状態であったが、台南人権委員会の委員長に就任。
・2・28事件が台北で起こり、台湾全土に広がった。台湾全島が支那人を大陸に押し返せ!との運動が徐々に暴力的な動きになり、それを抑えようと坂井徳章(湯徳章)は奔走する。それは、返す刀で虐殺されることが分かっていたからである。
・3月9日、国民党軍第21師団が高雄と基隆に上陸し、長い国民党軍事独裁政権がはじまる。高雄でも虐殺があり、インテリ層が狙われた。しかも遺体は、高雄駅前に見せしめとして置かれていた。
・反乱を抑えていた坂井徳章(湯徳章)自身が、日本人であるという理由で反乱の首謀者とされ、なぜか逮捕された。恰好のスケープゴートになった。
・逮捕され、拷問を受けたが平然としていた。どんな拷問を受けても一切の事を言わず、「日本人だと言うなら、日本語で拷問しろ!」と反論。そのまま死刑判決を受けた。
・人権を守る活動をしていた本人が、人権を最大に蹂躙される状態となった。
・処刑されるまで寸前でも平然としており、銃殺をしようと目隠しするのを払いのけ、木の棒に縛り付けるのもできなかった。
そこで、
「私に目隠しをする必要はない!木に縛り付ける必要もない!
なぜなら、私の心のなかには、大和魂の血が流れているからだっ!」
「何か罪があるなら、私一人だけでいい」
と台湾語で叫び、最後に日本語で、
「台湾人、万歳」
と絶叫したところで、銃弾を受け、銃殺された。
・処刑する国民党軍は中国人であり、日本語は分からない。つまり、この最後の日本語は台湾人へのメッセージであった。
・これは六氏先生(芝山巌学堂での抗日事件により殺害された日本人教師6名)と一緒であり、台湾統治の高い教育がこれで始まったとすれば、この坂井徳章(湯徳章)の言葉で50年が終わったと言える。
・台湾人の義を忘れないパワーは凄いものがあり、2年前の2014年、坂井徳章(湯徳章)が処刑された日が記念日「正義と勇気の日」に制定された。
感動の講演のあと、副会長である拓殖大学・黄文雄客員教授による閉会挨拶で第一部が閉会。
17時過ぎから第二部の大忘年会となり、元海将補である川村純彦副会長の開会挨拶、来賓挨拶として、江口克彦前参議院議員、自民党・秋元司衆議院議員、和田政宗参議院議員があったのち、呉竹会アジアフォーラムの頭山興助会長の乾杯により開始となった。
沖縄県石垣市での李登輝元総統講演会を実現した埼玉県本庄市の吉田信解市長をはじめ、同志である地方議員仲間の意見交換。議会運営に関する情報交換も非常に参考になる。
会場全体が盛り上がったきたところで「お楽しみ抽選会」となり、何と妻は台湾食材を使ったレアものキティちゃん弁当箱の台鉄弁当、私はフルーツを頂戴した。二人して当たるとは、今年最後の運を使い切った感がある。
20時30分に万歳三唱で閉会となり、関係した皆さんにご挨拶したのち、帰路につく。
買い物などをしてから、22時、宿泊先のホテルルートイン東京阿佐ヶ谷に戻る。
熱めのシャワーを浴びたのち、週刊誌2冊や月刊誌1冊を読む。
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