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日記・コラム・つぶやき

2006年3月19日 (日)

はじめての大衆演劇

 一度、ホテルに戻ったのが2時過ぎ。再度、新潟市在住のある方から電話をもらい、朝6時まで新潟駅周辺での「飲み飲み」となった。

 フラフラと歩きながら、結局、ホテルに戻ったのが6時。
F1000003 11時過ぎまで眠り、12時から新潟駅南口から歩いてすぐの「ピッツェリア」(025-290-5080)で、新潟市内在中のK先輩とランチ。
 K先輩は、高校の先輩でもあり、会社員時代も同じ職場で仕事をしたこともある。私が退社した翌年に退社され、現在は福祉関係の専門学校に通われ、福祉の仕事を天職としてやっていかれるとのことであった。
F1000004 自分がやりたいことが人のためになるという天職を見つけられて、イキイキとしていた。
 色々なお話を聞きながら、料理を食べるも、二日酔い明けで胃が重い。もちろん、酒はなし。ライムソーダをストローでチューチュー吸う。
 「タコのカルパッチョ」は、目の前で熱したオリーブをかけてくれて、見た目にも美味しいが、海苔の風味は合わないような感じであった。
F1000005 「チーズ・フォンデュ」も注文したものの、30過ぎの男二人でワインも飲まず、一緒に鍋を突いているのは何とも寂しい光景である。
 ピザは、ミックスを注文。薄い皮タイプだったので、サクサクと3ピースほど食べる。
 店をでた後、ソフトクリームを食べたり、喫茶店でカフェオレを飲んだりし、男としては珍しい長話。結局、K先輩にすべておごってもらってしまった。

 新潟駅の地下にある本屋に立ち寄り、前から読んでみたかった本を購入し、ホテルの部屋に戻る。寝っ転がって本を読んでいるうちにウトウト。

DSC01217_t 17時過ぎ、シャワーを浴び、身支度。新潟駅前から古町まで歩く。雪がチラつき、とにかく寒い。
 18時から新潟古町演芸場にて、「還暦を祝う会」。新潟のため、日本のため、東奔西走されている方だけにこれからも頑張ってほしいと思う。お祝いとして、細川たかし氏より、コブシの効いたメッセージも届いていた。
DSC01218_t 「仕出し割烹 秋やま」(電話:025-222-7814)の仕出し弁当をつまみ、ビールを注ぎつ注がれつつしながら、大衆演劇を見る。これまで宝塚をはじめ、色々な舞台を見てきたが、実は大衆演劇ははじめてである。
 「劇団あげは」による舞台。妖艶な踊りと切れある立ち回り、そして随所でみせる「キメ」のポーズに、「ざちょーーーー」の合いの手。
DSC01222_t 役者が寄ってきたときに、おひねりを投げたり、ご祝儀を胸に入れたり、なかなか面白い。
 また、テレビにもよく出演されている舞台俳優の大門伍朗氏も特別出演され、ハゲ頭を生かした?舞台に大笑いさせてもらった。それ以上に、観客とこれだけ近い位置で楽しませる技術に驚いた。
 人のお祝いにきたのに、すっかり自分も楽しんでしまった・・・・・。

 21時過ぎ、ホテルに一回戻り、その後、新潟駅前で某氏と待ち合わせ。某店で酒を飲みながらの懇談。23時過ぎにホテルに戻る。
 仕事の資料などもってこなかったので、気分的に追われることなく、いつもとは違った充実の一日であった。

2006年2月21日 (火)

姪っ子誕生、胎便吸収症候群

DSC00976DSC00977 7時、起床。シャワーを浴び、メールの処理をしたのち、ホテル1階のレストランで朝食を食べる。もちろん、納豆は持ち込みである。

 9時過ぎにJR尾道駅に向かい、JR広島駅まで移動。何故なのか、電車のなかではひたすら眠く、うたた寝してばかりいた。

 JR広島駅から広島空港へ向かうリムジンバスの待ち時間、突然、

 「議員さんですよね」

と男性に声をかけられた。お話をお聞きすると、仕事の関係で広島に来ておられ、普段、チャンネル桜をご視聴で、先日の『人間の杜』の若手市議会議員の会をご覧になったそうだ。驚きつつお話を聞いているうちに、時間となったが、名刺交換をしなかったのが心悔やまれる。日本はせまいもんだ。

DSC00982 広島空港に着き、昼食をとろうとフードコートへ。「うまいもん屋 五エ門」で「ネギかけDXそば 1050円」を注文。青ネギどっさりのお好み焼きに、ネギ好きの心が騒ぐ。
 ソースをやや濃いめにかけて食べているうちに、「青ネギたっぷりの尾道ラーメンを食べていないなぁ」とふと思ってしまった。
DSC00980 すでに20代ではないので、お好み焼き+ラーメンが入る胃袋はないとは分かりつつも、青ネギの誘惑に負け、つい「尾道ラーメン ひろ」で「尾道ねぎラーメン 700円」を注文。
 「これでもか!」と言わんばかりに青ネギがのったラーメン到着。

DSC00981 尾道ラーメンの定義は、「鶏ガラ濃ぃい醤油味スープ、ストレート麺、背脂ミンチ」 だそうであるが、ここはサッパリ。麺をすすったときに入り込んでくる青ネギをシャクシャク。スープと一緒に青ネギをシャクシャク。
 ただ調子に乗って2つも買ったものの、今回の旅で2回目であるが、食べ物を残してしまった・・・猛省。

 ANA678便で羽田空港へ。羽田をでたところで、自宅や母親に何回も電話してみるも出ず。おかしいな、と思いつつ、新幹線で柏崎まで戻る。

DSC00983 N嬢が仕事帰りに車に乗せてくれるとのことだったのでお願いし、御礼がてら、夕食として、「CoCo壱番屋 新潟柏崎店」(電話:0257-20-6277)へ。暴飲暴食の旅を締めくくり、かつ胃袋に喝を入れるため、ヒレカツカレーの10辛に茄子をトッピング。
本当であれば納豆をトッピングしたいが、愛する納豆を激辛のなかに埋もれさせたくないという「偏狭な愛」である。
DSC00985 激辛好きとしてもちろんのことながら、食べながらも「とび辛スパイス」をワサワサとかけ、舌も痺れ、翌日、出口方面に問題がでてきそうな感じまで辛くする。大汗をかいて、背中びっちょり。気合いが入ったところでお店をでる。

 自宅に着くも、祖母のみで母や里帰りしていた妹や甥っ子の姿は見えず、そのまま待っていると大あわての母が帰ってきた。
 聞けば、昨日、妹がいきなり具合が悪くなり、3月1日の予定日を待たず、今日、帝王切開したとのこと。女の子を出産できたものの、胎児が胎便を肺まで飲み込んでいた胎便吸収症候で、「赤ちゃん」ならぬ「青ちゃん」で生まれてきたという。
 少々、ショック気味の母親からは、「なんでアンタ、こんな忙しいときに帰ってくるの!」と冷たい言葉。気持ちは分かるが、思春期ならグレているところである。気持ちを落ち着かせるように、家にいなかったときの事を聞く。

2006年1月11日 (水)

豆腐、日本への伝来

 1時帰宅。かなり酒が入っていたが、体中が煙草臭いので風呂に入り、ホテルにて3時就寝。
 6時から経営者モーニングセミナーであったが、柏崎に戻ってこれず。

DSC00287_tDSC00290_t 8時起床。9時過ぎ自宅に戻る。三重県鳥羽市で買ってきた牡蠣、人参、牛蒡、伊勢醤油を使っての牡蠣ご飯、自家製の白菜とゆずの浅漬け、鰺のあらと小粒納豆の味噌汁で朝食。寒いので、味噌汁には七味唐辛子をたっぷりとふった。

 14日からの出張に向けて、各種の手続きや会社関係の手続きをするため、昼食を取る間もなく、歩き回る。

 15時から事務所での来客相談。明日、一緒に除雪ボランティアに行こうと約束する。

DSC00291_tDSC00292_t 新規事業の資料作成をし、21時に夕食。妹と母親で作った餃子があったので、焼いて食べることにした。中に入れる餡も皮も何枚か残っていたので、引き割り納豆と冷凍しておいたコンソメスープも削って、餡とともに包み、納豆餃子も作ってみた。なかなかの出来栄えと思ったが、ジューシーさをだそうとしたコンソメスープとの相性がイマイチ。本来ならラードかもっと脂気のあるスープの煮ごこりなどを入れると良いのだろう。

 食後もひたすら資料を作成。4月の地方議員団によるインド訪問のための資料やwebサイトの材料を作成する。

 納豆に関する質問のメールを多くもらうなかで、豆腐に関する質問があった。豆腐と納豆とどちらが古いか、ということである。日本だけではなく、支那大陸も入れてであれば、豆腐の方が古い。日本国内ではどうかといえば、分かっていない部分がある。
 日本にある文献のなかで、初めて「豆腐」を意味する言葉がでてくる文献は、平安時代後期の寿永2年(1183年)正月2日、春日若宮の神主・中臣祐重の日記であり、正月の奉献御菜種のうち

 『春近唐符一種』

と書いてある。現在の奈良春日大社にその日記が保存されているとのことだ。
_1  また、鎌倉時代後半の弘安3年(1280年)の日蓮の手紙には

 『すり豆腐』

という文字がでてくるので、その時代には既に豆腐は精進料理には無くてはならないものであったと容易に予想できる。
*写真は江戸時代に大ベストセラーとなった豆腐のレシピ本『豆腐百珍』
 対して「納豆」の文字が歴史上最初にでてくる文献は、平安時代の中期に藤原明衡(あきひら 989-1066)が当時の風俗や食生活を含めて書いた『新猿楽記』である。
 「納豆」の文字が、大徳寺納豆のような塩辛納豆なのか、一般的な糸を引く糸引き納豆なのかが判別できないので確実ではないものの、豆腐と納豆、どちらが先に一般に普及したのか、歴史ロマンは広がる。

2006年1月 7日 (土)

再びの牡蠣、不二屋中華そば

DSC00190 6時起床。外は晴天。旅館の部屋は海に面しており、浜と目と鼻の先である。海のないところから観光にきたカップルなどは盛り上がること間違いないと思う。少子化対策として、カップルが盛り上がりそうな観光への補助&その夜はいきなり停電という政策があってもいいのでは、とくだらない事を考える。

DSC00191DSC00192 8時、旅館の大広間で朝食。卓上コンロで焼く肉厚の鰺の干物があったものの、あまり食が進まず、残さず食べるので精一杯。昨日食べすぎたからではない。原因はご飯と漬け物である。

DSC00194 9時、旅館をでて、再び鳥羽に向かった。家族に剥きたての牡蠣を食べさせたい一心で、お土産用の生牡蠣を買うためである。もちろん、その場で牡蠣をまた食べるためもある。晴天の浦村は、まさに風光明媚な景色であった。DSC00195
 またも中山かき養殖場(〒517-0025 三重県鳥羽市浦村町1208 電話:0599-32-5053 FAX0599-32-5686)で、10個ほど牡蠣を剥いてもらい生牡蠣として食べてしまった。家族へのお土産は、「むき身1kg 2500円」である。買ったあとは時間との勝負。急いで、柏崎に帰り、新鮮なうちに祖母と母に食べさせたい。

DSC00196 急いで鳥羽を後にし、伊勢をこえ、松阪市に。奥野社長の奥さんと待ち合わせて、松阪に来たときには必ず行く、「中華そばの不二屋」(電話:0598-23-9605)へ。急いで柏崎に帰らなければならないが、ここも毎年のお約束なので、外せない。経営に関する相談や世間話をしながら、「五目やきそば 750円」と「牛肉中華そば 850円」を注文。
DSC00199 「五目やきそば」到着。パリパリに揚がった中華麺に、とろみのついた塩味の五目あんがかかっている。生卵が付いてくるので、まずは中心にクレーターを作り、そこに生卵を投入する。DSC00200ザクッ、ザクッと麺を突き崩し、五目あんとともに食べる。麺の歯ごたえ、五目あん絡み具合が良い。続いて、生卵を絡めて食べる。汁が無いので、生卵溶き時間問題にも悩されることなく、楽しめる。DSC00206最後は、卓上に置かれたウスターソースを下品にドボドボとかけてのソース焼きそば味を楽しむ。卵かけご飯を食べようと思ったときに、醤油と間違ってソースを投入したときの悲しさはなく、生卵ともウスターソースが絡み、五目あん、パリパリ麺とも相性が良い。
DSC00202DSC00203 続いて、「牛肉中華そば」到着。この時点で早くも食い過ぎとの指摘もあるが、難なく入ってしまう美味しさなのである。松阪牛の切れっ端がのっているものの、和風だしの効いたさっぱりしたラーメン。お土産用も2人前を購入し、松阪を後にした。

DSC00231 途中、納豆のチェックで寄った某ショッピングセンターでCDが安く売っていた。「ニューミュージック」と題したCDがあり、スターダストレビューの『今夜だけきっと』が入っていたので、目に止まった。小坂明子の『あなた』はあれば良いという感じであったが、信濃路を通って柏崎に帰るので、狩人の『あずさ2号』が入っていることを考慮し、購入。980円。オメガトライブの『さよならのオーシャン』もあったものの、ゆっくりバージョンでいまいちノリノリになれず。

F1000005DSC00213 晴天の三重、愛知、岐阜を抜け、青空に映える雪山が美しい長野、そして大雪警報の新潟へ。

DSC00215DSC00217 自宅に到着したのが18時過ぎであった。パチンコに行っていた弟も呼び出し、早速の生牡蠣、昆布でダシをとった土鍋を用意しての牡蠣しゃぶである。祖母も母も、弟も美味い、美味いと10個以上は確実に食べた。祖母は最近、美味しいものを食べると、「これは初めてだぁ、うんまぃねぇ~」と言う。牡蠣が初めてのはずはないが、今日も牡蠣は初体験とのことだった。

_1

 伊勢の地ビール「神都ビール」を亡父の写真の前にお供え。
 伊勢神宮で入手した御札を事務所の神棚に納め、同じく「神都ビール」をお供えした。

 郵便物などの整理をしつつ、23時就寝。

2006年1月 6日 (金)

伊勢神宮参拝、観光施設経営

DSC00130DSC00131 6時に起床し、二見ヶ浦の海岸にある二見興玉神社に向かう。夫婦岩から望む日の出を楽しもうと思ったのだが、あいにくの曇りで綺麗な朝日を拝むことはできなかった。神社を参拝し、帰路につく。

DSC00132 この地も観光客が多いが、悪戯も多いようで、駐車場にあるお土産屋さんや案内の看板などにはスプレーの走り書きのようなものが見受けられる。つい最近に書かれたと分かる「HGフォー」の文字もあった。情けない限りである。

DSC00133 8時、旅館に戻り、部屋で朝食。新潟から来ておいて言う言葉ではないと思うが、ご飯と漬け物が・・・・で、あまり食が進まない。朝の湯豆腐は嬉しいものだが、ご飯がバサバサ、漬け物が既製品の着色料たっぷりの壺漬けやしば漬け。ご飯は軽く一膳のみ。

DSC00134DSC00137 10時過ぎ、松阪市の納豆メーカーさん奥野食品・奥野社長と待ち合わせて、毎年恒例の伊勢神宮参拝。
 平日にもかかわらず、おかげ横町は人であふれている。煎餅の焼けるいい匂いがしたので、寺子屋本舗(京都市右京区西院東貝川町10-2 電話:0120-39-5226)が出店しているお店で「激辛一味 120円」を購入。30代のむさ苦しい男二人で煎餅を食べながら歩く姿は、よく考えたら不気味である。

DSC00138 伊勢神宮内を進むと段々と清まってくる感じがするのは気のせいであろうか。
 商売繁盛や健康はもとより、
我が国の弥栄(いやさか)を願い
参拝。
DSC00142 神宮(伊勢神宮)は、20年ごとに内宮・外宮の御正殿を始め全ての建物を建て変え、ご神体も新神殿に遷る。これを神宮式年遷宮というが、690年の持統天皇の御代に始まり、戦国時代などの混乱、中断期を除き、1993年の第61回式年遷宮まで20年ごと(一部不定期な期間があり)に行われ続けている。次の第62回式年遷宮は2013年。そのための土地などが公開されていた。

DSC00143 御札や御守りを購入。神宮内にいる鶏が気持ちよさそうにひなたぼっこをしていた。神社には、それぞれの神にかかわる使い、神使がいる。伊勢神宮では鶏である。

DSC00147_tDSC00149_t 参拝あとの恒例であるカケチカラ会さん奉仕の甘酒を頂戴する。胃にしみるような温かさと爽やかな甘みが心地よい。まわりの人からも、グイと飲んでは「ほぉぉぉ~」などの声を発している。

DSC00152_tDSC00165_t 12時を過ぎたところで、奥野社長も噂に美味いと聞いたという「五十鈴川河畔 とうふや」(電話:0596-28-1028)で昼食。外には漬け物用の大根が干してあるところからして、既に美味そうな香りがしてくる。店内は、古民家を移築したような造り。土間もあり、かまども昔そのままだ。
DSC00159_tDSC00160_t 「とうふや膳 2000円」を注文。お正月らしく、黒豆や大根膾、田作り(ごまめ)、鴨ロース、イカの詰め煮がついていた。
DSC00161_t まずは伊勢湾でとれたという穴子の天ぷら。ザクッと上あごに痛いばかりの衣のなかから、もうもうと湯気を立てて、とろけるような穴子。天つゆと大根おろしがついていたが、これは塩でビールとともに楽しみたい感じである。
DSC00162_t 手作りの寄せ豆腐は、最初はそのまま、続いて天然塩、最後にネギ、生姜などの薬味とともにタレをかけるという3種類の食べ方を楽しめる。これも国産の大豆を使って丁寧な仕事がしてあるものの、東京都葛飾の埼玉屋さんをはじめ気合いある豆腐屋さんとの付き合いがあるせいか、申し訳ないが大きな感動まではいかなかった。
 とはいうものの、すっかり満足の昼食であったのも事実である。次回も伊勢湾の穴子を食べにくると思う。

DSC00169_t 食後の腹ごなしということで、伊勢の失敗観光施設の代表と言われる「伊勢・安土桃山文化村」に移動。派手な色合いの城が特徴的である。車で駐車場のゲートに行くと、駐車料金700円とある。「高いなぁ~」と思いつつ、勉強だと思って、安土桃山時代の庶民の格好をした妙齢の女性に1000円を渡すと、

「はい、お釣り300両です」
「・・・・・・」

DSC00168_tDSC00166_t駄菓子屋のおばちゃん級である。駐車場に入ってみると、これまた誰も歩いておらず閑散としている。平日なので仕方がないのかと思って、窓口にいくと、入場料4900円。
この時点でこの施設の失敗と言われる理由が分かった感じがした。超ド級、いや超大和級の「今どきこんな商売ないだろぉ~」である。もちろん、入場はせずそのまま駐車場を十分に楽しみ、鳥羽方面に向かった。

 鳥羽といえば、鳥羽一郎・山川豊兄弟?、そして海女さんと牡蠣のイメージである。
 故・伊丹十三監督の映画『タンポポ』でのワンシーン。白いスーツを来た男、役所広司。まだ少女のあどけなさを残す若い海女さんから売ってもらった牡蠣を食べようと、殻に直接口をつけるが、殻で唇を切る。切った唇からしたたり流れる血を海女さんがエロティックに舐めあげ、最後には海女さんの手から直接牡蠣を食べる、あのシーンも思い出す。
DSC00170_tDSC00171_t それはさておき、こちらも毎年恒例、牡蠣の国・浦村で、牡蠣の養殖をされている「中山かき養殖場」(〒517-0025 三重県鳥羽市浦村町1208 電話:0599-32-5053 FAX0599-32-5686)に行く。ここでは、養殖の牡蠣を目の前で剥いて、生か焼きで食べさせてくれる。DSC00174_tDSC00175_t1個100円。養殖といえども、旬の冬。口に含むと、ピュッと海水の塩気が口に広がった後に濃厚な牡蠣の旨味、そして噛み締めると貝柱の甘みが余韻を残す。結局、焼き8個、生21個を食べた・・・いくら牡蠣好きとはいえ、我ながらアホである。

DSC00176_t 好物の牡蠣で満足したのち、伊勢市に戻り、みえのふるさと先導人でもある桜自然塾社長、ゴーリキマリンビレッジ支配人の大塚隆氏と打ち合わせ。大塚氏は、地元経済界では「経営の野人」の異名をもち、沈没しかけた観光施設の立て直しに奔走されている。
 色々なビジネス展開などを含めて、2時間ほど話こむ。そのうち一つは今年、新規事業として立ち上げる予定。毎年の参拝だけではなく、仕事の話もでき、今年は良いスタートである。

 18時過ぎ、奥野社長と別れ、旅館に戻る。昨日と同じ「浜千代館」(電話:0596-43-2050)。風呂に入り、19時から部屋で夕食。

DSC00179_tDSC00178_t 先付けは、数の子、紅餡、田作り、卵焼き、梅酒漬け梅の甘露煮。酢の物は蛸、くらげの黄身酢和え。
DSC00180_tDSC00182_t 小鉢は、鳥貝のマヨネーズ和え、海老芋しんじょ。貝類が好きなので鳥貝のコリコリは嬉しい。
DSC00177_tDSC00186_t お造りは、鯛を中心にした姿盛り。日本の旅館伝統らしく、仲居さんに「2日間、お世話になります」と寸志を渡したのが効いたのであろうか?豪華である。残った鯛の頭などは厨房を貸してもらえれば、潮汁でも作るところ。天ぷらは、なす、大葉、アーモンドをまぶした衣の海老、甘藷。甘藷は残念ながら、中心が生のままの揚げミスであった。
DSC00187_tDSC00185_t 鍋物は、海老、鶏肉、白菜を中心にしたさっぱり味。またもバサバサ気味のご飯を入れて雑炊に。伊勢エビを半身にした焼物は、海老の味噌の濃厚さにヤラれた。
DSC00189_tDSC00181_t 牡蠣を蒸したほうらく焼き、大蛤の吸い物。しかし、昼に目の前に剥いてくれた牡蠣を食べてしまったので、感動はなし。DSC00188_t最後にみかんと苺のデザートで終了。
 またも満腹で、いつ寝たのか分からず。

 

2006年1月 5日 (木)

いざ「うまし国 三重」へ

 2時就寝。5時起床。メールやブログをひたすら書くが、突然、パソコンのマザーボードから警告音が鳴る。パソコンのデータを喪失しないために、常に同じ内容を2つのハードディスクに書くシステム(RAID-0)を組んでいるが、そのうち片方のハードディスク(300GB)が壊れたのである。年明け早々ツイていない・・・・逆に考えれば、全てのデータを喪失しないで済んだので、ツイていたとも言える。ハードディスクが1つとなってしまったので、万が一の事を考え、データをDVDにコピー。

DSC00096DSC00095 早朝、出発しようと思っていたが、パソコンのトラブルのお陰で、11時に愛車プリちゃん(メス)で三重県に向かう。高速道路にのり、上越ICを超えたあたりから、豪雪。3m以上の積雪のなか、時速40kmほどでのノロノロ運転。雪の壁のなかを走っている感じである。

DSC00097DSC00098 渋滞のイラだちと空腹もあったので、「ハイウェイオアシス おぶせ」にて休憩。まちづくりでも有名な小布施らしく、ここで休憩する車も多い。レストランに向かう途中、回りを見ると2mを超えるつららがあった。DSC00100DSC00101あの下で作業か何かをしている最中に落ちてきたら・・・・。
 レストランで「信州桜定食 880円」を注文。馬肉をすき焼き風に煮て卵でとじたもの、なめこの味噌汁、野沢菜のセットである。朝食も食べていなかったので、あっと言う間に完食。

DSC00102  食べた終えたあと、売店をふらふらと見ていたら、長野キャラクター「信州りんごちゃん」のグッズがあった。赤いりんごが可愛かったので、「りんごちゃん」ストラップを購入。キューピーのたらこと一緒に携帯電話につける。

DSC00104 レストラン入り口にあった「わさび 肉まん 250円」が気になっていたので、こちらも購入。緑色のちょっと固めの生地のなかに、山葵の風味の効いた肉の餡が入っており、珍しい味であったが、味付けがちょっと甘めであり、山葵の風味が活きず残念。

 腹ごしらえができたところで、ひたすら車を飛ばす。長野市を超えてからは雪も少なくなり、寒さは変わらないものの、晴天。

DSC00105 途中、休憩のため伊那峡SAに寄ったところ、元気におでんを売るおばちゃんの「3つ買えば、1つタダだでよぉ、おにぃちゃん、こうてチョーよ」といった商売トークに心動かされ、大根、卵、ウインナ巻き、ちくわの4つを300円で購入。からしをつけようとすると、一緒に味噌も置いてあり、「名古屋が近いがや」と思う。寒空の下のおでんは美味い。

 18時過ぎに伊勢ICに到着。近くのジャスコで、納豆や値引きになっていた海産物を購入。
 19時、伊勢志摩国立公園/二見ヶ浦「浜千代館」(電話:0596-43-2050)に到着。食事付きの宿泊プランで、夕食の時間が19時となっており、即、部屋での夕食。
DSC00109DSC00110 赤ワインの食前酒。八寸は正月らしく、海老、饅頭、卵焼き、栗きんとん。酢の物は、もずく、赤なまこ、氷頭を合えたもので歯ごたえある組み合わせが嬉しい。
DSC00111DSC00111小鉢は、スモークサーモンとイカの麹付け。お作りは、サザエ、まぐろ、海老など。サザエが日本海のものより柔らかいと感じるのは気のせいであろうか。
DSC00120DSC00117 定番の茶碗蒸しに続いて、抹茶塩で食べるカレイの唐揚げ。パリッとした食感と適度な塩気がビールに合う。
DSC00121 ビールは、「アサヒ・スーパードライ」の伊勢志摩国立公園バージョン。味は普通のドスーパードライと変わったところはなく、ラベルが違うのみであるが、こういうちょっとしたカスタマイズは観光客にとって嬉しいものではないだろうか。ビール党の私としては、できれば伊勢もしくは三重県内の地ビールもおいてほしいところである。
DSC00116DSC00118 焼物は、イサキの塩焼きとサザエの壺焼き。イサキの白身で淡泊な味わいが良いが、少し塩が足りないような気がした。煮物として伊勢海老の具足煮。もともと具足煮は漁師料理で、伊勢海老を殻ごとぶつ切りにし、醤油、酒、みりんで煮込む。伊勢海老の殻が武具のすねあてに似ていることから具足煮という料理名がついた。身も美味しいが、だし汁が美味い。
DSC00115DSC00119 卓上コンロにのった鉄板には、熱くなった油のなかに大蒜のスライス。そこへ、柔らかい伊勢牛を投入し、伊勢中の大蒜焼き。箸でもちぎれる肉の柔らかさ。この肉自体はもとより、この牛の内臓を食べたら美味そうだな、と思う。デザートはメロン、苺。
 すっかり満腹になったが、まだ風呂に入っていなかったので、大浴場に行き、大きな湯船につかる。気がついたら、湯船で寝そうになり、顔が湯についたところで目が覚めた。

DSC00124DSC00122 風呂を上がり、ジャスコで買った値引きになっていた海産物、「三重県産の赤なまこ 生食用 398円」(20%引き)、ゆずぽんと「大粒生かき 438円)をつまみにして、再度ビール。

 何時に就寝したか不明。いつの間にか寝てしまった。

 

2006年1月 4日 (水)

2006賀詞交換会

F1000002 1時就寝。7時に起床したが、窓を開けるととにかく凄い雪。TVニュースを見ても交通機関の乱れが話題になっている。O嬢、ママ嬢が電車のなかに閉じこめられたり、もしも何かあった場合でもいいように、今日もおにぎりを作り持たせる。
 8時過ぎ、お二人を駅まで送る。喜んで帰ったので一安心。

DSC00081 11時から2006賀詞交換会。まずは、藤間師匠による「祝いの舞」。国会議員は、衆議院議員・近藤もとひこ氏(自民党)、衆議院議員・鷲尾英一郎氏(民主党)、参議院議員・黒岩宇洋氏(民主党)、DSC00086参議院議員・森ゆう子氏(民主党)、参議院議員・近藤正道氏(社民党)、参議院議員・田中なおき氏(自民党)が出席。挨拶の時間は一人3分との約束だが、案の定長くなり、柏崎ぶどう村ワイナリーのワインでの乾杯は、なんと12時。DSC00087しゃべるのが商売の議員といえども、短いスピーチで人の心を動かすことも重要である。
 乾杯の後、残すのが「もったいない」ことから、オードブルを数品つまんだのち、活動開始。

 両衆議院議員は、燕市の賀詞交換会のため、会場からはいなくなったが、他の国会議員がいる。ここぞとばかりに国会議員に片っ端から声をかけ、皇室典範改正人権擁護法案についてお話させてもらった。イちゃった野郎と思われたことと思うが、この問題こそまさしく国会議員の仕事である。所属する政党は違うが、乱闘になると大仁田厚議員を相手にする森ゆうこ議員とは色々と情報交換をした。

_1 賀詞交換会終了後、荒城議員とうちの事務所で「うれっ子」(電話:0257-22-4648)のチャーシューメンを食べながら意見交換。
 その後、来客があり、相談事の解決に悩む。解決のための資料作りや情報収集で夕方まで。

DSC00090

 20時、銀ムツの煮込み、車麩卵添え、冷凍しておいた茶豆で夕食。
 食後もひたすら資料づくりである。
 正月から仕事の依頼が多くあり、一瞬イヤになるが、仕事を頼まれることもありがたいことであると思い直し、作業し続ける。

2006年1月 3日 (火)

大雪のなか「じょんのび村」

_1  2時就寝。6時起床。メールやブログの処理をしてから、O嬢、ママ嬢の朝食づくり。コーヒーを飲んでもらっている間に、博多めんたいこを入れて、ニギニギ。米は、棚田のお手伝いでもらったコシヒカリであり、握っている最中のチャチャという適度な粘り、テラテラと光る粒からしても美味さが分かる。お二人とも米が「甘ーい」とお笑いコンビ「スピードワゴン」井戸田氏のようなコメントであった。

 朝食後、お二人を高柳町の「じょんのび村」に送る。夕方まで個室をとり、女二人ゆっくりしてもらう算段である。

DSC00075DSC00074 自宅に戻り、新年の挨拶にきた親戚とともに昼食をとることに。「うれっ子」(電話:0257-22-4648)のチャーシューメンを食べながら、世間話。そのうち、話の雲行きが怪しくなってきて、最後は

 「孝欧ちゃん、そろそろ結婚しなきゃダメよ~」

と叔母さんに怒られるのであった。

 親戚と話し込んでいるうちに16時を過ぎたので、「じょんのび村」にお二人を迎えにいく。大雪のなかの温泉で最高であったという。

DSC00077DSC00076 帰り際、色々な食材を購入して、事務所での夕食。高柳名物となった豆腐をはじめ、がんもどき、ブリかまの塩焼き、昨日頂戴した手作り蒟蒻など。DSC00078せっかくなので弟も呼び、4人で乾杯。地卵と極上のコシヒカリで作った「卵かけご飯」もつまみである。
 飲み始めてから数十分、O嬢、実は今日が誕生日だと言う。

 「いくつになったんですか?」
 「えっ、さんじゅう・・・、いや、さんじゅっさい!」

とあくまで本人の申告である。

DSC00079 お祝いということで、米山町を含む鉢崎周辺で祝い事があると作って食べるという、海草を練って固めた郷土食「えげす」をO嬢にプレゼント。恋愛から歴史まで幅広い話題で夜が更けていった。 

2006年1月 2日 (月)

日本で一番海に近い駅「JR青海川駅」

 5時起床。今年、はじめる新規事業の計画。
 朝食もとらず午前中から16時まで親戚まわり。おせちとお茶でお腹いっぱいである。

 ジェンダーフリーについて、子供をもつ親戚に色々と聞いたが、子供をもつ母親としてもジェンダーフリーをはじめとする男と女の性差はないという教育には違和感を感じているという。男女の権利は平等であるべきとは思うが、男女は同質ではない。その点を間違う自治体はもちろん、国に未来はないと思う。

F1000015 亡き祖父の弟は、柏崎市議会議員で議長まで務めた、故・庭山正平。三井田家・家長として新年のご挨拶で伺ったが、お宅に上がらせて頂き、改めて賞状類を拝見すると、天皇陛下から頂いた勲章をはじめ、市議会議長会の表彰などがあった。ほぉーと感心していると、若奥さんがお茶請けに手作り蒟蒻をだしてくれた。クニュ、クニュと活きの良いイカのような歯触りが美味しく、一気に食べてしまった。不躾ながらお土産としても頂戴した。

 16時過ぎ、柏崎駅にO嬢、ママ嬢を迎えにいく。お二人とも豪雪のなかの温泉や柏崎の味を体験してみたいとのことであった。荷物を事務所に置いたのち、柏崎市内の観光。冬の柏崎といえば、波荒れ狂う日本海を体験させることであろうと、米山方面へ行き、激しい海風を浴びてもらった。
_2 色々とまわり、最後は日本で一番海に近い駅「JR青海川駅」である。1993年1月~3月までTBS系で放送されたドラマ『高校教師』最終回のラストシーンは「JR青海川駅」で撮影された。O嬢、ママ嬢には冬の日本海とローカル線という、石川さゆりが歌いそうな状況を楽しんでもらった。
 O嬢は、何を思ったか、他に客がいないこの駅に停車する電車を見て、

 「えっ、この電車、私がいるから止まるの?」

と思いっきり、ワンマンバスと間違えていた。

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 ついでに、駅に備え付けてある来訪記念ノートにも二人揃って記入。この駅もだいぶ有名になったようで、来訪者が多い。多くの人に来て頂くことは良いが、落書きや悪戯も多いようで、「警告」と書いた紙が何枚か貼ってあった。悲しいことである。

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 (仮称)三井田観光の極寒、荒れ狂う日本海ツアーを終え、夕食。車麩の煮付けの他、皮をつけたまま圧力鍋で煮込んだ(ポイントは八角)煮豚、地場産の冬の魚を中心にした刺身など。

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ビールのほか、酒(清泉)等で歓迎会?話は盛り上がり、エンドレス状態に突入・・・。

2005年12月16日 (金)

12月議会最終日、行政との忘年会

DSC02324  2時就寝。7時起床。事務所のリフォームに伴う事務所の整理などを行い、つい熱が入って朝食を作る時間を忘れたので、「雪割り納豆」と練り梅を混ぜて具にしたおにぎり2個を作り、それを持って市役所へ。市役所売店で「野菜一日これ一本」を購入。会派室で食べていると某先輩議員から「三井田君、嫁なんかいらんねっか、おい」とのお言葉。食事を含め、基本的に自分のことは自分でやるので(自己完結型?)特に不自由さは感じない。妻となる女性が必ず食事は作るべきと思う世代でもないので、こんなところにも男女同権の変化を感じる。

 10時から12月議会の本会議。最終日であるため、委員長報告があったが、特に質疑、討論もなく、原案可決。11時には議会が終了した。その後、議会運営委員会を傍聴。来年2月議会の日程について、一般質問の配分が議論される。私も毎回行う一問一答形式での質問が全体的に長いという意見もあったが、こちらは時計でキッチリ計っての30分以内の質問である。一問一答形式を選んだ議員の質問時間が1時間を超えるほど長いのは、むしろ答弁側が長い。答弁全体で30分以内になるよう簡潔、明瞭な答弁を願いたいところである。また、質問の要旨を書いた通告内容と実際の一問一答の内容が異なっている、という批判が市役所職員から聞いている、と議会事務局から報告があった。つまり、「お約束と違うじゃなーい」である。鳥取県の片山知事は、通告なしのガチンコ質問議会を行っているそうだが、本来、政治家である首長(市長、知事)はガチンコでも十分議論に応戦できるようにするべきではないかと思う。

 事前の要旨の通告は、あくまでお互い深い議論ができるようにするためのガイドラインに過ぎない。大まかな方向だけでも分かっていれば、あとは政治家としての首長の度量で勝負!ではないだろうか。

 17時20分に市役所に行き、メトロポリタン松島にバスで移動。市長、助役、収入役の市三役に加え、市役所各部各課の部長、課長、そして市会議員の忘年会である(会費8000円はかなり痛い)。市長、議長の挨拶の後、乾杯。市長の挨拶のなかで、

「小泉首相による靖國問題で、中国との関係が悪くなっている」

との問いかけから、柏崎市が中国の3都市との交流をしていること、次の世代の柏崎っ子のためにも中国とは仲良くしなければならないとの言葉があった。柏崎市(旧西山町)出身である、田中角栄元首相が、私が生まれた1972年に行った「日本国政府と中華人民共和国政府の共同声明」には、この一文がある。

「日本国政府及び中華人民共和国政府は、
 主権及び領土保全の相互尊重、相互不可侵、
 内政に対する相互不干渉・・・・・」

日中国交正常化交渉記録

 日本国内の施設であり、また民間運営である靖國神社に対する中国の干渉こそが原因ではないかと思う。ちなみに、「日中国交正常化」と言われるが、厳密にはそれ以前に「中華人民共和国」は存在しないうえ、「正常化」はあくまで中国側から見た表現である。「国交回復」も同様。新しい国と国交を樹立した日本側が、中国と同じ「正常化」という言葉にする必要性には疑問をもつ。

DSC02325 料理はあらかじめ、数点が席にセットされていた。金色の長方形の皿には、エシャレット味噌添え、数の子、鴨のハム、バイ(貝)煮付け、サーモンのあぶり焼き。揚げ物は、アーモンドを衣にあしらった海老の天ぷら2本、獅子唐の素揚げを抹茶塩で。鮪のフレーク、とろみあんのかかった海老しんじょの小鉢。DSC02326手前の黒い箱のなかには、和え物3品。シーフードマヨネーズ和え、菊のごま和え、蛸の山海漬けであった。マヨラーではないが、海草の歯ごたえといい、マヨネーズの量といい、シーフードマヨネーズ和えが一番美味しく感じた。さらに、この器が良かったのである。DSC02327白うさぎにもみじ、秋であれば、もっと映えた器だったであろう。
鯛、寒ブリ、まぐろ、ほたてなどのお造りに続き、きちんと銀杏の入った茶碗蒸し到着。周りの人は、食べるのもそこそこに酒を注いでまわったりしているが、せっかくの温かい料理なのでとりあえず食べる。DSC02329茶碗蒸しを食べ終えてから、市長をはじめ、職員の皆さんにも話をしながら注いでまわる。

 普段、議員の側からの一方向の会話になる場合が多いので職員の方からの話も貴重である。また議会の場においては、意見がぶつかることの多い教育関係の皆さんと唯一?意見が合ったのが「ジェンダーフリーの危険性」である。次の議会で取り上げるつもりであったが、まずは一安心。お約束で海上自衛隊誘致の意義を再度説明しまくり、若干引かれる。

DSC02331DSC02332 ローストビーフのグレイビーソースがけ、蕎麦で料理は終了。忘年会もお開きとなり、最後は「萬歳」で締めくくることになったが、「萬歳」の手が相手向きになる「降伏の萬歳」はちょっと頂けない。ささやかな抵抗として、正式な「萬歳」、両手の掌を内側に向け「萬歳」を行った。

 終了後、2次会に参加。2次会に移動するまで、雪と風の寒さで一気に酔いがさめる。

DSC02334 23時過ぎ、自宅に戻って風呂に入る。「ナンジャワールド」に注文していたアイスクリームセットが届いていたので、早速、「絹 シルク入り」(岐阜県・飛騨酪農農業協同組合、製造者は三重県の四日市酪農業協同組合と複雑な感じ)を食す。風呂上がりのためか、酒の後だからか、舌にねっとりと絡みつくような乳脂肪分と甘みが美味であった。

 昭和20年の今日、12月16日は近衛文麿元首相が荻窪の自宅で青酸カリを飲み自害した日である。GHQによる出頭命令の期限ギリギリでの服毒自殺。詳細な研究はもっとしたいと思うが、現時点で大東亜戦争の開戦の責任問題を問われれば、近衛文麿元首相と近衛内閣ではないか、と考えている。