東日本大震災復興支援視察団(宮城県亘理町、松島町)
仙台空港と新潟空港の差
2時、就寝。
8時に起床し、コンビニで購入した納豆巻き、味付け卵、野菜スティック、インスタントの豚汁で朝食をとる。
ホテルをチェックアウトし、石巻駅まで徒歩で移動して、9時7分、JR仙石線で仙台駅に向かう。
10時過ぎ、仙台駅に到着し、仙台空港駅に向かうため、仙台空港線の自動券売機に1万円札を入れたところ、空回りの音がしばらくして続いたのち、完全にフリーズし、動かなくなった。
動かなくなってから数秒後、紙幣や硬貨の投入口がシャッターで緊急で閉じられたので、おかしいと思い、トラブルを予想して携帯電話で写真を撮影。
若い駅員が自動券売機横から
「お客さん、どんな一万円入れましたか?」
・・・どんな一万円って、銀行で下してきた一万円札以外の何物でもない。そのうち、周辺がざわつきはじめ、痴漢冤罪のように偽札、自動販売機荒らしで疑われるような雰囲気になってきた。
すったもんだした後、改札口で領収書も書いてもらい、予定より30分遅れで仙台空港線の電車に乗ることができた。
技術が進歩してきた現代において、機械が壊れることはない、と思い込んでしまうのは仕方がないのかも知れない。しかし、所詮は機械であり、読み取りミスや故障もある。自分自身でも、そういった思い込みはしないよう、振り返ることができた経験であった。
11時30分、仙台空港駅に到着。東北新幹線が停車する仙台駅と電車で直結してあるため、非常に分かりやすく便利である。
海外でもドイツやフランスは既に高速鉄道が空港に乗り入れており、お隣の中国や台湾でも同様。
翻って、我が新潟県をみると、未だに新潟空港から新潟駅まではタクシーやバスである。新潟駅から在来線で新潟空港まで延伸すると約308億円、上越新幹線の延伸では約422億円の費用がかかると試算されており、今年11月には空港アクセス改善研究会が一定の方向性をだすとしている。
残念ながら、新潟県はこのレベルであり、上越新幹線、北陸新幹線、新潟空港と交通インフラに恵まれていながら活用ができていない。
ちなみに、この仙台空港駅にはこんなプレートが掲げてある。
「仙台空港線は、国、県、地域の皆様、鉄道・運輸機構、JR東日本のご支援、ご協力を得て建設されたものです。 平成19年3月」
先に本ブログにも書いたとおり、仙台空港は民営化して1年で国際線の旅客数が約1.7倍になった空港であり、我が新潟県が完全に周回遅れになっていることを、改めて実感した。
仙台空港の正面玄関にて、今回の東日本大震災復興支援視察団のメンバーと合流。昨年、「2016年日本青年台湾研修」として一緒に台湾へ行った自民党青年局の仲間で、鳥取県議会・福田俊史議員を団長として、鹿児島市議会・川越桂路議員、埼玉県議会議員・齊藤邦明議員、山梨県議会・渡邊淳也議員、京都府伊根町議会・濱野茂樹議員、そして地元の事務局として宮城県亘理町議会・渡邉重益議員である。
12時、宮城県亘理町にレンタカーで移動し、「そば処 よし田家」(電話:0223-34-3296)で昼食。国産の蕎麦粉を使い、やぶそば普及のためお値打ち価格という「もりそば 700円(200g)」を食べる。香り十分の納得の蕎麦であった。
13時、亘理町役場に移動し、まずは仮設で運営されている亘理町役場全体を見学させてもらう。
仮設であるため、議場もパイプ椅子とテーブルというものであり、まずは住民のために予算を使い、行政は一番最後という「当たり前の事」に大きな気付きをもらった。
どこかの市では、市役所庁舎の耐震補強に合併特例債を使い、15年も経過しないうちに70億円を超える新庁舎建設を計画して、耐震補強した現庁舎の利活用すら決めていないという、無計画ぶり・・・。
13時10分から会議室にて、亘理町・齋藤貞町長からの歓迎のご挨拶や「復興のトップランナー」と言われる亘理町の復興への取り組みについて、ご説明頂いた。
主な内容は以下の通り。
1.宮城県亘理町のこれまでの取り組みについて
(宮城県亘理町 齋藤貞町長)
・東日本大震災に関して、改めて全国皆さんからの支援に感謝している。
・人的被害のうち、死者306人とこれまでに経験したことがない被害であった。亘理町の面積約48%が浸水。
・亘理町の総被害額は約3352億円。当初予算の規模が約100億円であり、そのうち投資的予算は10億円という町であるため、この復興には莫大な時間がかかると予想された。
・しかし、国の支援もあり、亘理町の復興においては、次の3点を「早くやる事」と方針を決め、スピード感ある復興を成し遂げることができ、「復興のトップランナー」と言われるようになった。
(1)住まい
町の土地があったため、復興支援住宅を地元の力で早期に建設することができた。
(2)生業
農業や水産業が主な産業であり、水田面積1800ヘクタールに津波が押し寄せることとなった。これに対し、1200ヘクタールを大区画整備し、無塩化する工事に取り組んだ。
(3)教育環境
学校や保育所も被災したため、教育と子育て環境を優先的に復興にあてた。そのため、未だに役場は仮設となっている。役場は優先順位としては一番最後の事業(平成31年)と考えている。
・遅れがでている分野もあり、避難道路や危険区域の指定がされた土地の再生や利活用は十分とは言えない。
・亘理町の農産物の主要産業である「いちご」の栽培は、年間40億円もの規模であったが、東日本大震災により97%が喪失した。そのため、生業を早く復旧するよう大型のいちご団地を町内に3か所を造成、建設(総事業費約112億円)した。
→ 日本一のいちご生産地を目指しつつ、交流人口も増えている。
・東日本大震災を通しての交流も生まれ、平成26年に大分県日出町と友好都市となった。
2.亘理町の復興状況についての概要説明
(企画財政課・復興管理班長、主事)
・亘理町震災復興計画の策定
大震災の猛威や体験を教訓とし、自然災害を完全に防御するのでな< 、被害を最小化する「減災」の考え方に基づき、町が総力を挙げて復旧・復興に取り組むため、『亘理町震災復興計画』を平成23年12月に策定。
・第4次亘理町総合発展計画( 計画期間: 平成18年度~平成27年度)や都市計画マスタープランなどの施策一計画との整合性を図りつつ、東日本大震災を教訓とした新たな『安全一安心・元気のあるまち亘理』を目指すこととした。
・平成32年までの10年間を以下の3つの区分とした。
<復旧期:平成23年度から平成25年度まで>
町民生活の再建や企業活動の再開に向け必要な住宅、社会生活基盤等の復旧と整備を早期に進め、安定した生活や企業活動を取り戻すための期間
<再生期:平成23年度から平成27年度まで>
震災の復旧を完遂することを目的とし、亘理町が安全で安心なまちとなるよう取り組む期間
<発展期:平成26年度から平成32年度まで>
亘理町が更なる発展を遂げ、新たな魅力と活力にあふれ、災害に強いまちとして復興を遂げる期間
・東日本大震災の津波により大きな被害を受けた、宮城県亘理町の特産品「いちご」の生産を復活させるため、町内3箇所に大型園芸施設を造成、建設し、被災農家の営農再開を支援するとともに、いちご・花卉・野菜の更なる生産力向上を図った。また、震災以前は亘理町一山元町で別々にあったいちご集出荷施設を両町合同のいちご集出荷施設として浜吉田いちご団地内に整備。
・常磐自動車道鳥の海スマートインターチェンジ整備事業を推進。亘理町では、常磐自動車道の亘理IC~山元IC間(11.5km) のほぼ中間地点に位置する鳥の海パーキングエリア(休憩施設) に、NEXCO東日本(東日本高速道路株式会社) との共同事業により、スマートインターチェンジ(以下「スマートIC」)を設置する事業を進めている。このスマートICの連結により、亘理町に広域的な交通のネットワークが構築され、震災からの早期復興を推進し、地域産業の再生及び地域の活性化に寄与するとともに、有事の際には災害対策等に幅広く対応できることが期待されている。
・亘理町水産センター「きずなぽーと“わたり”」整備事業。東日本大震災により全壊した水産センターが「きずなぽ一と“わたり”」として整備し、直売所「鳥の海ふれあい市場」や宮城県漁協仙南支所、独立行政法人防災科学研究所の地震・津波観測局舎なども入居している。同じく再開を果たした、「わたり温泉鳥の海」と併せ、観光復興の目玉として期待が持たれている。
・防災用ラジオも導入しているが、防災行政無線やメール配信と並行したもの。平成27年度に事業完了。
・ブランディング連携推進協議会を静岡県磐田市、宮崎県日南市とともに3自治体で作り、産地のブランド強化、首都圏での新規就農希望者などへの知名度アップ、農業教育支援等の連携を行っている。
防災時の情報伝達に関しては、やはり信頼性の高いデジタル防災行政無線がベースであり、補助的に防災用ラジオを使うという方針であり、世界最大級の原子力発電所を有する柏崎市としては、防災ラジオを加え、やはりデジタル防災行政無線を導入すべきであった。安全に対するコストであり、無駄ではない。
スマートICへの取り組みも見習う点である。
14時から現地視察として、特産品であるいちごのための大型園芸施設や災害危険区域、甦った被災施設として、休憩と入浴が再開した「わたり温泉鳥の海」を見させてもらった。
「わたり温泉鳥の海」屋上からの景色が素晴らしいこともあるが、それよりも大型園芸施設の整備には驚かされた。聞けば、この施設を使ったいちご農家としての収入は十分なものであり、若い世代が地元を離れない、もしくは一度、外に行った人間が得た知識を持ち帰ってUターンで帰ってきているという。
十分な収入を得る道を用意しなければ、いきなりU・Iターンで人口が増えるということはない。柏崎市では、この点を十分に考えなければならない。
14時30分、あまりの暑さから亘理町特産のいちご(品種は「もういっこ」)を使った「ジェラート 380円」(株式会社和莓「おらほのいちご」)をおやつに食べる。
酸味と甘みがちょうどよく、知覚過敏となった口中にもよく沁みる・・・・。
15時50分、宮城県松島町に移動し、東日本大震災から観光地としてどのように復活したのかを視察。
松島観光協会の事務局長からお話を伺い、主な内容は以下の通り。
・日本三景の松島は260以上ある島々がある種の防潮堤となったため、周辺地域に比較しても被害が少なかった。
・津波の高さは約3.8mであり、海岸沿いのお土産店などはすべて床上浸水をしたが、震災当時の観光客(約1200人)は無事に避難した。観光地の災害対策としてはうまくいった方と考えている。
・震災後の1ヶ月には、営業を再開したものの、まち自体の復興に時間がかかった。
・現在も東日本大震災当時の様子を聞かれるため、当時の写真を掲示しているが、他の地域の被害が大きかったこともあり、あまり被災地を前面に出してのアピールはしたくないと思っている。現実的には船着き場などは、未だに震災の爪痕がある。
・近年、松島湾内の島や周辺の松がウミネコのフンなどによって枯れていく被害が多くあったため、現在ではウミネコへの餌付けを禁止している。これまでウミネコへの餌付けは、観光船などにおける名物アトラクションであったが、「松島の松」を守るためであり、理解を求めている。
*無事であった国宝「瑞巌寺・五大堂」
17時、せっかくなので地元の味も食べてみようと、「松島かき殻焼き げんぞう」(電話:022-354-0810)で「かき殻焼き 250円」を食べる。
生牡蠣が好物であるが、汁を味わえる殻焼きも良い。
18時過ぎ、仙台市内まで戻り、宿泊先であるライブラリーホテル東二番丁にチェックイン。
19時から「地酒地料理 太左ェ門」(電話:022-224-4439)にて、懇親会となった。今日の視察の総括や各議会での取り組みなどを情報交換をはじめ、意見などをざっくばらんに話せる貴重な時間。料理も、以下のような地元らしい料理を楽しむことができた。このお店には、また来たいと思う。
前菜:宮城県産つる菜のおひたし
しのぎ:金華山沖〆サバの握り
造り:近海魚三点盛り
煮物:冬瓜花びら饅頭酒盗あんかけ
焼物:石巻産ワラサの仙台味噌漬焼き
揚物:とうもろこし磯辺揚げ
仙台茶豆磯辺揚げ
酢物:三陸ホヤの酢物
香物:漬物盛り合わせ
食事:冷たいうーめん
途中から地元の仙台市議会・渡辺拓議員にも合流してもらい、先の仙台市長選挙に関しての話など意見交換。
某店で二次会をしたのち、23時40分、ホテルに戻る。
熱めのシャワーを浴び、リフレッシュしてから、持参してきたノートパソコン(ThinkPad X61,SSD,SXGA+化,LEDバックライト化)で急ぎのメールなどを処理。
« 宮城蔵王キツネ村、宮城県石巻市『シージェッター海斗』に学ぶ | トップページ | ウルトラマンフェスティバル2017「ウルトラセブン放送開始50周年」 »
「経済・政治・国際」カテゴリの記事
- 台湾スイーツ「豆花」台湾カフェ「騒豆花」視察(2019.04.18)
- 2019_柏崎市議会議員選挙応援演説(佐藤ひろたか候補@勝願寺)(2019.04.19)
- 追悼『ルパン三世』作者モンキー・パンチ氏(2019.04.20)
- 三井田たかお総決起大会~元気がでる大講演会(2019.03.08)
- 2019三井田たかお政策動画(地域経済の活性化、交流人口増大について)(2019.03.09)
« 宮城蔵王キツネ村、宮城県石巻市『シージェッター海斗』に学ぶ | トップページ | ウルトラマンフェスティバル2017「ウルトラセブン放送開始50周年」 »
コメント