原子力発電所に潜入していたオウム信者、原子炉ジャック計画?
2時、就寝。
5時に起床し、自宅周辺の掃除や壊されてしまった駐車禁止ポールなどの片付けなどを行う。
7時過ぎ、汗もかいたので、週刊誌をもって風呂に入る。
8時、大粒納豆、紅鮭塩焼き、焼きたらこ、オニオンスライス、野沢菜、茄子と茗荷の味噌汁でご飯2杯の朝食をとる。
9時過ぎから打ち合わせや現場の確認で市内まわり。
買い物などをしたのち、12時10分、自宅に戻る。ガチョウの脂で葱を揚げた鵝油金葱、大量の刻みニンニク、バナメイ海老、人参、豚モモ肉を細かく切ったもの、卵、冷やご飯、長葱のみじん切りを炒めた鵝油海老炒飯、ポン酢と砂糖で鶏レバーを煮込んだ鶏レバー煮、野菜ジュースで昼食をとる。
15時、中央地区コミュニティセンターに移動し、中央地区コミュニティ振興協議会の月例役員会に顧問として出席する。
主な議題は、ぎおん柏崎まつり「民謡街頭流し」、夏祭り合同ラジオ体操会、8月18日に実施の第8回サマーフェスタ、8月21日に実施する平成30年度地域懇談会(現庁舎跡地利用、買い物難民発生への対応)などについてである。
16時45分に終了となり、事務所に戻って事務仕事。
18時50分、土用の丑の日なので鰻を食べたかったものの、予算の関係?で代替品である一正蒲鉾「うな次郎」をのせたうな丼、レタスサラダ、冷や奴、小粒納豆と梅肉の和えもの、ビール500ml3本で夕食をとる。
鰻と梅干は食べ合わせが悪いとの言い伝えは迷信であるが、今日も代替品なので安心?である。
食後からも事務所で資料の整理や紙資料のpdf化を行う。
23時、熱めのシャワーを浴びたのち、録画しておいたテレビ番組を一気に観る。
先日、オウム真理教の代表である麻原彰晃ら7人が死刑執行となった。
オウム真理教がらみでいえば、かつて東京電力の社員であった頃、原子力部門ではないものの同期入社の中にオウム真理教信者のS君という人物がおり、弁当を食べたのち大量の塩水を飲んで吐いたり、『マハーヤーナ』という冊子を積極的に配っていたことを思い出す。その後は消息不明となった。
そのオウム真理教信者が原子力発電所に作業員として入り、原子炉ジャックを計画していたのではないか、という1995年の記事が最近になって再掲された。
原子力発電所構内で働く人間の思想信条までチェックするわけにはいかないものの、現在では厳密な物品検査やIDカードの顔写真との照合は行われているため、記事にあるほど杜撰ではない。
本当にテロを起こそうと悪意をもった人間が複数、しかも防護担当者までグルになった場合には潜入できる可能性はある。
しかし、中央操作室から把握できる機器や弁、二重扉などがある以上、いくら中にプラスチック爆弾をもって潜入しようとも、原子炉の爆破、臨界、核爆発といった段階まではほぼ不可能であろう。
原子力発電所へ潜入することに成功したという、社会的影響のテロまではできるかも知れないが、物理的なテロ破壊活動まではいかないと見る。
ただし、「想定外はない」との見地から、テロ対策は常にブラッシュアップが必要であろう。
平成30年7月17日『AERA』
オウム信者は原発に潜入していた
元信者が語った幻の原子炉ジャック計画
死刑執行されたオウム真理教の麻原彰晃こと松本智津夫ら7人の元死刑囚の死で一連の事件が終わったワケではない。オウム信者が原発に検査作業員として組織的に入り込んでいた──。その驚くべき実態を週刊朝日が報じたのは、地下鉄サリン事件が起きた後の1995年夏。記者の問いに対して当時、武闘派でならした元信者は、原発に潜入して原子炉の安全管理にかかわる資料を持ち出すとともに、「爆弾をしかけることだってできた」と豪語した。なぜ、オウムは原子炉まで接近できたのか。そして本当に原発ジャックの危険はあったのか。
* * *
「当時、原発で働いてオウムにお布施することは当たり前だった。その金額でほめられることもありました。原発マネーで麻原の本を買った。教団も原発の仕事を斡旋する信者を大事にしていました。原発で仕事した信者がそのまま居着いて、原発労働者になっていますよ」
こう話すのは、1993年ごろから昨年まで原発で働いていた元オウム信者Aさんだ。さらに、こうも話す。
「麻原の死刑を聞いて『これで終わったな』と思いました。昔は尊師のためと、暑いなかでも原発で仕事していました。福島第一原発に行ったこともありましたよ。今思うと、なんで麻原や教団のために原発でしんどい仕事をして、お布施したのかと思います。そう、死刑になった早川紀代秀(元幹部)は、原発のことをよく聞いてきましたね」
本誌が接触した95年当時、20代だったAさんの証言をもう一度、徹底検証した。
「原発を占拠するなんて簡単にできた。爆破することも、原発内で人質をとってジャックすることも可能だった」
Aさんは、1994年までオウム真理教の出家信者で、教祖の警護を担当した武闘派だった。93~94年にかけて、東京電力の福島第一、第二原子力発電所、中部電力の浜岡原子力発電所の3カ所の原発で、合計11か月間働いた。仕事の内容はいずれも原発内の検査作業である。
「どの原発にも、5~10人のオウム信者の検査員が入っていた」
とAさんはいう。
実は、オウムの在家信者が社長を務める非破壊検査会社(95年5月末で解散)があって、そこがオウム信者を組織的に雇っていたのだ。92年1月から、オウムに強制捜査が入った95年3月まで、80人の信者が検査の助手に雇われた。仕事の大半は化学プラントだったが、Aさんのように原発へ派遣された信者も少なくなかった。
しかも、Aさんらは、原発の心臓部ともいえる原子炉の格納容器での作業も担当していたのだ。
「ぼくらには正式のIDカードが発行されていたのですが、これさえあれば出入りは自由です。人間の手でボディーチェックされることもありません。警備の目をかいくぐるのは簡単です」
といって、Aさんは原発内部で撮ったという写真を見せてくれた。一枚の写真には、防護服を着たAさんが写っている。
口にはガスマスクのようなものをつけ、頭からはフルフェースのヘルメットをかぶっている。原発内では最も放射線被曝の危険があるC区域に立ち入る際の格好だ。
C区域内で使われる検査器具は、空気を汚染するため持ち出しが禁止され、身につけた服も処分されてしまう。それほど炉心に近い。点検中は原子炉の格納容器の蓋は開けられ、燃料棒を入れたプールもすぐわきにある。
こんな原発の核心部にまで、Aさんは入り込み、しかも写真まで撮っていた。カメラはチェックをかいくぐって持ち込んだという。そして、
「金属探知機でわからないプラスチック爆弾を隠して持ち込むのは簡単だ。それを炉心近くにセットすることだって、やろうと思えばできた」
と話すのだ。
いったい原発施設の警備態勢はどうなっているのか。Aさんの証言によると、福島原発の例でいえば、原発で働く人は一人一枚、顔写真入りのIDカードを持っている。
原発の敷地は高い塀で囲まれている。敷地に入るには、まず門のところで、このIDカードをセンサーに当てなければいけない。
建物に入るとき、扉のところでもう一度この手順を繰り返す。ここには、警備員が常時3、4人いるが、
「顔写真と本人を照合されたことはありません。カードさえ手に入れば、本人でなくても自由に出入りできるんですよ」(Aさん)
空港にあるような金属検知器も設置されているが、これも、
「原発の作業に必要な金属製品は、横の窓口に渡せば、調べもせずに渡してくれます」
カメラは、この手で持ち込んだという。
■マル秘資料もコピーして持ち出す
持ち込みだけではない。Aさんの手元には、厚さ5センチを超える、福島原発と浜岡原発の分厚い資料がある。そこには、原発の配置や内部の見取り図、検査作業の手順や方法を記したマニュアル、検査報告書が含まれている。
例えば、「3号機原子炉建屋PCV全体図サーベイ記録」という図には、原子炉内部の配管の位置や様子が詳細に記されている。
また、「原子力プラント定検及び増設・改良工事」というタイトルの資料には、「社外秘」の3文字が打たれている。
福島原発の地下1階から地上5階までの詳細な平面図もある。原子炉をコントロールする冷却水のバルブの位置など一目瞭然だ。
この図を見た反原発市民団体、原子力資料情報室の西尾漠さんは、驚きを隠さない。
「こんな資料を、下請け会社の人が勝手に持ち出せたというのが信じられない。原発事故が起こったとき公開される資料でさえ、安全管理上重要な部分は隠されるのが普通です。この図のように、なにもかも記してあるのは、見たことがありません」
では、どうやってそれだけの資料を手に入れたのか。
「原発内にある電力会社の事務所でコピーをとりました。とがめるどころか、電力会社の人は、『コピーして覚えろ』というんです。資料なんていくらでもコピーできましたよ」
と、Aさんは事もなげにいう。
それにしても、オウムが原発の核心部へ組織的に人を送り込み、しかも、原発の安全管理にかかわる情報を得ようとしていたとなれば一大事である。捜査当局もこうした情報をつかみ、5月以降、福岡県警がオウム信者を組織的に雇っていた会社などを捜索し、社長を労働者派遣事業法違反で逮捕。さらに数十人から事情聴取した。
オウムが原発へ入り込んだ目的の解明は、捜査の重要なポイントだったが、その前に、原発の定期点検がどのようなもので、どんな作業が行われるのかを説明しよう。
原発では1年に1度、定期検査が義務づけられている。破損したり老朽化した部分がないか点検するためだが、検査中は発電を中止しなければならない。
いきおい、すべての原発検査が電力需要の小さい、秋から春に集中する。
■作業員宿舎で布教し信者も獲得
全国の原発で、こうした被曝作業に当たる人は、年間約6万人。福島原発の定期点検作業でも、1日約1200人が作業にあたる(95年当時)。
その時期は、人手はいくらあっても足りない。
しかも、検査業務は、電力会社が大手電機メーカーなどに発注するが、そこからさらに何段階も下請けに回される。検査に直接当たるのは、孫受け、曾孫受けの会社の社員ということが多い。親会社の目もそこまで行き届かないのが現実だ。
ある検査会社幹部は、
「工期は厳しく決められている一方で、一定量被爆した人は健康管理上、もう作業に使えない。検査といってもゴミをふいたり雑用は多いので、助手はいくらでも必要。二次下請けまでは社員の管理も厳重だけど、そこから下はだれでもいい。いちいちチェックはできない」
と話す。東京電力でも、
「住所、氏名や被曝線量は管理するが、検査に入る作業員の思想信条までチェックしていません」
という。
先にも触れたように、Aさんらは、オウムの在家信者が社長を務める検査会社を通じて原発へ派遣されていたのだが、この社長が、そもそもオウム信者を雇ったのは、92年1月に教団の福岡道場で知り合った無職の若者に、「一度、うちで助手でもしないか」と誘ったのがきっかけだった。それが信者間に口コミで広がったらしい。
そのころのオウム道場といえば、若いまじめな若者の「宝庫」で、この社長も人手不足解消の手だてとして、次々に雇っていたという。
しかも、社長は、派遣する作業員がオウムの信者であると依頼会社に告げたうえで、それでもいいという了解まで取りつけていた。Aさんの場合も、履歴書でも、オウム信者であることを隠しておらず、作業所でも、オウムであることは周知の事実だった。
「休み時間に尊師のテープを聞いて修行していたり、カルマがたまるといって体を触られるのを極端に嫌がるので、オウムの信者はすぐわかります。それでも、べつに何もいわれませんでした」(Aさん)
なかには、仕事の合間に布教をした信者もいて、他の会社の社員で、誘われて出家した人が何人もいたという。
Aさんが原発で働いていた昨年の時点では、オウムの犯罪性がいまほど明白ではなかったが、坂本弁護士一家拉致事件や熊本県波野村での事件などは、すでに有名だった。それでも、不問にされた理由について、Aさんは、
「オウムの信者は、お布施をしたいという目標もあるからまじめに働くし、酒を飲んでけんかをすることもない。使いやすかったんでしょう」
といって笑う。
福岡県警の調べでも、原発ジャック計画といった具体的なものは全く出てこなかった。逮捕された社長の妻も、
「主人は信仰は信仰、仕事は仕事の人。ビジネスとして信者を雇っただけなんです」
というし、捜査幹部は、
「場所が場所だけに、当初は、原発への破壊工作なり、情報収集を狙ったのではないかと疑っていました。しかしそうした意図は全く浮かんでこない。教団幹部のメモや証言にも、これまで原発に関するものはなかった」
と語る。
それに、原発ジャックについては、たとえ計画してもその現実性については、専門家も電力会社も否定的だ。
■原発で稼いだカネは教団へ布施
そのいちばんの理由は、オウムの信者たちが入っていたのは、検査で稼働が止められた原発だったということだ。
「チェルノブイリのような大規模な放射能汚染を起こすためには、稼働中の原発を誤作動させる必要があります。検査中の原発で、放射能漏れを起こさせるには、原子炉を格納した頑丈な建物だけでなく燃料棒まで破壊しなくていはいけません。これには、相当大規模な破壊が必要だし、たとえ破壊できたとしても、さほど深刻な汚染にはならないのではないでしょうか」(前出の西尾氏)
というし、東京電力でも、
「C区域では、作業員が予定外の動きをすればちゃんとわかるようになっている。カメラを持ち込んだといっても、おそらく検査に使う許可済みの機材で記念写真をとったのが真相ではないか。C区域では、ネジの一本、消耗品の一つまで異物混入管理係という専門職員がいてチェックしている。作業服に着替える段階では裸になっているわけだし、爆弾が持ち込める可能性はない。仮に持ち込んだとして、格納容器を囲む鉄筋コンクリートの壁は厚さ2メートルある。簡単に破壊できない」
というのである。
では、Aさんを含めて、なぜ原発の仕事をしたか、といえばカネが目的だった。
「原発で働けば、いいカネになる。お布施もたくさんできる」
と聞いて、Aさんも、教団支部で教えられた番号に電話して働くことにしたという。
オウムの教えでは、お布施をすれば功徳になる。しかも、その額が多ければ多いほど功徳は大きいとされる。
Aさんたちは、会社が借りあげた発電所近くの下宿屋に泊まり込み、連日検査を続けた。日当は手取り1万1000円から1万4000円ぐらいで、残業が多い月は、時間外手当を合わせて1か月に60万円以上稼いだこともある。
「仕事は簡単で、楽でした。宿泊代金と食費は会社持ちだし、自宅から発電所までの交通費も支給された。原発のまわりは遊ぶ所もなくて、おカネはたまる一方でした。まとまった額になると、いつも、教団の経理担当者に現金で渡したんです。全部で500万円ぐらいお布施したんじゃないですかね」(Aさん)
しかし、オウム信者が組織的に原発に入っていた事実は消えない。核戦争に注目し、レーザー兵器の研究まで手掛けたオウムにとって、原発施設はかっこうのターゲットだったはずだ。本当に危険はなかったのだろうか。
それについてAさんはこう見ている。
「オウムは尊師の意見がすべての教団。尊師が、原発ジャックの可能性に、たまたま気がつかなかったのが幸いしたんじゃないでしょうか」
Aさんのいう原発ジャック計画は幻だったわけだが、化学知識の豊富な幹部が、麻原被告にこういった事実を詳細に報告していたら、と思うとゾッとするのである。
※「週刊朝日」1995年9月1日号に掲載された記事を加筆・修正
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