糸魚川大火の教訓:顔が見える付き合い、屋内での防災無線
2時、就寝。
7時に起床し、大粒納豆、焼きたらこ、板わさ、蜆の味噌汁でご飯2杯の朝食をとる。
のどの痛みと熱がでてきたため、食後、仮眠。
11時から年越しの準備として、神棚をはじめ自宅内を掃除する。
12時50分、栃木県佐野市で購入してきた「青竹手打ちラーメン 田村屋」(電話:0283-24-8617)の生麺セット(塩味)に、茹でもやし、某肉屋さんのチャーシュー、シナチク、長葱のみじん切りをのせた佐野ラーメンで昼食をとる。
食感が楽しい佐野ラーメン。塩味のスープにもよく合う。
食後からも掃除や片づけ。年内に支払ったおきたかったものや車検のための入庫など、つい忘れてしまったいくつか案件があり、すっきりしない気分である。
18時30分、毎年の恒例である割り下を使うも、やや甘めにした牛すき焼き、クワイ(煮物と唐揚げ)、刺身盛り合わせ(大トロ、サーモン、バイ、鯛)、小粒納豆入りの栃尾揚げ、ビール大瓶6本で、弟、妻、母の4人でのお歳とり。
食後からメールの処理や家族のパソコンの掃除、メンテナンスを行いつつ、テレビを観る。NHKの紅白歌合戦では映画『シン・ゴジラ』ネタやバブリー芸人・平野ノラなど小芝居があったが、司会がそれを引き出せていなかったのが残念。
22時からこれまで録画しておいたNFL第16週までの主要な試合を早送りで観る。
先の糸魚川市の大火事で人的被害が無かったのは、不幸中の幸いであった。消防署はもとより、地元消防団の決死の活躍も伝え聞くところである。
人的被害を出さずに済んだ教訓として、強風で音声が聞こえない屋外の防災無線のスピーカーではなく、各家庭に設置してあった防災無線の戸別受信機が有用であったこと、そして普段から顔が見える近所の付き合いがあったことが挙げられている。
*柏崎市では今後、アナログ式からFMコミュニティ式に移行する計画。詳細な設計は次の定例会議。
自主防災会等で毎年行う防災訓練には意味がないのではないか、という意見を聞くこともあるが、今回の大火で学べるように普段から顔を会わせることには重要であろう。
防災士としての講義を行う機会が今後もあるので、今までより強調して伝えていきたいと思う。
平成28年12月31日『産経新聞』
糸魚川大火
防災無線と「絆」命救う
住民連携で死者ゼロ
144棟が燃えた新潟県糸魚川市中心部の大火の死者はゼロで、住民のけが人も避難中に転倒したり、煙を吸ったりした女性2人が軽いけがを負っただけにとどまった。人的被害が少なかったのは、屋内に設置された防災行政無線の受信機が威力を発揮したことが大きい。普段から顔の見える付き合いをしている住民同士のつながりの強さも非常時に生きた。
「ピンポンパンポン」。22日午前10時半ごろ、ラーメン店での出火から間もなく、防災行政無線からチャイムが3回鳴った。3回鳴れば火事だと普段から住民に浸透しており、避難のきっかけとなった。市は避難勧告を発令した午後0時半までに、計4回の火災広報を流した。ただ、防災無線を流す屋外のスピーカーは、風が強い冬だと音声が家の中まで伝わりにくい。強風が吹き荒れていた出火当時、役に立ったのは住民らの自宅にあった戸別受信機だった。希望する世帯が5千円を負担し、設置していた。
被害が甚大だった大町地区の区長、斎藤伸一さん(66)は22日、自宅の受信機で避難勧告の防災無線を聞き、地区の14組長に避難を伝える電話をすぐにかけた。「屋外で流された防災無線は強風で聞き取りづらく、戸別受信機があったからこそすぐに連絡することができた」と振り返る。
住民の強い絆も素早い避難に役立った。地区の中に「組」があり、大町地区の場合だと1組当たり4~15世帯で構成されている。普段から近所付き合いがあり「どこの家に高齢者がいるかも知っていて、住民が家の中をのぞき込み、声を掛け合って避難した」( 斎藤さん)。実際、電話がつながらず斎藤さんが直接足を運んだ1~8組の地域は、既に大半が避難した後だった。
また、同市は過去にも大火に見舞われ、強風への危機意識も住民の間で高かった。公民館職員の斎藤友紀雄さん(60)は「風が強い日は大火になると知っていた」と話した。
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